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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
東の大陸『アイルーク』編2
39/68

第46話『たまには脇役でも』

―――***―――


 昨夜は雨こそ降らなかったものの、どんよりとした雲が空を覆っていた。

 ここ、アイルークに戻ってきたときから、どうも天気には恵まれていない。

 晴れたかと思えば雨が降り、逆も然り。風がやたらと強い日もあった。


 今日は昨日の曇り空を引きずっているようで、身体にじっとりとした湿気が絡みついてくるようだ。

 季節で言えば、春を少し過ぎたあたりなのだろう。そう考えれば、今は元の世界で言うところの梅雨なのだから、今日の天気は正常なのかもしれない。


 ヒダマリ=アキラは太陽の見えない空を仰ぎ、そして呼吸を整えた。

 久しぶりだ、ここは。

 軽く肩を鳴らし、そして精神を集中する。

 強張りすぎているのもよくないと思い、アキラはあえて不敵に笑って見せた。

 そして“それ”を3つほど拾い上げる。

 今度こそ決める。


 さあ。


「リベンジだ」

「わっわっわっ、どうしたんですかそれ、落ちてたんですか!?」


 常々思っていることではあるが、彼女は気配を完全に断ち切ることでもできるのだろうか。背後で爆音を出される前に察知することができない。

 アキラは手に取ったボールを取り零しながらそんなことを考えた。


「……ジャグリングだ」

「おお、アッキーできるんですか?」

「ジャグリング、だったんだ」

「…………え、諦めてます?」


 このだだっ広いだけの公園の周囲は住宅地であるそうだ。

 旅芸人か子供かが忘れていったのであろう、いくつかのボールが公園に落ちている。

 生憎の天気でも元気に駆け回っている子供たちを遠目に眺め、アキラは背後からの襲撃を受けて取り零したボールを改めて拾う。

 そしてこちらの子供に向き合った。


 アルティア=ウィン=クーデフォン。小柄で、いつもニコニコとしている彼女が公園を走り出せば、背景と同化して見失ってしまうかもしれない。


「よし」

「はい」


 ちょっとした過去への挑戦だったのだが、観客が増えてしまった。

 アキラは小さく息を吐き、ふたつ持った方の手でボールをひとつ投げる。

 果たしてどのタイミングで次を投げればいいのだったか。雑念が入った投球はボールを持ったままの手に当たり、転がっていく。

 しばしの沈黙。そして事もなげにボールを拾い、再びティアと向き合った。


「いや、俺できるんだよこれ」

「言葉で語られましても」

「あ、信じてないな。なら見せてやる。サク、見せてやれ」

「そうなりますか」

「あれ? サク?」


 ミツルギ=サクラ。整った顔立ちに、目につきやすい赤い衣。

 タンガタンザの主要な都市の娘にして、何とヒダマリ=アキラの従者である。

 そしてその従者は、なんとアキラの言葉を無視してみせた。

 少しだけ離れたベンチに腰を掛けていた彼女は、とてものどかな表情で公園を走る子供たちを眺めている。

 視線を向け続けると、やんわりと微笑み、軽く手を振られた。

 達観した保護者のような態度だった。誰のだ。ティアのか。


「あの、あの」


 この公園の入り口付近には、魔術師隊の小さな小屋が立っていた。元の世界での交番のようなものなのだろう、現在、残るふたりは道を尋ねに行っていた。

 大して混んでいなかったようだから、すぐ済むであろうが。


「あのー、アッキー」

「分かった分かった、今見せてやるから」

「いや、そうじゃなくてですね。良かったらあっしがお手本お見せしましょうか? あっし実はめっちゃ上手いです」

「はは、はははは」

「笑うところだと思っているんですか」

「次は鼻で笑うことになるかもしれない」

「むむっ、いいでしょう。片づけをしないからとお母さんに封じられたあっしの特技、今こそお見せしましょう」

「片づけはしろよ。これ、一応拾い物だから」


 一応念を押して、ティアにボールを放り投げる。

 おぼつかない手つきでボールを受け取ったティアは、精神を集中しているのか頭が痛いのかなんだかよく分からない表情のまま、勢いよくボールを空へぶん投げる。

 何やってんだこいつ、と思ったのも束の間、ティアは第2投第3投と空へ放り投げ、アキラを見て不敵に笑った。


「行きますよ、ティアにゃんの奥義」

「……お、おお!」


 落下してきたボールは、流れるようにティアの手元に吸い込まれていった。

 そしてぐるぐると回り始める。

 アキラがイメージしていたクロスするような流れではなく、円を描くようにボールが回されていく。

 正直、驚愕した。ベンチに座って眺めていたサクも信じられないような顔つきをして立ち上がっている。


「頭に全弾命中するオチだと思っていた」

「ふふふ、普段アッキーがあっしのことをどう思っているかはなんとなく分かりました。しかし、あっしは実は器用なんですよ!」

「はは、はははは」

「あれ、これを見せてなお笑われている……。こうなったら後には引けません。アッキーまだボール落ちてますよね。投げ込んでみてください」


 信じられない光景におぼつかない足元を進め、ボールを拾い集めてくる。

 ボールを回しながら話せるということはかなり余裕がありそうだ。


 世界の神秘に立ち会っているかのような感動を覚えながら、アキラはひとつ手元に投げ込んでみた。

 するとティアは軽く膝を曲げ、新たに増えたボールも取り込んで見せる。

 すごい。単なる暇潰しで寄った公園でここまでのものが見られるとは。

 プロならいざ知らずあのティアだ。金を払ってもいい。


「ふふん、まだ余裕ありますよ」

「全力で投げ込んでみてもいいか?」

「ふふふ、簡単なことですよ。ボールが落ちて、あっしは大声で泣くだけですから」


 若干ドヤ顔が鬱陶しくなったが、そんな会話の中でもティアはボールを回し続ける。

 アキラは感動そのまま、優しくさらに1球増やした。やはり回る。

 このまま限界まで見せてもらいたいところだったが、借り物だし、子供たちの注目も集まってきたようだ。


「いや、悪かったティア。お前本当に器用なんだな」

「分かればよいのです。ではアッキー。ひとつ頼み事を聞いてもらえませんか?」

「おお、いいぞ。なんか買って欲しいのか?」


 するとティアは回転するボールに目を配りながら、小さく呟いた。


「これ、どうやって止めるんですか? 助けてください」

「…………あ、あいつら戻ってきた。じゃあそろそろ行くか。急がないと置いてくぞ」

「あ、はい。じゃああっしは多分、しばらくここで沈んでいるので後で迎えにきてください」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――クロンクラン。


 アキラたちは、アイルークの中でも指折りと言われる商業都市に訪れていた。

 いや、単純に商業都市というのには語弊があるかもしれない。


 町のライフサイクルが短いモルオールや、領土という考え方が非常に強いシリスティアとは違い、アイルークでは町や村の発展を阻害するものなどほとんどない。

 その上、他の町との交通も距離こそはあれど容易いとなれば、町々は援助をし合いながら、徐々に肥大化していく。

 もっとも、そこに住む人すべてが寛容で人と人との絆を大事にしているというよりは、あまりに潤沢な土地や資源を前に関心が薄いと言った方が的確かもしれない。


 もし、遥か上空からアイルークとモルオールを見比べれば、人々の生活の、特に効率性というものの歴然とした差が分かるであろう。

 過去、世界情勢に詳しい者がアイルークのずさんな管理体制にメスを入れようとしたことがあったようだが、その辺りの感度の鈍いアイルークの人々に訴えたところで結果は知れていた。

 あまりある資源を前に、アイルークの人々には心の余裕が生まれる。

 そうした前提こそが、アイルークが“平和”と言われる所以でもあった。


 一方でこのクロンクラン。

 その過去のアイルーク発展活動の影響を受けた町でもあった。

 当時、他の大陸から移住してきた者が、魔物の危険度が低いことに目を付け、複数の町にそれぞれ専門的な技術を培わせようと計画したことがある。

 運搬が容易なのだ。ある町には産業のみを、ある町には工業のみを、ある町には商業のみをそれぞれ専門的に行わせ、それぞれの町を協力させれば圧倒的な効率化が図れる。

 しかし流石のアイルーク。

 本来運搬用に整備するはずだった道を作らず、その複数の町を移動させ、おおらかに大雑把に合併してみせた。

 大量の樹木が伐採されたことは未だに国の問題としてやり玉に挙げられることがあるが、“平和”なアイルークでは争いは極めて起こりにくい。むしろ、多くの町がひとまとめになったクロンクランは、とりあえず行けばよい町として人々が集まり、結果としてアイルークに多大な貢献をしているとなれば黙り込むしかない。


 こうして、総合都市となったクロンクランは、今日も平和に発展を続けていた。


「あれ、ティアはどうしたのよその顔」

「なんだと思いますか?」

「あたしを笑わせようとしている?」

「もうしばらく拗ねています」


 大都市の中で5人も固まって歩くとなると難しい。

 気づけば随分と人が増えてきたなと思う。喜ばしいことなのだろう。

 時折人の往来に遮られながら、アキラは先頭を歩く赤毛の少女を見失わないように歩を進めた。

 エリサス=アーティ。今、ティア対策として手をしっかりと握り絞めている彼女は、足取りも軽やかにクロンクランを進んでいく。

 それもそのはず。自分たちがこのアイルークに再び訪れることになった理由の大半は、彼女の母親の安否を確かめるためである。

 無事であることはすでに知っているが、やはり会ってこそだ。

 エリーの母は、魔物の襲撃を受けた村から離れ、今クロンクランで援助を要請しながら仕事をしているとのこと。そしてようやく今、そこへ向かっている。

 この町に辿り着いたのは昨日の晩。彼女はなかなか眠れないからと、夜中に町を軽く走っていたりもした。それに付き合わされていたからか、アキラも少し身体が重い。

 そうかそれでジャグリングが上手くいかなかったのかと邪推していると、ただでさえ見え辛かったティアの姿が完全に消えた。手を引かれていてもなお転んだらしい。

 即座に歩み寄ったサクが反対側に回り、ティアは搬送されるように両手を掴まれていた。


「あいつはなんであんなに転べるんだろうな」

「僕たちと見えているものが違うのさ。何でも真新しく感じられるから、足元よりも興味が優先されるんだろうね」


 応じたのはアキラの隣を歩くホンジョウ=イオリだった。

 流石に大きな町では目立つと判断したのか、普段の魔導士のローブは脱いでいる。

 黒髪についたピンをさりげなく触ると、周囲を警戒するように視線を走らせていた。


「でもよ、イオリ。ティアってえっと、中学3年か高校1年くらいだろ。……えっ、高1であれ!?」

「自分の言葉に驚かないでくれ。それに失礼じゃないか。女性の年齢の話をするのは」

「そうだな、そうだ」


 アキラと同じ異世界来訪者であるイオリは、元の世界の会話もさらりと返せる。

 こうした経験はアキラにとっては新鮮だった。そういう意味でも、イオリの存在はありがたい。

 などと考え、必死にティア挙動からは意識を離した。

 深く考えない方がいい。


「見て見ろよ。サクがひとつ上だった気がするんだが、信じられるかあれ」

「見事に失敗しているね。一応言っておくけど、元の世界とは違うんだ。年齢は大して重要視されてもいないしね。この話は止めよう」

「そしてイオリは俺の……4つ上くらいか」

「だから止めようって言っていたんだよ!! 君と同じ年だから!!」


 イオリが怒鳴ったのと、前方でティアが喚いたタイミングが重なった。クロンクランの喧騒に紛れて消えていく。

 以前シリスティアでも大都市を訪れた経験がある。

 規模で言えばあのファレトラの方が大きいらしいが、比して米粒身にも満たないアキラにとってはどちらも変わらないように思える。

 もっともこちらはあの都市とは違い、他者への関心が強いらしく、先ほどからちらちらと視線を感じた。

 イオリが視線を走らせると、立ち止まった人々は慌てたように流れに乗って紛れていく。


「いいかなアキラ。次に僕の年齢がどうとか言い始めたら……迷わずラッキーを呼ぶ」

「それでいいのか魔導士」

「それが返答か。ラッ……」

「二度と言わない」

「誓って」

「誓う」


 この手の話題は、先頭を行く面々の前では話し辛い。

 ふたりの間でも明るい話題ではないのだろうが、雑談程度であればイオリも気にせず言ってくるのだからそれでいいのだろう。

 もっとも今回は、前振りの話のつもりだったりするのだが。


「なあイオリ。この町で起こることは俺の記憶通りか」


 雑踏に紛れ、アキラは小さく囁いた。

 イオリは髪を触り、やはり周囲に視線を走らせる。


「言えない。……と言いたいところだけどね。流石に被害が多そうだ。不確定すぎて魔術師隊に動いてもらえないけど、警戒はしておくべきだろうね」

「……え。あ、ああ、そうだな。いや、それもそうなんだけど、俺が聞きたいのは、」

「分かってるさ。でも、どちらにしても不確定だ」


 ヒダマリ=アキラにある、“二週目”の記憶。

 この町では大きなことがふたつ起こった。

 いや、大きなことはひとつだけだったかもしれない。


 ひとつは魔物の襲撃。

 町に入り込んだサーカス団のひとりが実は魔物でした、などという小さな物語だ。

 一応アキラも気にして昨夜の運動がてら周囲を見回ろうとしたのだが、何しろ規模が規模だ。まるで調べられなかった。

 似たような集団が多く町に入り込んでおり、ほとんど把握できないまま宿舎に戻ることになってしまった。


 ただ、そんなことは所詮些事に過ぎない。

 だからアキラが気にしているのは、もうひとつの出来事だった。


「不確定なのは分かっている。だけど、一応な。すでに心臓バクバクいってるんだよ」

「ふ、そうだろうね。だけどアキラ、ぬか喜びになったときには悲しいよ」

「そうだけどさ」

「“彼女”はいずれ僕たちの前に姿を現す。ある種確信めいたものもあるよ。だけど、それがここでなのかは分からないだろう」


 それもそうだった。何しろ1年ほど前にこの近辺にいたのを見かけただけだ。今はどこにいるか分かりはしない。

 仮にこの町にいたとしても、この町が魔物の襲撃に遭おうが彼女なら平気な顔をしてやり過ごしもしそうだ。もっとも、襲撃者の正体を知らなければ、だが。


 ぬか喜びを避けようと、色々と考えを巡らせたが、やはりまた失敗してしまった。

 意識を離せそうにない。

 いつ出逢えるだろう。


「アキラ、色々と期待しているところ悪いけど、少し気になっていることがあるんだ」

「……なんだよ」


 イオリの声のトーンが落ちた。アキラは歩幅を落とす。


「この前のリビリスアークの話だ。あれからいろいろ考えていてね」

「ああ。そういやあんまり話せなかったな」


 辛うじて聞けたのは、“一週目”の完全な記憶を持っているイオリが想定していなかった事態が起こったということだけだった。


「君とサクラが襲撃に遭ったという、アシッドナーガのゲイツ。その出現は、前々回は無かったんだ」

「そう言ってたな。だけど、あいつとの戦闘は“二週目”で刻んだ“刻”だ。たまたま今回は噛み合ったんだろ」

「僕も最初はそう思っていた。だけど、どうも釈然としない。何故なら前々回、アイルークにアシッドナーガが出たという事件自体が発生していないからだ」


 アキラは首を傾げるが、イオリの表情は真剣そのものだった。


「“幻想獣型”の“言葉持ち”。どちらか一方でもアイルークにとっては致命的な大事件なのに、その両方を持つ魔物が出現したとなれば、世界のどこにいてもそれを察知できるはずだ。それなのに、旅を続けていた僕らはそのニュースを知らなかった」

「だから、誰も“刻”を刻まなかっただけだろ」

「想定でしかないが、“刻”に関しては概ね結論は出ている。理屈は分からないが、君が原因で発生しているわけではなく、君がいるときに発生率が急激に高まるようなものだと」


 “二週目”でイオリが言っていたような気がする。

 “刻”の事件は、ヒダマリ=アキラが引き起こしているわけではないが、事件の種を芽吹かせてはいると。そして、アキラが近寄らなければ、それは勇者に選ばれなかった事件として結局は発生するのだ、と。

 自己弁護のつもりはないが、その推測はしっくりくる。

 何故なら世界の裏側で、勇者に選ばれなかった事件は発生し続けているのだから。


「だがゲイツの件はそうじゃない。聞けば近隣を飛び回って巨大マーチュを討った相手を探し回っていたそうじゃないか。“単純な時系列として考えて”、ゲイツはやはり、前々回も目撃されていなければおかしいと思う」

「時間で表現できないのが“刻”ってやつだろ」

「そうなんだけど、……だから、釈然としない、と言っているんだ。前々回、ゲイツは君に選ばれなった事件だったかもしれないが、“ゲイツの存在自体が消えるわけじゃない”だろう。それなのに、あたかも“ゲイツは前々回存在しなかった魔物”のように感じるんだ」


 イオリの言う前々回。アキラの言う“一週目”。

 その世界に、ゲイツは存在しなかった。イオリはそう感じると言う。


「待てよ。お前はこう言っているのか。ゲイツという“刻”は“二週目”から存在しているって」


 イオリは頷く。そして表情は硬い。


「アイルークでの出来事。総合して話を聞いていたら、前々回と前回の出来事が混ざり合ったような事件だった。僕はね、アキラ。時々思うことがあるんだ。前々回、や前回、そして今回。それは横並びじゃなくて、1本に繋がっているんじゃないか、ってね」


 ぞっとしない話ではある。

 アキラがハードモードと呼称する現象。記憶通りにならない物語。超常的な現象であるがゆえに、漠然としかアキラには捉えられない。

 だが、イオリはあくまで地に足をつけて検証を進めている。いや、すべての記憶を有するイオリだからこそ、その違和感を覚えられるのかもしれない。


「そうなってくると、僕の記憶が絶対なんて言い切れない。今まで“たまたま”同じようなことが起こっているだけの可能性さえある。魔物の襲撃は無い日だと思い込んでいても、突如として襲ってくるかもしれないんだ。そう思うと、“記憶”の使いどころは難しくなってくる」


 圧倒的なアドバンテージのあるイオリがここまで慎重な行動を取るのはそうした理由もあるのだろう。

 例えば“二週目”では敵だったからと先手を打って切りかかったら、実は善良な市民でした、なんてことになったら目も当てられない。


「まあ、ただの杞憂かもしれないけどね。心配し過ぎなのかも」


 イオリはあっさりと言ったつもりなのだろうか。

 表情が変わらないから、アキラにはまるで響かなかった。

 イオリもアキラに視線を走らせると、慌てたように続ける。


「本当だよ。もしかしたら前々回はあの出来事とタイミングが重なってうやむやになっただけかもしれないしさ」

「あの出来事?」

「……ああ、いや、こっちの話だよ」


 下手に誤魔化そうとして墓穴を掘ったように思える。

 “幻想獣型”の“言葉持ち”。その大事件がうやむやになるような出来事がこの先待っていると言っているようなものだ。

 アキラは深くは聞かなかった。それこそどうせ誤魔化してくるだろう。


「まあいずれにせよ、僕は会って話をしないといけない人がいる」

「……それは?」

「決まっているだろう。君を逆行させた人物だよ。“彼女”なら、何かを知っているかもしれない」

「つってもな、あいつの記憶も無いんじゃないか」

「え、そうなの?」

「言ったろ。持ってこれたのは俺の記憶だけだったんだ。そんな大罪犯しているとは」

「―――大罪?」


 今度は自分の口が滑った。

 下手に動揺すればイオリは見抜いてくる。だからアキラはさらりと言葉を続けた。


「ああ、記憶を有したままの逆行は大罪なんだってさ。だから俺は“具現化”を代償に捧げたんだよ。言わなかったっけ?」


 嘘が上手くなっている気がする。きっと良くないことだろう。

 アキラが内心びくびくしながらイオリを探ると、彼女は爪を噛んでいた。


「前から思ってたんだが、砂糖でもついてんのか?」

「…………」

「悪い、少し黙る」


 気づけばエリーたちと距離が離れていた。

 アキラは少しだけ足を速める。

 イオリも合わせてきたが、相変わらず表情は固いままだった。


「アキラ、それは確かか。彼女は大罪という言葉を使ったのか」

「あ、ああ」


 相変わらずの人ごみの中、先頭を行く赤毛の少女と赤い衣の少女が足を止めていた。

 辛うじて見える挟まれたティアが元気よく跳ね回っている。食事処のようだった。エリーの母、エルラシアは今あの場所に勤めているのだろう。


「……アキラ。罪とは何だと思う?」


 合流の中、イオリがいたって真剣に、哲学的なことを言い出した。

 罪とは規則を守るためにあるもの。そう浮かんだが、イオリは言葉を続けた。


「シンプルにさ。単純に言えば、罪とは―――“誰かが誰かを裁く理由”さ」


 裁かれるのは自分であろう。

 だがそう考えれば。


 誰に、裁かれるのだろうか。


「こんにちはーーーっっっ!!」

「どうしてあたしより嬉しそうなんだろう、凄いと思う」

「えへへ、ありがとうございます!」


 エリーが言葉を失っていると、店の中から様子を見に来た店員が顔を覗かせる。

 その中のひとりが小さな声を出した。

 恰幅のいい女性が店を飛び出すと、エリーに向かって真っすぐに歩いてくる。


「感動的な親子の対面だね」

「ああ、私もそう思う。だけどなイオリさん。私はもしかしたら冷たいのかもしれない。あそこまで喜べない」

「僕もだよ」

「うう……、ぐす、あっし、もう泣きそうです。いや、泣いてます。良かった……エリにゃん、良かったよぅ……、ぐす、ごほっごほっ」


 泣きすぎて何故かせき込み始めたティアの騒音の影響か、エリーはいたって冷静に母の手を取れた。

 そして振り返り―――そして固まった。


「あ……れ。あいつは?」

「あら。アキラさんも来てくれたの?」


 固まりながら、次第に震え始めたエリーを見て、イオリは振り返る。

 そこには誰もいなかった。


「な、え、イオリさん、アキラと一緒に歩いていなかったか?」

「……警戒してたんだけど、流石としか言いようがない」

「?」


 イオリは思わず漏らした声を、誤魔化そうともしなかった。

 そして雑踏を眺める。人の流れは、相変わらず激しかった。


「いっ、」

「あれっ!? アッキーがいねぇぇぇーーーっっっ!?」


 エリーよりも何故か騒がしいティアの大声を聞きながら、イオリは、今度は口元を隠した。


「……行ったか、アキラ。“彼女”によろしくね」


―――***―――


 がっ、と女性に首元を掴まれた。

 そして、いきなり口を塞がれ、突き刺すような視線を間近で向けてきた。

 甘い香りのするウェーブのかかった亜麻色の髪とピリリとした殺気が鼻をくすぐった。

 生物を容易く殺せると認識しているその手のひらが、首元にしっかりと押し付けられた。

 そして、鼻と鼻が付くほどの距離で、不敵な笑みを向けられ、耳元で、『見つけた。来い』と囁かれ、手を引かれた。


 その状況で、その腕を強引に振り払える男がいるだろうか。

 いや、いない。


 そんなこんなで、アキラは、店の前で突撃してきた女性と、皆から大分離れた路地裏に駆け込んでいた。

 路地裏に設置してあった樽の影にふたりして腰を下ろせば、互いに聞こえる息遣いだけがその場を満たす。


 アキラは、身体中が震えていた。


「ようやく見つけ―――」

「エ、エレナ!!」

「え、あ、そうだけど」


 反射的にそうした所作をするのは癖なのだろうか。アキラの大声にきょとんとした顔が愛らしい。


 エレナ=ファンツェルン。

 ぬか喜びになるからと釘を刺され、自分を抑えながらも結局は失敗していた、この町で起こる大きな出来事。

 それが、彼女との再会だった。


「ああ、そう言えば私名乗ったわね」

「マジかよ、やっぱり会えた、本当に。良かった、」

「まあいいわ、私、聞きたいことがあるのよね」

「ずっとアイルークにいたのか? いや、どうでもいいか。元気だったか?」

「ちょ、聞いてる?」

「俺もうお前に色々言いたいことあるんだよ。ミーナさんから聞いた話とかもあるし、」

「今は私が話してんでしょ!!」


 涙ぐむほどの再会だったのだが、胸ぐらを掴まれて本当に泣きを見る羽目になった。

 記憶に深く刻まれているその表情は、あからさまに不審人物を見る目になっていた。


「てかよくあの別れ方でそれほど喜べるわね」

「……あー、ああ、そうだったな」


 直前に“一週目”や“二週目”に関わる話をしていたせいか、その辺りの自制があまり効いていないことを自覚する。

 一応、この“三週目”。アキラはすでにエレナと出逢っているのだ。そのときは、あまり友好的な関係ではなかったのだが。


 エレナはため息ひとつと共にすくりと立ち上がり、軽く前かがみになって土を払った。

 胸元を強調するような服装も、ちょっとした所作も相変わらず洗練されているように見える。

 ほとんど反射的にやっているのであろうその佇まいは、アキラの記憶とピタリと重なった。やはり泣きそうになる。


「……ん? あんた今、ミーナって言った?」

「ああ。実は俺たちシリスティアに行ってさ。ミーナさんに色々聞いたんだ。だからもう色々渦巻いて渦巻いて。そっちはどうだったんだよ? 元気だったんだよな?」

「ぐいぐい来るわね。話が早いのは私好みだけどちょっと怖いわあんた。……元気、よ。そりゃね」


 エレナの表情が若干ひきつっている。意外と押しに弱そうな一面を見た気がした。

 気を静めながら、アキラはゆっくりと立ち上がる。

 以前彼女と出逢ったときの自分は、この“三週目”に不慣れな頃だ。

 確かにもう少し消極的だったようにも思える。


 彼女の正面に立って、まっすぐに瞳を見据えた。

 ほとんど同じ高さの瞳をのぞき込むと、困惑しているような色が見える。


 “一週目”。

 そういえば今と同じように突然路地裏に連れ込まれた記憶がある。

 あのとき彼女は甘い笑顔と声をアキラに向けてくれていたと思うが、どうやら今回は最初からハードモードらしい。


「俺を探していたのか?」


 ようやく落ち着きを取り戻したアキラは、とりあえずはと切り出した。

 出逢えたのは僥倖だが、一応誘拐された理由くらいは聞いておきたい。

 するとエレナは鋭く頷いた。

 彼女もようやく落ち着き、アキラを誘拐した理由を思い出したらしい。


「そうよ。えっと、何か話せばいいのか……。あんたのせいで整理してたのがぶっ飛んだわ。とりあえず、あんたがヒダマリ=アキラでいいのよね?」

「ああ」

「よし。それじゃあ単刀直入に行くわ。あんたガバイドに遭った?」


 その名を聞いて、自分の表情に嫌悪感が浮かんだのが分かった。ほとんど反射だ。

 エレナはそれだけで、アキラの答えが分かったのか冷えた瞳を浮かべる。


「まだそこにいたか」


 呪いのように、冷え切っていて、それでいてじっとりとした声色だった。

 路地裏の暗さも相まって、ぞっとするほどの殺意を覚える。

 エレナ=ファンツェルンという人物の殺意の根源。それは“二週目”でも、確かに肌で感じている。


「てか、何で知ってんだよそれ」

「は? 知ってるも何も、いたるところで聞いたわよ。アドロエプスの魔物撃破と、勇者様の失踪事件は。その後タンガタンザだかモルオールだかに行ったんでしょ。じゃああんたもガバイドから逃げられたのね」


 未だにピンと来ていないが、自分の行動は色々と世界に筒抜けらしい。

 だが、失踪後の出来事を推測できるのは、世界広しと言えども彼女だけだったのだろう。

 ただ、どうも言い回しが気にかかった。


「逃げたって」

「逃げたんでしょ」

「逃げたけどよ。悪かったな」


 下手な意地を見せたが、エレナは完全にあのときの出来事を想像できているようだ。アキラがガバイドを撃破している可能性をまるで想定していない。

 投げやりになって答えたアキラを見て、エレナは変わらず冷えた瞳で虚空を捉えていた。


「気にしないで。あの野郎がどうせ生き延びてるってのは分かってたから。ガバイドは殺せない」

「そうかよ」

「ええ。私以外はね」


 狂気を孕んだ表情には凍えるほどの恐怖を覚え、そして暖かいほどの信頼を覚えさせられた。

 エレナ=ファンツェルン。彼女はこの“三週目”も、変わらずそこに在ってくれた。


 さて。

 問題は、ここまでまっすぐな殺意を宿した彼女をどうやって勧誘すればよいのか、だ。

 “二週目”。厳密に言えば、エレナ=ファンツェルンは打倒魔王を志す仲間というわけではなかった。彼女のその眼が向く先は、やはりあのいかれた魔族なのだから。

 彼女は縛られることを酷く嫌う。アキラから聞くだけ聞いたらあっさりと背を向ける可能性さえあった。

 “二週目”と違い、彼女に有益な力を示すことはできない。

 あるいはサーカスの猛獣よりも扱いが難しい彼女に下手なことを言えばどうなるか。想像したくない。


「さて、じゃあ色々と聞かせてもらう前に」

「あ、ああ」

「私を連れていって」

「へ?」

「へじゃないわよ。どうせ行くんでしょ。ついでだからいいじゃない。弾除けくらいになってくれたって」


 エレナは自分が至極まっとうなことを語っているように言い切った。

 言葉に裏があるようには全く思えない。

 この女性は、どうやら世界の期待とやらが乗っているらしい“勇者様”を、本当に弾除けと思って言っている。自分の目的を果たすための。

 だが、それはつまり。


「まあいいかそれでも」

「なによそれ」


 どう切り出したものかと思っていた勧誘が、あっさりと終わってしまった。

 ある意味彼女らしいと言っていいのだろうか、なんにせよアキラにとっては問題ない。


「な、なら、よろしくな。打倒魔王だ」

「え? ああうん。そうね」


 試すようにわざわざ口にして、手まで差し出したのにエレナは興味なさげに返答しただけだった。

 何となく不安になるが、せっかく上手くいったのだ、下手に刺激しない方がいいだろう。勇者の旅とは皆の心が一丸となっているものだというのが通例だろうが、エレナにとってはどうでもいいことのようだ。大丈夫なのだろうかこれは。


「じゃあもっと話聞かせてもらうわ……そうね、その前に。ねえアキラ君。私、喉乾いたなぁ」

「今更」

「だめ?」


 散々殺すだのなんだと言っておきながら、この甘い声。

 分かりやすく演技だと思えたが、やはりその所作は一級品だった。金を払ってもいい。そうかだからお茶を御馳走することになるのか。いやちょっと待て。と、アキラが思考していると、エレナはまるで嫌味を感じない、優しい微笑みで続けた。


「私と、デートしてくれる?」


 文句は出なかった。


―――***―――


「ぐす。でもアッキーどこに行っちゃったんですかね? ぐす。あっし、実はあの直前に振り返ったんですよ。ううぅ。そのときはアッキーいたと思ったんですけど。ずずっ」

「喋るか泣くかどっちかにしてよ」


 エリーは、挙動不審になっているティアの手をがっちりと掴み、クロンクランの大通りを歩いていた。

 ティアを大泣きさせた自分とエルラシアとの再会は、仕事があるからと夜まで中断となった。ここまで感動されると、自分の方はかえって冷静となってしまう。

 現在はその再会の最中、突如として姿を消した男の捜索。

 集合場所を決めて二手に分かれているが、未だ発見できていない。

 一番いなくなりそうなティアに目を光らせていたから油断してしまったが、最初から集合場所を決めておいた方が良かったかもしれない。

 よくよく考えれば、突如として消えるのはあの男の方が多いのだった。


 雑踏の中で、行き交う人を眺めながら、エリーはゆっくりと歩いた。果たして奴はどこに行ったか。


「ぐす。あれ、エリにゃんどうしました?」


 表情に出ていただろうか。涙が徐々に収まり始めたティアが見上げてきていた。


「ううん。たださ、こういうの久々だな、って思ってさ」

「? アッキーのことですか?」

「そ。あいつさ、この世界に来たばかりのとき……、今もか。結構迷子になってたのよね。自覚があったかどうか知らないけど」

「ええっ、そうなんですか。でも普段、あっし結構アッキーと一緒にいること多かったですよ」

「うん。だから迷子になってたのよね。自覚があったか知らないけどね。ティア」

「あっしと同時にでしたか」


 自分とサクの苦労を言って聞かせたところで分からないだろう。


「それに町の外でもね。いきなりいなくなるなんて日常茶飯事だったわ」

「そうですね……。だとしたらやっぱり心配です。アッキー何かに巻き込まれたんじゃないかって」

「そうね、心配。それが久々だな、ってさ」


 エリーは小さく呟いて、再び人込みを眺める。

 やはり見つからない。


「ここ最近、ずっと気を使わせちゃってたみたいでさ。なんか分からないけど、そんなことしなかったのよ、あいつ。そのせいで、あたしの方が気になっちゃった。何かは分からないけど、邪魔しちゃっているような気がしててさ」

「そんなことないですよ。でも、そうだとしたらあれですね。アッキーもエリにゃんがお母さんと会えて、安心して失踪できたのかもしれませんね。……ててっ、手っ、手が痛いです!!」

「許してるわけじゃないけどね」

「あ、あ、あ、あっしもですか!? エリにゃん手がっ」


 エリーはティアの手を緩め、代わりに反対側で拳を作る。

 あの男が消えるのは今に始まったことではない。それについて、自分が色々と苦労するのもだ。

 だけどその感情が、今は少しだけ心地良かったりもした。


「まったくあいつは仕方ない奴よ。でもさ、なんかね。ちゃんと戻ってきてくれそうな感じもしてるんだ。それが、そうね。ちょっと嬉しいわけよ、先生としては」

「むふふ。エリにゃん。あっしはニマニマしますよ、たとえこの手が砕けようとも」

「そう」

「嘘っ、嘘です!! 手は大事です!!」


 人の波が切れたタイミングで、エリーはティアの様子を見た。

 定期的に目視で確認。迷子を出さない定石だ。


「ま、今日からちゃんといなくなるなら、こっちも今日からちゃんと怒鳴れるわけよ。すぐに全部元通りってわけじゃないけど、乗り切った感じがしてきてさ」

「ううぅ、良かったです。ぐす」


 まずいぶり返した。

 アイルークの“平和”にあてられたようだ、随分と気が抜けているかもしれない。

 ただ、母に会えたからか、ようやく自分も本当の意味で普段通りに戻れたと考えれば、やはり心地良く思えた。


 心に余裕ができれば視野も広がり、そして思い至る。

 そういえば。


「ねえティア。次はさ、ヘヴンズゲートに行こうか」


 手が緩んだのを感じた。

 エリーは構わず続ける。


「やっぱりさ、会った方がいいよ。親にさ」


 リビリスアークの襲撃を聞いたときから、心の片隅にはあったことだった。

 だけど、恥ずかしいことに、気を配れる余裕はなかった。


 このアイルークにはティアの両親がいるのだ。

 自分と同じく育ての親ではあるそうだが、それでも立派な彼女の家族だ。

 いつでも元気な彼女からは感じられないが、もしかしたら自分と同じように気に病んでいたかもしれない。

 思い返せばここ数日、ティアが妙にいきり立っていたような気もする。

 元気づけてくれた恩返しと言うわけでもないが、このほっとするような気持ちを彼女にも感じてもらいたかった。


「エリにゃん」

「ん? ……って、ひっ、」

「うううぅぅぅ、あっじのごどを気遣ってぐれるなんで感激……ぐずっ、ううぅ、エリにゃんのやざじざに、あっじはもう、う、ううえぇあああ」

「や、やっぱり会いたかった……、ってそっち? ちょ、止めて泣き止んで。なんかあたしが虐めてるみたいになってるから!!」


 戦慄するほどガチ泣きしていた。

 本格的に人々の注目を浴び始める。


 こんなことになるなら場所を選ぶべきだった。

 エリーは手を引いて足を速め、助けを求めるように周囲を見渡す。

 一刻も早くアキラを見つけ、この大通りから離脱しなければ。


 そんな祈りを込めながら探っていくと、見知った後姿を見つけた。

 曲道の門で足を止めているのはサクとイオリだ。

 どうやら回り回って合流してしまったらしい。


「あれ。サッキュンとイオリンですね。何してるんでしょう?」

「戻ってる……」


 目は赤いが復活したティアが指を差したふたりは、身を潜めるように建物の角に身を隠していた。

 何故かふたりは、自分とティアがそうしているように手をつないでいる。

 明らかに不審だった。


 近づこうとすると、気配を察知したのか、イオリが振り返る。

 そして、自分を見て、酷く憔悴した表情を浮かべた。


「あああ……。アルティア!!」

「はい!! ティアにゃんですが?」

「エリサスを連れて離脱しろ!! 今すぐにだ!!」

「へ? あ、はい!!」

「?」


 ティアのじゃれつくような妨害など、何の意味も持たなかった。

 エリーは目を細め、ふたりに近づく。


「別にいいだろう。合流するだけだ」

「そうなんだけど、今どうなっているのか分からないし……、下手に刺激しない方がいいかもしれないし……、あー、もうどうでもよくなってきた」


 珍しくイオリが混乱している。

 ただ、サクを掴んだ手だけは離さないようにしていた。


「あ、やあエリサス。こっちは僕たちが調べておくよ」


 エリーに気づいたイオリが爽やかに挨拶してきた。

 明らかに挙動がおかしい。

 好奇心に駆られて、エリーはイオリをかいくぐるように通りへ躍り出た。


 すると。


「へえ」

「あ、アッキーじゃないですか。どなたかと一緒にいますね。わわっ、すげー、すごい、で―――むぐっ」


 ティアが喚く前に、イオリが背後から口を押えたのが視界の隅に映った。

 まあそれはどうでもいい。

 エリーは小さく笑った。


「むぐっ、むぐっ」

「アルティア。暴れないでくれ。今3対1になったらどうにもならない」

「むぐぐんむぐぐぐっ!!」

「何言っているかは伝わってくるね。これ以上暴れたら絶対にそう呼ばないよ」

「むぐぅ」


 何やら騒がしいが、それよりも、自分には行くべき場所がある。


「ほんっと、久々ね、こういうの」


 アキラがいるのは通りにせり出している店の野外スペースだった。

 他の席には家族ずれや若いカップルが座っている。

 そしてその中央。

 アキラにも連れがいるようだ。


 それも、女性の。


「―――、―――」

「―――」


 距離がある。何を話しているかは聞こえない。

 だが、人の波の隙間から、女性の顔が見える。


「ぁ」


 思わず声が漏れた。

 甘栗色のウェーブのかかった髪が、ふんわりと風に靡く。微笑みからは、柔らかな優しさも、貫くような聡明さも同時に感じる。服の上からでも、スタイルの良さが容易く見て取れた。

 女性のエリーから見ても、びくりとするほどの美女だった。通行人にも、ふと足を止めている者がいる。

 そして、彼女の目の前にいる男は、楽し気に笑っていた。


「……大勢で押しかけてもお店に迷惑ですね。あたし行ってきます。……言い訳を聞きに」


 イオリからは返答がなかった。一応視線を走らせると、彼女は何故か空を仰いでいた。

 彼女たちが何故ここで足を止めていたのかは知らないが、自分の行動に別におかしなことはない。探し人が見つかったから迎えに行くだけだ。

 いきなりいなくなったのだ、ああなったのにも何か事情があるのかもしれない。

 ただ、ほんの少しだけムカッとしているから、少し大げさな送迎になってしまうかもしれないが。


 エリーはずんずんと店に歩み寄り。


 そして。


―――***―――


「じゃあ、エレナは今まで方々回ってガバイドの研究所を潰してたのか」

「そうなるわ。あの魔族を探してたから……、まあ、ついでにね」


 何となく入ったそこは、カップル御用達、といったようなおしゃれな店だった。

 今日は生憎の曇り空だが、暑すぎず寒すぎず、外出には適している。

 野外に並べられたパラソル付きの席に通され、絶世の美女と会話をしているのだが、その内容は非常に殺伐としたものになっていた。


 最初はこうした話を民間人の前でしているのもどうかと思ったが、意外と人の会話には意識を向けないもののようで、アキラも気にせず会話を続けられる。


 どうやらエレナの旅は、ガバイドの研究所巡りになっていたようだった。

 以前、自分と同じ属性の“もうひとり”が言っていた。ほとんどの研究所は“何者か”によって潰されていると。

 やはり思った通り、犯人はエレナだったようだ。


 確かにガバイドは世界各地の研究所に移動する術を持っていた。

 ガバイドを探すのならそれも取り得る手段のひとつなのだろう。

 いや―――と。アキラは考え直す。

 もしかしたらそれは、ガバイドを殺す唯一の手段なのかもしれない。


「“あの場所”には行ったのか」

「んだからそれをするために、弾除けがいるんだっての」


 答えが分かっていて聞いてみた。それにあっさりとエレナは答える。

 大雑把のように見える彼女は、実のところかなり慎重な性格をしている。

 凡人には大仰に見えるその態度は、凡人が慎重になることを容易く行えるからだ。

 彼女にとっても困難なことを前には、彼女は誰よりも思慮深く、警戒を怠らない。

 それほどまでに、あの死地は。


「それで、そんなときに聞いたのよね。ヒダマリ=アキラが現れた村が崩壊したって。ここで張ってりゃそのうち現れると思ってたわ」


 すごく感動した。

 自分が焦がれていた彼女との再会は、彼女も望んでいて、そして今日、ついに実現したことだったとは。

 涙が出てくる。


「私は思ったわ。便利な奴がいる、ってね」


 涙が出てくる。


「そういえばエレナ。よく俺を覚えてたな。あんまり話せなかったのに」


 強い心を作って、アキラは話題を変えた。

 エレナはじっとアキラに顔を覗き込み、つまらなそうに口を曲げた。


「……たまたまよ。って、そうだ。それもあったんだったわね。誰かのせいで順番めちゃくちゃになったわ。あんた、ガバイドについて前から知ってそうだったわね」

「……それは、」

「ま、別にいいわ。居場所は掴めたし。今更よ」

「そうか」

「あんたが話さないなら、時間の無駄だしね」


 何気なくとったカップは、冷めてしまっていた。

 見逃してもらえたのか、あるいはアキラ自身に強い関心がないのか。

 ともあれエレナは、遠くを見るような目をしていた。


 時間の無駄。慣れたような物言いだった。

 エレナは、こういう風に今までも生きてきたのだろうか。

 周囲を欺き、周囲を利用して、自分の本能に誠実ささえ覚えるほど貪欲で、自分以外の一切を切り捨てるような冷たさを覚える。

 彼女が必要性を見出せば、アキラの口を強引にでも割らせるだろう。この“三週目”で会ったときもそうされかけた。あのときも、彼女の中で、アキラが口を割らない、割らせることは時間の無駄だと判断したから見逃されたのだろうか。

 共に旅をした“二週目”でも、エレナ=ファンツェルンという人物が仲間に加わった直後、そんな感想を抱いたことがある。彼女の色香に惑わされていた自分でさえも、自分に利用価値が無ければ、彼女はあっさりと背を向けていたかもしれないという感覚を本能的に味わった覚えがある。


 彼女はどこまでも冷たい。

 だが、今のエレナがそうだとしても、それが彼女のすべてではないことを自分は知っている。

 共に旅した中で、もしかしたら一番変わったかもしれないのはエレナだった。

 それなのに、今のエレナがそうであることが、何よりも辛く思えた。


 この“三週目”。

 当然のように、彼女は彼女に戻っている。


 やっと実感した。

 自分は、エレナ=ファンツェルンに出逢えた。それでも、すべての記憶は消えているのだ。

 逆行の影響は、気づけばいつも自分の胸を貫いている。

 それはこの旅路で仲間に会うたびに思っていることだった。


 途端に口が開けなくなる。

 エレナは自分の犠牲者だ。そんなことを考えてしまう。

 浮き足立っていた旅の序盤ではここまで深く考えられなかったが、エリーも、サクも、ティアも同じ。

 イオリのときのように謝ることもできない。本人は知らないことなのだから。


「アキラ君、さ」


 エレナの声に顔を上げれば、彼女はまだ遠くを見るような瞳を浮かべていた。

 すべてが眼中に入っていないような瞳に、自分は映り込むことができるだろうか。


「さっき、ママに会ったとか言ってた?」

「……え。ああ。ミーナさんだろ。会ったよ」

「私と会ったこと、言ったの?」


 アキラが眉を潜めると、エレナは整った髪をガシガシとかく。


「だから、私が生きてるってさ」

「いや、言えなかった。なんか、事情がありそうだったから。……そのあと死ぬほど後悔したけどな」

「そう」

「元気にしてたぞ。だけど、お前の無事を願っていた」


 エレナは、息の塊を吐き出し、瞳を伏せた。


「そう」


 同じ素気の無い言葉だったが、少しだけ、聞いたことのある声色のように感じられた。


「……なあ。エレナ」

「いっ、いましたっ!! あの女です!!」


 アキラの声が、怒号のような言葉に遮られた。

 思わず振り返りながら、反射的に思い出す。


 そういえば、先ほどイオリと話していたときには思い出していたこの町の物語。

 この騒ぎも思い起こしていたのだが、エレナの登場ですっかりと頭から消えてしまっていた。


 自分たちを囲んでいるのは作業服を着た複数人の男たち。

 その中央の小太りの男がエレナを指差していた。


 奴は。


「お……、お早いお目覚めね……」

「仲間もいたのか!!」


 怒号が舞う。

 店内どころか通りの人々も足を止め、騒然となっている。

 エレナはアキラの耳にはしっかりと聞こえる舌打ちを響かせ、くるりと振り向いてきた。


「アキラ君。助けて……怖い」

「俺はお前が悪いと思っているんだが」


 イオリが言った。“一週目”や“二週目”ではそうだったとしても、“三週目”ではそうではないかもしれないと。

 エレナも今回は無実である可能性はあるのだが、何故かアキラは白い目でエレナを見ることを止められなかった。


「何故バレたし」


 エレナはちろっ、と舌を出し、悪戯めいた可愛らしい笑みを浮かべた。


「とにかく謝れって」

「アキラ君……。私のこと信用してくれないの……? ちょっと売上奪っただけなのに……」


 しゅんとした表情を浮かべ、子犬のように弱々しくアキラにしなだれかかってくる。

 いちいち可愛らしい強盗だった。


 男たちはアキラが思わず手に取っていた剣を警戒しているのか、慎重に、しかし着実にじりじりと距離を詰めてくる。

 相手は民間人だ。しかも、明らかに悪いのは背後の女ときている。アキラがどうしたものかと頭を抱えていると、エレナが小声で呟いてきた。


「逃げるわよ」

「マジか」

「こんな目につく場所で暴れたらこの辺りには居づらくなるわ。上手く路地裏まで誘い込めればどうにでもなる」

「怖えよ何する気だ!?」

「じゃあ逃げ切るしかなくなったわね。犯罪者になりたくないでしょう勇者様」


 強盗が脅迫者になった。

 恐ろしく後ろめたい気持ちはあるが、これ以上騒ぎは起こしたくない。今は逃げた方がいいだろう。

 アキラは意を決してエレナにアイコンタクトを送ろうとする。


 すると、エレナは当たり前のように駆け出していた。


「酷くね!?」


 鋭く走り、店の柵を超える。

 強盗の補助に加えて食い逃げか。清廉潔白に生きていたはずだったのか、いつの間にか2犯もついている。

 こんな街中で魔力を発動でもしたら自分を追いかける鬼に魔術師隊も加わるだろう。普段の早朝トレーニングで培ったダッシュを往来で披露しながら、アキラは全力でエレナを追いかけた。


「なんでこっちに逃げてくんのよ!? ふつう散るでしょ!?」

「犯罪者のてにをはなんか知るか!! 今すぐ金返して謝って来いよ!!」

「いやよもう私のでしょ!!」


 シリスティアで出会ったミーナのことを思い出す。

 世界有数の大都市ファレトラの良家の出であり、あのほんわかとした美しい女性の娘は今、慣れた様子で罪を犯していた。

 何事もなければ、あんな世界の財産とでも言うべき理想的な女性がもうひとり増えていたのだろう。


「許せねぇ、ガバイド」

「なんで私を見ながら言ってんの!? ……ちっ、振り切れないわね」


 人の波を避けながらとなるとなかなか速度が出ない。

 エレナは鋭く視線を背後に走らせる。

 となると次に彼女が取る行動は。


「―――っ!?」


 知っていたはずなのに。

 構えていたはずなのに。

 エレナの手は、アキラの胸ぐらを掴んでいた。


 その鋭さに、アキラはまるで反応ができなかった。


「アキラ君。弾除けの仕事よ」

「使うの早くねぇか!?」


 エレナはアキラの様子をまるで気にせず不敵に笑う。

 何が起こるかはアキラには察しがついていた。彼女はアキラを、弾除けというより弾として背後の男たちに投げ込もうとしている。


 “二週目”では、アキラの身にあの強大な力が眠っていたがゆえに助かった。しかし今、その後ろ盾は無い。

 だからこそ強く警戒していたのだが、無駄だったようだ。

 あのときはまるで反応できなくとも諦めがついていたが、今は、自分への小さな落胆と、彼女への大きな羨望が浮かんでくる。


「―――は。世界一周分くらいじゃ足りないのかよ」

「? まあ、任せた―――」


 アキラを掴んだ彼女の手に魔力が籠るのを感じる。

 ああ、これは―――やられる。


「……ひっ、ひやぁぁぁあああーーーんっっっ!!?」

「―――は?」


 雑踏の中、エレナの嬌声が響いた。

 がくがくと震え、エレナは足から崩れて座り込む。


「何、が」

「は……、は……、は、え、な……、な、に」


 投げられると思っていたアキラは、エレナを見下ろし唖然とした。

 まるで状況がつかめない。

 だが、男たちは変わらず全力で追ってくる。


「……もういい」


 どうにでもなれ。

 アキラは震えるエレナを担ぎ上げると、せめて“彼女たち”が見ていないことだけを祈り、身体中に魔力を展開した。


「キャラ・ライトグリーン!!」


 ここまでの旅である意味最も頼りにしていたこの魔術。

 窃盗の逃亡に使ったのは初めてだが、この魔術の発動は、悲しいことに、今まで以上にしっくりきた。


―――***―――


「あ、イオリンお疲れさまです!! 大変でしたねぇ。わわ、お疲れのご様子です。あっしもお手伝いできればよかったんですが……」

「いいよ、もう。誰も僕の苦労は分からないだろうし、ちょっとアキラに八つ当たりしたい気分になっているだけだしね。はは」

「おおぅ」


 色々と、色々と、色々と。アキラに言いたいことがある。

 具体的に言えば行き場のない怒りをぶつけたいし、愚痴を聞いてもらいたい。

 その辺り、ティアは親身になって聞いてくれるだろうが、今の自分は色々と口が滑りそうだから、やはりアキラしかいない。と言っても、原因の半分近くはアキラにあるのだが。


「なに? 僕はこれから魔術師隊に説明をしてサーカスの方々に謝罪をしてアキラたちを探してエリサスとサクラを宥めてなんだっけ? ああ、魔術師隊の方は終わったか」

「イオリンが病んでいます……、イオリン。うん、あっしお手伝いします!! 何でも言ってください!!」


 猫の手も借りたいが、ティアの手は借りるわけにはいかない。オチは見えている。

 ホンジョウ=イオリは頭を抱えて身近な椅子に腰を下ろした。


 アキラを見つけたまでは良かった。しかも、どうやらこの町で“彼女”に逢えていたようだったのだから喜ばしいことこの上ない。

 ただ、問題は同伴していたサクが一言も発さず、まっすぐに距離を詰めようとしたところだ。

 表情は普通だったが、通り過ぎただけで頬が切れたような感覚を味わうとは。何か良くない予感がして、何とか止めたのだが、そこに止めのエリサス=アーティ。

 その辺りから記憶がぼやけている。

 こういう騒ぎはまるで慣れないし、色々と知っているがゆえに自分は酷く損な役回りになっている気がする。

 あの一間で、モルオールで魔術師を指揮しているときの倍の疲労感を味わった。


 様子を見るに、今回は前回と同じ流れのようだ。前々回はどうだったか。あの騒動で記憶があいまいになっている。

 このまますべて忘れてしまったら楽になれるだろうか。


「まあまあ、イオリン落ち着いてください。それに、エリにゃんとサッキュンなら大丈夫ですよ、ほら」

「すみませんでした!!」


 エリーの声が聞こえてくる。

 ここは、朝に寄った公園よりも広いサーカスの拠点だった。

 いくつも浮かんでいるバルーンがあらゆる種目を大々的に主張している。


 今日もここで公演があるそうだ。先ほどエルラシアが自分たちのためにチケットを買っているとか言っていたような気がする。

 問題は、その団員たちと街中で荒々しい戦闘を繰り広げたあのふたりがそれを純粋に楽しめるかだが。


「売り上げが盗まれちゃったみたいです。さっきアッキーと一緒にいた人に」

「らしいね。さっき魔術師隊のところにも団員が来ていたよ」


 イオリは乾いた目で団長と思しき男に頭を下げているエリーとサクを眺めた。

 反射的に飛び出していったふたりには団員たちがアキラを襲っているように見えたのだろう。図らずも、アキラと“彼女”の逃亡の手助けをしてしまったようだ。


「それでアルティア。怪我人は?」

「ふっふっふ。もうばっちりですよ!! ティアにゃんがぽぽんっとね☆」


 苛つきを覚えた。心にゆとりがないのだと自覚して、今は素直に感心しておこう。

 中々に凄惨な様子に見えたのだが、人助けとなると底が知れない。


 さて。


 イオリはしきりに頭を下げているふたりを視界の外に出し、公園中に視線を走らせる。

 小さなテントが点在しているが、奥には巨大なテントがふたつあった。

 片方は客を入れるテントであろうが、もう片方。

 鼻につくような空気を感じる。


 ティアの治療は流石のようで、先ほど見た顔も公園中を歩き回っていた。その中のひとり。巨大なテント付近に立つ、小太りの男を見つけた。

 前回アキラから聞いた話通りなら、恐らく。


「……すみません。災難でしたね」

「え? ああ、先ほどの。いえいえ、事情を知らなかったようですし。こちらこそ場を治めていただいてありがとうございました。……お嬢ちゃんも、ありがとうね」

「……例え笑われようとも言わねばなりません。あっしは大人のレディです」


 ティアには口を閉じていてもらいたい。今少し真剣になっているのだから。

 目の前の男―――確か、アキームだったか。ティアににこやかに笑い、そして言動にも不自然な点は見つからない。

 客商売を全うしているように、イオリに対しては僅かにへりくだったように応答し、愛想が良かった。

 どこからどう見ても人間だ。あるいは、“それほど”なのだろうか。


「このテントには何が入っているんですか? 随分と大きいようだ」

「いえいえ、大したものではありませんよ。ただ、サーカスに使う猛獣が入っていまして」

「わ、わ、わ、ちょこっとだけ見てもいいですか!?」

「あ、こらこら危ないよ。女性ならもっとおしとやかに。ね?」

「はっ、はい。当然です!!」


 ティアはわざわざ口を両手で塞ぎ、姿勢をピンと張った。本当に愉快な子供だ。

 それはさておきこの男。

 本当に人間なのだろうか。

 前々回、前回の記憶を保有するイオリにとって、幾度となく目の前に立ち塞がってきた問題だった。

 どれほど自分が確信していても、それを過信することは許されない。

 だが、そのせいで、それを信じること自体ができなくなっている。


 アキラの話では―――この男は敵。それも、ゲイツに匹敵するほど危険な存在だ。

 それを前にしていても、自分はその道を踏み抜けない。アキームが善良な一般人である可能性は、やはり未だあるのだから。


「……魔物が芸をするそうですね。このサーカスの目玉のようで」


 あくまで人として接しながら、イオリはアキームの様子をくまなく観察した。ちょっとした所作。反応。それをいくら見ても、やはり確信は持てなかった。


「……それはそれは。お耳が早い」

「いえ、先ほど魔術師隊に足を運んでいたので。ちょっと小耳に挟んだんですよ。大丈夫なんですか?」

「問題ないですよ。私の前では大人しい限りで」


 アキームは妙な愛想笑いを止めていた。

 向うもこちらを訝しむ様子を見せている。それも、商売人としては当然なのだろうか。

 やはりそう簡単にボロは出さない。イオリは頭を軽く下げて背を向けた。

 やることは未だいくつもある。

 これ以上はここにいても仕方がない。


「そういえば、ホンジョウ=イオリ氏、ですよね」

「……ええ。よく分かりましたね」


 背後からの声に、足を止めた。

 アキームは、やはり穏やかに笑いながら、言葉を続ける。


「ええ。何でもあのヒダマリ=アキラ様と共に旅をすることになったとか。先ほど伺ったところ、今夜の公演をお楽しみいただけるようで。そういった方々にお見せできるのは大変喜ばしく思います」

「それはそれは。恐縮です」


 アキームの顔が、不敵な笑みを浮かべているように見えた。

 考え過ぎだと思うことにする。

 先ほど言葉を交わして分かった。彼はセーフティの範囲でしか応答しない。

 そしてイオリのその考えを、アキームも感じ取っているようにも思えた。


「ただ、申し訳ないですが、危険を感じた場合、対処させていただきますよ」

「ええ。もしもそんなことになったら町中が大変なことになるでしょうね。その場合はぜひお願いします。大丈夫ですから」


 ピリとした空気を感じた。アキームからも、背後の巨大なテントからも。

 大丈夫、か。何に対して言っているのか。


「では、今夜」

「はい。お待ちしております」


 イオリも不敵に笑い、これは本当に配慮として、言った。


「今夜、僕たち“全員”で楽しませてもらいます。気難しい者もいますが、期待しています」


 背を向けて、イオリはエリーたちに向かって歩き出す。

 いつものごとく確信は得られなかったが、確信していることはある。


―――***―――


 今度は投げ捨てずに済んだ。

 とうとう魔術まで使用して離脱した店からは随分と離れた路地裏。

 アキラは背負った荷物をゆっくりと下ろし、壁に背を預けさせる。


 触れていた彼女の身体は、ガラスのように繊細に感じた。


「……大丈夫か?」

「……、…………、なんでそっちに座ってんの?」

「刺激しない方がいいと思って」


 正面に腰を下ろし、アキラはエレナの様子をじっと見ていた。

 高揚した頬に、荒い息遣い。

 邪に考えれば恐ろしく魅力的であるのだが、善意で見れば風邪の初期症状のようにも見える。


 この光景は、“二週目”でも見た。

 そしてあのときは、無遠慮に彼女を揺すろうとして、見るべきではない“闇”を見てしまったような気がする。


「…………あんた、さっき何をやったの?」


 エレナの口調はまるでうわ言のようだった。

 だが、それについてはアキラも聞きたい。


「それは俺が聞きたい。お前何をしたんだ。キュトリムじゃないのか」

「……へへ、バレたか」


 乾いた笑いが聞こえた。

 魔力も、生命も奪い去る、振れただけで殺す魔力。

 エレナはアキラの力を一時的に奪って投げ込むつもりだったのだろう。

 だが、それは何故か正常に発動しなかったようだ。


 それは“二週目”に起こった出来事と同じだった。


「……エレナ。その魔術、日輪属性には効かないのか?」

「……どうして?」

「いや、なんとなく」

「……通用するわ。そりゃまず見ないけど、日輪属性の魔物を殺せたもの」


 ガバイドの研究所巡りをしているとなればそんなこともあるのだろうか。

 だがやはり腑に落ちない。

 何故自分にはそれが効かなかったのか。今の自分に、エレナの魔術を退けるような莫大な力は眠っていないはずなのに。


「てか」

「ん?」

「発動はしたわ……。なんかね、分から、ないけど……、流れ、込んで、きたら、ビリッと来たのよ……なんか」

「あー、分かった。とりあえず休んでろって」


 荒い息をしながら呟くエレナに上着をかけると、アキラは眉を潜める。

 あのときエレナがこうなった理由は、あの“力”にあると思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 とすると単純に相性の問題だったのだろうか。

 エレナの息遣いだけが聞こえる路地裏で、アキラは空を仰いだ。

 路地裏に縁のある日だ。日の当たりにくい、ひんやりとした空間だった。


「アキラ君さ」

「なんだよ」

「よく怒んないわね、あんた」

「怒ってるぞ、これでも」

「あっそ」


 エレナの容態は変わらない。

 随分と勢いよくアキラの力を奪おうとしたようだ。

 その反動でそうなっているのなら、しばらくここに身を潜めることになるかもしれない。


「退屈ね。アキラ君。私がガバイド殺そうとしている理由知っているでしょ?」

「ああ、知っている……と、思う。ミーナさんから聞いた話だったら」

「そう、ね。じゃあ、退屈しのぎに聞かせなさい。アキラ君はなんで勇者なんかやってんの?」


 口調とは違い、弱々しい声だった。

 だがその問いは、この旅の道中幾度となく、自分の前に立ち塞がった重い問題だ。

 そして確たる理由を口にしたことはない。


 だが、もし今、色々なしがらみを取り払って言うならば。


「罪滅ぼし」


 彼女の自由さに充てられたからだろうか。アキラは正直に言った。エレナの視線から探るような気配を感じたが、これ以上は言えない。

 出した答えは、相変わらずひどく醜かった。それが俺の使命だから、とでも言えば格好がついただろうか。

 だが、罪滅ぼしとは。言い得て妙だ。

 そしてエレナも、愚かな自分の犠牲者である。


「似たようなもんね、私の復讐も、声を大にして言えない理由だわ」

「さっき散々殺すだのなんだの往来で言っていたけどな」

「は、そうね。で、だからなの? アキラ君が勇者っぽくないの」

「酷い物言いだけど、そもそも勇者っぽくないってなんだよ」

「弾除けを請け負い、犯罪の片棒を担ぐ」

「すべて今日起こったことだ」


 酷い一日だと思うが、エレナに逢えた幸運を思えば帳消しどころかお釣りがくる。

 大分回復してきたのか、エレナは身体を起こし、アキラに上着を放ってきた。


「ねえ、アキラ君。勇者を途中で投げ出さない?」

「どういう意味だ」

「あの“死地”までちゃんと行けるかってこと」

「行けるよ。てかそういう約束だろ」

「そうね、弾除けだものね」


 釈然としないエレナの問いだった。

 もしかしたら自分は、彼女に試されているのだろうか。邪推しかけたが、考えを読むことは諦めた。彼女の考えは捉えどころがない。


「それとさ」


 だからアキラは、構わず続けた。

 世界を一周してきて、宿題も色々と増えている。


「全部終わらせたら、エレナ。シリスティアに戻ってくれよ。ミーナさんに、俺言ったんだよ。お前は絶対に無事だってさ。分からないけど、何か理由があって戻らないだけだって」

「あー、同情、ってやつ?」

「……かもな」


 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。

 自分はエレナの境遇を知っている。あのガバイドという魔族の酷さを知っている。だからそう思っているのだろうか。

 だが。

 適当に応答してしまったが、少し違う気がする。


 罪滅ぼし。そう言ったのは自分だが、本当にしっくりくる。

 そうか。自分が願っているのは、そもそも。


「幸せになって欲しいから、か」


 掠れた声で呟いた。聞こえてもいないかもしれない。それで構わなかった。言葉にすると随分と格好のいい理由だ、我ながら惚れ惚れする。だがそれは、エレナの言うように、声を大にしては言えないことだった。これは彼女たちのためを思ってではなく、自分のためだ。自分が招いたことへの贖罪だ。


 だから自分は、“二週目”の最後に彼女たちのことを強く想った。

 わがままな自分に付き合わされた被害者たちを、救わなければならないと思ったのだ。

 それが利己的で、不遜で、自己満足に過ぎないことだとしても、そう思った。

 自分の旅は、そういう旅だったのだ。


「……私がファレトラに戻らない理由はさ、中途半端に安心させたくないからよ。戻ったって、ガバイドを殺しにすぐ出ちゃうもの。この旅を続けている限り、幸せにはなれそうにないわ」


 聞こえてしまっていたようだ。

 何事にも中途半端な自分に嫌気が差す。

 しかしエレナは深くは聞かず、ゆっくりと立ち上がった。


「あんたがママに言わなかったのは正解よ。それとも分かってた?」

「……さあな。ただ、なんとなくそんな気はしてた、かも。じゃあ、とっととガバイドを殺さないとな」

「ええ、そうよ」


 完全に回復したようだ。

 エレナはアキラを見下ろしながら不敵な笑みを浮かべていた。

 その笑みが本当によく似合う。


「じゃ、結構離れたし、2件目行くわよ」

「……あれ。どうしてそうなった。てかやば、俺あいつらに合流しないと」

「もう少しくらいいいじゃない。ちょっとお腹減ってきたし。今度は私が奢ってあげるから」

「さっき奢るどころか食い逃げになったんだが……、つーかそれ、奪った金だろ」

「だからもう私のだって」


 まるで気にもしないエレナの様子を見て、アキラは大いに嘆き、そして笑った。自分の言ったことは嘘ではなかった。

 エレナは元気過ぎるほど自由に生きている。

 色々忘れて、もう少し話をしていよう。


 毒を食らわば皿までだ。

 人様の金を使うことになるが、エレナを止められそうにない。


―――***―――


「ほんっっっとにどこに消えたのよあいつ」


 今日は随分とおかしな日だった。

 エルラシアと念願の再会を果たしたはずだったのだが、どうもそれが霞む。原因は分かりきっている。


「……ま、まずいですね。もうすぐサーカスの時間です。アッキー戻ってきますかね? やっぱりあっしたちも別々に探した方がいいじゃないですか?」

「あいつは知らないし、今もどこかで遊び惚けているんでしょうね。それよりティア、手!!」


 若干距離が離れた気がしたティアに手を伸ばす。

 サーカスの団員たちとのいざこざもあり、アキラを見つけられずに時間ばかりが過ぎていった。

 こうなってはもう草の根分けてでも探し出すつもりで、エリーたちが採ったのは3手に分かれての人海戦術だった。

 迷子がもうひとり増えるのが容易に想像できたため、エリーだけティアのお目付け役も兼ねている。

 本人は不服そうだったが、今は何に怯えているのか震えながら大人しく手を差し出してきた。


 人がずっと増えてきた。夜店も始まりつつあるようで、通りは随分と賑わってくる。

 恐らく自分たちと同じサーカスへ向かおうとしているのだろう家族連れとすれ違い、惨めな気持ちになってきた。


「ティア。何としてでも探し出すわよ。それはもう今すぐにでも」

「エリにゃん、手ががが」


 走らせた視線が、昼間アキラを見つけた店を捉えた。

 随分と荒らしてしまったが、今は無事に営業を再開しているようだ。植木が僅かばかりかしいでいるようだが。


 アキラと共にいた女性を思い出す。

 勢いよく向かっていったはずなのに、姿を見た途端、びくりとして足を止めされられた、あの女性。

 アキラはおそらく今も、あの女性と一緒にいるのだろう。


「そういえばアッキーと一緒にいた人、凄かったですね」

「……ええ」

「それはもう、その、凄かったです。ずるいです」


 ティアはぺたぺたと胸を叩いていた。珍しく目が乾いている。

 短絡的な思考のティアの目に飛び込んできたのが何かは想像できる。

 そして今、もうひとりその短絡的な思考の男が彼女と共にいるのだ。


 ヒダマリ=アキラは世界中でその名を知られる勇者となった。

 その事実は、モルオールにいたときから肌に感じている。

 町を歩くだけで魔術師隊の視線を感じ、依頼を受けようものならものによっては介入してくることさえある。

 イオリの話を聞くに、民間人には勇者の現在地の情報は伏せられているそうだが、魔術師隊には混乱防止のため広められているそうだ。

 そしてそうなると、多少は情報が漏れてしまう。

 魔術師隊が防いでいるらしいが、興味本位でアキラに会いに来る者も出てくるだろう。

 それでいて、あの男には危機感がない。

 相変わらず名前を聞かれれば当たり前のように答える上に、人に厳格な態度で接することなどせず、言い方は悪いが相手が有象無象であっても求められれば応じてしまう。

 親しみやすいと言ってしまえばきっと長所なのだろうが、やはりどうしても考えなしのように思えるのだ。

 もしかしたらあの女性も、ヒダマリ=アキラが勇者と知って、興味本位で近づいてきたのかもしれない。

 ただ、勇者というエサに食いついてきたのが、有象無象どころかそれ相応の女性だった。

 腹立たしいことこの上ないが、あの男が鼻の下を伸ばしていても仕方がないと思ってしまう。

 だが、あの女性はサーカス団から金を奪って逃亡しているのだ。アキラに取り入れば無事にこの町を脱出できるだろう、もしかしたらそのつもりでアキラに近づき、そして利用しているのかもしれない。

 今更あの男がこのアイルークでどうにかなるとは思わないが、それでも心配は心配だ。

 あの女が窃盗をしていると知っても、あの男なら庇いかねないともなると不安は尽きない。


 そこでふと考える。

 思い起こすのを避けていたが、あの女性。

 以前どこかで見たことがあるような気がした。


「エリにゃん。もうすぐ約束のお時間です。アッキーならきっと何とかなりますし、あっしたちは捜索を続けます。でも、エリにゃんは駄目ですよ。お母さんとの約束守らなきゃ」

「分かってるわよ。まだ走れば間に合う。それより探さないと。もうこの辺りにはいないのかな……」

「むふふ、アッキー優先なんですね」


 ぴたりと足を止めた。

 掴んだ手からティアの気配が消える。

 見ればティアは蹲り、頭を押さえて震えていた。

 怯えられているようで、その実からからかわれているのが見て取れた。ティアにはよくやられている気がする。


「―――そうよ。あいつ優先」

「…………ふ……え?」


 取り繕ったりはしなかった。これ以上言葉は続けない。

 エリーはティアをそのまま放って歩き出した。


「わ、わわわわわ、わわわわわわわわわ」

「ちょっとティア? 早く探さないと」

「ちょ、ちょちょちょ、待ってください、エリにゃんどうしたんですか!? お熱でもあるんじゃ、あわわわあああ、ごほっごほっ」


 錯乱されていた。その上せき込み始めた。

 失礼だ。


「だから、あたしは探したいの。いい?」

「げほっ、ごほっ、ああああ、ええええ、おおおお、こほっ、おえっ」

「こいつ……」


 まるで収まらないその様子に、身体中が熱くなってくる。

 この熱気を頭に叩き落としたい衝動に駆られたが、少しだけ気が楽になったような気もしていた。

 それでもやはり、言うべきではなかっただろうか。熱い。


「……真っ赤です」

「む。まだ何か言う気?」

「い、いやいやいや、違いますよっ、エリにゃんじゃなくて、」


 ティアが慌てた様子で指を差す。

 それを、目で、追うと。


「―――、」


 空が、燃えていた。

 もうもうとした黒い煙が上がり、空の雲と同化していく。

 エリーたちの様子に周りの人々も空を見上げ、小さな悲鳴を上げていた。


 火災。

 通りの向こう、遠方で、非日常的な何かが起こっている。


 そして、その方向は。


「っ……」

「エリにゃん!?」

「行かないと!! あれ、さっきの公園の方よ!!」


 建物の隙間から見えていたサーカスのテントが、赤く、黒い煙に包まれ見えなくなっている。

 原因は知らないが、出火元はサーカスのテントのように思えた。


 そしてそこには今、エルラシアがいるのだ。


 ティアを置き去りにし、足を止めて空を見上げる通行人を潜り抜け、エリーは必死に駆けた。


 嫌だ。

 今すぐに、この目で見ないと安心できない。ひたすらに急がなければ。


 以前シリスティアにいた頃、同じようなことがあった。

 港町で突如として起こった災害のような事件。あんな異物が、このアイルークに混ざり込んでいるような恐怖を直感的に思ってしまう。

 ただの火災であればいい。今、この町でだけは何も起こらないで欲しい。

 悪寒と、楽観的な思考が頭の中で巡るましく浮かび、その混乱のまま身体を動かす。

 人知を超えたあんな出来事、今日だけは許して欲しい。


 駆けて、駆け続けて、エリーは人の波が強くなったのを感じた。

 未だと奥にあるあの火災現場から必死に逃げているのか、エリーを襲うように人が向かってくる。


 何が起こっているのか。

 意識を向けると、人々の狭間から、はっきりとした異常がエリーの目に飛び込んできた。


 それには、黒くまるまるとした球体の身体に、小さな耳と手。そして背中にも小さな羽根。

 それだけがその存在の姿だった。

 人の胸ほどの高さに羽ばたきながら不気味に浮かび、時折バチバチとスカイブルーの光を纏っている。


 リトルスフィア。

 エリーの認識では、マーチュと同じく最低クラスに位置する低級な魔物だ。

 動きは鈍く、逃げ回る一般人を追い切れていない。

 精々驚かす程度のことしかできていないようだった。


「ノヴァ!!」


 鋭く詰め寄り殴り飛ばすとリトルスフィアはまさしくボールのように弾かれ、地面に落下して四散する。

 たまたま魔物が紛れ込んだだけ。道の隅で息を整えている一般人はそんなことを考えているかもしれないが、エリーはまるで違ったことを考えていた。

 クロンクランに、こんな弱小の魔物が入れるわけがないのだ。町の防衛策を突破できるわけがない。

 むしろ分かりやすいほどの異常が発生している。


 多少冷静になったエリーは、未だ喧騒と共に駆け出す民間人をやり過ごし、サーカスの火災を睨んだ。

 あの場で何が起きているのか。こうなってはもう、最早ただの火災であるという希望は消えた。

 そして。


「……え」


 人の波が途切れてきた。

 視界が良好になる。

 店が立ち並んだクロンクランの大通り。その、先。

 ぞっとするような光景が広がっていた。


「エリにゃん!! 大丈夫ですか!?」

「あれ……」

「へ……、いっっっ」


 追いついてきたティアは絶句し、エリーは呆然とした。


 それは波だった。あるいは海だった。

 リトルスフィアが群れを成し、大通りを埋め尽くさんとひしめいている。

 終点は見えない。視界に入るすべての道が、大量の黒い球体に覆われ、サーカスのテントからぎっしりと敷き詰められていた。

 そしてそれは徐々に近づき、町中に展開していく。

 絵空事のような光景が、クロンクランを覆いつくしていた。


 あのシリスティアでの港町に起こった出来事。

 あるいはそれ以上の脅威が、この村を襲っているかのようだった。


 そして。


「うっ、わ。まじかよ」


 あのときもこんな風に合流したような気がする。

 思わず身体が動いた。

 振り返らずに駆け出せば、隣に並んできてくれた。


「今は。今はいいわ」

「不吉な物言いだなそれ。みんなは?」

「あんたをっ!! 探してるっ!!」

「づ、今はいいって言ったとこなのに」


 耳元で怒鳴ってやった。

 今は上手く言葉は出てこない。だから、今はいい。

 戦慄するほどの光景が眼前に広がっているが、足が軽くなった気がした。情けないことに、理由は何となく分かってしまう。


「ねえ。お母さん、サーカスにいるかもしれないの」

「何だと!?」


 彼は慌てて剣を抜き、迷わず海のような魔物の群れに飛び込んでいった。


「一気に倒すぞ!!」

「そのつもり!!」


 オレンジとスカーレットの閃光が大通りを明るく照らした。


―――***―――


「さて……、どうしよっかな。どうすればいいと思う?」


 エレナ=ファンツェルンはゆっくりと道を闊歩しながら、通り過ぎようとした球体に声をかけた。

 弱小ながらも人々に悲鳴を上げさせる、純然たる魔物は、羽を激しく羽ばたかせ、必死に先を急ごうとする。

 当然、返答を期待していたわけではなかったが、その態度を不満げに眺め、エレナは緩慢な動作で歩み寄った。


「ま、そうよね。そういう態度よね」


 辛うじて方向転換できたらしいリトルスフィアを、背後から優しく撫でてあげた。

 すると可哀想なことに、小さな破裂音と共に消滅してしまった。

 なんということだろう。


 その様子を見ていたのか、周囲に浮かぶ黒い球体も、必死に身体を動かし、方向転換を試みている。

 町中に浮かび上がる黒い球体たちは、圧倒的な物量を持っているにもかかわらず、エレナに近寄ろうともしなかった。


 それが普通だ。


 ただの魔物は分かりやすい。

 計算もなく、ただ純粋に人を襲い、そして純粋に脅威からは離れていく。

 その単純さは人間も持ち合わせているはずなのだが、心があると難しいことになるようだ。

 だから人は、人に対して裏を読もうとし、ともすれば自分さえも騙して行動する。

 エレナにとって、魔物よりも人間の方がある意味信用できない。

 当然、欲望や本能に正直な人間もいることをエレナは知っている。いいお客様たちだ。


 自分には目的がある。そしてその目的のためならば何でも使う。

 例えそれが世界の希望と言われているような存在であったとしても。

 それができる自信があったし、実際その通りにはなった。


 だが。


「ふ……、ふふ」


 ギリ、と奥歯を噛んだ。

 気に入らない。端的に言えばそれだった。


 あの男とすでに出会ってしまっていたことは失敗だったと考えていた。それも自分の機嫌が悪いときに、だ。あの男は自分を知っている。いつもの手は使えない。

 ならばいっそと脅しつけようとしてみたのだが、出会い頭に妙な騒ぎ方をするものだからそれも失敗してしまった。

 しかし、最早どうしたらいいか分からず駄目元で言ってみたら、何故か思い通りになってしまった。

 なんて私は運がいいのだろう、あるいは美貌の恩恵だろうか、などと考えられる奴は頭の中に花でも詰まっているに違いない。エレナはそうではなかった。


 ヒダマリ=アキラは明らかに何かを知っている。以前もそうだった。

 こちらが色々と手を尽くして利用しようとしているのに、あの男が見ているのは目の前にあるものではないような気がする。

 自分にとっては今まで生き抜いてきた立派な武器だというのに、そんなことはどうでもいいと言うように、自分を求めてくる。

 酷い物言いをしてみたり、こちらから裏切ってみたりしても結果は変わらなかった。

 沈むような柔らかさに、不安を覚えてしまう。それは今まで、自分が利用してきた者たちが嵌っていったものだと知っているのだから。

 まるで自分の方が利用されているようだ。そんな相手も今まで見てきた。地面に沈ませるか別れも告げずに置き去りにしてやったが。


 ただ、始末の悪いことに、あの男は倒れ込んだ自分を見捨てなかった。それだけで信用できるわけでもないが、彼が呟いたあの言葉。

 あれは多分、本心のような気がする。


「幸せに、ねぇ。私が?」


 軽く腕を振るったら、浮かんでいた球体が弾き飛ばされ店の分厚い窓ガラスをぶち破ってしまった。

 酷い。魔物の襲撃が、建物の中までをも蹂躙している。なんて許されざる悲劇だ。


 手を汚し続けている自分に対してよくもまああんなことが言えたものだ。聖人君子か。

 しかし、認めないわけにもいくまい。あの男と自分は縁がある。面白い表現になるが、地元まで押さえられているのだ。

 そして自分の母にも会ったと言う。

 もう顔も思い出せないが、子供の頃の自分にとってはどんな親だったのだろうか。

 会えれば思い出せるかもしれない。


 やはり人の言葉を深く聞いては駄目だ。ほんの少しだけ揺らいでしまったではないか。

 深く考えないことが自分の長所だと思っているし、今までもそうして生きてきている。

 気に入らない。


 認めはしよう。大なり小なり好意はある。自分の心は割と単純なのかもしれない。実際、役に立つものにはきちんと好意を向けてあげられる。勇者ともなればもう大好きと言っておいてやってもいい。


「はあ、やばいわね、これ」


 試しに球体を掴んで投げてみたら、密集していた球体が砕かれるように四散した。街灯のポールが砕かれ倒され、並んだ露店が下敷きになって数件潰れた。ひどい。このまま奴らの暴挙を許せば、クロンクランが壊滅してしまう。


 エレナはゆっくりと歩を進め、未だ煙が立ち上る場所へ向かって歩いていた。

 あの場所は、自分が売り上げを奪いがてら探りを入れていたサーカスがあり、そして、火の手を見るや否や飛び出していったヒダマリ=アキラが向かっていった場所でもある。

 自分をほっぽり出して去っていった相手も初めてだ。


 本当に気に入らない。


 エレナは目の前に浮かぶ球体をドンと弾き飛ばした。

 背後で何かが崩れる音がしたが、まあそれはどうでもいい。魔物の被害だ。


 それよりも、もう少し落ち着かなければ。


 まずいことに、あの男と話しているだけで、妙に脳の奥をくすぐられるような感覚に陥る。魔術をかけようとして失敗し、あられもない声を上げたことも揺さぶりをかけられているような気がした。

 そんな感覚をけたたましいほどに味わってしまった。興味というものが出てきてしまう。


 やはり、まずい。

 理由を求めるようになったら末期症状に近い。

 そんなものはせせら笑い、ただ正直に生きていくことが自分のスタイルだというのに。


 このままでは。


「本気になりそう」


―――***――


「ちょっと!! 町を壊す気!?」

「仕方ないだろ!!」


 濁流のようになだれ込むリトルスフィア。

 大通りを埋め尽くす大群に比べて川の小石のような勢力は、その流れを完全にせき止めていた。


「キャラ・スカーレット!!」


 アキラは、力強く剣を振るう。

 容易く四散した魔物は、周囲に勢いよく飛び散り、周囲の同種を弾き飛ばす。

 個であっても群であっても、あっさりと撃破できるリトルスフィアたちは、まるで抵抗でずに無残に散っていく。


 弱い。

 アイルークの魔物だからなのか、あまりに戦闘力には開きがある。

 囲まれようとも剣を振るえば容易く吹き飛び、アキラは未だかすり傷ひとつ負っていなかった。


 だが。


「あっ、また!!」


 吹き飛ばされたリトルスフィアたちは建物に叩きつけられ、あっさりと戦闘不能に追い込まれる。

 そしてそれと同時、子供の爆竹のような小さな破裂音を響かせた。

 しかしそれが連鎖の始まりだった。


「やっば」


 バババババッ!! と騒音が響く。

 ひとつひとつはあまりに小さな衝撃。しかしそれが数百と同時に起こるとなると話が違う。

 アキラが起爆させた魔物の爆発の連鎖は、ここら一体の建物中に亀裂を走らせ、街灯も外壁も砕けるように砕けていく。

 矮小な力しか持たない魔物でも、いや、矮小だからこそ容易く倒れ、群れを成せば町に甚大な被害をもたらしてしまうようだ。


「建物の方に斬り飛ばさないで!! そこら中が更地になっちゃうから!!」

「んなこと言ってもどうすんだよ!?」

「じゃあ、……よし、見てて!!」


 離れて戦っていたエリーが怒鳴りながら駆け寄ってきた。

 そして僅かに身を下げて、道の中央に立つ。

 僅かばかり間を置くと、リトルスフィアたちは徐々に、ゆっくりとエリーに向かっていった。

 そして。


「スーパーノヴァ!!」


 ゴッ、と鋭い拳が正面のリトルスフィアを打ち抜いた。

 道とほぼ水平に打ち抜かれたリトルスフィアは、その衝撃を綺麗なほどまっすぐに後列に伝える。

 建物付近にいるリトルスフィアたちには衝撃が届いていない。

 エリーの芸術的な攻撃は、リトルスフィアたちを多数撃破し―――大通りの中央を破壊し尽して再起不能なほどの傷跡を残した。


「……おい。……おい!!」

「……いい手だと思ったのよ」

「もうこの町は終わりだな。破壊しようとしている奴が多すぎる……」

「あんたもそのひとりでしょ!?」


 ぎゃあぎゃあと怒鳴り合いながら、大通りの道を進んでいく。

 やはりリトルスフィアたちは弱い。その上動きも遅かった。もしかしたら民間人でも恐怖心さえ捨てれば迎撃できるかもしれないというほどに。現にここまで被害に遭った人を見ていない。

 放っておけば時間はかかるとはいえこの町の魔術師隊が駆除し切るだろう。

 その上エリーが、もう、絶好調だ。本当に魔術師隊に任せた方がいいような気がする。


 だが気になる。

 “二週目”。

 この魔物たちはここまで弱かっただろうか。

 単純な物量ならあのときの比ではないが、個の力が明確に低い。


 ただ幸運なことに、こんな様子であればエルラシアはもうとっくに避難している可能性の方が高かった。

 もしくは、あまりに多くの群れに行く手を阻まれ、サーカスの近くの建物か何かで籠城しているかだ。

 エリーもそう感じているだろう。焦りは見えない。

 ただ、いずれにせよあの火災現場には向かう必要はあるのだが。


「バーディング」


 いたるところから破裂音が響く中、リトルスフィアたちの挙動がおかしくなった。

 大きな流れはうねりになり始め、餌に食いつく魚群のように未知の中央に集中していく。

 それぞれの身体を押し退け、昇り、大群が空中で巨大な球体のようになっていく。


「シュロート!!」


 その中央をスカイブルーの閃光が討ち抜いた。

 爆撃個所から始まった戦闘不能の爆発は、時間差で、ゆっくり上と下へ向かっていく。

 花火のように見えた。随分と綺麗な光景だ。

 空中に集まったリトルスフィアたちは弾け飛ぶも、被害は空中で完結した。


「ふふんっ、どうですか!?」

「ほら見ろ。あれがお手本だ」

「くっ」


 話は聞こえていたみたいだ。

 色んな意味でたまに信じられないことをする。

 ティアが魔術を飛ばしている中、アキラがエリーの見張りをしていた方が町に優しそうな気がした。


 アキラが剣を小降りに操り、ティアが広範囲を撃破していくと、通りを埋め尽くさんとしていた大群もまばらになってきていた。

 あとは放っておいても魔術師隊が撃破するだろう。先に進んでも良さそうだ。

 拗ねているエリーと得意げなティアを引き連れ、魔物群れを駆け抜ける。


「でも、なんでこんな同じ魔物ばかり……」

「出所に行けば分かるだろ。それよりサクとイオリは? 一緒じゃなかったのか?」

「あんっ」


 反射的に耳を塞いだ。流れるように正面のリトルスフィアを切り裂き、さらに足を速める。

 概ね事情は分かった。

 彼女たちのことだ、この騒ぎとなればサーカスの公園に向かえばいずれ会えるだろう。


「アキラ!!」


 そこで、上から声が聞こえた。


「? サクか!?」


 見上げたと同時、鋭い何かが正面に降り立った。

 反応が遅れて思わず後ずさると、目の前に、赤い衣の少女が立っている。


「あ、ぶっ、」

「やあアキラ。久しぶりだな」


 冷たい声だった。

 まるでよくかわしたとでも言いたげな上空からの襲撃者は、エリーの姿を見つけると、僅かに微笑む。


「エリーさん。エルラシアさんなら上にいる。さっき、魔術師も来てくれたところだ」

「上にいるの?」

「ああ、逃げ遅れていたらしいが、もう大丈夫だ。避難してもらう」


 見上げれば、3階ほどの高さの建物の屋上から見知った顔が見下ろしていた。

 隣にも数人の男女が見える。彼らも一緒にここで足止めを食らっていたようだ。

 サクはあそこから降りてきたらしい。分かってはいるが、アクションスターのようだった。


「ありがとうサクさん。近くにいたの?」

「いや、私は大分離れていたと思う。道がこんなことになっていたから、屋根を渡って移動していたんだ。そしたらエルラシアさんたちを見つけてな」


 もっとそれらしいことをしていたらしい。

 目を輝かせているティアをさりげなく引き寄せた。

 子供にはヒーローに憧れる権利があるが、ヒーローと同じことをしてはならないという不条理もある。


「ティア。真似するなよ」

「なんでわざわざ言うんですか!? しませんよ!! 有事にしか!!」


 だから言ったのだが、これ以上は構っていられない。


「サク、何が起こっているのか知ってるか? テントが燃えてるのか?」

「……今はいいか。悪いが建物が邪魔で見えないんだ。魔術師を連れてきたりしていたから、ずっと見ていたわけではないし」

「じゃあ行くしかないわね。急ぎましょう」

「いいのか? エルラシアさんに会わなくて」

「事情が事情だもん。終わったらでいいわ。あんたも会うんでしょ?」


 随分とあっさりしているものだ。その通りだが。

 駆け出すエリーを追って走る。

 未だ通りを埋め尽くすようにリトルスフィアたちが浮いているが、この辺りにはとうとう人気が無くなってきた。救助を求める人たちもいないようだ。魔物の数を考えれば奇跡としか言いようがない。

 そして、角を曲がると今度はリトルスフィアたちの姿も極端に少なくなってくる。


「あれ?」


 道を間違えた。誰かがそう言った気がしたが、頷く余裕はなかった。


 街灯が軒並み消えているほの暗い道。

 空気が熱され、煤の匂いが強くなってきた湯だったような空間。

 建物の隙間から漏れる火災の灯りが照らす、正面の角から。


 ぬっと。

 巨大な存在が姿を現した。


「ひうっ」

「ティア落ち着け落ち着けあれはラッキーだ」


 声は震えていた。

 運命を呪いかけていたにしては声が出ただけマシだったが。


 町を闊歩する巨獣は、唸っていた。

 イオリの姿は見えないが、彼女もこの場所に来ているらしい。


 アキラは息を吸って吐いた。

 この町の記憶は持っている。

 ラッキーは味方だが、イオリがリトルスフィアなどよりもよほど被害をもたらす可能性のあるラッキーを呼んでいる理由は、ひとつしか思い当たらない。


 ラッキーが唸り、振動を残して後退する。

 アキラは意を決してラッキーの元へ駆け出した。


 そして。


「……やっぱりか」

「ぎゃーっ!!」


 ティアが叫ぶ。

 眼前に広がった光景は、熱中しかねないほどの、映画の世界だった。


 ラッキーが唸る、その正面。

 そこには召喚獣にも匹敵するほどの巨大な球体があった。

 リトルスフィアとは比較にもならないほど澄んだその存在は、球体から上半身が生えているように見え、野太い腕は球体を胎児のように抱きかかえている。

 貌は竜種のように見えた。

 サーカスの公園を背後に置き、巨大な翼の羽ばたきで燃え盛ったテントの残骸を揺らしている。

 マザースフィア。そんな呼称が付けられていたかと思う。

 右も左も分からぬあのときとは違い、この魔物の不気味さにアキラは顔を歪めた。


 イオリの召喚獣と、“幻想獣型”とも“無機物型”ともつかない巨大生物。

 建物に囲まれた、建物よりも大きなふたつの存在が、獰猛な唸り声を上げて対峙していた。


「ォォォォォォオオオオーーーッッッ!!!!」

「いっ」


 耳をつんざくような雄たけびがラッキーから上がった。

 同時に周囲の“気配”が拭い去られる。

 まるで魔力が感じられなくなった空間で、稲光のような衝撃がマザースフィアの腹部を打っていた。


「ちょ、あれ!!」

「ああ、見えてる!!」


 エリーが指さした先では、マザースフィアが無数の球体を“産み落として”いた。

 生まれたと同時、ラッキーの攻撃によって消滅していく存在はリトルスフィア。

 やはり、あの存在があれだけの数の魔物をこの町に出現させたのだ。

 しかしラッキーを前に、数はごっそりと削られている。

 土曜の魔術で討たれたリトルスフィアたちは、その動きも、戦闘不能の爆発さえも封じられ、何もできずに消滅していった。


「あれが一番のお手本だぞ」

「むううう」


 ラッキーよりも獰猛そうな唸りが聞こえた。

 これ以上刺激する度胸はないし、遊んでいる余裕はもっと無い。

 町への被害を抑えることを最優先にしているのか、ラッキーはマザースフィアを満足に攻め切れていないようだった。

 どれだけ魔力を溜め込んでいるか分かったものではない。あれが公園から離れて暴れ回れば、被害は甚大になるだろう。

 ならば。


「イオリを探してくれ!! とっとと倒すぞ!!」

「何する気!?」

「だから、」

「考えていることが同じなら、話が早くて助かるね」


 まるで戦闘音がなかった暗がりから、イオリが姿を現した。

 背後ではグレーの魔力に包まれた球体たちが、振動の無い爆発を起こしている。

 真っ赤に燃える火災の中、涼しい顔をして現れた彼女は、巨獣たちの戦いを気にもせずに歩み寄ってきた。


「待ってたよアキラ。テントから魔物が溢れ出てきたと思ったら、あれが現れてね。下手に攻撃したら抑えている余裕がなくなるから、均衡させるくらいしかできなかったんだ」

「最初からこの近くにいたのかよ。それでお前は暇潰しでもしてたのか?」

「はは、そうだね。暇だったしラッキーが討ち漏らした魔物とじゃれてたんだよ」


 冗談を言ったら冗談を返された。

 冗談のような光景の召喚獣を操っているはずなのだが、随分と余裕だ。

 イオリは優しく微笑み、アキラをまっすぐ見てくる。


「じゃあアキラ。悪いけど、行こうか」

「……一応聞くけど、お前俺に何させる気だ」

「君がやろうとしていたことだと思っているんだけど、違う?」


 やたらと皆からの当たりが強い気がした。

 悲しくなってティアに視線を向けたら、戦闘中なのに目の前の巨獣対決を最前列で鑑賞していた。


「ちょっと、何する気?」

「ラッキーで飛んで、アキラが突撃する。動きは鈍いし、下手に追い込んだら何をするか分からないからね」


 ゆえに、一撃での撃破を狙う。

 同じことを考えてはいたが、傍から聞くと危険極まりない。

 ラッキーが魔術で守ってくれれば無事だろうが、それでも相当な勇気が必要になる。だから勇者の仕事なのだろうか。


「他はラッキーが討ち漏らしたリトルスフィアを倒してくれ。どうも“子供”の能力を調整できるみたいだ。動きが早かったり、妙に耐久力があったりする個体もいる。放置はできない」


 イオリが毅然とした態度で指示を出し、砲弾に向かって歩み寄ってきた。

 覚悟は決めた。


「はい! はい! あたしがやります」


 わざわざ挙手してエリーが前に出た。

 一瞬ティアかと思ったが、奴は未だ巨獣の戦いに没頭しているようだった。


「って、何言ってんだ」

「いいでしょあたしでも。同じようなもんだし。ほら、とっとと残党狩りでもしてなさいよ」

「あれどう見ても水曜属性だろ? 俺が行った方が、」

「関係ないってこと、見せてあげる。ほらほら」


 邪魔とでも言われているように手で追い払われた。

 そういう意味では信用しているが、不安になる。


 イオリはさりげなく背後を気にしてから、静かに視線をエリーに向けた。

 少し考えるようなそぶりを見せたが、やがて頷く。


「分かった。その方が都合はいいかもしれない。―――アキラ」

「―――ああ。分かってる。頼むぞ」


 ふたりを見送って、アキラはティアの目の前で力強く手を叩いた。

 騒ぎながら尻餅をついたティアが現実に戻ってきたことを確認すると、巨獣の戦いの周囲に浮かぶリトルスフィアに視線を走らせる。

 今日は随分と地味な仕事ばかりだ。

 だがそれも仕方がないか。


 アキラは、小道の陰から妙な気配を感じたが、気にせず駆け出した。

 今日は仕方がない。


―――***―――


 私情だこれは。仕方がない。


「エリサス、次にラッキーが唸ったら走るよ」

「はい」


 巨大生物たちの戦いを至近距離で眺めながら、タイミングを計る。

 あの水色の球体には、普通にやったらこの拳は届かない。

 やるとするなら、イオリの召喚獣の背に乗って突撃するしかなかった。


「正直、意外だったよ。エリサスがくるとは」

「ごめんなさい。あたしで」


 口を突いて出たのは、自分の耳にも嫌味に聞こえた。

 自分が嫌な奴になっている気がする。こういうのは気を付けなければ。

 イオリは気にした様子もなく、小さく首を振るだけだった。

 大人な対応をされたようで、悔しくなった。


 振動が続く。

 ラッキーがにらみを利かせ、巨大な球体を押し込むように突き飛ばす。

 羽ばたきながらもふわふわと浮かぶ魔物は、暴れ出したりせずに公園に押し戻されていく。

 器用な戦い方だった。あれだけの巨体同士が暴れているのに、町がほとんど無事なのは異様だ。

 イオリは涼しい顔をしてタイミングを計っている。

 タイミングは、あの球体が次にリトルスフィアを生み出したときだ。

 ラッキーがそれを抑え、その隙に背中に飛び乗り突撃する。そのタイミングならば、戦闘不能の爆発までには再び魔術を放てるようになっているだろう。

 イオリはそれを見計らっている。


「ふー」


 身体に魔力を張り巡らせながら、気を落ち着かせる。

 しかし、やはり、悔しさを感じてしまう。


 自分が魔導士相手にそんな感情を持つことになるとは。羨望の眼差しだけを向けていた存在に、そう思うような日が来るとは。

 そうなった理由には思い当たることがある。というより、自覚したことがある。


「……役割被りまくっているのがなぁ」

「そうでもないさ。単純な破壊力ならアキラを超えているかもしれないし」

「うぐ」


 静かに応答された。

 そういう態度はずるいと思う。見通されていて、子供扱いされているように感じてしまう。ティアが常日頃から味わっているものだろうか。

 ちらりとイオリの横顔を見る。


 彼女のことは―――そう、分からない。

 彼女が仲間になったとき、アイルークのことを聞き、どたばたとこの地へ戻ってきたのだ。腰を据えて話せたことはない。自分の魔導士への憧れも関係しているのだろう。

 ヒダマリ=アキラと元々の知り合いであるらしいホンジョウ=イオリ。

 最初に彼女を見たとき、妙な危機感を覚えた。だからこそ、自覚する羽目になってしまったのかもしれない。


 アイルークに戻り、エルラシアの無事を聞き、今日はついに再会できた。

 サーカスを見ることはできなくなったようだが、そんなことはあまりに気にならないほど、心にゆとりができた気がする。

 そのせいか、やはり目についてしまう。

 アキラとイオリは、何か強い共通認識を持っていると。

 先ほども、自分には分からない何かを伝え合っていたように思える。

 いや、自分がそういう目で見るようになってしまったのだろうか。

 まずいかもしれない。頭の中に花でも詰まっているようだった。


「多分、そろそろ、かな。エリサス。どこを狙うか決めているんだよね」

「頭ぶち抜きます」

「……くれぐれも言うけど、ラッキーから離れすぎないでね」


 そう言えばあの男は空も飛べるようになったとか。見せてもらったが、数度で落下して悶絶していた。慣れていないだけで、きっとすぐに使いこなせるようになるだろう。

 そういう意味でも、イオリはこの作戦で彼を抜粋したのだろう。意地になって邪魔してしまったが。

 彼は様々なことができるようになってきている。


 だから、自分は、ちゃんと焦ろう。

 あの雪山で感じたような黒い感情ではなく、もっと、そう、澄んだ感情で。


 隣にいたい。

 女の子の役割ではないかもしれないが、少なくとも、この破壊だけは譲らない。


「……エリサス」

「はい」


 球体が怪しく光り始める。ラッキーが唸る。

 ついに来た。


 自覚してから、心が豊かになったり、貧しくなったりして、かなりペースを乱されている。

 だが、不思議と、できないことはなさそうな気もしていた。

 不思議だ。


「行くよ」

「はい!!」


―――***―――


 酷い光景を見た。

 巨獣と巨獣がルールを守ってきちんと戦っていたのに、巨獣から射出された小さな影がマザースフィアの顔面を消滅させた。

 ジオラマの戦いに突如として大砲でも撃ち込まれたかのような光景に、アキラは呆然とし、戦慄もする。


「ぬわ……なんてこった……、なんてこった……」


 特等席で巨獣たちの戦いを観戦していたティアが、唖然としながらリトルスフィアを正確に打ち抜いていく。

 本人も言っていたが、本当に器用なようだ。


 マザースフィアにはグレーの魔力を覆いながら、ラッキーは小さな影を空中で拾う。

 アキラはこみ上げてくる笑いを抑えて、爆発を抑え込まれながら消滅するマザースフィアを眺めていた。


「終わったな」

「ああ、そうだな」


 サクが愛刀を収めながら駆け寄ってくる。

 リトルスフィアは一通り撃破したようだ。

 通りには、リトルスフィアの爆破と、ラッキーの足跡が残るのみとなっている。

 被害としては最小限なのだろう。

 アキラは旋回して戻ってきたラッキーを見上げながら、ほっと息を吐いた。

 多少誤差があったようだが、どうやら今回は記憶通りのようだ。

 小さな、しかし強い予感と共に、アキラも剣を収めた。


「き……、貴様ら」


 ラッキーからエリーとイオリが下りてきたとき、背後から声が聞こえた。

 鋭く振り返ると、脇道から、顔中に血管を浮き立たせた小太りの男が現れる。


「! まだ人が残っていたのか」

「あ、サーカスの。大丈夫でしたか!?」


 踏み出そうとしたサクとティアを手で制す。

 目の前の男の異様な雰囲気に、空気が冷たくなった気がした。


「やあ、お久しぶりですね」

「会ったのか?」

「ああ。君が失踪している間にね」


 イオリの口調は軽かった。

 それに激高したのか目の前の男は、震え始める。


 そして徐々に身体が肥大化していく。


「ちょっと、あれ、え、大丈夫なの?」


 心配が先に出るほど、目の前の存在は人間だった。

 しかし筋肉が隆起し、人の皮膚が割れ、頭に2本の角がそびえ立つと、エリーもようやく事態が呑み込めたようだった。


「……オ、オーガース……?」

「ぎ、擬態……!?」


 鬼を模したような化け物だった。

 拳は鉄球のように発達し、それをも軽々しく操る巨大な体つき。

 背中まで伸び切った茶色の毛は、それぞれが槍のように怪しく光る。

 ただそこに立つだけでもたらす圧力は、あれほど巨大だったマザースフィアをはるかに超えていた。

 “幻想獣型”の“言葉持ち。

 アイルークどころか、どこかに出現すること自体が異常事態と認識される、最悪の存在だった。


 ビリと、焼けつくような殺気をアキラも感じる。

 リビリスアークで遭遇したゲイツと同等か、あるいはそれ以上の重圧を感じた。


「よくも……、よくも、私がガバイド様から賜った宝を……!!」


 規格外の存在。

 ここまで町に被害をもたらした驚異の魔物。

 その上、やはりあの魔族と関係があるらしい。


「……馬鹿野郎」


 だがアキラは。

 このときばかりは、この存在に心から同情した。


「貴様が“勇者”だな」

「知らないのも無理ない。だけど、それはまずいぞ」


 アキラは聞き流して呟いた。

 オーガースに冷めた視線を向ける。


「今、この町で、」


 この騒動、自分は何ができただろうか。

 町の被害を抑える戦いをティアに見せられ、エルラシアの救助はサクにとられ、マザースフィアの撃破はエリーとイオリにとられた。

 あまり役に立った感じがしない。

 オーガースを撃破できれば大金星なのだろうが、それは叶わなくなった。


「その名前を出すことが、どういうことなのか、」


 だが、仕方がないのだろう。我慢しよう。


「知らなかったじゃすまないんだ」


 たまには脇役でも。


「ねえ。あんた今ガバイドって言った?」


 オーガースの殺気に満たされていた息苦しさが消滅した。

 総てを凍り付かせるような空気が、そのすべてを押し潰していく。


 道を、まっすぐに、オーガースに向かってくる影があった。


「あらアキラ君。酷いわね、私とのデート抜け出して他の子と遊んでいるなんて」


 誰も声を発せなかった。

 食って掛かることすら、誰もできなかった。

 現れたのは台風のようなものだ、じっとしてやり過ごすべきだとこの場の全員が察知する。

 本当に笑えない冗談だった。

 アキラは喉を鳴らす。

 現れるとは思っていたが、まさか臨戦態勢で現れるとは。

 イオリが魔力を拭ってくれた大通りは、マザースフィアとは比較にもならない魔力の奔流に襲われていた。


「ま、いいわ。それで? あんたガバイドを知ってるの?」

「き、貴様、昼の、」

「? なに? ああ、ちゃんと会話はできないの?」


 巨大なオーガースに比べ、細枝のような女性が速度を落とさず接近していく。

 その光景は、何度見ても異様だった。

 だが、それはこの世界では当然のことなのだろう。傍目でも分かった。魔族に最も近いとされる“言葉持ち”と比してさえ―――纏う魔力が、次元が、違い過ぎる。


「ま、多少口が利けるならいいわ」

「ぐっ、」


 エレナの腕が消えたと思った瞬間、オーガースの首を締め上げていた。

 その動きは、直接受けたアキラですら辛うじて追える程度だった。やはり鋭い。

 オーガースは呆然としている場合ではなかった。なりふり構わず、全力で逃げるべきだったのだ。彼女の射程に入ったら、その動きから逃れる術はない。


「ぉ、ぉ、ぉ」


 エレナは片手のみで、巨体を容易く釣るし上げる。

 そしてどこまでも冷めた目で、オーガースへ囁いた。


「お使い頼まれてくれる? ガバイドに伝えて。必ず殺すって」

「ぎ、ぎ、さ……、ま……」

「私の気が変わらないうちに……とか言ってみようとしたけど、もう気が変わっちゃったわ。さようなら」


 わがままさを感じる自由さで。

 花を摘むようにあっさりと。

 ゴギリ、と気持ちの悪い音が響いた。


 エレナの手元から漏れる光は―――ライトグリーン。


 5属性の中で、最も希少なその力。

 その力は、希少のみならず、あらゆる魔術の天敵とも言われる―――強大な異常属性。

 “木曜属性”。

 その術者は、身体総ての力を跳ね上げ、あらゆる力で他を上回る。

 そしてその魔術―――キュトリムは、魔力を、そして生命力すらも奪い去る。


「キ……、キ―――」


 エレナの前に、あっけなくオーガースは事切れた。

 そして無残に投げ捨てられ、リトルスフィアよりも遥かに小さな爆発音を響かせる。


 何度見ても、憧れるほどの強さだった。

 ほとんど何もせず、体力が有り余っているアキラは、しかし疲れて座り込んだ。


「さ、アキラ君。とっとと行きましょ。私遠くに行きたいなぁ」


 たった今巨大な鬼を握り殺した女性は、甘い声を出した。

 それはひょっとして脅しつけたいのだろうか。

 離れたいのは、この町で窃盗を働いたからだろうし。


「アキラ。彼女と知り合い……、というか見たな昼に」

「わ、わわわ、お知り合いですか!? 紹介してください。いや、もうあっし行きます!!」

「あら。なにこれ」

「なにこれって……。えっ、あっしに言ってます!?」


 戦闘が終わったからか、エレナが臨戦態勢を解いたからか。その場の空気が弛緩したら、途端に騒ぎが起こった。

 今この状況で、すぐにエレナに駆け寄ったティアは流石としか言いようがない。涙目になっているような気がしたが、放っておいた。


 イオリに視線を投げると、彼女はほっと息を吐いていた。

 どうやら彼女の記憶と合致はしてくれたようだ。肩の荷も下りたのだろう。

 アキラも胸を撫でおろす。


 すると背後に、ピタリと誰かが立った。

 振り変えると、赤毛の子が震えていた。


「せっ、」

「……えっと」

「説明しろーーーっ!!」


 戦闘後のせいか、妙にいきり立つエリーから離脱した。

 ふー、ふー、と息を荒げ、震えながらアキラを睨んでくる。


 助けを求めようとしたが、冷ややかな視線を送るサクと目が合い、その後ろでは、何をしでかしたのかティアがエレナに頭を掴まれ宙づりにされている。イオリに至っては我関せずといった顔で町の様子を眺めていた。

 扱いも酷い日だ。


「と、とりあえず戻ろぜ。ほら、もう疲れたし」

「あんたが何をしたーーーっ!!」


 痛いところを突いてくるが、エレナ=ファンツェルンが居合わせたとなれば止むを得ない。

 いいではないか。

 主役になれないときもある。


―――***―――


「と、いうわけで、」

「きっとまた会えると思ってました!! おはようございます!!」

「ちょ、止めろ、何なのこの子!?」


 宿を出るなり、ティアが犬のように駆け出し、目の前の人物に突撃していった。

 ティアとは何なのか。それはむしろアキラが聞きたい。


 翌朝。

 昨日の騒ぎで、未だに町にはいくつもの傷跡が刻まれている。

 多くの店が閉められているようだが、何とか無事だった宿を取れたのは幸運だった。そしてその宿の出口でエレナが待っていてくれたのも、もしかしたら幸運なのかもしれない。

 昨夜、あのあと彼女が夜の町へふらりと消えていったのを不安に思っていたのだったが杞憂だったようだ。

 突然の出現に、エリーとサクはピシリと固まっている。


「情緒不安定なのはいつものことだ」

「いいえアッキー。あっしはもう縋るしかないんです。エレお姉さまに、どうやったら色々と大きくなれるのかを学ばねば」


 しがみつくティアを、相手にするだけ損だと考えたのか。エレナはそのままものともせずに歩み寄ってきた。

 昨夜あれだけの邂逅で、あそこまで懐けるティアは相変わらず謎だ。

 あるいは何か感じるものでもあるのだろうか。そうだとしたら、少しだけ喜ばしく思う。

 ティアがやたらと切実そうなのが心に来るが。


「……ち、この。まあもういいわ。ねえ、アキラ君。私、聞きたいことあるの」

「おう、どうした?」

「ちょっと待てアキラ。何故彼女がここにいる」


 復活したらしいサクが間に割って入ってきた。

 長身のふたりが並んでいると中々絵になる。ぶら下がるようにしているティアがシュールだが。


「昨日言ったろ。エレナも一緒に来ることになったって。……言ってない?」

「言っていないな」


 言ったと思うのだが、自信がなくなってくる。

 突如としていなくなったことの顛末の説明はしたのだが、色々と圧力を感じる会話で、ぼそぼそと喋る羽目になった気がするが。


「そんなことよりこれよ」


 エレナが、ずいと破れた紙を突き出してきた。

 サクが受け取り、しばらく見つめ、エレナと見比べ始める。


「手配書みたいだね。一応、“君から話を聞いていたから”、魔術師隊に要請しておいたんだよ。勇者様の誘拐を」


 イオリが小声で囁いた。

 彼女にしてみれば、過去の出来事に寄せる目的もあったのだろうが、エレナには言わない方がいいだろう。後が怖い。


「いくつか破り捨てたけど、通りいっぱいに張り出されていて元を叩きに来たのよ」


 それはそうだろう。要請した奴が魔導士なのだから。誠心誠意働くことになったのだろう。

 叩きに来たという表現がとても怖いが。


「ま、どっち道来るつもりだったけど、町を出るまでまともに行動できないわ。今すぐ出るわよ」

「……すみません。あたしたちこれから少し用があるのでお引き取りください」


 努めて冷静に、エリーが頭を下げて応答した。昨日とは違って大人の対応をしているようだが背中から何かを感じる。

 ピクリとエレナの眉が動いたのが見えた。

 朝から何故これほど神経を使わなければならないのだろう。


「これからそいつの母親に会うんだよ。ようやく会えたんだ」

「……へぇ。そういうこと言うんだ」


 エレナがにやりと冷たく笑う。いっそ諦めて見返していると、エレナは大きく息を吐き出した。

 卑怯なことを言った自覚はある。


「まあいいわ。それなら、適当にこの辺ぶらついてるから終わったら迎えに来て」

「お前いいのかよ。町中手配書だらけなんだろ?」

「見つかってもまあ何とかなるわ。魔術師でしょ」

「何する気だそれ」

「待って。え、本当に一緒に来るの? え、エレナさん、だっけ。か、彼女が?」


 エリーがくるくると顔を回して自分とエレナを見比べてくる。背中に垂らした赤毛が振り回され、ティアが面白そうに眺めていた。


「だからそうだって。昨日見たろ? しかも木曜属性だし」

「そ、そうよ、それはそう、うん、見たわよ見た。でも、その、あー、えー」


 そういう意味だけでエレナを歓迎するわけでもないが、世界を周ってもまともに見つからなかった木曜属性となればエリーも頷かざるを得ないだろう。

 エリーはぴたりと頭を止め、恨みがましい視線を送ってくる。

 エレナがにやりと笑ったのも怖かった。


「じゃあ待ってるわ。その代わり、終わったらとっとと行くわよ、ヨーテンガース」


 中央の大陸―――ヨーテンガースが目前に迫っている。その事実を容易く口にするエレナはやはり頼もしく思えた。

 ただ、先を急ぎたい気持ちは分かるが、そうもいくまい。エレナの機嫌を取るのは難しいが、集団行動となるとやるべきことは出てくるのだ。


「いや、せっかくここまで来たし、次はヘヴンズゲートに行くんじゃないか? ティアも行きたいだろうし」

「は? 何でそう、……ぐえっ」

「お、おおおおおっ。アッギーまで!! うっ、うううっ、あっじまだなびだがっ」

「ちょ、ちょっと絞めてる絞めてる!! 絞められたいの!?」


 エレナにしがみつきながら、ティアが号泣した。もう少ししたら本当に泣きを見ることになるだろう。事情を話せばエレナも分かってくれるだろう。むしろティアの方が両親の元に着くまで生き延びてくれることを祈らなければならないが。


「なあ、次はそうだろ?」

「……うん、うん。そうね、そうよね」

「エレナも一緒に来るけど」

「うーん、うー、うん。仕方ない……のか」


 そちらこそ即答して欲しかった。

 この町で盗みを働いた相手を信じるのは難しいだろうが。


 それでも。


 この地から始まった小さな旅は、徐々に大きくなっていき、ついに―――あとひとりだ。

 世界中から勇者ともてはやされたときとは比較にならない大きな感情が、胸の中に湧いてくる。


 あのとき。あの絶望した日。

 ばらばらになってしまったピースが再びひとつになっていくのを実感した。

 ようやく、固まってきてくれたのだ。


「アキラ。とりあえず僕は魔術師隊に上手く言ってくるよ」

「私はそうだな。彼女を見張っておく。また何かするかもしれないしな」

「ううう、アッギーもやざじぐであっじばぁぁぁあああ」

「ちょ、誰か!! この子の保護者はいないの!? このままだと本気で潰すわよ!?」

「じゃああたしはこいつの見張りか。お母さんにも会うんでしょ?」


 固まってきてくれたのだ。


 アキラは空を仰いだ。

 結局振り出さなかった雲は消え去り、本日は快晴。


 今日も暑くなりそうだった。


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