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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
中央の大陸『ヨーテンガース』 ドラクラス編
58/68

第63話『光の創め6---ヨーテンガースの人々---』

―――***―――


「私が魔術師試験を突破したのは15歳のときなの」


 薄ぼんやりとした照明が影を動かし、時折顔にかかるのが鬱陶しい。


 ゴロゴロと揺れる馬車の中。

 そう切り出した彼女は、とても虚ろな瞳をしていた。


「みんな大体その頃は、人生設計をし出したりする準備期間。でも私は、定期的にスカウトのようなものを受けていたから、そういう感度が鈍かったわ。いえ、むしろ物心ついたときから魔術師隊を目指していたような気がする。家の事情もあったけど、きっかけは、多分そうね、子供が好きそうな絵本。そこで魔物をバッタバッタとなぎ倒す主人公への憧れが、抑えられなかった」


 追憶の色を瞳に移した。

 誰にでもある、子供の頃の夢。

 成長につれて失う者もいれば、手に入れる者もいる。


「勉強の方は大変だったわ。自己採点でも合格点にぎりぎり届くかどうかだった。でも、実技は文句なしの百点を叩き出した自信があったわ。で、そこから魔術師隊でも、配属されたのはもっぱら魔物討伐の方。むしろ私の理想通りの展開よ。虐殺趣味があるわけじゃないと思っているけど、やっぱり、魔力や血の匂いに囲まれて、魔物討伐をしているときが、世界に貢献できている! 私はここにいる! って思えるのよ」


 彼女の言う通り、特殊な感性を持っているわけではないだろう。

 誰もが子供のときに憧れる、立派な魔術師の姿は、難敵に立ち向かうものなのだろうから。

 いや、むしろ特殊なのだろうか。

 子供のときの感性を、大人になるまで維持する、いや、“維持できる”実力がある者は稀だ。


「で、身体で覚えるタイプだったのか、そんな日々を数年過ごして、色んなことが分かってきたわ。感覚でしか把握していなかったことも言葉にできるようになって、いっそ受けてみたのが魔導士試験よ。結果はあっさり合格。周囲からは天才美少女と騒がれたものだわ」


 コメントは控えた。

 最早罠のような気がする。


「魔導士になっても私は戦場を駆けた。とにかく実戦よ。ああ、話すと分かるわね。そりゃ辛いこともたくさんあったけど、私は子供の頃思い描いた場所にいるんだ、って」


 子供の頃の夢は、きっと、きらきらと輝いている。

 時が経ってもその光の中にいられる者は、どれほど幸せだろう。


「でね」


 一拍待って、彼女はこちらをじっと見てきた。


「そんな私は今ね。とても困ったことがあるの。応援要請されてきただけの部外者なのに、何だか知らないけどやたらと呼び出されるのよ。魔力や血の匂いなんて一切しない、何なら消毒液の匂いがする、潔癖な重々しい会議の場に。4つか5つくらい呼び出されて会議だけの日もあったっけ。タイトルも思い出せないけど、子供のときに呼んだ絵本にそんなページあったかしら? 私が読み飛ばしたのかも」


 自虐気味に笑う彼女は、遠い目をしていた。

 膝が付きそうな距離で向かい合って座ったのは初めてだ。

 瞳の色がよく変わるという印象は今までなかった。それともそれだけ精神的に参っているのだろうか。


「まあ、お仕事なんだから、それはそれでしっかりやったつもりでいるわ。でもね、朝から呼び出されて、延々とお仕事をこなして、やっと終わったー! って思って外に出ると、……暗いの。もう夜なの。そして明日も早いのよ」


 精神的な理由であっているらしい。

 引きつるように笑った彼女は、馬車の窓に視線を移した。

 外は明るい。大自然の中だ、魔物もいくらかいるだろう。

 会議が終わった後、彼女が見たかった景色だろうか。


「まあそれでも、何とか耐えているわ。なにせ、今の住処には最高の癒しがあるのよ。私が天才美少女なんて言ってた奴らにも見せつけたい。本当の天才美少女を。もう目に入れても痛くないくらい可愛いんだから。……しかも、今それが2倍よ? そりゃ頑張るぞ、って気にもなるじゃない」


 彼女はぐっと拳を握った。

 直感的に、危険な気がした。その拳に打ち抜かれる可能性が、何故か頭を過った。


「さてここで問題です。そんな気分で帰ってきて、その可愛いふたりが、妙にピリピリしていたら私はどうなるでしょう」


 彼女は、アラスール=デミオンは、拳をほどかずじっと見つめてくる。睨んでくる。

 彼女の代表的な特徴である、日常と戦場が入り混じった匂いが強くなった気がした。


「……ようやく分かった気がするわ。“しきたり”に背くような奴らはクズだって叩き込まれてきたけど、ふ、そっちもそっちで事情があったのね」


 この世界には、勇者様には最大限の敬意を払うという、ありがたい“しきたり”があるらしい。

 彼女からぼそりと漏れた言葉に、背筋にひやりとしたものが伝った。


 しかし、その会議とやらに参加し続けた忍耐力の賜物か、拳を震わせながら、深々と頭を下げてきた。


「お願いします勇者様。この依頼中に、なんとかマリーちゃんの機嫌だけでも治してください」


 ヒダマリ=アキラは、達観したように窓から遠くを眺めた。

 皆忙しく、まともに話せていなかった歪が、どこかで出ているらしい。


 アラスールには悪いが、その被害者が、自分ではなくて良かったと心から思った。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「いそがしっ……、いそがしっ……、いそがしっ……!」


 夕方。

 特に当てがあるわけでもなく、のんびりとドラクラスの街並みを歩いていたら、賑やかな少女が横切った。

 黒猫扱いをするわけでもないが、不吉な何かを感じる。

 だが、不運なことはとっくにあったし、何より不吉な結果になったのは目の前の彼女の方だった。


「おらぁっ!! 止まれって言ってんでしょうがっ!! 今日はおしまい! 帰って寝る! 分かった!?」

「でもでもエレお姉さま! レッカンたちが寂しそうだったんです! あっしが行かねば誰が行く! この目の黒いうちは止まれません!」

「……よし。殺すか」

「!」


 首元辺りを掴まれて、何かの空気が彼女の口から漏れた。

 今日も今日とて元気なアルティア=ウィン=クーデフォンは、その亡骸を担ぎ上げられる。

 殺人犯と目が合った。


「あら。正妻ちゃんじゃない。こんなところで奇遇ね。依頼の帰り?」


 エリサス=アーティは、目の前の惨劇に慣れている自分を恐れた。

 魂が抜けたようなティアの身体を担ぎ、優雅にほほ笑むエレナ=ファンツェルンに会釈し、同じようにほほ笑み返してみる。

 依頼の帰りと言えば帰りだが、大分前に終わったもので、そのあとは散策という名の放浪をしていただけだった。

 落ち着かない。


「ティアのそれ、まだ治ってないんですか……」

「治っていないというか最初からこうでしょ。今日だけで3つ。……付き合う方の身にもなれっての」


 ドラクラスでの日々が始まってもう半月ほどになる。

 当初の懸念通り、あらゆる依頼で候補者として指名されるティアは、それはもうご馳走を前にした野良犬の如く飛びつき続け、泥のように眠る日が大半だった。

 休業日をはじめとしたいくつかのルールも定め、彼女が潰れないように最低限は取り計らっているのだが、そこはティア。

 目の前に手を出されると躊躇うことなく掴んでしまう彼女は、時折、休日であっても依頼を請けてしまう。

 そんなわけで静止役を持ち回りで担当しているのだが、休日にまで及ぶとなると宿の違うエリーたち姉妹の分担は控えめで、同じ宿のメンバー、特にいつも暇そうにしているエレナの負担が増えていた。

 本人は散々文句を言っているが、躊躇なく人の意識を奪えるエレナは、強烈過ぎるティアの相手に適している。

 稼ぎ頭の上、人助けだと必死に依頼を請けているティアが本当に不憫でならないが。


「正妻ちゃん。暇なら食事でもしましょうか? 御馳走するわ。荷物が鬱陶しいけど」

「自分でやっておいて、財布を抜く上に荷物扱い……」

「ちょっと。私が出すのよ。私を何だと思っているの?」


 半分冗談だったが、甚だ心外だと言わんばかりに睨むエレナは、愛嬌も感じさせる可愛らしい所作だった。

 ふとしたときに出る彼女の一挙手一投足は、相変わらず羨ましいほど理想的である。

 大人の女性に憧れて止まない、意識を失っている荷物にも教えてあげて欲しい。

 食事に誘われるのも珍しいと言ったら、また同じ表情をしてくれるだろうか。


「あ、でも。もうこんな時間……。もうどこも混んでいるんじゃ……」


 最近。

 というか、ドラクラスに来てから、まともにみんなとの時間が過ごせていない。

 たまに集まって話はしているが、ほとんどドラクラスのことというか依頼のことというか、そういう事務的なものばかりになってしまう。

 そもそも部屋が狭く、ドラクラスでの生活に慣れる方に忙しいのか話もあまり弾んでいない。

 そこでと思い至り、食事会を企画しようとしたのだが、ドラクラスの食事処は大体いつも満員で、予約も取り辛く、時間を外せば誰かしらの依頼の時間にぶつかってしまう。

 長い旅で育んできたはずの自分たちの絆とやらは、宿が別なことと部屋が狭いことでこうもあっさり崩れてしまうものかとエリーは大いに嘆いていた。


「そうね。鬱陶しいのがうじゃうじゃ沸いてる時間ね。……まあ、何とかなるでしょ。来なさい」

「……」


 慣れた様子でティアを担いで進むエレナに、エリーはやや呆れながら付き従った。


 今いる1階の依頼所は数か所あり、そのうちエリーが寝泊まりしている場所からやや遠いという理由で敬遠していた依頼所の前を過ぎた。

 ティアの目的地はここだったのだろうか。

 当てもなく歩いていたとはいえ、随分遠くまで来ていたようだ。


 しばらく歩いていると、ティアから寝言というか呻き声というか、不気味な音が漏れ始める。

 音が出始めるのは、彼女が意識を取り戻す兆候だ。


 依頼所を過ぎ、賑わいを見せていた大通りの前を曲がって小道に入ると、音がすっと遠くなった。

 時折すれ違う人の反応が変わる。

 人を担いで歩くエレナにぎょっとした様子を見せていた人が減り、代わりに微笑ましいとでもいうような表情を浮かべている人が多くなる。

 自分の顔を見るとそそくさと立ち去ってしまい、エリーは改めて、自分の居場所から随分と離れてしまったように感じた。


「3人よ」


 小道の先、個人経営のように見える小奇麗な店があった。

 外観は喫茶店のように見えるが、店内からはかすかにアルコールの匂いがする。

 出迎えてくれた雇われに見える若い男性に、エレナは慣れた様子でそれだけ告げると、彼の案内を待たずに奥へ進んでいく。

 店に入ってすぐから石畳の長い廊下が伸びており、両脇には扉がいくつかついている。

 廊下を進み切り、その際奥の扉に手をかけたところでエレナが振り返った。


「なに?」

「いえ、というかここ、へ? 個室?」


 エレナが開けた扉の先は、想像からそれほど離れていなかった。

 さして広くは無いが、圧迫感は覚えない。

 レンガ積みのようにも見える網目の白い壁に、観葉植物や軽めの色合いの絵などのインテリア各種。思ったよりは暗くなく、同じく白い天井からはシャンデリアと思わせたいのか多少は飾られた照明が垂れており、むしろ嫌みったらしくない。

 部屋の中央には、5、6人は座れるテーブル席が設けられ、シミひとつ無いクロスが敷かれている。


「へえ。素敵なお店ですね」

「まあ、鬱陶しくはないわね」

「よくこんな場所を知っていましたね」

「前に同じ依頼を請けた奴に奢らせたときにね」

「ここ、いつも空いているんですか?」

「そうねえ。開けていないと不幸なことが起こるって教えてあげたからかしら? まあ、埋まってたことは無いわ」

「あ、の!!」


 エレナがきょとんとした。可愛らしくて本当にずるい。

 だが本当に見過ごせないのは、自分が苦心して色々と計画を練りながらも挫折した食事会の最大の問題をクリアしていたことだった。


「? 相変わらず正妻ちゃんは気苦労が多いわね。ほら、好きなの頼みなさい」


 人形のようにティアを席に着かせるエレナを尻目に、エリーは色々と飲み込みながら注文を取りに来た男性と応答した。

 エレナは常連なのか、アイコンタクトのようなものだけで男性を下がらせる。

 嫌ってはいないし、むしろ頼りにしているのだが、エレナと話していると頬を何かが伝う感覚がするのは気のせいだろうか。

 エレナがエリーの対面、奥に座る。テーブルはそれなりに大きいはずなのだが、個室のお陰か距離をあまり感じない。

 光の加減やらで調整されているのだろうか。料理が出る前ではあるが、本当にいい店なのかもしれない。


「今度みんなで来ませんか? こんな場所があるなら、みんな予定合わせられるでしょうし」

「私さぁ、結構繊細じゃない?」

「は?」

「心安らげる場所も、口に合うものもなかなか見つけられないのよね」


 要するに断られたらしい。

 ここは、やたらと人が混雑しているドラクラスの中、エレナが見つけた憩いの場所なのかもしれない。

 そうなるとこれ以上何も言えなかった。

 特に、そんな場所に招待してもらった身としては。


「お酒でも飲む? 色々溜まっているでしょうよ」

「……ありがとうございます。そんなに酷そうでした?」

「誰を殺しにいくのかしらって思ったわ」

「そんな大げさな」


 自分の精神状態は、理解していた。


 何が悪いとかではない。

 ただみんなが、状況に応じて動いただけの話だ。

 それなのに。


「エレナさぁん……、あたしと宿変わってくださいよぉ……」

「分かります分かりますっ、エリにゃん寂しいんですよね? こうなったらあっしと一緒に寝ますか! あっしがこう縮こまれば……、ってちっちゃくないですよ!」

「あっはは、ティアはもう、かわいいなぁ」

「えっへへへっ、ありがとうございます! でもあっしって、可愛い系というより綺麗系じゃないですか」

「はっはー、いつも狂っててかわいー」

「おおおっ!?」

「くそ。最っ悪の状況になったわ……」


 エレナが頭痛を押さえるような仕草をしていた。

 自分と同じらしい。頭が痛い。でも気分は軽い気もする。

 たのしい。


「あれー? エレナさん。どうしたんですかー? おかわりしますー?」

「ちょっとそこの。水。とにかく水よ。なんなら樽でぶっかけてやって。ふたりともよ」

「えっ、あっしもですか」


 いつの間にかいた店員の男性が、後ずさりしながら去っていった。

 あの人はお酒を運んできてくれた人だ。いい人だ。


「気まぐれで行動して後悔したのは久しぶりね……。正妻ちゃん。あんたもう、お酒は飲まないことね」

「えー、これ以上あたしから何を奪うっていうんですかあ」

「アキラ君に笑われるか嫌われるかの二択ね」

「やだ。やーだ。えへへへっ、へへっ」

「…………」


 またエレナが頭を抱えた。

 遠かったり、近かったりする。流石の身体能力だ。


「ま、まあ、この際か。吐き出せるもの吐き出していいわ。私の話も聞いてもらうけど。ねえ正妻ちゃん。本題よ。私ばかりガキの面倒を見るのもそろそろ限界。改めて依頼のスケジュールを見直さない?」

「エレお姉さま! エリにゃんは酔っぱらっているんですよ。そんなこと今度でいいじゃないですか」

「シラフの奴に話しても通じないんだから変わりゃしないわよ」

「……あれ? あっしの面倒とか言っていました?」

「これだもの……」


 ティアが立ってエレナにしな垂れかかり、頭を押さえつけられている。

 個室とはいえ飲食店だ。落ち着かせたいが、すぐそこなのに、手を伸ばしても何故か届かないから諦めた。


「そりゃあたしだって、エレナさんたちに迷惑かけているなぁ、って思ってますよ……。宿が違っても、頑張って通うとか……、ううう……、前に頑張って行ったら誰もいなかったこと思い出した……」

「それは……、まあ、運が悪かったわね」

「運ですかね?」


 ドラクラスに慣れるのに必死だったのはエリーもだ。

 依頼が終わったあと、疲れた身体に鞭打って宿に向かったのだが、相変わらずの面々は、夜だというのに誰もいなかった。

 約束でもしなければ気軽に会うのが難しく、かといって約束を取り付けてしまうと束縛しているようで気が引ける。

 タイミングがかみ合わないと数日会えないこともある。

 強引にでも会おうと思ったことはあるが、それが億劫になる理由もあった。


「あんたらもぼちぼち慣れてきたでしょう。アキラ君たちが依頼に行っている今だからこそリセットのチャンスよ」

「……」


 エリーは息を止めた。

 エレナにとっては深刻な問題らしく、とにかくティアのお目付け役をもっと持ち回りでやりたいというのが本意なのであろう。

 もちろん気にはしているが、エリーもエリーで、深刻な問題にぶつかっている。


 店員の男性が、冷たい水を運んできてくれた。

 おぼつかない手つきで掴み、行儀悪く顔に当てると、すっとした爽快感を覚える。

 頭が痛いことを改めて自覚した。

 口を付けても痛みは消えないし、一瞬だけ覚えた爽快感はまたどこかへ消えてしまった。


「エレナさん……」

「なに」

「あたし、そんなに役に立ちそうにないですかね」

「……」


 ドラクラスの依頼には、優遇者という制度がある。

 特にティアが治癒担当者として指定されているが、特定の人物がその依頼を請けると報酬面で優遇されるというものだ。

 だが、ドラクラスに来て半月。


 エリーが指定されたことは、無い。


「サクさんとかイオリさんとかも指定されていたことあるじゃないですか」

「……。私も指定されたことないわ。まったく、見る目がないわね」

「あれ? エレお姉さま、指定された依頼無視して泣きつかれていたことありませんでしたっけ……、ぶがっ!?」


 聞かなかったことにした方がお互いにとって良さそうだった。

 そもそもエレナの名前は依頼所で見たことがある。

 主にひとり用の依頼だったから深くは追及しなかったが、エレナは優遇制度を気にもしていないらしい。


 他の面々が、指定される理由は分かる。

 哨戒や調査などなら機動力の高いサクがいて欲しいだろうし、大人数で魔導士隊のケアが手薄になるような依頼にはイオリのような魔導士隊の事情に通じる者がいて欲しい。

 ティアをはじめとする治癒担当者の人気は元より、少人数の依頼などでは単騎での戦闘力が評価されるエレナも指定されるだろう。

 驚くことにこのドラクラスでは、この面々の特性まで把握されている。

 もちろんアウトラインレベルだろうが、今までの依頼の結果を見るにその水準でも申し分ない分析だろう。


 そんな中、エリーはこれと言って特徴がない。

 というより、エリーが担当できる戦闘は、他の旅の魔術師でまかなえることがほとんどだ。

 いっそ一撃で吹き飛ばさなければならない大型の魔物でも襲撃してきてくれたらお呼びがかかるかもしれないが、そんなことになろうものならそもそもドラクラスの魔導士隊を総動員して対処に当たることになるだろう。


「それでも何とか割のいい依頼を見つけて頑張ってはいるんですけど、なんかみんな人気の中、あたしだけ騒いでるのも、悪いなぁ、って」


 そんな中で、意外にも同じようにお呼びがかかっていなかった男が、数日前に指定された。

 案の定という気持ちの反面、取り残された、という気持ちが出てしまったのは反省だ。


「これは私の手に負えない気がしてきたわ……。アキラ君とあの天才ちゃん、何日かかる依頼だったかしら? どっかの哨戒とかなんとか」

「10日くらい? とか。あたしも一般枠で参加しようとしたんですけど」

「定員オーバーだったわね。アキラ君のせいなのか、あの天才ちゃんの人気なのかは知らないけど」

「あれ。皆さんもそうしたんですか? あっしも請けようとしたんですが、摘まみ出されました」


 摘まみ出されてはいないが、結局あの“放送”を聞いて行動を起こしたのは自分だけではなかったらしい。

 その日は早速集まりたかったのだが、見つかったのが同じことを考えていたイオリだけで、他は見当たらなかった。

 それでも日をまたいででも必死に探し続けたが、諦めて宿舎に戻ると、魔導士の方が、つい先ほどまでアキラが出発前の挨拶に来ていたと教えてくれた。

 多分あのとき、泣いたと思う。


「天才ちゃんの方は? あの娘も指定されたの初めてとかじゃなかった?」

「マリーはそもそもずっと忙しいんですよ。旅の魔術師の依頼も請けながら、魔導士隊の方の用事も残っているみたいで……。ベッドが並んでいるのに、何日かに会えるか会えないか、って感じで。たまに会うと、あたしだから分かるんですけど、めちゃくちゃ機嫌悪くなってました……」

「その顔をしているわけね。私でも分かるわ」

「……」


 顔をぺたぺた触ってみる。

 自分では分からないが、あのエレナがこうして食事に誘ってくれるほどだ。

 それほど深刻な表情を浮かべていたのだろうか。


「……あーっ!! ……ふう。ぐちぐち言ってもしょうがない! あたしはあたしで頑張らないと……!!」

「その意気ですよエリにゃん! そうだ、明日の依頼、ご一緒しませんか?」

「あんたは明日休みでしょう。五体満足でいたかったら死ぬ気で休みなさい」


 ティアがカタカタと震えながら目を泳がせた。

 手段はどうあれ、エレナがティアの働きぶりの抑止力として適任なのは間違いないらしい。

 常日頃から人の役に立ちたいと騒ぎ続けていたティアだ。

 彼女にとって、引く手数多なこのドラクラスの日々は夢のような時間なのかもしれない。

 それが分かっているからこそエリーも強くは言えないのだが、エレナはそういう部分では恐ろしく冷静に物事を見る。

 彼女がいなければ、ティアはとっくに潰れていただろう。


「とりあえず、アキラ君たちが帰ってくる前に、予定を立て直しましょう。分かるでしょう、もう縛り上げておくか縊り殺すくらいしか思いつかなくなってきているわ」

「!?」


 そのエレナがそう判断を下しているということは、事実限界が近いのだろう。

 エレナの言う通り、予定の見直しをした方がよさそうだった。


「でも……、あたしが集まろうっ、って言っても、大体誰もいないんですよ」

「…………。あ。私も? 今回は大丈夫でしょ、言い出したのは私だし」


 エレナは未来の自分を全く信じていないらしい。大丈夫だと言い切って欲しかった。

 ともあれ、重要な議題が見つかったのだ。

 これならみんな協力的になってくれるだろう。やる気が出てきた。


「じゃあ明日、あたしみんなを探しますよ」

「あ、それならあっしにお任せください!」

「どうせ宿にいないんなら誰がやっても同じでしょう。ティアはちゃんと休んでること」


 そう言うと、エレナは小さく息を吐いた。

 誤解している。いや、エレナのお陰で誤解になった。


「大丈夫ですよ。不人気ってのもあるにはありますけど、あたしはみんなを探すの結構得意ってだけですから」

「まあ、正妻ちゃんのきけんせ……、重要性はそのうち評価されるわ。それでも辛くなったらたまにはガス抜きしなさい」

「はい。なんか気分がすっきりした気がします」


 クリアになってきた視界の中、エレナは優雅に、ティアはにこにこと笑っている。

 もしかしたら今日は、自分を励ますために呼んでくれたのかもしれない。

 宿も別で、みんなの様子も分かりにくく、孤独な気分を味わっていたが、彼女たちの方はこちらを気にしてくれていたらしい。

 少しだけ目頭が熱くなりながら、エリーはコップに残った水をぐいと飲んだ。


「今日はありがとうございました、エレナさん。その、今度はあたしにご馳走させてください。また一緒に、お酒でも飲みましょう。初めて飲んだけど、美味しかった……」

「いいですね! むむぅ、あっしもお付き合いしたいですが、舌がびびびっ、ってなるんです。大丈夫なのもあるんですかね? 前に色々試してみようとして、…………、あれ? そこからの記憶が……。エレお姉さまにお付き合いしたときですよね? ううむ。……またいかがでしょう?」


 優雅にほほ笑むエレナ=ファンツェルンは、指先で軽く自分のグラスを揺らした。


「やーだ」


―――***―――


 ヒダマリ=アキラ。

 『日輪の勇者』と世界中から認識されている百代目勇者様候補であり、異世界来訪者。

 シリスティアの誘拐事件、タンガタンザの百年戦争、モルオールの沈まぬ太陽、そして、アイルークの魔門破壊に魔王直属の魔族討伐。

 過去、ヨーテンガースに足を踏み入れた英雄でも、ここまでの事件数を解決した者は数えるほどもいない。

 質、量ともに過去に類を見ないと言ってよいだろう。


 マリサス=アーティ。

 数千年にひとりの天才と言われるヨーテンガースの魔導士。

 同様に天才と言われるアラスール=デミオンの部隊に所属し、“終焉の地”の調査に従事。

 当初想定されていた隊員の被害を大幅に抑え、精神的な事情で一線を退いた者は出たものの、死傷者は未だ出ていない。

 制御困難な月輪属性を自在に操り、不可能の概念を打ち破り続けている。


 ジェット=キャットキット。

 数少ない、ドラクラス警護団に正式に所属する魔術師。

 出自は不明で、元旅の魔術師と思われるが、現在周囲からは『三魔人』ドーナ=サスティバの懐刀と認識されており、ドラクラスで発生する事件を大小問わず多数解決。

 注目すべきはその戦闘力であり、ドラクラス近辺に群生した“言葉持ち”の魔物の“組織”を単騎で壊滅。詳細は不明だが、その組織には“魔族”の存在も確認されていたと噂されている。

 また、ドラクラス内部でも酒場で揉め事を起こした魔導士と旅の魔術師を瞬く間に制圧した話も有名だ。

 ヨーテンガースの魔導士や、偉人達人超人とされる旅の魔術師が集結した、世界で最も戦力が集中するドラクラスの中でも、強力な抑止力としても認識される。


 いずれの人物も、重要度の高い事件に巻き込まれ続けている。

 力があるから引き寄せるのか、引き寄せる性質だから力を得たのか分からないが、有体に言えば彼らはトラブル気質だ。


「……ふ」


 シャロッテ=ヴィンテージは周囲の様子を窺っていることを悟られないように気を配りながら、小さく笑った。

 キューティクルケアに気を遣った長めの前髪の中、くるりとした瞳が怪しく光る。


 今回参加しているのは、“内容自体”はよくある哨戒依頼。

 強いて言えば、いつもと違い日をまたぐ依頼であり、期間は10日間。場合により前後するらしい。

 それでも、魔導士隊の指揮の元、言われた通りに行動するだけの楽な依頼であり、報酬が美味しいとなれば参加しない理由がない。


 シャロッテ=ヴィンテージは、情報収集を怠らない。

 この依頼の目的にも、概ね察しがついている。

 だからこそ、この依頼では立ち回りが重要になるだろう。


 現在は樹海の開けた場所で馬車から降り、車両のメンテナンスをしつつ魔導士隊が集まって話している。

 同じく依頼を請けた旅の魔術師たちも皆窮屈だったのか馬車に残っている者はおらず、思い思いの場所で身体を伸ばしたりしていた。


 シャロッテは魔導士隊の話に聞き耳を立てる。

 魔導士隊の者から付かず離れず、そしてヒダマリ=アキラ、マリサス=アーティ、ジェット=キャットキットからは一定の距離を取る。


 この依頼を無事に乗り切るためには必要な行動だ。

 どういう形になるにせよ、この依頼自体は成功するだろう。

 それゆえに、最も重要なのは自己の安全だ。自分勝手と思われるかもしれないが、生存しなければ依頼も何もない。

 自分を必死に守って、守り切って、それでもまだ手が伸ばせるなら依頼のために働く。

 全員がそうすることが、成功につながるのだ。


 多少は運に見放されることはあるが、成功させればいいだけで、運など失敗の言い訳でしかない。

 すべては事前にどれだけ危険を読み切れるか。

 何事も、それに尽きる。


「……この依頼、見切った」


 蓄えた知識。そしてこの洞察力。それゆえ、このシャロッテ=ヴィンテージが、世間からは『智の賢帝』ともてはやされているのはもちろん知っている。悪い気はしない。


「!」


 魔導士の言葉が拾えた。ここからは小隊を編成するらしい。

 シャロッテはいち早く、腕を組んで立つジェット=キャットキットの向こう、ドラクラスを出るときからマークしていた別の男にさりげなく近づいていった。

 彼もひとりでこの依頼を請けていたはずだ。ヨーテンガースの旅の魔術師の時点で実力者だが、それ以外に目立った特徴はない。

 彼の近くにいれば、同じ部隊になる確率が上がる。


「ここ、どの辺なんだろう。ドラクラスから結構離れたのかしら?」

「この辺は来たことない? 大運河を見るなら大体この辺りを通るけど」

「へえすごい、よく知ってるね。私は樹海から抜けたからこの辺知らないなあ」

「案内するよ」


 男の影にいた、明るい髪で甘ったるい声の女性が、拍手するような仕草で笑っていた。

 同じ馬車で会話でも弾んだのか、男は随分と親し気に笑い、早速案内とやらを始めやがって、女性を促して歩き出した。

 裏切られた気分になり、呆気にとられたシャロッテは、足を止め、周囲の様子を窺う。

 気づくと、どこも複数人で話している。


 そこで、大柄な女性の魔導士が、周囲を見渡しながら元気な声を出した。


「皆さーん! 聞いてくださいねー! ここからは魔導士1名、依頼者4名での小隊を組みまーす! ええと……、うん、大体よさそうね!」

「…………」


 そうして。


「なんでよーっ!!」

「……ん?」


 最初によろしくと言おうとしたら、くるりとした愛嬌のある瞳が特徴的な女性が金切り声を上げた。

 服装も機能的ではあるがお洒落で、それなりに背丈はあり、年は近そうだが、薄い茶色の髪はおかっぱで、童顔な容姿から若くも見える。


 ヨーテンガースの旅の魔術師はどこかしら異常な部分があるという。

 短めの髪型のわりに目にかかる程度の長い前髪のアンバランスさが目立つが、少なくともむやみに他者を威嚇する異常者には見えない。

 ヒダマリ=アキラは同じ小隊に編成された彼女の精神状態を危惧したが、それ以上の危険な香りを察知していた。


「あんたも同じか、ジェット。初めてだな、ドラクラスの“外”で会うのは」

「ありがたいことにお互いB指定だ。まあ、稼がせてもらおう」


 危険な香り。体格がいいせいで威圧するように見える腕組みに、鋭い目つき。しかし対応は普通で、話しやすい。

 そんな印象のジェットとは、この依頼の“放送”を同じ場所で聞いた。

 その際に話していたことは、未だにアキラの胸の中に黒く残っている。


「つっても何すりゃいいんだ? 俺、未だに哨戒って何してんのか分からないんだけど」

「まあ、調査もあるだろうが、“特定の人間”にとってはただの散歩だ。お前ならそこまで難しく考える必要はない。……というより」


 ぎろり、とジェットの目つきが変わった気がした。

 ジェットの強い視線の先には、同じく編成された彼女がいる。


「詳しいことなら魔導士に聞いた方がいいだろう。顔合わせも済んだことだし、俺はその辺りを軽く見てくるよ」

「? おい、魔導士って、……あれ? この隊はどうなるんだ?」

「他にも案内役の魔導士が来るはずだ。説明もあるだろう。依頼のことはある程度知っている。俺のことは気にするな」


 軽く手を振って歩き出したジェットは、振り返りもせずに樹海の中へ進んでいく。

 ドラクラス警護団に属しているゆえだろう、確かな情報ルートを持っているらしく、この依頼の詳細はあらかじめ把握しているらしい。

 それにしても相変わらず去り際があっさりしているというか世話しないというか。

 ジェットの姿を思い起こすと、いつも足早に歩いているような気がした。


「にーさん。ジェットさんと仲良かったんすか?」


 そんなジェットとは対照的な、のんびりとした声が聞こえた。

 マリサス=アーティ。

 先ほど、馬車の個室に引きずり込まれ、いや、丁重に案内され、アラスール=デミオンからとにかく機嫌を治せと脅迫、いや、懇願された相手である。


「そう見えるか? ……そういえば、警護団の事務所に案内されたときに会ってるよな。マリスはジェットと知り合いだったのか?」

「知り合いというか、ドラクラスにいてあの人を見かけないことは不可能っすよ」


 それはそうだった。

 あの男はいつも街中を歩き回っている。

 ドラクラスの主要人物との接触を避けていたアキラですら何度も見かけているのだ。


「話したことはあるのか?」

「一応、ドラクラスに来たばかりのとき、何度かは」

「ふうん」


 すでに姿の見えないジェットの消えた樹海を眺めると、マリスから、じ、っとした視線を感じた。


「気にならないんすか?」

「へ? 何が? 特に何も。……それどころじゃないし」


 アキラはぼそりと呟いた。

 ジェットのことを思い起こすと、どうしても、彼が口走った言葉が蘇る。

 『代弁者』フェシリア=“アーティ”。

 エリーやマリスと同姓だ。エリーはフェシリアのことを知らなかったようだが、マリスはフェシリアと会ったとき、何か様子がおかしかったような気がする。

 親族、というわけでもないだろうか。


 たまたま同じ名前と言ってしまえばそれまでだが、思い返せば『三魔人』のルックリンも“アーティ”という名前に反応している。

 そしてあのジェットも、何か知っているような素振りを見せた。

 もし何らかの意味があるなら、マリスはそれを知っているかもしれない。

 デリケートな問題かもしれないから、公の場で言うのも憚れる。


「……」


 そんなことを考えていたのだが、マリサス=アーティ嬢はアキラの態度がお気に召さないらしい。

 また半開きの眼でじっと見られている気がした。

 アラスールから厳命されていたが、より一層機嫌を悪くさせてしまったのかもしれない。


「ところでマリス。俺らは何をすればいいんだ? さっきも言ったけど、哨戒? 要は魔物の探索か?」


 ともあれ、今は依頼中。

 自分も真面目になったものだと、アキラは我ながら惚れ惚れした。


「まあ、にーさんはその認識でいいっすよ。今日はこの樹海を進んでいけばいい。馬車は大回りして抜けた先に先着しているから、自分たちはそこまで歩きっすね。都度説明があると思うっすけど、“目的地”まで他にもこういう場所があるから、同じことを何度か繰り返して進んでいく感じっす」


 マリスの声色は、先ほどまでと打って変わって明るく聞こえた。

 依頼だから集中しているのかもしれないが、もし本当にそうなら彼女の機嫌が良くなるポイントが分からない。

 もしかしたらと思い当たるのは、双子の姉。頼ったり訊いたりすると、何だかんだ言いながら上機嫌でなんとかしてくれる。

 人の好意に付け込んでいるようだし、自分の情けなさが浮き彫りになるからアキラとしてはやりたくないし、やろうと思ってできることでもない。

 そもそも人の機嫌を治せなんて、簡単に言ってくれる。

 アキラには彼女の仕事を手伝うことなどできはしないのに。


「それを10日間くらいだっけ? 大変そうだなよな……。まあ、このところほとんど“中”で過ごしていたからいい機会……、あんま変わらないな」

「そうっすよね。気圧くらいは違うものだと思ってたんすけど、ドラクラスの中も外も同じに感じるし」

「でも太陽の光って健康にいいとか聞いたことあるんだけど、大丈夫なのかな?」

「どうなんすかね? 別に違和感とかないっすけど」

「背が伸びなくなるとかあったら、可哀そうな奴がいるな」

「……言わない方がいいっすよ」

「あいつが積極的に依頼を請けているのはもしかしたら」

「にーさんは」

「あの!」


 適当な話をしていると、先ほど金切り声を上げた女性がまたいきり立った。

 前髪に少し隠れた大きな瞳の目尻に、何か輝いたものが見える。

 決起したような表情を浮かべているのは、これからの依頼に集中するという表れだろうか。


「ああ、悪い。シャロッテ、だっけ。よろしく。長丁場の依頼だ。こっちの知り合いばかりの中でい辛いかもしれないけど、お互い気を遣わないでいこう」

「わ。いい人……。って違う、そうじゃない。ヒダマリ=アキラ氏ですね。それにマリサス=アーティ嬢。こちらこそよろしくお願いします」


 何かを吹っ切ったように頭を勢い良く下げたシャロッテに釣られ、アキラも頭を下げる。

 金切り声を上げたときは早速アラスール辺りに再編成を頼もうと思っていたものだが、どうやら常識人らしい。


「にーさん、いつの間にかちゃんとしてるんすね」

「どういう意味だそれは……。最近は色んな奴と依頼を請けているから多少は慣れてるよ。……シャロッテは、多分、俺と同じ依頼を請けるの初めてだよな? マリスもか?」

「そうっすね。……でも、シャロッテさんのことは聞いたことはあるっすね」


 マリスがそう言うと、シャロッテは胸に手を当て、顎を上げて得意げな表情を浮かべた。


「ふ。噂というのは漏れるものですね。私、多くの方にはこう呼ばれています―――」

「マリーちゃーん! 元気してたー?」


 マリスが素早くアキラの背後に身を隠した。

 声の方を追うと、体格のいい女性が紺の長い髪ごと手をぶんぶんと振りながら近づいてくる。

 アキラよりも背が高い。

 ずんずんと勢いよく、パワフルに接近してくる彼女は、魔導士隊の服を身にまとっていた。

 ドラクラスを出発する際、目立つ彼女をアキラも見かけた気がする。


「おっとと。ええとお仕事しなきゃね。ヒダマリ=アキラ君、マリサス=アーティちゃん、シャロッテ=ヴィンテージちゃん、ジェット=キャットキ……あれ? ジェット君は? ねーフェッチー! ジェット君がいなーい!」


 声量もかなりのものだった。

 また手をぶんぶんと振って、今度は彼女の後ろ、置き去られていたらしい魔導士隊の男を手招きする。

 そちらの男の方には見覚えがあった。

 ドラクラス気にたばかりのとき、アキラたちを『三魔人』のひとりに案内したフェッチ=ドッガーというマリスの同僚の男だ。


「ジェットさんなら話は知っているからって樹海に行ったっすよ。そのうち戻ってくると思うっすけど」

「え! まあいいのかな? 警護団の方には説明しているって言ってたし!」


 マリスが答え、身体の大きな女性がうんうんと応答する。

 すべてアキラを挟んでやられた。

 腹話術の人形のような気分を味わったが、それ以上に、目の前の女性から感じるエネルギーがひしひしと身体に当たるようだった。


「……いや駄目だろ。俺が探してくるよ。ケディアはここ頼んだ」


 アキラを一瞥して、フェッチは慌ただしく樹海へ向かって歩き出す。

 その背を見て、アキラはふと疑問に思った。

 フェッチはジェットがどこに行ったのか聞かなかったが、それで何を探すというのだろう。

 そんなフェッチを目で追っていると、別の旅の魔術師たちと話していたアラスールがフェッチに素早く近づいた。

 にっこりと笑っているように見えるアラスールと対面し、ぎりぎりと油を差していないブリキのように反転すると、フェッチはとぼとぼと戻ってくる。


「ケディア、説明頼んだ」

「なに? 遊びに行くのがばれちゃった?」


 フェッチが視線を逸らした。

 ケディアと呼ばれた女性の魔導士は、大きく笑い、そして改めて、こちらに向かい合った。


「私はケディア=レンダー。こちらはフェッチ=ドッガー。私たちふたりがこの小隊の担当魔導士となります。依頼の説明は、あれ。もしかしてマリーちゃんしちゃった?」

「大枠は」


 短いマリスの返答に、ケディアはにっこりと笑う。


「マリーちゃんありがとね! でも、念のため私からも話しておきましょう。はい。今から私たちはこの樹海をまっすぐ進みます。他の小隊も大体4か500メートル間隔で横並びになっているので、樹海を拭うような進行って言えば分かりやすいかな?」

「! それって」

「はい、アキラ君」


 思わず口走ったら、ケディアが先生のように指を差してきた。

 注目を集め、余計な口を挟んだことを後悔した。


「にーさんはシリスティアの誘拐事件のことを思い出したんじゃないっすか? あれも同じような作戦だったんすよね」


 マリスの言う通り、アキラも想像したのは、世界中の希望になったという、あの最悪の事件のことだった。

 あのときも、同じような進行で樹海を進んだ。


 しかし人数的に仕方ないのかもしれないが、それぞれの間隔が思ったよりも広い。


「じゃあ要領は大丈夫そうね! しかもなんと、私たちはとってもラッキー! 私たちの出発地点はすぐそこ。他の面々が展開し切るまで待機となります! あ、そうそう、樹海を抜けた先に馬車は移動するので、忘れ物の無いようにね!」


 指をぴんと立ててウインクしてくる。身振り手振りが多い女性だ。

 ケディアという魔導士の底抜けに明るい笑顔を前にすると気が引けるが、アキラは今度こそ意志を持って口を開いた。


「なあ。一応経験者だから聞きたいんだが、哨戒ってそんな広い間隔で、ざっくりでいいのか? シリスティアのときは、問題起こったけど隣の様子が分からない、ってことがあったぞ?」

「大丈夫! 探索じゃないし、そもそもここ、すでに何度か調査しているから」

「そうなのか?」


 ヨーテンガースの樹海とはいえ、シリスティアとは違い、すでにある程度の安全は確保できているということだろうか。

 それだけの間隔を開けると、樹海というだけはあり、隣のグループの様子がまるで分からなくなる。

 そんなことは勿論魔導士たちは分かっているはずなのに、まるで気にしていないようだった。


 ならばこの依頼は、ただ石橋を叩くようなつもりのものだということになる。

 この依頼の報酬はかなりいい。ドラクラスの依頼は随分と羽振りがいいのだと改めて認識した。


「じゃあ、しばしご歓談を! ねえフェッチー、どっかに魔物いないかなー?」

「それをやろうとしたら隊長に睨まれた。大人しくしているのが吉だ」

「えー」

「ほら、先にやること済ましちまおう」


 分かりやすく落胆の仕草をするケディアだが、それでも弾けるようなエネルギーを感じる。荷物の準備にフェッチとふたり、馬車へ向かって行ったが、遠目からでも彼女の気分が分かるようだった。


「……悪い、話の途中だったな。ええと、あれ? シャロッ……テ?」


 何かを言いかけていたシャロッテが、いつの間にかいなくなっていた。

 見渡すと、少し離れた大木に向かい合って、直立しながら震えている。

 依頼もじきに始まる。彼女なりの精神統一方法だろうか。

 邪魔するのも憚れると視線を外した先、マリスの半開きの瞳があった。


「まあ、少し時間もあるみたいだし、」

「……」

「……そういや、あのケディアって人、マリスと知り合いというか同じ所属なのか?」


 自分もジェットのように樹海を歩きたくなったが、やや圧を感じた。自分も目の前の魔導士に見張られているらしい。

 アキラは会う機会が減っているが、マリスはエリーと同じ場所で寝泊まりしている。

 この依頼に参加するにあたり、余計なことをしないように見張るとだけ書かれたアキラの取扱説明書でも貰っているかもしれない。


「そうっすね。フェッチさんも同じっすけど。そういえばにーさん、ケディアさんに会ったことなかったっすね」


 アキラは素直に頷いた。

 引きこもっていたのもあるが、体格的にジェットより目立つであろうケディアは街中ですれ違っていれば記憶に残っているだろう。


「魔導士って大変だよな。アラスールから聞いたけど、ヨーテンガースの魔導士とはいえ、応援要請された部外者って言ってたぜ? それなのに依頼の監督も……、あれ? さっき、ひとつのグループに担当魔導士はひとりって言ってなかったか?」


 目の前のマリスは、魔導士ではあるが、今回は旅の魔術師として参加しているという。

 その辺りの何が違うのかアキラには分からないが、それでもこの小隊には魔導士が3人もついていることになる。

 人数が余ったから、というわけでもないだろう。


「……やっぱり、ちゃんと言った方がいいっすよね。にーさん、この依頼はどういう意味があるか分かってるんすか?」


 マリスは、少しだけ眉を寄せた。

 そういう表情を、アキラは何度も見たことがある。


「詳しくは知らないけど、楽にはならないとは思っているよ。何しろ俺が指定されているんだからな」


 アキラは努めて明るく言った。

 彼女が瞳に浮かべている色は、旅の中で何度も見てきた、ヒダマリ=アキラの運命を憐れむようなものだった。

 気にしていないことを気にされる。そういう視線は、ありがたくもあり苦手でもある。


 マリスもそれに気づいてくれたのか、視線を逸らしてくれた。

 周りの他の旅の魔術師は、魔導士の説明を受けている者たちや、出発地が離れているのか早速馬車に乗っている者たちもいる。


 アキラはさりげなくマリスを連れ、人気のない広場の隅に向かった。

 日輪属性の数奇な運命。あまり大っぴらに話す内容でもない。


「にーさん。前提として、依頼に参加するときに、“引っ越しの話は聞いてるんすよね”?」

「ああ」


 アキラはふっと息を吐いた。

 アキラがそれを聞いたのは、依頼所でこの依頼への参加を伝えたあとの説明会だった。


「この依頼が終わったら……、“ドラクラスが移動する”ってことだよな」


 見ていない顔も多いから、何回かに分かれていただろう。依頼の関係者を集めた説明会に参加したときだ。

 話を聞いたら辞退は出来ないと散々脅されたあと、随分と偉そうな男の魔導士が現れ、口外厳禁の前提の元、ドラクラスの移動計画を話したのだ。

 魔族が介入してくる可能性を少しでも下げるため、移動の詳細な日は秘匿しているらしい。


 最終目的地はトリオニクス地方らしいが、そこまで辿り着くのにもいくつかの場所を経由することになる。

 この依頼の“目的地”。そこは、ドラクラスの最初の経由ポイントだ。

 その場所こそ概要すら知らないが、自分たちはその経由ポイントでドラクラスに合流することになるらしい。


 その計画を聞いたとき、アキラは言いようのない感覚に囚われたのを覚えている。

 自分たちはまだ事前に聞かされた分ましだろうが、街に残る者たちには何日前に通達するのか。

 依頼が10日ということは、街の者たちが移動を知るのはそれより短くなる。

 突如として町が動くとなると大騒ぎだ。だが、では具体的に何が困るのかと言われると思いつかない。

 そもそもドラクラスの周囲には町や村は無い。あったとしても廃村だ。そしてドラクラスの中では生活するに必要な環境が整っており、完結している。

 少なくともアキラは、長期間の依頼がゆえに着替えやらなにやらで荷物が多くなったが、備えたものは、ほとんどいつも通り依頼を請けたのと変わらない。

 ドラクラスの位置が変わっても、中にいる者たちにとっては何も困らないだろう。


 そんなドラクラスの内情から切り離され、自分たちはこの依頼の期間とされている10日間、ヨーテンガースの大陸を旅することになる。

 この樹海が最初の調査エリアで、あといくつあるのかは分からないが、少しだけ心細くなった。

 こういう旅は経験済みだったはずなのだが、たった半月ドラクラスの中にいただけで、外で過ごすことに違和感を覚えるのだから慣れというものは恐ろしい。


 そして、10日後かその前から、アキラたちが移動する距離をドラクラスが追ってくることになっている。


「ドラクラスの経由ポイントって、まだ秘密なのか? ……って、そもそもマリスは知っているのか?」


 マリスはこくりと頷くと、ちらりと遠くのアラスールの様子を窺った。

 彼女は旅の魔術師たちを乗せたあと、馬車に足をかけてウインクを返してきた。

 彼女は別の小隊を担当するようだ。もう出発するらしい。


「自分は今回旅の魔術師として参加しているんすけど、一応魔導士だから話は聞いている。……け、ど。秘密、っすね」


 マリスは申し訳なさそうに肩を落とした。


「ただ、かなり漏れてる感じはする。空気を読んでくれているみたいっすけど、この依頼参加者の中でさっきこっそり話している人も見かけたっす。それでも、経由地の場所について自分の口からは……」

「いや、いい。仕方ないよ」


 特に敵の多い今、経由ポイントについては極力伏せるべきだろう。

 最終目的地自体、トリオニクス地方とは聞いているが、それ以外の具体的なポイントは知らされていない。

 噂は漏れるものだが、あくまで噂。しかし、“魔導士が言った”となると確定事項となってしまう。

 マリスの立場からは口外できないだろう。


 ともあれ、あれだけ巨大な都市がついに動くという。

 当初想像はできたが、ドラクラスの中で日々を過ごした今、アキラは逆に信じられなくなってきた。

 依頼が終わった暁には、自分たちはそれを“外”から見ることになり、事実であれば信じざるを得ない壮絶な光景になるだろう。


「……まあ、あんまり隠す意味もなくなっては来てるんすけどね。自分は判断できないっすけど、案外フェッチさんにでも聞いたらあっさり答えてくれるかも」

「大丈夫、気を遣わないでいいよ」

「……まあ、なんか、ピンポイントでにーさんだけが知らないような気がしてきたんすよ。依頼参加者だけじゃなく、ドラクラスに残った人も含めて」

「理由によっては、それこそ気を遣ってくれ。……え。依頼に参加してない奴らにすら?」

「この依頼の参加者から漏れたってのもありそうっすけど」

「口外厳禁じゃなかったか?」

「みんながみんな、にーさんみたいだったらどんなにいいことか」


 マリスが慈愛の瞳を浮かべていた。

 自分は真面目にも指示を守り、仲間たちにすら伝えなかったというのに、平然と破るような輩がいるとは。

 だが、人の口には戸が立てられない。噂というものはどうしても抑えられないのだろう。アキラも守ろうと思っても、つい口を滑らすことだってある。


「まあ、口外厳禁と言ってはいるものの、魔導士隊としてもほとんど期待はしてなかったかもしれないっすね。そもそも、この依頼の放送が流れた時点で気づいた人がいてもおかしくない。土地勘があったり、勘のいい人だったりしたら、行先だって読めているだろうし」

「……」


 土地勘は無いし、その勘のいい人でもなかったアキラは、視線を逸らした。

 この依頼の参加者どころか、この依頼の説明も受けていないドラクラスに残った者たちも含め、やはり自分が一番、もしかしたら自分だけが把握できていないような気さえしてくる。


「ん? この依頼の放送で気づく? それで何が分かるんだよ?」

「まあ、そもそも指定Bの依頼が丁寧に放送された時点で意味があるってことではあるんすけど、優遇者が駄目押しだったっすね」


 マリスは口ごもった。

 そしてまた、マリスは先ほどと同じ瞳を浮かべた。アキラの身を案じるような色だ。


「……さっきケディアさんが言ってたことっすけど、そもそもこの先の危険は他の旅の魔術師への依頼で大体取り除かれている。それでもドラクラスの最初の大移動。念には念をいれるのがこの依頼っす」

「なら俺は逆に不適切だろ。何が起こるか分からないぞ?」

「……そう、なんす。でも、いや、“だからこそ”」


 マリスは、意を決したようにアキラを見上げてきた。


「“何か起こるならドラクラスが移動する前に”」


 その言葉で、アキラはこの依頼における自分の“価値”を理解した。


「にーさんは、」

「つまり」


 言いにくそうなマリスを遮って、アキラは口を開いた。

 人に言わせてしまうのは、酷なことかもしれない。


「俺は地雷の探知機か。ドラクラスの移動ルートにトラブルの“種”があれば、最終確認として移動前に踏ませておく。そのために、依頼優遇者に選ばれたのか」


 事件の“種”を芽吹かせる日輪属性。

 ドラクラスではその超常的なことも、事実として認識されている。

 他の旅の魔術師が大まかな安全を確保し、それでも見つけきれなかったトラブルの“種”に対して日輪属性を向かわせれば万全だ。

 確かにもしそんなものがあるなら、アキラも引き当てる自信がある。

 この依頼は本当に、石橋を叩くためのものだった。


 周囲を窺うと、すでにこの空き地に停まっている馬車は1台だけだった。

 他の旅の魔術師はそれぞれの出発地点へ向かったのだろう。

 フェッチとケディアの準備が整ったらあの馬車も樹海の先へ向かうことになる。

 避けられているとまでは言わないが、自分の周囲が距離を取っていくような感覚を味わった。


「……にーさん」

「いや、大丈夫。そこまで気にしていない」


 言ったのは本心だ。

 扱いが気に入らないと言えば嘘になるが、目くじら立てて反発するほどでもない。

 マリスにも伝わったようだが、彼女の厚意だろう、表情は明るくならなかった。


「それにマリスもいる。俺が何してもどうとでもなるさ」

「清々しいっすね」


 半分の眼がジト目になってくすりと笑った。

 呆れられているらしい。

 今言ったのも、恐ろしく他人任せだが、やはり本心だ。


「じゃあにーさん。なんの慰みにもならないっすけど、他にもあるんす。実はこの依頼、にーさんだけがそういう人なわけじゃないんすよ」

「ん?」

「依頼優遇者指定の人、その、あまりいい噂を聞かない人が多かったんす」

「そんなやばい奴がいるのかよ……、ええと、そう、例の『破壊の魔術師』とか『雪だるま』とか?」

「……。いや、そういうわけじゃなくて」


 マリスはが視線を投げた先、シャロッテが未だ大木に向かって精神統一をしていた。


「例えばあそこのシャロッテ=ヴィンテージも依頼優遇者……、『智の賢帝』と呼ばれている旅の魔術師っす」

「シャロッテが?」

「自分も聞いた話っすけど、彼女、もともと魔術師隊志望で、魔術師試験を受けたらしいっす。結果、筆記は史上最高得点。でも、なんでか知らないけど、入隊式をボイコット。魔術師隊に入らず旅の魔術師になっているんすけど」

「魔術師隊には迷惑だろうが、それはいい噂じゃないか?」


 別名通り相当聡い人物のようだ。

 しかしマリスは半分の眼をさらに細めてシャロッテを見やる。


「魔術師試験でそんな結果を出しておいて、彼女は旅の魔術師としてあらゆる大きな事件に関わっている。大規模な事件数なら軽く見積もってもにーさんを超えているほどっすよ。誰も気づかないような事件の火種を察知しているかのように、何故かいつもその事件の渦中に彼女がいる」

「予知能力があるってことか?」

「それも分からないっす。でも、シャロッテ=ヴィンテージはすべてを読み切っている。そんな風に噂されているっすね。だから配属が縛られる魔術師隊ではなく、世界中を臨機応変に動ける旅の魔術師を選んだんじゃないかって。魔術師試験を受けたのは、腕試しか、単なる気まぐれ。そんな風に思われているみたいっすね」


 未だ依頼に向けて自己を整え続けているシャロッテの背中を見ながら、アキラは拳を握った。

 そういう行動をする人物には心当たりがある。シャロッテと違い、炎上してから体当たりするような人物だったが。

 思い起こすと未だ胸が痛むが、ともあれ、『智の賢帝』とまで言われる彼女がいるということは、この依頼の“火種”を見通しているのかもしれない。


 “いや”、と。

 アキラは考える。

 先日のジェットとの会話のせいか、良くない思考だと思いつつもシャロッテの様子をじっと窺った。


 今、ドラクラスの問題となっている“魔王の弟”。

 それは魔族でない可能性もあり、ドラクラス内部の人間も疑われているらしい。

 現在ドラクラスにはその騒ぎのせいで数多くの応援要請を受けた魔導士や旅の魔術師が集まっている。

 その騒ぎに乗じて入り込んだ者が“魔王の弟”である可能性もある。

 弟を名乗っているとはいえ、女性の可能性もある。ジェットとの会話のせいで裏を読んでしまうようになったが、そう考えると、むしろそちらの方が名乗りを上げる意味が出てくることになる。

 『破壊の魔術師』や『雪だるま』は元より、同じ旅の魔術師も警戒対象だろう。


 シャロッテは今まで数多くの事件の中心にいたという。

 つまりは、とそこまで考えてアキラは思考を強制的に止めた。


 人を疑い過ぎるのもよくはない。話してみても普通だった気もする。

 自分はどうやら勘が良くないらしいが。


「それにさっきのジェットさん。ドラクラスでトラブルが起こると、大体あの人がいるらしいっすよ」

「それは警護団だからだろ」

「ううん……、そうかもしれないっすけど、自分が聞いたのは、大体事件前にあの人がいることも多いとか。……まあ、噂っすけど」

「そりゃ優秀な警護団員だな」


 適当に答えながら、アキラはジェットが消えた樹海を眺めた。

 奥で影が動いたような気がする。

 ジェットが戻ってきたのだろうか。


「いずれにせよ、指定された人は、“穏便に依頼を済ませることが少ない人”……つまり、“何かを起こすと思われている人”ってことっす」

「トラブルメーカーだらけだってことか? マリスも指定されていたよな?」

「自分は魔導士だから指定されたんすよ?」


 また圧を感じた。

 魔導士としてのマリスの活躍はほとんど知らない。

 彼女が選ばれた理由はトラブルメーカーだらけの依頼の万能薬としてか、あるいは毒の方か。

 前者の場合、アラスールたちのように魔導士として参加すればいいのではと思い至ったが、少しだけむっとしているマリスを前に口を噤んだ。

 アキラは感覚が麻痺しているが、多くの人にとって、問題児だと捉えられるのはやはり気に障ることらしい。


「何かよからぬことを考えているみたいっすけど、依頼優遇者はそんな感じで選ばれてた印象っすよ。大きな事件に巻き込まれた経験者。つまり、“引き寄せる人”や“解決できる人”。自分は多分、後者っすね」

「……」

「ね」

「……」

「ね!」

「そうだな」


 両方の条件を満たす者という枠もあるだろう。

 アキラはこれ以上何も言わなかった。


「まあ、そのおかげで、自分が旅の魔術師枠だからこの小隊には魔導士が3人。何が起きても大丈夫っすよ」

「そうそう、その担当魔導士の人数。あんまり考えたくはないけど、この隊だけひとり多いのって、全員が依頼優遇者だからってことか」


 今回における依頼優遇者は、地雷探知機という意味だ。

 体制が厚くなるのも分かる。


「まあ、他の小隊にもいるんすけど、ばらけている感じっぽかったっすね。まあ、この小隊の3人ほどじゃない人たちっすね」

「そりゃありがたい格付けだな」

「まあ、それでも大丈夫。自分もいるし、いざというときはケディアさんもいる」


 マリスのそういう言い方は珍しいような気がした。

 マリスが半開きの眼で追ったのは、先ほどケディアがフェッチと共に入っていった馬車だ。


「ケディアって人はどういう?」

「フェッチさんもそうっすけど、自分たちと“あの場所”に入っている人っすよ」


 その言葉だけで十分とは思えた。

 魔導士としてのマリスをほとんど知らないアキラだが、マリスの目から信頼の色を感じる。

 相当な実力者なのだろう。魔導士なのだから当然だろうが。


「変な意味で聞かないで欲しいんすけど、こう言う人が多いんす。マリサス=アーティがいるから“あの場所”の深部調査部隊なんて異常な組織が編成された、マリサス=アーティがいるから成功を収めている、って。……でもその自分から言えば、死傷者が出ていないってことに関しては、ケディアさんの力が大きい」


 馬車が大きく揺れた。

 中は見えないが、ケディアが中でぶつかったような気がした。


「治療に関しては、ヨーテンガース全魔導士の中でさえ群を抜いている」


 のっそりと馬車から出てきたケディアは、共に出てきたフェッチに大げさな所作でえへへと笑い、大きく伸びをした。

 視界に入るだけで、自分まで力が漲ってくるようだった。


「つまり、安心して怪我をしろってか」

「……。まあ、治療は自分もできるから、」


 ボン! と。

 マリスが口を開いたところで、樹海から大きな爆発音が聞こえた。

 アキラが慌てて身構えると、再び爆発音。

 それがいくらか続き、いち早く硬直の溶けていたらしいフェッチが首をかしげていた。

 魔導士たちに遅れてアキラも気づいた。

 今のは魔物の戦闘不能の爆発音だろう。


「…………見回りはしてみるもんだな。この広場、縄張りかなんかなのか? いくらかでかいのが向かってきていたぞ」


 しばらくして樹海から現れたジェットは、息も乱さず、まるで世間話でもするように切り出した。


「こーら! ジェット君。駄目でしょひとりで勝手に出歩いちゃ」

「じっとしていられない質でな。それより随分手際がいいな。俺たちもそろそろ出発か?」

「他の小隊の信号が上がってからだけど、その前に俺も見回ってくる。大型はいないとか聞いてたんだけどなあ」

「ヨーテンガースなんだからしょうがない。俺がもう一度見てこようか?」

「いや。俺も仕事でね。イレギュラーに指咥えてたなんて知れたら隊長にどやされる。あんたは休んでいてくれ」


 フェッチがピッと指を立て、機嫌よさげに駆け出そうとしたところで、ケディアに襟をがっちりと掴まれた。

 ぐえっ、という声がここまで聞こえる。

 早速何かが起き、そして何事もなく終わったらしい。


「早速1件起こったな」

「っすね」


 そう呟くが、アキラも、そしてマリスも、改めて警戒しようとは思わなかった。


 相当以上の実力者で構成された小隊。人員としては申し分ない。

 だがそれでも、とっくの昔に、警戒レベルは最上位だ。


―――***―――


「持ってきたぞ。先週分だ」

「……ああ、ありがとうサクラ。重かったろう」


 ホンジョウ=イオリは机にどさりと置かれた資料に軽く目を通し、そのままいくつかパラパラとめくりながら応答した。

 適当に流し見ているわけではない。要点が押さえられているかを確認したかっただけだ。


 現在イオリたちはドラクラスの資料館にいた。

 外観は整い、内装は城のエントランスのように広く、吹き抜けの天井は開放感があり、大理石の巨大な階段が2階、3階へと伸びている。

 煌びやかな高級ホテルのような装飾の中、壁にはずらりと光沢のある本棚がびっしりとならばれ、その中もぎっしりと厚手の本が詰まっていた。

 元の世界にも似たような図書館があると聞いたことがあるが、流石にイオリも最初に訪れたときは面食らった。

 今はその情報量に、手を休めている暇は無いが。


 本日は依頼の合間の休日である。

 本来ならばエリーとの約束通り仲間たちとの時間を作るべきなのだろうが、それよりも調べたいことがあった。

 宿と違いなかなか快適な空間のせいで、資料館以外のものもここで読んだりと入りびたるようになってしまったのは、エリーにもこの資料館の管理者にも申し訳ないが。


「次は何を手伝えばいい?」

「……。……。ん。いや、僕に付き合わせてばかりだと悪いよ。サクラも身体を休めてくれ」

「問題ない」


 最近、イオリの用事に、サクはよく付き合ってもらっている。

 彼女も彼女で勉強になるからと言っているが、たまに雑用なことを率先してやってもらっていて申し訳なくなってくるのだ。


 とはいえ、と、イオリはサクに持ってきてもらった資料に再び目を通した。


 彼女に頼んだのは今までドラクラスで発生した依頼の控えだ。

 圧縮してまとめられているが、かなりの量になる。

 ドラクラスの依頼所は1階にも2階にも複数箇所あり、重複するものもあれば個別のものもある。

 一定以上の依頼料のもので絞ってもらったが、それでも街を総なめするように移動することにはなるだろう。

 駆け回ったわけではないだろうが、イオリが思っていた以上に早く戻ってきたサクには、こういう仕事は甘えたくなる。


「……ん? こっちは?」

「ああ、全部の依頼所じゃなかったが、細かく日報を書いていたところもあってな。依頼を請けた者だけじゃなく、依頼所を訪れた者も記録されていた。無理を言ってもらってきたよ」

「すごいねこれは」


 思わず口から漏れた。イオリがどうせ無理だと思って頼みもしなかった記録だ。

 依頼所の機密情報は流石に塗り潰されているようだが、それでも旅の魔術師たちの記録に残り辛い行動が透けて見える。個人情報に緩い世界でよかった。


 不遜な言い回しだが、彼女はこうした仕事の能力を上げてきている。

 武器には強い関心を持つが、その他への興味が薄い。

 イオリはサクにそんな印象を覚えていたが、今回の旅では払拭されている。


 イオリの目から見て、サクの成長は早いわけではないし、要領もそこまでいいわけではない。

 だが彼女は勤勉で、着実に1歩ずつ前へ進み、戻ることがなかった。

 こういう仕事に向いている、というよりは、何をしても安定感がある、と言ったところか。

 ひとり旅をしていた経験からか、興味がないからやってこなかっただけで、彼女は基本的に何でもできるらしい。

 それでも器用とは言えないのが、真面目で実直な彼女らしいが。


「それで、イオリさん。何を調べているんだ?」


 椅子を引いて着席を促した。

 周囲からは離れた机だが、あまり声高にする話ではない。


「いや、概ねドラクラスの依頼の傾向も見えてきたんだけど、気になっていることがあってね。エリサスのことだ」


 ドラクラスの出入りは記録されているのだろう。

 自分たちが入った翌日にはティアが指定されていたほどだ。情報整備は高水準だろう。

 エリーがドラクラスに来ていることを知らないわけはない。


 イオリはサクに集めてもらった依頼書に素早く目を通した。

 特定の情報を意識しつつ、他の内容は漠然と捉える。

 サクには悪いが、物量的に、細かく見ている時間は無い。

 だが、確認したいことはできた。


 やはり、無い。


「依頼優遇者。……僕も何度か指定されているけど、何故かエリサスの名前が上がらない。見逃していると思っていたけど、そうでもないらしい。これはどういうことかと考えていてね」


 あまり会えていないが、本人は気にしているだろう。

 少しやましい思考だが、アキラに会う機会も減って、気を病んでいるかもしれない。


「エリーさんか。……私も気にしていた。何とかなるのか?」


 サクは肩を落とした。

 エリーには依頼以外でもお世話になっているというのが面々の共通認識だが、本人には言ったところで伝わらないだろう。

 だが、そんなナイーブな考えだけではなく、イオリが覚えている違和感は、どちらかというと危険な匂いの方だった。


「何とかなるとは言っていないよ。依頼を出すのは当然依頼者だ。そして受領した依頼所、ドラクラスの魔導士隊や警護団も絡むだろうけど、その依頼に向いた適性を持った人をリストアップしたのが依頼優遇者。僕は部外者だ」


 冷たい言い方だが事実そうだ。

 魔導士としての資格はあるが、現在イオリは休職中で、旅の魔術師である。

 マリスも同じらしいが、ドラクラスに来た当初は魔導士だったこともあり、未だに仕事に追われているらしい。

 無常に思われるかもしれないが、ドラクラスの依頼量を見るに、絶対に関わりたくはない。

 明らかに魔導士だからという理由で優遇者に指定された依頼もあったが、いくつかは無視をした。

 休職して自分が堕落しているような気がする。

 たまには真面目なサクや、すべての依頼を請けようとしているティアを見習うべきかもしれない。


「だけど、流石に不自然だよね。ここまで指定されないなんて」

「それはエリーさんの適性に合った依頼が全く無い、ということなのか?」

「そんなことあると思う? 毎日これだけの依頼が出されるのに」


 サクが口を歪めた。

 ドラクラスにいる旅の魔術師の中、“至らずに”指定されない者もいるだろうが、ヨーテンガースの実力者だらけだ、数は少ないだろう。


「誤解のないように言っておくと、エリサスの実力を疑うわけじゃない。というより、ドラクラス側からエリサスの能力を低く見るのは不可能だ。いくら情報を集めていようが、彼女は勇者様御一行のひとり。そして、“あの”マリサス=アーティの双子の姉だ。それどころか……、まあ」


 最後は口を噤んだが、それがエリーの“外”からの評価だ。

 情報が潤沢なドラクラス。

 この資料館でも、イオリは自分たちの関わった事件にも目を通した。

 ドキリとするほど正確な部分もあるが、当事者目線ではずれている部分もある。元の世界のように、映像を残したり回線で通信したりするわけでもないからやむを得ない部分もあるだろう。


 関係者として、自分たちの名前や、簡単な人相書きも乗っているものもある。

 誰かが趣味で書いているだけなのか、人相書きの方は流石に限界があるのかあまり似ていない。

 この街でほとんど最初から本人だと認識されていたのは、すでにドラクラスに出入りしていたマリスと瓜二つの双子の姉であるエリーか、彼女には酷だが身体的な特徴のあるティアくらいだろう。


 そしてそのエリーの人相書き。

 つい笑ってしまうほど凄味がある。本人には絶対に見せられない。

 だが、描いた人が下手というわけではないだろう。

 彼女が関わった事件をもとに顔を描けと言われたら、こうなってしまってもおかしくはない。


「では、本当に適性が無い?」

「だからそれは無いって。……ほら。火曜の魔術師を優遇者に指定している依頼も数多い。それなのに、エリサスは指定されない」


 改めて依頼を流し見して、優遇者の指定方法が予想と概ねずれていないことは確認できた。

 治癒担当者や戦闘要員と役割が指定されることもあれば、案の定、魔力の属性での指定もある。

 依頼所でいくらか目を通していたが、思っていた以上の数があるとなると、ここまでエリーが指定されないのは不自然を通り越して不気味だ。


「なら、イオリさんはどう考えているんだ?」

「……。さっき言った、依頼優遇者のプロセス。そのせいかもしれない」


 依頼が出る。

 その依頼内容をもとに、魔導士隊や警護団が優遇者を定める。

 すると。


「……依頼優遇者。それを定めている魔導士隊や警護団の人たちは、どういう立場の人かな」

「ん?」

「ああいや、独り言だ。依頼優遇者を定める人……、報酬が定まる……、ドラクラスの魔導士隊にも経理担当の事務員がいるだろう。警護団も同じかな。……お財布を管理できる立場となると、それなりに重要人物、あるいはその重要人物に近しい人だ」


 ドラクラスの財に絡む人。そういう人物は、トップではないにせよ、トップに接する機会の多い人だ。


「そしてそんな人たちは、このドラクラスの“引っ越し”計画の詳細を知る、または知る機会のある数少ない人たちだ。そんな人たちがエリサスを避ける理由」


 推測は合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。

 だが、それに近しいことが起きているような感覚があった。


「……僕の推測はこうだ。恐らくこの先、エリサスが指定される依頼が起こる。それも、ドラクラスの計画に沿う、事前に決まっているような重要な依頼が。そんな中、優遇者を定める人は、こう考える。自分が指定した依頼で、エリサス=アーティを失うことがあったら責任問題だ、と」


 ヨーテンガースの依頼だ。万全を喫しても不安は残る。

 保守性の高い思考の人物なら、そうなる可能性もある。


 もしそうなら、とイオリは頭を抱えた。

 依頼優遇者に指定されなければ、一層稼がなければならず、より多くの依頼に参加することになってしまう。

 そちらの方が危険だというのに、自分の過失にしないことを優先していることになる。

 そして、こういうことなら他にも指定されていない者は案外多いかもしれない。また休みの日に聞き回ってみてもいいだろう。


「それならイオリさん。エリーさんは、」

「……」


 明るい表情をしたサクは、こちらの顔を見て口を閉じた。

 そう。決して喜ばしいことではない。

 この仮説は、この先エリーにろくでもないことが起こると言っているようなものだ。


「今アキラが請けている依頼。彼も似たようなものだったんだろうね。初めて指定された依頼だ」

「! まさか」

「僕も参加しようとしたんだけど、定員オーバーだったってさ」


 サクの懸念ももっともだが、始まってしまってはどうにもできない。

 だが、アキラとマリスが請けている依頼の意図は見えている。

 このヨーテンガースは、あるいはこのドラクラスでは、他の大陸では噂や推測レベルでしかないものも、大量の情報や分析からだろう、確たる事実として認識、ロジックに落とし込まれている。


 すでに目を通した別の紙の束を指でもてあそんだ。

 これはサクに頼んだ依頼所の資料ではなく、イオリが集めたいくつかの卸業の帳簿だ。

 魔導士の服を着て、可能であれば確認させてくれと頼んだら、非常に好意的で、すんなり渡してくれた。

 服装は個人の自由だし、命令したわけでもない。

 自分の堕落ポイントがまた見つかった。


 確認すれば、搬入量はそもそも増加傾向にあった。

 ドラクラスの引っ越し効果により、ドラクラスの経済は順調そのものらしい。

 だが数日前から、その搬入量が一気に増えた。

 気づかぬうちに旅の魔術師の団体がドラクラスに入ったのかとも考えられるが、サクに集めてもらった依頼のリストや依頼所の日報を見るに、こちらはそこまでの増加量をしてない。


 考えられるのはいくつかあるが、有力なのは、しばらく搬入が出来なくなるから、一時的に輸入を増やした。

 となるとやはり、このドラクラスは間もなく“移動する”。


 予測していたことの裏付けをしつつ、さらに先を読む。

 搬入量やヨーテンガースの地図を見るに、移動先も、おおよそ見当がついていた。


 そして、アキラたちが請けている依頼。

 彼の役割は。


「イオリさん?」

「……サクラ。近日中は多めに依頼を請けておこう。下手をすれば今日明日にでも、依頼の数が減るかもしれないからね。多少は蓄えといた方がいい」

「…………。分かった」


 彼女も察していたようで、聞き返してはこなかった。わざわざ公の場で話すようなことではない。

 特に依頼でアキラたちが指定されたのが放送されたのは決定的だっただろう。

 他の旅の魔術師にも察知できた者が多いはずだ。


 ドラクラスの移動速度は知らないが、増加した搬入量から移動期間は概ね分かる。その移動中、その間外に行くような依頼は物理的に請けられない。

 駆け込み需要でその分近日中に依頼数が増えるかもしれないが、魔導士隊が制限してしまうかもしれないのだ。

 すでに動き出している者も多いだろうが、正式に発表されれば移動前に少しでも稼ごうと、依頼所が大混雑するだろう。


 イオリはまた頭を抱える。

 ヨーテンガースのやり方は知っているつもりだったが、このドラクラスは特に酷い。

 本当に移動するなら、もっと事前にその日を公知させてしかるべきだ。

 ドラクラスという街の特性上、近隣の街に気軽に出かけるようなことも無いだろうから比較的軽微かもしれないが、それでも大混乱は発生する。

 住民たちは事前に移動スケジュールの大きな期間は伝えられているだろうが、さりげなく聞いてみても話してはくれなかった。

 スケジュールと共に一定程度の口留めもしているのだろう。威圧するのを避けようと私服を着ていたが、気分転換に魔導士のローブを纏い、事情を知っている風を装って、改めて聞き込みをしてみてもいいかもしれない。

 だが、そんな調子では、外来の旅の魔術師にはドラクラスが移動することすら教えてもらえていない者もいるだろう。


 いや、とイオリは目を細める。

 誰に言われるでもなく、その程度の情報を集められなかったり、その程度のことを乗り切れる実力も運もなかったりする者は、まさしく置き去りにしても問題ないとでも考えられているのだろうか。


 考えれば考えるだけ頭が痛くなってくる。


 大都市が突然移動するとどうなるか。

 ドラクラスから他の街や村は大分離れている。だが、そこに出かけている者もいるかもしれない。いや、これだけの人数いれば、いくらかはいるはずだ。

 出稼ぎに来ている者もいるかもしれないし、向かっている途中の者もいるだろう。

 そしてそんなミクロな問題以前に、ドラクラスと交流を持つ町や村との物流の方はどうなるのか。コミュニティは。インフラは。どのように変わるのか。住民や来訪者たちは変化に耐え得るのか。

 そもそもの話だが、山のようなドラクラスが動くと、天候や生態系など、自然への影響も出てくるかもしれない。

 ぱっと思いつくだけでもまだまだある。

 それらのしがらみは、魔導士隊や専門家が手を回しているのだろうか。


「……ところでイオリさん。ここでの調べ物は捗っているのか?」

「ああ、絶好調さ」


 ともあれ明日からは依頼で忙しくなる。

 頭痛を振り払い、今日のうちに調べものは済ませてしまおうと積んだ書物に視線を走らせたところを、サクが目敏く見つけてきた。

 イオリがこの資料館で調べているのは、この世界の“歴史”だ。


 元は、“魔王の弟”や『光の創め』の情報を集めるためだった。

 『三魔人』に会っていた上に、そこで話した重要なことも言うのが遅かったアキラに、自分で何を言ったかちょっと覚えていないが、軽視できない事実がある。


 『光の創め』の構成員という、『召喚』のジャバック。

 アキラの話では、他の構成員と違い、まるで情報が無いという。

 日輪属性と目されるその魔族は、このドラクラスの引っ越しに大いに関わっている。


 そして、“魔王の弟”。

 そちらは信じ切っているわけではないし、魔族の事情はさっぱり分からないが、魔族に弟という概念があったとして、それが“今期”の魔王の弟とは限らない。


 そう思って、『光の創め』やら歴代魔王の情報やらを、このやたらと大きい資料館に探しにきたのだが。


「何も見つかっていないね」

「ん?」


 そう、絶好調だ。

 確かにいくらかの情報はある。歴代魔王軍の存在も多少は見つかった。

 だが、『光の創め』も情報はごく少数で、魔王の弟に至っては皆無である。


 それでもイオリは、そんな風に歴史を追っている間、異世界来訪者だからこそなのか、強烈な違和感に囚われていた。


「ねえサクラ。前に話してくれたよね。アグリナオルス=ノアの話を」

「……ああ」


 サクの声が、先ほどまでよりずっと小さくなった。

 暗黙の了解となりつつあるドラクラスの移動以上に、公で話す内容ではない。


 『世界の回し手』―――アグリナオルス=ノア。

 今なお続くタンガタンザの百年戦争にて、大陸を滅ぼしている最古の魔族。

 だがアグリナオルスは、タンガタンザだけを滅ぼしているわけではない。

 その魔族は、途方もない期間で4大陸を滅ぼし周り、世界を回しているという。


「この資料館でも歴史なんてほとんど分からない。そのアグリナオルスは、4大陸を周って歴史を削除していると言っていたんだろう。ならここは? ヨーテンガースはどうなるんだ?」


 何度も見た、歴史書“まがい”をイオリは開いた。

 過去の勇者、魔王、大きな事件。それらはある程度記録されている。

 だが、精々大まかな時系列に並べられているだけで、具体的に何年前に起こったかは分からない。

 それぞれの出来事も粒度はバラバラで、詳しく載っているものもあれば、子供向けの絵本に書かれているような浅いものもあった。

 元の世界の教科書を見たことがあると、笑ってしまいそうにすらなる。


 この違和感に、この世界の住人は気づいていないのだろうか。

 気づく者もいるだろうが、多くは無い。

 彼らは決して頭が悪いわけではない。そういう、“特定の違和感”に鈍感なだけだ。


「他に資料があるかもしれない。私も探すよ」

「管理者に口をきいて裏も別館も見せてもらったよ。魔導士隊の許可がいるらしいけど、魔術の専門書や“儀式”の詳細手順書、あとは魔物図鑑なんてあったかな」


 読書は好きだが、流石にあの物量の本に出迎えられると、思い出すだけで頭痛がする。

 総なめするように背表紙のタイトルには最低限目を通し、めぼしいものは中も確認したが、すべて外れだった。

 その間も、イオリは強烈な違和感に苛まれていた。


「……ここの資料館が外れなのかもしれないな」

「まさか。僕が知る限り、ここ以上の資料館は存在しないよ」


 サクも分かっているだろう、表情は険しい。

 実際にアグリナオルスに対面したというサクは、そうした違和感には気づける側の人間になっているらしい。

 イオリは改めて周囲を見渡し、聞き耳を立てている者がいないかを確認した。

 きな臭いものを感じる。


「要塞と言い換えてもいいドラクラス。ヨーテンガースの特性や情報収集能力も考えると、恐らくここが世界の終点。最高の情報蓄積箇所だ。それなのに、やはり他の大陸と同じように、歴史が線ではなく点でしかない」


 情報量は他の大陸とは比較にならない。だが歴史という意味では質に大きな差が生まれていない。

 サクから話を聞き、イオリが“今回”ヨーテンガースに訪れたらやりたかったこの世界の歴史調査は、あっけなく頓挫した。

 ゆえに。


「まさか、この大陸にもいるのか? “アグリナオルスのような魔族”が」

「……」


 イオリは言うかを迷った。

 だが、ここで抱え込めるほどの胆力は、自分には無かったらしい。


「サクラ。絶対に口外しないでくれ。……できれば、アキラにも。僕はね、このヨーテンガースに集まる情報、歴史。“それを削除しているのは、魔族だと思っていない”」


 努めて自然に、なんてことは無いように、サクの顔は見ないように言った。

 その先の推測は、今度こそ、公の場で、いや、“ドラクラスの中で”口にしていいものではない。


「まず。ヨーテンガースの特徴の、来る者は拒まず去る者は拒む。つまり蓄積し続けられる情報。その情報の行き先は、このドラクラスだ」


 周囲の気配に過剰なほど気を配りながら、整理するように口にした。


 知れば知るほど、このドラクラスという都市がヨーテンガースで最も重要な街であるということが分かる。

 いくらかの店から好意的に提供してもらった物販ルートや、魔導士隊の指示書、人流。

 存在をそれほど公にしていないというのに、このドラクラスはヨーテンガース中、あるいは世界中に根を張っている。

 イオリもモルオールで魔導士として活動していた頃、何度か巻き込まれたヨーテンガースの魔導士が持ち込む厄介事も、そのほとんどにドラクラスが噛んでいそうだった。

 それは『接続者』という存在がいる故なのかもしれないが、それを抜きにしても、ドラクラスは秘密裏に、世界規模で影響力の強い街であるようだ。

 それゆえに、この街には世界中の情報が集まるし、情報を発信できる。


 “情報を、操作できる”。


「だが、結果はこうだ。“何も見つからなかった”。この資料館は、他の大陸でも知れることを、さらに深堀りしたようなものでしかない」


 アグリナオルスの歴史のリセットは、大陸の歴史を一定間隔で抹消するようなものだという。

 物理的な抹消ゆえに、取り零しというのも違うだろうが、有名過ぎる偉業や大事件は、アグリナオルスの削除を免れるらしい。


 ただその間も、このドラクラスは情報を収集し続けていたはずだ。

 それなのに、残っている歴史は、多少は他の大陸より多いが、その偉業や大事件がほとんどである。

 その点と点の間の線。つまりは歴史。今現代の情報とまるで粒度が違う。


「歴史の中、虫食いのように、“意図して消されている期間がある”。観測できないほどのことが起こることもあるだろうから、ひとつやふたつならまだ分かるけど、不定期に、いくつもだ。こんなことを魔族はしないだろうし、できもしない」


 魔族は人など容易く殺せるだろうが、この堅牢なドラクラスに蓄積される情報を、ある特定の期間だけ削除することなど不可能だ。まとめて消すならまだ分かる。

 魔法という非論理の存在がある手前、不可能と断じることはできないというが、それが複数期間となるとさらに難易度が跳ね上がるし、そんな魔族がいるならそれこそドラクラスの資料館に刻まれているだろう。


 だが、意図は読めないが、魔族側よりもずっと簡単にそれを実現できる者はいる。

 自然に考えると。


「つまり。ヨーテンガースでは、ドラクラスが歴史の削除を……、いや、歴史の“管理”をしている」


 情報を集め、蓄積するドラクラス側であれば、それをどう扱うかもコントロールできる。

 情報を逆流させれば、他の大陸に残る歴史にも影響を及ぼすこともできるだろう。


 何を歴史に刻み、何を歴史から消すのか。ドラクラスは、“歴史を操る力”を持っている。


 そう考えると、他の4大陸は、アグリナオルスの脅威と、ドラクラスの制御の両面から歴史への影響を受けていることになる。


「虫食いだらけの歴史。ここまで露骨なのに誰もそれに気づいていない。……いや、違うなきっと。ぼんやりと気づいている人もいるだろうけど、“問題にできない”、が正しいんだろうね」


 他の大陸や街からでは何が起こっているか分からないだろうが、特にこのドラクラスの住民には、この違和感をかぎ取れる者もいたはずだ。

 この世界ではこういう違和感に鈍感な者が多いが、いつの時代でも、時折そういうことを気にする“例外”は生まれるものだ。


 消えている期間で何が起こっているのかは分からない。

 だがその期間は、普通に考えれば、消している側、つまりドラクラスにとって不都合なことが起こった歴史ということになる。


 狙いはやはり分からないが、少なくとも、ひとつ。

 そんなことができる存在を思いつく。


「『ドラクラスの三魔人』。彼らならそれができるし、やる意味があるかもしれない」


 ドラクラスで絶大な権力を持つ『三魔人』。

 アキラの話では、それぞれそこまで言われるほどの人たちには見えなかったらしいが、それでもそう呼ばれるには理由がある。


 歴史とは何か。

 それは情報であり、書物であり、人でもある。

 それらをここまで制御できる手段には、ろくな方法が思いつかない。

 あまり考えたくは無いが、他の街や大陸の情報操作はどのように行われているのだろうか。

 人の口には戸が立てられない。だがドラクラスの影響力からすると、彼らは、その口を閉ざすこともできそうだ。

 彼らは一体、裏で何をやっているのか。


「……」


 何か強大な意思を感じる。

 魔術師隊にいたときも味わったが、ここまでの規模のものはこの異世界で初めて感じるかもしれない。

 “人間”への恐怖。

 ドラクラスの往来で口にしようものなら何が起こるか。


「……なんてね。本に囲まれすぎるのもよくないみたいだ」


 イオリは笑おうとしたが、できなかった。

 サクは口を開かなかったが、表情はいつも通り険しかった。


 これ以上考えてもどうしようもない。

 消えた期間とは何か。意味は。そもそも『三魔人』全員が加担しているのか。昔からそうなのか。『三魔人』とは世襲制なのか。『接続者』は絡んでいるのか。

 そう考えて、また袋小路だ。何しろ頼りの資料館がドラクラスのものなのだから。


 消えた期間について聞き回れば、誰かしら知っている者もいるかもしれないが、下手に聞き回って虎の尾を踏んだら、歴史より先に自分自身が削除される可能性もある。

 せめて狙いが分からなければ、何も分かっていないのと同じだ。


 サクにも言うべきではなかったかもしれない。

 もしかしたら自分は、想像できてしまった悪しき可能性の吐き出し先を探していたのかもしれなかった。サクには申し訳ないことをした。

 今さらながらに、アキラたちの依頼に参加できなかったことが悔やまれる。


 “いや、よかったのかもしれない”。

 イオリは改めて、吐き出し先にしてしまったサクに心の中で謝った。


 ただでさえ問題を抱えがちなアキラにこんな話をしたら、彼の負担を増やすだけだ。

 彼のためになるのは、少しでも自分で調べて、整理して、要点をまとめておくことだ。

 一緒に依頼に行っていたら、つい彼に、悩み事のように打ち明けてしまっていただろう。


 本当に自分は堕落してしまったのかもしれない。

 どんな秘密だろうが、以前は何年でも自分ひとりで秘め続けられていたというのに。


「イオリさん。依頼でも請けにいこうか。今日は休みだが、奴ほどじゃなければ大丈夫だろう」

「……ああ、それはいいね」


 イオリはそれがサクの気遣いだと察した。

 快適とはいえ、今の精神状態でドラクラスの中にいると、思考の迷路に入り込みそうだった。

 イオリが片づけを始めると、サクも書物を持ち上げ返しに行ってくれる。

 やはり手際がいい。


「……あとは。……いや」


 最後にと、手元に残った歴史書まがいを開きかけ、イオリはぱたりと閉じた。

 これ以上考えるのは悪循環だ。せっかくのサクの気遣いには素直に乗っておこう。

 ドラクラスの中は快適だが、外の空気も吸った方がいい。


 その歴史書まがいは、ドラクラスの最終目的地であるらしいトリオニクス地方のものである。


 ドラクラスの尾を踏んだのか。

 トリオニクス地方の20年前の前後の記録は、がっぽりと削除されていた。


―――***―――


 いつも通り、何の問題もない。

 不運なんて言葉、シャロッテ=ヴィンテージに言わせれば上手くいかなかったことへの言い訳に過ぎない。

 物事の成否は、事前にどれだけ備えていたかに尽きるのだ。


 シャロッテはいつでもそうやって難局を乗り切ってきた。


 魔術師試験を突破したときもそうだった。

 多少気分が高揚していたのか、たまたま訪れた酒場で安い挑発に乗り、入隊式当日、気づけばひと月は停泊しない船の倉庫で、下着姿で頭から樽に突っ込んでいた。

 そのときも、下着に紙幣をねじ込んでおいたお陰で最悪の事態を回避できている。


 モルオールの雪山で請けた集団での依頼のときもそうだ。

 魔物の大群の討伐後、お腹の調子が悪くなった僅かな間に雪崩が起きて、右も左も分からぬ渓谷の洞窟にひとり取り残され、極寒の中、誰もが見逃した元凶とも言える“言葉持ち”を、下半身丸出しで討伐する羽目になった。

 そのときも、目立つ赤いカーディガンを持っていたお陰で救援隊に居場所を知らせることができたのだ。


 運命というものは確かに存在するだろう。ヒダマリ=アキラなどが代表例だ。

 だが、言葉に惑わされることなかれ。それは所詮、ただの状況に過ぎない。

 適した備えをしていれば、何が起ころうとも、結果に影響を及ぼすものではないのだ。


 ゆえに、『智の賢帝』シャロッテ=ヴィンテージは早速備えるべく、異議を唱えた。


「おかしい!!」


 声を張り上げたらびくりとする視線が集まった。

 つい大きな声を出した口を押さえ、改めて、指示を出した魔導士、フェッチ=ドッガーを睨む。

 警戒と同時、微笑ましそうな表情を浮かべられた。

 流石にヨーテンガースの魔導士。このシャロッテ=ヴィンテージに睨まれて動じないとは。


 ようやく開始された哨戒依頼。

 最初の樹海での探索は、日をまたぐという。

 出発の際、同行者のジェットが周囲の魔物を討伐してくれたおかげか、何事もなく半分を程進んだ頃、やや開けた場所を見つけ、本日はここで野営することとなった。


 テントの設営にと、大柄なケディア=レンダーがひとりで運んできた大荷物を下ろしたところで、またジェットが周囲を見回ってくると言い出した。

 ひと通りの哨戒が済んでいるとはいえ、ヨーテンガースの樹海であるし、先ほどジェットが魔物に遭遇したという例もある。呑気にそのままここで野宿するわけにもいかない。

 魔導士側も同じ考えだったようで、フェッチとケディアがこの場に残り、他の面々で周囲を見回るように頼まれたのだ。


 シャロッテが事前に調べた、トラブルを引き寄せる可能性が高い全員とシャロッテだけで、ヨーテンガースの樹海を歩く。

 自殺願望は無い。


「確かに4人もまとまって動いてもしょうがない。だから俺はひとりでいいって言ったんだ」

「悪いが樹海の中の単独行動はNGだ。さっきのは見逃すが、依頼中は可能な限り指示に従ってもらうぞ? 俺が隊長にどやされる」


 仕方ないと肩を落としたジェットへ、逃げ出さないように意識を向けつつ、フェッチがシャロッテに向かい合った。

 フェッチ=ドッガーの噂は聞いているが、実際に応対すると、軽薄そうに見えて芯を感じる。

 信頼できそうな魔導士だ。


「いいですかフェッチ氏。ここは本日の拠点となります。哨戒も重要ですが、残る人数を減らすのはいかがなものでしょう」


 フェッチは複雑な表情を浮かべた。

 シャロッテの認識としても、ここにいる誰もがヨーテンガースの樹海を単独行動しても問題ないような人物だ。

 ヨーテンガース南部とはいえ、こんな辺鄙な場所、フェッチとケディアがここに残るだけでも、1年だろうが10年だろうがこの地の安全が約束されるだろう。


「そこで、私もここに残りましょう。お手伝いしますよ。旅はそれなりに長くしていまして、炊事、裁縫、掃除に洗濯、園芸や牧畜、乗馬、馬車の操縦、そして狩猟にテントの設営など、なんでもひと通りのことはできますので」


 ヒダマリ=アキラ、マリサス=アーティ、ジェット=キャットキットの3人とヨーテンガースの樹海を歩くことと、実力派の魔導士ふたりと残ること。

 そのふたつの安全性の優劣は猿でも付けられる。


 “数千年にひとりの天才”とされるマリサス=アーティがいるなら相応の危険を呼び出しても対処できるのだろうが、何も起こらないことの方がより一層安全だ。

 自分を守るための最優先事項は、この設営地に残ることである。


 本来ならこの小隊にすらいたくは無いが、計画に多少の誤差があっただけだ。

 同じ小隊であっても、マークしている3人と極力関わらないように行動すればいい。

 距離が近くても、自分ならそれができる。


「お、おお……。旅関係あるのか知らないけど、凄いな。俺も旅は長いけど、それ大体できないかやったら怒られるよ」

「ふふっ。ありがとうございます、今度お教えしましょ……、んんっ」


 ヒダマリ=アキラが目を輝かせている。

 素直に褒められると悪い気はしない。が、ヒダマリ=アキラはマークしている筆頭なことを思い出した。

 距離を取りたい相手からは関心を引かない。それが接点を少なくするコツだ。


「まあ、ここで暮らすわけじゃないけど、そうだな……」


 シャロッテの提案に、フェッチがやや思案するような表情になった。

 先ほど流れで何となく決めた編成を再考しようとしているようだ。


 シャロッテは察する。恐らく、この場にケディアと残ろうとしたのは、担当魔導士同士で旅の魔術師には聞かせにくい依頼のことの話もできると思ったからだろう。

 だがそれも、迷うほどだから、急を要する話でもないと見える。

 あと一押しだ。


「それに、残るのが魔導士ふたりでは少々バランスが悪いでしょう。旅の魔術師枠も残るべきでは?」

「……」


 フェッチが小さく息を吐いた。

 無茶苦茶な理論だが押し切れそうだ。

 そこで、ケディアが口を開いた。


「ねーフェッチ、シャロッテちゃんがこう言っているんだから、もしかしたらなんか気になることがあるのかも。むしろ哨戒の方を少なめにしたらどうかな?」

「そうだな……。天気も悪い。設営も急いだ方がいいだろうし、むしろ、“事を起こすなら”見通しのいいここか。分かった。シャロッテさん、ここに残ってくれ」


 ぐっ、っと拳を握った。


「みんな聞いてくれ。意見を変えて申し訳ないが、ここには俺、勇者様、ジェット、シャロッテさんが残ろう」

「は?」


 それぞれの口から出た音が重なった。


「おいおい。なんで俺が見回ってくるって話からそうなる」

「あんたにはちゃんとした理由“も”あるぞ。長丁場の依頼だ。気づかぬうちに疲労が溜まることもあるから、負荷は分散しないといけない。あんたはさっき魔物の討伐をしている。たとえ本当に疲れていなくても、休むのも仕事だと思ってくれ」


 ジェットは納得していない様子だが、反論は思い浮かばなかったらしい。

 そもそも善意であれ、自分の勝手な行動の結果ではあるのだから強く言えないであろう。


「フェッチさん。だったら自分が残ってもいいんじゃないっすか?」

「悪いマリー、さっきのシャロッテの言葉で認識を改めた。今回マリーは旅の魔術師枠だ。分隊するなら、俺かケディアがいなきゃ駄目だ」


 フェッチはケディアを見て、頷いた。

 マリスとフェッチ、そしてケディアは魔導士隊で同じ部隊に所属している。

 お互いに信頼し合っているとはいえ、依頼中の区別はつけるべきだと思い直したらしい。


 シャロッテはマリスから強い関心が自分に突き刺さっているのを感じたが、それどころではない。


「でもフェッチ、いいの? 私は嬉しいけど、テントの準備、得意だよ?」

「俺だって見回りたいさ。……でも、“何か起こるかもしれない”なら、マリーか俺は必ずいろって隊長に厳命されててね……。それに、設営ならシャロッテさんもいる」

「ちなみに俺は?」

「勇者様には酷なことを言うことになる」

「それは、まあ、大丈夫だ。分かっている」


 意図して“何か”を起こす、というのがこの依頼の趣旨なら、“判定機”が火種の近くにいることに意味がある。

 『智の賢帝』シャロッテ=ヴィンテージが察知した場所にいるべきだとフェッチは判断したのだろう。


 見える。彼の思考が、全部分かる。

 よりクリアになっていく視界の中、みながフェッチの指示通り行動し始めた。


 だからシャロッテは、不敵に笑い、胸を押さえた。


「……耐えろ……、耐えるのよシャロッテ。…………こんなのは不運でも何でもない。……そう、大丈夫。大丈夫よ……。これを乗り越えれば私はまた強くなれる……」

「なあ、俺は何をすればいいんだ?」


 また大木に向かって精神統一を始めたシャロッテを尻目に、ヒダマリ=アキラは早速テントの設営に取り掛かった。

 ケディアに運んできてもらった、ひと抱えほどもあるカバンが4つ。

 道中運ぶのを手伝おうと言ってみたのだが、あのパワフルな女性はにっこりと断り、何の苦も無くひとりでここまで運んでみせた。


 手を突っ込んで、適当に取り出してみると、ランタンのようなものが出てきた。


「やあ勇者様、そっちは小物だ。こっちの方を手伝ってくれ」

「分かった」


 テントの設営自体はアキラもやったことはあるが、勝手が違ってもできるほど慣れてはいない。

 フェッチの指示を聞きつつ敷物を広げていると、もうひとつのテントは、ジェットが黙々と手際よく組み立てていた。

 器用であるのは間違いなさそうだが、単独行動が好みであることの方が間違いない。


「これ、重いな……。ケディアって人、よくひとりで運べたな。木曜属性とかなのか?」

「いーや、いたって“異常”な水曜属性さ。あの人ほどじゃないいけどさ。隊長とは知り合いだったよな?」

「いいのか、そんなこと言って」

「こんなときでもなきゃ言えないさ。地獄耳だから」


 フェッチと適当な会話をしながら設営を進めると、アキラたちが準備しているテントの位置から計算しているのか、シャロッテが程よい場所に焚火の準備をし始めていた。

 遠目だが、あちらも手際は良く見える。ぶつぶつと何かを呟いているようだが、効率を上げる魔術か何かだろうか。


「そんなことより勇者様、どうだいこの森は。何か起こりそうか?」

「いいや。そもそも何かが起こるかもって思って起こったことは数えるほどもないよ。逆に、起こると思ったら十中八九起きてるけど」

「そりゃ災難だな」


 ジェットもそうだったが、フェッチも話しやすい相手だった。

 下手にアキラを労わらず、かといってないがしろにもしない。

 日輪属性の数奇な運命。

 乗り越えたいとは思うが、気づかぬうちに苦悩も抱え込んでいたのかもしれない。少し気が楽になった。フェッチの人柄によるものだろうか。

 元の世界でも、第三者的な立場の占い師という業種は存在する。

 近過ぎない相手と話すと、そうした苦悩が吐き出されていくようだった。


「そうだ、こんなときでもなきゃ話もできない。なあ勇者様。我が隊のスーパーエース、マリサス=アーティとはどうなんだ?」


 急に話しにくい相手になった。


「……そりゃあんたらには悪いんだろうけど、一緒に魔王を討伐してもらいたい」

「はっは、そんなことはどうでもいいさ。そもそも魔王が討伐されればうちの部隊はめでたくお役御免だ。でもそうじゃないさ、分かっているだろう。どうやってあの難攻不落のマリサス嬢を落としたんだ?」


 フェッチは誤解が生まれそうな表現をした。

 だが彼の本位は、誤解ではないことをアキラは感じ取り、気づかぬふりをした。


「知ってるだろ、エリサス=アーティ。あいつの姉が説得してくれたんだよ」


 適当な言い訳をしたが、フェッチはにやけた表情を浮かべ続けている。

 アキラもフェッチとの会話を不快に思っていないせいか、追及を避けるような言い回しにはできなかった。


「……ん? 難攻不落? マリスの話だよな?」

「彼女から魔導士隊での話は聞いていないのか?」

「聞いてないな。ゆっくり話したいとは思っているんだけど、今はこの騒ぎでなかなか時間が合わない」

「それはなんか悪いな、魔導士として謝っておくよ。勇者様には妙な騒ぎにご協力いただいている身だ」

「別にいいさ、俺も俺で目的がある」


 一瞬、フェッチの表情が鋭くなった。

 その視線が、アキラが振るわせた手元に向いていることに気づいたが、抑えようとは思わなかった。

 自分にも殺気というものが放てるようになったのだろうか。

 だとすればやり方は習得できた。

 『光の創め』。

 思い浮かべるだけで形容しがたい激情が胸の奥に生まれる。

 他にも同様に殺意を持っている相手がいるが、当面の敵は奴らだ。


「それで。マリスがなんだって? 俺も知っておいた方がいいことか?」

「本人に聞いた方がいいだろうが、話の種にでもしてくれ。彼女は天才肌というか、大人しいだろう? 隊長やケディアは猫可愛がりしているが、基本的に誰とも行動しない」

「……そう、なのか?」


 遠慮がちに聞き返した。

 アキラは複雑な心境になった。

 なんというか、学校の先生に保護者として呼ばれ、あなたの娘には友達が少ないと言われたような気分だ。


「それでもあの実力にあの容姿だ。魔導士の中でも大人気。支部に戻るたびに誰かにちょっかいかけられている。縁談の話も持ち込まれたこともあったか。それでも本人はバッサリ。でも彼らは運がいい。隊長の耳に入ったら身体の方がバッサリになる」

「……」


 自分の知らないマリスの生活。

 自分が旅をしている間、彼女の時間も当然進み、魔導士として働いている。

 何か寂しいような、不思議な気持ちを味わった。

 マリスに言い寄ったという魔導士には、不快感を覚えるが。


「あんたもそのうちのひとりか?」

「残念なことに妻子持ちだ。生きるか死ぬかでギラギラしている奴らよりは余裕がある」


 さらりとフェッチが言った言葉に、アキラはテントを張るロープを握る力が強くなった。

 マリスに言い寄ったらしい魔導士たち。

 罪悪感が沸いた。彼らは、軽薄というわけではない。


 “あの場所”に入れば、生きることを、焦ることになる。


「……あの場所はどうだった」

「地獄だね。それこそ死ぬほど備えた上で、毎日がギャンブルだ」


 あっさりと答えが返ってきたが、フェッチは瞳に動揺を浮かべていた。

 芯の強さを感じる男から、初めて揺らぎを覚えた。


「隊長もそうだったらしいが、俺も昔は戦闘狂でね。調査? 分析? そんなくだらないことをしている暇があったら1匹でも多く殺せ、って思ってたよ。それが今じゃ、1匹も見たくないに変わっている」

「…………。さっきからやたらと魔物を探しに行きたそうなのは、その名残か?」


 アキラは深くは触れないように、話題を変えようとした。

 だが、フェッチは首を振る。

 日常と戦場が入り混じった匂いがした。


「あの場所に入ると、多かれ少なかれ人は“狂う”。さっきはああ言ったが、あの場所では負担の分散なんて存在しない。全員に最高負荷を強い続ける。そういう場所だ」

「…………そう、か」

「俺が、そしてケディアも、魔物を探しに行こうとしていたのは、多分“その名残”だ。何かをし続けていないと落ち着かない。……っと。……まあ、そんなとこかな?」


 フェッチはアキラの顔を見て、我に返ったようだった。

 日輪属性の、人の心を開くという力についてもある程度知識があるのか、喋り過ぎたと思ったのかもしれない。

 魔導士として失言だったのだろうか。


 だが、アキラは決して忘れようとは思わなかった。

 “あの場所”を出入りするという、異常な調査部隊。

 実力者揃いの部隊だろうが、彼らは、人間だ。

 身体だろうが、心だろうが、同じ形で出てくることなどできはしない。


 マリスも出入りしているという。

 彼女は果たして、あの場所に何を見たのだろうか。


「だが。そんな中でも、マリーは変わらない」


 フェッチは、仕切り直すように努めて明るく切り出した。


「涼しい顔して戻ってきて、言い寄ってきた男をバッサリだ。だから、俺は正直驚いている。さっき見てたよ。あのマリーが、あれだけ長く話をしているのを見たことがない」

「あれであれだけ長く?」


 会話の方向に嫌な予感を覚えていたが、つい食いついてしまった。

 フェッチはにんまりと笑っている。

 アキラは逃げるようにテントの裏に回って杭を打ち付ける。

 こういう話題は、不快ではないが、得意ではない。


「……あの天才は、あの場所に行ってもちゃんと人のままでいてくれたのか。俺たちのせいで何かを失っていたとしても、俺たちには分からない」

「……」


 テント越しに、フェッチの声が聞こえる。表情が見えなくて良かったと思った。


 マリスが魔導士隊で親睦を深めた魔導士は数少ないらしい。

 苦悩も、誰かに打ち明けることはしない。

 だから彼女があの場所で、何かを失っていたとしても、誰もそれに気づけない。


 フェッチは、マリサス=アーティが存在するからこそ生み出された部隊にいる。

 ゆえに誰よりも多いであろうマリスの負担を、フェッチは間近で見てきたはずだ。

 マリスの規格外の才を見て、他者が覚えるのは羨望か、嫉妬か。

 それらも混じった感情の中、フェッチが最も強く覚えているのは、自分の力不足によって迷惑をかけ、“数千年にひとりの天才”を使い潰してしまわないかという、恐れなのかもしれない。


 アキラは苦笑した。

 他者に迷惑をかけるということなら、ヒダマリ=アキラは他者の追随を許さない。

 アキラのせいで、彼女はひとり、誰にも打ち明けられない秘密も抱え続けていた。


 アキラの目から、マリスは強く、聡く、不可能を超越した、奇跡そのものに映る。

 だが彼女も、人間なのだ。


 彼女は無言で無音だ。そんな側面もアキラは知っている。

 だから彼女から悲鳴は聞こえない。

 彼女がいる場所は高すぎて、それが不要だからなのか、誰にも届かないからなのか、誰も分からない。


 改めて思う。

 マリサス=アーティと、きちんと向かい合わなければ、彼女の力を借りる資格が自分には無い。


「でも、日輪属性のお陰なのかは知らないが、正直俺は、嬉しいよ。そんな風に気になっていたが、どうやら大丈夫そうだった。……それで最初の質問だ、マリサス=アーティとはどうなんだ?」

「ぐ……、……口じゃなくて手を……、あれ。終わった、のか?」

「お疲れ」


 テントの裏から出てみると、いつしか設営が完了していた。

 見渡すとジェットやシャロッテの方も終わっている。

 周りの手際が良すぎて、あまり役に立った気がしない。


「皆さん。着火剤は十分でしたが、炭の量に不安があります。天気も悪いですし、念のため、今のうちに枯れ木を集めにいった方がいいかもしれませんね」

「結構立派なのが出来てるな……」

「嬉しいっ、自信作です。工夫が分かります? 風向きは読み切れなかったけど、6名均等に熱を届けるには……んんっ、別に、大したことでは」


 焚火の準備をしていたシャロッテが一瞬だけ得意げになったような気がした。

 焚火というより、練炭を入れる組み立て式の七輪のような、アキラがあまり見てこなかったタイプだった。アキラがやっていたら勝手がまるで分らなかっただろう。

 ただ、何も分からないながらも、炭が足りなくなったのは、そこまで立派なものを作ったせいではないかという意味で立派と言ったのだが、本人は満足しているらしい。


 確かにでき自体はいい。

 中央に火をくべながらもテーブルとして使える台が置かれ、周囲には円を描くように6人分の席が、特殊な計測具でも使ったのかと思うほど均等に置かれている。

 ちょっとしたインテリアのようにも見えた。

 『智の賢帝』と言われるだけはあり、何でもできると言っていたのは大げさでもないのかもしれない。


「よし、準備は済んだな。食事はまだだろう。枯れ木がいるんだったな、ついでに見回りもしてこよう」

「おうおう行ってくれ。その代わり、夜は完全休養してもらうことになる。夜の番は、ジェット以外で編成を考えようか」


 早速別行動を取ろうとしたジェットは、フェッチの脅迫に、降参だとでも言うように両手を軽く上げて足を止めた。

 単独行動が好きというか、落ち着きがないというか。

 だがそんないつものジェットの様子も、フェッチとの会話の後だと違って見えた。


 何かをし続けていないと落ち着かない。

 そんな人もいる。


「なあジェット。みんな言ってるけど、そろそろマジで雨降りそうだぞ。枯れ木も諦めて、大人しくしといた方がいいだろ」

「だからこそその前に見回っておきたかったんだがな。……それよりその焚火。無駄になるのが忍びないな」

「ご安心を。あの台の上ではなく、中に炭を入れられるようにしてあります」

「それなら屋根が欲しくなるな。分かった、見回りの代わりだ、俺が準備してみよう」

「へえ、暖炉みたいな感じにしたのか。じゃあ雨が降るならわざわざ屋根作らなくても、テントの中に入れればいいんじゃないか?」

「だめですよ?」


 シャロッテが真顔になってアキラを見据えてきた。

 早速屋根を作りに動き始めたジェットも口を開きかけていたが、アキラの顔を見て苦笑するだけで背を向けたのが気に障った。


「アキラ氏。あまり野宿の経験は無いのですか?」

「ああ、恥ずかしいけど、旅じゃ割と宿に泊まってばかりだし、そういう準備は仲間に頼りっきりで……。何でもできそうなシャロッテが羨ましいよ」

「えっへへ。……ごほん。……止むを得ません。多少はお教えしましょう。我々の命に関わるかもしれませんから」

「そんな大げさな」


 シャロッテが至極真剣な表情で見据えてくる。

 真剣な彼女には悪いが、アキラは少し、楽しくなってきた。


 今まで仲間とばかり過ごしてきた旅で、こうした新しく出会った者たちと過ごすのも、自分の見分が広がるような気がしてくる。

 それと同時に、最近彼女たちとの交流が減っていることに、改めて寂しさを覚えた。


 この依頼、事が起ころうが起こるまいが、こうした話を手土産に、久しぶりに彼女たちと話してみよう。


「ではまず、」


 得意げになっていた目の前のシャロッテの顔が、一気に凍り付いた。

 アキラも、同じ表情を浮かべる。


 今、自分も彼女も同時に感じた。

 これは、“魔力の気配”。


「上だ!!」


 叫んだのはジェットかフェッチか。

 全員が即座に臨戦態勢に入り、空を睨み上げる。


 曇天の空の中、全長5メートル超の土色の怪鳥が、鋭い嘴をまっすぐに向け、流星のように落下してきていた。


「―――タガイン」


 その詠唱はフェッチから聞こえた。

 親指を使った指弾のような仕草と共に、イエローカラーの小さな球体がパチンコ玉のように撃ち上げられる。


 誰もが、それだけに目を奪われることはなく、目の前の怪鳥の奥を見ていた。


 ゴン!! と。走った魔術は吸い込まれるように怪鳥の嘴に直撃し、甲高い音を響かせた。

 それが、その“魔物の群れ”との開戦の合図だった。


「俺とシャロッテは上空へ砲撃!! アキラとジェットは迂回してくるデオグラフを迎撃だ!!」


 フェッチの力強い言葉と同時、アキラの隣、シャロッテから鋭いライトグリーンの魔術が走った。


 動揺を置き去りに、アキラは剣を抜き放つ。

 フェッチの読み通りに、ふたりが放つ魔術を避けて回り込んでくる魔物を牽制した。


 一気呵成に攻めてきた魔物たちは、隊列を整えるかのように一旦空へ離脱していく。

 見えるだけで十数体。

 改めて視認できたが、あのデオグラフというらしい魔物は、形状で言えば恐竜のプテラノドンだ。

 知識のないアキラでは属性は分からないが、直行してきたあたり魔術より図体や牙を武器に襲ってくる種類だろう。


 上空を旋回するデオグラフたちは出端を挫かれただろう。

 こちらも備えは十分だった。

 いきなり襲撃されたとしても、最初から警戒はしている。


「ここから北には奴らの巣がある。でも大分離れているぞ。何を好き好んでここまで来たんだろうな」

「俺から言わせれば前の依頼の調査不足でしかない。予想できることだろうが……」


 ジェットの言葉に、フェッチは歯ぎしりし、視線を広場の隅に走らせた。

 彼の視線の先には、樹齢の長そうな大木がある。

 改めて見て初めて分かるが、隆々とした幹の上部に、爪でひっかいたような傷が残っていた。


「前の依頼の記憶を見ている。いくらかの魔物の討伐があったらしいが、奴らは報告に無かった。デオグラフは“魔物を喰らう魔物”だ。ここは狩場か何かだろう」


 そのデオグラフたちは狩場にいる自分たちを餌だと認識しているのか。

 旋回しながらも離れる気配はまるでない。


「俺が上空へ行こうか?」

「迎撃態勢に変更はない。俺たちなら後手に回っても討伐可能だ」


 フェッチの言葉は具体的で的確だった。

 “あの地”に入った魔導士というのは伊達ではない。


 鋭い目つきでデオグラフを捉えつつ、しかし身体は力を抜いているように落ち着いていて、指先にはイエローの魔力を纏わせている。


「来るぞ」


 言葉と同時、指を弾けば、イエローの弾丸が、今度は同時に突撃しようとしていたらしいデオグラフに先手を打つように直撃する。

 金曜属性なのだろうが、未来でも見えているような攻撃は、またもデオグラフの接近を許さない。


 そしてこちらも、未来が見えているのか。

 仲間のデオグラフを盾に、影に隠れたデオグラフが突撃してくるも、視認可能になった瞬間にライトグリーンの閃光に撃ち抜かれる。

 シャロッテ=ヴィンテージは、両手をしなやかに掲げ、不規則なタイミングで魔術を射出していた。

 この魔力色は木曜属性のものだ。

 5属性の最も希少なその属性は、身体能力強化を得意とする。

 木曜属性自体の数も見ていないが、アキラは初めてその属性の遠距離攻撃を見た。


 他の大陸では、見たことも無いようなことが起こる。


 これが、ヨーテンガースの魔術師。

 アキラは魔物に襲われている中、それ以上の高揚を感じた。


「……?」


 フェッチとシャロッテの攻撃の前に、接近できるデオグラフの数は数えるほどもなかった。

 どうやら耐久力が高い魔物のようで、消耗はしているものの討伐できたのは未だ2,3体程度だが、勝利は動かない。


 迎撃担当のアキラは、時折、捨て身で襲撃してくるデオグラフを斬り飛ばしていたが、ふと、反対の側面を守っているジェットの様子が気になった。


 アキラの目から見て、ジェットは、ぼうっと立っているだけだった。


 デオグラフが接近してくると多少身動きするが、威圧でもしているのかデオグラフの方が離脱する。

 力が入り過ぎているよりはいいのだろうが、油断をしていると、あの獰猛な嘴に貫かれてもおかしくはない。

 迎撃可能な相手とはいえ、ヨーテンガースの魔物である。

 歴戦の魔術師でも、命を失うこともあるのだ。

 だがジェットは、まるで襲って来いとでも言うように、立っている。


 ジェットから、強烈な違和感を覚えた。


「! キャラ・ライトグリーン!!」


 イエローとライトグリーンの魔力が飛び交う上空の中、アキラは見逃さなかった。

 一部のデオグラフが、さりげなく、ここから離れた場所に高度を落としていったことを。


 デオグラフは恐らく“知恵持ち”だ。

 狙い撃ちされる上空を避け、樹海の中からここに接近してくる可能性がある。

 あの巨体で樹海の中を移動するのは難しいだろうが、備えておけばより万全だ。


「やあ勇者様、いい判断だ。“真っ二つにならないように気を付けてくれよ”」

「?」


 フェッチが言った、その、瞬間。


「―――キャラ・スカーレット!!」


 ズパンッ!! と樹海の木々が斬り割かれた。

 樹海の中から飛び出してきたのは、翼をまっすぐに広げ、高速回転してきたデオグラフ。

 巨大な手裏剣のように樹木ごとアキラを斬り割こうとしたデオグラフは、破壊の一撃の前に甲高い音を響かせて真っ二つになった。


「っぶね!! なんだこいつら!?」


 難は逃れたが、衝撃的な攻撃に、一瞬で上がり切った心拍数が未だに収まらない。

 デオグラフの最大の武器は鋭い嘴だと思っていたが、本命は身体ごと鋭利な翼を回転させての突撃行動だったらしい。


「また数体降りている!!」


 フェッチが叫び、アキラは上空にも樹海にも意識を向けざるを得なかった。


 デオグラフたちはこちらの迎撃に業を煮やしたのか、離脱ではなくさらなる特攻を仕掛けてくるつもりだろう。

 上空のデオグラフはいつの間にか数が増え、ここから離れた空にも見える。他のグループも襲われているらしい。他のグループは無事だろうか。

 樹海の中から突如として飛び出してくる手裏剣のようなデオグラフの攻撃を凌げる旅の魔術師が、この依頼にどれだけいるのか。


「……ち」


 そこで、ジェットから声が漏れた。

 左手を振ると、金属音。

 彼の仕込み武器だろう、黒褐色のトンファーがその手に握られていた。


 しかし、アキラの目には、危険なデオグラフの攻撃を目にしてなお、彼は、ぼうっと立っているように見えた。


「アキラ氏!! 4時方向!! 2体です!!」

「え? えっ!?」

「そのまま右向いて踵つけて右足を九十度に開く!!」


 慌ててシャロッテに言われた通りに身体を動かすと、痛烈な死の匂いがした。

 先ほどは不意を突かれたが、シャロッテの指示通りに動けば2体だろうが落ち着いて迎撃できる。


「ジェット氏!!」

「分かっている」


 次にシャロッテが叫んだのはジェットに対してだった。

 デオグラフは“知恵持ち”らしく、挟撃するつもりらしい。

 シャロッテの言葉を待たず、ジェットは樹海に向けてトンファーを握った左手を掲げ、初めて構えを取った。


「! キャラ・スカーレット!!」


 1体目のデオグラフが飛び出してきた。

 集中力が高まってきたのか、その攻撃が、後ろに控えている2体目も含めてはっきりと見える。


「―――、」


 1体目を斬り割き、すぐさま2体目に向けて構えを取ったとき。


 ゆっくりと。はっきりと、見えた。


 自分のものではない、“オレンジの光”が。


「アーク・イエロー」


 甲高い音が、ふたつ響いた。

 アキラの目の前のデオグラフが真っ二つに斬り割かれ、死骸がテントに突き刺さる。

 反射的に、アキラはそれを目で追った。


 そして、後ろでは、オレンジの光を纏ったジェット=キャットキットが、その身にデオグラフの突撃を受け、それでも平然と腕を掲げていた。


「らぁっ!!」


 護身用ではなったのか、ジェットは防御に使わず振り上げたトンファーをデオグラフの脳天に叩き込む。

 あれだけの硬度を感じたデオグラフの嘴は、頭ごと、卵のように砕け散った。


「―――、お、前」

「レイリス!!」


 アキラの声は急激な爆撃音にかき消された。

 デオグラフへ形容として流星を使ったのは誤りだったのだろう。

 シルバーの無数の流星群が過剰なほど“撃ち上がり”、曇天の空を埋め尽くした。


「ふう……。ん? ぎゃああああああーーーっ!?」

「にーさん!! 無事っすか!?」

「マリ、ス」


 彼女の登場で、すべてのデオグラフの討伐が完了したのだと全員が確信した。

 樹海の中から走ったシルバーの閃光は、狂い無く魔物を撃ち滅ぼす。

 空では花火でも上げたかのように戦闘不能の爆発音が同時に響き、誰かの叫びをかき消した。


「遅れてごめーん!! みんな大丈夫ー!?」


 轟音の中、マリスとケディアのふたりが樹海から現れる。

 ケディアは勢いよくフェッチに駆け寄り、大げさに頭をかく素振りをした。

 すでに戦闘は終わっている。

 日常と戦場が入り混じったあのふたりは、つい直前の戦闘に引きずられる様子はまるでなかった。


「にーさん、待たせたっすね。こっちもトラブルがあって」

「……い、いや、大丈夫。助かったよ。そ、そっちは大丈夫だったか?」

「にーさん?」


 様子がおかしいことはすぐに分かったらしい。

 マリスは目を細め、ゆっくりとジェットを見る。

 そして、納得したように小さく頷いた。

 周囲の面々を見渡しても、誰も先ほどの“色”については、気にしていない。


 アキラ以外は、知っていたようだ。


「……あんた」


 勿体ぶっていた雨が、ぽつぽつと降り始めた。

 せっかく組み立てたテントは残骸と化し、シャロッテの焚火も原型を留めていない。

 それらを踏み越え、アキラはジェットに歩み寄る。


「日輪属性だったのか」


 ジェットは、魔法のように左手のトンファーをしまい込み、アキラに向かい合う。

 その瞳の奥に、アキラは何も見つけられなかった。


「別に隠していたわけじゃない。……大っぴらに言うことでもないだろう」


 魔力の属性が何であろうが、普通はその通りだ。

 だが、普通ではない日輪属性となるとわけが違う。


 だから何だと言われたら、答えられない。

 言い表しようのない感情に、アキラはジェットの瞳を見返すことしかできなかった。


 これがヨーテンガース。


 この依頼には、日輪属性がふたりいる。

 ただそれだけのことだと思うのは、数奇な運命を引き寄せた、アキラの今までの旅が許さなかった。


「……顔。……顔を上げなさい、シャロッテ。焚火くらいなに? 何を悲しむことがあるの。今日しか使わないものが壊れたってだけじゃない。……自信作? 『智の賢帝』がそんなことに拘っているわけがない。凄いな、立派だなって、みんなに褒めてもらいたかったわけじゃないでしょう? そうよ。……アキラ氏には褒めてもらえたじゃない。……そう、そうよ。……ふ、ふえ……、ぐ、大丈夫。大丈夫。……これで私はまた完璧に近づいたわ…………」


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