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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
東の大陸『アイルーク』編
8/64

第20話『正しい“刻”の刻み方』

―――***―――


「村長、」

「……分かっている」


 多分、分かっていない。

 リビリスアーク孤児院の主―――エルラシアは、しきりに視線を外す村長―――ファリッツに呆れたような表情を浮かべた。


 ここはファリッツの自宅に設置されている会合の間。

 昼を過ぎたばかりのリビリスアークは、小さいながらに活気に満ちていた。

 僅かに開けた窓からは、爽やかな、というより、のどかな空気がそよそよと舞い込んでくる。

 リビリスアークは、本日も平和だ。


「……、」

「……、」

 エルラシアは出されたっきりのお茶を一口含むと、ゆっくりと飲み込む。

 その一挙手一投足に、ファリッツはピクリと身体を震わせていた。


「なにが、分かっているんですか?」

「……いや、その、」


 どうも、エルラシアはあの夜以降、ファリッツに恐れられているようだった。

 ファリッツの強引な“勇者様”排出に、完全に嫌気が差したあの日から間もなく十日。

 そのときエルラシアが怒鳴りつけたのが、ファリッツの心に傷を負わせているようだ。


「はあ……、今日はそういう話じゃありません」

「?」

 奥の事務机に座り、忙しなく天気を覗い続けているファリッツを流石に不憫に思い、エルラシアは手紙を取り出した。

 茶色い封筒に入ったそれは、今朝がた届いたものだ。


「エリーからです。今は、リードリック地方の村にいるそうです」

「……そ、そうか」

 ファリッツの顔が僅かに明るくなる。

 今回エルラシアがこの場に訪れたのは、その“報告”なのだとようやく理解したようだ。


 結局、エリーは旅立った。

 “勇者様”の風邪が完治するのを待ち、彼女はこのリビリスアークを去ったのだ。


 自分が育てた“娘”が、“魔王討伐”などという途方もない旅に出たことは、今でもエルラシアの懸念事項としてはある。

 だがどうやら、手紙を読む限り、彼女は元気なようだ。


「……はあ、村長。ここまできたら、私もとやかく言うつもりはありませんよ。出発のとき、エリーだって乗る気だったようですし」

「……だが、な。“勇者様”を排出しないと言った手前……、」

「送迎会を中止しただけでも、進歩ですよ?」


 ファリッツは、あの夜以降、確かに変わった。

 村を導く者としての自覚が備わったのかどうかは定かではないが、“勇者様”に対する異常な執着はなりを潜めている。

 個人個人の仕事などお構いなしで行われていた村人総出の“勇者様送迎会”は、今回なかったのだ。


 だがそれでも、結局“勇者様”は旅立ってしまったのだから、ファリッツも心苦しいのだろう。

 特に、そんな危険な旅のお供をすることになったエリーの育ての親の前では、視線を外し続けることしかできない。

 怒りをぶつけられたことがあるのだからなおさらだ。


「なあ……、エルラシア」

「はい?」

 椅子に座り込み、窓に対面しながらファリッツは小さく呟いた。

 その背中は、椅子の背もたれにすっぽりと隠れている。


「もし私が……、“勇者様”だと騒ぎ立てなければ……、彼はどうしたかな……?」

「…………少なくとも……、今まで旅立った者の中にはまっとうな人生を歩めた方もいるでしょうね」


 ファリッツから、小さな唸り声が聞こえた。


「でも……、そうですね……。今回の彼―――アキラさんは、分かりません」

「?」

 フォローのつもりでエルラシアが漏らした言葉は、しかし真意だった。


 今までの“勇者様”の中には、それを拒絶した者がいたのだ。

 しかしファリッツの大げさすぎるほどの熱意に押され、それを目指すことになってしまった。

 恐らく、誰だってそうなるだろう。

 凡人から英雄になれる機会を前にして、それを拒絶できる人間はあまりに少ない。


 だが、一度“勇者様”を名乗った以上、残される道は“魔王討伐”、“失敗”、あるいは、“完全放棄”だ。


 “完全放棄”をした者は、まず間違いなくこの地を去り、戻って来ない。

 まともな神経なら、後ろめたさから名前を変え、遠くの地で暮らすことになる。

 それは、生活の劇的な変化だ。


 そういう意味では、今までの自分には戻れない。

 それだけの覚悟は必要なのだ。


 だが、今回の“勇者様”は―――


「アキラさん、本当に異世界から来たようですしね」

「……やはり、そうなのか」

「……村長、あなたが最初に言い出したことですよ?」

「い、いや、分かっている。だが……、それでも、な。別の道があったような気がするんだ」


 その言葉に、エルラシアは素直に驚いた。

 ファリッツは本当に変わったようだ。

 今までどんな些細なことでも盛り立て、“勇者様”に仕立て上げたファリッツが、“異世界来訪者”という大看板をぶら下げていたアキラに、別の道の可能性を挙げる。

 それは、あまりに空前だった。


「私は……いや、リビリスアークはもう、“勇者様”を出さない。だが……、今回は、」

「今さら言っても遅いですよ」

「い、いや、そうなんだ。だから、」

「?」


 ファリッツは言い淀み、椅子ごと振り返ってきた。


「私も、懲りた。今までの者たちには、悪いことをしたと思っている。それなのに、」

「なんです?」

「“期待”、しているんだ。何故か、今度こそ、と」


 ファリッツが言いたいことがようやく分かった。

 要するに、自分の願望―――いや、本能の犠牲者になったアキラを不憫にも思い、しかし期待もしている。

 そんな矛盾が、ファリッツの態度の正体なのだろう。


「……、」

 エルラシアはカップを取り、再び一口含むと、ゆっくりと飲み込む。


 この村は、どうやら安泰のようだ。


 この歳になって難しいこと。

 失敗を受け止め、自分の考えを変える。

 それが、今のファリッツにはできているのだ。


 同じ失敗を繰り返すこと。


 それは、もしかしたら。

 本当は必要なことなのかもしれない。


「そうじゃなきゃ、困ります」


 口調では僅かに冷たく、しかしエルラシアは僅かに笑っていた。

 視線は、机に置いた手紙に向く。


 向こうも、賑やかな旅を送っているようだ。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「あぶっ、ちが……、お前は何度言えば分かるんだ?」

「えっ?」


 生憎と曇り空が浮かんでいる、午後。

 アキラたちはリードリック地方と呼ばれている地域の、小さな村の宿屋にいた。


 その庭で行われているのは、日課。

 世界を救う旅という仰々しい看板をぶら下げ、今日も“勇者様”ことヒダマリ=アキラは身体を動かしていた。


「怪我をしたいのか? そんなに振りかぶったら、」


 そのアキラに近寄ってきたのは、一人の女性。

 黒髪をトップで結い、身に纏うは紅い着物の羽織。すぐそばの宿屋の壁に、黒塗りの長刀が立てかけてある。

 普段は凛とした表情で、さながら日本人形のような美貌の少女―――サクは、しかしそれを怪訝に歪め、アキラの元に歩み寄ってきた。


「じゃあ、どうしろってんだよ?」

「まずは身体造りだ。筋力が足りないのなら、無茶なことはしない方がいい」


 サクの言葉に、アキラはおずおずと頷いた。


 このリードリック地方に入ってから、もう一週間になる。

 リビリスアークから第一の目的地―――ヘヴンズゲートへの“直線ルート”の途中には、こうした村がいくつも散布しているらしい。

 立ち寄ったこの小さな村も、アキラはいくつ目か覚えていられなかった。

 目的地は同じ大陸にあるのに、どれだけ歩いてもうっそうと茂る森が周囲を囲い続ける。

 “異世界来訪者”たるアキラは―――いや、“例え何度経験しても”、そのスケールの大きさには未だ慣れきっていなかった。


 ただ、もっと慣れていないものもある。


「まったく……、剣になじむのは結構だが、今はそのくらいで止めておけ。初日の惨状を覚えていないのか?」


 サクの言葉に、アキラは視線を外した。

 覚えているのだ、その惨状は。


 異世界来訪“初日”に引いた風邪が完治した、その翌日。

 筋肉痛か、あるいはもっと単純に筋を痛めたのか、アキラは再び倒れ込んだ。


 アキラにも言い訳はある。

 この旅は、とある事情で“三週目”。


 “二週目”の記憶を内包したアキラには、未来の精神と過去の筋力の“ずれ”が存在していた。

 精神のゴーサインに筋力がついていけなかったのは必然。

 最近はその“ずれ”もなくなってきたが、初日のそれはあまりに酷かった。


 ただ、


「やはり足腰が一番まずい……。アキラ。身体がぐらついていては、剣はかえって自分に危険だぞ?」


 その“ずれ”が消えた現状、それでもなお、アキラには実力不足という問題がぶら下がっていた。


 絶対的に、筋力が足りない。


「なら、走ってこい、ってか?」

「そう言いたいところだが……、時間もないな」

「じゃあ、」

「だったら…………、い、いや、待て。一応私たちは“決闘保留中”だぞ?」

「いや、それくらいは教えてくれよ」

「……こ、断る」


 サクは首を振り、元の場に戻っていってしまった。

 そして立てかけてある愛刀に歩み寄ると、動作を確認しつつそれを振るい始める。


 これまたとある事情からアキラと“決闘中”のサクは、この旅に同行していてもそれを律儀に守るらしい。

 難儀な性格だな、と思いながらもアキラは思いたってスクワットを始める。


 “二週目”。

 アキラは彼女に剣の指導を受けていた。

 刀を操る彼女が、剣と通じるものがあるだろうと、“主君”たるアキラに指導をわざわざしてくれていたのだ。

 どうやらあのときの彼女は、アキラの筋力も勘案して指導をしていてくれたらしい。

 言われるまま漠然と身体を動かしていたアキラには、彼女の意図も分からず、そして現段階の運動能力で何をすべきかも分からなかった。


 そして、サクの指導。

 この“三週目”では、彼女の立場は違う。


 アキラは上下する景色の先、背を向けるサクを眺めながら、おぼろげに“一週目”に思いを馳せた。


 特定の“刻”を刻まなければ蘇らない、“一週目”の記憶。

 それを思い出すことができない。


 自分は彼女に指導を受けたのだろうか。

 ただ、思い出せない以上、アキラは彼女の指導を諦めていた。


「…………なあ、これでいいのか?」

「き、気になっていない」


 ふと、振り返ったサクとアキラは視線が合ったのだが、すぐに顔を背けてしまった。


 本当に、難儀な性格だ。

 アキラは小さく首を振り、剣を塀に立てかけて短ダッシュを始めた。

 今度は口をはさんで来ないところをみると、どうやらサク的には問題ないらしい。


 アキラは苔が茂る壁の位置で折り返し、再び駆ける。


 運動の方は、これでいいだろう。


「……、」


 だから、今、アキラの一番の懸案事項。


 “二週目”の―――あの出逢いは、どうなってしまうのだろうか。


「……そういえば、だ」

「?」

 サクが視線を合わさず、背中越しに声をかけてきた。


「向こうの方に、何かあるのか?」

「?」

「いや、東の方だ。よく眺めているだろう?」


 気にしないと言いながらも、よく見ている。

 アキラは足を止め、再び東の空を眺めた。

 曇り空の下、険しい山脈が広がっている。


「……あっちの方、何かあるのか?」

「お前の言葉はいつも白々しいな……。ウッドスクライナで聞いただろう? あの山の“呪い童歌”」


 そういえば、そうだった。

 あの村を離れるときに、いや、に“も”、小耳にはさんだのだ、その情報は。


 サクと“決闘”する羽目になった“異常事態”が起こった村―――ウッドスクライナ。

 その近くにある山は、誰も近付かないそうだ。

 何でも、この平和な地方にしては危険地帯。

 馬車も、大きく迂回する形でそこを避けるそうだ。


 アキラは余計なことを言わないように口を閉じる。


「その向こうには、クロンクランという大きな町がある。まあ、行きたいのはヘヴンズゲートなのだろう?」


 この方向に進むことに、“アキラは異論を挟めなかった”。

 “用もない”のに危険地帯に寄ったり、あるいは大きく迂回して向かったりするなど、“不自然なこと”になってしまう。


 だからアキラは、ただ“待っていてくれ”、と心の中で念じるだけに留めた。


 それでも視線は、やはりそちらにちらちらと向いてしまうのだけど。


「ヘヴンズゲートに行ったあとのことは考えていないのだろう? 行きたいのなら、私は反対しないが」

「……そう、だな……」

「そうだ。……まずは確認しないとな、“奥様”とのことを」

「っ、それ禁止だ!!」


 とうとうその話題に突入し、アキラは声を張り上げた。

 サクはふん、と鼻で笑い、長刀を振るう。

 風切り音が、僅かに鋭くなった。


 “二週目”、従者としてアキラに接したサクとこういう会話をするのも悪くはなかったが、やはり面白くない。

 いつの間にか“それ”を知っていた、というのもだ。


「……まあ、せいぜい頑張ってくれ。……! 噂をすれば、か」

「……!」

 どこか冷たいようなサクの声に誘われて見てみれば、一人の少女が宿屋の門をくぐってきた。


 “決闘中”のサクの向こう、現れたのは、やはりこれまたとある事情で“婚約中”の相手。


 長い赤毛を一本に結わいて背中に垂らし、身体に吸いつく機能的な服。

 しっかりとナックルガードや急所を守るプロテクターを装備し、半ば大股でアキラに近づいてくる。


 ずんずんと。


「随分遅―――ど、どうしたよ?」

「言い訳から聞くわ」

「?」


 大きな瞳をきっと鋭くし、赤毛の少女―――エリーことエリサス=アーティは、すっ、と膨れ上がったきんちゃく袋を差し出した。

 それは、依頼の報酬を入れるメンバー共通の袋だ。


「あんた、昨日の報酬、貰ってなかったでしょ?」

「……? え?」

「ほら、覚えてない!!」


 エリーにそう言われて、アキラは記憶を反芻する。

 昨日、自分たちはこの村にいなかった。

 いたのは、この隣の村。

 確かにそこで、魔物討伐の依頼を達成した記憶がある。


 だが、


「あ」

「あ、じゃないでしょ!? 昨日の依頼、二つあったじゃない。依頼書一枚残ってたからおかしいと思って聞いてみたら案の定よ」

「お前まさか戻ったんじゃ、」

「戻るわけないでしょ!? その代わり立て替えてもらったわよ。手数料引かれてね」


 ずい、と詰め寄るエリーに、アキラは視線を外すことしかできなかった。


 この一週間、共に旅したのは、この三人だ。

 それだけに、“赤の他人”同士といえども、少しは打ち解けた気がする。


 ただ、それに正比例して、目の前の赤毛の少女の怒鳴り声も増してきたのだが。


「そういえば、クロンクランに行きたいらしいな」

「いや、別にそうとは、」

「え? 行きたいの?」

「ああ、そうらしい。最近特にぼうっとしているな」


 エリーとサクは顔を向き合わせ、そして僅かに眉を落としてアキラに視線を送る。


 最近、こんな視線ばかり受けている気がした。

 いや、気のせいではない。

 明らかに、二人はアキラをいぶかしんでいる。


「…………、ま、“勇者様”には“勇者様”の考えがあるんだよ」


 そして、決まってアキラはこう返す。

 仕方ないのだ、それは。


 自分だけが、知っていることなのだから。


「あんたねぇ、また、」

「それより依頼、請けてきたんだろ?」

「え? ええ、ほら、魔物討伐…………って、話を逸らさないで」

「俺、支度してくるわ」

「ちょっ、」


 アキラは駆け足で宿屋に入る。


 最近はこの話題が出ることが、特訓終了の合図になっていた。


―――***―――


「クンガコング……、か」

「正式名称は、」

「そっちはいい」


 森の中、アキラはせり出した巨大な木の根を飛び越え、意気揚々と歩いていた。

 エリーはその背に未だ不審な瞳を向け続ける。

 もっとも、この十日ほど続けたその行動も、アキラの口を割らせることはできなかったが。


「それで、今日は戦うんだっけ?」

「え? 何言ってんだよ。俺はいつでも戦ってる」

「無駄とまでは言い切るつもりはないけど、“応援”はギャラリーの仕事よ」

「お前が見てろ、って言ったんじゃねぇか……」

「そりゃあ、」

「ま、なんとかなんだろ。そろそろ俺も、さ」

 アキラの軽い足取りは止まらない。

 そんな調子の“勇者様”に、エリーは聞こえるようにため息を届けた。


 確かに、その“応援”で依然助かっている。

 だが、絶対的に必要だったのは、あの“魔族戦”だけだったりするのだ。


「サクさん、あいつ、戦えそう?」

「さあな」

 アキラから視線を外さないまま訪ねたエリーの言葉に、隣のサクは“きっぱりと曖昧な言葉”を返した。

 隣に並ぶと分かるが、サクは女性の中では長身の方だろう。


「ただ、そもそも絶対的に筋力が足りない。その上、身体を痛めている」

「え?」

「身体に無理をさせすぎているんだ。本人は、気づいていない」

「そこまで分かっているなら、」

「い……、一応、それとなく伝えているんだが、な」


 難儀な性格だ。

 エリーは奇しくもアキラと同じ評価をサクに下した。


 “決闘中”だから手は貸さないという真面目さ。

 しかし、口を挟みたくなるという心配性。


 サクとの付き合いは短いが、エリーなりに彼女のことが見えてきていた。


「……魔術の方はどうなんだ?」

 サクもアキラの背から視線を外さず問うてきた。


「どうもこうも……、教えてるのは魔力の上げ方くらいよ」

「……?」

「“使い方”はすぐ覚えたけど……、それっきり。魔力を使いながらの戦闘は、あっという間に時間切れ。センスがあるんだかないんだか」

「……、」

「サクさん?」

 急に黙り込んだサクに、エリーはようやくアキラから視線を外した。


「また……、一つ増えたな」

「?」

「あの男の奇妙さ、だ」


 サクの言葉は、配慮しているのか途端に小さくなった。

 アキラは振り返りもせずに歩き続けている。


「先ほども言っただろう。あの男は筋力が足りない、と」

「ええ」

「だが、それなのに、」

 サクの視線が捉えているものがようやく分かった。

 彼女は、アキラの背に下がっている剣を見ているのだ。


「構えや動き。まだまだ荒いが、明らかに指導を受けている。筋力が足りないだけで、十分に戦えるほどだ」


 それはまさしく、アキラの魔術の進捗度と同様だった。


 魔術の師を務めているエリーは、その初日、本当に異世界から来たのかと再三聞いたほどだ。

 勇者の血が目覚めているだとかわけの分からないことしか口にしなかったが、どう見ても怪しい。


 彼は、“戦い方を知っている”。


 そして、気になることはもう一点。

 彼の武器の扱い方を、どこかで見たことがあるような気がするのだ。


「まあ……、剣の方はまだ分かる。“異世界から来た”と言っていたが、そちらにも剣はあるらしいからな。だが、」

「魔術も魔法もない世界。それは、間違いないらしいし……、ね」

「エリーさんの教え方がいいのかな?」

「…………そう、かなぁ?」


 だが、何度聞いても、アキラから返ってくるのは“ご都合主義”の一点張り。

 本当に、ふざけた男だ。


「……?」

 そこで、エリーはサクの瞳に熱がこもっているのを感じた。


「惜しいな……、本当に。きちんと指導を受ければ、剣の方も、」

「い、いや、無理よ? 魔術だって魔力を上げてから教えたいこともあるし……、ほ、ほら、“決闘中”でしょう?」

「……そう、なんだよな」


 エリーはほっと息を吐き、小さく頷く。

 剣の方はもう少しあとでいい。

 とにかく今は、彼に魔術を叩き込まなければならないのだ。


 身体能力強化に防御膜。

 そして攻撃方法も。

 アキラの属性―――日輪属性のことはよく分からないが、何かあるはずだ。


 とにかく今は、自分の出番なのだ。


「なあ、こっちであってんだよな?」

「……えっ、え、ええ、……うん」

 振り返ったアキラが足を取られて転びそうになるのを見ながら、エリーは小さく返した。


 まあともかく、不審なことが目立つ“勇者様”だが、強くなってもらわなければ困る。

 今まで危険と判断して見学させていたが、今日から戦闘参加させてみるのも悪くはない。


「…………でも、クンガコングか……、」

「大型の魔物だったな」

「ええ」

 エリーは忙しなく視線を配り始めた。


 昨日の依頼。

 それは、この森に生息するランドエイプの巣の駆除だったのだが、クンガコングはその数倍強い。


 それに、ランドエイプの数も気になる。

 あの、猿のような魔物の巣はいたるところに存在し、いくつもの依頼主が同時に依頼を出したほどだ。

 そのせいでアキラも依頼料を貰うのを忘れたのだろうが、やはりそれは“異常”だ。


 そんなに魔物が大量に繁殖しているこの森。

 討伐対象のクンガコングは一体だけらしいが、本当にそうだろうか。

 先の“魔族”戦で過敏になっているだけかもしれないが、警戒する必要はあるだろう。

 そう考えると、妙に静けさのある今も、不気味に覚えてしまった。


 それ、なのに、


「魔物いないな……、あれかな、昨日の依頼の成果かな。お前らが根絶やしにするから」


 これだ。

 楽天的な目の前の“勇者様”。


 やはりこの男は怪しすぎだ。

 鍛錬だけは真面目にやるくせに、こと依頼に関しては軽視している。


 まるで、“成功することが前提”のように。


 エリーとサクなら、確かにこの辺りの魔物に遅れはとらないだろう。

 今回のクンガコングも、高が一体程度、相性で勝るエリーがいれば問題なく終わるはずだ。


 だが、アキラはその見学しかしていない。


 何故その当事者でもあり傍観者でもある彼が、そこまで楽観しているのか。

 まあ、あのアキラも、“ただの一般人”ではない。

 奇妙なことに、彼は、戦えるのだ。


 だから、いや、しかし、


「……、」


 そんな視線を背中で受けながら、アキラは頭を高速で回転させていた。


 背後からの視線には応えない。

 言っても意味がないからだ。


 口から出るのは楽天的な言葉。

 しかしアキラの視線は忙しなく周囲を覗う。


 エリーから聞いた先ほどの依頼。


 『クンガコング一体の討伐』


 それを、アキラは知っていた。


 “二週目”。

 自分たちはそれを請けたのだ。


 その内容は、依頼書とはかけ離れていた。

 クンガコングは一体ではない。

 あの、巨大な身体のゴリラのような魔物は群れをなし、森の開けた広場一帯を埋め尽くしていたはずだ。


 あのときは、“最強の力たち”が総てを蹂躙した。


 だが、今は。


「……、」


 “二週目”の記憶は役に立ちそうにない。状況が違う。


 ならば残るは“一週目”。

 それは確かなものではなく、特定の“刻”を刻まなければ蘇らない。

 “二週目”もあったこの状況。

 これが特定の“刻”である可能性は高い。


 だから、思い出せさえすれば、


「……、」

 アキラはちらりと振り返った。

 エリーとサクが一応周囲を警戒し、そしてそれ以上にアキラを警戒しながらついてくる。

 大方、この森でアキラがはしゃいで逸れないように見張っている、というところだろうか。


 だがこの三人が、今の“勇者様御一行”の総戦力だ。

 この三人で、その依頼を達成しなければならない。


 思い出せば、アキラは指示を出せる。

 それこそ、あの“魔族”―――サーシャ=クロライン戦のように解決に導けるのだ。


 これが特定の“刻”ならば、自分は最上級の力を振るえる。

 “一週目”、そして“二週目”の記憶。

 自分が二人に対して持つ、最大級のアドバンテージ。


 それを活かせば、問題なく“刻”は刻まれる―――


「……!」

「ね、ねえ、ちょっと、」


 エリーの声に応えるまでもなかった。

 ガサリと音が響き、目先の木々が揺れる。


 昨日もあった。

 これよりごく少量の音量で。


 だからこの揺れは、ランドエイプではない―――


「……、」

 アキラは目を凝らし、身体を強張らせる。


 いよいよだ。

 アキラは直感的に判断し、息を呑む。


 音源から、場所を特定。

 数十メートル先にある、巨大な薮からだ。

 わさわさと揺れ、徐々に振動が目前まで迫ってきている。

 薮の中を、何かが突き進んで来ていた。


「……!」

 その姿が見える前に、エリーは構え、サクは刀に手をかける。

 アキラは数歩下がり、剣を抜き放った。


 感じる“匂い”は、戦闘のそれだ。


「グ……、」


 薮を突き破り、現れた“それ”はアキラの記憶通りの姿をしていた。

 岩ほどもある拳を地につき四足歩行をしているが、身の丈は、ゆうに二メートルはある。

 緑色の体毛を身に纏い、野生の筋肉を隆起させ、くすんだ瞳を三人に向けていた。

 表情は、凶悪そのもの。

 この魔物の種類通り、皺くちゃに顔を歪め、獰猛さを姿そのもので雄弁に語るよう。


 この、凶悪な野生動物のような魔物。


 それは、間違いなく、


「クンガコング……、随分早く現れたな……!!」

「ええ……、もっと奥だと思ってたけど……って、あんたなに下がってんのよ?」

 気づけばアキラは後続の二人の位置まで来ていた。


「きょろきょろするな……、危険な魔物だ。今日はお前も戦うんだろう?」

「分かってる……、ああ、分かってるって」

「……あんた、また何か隠してる―――……!?」

 エリーが口を開いたところで、再び薮が揺れ始めた。

 現れ、三人を威嚇しているだけのクンガコングの背後、先ほどと同じように薮の揺れが接近してくる。


「っ、」

「グ……、」

「グググ……、」


 わざわざアキラが下がった説明をするまでもなかった。

 現れたクンガコングは、二体。

 全く同じ醜い顔を、四つん這いなりながら向けてくる。


「いっ、一体じゃ―――」

「っ、とにかくやるぞ!! どの道倒さなければならない……!!」

 長らく旅をしていた成果か、依頼のいい加減さを承知しているサクは瞬時に我を取り戻し、高速で接近していく。


 足場の悪いこの森の中、それでもサクの神速は衰えない―――


「っ、やるぞ!! “つまずくなよ”!!」

「誰が!!」

 サクが左の一体に切りかかったと同時、ようやくアキラとエリーは駆け出した。

 イエローの一閃に切りつけられたクンガコングは、筋肉の鎧でそれを耐えると、反射的にサクを追っていく。

 アキラたちの狙いは、右のクンガコングだ―――


「ガァァァアアアーーーッ!!」

 けたたましい雄叫びと同時に身体を起こした右のクンガコング。

 アキラはエリーと違い、迂回して攻めず一直線に詰め寄ると、クンガコングの胸を剣の一閃で切りつける―――


「づ!?」

 ガインッ、と剣が弾かれた。

 アキラの両手に重い衝撃が響く。


 やはり、硬い―――


「ノヴァッ!!」

 硬い筋肉に切りつけたゆえに体勢が崩れたアキラ。

 そのアキラに剛腕を振り下ろそうとしたクンガコングに、次に襲いかかったのはエリーだった。

 詠唱を附した拳の一撃。

 森の中にスカーレットの光が爆ぜ、クンガコングの身体がぐらつく。


 だが、それでも、


「っ、」

 結論を見る前に、アキラはその場から離脱した。


 クンガコングは木曜属性。

 エリーの火曜属性は、相性で勝っている。

 だが、クンガコングの肉体は、その攻撃でも戦闘不能に陥らない―――


「っ、」

 エリーが離脱したのを確認し、アキラは左のサクに視線を向けた。

 彼女もその速力にあかせクンガコングを翻弄しているが、決定打は与えられていない。


 クンガコング二体程度、“かつて”の状態ならば、圧勝できただろう。


 これが、“時”の対価―――


「っ―――、」

 アキラは身体を鎮め、再びクンガコングに駆けていく。

 身体能力強化の魔力は、果たしてあとどれくらい保つだろう。

 だが今は、とりあえず目の前の敵だ。


「っ、」

 クンガコングが横なぎに払った剛腕を転がるように避け、アキラは剣を振るった。

 先ほどとは違い、かすらせるように。


 アキラの剣を使ってできる、“二週目”のアドバンテージ。


 もう一つの攻撃方法―――


「グ……、ガァァアアッ!?」

 クンガコングの胸にできた、最初の重い一撃と、今の軽い一撃の跡。

 だが今クンガコングが悶えているのは、後者の一撃だった。

 そこからオレンジの光がバチバチと漏れ、クンガコングは身体を痙攣させる。


「ノヴァ!!」

 アキラを飛び越えるように拳を敵に叩き込んだエリーは、今度こそ決めた。

 たった今作られたクンガコングのアキレス腱。

 そこに爆ぜたスカーレットの光は、クンガコングを吹き飛ばし、戦闘不能に追い込んだ。


「あ、あんた、今の、」

「次はあっちだ!!」

 大きな瞳を向けるエリーの言葉を、クンガコングの爆発音にも劣らぬ叫び声でかき消すと、アキラは立ち上がり、サクの方へ駆ける。


 やはりこの攻撃方法は使える。

 相手の防御力に依存せず、“中”に直接ダメージを送り込む一撃。


 これならば―――


「!?」

 サクが離脱した隙にアキラは残りの一体に切りつける。

 やはり同様の魔力を“残し”、そして即座に離脱。


 あとは、アキラの出番はない。


「―――、」

 先に動いたアキラが離脱したのが先か、それともイエローの一閃が先か。

 アキラが足を止めたときには、サクの神速はクンガコングを通過していた。


「確かに戦えるようだが……、その、もう少し……、いや、いい」

 愛刀を仕舞ったサクは背後の爆風に押されるようにアキラに歩み寄ってきた。

 ため息混じりの彼女から視線を逸らし、アキラは剣を納める。


「とにかく、依頼は終わったな。……二体いたのは想定外だったが」

「……ええ、そうね」

 アキラを追求することを放棄したのか、エリーも集まり、ただ淡白に言葉を発する。

 だがやはり、視線はいぶかしんでいた。


「……、」

 アキラは目頭を押さえた。

 これから自分は、この視線を受け続けなければならいのだろうか。


 まあ、それでもいい。


「……ま、戻ろうぜ? 依頼終わったんだし」


 エリーの無言のプレッシャーから右から左へ受け流し、アキラは退路に足を踏み出した。


 形だけでも依頼が終わったのだ。

 もしかしたら“一週目”、この段階でこの“刻”を刻み終えたのかもしれない。

 どうやらこれはただの偶然で、特定の“刻”ではないらしかった。


 僅かな眩暈と、脱力感。

 アキラは自分の魔力の残量が著しく減少しているのを感じた。

 たった二頭でああなるのだから、この先に進むのは危険すぎる。


「待って」

 しかし、エリーがアキラの足を止めた。


「なんだよ?」

「あんたがそうやってさっさと帰りたがるときって……、なんかあるのよね……」


 どうやらエリーはアキラの秘密を聞き出すことを放棄さえしたものの、“それ”を前提に動こうとしているようだった。


「はあ……、いい加減にしろよ。疲れたから帰ろうとしてんだって」

「……いい加減にするのはあんたよ。大体何よ? さっきの攻撃」


 とうとうエリーは、口に出して聞いてきた。


「あんな攻撃……、教えてない。いや、そもそも一撃目だって、」

「“勇者様”だぞ? 何でもできるんだって」

「そればっか……!! 知ってることがあるなら、」

「だから“ご都合主義”だって」

「っ、」


 アキラはせかせかと歩き始めた。

 エリーが近づいたのを感じ、さらに足を速める。


「……、」

 背中の視線が強くなった気がした。

 だが、言うわけにもいかないだろう。


 この話題が出た以上、アキラにできることはこの場からの退去だ。

 そのためならば、いくらでも言い訳を並び立ててみせる。


「…………あのさ、」

「……なんだよ? 今度は」

「……そんなんじゃ、あんた、きっと、」

「っ、二人とも!!」


 エリーが何か言い出したところで、サクの大声が響いた。

 アキラとエリーは瞬時に振り返る。

 サクの視線の先に目を向ければ、またも薮が揺れ始めていた。


「も、もう一体……!?」

「いや……!!」

 アキラは確信と共に声を荒げた。

 二人が見ているのは目に見えて大きく揺れている目の前の薮。

 しかし、アキラはその向こう。

 森に並び生える大木を睨んでいた。


 その大木でも身を隠せない存在が、“わらわら”と姿を現し始めている。


「っ、な、何体いるのよ……!?」

「数えてる場合じゃねぇよ……!!」

 目に見えているだけでも、緑色の巨体が十数体。

 そしてそれに留まらず、光が木々の葉で遮られた遠方からも、膨大な数が四足で地を駆けこちらに向かってくる。


 それらが全て、クンガコング。


 やはり、これは“あの依頼”と同じだ。

 刻むべき“刻”かどうかは定かではないが、ともあれ状況は酷似している。


 だが、アキラはある種高揚感を覚えていた。

 これは、“刻”。


 ならば攻略法と、それに伴う記憶の解放があるはずだ。


「―――どうする!?」

「どうするじゃないでしょ!! 決まってるわよ!!」

「いや、でも、何か手が、」

「っ、馬鹿じゃないの!? 早く逃げるわよ!!」

 エリーの怒鳴り声で、アキラは身体中に魔力を回した。


 確かに今は、彼女の言う通り。

 目に見えて接近してくるあのクンガコングの波から、逃れるべきだろう。


「……、」


 アキラは駆け出しながら思考を回した。


 さて、どうするか。


 左右に視線を走らせると、エリーとサクも駆けていた。

 表情には、焦り。

 三人で二体程度しか相手にできないのだ。

 当然、退避以外の選択肢はない。


 背後からはクンガコングの大群が押し寄せてくる。

 ひたすら退避。


 どうすれば―――


「っ、」

 アキラの脳裏に、何かが掠めた。

 だがこれは、“一週目”の記憶ではない。


 “二週目”だ。


 今のこの状況。

 それがかつての“魔王の牙城の地”の光景と重なっていく。


「っ、」

 そこでようやく、アキラの背筋を悪寒が撫でた。


 逃げろ。

 感じるのは、死の恐怖。

 あの“煉獄”で視た絶望。


 アキラは足を速めた。

 冗談ではない。


 こんな程度の相手で、だ。


「―――、」

 しかし、アキラはだからこそ、追憶を止めなかった。


 “思い出せ”。

 自分たちは一体、“どうやって無事に助かったのか”―――


「……―――、」

 駆けながら、アキラはさらに焦りを覚えた。


 足場を問わず、その速力が損なわれないサク。

 そして、そのサクほどではないにしろ、戦闘スタイルから走力が高いエリー。

 今まで並んでいた二人は、今はアキラに背を向けている。


 二人が、速い。


「―――、」

 声も出せず走ることしかできないアキラは、二人の背が離れていくのを唖然として眺めていた。

 わき目も振らず、二人は駆け続けていく。


 “待ってくれ”。


 そんな言葉も吐き出せない。


 あれなら“二人”は、十分逃げ切れるだろう。

 自分が思いつく必要もなく。


 二人は、無事に助かるのだ。


「―――!?」

 そこで、アキラの身体が、がくんと揺れた。

 頭が痛み、呼吸が乱れる。


 身体能力につぎ込んだ魔力。

 その、残量。


 それが、もう―――


「っ―――、」


 このままでは、仲間を殺されていきり立つ背後のクンガコングたちに殺される。


 速く、

 速く、

 速く、


 いや、“早く”。


 “思い出せ”。


 手があるはずなのだ、自分には。

 アキラはひたすらに活路を“思い出そうとした”。

 しかし、記憶の封はまるで解けない。


 だが、思い出せさえすれば、総ては無事に刻まれる。

 そのあとは、いくらでも言い逃れればいいのだ。


「―――、」


 だが、そんな中。


 無情にも離れていくエリーの背が、アキラに語りかけてきているような気がした。


 それは、先ほどの言葉の続き。


 ひたすらに何かを隠し、適当な言い訳を並び立て、異質に見えるアキラへの言葉。


『そんなんじゃ、あんた、きっと―――』


 彼女は、こう言おうとしていたのだろう。


『―――“一人になる”』


―――***―――


「はっ、はっ、はっ、」

 逃げ切ったエリーと、大木に手をつき、呼吸を整えることに全力を傾けていた。

 隣のサクも、同じように肩で息をしている。


 一体、何だったのだろう、あの大群は。


 依頼がいい加減なのは知っていたが、まさかここまで誤差が出ているとは。

 こんな辺ぴな場所で、クンガコングの大群討伐とは、あってはならない事態だ。


 先ほどまでの、クンガコングたちの移動の地響き。

 あれが、耳に残って離れない。


 この依頼を請けてきたエリーとしては、身も凍えるようだった。

 依頼主に文句の一つでも言いたくなる。


「な……、なんとか逃げ切ったな……、」

「え……、ええ……、」

 ようやく声が出せるようになった二人は、念のため静かな声で言葉を交わす。


「い……、依頼はキャンセルしに行こう。一応達成したとはいえ、……これを伝えないと犠牲者が出る」

「そうね……、それにしても……、なんで……、」

「私が前に通ったときは……、クンガコング一体すらいなかったというのに……」


 それはそうだろう。

 クンガコング―――というより、あんな大型の魔物は、もっと北の方にでも行かなければ出現しない。

 この、東の大陸―――アイルーク大陸は、比較的安全なはずだ。

 それだけに“勇者様”も育ちやすいというのに、これでは即座にゲームオーバーになってしまう。


「……?」

 そこで、エリーはようやく気づいた。

 “そういう言葉”を即座に吐き出しそうな、男。

 まさしくその“勇者様”が、


「……サクさん」

「……あ、ああ、」

 二人は素早く視線を走らせ、事態を確認。


 油断した。

 あの二体のクンガコングとの戦闘で、十分に動けた―――というより、多大な貢献をした、妙な攻撃方法の“勇者様”。


 何故か頭の中で、彼は当然に逃げ切っているものと誤認していた。

 あれだけ楽天的に構えていたのだから、必ずなんとかなる、と。


 だが、彼のそもそもの実力は、走っているだけでも魔力が切れる脆弱なものだったのだ。


「い……、いねぇぇぇえええーーーっ!!!?」


 エリーの叫び声は、静かな森に響いた。


―――***―――


「……、」

 アキラは息を殺し、両手両足に力を込め続けていた。

 身じろぎ一つできない、その場所。


 それは、魔力が枯渇する直前、アキラが何とかよじ登った高い大木の頂上付近だった。


「っ、」

 高さは、十メートルほどだろうか。

 何とか足は生えている太い枝にかかり、体勢としては楽だが、その状況はリビリスアークの塔を思い起こさせた。


「……、」

 何とか顔を動かし、眺めた眼下。

 そこには、クンガコング。

 雪崩のような大群は三人の姿を見失い、いつしか散り散りになっていったが、野生の勘か、はたまた嗅覚でも優れているのか、アキラのよじ登った大木の下に、三体ほど依然としてうろついていた。


 ぜぇぜぇ、と息が切れる。

 魔力の枯渇で身体中に力が入らず、壮絶な脱力感が襲いくる。

 だがそれでも、アキラは声一つ漏らせない。

 今は木の葉に守られて隠れているが、あのクンガコングたちがアキラに気づいたら、その腕力でこの大木をへし折ってしまうだろう。


 そうなれば、落下で死ぬか、クンガコングに殺されるか。

 ただでさえずり落ちそうなのに、眼下の魔物たちはその場を離れようとしなかった。


「……、」

 これは、多分、罰だ。

 アキラはおぼろげに、そんなことを思った。


 クンガコングの依頼を見た瞬間に、自分が毅然とした態度でそれを断ったらどうだったであろう。

 事情は明かせないまでも、いつものように言い訳を並び立てられたかもしれない。


 そう。

 使うとすれば、言い訳の出番は、そこだった。


 これが特定の“刻”ならば、そんな些細な言い訳は無に帰し、結局飲み込まれるようにここに来ることになっただろう。


 だが、それでも抗うべきだったのかもしれない、とアキラは思った。


 危険が分かっているのに、それに飛び込むのはやはり愚かなことなのだろう。


 それなのに、自分はここに来た。


 “何とかなる”。


 その確信だけを胸に。


「……、」

 正直なところ、自分は格好をつけたかったのかもしれない、と、アキラは思う。


 危機的状況を自分の記憶―――“アイディア”で解決したい、と。

 あとで何を聞かれても、そこで“ご都合主義”と並べ立てればいい、と。


 だが、解けない記憶頼りで動いた結果、やはりそれは解けなかった。


 記憶というアドバンテージだけを頼りに、ある種優越感に浸っていたのだろう。

 例え実力不足でも、サーシャ戦のように力になれる、と。


 だから、エリーの魔術の授業も、もしかしたらそれを“彼女と話す時間”として認識し、真面目に聞いていなかったかもしれない。

 そしてサクにも、剣を習う必要はないと認識していたのかもしれない。


 自分には、記憶があるから、と。

 何度自分は失敗を繰り返すのだろう。


 本当に、楽天的で、その上見栄っ張りだ。

 共に旅をしているというのに、彼女たちとは、決定的に違う。


 これでは、一人になる理由も分かる。


「―――っ!?」

 精神的な揺らぎも身体に現れたのか、アキラは木の上から、ずるっ、と滑った。

 即座に足に力を込め、体勢を立て直すが、パラパラと木の欠片が落ちていく。


「グ……、」

 そして聞こえた、“察された”呻き声。


 眼下の三体は、同じように大木を見上げる。

 最悪だ。


「グ……、ガァァァアア―――ッ!!」


 ガンッ、と、大木が揺すられる。

 その剛腕を持ってクンガコング一体が殴りつけた大木。


 それは、


「……!?」


 アキラがいる大木の、隣だった。

 その一撃でそのアキラの腕を何とか回せるほどの木は、なぎ倒されて森を揺るがす。


 たった、一撃で、だ。


 クンガコングは倒れた木を睨みつけると、再び周囲の木々を殴りつける。

 比較的細い木は、一撃で。

 そして大木は、数撃で。


 アキラの瞳に隆々としたクンガコングの筋肉が焼きつかれる。


「っ、」


 そして、クンガコングが次に構えたのは、アキラのいる大木。


 これは、“終わる”―――


「……、……?」

 目を閉じ、必死にしがみついていたアキラは、恐る恐る目を開けた。


 いつまで経っても、この大木が殴りつけられない。


「……?」

 視線を向ければ、三体のクンガコングは、固まっていた。

 いや、“警戒していた”。


 三体が三体、アキラの乗る大木に背を向け、とある一方を睨んでいる。

 アキラの位置からは、木の葉が邪魔でそちらが見えなかった。


「グ……、ググ……、」


 一体何が起こっているというのか。

 あれほど獰猛にアキラたちを襲いかかってきたクンガコングたちが、威嚇するだけにとどめている。


 あの先に、一体、何が、


「グガァァァアアアーーーッ!!!!」

 ついに、クンガコング一体がアキラの視界から消えた。


 木の葉で遮られた、その先。


 そこに、剛腕を持って突き進んでいき―――


「づ!?」


 アキラの大木が揺れた。

 向かっていったクンガコングが弾き飛ばされ、背中を大木に打ちつける。

 一体何にぶつかれば、あの巨体が宙を泳ぐような事態になるというのか。


 戦闘不能に追い込まれ、即座に爆発したクンガコングにアキラの乗る大木が再度揺れた。

 アキラは恐る恐る下降し、その存在を視界に収めようとする。


 残ったクンガコング二体は、最早アキラを見てはいない。

 現れた“脅威”に対し、全身全霊を持って向かっていくだけだ。


「ギャフッ!?」

 視界から消えた二体のクンガコング。

 そのどちらかだろう。

 聞いたこともないようなその呻き声が叫び、爆発音が届く。


 早く、降りなくては。


 “終わってしまう”―――


「……!?」

 ようやくアキラは、視界を遮る木の葉を抜けた。

 身体は震え、しかし急くようにさらに降りる。


 ようやく見えたのは、クンガコングの太い足。

 しかしそれは、まるで自害でもしているかのように、宙に浮いていた。


 あれは、“誰かがクンガコングを吊っている”―――


「……あん?」


 最後はただの落下。

 アキラが滑り落ち、腰を地面に打ち付けたのと、その存在が視線を向けてきたのは同時だった。


 聞こえる最後の爆発音。

 “彼女”に投げ出され命を終えたその爆発音は、あまりに“小さかった”。

 そして今、僅かに魔力の光が見えた気がする。


 それは、クンガコングの爆発とも違う、鮮やかなライトグリーン。


「…………、もしかして、あんたが元凶?」

「……、」


 アキラは声を返せなかった。

 しかしようやく―――この“刻”をもって、“一週目”の記憶の封が僅かに解かれる。


 そうだ。

 最初の出逢いは、ここだった。


「……聞こえなかった? あんたがこの辺の魔物湧かせたの?」


 言葉の意味は分からない。

 だが、アキラは座ったまま、彼女の冷たい視線を見返し続けた。


 森の木陰に、一人立つその女性。

 ウェーブのかかった甘栗色の髪に、およそ女性としての理想的なスタイル。

 絶世の美女を思わせるその女性は、胸元が大きく開いたVネックの服の上から春物のグレーのトレンチコートを纏っている。


 そして彼女は、“機嫌が悪かった”。

 それくらいは分かる。


 なにせ、“共に旅をしていたのだから”―――


「お……、お前、」

「今は私が話してんでしょ」


 彼女はアキラの言葉を封じ、大仰に歩み寄ってくる。

 その歩き方も、“彼女の在り方”を示していた。


 肩にかかった髪を手の甲で払い、態度は不遜そのもの。

 いや、不遜ではない。


 “その態度をするだけのもの”は、彼女には備わっている。


 この辺りを移動している中、アキラが何度も思い浮かべた、“仲間”―――


「もう一度分かりやすいように言うわ。この辺りで暴れ回って騒がしいことしたの、あんた?」


―――エレナ=ファンツェルン。


―――***―――


「……今の、“戦闘不能”の?」

「ああ、そうらしい」

 エリーとサクは、森林の中を駆けながら視線を交わした。


 アキラの消失に気づき、即座に元来た道を戻っていたおり、聞こえたのは爆発音。

 直前に聞こえた木々がなぎ倒されるような音といい、その音源に何かがいるのは間違いない。


 二人は頷き合ったのち、足を止め、大木に隠れた。


「……、」

「いる?」

「……いや。行こう」


 しかしその探索も、大きく滞っていた。

 一定距離を駆けたのち、一旦止まり、周囲を覗う。


 警戒しているのはあのクンガコングの群れだ。

 逃げ切れないことはないとは思うが、倒すとなると数が多すぎる。

 結果、二人は隠密行動のような真似をすることになっていた。


 問題は、アキラを見つけられるか。

 かなり危険な状況だが、こうなればアキラは自分たちと逸れただけであると信じるしかない。

 クンガコングたちがアキラを見つけてしまっていたら最悪だ。

 敵に有効打を与えていたアキラだが、流石にあの数では何の意味も持たないだろう。


 何としてでも、クンガコングたちより先にアキラを発見しなくては。


「しかし、気になるな……。先ほどの爆発音」

「見つかった、なんてことは……、」

「あるかもしれないな……」


 木々に隠れ、周囲を覗う間だけの小休止。

 エリーはサクの言葉に、頭を痛めた。


「……、」


 完全に、あの男を誤解していた。

 アキラが自分たちと逸れたのも、クンガコングに捕まったなどという理由ではないだろう。

 彼はあの一回の戦闘で、魔力が切れ、そもそも逃げ切るだけの力がなかったのだ。


 楽天的に見えるアキラへの―――いや、“何かを隠している”アキラへの評価の誤り。

 それが、今回の事態を引き起こした。


「……、」


 何を聞いても、“隠し事はない”と彼は言い切った。

 だが、そんなもの、信じてもいない。

 明らかに、彼は何かを知っている。


 だからエリーも、“それ”を前提に動いたのだ。

 彼には何かがある、と。


 しかし、どうやら、あのクンガコングの群れから逃げ切る“何か”はなかったようだ。


「奴は本当に……、妙だ」

「……!」


 再び足を止めた大木の影、エリーと同じような表情を浮かべたサクが呟いた。

 やはりエリーと同じことを考えているようだ。


「本人が言う気がないなら詮索も無意味だろうが……、私はどうしても、“それ”が気になる」

「……あたしもよ。それに―――」


 エリーは言い切る前に、再び駆け出した。


 アキラに対する、その疑問。


 何故自分たちは、彼と共に旅をしているのだろう。


 “婚約中”だとか、“決闘中”だとか、そういう客観的な理由はある。

 しかしそれを差し引いても、“何か”があるような気がした。


 まるで誘われるように、アキラと共に旅をしている。

 正直に言えば、エリーはアキラのことを、“不気味”だと思う。


 隠し事があるのに、それをないと言い、そしてふざけた言い訳を並び立てる。

 そんな存在との旅は、単純に苦痛だ。


 エリーの隣を走るサクにも、秘密はある。

 彼女のファミリーネームも、そしてそれを名乗らない理由も知らない。


 だが、彼女からは不気味さを感じなかった。

 話したくない、とだけ言った彼女からは、むしろ痛快ささえ覚えたのだ。


 だが、肝心の“勇者様”は、


「流石にいじめすぎたかもな」

「?」


 再び隠れた大木の影。

 サクが、今度はエリーが浮かべた思考と逆のことを発してきた。


「私も秘密がある。言いたくないことだ。それなのに、アキラにばかり疑念の目を向けていた」

「……、」


 サクの呟きで、少し、分かった。

 同じく秘密を持つアキラとサクとでは、感じる“距離”が違う。


 それが何故かは、上手く言語化できなかったが。


「ともあれ、急ごう。そろそろ―――、……!!」


 大木から駆け出したサクは、数歩先で即座に止まった。

 そして身をひるがえし再び気に隠れる。


 それに倣ったエリーにも見えた。

 密集した木々の先、無残にも折られた大木が真新しい内部を覗かせている。


 先ほど大木が倒れる音がしたのは、ここだ。


「いない、みたいね」

「ああ」


 今度は慎重に、その場に歩み寄る。

 やはり大木が倒されていた。

 それも、四本。


 無理矢理ひしゃげさせられたようなその跡は、クンガコングの存在を証明していた。


「何故木を殴りつけたんだと思う?」

「……何故って……、」


 怒りにまかせて暴れ回りでもしなければ、木を倒す理由など知れている。

 木の上に用があるときだ。


 だが、その木の上にいたかもしれないクンガコングの“用”。

 想像したくはないが、“それ”は、周囲に見当たらなかった。


「……! これは……、戦闘の跡だ」

「え?」

 サクが倒れた大木にしゃがみ込み、じっと視線を走らせる。

 エリーにも見えた。

 僅かに焦げている。


 これはやはり、戦闘不能の爆発があった跡だ。


「……、ね、ねえ、あっちにも、」

 次にエリーの視界に入ったのは、その大木から離れた位置の、二つの焦げ跡。

 一つは大きく、一つは小さく。

 そこに落ちていた葉が吹き飛び、地面が僅かに焦げている。


 一つはクンガコングの爆発だろうが、もう一つはマーチュかなにかだろうか。


 だが、大きな方。

 この森のボスとも言えるクンガコングは、何を持って戦闘不能になったのだろう。

 そして、ここまで戻っても、見つからないアキラ。


「……急ごう。どうも妙な予感がする」

「奇遇ね……、あたしもよ」


 何一つ成果が上がらなかった現場検証を終え、エリーとサクは再び駆け出した。


 この森で、一体何が起こっているのだろう。


―――***―――


「な、なあ、待てって、」

「……ついてくんな、って言わなかった?」


 後ろを見ようともせずずんずんと進むその女性の背を、アキラはひたすら追っていた。

 記憶の封は完全に解けたわけではない。

 だが、それがあろうとなかろうと、アキラは彼女をこのまま行かせるわけにはいかなかった。


「……ちっ、なに?」


 アキラの執拗な追従に、ついにその女性は足を止めて振り返った。

 アキラより僅かに背が低いだけのその長身の女性。

 その美貌は、しかし、いたるところから機嫌の悪さをにじみ出していた。


「えっと、いや、その、……そう、助けてくれて、」

「礼ならいいわ。じゃ。私急いでるから」

「いや、待ってくれって」


 正直に言って、機嫌の悪いときの彼女に近づくことは自殺行為だとアキラは認識しているのだが、そうも言っていられない。

 彼女の機嫌の悪さの原因は知らないが、彼女はこの場の“刻”である可能性は大なのだ。

 在るべき道を見つけるためにも、彼女とは話す必要がある。


「な、なあ、俺はヒダマリ=アキラ。君は?」

 とりあえず、名前だ。


「エレナ=ファ―――、……ちっ、エレナ=ファンツェルン。さようなら」


 最後の『さようなら』はいただけなかったが、とりあえずは本名を明かしてくれたことにアキラは安堵を覚えた。

 多少なりとも、日輪属性のスキルは発動しているらしい。


「な、なあ、何でそんなに機嫌悪いんだよ?」

「……、」

 並んで歩き始めたアキラの言葉を、エレナは聞き流した。

 日中とはいえ木の葉の影で薄暗いこの不気味な森を、エレナは迷うことなくずんずんと進む。

 先のクンガコングという脅威も、脅威にすらならないと体現した彼女にとって、この道は村の中と変わらないのだろう。


「なあ、なあって、」

「……、あのさぁ、」

 エレナは諦めたように額に手を置き、ため息を盛大に吐いた。

 足を止め、大きな瞳を怪訝に歪め、アキラを睨むように視線を向ける。


「最近あんた、この森の依頼受けた?」

「?」

 エレナの瞳はアキラの背にかけられた剣に向いた。


「あんたじゃないかもしんないけど、どっかの馬鹿がこの森で魔物討伐の依頼を受けまくってんのよ。そのせいで魔物たちいきり立って……、歩きにくいったらないわ」


 そういえば、確かに自分たちはこの森の依頼を多く引き受けていた。

 それが、クンガコング出現の原因なのだろうか。


 どうやら彼女の機嫌が悪いのは、魔物の出現率が高いかららしい。

 彼女にとって、経験値にすらならないその戦いは、ただの障害物にしかならないのだろう。

 その回答で十分と判断したようで、エレナは再び歩き出す。

 明らかに、アキラも障害物として認識しているようだ。

 どうやら彼女のあの“甘いマスク”は、必要でなければ姿を現さないらしい。


 アキラは一応エレナに続き、頭を巡らした。


 “一週目”。

 確かにここで、アキラはエレナと出逢った。

 だが、そのときのことはよく思い出せない。

 何故自分は、美女とはいえここまで急いている人間に話しかけていたのだろう。


「…………あのさ、」

「え?」

「ボディガードなら他あたって。私急いでんだけど」

「……!」


 エレナの言葉で、アキラは思い出した。

 そうだ。

 自分はここで、彼女と離れるわけにはいかないのだ。


 何せ今、アキラの魔力残量はほぼゼロ。

 クンガコングをいともたやすく滅せるエレナと離れるのは、自殺行為だ。


「……い、いや、そんなこと言わずに、頼む。助けてくれ」

「……?」

 思い出したアキラがかけた言葉に、エレナは足を止めた。

 そして眉を寄せ、もう一度まじまじとアキラを見やる。

 アキラの方が僅かにとはいえ背が高いはずなのに、見下ろされているように感じるのは気のせいだろうか。


「……それ、本心?」

「……?」

 アキラの表情を再度眺め、エレナは歩き出す。


 本心かどうか。

 それはそうだ。

 今アキラの生殺与奪を握っているのは、間違いなくエレナなのだから。


「どういう意味だよ?」

「“必死さ”が見えないだけ。あんた―――、いや、何でもないわ」


 また、エレナは口から言葉が勝手に漏れたとでもいうような表情を浮かべた。

 すなわち今の言葉は、エレナがアキラに浮かべた感想そのままなのだろう。


 そんなに自分は、必死に見えないのだろうか。


「……なあ、そんなに急いでどこ行くんだ?」


 何か苦しくなり、アキラは素朴な疑問を発する。

 するとエレナは、足を止め、“ようやくアキラに気づいた”かのような表情を浮かべた。


「そうだ……。あんた、どっからこの森に入ったの?」

「え?」

「答えなさい」


 エレナの瞳の色が、僅かに変わる。

 それは、アキラを障害物ではなく、情報のある障害物と認識したような色だった。

 どうやら、アキラの地位は、エレナの中で僅かに上がったようだ。


「……えっと、リビリスアークって知ってるか?」

「……そういやあったわね……、そんな村が。そこから?」

「ああ」


 エレナは僅かに瞳を閉じ、再び開ける。


「じゃあ、ウッドスクライナって村、知ってる? その辺って聞いたんだけど」

「……!」

 そこで、アキラの疑問が僅かに解けた。

 今、エレナ=ファンツェルンが目指しているのは―――


「そこで最近、“魔族”が現れたって聞いたんだけど」


 やはり、そうだ。

 ようやく繋がった。

 彼女が今、この場にいる理由。

 それは、その情報をどこかで聞いたからだ。


「……ああ、現れたよ。……いや、そう聞いた」


 アキラは“一週目”の言葉を返した。

 あのときもヒダマリ=アキラは、“それ”を隠し、あとで驚かせるなどということを考えていたはずだ。


「……ふーん、」


 一瞬で、違和感は見抜かれた。

 エレナの瞳が僅かに冷え、すでにアキラは睨まれているような錯覚に陥る。


「あんた、一人旅?」

「……え、いや、他にも二人」


 初めて、エレナがアキラの身の上に関心を示した。

 だがその口調は、やはり尋問のように冷たい。


「そいつら、よく付き合ってるわね。……あんたみたいのと」

「……!」


 その言葉は、二つ聞こえた。


 一つは解けた“一週目”の記憶。

 絶体絶命の危機に陥り、通りすがりのエレナに執拗に救援を迫ったアキラに向けて言われた言葉。


 そしてこの“三週目”。

 それは別の意味を持っている。


「ま、私も人のこと言ってらんないわ。ただ、あんたと違って“必死”だけどね」


 アキラはエレナが歩き出したことに気づけなかった。

 そんなにも、自分は上っ面だけなのだろうか。


「……なあ、“魔族”を探してんのか?」


 アキラはその場から動かないまま、遠ざかるエレナの背に声をかけた。

 エレナはぴたりと止まり、ゆっくりと振り返る。


「ええ。ガバイド、って奴を……、ね」


 彼女はあえてその表情を作っているのだろうか、それとも自然に、だろうか。

 人が通常内包できないほどの憎悪をその瞳に携え、苦々しく言葉を吐き出した。

 彼女はその件につき、“必死”だ。


「念のために聞いとくけど……、知ってる?」

「……、悪い」

「……、知ってるのね?」


 やはり即座に見破られた。

 だが、アキラは首を振る。

 これは、“知っていてならないこと”だ。


 エレナの瞳が極端に冷え、そして中は燃えている。


「知ってるなら、今すぐ、」

「知らない。……本当だ」


 アキラは言い訳が、できなかった。

 ただ単純な言葉を返すだけ。


 今ここで洗いざらい話せば、エレナは仲間になるかもしれない。

 だがそれは、できなかった。


「エレナが知りたいことを、俺は知らない」

「それは私が判断するわ。今すぐ、」

「頼む……!!」


 アキラはエレナの言葉を遮った。

 一応は事実だ。

 アキラは、ガバイドという“魔族”に“二週目”は出遭わなかった。

 だから、知らない。


 “そうでなければならないのだ”。


「…………、ち、」


 いつしかアキラは目を閉じて頭を下げていたようだった。

 聞こえた舌うちに顔を上げれば、見えたのは遠ざかるエレナの背。

 アキラは慌ててそれを追う。


「今のは、本気っぽかったわ」


 そんな言葉が聞こえたのは、エレナが開けた広場に足を踏み出したときだった。


―――***―――


「……!!」

「今の、」

「ああ。あっちだ……!!」


 不気味に木々がなぎ倒されていた現場から離れ、再びアキラ探索を開始した二人は、森に響いた爆発音に過敏に反応した。

 しかも、連続して鳴り響いている。


 今のは、間違いなく戦闘不能によるもの。

 どこかで魔物が、戦闘不能になっている。


「っ、」

 エリーは奥歯を噛みしめ、サクの背を追った。

 今、この森をうろついている存在。


 それは、自分たちやアキラくらいだろう。


 だから、その先。

 今連続的に魔物が滅しているのは、アキラの仕業だ。


「っ、」

 エリーは足を速める。

 あの、どうあっても口を割らなかった“勇者様”。


 普段の戦闘に置いても、かまととぶっているようにしか見えないあの男が、何かをしている。

 それはどうしても、見る必要のあるものだ。


「きゃっ!?」

「っ、おい?」

「い、いや、大丈夫、それより、」

「あ、ああ、」


 せり出した木の根に足をとられても、エリーはすぐに立ち直り、再び駆ける。

 サクも同様に速度を上げた。

 二人は今、急かされるようにその場に向かう。


「っ、」

 徐々に木の量が減ってきた。

 自分たちが向かっているのは森の中の開けた場所だろうか。


 そして、そこで今、魔物討伐が行われている。


 とうとう、あの“勇者様”の尻尾を掴んだ―――


「……!! いたぞ……!!」

「あ、あいつ、」


 木の葉に光が遮られない空間。

 その直前に、一人の男の背中が見えた。


 ただ茫然とその場に立ち、広場を見渡している。

 その向こうでは、何かが爆ぜ続けていた。


 一体、何を、


「―――!?」


 勢いそのままに、背を向けていた男―――アキラを思わず通り過ぎかけたエリーは、その隣で急停止した。


 そして見えたのは、息を呑む光景。

 想像を絶する数―――いや、“量”のクンガコング。

 それは広場一帯を埋め尽くし、しかしまるで箒で払うように滅されている。


 その原因は、視線の先に見える、“異物”。

 隣のアキラは、まるでその場に結界でも張られているかのように、ただ“傍観していた”。


「っ、一体何が起こっている……!?」

 サクも瞳を困惑一色に染め、広場の光景を眺めた。


 彼女にとっても、信じられる光景ではないだろう。

 何しろ、サクが幾度となく切りかかっても倒れなかったクンガコングが、その“異物”の、ただ一撃の打撃の元に沈んでいくのだから。


「ね、ねえっ、何が……、って、あの人、誰?」

「……、」

 エリーが話しかけても、アキラはその視線を目先の“異物”に向けたままだった。

 女性、だろうか。

 ウェーブのかかった甘栗色の長い髪しか見えない。

 粉塵の向こう、エリーはその僅かな情報しか拾えなかった。


 だが分かる。

 あれは、本当に、“異物”だ。


「……なあ、」

「……?」


 ようやく、声が聞こえた。

 それが漏れたのは、隣。


 アキラは呆然と目の前の“戦場”を眺め、口から言葉を吐き出してきた。


「俺さ、弱いんだ」


 眼前で、岩石ほどもある巨体が殴り飛ばされ宙を舞う。


「……? いや、あれが異常で、」


 眼前で、“異物”が総てを飲み込んでいく。


「違う。そういう次元の話じゃない」


 エリーが息を呑む、目の前の一方的な“狩り”。

 戦闘不能の爆風が響き、さながら被爆地のような状態になっている目の前の広場を、アキラは多分、見ていなかった。


 目の前の光景を、そのまま身体で受け止めている。


「……“隠し事”、あるんだ」


 そのアキラの言葉で、エリーの視線も、広場を捉えなくなった。

 サクも同様に、ただ黙し、アキラに視線を送っている。


「でも言えない。もう“言い訳”はしないよ」


 アキラは目を閉じ、額に手を当てた。


「それに、自分の実力も。俺は、弱いんだ。隠し事が役に立つことなんて、ほとんどない」


 この男は何を口にしているのだろう。

 だがこの言葉だけは拾う必要があるとエリーは感じた。

 初めて、この男が、“隠し事があることそのものを認めた”のだ。


「正直、“隠し事を使いたかったんだ”、俺。使った方がいいに決まってる。だけど、使えもしないのに、多分、頼りすぎてた」


 ようやく分かった。

 この男の不気味さ。


 それは、本心が聞けなかったからだ。


 この男が本心で言葉を口にしたことは、あまりに少ない。

 欠片さえ見せない存在には、距離を感じる。

 それはやはり、不気味なのだろう。


「だから、ずっと弱いんだ、俺は。格好つけたくて、さ」

「……いいわよ、もう。そんなこと、とっくの昔に分かってるわ」


 アキラに言葉を返し、エリーも目の前の光景を身体そのもので受け止め始めた。

 この男がそんな気分になるのも分かる。

 目の前の光景は、あまりに痛快だ。


 自分たちがたった二体で苦戦した敵。

 その十倍百倍が、傍若無人な攻撃で吹き飛び続ける。


 今、説明を求める気にもならない。

 ようやくこの男が、近くに感じられた。


 結局アキラは、弱い“勇者様”。

 きっと、それだけのことだったのだ。


「なあ、二人とも」

「?」

「俺に、魔術と剣、教えてくれ」


 アキラはわざわざ、エリーにまでも、もう一度頼んできた。


「“必死”になりたい。“隠し事”が使えなくても、自力で何とかしたい。そのつもりだったのに、何で俺は忘れてたんだろう……?」


 アキラの問いかけに、誰も声を返さなかった。

 エリーも、そして、いつもは指導を拒否していたサクまでも、口を閉じている。


 何故だろう。

 エリーは思う。

 意味が分からないのに、自分はその言葉をそのまま受け止めている。


 そして、何故だろう。


 ここで、目の前の“異物”の戦いを見る、この三人。

 気のせいだろうか―――こんなことが前にもあったと思ってしまうのは。


「強くなりたい。本気で、必死で。甘えすぎだった、俺は。きっとそれが―――」


 正しい“刻”の刻み方。


 そんなアキラの言葉は、一際大きなクンガコングが爆ぜた瞬間に届いた。


「……!」

 “狩り”が終わり、エリーはようやく、その“異物”を視界に捉えた。


 甘栗色の長い髪に、理想的なスタイル。

 およそ女性としての完成形の彼女は、その大きな瞳を僅かにこちらに向けてくる。


 曇り空の隙間から漏れた太陽が彼女を照らした瞬間、そのままあっさりと歩き去ってしまった。


 だがその直前、彼女の瞳はアキラを捉えていた気がする。

 まるで、“ついて来られるならついて来てみろ”、とでも言っているようなその瞳で。


 彼女がアキラを救ってくれていたのだろうか。


「お礼、言わなきゃね」

「言うさ。でもそれは、今じゃない。あいつだって、“見逃してくれた”」

「…………“隠し事”?」

「……ああ」


 アキラはくるりと振り返り、広場に背を向ける。

 エリーにはもう、“それ”を聞く気はなくなっていた。


「なあ、サク」

「……ん?」

 サクからも、疑念に満ちた瞳はなくなっていた。

 ただ、小さく笑っているだけ。


 サクは何かを言い出しかけたアキラに背を向け、歩き出す。


「……まずは手入れからだな」


 その一言だけを、残して。


―――***―――


「あぶっ、……だからお前は、」

「いや、今のは違うぞ? 変なことしようとしたんじゃなくて、ぐらついたっていうか、」

「お前はしばらくそれを持つな。次に妙なことをしたら遠慮なく切りかかる」

「ヘルプッ!! ヘルプッ!!」


 翌日の早朝。

 エリーが宿屋の庭に出ると、随分と賑やかだった。


 昨日の一件により、ようやく近く感じたアキラだったが、やはり彼は彼のままらしい。

 サクに剣を取り上げられ、玩具を奪われた子供のように騒ぐアキラを眺め、エリーは何故か、安堵の息を漏らした。


「どう? 調子は?」

「どうもこうも……、私が背を向けた瞬間剣を振り上げた」

「いや、だから仕舞おうとしてぐらついただけだって」

「どうだか」

「っ、」


 二人のやり取りを見て、エリーは、今度はため息を吐き出した。

 どうやらアキラの身体能力は、魔力による強化がなければ剣を十分に扱えないほどらしい。


「やはり、身体にあっていないみたいだな……、あとで武器屋に行くぞ」

「……あ、ああ」


 指導を頼んだアキラは元より、やはりサクも随分と乗る気のようだ。

 アキラから離れ自習鍛錬を続ける様子より、二人並んで指導をしている方が自然に見える。

 だがエリーは、もう一度、息を吐き出した。


「あんたねぇ、剣もいいけど、魔術のこと、忘れてない?」

「え? いや、ほら、最近魔術ばっかだったし、」

「ほら、“必死”になるんでしょ?」

「止めてマジで。そこ広げられるとなんか恥ずかしい」

「い、い、か、ら、走ってこーいっ!!」

「お前の方が遅く起きたじゃねぇかーーーっ!!」


 やはり意味不明なことを口走り、アキラは怒鳴り声を背に受け駆け出した。

 とりあえずは、“必死”になっているようだ。


 だが、エリーの中にあるアイディアが浮かぶ。


 遅く起きた方が走る距離を長くするというのも、面白いかもしれない。


「……今は、できれば剣の方に集中させて欲しいのだが」

「……ほら、あたし、昨日頼まれたから、ね」

「……、はあ……、私もだぞ、それは」


 しばし二人で向かい合い、エリーは視線を外して身体を伸ばし始めた。


「それで、あいつ大丈夫そう?」

「……やはりどこかで指導を受けている。それも、“隠し事”だろうな」

「やっぱり、か」


 どこかむすっとしたサクの言葉を受け、エリーは瞳を閉じた。


 不思議だ。

 この話題が出ているのに、疑念は湧いてこない。


 彼には“隠し事”がある。

 だが今は、それでいいではないか。


「昨日の女性のことも、言いたくはない部分がありそうだったな」


 口ではそう言っているものの、サクも同じ心境らしい。


 偶然出会って助けられた、とだけ言っていたアキラ。

 彼女の戦いは、いや、彼女そのものが、まさしく“異物”。

 そんな事態が起こったというのに、自分たちは彼に問いただす気を失っている。


 あの美女と行動していたというは何となく面白くないが、エリーはとりあえず考えないことにした。


「ま、その代わり、魔術の鍛錬の量は増加しようかな」

「……剣の方も、な」

「……、」


 問題と言えばこちらもそうだった。

 今日から教師が増える。


 こちらも何となく、面白くない。


「……なあ、エリーさん」

「……なに?」

「“生徒”のことだ。……いがみ合っていても仕方ない。スケジュールを立てよう」

「……ま、そうね」

「今日は剣でいいか?」

「む……、ま、まあ、いいわ。初日だしね」


 多分自分は、生徒が取られるのが何となく、いやだったのだろう。

 サクの出した妥協案を肯定し、エリーは身体の節々を回す。


 何か妙にもやもやするが、走ればそれも消えるだろう。


「じゃあ、あたしも走ってくる。サクさんは?」

「いや、私はもう終わっている」

「……そう」


 一体いつから起きているのだろう。

 エリーは僅かな疑問を胸に、視線を庭の出口に向ける。


 アキラの姿はもう見えない。

 これだけハンデを与えたのだ。

 追い抜かれたときの顔を見てみたい。


「じゃ、行ってくる」

「ああ」


 エリーの肩は風を切った。


 数分後。

 失敗を繰り返し続け、ようやく学べた“勇者様”は、追い抜かれることになる。


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