第68話『光の創め11---幕間-起こっていたこと---』①
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―――***―――
自分は、淡く、普通の、平凡な人間だ。
生まれはアイルークの一般家庭。
目的もなく平俗に育ち、流されるままに旅の魔術師となった。そして流れるように大陸を渡って生きていった。
食うに困るほどではなかったくらいだから魔術の才能がそれなりにはあったようだが、自分の人生を客観的に見ると、あくまで“その他大勢”に分類される程度でしかなかった。
世に名を轟かせる者たちとは違い、崇高な理念や拘りも無く、ましてや突出するほどの力を持っているわけでもないのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
こんな簡単なことにすら、歳を取ってから薄ぼんやりと気づくようなのだから始末に負えない。
だけどそれが自分で、自分の人生だ。
そしてある日。
旅の魔術師という職、あるいは魔術そのものに拘りが無いのがすべての原因とは言わないが、自分はきっと、道を踏み外した。
きっかけとなったのは、シリスティアの、徴収率の高い依頼所で依頼を請けたことだったかもしれない。
曖昧な自分の人生だから、明確なターニングポイントとは言えないが、割に合わない依頼を請けさせられ、不平不満を並べ立てる、自分と同じような“その他大勢”と出会った。
正規の依頼ではなく、依頼主個人と直接契約を交わすと、当然マージンは取られない。
そんなコネがある者がおり、淡い人間であった自分はほいほいと上手そうな話に食いついた。
最初のうちは魔物討伐や小さな商会の運搬護衛など、まっとうな仕事ばかりだったが、グレーゾーンにいた自分たちは、魔術師隊などの目を避けたい、後ろ暗い者たちの目に止まったらしい。
煙たがられている個人商店への居座りから始まり、明るみに出せない“何か”の運搬、詐欺まがいの宗教団体のケツ持ちなど、徐々に徐々に、灰から黒へ、足を進めていってしまった。
倫理観を無視すれば実入りのある仕事ではあったが、リスクはすべて押し付けられる。
それ自体は問題ない。問題はきっと、その後だ。
利用されるだけの駒としての月日が経ち、やはりそうしたことにも拘りが無かったせいか、さしたる憤慨もなく、そろそろ足を洗おうかとやはり曖昧に考えていた頃を思い起こすと、“まだマシ”だった。
同じような“その他大勢”の誰かが言った。
自分たちが“利用する側”に回ろうと。
自分も含め、誰にも異論がなかった。
賛成したわけではない。反対しなかったのだ。
自分たちの集団にはそうした意志が無い。だがそれゆえに、甘い蜜には吸い寄せられる。
誰とも分からぬ者から依頼を請けるのではなく、自分たちが稼げる仕事を作り出そうと考えたのだ。
そうすれば、“依頼主の利益も合わせて自分たちのものになる”。
下手に非倫理的な仕事のノウハウばかり溜めてしまったのが悪かったのだろう。
魔術師隊の圧力が弱い村や町で護衛と称して荒稼ぎしたり、自分たちで壊した魔物対策の罠を高値で売りつけたりと、今まで請けた依頼を真似た手口で意外にも成功してしまった。
噂が立ち、自分たちを検挙しようと魔術師隊が動き出した頃には、やはりその地にも拘りが無いので、遥か遠方に逃げおおせ、また似たような、あるいはより劣悪な手口でその地を荒らす。
幾度か繰り返している頃には、仲間内の誰もが、人を騙すことに何の抵抗も躊躇いも無くなっていた。
シリスティアの貴族問題やら、タンガタンザの戦争被害やら、崇高な意思や生命の危機に同情的に接し、不当な金額を巻き上げる。
平凡だった自分たちが、名実ともに犯罪集団となっていることに気づいた頃には、その事実すら抵抗なく受け入れられるほど心は麻痺していた。
だがそれでも、運悪く仲間内の誰かが検挙されたときは、心が疼く。
長らく自分と共にいた者を失うのは、はっきりと、悲しいと言えた。
自分は中途半端で、犯罪に染まり切ったわけでもない、普通の感性を未だに持っているのだろう。
そして、流れに流れ着いたこのドラクラス。
自分は、他の“その他大勢”をすべて失った。
慣れぬ街で、腕試しとばかりにケチな窃盗を試みるも、あっさりと露呈し、自分を含む仲間すべてが瞬時に制圧されたのだ。
突出した魔術の力があったわけでもないが、自分たちの“職業”は何かと力もいる。
このヨーテンガースでも最低限は通用した自分たちが、たったひとりの男になす術もなく制圧され、痛みよりも“旅の魔術師”としてのショックに先に襲われた。
ヨーテンガースの南部を訪れ、犯罪集団を気取っていた割に、やはり自分は、まだまだ普通なのだろう。
そしてそんなショックの中、現れた別の“異常”に、何故か、自分ひとりだけ逃げるように“指示”を受けた。
何故かが分からないから、“異常”なのだろう。
ご丁寧に盗品の一部も持たされ、断腸の思いで仲間を残し、しかしそれでもあまりの“異常”を前に、我を忘れて逃げた普通の自分は、気づけば翌朝、休業中らしい宿の庭で倒れ込んでいた。
そこからは、“いつも通り”だった。
貯えはある程度あるし、人目を忍んだ生活も得意である。
幸い今はドラクラスで騒ぎが起こっているらしく、数多くの“種類”の人間が街中にいた。自分たちのような奴らも、あるいはそれ以上の奴らもいるだろう。
日々を過ごし、自分はいつも通り、“その他大勢”となった。
検挙された仲間たちはどうしているだろう。
救えるなら救いたいが、なりふり構わず行動したところで結果は見えている。
そして、これはきっと本心だ。
仲間を思うと心は痛むが、“自分が痛む方がもっと嫌だ”。
どうやら自分は、仲間にも拘っていなかったらしい。
そして、現に、仲間よりも、その仲間を失った際に得た、小袋の方に関心を向けてしまった。
盗品の方は悪品と言われたが、小袋の方は、盗み出したときには気づかなかったのが不思議なほど、妙な高級感があった。
チャイム雑貨店。
少し調べたところ、小物や装飾具などを雑多に取り扱う、独自のブランドも持つ高級趣向の店のようだ。
犯罪者としての矜持、仲間たちへの執着、というわけでもないだろうが、次に“事”を起こすなら、この店にしたいなと、ぼんやりと思っていた。
もちろん、拘りなどないが。
それでも未だにドラクラスに滞在しているのは、仲間のことで後ろ髪を引かれているという最後の、そして普通の“良心”なのだろう。
やはり自分は、普通に“その他大勢”だ。
そんな変わらず淡い生活をしていると、不運な変化が訪れた。
寝床に利用していた休業中の宿に動きがあった。
開業でもするらしく、準備で多数の業者が世話しなく出入りするようになったばかりか、何故か魔術師隊すら周辺で見かけるようになったのだ。
“その他大勢”は立ち向かうことなどしない。大人しくその場を離れた。
別の空き家を見つけたが、先客がいたり、魔術師隊の巡回経路にぴたりとはまっていたりと、前の場所の広さと身の隠しやすさを知ってしまったが故に、他の場所はどこも物足りなく感じてしまい、点々と住居を移す羽目になった。いつものことだ。
このドラクラスにいるのもそろそろ潮時かもしれない。
これだけ待っても前の仲間は現れない。いっそ諦めた方がいいだろう。
理念は無い。拘りも無い。自分はあくまで普通の感性の、その他大勢。
いつも通り、呼吸をするように、“何か”をして次へ向かえばいい。
そして、“その日”。
人目を忍ぶなら深夜よりも早朝である。
顔を見られた。だから、普通に、嫌だった。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
きゅるきゅるきゅる、という、音が鳴った。
エレナ=ファンツェルンに案内されたその店は、ドラクラス1階の小道の先にあった。
ゲートからやや離れているものの、依頼所や医療所などの施設が設けられ、昼時を過ぎたにもかかわらず雑踏が目立つ大通り。そこから滑り込むように小道に入ると、人通りはまばらになり、音が切り取られたような道が続いていく。
すたれた商店や民家が並び、商業エリアなのか住居エリアなのか判断が付かない、ドラクラスの“その他”とでも言うべき空間の奥、喫茶店のような小料理屋が構えている。
店先で、夜まで準備中と書かれた看板を見たような気がするが、エレナが躊躇なく扉を叩くと、休憩していたのか慌てた様子で出迎えてくれた店員が、にっこりと笑って出迎えてくれた。
また迷惑を、と思ったが、出迎えてくれた店員の心からの笑顔に、エレナへの下心かプロの根性のどちらかを垣間見た。
もしかしたら、生命を脅かす危機から来る防衛反応かもしれない。
やはり、自分の人を見る目はあてにならないようだ。
ヒダマリ=アキラは、通された最奥の個室で、運ばれてきた水に口を付けた。
氷入りで、雪解け水のようにひんやりと冷たく、妙に美味しかった。誰かが言っていたが、現在のドラクラスの位置の関係で、水は潤沢にあるらしい。
シャンデリアのような照明や観葉植物などのインテリアがいくつか飾られているが、圧迫感は覚えない、レンガ積みの白い壁のこの部屋は、以前エリサス=アーティも来たことがあるとエレナが何故か渋い顔をしながら教えてくれた。
窓も無いのに明るく、開放感があり、部屋自体の居心地は悪くない。
エレナに渡されたメニューを見ると、やや割高の料理が並んでいた。ドラクラスの物価からしては平均値だろうか。
先に金額に目を通した自分の浅ましさを呪いつつ、それでも肩肘張るほどの値段ではないようで、そういう意味でも過ごしやすい。
高過ぎず、安過ぎず、適度、という言葉が似合いそうな店だ。
そういえば昼を食べ損なっていた、と、アキラが何気なくメニューを眺めていると、妙な音と共に、正面に座る、ススキ色の髪の女性の顔が、真っ赤に染まっていった。
『雪だるま』イスカ=ウェリッド。
別称が付くほどの旅の魔術師らしいが、彼女の身体が別称通りなら溶けて流れていきそうだった。
「もう決めた? ま、悩むようなら適当に見繕わせるから後で頼みなさい。私お腹空いちゃってさ」
アキラの隣に座るエレナが、持っていたメニューを乱雑に投げながら注目を集めた。
そして何事もなかったように部屋の入口に立つ従業員に視線を投げる。
従業員の男は表情を崩さず一礼して去っていった。
無視をすることに決めたようだ。
きゅる。
「エ、エレナ。なかなかいいお店を知っていますね。ご招待いただいてありがとうございます」
イスカは、凛とした様子で微笑んだ。BGMが気になるが、アキラも無視をすることに決めた。
妙な音はともかく、水を飲む指の伸ばし方も、口に運ぶ仕草も、音を立てないコップの置き方も、イスカの所作は、エレナに負けず劣らず優雅だった。
彼女に覚えていた妙な既視感はこれだったのだろうか。
イスカはエレナと知り合いだったらしい。シリスティアの幼少期となると、上流階級だろう。シリスティアでは“貴族”という表現を使っていた。
つまり、イスカは本来アキラとは縁もゆかりもないお嬢様である。
だが、隣のエレナしかり、今はこうして卓を囲んでいる。
それぞれ、決して喜ばしい理由ではないのだが。
「……。勇者様の前で嘘は吐けませんね」
イスカは、か細い声で切り出した。
青い瞳をすっと細め、エレナを見つめる。
彼女について、アキラは知りたいことがある。
イスカ=ウェリッドの俗称である『雪だるま』。
『雪だるま』は、仲間も敵も見境なく命を奪うとされる危険な旅の魔術師だそうだ。
それは流石に噂が噂を読んだ結果らしいが、事の発端となった事件がある。
シリスティアで発生したらしいその事件の被害者はヴァリス=ウェリッド。
イスカの父親であり、そしてイスカはその加害者だ。
事件自体は正当防衛として処理されていることはホンジョウ=イオリから聞いたが、自宅で、イスカから直接話を聞いたアキラは、違和感を覚えている。
正当防衛であることをアキラは後から知ったのだが、そのとき彼女ははっきりと、自分が意志を持って殺したと、重々しく言ったのだ。
たとえ正当防衛でも人の命を奪ったのだから決して軽い話ではないのだろうが、それでも建前上は事故である。
それだというのに、イスカは、魔術師隊や魔導士隊に追われ、まともに職にありつけないという。
あのときのイオリの思考の後追いだ。
心情的なものを除けば、彼女に非は無いことになっている。
奇妙なイスカを取り巻く環境に、アキラは興味本位で首を突っ込もうとしていた。
そして。
話せば話すほど、それとはまた違った感覚をイスカに覚えていた。
やはり彼女のことが、何故か気になるのだ。
観念したような表情になって、イスカは小さく言った。
「エレナ。実は私、今日職を失って……。困ったことになっているの」
震えながら言ったイスカに、アキラは肩を落としかけた。
知りたいのはそれではないのだが、彼女にとって深刻な問題だけに口を挟めない。
旧友らしいエレナの前だからだろうか、姿勢を正し、少しでも余裕を張ろうとしているのが分かるが、先ほど話を聞いたアキラからすると、彼女は崖っぷちに立たされている。
やはり『雪だるま』の件を聞くのは難しいのかもしれない。
本人にとって悪しき記憶らしく、その上、現状も悪夢のような生活を送っているのだ。
彼女が話してくれるまで大人しく待った方がいいかもしれない。
「さっきも言ったけれど、食費も、心細いくらいで……」
飲食店特有の匂いに刺激されたせいか、きゅる、とまた何か音が鳴った。
最低限のプライドからか、イスカは拳で自分の腹を抑え込み、外見上は、あくまで平静を装っている。
「? 旅の魔術師ってもともと無職みたいなもんじゃない」
そしてエレナの方は、まったくの素の様子で、方々に敵を作りそうなことを言った。
「わ、私は旅の魔術師じゃないわ。た、多少は名が通ってしまっているけど、……『雪だるま』は、旅の魔術師なんかじゃない」
「? 雪玉? ねえアキラ君、この娘さっきから何を言っているのかしら?」
「色々整理した方がよさそうだけど、そもそもエレナは『雪だるま』の話を覚えていないのかよ。イオリが教えてくれたじゃないか」
きょとんとする仕草が愛らしい。
エレナの他者への興味に期待するのは無謀なのだろう。
「さっき俺が聞いた話だと、イスカはドラクラスの民間の仕事についていたらしいが、なんだっけ……店が燃えた? とかで、困ってるらしいんだ」
「ぐ。……え、ええ、そう、です」
「なんだ、私と似たようなもんじゃない」
「エレナも?」
「ええ。私は旅の魔術師ってことになってるもの」
やや高揚したイスカの表情が固まり、青い瞳が水気を失っていく。
組み合わせると、無職だと言われたのだと理解したらしい。
後のないイスカにしてみれば、改めて状況を他者から言われるのは辛いだろう。
だが、まとまりの無い話の中、アキラも、そしてイスカも、眉をひそめた。
話がかみ合っていない。
「待ってエレナ。……旅の魔術師? あなたが? ……勇者様。その、どういうことでしょうか?」
「……やっぱりそこからこんがらがってるんだな。エレナは俺たちと一緒に旅をしているんだよ」
「はい?」
「あれ。私言ってなかったっけ?」
イスカの目が丸くなった。
アキラが合流するまでふたりがどういう会話をしていたか知らないが、エレナがその辺りの説明をしているわけがないと確信した。
客観的に考えると、イスカの誤解は理解できる。
エレナの旧友。つまり、イスカのエレナへの認識は、シリスティア有数の貴族である、ファンツェルン家のご令嬢である。
そんな人物が、魔王を倒すという危険極まりない旅に同行しているとは夢にも思うまい。
イスカの青い瞳が、強くなってアキラに突き刺さった。
「ゆ、勇者様。あなた一体……。い、いいえ。その、恐れ多いですが、なんてことを……!」
「誤解の無いように言っときたいけど、勇者の特権とやらで強引に連れてきているわけじゃないからな」
「えー、あんなに情熱的に誘ってくれたじゃない」
「エレナ、マジで今は黙っていて欲しい」
今日も聞いた勇者の力とやらは想像以上に強いらしい。
それなりに実績があれば、確かに貴族のご令嬢を強引に旅の仲間にすることすらできるのだろう。
もちろんアキラにはそんな度胸は無いつもりだが、よくよく考えれば魔導士隊に務めているイオリやマリスを勧誘すらしているのだから、気づかぬところで多大な恩恵を受けているのかもしれない。
だがイオリを思い起こしたからか、ふと、奇妙なことに気づいた。
「というかイスカ。エレナのこと、知らなかったのか? イオリのことは知っていたみたいだったけど」
「……ホ、ホンジョウ=イオリは有名ですし、勇者様と旅をしていると方々で噂を聞きました。……でも、エレナが……? え、ええー」
未だショックから立ち直っていない様子のイスカに、アキラはふと考える。
アキラ視点では当たり前の自分たちの内情。だが、噂を頼りにする外部から見た場合はどうなのかを知らなかった。
たびたび調べようと思うのだが、なかなか行動に移せないのは、著しく低いアキラの勤勉さの問題だろうか。
だが確かに、以前資料館で新聞などを読み漁ったとき、見たのは自分の名前がほとんどで、共に旅する者の名前はあまり見なかった覚えがある。
そういえば昨日、ティアもエレナのことを謎の美女とか言っていたような気がした。
となると今まで民間の暮らしをしていたイスカの話に興味が出てきた。
自分たちの事情は外部にどこまで伝わっているのか。
アキラが口を開こうとすると、そこで、個室の扉が叩かれた。
ふんわりと、料理の匂いがする。
きゅる。
「まあ! やっと来たわね。急いでもらっていい?」
他者への関心が薄いと言っても、目の前で真っ赤になる顔を前に見殺しにするほどエレナは冷徹ではないらしい。
エレナの所作に詳しいのか、入ってきた従業員の男が慌てた様子で配膳する。
普段彼女はこの店にどれほど金を落としているのだろう。
数段のワゴンのようなものに乗せられた料理が部屋に入ると、あっという間に部屋に美味しそうな匂いが充満した。
エレナが見繕わせたという料理は、あまり胃に溜まらない、酒のつまみが多いようだが、青い目を輝かせるイスカにとってはご馳走のようだ。
配膳してくれる従業員に、失礼と思いながらも、アキラは強く咳払いした。
また、青い瞳の女性が顔を真っ赤にする音が聞こえた気がした。
「い、いただきます」
アキラが慌てて出ていかせてしまった従業員を見もせずに、恐る恐ると言った様子で、しかし優雅に、イスカがスープに口をつける。
澄ましているようで、その瞳が、本当に幸せそうに歪んだ。
見ているだけでこちらまで嬉しくなる。
見た目はまるで違うが、イスカのことが、素直に目を輝かせるアルティア=ウィン=クーデフォンのようにも見えてきた。
「ま、今日は好きなだけ食べなさいな。昨日は臨時収入もあったし奢るわよ」
「エレナ。私、あなたのような友人を持てて幸せです」
臨時収入についてあまりいい予感がしなかったアキラは、ついに耐え切れなかったのか瞳から涙を零して料理に口を運ぶイスカだけを見ることにした。
ここまでの道中、イスカは元よりエレナも魔術師隊を避けていた。
改めてだが、このふたりはお嬢様のはずである。
「……あれ。というかあんた、ウェリッド家とか言ってたっけ?」
「勇者様。エレナは時折記憶を失うのですか?」
「都合の悪いことは割とすぐ消える印象だな」
「おっと?」
エレナが不服そうに口を歪ませた。
イスカはくすりと笑う。やはり、話していて、彼女に違和感は覚えない。どこまでも、普通の人間だ。
「……もう、アキラ君ったら冗談ばっかりね。まあそれはともかく、あんた仕事が無いって言ってるけど、家は? 蓄えくらいあるでしょうよ」
アキラはぴくりと身体を揺らした。
ウェリッド家は、エレナの家、つまりはファンツェルン家と付き合いのある貴族だったらしい。
となると、稼がずとも生活するに困らない財産があるはずである。
イスカは、ふっと息を吐いた。
もしかしたらその辺りも、『雪だるま』の事件が絡んでいるのかもしれない。
「……旅の道中、使い切ってしまって」
「ん?」
予想と違う答えが返り、アキラはまた肩を落としかけた。
「……ええと、そもそも家はどうなったんだ?」
エレナの前では話しにくいかもしれないが、それなりにぼかして聞くと、イスカは渋い顔をした。
本人が話すまで、あまり細かな事情を根掘り葉掘り聞き出すのは控えたいが、出てくる言葉に違和感があり過ぎて、興味本位でなくとも口を挟みたくなる。
「私もそれほど知っているわけでもないのですが、もともとウェリッド家は母方の家系で、ご兄弟もいないらしく。……ですが、母は私を産んだときに亡くなったそうです。つまり、最後の当主は父でして、その……」
「……じゃ、じゃあ、そのあとはイスカが遺産を受け継いだのか?」
口を挟むとあっさり火傷した。
人に歴史ありとはいえ、イスカの過去は至る所が地雷で構成されている気がする。
最近依頼でも地雷判定機として優秀過ぎる成績を収めたアキラは、思いついたことを聞くだけで、すぐに爆破できそうだった。
「はい。それなりに蓄えはありましたが、旅の道中、その、寄付を」
「寄付?」
「あれは旅を始めて少しした頃だったかしら。世界平和を目指すという崇高な組織がありまして。微力ながらご協力させていただきました。生活は少々苦しくなりましたが、私のような民間人に味方する姿に心打たれまして」
「こいつやっば」
エレナが口を歪ませた。
崇高な組織というと、宗教めいたものを感じる。
地雷は過去、知らないところでも爆発していたらしい。
「ねえアキラ君。流石の私でもこの女の頭に危険を感じるわ。だんだん思い出してきたけど、ウェリッド家は、資産だけなら結構あった家だった気がする。うちとか他の家にもなんか色々贈呈することが多くて、家を出るとき全部売り払ったとしたら、人ひとりなんて、軽く一生遊んで暮らせるくらいはあったんじゃないかしら」
「それを全額? 寄付したってのか?」
「エレナ、口が悪いわよ。そ、そりゃあ少しは理想ばかりで中身のない組織もあったけど、いくつかはまともに社会貢献していたわ」
「アキラ君、私、怖くなってきた」
憤慨するイスカに、エレナが恐怖を覚えていた。
彼女が普通の人だと思ったアキラの人を見る目は、やはり正しくないらしい。
あまり考えたくないが、イスカの話をまとめると。
ウェリッド家の資産は、イスカが旅の道中であった組織の活動費として消費されたらしい。
そしてそれが複数組織。
寄付となると見返りなどなかっただろう。
お嬢様ふたりの前で言うのも憚れるが。
世間知らずのお嬢様が旅に出て、怪しい宗教にはまり、資産を溶かしたらしい。
「で。他に余罪は無いでしょうね」
「罪? 何のこと? ……こ、後悔なんてして、ない、わ」
青い目が泳いだ。
世間を渡り、お嬢様はお金の価値と常識を多少は知ったのだろう。
宗教というもの自体は、決して悪しきものではない。
由緒正しいそれらは、心と生活を豊かにするだろう。
だが、悪しき者が利用しやすいのもまた宗教なのだ。
形の無い理想をうたいやすく、利用しやすく、そして騙しやすく儲けやすい。
倫理道徳に則った思想のものでも、悪しきものでも、活動費やらで金が動いてしまうのだからなおさらだ。
「というかあんたさっきも、なんだっけ、魔門破壊反対派? とかに参加しているとか言ってなかった?」
「! それって」
「彼らこそちゃんとした活動をする人たちよ。今はどうにもできないけど、いつかは協力したいと思っているわ」
「アキラ君。とりあえずこの娘を縛り上げといた方がいい気がしてきたわ。あのガキとセットで庭の小屋にでも放り込んでおけば色々解決じゃない?」
気になる言葉が出てきた。
だが、今はイスカから目を話す危険性の方が理解できた。
サクとティアを巻き込むことになるが、イスカを放置しておくとますますアキラが近寄ることも出来ないほど地雷だらけになる気がする。
「とにかくイスカ、そういう寄付? は止めた方がいいだろ。お前の生活が成立してないんだろ?」
「お金の価値はよく分かっています。最悪野宿になりますけど、まあ、なんとか」
「……」
アキラの方から縛り上げようかとエレナに提案しかけた。
気になる気にならないを通り越して、イスカ=ウェリッドという人物は、お金の使い方が下手に見える。
寄付が悪いと言ってはいない。
生活が困難になるほどの寄付は、由緒正しい組織なら求めないだろうし、求める組織は恐らく悪だ。
収入が安定してからなら個人の自由なのだろうが、イスカの場合、僅かにでも安定すればそれを注ぎ込んでしまうのかもしれない。
ただでさえ就職が困難らしい彼女がそれをすれば、魔術師隊の介入があろうがなかろうが極貧生活をする羽目になるだろう。
世間知らずを自任するアキラですら、イスカに大きな歪みを感じる。
まるで、そうした感覚を、教えてくれる人がいなかったような。
「……私の境遇は、お話ししましたよね」
「……。ああ」
もしかしたら自分の目は、また彼女に対する忌避の色を浮かべてしまっていたのかもしれない。
アキラにとってイスカ=ウェリッドという人物は、そして、イスカにとってヒダマリ=アキラという人物は、互いに“その他大勢だ”。
アキラにとっては、複雑な事情を抱えたひとりに過ぎず、イスカにとっては、その自分に忌避感を抱くひとりだ。
旅の道中、イスカは自分の事情に好奇の目を向けられ、そして自分の行動に理解を示されなかったのだろう。
そんな彼女は、そういう視線に敏感なのかもしれない。
今までの話の中でも、自分はそういう目でイスカを見ていたのだろう。
自覚は無いが、イスカは敏感に察知している。
何の話をしていようが、結局ヒダマリ=アキラは、『雪だるま』の話を聞きに来たのだと。
確かにそうだ。
アキラは、自分が忌避感を抱いてしまったイスカ=ウェリッドという人物と、あのまま別れたこと自体を後悔したのだ。
だが、もし自分が、本当にイスカのことを何とかしたいと思うのであれば、彼女の事情は避けて通れない。
やはりこれは好奇心なのかもしれない。
好奇心は人を傷つける。
だがこの感情が、単なる物見遊山なものではないと感じていた。
アキラはすっと息を吸った。
「……なあ。もしよかったら、……ん?」
「? なにかしら?」
今度の邪魔には、アキラはしっかり肩を落とした。
意を決した直後、個室の扉がノックされた。
先ほどの従業員が下げものにでも来たのだろうかと視線を向けると、ゆっくりと開かれた扉の先、従業員に案内されたらしい、見知った顔があった。
「邪魔して悪いな。散々歩き回る羽目になって二言三言言いたいところだが、見つかったなら我慢できる」
「ジェット? お前どうして……、警護団……!?」
現れたのは、ドラクラス警護団のジェット=キャットキットだった。
警護団はドラクラスの治安を守る仕事をしている。
アキラは背筋を冷やし、反射的にエレナを庇うように身構えた。
「きゃー、アキラ君。私を守ってくれるのね、お礼にぶっ叩いてやろうかしら」
「あれ。エレナは無罪?」
「今日は無罪よ」
イスカ以上に余罪が出てきそうなエレナは憤慨し、ジェットの強い視線に睨み返していた。
やたらと方々で働き続けるジェットという男は、ドラクラスで生活している以上、見かけないことは不可能らしい。
エレナもジェットのことは見たことはあるだろうし、アキラも彼の“属性”については仲間全員に話している。
「……ユフィ。聞こえるか? ……ああ。ようやく見つかった。魔術師隊の様子はどうだ? ……そうか、ならいい。動きがあったら教えてくれ」
ジェットはまたここにはいない誰かとやり取りすると、静かに扉を閉めた。
自分たちに用があるらしい。何故ここが分かったのか、と聞こうと思ったが、警護団の前では今さらだろう。
「あら? 招待した覚えはないけれど?」
「それについては謝るしかないが、俺も仕事だ。少しでいいからイスカと話をさせてくれ」
「仕事なら俺らは外した方がいいか?」
「いや、邪魔者は俺だ。巻き込んだのも俺だし、お前が良ければ聞いても構わない」
早速嚙みついたエレナをなだめながらイスカを見ると、青い瞳がきらきらと輝いていた。
「ま、まさか。私の就職先が見つかったんですか……!?」
「……期待を持たせたことについては、特に謝ることも無いが、違う」
ジェットはきっぱり言って、イスカの隣にゆっくりと座った。
手に持った皺の入った書類入れを机に置くと、ようやく、といった様子で言葉を吐き出した。
「今日、放火事件と殺人事件が起こった。両方の関係者のイスカに、話を聞かせてもらいたい」
イスカの青い瞳がはっきりと揺らぎ、そして、エレナがため息交じりに言った。
「余罪だらけじゃない」
「私じゃない!」
―――***―――
自分の心が折れる瞬間が、はっきりと分かった。
「あ。これ終わんないわ」
エリサス=アーティは掃除道具一式を持ってエントランスに戻ってきたところで、時計に向かって呟いた。
掃除自体は嫌いじゃない。
汚れ仕事が好きというわけでもないが、掃除をするとその場所の特徴がよく分かる。
アイルークの孤児院ではよく感じていた。
普段生活しているときと、掃除をするときの目線は違う。
クローゼットの隅で忘れられた手編みの手袋の失敗作に、子供たちが隠したベッド脇の壁の傷、いつもは通過するだけの場所でも姿勢を落とせば机の下に洗濯バサミが魔法のように姿を現す。
自分の、あるいは皆の死角というものを、たまった埃は教えてくれる。
世界は学びで満ちている。
掃除に限らないだろうが、普段いる場所を別の角度で見るというのは大きな発見があるのだ。
思わぬ落とし物を見つけたときは、持ち主にどう教えてやろうと考えるのがささやかな楽しみになったりもする。
そんなことをしながら手を動かしていれば、あっという間に綺麗になるのだからいい事尽くめだ。
そして今日。
宿生活ばかりだった中、ようやく手に入れた自宅というものに対し、気合を入れて久方ぶりの掃除をしようとした。
クリーニングされたばかりで手を付ける場所も無いと思うのは素人だ。
特に水回り。排水溝の奥などは、表面上が綺麗でも奥は分からない。
決して業者がさぼったわけでもないだろうが、急ピッチの準備には当然限界がある。当面生活することができる環境は整えてくれただろうが、むしろそうした今だからこそ普段の掃除でも意識しない場所に手を入れるべきであろう。
買ってきた掃除用の薬品を使って流してみると、ごぼり、という音と共に水の流れが見違えるように良くなった気がした。
となるとシャワーの管の中や換気扇にも敵はいそうだ。話の種にもなる。
では共用のお手洗いは。各自の部屋の水回りは。と、気を良くしたエリーはそんな他の場所の掃除に思いをはせながら、大浴場の掃除を進めていると、脳のシミュレートの方が遥かに早く終わった。
大浴場の掃除個所の物量を前に、所詮風呂場の掃除だと高をくくっていた自分がどれほど愚かなのかがよく分かる。
これでも孤児院では真面目に働いていたし、家事方面はある程度自信があった。
だが、正直自分が拘り始めた部分など、もしかしたら10年20年先に問題になるかならないかのレベルでしかないような気がしてくる。
業者の仕事の穴を見つけたようで邪な喜びを覚えていたのだが、プロの仕事のコストパフォーマンスを前に、自分ごときが太刀打ちできるわけがなかった。
ついにヨーテンガースまで旅が続き、要求される水準は引き上がっている。
アイルークの孤児院にいた頃は常日頃やっていた、当たり前の掃除ですら、あの男が規格外の規模の家を購入した結果、生半可な気持ちで太刀打ちできる領域に無い。
掃除が嫌いになりそうだった。
これからは、今までの当り前という認識を更新しないと、あっという間に振り落とされる。
「エリーさんか。もしかして掃除をしていたのか?」
「うん……。終わったところ」
間もなく約束の祭りの時間になる。今日はもう他の場所には手を付けられない。
エントランスの喫茶店のようなエリアで、椅子が空いているのにサクが立っていた。
もともと今日、エリーが掃除をしようと思ったのはサクが理由だったりもする。
業者ですら放置を決めた庭の小屋に興味を持ち、皆が思い思いに過ごしていた昨日も今日も、延々と掃除をし続けていたのだ。
元の小屋の惨状はエリーも見ており、今日の朝、サクの様子を窺いに小屋へ向かうと、至る所に汚れやはあるものの、妙に小ざっぱりとしていた。
劇的な変化というわけではない。まだまだ手入れは必要そうだが、それが決して魔法ではなく、積み重ねた先にある結果に思え、完遂するのは時間の問題だと感じ取れた。
延々と、黙々と、そして着実に掃除を続けていたらしく、サクらしいと言えばサクらしい。
そんな姿に心打たれ、ならば自分もといきり立った結果がこれだ。
「それはすまなかったな。手伝えばよかった」
「ううん、大丈夫。そもそもまだ綺麗だしね」
最初の排水溝の掃除以降、目に見えてクオリティが下がった自分の仕事に目を背け、エリーはサクに倣って立ったままでいた。
サクとは、エリーの育ったアイルークから旅をしている。
その頃から彼女は、“現実的な超人”だった。
昔からよく知るすべてを超越する妹や、すべてを凌駕する力を振るうエレナ、そして今日、掃除に巻き込めばよかったと強く後悔している何をし出すかアキラと違い、サクの実力ははっきりと理解できるものの延長線上にある。
超人的な移動速度や武具の扱いをするが、日頃の行いや鍛錬の様子を旅の中で見てきたエリーとしては、確かに彼女なら、と頷けるのだ。
昨今、エリーが尊敬するイオリと行動を共にして魔術方面の勉強もしているらしいが、実を結ぶ姿が頭にありありと浮かぶ。
年下だが、イオリ同様、尊敬している相手だ。
そしてそんな彼女は、今日の約束をしっかり守り、時間通りにこのエントランスにいてくれた。
アキラの面倒事に巻き込まれない限り、時間を守ってくれる数少ない、いや、唯一と言っていい人物でもある。
「ところでエリーさん。魔門破壊の件だが、何か聞かなかったか?」
「残念ながら。一応昼前に、依頼所に連絡先を伝えに言ったんだけど、特に何も言われなかった」
約束の時間は間もなくのはずだが、エリーの見立てでは、来る可能性があるのは妹と、いつも忙しく働いてくれているイオリだけだ。
残りの連中は、現地集合と脳内変換している可能性も高いし、そもそも忘れているであろう人もいる。
家を買っても行動を変えない仲間たちへの心構えは出来ていた。
泣かない、に尽きる。
これは今までの当り前だ。怒らない、に更新する必要もあるかもしれない。
「何かあったらすぐに教えてくれ。私まで連絡が来るか分からないからな」
「参加者になっちゃえば一緒なんじゃない? ……あ。依頼所と言えば」
エリーはふと依頼所の様子を思い出す。
もともとエリーが本日依頼所の様子を見に行ったのは、連絡先の変更だけでなく、いつ始まるか分からない魔門破壊とは別の依頼を請けようと思ったからである。
ドラクラスの依頼所は各階複数あり、自分は今まで1階にある依頼所を利用していた。
2階の依頼所を利用したのは今日が初めてだ。
やや不安だったが、魔門破壊は当然、全依頼所で情報が共有される依頼であり、連絡先の変更は滞りなく済んだのだが、ついでに確認したその他の依頼に目を通してきたとき、生活の変化を感じた。
「ねえサクさん。2階の依頼所って行ったことある? 出てる依頼、夜道の護衛とか魔術師隊の巡回サポートとか、街の中の依頼を結構見たんだけど」
「私も2階の依頼所には数えるほどしか行っていないが、確かに、そんな依頼が多く見えたな」
ドラクラスの外への門は1階にある。自分たちが今いる自宅から外へ出るためには、まずゲートと呼ばれるドラクラスの柱を使って1階へ降りる必要がある。
「2階の依頼所って、なんだろう、そういう、街の中の依頼がメインになっているのかな?」
「今は単純に量が少ないだけじゃないか。街の中の依頼は1階にもあったはずだし、他の依頼に埋もれて私たちが気づかなかっただけで」
「なるほど」
エリーは思わず頷いた。その視点は無かった。
引っ越しをしたのは自分たちだけではない。
現在このドラクラスでは、引っ越し直後ということもあり、定着化と言われる依頼がメインとなっている。
ドラクラスの最初の引っ越し前、自分たちは遠方の依頼は避けていたが、もともと移動先のこの場所の哨戒は以前から進められており、このネーシス大運河周辺では、魔物討伐などの依頼はやや落ち着いている。ヨーテンガースの南部で何を馬鹿なと思いはするのだが、現在のドラクラス周辺はかなり安全だ。
掃除ではないが、しばらくは放っておいても周囲は綺麗だろう。
定着化に関連する護衛依頼なども当然数多く出ているが、先に石橋を叩き切っていただけはあって以前よりは数は少ない。
自分も環境の変化に頭が追い付いていないのかもしれない。
引っ越し前、というより、“あの放送”があるまで、依頼で指定されたことなかったエリーは、少しでも補うために日夜依頼で奔走していたのだが、大きな稼ぎの当てに加え、依頼数の減少に、急に暇になったような感覚に陥っていた。
「……まあ、イオリさんの受け売りだ。気になって依頼の種類を見比べてみたが、普段気にしていないことが見えて面白かったよ」
感心するような視線を向けていると、サクが視線を外して呟いた。
今度の自分の視線は羨ましがるものになっている気がした。
このメンバーの中で何かを習うのであればイオリが最適だ。
同じ魔導士である自慢の妹も教えるのは上手い方だが、イオリは複雑な話でも明確に言語化できるのだ。
アキラに伝えられるとなるとその能力は折り紙付きである。
異世界来訪者で、この世界に来たのは数年前のはずなのに、同じ時間を生きているとは思えないほど情報に長けている。
そんなイオリと行動を共にするサクも、実直に、明確に、その辺りの知識をつけているのだろう。
自分はと言えば、最近まで依頼で忙しく、情報収集や勉学の方面はあまり手を付けられていない。
掃除は大事だが、やっている場合ではなかったような気がしてきた。
少し悔しいが、自分ですら読めない妹を除けば、今情報に長けているのはイオリの次点でサクなのだろう。
ならば祭りまでの道中で話の種にでもしようとしていた疑問を今聞いてみるのもいいかもしれない。
「じゃあ、あれもたまたまだったのかな。今日さ、依頼所に行ったら、民間? の人たちがいて。待合席で揉めてたみたいで」
「ん? 民間の人というと?」
「分かんないけど、スーツ着てたり普段着だったり。見た感じだけどまちまちで、旅の魔術師って感じじゃない人たち」
「誰と揉めていたんだ? 旅の魔術師たちとか?」
「多分、だけど。あたしが気づいてなかっただけで、1階でも同じようなことあったのかな?」
エリーが今日訪れ、そして引っ越したこの家からだとよく使うことになりそうな依頼所は、他の街でも稀に見る元酒場の居抜きのような内装だった。
清潔な役所の受付のような風貌をしていることが多かった1階の依頼所に比べ、ちょうど今いる家の喫茶スペースのようにテーブルがいくつか並んでいた。
受付はそのままバーカウンターのようで、夜はアルコールも出しているかもしれない。
そんな空間で、酔っ払いたちの喧嘩のように複数人がやんやと騒いでいたのだが、気になって様子を見に行くと、ちょうど話が終わってしまったのかその場にいた人たちはすっと離れていってしまった。
「……民間といえば、イオリさんが話してくれたことがあったな」
「……」
流石、という言葉を飲み込んだ。
何を聞いても心当たりがあるのはそれこそ流石に異常だ。
「ほら、例の“引っ越し反対派”の話。……エリーさんは知っているか?」
「……うぅん、まあ、ちらっとは」
自分の情報収集は大いに不足している。
だが、伊達にドラクラスで生活はしていない。
詳細は知らないが、どこかでたまに、そんな話が耳に入ることがある。
「あれ。引っ越し? “魔門破壊反対派”じゃなかったっけ?」
「そうとも言うらしいが、イオリさんが言うには“引っ越し反対派”、だそうだ」
ならそうなのだろう、と、エリーは思考を止めかけた自分を大いに嘆いた。
イオリが言うなら間違いないのだろうが、少しは自分で考える癖をつけなければ。
「待ってね。魔門破壊反対派って、魔門破壊じゃなくて、引っ越しを反対しているの?」
「……これから言うことは、私もまだ落とし込めていないんだが、イオリさんが言っていたのは、」
サクは眉間にしわを寄せ、真剣に考え始めた。
頭を使わなければならないと思っているのは彼女も同じらしい。
「私たちがドラクラスに来る前から、そういう運動が起こっていたらしいんだ。ほら、たまに街のどこかで演説のような運動をしていることがあるだろう? “引っ越し反対派”は、ここ数か月で始まった話じゃないらしい」
「と、は、聞いたような気がするけど、そもそもなんで? 引っ越さなきゃ火山が噴火して危なかったんじゃないの?」
自分のことで精一杯で意識を向けていなかったが、そもそも自分たちがこのドラクラスに来たのは、元の場所での火山の噴火を“予知”されたからだ。
それをまるきり信じるのも抵抗があるが、ヨーテンガースの常識というならば、依頼をこなしてお金をもらう自分たちにとって口を挟む問題ではない。
ただ、内部の方は口を挟んでいるらしい。
「『接続者』の予知とはいえ、明確に期限が無いものでは、人は動かない、ということらしい」
サクは眉を寄せていた。
その辺りがイオリが言っていたことなのだろう。
期限があろうがなかろうが真摯に取り組むサクとしては理解しがたいものなのかもしれない。
「『接続者』の信憑性はともかく、ドラクラスに住む人々にとっては今ある生活が安定している以上、無理な変化を望まない。実際、この騒動で旅の魔術師たちをはじめとする外部の人間が大勢押しかけ、ドラクラスの治安も悪くなっているらしい」
「治安? 意識したことなかったけど、そうなの?」
「ああ。魔術師隊が警邏をあまりしない裏道とか、それこそ依頼所でもよく騒ぎが起きているだろう?」
「?」
そうだろうか。
記憶を辿るが、この街で、そういう騒ぎは数えるほどしか見た覚えがないし、それくらいなら他の街でもよく見る光景だ。
それより奇妙だったのは、旅の魔術師たちが何か騒いでいても、エリーが近づくと、今日の民間の人たちのように、騒ぎを止めて離れていってしまうのだ。
それに関係しているのか、ドラクラスに来てから、よく人に盗み見られている気配がした。
しばらくは気になっていたが、考えて見ればすぐに分かった。
魔導士として有名で、自分たちが来る前からドラクラスで活動していたらしい妹と同じ顔が付いているのだ。
魔導士隊を前に騒ぎを起こすほど愚かなことも無い。
もしかしたら、今日の民間の騒ぎも、自分を妹と勘違いして騒ぎを収めたのかもしれない。
「まあ、そんなわけでこの“変化”はドラクラスの住民にとっては害でしかない。いつ起こるか分からない火山の噴火より、安定を取るのが民衆というもの、とイオリさんも苦笑していたよ」
仮に、自分が魔術師ではなく、ただの民間人だったとする。
例えばアイルークの孤児院に住んでいて、高名な予言者が、この場所は魔物に襲われるから遥か遠方へ移動しなさいと言った。
それが起こる時期も言わず、規模も言わず、ただそれだけを伝えられたとき、自分が、いや、自分を取り巻く環境が起こす行動は何か。
住処の移動というのはかなり大事だ。その変化は街の中に留まらない。近くの川や森の収穫物、他の街へのパス、もっと言えば文化や気候など普段意識していない“当たり前”が一気に変わる。
危機を訴えてくれているとはいえ、その予言者の言葉を鵜吞みにできるだろうか。
“実際にそれが起こった”エリーとしては胸を潰すような例えだが、そこで首を横に振る自分もいそうな気がした。
もしかしたら“それ”までに、何らかの要因で解決するかもしれないと思ってしまう。
問題の先送り。消極的。
そんな否定的な言葉は数あれど、“現状維持”というのは、強い誘惑だ。
「だからもともと彼らは“引っ越し反対派”……、“安定派”というのが正体で、そして、その安定派は分かりやすいキャッチコピーを手に入れた、というのがイオリさんの推測だ」
「それが“魔門”、ね」
サクほど誘惑に強くないエリーはよく理解できた。
「“引っ越し反対派”、だと火山の問題が解決しないから、理解はあまり得られない。でも“魔門破壊反対派”なら、ヨーテンガース中の問題になって、むしろ味方が増えるものね」
「そうらしい」
「でも今は落ち着いているんじゃないの? もう最初の引っ越しは終わっていて、もう“変化”は確定しちゃったじゃない」
「ああ。だが彼らの勢いは特に活発になっている」
「なんでまた」
「いよいよ魔門破壊が目前に迫った、というのもあるが、自分たちが打ち立てたキャッチコピーに飲み込まれたんだろう。……この話なら私も理解できた」
つまりは目的のすり替わり。
エリーも言わんとすることは分かった。
最初は引っ越しが反対で、グリンプ=カリヴィス7世の方針に反対する声を上げていたが、それでは足りなかった彼らは、より理解が得られそうな危険極まりない“魔門破壊”をやり玉にあげ、反対するという形を取った。
しかし結局のところグリンプが最初の引っ越しを問題なく完了させてしまい、最初の目的だったはずの引っ越し反対という部分が消え、残ったのが魔門破壊反対だけになってしまったのだろう。あるいは、残っているのはドラクラスのグリンプ体制への不満だけかもしれない。
もし本当にそうなら、由来を知るのはごく一部で、魔門破壊反対という謳い文句に呼び寄せられた他の者は知らないだろう。
今積極的な活動をしている者の中に、当初のメンバーはいない可能性すらある。いても自分たちの中の目的もすり替わってしまったことに気づいていないかだ。
形だけ残った運動が、形だけに翻弄された人々によって行われていると考えると、物寂しい気持ちになった。
「だからエリーさんが見たのも、“魔門破壊反対派”の人たちだったんじゃないか。参加者はドラクラス住民がほとんどで、それが安定派なら2階に住んだり勤めていたりする人の方が多いだろう。依頼所で、旅の魔術師たちから話を聞き出すか働きかけていたんじゃないか? 魔門破壊なんて止めてくれ、と」
「……なるほど、ね」
となると彼らは千載一遇のチャンスを逃したことになる。
魔門破壊依頼の前提である、指定Aのエリーに働きかけた方が効果的だというのに。
ドラクラスを、そして自分たちを取り巻く環境は一変した。
この世界にいるのは当然自分たちだけではない。
自分が今まで気が回っていなかっただけで、今まで訪れた街の中でも、自分の知らない誰かの“当り前”がある。
ドラクラスの引っ越しの依頼を請けるという、やや好意的な行動をしていると思っていただけに、少し裏切られたような気分にもなるが、何事にも表と裏がある。
排水溝しかり、ドラクラスしかり、自分が普段見ていない影はあるのだ。
そして影からすれば、自分たちこそ表である。
「マリーたちが忙しいのって、そのせいもあるのかな。魔門破壊はあのグリンプさんの方針でしょう? 魔導士隊の方々、その運動を抑えないといけないだろうし」
「かもな。……ん? そういうのは、何の罪になるんだ?」
「あ。そうね」
「?」
真剣に考えようとしたサクに申し訳ない気持ちになった。
自分で言い出しておいて、エリーはこの問題が魔導士隊にとって大層面倒な事柄なのだと思い直した。
「“思想自体は罪じゃない”。魔導士隊の方々、魔門破壊反対派の活動に対して何もできないかも」
魔導士隊にとって障害になるとしても、この世界の最高権力者は“神”だ。
そしてその神の教えには、思想自体は制限をかけていない。
縛りようもないのだから仕方がないとも言えるが、むしろ神の教えとは真逆の思考も考えるだけなら許されている。
有名なのは“中立説”や“魔族説”だ。
神族説と異なり、絶対的な神が納めるこの世界を、フラットに見たり、魔族の立場になって見たりする思想は、支持する者は少ないとはいえ根絶するような働きは無い。
当然、直接危害を与えたり、詐欺を行ったり、真っ向から神に歯向かったりする“行動”は罰せられるが、今回の魔門破壊反対派のように、民衆の意識に働きかけるような活動は、魔導士隊にとっては手が出し辛い。
正義の使者たる魔導士隊にとって、その正義を執行する大義名分が存在しないのだ。
つまり今、ドラクラスでは、グリンプ率いる魔導士隊と、魔導士隊にとって罰する方法の無い相手が、魔門破壊を巡って対立していることになる。
そうした活動があれば、魔門破壊に大きな支障が出るだろう。
魔門破壊の実施自体は魔導士隊と旅の魔術師で行うことになるだろうが、それだけで成立するわけでもない。
エリーは旅の魔術師だが、大掛かりな依頼というものは表舞台に立つ者だけではなく、食料や馬車の手配などの資材調達も必要となり、それらは民間の力を借りることになる。
民間の中で反対活動が活発になるのであれば、中止とは言わずとも延期になりかねない。
そして、そもそも旅の魔術師というものの立場もあいまいだ。
組織ばった魔導士隊と異なり、民間から見れば参加しないように働きかけやすい相手でもある。
「旅の魔術師も基本は自由意志だからね。極論、魔門破壊の依頼に誰も人が集まらなかったら依頼は再考になるし。もしかしたら魔門破壊の依頼がまだ始まらないのは、その活動のせいで思ったより人が応募していなかったりするのかな?」
「そうかもしれないが、そもそも魔門破壊、だからな」
「?」
「……エリーさん?」
ふと顔を上げると、サクが怪訝な顔つきでこちらを見ていた。
エリーが首を傾げると、何とか言葉を飲み込んだような表情をされる。
「……まあ、それなりの応募はあるとは思うよ。私が行ったときだけでも、同じように応募しようとしていた者もいくらかいた。少なくとも、この家に7人はいる」
魔門破壊の決行が長引きそうで不安だったが、サクの言葉には安心した。
確かにそうだ。そもそも“それで十分だ”。
自分たちは貴重な魔門破壊の経験者だし、そのときいなかったマリスは規格外の天才。
当選確率は高いどころかほぼ決定しているだろう。
いつ連絡が来てもいいように、家の掃除でもして待機しておこう。
「そうだ、エリーさん。ひとつ聞いておきたいことがある」
「? なに?」
「……いや、例え話だ。エリーさんがどう思うかを聞いておこう、とな」
サクがそういう言い方をするのは珍しい。何となくだが、イオリからの言付けか受け売りだと感じた。
「もし、だ。明日魔門破壊が始まるとしたら、エリーさんは何をする?」
「え? それは……、困る、かな。作戦も何も聞いてないし」
自分の返答はサクの満足いく答えだったろうか。
じっとこちらの様子を見る彼女の顔からは、正解が見つけられなかった。
「……失礼します!」
そこで、エントランスの扉の向こうから声が聞こえた。
エリーとサクが視線を向けると、ゆっくりと扉が開かれる。
エリーは自分が、扉に置く呼び鈴を買うのを忘れたことを思い出した。
宿泊施設のような外観のせいで、どこまで部外者が入っていいのか分かりににくいのがこの建物の欠点だ。
来訪者は迷った末に、扉を開けることを決めたらしい。
ゆっくりと開かれる扉の向こうに見えた服装に、エリーは思わず姿勢を正す。
現れたのは、魔導士隊の制服を纏った男女だった。
「い、いらっしゃいませ!」
驚きのあまり変な返答をしてしまうと、男女の方もびくりとして姿勢を正した。
何か飲み物でもお出しした方がいいかと反射的にイオリが整えているカウンターの奥に視線を走らせる。
だがそれ以上に距離の離れた入口付近に釘づけにしてしまっていることを察知し、エリーはゆっくりと近づいていった。
「こ、こちら、ヒダマリ=アキラ氏の住居でよろしかったでしょうか?」
「は、はい。ええと、彼が、……いいえ、何か御用ですか?」
反射的に何をしでかしたのかと危ぶんだが、ふと、彼らが手に持った資料入れが目に止まった。郵便物のようで、あて名がちらりと見える。
配達時の定型文として聞いたのだろう。
そういえば、この引っ越しで、各方面に自分たちの連絡先を伝える際、住所と代表者名を書くことになり、アキラの名前を書いたのだが、にまにまと、気持ち悪い笑みを浮かべているとティアにからかわれたことを思い出した。
自分はとても温厚な人間だが、手が出たのを覚えている。
「お届け物です」
「!」
魔導士隊の言葉を聞き、エリーは瞬時に警戒した。
魔導士隊は郵便物の配達など行う人々ではない。
だが、運搬物によっては魔導士の関与を要求されるものがある。
種類はいくらかあるらしいが、いずれにせよ、ポストに投函して放っておけるようなものではない。
「“例の依頼”についてのご連絡です。参加者が、こちらの住居に複数人いますので、まとめて、となるのですが。……エリサス=アーティ氏、ご本人ですね?」
「え、ええ」
「念のためこちらで参加者の読み上げをさせていただきますが、不在者には依頼書をお渡しいただけますでしょうか」
「は、はい! 承りました!」
気合が入り過ぎた声に魔導士たちがびくりとした。顔から火が出そうだ。
よどみない説明に目を輝かせたエリーは、改めて姿勢を正した。
だが、喜ばしいニュースだった。
例の依頼とは、間違いなく魔門破壊のことだ。
どうやら魔門破壊反対派の活動を押しのけて、魔門破壊の依頼が“決定”したらしい。
魔導士隊主導の大規模な依頼の詳細となると、外部に漏れると下手な火種になる。彼らはその通達をしているのだろう。
お忙しいだろうに、頭が下がる。
「……私にも聞かせてもらいたい。ええと、ミツルギ=サクラだ」
「はい。お願いします」
奥からサクも近づいてくる。
魔導士たちの様子から、サクも参加者として認識されているような雰囲気を感じ取った。
「……ち、ちなみに、ヒダマリ=アキラ氏はご不在でしょうか?」
「? え、ええ。まあ、もうすぐ帰ってくるとは思いますけど」
「で、では、お伝えいただけると助かります」
「?」
自分が魔導士隊を見る目は曇っているらしい。
そんなことをたまにアキラに言われるが、何を馬鹿なと思いながらも一応は気にするようにしてみた。
その成果なのか、魔導士隊の男女から、妙な気配を感じ取った。
口調は早くなり、安堵と共に、今すぐにでもこの場を離れたいと感じているかのような、恐れを。
まるで、アキラの不在を望んでいたかのように。
エリーは実直に魔導士隊の言葉を一言一句漏らさず脳に刻み込もうとした。
「こちらにお住いの方でご参加いただくのは、ヒダマリ=アキラ氏を除く6名となります」
そして。
今までの“当たり前”は更新すべきだと、胸に刻み込んだ。
「では、確認のため、おひとりずつお名前を呼ばせていただきます」
―――***―――
「両方俺らの家の近くじゃないか」
のんびりと家にいたり、のんびりと昼食を取っていたりする場合ではなかった。
エレナに紹介された店の中、現れたジェット=キャットキットにふたつの事件のあらましを聞き、アキラは頭を痛めた。
放火に殺人。
火事の方はどこかで聞いた覚えがあるが、殺人事件すら発生したらしい。
現場はどちらもドラクラス2階のゲート付近。
アキラは道に明るくないが、話を聞く限り自分たちの行動圏内だ。
警護団という存在への認識が薄かったように、旅の魔術師として、もっぱら魔物討伐やら哨戒やら街の外の依頼を請けてきたアキラにとって、いつの間にかそうした街の中の事件の方が縁遠い存在になっていた。
勇猛果敢に剣を振るい、魔法飛び交うご都合世界の異世界。
だが、実際に街の中で生活している人はいるし、それに伴うトラブルは魔物関連ばかりではない。
自分たちが食い漁っている夢のような舞台の裏には、元の世界のように、夢物語ばかりではなく、それで世界は回っている。
彼らからすれば表だろうが。
殺人と聞くと、今アキラが首を突っ込もうとしている問題はともかく、強い忌避感がある。
恐怖と捉えていいかもしれない。
自分たちはそれなりに旅を続け、油断は良くないが、そこらの魔物など相手にならない実力者ではあるだろう。
だが、そんな戦闘力は、戦場でのみ発揮される。
例えば何となく外出し、特に警戒していない民間人から、いきなり刃物でも突き出されたらどうか。
何気なく口にする店の料理に毒でも盛られていたらどうか。
一応は持ち運んでいる、今は壁に立てかけている剣が、大層頼りなく見えてくる。
「ああ。だが安心しろ。あの辺りは俺たちも巡回しているし、いい話でもないかもしれないが、魔導士隊も目をつけている。お前の家は下手をすればグリンプ邸以上に堅牢だ」
そんな善良な市民を守る、ドラクラス警護団のジェットは力強い声で言ってくれた。
しきたりに守られた勇者様であるヒダマリ=アキラの家は、ホンジョウ=イオリ曰く、ドラクラスの中で特殊な空間になっているらしい。
生活する身としては気持ちが悪いが、監視の目は多いだろう。
だが、それでもやや不安が勝った。
事実、目の前に、そんな監視の目がある中、穴を付いて見つからずに出ていけた、魔導士隊に追われているらしいイスカがいる。
「そりゃありがたいな。……でもイスカは災難だな。火事現場の従業員に、殺人の被害者の勤め先の住人。少なくとも今お前が魔導士隊に追われているのって、『雪だるま』の件じゃなくてそっちの問題だろ」
「そ、そう、なの、かしら……?」
やや警戒しているようだが、イスカは安堵しているのが落ち着きつつある瞳で分かった。
イスカの境遇は、過去も現在も災難らしい。
魔導士隊に追われていると聞いたときは何事かと思ったが、アキラの認識では魔導士隊は元の世界の警察のようなものだ。
事件が起きたなら、当然イスカは関係者として事情聴取をされるであろう。
警護団も近しいのだろう、ジェットもイスカに事情を聴きにここに訪れたという。
アキラも安堵し、ジェットに視線を送ると、彼は、眉をしかめて何も言わなかった。
「? ジェット?」
「……。……ああ、そうだろうな。ほとぼりが冷めるまでここにいた方がいいだろう。面倒に巻き込まれる。魔導士隊もじきに見つけるかもしれないが、は、勇者様と警護団が近くにいればどうとでもなる」
「はいはい」
明らかな皮肉に投げやりに返すが、イスカが青い瞳をきらきらと輝かせていた。
彼女に対して負い目があるアキラにその瞳を素直に受け止めることはいつも以上に難しい。
勇者様の力とやらを再認識した今ならなおさらだ。
ジェットが魔導士隊より早くここにイスカがいると知れたのは、街の事情に強い警護団だからなのだろう。
もしかしたら、この店も警護団の息がかかったものなのかもしれない。
要は、アキラとジェットが協力関係だと、やり過ぎなければ、だろうが、魔導士隊の行動は大きく制限されることになるのだろう。
ドラクラスの支配者たる三魔人。
そのうち、グリンプ=カリヴィス7世は魔導士隊を操り、以前会った、ドーナ=サスティバという男は警護団を率いている。
以前小耳にはさんだが、両者の仲はあまり良好ではないらしい。
そこで、ふと、気になったこと、正確には、イオリが気にしたことを思い出した。
「でも、そんなことにまでグリンプは首を突っ込んでくるのか? 結構大事になっているとか?」
「……。ドラクラスはそんなもんだ。魔導士隊を筆頭に、グリンプ閣下の気まぐれに振り回される奴らが多い」
適当にはぐらかされたのはアキラにも分かった。
余計なことに気づいたとでも思われているような気がしたが、やや焦りを見せているジェットの様子に、そもそも彼がこの場に仕事に来たのだと思い直す。
とっとと用事を済ませたいだろう。
「それでイスカ。話を聞いていいか」
「ええ。構いませんけど……、何を? 私、事件のことは何も知らないんですが」
「形式的なものだ。そうだな……、まず、殺人の方からいいか。被害者を知っているか?」
「知っている、と言っていいのかしら。掃除の方ですよね? すれ違ったら挨拶くらいしていましたけど、お名前も今知ったくらいですし」
「最後に見たのはいつだ? 普段の様子が知りたくてな」
「いつだったかしら……。先週……、いえ、一昨日見かけたかも。そのときも、……駄目ですね、あまり覚えてない、です」
取り調べ、というほど重くは無いが、アキラは口を挟まなかった。
仕事ならばアキラは恐らく邪魔しかできない。
だが、早速興味を失って、椅子を引いてアルコールの香りを楽しんでいるエレナと違い、頭は働かせようと思った。
自宅周辺の殺人事件。
被害者は、現在の、いや、過去だが、イスカの住む集合住宅の掃除をしていた女性らしい。
イスカの方は関係するとはいえ、その女性のことを記憶していないようだ。
ジェットもあまり期待はしていないように思えた。
少なくとも、記憶に残らないということは変わった様子はなかったと考えてもいいのかもしれない。
「そうか。……まあ、話の途中でも何か思い出したら教えてくれ」
となるとその殺人は、被害者が理由で発生したものではない。
ジェットもあまり期待していなかったようだ。
被害者が亡くなったのは、自宅周辺、というより、火事現場付近だ。
時間も近いらしく、放火の方で起こった“何か”に巻き込まれたと考えるのは容易い。
ジェットがしたかったのは、その他の可能性を潰すことなのだろう。
「次は、火事が起こった店の話だ。そっちも、普段の様子が知りたい」
放火の可能性があるらしい火事。
場所はチャイム雑貨店という、イスカの勤め先だった場所らしい。
何故そこに火をつけられたのか。
そちらもふと、アキラの脳裏に“とある可能性”が浮かんだが、当然ジェットも考え付いてはいるだろう。
安易な考えに飛びつかず、事実を並べることが今の彼の仕事なのかもしれない。
「普段? まあ、普通、でした。そもそも私、勤めてからあまり日が経ってないですし」
人から話を聞き出すというのは難しいことだと感じた。
普段と違うことがあったかと聞かれ、すぐに答えられる人間はほとんどいない。
というより、普段と違うことはそもそもほとんど起こらない。
事故にしろ事件にしろ、自分が意識していない事象が重なって起きることの方が多い。
ノープランでイスカに会いに来たアキラが感じた歯がゆさが再発した。
チャイム雑貨店が放火される理由はあったのか。
知りたいのは他者から見た店の中の様子なのだが、訊きたいことが言語化できない。
「ならそうだな、イスカ。お前はチャイム雑貨店でどんな仕事をやっているんだ?」
だがジェットは、特に気にもせずに質問を変えた。
「仕事……、そうですね。事務仕事、というんでしょうか? あ、でも、営業のお仕事についていくこともありました」
「営業? ……。……あの髪の長い男のことか?」
「先輩のことご存じだったんですか」
「見かけた程度だ。外回りならたまに顔を見ることがあってな。歩くのが早い奴だった気がする。ついていくのは大変だったんじゃないか?」
「ええ、ええ。教育係になってくれていたんですが、実は私、少し嫌われていたようで。普段歩くのが遅いからかもしれません」
「気難しそうな奴だったが、ヒールじゃ仕方ない。お前自身が嫌われていたわけじゃないだろう」
流石に感心した。
街の中を歩き回るジェットはそういう話題に強い。
共通の話題があり、イスカの口が軽くなってきているような気がした。
警護団という組織が具体的に何をしているのかは知らなかったが、こういう地道な活動で、街の中の情報収集を行い、治安を守っているのかもしれない。
以前ジェットと依頼を共に請けたときも、やたらと働く落ち着きのない男だと思ったが、せっかちというわけでもないのだろう。
彼の“属性”が働く分もあるのだろうが、こうした話を聞く仕事のときは、落ち着いて口を開かせる手法をある程度用意しているのかもしれない。
「普段、昼は裏の飲食街で取るんだな。そこでどんな話をするんだ? そいつに限らなくてもいいが、店主とか、同僚とか、何か愚痴でも聞かなかったか。雑談でもいい」
いつの間にか話が進んでいた。
ここまで口が軽くなれば、イスカから出る情報も多いだろう。
「愚痴……、ですか。……ううん、と。そうね……」
「ああ、何でもいい」
かなり期待が出来そうなイスカの反応に、ジェットから安堵を感じた。
「肩が凝った、とかそういうのでも?」
「……、…………、聞こうか」
安堵というより油断だったのかもしれない。
色々と飲み込んだらしいが、ジェットは先を促した。
殺人の方もだったのだろうが、ジェットは動機の方から追おうとしているらしい。
雑貨店の火災。
商品を抱える店の火災だ、アキラが、いや、誰もが想像できる動機がひとつある。
言ってしまえば、店というものは、現金に限らず、“金目のもの”もあるのだ。
つまりは強盗。
行きずりの犯行と考えてしまえばそれまでだが、警護団としては、念のため、その他の可能性も見る必要があるのだろう。
「店の中だと、荷物運びやショーケースの並びを整えることばかりやっていたんですが、最近帳簿の付け方も教えてもらいまして。それで、座って仕事をすることが多くなったんですよ」
「お前の肩の話だったか」
なの、だが、ジェットもやや諦め始めているのを感じた。
安易な答えに飛びつきたくなってくる衝動をぐっと抑えているように見えた。
イスカの思い付きはどうやら雑談の方だったらしい。あるいは何でもの方か。
「えっ、違いました?」
「……いや、合っている。それでいい。……ん? イスカ。お前、帳簿を見たのか?」
しかし、俯きかけていたジェットが顔を上げた。
「ええ! 店主にはどうやら目をかけてもらったようで。……ふ。我がチャイム雑貨店の業績をお聞きになります?」
「……あ、ああ」
失業したんじゃ、と口を挟みたくなったが、向かい合っているジェットが我慢しているのだ。こちらも意地を見せよう。
「最近、加工販売の方が盛況でして。ほら、“宝石”のカットです」
「……! 宝石? 宝石も取り扱っていたのか?」
ジェットの様子が変わった。
アキラもピクリと身体が揺れた。
「ええ。いつからかしら? 最近、とか言っていたけれど、大型の取引先が出来たらしくて」
「その、取引先は分かるか?」
雑談が実を結んだのかもしれない。
ジェットの表情が変わった。
「ほとんど“魔導士隊”、でしたね。かなりの売り上げで、数字を見ているだけで幸せになれました。作業場に一日中こもりっきりになってまで働いてくれた職人の方々に感謝だわ……。ああ、肩と言えば彼らもそうですね。……あ。マッサージを申し出ていたら給与も上がっていたかも……」
「悪い、ちょっと待ってくれ。……。……ユフィ。聞こえるか?」
イスカの思考が妙な方向へ進んだのを無視して、ジェットが立ち上がって離れると、小声で呟いた。
たびたび見かける姿だが、ジェットは、確かユフィネス=サークという、警護団のバックアップメンバーと魔術を通してやり取りすることが多い。
元の世界にある、携帯電話というものを知っているアキラからするとそこまで不審な姿ではないが、この魔術自体普及はしていないらしく、奇異な視線をよく集めている。
だが、意外にも、彼の様子を窺うイスカにはさほど驚いた様子が無かった。
「……ああ。そうだ。火事現場の検分は終わったか? …………急いでくれ。とにかく“物量”だ…………ん? なんだ、随分突っかかるな。…………? ……いや、始めているならいい。……それと、まど……、なんで分かった? ……まあいい、分かったら俺にも連絡してくれ」
代わりというわけでもないが、連絡を終えたジェットの方が眉を寄せていた。
「どうしたよ。まさかまた何か起こったんじゃないだろうな」
「いや、そういうわけじゃない。いい話、なのかもな」
「?」
連絡役との話が聞こえないアキラには分からないが、それ以上に腑に落ちない顔をしながら、ジェットはまたイスカに向き合う。
確かにそちら優先だ。
彼女から聞き出す必要のあることが、アキラにも、漠然と見えてきた。
「話の途中で悪かった。イスカ、さっきの話。店の在庫は分かるか? ……その加工した宝石と、加工前の宝石。それが普段、どれだけ店に置いてある?」
「加工前は作業場の方にあるから知りませんけど、加工後は普段店の裏に箱詰めで2,3個ほどまで積まれると、定期的に誰かが受け取りに……、あの、今のお話は?」
アキラも思いついていた。
チャイム雑貨店は、“魔導士隊に関連する宝石”を取り扱う。
となれば思いつく。今ドラクラスを取り巻く環境で、使う可能性のある“宝石”がある。
「チャイム雑貨店は“マジックアイテム”も扱い始めていたのか」
ジェットが呟いたことは、つまり。
「あら。なになに。“魔力の原石”がある店が燃えたって? 取り放題ってこと?」
そこで気まぐれか、目敏くチャンスを見つけたエレナが口を挟んだ。
魔力の原石はものによっては高く取引されるらしい。
だが実際、アキラの、そして恐らくジェットの脳裏にも過ったのはそれだった。
「エレナ。従業員の前でよくもそんなことを言えるわね」
「ん? なによ。あなたもう無職なんでしょ? 細かいこと気にしないでよ」
「言った! ひっ、人が記憶の奥底に押し込んでいるのに……!」
青い瞳に涙をためるイスカだが、ジェットの調査が実を結びつつある。
「おいジェット。それ、“魔門破壊”で使う魔力の原石じゃないだろうな」
「俺は知らないが、無い話じゃない。今、ドラクラスのマジックアイテム店は、こぞって入荷している。良品悪品入り混じっているせいで、ギャンブルのような商売らしいが、チャイム雑貨店も夢を追っていたか」
「そんな危険物、そこらの店で扱ってんのかよ……!?」
「そもそも原石は魔力を蓄えなきゃ武具の材料かアクセサリーだ。だが、魔導士隊が関わっているとなると、魔力が貯えられた……“魔力の秘石”かもしれない。調べたり、使おうとしたりしなきゃ分かりゃしない。取り扱いの許可や指定の管理方法が必要ではあるが、制度が追い付いていないせいで、無視しているところがほとんどだ」
現在ドラクラスの目下の問題である魔門破壊。
アキラたちが行ったときも、魔力の秘石とも呼ばれる、膨大な魔力を蓄えた魔力の原石を使用した作戦だった。
アキラも深い理解があるわけではないが、魔力の原石とは、魔力を蓄え魔術を弾く性質を持った鉱石だ。
つまりは魔力を貯蔵でき、上手く使えば一時的に利用者の魔力を強化し、魔門破壊に必要な強大な魔力を生み出すことができる。
原石自体は危険物ではない。アキラの剣にも利用されている、そういう性質を持つ物質だ。
だが、魔門破壊にすら通用する膨大な魔力を蓄えている可能性があるのもまた事実なのだ。
「そんな場所で放火だって? おい、ちゃんとあるんだよな?」
「それを今調べて……、ん? ああ、聞こえている。……ああ、分かった。なら……、あ、ああ、頼む」
ジェットが機敏に対応し、顔をしかめた。
方々とやり取りしつつ混乱しないジェットに感心しかけたが、それどころではないとその表情が語っていた。
「悪い知らせだ。魔導士隊にも併せて確認したら、チャイム雑貨店からの入荷はまだなのに、店から魔力の原石が消えていた」
先を越されたかと舌を出したエレナを無視し、アキラは歯噛みした。
「マジか……、って、随分早いな」
「俺とは別に同じ確認依頼を請けていたらしい。魔導士隊からか別の調査会社からかは知らないが、時間は節約できた」
自分が火事や殺人を知らなかったように、自分が知らないところでも何かが起こって、進んでいる。
だが、急に怖くなってきた。
放火強盗。
先ほど想像した日常に潜む悪意というものが、アキラが新たに購入した家の近くで起こっていたのだ。
そして盗まれたのは、魔門破壊で使用する可能性の高い、魔力の原石。
「……まさか、」
「ほら、白状しなさいな」
「だから私じゃない!」
思わずイスカを見ようとしてしまったアキラは軽く頭を小突いた。
何か知っているかも、と思っただけのつもりだったのだが、自分の本心は分からない。
だが、エレナの方は、容赦なくイスカを詰めていた。
「てか、魔門破壊反対派に賛成? あれ、わけわかんなくなってきたわね。まあいいわ。そんなあなたが、火事が起きた魔門破壊で使う原石を扱う店で働いてたんでしょう?」
「魔門破壊に反対とは言っても、こちらも商売ですし。ましてや犯罪なんて、……だ、だから、その、う、ぐ、……ぐぅ」
イスカの立場が恐ろしく悪くなっているのが分かった。
先ほどジェットも無関係だと判断していた殺人の方も、被害者と接点がある。
確信とは言えない。だが、言いがかりとも言えない、それぞれの事件の絶妙な関係者だ。
そうした不運が重なることも無いとは言えないが、彼女の場合、その悪しき可能性を強固にする『雪だるま』という看板を背負っている。
「エレナ」
「はーいはい、分かってるわよ。何となく聞いてただけだけど、関係ないっぽいんでしょう?」
思わず苛立った声を出してしまうと、エレナは最初からその気だったのか両手を上げた。
酔い始めているのかもしれない。
「で、どうするの? さっきそこの警護団が言ってたけど、ほとぼり冷めるまでここで飲んでる? 時間の問題でしょう」
「エレナ……。た、助かるわ」
「無職の方は時間の問題じゃないけど」
「また言った!」
今魔導士隊が何を思っているかは知らないが、とりあえず自分を追う理由が見えたことで、イスカの心は多少平穏を取り戻したらしい。
彼女は今度こそ無罪だ。
だが、ふたりの緊張感の無いやり取りを見ながらも、アキラは焦りを覚えていた。
「……なあジェット。魔力の原石、どれくらい無くなっていたんだ?」
「加工前は調査中で、正確な物量はあいまいだったが、製品の方は20から30程度。……梱包を考えると、さっきのイスカの話通り、一抱えの箱が2、3個程度だろう」
「そんなに使うのかよ」
「もっと使うかもな。ヨーテンガースの魔門破壊はそれなりの人数で日をまたぐ依頼になるだろう。チャイム雑貨店だけじゃなく、他の店にも依頼しているはずだ。そっちの状況も確認しているとさ」
ジェットの顔を見て、安心した。
彼も、この問題が、“治安”に関わる問題であると焦りを見せていた。
「じゃあ、強盗犯は今どこにいる? そいつは、“大量の原石を持っているんだろ”?」
犯人の本当の動機は読めない。
魔力の原石は高価らしい。
単純な営利目的とも考えられるし、最近聞いた話と安易に結びつけるなら“魔門破壊反対派”が妨害のために盗み出したとも考えられる。
だが、いずれにせよ、アキラが焦りを覚えているのは、魔力の原石そのものの“力”を知っているからだ。
動機が何であれ、結局のところ、“大量の魔力を有する犯罪者”がこの街にいることになる。
「犯人はドラクラスの住民か?」
「さあな。だが今のドラクラスの中で盗品を捌くのは無謀だろう。となるとこの騒動で入り込んだ連中かもしれない」
「随分治安の悪い街だな」
「耳が痛い話だ。住民様には迷惑をかけている」
焦りから憎まれ口を叩き合いながらアキラもジェットも考え続けていた。
可能性としては旅の魔術師ということもあり得る。
ヨーテンガースを旅することができるほどの人間だ。魔力の原石を“使用”することができてしまうかもしれない。
イスカに興味を持ち、話を聞きに来ただけのつもりだったというのに、いつの間にかドラクラスの住民となったばかりの自分たちにとって、重大な問題が発生している。
いつものことかと呑気に捉えている場合ではない。
「とっくに町の外に出てくれてるか?」
「それは取り逃がしたことになるから、警護団にとっちゃいい話じゃない。だが、“残念ながらそうじゃないだろうな”。ドラクラスの門は魔力の検知をしているが、ミルバリーからその連絡は今日来ていないらしい」
ドラクラスにはそういう仕掛けがあるらしい。
となると、未だ町の中にそんな危険人物がいることになる。
そもそも今、ドラクラスから出て他の街へ向かうのは距離が遠すぎてなかなかに難しい。
犯罪者の思考は読めない以上、なんとも言えないが。
「お得意の警護団の監視で見つけられないのか?」
「街中に目があるわけじゃない。年中人が付いているのはトラブルの起こりやすい門や中央ゲート。グリンプやルックリンの周囲、……は、あとお前の家。他にもあるが、主要な場所だけだ」
「そりゃありがたい待遇だな」
皮肉を返したが、その危険人物の位置は捕捉できていないらしい。
だがふと、アキラは、とても自分勝手なことを思いついた。
「せめて2階にはいないよな?」
「今お前の家の周囲にそんな不審人物が近づいてくれるならあっという間に解決だ。お前には迷惑だろうが、俺からすればありがたいね」
言わんとすることが分かったのか、ジェットも皮肉を返してきた。
だが、そこで、ジェットの眉が寄った。
「いや……。……ユフィ。……ユフィ? ……ああ、聞こえるか? 2階の中央ゲートだ。そこの監視、早朝はどうだったか分かるか? 1階もだ。……ああ、聞いてくれ」
「……どうした?」
「早朝と言っても、ゲートには最低限の監視はある。特に異常はなかったらしいとは聞いていたが、いや、“火災に対応した”と聞いた覚えはあるから、見逃す可能性があるかを知りたかった」
「早速2階にいるかを調べてくれてんのか」
「お前のためってわけじゃない。ドラクラスで人を探すなら、せめて1階か2階かを知らなきゃどうしようもない」
そのユフィとやらの連絡を待っているのか、ジェットが落ち着かない様子で周囲の気配を探っていた。
そしてふと、一点で止まる。
先ほど、従業員が忘れていった、配膳用のワゴンが目に止まったらしい。
「……原石の箱か。どうやって運んだんだ?」
「探偵みたいじゃないか」
「茶化すなよ。分からないことならそのまま報告するだけだ。だが、ちょうどあんな台車で運んだのかもしれないと思っただけだ。外に出るなら、延々と運んで2階の他のゲートに行くより、近くのゲートを降りたくなるだろう」
強盗犯が何人いるかは知らないが、それなりの重量はあるだろう。
台車か何かで運び出したというのはあり得そうだ。
だから何だという話ではあるのだが。
「……ん? ユフィ。聞けたか? ……ああ、特にない、か。……いや、助かった。…………特に? 誰かは通ったのか?」
またジェットが人とやり取りしている。
見れば見るほどその魔術が便利に思えた。この場にいるだけであらゆる情報を得ることができる。
必死になって習得しようとする人間が多いらしいが、この問題が片付いたら、アキラも挑戦してみたくなってきた。
先に遠視、そして先に強盗犯。思ったことに辿り着くには、障害が多いが。
「……。そう、か。…………いや、待ってくれ。…………。い、1階のゲートはどうだった? いや違う。その時間に、“離れていった奴”だ」
「?」
ジェットの腰が浮いた。
アキラもつられて立ち上がりかける。
イスカを虐めていたエレナは飽きたのかまたアルコールに口をつけていた。
そろそろ約束の現地集合の時間である。事態が事態だけにアキラは謝ることを決めているが、エレナの方はそもそも忘れているような気がした。
イスカの方も幸せそうに食事に手を伸ばしている。
ふたりとも、事態を把握していないわけでもないだろう。
この空間で焦っている自分たちがおかしいような錯覚に陥った。
そこで、ジェットが息を吐いた。
「何か分かったのか?」
「……いや、まだ確認中、だが」
ジェットは先ほどのワゴンを訝しむように見ていた。
「早朝、火事の前後、2階のゲートを通った奴が何人かいた。火災現場に近い、中央ゲートだ」
「! じゃあ、その中に?」
「……分からない。だが、その内の何人かは、台車で物を運んでいたらしい」
「それじゃねぇか。なに通してんだよ」
「仕方ないだろう、そのときは事態も把握できていないし、そもそも今、そういう奴らがよく通るんだ。“1階中央ゲートでやっている祭り”の準備で」
ふと、アキラの脳裏に、街のどこかの景色が浮かんだ。
その片隅に、せわしなく働く裏方が、ぼんやりと映っている。
「じゃ、じゃあ、やっぱり1階に?」
「……それを今確認している。そもそも俺が気になったのは、盗品が今どこにあるかだ。それなりに重量があるなら、動きだって制限される。ドラクラスを出ていないとしたら街の中に潜んでいる。そんな荷物を持った不審人物がどこへ消えた、ってな。でかい荷物を抱えて街を呑気に歩いていたら、火事やら殺人やらで動き回っている俺や魔導士隊の目に止まっていたはずだ」
「一旦どこかに隠していると?」
「そしてそんな不審物、隠すにしてもどこかの庭先に放り込んでおくわけにいかない。1階なら、祭りの準備に紛れればすぐに降りられるし、隠すところは多そうだ。そして、……ユフィか?」
また件の彼女から連絡が入ったらしい。
何度かやり取りし、ジェットが浮かせていた腰を立ち上がらせた。
「……俺は行くところが出来た」
「俺が付いていかないとでも思ってんのか」
「俺の仕事だが、分かった。有事だったら手を貸してもらうかもしれない。あくまで可能性だ」
手がかりがない今、それで十分だった。
そして、“日輪属性”が思いつく可能性は、碌な結果になったことが無い。
「最高に“アンラッキー”だ。知り合いだったんだと。……早朝、1階ゲートから荷物を運び出した業者の確認は取れていた。ゲートを降りればすぐに祭りの会場だ。そのあとはあまり気にしちゃいなかったろうが、もし早朝に降りたなら、盗品は、一旦祭りの資材に紛れさせたってことになる」
「……!」
嫌な予感が当たったらしい。
アキラも1階に降りてきたとき、閑散とした祭りの会場は、ゲート付近は誰の管理物か分からぬ物が積まれたエリアがあり、道にも露店が並んでおり、至る所に隠せるだろう。
「もしかしたら警護団のゲートの監視を知っていて、一旦1階まで降りたあと、間をおいて紛れるように移動するつもりだったのかもしれない」
「じゃ、じゃあ」
すでに再度移動しているかもしれない。
だが、アキラは言いながら立ち上がった。すでに想像できている。
もしジェットの仮説が当たっているとしたら、改めて荷物を運び出したい強盗犯が、ゲートを監視する警護団を欺くに都合のいいタイミングがあるのだ。
「今日で祭りも最後だ。集まる人も物販も気合入るだろうな」
アキラは無言で壁に立てかけた剣に向かった。
「中止にはできないのか……!?」
「打診してみるが、今さらって話だろうな。可能性でしかないのが痛い。下手に騒げばすでに集まった奴らの混乱で大パニックだ」
ジェットと共に舌打ちしながら剣をひったくるように取る。
焦りでおぼつかない手つきで剣を担ぎながら、エレナとイスカに視線を送った。
「エレナ、俺は、」
「え? あー、そういやそろそろ時間? だったかしら。私も行くわ」
「話聞いてたか?」
「聞いてたわよ。……祭りが始まるってね」
エレナの理解度は分からないが、アキラよりもずっといいだろう。言葉通りの意味ではある。
大量の魔力の原石があり、凶悪犯が現れる祭りの会場。
確かに始まって欲しくない祭りが始まる可能性があるのだ。
そしてその場合、エレナ=ファンツェルンが隣にいるということがどれほど心強いか。
「じゃあ、イスカはここに残ってくれ」
「え。ちょ、ちょっと待ってください勇者様。私も行きますよ?」
「は?」
「だ、だって、魔導士隊が来たら、わ、私……!」
「あ」
彼女の事情を思い出した。アキラもジェットもいないと、彼女はどうなるのか。
だが、向かう先は凶悪犯がいるかもしれないのだ。
いっそ魔導士隊に保護してもらっている方が安全な可能性すらある。
様々なことがアキラの脳裏を過る中、イスカは上品に口を引いて、椅子を音を立てないように引いた。
まるで事態が分かっていないような気さえした。
「ごたごたしている時間は無い。邪魔した侘びだ、ここは警護団にツケておいてくれ」
「あら。見どころあるじゃない」
「ご、ご馳走になりました……!」
迷っている時間も無いらしい。
ずんずんと進むジェットをイスカが追っていく。
アキラは、凶悪犯がいるのはあくまで可能性に過ぎない、と思い込もうとして、失敗する。
急がねば。
イスカもそうだが、今頃自分の仲間たちも祭りの会場にいるかもしれないのだ。
いつものように集まりが悪いことを祈りたいが、少なくともエリーとサクは到着しているだろう。
「ねえアキラ君」
「どうしたよ。急ぐぞ」
また酔っ払いのからかいかと訝しんだが、エレナは顎に手を当て、眉を寄せていた。
そしてエレナは、ぱさりといつの間にか手に持っていた紙の束を投げるように机に置く。
伝票には見えない。
「なんだそれ」
「ん? ああ、あの警護団が持ってた資料ね」
「は?」
「なんかごちゃごちゃしていたけど、あの娘の記録が載ってるみたい」
確かジェットがここを訪れたとき、何やら書類入れを持っていたような気がする。
テーブルの上に置いていたと思っていたが、いつの間にかエレナがすっていたらしい。
ジェットの方も忘れているようだ。
「イスカの?」
「そ。なんか変な事件と、あの娘の旅の魔術師としての活動記録みたいなの」
それは興味が引かれる内容だが、今は有事だ。
だが、焦るアキラと対照的に、エレナは優雅な仕草でひとつの紙を指さした。
「なんかさ。あの娘、会ったときから変な感じがしていたのよね」
「多少変なのは分かるけど、そんなの誰でもそういう部分はあるだろう。今する話か?」
「今する話になりかねないからしてあげてるのよ」
「?」
「慌てて向かっていって、目を離さない方がいいかも、ってね」
エレナが指さす紙は、いくつかの段切りになっている文章のようだ。
それぞれイスカが請けた依頼と、その事件の概要や事後調査か何かだろう。
自分たちが話している間、恐らく机の下に隠しながら見ていたであろうエレナには読む時間があっただろうが、焦りでまともに内容が頭に入ってこない。
だが、目を引く文字を拾った。
「あの娘、どういう趣味か知らないけど、面倒な依頼ばかりやっているわね。巻き込まれただけかもしれないけど、“魔族討伐”なんてことやる羽目になってたわ」
「……は?」
『雪だるま』の事件の影響で、イスカはまともな依頼を請けられていないと言っていた。
しかし、『雪だるま』は実力派の旅の魔術師として認識されているらしい。
つまりそれは、解決した依頼の難易度が高いということなのだろう。
それでも。
“魔族討伐”は別次元だ。
「で、私も気になって話聞いてあげてたんだけど、やっぱ、変ね」
「な、なにが」
「“優先順位”よ」
魔族討伐を達成しているらしい『雪だるま』。
その動揺に頭が回らないアキラに、エレナが目を細めてイスカが出ていった部屋の扉を睨む。
「お金が無いから野宿? ほとんど何の準備もせずに? “ここはヨーテンガースよ”。食料がどうのとかより、まず間違いなく魔物に襲われる。身の安全が頭の中に無いみたい」
「……そ、それほど、強い、ってこと、なのか」
エレナが鼻で笑うように息を吐いた。
アキラが言っているのが的外れだと、彼女の冷ややかな瞳が語っていた。
「強い弱いはこの際どうでもいいわ。見ていた感じ、あの娘、自分は強いから問題ない、じゃなくて、“そもそも問題と認識できていない”。頭の中で、堅牢な街の中とヨーテンガースの野宿を比べると、夜露が凌げるかが最初に来る。普通は想像する“危険”というものの優先順位が低い」
例えばアキラと、このドラクラスの一般住民では、街の外へ出ることの抵抗が違うだろう。
魔物に対して対応できる旅の魔術師とそうでない者は、戦力というものが違うのだから当然だ。
だが、街の外は危険か、という問いには両者迷わず首を縦に振る。
イスカにはそれが無い。
魔導士隊に追われているという事情があるというが、そんなもの、身の安全に比べれば些細なことだ。
当てもなく外で過ごすくらいなら、アキラなら自ら魔導士隊に捕まることを選ぶ。
「そんなわけで、あの娘の危機管理能力は下の下よ。世界を旅したってんだから無知ってわけじゃないでしょう。それなのに、当たり前に感じることを感じていない。人混みの中で大量の魔力の原石を持った奴を探すんでしょ? 目、離しちゃ駄目ね」
大仰に見えて、危機管理という意味ではエレナの嗅覚は信頼できる。
アルコールの影響もないように、エレナは優雅に歩き出した。
「中途半端に関わると、痛い目見るわ。で、アキラ君は放っておくのは苦手。じゃあいっそ、ちゃんと関わってあげたら?」
「……俺は関わって痛い目見るらしいがな」
「あら。正妻ちゃんの言葉? じゃあシンプルね。関わって痛い目見るで全通りじゃない」
周りから見れば、ヒダマリ=アキラにとっての選択肢はひとつだったらしい。
エレナから人に関われと言われるとは思っていなかった。
彼女は冷徹とも言えるほど関係のない他者には無関心だが、それほどアキラのイスカに対する態度も歪に見えていたのかもしれない。
旧友ということが手伝っているのかもしれないが、エレナから見ても、イスカの様子は気がかりなのだろう。
イスカに対して覚えたことは、まだ消化しきれない。
せっかく背中を押されて家を出たというのに、また自分はうじうじとしていたらしい。
気になったというのは、ヒダマリ=アキラにとって、最後まで関わるという意味になるのかもしれない。
ならば自分は、イスカ=ウェリッドという人物を、きちんと知る必要がある。
「……分かった。ありがとうエレナ。でも、イスカはなんでそんな風に?」
「さあ。私が知るわけないじゃない。失業して相当精神が参っているか……、もしかしたら、“生まれつき自分の力を上回られたことが無い”のかもね」
多少は気持ちの整理ができたアキラは、エレナの言葉に、脳の奥で引っかかっていた違和感が溶けるような感覚を覚えた。
エレナの勘はよく当たる。
もしそうなら、彼女の歪さは、『雪だるま』の事件で生まれたものではないのかもしれない。
先天的に“危険”というものを経験しないほどの力を持っていれば、優先順位は歪む。
「なんっとなくだけど、最近似たのに会った気がするのよね」
アキラが続くと、エレナは呟いた。
廊下の先、店の扉を開け、今にでも飛び出していきそうなジェットと、魔導士隊の姿を警戒するイスカが見える。
ススキ色の髪に、特徴的な青い眼。
傍から見れば、普通にしているし、立派に見える。
だが、彼女も話は聞いていたはずなのに、この有事でも、彼女は変わらない。
それに覚えるべきは、頼もしさか、不安か。
彼女にはずっと、アキラが言語化できない“何か”を感じていた。
「……似てるって、誰に」
自分がイスカのことが気になった理由。
エレナに聞きながらも、それが分かってきた気がした。
上品な所作。
しかしそれと同時、言い表せない危うさや、妙な歪さを持つ。
アキラはイスカに、妙な既視感を覚えていた。
その正体は、同郷のエレナかと思っていたが、それだけではないかもしれない。
「あの天才ちゃんによ」




