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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
東の大陸『アイルーク』編2
44/68

第50話『別の世界の物語(転・後編)』

――――――


 歪みは、生まれ始めていた。


―――まったく、失礼しちゃう。ねえ聞いてよ、せっかく庭のお手入れを手伝ってあげたのに、彼、なんて言ったと思う? ほら、隣のおじさんよ。


 晩御飯の時間、いつも微笑んでいる母が、不満を露わにしてそう言った。

 いつもなら小さな笑い話で済むはずの出来事も、小さな棘になって胸に落ちる。


 それでもやっぱり小さなことだと思ったから、自分も真摯に受け止めず、母に形だけの同調をして、その場をやり過ごしていった。


 父はいつも仕事で遅いし、隣の家のおじさんとおばさんにはよく面倒を見てもらっている。

 母も、世話になっているから、が口癖のようになっていて、よくお裾分けを自分に持っていかせていた。

 たまたま今日は、いや、今日もおじさんの虫の居所が悪かったんだろうな、そんな風に考えていた。

 その口癖を、もういつから聞いていないだろう。


―――最近妙にお野菜が高いわね、お店変えようかしら。それに、お魚も。いっそ自分で釣りにでも行ってみようかしら。


 小さな自分にはよく分からない話が多かったが、母が口にする言葉は不満が多くなっていったような気がする。

 ピンとは来ないが、大したことではないと思えた。前にも聞いたことがあるような話だ、ありふれた、当たり前の不満だ。

 自分だって、友達と水をかけあって遊んでいたら、自分だけ先生に呼び出されて怒られた。

 その友達は素知らぬ顔で見事逃げおおせて見せているのだ。謝りにも来ない。不満は尽きないのだ。

 だけど、母には言わないことにした。

 これ以上不満の空気がこの家に増えたら、大好きなシチューの味が悪くなりそうだったから。

 隣の家のおじさんの話題は、まったく出なくなっていた。言外に、もう行くなと言われているような気さえした。


 何かがおかしい。でも、総て些細なことのように思える。

 路地を曲がった正面にあった駄菓子屋が無くなったのも、坂を上った先にある公園が無くなったのも不満だったが、最近、自家製の野菜を育てるのが流行ったせいらしい。

 色々と散策して、困っている人を探しに散歩するのが好きだったのだが、気づけば一言も喋らずに家に戻って来る日が増えていった。

 たまたま宿題を忘れてしまったら母に、遊び歩いていないで家にいなさい、とすごい剣幕で起こられてしまった。

 それは今まで蓄積された母の不満が端を切ったように出てきたようで、自分の身体は恐怖で縛り付けられた。

 昨日も一昨日も、同じように、八つ当たりのように先生に怒られていた友達を見ていたからだ。


 不満は伝播し、蓄積し、爆発する。そして誰かにぶつけても、減ることは無いのだ。

 こんな思いをするのであれば、人と人のつながりを微塵にも感じられない外になど出たくはないとまで思った。


 道で誰も見かけない。

 村の声が、随分と小さくなっていった。


 何かがおかしい。みんなは気づいていないのだろうか。自分が見えていた、大好きだった世界が、こんなにも様変わりしているのに。

 何が起きているのだろう。子供の自分には分からない。でも、直感的に危機を感じた。


 だけど、思い起こしても、どれもこれもありふれた、本当に小さなことばかりだった。あまりに小さなことが大量に積み重なり、どうしようもないことのように思えた。だから、何が良かったとか悪かったとか、そういう風に振り返ることもできなかった。


 ある日、長かった宿題を終えると、夜になっていた。

 言い知れぬ恐怖に駆られ、こっそりと、何かから逃げるように外に出た。

 ぞっとするほどシンとした夜の村で、理由も分からず泣きそうになった。


 自分は何をしたいのだろう、何をしてもらいたいのだろう。

 必死に抑え込んでいた胸の中に溜まった棘が、身体中から吹き出しそうになった。


 空を見上げた。

 そこには、不気味なほど巨大な満月が浮かんでいる。

 見れば見るほど、自分の中の黒い感情が吹き出しそうになる。


 だけど、抑え込んだ。

 今それをしてしまえば、それが伝播し、もう取り返しがつかなくなるように思えた。

 諦めたくはない。


 あまりに漠然としたこの恐怖を取り除くために何をすべきか。


 決まっていた。全部だ。

 小さな不満がこれ以上降り積もらないように、自分はすべてに手を伸ばそう。

 駄菓子屋も母や友達を誘って探せばいい。遊具だってどこかに作って友達を誘ってみよう。隣の家にももっと遊びに行けばいいのだ。


 それを、今まで自分が見過ごしてきたすべての小さいことに出来れば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。

 まだ間に合うだろうか。


 月を睨み、自分は決めた。

 この村を、この言い知れぬ恐怖から守りたい。


 だから自分はすべてに挑もう。

 魔力を高め、気力を高め、漠然とした、しかし絶対的な巨悪に挑もう。

 この場所だけ、譲れない、譲りたくない。


 それは、村が滅ぶ2ヶ月ほど前の出来事だった。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


 ヒダマリ=アキラはピクリとも動かない身体を壁に預け、眼前の光景を眺めていた。


 赫く、燃え上がるような巨体を携え、鬼の形相で悠然と立つのはリイザス=ガーディラン。

 そしてその眼前。

 アキラとリイザスの中間に、小さな肩の少女が凛として構えていた。


「リイザス=ガーディラン。魔王直属の魔族ですよね。あなたに遭えたことは幸運です」


 リリル=サース=ロングトン。

 ヒダマリ=アキラ、スライク=キース=ガイロードと並び、現在世界中で勇者候補と認められている彼女は、この燃えるような灼熱の空間で、異形を前に、涼し気に立っていた。


「ほう、気が合うな、リリル=サース=ロングトン。一応問おうか。貴様らの持つ秘石を差し出せ。ヒダマリ=アキラの治療もあるであろう、その方が、互い理に適うと思うのだが?」

「魔族に何かを差し出す気などありません」


 リリルは、アキラの方を振り返りもせずにきっぱりと言った。

 彼女は秘石を持っていない。

 だが、そんなことは微塵にも出さず、魔族の提案に聞く耳を持たなかった。

 勇者としての在るべき姿に最も近い彼女には、魔族との交渉など端から選択肢にないのだろう。


「ふん。亡くすには惜しい命だと思うのだが、致し方あるまいな」

「あら、それなら場所を変えませんか? それこそお互いの理に叶うと思うのですが」

「―――ふ」


 リイザスの視線がアキラに走った。

 その眼光の圧だけで、重症のアキラは身体中が凍り付く。

 リイザスは、嗤っていた。


「見つけたぞ、お前の財を。ならば移動は論外だ。今、この場所でこそ、お前の真価が発揮されるのだろうからな……!!」

「……」


 リリルの喉が鳴った。

 アキラは訳も分からずその光景を眺める。

 だが、少なくとも分かったことは、今この場所にいると、この戦に巻き込まれるということだ。

 必死に動こうとしても、身体は微塵にも動いてくれなかった。


「再戦を望んでいたが、欲において言葉を違えるわけにはいかん。お前の財がそこに在るというならば致し方ない。さあ、死力を尽くしてもらうぞ、リリル=サース=ロングトン。お前の敗北は、ヒダマリ=アキラの死にもつながるのだからな」

「……それは、元よりです」


 リイザスの魔力の奔流が暴れる中、リリルが悠然と構える。

 いつの間にか自分の命がかかっていることになっていたアキラは、薄れゆく意識を必死につなぎとめていた。

 まずい。ついに戦闘が始まる。

 リリルの力は分からないが、戦ったアキラには分かった。

 リイザス=ガーディランは何ら遜色なく、規格外の化け物と言える。


 そんな魔族にリリルはひとりで挑むこの状況は、アキラにとって最悪の光景だった。


 犠牲者の名前は―――


「づ、」

「動かないでください、アキラさん」


 暴れ狂うリイザスの魔力を前に、リリルは優しくそう言った。

 心地よい声色に合わせて、涼やかな柔らかい風が鼻孔をくすぐる。

 感覚の鈍くなっていたアキラもようやく気付いた。

 リイザスの荒々しい魔力とは違う、柔らかく、静かな魔力が、すでにリリルの周囲に漂っていることを。


 膨大な魔力を前に、アキラはいつも危機感を覚えていた。だが、これには気づけなかった。

 吹き荒れるわけではない。包み込むようなその魔力は、しかし、荒ぶるリイザスの魔力と比べても遜色ない。

 そしてアキラは、その魔力を、何故か懐かしいと感じた。


「安心してください、大丈夫です」


 当たり前の言葉も彼女が使うと、身体中が和らいだ。

 その声は、安らぎと覚悟に満ちている。

 強大な敵を前に、まるで物怖じしないその姿を、人は何と呼ぶのだろう。


「約束しましょう、リイザス=ガーディラン」

「!!」


 リリルの手のひらが輝いた。

 周囲を満たした彼女の魔力が、その光に吸い込まれるように溶けていく。


 まさか、これは。


「私は死力を尽くします。いつも通り、徹頭徹尾。下手な探りは要りませんよね……!!」


 魔力を吸い込み続ける光は、徐々に形を変えていく。

 この魔力の動きを、アキラは幾度も見たことがあった。


 いかに魔道を極めようとも、到達できない領域がある。

 魔術師はおろか、魔力、魔術を知り尽くした魔導士でさえ、その領域に踏み込むことを許されない。

 血の滲むような鍛錬を積み、才に恵まれ、ありとあらゆる者から認められようとも、目の前に“扉”が現れることすらごく稀で、開くことができる者は更に限られる。

 使用者など存在しないと言い切ってしまっても構わない、“線”のさらに遥か先にあるその領域。


 今、ひとりの少女が静かに、しかし確かな足取りで、足を踏み入れた。


「ベルフェール・モッド」


 光を掴んで振るった手には、純白の槍が握られていた。

 彼女の背丈ほどのそれは、棒の部分には余計な飾りなどまるでなく、頼りなさを覚えるほど細かった。

 しかし、その先端。一抱えほどある巨大な漆黒の刃が矢印のように装着されていた。

 煌々と黒光りするその刃は、彼女を纏う優しい空気の中で、唯一にして絶対的な危機を周囲に警鐘させていた。


「ぐ―――“具現化”……!?」


 リリルは黒白の槍を羽のように振るって、構える。

 そしてその静かな瞳でリイザスを捉え、呟いた。


「―――ファロート」


 ブ、とリリルの姿が消えた。


 気づけばリリルは驚異的な速度でリイザスに迫っていた。

 槍の先端を敵に向け、リリルはその姿を銀の矢のように鋭く尖らせ突進していく。


 リリル=サース=ロングトンは月輪属性。

 日輪属性に並ぶ希少性が著しく高い―――“不可能を可能にする属性”。


 ファロートという魔術は、以前アキラもこの身に受けたことがある。

 あたかも木曜属性のように身体能力を強化し、それに伴う認識能力も上げる戦闘用の魔術だ。

 受けた身としては、自分だけが他の時間から切り離され、世界のすべてが遅く感じるほどに戦闘力が向上する。

 他の属性の力ですら、月輪属性は模倣し、使いこなすことができるのだ。


「ハ―――フンッ!!」


 リリルの突撃に対し、リイザスは正面から拳を打ち出した。

 燃え上がる隕石のような拳を前に、リリルは即座に突撃を止め、宙を舞うように回転して拳を回避する。

 そしてそのまま流れるように槍を持ち変えると、拳を繰り出したリイザスの腕を目掛けて鋭く一閃を走らせた。


「はっ!!」

「む!?」


 狙われた腕を、リイザスは強引に振り下ろし、槍の一撃を回避した。

 だが、それだけに留まらずそのまま拳をピタリと止めるとリリル目掛けて殴りつけるように振り上げる。

 ボッ、と戦慄するような拳をリリルは辛うじて回避し、再び舞うように槍を突き刺す。

 だが、リイザスも即座察知し、容易く回避してみせた。そして即座にリリルとの間を詰める。槍を相手に距離を保つことは不利だと考えているらしい。

 互いの距離は平均しておよそ1メートル。

 黒白の槍と赫の拳が怒涛の応酬を繰り広げる中、互いに攻撃がかすりもしない。

 超近距離の極限領域で、巨大な影と小さな影が巡るましく暴れ回っていた。


「スーパーノヴァ!!」

「―――っ、」


 バゴッ、とリイザスの拳が大地を打った。

 動きを読んだのか、リリルの行き場が封じられる。

 好機を逃さずリイザスは即座に接近し、再び赫の拳を振るった。


「―――ベルフェール・アグル!!」


 リリルが叫んだ瞬間、リリルの持つ槍が中間でパキリと割れた。

 面食らって動きを止めたリイザスに、リリルは刃の付いていない左手の棒を鋭く突きさす。

 しかし、次の瞬間、その棒の先端には右手に持つ槍と同じような漆黒の刃が出現し、黒い軌跡を残してリイザスの胸に吸い込まれていく。


 ザシュ!! と鋭い斬撃音が響いた。血なのだろう、リイザスの胸から赤い体液が飛び出す。

 リイザスの目が見開かれたと思ったのも束の間、リリルは迷わず右手の槍を鋭く繰り出した。


「グッ―――ガァッ!!」

「な!?」


 今度は追撃しようとしたリリルが目を見開いた。

 リイザスの身体中から膨大な赫の魔力が吹き出し、リリルに浴びせかけられた。

 即座に離脱を決定したのか、リリルは迷わず背後へ飛び、魔力の塊と化したリイザスから離れて息を整える。


「ふう……、ふう……、ふう……。ベルフェール・モッド」


 両手にそれぞれ握っていた黒白の槍は、リリルが束ねるように持つと、再びひとつの長い槍に戻っていた。

 そして構えを取る。


 これがリリルの戦闘スタイルなのだろう。

 肉弾戦ではファロートを使用して身体能力を引き上げる。

 そしてあの具現化。

 中距離では長槍、短距離では二対の短槍と、状況に応じて姿を変えるらしい。

 リイザス=ガーディランとあの超近距離で争い、生還するどころか攻撃を見舞ってくるとは。

 リリル=サース=ロングトン。

 ただひとりで旅をして、世界で勇者と認められる存在は、これほどのものなのか。


「ハ―――ハハハハハ」


 響くような歓喜の声と、それに伴う暴風のような魔力が巻き起こった。

 胸から体液を垂らし、しかし微塵も庇う様子無く、リイザス=ガーディランは打ち震えるような喜びを表し、その形相でリリルを睨んだ。


「いいぞ、最高だ。リリル=サース=ロングトン。今まで幾人も月輪を見てきたが、ここまで戦闘に特化した者はほとんどいなかった。飛び回ることしか能のない下らん輩もいた、児戯にも劣る光弾を放つだけの輩もいた、だが、貴様は強い」

「魔族の言葉など、まるで嬉しくありません」

「ふん、連れんな。だが私は貴様を高く買うぞ、リリル=サース=ロングトン。“設計図”をそこまで戦闘に落とし込めたお前となら、至高の死合いができるであろう」


 ズギ、とアキラの頭が痛んだ。

 感覚の死んだ身体が、それでも警鐘を鳴らした。


「設計図? 具現化のことですか」

「ふ、面白いな、全知の月輪が分かっておらんとは。無意識なのか。仕組みも知らんでは真価も発揮できまい。“それ”は、貴様が“認められた”証なのだ」

「傷が癒えるまでの時間稼ぎですか? それなら聞く気はありませんが」


 リリルは冷たく言い放ち、突撃しようと構えを取る。

 だが、リイザスは動じず、口元を歪めた。


「落ち着け、この傷はそう簡単には癒えん。だからこそ惜しいのだ、貴様が足りていないことが。月輪は“知る”ことで力を増すのだから聞いておくのだ。さすれば次はこの首を跳ねられるかもしれんぞ」


 リイザスは高らかに笑いながら言い放った。

 アキラの頭の中で警鐘が鳴り続ける。

 自分は一体、何をこれほどまでに恐怖しているのか。


「貴様は“あの領域”から“設計図”を取り寄せる権利を持っている。魔力での物体生成作り出すための設計図だ。さあ自覚しろ。お前の中に確たる接続権が見えるはずだ。その形をお前の思い描く通りに心の中にな……!!」


 リリルの力に歓喜し、嬉々として語るリイザスは、無邪気な子供のようにも見え、そしてすべてを修めた見識者のようにも見えた。

 身体が震える。

 分かった。

 自分の悪寒の正体が、分かってしまった。


 まずい、このままでは。


「…………なるほど」


 リリルがぽつりと呟いた。

 手に持つ槍から溢れ出すような光が収まり、アキラの目にはその姿がより具体的に見えてきた。

 感じる。リイザスの言葉で、きっかけで、リリルの具現化はより完全なものに近づいたのを。


「一応、耳は貸すものですね。お望み通り、次は首を跳ねましょう」


 リリルの力が強化された。

 その光景に、リイザスは嬉々として嗤う。


 アキラは身体を必死に動かそうとした。

 未だ感覚が無い。

 だが、危機感だけが沸き上がる。


 認めよう。

 リリルは確かに、アキラなどよりもリイザスに対抗し得る力を持っている。


 だが、先ほどの攻防で、アキラは感じてしまった。

 傷を負ったのはリイザスだが、リリルの方が圧倒的に消耗している。

 リイザスの魔力が暴れ回るこの戦場、立っているだけで気力も体力も奪われるのだ。

 リリルは涼しい顔を崩さないようにしているが、先ほど魔力の暴風を浴びせかけられただけで、身体中焼け爛れたように負傷しているだろう。

 その上彼女はファロートをその身にかけている。木曜属性の力とは微妙に異なり、あの魔術は身体に強い負荷がかかる。


 未来が見える。

 きっとリリルはまたあの極限領域に踏み込み、リイザスと死闘を繰り広げるであろう。

 戦いは続き、そしてずっと消耗し続ける。

 リイザスにとっては望ましいその戦いの結末は、もう、見えていた。


 そして、その上で。

 恐らく、リイザスは。


「アキラさん。もう少し待っていてください。絶対に、大丈夫ですから」


 強く清く聞こえるその言葉は、まるでガラスのようだった。

 直接手を合わせた彼女自身、恐らくもう、分かっている。

 それでも、毛ほども不安を外に出さない彼女は、まっすぐにリイザスを見ていた。


 そして呟く。

 彼女の未来が定まっているかのように、また死地へ飛び込むために。


「―――ファロート」


―――***―――


 ホンジョウ=イオリは速やかに状況把握に努めた。

 逸れた仲間のエリサス=アーティ、そしてアラスール=デミオンとの合流は成功だ。

 空は開いているから、ここなら召喚獣を呼び出して、全員で離脱できる。

 問題は姿が見えないヒダマリ=アキラ、そしてアルティア=ウィン=クーデフォン。

 そして、リリル=サース=ロングトンだ。


 ここへ来る途中、この樹海で、何度も轟音が響いていたのは聞いている。

 恐らくすでに、別の場所でも戦闘が始まっているのだろう。


 イオリは慎重に考える。

 “過去”、自分はこの依頼に参加している。起こることはすべて知っているはずだ。

 だが、すでにその規定事項に大幅な齟齬が生まれていた。


 ひとつはリイザス=ガーディラン。

 まさかあの魔族が出現するとは。

 いや、もしかしたら“あのとき”も出現していたのかもしれない。

 あのときは、“魔門”が起こした現象がこの樹海を“知恵持ち”や“言葉持ち”で埋め尽くし、状況把握もままならないまま終わってしまったのだ。

 もしかしたら、魔族も数体紛れ込んでいたかもしれない。

 説明しようにも、イオリ自身必死で目の前の敵を撃破し続けることしかできなかった。

 誰が何をやって、何が起こったのか自分も知らない。

 知っているのは、アイルークの大陸に広まりかけた魔物の群れをすべて掃討できたことと、ひとりの命を失ったことだけだ。

 事切れた“彼女”を背負ってきた“彼”は、何も言ってくれなかった。


 この魔門破壊、以前とはまるで様子が違う。

 恐らくは、目の前のふたつ目の齟齬のせいで。


「ねえ、聞いてんの? わざわざ私がお願いしてんだけど。とっととこの黄色い壁消せって」


 エレナ=ファンツェルンが苛立ちを隠しもせずに言葉を浴びせているのは黄色い人形だった。

 リイザスが魔門から現れたのかは定かではないが、この黄色い人形はおそらく魔門が起こした現象だろう。

 現に、黒い煙を漂わせる地面の上に立ち、エレナの言葉を聞き流している。

 エレナの言う通り、樹海を迷路に変えた黄色い壁を作り出したのはこの人形だろう。

 疑似的にとは言えこれだけの建造物を作り出し、維持し続けるなど人の図れる魔力の量を超えている。


 具体的な現象は違えど、もし、魔門が起こす現象の“質”が同等のものだとすれば、あの黄色い人形はあのときの地獄絵図と等価ということだろうか。


 周囲を見ると、木々はなぎ倒され大地は至るところが反り返っている。

 すでに一戦交えたらしいエリーとアラスールは無事のようだが、危機的状況には変わらない。


 どうする。


「エリーさん、あいつは、なんだ。魔族なのか」

「魔族みたい。ルゴール=フィルって名乗ってた」

「金曜属性……だな」


 同じく金曜属性のミツルギ=サクラが腰を落としたのが視界の隅に入る。

 ルゴール=フィル。やはり知らない魔族だ。

 はっきり言って、分からない相手とは戦いたくない。全員の命を考えると、臨戦態勢のサクを制して強引にでも召喚獣を呼び出すべきだろうか。

 だが、相手の攻撃方法が分からない。

 下手に1か所に固まると、どんな被害を受けるものか。


 ちらりと見ると、アラスール=デミオンも臨戦態勢に入っていた。

 同じ魔導士の彼女は、戦うのが最善と判断しているようだ。


 さて、自分はどうするべきか。

 魔導士として判断すべきか、あるいは、“記憶を持つ者”として判断すべきか。

 戦場に立つたびに、必ず目の前に現れる壁だった。


 ゴッ!!


「……!」


 轟音で我に返った。

 見れば痺れを切らしたらしいエレナがその拳をルゴールと名乗ったらしい魔族に突き刺していた。

 ルゴールはまさしく人形のように殴り飛ばされ、迷路の壁まで軽々しく飛んでいく。

 自分にもあの思い切りの良さが欲しい。


「……なるほどね」


 拳を突き出したまま、エレナは小さく呟いた。

 イオリもすぐに短剣を取り出し、構えを取る。

 どうやら今は、アラスールと同じく、魔導士としての判断をするべきなのだろう。


「な……」


 壁まで殴り飛ばされたルゴールから、耳を覆いたくなるような勢いでぶつかった音が響いた。

 ルゴールが生命体なら生きているとは思えないほどの衝撃だが、エレナの表情はいつしか険しくなっていた。


 そしてイオリにも見えた。

 吹き飛んだ人形が、壁の前で、平然と立ち上がった光景を。


「魔導士ふたり!! 魔門を壊せ!! あんなのがうじゃうじゃ出てきたら面倒だわ!!」


 叫び、爆発的な速度でエレナが走った。

 魔門を平然と踏み潰し、立ち上がったルゴールに高速で接近していく。

 そこで、初めてルゴールが口を開いた。


「驚いた、アラスールだと思っていたのに。君だ、君が危険だ、何よりも」

「るっさい人形ね。……!」


 接近したエレナに応じ、ルゴールの身体が光り始めた。

 危険な気配を感じ、魔門へ接近していたイオリは動きを止める。

 直後、ルゴールの身体から黄色い矢が飛び出し、魔門へ向かおうとした者に向かって放たれた。


「メティルザ!!」


 イオリは全員の前に立ちはだかって魔力を展開させた。

 眼前にグレーカラーの壁が出現する。

 ルゴールから放たれた黄色い矢は、壁に触れた途端動きを止め、衝撃すらなく消失していった。


 疑似的な盾を出現させられる属性は多いが、イオリの土曜属性は魔術に対して強い抵抗力がある属性だ。

 魔族の魔力を前にしても、それが魔術攻撃である以上、ましてや得意とする金曜属性ともなれば、イオリの魔力量ならほぼすべて完封できる。


「イオリちゃん、ナイスよ!!」


 背後からアラスールの激励が飛ぶ。彼女は魔門を破壊すべく動いたのだろう。

 だが、イオリはまるで喜ばなかった。

 褒められたところで、目の前の光景がそれより遥かに異次元の領域だった。


「はっ、」


 魔族の魔力で放たれた無数の矢の中、平然と前進を続ける者がいた。

 エレナ=ファンツェルン。

 5属性の中、最も希少な木曜属性を有する彼女は、身体能力において他の追随を許さない。

 常人では存在すら許されない攻撃の嵐の中、彼女はその身ひとつでかわし切り、遂にルゴールの目前へ迫っていた。


「ふう、やっと着いたわ」


 爆発音としか聞こえない打撃音が轟いた。

 エレナが再び見舞った拳はルゴールの顔面を捉える。


 ゴッ!! という鈍くも激しい打撃音が響く。しかしルゴールは、今度は吹き飛ばなかった。


「……人形って、あれか、粘土の方か」


 エレナの拳に、ルゴールの顔面は原形を留めていなかった。

 拳の軌道そのままに大きく陥没し、首から上が数メートルも背後に伸びている。

 だが、それゆえに、エレナの打撃を受け流しているようだった。


「……やはり危険だね、君は」

「あらありがとう、人形さん。どこから喋っているのかしら?」

「無駄だよ、時間稼ぎは。キュトリムは怖いんだ」

「!」


 一瞬、ルゴールの動きが目で追えなかった。

 気づけばルゴールの身体は遥か上空に跳んでいる。


 そして再び光を放つと、今度は上空から黄色の矢をイオリたち目掛けて降り注いできた。


「―――づ、メティルザ!!」


 放たれた魔術に対し、イオリは上空に盾を展開した。

 降り注ぐ矢の中、アラスールに視線を走らせ、退路を探す。

 矢だけなら構わないが、ルゴール自身がこの魔門へ向かって落ちてくるのが見えていた。

 魔族と至近距離にいたいと思える者などエレナくらいであろう。


 やはり奴の狙いは魔門の守護。

 そうやすやすと破壊させてはくれないらしい。


「危ないな」


 ルゴールは、まっすぐに魔門の上に着地し、再び悠然と立ちはだかった。

 離脱し、距離を取り、イオリは構える。


 跳躍力は把握した。遠距離攻撃も把握できた。

 それゆえに、召喚獣を出現させ、全員が乗り込み、無事に離脱するのは容易くはない。

 意識を目の前の敵から離さないまま思考を進め、活路を見出す必要がある。

 今までずっとやってきたことだ。


「……エレナ。あの魔族はどれだけ強い」


 戻ってきたエレナにイオリは呟くように聞いた。

 恐らくエレナは、アラスールよりも、あの魔族の力を正確に測れているだろう。


「……そんなことはどうでもいいでしょう。それよりあんた。どうするつもり? 逃げたいの? 倒したいの?」


 それを判断するために情報が欲しいのだが、言っても無駄だろう。

 エレナから冷ややかな視線が浴びせかけられた。もしかしたらエレナの推定では、旗色が悪いのかもしれない。

 自分とエレナの物の考え方は根本的に違う。

 情報から目的を決定するのか、目的から立ち回りを決定するのかだ。

 エレナの考え方はより実践的であると思われるであろうが、イオリの経験上、多くの場合そこに優劣は生まれない。

 何故なら生きたいのか、勝ちたいのかと問われているようなものだからだ。


「私は魔門をぶっ壊したいわ。ついでにそこの薄汚い人形もね」


 そして、エレナの目的は決まっていた。

 他の面々に視線を投げると、皆まっすぐにルゴールと魔門を睨んでいる。


 まただ。

 また目の前に、無数の選択肢が広がっていく。


 自分には“情報”があり、そして選択肢が存在している。


 今この場で、全員をこの場から連れ出せるのは自分だけ。

 その自分が深く戦闘に介入すれば、万一の場合この樹海から離脱する術を全員が失ってしまう。

 一方で、戦闘に介入しなければ魔門破壊を達成することはできないかもしれない。


 この場にいないアキラは言った。

 魔門を破壊する、と。

 彼は自分の出した問いに、応じてみせた。

 それなのに、自分は未だ、過去の記憶に縛られて、いつでも退避できるように立ち回ろうとしている。


 遠くから定期的に爆撃音と振動が届く。

 きっと彼は今、迷路のどこかでリイザスに応戦しているのだろう。この場に魔族がもう1体増えれば、魔門破壊は不可能だろう。

 彼もまた、勝つために行動している。


 その誠意に、自分は一体どう応えればいいのだろう。


「エレナさん。奴は打撃に強いのか?」


 不安定な自分を追い越して、サクがエレナの隣に並んだ。

 その長すぎる愛刀を握りながら、前を見ている。


「あら。妙にやる気じゃない。そうね、最初に殴ったときは固くて、次に殴ったら柔らかかった、そんな感じね。切り替えられるんじゃない?」

「随分感覚的な表現だが……、誰のせいかな、よく分かる。それならこちらも攻撃方法は増やした方がいいだろう」


 サクの手が、胸に仕舞った秘石に伸びたのが分かった。

 彼女も、この場の離脱を考えていないようだ。


 まずい。このままだと。


「……」


 止めようとしたが、ふたりの表情に、口が閉ざされた。

 今ならまだ離脱できる可能性があるが、魔族と正面からぶつかれば余裕が残るとは思えない。

 このままだと死傷者が間違いなく出てしまう。


 思考は確かに危険を訴えている。

 だがそれが、専門家の知識からくるものなのか記憶からくるものなのか分からなかった。


「イオリさん。私たちは奴を引き付ける。その間に魔門を破壊してくれ。私の秘石は奴に使う」

「……くれぐれも無茶だけはしないでくれ。こんな樹海の中じゃ助からない」


 辛うじて言葉を発した。何の意味もないことは分かっている。

 この場で治療ができそうなのはアラスールだけとなると、深手を負ったらそれだけで致命となるであろう。


 せめて、


「……あのガキは来ないでしょうね」


 言わんとすることが分かったのか。つまらなそうにエレナが口走った。


「魔導士。あいつの強さを聞いたわよね? 上の下よ。下手に刺激したらどうなるか分からないけど、まあ何とかなるでしょう。だからね、あのガキはここには来ないのよ」


 エレナの身体から徐々に魔力が漏れ出した。


「短い付き合いでも分かったわ。あのガキはとことん馬鹿ね。あの子にとって、両親の仇とか、使命とか、どうでもいいのよ。ただただ危険な場所に行っちゃうの。そこで助けを求めている人がいると思って」


 溢れた魔力はいつしか暴風となり、エレナの周囲を荒々しく暴れ回る。

 ルゴールから、ピリ、という空気が漏れた。

 もう後には引けない。

 魔族がこちらを警戒対象として認識してしまった。


「魔導士とは真逆のこと言うけど、従者ちゃん。精一杯無理しなさい。使えなかったら承知しないから」

「……酷い物言いだ」

「利用し利用されの人生だもの。あんたも都合よく私を使ってみなさいな」


 仲間として息の合った戦闘を彼女とすることは不可能だろう。

 直感的にそう思った。

 ならばそう割り切るのもひとつの手なのかもしれない。


「じゃないと、もっと危険なのとやり合っているアキラ君が可哀想でしょう」

「……ああ。そう言われたら仕方ないな」


 サクとエレナがルゴールに対峙する。

 イオリは余計な思考を追い出して、戦闘に意識を落としていく。


 ルゴールは、ちらりと足元の魔門を見て、そして笑った、ように見えた。


「なるほど。やっぱり秘石で破壊するつもりだったのか。でも、秘石持ちの所在は知れたね」


 エレナが巻き起こす魔力の暴風の中、魔族は悠然と構えを取った。


―――***―――


 月輪属性は未だ謎に包まれている属性ではあるが、魔術師隊にも一定数存在するらしい。多くの場合、事象の遮断や未来予知と言った魔法が期待され、別枠で扱われることが多いそうだが、リリル=サース=ロングトンはその期待をすべて裏切るであろうと自覚していた。


 未来など見えたことも無いし、一説によると可能らしい時間操作もままならない。

 多少の攻撃魔術や治癒魔術は使用できるが、特に治療は得意ではない。


 旅を始めた当初、自分にできることは何なのかと探りに探った結果、生まれた結論―――自分には、何もできない。


 何をしても、他の属性の方が圧倒的に優位に立ってしまう。月輪属性は、他の属性が息をするように容易くできる事象を、回りくどく勿体付けて、幾重にも魔術を発動させなければ、再現できないのだ。

 月輪属性は、完成された状態で、初めて人に必要にされるのだと認識した。


 村を滅ぼされ、変える場所も行く場所も無く、残されたこの身体にすら、何もないという現実。


 たくさんのことができるようになりたい。たくさんの人を救いたい。

 幼い頃に思い描いた自分の像は、自分の世界のどこを探しても存在しないと痛感した。

 世界を救うなどとは口が裂けても言えないほど、すべてに劣った自分に、リリルは絶望しかけていた。


 “しかしそれは、誰かを助けない理由にはならなかった。”


 誰かと共にいても、足手まといになるというなら自分ひとりでも進む。

 自分がただそこにいるだけで、誰かが救われるなら、それでよかった。


 “扉”が目の前に見えたのは、一体いつからだったろうか。


 そしてそれから、自分はたったひとつのことができるようになった。


「ふぅ―――ふぅ―――ふぅ―――」


 赫い拳が眼前から迫る。離脱は追撃をかわせない。頬を掠らせるほど最小限に身をよじり、足を踏み出す―――は不正解。足元を爆破されたら至近距離で動きを止められてしまう。槍を分けて拳を迎撃する。拳に槍を突き刺す寸前、その拳がピタリと止まり、薙ぎ払うように野太い足が放たれた。上へ? 下へ? いや、今度は離脱が正解。しかし追撃を許さぬように槍は正面に伸ばしたまま。回避と同時、迷わず突撃する。動きを牽制されていた“敵”は片足のまま止まっている。このまま串刺し―――と思ったのも束の間、今度は“敵”が槍の一撃に身を掠らせながら突撃してきた。離脱はせず、すぐに槍をふたつに分け、その突撃を周り込むように側面に移動し、ふたつの槍で連撃。決まりかけた瞬間、離脱した。“敵”は身から魔力を強引に放出させ、“攻撃”してくる。ならばと槍をひとつにまとめ、灼熱地獄に槍を突き刺した。しかし離脱されていたのか、燃えるような赫の煙の向こうに手ごたえはなかった。再び接近しなければ。


「ふぅ―――ふぅ―――ふぅ―――」


 リリルは自らの“武器”を操りながら、リイザス=ガーディランを攻めていた。

 自らの時を早めるファロートという魔法により高められた知覚は、脳に目まぐるしく変わる戦闘の状況を強引に処理させる。


 リリルが現出させた具現化―――『ベルフェール』は戦闘に特化した武具である。

 用途に応じて姿を変えるこの武具は、月輪属性としてはいささか型破りなリリルの戦闘力を大幅に上昇させる戦闘用の具現化だ。

 槍の先端に付く漆黒の刃は、土曜属性の力と特徴が近しいのか魔術的な防御を許さない。

 強大な魔力を持つ敵は、打撃であろうが斬撃であろうがその魔力で封殺してしまうことが多く、旅を始めた当初、リリルも店で購入した武具を幾度となく砕かれていた。

 相手が破壊と封殺を得意とする火曜属性ともなれば、まるで歯が立たないであろう。

 だがこの具現化は、リイザスに封殺を許さない。

 リイザスの身体の物理的な固さに阻まれて致命傷を負わせられてはいないこそすれ、着実に損傷を与えられている。


「ふぅ―――ふぅ―――ふぅ―――」


 著しい情報が頭の中をかき回すように巡る。

 こちらの攻撃は通用するとはいえ、相手は一撃でもこちらに浴びせれば勝利だ。

 火曜属性のリイザスは、相手を完全に封殺しながらも、必殺の一撃を放ち続ける戦闘スタイルなのだろう。

 決して深追いはせず、決して引きすぎず、相手が最も戦いにくい状況を作り続けなければ瞬殺されてしまう。

 食らいつき、食らいつかれず、自分のすべてを戦闘に注ぐ。

 魔族との至近距離での戦闘は、傍から見れば正気の沙汰ではないが、リリルは経験上、自分にとって最も安全な戦闘方法であることを知っていた。


 リイザスは言った。

 自分の“財”を奪うと。


 自分の“財”とは何だろう。

 自信をもって、この世界すべてのことだと断言できる。


 しかしそれだけだろうか。


 背後で倒れている“彼”も、この世界にとって重要な財産だ。

 自分にとっても、尊敬すべき、憧れの人物だ。


 それらをすべて奪うと言っているのだろうか。

 負ければすべてを失うと言っているのだろうか。


 僅かでも判断が遅れれば間違いなく死ぬ。

 だが恐怖は無かった。いつものことだ。

 誤ればすべてを失うのはリリルにとって、竦む理由ではなく奮い立つ理由だった。


 そうやって今までも、人々の救いを築き上げてきた自信がある。


「ハッ!!」

「ッ―――」


 また爆撃による目くらまし。もう何度目だろう。リイザスのただの防御行動で、身体中が燃えるように痛む。

 リリルの戦闘経験上、リイザス=ガーディランは最強の敵だと断言できる。

 これほどまで長く、自分の前に立っていた敵は未だかつていなかった。


 だが、撃破しなければならない。

 この魔門破壊最大の障害を取り除くことは、アイルークの人々にとって、ともすれば全世界の人々にとって大きな希望となる。


 焦るな。頭と身体の動きを止めるな。

 攻め続けることしか、自分にはできないのだから。


「ベルフェール・モッド!!」


 防御の爆撃をかわし、リリルは槍を突き出した。

 爆撃の向こうで再び空を切る。

 予想していたリリルは迷わず熱風に飛び込み槍をさらに突き出す。僅かな手ごたえに、リリルは深追いせず、すぐさま敵の迎撃に備えた。

 爆炎の中、巨大な影を視界の隅に拾い、思考を高速で動かす。


 爆風。

 リイザスは想定した行動パターンの中で最も確率が低いと思っていた行動を取った。

 リリルの突撃に対して行っていた防御用の魔力の放出。

 眉を潜めてその身を引かせると、リイザスは拳を振り上げ、リリルを必要に牽制する。


 何か狙いがあるのか。

 その防御をされるとリリルは離脱せざるを得ないが、今までの行動上、連続では放出できないはずだ。その分隙が生まれる。


「ベルフェール・アグル!!」


 リリルは再び突撃し、リイザスに連撃を浴びせかける。

 巨体の割に素早くかわすリイザスが接近してくるのを見ると、リリルは回り込もうとする。

 だが。


「っ……!!」


 再び身体から魔力を放出する。

 接近ができない。

 だがそれはリイザスにとっても上手く無い手のはずだ。無駄な魔力の浪費になる。


 いったい何を。


「―――ズッ―――」


 自分の口から変な音が漏れた。

 赫で染まっていた周囲の色が、一瞬黒くなる。


「―――やはりか」


 リイザスの声が妙に遠く聞こえた。

 放たれる拳を今まで通りに回避し連撃を放つ。

 今まで通り、何も変わっていない。


「リリル=サース=ロングトン。貴様は強い。だが、私以上の敵と戦ったことがあるか?」

「―――ヒュ―――ヒュ―――」


 口から空気が漏れた。

 苦しい。まともに息ができない。


「“私はあるぞ”。自らより高みにいる敵と戦ったことが」

「―――カ―――フ―――」


 たまらずリリルは離脱した。

 僅かながら何が起きたか理解できた。

 ファロートは身体への負荷が高い。それは単純に身体だけではなく、ありとあらゆる情報を処理する脳への負荷が高いのだ。


「自らの“最善”が通用しない敵。惜しいな、お前も出会いに恵まれていれば、私の行動をもっと警戒できていたであろう」


 リリルもファロートの負荷からくる自分の限界を理解していないわけではなかった。

 戦況は巡るましく変わる。

 リイザスが最適な行動を取らなかったことでそれがノイズとなり、リリルの“最善”を操作されていた。

 本来ならば一呼吸できるタイミングで、思考の停止が許されない一瞬が連続で現れた。

 深追いしないと決めていた限界ラインに、片足が僅かに触れてしまったのだ。


 その一瞬は、リイザスにとって十分すぎた。

 魔族の巨大な身体が高速で接近してくる。


「至高の時であったぞ、リリル=サース=ロングトン。よくぞここまで耐え抜いた」

「っ、っ」


 少しでも何かを思い浮かべただけで、脳に痛みが走る。

 分かっているのは、振り下ろされようとしている赫の拳。

 点滅するように暗転する視界が、その死を知らしめていた。


 リイザスの拳が、爆炎と共に、放たれる―――


「―――その通りだ。よく耐えた!!」


 血を流れていた耳が、響くような声を拾った。


「キャラ・スカーレット!!」


 爆撃。

 よろけていた身体は吹き飛ばされ、しかしすぐに捉まえられた。

 激しい頭痛は治まり始め、視力がようやく戻って来る。


 肩をしっかりと掴んでくるのはヒダマリ=アキラ。

 先ほどまで、背後で倒れていた勇者様だった。


「…………まさかな」


 アキラの攻撃に弾き飛ばされたリイザスが、悠々と立ち上がった。

 しかし表情には驚愕と愉悦が浮かんでいる。


 リリルにとっても何が起こったのか分からない。

 彼は半死半生で、倒れていたはずだ。


「ヒダマリ=アキラ。再戦は近いと思ったが、まさか今ここでとは、楽しませてくれる。聞くが、何をした? 日輪属性とはいえ、この場での再起は難しいと考えていたが」

「俺は七曜の魔術師を集める勇者らしい。リリルと違って、仲間に助けられてばっかりだ」


 アキラはリイザスを睨みながら不敵に笑っていた。


「……うちにはいるんだよ。優秀な治療担当が」


 振り返ると、そこには小さな女の子が立っていた。

 胸を張って、堂々と。

 そしてすぐに駆けよってくると、自分にその手のひらをかざしてきた。


「間に合った!! 間に合いました!! 良かったよぅ、リリにゃん、じっとしててください!! すぐに治します、大丈夫です!!」

「ア……アルティアさん……?」

「大丈夫です安心してください、ティアにゃんさんです、絶対に治します!! ごめんなさい遅くなって、あっし、迷路苦手なんですよぅ!!」


 頭痛が酷くなったが、スカイブルーの光を浴びて、身体中から燃えるような熱が急速に引いていった。

 アルティア=ウィン=クーデフォン。

 ヒダマリ=アキラの水曜の魔術師として紹介されていたが、彼女がアキラを治したというのだろうか。


 しかし、これは。


「まさかな……。貴様、あのときの子供か」

「ひっ、ちょちょ、待ってください。アッキー、あの、もう少しお時間ください、リリにゃん火傷だらけですぐに治さないと……!!」


 気づけば自分はいつの間にか重傷だったらしい。

 戦闘が途切れ、身体中に痛みが走る。

 これもリイザスに戦闘をコントロールされていたせいかもしれない。あのときでなくとも、自分は近いうちに倒れ込んでいたのだろうか。


「ティア、リリル、ふたりは逃げろ!! 今度は俺が引き受ける……!!」


 アキラが庇うように前に出た。

 睨む先は、満身創痍の自分とは違い、悠然と立つリイザス=ガーディラン。

 限界まで戦っても、あの魔族には届かなかった。


 そして、その魔族は、そんなアキラを見て顔をしかめた。


「その子供を、いや、名を覚えよう。アルティア、というらしいな。邪険に扱うな。私にとって今日最高の出遭いかもしれん」

「ひぅ……」

「何言ってやがる」


 リイザスの眼光を浴び、震えるティアはしかし着実に治癒魔術をかけてくる。

 だが、これは本当に治癒魔術だろうか。

 今まで治療をしてもらったことはあるが、これがあれと同種だろうか。


「リリル=サース=ロングトン。貴様は気づかんか。魔族の攻撃だぞ。治るわけが無いのだよ、ヒダマリ=アキラが、この短時間で」

「?」


 アキラは眉を潜めているが、リリルもリイザスの言わんとすることが分かった。

 もしかしたら、アキラにとって、いや、アキラの仲間にとって治癒魔術とはアルティア=ウィン=クーデフォンを基準に考えられているのかもしれないから、分からないのかもしれない。


 彼女の治療は―――早すぎる。


「……ありがとうございます」

「わわ、リリにゃん駄目ですまだ、」

「いや、“大丈夫なんです、あなたのお陰で”」


 未だに痛みは走るが、この程度、動きに何ら支障はない。

 動揺と共に、アキラと共に立ち並んだ。

 隣のアキラは、身体中が焼けただれているように見えるが、十分すぎるほどの活力を感じる。

 これもティアの力によるものか。


「ティアさん、あなたは……いえ、後にしましょう。アキラさん、共闘させていただきます」

「それは俺のセリフだ。リイザスを撃破するぞ」


 隣に誰かが立って戦闘するなどいつ以来だろう。

 だが、強い安心感を覚える。

 先輩の勇者様に、その仲間の特異なバックアップ。

 今まで以上に力が振るえそうだった。


「はい。反撃開始です……!!」


 パンッ、と手が叩かれた。


「良いぞ。良いぞ良いぞ。勇者がふたりに、治癒の枠を超えた水曜の術者。今日は良き日だ。これではまるで、私に戦い続けることを強いているようではないか……!!」


 愉悦に貌を歪ませ、“財欲”の魔族は高らかに笑う。

 その笑みにリリルは眉を潜ませると、隣のアキラからピリとした空気を感じた。


「戦い続けるのは良いが、私ももう少し楽しませてもらいたい。アルティア。今度は貴様を見定めよう。はたして、どこまでその治癒が可能なのか……!!」

「ちっ、駄目だ!! リリル、ティア、逃げろ!!」


 アキラが叫んだ。

 彼は何か決定的な危機を感じているようだ。

 その正体は分からないが、危機感だけは伝わってくる。


 そしてそれは、リリルも即座に分かった。


「―――リリル=サース=ロングトン。誇ってよいぞ」


 赫の世界が歪み、流れを生み、リイザスの周囲を舞い始める。


「……っ、やっぱりか」

「ま、まさか、アキラさん、知っていたんですか……?」

「いや、知らなかった――――だが。“詳しすぎると思ってはいた”」


 渦巻く風は、魔族の巨体に吸い込まれていく。


「人の身で辿り着くとは。並々ならぬ研鑽の産物か、はたまた数多の試練がもたらしたのか」


 風が、魔力が、集い、固まる。


「ならばこそ、この試練。乗り越えてみせよ」


 リイザスが拳を掲げ、“ここではないどこか”から、何かが引き寄せられてくる。


 “線”を越えた者にすら、扉には出会えない。

 “線”を超えた者ですら、扉は開けない。

 歴史に存在する、華々しく神話を作り上げた者たちですら、その多くが得ることは叶わなかった力がある。

 しかしそれは人間の歴史であった。


 魔族の力はその聖域を荒々しく踏み荒らす。


 今―――固く閉ざされた扉さえも、容易く砕かれる。


「―――ドグル・ガナル」


 現出したそれは、リイザスの巨体に似合わぬ小さな腕輪だった。

 赫色の身体に逆らうように、あるいは映えるように、鮮やかな藍に染まっている。

 装飾などまるでない、単なる腕輪。目を凝らすと、その腕輪には、読めもしない何らかの言語がびっしりと書き連ねられていた。


 だが、リリルの頭では警鐘が鳴り続ける。


「“具現化”……!!」


 その力はリリルが良く知っている。

 何もできなかった自分が、仮にも勇者として活躍できているのは他でもなくその力のお陰だ。

 その力を魔族が振るえばどうなるか想像もしたくなかった。


「そう構えるな」


 超常現象ともいえる力を容易く現出させた魔族は、肩を落としてそう言った。

 だがそう言われても、警戒を解くことなどできない。


「リリル=サース=ロングトン。貴様と違い、ドグル・ガナルは私の戦闘力を直接上げるものではない」

「なら何のつもりだ」

「なに、一応万全に放ちたくてな。何しろこれは、その治癒が“どこまで治せるのかを測りたいがゆえに”取り出したのだから」


 ビッ、と頬を魔力が切った。

 ドグル・ガナルが嵌められたリイザスの右腕に、再び魔力の気流が巻き起こる。

 収まった頭痛が激しく脳を揺さぶった。

 自分も月輪の端くれだ、予知はできなくとも全能の空間から致命的な危機だけは下りてくるらしい。


「ドグル・ガナルは私の力を上げはせん。笑ってくれるなよ、これは“護身用”だ。私とて、“これ”を不用意に放ちたくはないのでな」

「ふたりとも!! 私の後ろへ!!」


 アキラを強引に引きずり倒すように後ろへ引かせた。

 “何か”が来る。

 そのどうしようもない予感だけが、自分を突き動かさせた。


「“これ”は」


 リイザスが腕を振り上げた。

 リリルは即座に“設計図”を取り寄せる。


「“結果を先に得る”―――対価の後払い。もたらすのは、火曜の神髄―――“破壊”」


 リイザスの不気味な聲が頭に響く。

 リリルは思考を高速に働かせる。

 いかなる絶望が眼前に広がろうとも、目を逸らさずに、そのタイミングを見定めろ。


「魔術の枠を外れた―――終焉の赫。それは、“必ず何かを奪い去る”……!!」

「っ―――、ベルフェール・パーム!!」


 固まった銀の魔力は形を成し、リリルの前に漆黒の盾を現出させた。

 その周囲に、花弁のように純白の装甲が広がり、自分たちの身を完全に隠す。

 リリルもめったに使わない、ベルフェールの別の形態―――鉄壁の防御壁。


 だが、リリルは見てしまった。

 その盾に身を隠す直前。目の前の障害に何ら興味を抱いていない、火曜属性の術者特有の瞳を。

 火曜の術者がその力を振るうとき、目の前のすべては消失する。


 リイザス=ガーディランが、“魔法”を放った。


「スカーレッド・ガース」


―――***―――


 気に入る気に入らないで言えば、何度でも言える。気に入らない。

 日頃の生活態度もそう、旅先で立ち寄った村人たちにかける迷惑もそう。

 決して貧窮しているわけでもないのに、その容姿で村人たちにも取り入り、さらに貢がせ、悠々自適に人の生活を荒らしている。

 ミツルギ=サクラは、旅を始めたときからずっと守っていることがある。貸しを作らず、借りを作らず、もし作ってしまったら、必ず清算して次の町を目指す。

 旅とはそういうものだと認識していた。

 もともと自分の不誠実さから招いた旅だ、人に迷惑だけはかけたくないと考えていた。

 アキラたちと同行することになったのは、その禁を犯したからゆえだから、今はそこまで貸し借りを毛嫌いしているわけでもないが、基本的なスタンスは変わっていない。


 それなのに、最近になって、自分が守ってきたものを平気で壊す人物が同行するようになった。

 まったく理解不能だ。何を考えているのかすら分からない。

 やはり、気に入らなかった。どうしようもなく。


 だが、共に並ぶと何と心強いことか。


「エレナさん。どうする」

「どうも何もさっきと同じよ。あいつをぶっ飛ばして魔門から引き剥がす。残ったあんたらは魔門を壊してなさい」


 背後の3人に軽く視線を投げてエレナは不敵に笑った。

 今、彼女の周囲には荒々しい魔力の奔流が巻き起こっている。

 これは本当に人間が放てる魔力なのか。

 息を吐くように町や村を消し去るとされる“あの存在”と言われても信じてしまう。


 エレナ=ファンツェルンは紛れもない化物だ。


 その化物は、目の前の化物に殺気を向ける。


「凄いねエレナ。君は本物だよ。魔門を守るために呼ばれたけど、いい土産話もできた」

「あら、死後の世界にお友達がいるの? じっくり聞かせてやりなさいな」

「ああ、一応いるね。でも先に『光の創め』の面々にかな。いや、連れて帰りたいくらいだ。君に色々試したいことがある」

「少しは考えて物を言いなさい―――ますます殺したくなったわ」


 瞬間的にでも自分より早く動く存在を久方ぶりに見た。

 隣に立っていたエレナが一瞬消え、気づけばルゴールへ向かって突撃していく。


 慌てて追おうとしたが、サクは腰を落として懐の秘石の感触を探った。

 使い方は身体だけではなく、秘石自体も覆うように魔術を発動させることらしいが、初めて使う。

 果たして上手くいくだろうか。


「はっ!!」


 エレナの拳が放たれた。

 ボッ!! と暴れ回っていた魔力が1点に集中して炸裂する。


 原型など残るとは思えない痛烈な打撃が、ルゴールの腹部に炸裂した。

 だが。


「ち―――」

「何度も吹き飛ばされたくないんだ。多少は痛みを覚えるしね」


 エレナの拳はルゴールの腹部に吸い込まれていた。

 放った威力からか、その腹部ははるか後方にまで伸び切り、しかし威力を殺し切っている。


 あの魔族は一体何なのか。

 黄色い人形のような身体が伸び縮みし、打撃攻撃がまともに聞いていないように見える。

 タンガタンザで出遭った無機物型の魔物を思い起こさせるが、あれと同種の魔族が存在するというのだろうか。


「なら―――」

「駄目だよそれは」


 エレナは拳が呑み込まれたまま魔術を発動させようとしたのだろう。

 しかしいち早く察したルゴールが状態を逸らすと、伸び切った腹部を急速で縮小させる。


「っ!?」


 バンッ!! と砲台のようにエレナは空中へ吹き飛ばされる。

 人間ひとりを容易く打ち出した魔族は、さも平然と魔門の上を守り抜いていた。


「拳は重いが君は軽いね」


 嗤うような仕草をし、ルゴールは黄色い身体から魔力を流出し始めた。

 まずい。あれは先ほど見た矢のような魔術を放つ攻撃だ。空中にいるエレナでは回避できない。


 ならば。


「これは利くかな―――ぇ」


 ギンッ!! と今度は斬撃音が響いた。

 上空に意識を逸らしたルゴールの首元目掛け、サクは高速で愛刀を抜き放つ。

 エレナの打撃を呑み込んだときと異なり、鋼鉄のような感触。致命には至らない。

 エレナの言う通り硬度は調整できるらしい。


 だがそれよりも、サクは自分の動きに衝撃を受けていた。


「……サクとか呼ばれていたね。輝石持ちの」


 遥か後方からルゴールの言葉が聞こえた。

 振り返ればルゴールの身体が小さく見える。


 いったい自分はいつ、ここまで移動していたのか。

 サクは常日頃、足場に波を作り、自信の速度を上げて戦闘を行っているが、その波が今、暴走したかのようにサクを敵目掛けて“射出”した。

 辛うじて刀を放てたが、ほとんど自分の目で追えていない。


 胸元の感触を探る。

 これが秘石の力か。

 まるで実感が湧かないのに、自分の魔術が大幅に強化されていた。


 自分のものではないかのような身体の動きに動揺している暇もなく、戦闘は続行する。


「た、だ、い、ま」

「……流石にそろそろまともにやらないと駄目そうだね」


 難なく着地したエレナは、再びルゴールに今度は蹴りを叩き込んでいた。

 身体を伸ばして衝撃を殺すと、ルゴールは、その両手の指をまとめ、槍のような形状を作り出す。


「ちょ、あぶなっ」


 雷雨のような連続の刺突がエレナに向かって放たれた。

 黄色い閃光が激しく見舞われるも、エレナは距離を離すことなくすべて回避している。

 禁忌の魔門の真上で、ひとりと1体は超常的な攻防を繰り広げていた。


 だが、“その攻撃をしているということは”。


「エレナさん!! 避けろよ!!」

「―――は!?」


 自分は冷たい人間なのかもしれない。

 サクは遠方から高速で突撃し、ルゴールがエレナに放つ槍目掛けてためらわず愛刀を見舞った。

 その攻撃は、金曜属性の本分の硬度を利用したものだ。先端部分は刃のように強化されている。だが、今伸び切っているその腕はどうだろう。

 固めていては柔軟な連続攻撃はできない。


「―――へえ。仕方ないね」


 サクの斬撃が放たれる寸前、ルゴールはようやく後方へ跳躍した。

 止めることもできず振り切った愛刀を、エレナも上手くかわしたらしい。

 今度は息過ぎず自分の身体を制止させ、離れたルゴールに向き合う。


「私を殺す気!?」

「避けれたじゃないか」


 騒ぐエレナは不機嫌そうに舌打ちする。

 だが事実、エレナを巻き込むつもりで放ったとはいえ、彼女に当たるとは思っていなかった。

 移動速度では自分の方が上のようだが、瞬間的な動作において、エレナは圧倒的に鋭い。

 秘石の力で高められて、改めて彼女の戦闘力の高さが分かる。

 やはり気に入らない。

 彼女は一体どうやって、ここまでの力を手に入れたというのか。


 だが、今の自分ならついていける。

 懐の秘石の感触を探る。

 魔術の鍛錬はそれほど深くやっていないが、魔力の増強でここまで力が増すとは。

 道具に頼るというのも気に入らないが、サクの脳裏に、ふと、幼い頃の憧れが過った。


「まあいいわ。ようやく場所が開いたわね。あいつと遊んでくるからあとよろしく」


 不機嫌さを隠しもしないエレナの言葉に我に返ると、彼女はルゴール目掛けて突撃していた。

 この戦い方は悪くない。

 至近距離の戦闘にめっぽう強いエレナがルゴールと応戦し、自分は隙を縫って斬撃を見舞う。

 ルゴールを魔門に戻さぬようにしている間に、残る面々が魔門を破壊すればいいのだ。


「―――いや」


 サクは自分の甘い思考を追い出した。

 自分はタンガタンザで何を学んだ。


 状況が優勢なのはこちらだ。だからこれを繰り返せばいい。

 その考え方は、当然向こうも察している。

 あのときは、“言葉持ち”ですら状況を変えてきたのだ。

 相手は“魔族”。

 何をするか分かったものではない。


「ふ―――」


 隙を見つけ、サクは鋭く愛刀を見舞った。

 こちらの速度が把握されたのか、ルゴールはエレナと応戦しながら危なげなく回避する。

 ならばと変化をつけて直後に2撃目を放つ。

 読まれていたようで、ルゴールは今度は身体を固めて斬撃を防いでくる。


 魔門から引き剥がすことには成功しているが、ルゴールをあと1歩攻め切れない。

 考える猶予を与えてはならないと感じる。

 相手はこの巨大な迷路を作り出すほどの魔力を持った魔族だ。

 猶予を与えてしまえば何が起こるか分かったものではない。

 魔門の近くにアラスールたちが集まっている。ルゴールか魔門、早くどちらかは片付けて、早々に決着をつけなければ。


「ところで、エレナ」

「あん?」


 ルゴールが、突撃してきたエレナに子供のような声で囁いた。


「拳での攻撃が減ったようだけど、もしかして、痛めた?」

「うーん、そうね、分かんないわ。もうちょっと試させてくれる?」

「ふう。君は強いね」


 苦し紛れの台詞だったのだろうか。

 爆音を響かせながら、ルゴールに必殺の攻撃が見舞われる。

 エレナと応戦しているルゴールは、最早原形を留めて戦っていなかった。

 拳の数だけ身体中が陥没し、伸び切り、ハリネズミのように背後にその身体を尖らせている。

 切れるかと思いその背中に斬撃を浴びせるも、当然のように金属音が鳴り響いた。


「―――ち」


 アラスールたちが魔門に近づいたのが見えたのか、ルゴールは身体中を光らせ始めた。

 無数に放たれる矢の魔術は至近距離では回避できないのか、エレナは舌打ちしながら背後へ飛ぶ。

 しかし、魔門目掛けて放たれた金の矢はイオリによって阻まれた。


 万全だった。

 ただただ今を繰り返せば勝利できると思える局面だ。


 だがそれは、正しい道なのか。


「―――!」


 鋭く動くエレナの動きにサクは違和感を覚えた。

 確かにルゴールの言う通り、拳での攻撃が減っている。

 木曜属性は身体能力強化に秀でた属性だ。

 その気になれば、その身を刃すら通さぬ強靭な肉体にすることすらできると聞く。

 だが、相手はその分野においては最も秀でた金曜属性の魔族だ。

 事実、エレナはルゴールの斬撃を受けず、回避している。


「その強さだ。エレナ。君は―――“自分より強い者と戦ったことが無いんじゃないかな”」

「―――!?」


 ルゴールの動きが突如変わった。

 放たれたと思われた槍の手は、瞬時に巨大な手の平に作り替えられ、グッ、とエレナの腕を掴む。

 相殺すら力でねじ伏せようと勢い良く放たれたエレナの拳をそのまま強く引き寄せると、ルゴールはその勢いのままエレナの腹部に膝蹴りを見舞った。


「ぐっ―――ハ」

「斬撃だけじゃないよ、魔族はね、“強いんだ”」


 エレナを背後に放り投げ、ルゴールは突如魔門目掛けて突き進む。

 足止めしようとサクが構えると同時、走りながらルゴールは身体中を光らせ始める―――


「っ―――イオリさん!! 行ったぞ!!」


 不意をつかれたにもかかわらず、イオリの行動は早かった。

 秘石を取り出し魔門に向かい合っていたアラスールを強引に引き寄せると、土曜の盾を出現させて離脱する。


 魔門破壊には及ばなかったが、イオリがいればルゴールの遠距離攻撃は問題ない。

 だが、同じ金曜属性のサクには感じ取れた。


 ルゴールが身体に纏う魔力の量が、先ほどまでとは明らかに異質だった。


「分かった、分かったよ、まじめにやる。ボクはね、忘れていないよ。魔門を守るためにここにいるんだ」


 誰と話しているのか。

 ルゴールは呟きながら纏う魔力を膨張させていき、黄色い人形は駆けながらいつしか巨大な姿に変わっていった。

 歩幅も広がり、酷い振動が樹海を揺さぶる。


 ルゴールは、魔門だけを見つめていた。

 あたかもこの場所には、それ以外のものが存在しないかのように。


「詠唱しよう、真摯な態度の証として。『光の創め』は、“確かに君を守ったんだ”」


 身体の膨張が終わった。それは、纏う魔力の臨界点を迎えたように見える。

 気づけば迷路の高さほどに化けた巨大人形は、魔門の上に悠々と到着すると、振り返りもせずに呟く。


「エトリーククオル」


 その巨人は、巨大な柱と化した。

 この場所に辿り着く直前、迷路越しに見た光景と同じだ。


 だが決定的に違うのは、その柱の側面が所々陥没し、その窪みに黄色い魔力の気流が生み出されていることだった。


「いいか、全弾行こう」


 柱の中から、子供のような声が響いた―――瞬間。


 無数の窪みから、巨大な砲撃が連続で射出された。


「―――、」


 秘石のお陰か、反応はできた。

 ルゴールが放っていた矢の連続攻撃に近い魔術。

 だが程度が違い過ぎる。


 ルゴールは最早巨大要塞と化していた。

 無数に取り付けられた砲台から、このエリア総てに金曜の巨大な砲弾が降り注ぐ。


 自分を狙っている攻撃だけでその数15から20。

 退避ルートは無い。


 先ほどまで優勢と考えていた自分は、何も分かっていなかった。

 ルゴールがその気になっただけで、この場にいるすべての仲間が死に直面している。

 これが魔族の力だというのか。


 サクは、苦し紛れに眼前に“足場”を生成しようとするも、その結果は考えるまでもない。

 数度止められようが圧倒的な物量で凌駕され、その先は全弾が直撃する。

 生身どころか甲冑に身を包んでいたところでこの攻撃を防ぐ手立てはなかった。


 明確な死が突然眼前に広がり、サクの思考がそこで止まる。

 眼前が、すべて赫に染まった。


「―――せめていくつかは防ぎなさい」


 そんな声が聞こえた。


「―――、」


 シリスティアの港町でのことを思い出していた。


 あの港町は魔族の脅威にさらされ、町の形を変えられた。

 確かあのときも、敵の攻撃は金曜属性だったと思う。

 奇跡と言われる魔力による物体生成に最も近いことが行える金曜属性。

 術者の力が増せば疑似的に生み出せる物体の物量が増えるらしい。

 そう言われているらしいが、残念ながら自分にはそんな器用なことはできないし、今までもずっとこのままでやってこられた。


 だが思い返せば、自分が普通の金曜属性の術者だったら、と思いたくなることばかりだった。

 あの港町で降り注いだ巨大な物体から、人々を守れていたであろう。

 タンガタンザでは守るための戦いをすることになった。


 スタイルは人それぞれ。そんな的外れな言葉があるが、サクは知っている。

 別の道を歩むことは、常に後悔に苛まれることになると。


 だから今、自分は後悔している。

 自分が金曜の魔術師らしく盾でも生成できていたら、少しは負担にならずに済んだのではないかと。


「…………」


 砲撃は止んだ。

 出現した巨大な黄色い柱は徐々に縮小し、何も変わっていない世界に黄色い人形が立っている。

 周囲は、目も覆いたくなるほど悲惨な世界が広がっていた。

 大地はいたるところが人ひとり入るほど陥没し、ルゴールが作り出した迷路の壁すら砲撃に貫通されて破壊されつくしている。

 巻き上げられた土煙が視界を覆い、肺にそのままなだれ込んでいる。

 身じろぎひとつするだけで、不安定となった大地は崩れ去り、穴に吸い込まれそうだった。


 モルオールの魔門が破壊された後、そこは地獄絵図だったらしい。

 ならばここもそう表現しよう。


 自分たちは、地獄に足を踏み入れた。


「……流石にリイザスに気づかれたかも。でも運が良かった。ほど近い場所で祭りでもやっているらしいね」


 その地獄の主は、平然と立ち、ふざけるように遠くを仰ぐ仕草をした。

 サクは、歯噛みして睨んだ。


 自分は無事。

 せめていくつかは防げと言ったが、結局自分は、この地獄で何ら負傷しなかった。


 すべて、目の前で止まったからだ。


「さて。さっさと帰りたいんだ。会いたくないんだよリイザスには。そろそろいいかな、エレナ」

「……そうね、私も帰ってシャワーでも浴びたいわね」


 小さい声だった。

 目の前に立つ女性は、顔だけを上げて応答する。


 右腕は、上がらないのかだらりと下げ、毒々しい血が滴っている。

 足はどこかを砲撃に削り取られたようでまるで力が入っていない。

 額が割れているのか顔中血が滴り、目を片方強く閉じている。


 あの砲撃から生還しているだけで驚嘆できるが、半死半生。

 常日頃の彼女を知っている身からすれば、信じがたい光景だった。


「あーあ。服が汚れたわ、どうしてくれんのよ」

「エレナさん、今すぐ―――」

「あん? ああ従者か。生きてて良かったわね。さて、おい魔導士!! 生きてんだろ!!」


 エレナの叫びに、ルゴールの向こうの土煙がごそりと動いた。

 遠目で見えないが3人分の影が見える。

 土曜属性のイオリがいたこともあり、彼女たちも何とか生還できたようだ。


 サクはギリと歯を噛んだ。

 あのルゴール=フィルは、エレナですら対抗できていない、凶悪な魔族だ。

 今も平然として立っている。

 あの魔族を越えなければ、魔門を破壊できないとなると、それはもう不可能のように思えた。

 それどころか、一刻も早くエレナを治療しなければならない。


「……」


 イオリが無事だったのが幸いした。

 サクの脳裏にひとつの選択肢が生まれる。

 少なくとも今は、イオリの召喚獣で、


「魔導士ども!! やることは変わらないわ。とっとと魔門を破壊しろ!!」

「……!」


 だが、その本人はそう叫んだ。


「エレナ。君は、君だけは分かっているだろう。さっきからずっと、分かっているだろう。ジリ貧なのは君たちだよ。君は強いけど、ボクには勝てない。何しろ、『光の創め』の中でも、“よりによってボク”だ。魔門は破壊できない」


 ルゴールの言葉に、サクはピクリと震える。

 自分は優位だと思ったあの戦闘。

 だが真実は、ルゴールにとってはまるで問題にならない鍔迫り合いだったのだろう。


「エレナ、君は強い。だから初めてだろう、自分より強い相手と戦うのは。だから正確に判断できていない。死ぬまであがき続けるのは自由だけど、さっきも言った通り、ボクはとっとと帰りたいんだ。言葉を返すよ。早く死んでもらいたい」

「……は」


 血だらけの顔をぐいと左手で拭い、エレナは笑った。

 動いているだけでも信じられないほど負傷して、しかし、ルゴールの言葉を理解できていない表情を浮かべた。


「……あんた私の何を知ってんの?」


 エレナは力を込めていなかった足で大地を踏みしめた。

 血が吹き出し、土煙の中に飛び散る。


「てか従者もよ、何その顔。わけわかんない。もしかして、私らしくないとか思ってんの? 笑えるわ」


 彼女は本当に笑っていた。

 いつでも圧倒的な力を振るい、常人が行えないことを容易くこなし、優雅に美しく戦場に立つ彼女は、半死半生で、それでも、何ら態度を変えなかった。


「せっかくだから教えてあげるわ、私のこと。“いつもこんなんよ”、特に魔族とやりあったときなんて」


 ぞっとした。

 今この瞬間にでも死を迎えてもおかしくない状態で、エレナ=ファンツェルンは優雅に立つ。


「私より強いやつなんで腐るほどいたわ。死にかけたこと? いちいち数えてらんないわ。心臓も何度か止まってるし、あとはそうね、首が落ちかけたこともあったっけかな」


 エレナが僅かに身じろぎするだけで血と泥が混ざった汚物がしたたり落ちる。


「最近は落ち着いたと思ったんだけど、今日はひっさびさに無茶しちゃおうって気分なのよね、私」

「やはりちゃんと判断できていないね。エレナ、もう終わりだよ。魔門にさえ手を出さなければ、悠々自適に過ごせるだけの力があったのに、惜しいね」

「平凡に過ごすのは―――普通に過ごせることは諦めてるわ」


 は、とエレナは自嘲気味に笑った。

 平凡に過ごすことを、人は退屈だという。

 だが、サクは知っている。普通に逆らうことがどれほど過酷なのか。

 そこで得られるものすらない。得られたとしても、それは普通の生活でも得られるもののはずなのだ。

 普通を手に入れられない者からは、当たり前と言える後継こそ、喉を掻きむしるほど渇望するものだ。


「でもさあ、それ、やれって奴がいんのよ。お家に帰って幸せに暮らせってさ。それなのに、そいつ私に今日は頑張って欲しいらしいのよね。協力してくれ、ってさ。こんな場所に連れてきた後でよ? わざわざ、さ」


 エレナが今まで、人とどういう付き合いをしていたかは分からない。

 付き合いの浅い彼女に、自分たちがどう映っているのかは分からない。

 彼女が何を想うのか分からない。


 だけど、利用し利用されの人生だと彼女は言った。


「なるほど。君は命令で動いているのか、分かった、仕方ない。面倒だけど、続けようか」

「は? ううん、違うわ、逆よ逆。そいつさ、そう言った直後よ。魔族が見えて、なんて言ったと思う? すぐに逃げろ、よ。信じらんないでしょう、魔門を破壊したいって言ったり、逃げろって言ったり、は、何がしたいんだって話よ。今にも魔族に飛びかりそうな顔しながらさ」


 エレナは笑った。

 息も絶え絶えになり、血と泥が混ざり合い、彼女の姿はもはや変貌している。

 日頃見ていた彼女はすでにそこにはいない。


 だが、おどろおどろしい姿になっても、彼女は、美しかった。


「―――引けるかよ。魔門もあんたも、私の目的も……全部ぶっ壊して、私はとっとと帰りたい」


 エレナは息を吸って天を仰いだ。


「アキラ君ッ!! 魔門は片付けとくわ!! そっちも死ぬ気でやんなさいっっっ!!」


 応答はない。

 それでも気にせず、エレナは再び魔力を展開する。

 荒々しく纏う魔力は、先ほどまでと遜色なかった。


「私に魔術攻撃したのは失敗よ。ご馳走様。バラバラにしてあげる」


 サクは愛刀に手をかけた。

 脳裏に浮かんだ離脱の選択肢を握り潰すと、サクは秘石に力を籠める。


 はっきり分かった。エレナは気に入らない。


 あそこまで言われて、彼女に後れを取るわけにはいかなかった。


―――***―――


「―――?」


 ヒダマリ=アキラは、その衝撃が何をもたらしたのか分からなかった。

 リイザスが拳を振り上げ、突き出すと同時、目の前に純白の防壁が現れ、耳をつんざく轟音が鳴り響いたのは分かった。

 だが、自分も、思わず庇ったティアにも、何も起きていない。


 それどころか、眼前に広がった純白の防壁すら、そのままの形でそこに在る。


 いや、と。

 アキラはその防壁が、光の粒子となって空に溶けていくのを見た。


 赫の世界に現出した異物が空に連れていかれるような光景に、言いようのない虚脱感を覚える。


 そして。


「―――素晴らしい。だが、目論見通りにはなったか」


 リイザスの聲が聞こえる。

 音は遠く聞こえ、視野は妙に狭くなっていた。


 何が起こったか、理解ができない。


 しばらく身を固めていると、ザ、と何かが崩れる音が聞こえた。


「……ぁ」


 声が漏れた。

 自分の口からか、ティアの口からかは分からない。


 だが、もっと分からないのは。


 目の前で倒れ込んでいる人物だった。


 頭がズキズキと痛む。

 ほとんど反射で、倒れ込んだ人物を抱え起こすと、赫が織りなす灼熱地獄の中、ぞっとするほど冷え返っていた。


「―――リ、リリル!?」


 ようやく我に返った。

 抱え起こした彼女の目は開かれている。その目や耳から力ない血がさらさらと流れ、彼女は泣いているようだった。

 そして、身じろぎひとつしない。まるで彼女の時間だけが止まったかのように。


「おい……、おい!!」


 何ら応答の無い彼女を揺らすと、パキリ、とリイザスの方から音が聞こえた。


「む。使用して正解であったか。“設計図”に対して放つのは、やはり危険だったようだ」


 リイザスが現出させた藍のリングが砕けたようだった。

 欠片となったリングの粒が落ち、徐々に空気に紛れて溶けてく。


「だが、素晴らしかったぞリリル=サース=ロングトン。よもや我が力を防ぐとは、やはり面白い」

「何言ってっか分かんねぇよ!! リリルに何をした!?」


 リイザスはリングの残骸を落とすように腕を振るい、小さく嗤った。


「言ったであろう、“破壊”だと。ドグル・ガナルはその対価となって砕け散った。それだけに、素晴らしい。生命に及ぶ対価を、ドグル・ガナルは請け負うことができる」

「っ、リリル、リリル!! くそ、ティア!!」

「は、はい!!」


 話が分からない。思考がまとまらない。

 だが分かることは、リリルが危険だ。すぐにティアに治してもらわなければ。


「だが、多少は予想が外れたな。リリル=サース=ロングトンも命を対価に出来る者だとは。どの程度の負傷を治せるのかを見たかったのだが、そうなるとは。だがいい。いずれにせよだ。ヒダマリ=アキラ。再びお前と死合おうか」

「づ―――、ティア!! リリルを頼む!!」


 怒鳴るように叫んだ。

 ティアが慌ててリリルの身体を抱き寄せる。

 リイザスの言葉通りになってしまうが、今は何をおいてもリリルを救わなければならないと身体中が叫んでいた。


「む。ヒダマリ=アキラ。貴様の財はそのリリル=サース=ロングトンも含むのか。愉快でもあり惜しくもあるな。貴様らはまだまだ伸びるのであろう。だが、互いに財となってしまうと奪わざるを得んか。いや、いずれかだけを奪うのも長く見れば正しい選択なのだろうか。となればヒダマリ=アキラを残すか。リリル=サース=ロングトンはどうなるか分からんしな」


 リイザス=ガーディランの言葉に、アキラは身体中が震えた。


 この魔族は、財を守るための力とやらと正面から衝突することに欲求を覚えている。

 あるいは、財を奪われた者が生み出す力とやらと、か。

 だからこそ、その言葉に嘘はない。自分かリリルのいずれかの“財”を奪い尽し、再戦でも望んでいるのだろう。

 リイザスは、今まで出遭ったサーシャ=クロラインやガバイドとは違い、正々堂々と魔族の強大な力を向けてくる。


 だが、結局は己の欲を満たすために、いともたやすくその破壊を振りまいているのだ。

 魔族の思考の一端を理解してしまい、それゆえに、アキラは身体中が怒りで震えた。


「ティア。俺のことは気にしないで、リリルのことだけを考えてくれ。死ぬ気で治せ」

「はい、はい、でも、」

「ティア」

「うぅ」


 振り返ることは怖くてできなかった。

 だが、背後から溢れ出す魔力の波動を感じるほど、ティアはリリルに治癒を施している。

 ティアの治療が通用するかは分からない。

 力なく倒れたリリルの身体に触れて、あのどうしようもないほどの絶望を思い出したほど、打つ手が無いように見えてしまった。


 それで結局、人任せ。自分は何も成長していない。

 だが、自分がなすべきことははっきりと分かっている。


「俺も死ぬ気でやってやる。お前がリリルを診ている間に―――俺がリイザスを撃破する」


 望み通りの展開だろう、リイザスは不敵に笑った。


「キャラ・ライトグリーン!!」


 際限なく魔力を放出し、アキラはリイザスに斬りかかった。

 斬撃音は響かず、絶望的な爆音が響く。

 初撃は防がれ、続く攻撃もリイザスの火曜の魔力に覆われた身体に食い止められる。

 リイザスが迎撃するごとに爆音が轟き、アキラの身体は幾度となく空を泳がされた。


 身体中が怒りに震えるも、アキラはリイザスが致命的に相性の悪い相手であることは気づいていた。

 自分が最も得意な攻撃は、魔力を併用し、理を超えた破壊を放つ火曜と木曜の魔術の同時再現だ。

 だが、その破壊の最高値を火曜属性のリイザスは防ぎきることができる。

 アキラの攻撃は通用しない。

 対して、リイザスの破壊はアキラを容易く葬ることができる。


「―――ち」


 リイザスの魔力の放出に身体が泳いだアキラは、すぐさま離脱した。

 頭に血が上る。

 幾度斬撃を放っただろう、握り潰すほど強く握った剣は、リイザスにまともな損傷を与えられていなかった。

 答えが無い。

 分かっていた。ヒダマリ=アキラの力は、リイザス=ガーディランには通用しない。


 だからこそ、冷静にはなれなかった。

 冷静になってしまえば、分かりきったその答えに、この身体が動かなくなるだろう。


―――構えを上げろ。下がってきている。


 腕の力が抜け始めていたのか、アキラは下げていた剣を掲げ、再びリイザスに斬りかかった。

 リイザスはすでにアキラの攻撃の限界値を把握している。

 抑え込んだ上で、迎撃を放ってきた。

 辛うじて回避するも、それすら読まれていたのかリイザスの追撃の拳が唸りを上げてアキラを打った。


「ぎっ―――」


 辛うじて剣を合わせられた。

 だが、防いだはずなのに小枝のように吹き飛ばされ、意識が戻ったときにはアキラは背中から離れた地面に叩きつけられていた。


「アッ、アッキー!!」

「っ、リリルから気を逸らすな!!」


 叫びは言葉になっていただろうか。

 リイザスと応戦しているだけで、その熱気のせいで身体中が燃えているように動かなくなってくる。

 剣を数度放つだけで、体力も魔力も根こそぎ奪われる。

 呼吸もままならない灼熱地獄に、もうほとんど視力も失われてきていた。


―――顎を上げるな、力が下がる。腰が高い、応戦できないぞ。


 リイザスが突撃してきた。

 アキラは姿勢を落として拳をかわす。


 リイザスを撃破しなければ、リリルも、ティアも、そして樹海に落ちた他の皆も奪われてしまう。

 考えたくもない未来が、目に見える形としてすぐ目の前に存在している。

 だからこそ、リイザスを撃破しなければならない。

 だが、どれほど渇望しても、目の前の現実はあまりに過酷だった。


 想いの強さではどうにもならない。役に立たない。通用しない。

 思考がすべて赫く、黒く染まり尽す。


―――思考を止めるな。


「―――キャラ・グレー!!」


 浸食してきた黒い思考を振り払うと、眼前から赫い球体が高速で飛来してきていた。

 即座に魔術を発動させてすべて切り伏せる。

 だが防いでなお、至近距離の振動に身体中が悲鳴を上げ、視界が暗転する。


 まだだ。

 まだ諦められない。

 ほとんど見えていない目をこじ開け、赫の怪物の姿を捉える。


 リイザスは未だ無限を思わせる魔力でアキラの攻撃をすべて防ぎ、容易く必殺の魔術を放ってくる。

 リリルは倒れ、アキラもすでに限界を超えていた。


 冷静に考えれば完全に詰んでいる。

 だが、それでも考えなければならない。

 リイザスに通用する攻撃を思いつけ。


 今の自分ができることを、全力で考えろ。


―――お前は未だ、そんな無駄なことを考えているのか。


「―――、」

「ハッ!!」


 リイザスが放った横なぎの蹴りに、アキラは慌てて背後に跳ぶ。

 が、魔力を放出しながらの蹴りは爆音を響かせ、掠めただけで抉り取られるような衝撃を受け、内臓が潰れたような感覚がした。

 木の葉のように吹き飛ばされ、迷路の壁に背中を打ち付けた。

 身体中が焼けただれている。腕や足の感覚が無い。

 だが幸いにも自分は立てているようだった。

 身体が動かない。自分の限界値が、あまりにも分かりやすく訪れていた。

 遠くて誰かが悲鳴のような叫びを上げている。どうやら音も聞こえなくなってきたようだ。


―――身体を開くな。姿勢を曲げるな。それくらいはできるはずだ。


「……、……誰だ」


 総ての感覚が薄れていく中、それでもはっきりと聞こえる、この言葉は、誰のものだ。


―――俺か? 俺は……―――


「……!」


 リイザスから球体の魔術が放たれる。

 何故か身体が動かせたアキラは、即座に剣で切り伏せる。

 爆風に身が躍るも、それさえ利用してリイザスへ向かって突撃する。


「む……!!」

「キャラ・スカーレット!!」


 放った攻撃は案の定防がれる。

 アキラは即座に距離を取り、痛む身体を強引に動かして構えを取った。


 知っている。

 この身体は知っている。

 自分の知っている限界を、超えられることを知っている。


 妙な感覚だった。

 もうこの身体は動かないことが分かっている。

 なのに、その身体の動かし方を知っていた。


 何故だ。何故自分にそんなことができる。


―――“お前じゃない”。


 身体の動きの違和感が強まった。

 放たれたリイザスの必殺の拳を、頬が掠めるほど小さくかわし、剣を突き刺す。

 自分では取り得ない危険な選択肢を、何故か容易く選んでいた。


 その違和感の正体が、分かりそうだった。

 いや、これは。


―――“思い出せ”。無駄なことに思考を使うな。


 何だ。この身体が叫んでいる。

 今この絶対的な危機の中、自分は何かを忘れているのだろうか。

 だがそれは何だ。

 考えて分かることだろうか。


―――それは……―――


「良いぞヒダマリ=アキラ!! まだまだ行けるようだな!!」


 音が戻った。

 灼熱地獄の中、リイザスの高笑いが聞こえる。

 どうやらまだまだ自分は戦えているらしい。

 だが。


「違うな―――“俺じゃない”」


 なぜ自分は忘れていたのだろう。

 ヒダマリ=アキラができることなど探しても、当然活路など存在しない。


 自分は痛感していたはずだ。

 自分の世界には何もない。できることなど何もない。自分は、目も当てられないほど最低の人間だ。

 下手に旅を続けられて、自分が何かをできると勘違いしていただけだった。

 だから、そんな無駄なものは探すな。存在しないのだから。


 それゆえに、自分が考えるべきことは、自分に何ができるかではない。


 “誰ならこの状況を打破できるかだ”。


「アラレクシュット!!」

「―――、」


 至近距離で放たれた遠距離魔術はアキラの視界を完全に塞いだ。

 アキラは即座に距離を取り、そしてティアたちの元へ駆ける。

 回避はできたがこの方向、あのふたりを巻き込んでいる。


「キャラ・グレー」


 寸でのところで魔術を切り伏せた。

 睨むとリイザスは愉快そうに嗤い、変わらず悠々と佇んでいる。


「ほう、手元が狂ったか。だがヒダマリ=アキラ。よくぞ防いだ」

「……」


 何ら悪びれないその態度に、アキラは何も感じなかった。


「アッ、アッキー!! もう、もう駄目です、急いで治さないと」


 そんなに酷い状態に見えるのだろうか。

 ティアが庇うようにしがみついてくる。感覚はほとんど無かった。


 ティアの悲痛な声が聞こえるが、アキラは何も感じなかった。


 自分なんてどうだっていい。

 何で自分は忘れていたのだろう。

 そんなもの、この世界に来る前からの前提だったというのに。

 知っていたはずだ、自分には何もできない。


 自分の行動は、いつだって、誰かの模倣だったのだから。


「ティア、どいてくれ」

「リリにゃんは絶対に助けます、でも、今、今はアッキーが、アッキーが」


 自分の世界には何もない。

 だから自分の想いなど、何の役にも立ちはしない。

 だからそれは諦めろ。

 何かをしようと思うなら、迷わず誰かを頼ればいい。


 少なくとも自分は、魔門破壊を達成した人物を知っている。


「そうじゃない」


 アキラの身体が強い魔力を帯び始めた。

 出し尽したと思っていたのに、どこから湧いてきたのか。そう考えようとして、すぐにやめた。

 無駄だ。自分がそんなことを考える必要はない。


 奇跡を起こした勇者様として称えられることがあっても、ヒダマリ=アキラという人間は、決して自分を認められないだろう。

 その前提があるがゆえに、自分が何かを成したという達成感を得ることは永遠にない。

 呪いのように纏わりつく、しかし残酷な現実。


 今、そしてこの先。自分が何かを成したとしても、その力は所詮借り物だ。


 遥か先にいると思っていた過去の自分の背中など、見えるはずもなかった。

 過去も、今も、そして未来も、自分はずっと同じ場所に立っていたのだから。


 自分が第一人者になれることは決してない。

 自分の世界から生み出されるものなど存在しない。


 いつだって、ヒダマリ=アキラの力の出所は―――


「そこにいられると―――あの野郎を、斬り殺せないだろ……!!」


 別の世界の物語。


「―――“キャラ・ブレイド”……!!」


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