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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
東の大陸『アイルーク』編
7/64

第19話『そして”刻”は動き出す』

―――***―――


「よく動けたな……、こんな熱で」


 少女は、サクと名乗った。


 紅い着物に、見る者がすっと息を呑むような凛々しい和風の顔立ち。

 頭の高い位置では、滑らかな黒髪が一本結われている。

 腰には黒塗りの、日本刀に分類されるであろう長刀を提げ、視線はそれ以上の切れ味を持つかのように鋭い。


 少女は、サクだった。


「あの、詳しいんですか?」

「いや、かじった程度だ。一人旅だと、いろいろと自分でやらなくてはならなくてな」


 サクはエリーに小さく笑うと、元に置いたナップザックから水筒やタオルを取り出し、再び仰向けに寝かされたアキラの病状を視る。


 その間、アキラはサクの顔をじっと見上げていた。


「……あんた、やっぱり歩けそうにないんじゃない」

「……え?」


 僅かに反応が遅れた。

 サクの向こう、長い赤毛を何となく弄りながら立つエリーが、どこか非難するような瞳を携えている。


「あ、ああ、まあ、なんか横になると、なんか、」

「……あっそ」


 エリーの瞳は変わらなかった。


 ただ、思えば“二週目”。

 最後の一夜を明かしたのは、この三人だった。

 もっともあの場所は、ここのような見渡す限りの緑ではなく、暗い小さな洞窟だったが。


「……よし、少し頭を浮かせてくれ」

「あ、ああ、」

 頭を上げると、サクはアキラの頭の後ろで長いタオルを縛った。

 額にひんやりとした感触を覚え、頭の圧縮が心地よい。

 アキラの頭には、簡易的な冷却装置ができ上がっていた。


「これで動けるだろう。本来なら寝ていた方がいいが……、ここで倒れているのもまずいだろう」

「ああ、ありがとう」

 アキラはゆっくりと立ち上がる。

 僅かにくらりときたが、歩くことはできそうだ。


「さて……、では、聞きたいことが……、いや、いいか。病人をこのままにするのも忍びない」


 サクはアキラに視線を走らせ、次にエリーに向き合った。


「お前たちはリビリスアークから来たんだったな」

「ええ」


 エリーははっきりと答える。

 そのどこか強い口調にも、アキラは違和感を覚えた。


「だが……、うん、そうだな」

 サクは辺りを見渡し、山の向こうを指した。


「あの辺りに小さな村があるのを知っているか?」

「ええ、知ってるわ」

「……リビリスアークよりは近い。とりあえずそこで休んだ方がいいだろう。薬はあいにく切らしていてな」


 サクはナップザックを肩に担ぐと、アキラを見据えてきた。


「病人がいては動きづらいだろう? そこまで送ろう」

「ああ、助かる」

「なに。どうせ“請けていた仕事”も胡散臭い」


 サクが敬語ではないというのはアキラにとって新鮮だったが、その好意は嬉しかった。

 それに、この山から人を離したいというのも本音だ。


 アキラはサクに笑い返し、ふらふらと歩き出す。

 その足取りに、サクはため息を吐き出し、肩を貸してくれた。

 やはり、頼りになる少女だ。


「……ほら、いくぞ」

「……ええ」

「……?」

 エリーはアキラの表情をじっと見返し、一歩先を歩き出した。

 なんとなく、エリーの視線が強かったのは気のせいだろうか。


 ともあれ、アキラは二人目の仲間に再び逢えたのだ。

 身体はだるいとはいえ、気分は明るくなっていく。


「……、」


 ただ、そういえば。


 サクと最初に逢ったとき、彼女は一体どういう人間だったろうか。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――ウッドスクライナ。


 アキラにとって最も分かりやすい表現を使うのならば、マーチュの巣窟の山の麓。

 その付近にあるこの村は、リビリスアークの半分の大きさも持っていなかった。

 自然に囲まれた、と言えば聞こえはいいが、うっそうと茂る森の中、草木も伸びっぱなしの村の道は、むしろ放置されている、と評価できる。

 どうやらこのウッドスクライナは、大きな町へと続く道の中継地点の一つらしい。

 アキラも来たことがない村だ。


 木造家屋、というよりはペンションのような造りの建物が目立つ中、アキラたちが腰を下ろしたのはリビリスアークの孤児院より遥かに小さい寂れた宿屋だった。

 ベッドではなく床に下すタイプ―――つまりは布団を用いるその宿屋の一室は、それを敷くだけで部屋の面積を四分の一は圧縮するほど狭い。

 木目が目立つ部屋の四方の一角には、どこか真新しい“壁”があった。

 それも、やっつけ仕事。

 おそらく、元々の部屋を半分にしたのだろう。

 そしてそれ以外、何も置かれていなかった。

 布団にもつぎはぎが多く、本当に廃れている。


「……ボロくね?」

「寝れれば同じでしょ」


 アキラがついに漏らした言葉は、窓際で足を投げ出して座っているエリーが鋭く拾った。

 サクはアキラたちをこの宿屋に預け、自分の分もあるからと現在薬屋に向かっている。


「……お前さ、村に伝えにいった方が、」

「ええ、じゃあ、“勇者様”の危機だ、って騒いで村総出で迎えに来てもらうわ」

「どういう神経してんだ」


 アキラの言葉は、今度は拾ってもらえなかった。

 エリーはぷいと視線を窓に向け、村の様子を眺めている。


「……もしかして、機嫌悪いのか?」

「別にっ、……そう、別に悪くないわ」

「……?」


 エリーはまた、それきり黙ってしまう。

 アキラは会話を諦め、天井をぼんやりと眺めた。


 先ほど出逢った、サク。


 “二週目”。

 彼女と別れたのは、“魔王の牙城”の中だった。

 ここで出会って、無事だった、というのも妙な話だが、アキラは心から安堵する。


 やはり、時間は巻き戻っているのだ。


「ねえ」

「……?」


 今度はエリーの方から、呟き声が聞こえた。

 僅かに登ってきた睡魔を押し返し、アキラは顔をエリーに向ける。


「さっきの、サクさん」

「ん、あ、ああ」

「……その、変じゃない?」


 エリーの質問の意図が分からず、アキラは眉を寄せるだけで返した。


「彼女、ファミリーネームがない、とか言ってたでしょ?」

「……ああ、そのことか」


 アキラもそれは妙だと思っていた。

 疑問を持ったのは遥か昔だが、結局“二週目”では彼女の正体が分からず終い。

 もっとも、それで不審な目を向けはしなかったが。


「事情があるんだろ? よく分からないけど」

「それは……、そうだろうけど……」

「それに、いい人じゃん。助けてくれたし」

「……はあ、」


 エリーはため息を吐いて、再び窓の外を眺めた。

 彼女の意図が、分からない。


「まあ、とにかく、……もっとビシっとしてて欲しいんだけど」

「病人に何を言い出してんだ、お前は」


 アキラの言葉に、エリーが何度目かのため息を吐き出したところで、部屋のドアが叩かれた。


「入るぞ?」

「ああ」


 ドアを開けたのは、やはりサクだった。

 窓の外を向いたままのエリーを一瞥し、アキラの布団の横に座り込む。

 だが、その凛々しい顔立ちは、何故か不穏な空気を持っていた。


「? どうした?」

「……いや、困ったことになった」

「?」


 そこでエリーも視線を向けた。

 サクは眉を寄せ、小さく呟く。


「薬が買えなかった。……高すぎる」


 サクの話はこうだった。


 何とか見つけ出した薬屋は、あまりにも外観に気を使っていない風情だったらしい。

 眉を寄せながらそこに入ると、一切の商品が展示されておらず、奥に一人の男が座っているだけ。

 そして、サクが必要なものを伝えると、平均相場のおよそ十倍。

 もともと所持金をそこまでもっていなかったサクは、その破格の値段に一旦諦めてここに戻って来たとのことだった。


「無理をすれば買えないこともないが……、これならリビリスアークで買ってきた方がずっといいだろう」

「いや、そこまでするなら薬はいいや。大分よくなってきたし」

「ああ、すまないな。私にも生活があるから」


 アキラは身体を起こし、外を眺める。


 確かに、妙だ。

 風邪の方は実際もう大丈夫そうだが、この村の物価。

 リビリスアークから歩いて到着できるほどの距離の、ウッドスクライナ。

 その場所の相場が、リビリスアークからそこまで乖離しているとは考えたくない。

 そして、アキラが旅した記憶では、どの場所でもそこまで価格は高くなかった。


 そしてそれは、はたして薬だけだろうか。


「なあ、この村って、いつもそんなに高いのか?」

「……え?」

 急に話を振られたかのように、エリーは気の抜けた声を出した。


「いや、知らないわ。ここ、いつも通り過ぎるだけだもん」


 所詮この場所は通過地点に過ぎないのだろう。

 馬車の停留所がある以外、アキラにはこの村の魅力が見つけられなかった。


「でも、流石にそこまで高くないはずよ。本当に、風邪薬を頼んだの?」

「ああ、それは間違いない。私も何度も聞き返したからな」


 こうなったらいっそ、“勇者様”の特権でも使ってやろうか、と、アキラに邪な考えが浮かんだ。

 風邪薬などどうでもいいが、ぼったくりの店がある、というのも気持ちよくない。


「それに、……いや、いい」

「?」

 サクが言い淀み、視線を外した。

 まだ何か、彼女の中に疑念があるのだろうか。


「……そうだ、サク、」

「ねえ、」

「?」


 暇なこの時間を彼女との会話に費やそうとしたアキラの声は、エリーに遮られた。

 エリーは立ち上がり、窓から村の外を眺めている。


「あたし、散歩してくる」

「え? あ、ああ、」


 エリーはそのまますたすたと歩き、振り返りもせずに部屋を出ていく。

 アキラはその背中に、どこか刺々しさを感じた。


「……なんだ、あいつ」

「さあな……。村の様子でも気になったのだろう」


 サクは小さく笑いながら、アキラに妙な視線を向けてきた。

 こうした彼女の表情は、“二週目”でも見た気がする。


「……そうだ、サク、お前、どんな仕事を請けてたんだ?」

「? ……あ、ああ、先ほどのか。いや、単なるうわさ話の調査だ」


 サクはナップザックから便箋サイズの封筒を取り出した。

 それを、アキラはかつて見たことがある。


「これだ。“巨大マーチュ”調査の仕事。倒すのは不可能と言われていたらしいが……、それ以前にいかがわしい。依頼主も不明で、お金だけ依頼所に預けられているそうだ」


 やはりそうだったか。

 アキラは心の中で呟く。


 “二週目”、サクはアキラの“とある攻撃”に巻き込まれたと言っていた。

 そして一週間近く気を失い、そののちリビリスアークに現れたのだ。


 やはり彼女はこの“刻”に、あの場にいることになっていたのだろう。


「……そんな依頼、何で受けたんだよ?」

「言っただろう? 所持金が少なくなってきてな。確認しに行くだけにしては破格だから試しに請けてみたんだ」


 またも、アキラの中に疑念が浮かんだ。


 “巨大マーチュ”調査の依頼。

 その対象の存在は、確かなものだ。

 何せ、アキラは実際に“それ”を見ているのだから。


 だが、その依頼主は、一体何が目的で、そんな依頼を出したのか。

 そんな依頼を請けようものなら、マーチュの確認と同時に潰されるのがオチだ。


「まあ、行かなくて正解だ。それ、マジ危険だから」

「? 見たのか? 巨大マーチュを」

「……いや、“まだ”」

「?」


 サクの中で、“巨大マーチュ”はどのようなサイズだろう。

 せいぜい人の身丈ほどだろうか。

 だが、そんな程度では済まされない。


 今すぐに国に報告し、魔道士隊を総動員して駆除すべきだ。

 ただ、“一週目”。

 自分はそんなことはしなかったはずなのだから、おそらく問題はないのだろう。


 触らぬ神に祟りなし、といったところだろうか。


「まあ、確かに危険かもしれない。受付の者も、私が請けるときに怪訝な顔つきをしていたしな」

「……ああ、そうした方がいい」


 もしかしたら、あの山にはいずれ行くべきなのかもしれない。

 だが、それは今ではない。

 今行けば、成す術なく“巨大マーチュ”に殺されるだけだ。


「……、」

「……?」


 アキラが“二週目”の記憶を掘り返し、暴れ回る“あの存在”に身を震わせていると、じっとこちらを見てくるサクと視線がぶつかった。


「……なんだ?」

「い、いや、すまない、」


 サクは目頭を押さえ、首を振った。


「アキラ、だったか。妙に話しやすくてな。言葉がすらすら出てくるよ」

「……そうか」


 アキラは小さく笑い返した。

 これは、日輪属性のスキル、人を惹きつける力。


 彼女はやはり、サクだ。

 総てを忘れていても、かつてと同じ言葉を吐き出している。


 そして、“一週目”の記憶の封が僅かに解かれる。

 あのとき、彼女のこの言葉に戸惑いつつもアキラは喜んでいた。


 種が分かっている今も、やはり嬉しい。


「それに、」

「……?」

 だが、サクの言葉はさらに続いた。


「やはり妙に親しみやすい。もしかしたら、どこかで出逢っていたかもしれないな」


 そして総てを忘れていても、どこか、繋がっているのかもしれない。


「…………かもな」


 “三週目”で見つけた、唯一の救い。

 それにアキラは、小さく震えながらそう返した。


―――***―――


 エリーことエリサス=アーティは、未だ結んだままの赤毛の尾を振りながら、ウッドスクライナを練り歩いていた。

 そろそろ夕暮れも近付いてきているからか、妙に人通りの少ない小さな村。

 並ぶ家屋や店までも寂れ、商品は店先に並んでいない。


 しかしエリーの瞳には、それは映っていなかった。


「……、ったく、」


 目についた石がつま先に当たり、強く転がっていく。

 エリーはそれを何となく見送りながら、思考を渦巻かせた。


 何となく、面白くない。


 サク、と名乗った、ファミリーネームのない女性。

 紅い着物に長い刀と、彼女の出で立ちは確かに妙だが、そちらはもういい。

 問題は、あの、アキラの顔。

 あの男は、何を嬉しそうに笑っていたのか。


「……、」


 いや、本来なら、どうでもいいはずだ。

 あの場で立ち往生していた自分たちにとって、サクの存在はありがたかった。

 てきぱきと病人の治療をした彼女に、アキラが感謝するのは当然かもしれない。


 だがやはり、“何となく面白くなかった”。


 あのアキラの不調を最初に察し、最初に診たのは、自分なのに。


 それは、世話をする者とされる者の間に生まれる愛着―――世に言うナイチンゲール症候群というものなのだが、エリーはその存在を知らない。


 だが、それを勘案したとしても、エリーは自分の思考に疑問を持てなかった。


 ただ、面白くないと思い続ける。

 とにかく、面白くないのだ。

 そしてそれは、徐々に肥大していく。


「……?」


 何の気なしに顔を上げたエリーの瞳に、妙なものが映った。


 物置、だろうか。

 気づけば村の外れまで歩いてきていたエリーの視線の先、ポツンと設置された寂れた小屋があった。

 いや、縦長の“箱”とでも言うべきだろうか。

 人が一人二人入れば満員になってしまうだろう。

 だが妙なことに、その小屋は他の建物から離れ、村よりむしろその周囲の森に面しているようにも見えた。


 徐々に日は傾き、夜が迫ってくる。

 そして、その建物は不気味に沈黙していた。


 あれは、一体、


「……?」


 近寄ろうとして、“エリーは気を変えた”。

 別にあんな場所に建物があろうが、関係ないではないか。


 今問題なのは、もっと、そう。


 “この憤りを解決することだ”。


「来いっ!!」

「!?」


 エリーが再び思考を進めようとしたところで、背後から野太い怒鳴り声が届いた。

 振り返れば体格のいい男が、気弱そうな男の襟首を掴んで引きずっている。


 体格のいい男は、その力にあかせて引きずられた男を地べたに投げ出した。

 そして憤怒の表情を作って睨みつける。


「お前!! 店の商品で何するつもりだった!?」

「っ、手に取って見ただけじゃないか!!」


 気弱そうに見えたのは、エリーの気のせいだったらしい。

 睨まれながらも立ち上がったその男は、強い口調でそれに返す。


 二人の大声にわらわらと建物から人が出てきた。

 人通りの少ない道は“不気味に普通の人口”になり、それぞれ口々に、『またか』だの、『始まった』だの口にしている。


「大体、渡したのはあんただろう!?」

「お前が見たいと言ったからだ。だがまさか、“叩きつけようとする”とは思わなかったぞ!!」

「“落としかけた”だけだ!!」

「買い取ってもらうぞ!?」

「ふざけるのも大概にしろ!!」


 二人のやり取りに耳を傾けたエリーは、ますます眉を寄せた。

 あまりに意味不明で、不毛すぎる。


 体格のいい男の言葉は、何一つ、理論的ではない。


 というより、あの二人は、そんなどうでもいいようなことで声を張り上げているのだろうか。

 二人とも、昼間から酔っているようにも見えない。


「……あ、あの、あれ、止めなくていいんですか?」

 エリーは怒鳴り合っている二人を囲うギャラリーに歩み寄り、恐る恐る訪ねた。

 今にも殴り合いに発展しそうな二人のやり取りを、誰も眺めるだけで止めようとしない。

 ただ、その不自然を自然として傍観するのみ。


「あ、あの?」

「ん? ああ、」


 エリーが声をかけた眼鏡の男は、僅かなため息ののち、


「ほっとけばいい。“止めたところで金にならない”」


 初対面の人間に向けて、そんな言葉を返してきた。


―――***―――


「たっ、大変よ!!」

「……こっちもだ」

「?」


 結局、怒鳴り合う二人に背を向け、宿に駆け戻ってきたエリーは、狭い部屋の中で座り込む二人に出迎えられた。

 病人のアキラは元より、サクまでも、どこか暗い顔をしている。


「どうしたのよ?」

「お前さ、この宿に入るとき、店の人に何て言った?」

「へ?」


 アキラの質問の意図が分からず、エリーは眉をひそめる。


「“休憩”、って言ったか?」

 しばし沈黙が場を支配したのち、口を開いたのはアキラだった。


「え、ええ、言ったわよ?」

「だが、店の人が言うに、私たちは数日泊まることになっているそうだ。それも、“最高級のコース”とやらで」

「?」


 サクの視線を追ったエリーの瞳に、何か得体の知れない保存食のようなものが飛び込んできた。

 それも、三つ。

 まさかあれが、“最高級のコース”とやらの夕食だろうか。


「待って、まさか、店の人たち、勝手に、」

「……やっぱりおかしいぞ、この村」


 アキラはエリーの声を遮って結論付けた。


 そしてアキラの頭をかすめる、とある記憶。

 ようやく、ここでの封が解けてきた。


 “一週目”、確かにここで何かが起こったのだ。

 その何かは定かではない。

 だが、確かに。


 “二週目”に巨大マーチュ戦で彩られたこの日、それに代わる何かが“一週目”で起こったはずだ。


「そういえば、先ほど何か言おうとしていなかったか?」

「え、あ、そうそう」

 サクに問われ、エリーははっとして口を開いた。


「け、喧嘩よ喧嘩。しかも、何か変で、」


 エリーの説明を聞いたサクはますます首を傾げた。

 だが、アキラはただ静かに思考を進める。


 自分が思い出しさえすればいいのだ、ここでの出来事を。

 そうでなければ、この“異変”を解明しようとすべきなのだ。


 “自分で考える”と決めたのだから。


 エリーの話では、店の人は、客が商品を取り落しそうになったから憤慨しているらしい。

 だが普通、僅かに気分を悪くしこそすれ、怒鳴り合いに発展するような出来事ではないはずだ。


 そして、それを“普通”と評価している村の人々。


 それは、一体、


「そもそも、エリーさんはこんな村があることに気づかなかったのか?」

「……だから知らなかったんだって」

「いや、責めているわけでは、」

「分かってる、……分かってるわ」


 困惑の中、アキラの目の前で、どこか棘のあるような会話が展開されていた。


「……と、とりあえず落ち着こう。まずはここの宿代をどうするか考えるべきだ。聞いてみたところ価格は……、まあ、“想定できないくらい”を想定してくれ」

「まあ、そうね……。店の人たちには聞いてみたの?」

「聞いたもなにも、キャンセルできないの一点張りだった」

「もっとちゃんと頼めば、」

「……一応、精一杯頼み込んでみたつもりだが」


 何を二人は話しているのだろう。

 アキラは二人の様子にも怪訝な顔つきを向けていた。


 今はこの村の“異常”について話していたのではないか。

 そして、エリーはその二人の喧嘩とやらを止めるために一旦ここに戻ってきたのではないか。

 それなのに、エリーとサクの口調は、徐々に刺々しくなっていく。

 というより、エリーの様子が妙だ。


 やはり違和感を覚える。


 自分が“異常”に対して敏感になっているだけなのだろうか。


「……なあ、その二人の喧嘩、止めなくていいのか?」

「え……? あ、そうね……。で、でも、あたしたちの問題もあるし……、とりあえずは宿代、どうしよう……?」


 気のせいではないかもしれない。

 少なくとも“エリサス=アーティ”なら、先に二人の喧嘩に介入すべきと考えそうだ。


 確かにそれは絶対ではない。

 “彼女が彼女でない”からかもしれない。


 だが、やはり、なにか、


「リビリスアークに戻るか?」

「え、でも、どうせ払うなら、何日かいた方がよくない?」

「……サク、お前はどうする?」

「そうだな……、私もまあ、彼女と同意見だ。もう少し、この村にいた方がいいような気がする」


 二人の意見は共通して、この村に残る、だった。

 自分たちは本来、休憩のためにこの村に来たのではなかったのか。

 サクも、ここまで送るだけのつもりだったのではないか。


「……、」

 アキラは過去の記憶を掘り返し続けた。

 未だ痛む頭をフル回転させ、奥へ奥へ進んでいく。


 この“異変”を解決するヒントは、どこかになかっただろうか。

 自分だけが嗅ぎとれる、この場のいかがわしさ。


 奇妙なこのウッドスクライナ。

 近辺と比べ、異常に高い物価。

 それに伴うトラブル。

 それなのに、ここに留まる村人たち。

 そして、徐々にエリーたちもそれに近づいているような気がする。

 ゼロとは言えない、一つの小さな可能性。

 その選択肢を、全員が選び続けているのだ。


 “本人の自覚なしに”―――


「……!」


 そうだ。

 この村の異変は、“誰にも気づかれていない”。


「……なあ、」

「? なによ?」

「ちょっと外行かないか? 喧嘩の様子も気になるし」

「は?」


 “一週目”の自分も、確かこうした気がする。

 アキラは目を閉じ、あのときの自分の思考を思い返した。

 あのときは、この村の異変をここまで敏感には察せず、目の前の二人の悪い空気をかき乱すことだけを考えていたのかもしれない。


「ほら、サクも、」

「……悪いが私はここに残る」

「?」

「いや、三人共外に出るのは止められそうだ。薬屋に行くとき、妙に店の者の視線を感じたが……、あれは逃がさないつもりだったのだろう」


 この小さな宿屋には見張りもついているらしい。

 アキラはため息一つ残し、エリーと共に部屋を出た。


 とりあえず、“異常”の当たりはついている。


―――***―――


「ねえあんた、風邪、大丈夫なの?」

「え? ああ、まあ微妙だけど」


 額に手を当てながら、アキラは目を閉じてみた。


 手のひらは僅かに熱を感じ、やはりくらりとする。

 だが、寝ていたときよりはずっといい。

 峠はとっくに過ぎているようだ。


 確か、“一週目”も同じ。

 病状が最悪になる前に休んだのがよかったらしい。

 巨大マーチュ戦で駆け回り、日輪属性の力でカバーできなくなるほど悪化させた“二週目”とは雲泥の差だ。


「あ、こっちよ」


 エリーに促されるまま、アキラは建物の角を曲がる。

 すでに夕日が沈みかけ、薄暗くなった小さな路地。

 やはり人は見当たらない。

 この村は、あまりに静かだった。


「……あ、もう喧嘩、終わってるかも」

「……そうだな」


 エリーの口ぶりからして、現場は間もなくのようだ。

 だが実際、アキラの目的はその喧嘩ではない。


 本日、自分が刻む“刻”。

 巨大マーチュ戦に代わる、“それ”。


 だが未だに、自分の予感を信じられなかった。

 自分は本当に“一週目”、早くも“あの存在”に出遭っていたのだろうか。


「ああ……、お母さんたち、心配してるかな……?」

「してるだろうな……。連絡しなくていいのかよ?」

「“手段”がないの。もう暗いし……、あなたも、ここから戻るの大変でしょ?」


 やはり、エリーはこの村に泊まることを完全に選択している。


 ただ、アキラもリビリスアークに戻る気はなかった。

 “一週目”は、エリーたちと外泊するということへの下心で。

 そして今は、確かに感じるこの異変で。


 やはり間違いなく、自分はこの場で“刻”を刻んだ。


「まあ、明日戻れば大丈夫でしょ。それより、宿代どうしよう……。一旦村に戻らなくちゃ、あたしほとんどお金持ってないし……」


 星明かりが姿を現し始めた小さな村を、二人で歩く。

 そんな中漏れたエリーの呟きは、アキラは気にしていなかった。


 そっちの問題は、何とかなったはずだ。

 信じるしかない。

 問題は、今目の前にある異変。


 本当に、“もう”、なのだろうか。


「……ねえ、」

「ん?」

 アキラが警戒心をむき出しにしながら視線を配っていると、ふいにエリーが呟いた。


「さっきさ、あたし、なんか変だった?」

「……は?」

「い、いや、変なこと聞いてるのは分かってるけど……、なんか、ね」

「……、」


 エリーの煮え切らない言葉に、アキラは眉を寄せた。


「いやね、なんか……、ほら、サクさん」

「あ、ああ」

「あの人になんか……、あたってた、っていうか……。ごめん、忘れて」

「……、」


 様子の妙だったエリーは、それを今自覚したようだ。

 確かに、エリーの言葉の棘は、サクに刺さっていたように感じる。

 だが、何故今さら気づけたのだろう。


「あ、あそこ……、もう終わってるわね」


 エリーが指差したそこは、道中と同じように閑散としていた。

 とうとう日が落ち、周囲の森から虫の声が聞こえる。

 そして昇った満月が怪しく輝きを増す。


 その光景に、アキラは不気味なものを感じた。


「……?」


 視線を泳がせていたアキラは、ある一点でそれを止めた。


 小屋だ。

 物置だろうか。

 木造の寂れたそれは、収納スペースとしてはあまりその任を果たせそうにない。

 むしろ、中に小さな祭壇でもありそうだ。


 何故あんなものが村外れに、ぽつん、とあるのだろう。


「なあ、あれ、なんだ?」

「え? ああ、あれ? なんだろ、さっきも見たけど……、」


 先ほどの喧嘩騒動のとき、エリーも発見したのだろうか。

 アキラは何の気なしに足を進め、建物の前まで来てみた。


 その正面は、木のすだれのようなものが下ろされ、しかもそれは村の外に向いている。

 アキラはすだれの隙間に指を入れ、持ち上げようとした。


「ちょ、ちょっと、イタズラするのは、」

「いや、気になるし、」

「それをイタズラっていうのよ? 私物かもしれないじゃない」

「いやさ、なんか古の神様とか祀られてたり……、ちょっとだけ、」

「するなっての!!」

「そこまで必死に止めんなよ……、」


 アキラは指を抜き、手を払う。

 エリーはそれに満足したのか、小さく頷いてみせた。


「まあ、もう戻りましょう。喧嘩も終わってたし……、サクさんと宿代の話しなきゃ」


 確かにサクは、完全に巻き込まれただけだ。

 所持金が少ないと言っていたのだから、宿代を折半するのも不憫だろう。


 とりあえず、今日はもう暗い。

 本格的な散策は、明日にすべきだ。


 流石に自分も、“休みたいと思っている”。


「……、……?」


 最後にもう一度だけ寂れた小屋に視線を向け、アキラはその場を後にした。


―――***―――


「は……、は……、は……、」

「……?」


 宿の部屋、そのドアの前まで来たアキラは、中の妙な気配に足を止めた。

 中から聞こえる、荒い息遣い。

 そして、この暗さだというのに、ドアの隙間からは中の光が漏れていなかった。


「……、」

 不穏なものを感じ、アキラは一度振り返った。

 エリーは現在、念のためと宿の店員にかけ合いに行ってしまっている。


 月明かりだけが照らす暗い廊下には、アキラ一人だ。


「……、サク? 入るぞ?」

 アキラは僅かなノックと共に、ドアを開けた。


 入った暗い室内。

 やはり、灯りを点けてはいないようだ。


「……? サク?」


 窓から差し込める月明かりが、アキラが寝ていた布団だけを照らしている。

 アキラは暗がりの中、慎重に足を踏み入れた。


「っ!?」


 その、一歩目。

 アキラは足の裏に奇妙な感触を覚えた。

 辛うじて体重をかけずに踏み留まったアキラは、壁に手を突き身体を支える。


「な、なんだ……?」


 手探りで灯りのスイッチに触れ、起動させる。


 照らされた部屋、アキラが視線を向けた先、そこに、


「っ、うわっ!?」


 一人の男が倒れていた。

 仰向けになり、瞳は虚ろ。

 小太りのその男は、日本でいう浴衣のような服を身に纏っていた。

 アキラが踏みかけたのは、男の右腕だったのだろう。


「し、死体……!?」


 パニックに陥ったアキラは、その倒れた男に瞳を釘付けにする。


 戻って来て、部屋に灯りを点けてみれば、死体が倒れていた。

 一体何のサスペンスだ、これは。


「っ、」

「……!?」


 人の声が聞こえて、アキラはびくりと身を引く。

 だが、その視線の先、部屋の隅で座り込んでいる少女を、アキラは知っていた。


「サ、サク……?」

「い、いや、その、ち、違う」

「……サク?」


 彼女もパニックに陥っているのか、荒い息遣いをしながら首を振っていた。

 アキラも、事態が飲み込めない。


 だが、狭い部屋に、死体と生存者。

 これは、まさか、


「そ、その男が、いきなり……、」


 慌てふためくサクというのも珍しいが、その漏れた言葉にアキラは血の気が引いていった。

 それは、犯人の常とう文句だ。


「お、落ち着け、今、何が起こったんだよ……?」

「いや、だから、ち、違う、」

「分かった、分かったから、お、落ち着け」


 そういうアキラも落ち着いてはいない。

 ただとりあえずは、愛刀を抱きしめ、瞳を開き切っているサクをなだめることが先決だった。


「えっと、何が起こったんだ?」

 アキラはサクの正面に座り込み、興奮状態の動物に接するように敵意がないことをアピールした。


「じ、実は、二人が出て行ったあと……、しばらくして、店の者が来たんだ」

「……、」


 サクの視線が一瞬、アキラの後ろで倒れている男に向く。

 そこでアキラはようやく思い出した。

 彼は、先ほどアキラたちに夕食を運んできた男だ。


「そして、お前たちは金がないだろ、と」

「……、」


 自分たちで“最高級コース”とやらにしておいて、随分な言い草だ。


「それでまずは、この刀を売れ、と」

「お、おい、」

「もちろん断った」


 それは当然だ。

 サクは、今抱えているこの黒塗りの長刀を、何よりも大切にしている。

 アキラは“二週目”の旅の道中、彼女が大切そうに手入れをしているのを何度も見ている。


「そしたら、突然、」

「襲いかかってきたのか……?」

「……ああ」


 おそらくは刀ではなく、サクの身体目当てだったのだろう。

 サクは、相当な美人だ。

 気まずくなってアキラは視線を外した。


 だが、流石に一人旅をしている魔術師。

 こんな田舎の商売人などは、見事に返り討ちにしたのだろう。


「……って、やっぱりお前が、」

「せ、正当防衛だ、あれは。だ、だから、」

「あ、ああ、分かった。分かったから」


 アキラはサクの話を聞き終わり、思い至って倒れている男に近づいてみた。

 先ほどはショックで冷静には見られなかったが、小太りの男の胸は僅かに上下している。

 気絶しているだけだ。


 サクは、気づいていないのだろうか。


「……なあ、」

「最悪だ……、なんで、なんで、」

「……なあ、おい、」

「こんな、“しきたり”違反……、民間人に……、」

「おい、聞いてんのかよ!?」

「え?」

「……落ち着け」


 錯乱状態にあったサクは、アキラの怒鳴り声に顔を上げた。

 その表情はやはり濁っている。


 一体何だ、これは。

 もはや豹変と言っていい彼女の様子に、アキラの背筋を黒い悪寒が撫で続ける。

 パニックがパニックを呼び、自己で修復できていない。


 だが、それと同時に、記憶の封が一つ解けかけた。

 やはり、これは、“一週目”通りの出来事だ。


 では、次に何が起こったか。


 早とちりな上、気が動転し、自己嫌悪に陥っているサク。

 こんな、“九割九分九厘起こらないが、奇跡的な確率で辿り着くかもしれない思考”をしている彼女は、あのとき何を思ったのか。


 いや、待て。

 アキラは自分の思考に停止をかける。


 “一週目”だけではない。

 “二週目”、これと、同じようなことが起こっている。


 “二週目”。

 巨大マーチュ戦でアキラが放った砲撃。

 それに巻き込まれたサクは、“とある村”で看病を受けたと語っていた。

 無一文になるほどの金額を取られて、だ。


 まさか、その村とは、


「こんな村……、来るべきではなかった……!!」


 サクの黒い感情が肥大化されていく。


 “まず絶対に辿り着かない思考”。

 だが、裏を裏を取っていくことで、そこに辿り着いてしまう。


 村人たちに向いていた憤りは怒りに代わり、そしてその対象すら、“その原因を作った人間”に向いていく。


 だから彼女は、アキラを恨み―――


「……ヒダマリ=アキラ」

「……!」


 やはり、間違いない。

 今、この場での記憶の封が全て解かれた。


「このままでは収まりがつかない」


 “一週目”。

 戸惑うばかりだった自分は、この展開を、強制イベントだなどと称していた。

 ただ、喧嘩っ早いキャラクターだ、などとどうでもいいことを考えて。


 だが確かに強制イベント。

 その原因を、アキラは知っている。


 やはり、間違いはなかった。


 サクはゆらりと立ち上がり、鋭い視線でアキラを捉える。

 アキラもそろそろと、部屋の隅に立てかけてある剣に手を伸ばした。


「私と、“決闘”をしてもらう」


 目指す場所は、“あそこ”だ。


―――***―――


「どいてくれっ!!」

「きゃっ!?」


 即座に駆け出したアキラは、廊下でエリーと高速ですれ違った。

 だが、振り返りもせずに走る。

 こういう風に動くと分かるが、やはり身体は鈍い。

 精神と身体のずれは、まだまだ解決しないようだ。


 だが、今はそんなことを言ってはいられない。


 今すぐ、“逃げなくては”。


「―――、」

「っ、」


 宿屋の玄関から飛び出たアキラは、即座に転げた。

 そして頭の上を高速で通過する“何か”。


 やはり、その一刀は速すぎだ。


 アキラは転がりながらも即座に立ち上がる。


「危ねぇだろっ!!」

「一応、みねだ。お前が逃げるからだろう」

「場所を考えろ!! 宿屋でやる気か!?」

「……、そう、だったな」


 アキラの叫びで、サクはそのことにようやく気づいたようだ。


 “違う”。

 アキラはその様子に困惑する。

 自分が紐解いた記憶と、目の前の光景は違った。


 サクは、自分をいきなり襲い出したのだ。


 “一週目”は、そんなことはなかった。

 アキラには、エリーに決闘の説明を聞く猶予が与えられたし、何より決闘の場に移動することもできたのだ。


 だが今、サクは突然襲い出した。


 一体、何故、


「ハードモードなんてわけじゃないんだよな……?」

 アキラは苦々しく言葉を吐き出した。


「……まあ、だがここでならいいだろう?」

「……、い、いや、もっといい場所があるんだが……、宿屋の目の前ってのも……、」

「問題ない。始め……ん、……よし、始めよ……、う……?」

「……?」


 サクの表情が、僅かに曇った。

 一瞬浮かんだ色は、困惑。


 彼女も自分の行為に、疑問を抱いているのだろうか。


「……なあ、落ち着いてくれ」

「私は、落ち着いている。お前はそればかり繰り返すな」

「いや、決闘って、な、なあ?」


 もっと上手いことは言えないのだろうか。

 アキラは額に手を当てる。


 だが、悲しいことに、彼女に言葉での説得は“ここでも”通用しなかったのもアキラは覚えていた。


「確かに……、妙だ。そう、感じる」

「……! え、じゃ、じゃあ、」

「だが、もう、始めてしまった。そうなったら、後には引けない……!」


 “サクのような人間に対しては、始めるようにさえすればいい”。

 そんな空気を、アキラは感じ取った。


 サクは、“二週目”でもきちんと折り目をつけて進みたがっていたようにも思える。


 だから。

 それで十分なのだと“あの存在”は思ったのだろう。


「っ、」

「ちょ、ちょっと!!」


 アキラが奥歯を強く噛んだところで、宿屋からエリーが飛び出してきた。

 その大声に、村人たちも控えめに建物から顔を出す。


「な、なに!? 二人とも何やってんの……!?」

「……決闘だ」

「けっ、」


 サクの答えに、エリーがフリーズする。

 第三者から見れば、その考えは、あまりに不自然なのだ。


「ちょ、ちょっと、あんた、決闘受けたの!?」

「……さあな」

「さあなって……、あ、」


 エリーも、決闘開始の条件―――“自己紹介”が済んでいることに思い至ったのだろう。

 一瞬止まり、しかし視線を強くする。


「だ、大体今時決闘なんて……、そんなの、」

「私は“それに則る”つもりだ」

「っ、」


 エリーが詰まったところで、サクは再び視線をアキラに向けてきた。


 これは、危険だ。

 アキラは即座に剣を抜き、じりじりと後ずさった。


 視線の先には、構えるサク。

 腰に提げた刀に手を当て、中腰。

 彼女の身体総てが、目の前の対象を切り裂く機械に代わる瞬間。


 この本気の姿を、正面から見たのは“二週目”の決闘以来だ。


 “戦闘とはどういうものか経験している”からだろうか。

 彼女のこの構えに対し、アキラは戦々恐々とした。


 決まれば、自分は、倒される。


「……、」

 言葉だけでの説得は、最早無駄であろう。

 アキラは視線を僅かに背後に向ける。

 目指すは“あの場所”。


 今すぐ駆け出せば―――


「―――!?」


 その、背後に向けた視線。

 それをアキラの隙ととったサクは、一瞬で詰め寄ってきた。


「っ―――、」


 頭では反応できても、まるで身体がついてこない。

 サクの接近が、スローモーションのように感じる。


 だが、いくら世界が自分の“応え”を待っても、サクの速度はそれを超えていく―――


「っ!?」


 ガキッ、と火打ちのような音が響く。

 辛うじて突き出した剣の先、サクはそれ以前で止められていた。

 “今度は”しっかりと目を開けていたアキラに、それは映る。


 サクの一刀は、赤毛の少女の拳に止められていた。


「何のつもりだ……?」

「……あたしの名前は、もう名乗っているわよね?」

「そう、か。……そうだったな」


 サクはふっと笑ってその場から距離を取った。


 それは、エリーの“決闘への乱入”を認めたということだろう。

 エリーはその様子を鋭い眼で捉え続ける。


「どういうつもりか知らないけど、一応この人、“リビリスアークの期待の星”なの」

「……、……?」


 眉をひそめるサクに、エリーはため息を吐き出した。

 どうせ、決闘が始まった以上、意味のないことだ。

 エリーは、きっ、と視線を強める。


 今問題なのは、この妙な喧騒。


 目の前のサクが―――今日初めて出会ったばかりだが―――こんなことをするような人間とは思っていなかった。

 だが、こうやって暴れ始めた以上、鎮圧しなくては。


 彼女の動きを見るに、アキラでは相手にならない。

 相当な熟練者だ。


 エリーは急遽着けたナックルガードを、再度着け直す。


 サクの様子は妙だが、彼女と戦う理由ができたことに、エリーは何故かすっとしていた。

 彼女が現れてから、ずっと膨らんでいた憤り。

 それを、ここで清算できる気がしているからかもしれない。


「っし、あんたは下がってて。ここはあたし……が……、」


 両拳を打ち合せながら振り返ったエリーは、その光景に動きを止めた。

 サクからも、うめき声が聞こえる。


 二人の周囲には、いつしか建物から出てきた村人たち。

 夕方の二人の男の喧嘩のときのように、止めようとはせず興味半分で眺めている。


 だが、本来見られるべきなのは、エリーとサクの組み合わせではないのだ。


 エリーが振り返り、サクが視線を向けている先。


 そこにいるべきその存在。


 しかし、それなのに、


「いない……だと……!?」


 サクの言葉が示す通り、アキラはその場から消え失せていた。


―――***―――


 夜空には、星の中、不気味なほど巨大な満月が浮かぶ。


「はっ、はっ、はっ、」

 アキラは転げそうになりながらも、薄暗い村の中をひた走っていた。

 道に転がる石を蹴り飛ばし、生える草は踏みつぶし、ただただ走る。

 先ほども通った道だ。

 わき目も振らず、ただ一点を目指していく。


 “本来の決闘現場”へ。


「っ―――、」


 背筋にぞっとした寒気が走ったのと、アキラが転げたのは同時だった。

 そして鋭い風切り音。


 アキラの身体のあった位置に、イエローの一閃が走った。


「っ、」

「ノヴァッ!!」


 次いで、ボッ、と拳激の空音。


 全ては転げたアキラの頭上。

 アキラが何とか身を起こした頃には、自分を庇うエリーと離脱したサクが睨み合っていた。


「金曜属性……、武具強化型……!!」


 エリーが、サクの長刀が残した魔力の色で、属性を言い当てている。


 “金曜属性”。

 魔力の色は、イエロー。

 全属性中、最も防御に長けている属性だ。


 一方、エリーのスカーレット色の魔力―――“火曜属性”は、攻撃に最も長けている。


 ある種対極に存在する属性だが、サクは守りに魔力を使っていない。

 その魔力を武具に流し込むことで、サクはその硬度のまま敵に切りかかるのだ。


 これは、“二週目”にもあった光景―――


「邪魔をするな!!」

「っ、まずはあたしが相手でしょ!?」

「その男が逃げるからだろう!?」


 二人は大声で騒ぎ立て、それぞれの武器を構える。


 エリーとサク。

 二人の“決闘”は、村を移動しながら行われているようだ。


「っ、」

「ま、待て!!」


 エリーがサクを止めている間、アキラは再び走り出した。


 身体中が軋みを上げる。

 アキラはそれを強引に抑え込み、ただただ走った。

 角を曲がり、無人の路地に駆け込み、それでもただ前を目指す。


 そして、


「っ―――、」

「ノヴァ!!」


 今度は意図して転げたアキラの頭上で、再び風切り音と拳の空音。

 今度は確認もせずに、アキラは走り出した。


 速力は、エリーよりサクの方が遥かに上だ。

 エリーが抜かれ、サクがアキラを追い攻撃し、再びエリーがそれに追いつく。


 ゴーストタウンを思わせる村に、二人の大声が響き続ける。

 アキラはそれでもなお、走り続けた。


「っ、」

 ようやくたどり着いた“目的地”。

 もうほとんど足が上がらない。


 だがアキラは、それでも走った。


 “目的地”―――森の木々と建物のはざまに位置する、村外れの広場。


 目指す先は、村の外れの寂れた小屋。


 アキラは剣を抜いた。


「―――、」


 村人たちもアキラたちの騒ぎに建物から這い出してくる。


 本来の決闘場は、ここだった。

 アキラの記憶が確かなものになっていく。


 “一週目”。

 ここなら“決闘”の被害が村に出ないとして選ばれた場所。

 そこで対峙するアキラとサク。

 村人たちは興味本位でそれを囲っていた。


 途中、エリーが乱入し、二人の戦いが始まる。

 すっかり蚊帳の外になったアキラは、そこで、とある異変を感じたのだ。


 誰も、あの小屋に近寄ろうとしなかった―――


「はっ、はっ、はっ、」


 荒い息遣いのまま走り寄り、アキラは剣を振りかざした。


「―――、」

 脳裏をかすめる“囁き声”。


 あれはこの村の大切なものかもしれない。

 物価が異常に高い村。

 保証金を払うことなどできはしない。

 ただでさえ宿代がないというのに。


 だが、アキラはその“浮かんできた思考”に、全てノーを返した。

 先ほど、“分かっていたのに”抗い切れなかった“囁き声”。


 だから今は、確固たる意志を持って。


 “ここに用がある”。


「―――、」


 “一週目”は、ちょっとした好奇心で、かかっていたすだれを上げて見た。


 そして今、“三週目”は、確信で。


 アキラは剣を振り下ろす―――


「―――はいっ、ゴールッ!!」


 前のめりに転倒するように、アキラは剣で小屋に攻撃。


 小屋は、異常なまでにもろくも崩れ去った。


「―――!?」


 アキラの背後にいたサクも、その奇行に振ろうとしていた刀を止めた。

 もうもうとした煙が小屋から上がる。

 アキラはその場に座り込み、肩で荒い呼吸を繰り返した。


 視線は、その小屋からはじき出された小さな石に向けたまま。


 その小石は不自然にも転がり続け、アキラたちから離れた位置でやはり不自然に止まる。


「一体なに―――」


『やっぱりあなた、“日輪属性”……?』


 サクの声を止めたのは、女性の声だった。

 追いついたエリーも、それを囲う村人たちも、怪訝な表情を浮かべる。


 どこをどう見渡しても、その声の主の姿が見えない。


『何故、あなたは“ここ”だと確信していたの……?』


 姿なき声の詰問は続く。

 アキラは黙って転がった石を睨んでいた。


『やっぱり、変。だからあなたは、ここに来ないで欲しかった』


 アキラはようやく、この“ハードモード”の正体が分かった。

 夕方のアキラの行動は、“彼女”の“囁き”を早めていたのだ。


 “彼女”は心を読めるわけではない。

 ただその表情から、どのような“想い”を抱きやすいか読み取るだけ。


 その“想い”を方向づけることだけで、彼女の“欲”は満たされる。


「―――!? な、なんだ!?」


 サクも“我に返り”、ようやく声の主を発見したようだ。


 アキラの視線の先、星空の下、転げた“銀色の一握りほどの小石”。

 その石から、不気味な煙が湧き上がっていた。


 色は、ぎらつくようなシルバー。


『短時間で仕込むとやっぱりダメ。すぐ解けちゃう』


 湧き上がった煙は、形がないはずなのに、サクの方を向いていた。


 アキラはふらつきながらも、剣を杖にしてようやく立ち上がり、なおも視線を強める。


「全部、あいつだ」

 アキラは口調も強く、断言した。


「この村が変なのも、サクが突然襲いかかってきたのも、全部、全部」


 これは、のちに“彼女”が自慢げに語った言葉だ。


 “今、アキラが知らないはずの情報”。


 だがそれでも、言わずにはいられなかった。


 この敵だけは、どうあっても、許せない―――


『……、』


 銀の煙は徐々に形を固め、人型を模していく。


 金の長い髪を背中に垂らし、薄く黒いローブのみを纏って体のラインを浮き上がらせている。

 ぎらつくような銀の眼が妖艶に微笑めば、身体の中は浮かされるように安定感を失い、底冷えするような暗い感情が溢れていく。

 細い眉に、長いまつ毛。

 幻想的とさえ言える端麗な容姿。

 まるで、夢の世界の住人だった。


「私のこと、何で知っているの……?」


 固まりきったその存在は、底冷えするような瞳をアキラに向けた。


 “一週目”と“三週目”は言うに及ばず。

 “二週目”もそうだったのだろう。


 サクがアキラに決闘を仕掛けるように“囁いた”黒幕―――


―――サーシャ=クロライン。


―――***―――


「村長……!!」

「分かっている、分かった、」


 エリーの育ての親、エルラシアは本格的に激怒していた。


 恰幅の良い身体に、この一日溜め込んだ怒りは、怒号ではなく侮蔑の入り混じった言葉で吐き出される。


 “勇者様”とエリーが、未だ戻って来ないのだ。


「あなた、本当に学習する気があるんですか?」


 村長宅の応接間。

 そこでテーブルを囲う数人の村人は、エルラシアの冷めた言葉に誰しも口を挟まない。


 普段は呆れ交じりに村長―――ファリッツに言葉を投げかけるエルラシアが、このような口調で彼と接するところは誰しも見たことがなかった。


 唇をプルプルと震わせ、握り絞めた両拳は机の上。

 出されたお茶には、一度も口をつけていない。


「分かってる、分かっているんだ」

「それしか口にできないのなら、結構です」


 エルラシアの剣幕に、ファリッツは憔悴しきった表情で俯いていた。

 瞳を強く閉じ、膝をつけて両手を強く握り、額を乗せる。


 だがそれでも、エルラシアの怒気は収まらなかった。

 奥歯を噛みしめ、親の仇でも見るかのような瞳をファリッツに向ける。


 最初、エリーが“勇者様”と共にマーチュ討伐に向かうと言い出したときから嫌な予感はしていた。


 “エリーがファリッツに巻き込まれた”。


 その事象に、酷く抵抗を覚えたのだ。


 正直な話、エルラシアにとって、最大限の敬意を向けるべき“勇者様”より、エリーの方が大切である。


 今までファリッツに勇者様に祀り立てられ、消息を絶った多くの若者たち。

 それに同情しこそはすれ、所詮は会ったばかりの赤の他人。

 ファリッツの行動に非難はしていたものの、エルラシアにとっては蚊帳の外の出来事だったのだ。


 それなのに、今回は違う。


「エリーは……、エリーは……、どうしてくれるんですか!?」


 二人がマーチュ討伐に出発し、昼を過ぎ、夕方を過ぎ、そして今は夜。

 ファリッツに丸め込まれたときは、そんな大事になるとは聞かされなかった。


「そんなものじゃない……、本当に、今回は、簡単な、」

「だったら何で戻って来ないのかって言ってんですよ!!」


 エルラシアは、がんっ、と机を叩いた。

 全員がびくりと震え、人数分のカップからお茶がこぼれる。

 それを誰しも拭おうとはしなかった。


「エリーは昨日大変なことがあって……、それなのに、私には笑ってみせて……、それなのに、」

「……、」

「…………もう結構です」


 口を閉ざしたファリッツに背を向け、エルラシアはドアに向かった。

 ファリッツはもうあてにできない。

 こうなったら、自分一人でも二人を探しに行くべきだ。


 エルラシアがドアに手をかけ、開いたところで、


「……待て」


 ファリッツが、口を開いた。


「何です?」

「もう国に、連絡してある」


 顔を上げたファリッツは、一気に老け込んだようにも見えた。


「動いていただけたんですか?」

「動いたはずだ……、動かなきゃ、ならないはずだ」


 その辺りの対応は、腐っても村長、ということらしい。

 ファリッツの側近―――サミエルという男の姿が見えないのは、王国まで行っているからだろうか。

 だがファリッツの言い回しに、エルラシアは眉を寄せた。


「それ、どういう意味ですか?」

「……、」


 ファリッツは目を閉じ、眼精疲労を抑えるように指先でつまんだ。


「……動いてもらえないかもしれん」

「は?」


 エルラシアは冷え切った言葉を返した。


「……私は何度も、国に連絡しているんだ。前の“勇者様”のときも、その前の“勇者様”のときも……、ずっと。ずっと。消息が途絶えるたびに」


 それを、エルラシアは知らなかった。

 ただ、“勇者様”が旅立ってしばらくすると、ファリッツに“勇者様”がいなくなったと聞かされるだけだったのだ。


「前に私が行ったときはこういう顔をされたよ。『またか』」

「っ、じゃ、じゃあ、」

「ああ、動かないかもしれん」


 王国で、その“しきたり”がどこまで遵守されているかは分からない。

 だが、何度も訪ねてくるファリッツに対し、そう何度も律儀に応答するだろうか。


 普通の神経ならば、ファリッツの案件を後回しにするだろう。

 なにせ、“たった一日帰って来ないだけなのだ”。


「あっ、あなたが学習もせずに、」

「学習してどうなる?」


 ファリッツから漏れた声はか細かった。

 憔悴した表情そのままに、今にも途切れそうな声色。

 だが、ファリッツは言葉を続けた。


「『この“勇者様”は駄目そうだから止めておく』―――そんなことしてどうなる?」

「……、」


 エルラシアにはようやく、ファリッツのものの考え方が分かった。

 自分とは、“立場”が違うのだ。


「世界は“勇者様”を求めている。それなのに、総ての長が“学習して出し渋ったら”、“勇者様”はどこから現れる? 魔王は依然として被害を出しているというのに」

「……、」

「村からの献上品も安くはない。だが、それでも、世界は“それ”を求めている」


 ファリッツ家は、もともと、“初代勇者様”の助けをしたとして代々リビリスアークの長として在る。

 そして、現代当主―――リゼル=ファリッツもそれを実直に引き継いでいるのだ。


 旅立った“勇者様”には、旅の途中で投げ出し、好き勝手な人生を歩んだ者もいるだろう。

 そうした“勇者様もどき”が増えていく中、それを嫌った村々は“勇者様”を排出しなくなった。


 だが、リビリスアークだけは違う。

 ここは、排出した“勇者様”の数では断トツだろう。


 初代以外、この百代目まで“本当の勇者様”を排出できていないリビリスアーク。

 だが、それでもファリッツは“勇者様”を送り出し続けている。


 エルラシアや、ここにいる村人たちは、ファリッツに“勇者様”と崇められた人間を不憫に思う。

 それは、最初から諦めているからだ。


 だが、ファリッツだけは、ただひたすらに“それ”を信じて。


「だがもう、懲りたよ」


 ファリッツはのっそりと立ち上がった。

 集まった面々に、会議の終了を視線で伝える。


「本当にすまなかった。もうリビリスアークからは“勇者様”は出さない。過去にすがりつくのも……、限界だ」


 その宣言に、この場の全員が息を呑む。

 ファリッツが“勇者様”へのこだわりを捨てるなど、考えられることではなかった。


「エルラシア、私が探しに行く。もう休んでくれ。セレンも帰りを待っているだろう?」

「……今さら学習されても、意味ないです」


 部屋を出て行こうとしたファリッツを、エルラシアは冷たい言葉で止めた。

 しかし、口調は僅かに柔らかく。

 そして盛大にため息を吐き出した。


「…………あなたが行っても、どうにもならないでしょう?」


 エルラシアの言葉に、その場にいた面々が静かに立ち上がった。

 全員、ファリッツの胸の内を聞き、同じような表情を浮かべている。


「村長はここで国からの連絡を待つように」

「そ、それは、」

「みんな、行きましょう」


 それだけを残し、エルラシアたちはファリッツを追い越し部屋から出る。

 全員同じ行動をするだろう。

 孤児院の主を務めるだけはあって、案外自分は指示を与えるのには向いているのかもしれない。


 これからが大変だ。

 なにせ、“勇者様”たちを見つけ出さなければならない。

 ただ、エリーの教鞭をとったセレンがいれば、この辺りの散策も危険ではないだろう。


 エルラシアはそこまで考え、孤児院へ向かう。

 村の面々も、一旦各々の家へ支度に行くようだ。


「……、」


 小走りで、薄暗い道を進む。


 空には、目映い星の中、不気味なほど巨大な満月が浮かんでいた。


―――***―――


「あなたたち……、決闘はもういいの?」


 金の長い髪が夜風になびく。

 ふっくらとした唇から洩れたのは、どこか嘲るような甘い囁き声。

 一度閉じた長いまつ毛の瞳を再びゆったりと開ければ、銀の眼が月下に映える。


 その一挙手一投足が妖しく、恐ろしいほど美しい。


 エリーは“その女性”を、食い入るように見つめていた。


「……この男が言ったことは本当か?」


 目の前の“存在”に向き合い、並ぶように立つサクが鋭い言葉を発する。

 エリーは一切の言葉を呑み込み、アキラと同じように睨んでいた。


「そう……、それが不思議」

「……?」


 “その存在”の瞳が強くなる。

 おぼろげで、しかし刺すような矛盾の瞳はアキラを捉えているようだ。


「ことこと煮詰めた村人たちとは違うあなたに疑問を持つのは分かる……。だけど、それでここまで来られたのはどういうわけ……?」


 サクの言葉に反応しているようで、“その存在”は、アキラにしか語りかけていない。

 だが、サクはそれで“自分の豹変”に対する答えを受け取っていた。


 エリーも話が頭の中で繋がっている。

 サクにしてみれば、この答え―――“決闘”は、自分で出したものなのだろう。


 収まりがつかない状況になり、このまま呑み込んでしまえば清算できない。

 だから、“決闘という形をとりたがった。


 だがそれは、“まず思いつかない”。

 しかし、“辿り着くかもしれない答え”。


 それを演出したのは、目の前の―――


「ま……、まさか……、」


 ギャラリーの村人から、一言声が漏れた。

 彼女が、“それ”であると示唆する呟き声。

 それは全員に波紋を広げ、しかし誰も動こうとしない。


 “それ”。

 “魔物”とは違う、それを生み出す諸悪の根源。

 “魔王”に成りうる存在。


 だが、目の前の存在は、“銀の煙が形作ったにすぎない”のに、とてもそうとは思えなかった。


 人間とは違う、というのは雰囲気で分かる。


 そして、“神族”とも違う、というのも分かる。

 エリーは“神族”に出逢ったこともないが、彼女は信仰の対象にはなり得ないことだけは伝わってきた。


 だから、“消去法”で、“それ”なのだ。


「自己紹介がまだだったわね……、“魔王様直属”―――」


 それは、エリーにとって、“初めての”―――


「―――サーシャ=クロライン」


―――“魔族”との邂逅だった。


「―――、」

 興味本位で眺めていた村人たちは、瞬時に踵を返した。

 誰かが叫んだろうか。

 それすら足音にかき消され、蜘蛛の子を散らすように広場から村人たちが駆ける。


 当然だ。


 俗説は多々あるとはいえ、共通して、“魔族”は小さな村一つ、瞬時にかき消すとまで言われている。

 そしてそれは、現実のものなのだ。


「大丈夫よ?」


 サーシャの“小さな囁き声”に、エリーは背筋がぞっと寒くなった。

 闇夜に響くのは、村人たちの騒動だけのはずなのに、その声は、確かに届く。


「あなたたちは私の可愛い僕。ゆっくり仕込んだもの……、大切だから……、ね?」


 サーシャの背筋の寒くなるような口調に、村人たちは足を止めていた。

 辛うじて残った生物としての危機感から、建物や木々の陰に身を潜め、恐る恐る顔を出している。


 エリーはその“ある種一糸乱れぬ行動”に、再び悪寒が上ってきた。


 やはりこの村は、異常だ。


「でも……、」

 サーシャは再び、アキラに視線を戻した。


「そっちは別。私に気づけるなんて……、異常」

「……、」


 アキラはその問いにも、黙して剣を構えているだけだった。

 口を開きそうで、開かない。

 アキラは一体、何を考えているのだろう。


「どういうことか説明してもらうのはこちら側だ」


 無言のアキラの前に一歩踏み出し、サクはサーシャの視界に割り込んだ。

 その視線が手に持つ刀より鋭いのは、サーシャの所業に察しがついているからだろう。


「思い返してもわけが分からない……。私に何をした……!?」


 サクの言葉に、サーシャはさらに妖艶に微笑む。


「人間ってさぁ……、誰しも悩みを持っているじゃない? 悩みであったり、不満であったり……」

 サーシャは悦に入ったような表情を浮かべる。

 そこで、アキラがぴくりと動くのがエリーには見えた。


「それに簡単に“囁きかける”だけで……、どんどん育つ。私が思った通りの方向に思考を進めさせられる」


 エリーははたと気づく。

 この村人たちもそうだったのだろうが、自分もそうだったのだろうか。


 サクに対する小さな不満を自分が持ったのは確かだ。

 だがそれは、憤りを覚えるほどではない。

 それなのに、自分は機嫌が悪かった。


「悩み、不安、不満。それをいじって、相手を奴隷のように動かす―――」


 そして、サクを“決闘”に誘った。

 もしかしたら、一人でいるときほどそれを育てやすいのかもしれない。

 エリーも自己の行動を振り返る。

 一人でいたときは、黒い思考が育ち続けていた。


 サクも、一人で宿屋に残ったから、狙われたのだろうか。


「―――“支配欲”。それこそ、最高の快感でしょう?」


 それが、サーシャの目的。

 ただ“支配欲”を満たすためだけに、この村総てに囁いていたというのだろうか。


「そんな、ことで、」

「でも、あなたは解けるの早かったわね……。ほんとはじっくりいきたかったけど……」


 サーシャの視線がサクを一瞥し、アキラを捉える。


「あなたは、排除したかった」

「……、“そうだったのか”」


 エリーの耳に、そんな言葉が届いた。

 僅かに途切れて、慎重に選んだようなアキラの言葉。

 今、自分が“魔族”との邂逅にそこまでの驚愕を覚えていないのも、それ以上にこの男が“異質”に見えるからかもしれない。


 この、“ヒダマリ=アキラ”が―――


「サク、もう会話するな。今聞いたろ?」


 アキラは、“制約”が外れたことを感じた。

 サーシャが語った己の欲。

 これで、“自分は知っていることにできる”。


「全部、こいつの仕業だ。……話は終わりか?」


 闇の中浮かぶ、銀の“魔族”。

 それに挑発的な言葉を投げる。


 そしてそれと同時に、アキラは頭の中で小さく呟いた。


「……、」


 “流石にやりすぎだった”。


 サーシャの視線もさることながら、エリーとサクの自分をいぶかしむ目線も痛い。


 自分は、“あたかも総てを知っているように”ここに直通してしまった。

 相手がサクで、猶予はなかったのは事実だ。

 だがもう少し、やり方はなかったものか。


 そして勢いに任せて口走ってしまった、“サーシャの演説”の前の、確信していたような自分の言葉。


 しかしそれはもう、仕方がない。


「話は終わってないわ。日輪属性だからって、」

「……俺は、勇者だ……!!」


 アキラはサーシャの疑問に、声を張って答えた。

 サクの身体が動いたのを感じる。

 そういえば、彼女に“そう”と名乗ってはいなかった。


「“勘”が当たったんだよ。“勇者様”ってのは、何でもあり―――」


 結局のところ、自分に上手い“言い訳”は思いつかない。

 下手なことを言ってしまえば、感づかれるかもしれないのだ。


 “すでに出遭っている”、と。


 だが、“その不自然を自然に変えられる言葉”もまた存在するのだ。


「―――“ご都合主義”だ……!!」


 アキラは剣の切っ先をサーシャに向けて宣言する。


 ここまでこじつけられれば、あとは戦闘。

 アキラとて、サーシャに“個人的な敵意”はある。


 夜空に浮かぶ、不気味なほど巨大な満月。

 その下、アキラは確かに物語に一歩、足をねじ込めた。


 そして“刻”は動き出す。


「意味不明―――」

「―――!!」


 サーシャの長い指が、アキラに向いた。

 同時に背筋を撫でる悪寒。


 これは、


「―――ディアロード」

「っ―――、」

「なっ!?」


 アキラは隣のサクに突撃するようにその場から離脱した。

 エリーも遅れて察したのか反対方向に身をかわす。


 その直後、エリーとサクの中央―――アキラのいた位置に、蛍光灯のような銀の棒が突き刺さった。


「今のも……?」

「二人とも、戦闘だ!!」


 サーシャの声をかき消すように、アキラは叫んだ。


 “二週目”も見たこの攻撃。

 サーシャの、場所を問わずぎらつく銀色の棒を出現させる―――“魔法”。


「―――!?」


 カッ、と銀の棒が爆ぜた。

 闇はぎらつく銀で一瞬かき消される。

 やはり、爆発する仕組み。


―――それが、完全なる戦闘の合図だった。


「げっ、月輪属性……!?」

「っ、」


 シルバーカラーの魔力は、“月輪属性”固有のもの。

 “不可能を可能にする”―――“魔法”を操る希少属性だ。


 “知らない”アキラは、しかし、説明を求めなかった。

 今は戦闘。

 かまととぶっている場合ではない。


「っ、やるぞ!!」

「わっ、分かっている!!」


 アキラが突撃したサクから、叫び声の応答が返ってきた。

 エリーが頷くのも見える。

 アキラも剣を構え直した。


 三人が向くのは、元凶の“魔族”―――サーシャ=クロライン。


 “決闘”など、中断だ。


 相手は“魔族”という“異常事態”。

 だが、敵意を向けてきている以上、戦うしかない―――


「あとで説明してもらうからな……!!」

 サクはアキラにそう残すと、刀を鞘に収めたままサーシャに駆け寄っていた。


 先ほどのアキラの戯言では、やはり納得はしてくれなかったようだ。


「―――、」

 サクがサーシャに接近していく。

 その速度たるや、まさに神速。


 一瞬で、サーシャとの間合いを詰めた。


「―――、」

「―――ディアロード」

「―――!?」


 サクの一刀と、サーシャの詠唱。

 イエローとシルバーの魔力が同時に爆ぜた場所は、サーシャの“爪”だった。


 サーシャは両手の爪、計十本に腕ほどもある長さの銀棒を装備し、サクの攻撃を正面から受け止める。

 それも、片手で。

 残った五本の“爪”を振り上げ、サクに振り下ろす―――


「っ、」

 瞬時に離脱したサクに、“爪”が僅かにかすめる。


 サーシャはその場から動かず、再び小さく呟いた。


「ディアロード」

「―――!?」


 サクの退路に、格子状の銀の棒が出現した。

 自身の速力ゆえに、サクはそれをかわせない―――


「っ、ノヴァッ!!」


 サクが銀の格子に触れる直前、スカーレットの光が爆ぜた。

 いつの間にか二人に接近していたエリーの拳は、その格子を横なぎに捉える。


「っ、」

 一瞬爆風に押されはしたものの、サクは即座に立ちまわり、今度こそ離脱する。

 エリーもサーシャに不用意に近づくことを諦め、同時に離脱。

 詠唱を附して殴りつけたにもかかわらず、エリーのナックルガードはたった一発で、銀棒の爆発に僅かに歪んでいる。


―――その間アキラは、元いた位置から動かなかった。


「……その“勇者様”は戦わないの?」


 サーシャは“爪”を出したまま、それを妖艶に舐める。

 その視線は、今退けた二人ではなく、やはりアキラに向いていた。


「……、」


 痛いところを突かれた。

 アキラは形だけでも構えた剣を、握り直す。

 この動作は、何度もしている。


 だが、目の前に戻ってきた二人が呼吸を整えている中、アキラはやはり、動けなかった。


「……さ、先に従者が戦うもんだろ……?」

「……、」

「は……?」


 アキラが苦し紛れに出した答え。

 それに対して、ちらりと振り返ったエリーとサクの瞳に呆れと侮蔑が入り混じった色が浮かんでいたのは、アキラの気のせいではないだろう。


 こんなときに何をほざいているのか、この男は。


 そんな声が聞こえた気がする。


 だが、アキラとて事情があるのだ。

 戦闘に参加したらただの足手まとい。


 “一週目”もそうだった。

 自分はこの世界に来て、まだ一日。

 それなのに、“魔族”と戦えというのは無理難題。


 そして今、感覚の“ずれ”があるこの“三週目”は、ある意味それより酷いのだ。


「……、あんた、何か知ってるの?」

 エリーが視線をサーシャに向けたまま、小さく呟いた。


「隠し事、あるんでしょ?」

「……、」


 流石にエリーも不信感を募らせているようだ。

 やはり、気づかれた。

 だがアキラはそれに答えられない。


「この状況、なんとかする方法知ってるなら教えて」

「……そんなにやばいのか?」


 一応、“事態が把握できていない人間”が発する言葉をアキラは返した。


 答えなど分かり切っている。


 サクの鋭い一刀を防いだ、サーシャの“爪”。

 他の銀棒と違い、爆ぜる仕組みではないようだが、それでも硬度は刀のそれと同様以上。

 魔力で戦う魔術師タイプにも見える彼女は、接近戦もこなせるようだ。


 そしてその上で、出現場所を問わない“魔法”。

 不用意に近づけば、あの格子状の銀棒の餌食だ。


「まずいぞ、これは」

 今度はサクから、声が漏れた。

 それは、危機感一色に染まっている。


「“魔族”と聞いてもイメージが湧かなかったが……、ケタが違う」


 先ほど、銀の格子に飛び込みかけたゆえの言葉だろう。

 サクはその身のこなしで今まで敵を退けてきた。

 だが、あの“魔法”は、“追う”タイプではなく、“出る”タイプなのだ。


 それでは先のように避け切れる保証はない。


「アキラ。戦えないならそこにいろ。だが、“戦闘には参加してもらう”。何をすべきか」

「……、」

「教えてくれ」


 サクの強い口調に、アキラは息を止める。

 ここで自分は、“彼女たちに知らせなければならない”。


「お願い。あなたが知っていること、教えて」

「……、」

 エリーからも同じ要求が来る。


 “魔族”に攻めいって、ほぼ無傷で帰って来られたのは僥倖だ。

 次は、ない。

 もしこの期を逃せば、取り返しのつかないことになる。


 こうなったら、


「……?」


 違う。

 まただ、この感じ。


 アキラは顔を振って意識を保った。


 今、サーシャは黙している―――


「てめぇ!! またっ、」

「ふふ……、教えてあげればいいのに」


 サーシャの言葉で、エリーとサクがはっとして“振り返った”。

 いつしかアキラに身体ごと向けていた二人。


 敵の攻略法を聞いていたのに、その敵に背を向けるなどありえないというのに。


「駄目だ!! ぼうっとしてると操られるぞ!!」


 二人が自分に疑惑を抱いているのは確かだろう。

 だが、総てサーシャの仕業として、アキラは叫んだ。


 サーシャの耳は、ここでの会話など十分に捉えられる。

 アキラから情報を聞き出すためだけに、背を向けていたエリーとサクを眺めていただけだったのだろう。


 “分かっていても誘導されてしまう”。


 サーシャ曰く、“よく分からない日輪属性”のアキラですらそうなのだ。

 先ほど、離れて様子を覗っている村人たちの前で“操っている”と宣言したのも、この自信があるからだったのだろうか。


「……そうだな。終わったあとに聞かせてもらうと言っていたな、私は」


 サクはサーシャに今まで以上の殺気を向け、再び居合いに構える。

 実際、サクはそこまでの危機感を覚えていなかったのかもしれない。


 先ほどの格子への衝突は、不意をつかれただけだ。

 サーシャが攻撃を“出す”前に、その場から離脱すればいい。

 インプットさえすれば、十分に戦えるはずだ。

 それだけ、戦闘における“速力”とは大きい。


「攻めるぞ……!!」

「ええ!!」


 サクが駆け出し、エリーもサーシャを挟み込むように駆ける。


 作戦会議のような“詰問”も、同時に終わった。

 やはり、サーシャは危険だ。


「―――、」

 サクがサーシャに切りかかり、離脱。

 その退路にサーシャが銀の格子を出現させようとしたところで、エリーが追撃をしかけていく。

 そしてそれを繰り返す。

 二人の攻撃はサーシャの“爪”に塞がれこそはすれ、先ほどのように危機には瀕しない。


 こうした光景を、アキラは“二週目”でも見た。

 相手は違うが、格上の存在。

 その敵を、エリーとサクは同じように攻めていた。


 そして、アキラの位置―――“戦場にあって戦場でない場所”も、変わらない。


「……、」


 いや、駄目だ。

 いくら“一週目”に準拠しようとしていても、いくら自分が弱くても、もうこの光景を流すことができない。

 ヒダマリ=アキラは、それだけの旅をし、もう“そういう人間”になっている。


 身体はまともに戦えない。

 だから、最も苦手でも、頭を使う。

 戦闘中くらい、“三週目”の恩恵を授からなくては。


 何せ今は“ハードモード”。

 先ほど二人が返ってきたとき、聞き耳を立てていたサーシャに勘づかれぬように“言えなかった情報”がある。


 “一週目”は、ただの“勘”として“攻略法”を伝えた。

 サーシャもわざわざ、アキラの戯言には耳を傾けていなかったのだろう。


 この“三週目”は、確かな自信があるのに“攻略法”を伝えられなかった。


 だから、あとは。


 “彼女に賭けるしかない”。


「……?」

 “その期”を逃さないように、目の前の戦闘を刮目して待っていたアキラは、違和感を覚えた。


 “輪”が広がっている。

 周囲を走り回って戦うエリーとサクが、徐々にサーシャから離れ始めていた。


 二人の脳裏にあるのは、サーシャの“爪”への警戒。

 目に見えるそれなど、“途端に出現する銀の格子”よりは遥かに安全だというのに―――


「っ、離れすぎだ!! 操られてんぞ!!」

「ちっ、いい加減うるさい!!」

「―――!?」


 声を張り上げたアキラに、サーシャの視線が向いた。


 込められているのは、殺気。


 来る。

 アキラは瞬時に察した。


 最初、アキラの位置に“出現させた”牽制とは違う、“攻撃”が。


「っ、」

 アキラは強く地面を蹴る。

 その離脱点に深々と突き刺さる銀の棒。


 それは瞬時に爆ぜ、爆風がアキラの身体を打った。


「ぐわっ!?」


 勢いそのままに地面に転げたアキラに、二撃目は来なかった。

 アキラの叫びに反応した二人が、再びサーシャに詰め寄ったからだ。


 サーシャも“魔法”を使う余裕があるほどまで二人を下がらせたのだから、アキラの指示は煩わしかったろう。

 だが、サーシャにとっては、同じことを繰り返すだけで問題はない。


 アキラも、そう何度もサーシャの“魔法”を回避する自信はなかった。


 二人に“囁いて”距離を取らせ、その隙でアキラを攻撃。

 そして、唯一サーシャの“囁き”に気づけるアキラを殺しさえすれば、二人はサーシャの格子の餌食だ。


 だから、その前に、“決めたい”。


 “一週目”は、油断からできていたサーシャの隙。

 それを縫って、自分たちは攻略した。


 だが今―――“三週目”、サーシャは警戒心をむき出しにしている。


 アキラは頭を総動員して、活路を探し続けた。


 なにか、隙を。


 アキラの目は、イエローの一閃でサーシャを攻める少女を捉えた。


 そして、あとは彼女に―――“サクの反射神経に賭けるしかない”。


「―――、」


 ぎらつく銀が目につく戦場。


 サクは、何度も頭で言葉を呟いていた。


 攻めろ、攻めろ、と。


 だが、それはいずれ、


 待て、待て、


 に代わり、


 避けろ、避けろ、


 に代わっていく。


 戦闘において、無理な攻めは危険すぎる。

 ここまで攻めたら、一旦引くのがセオリー。


 そう判断したサクに、しかしアキラの叫びが届く。


 そうだ。

 サーシャ相手に、距離を取ることは意味がない。

 離れては、自分の攻撃は届かず、相手の“魔法”のみが襲いくる。


 本当に、“気づかない”。

 自分が選んで進んだはずの思考が、総て相手に都合のいいものになる。


 共にサーシャを挟むように戦っているエリーも、同じように離脱と接近を繰り返す。

 接近は、やはりアキラの叫び声によって。


 “ヒダマリ=アキラ”。

 やはり、奇妙な男だ。

 彼にはこの“囁き声”が、あまり通用しないらしい。


 だが、その日輪属性ということを差し引いても、あの男は気になる。


 楽天的なのか、慎重なのか。

 軽率なのか、思慮深いのか。


 妙に話しやすく、エリーが戻ってくるまで宿屋で話し込んでいたというのに、サクはアキラを掴めていなかった。


 そして、先ほどの“洞察力”。

 彼は、自分の様子を見て、一目散にここに駆けてきた。

 そしてこの妙な村の異変を、何度も強調していた。


『“異世界”では、訪れた村にはイベントが起こるはずだ』


 聞いていないはずなのに、サクはアキラがそんなことを言っていた気がする。

 何故だろう。

 それは分からない。


 そして今、彼は何度も叫んでいる。

 そのたびに、サーシャからの“魔法”を転げながら回避することになっているのに。


―――その剣は、飾りか?


 サクは何故か、アキラの構えた剣にそんなもどかしさを覚えた。

 その剣を使って、サーシャを共に攻めてもらいたい。


―――お前はそれができるだろう?


 身体能力の低さは、先ほど自分から逃げるときに見た。

 アキラでは、接近した途端、サーシャの“爪”に切り裂かれてしまうだろう。


 だが、それでも。

 そうすれば、彼が動けば、何かが変わる。


 どうも、そんな気がするのだ―――


「っ―――、」

「!?」


 そんなことを思ったからだろうか。

 サクがサーシャの“爪”から離脱し、“刀を鞘に収めた瞬間”、アキラが駆け出した。


 剣を構えたまま、サーシャに突撃していく。


 一体、何を、


「っ、」

 サクに代わって詰め寄ったエリーを弾き返し、サーシャはアキラに向き合った。

 サーシャにしてみれば、動きの鈍いアキラには、離れた位置に“魔法”を出現するより“爪”で切り裂いた方が効率的。

 最も潰したい相手が接近してくれるのは、願ったりだろう。


「―――、」

 サクは着地と同時に駆け出した。

 通常想定していた位置より離れた場所。

 “刀を鞘に収める余裕がある位置”。

 やはり、今も離脱していた。


 サクはサーシャを目指し、速度を上げる。


 アキラは、まだサーシャに十分接近していないのに、剣を振りかざしていた。


 なっていない。

 アキラが何を考えているかは知らないが、それは自殺行為だ。


 剣で攻めて欲しいとは思ったが、実際にやられては非常にまずい。

 アキラがいなくては、そもそもサーシャが攻略できないのだ。


 頭をかすめる、『離脱』の“囁き声”。

 どうせサーシャの仕業だ。


 攻めろ、攻めろ、と叫び、“囁き”をかき消す。


「ふふ……、」


 サーシャの爪が、ぎらつく銀の光を増した。

 瞬時に起爆式に切り替えたのだろうか。

 アキラが触れた途端、それは爆発する。

 恐らく、サーシャには自分の爆発は通用しない。


 サクは瞬時に察し、ひたすらに駆ける。


 今すぐ、あの場に行かなければならない―――


「うおらっ!!」

「―――!?」


 アキラがとった行動は、誰しも予想していなかった。

 サーシャから離れた位置、詰め寄ってもいない状況。

 アキラは振りかざした剣をその勢いのままサーシャに投げつけた。


「っ―――、」


 確かに、攻撃方法としては強大だ。

 飛んでくる生身の剣は、危険極まりない。


 だが所詮、一発芸。

 相手が回避してしまえばそれまでの上、自身の攻撃方法を失ってしまう。


「ちっ、」

「……!?」


 だが、余裕があったようにも見えたサーシャは、“回避しなかった”。

 “爪”を盾のように剣に突き出し、身を守る。


 サーシャに駆け寄り続けるサクには、その光景が何かと重なって見えた。


「―――、」


 サーシャが起爆用に変えた“爪”が、彼女の周囲に爆風を起こす。

 闇をかき消す、ぎらつくような銀。

 それに焼かれた剣が転がっていく。


「―――、」


 サクは居合いに構えたまま、サーシャだけを捉えていた。

 銀に光る土煙。

 それに包まれる、影。


 手段はどうあれ、サーシャの視界は最悪。

 “隙ができていた”。


 ここで、決める。

 振るうは、愛刀の一閃。


「―――、」


 狙いは、“その首”―――


「そう―――」

「―――!?」


 爆風の向こう、小さな声が聞こえた。

 同時に背筋を撫でる悪寒。


 いや、違う。

 サーシャはこちらが見えていない。


 自分の狙いは、首でいいはずだ―――


「“足元だ”!!」


 アキラの叫びが再び聞こえた。

 途端、すっと頭が軽くなる。


 そうだ。

 視界が悪いのはこちらも同じ。

 決まれば必殺とはいえ、狙いにくい首を狙うなど、リスクが大きいではないか。


 だが、足元。

 アキラは確かにそう言った。


 そこを狙って、そもそも何になるというのか。


「―――、」


 “いや、信じよう”。


 サクは狙いを下方に向ける。

 そして、見えた。


 サーシャの影の足元。

 アキラが破壊した小屋から転げていった、“銀の小石”。


―――“それだ”。


「―――、」


 外からは、サクがその場を通過しただけに見えただろう。

 だが、いつの間にか抜き放たれているサクの愛刀と、真っ二つに砕けた“銀の小石”が、“攻撃”を証明する。


 爆風が晴れた、“銀の小石”の上。

 首を“爪”でガードしたサーシャが、美貌を歪め、アキラを憤怒の表情で睨みつけていた。


「……帰れ。お前は」

「っ、」


 剣を投げたときに転びでもしたのだろう。

 座り込んでいたアキラがサーシャに一言浴びせる。


 まるでそれが魔法だったかのように。


 サーシャの姿はウッドスクライナから消え失せた。


「あ……、あれ、“リロックストーン”……だっけ? リロックストーンだったの……!?」


 座り込んだアキラの隣に立っていたエリーが、銀の小石をまじまじと眺めて呟いた。


 “リロックストーン”。

 サクもどこかで聞いたことがある。

 設置した場所へ移動できるマジックアイテム。

 だがその制約は、その場からほとんど動けないことと、自身の魔力の大幅な削減。


 サーシャはあれで、大幅に力を失っていたというのだろうか。


 だがそれでも、


「勝ったぁっ!!」


 アキラが拳を突き出し、夜空に叫んだ。

 そのリロックストーンを砕いた以上、戦闘は終わり。

 “魔族”―――サーシャ=クロラインを退けたのだ。


 様子を見ていた村人たちも、恐る恐る身体を影から出してくる。


 そんな中、サクは、


「剣を、投げるな」


 小さくため息を吐きながら、アキラに呟いた。


―――***―――


 その夜は、大変な騒動だった。


 “魔族”を退けたアキラたちはウッドスクライナの英雄として崇められ、

 村人たちはこぞって“勇者様”に献上品を差し出し、

 急遽開かれた宴は夜通し続き、


 ……そして夜が明けた!


―――というわけにはいかなかったのだが、とりあえず、リビリスアークの村人たちが押し寄せてきたのが始まりだった。


 いつまで経っても戻って来ないアキラとエリーの探索隊が、マーチュの巣窟に到着したのと、ウッドスクライナで爆音が響いたのはほぼ同時。

 流石に夜、魔物の巣窟に入ることに抵抗のあった探索隊は、応援を頼む意味でもまずウッドスクライナに向かうことにしたそうだ。


 アキラはそこまで聞いて、ほっと息を吐いたのを覚えている。

 ある意味サーシャが爆発する“魔法”を使ってくれたのは助かった。

 その音がなければ、山からそれより遥かに巨大な地鳴りが響いていたことだろう。


 そして、その探索隊の中にいた孤児院のエルラシアやセレンは、エリーの姿を見つけると、絞め殺さんばかりの勢いで詰め寄っていった。

 アキラとサクは、その光景を離れて眺めていたのだが、エリーの意識が遠くなった頃にようやく近づき、この村に来ることになった経緯を説明しながら謝罪。

 疲労の溜まった三人は一晩ウッドスクライナに泊まることにしたが、今度こそ安心してリビリスアークの面々は帰っていった。


 戦闘後のことで最も懸念していた宿代は、流石に免除。

 だが、サーシャの“支配”の影響は色濃く、村を救った英雄としての視線を結局アキラたちは浴びなかった。

 時が解決する問題だと、アキラは信じたい。


 むしろ懸念は、退けたサーシャ=クロライン。

 ウッドスクライナのように、あの“支配欲”を追求する“魔族”が支配している町や村があるのではないだろうか。

 リロックストーンを、設置して。

 そして、最後にアキラに向けた表情。

 次に出遭ったときには、サーシャはアキラを本気で狙ってくるだろう。


 ともあれ、アキラは、刻めた。


 異世界来訪序盤に強敵と当たり、完全な決着がつかないという、お約束の“刻”を。


 そして、その、次の日―――


「昼ご飯、いる?」

「いらない」

「食べなさいって」


 アキラは痛む頭を、ベッドの上で横に振った。


 喉が渇く。

 耳鳴りが酷い。


 アキラはものの見事に風邪をひいていた。


 原因は、当然昨夜の戦闘。

 治りきっていない状態で走り回り、日輪属性の力が抑え切れないほどまで病状が悪化したらしい。


 ウッドスクライナの宿屋で目を覚ましたアキラは翌朝ぴくりとも動けず、わざわざ担架まで借りてリビリスアークの孤児院に戻ってきていた。

 ついでに、筋肉痛も酷い。

 異世界来訪の翌日は、これで三回連続ベッドの上だ。


「はあ……、少しくらいは食べなさいよね」

「…………ああ」


 料理を運んできたエリーは、ベッドわきの机に置くと、そのまま椅子に座り込む。

 そして、ぼうっと窓の外を眺め出した。

 換気のための僅かな隙間から、爽やかな風が流れ、レースのカーテンを揺らす。


 どうやら、アキラに料理を食べさせてはくれないようだ。


 僅かな意地から、アキラは上半身だけ起こす。

 そして、ベッドの頭に身体を預け、エリーと同じように外を眺めた。


 青い。

 それだけに、もどかしかった。


「……そういえばさ、魔術習いたいんだっけ?」

「あ、ああ、それは頼むよ」

「ま、今日は無理だけどね」


 昨日共に戦闘をしたからだろうか。

 エリーとも随分打ち解けられた気がした。


 アキラはふっと笑い、机に伏せてあるカップを取る。

 水差しからは、エリーが注いでくれた。


「でも、打倒魔王、かぁ……」

「……? どうしたよ、しみじみ言って」

「いやね、昨日の騒ぎで、あたしもずっと現実感出てきてさ、」


 エリーはさりげなく、拳をさすっていた。

 よくよく見れば、僅かに色が違う。


「お前治療しとけよ……、魔物殴り殺せなくなるだろ」

「言葉を選びなさい」


 エリーが僅かに視線を強め、アキラは笑う。

 こんな光景は、やっぱり“ここ”にもあるのだ。

 それが嬉しくて、アキラは笑みを止めなかった。


「……で、あんた、話すくらいはできそうね」

「……!」

 話の雲行きが、途端怪しくなった。


「“リロックストーン”のこと、とか。なんで知ってたの?」

「いや、あれは、ほら、あの小石から出てきたら、そりゃあ『壊すか』って気になるだろ?」


 それは、嘘ではない。

 “一週目”、アキラはまさにその理由で、その小石を狙うように言ったのだ。

 もっともそのときは、完全な人任せだったが。


「まあいいわ。そんな枝派の部分。本題よ本題」

「お前、だからそれは―――」


 アキラが便利な言葉を使おうとしたところで、部屋のドアが叩かれた。


「入ってもいいか?」

「あ、ああ、」


 ドアが開かれ、現れた声の主は、やはりサクだった。

 動けなかったアキラを運ぶ手伝いもあり、リビリスアークに共に来た昨晩の“決め役”。


「エリーさんもいたのか。先ほどエルラシアさんに昼食をご馳走になった。ありがとう」

「え、ええ」


 サクははきはきとエリーに言葉を伝え、次に、アキラに曇った表情を向けた。


「……、」


 アキラは身構える。

 この時点の“刻”を、アキラは思い出していた。

 サクが何を言うかは知っている。


 だが、今は“三週目”。

 昨晩、“ハードモード”になるなど、予定外のことが起こっている。


 おそらく“どちらかだろう”。

 問題は、“一週目”と“二週目”どちらに準ずるか、だ。


「アキラ、話せるか?」

「え、あ、ああ、」


 どうやら、“一週目”のようだ。


「昨日のことだが……、謝罪する。“決闘”などを強制的に始めたりして……」

「いや、いいだろ。お前が決めたんだし」

「……ああ。だが、始めた以上、何かしら、その、」


 サクの中では、未だすっきりとはしていないのだろう。

 彼女は、清算することを願っている。

 だがそれをするには、“決闘”のルールに準じなければならないのだ。


「“保留”……、でいいだろ?」

「……?」


 アキラは“一週目”に準じた言葉を吐き出す。

 あのときは、サクの“豹変”が未だ脳裏に焼きつき、下手なことを言おうものなら今すぐにでも切りかかってくると感じたためのものだった。


「そう……、だな、そう。“保留”にしよう」

「ああ」


 未だ解けが浅い記憶は、サクの口調に違和感を覚える。

 だが、それでいいではないか。

 “二週目”で旅した中、実のところアキラは、サクの立場を不憫に思ったこともあったのだから。


 彼女にしてみれば珍しい部類に入る“保留”も、“一週目”刻んだ“刻”通りだ。


「だが……、“勇者様”、なのだろう?」

「……ああ。一緒に行こうぜ」

「……!」


 アキラは急いて、結論を口に出した。

 “保留”にした以上、別れることは、うやむやにするのと同義。

 それに、戦力としても、想いとしても、サクは必要な存在だ。


「……分かった。どの道行く当てのない旅だった。“魔王討伐”を目指してみよう」


 サクの口から、“魔王討伐”が軽く出てきた。

 昨晩、リロックストーン越しとはいえ、“魔族”を退けたのは自信になっているらしい。


「じゃあ、よろしく」

「ああ、よろしく。エリーさんも、な」

「ええ」


 その光景に、アキラは心の底から安堵する。

 昨日この場で沈んでいたときとは、雲泥の差だ。


 爽やかな空気の部屋。

 自分の想いが繋がっていなくても、繋がっていても、世界はうまく回っていく。


「そうだ、アキラ、一つ聞いておきたかった」

「?」

「私が操られているとすぐに分かっていただろう? 何故分かった?」

「……、ああ、」


 そういえば、サクは『あとで聞かせてもらう』と言っていた。

 アキラは“言い訳”を、考えてある。


「お前はそんなことする奴じゃないって、信じてた」


 いつか、びしっと言ってみたかったセリフだ。

 だが、ただの“言い訳”ではなく、真実を含ませての。

 サクという人間を、アキラは一応、知っているつもりだった。


「……はは、お前は何を言ってるんだ、まったく、」


 震えながら言葉を紡ぎ、僅かにうつむいてサクは笑っていた。

 サクが声を出して笑ったのを、アキラは“初めて”見た気がする。


「あ~、囁かれてる囁かれてる……」

 隣では、エリーが目頭を指で押さえ、怪しく何かを呟き始めていた。

 アキラは眉を寄せて、視線を外す。

 今は彼女に触れるべきではない。


 ともかく、アキラはここまでの“刻”を刻み終えた。

 この三人は、集まったのだ。


 “魔族”―――サーシャ=クロラインも退けた。

 “二週目”に救えなかったウッドスクライナも救うことができた。

 総てが、いい方向に向かっている気がする。


 例えそれが“違ったとしても”、アキラは今、喜びを感じている。

 やはり、この世界は、キラキラと輝いているのだ。

 だから、変えるべきは、ただ一点でいい。

 昨日乾いた心で浮かべた目標が、今は明確に頭に浮かんでいるのだ。


 自分は旅路を始めよう。


―――決して最後が、濁らぬように。


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