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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
中央の大陸『ヨーテンガース』 ドラクラス編

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第70話『光の創め13---雨降って---』

“――――――”


 その女の子のお家はとても裕福でした。


 大きな家に大きな庭があり、召使いもたくさんいます。

 だけど、大好きなお父さんはお仕事で忙しく家にほとんど帰ってきません。

 女の子はいつもお母さんと一緒に、お父さんがどうすれば家で過ごしてくれるのか相談していました。


 そんなある日、お母さんが、街で小さな金の像を買ってきました。

 女の子のお気に入りのぬいぐるみよりもずっと綺麗で輝いています。


 その金の像にお祈りすると、次の日から、お父さんが家に帰ってくるようになりました。

 女の子とお母さんは大喜びです。

 あの像は、お願いが叶う像だったのです。


 しかし、またしばらく経つと、お父さんはまたお仕事で家に戻ってこなくなります。


 お母さんはまた別の像を買ってきました。

 お祈りすると、お父さんが返ってきます。


 そんなことが何度もあり、女の子は、だんだん怖くなってきます。

 お母さんは何度も喜んでいますが、家にどんどん不思議な像が増えていきます。

 女の子が像に触ると、お母さんはとても怒るようになりました。


 そしてある日、お父さんとお母さんが喧嘩していました。

 お父さんはきっと、お仕事の邪魔をされて困っていたのでしょう。


 女の子は、お母さんが買ってきた像ではなく、お部屋にしまったお気に入りのお人形にお祈りをしました。


 それからしばらくして、大きな家が火事に遭いました。

 女の子たちは何とか逃げ延びられましたが、お母さんが買ってきた像はすべて燃えてしまったのです。


 その女の子のお家は、とても貧しくなりました。

 使用人たちもいつの間にかいなくなっています。


 それでも、お父さんとお母さんと一緒に暮らせるようになり、とても幸せになりました。


―――■■■教 調査■録。

 調査員:■■■■■=■■■■■■

 ■■■■による■■■にて、■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■り、■■■■■■■■ため、■■■■■■■■す。


 (中略)


 時:■■■■■

 調査員の配偶者、■■■■=■■■■■■への接触を確認。

 ■■■時、金■■■■を騙し取■■■■あり。

 同日■■■■帰宅。■■■■■■■■■■■■■■■■■。


 (中略)


 時:■■■■■

 再度調査員の配偶者、■■■■=■■■■■■への接触を確認。

 ■■■時、再び金■■■■を騙し取った疑いあり。

 同日調査のため帰宅。購■した金の像に危険物の疑いは無■。


 (中略)


 時:■■■■■

 ■■■■=■■■■■■は優良顧客と認識されている可能性大。

 調査員の在宅期間接触が無い理由も判明。■■■教は、配偶者経由でこちらの素性を把握して■■模■。

 配偶者は■■■教の■■■■■を心酔している。

 総額■■■■■■の利用を確認。


 警護費が賄えない。娘が泣いていた。妻を止めなければ。


 (中略)


 時:■■■■■

 調査員自宅にて、火災発生。

 死者6名(住人2名を含む。他、■■■教構成員。)

 強盗目的での侵入および放火と思われる。

 犯行現場での内紛によるものと思われるも、出火の詳細な原因は不明。


 調査員自室の調査資料も全焼しているが、計画的な犯行と思われるため、流出した可能性は極めて高いことを記しておく。

 併せて、無断で調査資料を自宅に保管していたことに対する弁明は無いことをここに記す。


 もうどうでもいい。


 昔娘にねだられて買った玩具も燃えてしまっただろう。笑顔が天使のように見えたことを今でも覚えている。


 本日退職する。

 娘の墓に供える新しいぬいぐるみを買いに行かなければならない。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


 事態は深刻である。


 エリサス=アーティは目を瞑りながら呼吸を整えた。


 今回の依頼。

 ドラクラスの引っ越しのため、『名前のない荒野』にある魔門を破壊することになっている。

 『名前のない荒野』は魔王の牙城があるという“禁忌の地”に匹敵する危険地帯であり、同じく魔門も未だに、魔界とつながっているとされる未知の存在である。

 過去、魔門破壊を行い、それを完遂している自分たちですら、仮定に仮定を重ねた上の奇跡を要求されているような依頼だった。


 エリーは、この依頼の前提とされる、指定Aの参加者である。

 謙遜せずに言うなれば、自分の働きがこの依頼の成否に直結するだろう。

 その上、この依頼に共に参加する者は戦える者ばかりではなく、移動中のサポートを行ってくれる民間の者も数多い。

 彼らの命も預かっているようなものだ。


 ドラクラスからの移動だけでも日をまたぐ大移動だったが、いよいよ本日、自分たちは『名前のない荒野』へ侵入した。


 重圧やらで入れ切れていたは分からないが、気合を入れて侵入した初日、依頼について語ることは特に無い。


 というのも、“禁忌の地”もそうらしいが、エリアの外に出ようとする魔物がいれば周囲に支部を構えた魔導士隊が即座に対応することになっており、侵入する際も、進行している際も、肉眼で確認できる範囲は砂地で染まっている。

 大地が陥没したらしい小高い岩山と、時折、そんな砂地でも僅かな水源をもとに逞しく生きる草木が目に付く。

 砂漠のオアシスのような光景ではあったが、むしろ魔物が集まりやすい危険な場所らしく、極力接近しないようなルート取りがされているという。


 結局のところ、本日はただの移動でしかなかった。

 足場の悪さや照り付ける太陽に数名脱水症状で脱落しかけたが、参加者同士ツーマンセルのバディを組んで様子を窺っていたこともあり、大事には至らず、出来事と言えばその程度で、魔物との遭遇は避けられた。

 移動中も、小休憩中も、誰かの話し声が聞こえるほど穏やかで、魔導士隊の方々もそれを強く咎めなかった。

 油断は良くないが、平和なものである。


 エリサス=アーティが事態の深刻さを理解したのはそのときだった。


 ところで、現在ドラクラスには、この引っ越し騒ぎで数多くの旅の魔術師が滞在している。

 そしてその旅の魔術師の中には、逸話や実力が伴った、通称で呼ばれるほどの者たちもいた。

 しかし、数が多くても善人悪人の比率は変わらない。

 別称で呼ばれる旅の魔術師の中、危険人物とされる者たちがいた。

 『雪だるま』、そして、『破壊の魔術師』はその筆頭だ。

 噂では、依頼主だろうが味方だろうが討伐対象と共に見境なく皆殺しにし、目の前に障害があれば物だろうが魔物だろうが人だろうが塵ひとつ残さず破壊し尽くす異常者たちらしい。

 噂が噂を呼び、混ざり合い、人々の中で肥大化したであろうその存在だが、火のないところに煙は立たない。

 エリーもドラクラスでは依頼に忙殺されながら、隣人を一定程度警戒していた。


 それでも、依頼のことを考えても、知り合いが少ないというのはあまり望ましい状況ではない。

 そこで今日から、交流を広げるべく、魔導士隊の方々に心の中で謝りながら、共に移動する同じ参加者や民間の人々に積極的に話しかけてみた。


 ヨーテンガースの人々は民間でもしっかりしている。

 たとえ魔物が見えなくとも常に警戒心剥き出しで、エリーが近づくと背筋を正すか腰を落とす。

 休憩中、人が集まって笑い合っているところに向かってみると、綺麗に散って周囲の警戒へ小走りで向かっていった。

 先ほどの夕食、座った隣にいた者は、時間が惜しいとばかりに皿を傾けて食べかけていた料理を飲むように流し込み、コップを倒したときは、たまたま胃のよくないところに入ってしまったのか顔面蒼白になっていた。

 彼らの依頼への真摯な対応に感動し、エリーはひとり泣いた。


 どうやら。

 巨獣だろうが未知の魔門だろうが味方だろうが躊躇なく殴り飛ばす凶悪な『破壊の魔術師』が、エリサス=アーティであるという、よからぬ噂が立っているらしい。

 それを知って、随分と景色が違って見えた。


 何とかして払拭しようと頼れるホンジョウ=イオリに助けを求めてみようとしがたが、妹のマリサス=アーティと共に魔導士隊の仕事を手伝っているとかで、苦笑いをして去ってしまった。

 真面目なミツルギ=サクラは魔物が出ようが出まいが依頼に集中していたようで見当たらず、元凶と思われるアルティア=ウィン=クーデフォンの口を塞ぐ方を優先しようとすると、移動中も元気よく色んな人のところを走り回り、熱中症になりかけて、彼女とバディを組んでいるキュール=マグウェルより先に動いたエレナ=ファンツェルンに縛り上げられていた。

 ここにきても知り合いの乏しさに足を引っ張られている。


 いよいよ日が落ち、気温がぐっと下がった夜になっても未だ、エリーに周囲から向けられる好奇と恐怖の色は変わっていない。


 状況は最悪だ。

 自分も依頼に集中しなければならないというのに、許容できない事態が発生しているのだと今になって気づくとは。


 本日はこの大岩の間に拠点を置くそうで、民間の人々が駆けずり回り、“入り口”でも見たように、急ピッチでいくつかのログハウスを組み立てている。

 依頼に参加した民間人は流石の手際で、あっという間に小規模な村が出来ていく光景は素直に感動したが、今日は大して疲れていないし手伝ってみようかと献身的な気持ちを前面に出したエリーの近くを通るときだけ、目を合わせないよう俯き、早足になる気がした。

 一方で、たとえ相手がどういう人間だろうが戦力になりさえすればいいと思う者もおり、頼りにするぜと言わんばかりの力強い視線を熟練の職人風の男たちに向けられる。

 いずれにせよ女の子への態度ではない。


 注目されるのは、最悪いい。

 このドラクラスに来てから指定が無くて気を揉んでいたのもあるが、頼りにされるのも許容しよう。自信を持つべき部分だ。

 だが、釈然としない。


 エリーは言い表せない感情を心の奥に燻らせながら、先に組み立て終わったらしい自分のログハウスに向かった。

 空きスペースに強引に立てられた小さなそれは、今日は2人用らしい。

 部屋割りを聞いたところ、自分の仲間たちとは残念ながら別室だった。

 というより、組んだ相手が同姓であれば寝食も自然と同じになる。


 見知らぬ人と共に過ごすのはこうした依頼でたまにあるが、自分の一挙手一投足に怯える相手と、自分にも相手にもよくないことだ。

 相手だって、夜な夜なしんしんと泣く人と一緒に寝たくは無いだろう。


 だが、この相手の場合は、どうなるか。


「……くひゅ……、くふぃ……」

「?」


 ノックをしようとしたら、薄い扉から空気が漏れるような妙な音が聞こえた。

 慎重に扉を叩くと、どうぞー、と能天気そうな声が返ってくる。


 恐る恐る扉を開くと、天井が低く、2,3人横になったらいっぱいになりそうな狭い小屋の中、カーペットのような布が引かれた中央に、艶のある白髪の女性が、大きく足を開いて座っていた。


 カタリナ=クーオン。

 エリーはこの依頼で会ったばかりだが、『武の剣帝』と呼ばれる有名な旅の魔術師らしい。


 彼女がこの依頼の、エリーのバディである。

 これから顔を突き合わせることが多くなりそうなのだが、本日は、挨拶もそこそこに、エリーから離れ、方々の人ににこやかに話しかけにいっていた。

 この一日で、人に避けられることに慣れ、それを自覚し、また貴重な水分が目から失われた覚えがある。


「……カタリナさん?」

「あはは、さんなんて。カタリンでいいよー」


 恐る恐る、出来るだけ優しい声で言うと、呑気な声が返ってくる。

 彼女から避けられているのではと訝しんでいたが、目の前のカタリナは、にへらと笑ってエリーの場所を開けるように身を動かした。

 どうやら警戒されているわけではないらしい。心労がひとつ減った。


「……エリにゃんだったっけ?」

「じゃあ、カタリナ、ね。……エリーでいいよー」


 開けてくれた場所に座りながら彼女の真似をして言ってみると、カタリナはにっこりと笑った。


「うんうん。分かったよー、エリにゃん。あ。エリにゃんもやる?」

「……それはなにを?」

「柔軟体操。きもちーよ」


 こういう手合いには割と何を主張しても意味がない、もしくはより一層悪い事態になることをティアがよく実演してくれている。

 愛称は諦め、扉を閉めると、カタカタと建物の壁が軋む音が響いた。

 外から見る分には立派だったが、急ごしらえとなると荒も出るだろう。


 ベッドでの寝起きが多かった最近、自分の野宿への抵抗が増しているような気がしたが、カタリナの方は気にもせずに、両足を開いたまま身体を倒した。


「えっ、きも……、身体柔らかいのね」

「そーう? そうかも」


 本人が気持ちいいと言っているのだ。思わず気持ち悪いと言いかけた口を閉じた。

 カタリナは足をほぼ180度に開き、その上で、胸が付くほどぺたんと身体を倒してみせていた。関節が存在しているのか疑わしくなる。


「それ、どうなってるのよ……。え。額も付けられる?」

「うん、大丈夫」


 大道芸を見ているような気分になり、余計なことを言うと、カタリナはさらに身体を倒していく。

 想像以上にあっさりと額が床のカーペットに付き、勢いだけで付けたわけではないと証明するかのようにそのまま静止してみせた。

 すると。


「くひっ……、ぃひひっ……」

「? 風、強くなってきた? ……ええと、カタリナ、それ大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。ここまで倒すとちょっと痛いかもねー」

「無理しなくていいわよ、ごめん、余計なこと」

「ううん、気にしない気にしない。これくらいやらないと気持ちよくならないし。……くひゅっ、くひっ、きひひっ……」

「きも……、ち、いいよね、体操」

「うんうん」


 過剰に身体を倒したことで空気が絞り出されでもしていたのだろうか。

 もし笑い声なら、散々周囲から距離を取られている立場でも、彼女から距離を置いた方がいいのではないかとエリーは感じる。


 いつでも距離を取れるように警戒していると、カタリナは、そのままゆっくりと身体を起こしてくる。

 運動して血行の良くなった赤い顔と正面から向かい合った。


 顔は整い、眉も細く、肌がきめ細かい。

 美麗、という表現は嵌るが、それ以上に、既視感のある品の良さが感じられた。

 上下に分かれたボディスーツでウェストの細さがよく分かり、ふと気づくと、開き切った足が思った以上に長い。身長はエリーとさほど変わらなかったはずなので、気づかなかったことにした。


 ただ、それよりも息を呑むのは、こちらに向けてくる邪気の無い瞳。

 深い琥珀色のその瞳は、ガラス玉のように透き通り、何も考えていないことが良く伝わってくる。

 自分の心を締め付けた他者の態度を思わずエリーも取っていたのだが、カタリナの方は曲がった捉え方をせずに、にへらと笑っていた。


「ごめんね邪魔して。ええと、もう寝る?」

「えー、眠い? エリにゃんとは夜にお話しできると思ってたのに」

「まだ眠くはないけど。もしかして今日は……?」

「あーそうだ、放っておいてごめんなさい。エリにゃんと一緒に寝ると思ってたし、お話なら夜にできるって思ってて」


 今日、避けられていると持っていた行動は、組んだ相手だからこそのものだったらしい。

 思わずじんと胸が熱くなる。

 散々周囲から望まぬ注目を浴びている中、初めて分け隔てない目で見られているような気がした。


「い、一応言っておくけど、移動中もお互いの体調とか見とかないと駄目なんだからね?」

「? 様子は見てたよ?」


 緩まりかけた口元を引き締め、今回の依頼における望ましい行動を説いたが、カタリナは首を傾げて反論してきた。

 エリーが時折見失っていたほど動き回っていたカタリナが、こちらの様子を見ていたとは思えない。

 だが、エリーはこれ以上言葉を続けなかった。

 歳は近そうだが、足を開き、あどけない顔でこちらを見てくるカタリナを前にしていると、どうにも子供を相手にするときの気分になってしまう。


 床につけていた額を赤くし、口を開けてにへらと笑うカタリナを見て、エリーは初めて、ホンジョウ=イオリを疑った。

 カタリナ=クーオンが『武の剣帝』であると言ったのはイオリだ。

 顔立ちは整っているはずなのに、大変失礼だが、間抜け面という表現が頭に思い浮かんでしまった。


 彼女は『武の剣帝』と呼ばれているらしいが、自分と同じように、根も葉もないデマの可能性もある。


「そうそう。エリにゃんって、ティアにゃんとお友達なんだよね?」

「え? ま、まあ、そう、だけど」

「やっぱりそうなんだ。いいよね。ティアにゃん元気だもんねー」

「それについては同意するしかないけど……、ええと?」

「私元気な人見るの好きなんだよー。楽しそうで羨ましい。あ、そういえば他にもお友達いたよねー。仲のいい人たち見るのも好きなんだー」

「……あれ?」


 緩く笑うカタリナをじっと見ていると、彼女は首を傾げた。目は透き通っている。

 本当に何も分かっていない上に何も考えていない人間がやる所作だ。これもティアに教えてもらった。


「カタリナ。もしかして、あたしたちのこと知らなかったりする?」

「? ……お友達になったよね?」

「そういう話をしてなくてね?」


 自分たちのことだから言うのも照れ臭いのだが、にへらと笑うカタリナを見ると色々と馬鹿らしくなってきた。


「ごめん、エリにゃんってもしかして有名な人? 私、あんまり知らなくてさ」

「ううん、ちょっと聞いてみただけ。ティアが何か変なこと言ってなかったりしてないかなって」

「あはは、変なことはいつも言ってるよ。楽しいよねー」

「……」


 面と向かっていると邪気が無いことはよく分かるが、思ったことをそのまま言っているせいか、辛辣な言葉が出てきた。しかし同意は出来る。


「そうそう聞いた? ティアにゃん最近、家買ったとか言ってたよ。遊びに誘ってくれたんだー。あ、エリにゃんもどう?」

「……そ、そう、良かったわね。機会があれば」


 昨今の自分のことを棚に上げると、彼女は世事に明るくないらしい。

 そういえば、スライク=キース=ガイロードのこともほとんど把握していない様子だった。

 自分たちが“七曜の魔術師”と呼ばれていることからして知らないようだ。


 彼女から見て、自分たちはただ一緒にいる集団にしか見えていないのだろう。

 やたらと自分たちの内情を抑えているドラクラスでは新鮮な反応で、エリーとしても望ましいが、『破壊の魔術師』などという、根も葉もない、よからぬ噂が立っている今、隠し事をしているような感覚に陥った。


 だが、話していると、不安を覚える。


「……一応聞きたいんだけど、魔門のことは知っているの?」

「え? もちろん知っているよー。今回の依頼はそれを壊すんでしょ?」


 募った不安が口から出そうになったが、一旦飲み込んだ。

 話していて、彼女が、何故今自分がここにいるのかも把握していないような悪寒がしていたのだが、彼女の回答は払拭してくれなかった。


 話していると感じる、緊張感の無さ。

 人と話すのが好きな割に、世事にも明るくないようだし、この依頼の重要性を理解していない可能性すらある。

 そんな様子が見て取れると、ますます彼女がティアのように見えてくる。

 ティアも本人としてはふざけているつもりは無いだろうが、いつでも変わらぬ様子の彼女は、周りから見ていると、心配になってくるのだ。


 エリーはこの旅で骨髄に刻まれた反射で、ティアと寝泊まりするときのように、彼女の荷物に目を走らせた。

 最悪放り投げられていることを覚悟したが、予想に反し、上着は綺麗に折り畳まれ、着替えが入っていると思われる刺繡の入った質の良さそうな鞄は、几帳面にも部屋の隅にはめ込むように置かれている。

 比べる対象が失礼だが、ティアより整理整頓は出来るらしい。


 だがそこで、彼女が移動中も腰に提げていた武具が目に付いた。

 丁度広げたカタリナの片足ほどの長さのそれは、仲間のミツルギ=サクラと似通った形状の、桃色の鞘に納められ。


 適当に転ばされていた。


「……カタリナって、武器で戦うのよね?」

「え? うん、そうだよー。……あれ。倒れてる。寝るとき適当にどけちゃってねー」

「いいの?」

「うん、邪魔でしょ? 狭いし」


 エリーは武器というものを使わない。

 というより、自分たちの仲間で、分かりやすい武器を使うのはアキラとサクだけだ。

 イオリも使うのを見るが、彼女の場合、そうした武器は所詮オプションの小道具に過ぎず、真価は召喚獣や魔術になる。


 イオリに限らず、武具を使う者は多くない。護身用に持つこともあるが、主となる戦闘は魔術で行う者が大多数だ。

 魔術が主流の戦場で武具が使えない、というわけではなく、魔術とは別の技術が要求されることになる、つまりはハイレベルな戦闘になればなるほど、使いこなす難易度が高いのが一因だろう。

 いざというとき、魔術を放てる自分の手よりも、操る武具を信じられるか。

 “武具強化型”と言われる戦い方が、ヨーテンガースでも通用している者は、その武具において達人の域にある。


 そうした中、武具を使う者は武器に対する執着が強く、特にサクなど暇さえあれば整備していた。

 サクが極端なのかもしれないが、他人に触らせるなど考えられないようなものだと思っていた。


 より一層、目の前のカタリナが、この依頼に遊びに来ただけのような子供に見えてくる。

 そしてそういう人を見ると、妹で生まれ、孤児院で育み、ティアでさらなる高みへ導かれたらしいエリーの母性本能が疼く。

 転ばされた武具を片付けようとぴくりと動いた右手を抑えた。

 相手を下に見るつもりもないが、誰かしらの世話を焼きたくなるのは性分なのかもしれない。

 だが、妹はさておき、同年代の、それも初対面に近い相手にそれはどうかという問題と、そもそも今が依頼中という大問題がある。

 ただでさえ余計なことばかり考える頭に活を入れ、依頼に集中しようとしているところなのだ。


 だが目の前に、人を疑うことを知らなそうな気の抜けた顔で笑うカタリナを見ると、侵食するように不安が生まれてくる。


「……カタリナって、ひとりで旅、をしているの?」


 旅ができるの? と聞きかけた言葉を強引に変えた。

 エリーの感性で、あくまで個人的な感想ではあるが、ティアにひとり旅は出来ない。


「え? うん。そうだよ?」

「そうなのね、凄いわね。ええと、そう、聞いたんだけど、『武の剣帝』って呼ばれているって」


 子供をおだてるような口調になってしまったが、調子に乗って、墓穴を掘りかけたことに気づいた。

 別称の話は禁句である。


「……」

「……?」


 ぴく、とカタリナの身体が揺れた。

 カタリナの目が、少しだけ鋭くなる。

 いや、気配が、と言った方が正しいかもしれない。


 子供のように見えていたカタリナの姿に、一瞬ノイズのようなものが走る。

 彼女の顔を見たとき以上の違和感が、彼女の像を歪ませた。


 しかし、気づいたときには、彼女はいつしか子供っぽく頬を膨らませていた。


「……それ。やっぱり有名なの?」

「え、ええ。まあ、あたしはカタリナのことも知らなかったけど」

「ああ、なんだ。……あのさ。私、そう呼ばれるの嫌いなんだ」


 エリーはぴくりと身体を震わせた。

 彼女から覚えた違和感など忘れ、その先の言葉を本能的に求めてしまった。


「そ、そうなんだ。ちなみに、どうして?」

「可愛くないから」


 周囲には距離を置かれている。目の前には面倒を見たくなる相手。それでも依頼に集中しなければならない。自覚と責任。

 そんな難しいことをごちゃごちゃと考えていたエリーは、カタリナのシンプルな言葉に、心の芯を打ち抜かれた気がした。


「そう、そうなのよ……!」

「エリにゃんもそう思ってくれる? そんな可愛くない呼ばれ方、人に話しかけても警戒されたりするし……、酷いよね?」

「もっと、もっとちょうだい」


 思わず手を握りかけていた。

 言って欲しいことを全部言ってくれる。


「別称なんて、なんかの逸話から誰かが適当に付けてるだけよね。微塵にも当てにならないんだから」

「うんうん。エリにゃん、分かってくれるんだね……!」


 カタリナの瞳がとても綺麗だった。

 この純粋無垢な娘を好きになってしまうかもしれない。


「私、元々大きな家に住んでてさ。そのせいなんだろうけど」

「大きな家? 貴族とかだったりしたの?」

「えーと。王族、っていうのかな? お父様が国を治めてた」

「はい?」


 エリーは目を開いたまま固まった。

 あっけらかんとしたカタリナが、まるで最近寝つきが悪いとでも愚痴を言っている程度の様子で、一般庶民では理解できない悩みの種を打ち明けてくる。


「それで魔物討伐の依頼を請けて、頑張ったら、みんながみんな『武の剣帝』って呼び始めて……。女の子なのに。酷いよね?」

「……よ、よくそんな危ないことをしたわね」

「あはは、爺やはうるさかったけど、お父様もお母様も好きなように生きてくれるのが一番嬉しいって言ってくれたんだー」

「い、いい親……」


 彼女が言っていることが本当ならば、カタリナはどこぞのお姫様ということになる。顔立ちやらが整っているのは高貴な血筋ゆえなのかもしれない。

 エリー自身、王族という制度自体への理解は乏しいが、統治する町や村は数十単位になる絶大な権力者であり、通常片田舎で育ったエリーが顔を突き合わせて話せる相手ではない。

 イメージの中では、王族は王族になるために生まれてくる。つまり、支配者になるために生まれてくるのだ。

 自分の生業が底辺とは言わないが、命がけの旅の魔術師とは無縁の存在である。


「よ、よく旅の魔術師を選んだわね……」

「え? まあねー。色々習い事はしてたけど、どれもピンとこなかったんだ。でも、刀はちょっと好き。魔物をいっぱい倒して、皆にありがとうって言われたのが嬉しくて。じゃあ世界中を周ったらどうなるんだろうな、って思ってさ」


 思った以上に感覚で生きているらしい。

 約束された人生の成功に背を向けて、博打のような生業を選ぶとは。

 聞いた話では『武の剣帝』はその名が付くほどの大規模な事件を解決しているという。

 膨大な数の敵を、ただひとりで打ち破った逸話があるらしい。

 カタリナには悪いが、彼女に別称を付けろと言われたら、エリーも同じものを考え付くかもしれない。


「それで、……でも、ひとりで?」

「うん。……最初は何人かで頑張ってんだけど、誰も付いてこれなくて」

「……」


 話を聞いた後だと彼女を見る目が変わる。

 透き通っていた瞳が、僅かな追憶の中、深い色を落とした。


「だからみんなで請ける依頼は好きなんだ。みんなと話すのは楽しい。……あ、つい話しちゃった。今の聞いて、変に遠慮しないでね? 私はただの旅の魔術師。みんな仲よくしたくてさー」

「ふふ、ご命令とあらば」

「もーう」


 頬を膨らませるカタリナに、エリーはにこやかに微笑んだ。


 別称で人を見る目を変えるのは本当によろしくない。

 彼女の場合逸話もついてきて、エリーのように事実無根ではないのが少し気になるが、それはそれだ。


 どうやらカタリナについては、エリーが気を揉む必要はなさそうだった。

 立場が想像以上に上だったが、彼女の望み通り、エリー自身も彼女とは気易く接したいと感じる。

 それは彼女自身の人柄によるものだろう。


 話を聞いただけではあるが、旅は長く、実力者であることもただの噂ではないらしい。

 ほんの少しの寂しさを感じるも、子供扱いしかけていた自分は封印して、エリーは支給された寝袋に向かって行儀悪く這い始めた。

 同じ悩みを持つ者同士。いい知り合いが増えたものだ。


「じゃあ、そろそろ休みましょうか」

「はーい。お休みなさい」

「ええ、お休み。……ふ。ティアと仲のいい理由も分かったわ。似たようなこと考えているもの」


 人といるのが好きで、誰かのために何かをしたい。

 ティアの根幹もそれだ。彼女の場合治癒に繋がるが、それが武に繋がるのがカタリナなのだろう。

 ふたりとも、元気で、博愛主義者で、人懐こい。


 だが、ふと振り返った先、また気の抜けた顔で笑っていると思ったカタリナは、ティアが決して浮かべない表情を浮かべていた。


 苦笑。


「ティアにゃんの方が全然凄いよ。みんなのことが大好きだもん」

「……え?」


 先ほどの違和感の残り香がした。

 だから同じでは、と言いかけて、エリーは押し黙る。

 透き通るようだったカタリナの瞳が、冷ややかに、凍り付いていた。


「私は嫌いな人がいる」


―――***―――


 『名前のない荒野』:侵入1日目。


 特筆すべき事象の発生が無いため、ドラクラスからの移動中に実施した観察結果を含めた各人の備忘となる。


 『破壊の魔術師』エリサス=アーティ。

 身体的特徴、差分無し。

 戦闘力、差分不明。(戦闘発生数0のため)

 体調、やや低。

 気力、やや低。


 『武の剣帝』カタリナ=クーオン。

 身体的特徴、差分無し。

 戦闘力、差分不明。(戦闘発生数0のため)

 体調、問題なし。

 気力、不明。

 注記)性格面が事前情報と大きく異なる。要観察。


 『数千年にひとりの天才』マリサス=アーティ。

 身体的特徴、差分無し。

 戦闘力、差分不明。(戦闘発生数0のため)

 体調、やや低。

 気力、不明。(接触回数が乏しかったため)


 アルティア=ウィン=クーデフォン。

 身体的特徴、身長微増。

 戦闘力、差分不明。(戦闘発生数0のため)

 体調、低。

 気力、高。


 『盾の魔術師』キュール=マグウェル。

 身体的特徴、身長増。

 戦闘力、差分不明。(戦闘発生数0のため)

 体調、問題なし。

 気力、高。


 エレナ=ファンツェルン。

 身体的特徴、


「どこ宛の手紙だ?」

「……」


 シーン=アーチは筆の動きをぴたりと止めた。


 『名前のない荒野』の最初の拠点。

 宿舎の建設よりも優先して構築されたタープテントの小休止スペースは、魔導士隊の小話や、旅の魔術師による情報交換が行われる情報収集の宝庫である。

 とはいえ時間も深夜に近い。

 魔物に襲われこそしなかったものの、精神的な疲労から、夜の番以外の者はすでに休んでいる。

 到着したばかりは混雑していたが、建物の建設が終わればあっという間に人気が消えた。


 その休憩スペースの隅、背後が崖の小テーブルに、ひっそりと陣取っていたシーンは、現れた魔導士の男を睨みつけた。

 柔和な笑みを浮かべているが、芯の強さを感じる。

 この依頼に参加している、“禁忌の地”の深淵調査部隊に所属の、フェッチ=ドッガーという魔導士だ。


「おっと。邪魔して悪かったな。見ちゃいないよ、単なる雑談だ。たまたま目に止まっただけでね」


 彼の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、位置的にも中身は見られていないであろう。

 強面の顔でぎろりと睨んだつもりであったが、しかし魔導士は飄々とした様子のまま、シーンの前の席に躊躇なく座り込んだ。


「ええと、あんたは、誰だったか」

「……この場にいる人間を、知らない魔導士がいるとは思えないが?」

「ああそうだった、シーン=アーチだ。よくない噂が絶えない旅の魔術師だったか」

「喧嘩を売りに来たんだな?」

「その侘びだ。一品物をくすねてきた」


 くだらない口実と共に、魔導士の男はシーンの前に茶色いボトルを置く。

 フードから取り出したグラスと共に目の前に並べると、フェッチはにやりと笑う。

 シーンは後手に回ったことを感じ取った。

 酒が出たので、目の前に広げていた“白紙”の用紙をさして意識もしてないように片付けたが、焼け石に水だろう。


「消えるインクか。最近一般にも売り出された便利な道具だ。そいつで書くと、特定の属性の魔力を当てないと読めないってやつだな。ドラクラスに残してきた恋人宛かな?」

「恋人だと? 笑わせるな」


 思わずではなく、意識して強く言った。

 適当に肯定しておけばよかったのだろうが、それだけは出来ない。


 だが、ドラクラス宛というのは当たっている。

 この最初の拠点では特にだが、『名前のない荒野』の外とのパイプを強くする。

 物資の持ち込みのみならず、運び出し、つまりは魔導士隊の報告や民間企業の追加物資の依頼書などの郵便も取り扱う。

 この場所が賑やかだったときも、旅の魔術師や民間人が何かと訪れては外への手紙を書いていた。


「ところで何の用だ? 男ふたりで飲む趣味は無い」

「まあそう言うなよ。肴はある。エレナ=ファンツェルンとバディを組んでるあんたと話しておきたくてね」


 ぎろりとシーンは睨んだが、フェッチは口元だけで笑って見せた。

 シーンは強面で、睨むだけで大抵の相手が委縮するのだが、フェッチにはまるで効いていない。

 図太いのか、あるいは目的意識があるのか。


「どういう意味だ?」

「あんたは当たりくじだ。なにせ、『名前のない荒野』の最深部まで行くであろう相手と組んだんだから。長い付き合いになる、親睦でも深めようじゃないか」

「……お前らが決めたことだろう」


 暴れそうになった口元を強引に抑え込み、シーンはボトルを奪うように取った。

 そのまま目の前のグラスに並々注ぐと、また、ぎろりと男を睨む。


「それで。肴は何だ?」

「いやなに。前にドラクラスで事件が起きただろう。祭りのあれだ。俺も事後処理に追われていたって愚痴だよ。あのあとドラクラスのグレーゾーンの組織を色々と調べさせられてね」

「魔導士隊がそんな話を漏らしていいのか?」

「こんな話、とっくに出回っているだろう」


 会話の主導権がフェッチにあるのを感じたが、シーンは眉ひとつ動かさなかった。


 このフェッチ=ドッガーという男は魔導士隊の中でも上積みだ。

 魔導士という資格は看板としても強力だが、もちろんそれを得るためには尋常ならざる戦闘力と知識が求められる。

 魔導士隊はそんな人間たちが組織的に行動するのだ。

 勇者や世に名を轟かせる英雄が旅の魔術師として活動していることから魔導士隊が一歩劣ると考える者は民間にもいるが、それこそ勇者などが上積み中の上積みなだけで、平均値や中央値は比較にすらならない。

 そんな魔導士隊の中でもエリートであるフェッチは、少なくともいち旅の魔術師では束になって襲い掛かってもどうにもできない戦闘力と知識を有しているであろうし、なにより、組織人としての駆け引きも体得しているであろう。

 その部分で争うのは愚かでしかない。


「ただ難航してね。なにせ、どこの組織にいってもボロなんてほとんど出やしない。まるで、最初から魔導士隊の横やりが入ることが分かっていたみたいに備えられてた」

「あの事件の後だ。予想できることだろう」

「そうそう。俺もドラクラスに来て日が浅いから驚いたよ。みんな賢いね。魔導士隊の調査の、“日程すら知っていたみたいだから”」


 シーンは表情を動かさなかった。

 下手を打った奴らもいたらしい。程よく黒い部分も見せればいいものを。


「それで後から聞いたんだけど、ドラクラスってのは『三魔人』の軋轢の余波か、色々なところにネズミがいるんだってな。お互いの組織を監視する、スパイ、みたいなのが」

「……今さらだ。俺に何故話す」

「いやなに。おたくのところにもそういうネズミがいるのかなってな。エレナ=ファンツェルンのファンクラブだったか?」


 フェッチはじっとシーンの顔を覗き込んできた。

 シーンは睨むように見返す。

 こちらも表情は崩していないが、むしろ柔和に見えるこの男の方が、考えていることが分からなかった。


 だが、ふと、脳裏に、以前同じように自分の様子を探ってきた男が過った。


「俺の顔がどうかしたか」

「……いや、男前だと思っただけだ」


 そこでフェッチは息を吐き、今思い出したように酒を煽った。

 夜の番というわけでもないらしい。


「シーン=アーチ。頼みがある」


 フェッチはシーンのグラスにボトルを傾けながら呟いた。

 酒の水音と、微風で、シーンにしか聞こえない声だった。


「この依頼に“魔王の弟”がいないかを見張ってくれ」


 シーンは表情を動かさなかった。

 だがようやく、得心がいった。


「依頼が始まってから、ずっと周りを観察しているだろう。そのついでだ。いるかどうかも分からない。だが、いたらゲームオーバーだ。前だけを気にしなきゃならないのに、後ろから刺されたらひとたまりもない」


 シーンもドラクラスに流れている噂を知っている。

 “魔王の弟”なる脅迫者が、今もドラクラスで“何か”をしていると。

 様々な憶測も膨らみ、魔導士隊の報告偽造などという耳を疑う妨害をしたとまで言われている。

 そんな内部犯が存在するのであれば、今回のように、関わる人間が多く、連携が前提となる依頼では致命的だ。

 だが。


「魔導士の言葉じゃないな」

「自覚している。だが、生き残るための行動だ」


 彼から見れば、シーンはあくまでいち旅の魔術師でしかない。魔導士の立場として適切な発言ではないだろう。

 だが、“禁忌の地”の深淵調査部隊の人間の瞳に、迷いは見えなかった。


「……俺がそうだとは思わないのか?」

「だとしたら今のは釘差しだ。一応言っておこうか。……余計な真似をしたら必ず殺す」


 彼から見て、自分が“それ”である確率はまだあるだろう。

 だが、どちらでもこの話をすることに意味があるというのが彼の選択のようだ。


「やはり俺のことをよく知っているようだ。それは依頼だな?」

「ああそうだ。どの環境にも潜り込むし生き残る。それが俺が調べた、今のシーン=アーチという人間だ。金を積めば何でもしてくれるし、依頼内容は相手を殴り殺してでも秘密にするんだろう?」

「いくらか古い情報だ」


 シーンは指でグラスを弾いた。

 フェッチはこちらを探るような瞳で見てくる。

 隠そうと思えば隠せるであろうに、露骨に監視していると訴えてきた。


「だが、いいだろう。しかし先約を優先する。調べるのはその範囲でだ」

「契約成立だ。報酬は追って連絡する。……まずはここを生き延びてからだ」


 そう言って、フェッチはその雰囲気のまま、和やかに、自らのグラスに酒を注いだ。

 シーンは表情ひとつ変えぬまま警戒を続ける。

 彼も、そして彼の所属する部隊の隊長、アラスール=デミオンも、探った限り、日常と戦場の境界線が希薄な人物だ。

 そのままシーンのグラスにボトルを傾けるのも、魔術を放つのも、彼にとっては大差ない。

 あの死地に入った者は、何かが壊れるという。

 フェッチが上等な酒を味わいつつも、周囲の様子に神経を針のように尖らせているのが感じられる。


「それで。ここは“禁忌の地”と比べてどうだ」

「ん?」

「肴が足りないと言っている。初日を乗り越えた感想を聞いているんだ」

「……まあいいか。話そう。協力の礼だ」


 『名前のない荒野』に入った初日。

 運よく魔物に遭遇せず、順調に進行で気、最初の拠点も抑えられた。

 自分たちが次のポイントへ向かったあとも、依頼完遂まで設備の増築と強化は安定して継続できるだろう。

 客観的にはほとんど完璧な滑り出しだが、案の定、目の前のフェッチの神経がさらに尖ったのを感じた。


「ほとんどの奴が気づいているだろう。……完璧だよ。ここで中止はあり得ない“ことになる”」


 仕事が増えたが、彼の話は、この地に入った身としては価値のある情報だ。

 『名前のない荒野』より危険な地に出入りする部隊のメンバーである。

 そんな彼は、シーンに同意を求めるように含みのある言い方した。


「初日が平穏無事? 前倒しで進行して、拠点として望ましい場所があっさりと見つかった? 最高だね、これで失敗するなら何をしても駄目だろう」

「何が不満だ」

「不満? べた褒めしているんだよ、グリンプ閣下の完璧な計画を」

「ならその顔はなんだ。何を気にしている」


 シーンがじっと睨むと、フェッチはちらりと周囲を窺った。

 確かに初日は、シーンから見ても出来過ぎなほど順調だった。向かう先が魔門である以上決して楽観視は出来ないが、こうした幸運を正しく感じ取らないのは警戒を建前にした卑屈であり、それは失敗につながるのだ。

 正も負も、情報は正しく処理する必要がある。

 それはフェッチも分かっているようで、言葉だけは正しく情報を処理していた。

 らちが明かない。


「……そういえば、アラスール=デミオンの部隊はここで演習をしたと聞いたことがある。そのときはどうだったんだ」

「―――“全く同じだ”」


 フェッチが机に乗せていた拳に力を込めたのが分かった。


「こんな大規模でもないし、魔門のエリアまで行く作戦じゃなかった。それでも、完璧な作戦。完璧な進行。初日は魔物の遭遇無しで、当初ビビりまくっていた俺ですら熟睡できた。だが、終わってみれば不思議なことに……“失敗していた”」

「……失敗?」

「ああ。移動距離を基準にした指標だが……、俺たちは目標値の4割程度しか進行できなかった」


 シーンはフェッチの表情を観察していた。

 失敗と断じた彼の表情は、悔恨、というより、キツネにつままれたような浮かない顔だった。


「原因の分析に調査、と、色々と考えさせられる羽目になった。確かにいくつか要因はあったが、冷静に振り返れば8割は進めていたはずだったんだ。うちの部隊じゃ未だに話題に出るよ」


 アラスール=デミオンの部隊には『数千年にひとりの天才』マリサス=アーティ、そして、『水曜の魔法使い』ケディア=レンダーという“異常者”がいる。

 彼女たちの存在は、対魔物や人名救助には絶対的なカードになる。

 だがそれでも、“成功”には到達しなかったという。


「“分からない場所”」


 フェッチはまた周囲の様子を窺った。


「俺たちは何も間違えていない。だが、失敗した。あれだけ魔導士が揃っていて、俺たちは、ここを“分からない場所”と結論付けた」


 彼が探っていたのは、聞き耳を立てている者ではなく、『名前のない荒野』だったのかもしれない。


「“禁忌の地”が“最凶”だとすれば、『名前のない荒野』は“最難”だ。開拓することのリスクとリターンが見合わずに、歴史の中、誰もが放置してきた分からない場所。そしてそんな場所の中央に、」

「……魔門がある、か」


 ぎろりとシーンも周囲の様子を窺った。

 星空の下、広大な砂地に、風が崖をひっかいて不気味な音が響く。

 シーンも拳に力を入れた。

 ならば。


「まあ、そんなところだ。うちの部隊は全員同じように気持ち悪がっている。だが他のみんなは今日の成功を喜ぶべきだ」

「俺は?」

「聞いたのはあんたさ。言ったろ、俺の愚痴だって」

「……」


 フェッチはすっと立ち上がって背筋を伸ばした。

 ようやく解放されるらしい。


「ああ、そういえば間違えていたな」


 フェッチはちらりとシーンが横にどけたインクを見た。


「特定の属性の人が見られるインクじゃなくて、特定の人間の魔力で見られるインクか。魔力は微妙な個人差があるとか研究しているところもあるくらいだ」

「だとしたら?」

「いいや、大した話じゃない。ドラクラスで俺が見つけたネズミのひとりが、同じインクを使ってたってだけで。……念入りだな。“属性だけでも十分だろうに”」

「……」

「それじゃあお休み。あんたのサバイバル能力にも期待している」


 殺気を放ったが、失敗だったのだろう。

 フェッチは意に介さずに歩き去っていった。


 あれはこちらを挑発して、情報を引き出そうとしていただけだ。

 こちらの雇い主も気づいてはいるだろう。むしろ今ので確信したかもしれない。

 本来ならば口を塞いでいるところだが、今だけは見逃そう。


 新たな依頼主でもあるし、借りもある。


―――***―――


 事態は深刻である。


 本日、ドラクラス2階、居住区にある、とある家の門が爆破された事件が発生した。


 記憶に新しい祭りの無差別爆破事件に続くこの事件に、街に厳戒態勢を敷いていた魔導士隊や警護団も動き出し、デリケートな街中に不安が伝播している。

 原因はただの事故で、幸いにも怪我人は無く、家主も事を荒立てたくないと追及を控えるように主張したのだが、爆破個所は見るも無残な惨状で、流石に見て見ぬふりは出来ないと、念のために大人数が駆り出されて事件性の調査をしていた。

 先日発生した祭りの事件の事後調査で疲弊し切っている魔術師隊や警護団には酷な労働だろう。

 だが、そんな人々の事情はどうでもよかった。


―――このままでは怒られる。


 この事件、ならぬ事故のポイントはふたつあった。

 物的被害と、そうして広まった噂だ。


 物的被害の方は、資金が必要とはいえ、人任せで何とかする算段が立っている。

 そしてその資金は、人任せで何とかする算段が立った。


 ゆえに問題は、払拭し切れない可能性が高い噂の方だ。

 彼女たちが戻ってくる前に、無かったことにする必要がある。


 上手いこと、何かが起きて、なんやかんやうやむやにするという計画を立ててみたが、どうにも心細い。

 最悪人に罪を擦り付ければいいのだが、その罪人が自分の名を漏らしたら飛び火は免れない。


 ならば。次に考えるべきことは。


「おー、すごいな。村があんのか?」


 ヒダマリ=アキラは諸々の事情を一旦忘れることにした。

 忘却とは、自分の精神を守るための脳の機能らしい。


 だが、より高性能の脳を持つ人物は、眼前の光景を前によどみなく言った。


「あちらに小さな建物がいくつか建っているのが見えますか? 依頼などでこちらに来る方が寝泊まりする場所ですが、初日に私が調査ルートの是正をお手伝いしまして。最初はもっと川の方に寄っていたのですが、案の定、動線の死角だった彼ら用のろ過装置に破損が見つかりまして、移動してもらいました。それからはドラクラスばかりでなく、この場に寝泊まりする方用の装置も含めて点検することになったので。そうそう、3日後に戻って来たら、あの場所で土砂崩れがあったようで。排水の管理も一考の予知があり、なかなか手ごたえがありましたね」


 山岳地帯から見下す形になる馬車からの光景には、優秀なガイドが付いていた。


 馬車の席、隣に座るシャロッテ=ヴィンテージは、『智の賢帝』と呼ばれる有名な旅の魔術師で、その名に恥じぬ知識と実績を持っている。

 そんな彼女は、ドラクラスの最初の引っ越しの後から、今回の依頼現場で仕事をしていたそうだ。


 ドラクラスの現在地は、ネーシス大運河という巨大な川の近辺である。

 遠方から見ると空が落ちてくるような巨大な滝があり、そこから生まれた川は海と見紛うほどだそうだ。

 この距離でも見上げる形になるその滝の上部は、濃い雲が出ていて、岩山が雲を突き上げているように見える。

 あの巨大な滝は、もしかしたら山の上で振る雨水からできているものかもしれない。


 アキラたちが依頼を請けてやってきたのは、その滝から下流に十数キロ離れた地点である。

 その巨大な川をドラクラスの水源にしているのがこの場所だそうだ。

 傍から聞いて、ただ自然の川から水を引くか運搬しているだけだと思っていたのだが、どうやらアキラはドラクラスの力を侮っていたらしい。


 水源の確保地帯と言うには憚れるほどの“村”がそこにはあった。


 いくつもの家屋があり、遠目からだと分からないが、商店らしきものすらちらほらと見える。

 引っ越し中の一時的な拠点とは思えない、明確な生活の気配がした。


 村の中、特徴的なのはやはり川だろう。

 遠くに見える巨大な川から水を引き、人工的に枝分かれさせて村中を這わせているようで、中央に1本さらに枝分かれして5,6本と、規模の大きな畑から、小さな家屋が並ぶ居住スペースまで村中に水を行き渡らせており、格子状のその様には美しさすら感じた。

 だが、その自然の外観は、川の各所にいくつも無骨に設置された黒い機材に損ねられている。


 あれがシャロッテの言う、ドラクラス製のろ過装置なのだろうか。

 この世界には電気が無く、原始的な仕組みであろうが、傍から見れば立派な装置に見える。

 だがそれゆえ、何かと手入れがいるのだろう。


「シャロッテは、ずっとここで依頼をしてたのか?」

「ええ。と言っても、依頼は大きくふたつに分かれていまして、村の警護と、ドラクラス用の水を確保する川上の方の機材の点検。私はどちらにも参加していました」


 樹木の背が低いせいでよく見えた。

 シャロッテの視線を追うと、村の中央を流れる巨大な川の向こう、細々とした木々の先に、そんな川など比較にならない広大に広がる“海”が見える。


 元の世界で、幼い頃、車に乗せられ窓の外を見ていたときの光景をぼんやりと思い出した。

 今のシャロッテと同じように、隣に座った誰かが妙に上機嫌だった。

 海を目指していたのだから、夏の日のことだったのだろう。


 “いや”。

 秋。10月。あれは、季節外れの観光だ。


「アキラ氏? どうされました?」

「……ああいや、何でもない。思った以上に立派な村だなあ、って思って」

「ふっふ……。んんっ、ま、まあ。私もこの村の整備には特に助力しましたから。まあ、時間があればご案内しますよ」


 自信満々に答えるシャロッテを見て、アキラは頭を振った。

 彼女の場合、言うだけのことはやっているだろう。


 今回の依頼は、そんな彼女の推薦で参加させてもらっている。

 自分は今危機的状況だ。

 いつも以上に精神を研ぎ澄ませ、真摯に依頼に取り組まなければならない。


「あれ。移動? 建物を移動するとか言ってなかったか?」


 忘却を得意とするアキラの脳と違い、日記でも付けているかのようなシャロッテの話の中、気になる言葉があったことを思い出した。


「ご存じなかったですか? タンガタンザ性の“運べる建物”。あちらの村にある建物は、すべて移動可能なのですよ。アキラ氏はタンガタンザに行ったことがあったのでてっきりご存じかと」

「へえ、全部か……。って、俺がタンガタンザにいたって話、やっぱ結構有名なのか」

「結構どころか。こればかりは私に限らず知られている話です」


 何でも知っていると豪語し、実際その通りの様子のシャロッテだが、今回ばかりは流石に常識の範囲らしい。

 タンガタンザの百年戦争。

 その戦争を一時中断させたのは、ヒダマリ=アキラであると広く周知されている。

 自覚がないまま有名になっていたらしいアキラとしては、自分のやってきたことが認められている嬉しさも多少あるとはいえ、驚きの方がまだまだ先に来る。


 件の運べる建物はタンガタンザ製らしい。

 確かに聞き覚えはあった。

 様々な経験をしたあの戦場のどこかで、そんな話を聞いたかもしれない。


 “いや”。

 タンガタンザでは聞いていない。

 聞いたのはヨーテンガース。『召喚』のカイラ=キッド=ウルグスが言っていたのを聞いたのだ。


「……っと、そろそろ下りそうだな」

「ええ。揺れますのでご注意を」


 頭をまた振って、アキラは念のために座席に深く座った。

 シャロッテは慣れた様子で澄ましている。


 村へ向かう下り坂を馬車がおり、車内はごとごとと揺れた。


「……」


 アキラは舌を噛まないように口を閉じ、目を細めた。

 最近、妙に脳の奥が疼くことがある。


 頭がぼんやりとする、とも一応言える。

 誰かに漏らそうものなら平常運転という中傷がきそうだが、アキラ本人からすると妙な違和感を覚えるのだ。


 夢見が悪い。注意力が落ちる。

 そんな風に自己分析をしてみているが、事実とはいえ、どうにもしっくりこない。


 “魔門破壊”などという危険極まりない依頼を請けている彼女たちのことが心配で、気づかぬ心労を抱えているのかと最初は思っていたが、不思議と、気が楽になる瞬間もあるのだ。


 頭の中もそうだ。

 頭痛や眩暈など、悪いことばかりが起きるなら、悪いとはいえ精神的な問題だと納得ができる。

 だが何故か、今までぼんやりとしか思い出せなかったことがはっきりと蘇ったり、妙に思考がクリアになって脳の回転が早まったりするときもある。


 まるで顕微鏡のピントを合わせているときのように、漠然と確信を行き来しているように、頭の奥が疼くのだ。


 ごとごとと、揺れる。


「……旦那様。なんだか、寒くなってきてないですか?」

「え?」


 後ろからの声に、座ったまま振り返ると、後ろの席に姿勢を正して座るイスカ=ウェリッドが怪訝な顔つきで窓の外をちらちらと見ていた。

 この依頼の同行者である彼女は、馬車に乗るなり借りてきた猫のように静かにしていたが、その寒気とやらを嗅ぎ分けているように鼻をすんすんと鳴らし、今度は犬のように見えた。


「そうか? 天気でも崩れるのかな? なんか羽織るものとか持ってたかな……」


 イスカに倣って窓から空を見ると、せいぜい、薄ぼんやりとした雲が見えるだけだった。まるで岩山が周囲の雲を吸い取っているかのようにさえ見える。

 快晴と言ってもいいほど晴れていて、特に寒気を感じない。

 困ったようにイスカを見ると、心細そうに纏ったスーツの襟を正していた。

 彼女の一張羅らしい。


「この辺りは雨量が少ないですから、川が近いせいでは? 村の気温もいくらか低いですから。……それより」


 声が聞こえていたらしいシャロッテがこほりと咳払いをし、じとりとアキラを横目で見てきた。


「彼女のことですが、イスカ嬢、とおっしゃいましたね。一応、確認したいことがあるのですが」

「あ、着いたみたいだぞ」


 話を遮った自覚はあるが、馬車の速度が一気に落ちていく。

 坂を下りきって村の駐車場と思われるエリアに入っていった。


 シャロッテの口元が震えたが、馬車が停まると、渋々立ち上がる。

 村に着いたら何やら手続きがあるらしく、ぐっと言葉を飲み込んで足早に去っていった。


 付き合いの短いシャロッテだが、一度こちらに視線を向けて馬車を降りていった彼女が、あとで話を聞かせてもらうと伝えてきたことは分かった。


「……なあイスカ。シャロッテが聞きたいことってさ」

「まあ、分かりますよ。私のことですから」


 イスカが立ち上がりながら、その特徴的な青い眼を細めた。

 凄惨たる事件を起こした『雪だるま』という旅の魔術師。

 イスカ=ウェリッドのその噂は、真実と虚構が混ざり合い、世界で指折りの危険人物として認識されている。

 その噂のせいで散々腫物扱いされてきたイスカは、今までまともな生活が送れなかったという。


 彼女の事情を知るアキラは、適当にはぐらかしてここまで来たものの、相手はあの『智の賢帝』である。名前と特徴くらいは当たり前のように頭に入っているだろう。

 こちらに確認しようとしたのも、彼女にとっては念押しの念押しくらいでしかない。


「聞かれたら答えてもいいですが、わざわざこちらからは言いたくありません」

「そう、か」

「ええ。報酬が減るかもしれませんし」

「ん?」


 荷物を持って馬車を出かけると、後ろのイスカが神妙な表情で呟いた。

 至極真面目な表情で、おっ立て小屋の、村の窓口と思われる場所で話すシャロッテを、馬車の中から隠れるように見ている。


「『雪だるま』と知られて、足元見られることがあるんです。危険給だとか言って、他の参加者に私の分も回ることが。……働くのはほとんど私だけなのに」

「あれイスカ。もしかして本当に人生詰んでる?」

「旦那様のご趣味はやっぱり特異ですね。薄暗い馬車の中で成人女性を辱めることとは」

「ご、ごめんな……」


 下手に刺激すると何が出てくるか分からないイスカは、平静さを装いながらも青い眼を潤ませた。

 吸い込まれるような綺麗な青い瞳だが、彼女の最大の特徴であるがゆえに、『雪だるま』のことを少しでも知っている者にとっては目印になる。


「ま、まあ、シャロッテには話は付けるよ。……それより依頼だ依頼。俺たちには後が無い」

「分かっています。その、本当に申し訳ありません……」

「過ぎたことはしょうがない。……っし、この際だ、とにかく一緒に稼ぎまくろう。俺もあいつらいなくて暇だったし」

「……」


 いざとなったら見捨てる気でいたが、彼女の境遇を知るたびに気が咎めるようになってきた。

 彼女のほどではないが、感情を隠すのが苦手な方らしく、人によっては忌避する哀れみを持った視線を送ってしまったかもしれない。

 しかし、イスカは、やや怪訝な顔をしてこちらを見ていた。


「どうした? また寒いのか?」

「……いえ、少し意外……、ええと、なんでもないです。それより依頼ですね。あの人、村の警護か周辺の見回りみたいなことを言っていましたが、私たちは一体何を?」

「俺より、シャロッテに聞いた方が……、あれ。なんか人増えてるな」


 馬車を降りて小屋を見ると、シャロッテの近くに数人の男が立っているのが見えた。

 服装が妙に原始的で、葉や蔦を利用して作られている。

 しかし汚らしさは覚えず、丁寧に作られており、男たちは自然に着こなしていた。


「誰だあの人たち」

「それこそあの人に聞いた方がいいのでは?」

「服がなんか独特と言うか……、いや、段々格好よく見えてくるような?」

「……ま、まあまあ、ですね。……そ、そうか、局部だけ隠すんじゃなく、蔦で服を作ればよかっ……」

「うっし行こうか!」


 野宿の経験のあるあるらしいイスカの声を遮り、アキラは強く踏み出した。深追いするとロクなことにはならない。

 近づいていくと、こちらに気づいたのか、シャロッテと話していた先頭の男が姿勢を正して会釈した。


「ああアキラ氏。丁度依頼の話をしていまして。ご紹介しましょう。こちら、この拠点の整備をしてくださった、カルド=カトール氏です」

「私はカトールの民の族長をしているカルドと申します。よろしくお願いします」


 堀の深い顔に日に焼けた肌と、ワイルドな印象を持ったが、声色は柔らかく聞こえた。見かけによらずと言ったら失礼だが、品性が高いように思え、貫録もある。


 カルドというらしい男が軽く後ろに目配せすると、背後の男たちも姿勢を正して会釈してくる。

 その仰々しい態度に、どうやらシャロッテが、アキラが勇者であるという話をしてくれていたらしいことが分かった。

 毎回切り出すタイミングがなかなかつかめず、面倒なことになるのだが、どうやらその心配はなさそうだ。


「ヒダマリ=アキラです。よろしく。……ええと、カトールの民っていうと?」

「タイローン大樹海で暮らす民族です。ドラクラスの引っ越し騒動で依頼を請けまして、今はこの拠点の維持と管理を」


 そういえば、と正確な方向は分からないまま、アキラは遠方に見えるネーシス大運河の滝を見た。あちらの方角が、ヨーテンガースを二分するタイローン大樹海であろう。

 タイローン大樹海には、複数の民族がおり、それぞれ生活を営んでいるらしい。

 樹海で生活しているからといって、街や村と関わらないわけでもなく、仕事のやりとりをしたり、売り買いしたりと共存しているという。

 ヨーテンガースの港町で依頼を出していたサルドゥの民もそのひとつだ。


「今回の引っ越し騒動ってマジで色んな人が動いているんだな」

「アキラ氏。カトールの民は大樹海で生活する移動民族です。拠点の構築はお手の物。一時的な利用であっても永住できるほどしっかり環境を整えるし、仕事も早い。こうしたことにかけては、カトールの民が最も優れていましたね」


 悪気があったわけではないが、失礼な物言いになったアキラを、シャロッテがフォローしてくれた。

 村の様子を見ると、例の“移動する建物”はあるものの、水路にかかる橋や手すり、建物を囲う柵など、彼らの服と同じ木材や蔦で作られている。気づけば隣の小屋も、移動する建物ではないようで、これらは彼らの作品だろう。


「ははは。世話になっているシャロッテさんに言われると嬉しいですね。そんなわけで勇者様。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ。それで、俺らは何をすればいいんだ?」


 族長というだけあって、カルドの対応には余裕を感じた。話していて気持ちがいい。


「この拠点の警護をしてもらいたいです、と言いたいところだったんですが、気になることが。上流の設備点検の護衛をお願いできますか。あちらの方です」

「ん?」


 シャロッテが小さく唸った。

 カルドが手を向けた先に視線を向けると、村中に流れる水路の上流、ネーシス大運河から引いたのであろう巨大な川が流れている。

 そのさらに先はもっと巨大な運河があるらしい。


「気になることっていうのは?」

「大した話じゃないです。少し鼻がむず痒く……、ああいや、近々天気が崩れそうでして」

「そうなのですか? 珍しいですね」

「ああ。気のせいだったらいいんだが。……それで、昨日も点検に回ったばかりだったんですが、養生の確認だけでもしたくて」

「……そういうことですか。不備があったのかと」

「そういうわけじゃない。すみませんね、昨日付き合ってもらったばかりなのに。急なことで人手が足りなくて」

「いえ。カルド氏の感覚は頼りになります。では、手早く回った方がいいでしょう。二手に分かれた方がいいでのではないでしょうか。水害となると、規模の大きい最奥の堰と、途中の堰ですかね。確認だけなら私とカルド氏で分かれて見回るのはいかがでしょうか」

「話が早くて助かります」


 アキラが空を見上げている間に話がまとまっていく。

 ドラクラスが引っ越し後、この村で依頼をしていたらしいシャロッテとカルドはそれなりの親交があるようで、互いに対する信頼を感じる。


 ゆっくりと視線を下ろすと、ふと、また鼻をすんすんとしているイスカと目が合った。


「イスカもさっきも言ってたな。天気を気にしてたし」

「まあ、なんとなく、ですけど」


 野宿の経験から部分的に野生化でもしたのだろうか。

 今度こそ口に出すのを抑え込み、アキラはイスカを真似て周囲を探ってみた。

 雨が降る前は気圧が下がるという。

 イスカもカルドも、常人では察知できないものへの感覚が優れているのかもしれない。


 水路だらけの村にとっては天候が崩れるのは危険だろう。

 村の様子を探ろうとすると、今度はカルドと目が合った。

 彼は目を細めながらも、柔和に笑っていた。


「お嬢さん。この感覚が分かるのか?」

「私? まあ、雨が降りそうなら川から離れないといけないので、身体で覚えることに」

「ほほう。それはいい経験をしている。うちの若い奴らにも見習って欲しい」


 ワイルドな見た目のカルドと、元名家のお嬢様がサバイバル能力で意気投合し始めた。

 先天的なものなのか、過酷な環境が生み出した業なのかは分からないが、カルドの背後の男たちの怪訝な表情を見るに、そうした感性は特別なものらしい。

 アキラはもちろん分からないので、後ろの男たちと同じような表情でシャロッテを見ると、彼女は顎に手を当て、神妙な表情を浮かべていた。


「……話はそれくらいにして、早速行きましょうか」


 シャロッテが妙に慎重な声を出した。

 村を見てみたい気持ちもあったが、仕事が優先だろう。

 アキラとしても一刻も早く問題の解消に努めたい。


「そうだな。悪いが今空いているのが俺しかいない。ならシャロッテさん、悪いがそちらのお嬢さんの案内をお願いできますか」

「やっぱりそうなる!」

「うわっ、びっくりした。シャロッテ?」

「……、いえ、なんでも、ありません」


 シャロッテは声を荒げたが、大きく息を吸って吐き出した。

 拳を握りしめ、胸を抑え込む。

 以前の依頼でもそうだったが、時折情緒不安定になるのは知能が高すぎるゆえの弊害なのだろうか。


「……ま、まあ。疲れているところ悪いが、すぐに済ましてしまおう。では勇者様お願いできますか?」

「ああ、分かった。けど、ふたりずつで大丈夫なのか?」

「今はイレギュラーなことに人を回せるほど余裕が無くて。多少魔物は出ますが、各所に魔導士隊がいます。声を上げれば増援がすぐにきますよ」


 流石にドラクラスの手配。抜かりはないらしい。

 ヨーテンガースとはいえ各所に人がいるなら、大人数で移動するより、少人数でさっさと見てきた方がいいだろう。


 どうやらアキラはカルドの護衛を務めることになるようだ。

 となると気になるのは、慎重にシャロッテの様子を窺うイスカである。


「じゃ、じゃあシャロッテ。イスカを頼んだ」

「……ええ。……分かりましたよ。カルド氏。私たちは遠方の堰を確認してきます。異常があればいつもの手筈でお伝えすればいいですね? 変わっていないでしょうか?」

「はい、そのままです。荷物はいつもの場所に運ばせておきますね。勇者様たちのも」

「お願いします。……ではイスカ嬢、行きましょう」


 仕事となると行動の早いシャロッテは、姿勢を正して歩き出した。

 一瞬不安げにこちらを見てきたイスカだが、心配そうに見返すと、少しむっとしてシャロッテについていく。

 変なことにならなければいいが。


「着いたばかりですみませんね、勇者様。前にいたところでも水害があって、神経質になっているんです」

「いや、気持ちは分かります。それよりさっきシャロッテが言っていた堰ってのは?」

「川の流れを調節する仕掛け、とでも思ってもらえればいいです。ネーシス大運河からの流れを調節するために、大きな湖のようなものを作っていると思ってもらえれば」

「すご……」


 要はダムのようなものだろうか。

 きっとアキラが想像した以上の規模の設備であろう。


「凄いのはドラクラスですよ。私たちも旅は長いですが、ここまで自然に手を入れる、手を入れられる都市を知らない。堰を作り、水を引き、畑を作り、村まで作ってみせた。“ほんの一時的なことでです”。私たちも依頼を請けたときは耳を疑いましたよ」

「俺もドラクラスに来てから驚きっぱなしだなあ……。ここもすごい。あとで村を回ってみたいな」

「ありがとうございます。大したおもてなしも出来ずにすみませんが、ご案内しますよ」

「ありがたいけど、なんか悪いな。人手が足りないときに」

「いえ、族長って立場になると暇になるので」


 カルドが悪巧みをするような表情を見せ、背後の男たちは苦笑いした。

 立場がある割に、自ら見回りをするほど意欲的だ。

 大樹海の民族らしいが、ドラクラスから依頼を請けて駆り出され、目も回るような忙しさだろう。


「ではそろそろ行きましょうか」


 カルドが背後に目配せすると、男たちは一礼し、アキラたちの荷物を抱えて去っていく。

 人手が足りないのは本当のようで、ようやく解放されたと言わんばかりに足早だった。


 向かう先は先ほど馬車から見下ろした、寝泊まりできそうな建物だろうか。

 出迎えてもらった上に荷物運びまで任せてしまい、申し訳ないことをした。


「いやいや、彼らは気にしないでください。シャロッテさんが来たからついてきただけなので」

「シャロッテを?」

「けしからんことに大人気で。来てくれるたびにあんな騒ぎですよ。それに、今日は一段とめかし込んでいたようだ」

「そういや、結構おしゃれだったな。帰ってから着替えてきたみたいだし。前からのような気もするけど」


 下世話な話になってきたような気がしたが、歩き出したカルドに続くと、いつの間にかイスカもシャロッテも見えなくなっていたことに気づいた。

 流石に仕事が早い。


 “それほど急がなくていいのに”。


「もちろん私も頼りにしていますよ。ろ過の仕組みには私もある程度見識がありますが、ドラクラスが用意した魔物対策の方はさっぱりで、魔導士隊に任せています。どちらも面倒が見られるシャロッテさんがここに来てくれてよかった」


 流石に『智の賢帝』。

 戦闘でも頼りになった記憶があるが、こうした拠点作りなど、規模が大きくなれば大きくなるほど、オールマイティの人物は重宝される。


「私たちも急ぎましょうか。彼女たちが堰まで行ってくれるなら、我々は道中の設備ですね。そちらでも川の流れをある程度調整しているので」

「じゃあ、俺は護衛、ってことか。村から出たら俺が少し先行する。案内をお願いします」

「了解しました。はは、いい土産話だ、勇者様と一緒に仕事ができるなんて」


 先ほどの組分はこの族長が決めていた。

 天気が分かるようなことを言っていたイスカと分かれるようにしたのかと思ったが、もしかしたら有名らしい自分と組みたかったのもあるのかもしれない。

 案外自惚れではないような気がしてむず痒い。

 もっとも、どのような組み合わせであっても、『日輪の勇者』に『智の賢帝』、そして『雪だるま』と、いずれか有名人とは組めるのだが。


 カルドはまた空を見上げた。依然として雲は薄い。


「天気が分かるってのもすごいな……」

「ん? まあ、そりゃ確実じゃないですが、大自然と生きていると危険には敏感になります。下手をすれば今日の夕方にも降るかもしれません。この地域に来て初めて感じたんで心配し過ぎなのかもしれませんが」

「そういやカトールの民は移動民族って言ってたな……。大樹海を旅しているとか。ここも一時的なんでしょう? それでこんな立派な村を作るなんて」

「はっは、確かに年中移動していますが、私にとってはどんな場所も、我が子のように愛着がある。もちろんここもです」


 カルドが軽快に笑った。

 アキラは村を流し見る。ここはドラクラスが次の場所へ移動するまでの一時的な拠点だ。

 だがそれでも、随所が手入れされており、強い生活の気配がする。

 シャロッテも言っていたように、永住できる村にしか見えない。

 これはカトールの民の手腕によるものだろう。


 一時的なものだというのに、これだけのものを生み出す彼らを前に、アキラは自然と笑みを零した。

 カルドは信頼できる男のようだ。敬意を覚える。


「気候が崩れてもちょっとやそっとじゃ大丈夫のはずです。でも、やっぱり念を入れたくて。若い奴らには煙たがられることもありますがね」

「それだけ大事なら心配し過ぎるってことはないでしょう」

「そう言ってもらえると助かります。……そうそう、お連れのお嬢さんもいい感覚をお持ちのようだ。若い奴らにも見習って欲しい」


 カルドはまた軽快に笑った。アキラも釣られて笑う。

 急に請けることになった依頼だったが、この場所に来てよかったと思えた。

 笑うカルドは、頼もしそうに、アキラを見据える。


 そして。

 高揚していたアキラの胸が、突かれた気がした。


「流石勇者様のお仲間ですね」

「……なか、ま?」


 呟きは聞こえなかったようだ。

 黙り込んだアキラに、カルドは怪訝な表情で振り返った。


「? なにか?」

「……。いや、なんでも」


 アキラの心に違和感が生まれた。

 イスカは自分たちが経営する宿の従業員である。

 だが仲間と言われるとピンとこない。


 まさに今日窮地に立たされたとはいえ、邪険に思っているわけではない。

 だが、仲間と言われると、どうしても最初に彼女たちが頭に浮かぶ。

 そして彼女たちは、今。


 思いを馳せようとすると、目が霞んだ。


「勇者様?」

「……いや、悪い。行こう」

「ええ、近いですが数が多い。急いだ方がいいでしょう」

「ヨーテンガースだ、俺たちは慎重に行こう」

「はは、私も多少は戦えますよ」


 これは見た目通りにその通りなのだろう。

 タイローン大樹海で生活する民族だ。そこらの民間人とは鍛え方が違う。

 それ以上に天気の方が気になるのか、カルドはやや足を早めた。


 水害は怖いとはいえ、そういう油断こそ命取りである。


「そんなに急がなくても大丈夫」

「……はは、これはお恥ずかしい。では、進行はお任せしましょう。頼りにしています」

「ああ……」


 未だに空を気にするカルドを落ち着かせながら、アキラも、ぼんやりと、空を見上げながら言った。


「今日降るのはここじゃない」


 呟きは聞こえなかったようだ。

 ヒダマリ=アキラ自身にも。


―――***―――


「雨だー!」

「きゃー!」


 エリサス=アーティの脳裏に、幼い頃に水たまりを踏んできゃっきゃきゃっきゃとしていた記憶が蘇った。


「設備班はとにかく急いで組み立てて!! 他は洞穴含めて哨戒!! 終わったら中で待機!!」

「おらっ、とっとと入りなさい!! 私の服が濡れるでしょ!! ……ぐっ、意識があるから蠢くってことでいいのね……!?」

「こっちはぎゃー! ……はっ、そうだ!! キュルルンッ、今です今です、傘を出してください!!」

「わたしの魔術は傘じゃない!」

「キュール!? そちらにいるのですか!? 身体が冷えないように―――」

「あーっ! うるせーっ!! いいからとっとと入れ!! フェッチ!! 設備班の護衛編成急いで!!」


 『名前のない荒野』2日目。

 特に重要な基盤となる最初の拠点に多く人を残して進行した本日は、前日よりも移動距離が伸びるはずだったが、早々に中断となった。


 出発直後は快晴だったのだが、しばらく進んだのち、ぼんやりとした雲が出てきたらと思えば、急激に気圧が下がっていった。

 天候が崩れるのを見越し、事前に視界に入っていた巨大なアーチ状の岩石を目指したが、それよりも早く空が持たず、雨が降り出したのである。


 より正確に言えば、雨ではなく、空が落ちてくるかのようなスコールである。

 暴風に激しい雨に、一瞬で視界が奪われ、どっぷりと水を被った。

 みな、命からがら岩石にいくつか空いた洞穴を目指して入り込んだ。


 どうやらここは、自然にできた陥没らしく、雨の悪い視界の中でも複数個所あるのが見える。

 エリーが入り込んだのは、入口こそ少し屈む必要があるものの、奥が広い形状の洞穴だった。

 元々かたまたまかは知らないが、魔物もいないようだ。

 雨よけになるアーチの下は設備班に譲り、近くの洞穴は他の民間人たちに譲り、奥まで走って見つけた洞穴に飛び込んだが、恐らくアラスール=デミオンと思われる魔導士が叫んでいた通り、中の確認をしっかりしてから入るべきだっただろう。

 未だこの雨の中働く者たちには悪いが、雨に強く打たれ、身体中がじんじんする。


 エリーは息の塊を吐き出した。

 つい先ほど、炎天下の中歩き続けていた頃、思いっきり水を浴びたいと思っていた自分を呪った。


「酷い目に遭った……」

「うんうん、凄い雨だよねー」

「!」

「エリにゃん大丈夫? あ、私タオルあるよ」


 息が止まりかけた。

 いきなり背後から話しかけてきたカタリナ=クーオンは、エリーと同じく頭からどっぷりと濡れているものの、まるで気にしていないように鞄を漁りながらにへらと笑った。


 彼女はこの依頼中のエリーのバディである。

 お互いの様子を第一に確認する相方だが、スコールの混乱で、頭の中から抜け落ちていた。


「え、ええ。ありがとう。あたしも持ってるから大丈夫。……カタリナ、ごめん、あたし急に走っちゃって」

「いいよいいよー。……あーあ。タオルも濡れちゃってるや。馬車の方は大丈夫かな?」


 カタリナは濡れたタオルを絞って顔を拭きながら、洞穴の入口から空の様子を窺うように身を屈めた。

 外界を遮断するような大雨で、空もほとんど見えない。


 酷い目に遭ったが、元気な彼女と一緒にいると気が楽になる。

 そう思ってエリーも似たように身を屈めると、ふと、カタリナの横顔が目に入った。


 綺麗な白髪が水に濡れて艶やかで、整った顔立ちに、瞳も大きく、まつ毛も長い。

 美麗、と言うのが正しいだろう。

 彼女はどこかの王族らしい。

 笑っている様は抜けているように見えるが、口を閉じていると確かに説得力がある見た目だった。


 『名前のない荒野』の進行は、哨戒も兼ね、馬車で進み、馬を休めながら歩き、を大人数で繰り返している。

 見渡す限りの荒野で、見通しもいいからか、この大人数を前に、今日も魔物は出ていない。


 そんな退屈な移動中、短かったが、本日エリーはカタリナの隣で行動していた。

 色々と話をしてくれたり、にこやかに笑ったりしていたが、時折、疲弊からか、話の種を考えているからか、こうして静かになることがある。

 ティアでいうところの緊急停止のような気絶の代わりなのかもしれないが、こうした表情を見るたびに、エリーは昨夜の彼女の瞳を思い出すのだ。


「……」


 洞穴に、滝壺にいるような雨音が響いている。


 空の様子を窺うカタリナの瞳は、ぞっとするほど冷ややかだった。


「……そうだエリにゃん。奥の人たちはお友達?」

「え?」


 はっと我に返ると、間抜け面が目の前にあった。

 ぼうっとしていたせいで、とても失礼なことを考えてしまった気がする。


「って奥? 誰かいるの?」

「多分。さっきちらっと光ったし」


 外の方を見ていたのに何を言う。

 しかしカタリナの方は確信しているようで、じっと奥を見つめた。


 魔物の可能性もある。

 エリーも倣って身構え、慎重に進むと、確かに、ぼんやりとした光が見えた。


「結構奥が深いわね」

「わー、って声出すと響きそうだね?」

「出さないでね?」


 念を押して、魔術で明かりを灯して進もうとしたそのとき、カタリナの言う通り、ごわんと音が響いた。

 まだまだ奥が深いらしい。だが、人の声のように聞こえた。


「誰かいるのか?」

「あれ?」


 聞こえたのは知っている声だった。

 進めば進むほど雨の音が遠ざかり、よりはっきりと聞こえてくる。


「サクさん? サクさんなの?」

「……エリーさんか」


 現れたのは、絞ったばかりの濡れた赤い衣を羽織ったサクだった。

 大人数で行動しているせいで、久しぶりに知り合いの顔を見られた気がする。


「よかった、サクさんもここに?」

「……ああ」


 サクは、不機嫌そうに眉を寄せた。

 彼女の様子もおかしかったことを思い出したが、今は輪をかけて不機嫌そうに見える。


「サクさん、何かあった?」

「あったというか……、そもそもエリーさんはどうしてここに?」

「どうしてって、雨宿りよ」

「いや、そういうわけじゃなくて。随分と奥の方の洞穴を選んだなと」

「そうなの? 近くのはあっという間に埋まっちゃって、無茶苦茶に走っただけだけど」


 突然の大雨に周囲の状況などほとんど分からなかった。

 突き刺すような強い雨の中、がむしゃらに走ったのは自分だけではないだろう。

 幸いにも魔物はいなかったようだが、大人数な分、出現していたら甚大な被害が出ていたかもしれない。


「……というか、それ、サクさんもじゃない」

「私の場合は、依頼の指示に従っただけだ」

「指示?」


 またサクの表情が険しくなった。

 そしてちらりと奥に視線を投げる。


「誰かいるの?」

「ああ。というか、そのせいで私もここにいる。……まあ、結果だけ見れば私たちが奥に来たのは正解だったか」


 自分たちがここにいるということは、手前の洞穴は民間人に譲れたということでもある。

 そう言いたいのだろうが、サクは釈然としない様子だった。


「誰? ……って、ああ、依頼の指示ってそういう。サクさんのバ……」

「―――うるせえな」


 奥から声が響いた。どくりと胸が鳴る。

 芯の通った声は、攻撃的な匂いがした。


 恐る恐る歩を進めると、洞穴の最奥、金色の眼に射抜かれる。

まるでそこが王座のように、窪んだ壁に背を預けて立つ大男がいた。


「スライク、さん? も、ここに、」

「……赤毛か。それに……、ち」


 スライク=キース=ガイロード。

 エリーと同じく、この依頼の指定Aの『剣の勇者』。

 同じ依頼を請けたこともあり、面識がないわけではないが、正面から彼を見たのはもしかしたら初めてかもしれない。

 薄暗い洞穴の中、重く、鋭い気配がする男だった。


「彼のバディって、サクさんなの?」

「……マルドさんが言うには消去法らしい」


 サク以上に不機嫌に見えるスライクは、顔をしかめた。

 エリーの頭は状況整理が間に合わない。


 そういえば、自分のよからぬ噂に気を取られ、他の面々がどういうことをしているのか知らなかった。


「ええと、その、お邪魔します?」

「騒ぐなら外でやれ。その刀の女共も連れていけ」

「……む。ま、まあ、雨が止むまではいますよ」


 攻撃的な物言いをするスライクに、エリーは辛うじて言葉を飲み込んだ。

 あのマルドがはっきりと輪を乱すと言っているのもよく分かる。


 だが、無駄な喧嘩をしている場合でもない。

 ゆっくりとサクを見ると、彼の態度に慣れてしまったのか、あるいは諦めてしまったのか、ため息交じりに肩を落としていた。


「サクさん、よく……、ええと、なんで彼と? 消去法って」

「なんでと言われてもな。依頼参加者で、あの男について行けるのが私だけらしい」


 サクが不憫に思えてきた。

 彼女は真面目で、何事にも真摯に取り組む。

 一方スライクはマルド曰く、自分基準でしか動かないらしい。


 だが、ふたりの速力は抜きんでている。

 要するに、何をしでかすか分からないスライクと組むには、前提として彼に“撒かれない”のが最低条件なのだろう。

 そのせいで、エリーの感性上、相性の悪い組み合わせが生まれていた。


「ち。案の定マルドの入れ知恵か。あの修道女がいなくなったと思えばこれだ。まあいい。とっとと魔門を斬り殺せば終わることだ」

「さっきも言ったが、今日はここで待機になるだろう。ひとりで出歩けると思わないことだ」

「……はん、やってみろよ」

「ストップ! とにかく雨が止むまで待ちましょう」


 サクの気苦労がよく分かった。

 傍から聞いているだけでも、彼がこの集団行動から抜け出しひとり魔門を目指しかねないと感じる。

 この依頼は魔導士隊の方々がしっかり進行してくれているのだ。

 エリーとしては規律を乱すのは見逃せないが、それ以上にこんな喧嘩で無駄な体力を使うのも馬鹿らしい。


 スライクが勝手に外に出ないようにさりげなく道を塞ぎながら、エリーはサクを落ち着かせるように頷いた。

 これからはサクのフォローをしつつ、スライクの動向に目を光らせることになりそうだ。


 もしかしたら自分も不憫なのかもしれない。

 気づくといつも自分がこんな役回りになっているような気がする。


 だが、ひとまず口を閉ざしてくれたスライクを盗み見ながら、エリーはぼんやりと、マルドの言葉を思い出した。


 彼は、正解を引くという。


「……ところで、エリーさんとバディなのか。カタリナさん、だったな。よろしく……ええと?」

「……」


 サクが、エリーの後ろのカタリナに声をかけた。

 振り返ると、カタリナが、じっとサクを見つめている。

 いや、睨んでいる、ような気がした。


「カタリナ?」

「……ううん、何でもない。よろしく。……あ、大きな剣の人だ」

「はーいカタリナ、入口の方で雨の様子見てきましょうか」

「え? うんうん、そろそろ止むかもしれないしねー」


 せっかく場を収めたのに危険な匂いがしたエリーは、カタリナを強く外へ誘導した。

 スライクから目を離さないようにしていたサクも連れ、一旦外を目指す。

 流石に最奥にいるスライクが消えることは無いだろう。


「……ねえサクさん、やっぱりカタリナと知り合いだったりする?」

「いや、前も言ったが会ったのはこの依頼が初めてのはずだ。……だが、見かけるたびに睨まれているような気がする」


 先行するカタリナを追いながら、小声で聞くとサクはまた肩を落とした。

 彼女は依頼が始まってから様々なトラブルに見舞われている。


「じゃあ夜にでも聞いてみるわ。知りもしない相手から睨まれるなんて嫌でしょう」

「ああ頼む。まあ、同じ武器種の使い手として、『武の剣帝』自体は知っていたが、会ったことはないはずだ」


 カタリナは知らない相手を睨むような娘じゃない、と思いたい。

 だが、最初に彼女と会ったときも、妙に様子がおかしかったのを思い出す。

 サクの言う通り、ふたりは同じ武器種を使う。もしかしたらカタリナの方もサクの噂を知っていて、ライバル心でも持っているだけかもしれない。

 噂に翻弄されている身としては、そういう誤解は積極的に解消してあげたくなる。


「まあ、お互い色々大変そうね。サクさんはバディも不運なのに。……?」


 より一層の小声で付け足すと、サクはふっと笑った。


「……いいや、私はラッキーだよ」

「……?」


 そこで、何か、妙な気配を拾った。


「みんな下がって!!」

「―――どいてろ」


 ごわんと響いたカタリナの声に、斬り割くような鋭い声を拾った。

 背後からの暴風。


 それに抜き去られるか抜き去られないかの間に、エリーとサクも駆け出した。

 未だ洞穴の外は滝のような雨が降り注いでいる。


 カタリナの静止も聞かず、躊躇なく飛び出すと―――戦闘の匂いを確かに感じた。


 騒ぐなら外らしい。


「―――ぶっ」


 飛び出たと同時、口いっぱいに入り込んだ雨水を吐き出したエリーは、豪雨の中、小型の馬の群れに囲まれていた。

 一瞬、馬車を引いていた馬が暴れ出したかと思うも、視界の悪い豪雨の中、それでもはっきりと漂ってくる殺気が否定する。


 『名前のない荒野』で最初に出会った魔物は、ヨーテンガースではよく見かける魔物であった。

 群れを成して行動する、移動能力に優れたその馬たちは、その移動範囲ゆえによく見かけ、しかし膂力が非常に高い危険な魔物である。

 個々の力はさほどでもなく、しかし群れで高速で行動するがゆえに対処しきれず、数々の街や村を蹂躙するという。


 豪雨の中、十、いや二十超の影が見えた。

 もしかしたらこの場所はこの魔物たちの縄張りなのかもしれない。


 だが、突如として出現した魔物たちに面食らったとはいえ、この魔物ならば対処可能な範囲である。

 それでも、エリーは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。


 この魔物たちは―――ファリオベラという。

 一瞬、ドラクラスへ向かった際、自分たちが乗る馬車を猛追してきた黒い影が脳裏を過った。


「エリーさん!! 『武の剣帝』に近づくなよ!!」


 視界は悪く、数も多い。

 孤立していたらしいエリーたちの後ろの方にいる魔導士たちもまだ気づいていないかもしれない。

 一瞬連絡を優先すべきかと思った瞬間、サクの斬り割くような声が響いた。

 我に返ると、隣にいたはずのサクが一瞬で視界の悪い雨の向こうに消えていく。


「サ、サクさ、……ぐっ!!」


 エリーは歯噛みして構えを取った。

 後ろには大勢の民間人がいる。

 魔導士の誰かは気づいたかもしれないが、視界の悪い豪雨の中、ファリオベラに雪崩れ込まれたら民間人を守り切れない。


 選択はふたつ。

 一刻も早く魔導士隊に魔物の出現を伝え、拠点の構築を急ぐ民間人を非難させる安全策。

 そして、もうひとつは、サクがしたように。


「―――はっ、暇潰しにもならねえな」


 正解を引く男の姿が消えた。

 豪雨の中、落雷のような斬撃音がどこからか響く。

 魔導士隊の方々が近くにいる今、自分が取るべき行動は、と脳裏を過った選択肢が吹き飛んだような気がした。


「―――スーパーノヴァ!!」


 見えた魔物の影に、エリーは拳を叩き込んだ。

 不気味な嘶きと共に影が吹き飛んでいく。


 答えは最初から持っている。ここで迷うくらいならこんな場所まで来ていない。


「―――ぶっ、はぁっ!!」


 雨水を吹き出し、目の前の影を殴り、吹き飛ばし、がむしゃらに戦っていると、どんどん頭がクリアになっていった。

 雨は徐々に落ち着きを見せているようで、視界も回復していく。


 殴り飛ばしたファリオベラの向こう、各々の姿が僅かに見えた。


 ヨーテンガースに足を踏み入れている者たちだ。

 規格外の強さを誇る。降って湧いたような魔物など、相手にもならない。


「……っ」


 エリーは頭を振った。意識をさらに戦闘に落としていく。

 取り残されている自分にとっては初めての、ドラクラスの本格的な依頼だ。

 この希少な機会を漠然と過ごしていてはますます置いていかれる。

 今自分たちが足を踏み入れている世界の基準を見定めなければならない。

 この面々の超人的な戦闘力を前にしても、ただ強いの一言で済ませるな。


 そう。一言に強いと言っても、様々な能力があるのだ。


 自分で言うのも気恥ずかしいが、火曜属性たるエリサス=アーティの長所は攻撃力だ。

 体勢不安や相手の防御をほとんど無視し、少ない手数で決着させられる。

 ファリオベラが突撃してくる程度なら離脱は不要で、ほとんど無視して正面から拳を放てばいい。

 “攻撃回数が少なくていい”は、戦場では大きなアドバンテージだ。


 一方、最もよく知るミツルギ=サクラは、水を吸ってぬかるむ足場で、それでも変わらぬ戦闘力を発揮していた。

 金曜属性であり、その力を足場に展開する彼女は環境によらずその速力を保ち続ける。

 ファリオベラの動きは速いが、特に近距離の移動では、彼女には遠く及ばない。

 この群れは“知恵持ち”のようで、サクの速度を警戒し、一定の距離を保とうとしているも、傍から見ていてもぎょっとする速度で瞬時に間を詰めていた。


 “速度”。

 彼女の長所は、ただそれだけで優位に立てる。


 そして、サクの向こうに見えたのは、いつしか遠方に離れていたカタリナ=クーオン。


「! カタッ、……!?」


 カタリナの背後に回っていたファリオベラが見え、エリーが声を上げかけた瞬間、魔物の首が飛んだ。

 抜き放たれている刀は、流石にサクよりは短い。


 十人十色。

 人には人に合った武具がある。

 長いサクの刀と比べるのも違うだろう。


 “だが”。

 彼女の動きは、刀とはそうあるべきだと思わせるほど完成していた。


 血しぶきひとつ浴びず、雨の中、彼女のイエローに輝く一刀は舞うように、美麗に輝いている。


 俊足で動き回るサクと異なり、カタリナはほとんどその場から動かずに戦い続けていた。

 動きが鈍いわけではない。“戦い続けられている”だけだ。

 エリーのように、あるいはエリー以上に、回避の必要が無いから動かない。


 前からの突撃は当然として、彼女を囲い、死角から突撃するファリオベラも、エリーが瞬きする間に首を撥ねられている。

 常人では拾えないはずの位置。存在するはずの死角からの攻撃。

 そのすべてを、まるで空から見下ろしているかのように、寸分違わず敵の急所に刀が走る。


 魔物の死骸、戦闘不能の爆発、その血しぶきすら、彼女を囲うように巻き起こる惨劇が、しかし彼女には届かない。


 何が起こっているかは分かる。

 至極単純に、向かってくる敵の急所に、その一刀を放っているだけだ。


 だが漏らさない。外さない。


 攻撃速度。正確性。戦場の把握能力。

 秀でているのは何か、あるいはすべてか。


 それぞれの能力は、確かにどれもこれも現実的な技術の延長線上にあるように思える。

 だが、すべてが理論値だけで構成されているかのように、現実にして現実で無い。

 恐らくファリオベラすらも何が起きたか分からないまま絶命しているだろう。


 『武の剣帝』。

 断末魔すら上げずに倒れる魔物の向こう、氷のような彼女の瞳に胸の奥を射抜かれたような気がした。


「―――ち。今さら何しに来やがった」

「い、今さらって、わたしくがどれほど貢献していたかご存じですか? 取り残された方々をここまでお連れして、積み荷の運搬まで、」

「待ったカイラ。で、スライク。状況は?」

「見りゃ分かんだろ。終わってる」


 そして。

 脳が理解を拒んだ男が、いつの間にか合流していたマルドとカイラと話していた。


 雨はいつの間にか上がっている。


 あの男は、サク、そしてカタリナを見ている間も、どうあっても視界に入り続けていた。

 サクのように足場を改善したわけでもないのに戦場を暴風のように襲い尽くし、敵の行動には理不尽なほどの殺意を押し付け封殺し、その大剣は、豪雨の中、雷雨から現出した雷のように放たれる。

 剣だけではない。泥を跳ね上げ視界をくらまし、弱った魔物を投げ飛ばし、“暴れ回っていた”としか認識できなかった。

 彼が支配した戦場の中、惨状と言うに相応しい爆心地に、息ひとつ切らさず剣を納めていた。


 エリーも集中して動きを見ていた。

 だが、分からない。理解できない。


 一言に強いと言っても、様々な能力がある。

 だが、この男はただ強いとしか表現できない。


 スライク=キース=ガイロード。

 その怪物は、その戦果を前に、金色の眼に退屈を携え、鬱陶しそうに髪をかき上げた。


 彼は輪を乱す。しかし正解を引くという。

 尋常ならざる戦闘能力ですべてを斬り割き、彼自身が意図せずとも、否が応でも人々の希望となる、なってしまう『剣の勇者』。


 エリーにとっては、この依頼で、負けられない相手である。


「……っと。真面目に真面目に。勝負事じゃない勝負事じゃない……」

「エリーさん、無事でよかった」


 自分の思考に嫌気が差してかき消していると、丁度そうした思考を嫌うサクが息を切らせて歩み寄ってきた。

 確かに傍から見ていて、あの動きをするスライクに撒かれないのはサクくらいであろう。

 可能性があるのはあと数人いるが、そのうちのひとりはサク以上にまずいことになるので、やはり消去法という言葉が正しいのかもしれない。


「サクさんも。よかったわ、何とか処理し切れて……、あ、イオリさんだ」


 遠目に見えたイオリが手を振ってくれた。その向こうにはアーチ状の岩石が見える。自分たちが入っていた洞穴はすぐそこにあるので、サクの言う通り、気づけば随分と奥まで進んできてしまっていたらしい。

 思わず手を振り返したが、よくよく考えると彼女は魔物の出現を察知し、自分たちが討ち漏らした魔物から民間人を守ってくれていたのだろう。

 単なる親愛の証ではなく、被害が出ていないサインだと気づいて、羞恥心から顔を伏せた。


「……そうだサクさん。さっき、カタリナに使づくなって言ってた?」

「ああ。『武の剣帝』の噂でな。戦場で近づくのは命知らず、とは聞いていたから」

「あ、ありが、とう」


 ふとカタリナを見ると、彼女の周囲は大地が吹き飛んでいた。

 戦闘不能の爆発だろう。しかし、まるで円を作るように、彼女の足元は元のままだ。


 声をかけられない。

 戦場を襲い尽くしたスライクと違い、彼女は泥すら浴びておらず、まるで自分だけの聖域を造り上げたかのようにその中央で佇んでいる。

 神秘的な光景の主の表情は、見えなかった。


「……じゃ、じゃあ戻りましょうか。まだ曇り空だし、今日はここに拠点を作るのかな?」

「どうだろうな。イオリさんに聞きたいところだが、私はまだやることがある」

「あー」


 サクが目を細め、マルドとカイラを追い払うように手を振っているスライクを睨んだ。

 目を離してはならないバディがあれではサクの受難は続くだろう。


「それじゃあとでね。……あれ。そういえばサクさん、さっき、ラッキーとか言ってた?」


 遠くで何やら慌ただしくなったイオリをちらりと見た。彼女も召喚獣をラッキーと呼ぶが、そのことでは無い。


 去り際にふと、魔物が出現する前にサクがそう言ったような気がする。

 聞き間違いかもしれない。

 だがサクは、神妙な表情を浮かべた。

 強い違和感を覚える。


「ああ、ラッキーだよ。指定Aのスライク=キース=ガイロードは魔門まで行く。つまり私も魔門破壊に参加できるということだからな」

「……サク、さん?」


 一瞬自分を気遣ってくれているのかと思った。

 だが、彼女の瞳は、あるいはカタリナ以上に冷ややかに見えた。


「私たちとエリーさんたち。どちらが魔門を破壊するか勝負だな」


 一番、言うと思わなかった相手が、そう言った。


「―――カイラちゃん!! 手を貸して!!」


 口を開く前に、魔導士アラスール=デミオンの怒鳴るような声が聞こえた。

 びくりとして身構えると、アラスールが必死の形相で駆け寄ってくる。


「カイラ、何かあったみたいだ、行こうか」

「ええ。……ではスライク様、くれぐれも単独行動をしないように」


 カイラの言葉をはっきりと無視したスライクに、カイラが怒鳴るために息を吸ったのが分かった。

 カイラのバディはマルドなのだろう。彼女を宥めたマルドは、駆け寄ってくるアラスールへカイラを促す。

 カイラもスライクを追える者ではあるだろうが、やはり、消去法なのかもしれない。


「アラスールさん。どうかされました? 荷物はすべて運んだつもりでしたが」

「そっちじゃないわ、いいから早く来て! 緊急事態よ!」

「何かあったんですか?」


 アラスールの様子にただ事ではないものを感じ、エリーは思わず口を挟んでしまった。

 アラスールは鋭く周囲を窺い、面々を見渡す。

 漏らしていい相手かどうかを見定められた気がした。


「他言無用でお願いね。さっき伝令が届いたばかり。事実確認を最優先にしたいの」


 豪雨が上がり、鬱陶しい湿気が身体中に纏わりつく。

 雨降って地固まると言うが、今は大地がぬかるみ、足元はおぼつかない。


 戦闘の異臭が立ち込める中、アラスールは、深刻な表情で、声を絞り出した。


「最初の拠点が、壊滅したらしいわ」


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