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狼の方が良い(1)

「ビアンカ、可愛いな」

 

 馬車のドアが閉じるなり、ハルがそんなことを言うので「え」と変な声が出てしまった。

 恥ずかしい。とても恥ずかしい。

 可愛いと言われることも恥ずかしいけれど、可愛いと言って欲しい、と伝えてしまった事実がもっと恥ずかしい。

 私はゴホンと一つ咳払いをして、「あの時言ったことは、忘れてちょうだい」と言った。

 

「そうか? でも俺は、今日の服もビアンカに似合っていて、好きだ」

「……」

 

 正直なところかなり嬉しいけれど、すごく困る。

 私は、変な顔をして「あ、ありがとう……」と言うことしかできなかったのに、ハルは嬉しそうに笑った。

 こんなはずじゃなかったのに、最初の一歩でひどくペースを乱されている気がする。

 これじゃいけない。

 私は、馬車が一瞬止まった隙に、ハルの正面を離れ、隣の席に移った。

 ハルは、背が高い。隣に座っていれば、ちょっと顔を俯けるだけで、顔を見られずに済む。逆に、ちょっと見上げるだけで、ハルの顔がすぐに見える。

 一呼吸おいて熱を冷ましてから顔を上げると、ハルと視線が合った。

 ハルは、目を丸くして、私のことを見ている。

 

「えっと……ハルも似合ってるわね? しっぽが隠れているのが残念だけど」

 

 今日のハルは、普段と全然違う。

 本当は、どこにでもありふれた村人風に仕上げてもらうつもりだったのに、頭を覆う中折れ帽としっぽを隠すロングコートのせいで、妙な気品が漂っている。

 そうでなくても、いつもよりどことなく柔らかい笑顔がくすぐったいのに。

 

「ちゃんと、ビアンカの恋人に見えそうか?」

「マリーは、見えるって言ってたわよ。そうだ、私たちの服を用意してくれたのもマリーだし、マリーには沢山お土産買って帰らないとね」

「オミヤゲ……」

「お店が沢山並んでいる場所も教えてもらったから、そこで買いましょう」

 

 考えるだけで、わくわくとしてくる。

 私はデートはおろか、友達とろくに遊んだことすらない。

 自分が平民なのか貴族なのかよくわからない宙ぶらりんな状態で、街歩きの仕方も良くわからなかった。

 でも、今日は市民として、しかもデートという名目で、遊べるのだ。

 そこまで考えてから、はっとした。

 そういえば、マリーにデートのことを尋ねた後、あれよあれよという間に彼女の方で全ての段取りが決められてしまっていたけれど、ハルはこれで良かったのだろうか。

 元はと言えば、ハルが望んだものだったのに。

 

「あの、ハル、これで大丈夫だった? こっちの街のことあまり知らないだろうと思って勝手に決めちゃったけど、もしかして、別に行きたいところあった?」

 

 言いながら隣を見上げると、ハルは、またふわっと笑った。

 

「ビアンカと一緒にいられるならどこだって良い。ビアンカが楽しいなら俺も嬉しいし、もう既にデートって良いものだな、って思ってる」

「……そう、なら良かった」

 

 どうしてこんなに、嬉しいことを言ってくれるのだろう。

 ぷい、っとそっぽを向くと、座面に置いていた右手の指先に、温かいものが触れた。

 

「……ビアンカ、今日は、手を、つないでも良いか? もし、嫌じゃなかったら……」

 

 やっぱりハルは、ちょっとおかしい。

 何の恥じらいもなく好き勝手なことを言うのに、変なところでひどく躊躇いを見せる。

 それが、私を安心させることもあるし、不安にさせることもある。

 でも私は、ハルのこういうところを好きになってしまったんだろうな、と思う。

 

「おでこには勝手にキスするのに、手をつなぐのには許可がいるの?」

「……手は、まだ、良いって言われてなかったから……」

「……ハルには、何されても嫌じゃない、って言ったのに」

「そうか、そうだな……。でも、歩きにくかったり、嫌だったら、すぐに言ってくれ……。その、人混みではぐれないようにしたいんだけど、人前でつなぐのはあまり良くないって聞いて」

 

 ハルが変な気遣いをするから、思わず笑いが漏れてしまう。

「うーん、そうね。嫌になったら言う」と答えると、ハルの手がにじり寄って来て、私の手をすっぽりと包み込んだ。

 相変わらず、温かい。

 なんだか、デートっていいものだな。

 

 なんとなく会話が途切れて、ハルの温もりを堪能しながら物思いにふけっているうちに、馬車が止まった。

 窓の外に、煌びやかな街が広がっている。

 通り過ぎるだけの街と、これから満喫する街とでは、輝き方が全然違う。

 うきうきと馬車を下りると、何か小さなものが目の前を横切った。

 

「ネ、ネコだ!」

 

 浮かれた気持ちが、そのまま声に出た。

 別に、初めて見たというわけではない。けれども、こんなに近くでまじまじと見るのは初めてだった。

 貴族はその辺の野良猫に構ったりしないから、私もそれに倣っていたし、猫もそれがわかっているのか私に近付くことはなかった。

 でもこの猫は、私の近くに来た。私の目の前を通り過ぎて、それから振り返って「にゃー」と鳴いた。

 

「鳴いた……!」

 

 それが、私を歓迎してくれているみたいで、嬉しかった。

 ひょっとして、触ったりもできるのだろうか。

 体を低くして近付くべきなのかな、などと考えていると、しかし、猫は私に背を向けて、トコトコと気怠げに歩き始めてしまった。

 それは、小走りで追いつけるくらいの速度で、なんだか何かを試されているような気分になる。

 

「ビアンカ!」

「わ!」

 

 猫の方へ足を踏み出しかけたところに、ぐいっと引き留める力を感じて、たたらを踏んだ。

 見れば、私の左手をハルの右手がからめとっている。

 

「はぐれないように、つないでおく」

「う、うん。でも、猫……」

「猫はもう行った」

「え……」

 

 視線を元の場所に戻すと、猫の姿はもうどこにもなかった。

 さっきまで、のんびり歩いていたはずなのに。

 一瞬目を離した隙に、建物の隙間か何かに身を隠してしまったようだった。

 

「残念……」

「……ビアンカ、猫が好きなのか?」

「うーん、どうだろう……。でも、珍しかったから、もう少し見たかったな、って。ハルは、猫、見慣れてる? あ、ひょっとして、ネコ科の獣人もいるのかな?」

 

 ふと浮かんだ疑問を口にしながら、ハルの顔を見上げる。

 

「ネコ科は……そんなに良くない」

 

 そう答えるハルの顔が苦々しく歪んでいることに気が付いて、さっと、自分の中の熱が引いた気がした。

 もしかして、良くないことを聞いたのだろうか。

 イヌ科とネコ科は仲が良くないのか、あるいは扱い――つまり差別の度合に差があるとか、そういう事情があるのだろうか。

 しかし、

 

「あいつらのしっぽはひょろひょろで、全然温かくもない」

 

 続くハルの言葉に、私は拍子抜けしてしまった。

 

「……それだけ?」

「……それで十分だ。ビアンカは、俺のしっぽの方が気に入るはずだ」

 

 ハルが真剣な顔をして答える。

 やっぱり、ハルはちょっとおかしい。

 

「それは、確かにそうね」と笑って返すと、ハルは満足したように頷いた。

 それから、コートの裾がふわふわと揺れた。

 私のお気に入りのしっぽが見えないのが、惜しい。

 

「まあ、歩こっか」

 

 じっと考えていると、どんどんハルのしっぽが恋しくなってしまいそうだった。

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