欲しいもの(2)
「ビアンカ、危ないから首に掴まってくれ。部屋まで送るから」
俺がそう言うや否や、ビアンカはゆっくりと俺の首に両腕を回し、俺の申し出に素直に応じてくれたように見えた。
しかし、それに続く、「ハル……帰っちゃうの?」と言いながら揺れる瞳で俺をじっと見つめる仕草には、その指示には従いかねる、とでも言いたげな何らかの感情が見えた。
あるいは、ただ酔って呆けているだけなのか、わからないが。
「俺が、っていうか、ビアンカが帰るんだ」
「……ハル、怒ってる?」
「俺は、怒って――」
る。いや、怒っているというより、不愉快、という気持ちに近いだろうか。
でも、それを軽率に口に出すのは、はばかられた。
とても笑えそうにはなかったけれど、精一杯穏やかに答える。
「――ない」
「……嘘……」
嘘じゃない、と詭弁を口にしようとして、ぎょっとした。
見下ろすビアンカの瞳がうるうると潤み、今にも涙を落としそうになっている。
俺はほとんど無意識のうちに「ち、違う、怒ってるわけじゃない」と上擦る声で弁明していた。
「な、何が、駄目だった……?」
「駄目って、ビアンカは、別に何も悪くない……」
「なら、なんで……」
ビアンカは、言葉を詰まらせて鼻をすすった。
今のビアンカは、酔って気持ちが昂っているように見える。
でも、酩酊して正体を失っているわけでも、むやみに駄々をこねているわけでもなかった。
ただ、俺は心に燻るものを隠せる程器用じゃなくて、ビアンカはそれに気が付きながら流せる程の余裕がない状態のようだった。
「……ビアンカが悪いなんて、思ってない。ただ、俺は、ビアンカは何で酒を飲んだんだろうって、そう考えてただけだ。だってビアンカは、外では飲まないって言ってたはずだから」
俺は優しく伝えたつもりだったけれど、ビアンカは叱られた子供のように首をすくめた。
「……それは……」
「……」
「……」
「それは?」
「ハルが……」
「俺が?」
「…………」
酔って尚、口が堅い。それは良いことだと思うのに、今だけはそれが恨めしい気持ちになる。
俺は、ふう、とため息をついて、ビアンカをしっかりと胸に押し付けると、屋敷に背を向けて歩き出した。
本当は、屋敷に返すつもりだった。でも、こんな状態のビアンカを衆目に晒すのは、やっぱり嫌だ。
俺は庭のベンチに辿り着くと、ビアンカを抱えたまま、そこに腰かけた。
腕からゆっくりと力を抜き、俺の脚の上にビアンカの体を下ろす。
ビアンカは、黙って腕を下ろし、俺の腿と胸板に体重を預けた。口は一文字に引き締め、目は相変わらず潤ませたままで。
ビアンカは今、何を思っているのだろう。
別に、俺に言えない話があるというならば、それで構わなかった。
でも、そういう背景があるならば、ビアンカはきっぱりそうと言うはずだ。
口籠って目を潤ませるだけのビアンカの姿が、俺の気持ちを波立たせる。
俺は、どうすべきなのだろう。
何となくビアンカの柔らかい髪に指を通しながら考え込んでいると、ふいにビアンカがその俺の手を振り払った。
ショックで一瞬体が固まる。
「この髪型、作るのに時間かかったのに……」
「え、わ、わるい……」
良かった、触るのを嫌がられたわけではない、と安堵すると共に、もう風呂に入って寝るだけだろうに、何でそんなに、という気持ちが湧きあがる。
ビアンカは、何を考えているのだろう。やっぱり俺は、人間が、ビアンカがうまく理解できていない。
ビアンカは、悩む俺の顔をちらっと覗いた後、さっと俯き、それから獣人の耳でようやく聞き取れるくらい小さな声でぽそぽそと喋り始めた。
「……この髪型とか、ドレスとか、アメリ様は可愛いって言ってくれて」
「……ん……?」
「普段褒めてくれない恋人も、これならきっと可愛いって思ってくれるって……。でも、ハルは、怒ってる……。嫌いだった、この格好?」
今にも泣きそうな顔を向けられて、ずきりと胸が痛んだ。
俺はまた、何をしているんだろう。
俺は、ビアンカのことが好きだって、全力で伝えるって約束したはずなのに。
好きで好きでどうしようもない感情を、こんな形で表に出したりして、肝心な気持ちが全く伝わらないまま泣かせている。
「嫌いなはずない……。可愛いって思わない男なんていない……だから嫉妬したんだ。ヘレンキース伯爵もユーリも、ビアンカに見惚れてた。それを見ていたら、むかついてきた。ビアンカは何も悪くない。でも、そういう可愛い姿は俺だけに見せて欲しいって、俺が自分勝手なことを思っただけだ。俺が、悪い。ごめん」
言い終わると、悲しげに垂れ下がっていたビアンカの眉が、ぴくりと持ち上がった。
「……じゃあ、ハル、怒ってない?」
「怒ってないし、ビアンカはすごく可愛い。普段のビアンカも可愛いけど、今のビアンカも可愛いし、すごく好きだ」
「……」
ビアンカは目を丸くしてしばらく俺の顔を見ていたけれど、そのうち俺の胸に顔を埋めた。それから嬉しそうに、ふふ、と笑った。
なんだ、この可愛い生き物は。
堪らずぎゅっと抱きしめて、額にキスを落とすと、真っ赤な顔を持ち上げて、ぱくぱくと口を動かした。
「な、なに、ハル……」
「ビアンカが可愛すぎて」
「う……かわ……ど、な、なに……」
「もしかして、そのナントカ様に可愛いって言われた時も、そんな可愛い反応したのか?」
「え、う、ううん、ワイン飲んで、酔ったふりして誤魔化したからだいじょうぶ」
「……そうか」
とても納得できる経緯ではない。
納得などできるはずもないのに、嬉しそうなビアンカのことを見てると、いつの間にかもやもやとわだかまっていたものはどこかに消えていた。
こんなに素直に感情を表現してくれるのは、きっと俺にだけなんだ。
「……なあ、ビアンカ。俺、ビアンカとデートしたい」
可愛いビアンカを見つめるうち、その言葉が口をついて出ていた。
ビアンカは、俺を見上げたまま、不思議そうに首を傾げた。
「……デートって?」
「ビアンカと二人で、一日中一緒にいたい」
「……そっか。じゃあ、聞いておく」
「聞くって、誰に?」
「マリーに聞いてみる。デートの話」
俺には、ビアンカが一体何を思ってそんなことを言っているのかよくわからなかったが、ビアンカが幸せな夢を見ているみたいに、うっとりと目を閉じて俺の胸に体重を預けてきたので、それ以上何も聞けなくなってしまった。




