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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
中央の大陸『ヨーテンガース』 ドラクラス編
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第62話『光の創め5---それではよい休日を---』

―――***―――


 最初から知っている。


 同じ血を引いて、同じ身体で、同じ顔でも、同じ人間ではない。

 だから当然、優劣が付く。

 誰もが個性があって、誰もが素晴らしいのだと人は言うが、それを他人へ言い始めたのは誰だろう。

 身に降りかかっている本人のための慰めを、誰かに“言わせてしまった”ことに傷つくこともあるというのに。


 自分という人間は、双子の妹に劣っている。


 自分は子供の頃、妹の力に、目を輝かせていた。

 いや、きっと当時から、子供らしい不満で、自分に無いものを持っている妹を羨んでいた。

 頑張って、同じものを手に入れようとしてみた。手に入らなくても、頬を膨らませて終わっていたのだろう。

 そして成長につれ、その不満は理屈を持ち、名前が付き、嫉妬となったのだろう。


 嫌ったり、見ないようにしたり、考えないようにしたりすれば、それは単純に優れた人を見たという健全な黒い思考で済んだのだろうが、双子の妹となるとそうはいかない。

 そして、彼女を心の底から愛しているとなればそれこそどうしようもなかった。


 双子の妹の隣にいるだけで、自分には無い様々なものが要求されるような感覚を覚えた。


 社会が求めるその能力を、価値を、妹は当たり前のように持っている。

 それが無いその隣に、人が向ける視線を向けることはない。

 いや、“もし向けられたら”と考えられると、どういう目をしているのか。背筋が震える。


 妹と共にいたいと思うことすら、自分には高望みなのだろうか。

 時折脳裏を過る、不健全な黒い思考を、故郷でも、旅の中でも、幾度となく感じた。

 自分の価値を高めるために、もっと努力すればいい。そう言い聞かせるも、現実にはそれでは破れないこともあると成長につれて知ってしまった。


 だからと言って、そんな自分に塞ぎ込んでばかりいるわけにもいかない。

 いくら理想が遠くても、自分は自分のできる範囲を必死にやっていくしかない。


 ひとり、そんなことをしている男がいる。


 彼の理想は、彼の現在よりずっと高い。

 かと言って、崇高な思想を持った意識が高い人物というわけではなく、現実が見えていない子供のような夢を持っただけの、どこにでもいるような人間。

 彼も自分のように、面倒臭く、ねじ曲がったような考えをすることがあるだろうか。


 それでも彼は、時折その理想に指をかけることがある。

 研鑽は確かにしているが、その先、最後の最後、自分には破れない壁を彼は破ることがあるのだ。

 そんな姿を見ていると、自分でも指が届くと言ってくれているような気がして、嬉しくなる。

 何しろ自分は、彼の先生だ。


 だからというわけではないが、最近は、そんなに深く悩んでない。

 気にしていないと言えば嘘になるが、ぐちぐちと思い悩むことはなくなった。

 誰しも悩み事なんて、ひとつやふたつあるものだ。


 そんな風に、割り切れるものは割り切って、割り切れないそのままで、日常を過ごしていた。


 だから、そのふたりが、自分が付いていけない速度で前を歩いていたのは、不意打ちだった。

 自分で言うのもなんだが、頭はそこまで悪くないと思っている。

 それなのに、ふたりの話の速度についていけない。

 指が届く人とそうでない人の違いを、久々に色濃く感じてしまった。


 ついていけないことよりも、ついてきていないと“思わせてしまった”ことに、冷たく苦い毒素が、喉の奥にぽつりと落ちた。


 エリサス=アーティは、考える。

 考えないように、考える。


 そういうときは、あれだ。

 パンっと自分の頬を張って、子供のようにやるしかない。


 頑張る。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「頑張った……、頑張った……、……むみゅう」

「ち。ついに意識が戻りつつあるわね」


 “勇者様御一行”は、現在、ドラクラスという世界中で最も特異な街にいた。

 現在ドラクラスは、大掛かりなイベントを控えており、ヨーテンガース大陸中、あるいは他の大陸からもかもしれないが、数多くの魔術師が集まっているという。


 それも有象無象というわけでもなく、魔導士隊から直接要請を受けるような実力者揃いだ。

 現在ドラクラスには、世界最強であろうヨーテンガースの魔導士集団に、その来るべきイベント、ドラクラス“自体”の引っ越しに備えて招集された者たちも含め、数も、能力も、過去に例を見ない最高戦力が集結していることになる。


 とはいえ、どれほどの実力者であろうが、人間は人間である。

 食事もするし、睡眠も取る。長丁場となれば住処も必要となってくる。


 どれほどの実力者揃いであろうと、つまりは、ドラクラスは大変混雑していた。


「流石に狭いな」


 色々なことがあったドラクラス2日目。

 各自それぞれ思い思いに過ごしたであろう日の夜、今後の方針を定めるべく、今まで通りアキラの泊る宿の部屋に面々は集まっていた。

 ドラクラスに着いた昨夜、何とか見つけた宿は今までの旅で泊った宿より随分と狭い。


 いつもの流れでアキラの部屋を集合場所としたのだが、ありがたいことに今やメンバーは全部で7名。

 ベッドの上を先に来ていたらしいふたりに陣取られ、アキラは入口付近の壁際に立つ羽目になっていた。

 申し訳程度に置かれた机とひとつきりの椅子を使う気にもなれない。

 あとふたり。別の場所で宿を取っている彼女たちが来たら、いよいよ家具を部屋の外に放り出し、全員で立たなければならなくなるかもしれない。


 窓を開けているのだが、やや熱い。

 “山の中”であるせいで空気が悪いのだと思いかけたが、今日一日周ったところ、ドラクラスの中は本当に外のような環境であったのだから、この宿屋の換気がそもそも悪いのかもしれない。


「ほら、起きなさい。あんたが伸びてるせいで狭いでしょ」


 エレナ=ファンツェルンがベッドの上で、寝そべりながらぶつぶつと何かを呟き始めた少女をゆすり始めた。

 このふたりにしては珍しく、アキラが来るよりも早くこの部屋に訪れていた。

 ベッドで伸びている、アルティア=ウィン=クーデフォンは、その揺さぶりにもごもごと口元を幸せそうに緩めている。

 なにやら疲れているみたいだし、そっとしておこうと思っていたが、エレナは部屋の狭さが気に入らないらしい。

 ティアが目を覚ますと、下手をすればこの宿から追い出されかねないのだが。


「あれ。エレナが絞め落としたんじゃなかったのか」

「アキラ君。私のことを何だと思っているの? ついでに言ってあげると、このガキのことも」


 アキラは一瞬で色々な言葉が頭を巡ったが、口を噤んだ。

 珍しくエレナが集合場所に来てくれているのだ。

 絶対に台無しにするわけにはいかない。


 自分たちは情報を整理する必要がある。


「そろそろ情報交換を始めよう、ふたりが来る前にある程度まとめておかないと。みんなもあまり時間をかけたくないだろう」


 アキラの対面、部屋の窓際で、ホンジョウ=イオリが小さく手を叩いた。

 緩い服装になっているティアやエレナと違い、彼女は夜になっても魔導士の制服を身に纏っていた。

 彼女は、新しい街に着くといつも魔術師隊の支部に通いつめ、正規の情報を仕入れてきてくれる。

 下手をすればこの話し合いが終わったあとも出かけかねない。


「一応前提の話だけど、みんなもうどこかで聞いたりしているんじゃないかな。このドラクラスにいる、“絶大な権力者”の話。……そして、この街の正体は巨大な“具現化”で、“街ごと引っ越しをする”ってことを」

「なんですと!?」


 みんなの気配が鋭くなったような気がした。

 旅も長いだけはあり、それぞれが独自のルートでドラクラスのことを知ったらしい。

 何かの奇声が聞こえた気がするが、窓を開けているせいだろう。


「で、僕たちは、その大規模な引っ越しに伴って発生する依頼を請ける。大きなものは計画されているらしいけど、細々としたものは臨機応変に対応する必要あるってところだろう」

「大きなものって言うと、やっぱり?」

「ああ、分かりやすいのだと、“魔門破壊”だ。いつかは知らないけど、やることにはなるだろうと噂が出回っていたよ」


 また、みんなの気配が鋭くなる。先ほど以上に感じるそれは、恐らく実際に体験したことのある者しか出せないだろう。

 自分たちが乗り越えたもの。

 しかしそれは、未知であり、恐怖の対象である。


「ま、つっても使える奴らが集まってるんでしょ? 今度は楽できそうじゃない」

「そうなんだけど、僕が気になるのはこの依頼の形式だよ。ほら、一応自由参加ではあるそうじゃないか」


 ドラクラスの引っ越しに伴う依頼は、目的自体はすべて繋がっているとはいえ、それぞれ個別という形式を取っている。

 旅の魔術師への依頼という形を最低限守っているつもりなのか、『ドラクラスの引っ越し』という依頼は、実のところ存在しない。

 つまりは途中で抜けるも自由ということでさえある。


 イオリが言いたいのは、そんな自由を与えられている中、“魔門破壊”という目に見えて危険な依頼を誰が請けるということだろう。


「大丈夫なんじゃない? 馬鹿も多かったし」

「ん?」

「何人か捕まえてみたけど、金のためなら何でもするような奴らも多かったわ」


 今日エレナが何をしていたかは知らないが、集まった旅の魔術師に探りでも入れていたのだろうか。

 彼女はその美しい容姿を平然と武器に使い、あれやこれやと貢がせることもやっていそうだ。

 その探られたという旅の魔術師たちの財布は無事だっただろうか。


「でも、むしろそんな奴らで大丈夫なのか? 金のためって言っても、魔門だろ? 直前で逃げ出したりしないか?」

「その辺りは魔導士隊が制御するだろうね。というか、“彼ら”、……あまり考えたくないけど、」


 イオリは一度言葉を控えた。

 魔術師隊、あるいは魔導士隊にも探りを入れていた彼女は、ちらりと窓の外に人影がないことを確認した。


「今日色々周ったけど、このドラクラスの魔導士隊は何を言い出すか分からない、って印象だった。個人の感想で申し訳ないけど、人となりが問題というわけじゃないのに、優先事項の軸がずれているような感覚がする。そんな魔導士隊が指揮をするんだ。言い方に誤解が出るかもしれないけど、彼らなら、旅の魔術師を、魔門の前から“逃げられない”ようにしかねない」

「……」


 優先事項がずれていると、まともに会話をしていても、時折違和感を覚えることがある。

 イオリの感じたものは、旅の道中、アキラも味わったことがある感覚だろう。

 例えば旅の魔術師は己が命を優先するだろうが、魔導士隊が、ドラクラスを優先した場合、概ねの方向性は同じだが、土壇場になれば判断は変わる。

 そうした未来を感じ取った悪寒が、目の前で当たり前のように話している相手に違和感として現れるのかもしれない。


 イオリの言うそれは誤解なのだろうか。

 実力者揃いとはいえ、烏合の衆である旅の魔術師たち。

 失敗の許されない依頼に、そんな者たちを自由参加にさせるなどリスクが大き過ぎる。

 とにかく頭数が必要だからとそのリスク自体は仕方ないと割り切りながらも、もし、そのリスクを帳消しにする方法があったとするなら、魔導士隊はそれをやる。


 この場合は簡単だ。

 地獄に放り込み、退路を断つ。


「自分より、他者より、魔導士隊の目的を最優先にする。大なり小なり、“そういうやり方”をする魔導士は他の大陸にもいる。ドラクラスの魔導士からは、それに近いものを感じた、ってところだね。僕の印象に過ぎないから、そのまま受け取らないで欲しいけど」


 イオリも魔導士だ。その辺りの感覚は信用していいだろう。

 自分の言葉を信じ過ぎないようにとは言っているが、魔導士隊が指揮する依頼の中、魔導士を信じすぎるなと言っているようにも聞こえた。


「つっても、依頼を請けないわけにもいかないよな?」

「ああ、そのことだが」


 アキラの隣のミツルギ=サクラが口を開いた。

 鋭い印象を受ける切れ長の目がさらに鋭さを増していると思ったら、やや俯き加減なだけだった。


「この宿屋、聞いてみたらかなり値が張る……、というか、ドラクラス自体、物価が高い。最初は入口付近だからかと思って探してみたんだが、他の宿屋も同じかそれ以上の価格帯だ。ドラクラスに滞在するだけでも、かなりの実入りが必要になりそうだった」

「そうだサクラ、すまない。そっちは任せきりになっていたけど、あまりいい結果ではなかったみたいだね」


 サクとイオリのふたりは行動を共にしていたのだと思っていたが、どこかで別行動を取っていたらしい。

 昨夜は急場を凌ぐためにこの宿を取らざるを得なかったが、そもそも7人分部屋がなく、この宿に泊れたのは5人しかいない。

 その上、他の街の宿屋よりもずっと狭く、あまりいい環境とは言えなかった。


「まあ、宿に関しての問題はそれだけじゃなく、」

「ふっふっふ。お金が必要なのですね」


 その声に、視線を向けたのは面々の半分ほどだった。

 いつしか意識を取り戻していたらしいティアが、ベッドに座り、口をにんまりと歪めている。

 何を勿体つけているのか集めた視線に、顎を上にあげ、ふんすと鼻を鳴らしていた。

 今日、同じような仕草を別の人間がしていたが、こちらは恐ろしく愛嬌がある。

 アキラがとりあえず放っておこうとサクに視線を戻そうとしたとき、ティアが胸を叩いた。


「あっし、お金ならたくさんありますよ!」

「何を馬鹿な」


 上機嫌なティアに、アキラは反射的に声を押さえて返した。

 このまま彼女の声量で話させると、宿の主人どころか近隣から石でも投げ入れられかねない。


「何? 夢の続きの話か?」

「謝ってもらっていいですか?」


 ティア不服そうにしながらも、胸からごそごそと折りたたまれた書面を取り出した。

 流れるように隣のエレナが奪って目を通すと、彼女は口元をにやりと歪ませた。


「……って、は? あんた何してんの。誰から奪ってきたの。返してきなさい」


 エレナの口から信じられない言葉が飛び出してきた。

 彼女が倫理を諭すとは。

 部屋中の誰もが目を丸くする中、ティアは頬を膨らませて拗ね始めた。お腹が空いているのかもしれない。


「エレナ、いいかな。……、ん? アルティア、今日は依頼を請けていたのか」

「ティアにゃんですが、そうですそうです! ふたつも請けて、お外に行ったり来たりでティアにゃんめっちゃ忙しかったんです! ……で、あっしよく分からなかったんですけど、この紙、依頼所のどこかでお金と交換してもらえるんですよね? 忘れてました」


 エレナの手に残ったもうひとつの書面を見ると、アキラも何度か見たことのある、依頼書だった。

 依頼の詳細までは見えなかったが、それなりの額だ。エレナが最初に目に入れたのはこれだろう。

 ティアを見る全員の目が変わった。


「なるほど。これが…………」

「い、一体何が起こってるんだ……!?」


 イオリの持つ書面も同じものだろう。

 超常現象を前にアキラが身を乗り出すと、ティアがまた、ふんすと鼻を鳴らした。


「いや実はですね、あっし、今日は早くからお散歩に行って、街を周ってみようとしたんですよ。あ、もちろんすぐに戻ってくるつもりだったんですよ! でも、あのおっきな柱とか、流れていた川とか見て周っていたら、いつの間にか変なところに行ったりしてて、困った困ったと……、あ。はい。要点だけ話しますね」


 エレナの教育の賜物か、エレナの手が肩に置かれた瞬間、ティアはさっと血の気を引かせて姿勢を正した。


「まあ、迷子になったのも関係あるんですけど、見覚えのある看板の建物があって。ほら、依頼所ですよ。で、助けを求めて入ってみたら、結構混雑してて。で、受付が空くのを待っていたら、誘われたんです依頼に」

「誘拐目的だったんじゃないか?」

「むっかー! アッキー、あっしをまた子供扱いしてませんか? ああ、アッキーにも見せたかったですよ。なんでか知らないですけど、色んな人に誘われたんです! あっし、大人気!」

「エレナ」

「ええ」


 エレナは言った。

 このドラクラスには金目的で何でもするような輩もいたと。

 束縛を嫌うエレナだが、深刻にとらえてくれたらしい。


「どうする? 俺も可能な限り時間を作る」

「私は明日は空いてるわ。でも、明後日は分からない。朝か夕方のどちらかは頼めるかしら?」

「共働きの夫婦みたいな話をしているところ悪いけど、アルティアの名誉のために言っておくと、ふたりが邪推しているようなことじゃないよ」


 真剣に誘拐犯の対策を考え始めていたところで、イオリが手に持った依頼書をひらひらと揺らした。


「小耳にはさんだけど、これが“依頼優遇者”ってやつみたいだ。ほら、魔物の討伐に……、哨戒依頼。どちらも依頼の詳細のところに、アルティア=ウィン=クーデフォンが候補として記されている」

「はあ?」


 エレナがアキラから書面を奪い、改めて読み始めた。

 覗き込んでみると、知らない名前が並ぶ中、確かにティアの名前がある。


 “依頼優遇者”。

 言葉は違えど、そういう依頼があるとは聞いていた。

 ドラクラスの依頼では、メンバーが一部指定され、報酬面で優遇されることがあると。

 参加は自由らしいが、それでこの額になるなら有志は多いだろう。

 宿に泊まり続けられるほどではないが、ドラクラスの物価の高さからしても、積極的に請けたくなるほどだ。


「何よそれ。どっちも魔物絡みの依頼じゃない。それでこんなに貰っちゃって……、謝ってきなさい。……魔物にこんな無害なマスコット持っていって何になるんだっての」

「エレお姉さまがまずあっしに謝ってください!」


 ふかー、憤るティアを横目で見ながら、アキラはこの理屈が分かった。

 イオリは勿論、エレナも分かっているだろう。


「……候補指定、1。……こっちは2か。なるほど。候補者の中からその人数まで優遇されるという形か」

「イオリ、それは?」

「……ああ、依頼の詳細に書いてある。『募集5名から10名。尚、以下の者は、先着2名まで優遇』……、C? この意味は分からないけど、ここに名前のある人は、2名まで報酬面で優遇されるらしい。その中にアルティアの名前もある」


 おぼろげながら、アキラも優遇者の意味が分かってきた。

 だが、その先にある問題の方が、むしろはっきりと分かった気がした。


「……明日僕も依頼所に行ってみよう。それと、アキラにエレナ。さっきの話、冗談じゃなく、確かに考えた方がいいかもね。予想通りだとしたら、アルティアが大変なことになる」

「ティアにゃんですよ?」


 むぅ、とベッドの上で拗ねるティア。

 こんな様子だが、彼女の問題をイオリは理解して言っているのだろう。

 アキラも同意見だ。

 昨日も考えたことがある。

 自分たちを客観的に見たら、どうなるか。


「“ヨーテンガースの依頼”だ。僅かな油断が命取り。なら何を考えるか。まともな神経なら“命綱”が第一だ。例えば魔物の討伐。このドラクラスにいる旅の魔術師たちが実力者なら、僕らが今までやってきた“討伐自体”は問題ない。だからこそ、“アルティア=ウィン=クーデフォンが指定される”」


 ヨーテンガースは、自分たちのことを深く知っている。

 それゆえに、それぞれがどういう特徴を持っているのかも想像以上に抑えている。


「特に危険な依頼。いや、安全な依頼なんてほとんどないだろう。そうした依頼では、必ず編成に“治癒担当者”を入れたくなる。いっそ専任の方がいい。ここにあるアルティア以外の候補の名前、僕の知っている限りだと著名な治癒魔術の使い手が目立つね」


 要するに、ドラクラスの危険な依頼にヒーラーは指定されやすいということだろう。


 ドラクラスの依頼の仕組みが見えてきた。

 ドラクラスの依頼は、編成のバランスを考えて構成される。

 そのため、特定の役割を持つ魔術師は指定されるのだ。


 依頼書を見るに、ティア以外の人も、同じ“役割”を持った人物ということだろう。

 どうしてもティアが必要なわけではないだろが、候補としては必ず挙げられることになる。


 つまりどういうことかというと。

 治癒が必要な依頼には、ティアも含めた治癒担当者という“役割”が指定されることになる。

 早い者勝ちか相談かだろうが、ティアと他の治癒担当者は、指定されたいずれかの依頼に参加することになるのだろう。

 だが、参加が任意となれば、治癒担当者が誰も請けない依頼も出ることになる。

 となると、依頼を出す側は、請ける側を考慮せず、治癒が必要な依頼にはとりあえず毎回ティアの名前を載せることになる。

 そして、ドラクラスの依頼で、治癒が不要と言い切れる依頼などほとんどない。


 で、あるならば。


「おっ、おおっ! なるほどなるほど、よく分かりませんけどあっしが大人気なんですね! むっふっふっふ。なんだなんだ、それならご協力は惜しみません! 依頼所はまだ開いてますよね?」

「……ということだ。この感じだとあっという間に潰れる」


 頼まれれば当たり前のように応じるこの少女が、ほとんどの依頼に呼ばれたらどうなるか。

 依頼者側は参加が任意であることで負担を軽減しているつもりだろうが、あの彼女にとっての任意は強制だ。


 わざわざ指定されるくらいだ。一定の水準以上の治癒担当者は希少なのだろう。

 昨日到着したばかりなのに、今日だけでふたつも依頼に参加することになっている。

 ベッドで意識を失っていたのは魔力か体力、あるいは両方が尽きていたのだろう。

 ふたつも依頼を請けた労力を考えると、今は空元気に見えてきた。


「なに? どうしておく? 縛り上げとく?」

「ひぃっ、……でも、でもですよ? お金が必要ならあっしが頑張らないと!」


 空元気だと信じたいが、先ほどまで休んでいたせいで復活してしまった恐れもある。

 いよいよ声量が気になり始めたところで、サクが注目を集めるように手を振った。


「そのことなんだが、悪いな。そもそも全員で泊れるような宿は見つからなかったんだ」

「ドラクラスってそんなに宿無いのかよ」

「いや、数はあった。むしろ多い方だと思う。それなのに、“2階”も見てみたんだが、私の探し方が悪いのか、埋まっている宿しかなかったんだ」

「……そういう問題もあるのか」


 イオリは納得したようで、軽く爪を噛んだ。


「このドラクラスには数多くの魔術師が集まっている。ドラクラスの街の特性上、外部からかなりの人が集まるようなことはなかったんだろう。招集をかけている以上、無策というわけではないだろうけど、住居スペースの取り合いはもう始まっているってことだろうね」


 アラスールが自分たちを呼んだのがどのタイミングかは知らないが、ドラクラス自体の引っ越しという大規模なイベントは前々から進行していたはずだ。

 自分たちを信用して説明する、とアラスールは言っていたが、彼女のことだ、万一漏れても影響が少ないからこそ話したとも考えられる。事前準備のフェーズは後半だろう。

 となるととうの昔にヨーテンガースの実力者たちはドラクラスに訪れ、条件のいい宿屋に泊っていることになる。

 そもそも自分たちは全部で7人の大所帯だ。都合よく開いている宿を見つけるのも難しい。


「あー、そういえば、キョンキョンたち、ご立派な宿に泊まっていましたね」

「誰だ……」

「依頼でご一緒した方たちですね。宿代が大変だーとおっしゃってました」

「呼ばれても行くなよ?」

「? ご招待されたので、遊びに行きましたが」


 そのキョンキョンとやらがどういう人物なのか知らないが、善良な心を持っていたことを祈るばかりだ。

 やろうと思えば容易く誘拐されていたであろうティアは、その宿を思い出しているのかこの部屋をきょろきょろと見渡し、アキラに曖昧な笑みを浮かべた。

 この部屋が狭いのはアキラのせいではない。


「そうそう。そこで聞いたんですが、皆さん、気を付けてくださいね。ドラクラスに集まった旅の魔術師の方々、ご立派な方が多いそうですが、危ない人もいるそうです」


 それは特にティアに言って聞かせたいところだったが、驚くべきことに今日最もドラクラスを知ったのは実際に依頼までしたティアらしい。

 エレナも呆れと動揺が入り混じった表情でティアの言葉を待った。


 そこで。


「……ん?」

「始まってる……? あ、すみません。遅れました」


 アキラの背後の扉が叩かれた。

 エレナがほっとしたような珍しい表情を浮かべる。

 話の腰を折られたのに目を輝かせるティアを座ったまま軽々と持ち上げて運び、間にひとり分のスペースを作る。

 ようやく保護者が来た、とでも言いたげな表情だった。


「あっ、エリにゃんにマリにゃん! 聞いてください聞いてください! 今まさに、あっしがお話ししてたんです!」

「え。ああ、本当にお待たせしてすみません。始めてくれててもよかったんですけど」


 エリサス=アーティとマリサス=アーティの双子が到着し、いよいよ部屋が飽和状態になった。

 エリーはエレナがぽんぽんと叩く隣に向かい、マリスは相変わらずの無表情でアキラの隣に立ったが、ふたりとも一瞬、部屋の窮屈さに眉を寄せたのを見逃さなかった。

 新鮮な外気に混ざって、清涼感のある香りが鼻孔をくすぐる。シャワーでも浴びてから来たらしい。


 ほとんど選択肢の無い位置にふたりが収まった頃、ようやくエリーの言葉の意味を理解したのかティアがむくれた。


「そう言ってやるなよ。俺たちも関心してる。ティアは今日、他の旅の魔術師と依頼を請けにいっていたらしいんだ」

「えっ、嘘でしょ!? 変なことされなかった!?」

「それで、なんだって? 危ない奴もいそうだって話だったか?」


 そのくだりはさっきやったで、アキラは先を促した。

 恐らく今日最大の功労者であるティアの扱いを雑にするのは申し訳なくなってくる。

 エリーは不安げな表情を向けてきたが、アキラが数度頷くと、とりあえずは口を噤んでくれた。


「てて、そうですそうです。なんかかっこいい感じのお話でしたね。あっし、お呼ばれされたのに、依頼の後で頭ふらふらしてたんですが」


 アキラに読唇術は無いが、エレナが小さく動かした口が、いつもじゃない、と言ったように思えた。


「何がかっこいいかというとですね、ヨーテンガースの旅の魔術師の中には、『武の剣帝』とか、『智の賢帝』とか、そういう呼ばれ方をしている人もいるそうです。二つ名って奴ですかね。めっちゃかっこよくないですか?」

「ほ、う?」


 どんな奴らがいるのかと身構えていたところで出てきた言葉に、アキラの思考が止まった。

 もしかしたら自分たちは時間を無駄にしようとしているのかもしれない。

 二つ名。

 アキラとしては興味が引かれる話だが、早速エレナが指をぱきりと鳴らした。


「……なるほど」


 ティアの命を救ったのはイオリだった。

 自分でもどうかと思うが、そういう話に心を躍らせるのはアキラやティア側だと思っていただけに、イオリが真剣に受け止めていたのは意外だった。


「どうしたよイオリ」

「……いや、ヨーテンガースの特徴を思い出していてね。魔導士の僕も聞いたことがある俗称だ。旅の魔術師でも能力や影響が大きい人間をマークすることがある。ヨーテンガースに向かったことは噂で聞いていたが、そこからは消息不明。……でも、そういう人たちは今もヨーテンガースを旅していて、この街に集まっているのか」

「そんな二つ名みたいなの持っている奴、本当に実力者なんだろうな?」

「……にーさんがそれを言うんすか。『日輪の勇者』」


 隣のマリスが呟いた。

 何も返せない。


 マリスも魔導士だ。イオリ同様、マークしている旅の魔術師はある程度知っているのだろう。

 ヨーテンガースにいた分、イオリよりも知っている者は多いかもしれない。


 ヨーテンガースの危険度は、他の大陸と一線を画す。

 他の大陸とは魔物の質がまるで違うのだ。

 だがそれは同時に、そのヨーテンガースを旅する魔術師たちも他の大陸と比べ物にならないということにもなる。ましてやヨーテンガースの南部ともなればなおさらだろう。

 自分たちは、魔族を退け魔門を破壊し、鳴り物入りでヨーテンガースに足を踏み入れたと思っているが、それよりも前にも、同程度、あるいはそれ以上の奇跡を起こし、ヨーテンガースに入った者たちもいる。

 エレナも以前言っていた。

 奇跡とさえ言われた魔門破壊。だがそれは所詮、“通行許可証”に過ぎないと。


「ああ、あっしもそのうちそんな感じで呼ばれたりするんですかね? へへへ、かっこいい感じだといいですね」


 先ほどの『無害なマスコット』では駄目だろうか。

 口をもごもご動かしにこにこしているティアを見て、同じことを考えていそうな者は他にもいる気がした。


「……あ! それでですね、その中でも警戒されている人が何人かいるそうです。『三魔人』とか、『雪だるま』とか。お会いしたいですよね」


 せっかく警告してくれたらしいのに、当たり前のように危険に突っ込もうとしているティアには呆れるが、アキラも興味が出た。

 『三魔人』の方は旅の魔術師ではないので、ティアの頭の中ではごちゃごちゃになっているらしい。

 ただ、『雪だるま』と呼ばれる危険人物は流石に気になる。


 アキラが若干呆れたところで、イオリが、マリスに視線を投げているのが見えた。

 魔導士同士で分かる話もあるのだろう。


「『雪だるま』って、危険人物なのか?」

「まあ、チャーミングな俗称だよね。……敵も味方も独自の魔術で凍り付かせて、首と手足を落としたところからきていなければ」

「……」


 閉口せざるを得なかった。

 ティアは口をあんぐりと開けている。


「事故で処理されているらしいっすけど、依頼主や同じ依頼を請けた旅の魔術師も被害に遭ったことがあるとかなんとか。噂は噂っすけど、」

「……ヨーテンガースの旅の魔術師、だもんな」


 大げさに受け取った方がむしろ正確かもしれない。

 何の気なしに同じ依頼を請けたら、明日の朝日を拝めない。山の中のドラクラスに日の出は無いが。


「まあ、良し悪しはともかく、俗称が付くのはそういうレベルの魔術師だ。各自例外なく警戒してくれ。僕も改めて調べておくよ。ヨーテンガースの情報は他の大陸だとほとんど出回らない。死亡説が流れている危険人物も、当たり前のように隣の部屋に泊っているかもしれない」


 軽率なティアを脅す意味もあるだろうが、イオリの声色は真剣だった。

 ティアは恐る恐る壁を見ては身体をカタカタと震わせている。

 アキラも聞いていてぞっとした。


「じゃ、じゃあ、もっとやばめの話を聞いた気がします」


 ティアが震えた声で呟いた。


「危ない人の中でもよくお話に出てた気がするのが……『破壊の魔術師』」


 エリーがぴくりと動いた。

 突如として分かりやすく危険な言葉が出た気がする。

 『雪だるま』でそれなら直接危険を表現しているそれはどうなるのか。


 イオリとマリスが顔を強張らせる。

 やはり魔導士の中でも警戒対象らしい。


「そんな人たちと一緒に依頼を請けたら殺される、なんてキョンキョン言ってましたよ。……はっ、そう考えるとあっしを誘ってくれた人たちの中にいたのかもしれません」

「……ね、ねえ。やっぱり、できる限りみんなで一緒に依頼を請けない?」


 エリーがアキラに助けを求めるような視線を向けて呟いた。

 彼女の手には、イオリから渡されたらしいティアの依頼書が握られている。

 ティアがあらゆる依頼で引っ張りだこな現状に危機感を覚えたのは彼女も同じらしい。


 皆で同じ依頼を請けるというのは、昼に、グリンプから依頼の優遇者の話を聞いたあと、彼女とした話だ。

 あのときは、優遇者を軸に考えると、恐らく指定されるであろうアキラ宛の依頼を全員で待つことになると否定的だったが、旅の魔術師の中にそんな危険人物が混ざっているとなると再考せざるを得ない。


「……そうだな。依頼書を見るに、俗称の方は分からない。さっきイオリが言ってたみたいに、参加する魔導士隊にも注意を払った方がいいんだろ? そんな中で『雪だるま』や『破壊の魔術師』なんて危険人物と一緒に依頼を請けたら、“事故”で殺されかねない」

「……いや、まあ、所詮は俗称さ。誰かが適当に付けてるんだよ」


 イオリが乾いた声を出した。


「話題になったことから誰かが適当に付けてるだけなんだから、実のところ無意味なものがほとんどさ」

「? 何だ急に。どうした?」

「イオリさんの言う通りっすね。そういうのは当てにならないものなんすよ」

「『雪だるま』の件はどうしたよ」


 マリスがそっと目を逸らした。

 イオリに例外なく警戒しろとか言われたような気がするが、魔導士のふたりの意見は一致しているらしい。

 エリーも急変したふたりの様子に怪訝な表情を浮かべていた。


「まあ、そっちの話は今後詰めるとして。エリサスの言う通り、僕たちは極力同じ依頼を請けた方がいいだろうね。ほら、宿も別だし、エリサスやマリサスとも一緒の時間を作りたい」

「あ、ありがとうございます。あたしもしばらくはみんなで予定合わせられないかって相談しようと思ってました」


 えー、と分かりやすくぐずったのはエレナだった。

 エリーもイオリも予想していたのか深くは触れず、お互いに頷き合う。

 エリーの瞳には、同じことを考えてくれていたイオリに対する敬愛の色が映っているが、アキラの認識している限り、最も単独行動を取っているのはエレナではなく、どの街でもやたらと働き続けるイオリの方だった。


「で。エリサスたちの方はどうだったのかな。今日街を周ってみたんだろう?」


 エリーと、そしてマリスの同じ顔が、ゆっくりとアキラに向いた。

 アキラはふと考える。

 ふたりが遅れてくるなら、ふたりが知っている話からすべきだったかもしれない。


「ああ、言いそびれていて。先にそっちの話を済ませとけばよかったか」

「嘘でしょ。終わっているものとばかり……」


 イオリが首を傾げた。

 エリーが、さも申し訳なさそうにイオリに向き合う。


「あの、実はあたしたち。……ドラクラスの三魔人の方々に会っていました」

「…………」


 ホンジョウ=イオリもそうだったが、それを真似してアキラも、予知能力があると嘘を吐いてみたことがある。

 だからどうしたというわけではないが、アキラは、今からイオリが珍しく怒鳴りつけてくる未来が視えた。


―――***―――


「コーヒーをお持ちしました。オプションになりますが、砂糖とミルクをお付けしましょうか?」

「ありがとう。……毎度のことだけど、それ別料金扱いのものなのか?」


 にっこりとした無表情にやんわりと断り、アキラは運ばれてきたコーヒーにそのまま口をつける。

 日に日に苦くなっている気がした。

 このままいけば、いくらかかるか分からないオプションとやらを頼むことになりそうな嫌な予感がする。


「受付さん。そういや、この店料理とかあるのかな」

「ご用意いたしましょうか? 落ち着いたものがいいでしょうか。賑やかなものがいいでしょうか」

「? ……まあ、落ち着いたもの? ……で表現合ってるのかな」

「今しばらくお待ちください」

「ん? 出かけようとしている……?」

「だぁぁぁあああっ、待ちな受付さん!! あんた、飯なら表通りで食ってきな」


 活気のいい老婆の声が狭い店内に響いた。

 機械のように扉に向き合った受付さんは、またくるりと周ってアキラを見ると、そのまま定位置へ向かってぴたりと止まる。

 いつどの角度から見てもにっこりとした無表情の彼女を未だに不気味と思ってしまうが、最初の頃よりは慣れたような気がした。

 失礼だが、そういう人形だと思い込んだ方が精神衛生上いい。


 アキラたちがドラクラスに到着しておよそ半月が経過していた。

 最初こそドタバタとしていたが、日に日に行動が安定してきたような気がする。

 本格的に依頼が始まるのがいつなのかと身構えていたが、その緊張感も日々の中に埋もれていった。


 結局は、宿に泊まり、依頼を請け、と、旅の中でしてきたことと変わらない。

 時折妙な放送が流れること以外は他の街と同じで、物価の高さに目を瞑れば必要なものはすべて揃う。

 混雑した商業区などの賑わうエリアもあれば、緑の多い公園や住民向けの個人商店がぽつりぽつりと置かれた落ち着けるエリアもある。

 住めば都とは言うが、それを差し引いてもドラクラスは恵まれた環境だ。


 密封された空間という先入観も大分薄れた。ドラクラスの空気は澱んでおらず、たまに依頼で外に行っても差は感じられなかった。

 むしろ季節の影響を受けにくいという利点があるドラクラスの方が優れているかもしれない。

 元の世界で、快適な室内にいて引きこもりになっているような感覚を味わうが、それも先入観だろうか。


 そんな日々の中、アキラの習慣は、この喫茶店で過ごすことになっていた。

 ドラクラス2階で最も賑わっていると思われる商業エリア。

 その中の、見逃しそうな裏道を進んでいくと、時間を忘れたような寂れた喫茶店がぽつりと開いている。

 小さく、静かで、がらりとしたこの店は、趣のある雰囲気のいい店だった。


 その店の主、ルックリン=ナーシャは、元の世界でもたまにある、個人営業の食事処のように、客席で乱雑に散らばらせた書類と睨めっこしていた。


「危ない危ない……。いいかいあんた、受付さんに初めてものを頼むときは私を通しな。その娘は加減ってものを知らない」


 眼鏡を額に上げ、ルックリンはアキラを叱るようにじっと睨む。


「まだ昼には早いだろう。腹減ってるのかい。朝飯も食わずに来るなんて、何やってるんだい」


 ルックリン=ナーシャという人物は、こうして見ると、ただの世話焼きな老人としか思えない。

 アキラがこの店を訪れると、あれやこれやと口を出してきて、不摂生を咎められている気がする。


「なんかあったかね……。昨日のスープの残りなら奥にあるけど、それじゃあ胃に溜まんないだろう」

「あ、いや、大丈夫です。朝も食べたし、何となく聞いてみたかっただけなんで」


 腰を浮かしかけたルックリンを申し訳なさから慌てて止めて、アキラはまたコーヒーに口を付けた。

 この店は喫茶店の装いをしているが、ルックリンの本職は店長ではない。

 本業は占い師であり、ドラクラスにいる絶大な権力者、ドラクラスの三魔人のひとりである。

 それなりに付き合ってもまるでそうは見えない。


「御要望でしたら取り揃えます。“どのような店をご希望ですか”? ルックリン氏より、資産の購入については金を湯水のように使っていいと承っていますので」


 ただひとつ。とてつもない金持ちだということだけは知っている。


「言っちゃあいないよ! ……いや、言ったことはあったかもしれないが、それは例えだよ。いいかい受付さん」

「…………」

「都合の悪い話は耳を塞ぐんじゃないよ。ったく、せめてこの店はこのままにしといてくれ」


 どうやら今、アキラが何となく口走ったことから、この店が飲食店に改装されかけていたらしい。

 たまに出る、そうした会話から、“それが実現できてしまうから”こその緊張感をルックリンから感じることがある。

 この店の雰囲気や、ルックリンの金銭感覚から、やはりそうは見えないのだが。


「それで、あんた。今日は非番なのかい? 律儀に来なくていいんだよ。たまには外でも歩いてきな。せっかくの休みだろう」

「でも……なあ。特にやることもないんですよ」


 アキラがこの店に訪れるようになったのは、いくつか理由がある。


 そもそもの発端は、アキラが依頼の無い日、ドラクラスを散策しようと出歩いていると、この受付さんと呼ばれる名前も知らない女性にばったりと出くわしたからだった。


 相変わらずの表情に背筋が凍ったが、知らない相手ではなかったので軽く挨拶だけして歩き去ると、何を言うわけでもなく、アキラの後ろをぴったりとついてきたのだ。

 見た目だけなら見目麗しい彼女だが、姿勢をぴしっと伸ばし、汗ひとつかかず、にっこりとした表情を微塵にも崩さず、機械のように正確に歩く姿を見ると本当に人間なのかと疑いたくなる。

 何か用かと尋ねても完璧に首を振るだけの彼女を前に、恐怖と、どうしようもなさを感じたアキラは、助けを求めて彼女の居場所と思われるこの店に向かう羽目になったのだ。


 店を訪れると、今と同じようにルックリンが書類と睨めっこをしていて、アキラの顔を見ると、釣れたのはあんたかい、とでも言いたげな表情を浮かべた。

 どうやら受付さんの理解しがたい行動は、客引きだったらしい。

 受付さんの身なりは目立つ。聞くところによると彼女は、知る人ぞ知る、ルックリンへの依頼者のための撒き餌なのだそうだ。


 アキラは占われたいわけではなかったので、そのまま去ろうとしたのだが、ルックリンが待ったをかけた。

 時折店に立ち寄って好きにしていていいと言われたのだ。

 ルックリン曰く、日輪属性のアキラがいれば、特殊な事情を抱えた、つまりは金を落とす客が来る確率が上がるかもしれないらしい。


 そんな招き猫扱いになるのも、『三魔人』と呼ばれる相手に関わるのも極力避けたかったが、飲み物が無料なのと、アキラの方にも事情があってご厚意に甘えることになった。


 ヒダマリ=アキラは、色んな人から、色んな注意を受けている。

 その中でも比較的重要なものは、この街にいる特定の人物と深く関わるなというものだ。


 だが、日輪属性の運命を引き寄せる力が働くのか、ひとたびドラクラスを歩けば主要な人物と出くわすことになる。

 そもそも最初の散策も、極力何かに巻き込まれなさそうで時間が潰せる場所を探し出すのが目的だった。


 結果、今日も今日とてにっこりとした無表情に見られている。

 コーヒーが苦い。


「ところであんた。依頼の方はどうなんだい」

「え? ああ、昨日は俺の番で……、特に何も。なんか思ったより人が集まったらしくて暇だったけど」

「は、大衆の野次馬根性はどこでも一緒だね。顔も割れてきたんじゃないのかい」


 依頼と言えば、最初の予想で、外れたものと当たったものがある。


 ドラクラスの依頼には、優遇者という、参加すれば報酬が優遇される旅の魔術師が指定されることがある。

 当初、そういったものを引き当てるヒダマリ=アキラが指定されると予想したが、今までアキラが指定されたことはなかった。

 勇者とはいえ、旅の魔術師である。

 その他の旅の魔術師と何が違うかと言えば、打倒魔王を目指しているかそうでないかでしかなく、比較対象がヨーテンガースの旅の魔術師となると戦力的には大きな開きは無いのだろう。

 最初に受けたドラクラスの周囲の森林の魔物討伐依頼でも、全員が淡々と働き、アキラを含め参加者の誰にも特に大きな活躍はないまま問題なく終わった。


 一方で、予想通りだったのはアルティア=ウィン=クーデフォン。

 治癒者という人気もそうだが、ティアの行動は全員の予想にぴたりとはまった。

 荒ぶる猪のように、声をかけられれば依頼の直後だろうと次の依頼へ即座に走り出し、エレナが首輪とリードの購入を真剣に考えていた。

 今や稼ぎ頭となっているが、見張りがいなければ継続不可能な彼女の働きに、面々は持ち回りで彼女と依頼を請けることになっている。


 そういえば、と考える。

 一応アキラも強力な治癒魔術を使えるのだが、何故指定されないのだろう。

 加えて言えば、マリスもだ。彼女は魔導士隊から身を引くようなことを言っていたが、まだ完全には旅の魔術師として認識されていないのだろうか。


「私の耳にも届いているよ。ヒダマリ=アキラがどの依頼所を懇意にしているかってね。同じドラクラスに日輪属性がいるんだ。そりゃあ興味も出るってもんさ」


 ルックリンの耳は早い。ドラクラスで起こったことで知らないことなどないだろう。


「やっぱり、ヨーテンガースでも日輪属性は少ないのか」

「少ない少ない。というか珍しく、その辺りの常識は他の大陸と同じだね。日輪属性なんてのは、なんなら具現化の使い手よりずっと少ないさ」


 発言出来たら奇跡と言われる具現化。このドラクラス自体も、大昔の偉人の具現化だという。

 それよりも希少で、数奇な運命を引き寄せる日輪属性。

 ドラクラスに来たばかりのとき、『三魔人』から呼び出されたのも、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。


 昨日、暇だということも手伝い、同じ依頼を請けた人とよく話した気がするが、彼らはもしかしたらアキラ目的で同じ依頼を請けてくれたのかもしれない。


 そして、その中に。


「そうだ。ルックリンさん。『雪だるま』って知ってます?」

「んー? どうしたんだい急に。今まであんたと同じ依頼を請けた奴にはいなかったはずだけど」


 違和感を覚えた。

 様子を聞いてきたわりに、アキラが請けてきた依頼のことすら知っている様子だった。


「いや、危険人物とか聞いてて」

「ひひっ、私に言わせりゃヨーテンガースの旅の魔術師なんてみんな危険人物さ。南部に来るようないかれた連中、いちいち気にしちゃ身が持たないよ」


 ルックリンのことで、分かったことがある。

 彼女がこういう言い方をするときは、何をどう聞いても答えを教えてくれない。

 他にも聞きたいことを聞いてみたのだが、同じようにはぐらかされた記憶がある。

 後ろ暗いことでもあるのかと勘ぐったが、その情報は雑談程度で口にはできない商品なのかもしれない。

 彼女が売りつけようとしてこないということは、アキラでは払えない金額なのだろうか。

 もしかしたら言葉通り、気にするなと言ってくれているだけなのかもしれないが。


「じゃあ他になんか知ってることあります? なんだっけ、あとは、そう。『破壊の魔術師』とか」

「……へ?」


 軽快に笑っていたルックリンの目が点になった。

 寂れた喫茶店がシン、となる。

 時が止まったのかと思ったが、むしろ動かな過ぎる受付さんのお陰で、ルックリンの意識があることは分かった。


 そこで。


『……はい。いきます。大丈夫。……ふう。皆様こんにちは。本日夕方頃、再度ご連絡します。です。……よし。終わり』


 今度はアキラの目が点になった。

 ドラクラスの日々と切り離せない、このミルバリー=バッドピットの放送が突如流れた。

 ミルバリーは、アキラが深く関わるなと言われた、ドラクラスという具現化を唯一操れる重要な存在である。


「なんだろうな……、この感じ」

「今日は歌い出さなかっただけましかね……。何も伝わってこなかったけど」


 単純にまだドラクラスに慣れていないだけなのか、放送があると、アキラはいつも不安になる。

 かつて具現化を操っていたアキラは、具現化というものが、持ち主の意志で瞬時に出したり消したりできるものだと知っていた。

 本来の持ち主でないミルバリーにはできないのかもしれないが、彼女に何ができて何ができないのか知らないアキラからすると、突如ドラクラスが消失する可能性さえ脳裏を過る。


 昨日か一昨日は、誰かが放送は注目を集めてから話始めるべきと伝えたらしく、インターバル・シグナルのつもりか、彼女が自前で上手くも下手でもない歌声を披露してくれた。

 その歌だけで放送が終わったとき、アキラは、ドラクラスの外での野宿を本気で検討した。


「まあ、私は知ってるけど、あの鳥頭じゃちゃんと伝えられるかどうか」

「え? さっきの夕方になんか言う、って話を?」


 話の流れが変わってしまったが、ミルバリーが放送するということはそれなりに重要な話のはずで、重要ならばミルバリー以外から聞いた方がいい。

 ルックリンは散らばしていた書類を整えると、まとめて椅子の横に置いたカバンに放り込んだ。


「BだかA……、ああ、もうどうせ夕方には知られるね。指定Bの依頼があるのさ」

「B? それって……、依頼書に書いてあるCとかの?」

「なんだい。知らないで請けていたのかい。……ああそうか、あんたらが来てからはCばかりか」


 今までの旅の中、そうした序列のようなものがついている依頼書は見覚えがない。

 もしかしたら見逃しているだけなのかもしれないが、ドラクラスの依頼書にはそのほとんどに記されていたことだけは覚えている。


「難易度とかそういう?」

「んん? まあ、厳密には違うが、それに近いかもね。大したことじゃない。ほら、指定される優遇者がいるだろう? 優遇者がC指定だけの場合、優遇者が集まっても集まらなくても依頼自体は成立する。B指定の優遇者がいる依頼は、指定された奴が指定数以上いなければいったん不成立で再考、って感じさ」


 ティアがよく指定されているのは、治癒担当者としての“役割”が指定されるからである。

 同じ役割の旅の魔術師を候補として指定し、何名まで優遇、という形の依頼が多い。

 今までアキラが目にしてきた依頼はCとなっていた。

 多くは治癒担当者が指定されていたが、他の依頼との兼ね合いのせいか、治癒担当者が来てくれなかったこともある。

 つまりは、いると助かるが、最悪いなくても構わないというのがCなのだろう。

 簡単な依頼であればあるほど、治癒担当者がまさにそれだ。


 そしてBは、誰が集まらなければ依頼自体が成立しない。

 ルックリンは厳密には違うと言ったが、ほとんどその通りなのだろう。

 例えば治癒担当者が最低ひとりいなければ依頼が成立しないとなると、その難易度は高いことになる。


「そしてA。指定した者が“全員”いなければ依頼自体が再考になる。要は、必須メンバーってところだね。まあ、あの鳥頭が言いたかったのはそういうことさ。『現在B指定の優遇者を選定中。夕方にB指定の者を放送する』ってね。指定Bで、予告までわざわざ放送するってのは念入りだねえ、まあ、“今回はしょうがいないか”」

「……? まあ、でもそんな感じなら、やっぱり自由参加とかにしないで、せめてそのBとかAに選ばれる奴は引っ越しが終わるまで雇った方がいいんじゃ」

「その辺りはグリンプの坊やの考えさ。あの子の考えそうなことさね」

「?」


 ルックリンは薄く笑うと、今度は呆れた様子でアキラを見た。


「それにしてもあんた、本当に知らなかったのかい? お仲間に知っている子もいるはずだよ」

「それが最近あんまり話せてないんで……」


 極力同じ時間を作ろうと約束したのだが、実のところ、全員で集まれたことは数えるほどしかない。

 基本的に出ずっぱりのティアを中心に、彼女のお目付け役を考慮したシフトを組むと、思った以上に同じ時間が取り辛くなった。

 今もある程度は念のためと、いつ指定されるか分からないアキラのシフトは軽めに調整されているが、そのアキラが災いを避けるようにこのルックリンの店で時間を潰しているのも原因かもしれない。


 狭い宿の部屋に集まるというのも億劫で、エリーとマリスに至っては別の場所で寝泊まりしている。

 エリーは集会を定例化したがっていたが、もともと面々が自由奔放である上にそれでは、形にならなかった。

 恐らくほとんどの者が、何かあったら集まればいいと思っているだろう。


「まあ、もう少しドラクラスに慣れれば都合も合うんだろうけど……」

「あー、宿問題かい」


 ルックリンの目が怪しく光った気がした。


「この前一緒に来たふたりは別の魔術師隊の予備の宿舎に泊ってるんだったね。それじゃあ全員で会うのも難しいか。……仕方ない、一肌脱ごうかね」


 そのふたりどころか大体の仲間と依頼のときしか会わない日もあるのだが、口を挟めなかった。

 にんまりと笑っているルックリンは、悪巧みをしているように見える。


「ちょいと。悪い話じゃないよ。あんた、モグラの止り木に泊まっているんだろう。あそこは立地の良さに胡坐をかいて、人を詰め込めるだけ詰め込む宿屋さ」


 そんな名前の宿屋であることを今知ったが、特徴は合致する。

 アキラがこのルックリンの店に来るのも、部屋で休まろうにもあの宿の居心地が良くないからでもある。


「とはいえ、他の宿は7人も開いているところなんてほとんどない。なら、いい考えがある」

「と、いうと?」

「買うんだよ、家を」

「は?」


 色々なものが頭を過ったが、ルックリンの目が光った気がしたのは、どうやら商売の話だったかららしい。


「家って、このドラクラスに?」

「そうともさ。この引っ越し、それなりに長く続く。宿代考えたら大して変わらないさ」


 商人が何かを言っている。

 と、聞き流すことも考えたが、確かにサクが、物価が高いと言っていた。

 このドラクラスに来てすでに半月。ティアのお陰で賄えているが、流れた金は多いだろう。


 しかし家。

 そう言われると、妙にピンとこなかった。

 旅の魔術師は根無し草のイメージがあり、そんな大きな資産を買うイメージはまるでない。

 誰かが資産のためなら金を湯水のように使えと言っていた気がしたが、同じようににっこりと笑うことはできなかった。


 そして、ヒダマリ=アキラにとっては、そうした、人生の目標とも言うべきものは、頭の中から放り出しているものだった。


「まあでかい買い物だ。よく考えるといい。家っていうのが想像し辛いなら、拠点と言い換えてもいい。現に、この騒動でドラクラスに来た旅の魔術師の中にも、家屋を貸してやっている奴らもいる」

「……」


 そう言われると、悪い買い物ではないような気がしてくる。

 だが、目の前にいるのはルックリン=ナーシャ。

 巨万の富を持っている彼女は、稼いだからこそ金持ちなのだ。

 世話焼きの老婆というアキラのイメージは、的外れか彼女の一面に過ぎず、金を搾り取ろうとしているような気がしてくる。


「ま、まあ、みんなにも言うだけ言ってみる、けど」

「は。勇者様ともあろう方が消極的だね。あんたが一声かければ決まるだろうよ。資金も随分あるんだろう?」

「……」


 普通の人に見えるのに、話しているとたまに怖くなる。

 そういう感覚はドラクラスで何度も味わった。

 確かに今、アキラたちはそれなりの資金がある。

 かつて寄贈されたものだが、今まで極力使わないように、サクが存在を秘匿しながら、管理というか仲間から守り続けている。

 ルックリンはあたかもそれを知っているかのような口ぶりだった。


「この騒ぎが終わったらあんたらの旅の終点も見えるんだろう? ぱあっといきな」

「……」


 どくり、と、心が蠢いた。


「ま、あんたが私をどう思っているか知らないけど、もし家を買うなら私からだよ。ドラクラスででかい買い物をするなら、私が一番得をさせられる」

「本当、に?」

「私が何で金持ちだと思っているんだい。誰もが私から買うからさ」


 妙な説得力があった。

 詐欺まがいの料金を請求していたら、誰もが彼女から買わないだろう。

 選ばれているということは、消費者にとって得をするものであるとも言える。


「オプションになりますが、家の世話係などいかがでしょう?」


 ついでに給仕もついてくるらしいが、こちらの方の価格設定は全く信用できなかった。

 ルックリンは商談を邪魔されたかのように渋い顔をした。


「……ま。受付さんはともかく、その気になったら言いな。ここで私に貸しを作ったことが効いてくる」


 それなら無料で、と言いかけたが、そういう次元の買い物ではないだろう。

 ルックリンにしてみれば端金かもしれないが。


「さて」


 ルックリンがゆったりと立ち上がった。


「出かけるんですか?」

「ああ、今日は大型搬入があってね。スレイル商会は去年品質不良を起こしている。金儲けの匂いがぷんぷんするね。店仕舞いだ、いくよ受付さん」


 どうやら今日はここで時間を潰せないらしい。

 アキラが腰を浮かすと、受付さんが正確にまっすぐ接近してくる。

 以前は身構えたが、彼女はただ、空いたカップを下げに来てくれているだけだった。


「あんたも、たまには外でも歩いてきな」

「ううん……、でも、何が起こるか」

「あんたも気にするねえ。ミルバリーの馬鹿は今頃こってり絞られてるさ。それに、羨ましいね。特に何をするわけでもなく何かの機会を得られるなんてね」

「……」


 アキラもこの世界に来た当初はそう思っていたし、深刻にとらえているというわけでもないが、このドラクラスに至ってはわざわざ忠告までされている。

 だから極力守ろうとしているのだが、ルックリンの言葉を聞くと、外を歩きたくなってきた。


「じゃあ、ごちそうさまでした」

「あいよ。またおいで」


 景気のいい声に背中を押され、アキラは店を出た。

 空は、マジックアイテムの光源なのに、澄み渡る青空のように輝いている。


 ドラクラスは広い。

 せっかくの休日に、室内に閉じこもっているのも勿体ない気がしてきた。

 誰に会おうとも、ルックリンの言う通り、いい機会だ。


 異世界に来たときの初心を思い出し、アキラは、ぐっと背伸びをして、喧噪の聞こえる大通りへ歩き出した。


―――***―――


「勇者様。お久しぶりです」

「……やあ」


 このドラクラスには、重要な人物が何人もいる。

 ルックリンを含めた『三魔人』やドラクラスを操るというミルバリー=バッドピットもそうだが、未来を含めたすべての情報を手に入れられるという『接続者』もあるいはそれと同程度以上に扱われているらしい。

 その『接続者』の居場所は秘匿されているそうだが、目の前の女性だけは例外らしい。


 『代弁者』フェシリア。

 アキラがこのドラクラスに来たばかりの頃、早速出くわしてしまい、その後極力関わらないように過ごしていた人物である。


「お忙しいみたいですね。……なかなかご挨拶できずにすみません。本日は……?」

「散歩、していただけだけど」


 彼女については、小柄な体格に束ねた金の髪が印象に残っていたが、対面して、やや俯きがちな様子の方が特徴的だったとアキラは思い出した。

 ただの挨拶をしているだけなのに、上目遣いで口元に愛想笑いを浮かべている。


 フェシリアと出くわしたのは、暇を持て余している誰かを求めて1階の宿に戻ろうと、“柱”から降りてきた瞬間だった。

 宿に辿り着けもせず、早速これかと頭を抱えかけたが、小動物のような怯えが見え隠れするフェシリアを前にそうした様子を見せるのも憚れる。

 だが、極力失礼の無いように応答しようと考えていたせいか、わざわざ自分が暇であることをアピールしてしまった。


「ええと、そっちは?」

「同じです。……暇な時間が増えまして」


 後半部分は、声量を落として言った。

 普段魔導士隊やら何やらから予知の依頼を請けているらしい『接続者』は、現在、口を閉ざしているという。

 この引っ越し騒動が決着するまではフェシリアも暇になるのだろう。

 となると。


「少しお話しできませんか? ご意見を伺いたいことがありまして」


 お互い何か用があればあっさりと別れられただろうがそれは叶わないらしい。

 フェシリアは以前、アキラに話があるようなことを言っていた。

 歩くだけで機会に恵まれることをルックリンは羨ましいと言っていたが、ドラクラスの根幹に関わる人物と軽々しく話すのは危険なような気もしてくる。


 と、そこまで考えてしまい、アキラは頭を小突いた。

 最近、良くない方向に考え過ぎている。

 トラブル上等。

 自分の都合で、相手を腫物のように扱うなど、それこそフェシリアに対して失礼だ。


「俺でよければ」

「ありがとうございます。では、歩きながらでいいですか?」


 アキラが“柱”から出てきたのを気にしてか、フェシリアは“柱”に背を向けて歩き始めた。彼女は2階に用があったのかもしれないと考えると申し訳ない。

 だが、正面から見るとおどおどとしている様子だったが、後ろから見ると力強く歩いているように見える。


「……普通に出歩いていても大丈夫なのか?」


 フェシリアに並び、アキラは彼女にだけ届くように声量を落として言った。

 ミルバリー=バッドピットに深く関わるなと言われたのは、彼女がドラクラスの根幹に関わる存在で、もし誘拐でもされようものならドラクラスが致命的な打撃を受けるからだ。

 その理屈でいくと、同じような重要人物である『代弁者』も姿を隠すように過ごさなければ危険のような気もするが、フェシリアは顔を隠すわけでもなく往来を歩いている。


「少し怖いときもありますけど……、問題ないです。重要なのはあくまで『接続者』ですから」

「!」


 思わずアキラは周囲を窺った。

 人がまばらな通りに入ってはいるが、誰が聞き耳を立てているか分かったものではない。

 安全を確認し、ほっとしてフェシリアを見ると、くすくすと笑っていた。


「ですから、大丈夫ですって。多くの人は、『接続者』の存在自体、精々噂でしか聞いたことがない。そして、知っている人は、『代弁者』には絶対に手を出さない」

「それ、は?」

「だって、私に何かしたら、生きてドラクラスを出られません」


 アキラはさりげなくフェシリアから距離を取った。すると彼女は、同じ距離を詰めてくる。

 背筋に嫌なものが伝ったが、フェシリアがまた、くすくすと笑っているのに気づいた。


「冗談ですよ。そもそも私は、基本的には魔導士隊も知っている話しかできません。人質にされたとしても、『接続者』が新たな『代弁者』を選ぶだけです。すでに候補者も幾人か指定されていますね。そちらの方こそ極秘です」


 どうやらからかわれたらしい。

 おどおどとしているようで、意外と胆力がある。

 フェシリアは周囲の様子を窺うこともなく、堂々と重要な言葉を吐き出していた。


「でも、『接続者』の場所は知っているんだろ?」

「おや。勇者様、ドラクラスの機密事項、お聞きになりたいですか?」


 いつの間にか地雷原に飛び込ませられていたような気分を味わった。

 一瞬慄くが、フェシリアの表情から、先ほど同様、からかわれているだけだと気づいた。


「まあ、その辺りはご心配なく。私を尾行しても、辿り着くのは無理でしょう。道中も魔導士の方々やらなにやらが警備していますから」

「なら、普通に暮らせてはいるのか」

「ええ。昼には友達と食事の約束もあります。監視で雁字搦めの生活を送っていると思っていました?」


 朗らかに笑うフェシリアの様子を見て、アキラは安堵した。

 彼女も彼女である程度不自由のない人生を送れているらしい。


 やはり気にし過ぎていたようだ。

 実際、『三魔人』のルックリンと頻繁に顔を合わせているアキラだが、特に何も起きていない。

 重要人物だからと距離を取ろうとしていたのは極端だったのだろう。


 ルックリンやフェシリアと実際に話してみれば、どのような呼ばれ方をしていても、その人自体は普通の人だという印象を受けた。

 もちろんそれぞれ特別な能力や事情があるが、それは誰もがそうだ。

 だから普通に話せるし、付き合える。


 人と自然と出会える日輪属性が羨ましいというルックリンの言葉もよく分かった。

 今まで引きこもっていた時間がもったいなく思えてくる。


「まあでもあれ以来、私のことを守ってくれているんでしょうが、視線がくすぐったいこともあります」

「ん?」

「たまに魔導士の方が様子を見に来てくれていることがあるんですよ。今日は……、いないみたいですね」

「あれ以来って、何かあったのか?」

「以前、どこかの記者の方だと思いますが、『接続者』の最新情報が欲しかったらしく、いきなり街中で私に尋ねてきて」

「そりゃ怖かったんじゃないか? やっぱり知っている人は知っているんだな……」

「ええ。……その後彼の姿を見てはいませんが」


 また一歩距離を取ると、同じだけ詰めてくる。

 より俯いているせいで、今度は表情が見えない。

 アキラはこれ以上その話を続けないことにした。


「俺に聞きたいことがあるとか言ってなかったか?」


 強引に話題を変えたところで、フェシリアは口元に手を当てた。


 アキラが知識面で役立てることはほとんどない。

 あるとすれば異世界の話だが、ほとんど交流の無かったフェシリアがわざわざ話があるとまでアキラに言ったのだから、興味本位ではないだろう。


「『接続者』の話です」


 今度は、流石にフェシリアも周囲を軽く窺った。

 歩きながらの話というものは、往来でも意外と聞き取りにくいもので、だからこそフェシリアは歩きながら話しているのだろう。


「ご存じですよね。今、『接続者』はこれまで以上に外部との接触を断っています。予知の依頼もまるで受け付けず、ただ、このドラクラスの大移動が終わるのを待っているようです」

「……」


 その話は聞いていた。

 だが、アキラにしてみるといまいちピンとこない。

 『接続者』とやらの人柄も知らないアキラにとって、フェシリアが言っていることは、この街のどこかで誰かが引きこもっているという、どこまでも他人事の話でしかなかった。


「すみません、突然こんな話を。ええとですね、想像していただくしかないんですが、今まで数日置きくらいに私が訪ねて、身の回りのお世話をさせていただいていました。まあ、簡単な掃除とかお食事の準備とか、ですが」


 アキラの脳裏に一瞬、給仕服姿の無表情な笑顔が浮かんだ。

 それをもみ消し、フェシリアの姿をさりげなく窺う。

 引きこもっている『接続者』の家政婦のようなことを彼女はしているらしい。


「ですがこの一件が始まってから、……私ですら家にも入れてもらえません」


 フェシリアが、いつの間にか束ねた髪を前に持ってきていじり始めていた。

 前も見た、彼女の癖のようなものだろう。気が落ちたときの仕草かもしれない。


「……無事、なんだよな?」

「え、ええ」


 彼女は呟くように言った。

 そしてまたちらりと周囲を窺う。


「扉越しには話せています。私が家の前に置いた料理や食料は無くなっていましたし、ゴミも出ていました。今まで通りの生活はしている、とは思うんです。ですが、今までの仕事……、予知に関してはまるで返答がなくなってしまったんです。……“あの件”があってから」

「……“魔王の弟”、ってやつか」


 『光の創め』にばかり気を取られていたが、『接続者』を狙う存在は他にもある。

 “魔王の弟”。

 正体不明のそれは、何故かこのドラクラス宛に、『接続者』の身柄を押さえるという犯行予告を出したらしい。


「本当にそれが理由なのか? 俺もそれなりにドラクラスの要人に会ってきたけど、なんか気にしている奴少ない感じがしたけど」

「え?」


 フェシリアが意外そうな表情を浮かべた。

 だが事実、アキラが覚えている感想はそれだ。

 ドラクラスの引っ越しという大事や、ドラクラスでの注意点などの話は聞いたが、具体的に“魔王の弟”について深く話を聞いた覚えはない。

 最初にアラスールに話を聞いたときは、アキラも、そしてアラスールも一定程度の信憑性は感じていたが、このドラクラスの日々の中埋もれてしまうほど希薄な存在だった。


「……そう、ですか。魔導士隊での報告会だと……、あ、いや」


 フェシリアが髪を弄って口を固く閉じた。

 彼女は魔導士隊の報告会に参加しているらしい。彼女にとって、むしろその内容の方こそ口にできないものだろう。


 どうやら“魔王の弟”とやらは、アキラの知らないところ、具体的には魔導士隊の方で調査を進めているらしい。

 『三魔人』のグリンプもそんなようなことを言っていた。


 “魔王の弟”。

 アキラにとって、あるいは『接続者』以上に正体が知れない相手だ。

 他に優先すべきことが多い上、気にばかりしていても仕方ないと真面目に考えていなかったが、魔導士隊が関わっているとなると最低限は警戒すべきかもしれない。


「で。それはまあ、いいんですが」


 フェシリアは露骨に話を元に戻そうとしていた。

 暗に彼女が魔導士隊の報告会とやらにいることを忘れてくれと言っているらしい。

 人によっては、替えが効くらしい『代弁者』という役割より、魔導士隊の機密事項を知っている人物の方に価値を感じるだろう。

 そちらが広まった方が危険だ。


「予知をしなくなった『接続者』。それは“魔王の弟”の犯行予告が原因と思われていますが、私が感じていることは少し違うんです」

「?」


 フェシリアは眉を寄せ、顔を動かさないまま周囲を窺うように目をきょろきょろと動かした。


 いつしか住居エリアと思われる場所まで歩いてきていた。

 うろ覚えだが、ここを抜けると飲食店のエリアがある。フェシリアが友人と会う約束をしているのはそこなのだろうか。

 裏道で、狭く、曲がり角も少ない。“尾行がし辛い”場所だった。

 昼時では住居エリアは閑散としていたが、それでも慎重に、フェシリアは周囲を窺う。


 彼女の足は徐々に緩やかになり、次第に立ち止まった。

 アキラも足を止める。

 ここを通ったのはわざとなのかもしれない。

 アキラですら分かる。フェシリアの声が聞こえるのは、自分以外に存在しない。


「『接続者』は予知ができなくなったかもしれません」


 ぼそぼそと囁くような声は、やはりアキラにだけ届いた。


「……え?」


 ごわん、と。頭が揺れたような感覚がした。

 何を言うつもりだと身構えていた反動のせいか、くらりと足が崩れかかる。


 自分の頭は随分と聡明になったかもしれない。

 彼女の様子とその言葉。

 それ自体より、それを聞いたことがどういうことなのかを先に察してしまった。


「……魔導士隊は知っているんだよな?」

「知りません。言っていませんから」


 やはりそうだった。

 今アキラは、さりげなく、ドラクラスの重要機密、というか、ドラクラスの崩壊に繋がるような事実を知らされたようだった。あれだけ関わらないように過ごしてきたというのに。


 『接続者』という存在は、魔導士隊が徹底的に守っているほどの存在らしい。

 それは、『接続者』が必ず的中する予知をするところからきている。

 実際にその予知とやらを見たわけではないアキラにしてみればピンと来ないが、それでも『接続者』は襲名性らしく、大昔から存在しているという。つまりは事実予知ができているからこそであろう。


 だがフェシリアは、それが失われたと言っている。


「あくまで私の感じたことです。心配なんですよ。おひとりで、体調を崩されてないかって」

「……」


 また歩き始めたフェシリアに、アキラはとぼとぼとついていった。

 声量が元に戻っている。

 先ほどの言葉を聞いているかいないかで、彼女の言葉の意味が変わる気がした。


 『接続者』に最も近い『代弁者』が感じたことは、ほとんど真実のような気もする。


 自分が浮かべている表情が分からない。

 いつの間にか手にはびっしょりと汗をかいていた。


 なぜ所詮部外者の自分にそんな話をするのか。

 “勇者様”ではあるが、所詮は候補。もし本当なら、会っても日も経っていない部外者に、安々と話していいものではない。


「そこで、日輪属性の勇者様にご意見を伺いたくて」


 日輪属性。存在自体が希少な異常属性。

 彼女の目が、獲物を捕らえたような色になった気がした。

 やはりというかなんというか、彼女がこんな話をアキラにしたのは、属性が大きく関係しているようだ。

 つまりこの問題は、部外者のアキラに飛びつくほど、日輪属性の者の助力が大いに必要なのかもしれない。


「長らく旅をしていますよね? 不調を感じたことはありますか?」

「……は?」


 呆けた声が思わず出てしまった。

 アキラだって風邪をひいたこともある。

 だが、いたって真剣なフェシリアの表情から、その意味は、すぐに“魔力的な不調”という意味だと分かった。

 質問の意図は測りかねるが、アキラは真剣に記憶を辿る。


「……いや、ほとんどない。そりゃ調子の悪い日もあるけど、調子がいい日と大して変わらない」

「安定されていますね」


 作り笑いだと分かる顔がアキラに向いていた。自分たちはあくまで日常の雑談をしている風を装いたいらしい。

 それだけ『接続者』の話はデリケートなのだろう。

 何不自由なく日常生活を送れていると言っていたフェシリアも、常に監視の目を気にはしているようだ。

 アキラもその努力に報いたかったのだが、言ったことは事実で、自分の調子という意味では浮き沈みは激しくなかった。

 それも日輪属性の効能なのだろうか。


「では普段から気にされていることや、何か……そうですね、お守りのようなものはありますか?」

「……は?」


 先ほどとまったく同じ声色で、まったく同じ音が口から出ていった。

 急に話の方向性が分からなくなった。

 フェシリアは、じっとアキラを見ると、何かを察するように口を開ける。


「すみません。てっきりそういうことにもお詳しいと思ってしまっていて」

「なに。なんの話をしているんだ?」

「……」


 フェシリアは何かを整理するように目を閉じる。

 また自分の無知が人に迷惑をかけたような感覚がしたが、次にアキラを向いたフェシリアの目は、やや高揚していた。

 また彼女の違う一面を見た気がする。


「『接続者』の予知。それは現在、魔法の領域にあると思っています」

「現在? ……ええと、『接続者』はやっぱり日輪か月輪なのか」

「“不明”、となっています。ですが、“違ったとしても”予知は成立します」

「?」


 首をかしげるアキラに、フェシリアは小さく咳払いをした。

 彼女は得意げな表情を浮かべている。


「魔法は論理的に辿り着ける領域ではないと言われています。ですが、魔術は魔法を解釈して生み出されます。つまり、今現在で“再現性”が分かれているだけで、両者に差はないんです」

「……そう、なのか?」

「ええ。事実、日輪属性、月輪属性は魔法を操ると言われていますが、他の属性が魔法を操る事例もあります。魔法と魔術の差なんて、人に説明できるかどうかでしかないと謳う方もいます」


 フェシリアの目が輝いているような気がした。

 興味の引かれる話ではあるが、アキラはこうした瞳をよく見ている。

 日輪属性の人の心を開く力が働いているのか、アキラはよく、話している相手の何らかのスイッチを押すことがあった。


「そして、その人に説明できない魔法。ヨーテンガースでは盛んに解析、つまりは再現性を高めようとされています。勇者様も旅の中で見たことはあるのではないですか? ヨーテンガースの“儀式”を」

「!」


ヨーテンガースの儀式。

 アキラたちがヨーテンガースに来て最初に請けた依頼もそれに関するものだった。


 ドラクラスまでの道中、マリスからも聞いた気がする。

 ヨーテンガースにはそうした風土がある、と。

 特に中央の樹海では数多くの民族が生活しており、彼ら彼女らは何らかの儀式を行う。時には魔術師隊も介入するほどだという。


 元の世界にいた頃は、魔術ですら理外の存在だったが、この世界での生活に慣れたアキラは、一応それが論理的なプロセスで生み出されるということを知った。

 だが、そんなアキラでも、未だに儀式は胡散臭く感じている。

 しかし、その儀式が“魔法”のために行われているとなると少しだけ気になってきた。


「魔術の対価は、魔力、時間、そして生命と言われています。対して、儀式は人、物、場所などを“条件”に発動するのではないかと推測されています。魔力を操作して魔術と、条件を満たして発動させる魔法。ならば魔力で条件を整えさえすればいい。そう考えると、徐々に魔法の再現性が高まって、魔術に落とし込めていくと思えませんか?」


 教師のような口ぶりだった。

 アキラは生徒として真面目に考えてみる。


 例えばアキラが操る魔法。

 それはもしかしたら、ヒダマリ=アキラという人、あるいは、日輪属性の魔力という物を条件に発動しているのかもしれない。


 ヨーテンガースでの最初の依頼では、わざわざ危険を冒してまで特定の場所へ向かい、持ち運びに苦労するような祭具を用いて儀式を行っていた。

 儀式的に意味があるという、物や場所という条件を満たそうとしていたということになる。


 だがその解析を続ければ、アキラの何がそうさせるのか、祭具の何がそうさせるのかが分かってくるかもしれない。

 場所ですら、儀式が成功したときの天気、気温、湿度、風向き、流れる魔力などを調べれば、論理的な条件が見つかるかもしれない。

 その条件を多くの人が魔力で操れるようになれば、魔法が魔術に落とし込まれた、ということになる。

 そしてそれが進めば、あるいは“日輪属性”ですら論理的なものになり得るだろう。


 つまり儀式とは、魔法を魔術に落とし込むプロセスとも言えるのかもしれない。


「……詳しいんだな」

「ええ。『代弁者』になる前は、そちらの分野を専攻していました」


 それで興奮気味に話していたのだろう。

 やはり気弱な小動物のような印象は誤りだったのかもしれない。


 だが興味深い話が聞けた。

 今まで何となくでしか考えてこなかったものが分かるようになると嬉しくなる。

 嬉しくなるのだが、使わないものを使ったせいで、頭がずきりと痛くなった。今不調を訴えたら彼女は満足してくれるだろうか。


「それで、ですね」

「……俺の調子が崩れないのは、何らかの“条件”があるかも、ってことか」


 彼女は微笑んで頷いた。

 出来のいい生徒を見たような目だった。頭を働かせた甲斐がある。


 つまり。

 『接続者』は、儀式という手段で予知という魔法を行っていた可能性がある。

 それが不調になったのであれば、何らかの“条件”を満たさなくなったということなのだろう。

 魔法が不調になるなどそこらの人間に聞いたところでまともな答えなど返ってこない。

 そこで、魔法的には安定して長く旅を続けた人物、つまりはアキラに白羽の矢を立てた。

 アキラを取り巻く環境である、人、物、場所を聞ければ、それを『接続者』の問題解決の糸口にできるかもしれない、ということだろう。


 とはいえ。


「……悪いんだけど、ぱっと思いつかない。人、は俺? いや、あいつらも含むのか? 物って言うと、この剣、とか? 場所は点々としているし……」


 記憶を真剣に辿りながら話そうとしても、口からぼそぼそと不安定な声が漏れるだけだった。

 協力したい気持ちは強いのだが、こうした話はアキラにまったく向いていない。

 『接続者』の身を案じるフェシリアには悪いが、むしろ日輪属性からすると、そんな“条件”をそもそも意識していないのだ。


「す、すみません」


 アキラの様子を見て察したようで、フェシリアは小さく呟いた。

 両手を胸に抱き合わせ、眉を寄せて俯いた。

 興奮気味で話していたときが嘘のように、失礼だが、最初に見たときの印象通りの姿だった。

 どちらが彼女の本当の姿か、というわけではなく、どちらも彼女の一面ということなのだろう。


「で、でも。すぐに答えが出るとは私も思っていません。魔法は、ご自身ですら認識していないことが条件であることがほとんどです」


 フェシリアは、弱弱しく、ぱん、と手を合わせてまくし立てた。

 気を遣わせてしまったのかもしれない。


「なので、お忙しい中心苦しいのですが、勇者様に色々と実験にお付き合いいただきたくて」

「じ、実験?」

「ええ。色々と条件を当て嵌めてみて、何が起こるのかを検証してみたりしたいのですが」


 実験動物になってください、と言われている気がするのは邪推だろうか。

 アキラ自身、理解から目を背けてきた魔法という存在には興味がある。何しろ日輪属性と密接に関わっているのだ。

 フェシリアの本位も、予知のできなくなった『接続者』を想っているのだろう。

 だが、目がギラギラしているのが妙に気になる。

 先ほどこういう話を専攻していると言っていた。研究者だったのかもしれない。


「……時間が合えば、でいいか?」

「はい」


 フェシリアはにっこりとほほ笑んだ。

 自分の中で整理ができたわけではないが、楽しそうにしている人に断りを入れる勇気はアキラに無かった。

 アキラはフェシリアを弱気そうな人間と思っていたが、フェシリアの方こそアキラを丸め込めそうな人間と思っていたのかもしれない。

 ただ、断ったところでやることと言えば、依頼かルックリンの店で無表情な笑顔を向けられ続けるだけだ。

 人助けでもあるし、フェシリアに付き合うのも悪くはないだろう。

 ドラクラスの主要人物とはあまり関わらないようにしていたが、アキラ自身、我慢の限界が来ていたのかもしれない。


「では、そうですね……、!」


 早速何かを始めようとしたフェシリアは、周囲を見渡し、一点で動きを止めた。

 裏通りを抜けたばかりのここは、騒がしくはないが飲食店がずらりと並ぶ商業エリアだ。間もなく来る昼時の騒ぎに備えて今から開けている店がちらほらと見える。

 そんな嵐の前の静けさを彷彿とさせる店の前を足早に歩く男がいた。


「……いや。初耳だぞ。……俺が? ……いいや。その期間も何日かは埋まっている。…………ああそうだ。今日も明日もだ。そう、これから……、ドーナさんがそう言ってたのか? なら誰か代わりに回しておいてくれ……、ん?」


 何かを呟きながらそのままの勢いで通り過ぎかけた男は、こちらを見るとぴたりと足を止めた。


「……ユフィ。話は分かった。もういいか? ……。ああ、頼んだ」

「こんにちは。ジェットさん」


 ジェット=キャットキット。

 『三魔人』ドーナ=サスティバ率いる、ドラクラス警護団の団員。

 ドラクラスに来たばかりのとき、アキラたちをそのドーナのもとに案内した人物だ。

 引きこもってばかりいたアキラも、ルックリンの店までの道中、今と同じように街を足早に歩くこの男はたびたび目に留まった。

 正面から見たのは久方ぶりだが、相変わらずヨーテンガースらしい、鋭い気配のする男だった。


 そんなジェットに、フェシリアは軽く手を上げて声をかけた。

 ともすれば睨みつけているように見えるジェットの力強い視線をフェシリアに向けてきているが、近くで見ると柔らかく応答しているようにも思える。

 以前会ったときも、そんな印象だった。


「フェシリアか、久しぶりだな。そっちの勇者も。アキラだったよな」

「……ああ。あんたはジェット、だよな。フェシリアと知り合いだったのか」

「この街に来たときに世話になってな。いや、今もだな。変わりないか?」

「はい。ジェットさんもお元気そうで。お仕事ですか?」


 見た目と違う印象を受けるのは、フェシリアよりジェットの方かもしれない。

 傍から見れば刺々しい様子のジェットだが、話してみると良識があり、落ち着きがあるように感じる。

 アキラより実年齢は上だろうから当然かもしれない。逆行分を考えれば多少は水増しできているはずなのだが。


「そうだったんだが、今無くなった。そっちは食事か?」

「いえ。こちらの勇者様とばったり会って、散歩をしていました」

「好きだな、散歩」

「ああ、その節はお付き合いいただいて」

「おかげで街に早く慣れた。助かったよ」

「そういえばジェットさん。先週、ようやく教えてもらっていた酒場に足を運んだんですけど」


 親しげに話すふたりを見て、アキラは微妙に居辛くなった。

 話に入るタイミングを見計らっていると、ジェットが時折話を振ってくる。

 気遣いもできるようだが、むしろ申し訳なくなり、今度は立ち去るタイミングを見計らうことにした。


「! もうこんな時間……。すみませんが、これで」

「ああ。それじゃあまた」

「勇者様もありがとうございました。またよろしくお願いします」


 フェシリアの方が立ち去ることになった。

 軽くお辞儀をして小走りする彼女は、賑わいを見せ始めた大通りの人混みに消えていく。

 友人と食事の約束があると言っていたからその時間なのだろう。

 意図せずジェットとふたり残されたアキラが、横並びになって見えなくなっていくフェシリアの背中を眺めていると、隣の男が呟くように言った。


「……フェシリアと何を話していたんだ?」

「邪推されるようなことは何も」


 ジェットの声色から感情は読み取れない。

 だが、何となく聞かれる気はしていて、とっくに用意していた答えを返した。


「彼女の言った通り、散歩がてら話を聞かせてもらっていただけだ。悩み事の相談もあったけど、そっちはプライベートに関わるだろ」


 思わず言い過ぎてしまった。捉えようによってはまさに邪推されかねない。


 傍から見て、ジェットとフェシリアは親しそうだった。

 もしかしたらそれなりの感情があるかもしれない。

 ドラクラスの主要人物に関わらないようにしたいと思っていたが、こちらの方にはそれ以上に関わりたくない。


 だが。


「答えられる範囲でいい」


 その声色は、親しい女性にちょっかいをかけた部外者の男へ向けるやっかみでは断じてなかった。

 まさしくアキラの方こそ邪推していたのかもしれない。

 隣のジェットはじっとフェシリアの消えていった人混みを睨んでいる。

 ただ彼の顔付きがそうなのか、それとも今度こそ本当にそうしているのかは、アキラには分からなかった。


「彼女に何かあるのか? ……って、『代弁者』だな」

「歩きながら少し話せるか。それともこれから依頼でもあるか?」

「今日は暇だけど」

「そりゃ都合がいい。飯でも奢ってやれりゃいいんだが、タイミングを逃したな。最近、この時間はどこも混み始める」


 つまりはあまり聞かれたくない話ということだろう。

 『代弁者』の話なのだからそもそもそうなのかもしれないが、ジェットの様子からはそれ以上のものを感じさせられた。


 ジェットが先ほどとは別の裏道に向かって歩いていく。

 力強く進む彼は早く、アキラは早足になりながら付いていった。

 ややムキになって追い越すと、ジェットも同じように速度を上げる。冷静そうに見えて、本質的には負けず嫌いなのだろうか。

 ほとんど駆け込むようになりながらふたりで裏道入ると、ジェットは思い出したように振り返り、速度を落とした。

 尾行を気にしている動きのように思えた。


「アキラ。念のために聞くが、お前、フェシリアを知らなかったんだよな?」

「? フェシリアって有名なのか? ドラクラス以外でも」

「……」


 ジェットはアキラの目を探るように覗き込むと、顔を背けて歩き出した。

 振り返ることもなくずんずんと進んでいく。


「おい。そこでだんまりは無いだろう」

「そういうわけじゃない。整理しているだけだ」


 それは混乱している、というよりは、ヒダマリ=アキラという部外者に言っていいことと悪いことを整理しているように感じた。


「それで。フェリシアと今日、何をして、何を話したんだ」

「そっちが訊いてばっかりだな」

「整理中の雑談だ。付き合えよ」


 ここからはしばらく裏道が続く。

 住居が並び、そもそも先ほどの飲食エリア以外はあまり栄えてはいない区画のようだ。

 やたらとルックリンが手を付けている2階と比べ、1階は出入り口から離れれば離れるほど都市開発をしていないらしい。


「適当に散歩して、相談を受けた」

「大方『接続者』についてだろう」


 面白くないものを感じて乱暴に答えると、ジェットは鼻で笑いながら核心を突いてきた。

 やはり面白くない。

 もう少し話の通じる相手のように感じていただけに、アキラはこちらの速度を気にもせずに歩き続けるジェットの背中を視線で差した。


「お前と同じかは知らないが、俺も似たような話をされたことがある。お互い“真摯”な相談を受けた身として詳しくは話せないだろうが、もし同じなら、フェシリアから何か協力するように言われなかったか」

「!」


 見られたくないときに見られた気がした。

 ジェットがくるりと振り返った瞬間、アキラは自分の表情が言外に語ったのを感じた。


「口は堅そうだが雄弁だな」

「……あんたは見かけによらず口が軽いみたいだな」


 反発するように言うと、ジェットは自虐気味に笑った。

 つまりジェットも、フェリシアから同じような相談を受けているらしい。

 『接続者』の不調。

 確かに部外者のアキラにいきなり協力を依頼してくるくらいだ。事が事だけに極少数だろうが、ドラクラスの他の者にも同じような話をしているだろう。


「口止め、ってわけでもなさそうだな。整理は終わったか?」

「……そうだな。口の堅い勇者様のことだ。多少なら話しておいた方がいいだろう」


 周囲に人気はない。

 路地裏に差す影の中、ジェットの目が怪しく光った気がした。


「俺がドラクラスに来たのは大体……4、5年前くらいか。目的は、とある人物を調べることだった」

「とある人物、って……、フェシリアだよな。彼女が何だ。何がある?」

「“何か”がある。で、納得しておいてくれ」

「また整理の時間が必要か?」

「お前のためでもある。興味本位程度で知って、面倒なことになるのは嫌だろう」


 それ自体は、ジェットは本心から言っているように感じた。

 ルックリンの店に引きこもっていた身からしても強くは訊けない。

 だが、それ以外にも気になることがある。


「ジェット。あんた一体何なんだ。ただの警護団員ってわけでもないのか?」

「俺のことは大した話じゃない。ただの元旅の魔術師。フェシリアを調べに来て、そのままドラクラスで就職したってだけの話だ」


 何らかのエージェントのようなものを想起したが、ジェットはあっさりと否定した。

 嘘ではなさそうな気もするが、目の前の男から覚える違和感は増していった。


「それで? フェシリアが何かまずいのか? 話せないにしろ黒か白かくらい言ってもらわなきゃ話の方向性が変わるぞ」

「人に黒も白もないだろう。フェシリアはフェシリアだ。誰にでも、黒い部分も白い部分もある」

「……」


 諭すように言われ、失言だったと思った。

 アキラが今日話したフェシリアという女性。

 おどおどしているように見え、時に強引とも言える胆力がある。

 どれが本当のフェシリアか。答えはそのすべてだ。

 人は魔力のように、単純に色分けできない。


「訊き方を変える。あんたが調べに来たのは、その黒い部分か?」

「そう捉えた方が理解しやすいならそれでいい。そもそも、そうだな。お前はフェシリアを知らなかったんだよな」

「さっきそう言ったろう」


 ジェットはまた周囲を窺った。

 この路地裏は小道もいくつかあるが、人の気配はまるでしない。


「なんだよ。あんた誰かに付きまとわれているのか?」

「俺が? まあ、それもあるな。だが今気にしたのは、お前の連れだ」

「俺に?」


 アキラも同じように周囲を窺った。

 先ほどこの路地裏にジェットと入ったときも確認したが、誰かが慌てて追ってきたようなことはなかった。


「俺、尾行されてたのか? でも、そんなことはなかったと思うんだけど」

「見失ったら見失ったで構わない。そういう尾行だ。大方グリンプの手配だろう。詳細も分かりにくいが、気づかれにくい。やんわりと様子を見たいときの手だ」

「どうしてそんなことを」

「グリンプからすれば、何を起こすか分からない日輪属性には着かず離れずでも意識を割いておきたいのは当然だろう」


 『三魔人』のひとりであるグリンプ=カリヴィス7世。

 魔導士隊を指揮する力を持つあの男は、このドラクラスの統制を担っている。

 やられる側のアキラからすれば気持ちが悪いが、逆の立場ならやりたい気持ちも分かる。

 というより、同じようなことは今回ばかりではなく、もともと他の街でも同じような立場の者たちに尾行されていて、アキラがそれに気づかなかっただけなのかもしれない。


「まあいい。俺も聞かれたら聞かれたで構わない。わざわざ聞かせる話じゃないってだけだ」

「フェシリアの話だな」

「ああ。彼女は『代弁者』に選定される前、儀式関連の研究を専攻していた」

「……そんなこと、本人も言っていたな」


 つい先ほどの話だ。

 儀式。つまりは、魔法を魔術に落とし込むプロセス。

 興味が引かれる話であったが、使っていない脳の機能を使わされているようで、頭痛がした。


「俺もそっちの方は詳しいわけじゃないが、彼女は儀式のスペシャリストだ。『代弁者』がどういう基準で選ばれるかの方がより分からないが、選ばれるには選ばれるだけの理由があるらしい」

「……」


 儀式のスペシャリスト。つまり、魔法解析の専門家。

 それが『代弁者』に選ばれる前の、いや今もだろう、フェシリアという人物。

 ジェットの言う通り、くじでも引いて『代弁者』になった一般人というわけでもなく、それ相応の能力を有しているらしい。


「お前から聞きたかったのはそれだ。フェシリアと何をして、何を話したか」

「……そこまで聞いてもピンと来てないぞ。それが何だってんだ」

「儀式の話は聞かなかったのか? 彼女はそういう話をするのが好きだぞ。儀式に必要な条件は、」

「人、物、場所とかだっけ?」


 辛うじて疲弊した脳内に残っていたらしい。

 そのまま答えると、思った通りというジェットの顔が目の前にあった。


「で、だ。お前という日輪属性という特異な人間と共に、儀式のスペシャリストが歩いていた。勘ぐるには十分だと思うが?」

「それなら別に今じゃない。また今度協力してくれとは言われたが」


 フェシリアの相談事に直結するかもしれないから避けたかったが、彼女に頼まれたことがつい口から出てしまった。

 だが幸か不幸か、ジェットはまるで表情を変えていなかった。


「本当にそうならお前にとってはそのときの話、ってことだろう。だが、彼女は強引なところがある。お前に協力を申し出る前に、“とっくに協力させていてもおかしくない”。日輪属性の人なんていう強力な条件があるんだ。散歩しながら、物や場所で条件を整えていてもおかしくはないだろう」


 思わずアキラは来た道を振り返った。

 尾行を気にしたわけではない。

 フェシリアと再会した巨大な柱から、さりげなく彼女が先導して先ほどの飲食エリアまでやってきている。

 どこかで、もしくは何かで、“条件”を満たしていた可能性もあった。

 そしてそれが、ジェットが調べているという“何か”であるかもしれない、ということだろう。


「……疑い過ぎじゃないか」

「もともとそのために来たからな。気にして当然だろう」

「まだその“何か”については調べ終わってないのか? ……5年もかかっているのに」

「痛いところを突くな。悠長になっている自覚はあるが、仕事も生活もある。……それで、思い当たることはないか?」


 ジェットと適当な会話をしながら、アキラは今日の出来事を振り返っていた。

 自分の行動が、儀式的に何らかの意味を持った可能性があるとなると、無自覚で“魔法”に関わっていたことになる。

 フェシリア自身も言っていた。日輪属性という“条件”は、儀式という面においてもかなり強力なのだろう。

 それを目の前に、フェシリアが、アキラが承諾する前に何かをしていた可能性がある、というのは理屈の上では納得してしまう。


 だが、それでも。


「……あんまり、そういう目で見たくはないな」

「……」


 儀式のスペシャリストという面は、フェシリアの一部。

 アキラには、ただ切実に『接続者』の不調の解消を手助けして欲しかっただけ。

 仮に事実が違ったとしても、今はそう考えたいし、そう考えるべきだと思えた。

 人の一挙手一投足に何かの意味があると邪推するようなら、それこそ引きこもっているべきかもしれない。


「……俺もだ。一応、気になっただけだ」


 ジェットの声色が、また柔らかくなったような気がした。

 彼自身にも、そういう面もある。

 フェシリアと親しげに話していたのも、演技でも何でもないのだろう。


「少し焦っていたかもしれない。時間を取らせたな。まあ、俺にもそういう事情がある。フェシリアのことについてまた何か聞くかもしれないが、可能だったら協力をしてくれ」

「なんだ? いちいち報告でもすればいいのか?」

「刺々しく言うな。俺も俺で調べている。特に今は、“魔王の弟”のせいで色々と過敏になっているところでな」

「!」


 アキラがジェットを見返すと、目を逸らされた。

 彼の声も少し震えていたような気がした。

 思わず言ってしまいながら、失言だと気づいたらしい。


「“魔王の弟”。警護団が調べているのか? グリンプは魔導士隊が見つけるだろうとか言っていたが」

「グリンプがそう言うのは大体何に対してもだ。……だが、この件は……、いや、話しておくか」


 フェシリアの“何か”の負い目からか、取り繕うのを諦めたジェットは、今度はゆっくりと歩き出した。

 今度こそ本当に聞かれたくない、いや、聞かれてはまずい話なのかもしれない。


「“魔王の弟”の犯行予告。……本当なのか?」


 アキラも声量を落として呟くように言った。

 先ほどフェシリアも魔導士隊の定例では話題に出ているようなことを言っていた。

 ただ犯行予告を出しただけの、“自称”魔王の弟。

 信憑性もそうだが、アキラも未だ問題視していない。

 だがその犯行予告を前に、外ならぬ『接続者』が行動を変えたという。


「ああ、本当らしい。だがその後、“魔王の弟自体”からは何も情報が出ていない。大事らしいが、ただ『接続者』の様子が変わっただけだ。だが……、お前じゃないか」

「?」


 ジェットは今思い出したようにアキラを見た。


「……犯行予告。それに信憑性を持たせたのは『接続者』の行動だけ。たったそれだけなら、単なる不調やら何やらで済んだ話だった」

「それ以外にも異変が起きたのか?」

「だからお前じゃないか」

「勿体つけるなよ」


 睨み返すと、ジェットは軽く首を振る。


「いや、知らないことなら仕方がない。“魔王の弟”の問題。ドラクラスの方針を俺も間接的に聞かされただけだしな」


 間接的にでもドラクラスの方針に関わることを知っているとなると、ジェットは警護団の中でもそれなりの立場があるのだろう。

 聞いたのは、恐らく警護団長のドーナ=サスティバからであろう。


「犯行予告。つまりは今からやるぞ、って話だ。そのまま捉えるなら、そんなことをする意味は全く無い」


 それについては同意見だ。

 どう考えても不意を突いた方がいい。

 つまり、何か意味があるはずなのだ。


「だから、最初に来た“魔王の弟”の犯行予告は意味が分からない“ことになっていた”。……もうひとつの方のせいで、事情も変わったらしいが」

「もうひとつ?」

「『光の創め』」


 手が震えた。

 ジェットが機敏にアキラへ視線を向けてきた。

 アキラにはほとんど分からないが、ジェットは気配に敏感らしい。

 分かるのは、自分から出たのが、きっと殺気に似た何かだろうということだけだ。


「お前が聞いたんだろ? 『光の創め』の宣言を。参戦するって」

「……まあ、そうだな」


 似たようなものだから肯定し、アキラは眉をひそめる。

 確かにそうだ。『光の創め』も、事前に告知するような真似をしている。


「そのままの意味なら、『光の創め』にとっても意味のないことをしている。だが、“魔王の弟”に対する警戒をしているドラクラスに向けて言ったとなると意味が出てくる」

「というと」

「……もともと、“魔王の弟”の犯行予告、というより『接続者』の様子が変わってから、ドラクラスの依頼は増加し出した。周囲の魔物討伐やら、物流ルートの哨戒やら。今お前たちも請けているだろ。前はあんなに異常な数は無かった」


 そもそも今、アキラたちも宿に不便を感じるほど、数多くの旅の魔術師がドラクラスを訪れている。

 彼らが喰いっぱぐれていないのは、それだけの依頼があるからだ。

 “引っ越し”の前というのもあるだろうが、それを差し引いても異常な数の依頼が出ていることになる。


「そもそもドラクラスは堅牢なんだから、ヨーテンガースの魔物だろうが基本的にはどうにかなる都市じゃない。それでも“魔王の弟”が来るとなると、神経質にならざるを得なかった。そんな中で、さらに敵が増えるとなるとどうなるか」

「より一層警戒することになるだろうな」

「ああ。だが、『光の創め』は攻める側だろう。そうなることは見えている」


 まさに犯行予告のデメリットだ。


「ならば『光の創め』にメリットがあるからこそ出したと考えられている」


 ジェットはまた周囲を窺った。再三のその動作にアキラは、ジェットが、この数日アキラが避けたかったドラクラスの重要機密とやらを言い出すだろうという悪寒がした。


「『光の創め』の犯行予告。今、大きく分けてふたつの案で動いているらしい。ひとつは、言葉通りの意味。魔族様の考えることだ、分かりもしない。正々堂々と襲撃を宣言したかったのかもしれない。“欲”が絡んでいるのかもな」


 魔族の“欲”。

 今までアキラが出遭ってきた魔族たちには、“欲持ち”と言われている存在が多い。

 彼らは自己の考えで行動し、他者から見れば度し難い行動を取ることがある。

 犯行予告という非合理的な行動を取る魔族がいてもおかしくはない。

 だが。


「だが……メリットが無い」


 ジェットは頷いた。

 理解しがたい行動。だが、魔族ならばあり得る。

 それゆえに、メリットが無い犯行予告を出したという仮説も捨てき切れないのだろう。


「それで、もうひとつは」

「その逆だ」


 つまりは何らかの意味、『光の創め』にとってメリットがあるということになる。

 ジェットは苦笑した。


「よくあるだろ、犯行予告の意味。襲撃を予告しておいて、警備の裏を突く。ミステリなんかで使いまわされている手。犯行予告に一番“意味”が出る、定番だ」

「はあ」


 ジェットに釣られて、アキラも苦笑した。本人も自覚しているのだろう。

 そういう話はアキラも見たことがある。

 結局のところ、探偵役が言うことになる。


 犯人はこの名にいる。


「だがそんな笑ってしまうような手も、『光の創め』が追うように同じ犯行予告を出したとなると話は違ってくる」


 『光の創め』は“魔王の弟”の後追いで犯行予告を出したことになる。

 聞けば、“参戦”という言葉を使ったらしい。“魔王の弟”の犯行予告を知らなかったわけではないのだろう。


「そもそも『光の創め』はドラクラスにちょっかいかけてくることが多かった連中らしい」

「! そうなのか?」


 それは初耳だった。

 他の街でまともな情報などほとんど手に入らなかった謎の魔族集団である『光の創め』。

 アキラは内心にやりとした。

 やはりこの街にいれば、『光の創め』と遭遇する可能性が高いのかもしれない。


「ああ。どれくらいの規模、どれくらいの頻度か俺は詳しくないが、今回の“引っ越し”騒動でも、首を突っ込んでくるのではとあらかじめ危惧されていたらしい。そんな奴らが、わざわざ宣言してきたんだ。ドラクラス側はどうしたって裏があると考えてしまう」


 魔族相手に敵味方など語るまでもないが、すでに対立関係にあったとするなら、なおさらドラクラスは『光の創め』の宣言をそのまま受け取りはしない。それは『光の創め』側も分かっているだろう。


「そして。……“魔王の弟”の犯行予告の時点で、当初予定していたよりもずっと多くの旅の魔術師、そして、それに伴った物資がドラクラスにかき集められている。人の出入りもずっと多くなった。魔導士隊は強引に他の街からも応援を呼んで、それでもひーひー言っている。人を集めれば集めるだけ安全なんて段階はすでに超えていて、これ以上集めても指揮系統からなにから混乱するだけだ」


 ジェットは目を細めた。

 街のいたるところで見かけるこの男は、ドラクラスの事情を熟知している。


「―――だがもし、それが”魔王の弟“の狙いだとしたら。……そんな中で『光の創め』が犯行予告をする意味とは何か」


 ドラクラスを取り巻く環境は複雑だ。

 “引っ越し”と“魔王の弟”のせいで、この街はかつてないほどの人材と物資が集まっている。

 これ以上警戒しても意味がない状況になっているという。


 そんな中で、もともとドラクラスと因縁のあるらしい『光の創め』からの宣言。

 “魔王の弟”の狙いは不明だが、犯行予告を出せば警戒が強まるなど子供でも分かる。

 仮にそれが犯行予告を出すという行為の狙いだとすれば、“魔王の弟”の方ですでに過剰なほどの効果が出ており、後追いで宣言した『光の創め』の方は不要なことをしたことになる。


 『光の創め』にとっての意味。メリットとは何か。


「『光の創め』は“知らせたかった”のだと考えられている。もともとドラクラスに警戒されている自分たちも出せば、犯行予告を出すことのメリットを改めて考える……“考えてくれる”と信じていた。奴らも焦っているのかもしれない。“魔王の弟”の犯行予告に踊らされ、やたらと人を集めたドラクラス。“もし自分たちが最初に出していたら”、ドラクラスは絶対にそのままの意味で受け取っていない。“別の意味”を考えていたはずだ。『光の創め』のメリット、いや、デメリットを避ける方法と言い換えた方がいいか、それはこう推測されている」

「……」


 アキラもおぼろげに、ジェットの言わんとしていることが分かった。

 『光の創め』のデメリット。

 奴らが、“魔王の弟”とやらに、自分たちより先に『接続者』の身柄を押さえられることを警戒しているとしたら。


「素直に言うより伝わると考えた。『光の創め』の宣言は、ありがたいことに魔族様からの摘発だ―――“内部を疑え”」


 『光の創め』の宣言は、犯行予告の裏。定番。つまりは、“魔王の弟”の内部犯を示唆したかった。

 そう捉えられているらしい。


「……考え過ぎだろう」

「だが状況からして、薄々警戒はされていた説だったらしい。『接続者』は『代弁者』とすら会わなくなった。ドラクラスの外敵を警戒するなら、フェシリアは警戒対象じゃないだろう」

「またフェシリアか。彼女を疑っているのか」

「例えの話だ」


 ジェットは苛立ったように鼻を鳴らした。フェシリアの話を蒸し返そうとしたのはアキラの方だったのかもしれない。


 閉じこもっているという『接続者』。

 彼か彼女かは知らないが、“魔王の弟”の犯行予告が来てからドラクラスの住人自体との交流を一切断っているらしい。

 『接続者』がどのように予知をして、何が視えるのかは定かではないが、その視えた“何か”は、外敵ではなかった可能性がある、というのが今の話だ。


「むしろそれが『光の創め』の狙いかもしれないだろう。外敵への警戒を緩めさせることが」

「その可能性も太い。だが、そんな結果になれば“魔王の弟”にかっさらわれる可能性が高くなる。『光の創め』からすれば、その場合こそ、何も言わずに漁夫の利を狙った方がいいだろう」


 言葉の裏ばかりを読んでいるようで、アキラの頭痛が再発し始めた。


「だが、わざわざ言ったのなら、『光の創め』にメリットがある。つまり、このままだと“魔王の弟”に出し抜かれるから先にそっちを止めろ、ってな」

「……“魔王の弟”自体が『光の創め』の可能性は? 2回の犯行予告でそんな状況になるなら、最初の犯行予告も説明がつくだろ」

「もちろんそれも考えられたらしい。可能性としては捨てていない。だが、『光の創め』だけを警戒して、“魔王の弟”が実在したらそれこそ目も当てられない」


 つまりは今、あらゆる可能性があり、それをすべて考慮しなければならない状況にドラクラスは陥っていることになる。

 その可能性の中で今のところ有力なのが、『光の創め』の表明はドラクラス内部への摘発だったということなのだろう。

 『光の創め』が、素直に“魔王の弟”の犯行予告が内部犯であると忠告していたら、ドラクラスはむしろ外敵への警戒を強めるだけになっていたかもしれない。

 そう考えると、ドラクラスに来るまでの道中、『剣』のバルダ=ウェズが出現したのは、様子見の意味合いもあったのだろうが、自分たちは外にいるのだというアピールのようにも思えてきた。


「お陰で内外問わず依頼が爆増した。この引っ越し騒動で集まった旅の魔術師の物量で何とか回っているが、俺からすれば引っ越しと重なってくれていなかったらと思うとぞっとするね」


 ドラクラス警護団のジェットはよく街で見かける。

 フェシリアと違い散歩しているわけでもなく、いつも世話しなく歩き回っている印象だった。

 あれは勿論、警護団の仕事、つまりはドラクラス内部の警邏という意味もあるのかもしれない。

 アキラも依頼所で、ドラクラスの街の中の依頼を数多く見た覚えがある。


「……そんな話をどうして俺に?」

「聞いたのはお前だろう」

「そりゃそうだけど」


 話の流れではあったが、アキラからするとフェシリアに続き、ジェットからも爆弾を手渡されたような気分になった。少し行動範囲を広げただけでこれだ。


 内部を警戒。言うは易しだ。

 調べるにしても数が要るし、最大の問題は隣人を疑わなければならなくなることである。

 漏れればあっという間にドラクラス中に疑心暗鬼が波及する。

 『三魔人』のグリンプが“魔王の弟”のことを些末なことのように言っていたのはアキラたちから噂が漏れるのを考慮して、あえてそうしていたのかもしれない。


 『光の創め』の宣言を聞いたのは自分たちだ。

 自分たちが旅をしている中で得た情報は、ドラクラスに届き、吟味され、そして今形になって目の前にある。

 それがよりによって重要都市であるドラクラスの機密事項とは。

 うっかり人に話そうものなら、アキラ自身がドラクラスの敵になりかねない。


「それなりに口が堅そうというのもあるが、はっきり言えば、日輪属性だからだ」


 フェシリアがアキラに話したのもきっとそうだったのだろう。

 何の反論もできないことを言われた。


「もし本当にドラクラス内部に“魔王の弟”がいるなら、日輪属性以上に釣り餌に使える奴はいない。何らかの形で接触する可能性が高い」

「“魔王の弟”ってのは魔族なんじゃないのか」

「さあな。『接続者』を狙う奴は魔族に限らない」


 つまりは“魔王の弟”を名乗ってはいるものの、魔族かどうかすら分かっていない。

 そんな相手を警戒しなければならないのだから、ドラクラスにとって相当デリケートな問題ということだ。


「……じゃあ、あんたも容疑者か?」

「お前からすればそうだろうな。逆にしてもそうだが、お前じゃなさそうだ。ミルバリーのことを頼まれてから、真面目にルックリンの店に閉じこもっているような奴なんだから」

「……あんたもつけてたのかよ」


 皮肉を言ったら、やや鼻で笑われながら言い返された。

 いつも街中を歩いているジェットはドラクラスの調査をしている。その対象に、アキラも含まれていたのかもしれない。


 アキラは痛くなった頭を振って、足を早めた。

 窮屈な路地裏は終わりが見えてきて、まだどこかの大通りが見えてきた。

 ドラクラスの“壁”も近い。随分と歩いてきてしまったようだった。


「まあ、俺の最近の仕事はそんな感じだ。“魔王の弟”の問題。“引っ越し”の騒ぎと並行して、秘密裏にドラクラス内部の調査を依頼されている。フェシリアもその対象ではあるんだ。俺個人の事情もあって、詳しく聞きたかった」

「まともに答えられていないけど」

「その話はもういい。言える範囲で言えることがなかったってことだろ。時間を取らせた。また話を聞くことになるかもしれないが」

「やっぱり逐一報告してやろうか?」

「だからそれはいい。訊きはするが、当てにはしない」


 下手なことをするなと言われているようだが、アキラは素直に従ってやることにした。

 ドラクラス内部の問題。協力を依頼されれば請けるだろうが、ヒダマリ=アキラという部外者とドラクラスの問題との距離感は、一定程度あるべきなのだろう。

 日輪属性という釣り餌というだけで価値があると言われている、とも取れるが。


 気づけばアキラの方が教えてもらってばかりだったような気がする。

 ジェットも大分歩いてきてしまったことに気づいたようで、尾行の警戒とは違った瞳で周囲を見渡した。


「この辺りを知っているか? その道を右に曲がってひたすら道なりだ。その先に二股に分かれる道があるから、そこをまた右に行け。しばらく歩けばお前の宿に着く」


 今さら宿を知られていることに驚きもしなかった。


「あんたは?」

「俺は向こうだ。……それじゃあ明日」


 相変わらず去り際があっさりとしている男だ。

 ずんずんと進んでいくジェットの背中を見送ろうとして、アキラは呼び止めた。


「明日? 明日も俺と散歩をしたいのか?」

「気持ち悪いな、そういう意味じゃない」

「なんだと」


 言い方も悪かったかもしれないが、ジェットが素直に吐き出したらしい言葉に少し傷ついた。


「お前がよく行く依頼所は、俺も使っているってだけだ」

「は?」


 ジェットが口を開こうとしたとき、ブ、という音が響いた。


『……ま、どうし、たい、からの、おしらせ、です。あす、より、してい、びー、の、かたが、いる、いらいの、うけつけが、かいしされ、ます』


「幼児退行したのか?」

「昼前の放送のせいだろう。誰にかは知らないが、相当絞られたらしい」


 ミルバリー=バッドピットの声は、拙いながらも、この数日聞いた中でも最も緊迫している。

 まるで目の前に書かれた文字以外の言葉を一言でも発したら、頭蓋を撃ち抜くとでも言われているかのような緊張感だった。


「指定Bがいる依頼って、ルックリンさんが言ってたやつかな」

「そうか、まだ知らなかったか。……そりゃそうか」

「何を?」

「いや、俺もさっき知ったことだ。指定B。優遇者は、」


『……ひっ、はいっ、ちゃんとします! あの! 明日より、指定Bの方がいる依頼の受付が開始されます。本依頼は、参加した優遇者が、指定人数以上を満たすことを条件に有効となります。その他諸条件等、詳細は、依頼所で改めてご確認ください!』


 初めてまともな放送が流れているのかもしれない。

 やればできるじゃないか、と会ったこともないミルバリーに、我が子の成長を見守る親のような気分を味わった。


『以下の方……、あ、違う、これは書いてあることだから……、い、いえっ、なんでもありません! ……。こほん。指定Bの優遇者は次に読み上げる方となります』


 ジェットが肩を落とす。

 まともな放送をしているミルバリーには悪いが、この放送の内容が聞く前に予想できた。


 幾人か、知らない名前が上がる中、聞き慣れた名前が読み上げられる。


『……。ジェット=キャットキット。ヒダマリ=アキラ。マリサス=アーティ。……』


「! マリスも?」


 自分の名前が読み上げられるのは何となく恥ずかしいが、ちゃんと聞いておいてよかったかもしれない。

 ドラクラスに来てからというものドタバタとしていて、というよりアキラが積極的に引きこもっていたこともあり、マリスと腰を据えて話せていないような気がした。

 宿が違い、依頼優遇者の影響もあってなかなか予定がかみ合わない。

 これはいい機会だろう。

 ただ、“日輪属性”のアキラが初めて指定される依頼というのがなんともきな臭いが。


「……それで明日、か。依頼所で会いそうだな。あんたも指定されることがあるのか」

「……」

「?」


 ミルバリーの放送はまだ続いている。

 また知らない名前が列挙されていた。

 ジェットは最後まで聞き取ろうとしているのかもしれない。


 ようやく名前の列挙が終わり、放送らしく繰り返しに入ったところで、ジェットは息を吐き出した。


「ジェット?」

「……ん? なんだ」

「あんたも指定されるんだなって話だ。警護団だろ?」

「警護団だろうが旅の魔術師だろうが大差ない。要は固定給もあるフリーランスだ」


 旅の魔術師より随分と待遇がいい気がした。

 いっそドラクラスにいる間だけ警護団に参加していた方が懐は潤うのではないだろうか。


「……ともあれそういうわけだ。今日が休みで助かったな。参加するだろ? 早ければ明日の夜にブリーフィングでもあるかもしれない」

「ああ。……そういや会ったとき、ぶつぶつ独り言してたのはこのことか?」

「そんなところだ」


 皮肉を言ったら、今度は受け流されたように感じた。

 ジェットはアキラの疑念に気づいたのか、自嘲気味に小さく笑う。

 そして、恐らく、わざとだろう。


「それじゃあな。また調査の過程で話を聞くかもしれない。そのときは協力してくれ」


 歩き出しながら、去り際に、余計な置き土産をした。


「儀式のスペシャリスト―――フェシリア=“アーティ”とのことは、言える範囲で構わないが」


 それは、今日聞いたどの話より、アキラに密接に結びつくことのような気がした。


「それではよい休日を」


―――****―――


―――おっと。なんだい。心配してたのに随分上等じゃないか。集められるだけとは言ったが、原石をこれだけ仕入れるのも苦労したろう。カピレットも箱売りのもんじゃないね。これからも贔屓にさせてもらうよ。さあ、帰った帰った。たまには早く帰って家族サービスでもしてやんな。ほら、受付さん、何をぼさっとしてるんだい。検収書をお出し。…………おっと。


―――ご無沙汰してます。……と言っても、数日前も来てたんですけどね。


―――そいつは知ってるよ。私を誰だと思ってるんだい。顔も見せずに、随分人をなめてるね。私があの話に積極的だとでも?


―――してくれてますよね。……この街のためなんだから。


―――ふん。鼻に付く態度だね。……まあ、無い腹探り合ってもしょうがない。準備は進めているよ。そっちこそお仲間は説得できてるんだろうね? 今、ブリッグの街にいるんだっけ?


―――お耳が早いですね。……説得の方は、全くしていないですよ。そもそも俺の説得が通じるような奴じゃない。戻ったらもういないかも。……でも、それくらいの偶然引き寄せられなきゃそもそも破綻だ。


―――偶然と来たか。随分大げさ……、まあ、噂通りなら大げさでもないのか。期待しないで待ってるよ。むしろ私よりグリンプの坊やが騒ぎそうだがね。


―――……それで、彼の方は。


―――ふん。それとなく勧めといたよ。……そっちは大丈夫そうさ。流石に勇者様だけはあって、“正解”を引き当てそうだ。


―――……帰ります。またすぐ来ることになると思いますが、今日はそれだけ確認しに来たので。ありがとうございました。


―――はっ、あんたも世話しないね。方々駆けずり回って根回し根回しって、もっと感覚で生きりゃあいいのに、月輪らしくないね。


―――貴女に言われても説得力が無いですが、仕方ないですよ。これが俺の役割ですから。


―――ふん。難しいもんだねえ。転ばないってのも。


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