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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
北の大陸『モルオール』編
35/68

第43話『名前を付ける(中編)』

―――***―――


「はーい、今持っていきまーす!!」


 今度は―――なんだろう。ただの棒切れに見える。

 サラ=ルーティフォンは言われるがままに馬車から機材を持ち出すと、金の長い髪を揺らしながら昨晩も訪れた森の中を走った。


 昨日、最近この辺りを騒がせていた魔物―――グリグスリーチは撃破された。

 大勢の強者を屠っていた怪物が討たれたことにより、人々は歓喜の声を上げ、モルオールでは束の間の平和が約束された―――となれば良かったのだが、魔術師隊に属するサラにとって、それは始まりに過ぎない。

 魔術師隊にとって、最も忙しくなるのはその後だ。


 規格外の魔物が討たれた現場には、魔術師隊が詰めかけ、最も厄介な仕事が始まる。

 魔物の属性、魔物の性質は当然として、可能であれば犠牲者の特定などなどなど。

 いわゆる事後調査が始まるのだ。


 戦闘不能になった魔物は爆発するので痕跡が残らない、となってくれれば諦めが付くが、残念ながらモルオールの技術力はそんな甘えを許してくれなかった。

 魔物の爆発の後には、人の目には見えない情報が満ち溢れている。

 すでに魔力の残り香すら感じられない地面の抉れた地点から、魔物の全長、魔物の姿形まで分析できるというのだから驚きだ。


 と、物珍しく現場検証を楽しんでいたのは配属されてからの数回くらいか。

 当然解析は容易くなく、朝からきているのにもう昼を回っている。


 解析事態に詳しくないから楽しくないのかもしれない。

 実際、今魔物の爆発地点で座り込んでいる小太りの魔術師に渡したものが、単なる定規なのかマジックアイテムなのか分からなかった。


「あ、ごめん。これじゃない。隣になかったか? もっと短いメモリの付いたやつ」


 どうやら定規を求めていたらしい。一緒に運んで来ればよかった。

 サラは申し訳なさそうに微笑むと、再び馬車へ走る。


 もっとも、こんな程度なら断然ましだ。

 自分が参加しなくてよかったと心の底から思ったのはふた月ほど前に起こった“魔門破壊”の事後調査。

 未だに終わっていないらしいその調査は新人に限らず何人もの魔術師が過労で倒れているらしい。

 いや、極寒の中調査が続けられているセリレ・アトルスの方が危険だろうか。

 いずれにせよ、魔術師たちは奔走する。


 華々しく敵を討つ英雄たちの陰では、涙と汗を流す努力があるのだ。

 血を流すよりは遥かにましなのだろうが。


 それでも、これは必要なことなのだ。

 ありとあらゆる規格外の魔物を把握できれば、その対策を考えられる。

 モルオールの凶悪な魔物たちの前では、事前情報を持つことがどれほど重要なことか、そしてそれでどれだけの命が救われるか。

 考えなくても分かるし、だからサラは調査に全力で協力する。


「報告通りだな」

「ああ」


 馬車に向かって駆けながら、そんな声を拾った。

 この現場。はっきり言って、調査は容易だ。


 この現場は、何しろ無から調査しているわけではなく、信頼のおける情報の再確認、程度なのだから。


 ホンジョウ=イオリ。


 昨日この現場でグリグスリーチを討った、サラの所属する部隊の副隊長であり、親友だ。

 彼女が昨日帰ってから共有してきた情報はあまりに正確で、新事実など何も出てきていない。

 この現場に彼女がいればとっくに撤収の運びになっているだろうが、このところ働き詰めの彼女に気を利かせて自分が案内役を買って出たのだ。

 少しばかり段取りは悪いが自分の親友のためだ、みんなには安い涙を呑んでもらおう。今日は気候も安定してある程度は暖かいのだし。

 それに慎重に捜査するに越したことはない。


「えっと、定規定規……っと」


 馬車に戻って目当てのものを物色すると、自分が棒状のものをとった横に、メモリ付きの棒を見つける。

 サラは棒を取り換えようとして、ふと考え、両方を掴んで駆け出した。

 使うから持ってきたのだ。どうせ必要になるだろう。


 サラは歩いているとはバレないような速度で森を進む。

 すると、足元に何かが転がっていることに気づいた。


「ん?」


 拾い上げると、それは小さな棒だった。随分棒に縁のある日だ。

 赤茶けて、先端には小さな鎌が付いている。

 誰かの私物かとも思ったが、ここで草むしりをしている人はいないであろう。となると以前ここを通った誰かが落としたものか。

 持ち上げたものを投げ捨てるのも抵抗がある。特に考えもなく、サラは鎌を腰に差し、現場へ駆けていった。


「おお、ありがとう……、あ、悪いんだけど、さっきのも―――ああ、それそれ」


 どうやらふたつ持ってきて正解だったようだ。

 当然、この小汚い鎌の方はお呼びではなかったようだが。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――“一週目”の君は、今の君より、遥かに強かったんだ。


「……」


 ヒダマリ=アキラに宛がわれたこの部屋は、女性陣のそれに比べ、大層狭いものだった。

 元は小物を補完している―――放り込んでいる、とアキラは解釈したが―――小さな倉庫。

 そこにベッドを運び込み、即席の寝室としたらしい。

 申し訳程度に部屋の中央に小さな丸テーブルが置いてあるが、そのせいで部屋を出るには荷物をまたぐ必要ができてしまった。

 ドアには鍵が付いているが、外からしかかけられないのだから宿としては片手落ちだ。

 “勇者様”だからと寝床を提供してくれるのはありがたいが、勇者様自身への微妙に扱いが悪い気もする。


 だが。

 そんなことは今のアキラには些細なことだった。


「“一週目”の俺、か」


 ベッドに身を投げ、アキラはぼんやりと天井を眺めていた。

 昨日の戦闘の疲れもあるのかもしれない、まるで身を起こす気がしなかった。


 “それ”をここまで強く意識したことは無かっただろう。

 “今”の自分は、あくまで過去の自分の物語をなぞっているに過ぎない。

 同じだけの旅をしている。同じだけの距離を歩き、同じだけの経験をしたはずだ。


 いや、それどころか自分には“一週目”の自分には無い“記憶”という絶対的なアドバンテージがある。

 超えている、はずだ。過去の自分は。


 それなのに、昨夜、彼女は言った。


「遥かに強い……」


 昨夜、最近この辺りを騒がせていたらしいグリグスリーチとの戦闘があった。

 その出来事は、“一週目”でも起こっていたらしい。


 アキラの記憶は結局解けず仕舞いだったが、記憶していたイオリははっきりと、“両者”を比較できたはずだ。


 ホンジョウ=イオリは魔導士だ。

 戦力分析においては信頼がおける。その彼女が断言したのだ。


「そんなに、なのかよ」


 今の自分は、かつてこの地を踏んだ自分より遥かに弱い。

 イオリの言葉は、あるいは事実は、アキラの胸に重く圧しかかった。


 ある程度の自信はあった。

 世界を巡り、死地と言われるモルオールですら旅を続けられている。

 単純な戦闘力という点においては、当面の課題は無いように思えていた。


 だが、遥か先に、過去の自分の背中がある。

 見えもしない。どれだけの距離があるかも分からない。

 縮め方も、縮まるかどうかも分からない差が、すでに生まれてしまっている。


 その漠然とした遠さは、今までの自分を否定されたように思えた。

 遠くの背中に、アキラは思わず歯を食い縛る。


 イオリとは午後に会う約束をしていた。

 そのときに、その理由を訊く勇気は、今は無かった。

 それは、未だに払拭しきれていない彼女に対する負い目からなのか、過去の自分に対する負い目からなのか、あるいはその両方か。

 何もかもが分からなかった。


「……!」

「いる?」


 ノックと共に、ぎくりとする声が聞こえた。

 エリーだ。


 アキラは反射的に身を起こして、ベッドの隅に毛布を放り投げる。

 顔を腕でこすりながら応答すると、立て付けの悪いドアが軋みを上げて開いた。


「あ、起こしちゃった?」

「いや、起きてはいたよ。入ってくれ、廊下の冷気が来る」


 アキラは精一杯自然さを装い中央の椅子に座る。

 部屋を分断する丸テーブルの向こうに、ドアを閉めたエリーがおずおずと座った。

 面と向かって上座に座ると、自分が偉くなったような気がする。


「どうした? 今日は休みだって言ってなかったか?」

「え、ああいや、そうじゃなくてさ。鍵が開いてたから、いるのかな、って」


 エリーはさりげなく部屋を見渡していた。妙に緊張する。

 彼女たちが寝泊まりしている部屋を見せてもらうことはできなかったが、隣の部屋の位置を見るに、大分広そうだ。

 やはり勇者様の扱いが悪い。


 アキラが僅かに不遜な気分になっていると、エリーはアキラの様子を盗み見るように伺っていた。


「なんだよ」

「……やっぱり寝てたでしょ。ほら、寝癖寝癖」

「お、う」


 適当に髪を撫でつけていると、エリーはこほりと咳払いした。


「それで、どうなの?」

「何が?」

「何がって、イオリさんよ。勧誘してるんでしょ?」

「……ん?」


 そういえば。


「ぁ、えっと、だな。そう、」


 一瞬固まったが、何とか言葉をつないだ。

 しかし、当然のようにエリーは見逃さなかった。


「忘れてたでしょ」


 やはりという表情を浮かべるエリーに、アキラは息を詰まらされた。

 エリーは進捗確認のためにこの部屋を訪れたのだろう。


 イオリはもろもろ複雑な相手なのだ。そもそもそういう話になっていない。

 だが、説明のしようがなかった。


「ま、いいんだけどね。あんたが勧誘を忘れても……ううん、“勧誘なんてどうでもよくなるような話”をしてても、さ」


 前に思わず、エリーにはイオリについて口を滑らせてしまったことがある。

 細部は無理であろうが、大枠の話の流れは彼女の中でも想像できているのかもしれない。


「いい、って……。いや、勧誘するよ。そうする。もうすぐまた話すんだ。そのときに」

「あのさ」


 アキラの言葉にかぶせるように、エリーは視線を外しながら言った。


「……あんたの“隠し事”だけど、訊いてもいい?」

「は……?」

「なーんて、ね。いつの話してんの、って感じか」


 エリーはパタパタと腕を振って誤魔化すように笑った。

 しかし次第に腕を下げると、アキラをまっすぐに見据えてきた。


「昨日さ。馬車の中で話したこと、覚えてる?」

「え、ああ、まあ」

「そう? 私はさ、聞いてないように見えたんだ」


 こんな問答は、前にもあったように思える。

 シリスティアの崖の上の町でだったろうか。

 エリーはそういう挙動については敏感なのかもしれない。


 そしてそれは驚くほど正確だ。

 何しろ、昨日の帰りの馬車の中で、自分は、ずっと。


「ちゃんと聞いてたよ。報告・連絡・相談だろ」

「じゃあさ」


 辛うじて耳が拾っていたらしい単語を言ってみた。

 エリーは酷く優し気で、そして酷く悲し気な表情を浮かべている。


「相談してみてよ」


 エリーは息を大きく吸った。


「あんたはイオリさんと、もともと知り合いなんでしょ。それなのに、やっと会えたのに、そんな顔してたら、誰だって気になるわ」


 どんな顔だろう。鏡がないから分からない。

 だがどうやら、エリーがこの部屋を訪れたのは、そちらが本当の目的だったようだ。


「あのさ。あんたから説明してとは言わないけど、正直に言って欲しいことがあるの。

イオリさんは、あんたの“隠し事”を知ってるの? ううん、知ってるんでしょ?」


 彼女の推測は、恐ろしいほど的を射ていた。

 旅の道中、自分が思わず、何度も零してしまった言葉を拾い集めると、確かにそうなるのかもしれない。

 だが、ぎくりとはしたが、不快感は無かった。

 だからアキラは静かに頷いて返した。


「じゃあさ、そんな問題、あたしたちは分からないじゃん。どうしようもない、ってなるじゃない。だからさ、」

「何とかする、よ。俺がやらなきゃ、駄目なんだ。気にしないでくれって」


 アキラは弱々しく返した。

 だが、意志は強かった。

 “隠し事”。

 アイルークから始まり、一度は折り合いの付いたこの問題を、彼女は知りたいと言う。

 だが、この問題は、身から出た錆だ。

 自分自身で解決しなければならない。


 エリーの様子を見ると、彼女は口を震わせていた。


「分かりたいって思ってるんだけど」


 口調は静かだった。

 だけどアキラはエリーから確かな怒りを感じた。

 息が止まる。


「最初はさ、あんたがひとりで、って言うならそれでもいいか、って思ってた。だってそれでうまくいくんでしょ。でもさ、モルオールで合流してからずっと感じてる。上手く言えないけど、ちょっとでも誰かの力を借りれば済むことを、あんたはひとりで悩んでるって。それが“隠し事”のせいだって言うなら、とっとと話しちゃえ馬鹿、って」


 エリーはまくし立てると、息を吐き、力を抜いた。


「……ごめん」


 言い過ぎたと思ったのか、エリーは最後に咳払いをして視線を外した。


 旅を始めた頃は、“隠し事”があると言ったことで、関係を円滑に進められた。

 だが今、世界を周った今、それが再び目の前に訪れれば、彼女は違うことを想うのだろう。

 自分たちの旅は、アイルークからの延長線上にある。

 だけど、関係は変化していくものなのだろう。

 だから彼女は今、旅の初めで出した答えに、満足できなくなってきたのだろうか。


「ま、要するにさ。あたしはあんたがやりたいってことを助けた……助けてやってあげようと思ってるんだけど……。背中叩くにしろ、あんたがどっち向いてるか分からないと、殴りようがないのよ」

「叩いてくれよ、それは」

「うんそうね。思いっっっきり叩いてあげる」


 エリーは笑ってそう言った。


「……いつか必ず話す」


 そして、アキラはそう返した。

 前にも言った言葉かもしれない。

 だけど、乗せた想いは違う。


 今の彼女に通じるか分からないが、確たる口調で、アキラは言った。


「そう、それが答え?」

「ああ」

「イオリさんは知ってるのに?」


 妙な喰らい付き方をしてくる。

 だけどアキラは視線を外さなかった。


「ああ。……だけど、お前と話してて楽になったよ。ありがとな」

「あっそ。ならいいわ」


 エリーはあっさりと席を立った。

 肩透かしにあったような気分になり、アキラも思わず立ち上がる。


「いいのか?」

「いいのよ。実はなんとなく部屋の前通って様子見に来ただけだから。ちょっと熱くなっちゃったけど」


 気まぐれで訪れたというのか。

 色々と考えすぎていたアキラは脱力した。


「なんとなくで寝起きに来たのかよ」

「うん、なんとなくで来たの」


 エリーはドアに手をかけながら、振り返らずに言った。


「最近、ちょっと……、そう、自覚しかけてることがあるのよ。多分、そうなんだと思うことが」

「?」

「それじゃ、また後で。イオリさんの勧誘、頑張ってね」

「ああ、分かったよ」

「それと、結局話してくれなかったけど、ひとつだけ」


エリーは振り返って、何も分からないまま、神妙な顔つきで言った。


「思い詰めないで。あたしも多分、あんたと同じ顔してたのかもしれないから」


 ふと脳裏に、妙な悪寒が走った。

 アキラはせかされるように荷物をまたいで廊下に出る。

 エリーは後ろ手で、手を振りながら歩いて行った。


 自分はやはり、単純な人間なのかもしれない。

 彼女と話しただけで、ずっと楽になったような気がする。

 自分にとって、エリサス=アーティはそういう人物のようだった。


 だからこそ。何を捨ててでも、彼女を。


「……」


 このままの延長線上に、自分の望む未来は無い。

 それが分かっているから、足掻き、それを超えようとした。してきた。

 本気でそう思っていたからこそ、今の自分が進んでいる道を迷わず歩くことができたのだ。


 だがどうやら、過去の軌跡はすでに遥か未来にあるらしい。

 アキラの目指す、理想と思っていた目の前の道は、すでに踏み荒らされたものだった。


 エリーの背を見送りながら、アキラは気づかれないように、行き場のない憤りを拳に込めた。


 心の中で、強く呟く。

 今の自分より、遥かに強いらしい、過去の自分へ。


 “お前”はそれでも届かなかったのか。


―――***―――


「ふんふふーん、ふふふんふーん」


 調子はずれな鼻歌を止めることは諦めた。

 そもそも、彼女の口を閉じることはとうの昔に諦めている。


 サクはいつしか慣れてしまった聴覚の遮断を行いながら、宛てがわれた部屋の中で目の前の“品々”を物色していた。

 現在、このメンバーには昨日エリーやサクが行っていた武具の点検以外にも、整理する必要のあるものがある。


 以前、とある事情で、南の大陸シリスティアから多数の献品があったのだ。

 旅をしている以上、当然身軽な方がいい。

 かさ張るものや、取り立てて利用するものがいない武具は貨幣に変えたが、持ち運べる小物は乱雑に袋に詰め、持ち運んでいた。

 何しろ数が数だ。いちいち把握していられない。

 そういうところは割としっかりとしているエリーが整理することを放棄するほど、放り込んだ袋の中は乱雑になっている。


 細々としたものではあるが、数があると重く、重いと旅の邪魔になる。

 それは分かっているのだが、以前適当に取り出してみた用途の分からない鏡のようなものを、売るつもりで鑑定してもらったところ、ちょっと驚くような値が付いたのだ。

 確かに小物はいずれも高級感を漂わせる小箱に収められている。

 そうなると、流石に雑に売りには出せず、そこまでかさ張りはしないので、結局そのまま持ち運んでいるのだった。


 だが、いつまでもこのまま持ち運んでいるわけにもいかない。

 ゆえに、今日のような休息日には整理も兼ねて荷物の点検を行っているのだった。

 連日モルオールの魔物たちと戦っているせいで、武具の整備ばかりになり、最後に点検を行ったのは果たしていつだったか。


「サッキュン見てください見てください、どうですか、がおー!!」


 視覚も封印しなければならなかったのかもしれない。

 共に荷物を物色していたティアがたてがみの付いた獣のような面をつけて楽しそうに頭を揺らしていた。

 丁度サクの手元には恐らく笛であろう棒切れがあった。

 この高級品であの高級品を叩き割ったらふたつも減る。旅も楽になるだろうか。


「それは売るか。どう考えても用途が思いつかない」

「え、いいじゃないですか。ほら、威嚇するために! とか。あ、はい、冗談です。威嚇しないでください……」


 ティアは名残惜しそうに、面を荷物の隅に追いやった。

 今回の整備で売却を決めたものはその面で3つ目。

 あとは箱の開け方自体分からずそのまま放置したり、ティアが遊んでいたりする。

 毎回こんな調子だから、作業が捗らない。

 エリーの都合は合わないし、必ずと言っていいほど都合の合うティアはやる気だけが満ち溢れている。

 アキラは、必ず参加しているティアと噛みあったときの絶望感が容易に想像できるためそもそも呼んでいない。

 もしかしたらこの問題に真摯に取り組んでいるのは自分だけなのではないか、とサクがため息と共に奥の小箱を強引に引きずり出したときだった。


 なにか妙な感じがした。


「わわ、サッキュンなんですかそれ、箱の色が、なにか」

「他とは違うな」


 シリスティアからの献品は、暖色系の包装で統一されていた。

 だがその箱は、遠目から見れば見分けがつかないが、僅かばかり青い。

 その上で、妙な高級感を覚える。

 自分でもよく手に取ったと思う。


「何が入ってるんですか?」


 言われずとも開けにかかったサクは、妙な緊張感と共に、包装を丁寧に外していく。

 ぴっちりと封がしてあるようで、意外にも容易く外せた包装紙を退けると、中から茶色の小箱が出てきた。


「わあ、わあ、わあ!!」


 箱を開けると、ティアが目を輝かせた。

 武具以外には疎いサクだが、箱の中のものには思わず息をのむ。


 中にあったのは宝石だった。

 着飾る、と言うよりは置物に使うような拳大の宝石が、宝石店のような紺のケースに収められている。


 スカイブルー、イエロー、そしてグレー。


 昼間だというのに、3つの宝石は、そのそれぞれが輝いているように見えた。


「ちょちょ、ちょっとよく見せてください!」

「こ、壊すなよ」

「な、馬鹿にしないでください!」


 とてつもない掘り出し物が現れた。

 そんな予感が、極度の緊張感を産んだ。

 なかなかの値段が付く品々とは言え、現在は決して金銭に困っていたわけではないからと、この袋を粗雑に扱っていたかもしれない。傷ついていないで本当に良かった。

 サクは、この子供にこれを近づけることに危機感を覚えたが、これを見てなお身を乗り出せるティアに敬意を表し、小箱の前をゆっくりとティアに明け渡す。


「わあ……、なんか宝石自体が光っているような気がしますね、これ、あれですね。きっとお高いですよ。あ、見てくださいサッキュン。顔を近づけるとあっしが映ります。ははは、歪んでて変な顔ですよ、ってあれ、ちょっとよく見えなくなりました。もうちょっと……、ん、むむっ、埃が落ちちゃってますね、ふー、ふー、あれ、なかなか取れないです、えっと、じゃあ、ふーっ、ふーっ、ってあれ、むぅ、ふふふふふ、あっしの怒りに触れましたね。もうこうなったら直接、って―――あああっ!!!!」

「知ってた」


 若干の冷静さを取り戻したサクは、ティアから上がった悲鳴を、まさしく冷静に受け止められた。


「どうして壊した」

「ち、違いますよ、壊してないです。で、でも、見てください」


 覚悟がいるが、サクは肩を落として箱に視線を移した。

 すると。


「……何をした?」

「いや、何もしてないです。触れてもないですよ。でも、」

「今度こそ光っているな」


 見ればスカイブルーの宝石が、僅かに、だが確かに光を帯びていた。

 この気配に、サクはようやく宝石の正体を察した。

 なかなかの品であることは間違いないようだ。


 見守っている中、スカイブルーの宝石の光は徐々に淡くなり、ついには元の輝きに落ち着いた。


「これあれですね。マジックアイテムみたいですね」

「そうだな。売らない方がよさそうだ」

「あ、じゃああっしが、」

「触るな。そして近寄るな。それだけ守ってくれればいい」

「最大級の否定ですね。はっはっは。じゃあ、あっしはあっちの隅で泣いているので、お片付けになったら呼んでください……」


 ティアがとぼとぼと離れていったのを見送って、サクは静かに小箱を閉めた。

 そして再び包装して、現状維持と決めた他の小箱たちと一緒に置く。

 やはり掘り出し物はあるようだ。

 物色も、ついでに言うならこの袋の扱いももっと慎重になった方が良さそうだ。


 サクは気持ちを新たに別の小箱に手をかける。

 これだけの量ならば、やはり献品のリストくらいは欲しかった。

 以前エリーに聞いたところ、シリスティアからの手紙は、雪山の修道院に寄付した物に紛れてなくなってしまったらしい。


―――***―――


「今日は話さないといけないことがある」


 昨日と同じ部屋だった。

 昨日と同じ椅子に座り、昨日と同じ相手も、同じ位置に座っていた。


 自分の、相手の、考えていることも、想っていることも、昨日と同じく分からない。


「アキラ。君は覚えているよね、“前回”ここで何があったのか」

「……ああ」


 だが今は、現在迫っている脅威に立ち向かう必要があった。


「サーシャ=クロライン」


 ホンジョウ=イオリはその名を鋭く口にした。

 恐らくは、彼女の魔導士としての声色なのかもしれない。


 “魔族”―――サーシャ=クロライン。

 昨日グリグスリーチを撃破した際、いや、そもそもこの港町に訪れる前から、アキラ自身、ずっと脳裏にあった重大な懸念事項だ。


 “二週目”。

 あの魔族がこの町を、いや、この魔術師隊を襲ったことは忘れたくても忘れられない。


「なあイオリ。“一週目”の事件、詳しく話してくれないか。今回はその事件をなぞる可能性が高いだろ」


 イオリは頷く。彼女ももちろんそう考えているらしい。


「被害者はあのサラ=ルーティフォン。彼女はあのサーシャに“囁かれて”、僕をリオスト平原へ呼び出した。そして……」


 イオリは軽く頭を振った。

 アキラは記憶に残っている、あのカリス=ウォールマンとの戦闘を思い出す。

 “二週目”で発生したその戦闘は、“一週目”ではイオリとサラとの戦闘だったらしい。

 サーシャ=クロライン。

 “支配欲”に強い関心を示すあの魔族は、思考にささやきかけ、人を操る力を持っている。


「サーシャについて、何か情報は無いのか? 俺もこの“三週目”にあいつと遭ってるけど、結局詳しいことは分からず仕舞いだったんだよ」


 襲ってくる敵が分かっているなら、それ相応の対策が討てる。

 こういう思考の進め方は初めてかもしれない。

 今のアキラは、イオリが持っている記憶のアドバンテージを最大限に利用できる。


「……僕もあまり分かっていないよ。それに前回は僕が経験していた出来事と大幅に変わってしまったからね。“彼女”の存在が、サーシャ自身の出現自体を抑え込んでしまったから」


 歪な形をしていた“二週目”。

 そのときの圧倒的な存在は、今回いない。


「でもサーシャについて、僕が調べた限りのことを話そう」


 イオリは部屋の隅に置かれていた固い皮の鞄から、ファイルのようなものを取り出した。

 昨日は見た覚えがない。今日イオリが持ってきたのだろう。


「記憶に残っている限りだと、最初に目撃されたのは10年前、かな」

「10年だって?」


 自分の年齢を考えると、その半分ほどの年数を決して短いとは言えなかったが、旅の道中もっと大きな単位を聞いてきたアキラにとっては少し拍子抜けだった。


「意外かな。でも、そんなことを言えば魔王だってそうさ。魔王の存在を人々が広く認知したのも精々数十年前だ」

「え、そうなのか」


 そういえば。

 今まで漠然と魔王がいる、という認識は持っていたが、アキラはそれがいつから現れ、そしてそもそもどのような被害をもたらしているのかの詳細は知らなかった。

 そんな様子のアキラを見て察したのか、イオリは一旦ファイルを閉じた。


「……君は打倒魔王を掲げている割に魔王に関心が無さすぎないか?」

「いや、そんなことはない……はずだ。ってか、魔王の狙いは分かってるし」


 売り言葉に買い言葉のように、アキラは力強く言った。

 確かに自分は魔王をよく知らない。

 正面に立ち、言葉を交わしはしたが、魔王のことはよく分からないままだった。

 だが、狙いだけは分かっている。

 魔王との戦いは、そこまで激化しないであろうことも想像できていた。

 何故なら奴の狙いは。


「……なるほど、ね」


 ざっくりとあらましを伝えたら、イオリは眉をひそめた。

 随分わき道に逸れてしまったが、一応、アキラの旅の目的でもある魔王の狙いは他者から見たらどうなるか知りたいところでもある。


「魔王の狙いは“世界の破壊”。召喚獣に魔力を溜め込み、魔王自体が一瞬で事切れることで、召喚獣を爆発させる……か」

「だから俺の作戦はこうだ。ジリジリ消耗戦で戦うってのも考えたけど、確実なのは、“一週目”も“二週目”もやったように、一発で倒して“あいつ”に魔王の召喚獣の魔力を封じてもらうことだ。人頼みだけど、俺じゃそれしか思いつかない」


 アキラは妙な新鮮な気持ちに捉われていた。

 遥か先にある魔王戦。

 その戦闘の手筈の話など、今まで誰にも話したことは無かった。


「そのためにも、俺はそれだけの爆発力が出せるようになってなきゃいけないけどな」


 暗に昨日の彼女の言葉が蘇り、少しだけ強く言った。

 イオリは目を閉じ、黙考しているようだった。


「ところでさ」


 妙な沈黙が辛い。

 アキラはイオリの注意を引くように、言葉を続けた。


「イオリなら分かるかもしれないけど、召喚獣が爆発するなんてことあるのか? 正直、召喚獣のこと詳しい奴なんて今までいなくてさ」

「……そうだね」


 顔を上げたイオリは、やや困ったような顔をしていた。


「突拍子もない話で、少し混乱したよ。魔王の狙いは世界そのものの破壊……。ある意味当然の狙いなのかもしれないけど、……ちょっとまずいね」

「まずいって……、まあ、そりゃあ」


 勢いよく話していたが、確かに自分はとんでもないことを言っていた。

 世界が破壊される。

 自分がこんな言葉を当たり前のように会話に出せるのは、あのときあの場で、魔王自身から聞いたためだ。

 あの場にいなかったイオリにとってみれば、荒唐無稽な話と思われても仕方がない。


「いや、僕がまずいと言ったのは、それだけじゃないさ」


 イオリは目を細め、僅かばかり奥の窓から外に目をやった。


「その話通りなら、ある程度の実力者なら“誰が魔王のもとについても世界が破壊される”ってことだ。その場に“彼女”クラスの存在がいれば話は違うが、魔王の召喚獣の爆発を封殺できるのは“彼女”くらいのものだろう」


 ぞっとした。

 そして脳裏にひとりの男が浮かぶ。

 あの男なら。


「スライク=キース=ガイロード。君も旅の道中で会ったんだろう。彼なら、魔王に迫り、魔王を撃破“してしまう”可能性がある」


 あの男はあの雪山で言っていた。

 中央の大陸―――ヨーテンガースに向かうことになるかもしれない、と。

 今でこそ魔王の撃破を考えていないようだったが、もし、あの男の興味が魔王そのものに向いてしまったら―――


「やばいじゃないかよ」

「やばいんだよ」


 イオリは眉を寄せて爪を噛んだ。

 自分が呑気に旅をしていた間にも、時計の針は進んでいた。

 やや超常的な理論を拠り所にすれば、自分が刻む“刻”であれば時間は関係ないと考えてもいいのだが、面倒なことにスライク=キース=ガイロードも“刻”を刻む運命にある。


「さっきの質問。本当に召喚獣が爆発するか、だけど。答えはイエスだ。通常、術者が弱れば召喚獣から本能的に魔力を回収してしまうから、基本的には召喚獣は術者より先に消失する。だけど、瞬間的にパスが切れれば召喚獣は一時的に生物になり、魔物になる。そして術者がいなければ召喚獣は活動を行えない。つまり……、戦闘不能の爆発は知っているね」


 冗談じゃない。

 そんなことが起こるのであれば、今この瞬間にでも世界が滅びる可能性がある。

 スライクの活動力は知っている。

 今現在にヨーテンガースにいたところで驚きもしない。


「魔術師隊の力を借りて、スライクを見張れないか?」

「……無理だね。一応君らの動向は定期的に探らせてもらっていたけど、普通に行動していた君たちでさえ時折見失っていたんだ。スライク=キース=ガイロードの行動にいたっては、まるで掴むことはできなかったよ」


 魔王は自分以外が倒してはならない。

 何故自分はそんな簡単なことにも気づかなかったのか。

 アキラが苛立ちと絶望感に頭を抱えていると、イオリは追い打ちとばかりにもうひとつの情報を口にした。


「……それに、魔王討伐を志しているのは何も君たちだけじゃない。……一応、もうひとり」


 なんだと。

 アキラは泣きそうになるのを堪えながら弱々しくイオリを見た。

 これ以上、魔王を撃破“してしまう”可能性がある者がいるのか。


 だがイオリは、神妙な顔つきで、ひとりの人間の名前を挙げた。


「リリル=サース=ロングトン」


 聞き覚えのある名前だった。

 イオリはゆっくりと続ける。


「最近、名前をよく聞くようになった“勇者様”だ。解決した目立つ事件だと、中央の海の連絡船を沈め続けていたコート=ドクラ、モルオールでは神話クラスの山喰らいフェリヴァルの撃破なんかがあるね」


 見たことも聞いたことも無い何かが、アキラの知らないどこかで撃破されていたようだ。

 イオリの口ぶりからして、どちらも分かりやすく有名な魔物なのだろう。

 一体どのような戦闘だったのだろうか。


 リリル=サース=ロングトンという女性は、知ってはいる程度だがアキラも覚えがあるので、微妙に胸躍る感じもするし、一方で、そこまでの戦闘力があるのであればタイムリミットが極端に短くなったような絶望感もする。


「そして」


 イオリは、いつのまにか閉じていたファイルをまた開いている。

 そして、そこに目を落としながら静かな声で言った。


「さっき言った、サーシャが最初に目撃された10年前。当時幼かったリリル=サース=ロングトンは、その目撃者で―――滅んだ村の生き残りだよ」


―――***―――


 モルオール最北部。村の名前はフィーリリア。

 町や村の生命サイクルが異常に短いモルオールにおいて、百年近くの歴史があった港町。

 特に漁業の発達は目を見張るものがあり、それに伴う魚類の加工や、船を使っての運搬業でモルオール北部指折りの資金源となっていた。


 “こと”が起こったのはいつなのか定かではない。

 時期は正確ではないが、フィーリリアと貿易をしていた近隣の村々が最初に察したそうだ。

 運ばれてくる積み荷が、いつしか近隣の村からの運搬物ばかりになり、フィーリリア自体から届く海産物が少なくなっていったことに。

 とはいえ、物を運んできてくれるのだから問題ないし、何より他の村にとっては今日を生きることが何よりも重要である。

 それに、フィーリリアに赴けば、相変わらず新鮮な海産物を振る舞ってくれるし、日持ちのする乾物も手に入れることはできる。


 そんな調子で数年の歳月が過ぎたところで、フィーリリアに隣接する村の若者がはっきりと“異変”に気づいた。

 漁業と、それに伴う事業を村一丸となって展開していたフィーリリアの姿が、いつしか事業ごとに独立し、それぞれにかなりの軋轢が生まれていることに。


 その道に明るい者が歴史を振り返れば、それは生き残るための前向きなシステムの変化ではなく、単なる劣化だったという。

 事業が独立したことで、村自体の資金繰りが厳しくなり、かと言って、近隣の村々も手を差し伸べる余裕はない。

 いつしか自衛の体制も機能しなくなり、当然のように、魔物の脅威にさらされることになったという。


 魔術師隊が到着した頃には、町としての生命線は完全に断たれている状態だったらしい。

 現在は殉職しているらしいが、町の調査を行っていた魔術師隊の一員の報告によると、町の中からはいくつか不自然な点が見つかっていると言う。


 “町の被害が、魔物によるものだけとは思えない”、と。


 そしてその不自然な点は、辛うじて救い出せたひとりの少女の証言によって、さらなる波紋を産むことになる。


 少女は言った。

 “町は、町の人が、破壊した”、と。


 そして少女は見たという。

 魔物が襲ってきているにも関わらず醜い争いを続ける人々の中、高らかに笑う、銀に輝く不気味な存在を。


「……ち」


 イオリとの会話は、一旦休憩の運びとなった。

 どうもやり残した仕事があるらしい。休暇だと言っていたのによくやるものだ。

 魔王討伐のタイムリミットも気がかりだが、イオリは結局、焦って目の前のことを取り零しても仕方がないと判断したようだ。


 宿舎の庭で、アキラは手ごろな岩に座って資料に目を通していた。

 イオリから預かったサーシャ=クロラインについて調べられたこのファイル。

 知らない文字で書かれた記事ではあるが、読むだけならアキラは問題なくできる。


 その結果、胸糞の悪い物語ばかりに目を通すことになったが。


 10年前の事件を皮切りに、サーシャの目撃証言が一気に増加したように思えた。

 その場所はモルオールだけに留まらない。

 高貴なシリスティアではとある貴族の夫婦が不仲になり、いつしか人々から過剰な税を巻き上げるようになったという。

 平和なアイルークでさえ、旅芸人の集団がいつしか村々を襲う窃盗団に成り代わっていたという事件が起こっている。

 タンガタンザでの事件は無いらしいが、あの“過酷”にいたアキラには、その理由も察せる。あの大陸は、もうどうしようもないほど、戦火に包まれているのだ。


 いずれの事件も、シルバーに輝く不気味な存在が目撃されていた。

 目撃されただけでこれなのだ。実際の被害はもっと多いだろう。

 そして今現在も、恐らくは発生している。

 サーシャの目撃証言が増えたというのも、サーシャがまいた種が一気に芽吹いただけのことだろう。


 サーシャ=クロライン。

 人の思考に囁きかけ、自身の思った通りに人を操る“支配欲”の魔族。

 “狂ってしまった”人々も、もとは小さな感情を歪んだ方向に発展させられたのだろう。


 例えば、フィーリリアの人々は、もとは町をもっと発展させたいと思っていただけのはずだ。

 それが、自分が町を発展させたいに変わり、自分だけが町を発展させられるに変わり、自分以外は町の発展の妨げであるに変わっていた。

 あくまで想像だが、そうした思考の変化があったのかもしれない。


 人は、大なり小なり必ず悩みを抱えているものだ。

 サーシャはそうした部分を突いてくる。


「魔族……魔王、か」


 かつて、アイルークで魔王の被害に遭った人々を見たことがある。

 自分が平和に過ごしている中、世界のどこかで、必ず何かが失われているのだと強く感じた。

 その意識はあったから、アキラは具体的な被害を追おうとはしていなかった。

 しかし今、目の前にあるファイルは、アキラが目を閉じていた世界の嘆きを訴えかけてくる。


 アイルーク、シリスティア、タンガタンザと回ってこのモルオール。

 戦いのレベルは確実に上がってきている。


 今まで撃破してきた“知恵持ち”、そして“言葉持ち”の魔物。

 それらを束ねる魔族の力は、アキラも骨身に染みて分かっている。


 ぞくりと身が震えた。

 襲ってくる魔族を迎え撃つ。

 それはタンガタンザでも経験した。


 あのとき見た魔族の力は、来ると分かっていても抗えないほどの脅威だった。


「あ、こ、こんにちは」

「!」


 反射的にファイルを閉じ、アキラは声の主に目を向けた。

 するとそこには若干着崩れたローブを羽織ったサラ=ルーティフォンがおずおずと立っていた。

 長い金の髪が、日の光を反射してキラキラと輝いているように見えた。


「あ、あれ。調査に行ってるって」

「はい、ちょうど今戻ってきました」


 遠目で男たちが馬車から宿舎に荷物を運んでいた。

 昨日アキラたちが撃破したグリグスリーチの事後調査を行っていたことは知っていたが、随分と早い帰りだ。


「イオリが一日かかるとか言ってた気がするんだけど」

「はは、そのイオリのおかげですぐ済んでいるんです」


 にこにこと人懐こそうな笑みを浮かべるサラに、アキラは自分ばかり座っているのも申し訳なく思い立ち上がった。

 すると彼女は大仰に手を振ってアキラを再び座らせた。

 やはり、彼女は“誤解している”魔術師のようだ。

 そのぎこちない態度はが妙にくすぐったかったが、誤解を解くのも面倒だ、好きにさせておこう。


「そっちが立ってると座ってるの辛いんだけど……」

「あ、え、は、はい。その、失礼します」


 最低限の礼儀としてアキラが身を開けると、サラはゆっくりと隣に腰を下ろした。

 隣にいるだけで強い緊張感が伝わってくる。

 気紛れで話しかけてきただけだったのだろうが、こちらが申し訳ないことをしているような気分になる。


「あっちは良いのか? まだ荷物運んでるみたいだけど」

「あ、はい。人手のいるものは終わりました。今運んでいるのは大事なものだそうです。現地では好き勝手に取りに行かせたっていうのに」


 そう言いながら、サラは嫌味を感じさせない笑顔を浮かべた。

 明るい女性だ。屈託のない笑みが印象的だった。

 彼女がこの3年イオリの傍にいてくれたと思うと、素直に嬉しく感じる。


「そういえば……、ブロウィンさん、だっけ。会ったよ。兄妹なんだよな」

「え、お兄ですか? あ、いや、兄ですか? ああ、そういえば手紙に書いてあったような……、ごめんなさい。何か失礼なことをしませんでしたか?」

「あ、いや、そうじゃない。立派な人だったよ」


 お世辞ではあるが、嘘ではない。

 きちんと距離を測れていたようにも思う彼の態度は、心地良かったりもした。


「それなら良かったです。まあ、実は兄の手紙に書いてあったことは大体知っていたし……、って、あ、これ言ってよかったんだっけ」

「何が?」

「いえ、その、大変失礼しているのですが、“勇者様”の情報は、魔術師隊がある程度集めているんです。言っていいんだっけ……」


 そういえば、イオリもそんなことを言っていた気がする。


「イオリにも聞いたから、多分大丈夫なんじゃないか? 四六時中見張られてるわけじゃないんだろ?」

「え、ええ。それは勿論。一応、勇者様ともなると、立ち寄った村や町で興味本位の人たちが何をするか分かりませんからね。通達レベルで魔術師隊にも連絡が入るんです。一応、簡単な警護をさせてもらってます」


 なんと。

 有名税というやつだろうか。

 エリーやサクが名前や身分を隠せと言っていたが、それはそういうことを懸念してのものだったのだろう。

 村や町でよく人と目が合うと感じていたが、それは人を引き付ける日輪属性のスキルだけではなく、魔術師隊の見張りも混じっていたのかもしれない。

 裏では彼らが自分たちの身を守ってくれていたとは。エリーではないが、魔術師隊への敬意が高まった気がした。


「でも凄いことにならないか? 勇者って結構いるんだろ? 毎回魔術師隊はそんな目に遭ってるのかよ」


 勇者は、名乗ろうと思えばいくらでも名乗れると聞いたことがある。

 ゆえに自分たちは確たる証を求め、七曜の魔術師の集結を目論んでいるのだ。


 すると、サラは首を振った。


「全っ然です。勇者様と言っても、魔術師隊が介入するレベルの方は片手で数える程度です。だからむしろ、魔術師隊には心待ちにしている人が多いですよ。私の同期なんて、この前休暇を取ってまで他の町の部隊に協力しに行ってました。勇者様が来るかも、って町に。ああ、そうだ、あなたに、ですよ。会いました? 髪を2本結って背中に垂らしている子なんですけど」


 会った記憶は無い。

 まさしくそういう輩から、魔術師隊は自分たちを守ってくれているのだろう。

 悪い気はしないが、押しかけられても確かに困る。

 こういう気分は、もとの世界では絶対に味合わなかっただろう。


「その子大ファンなんです。自慢しちゃいましょうか、お話できたこと……、って、あ、お邪魔してましたか?」

「あ、いやいいよ。丁度退屈してたし」


 基本的に話好きなのだろう。

 そして表情がコロコロ変わる。

 犬が耳を伏せたような表情を浮かべられたら、アキラには拒めなかった。

 気づかれないように、イオリに渡された資料を岩の隅に追いやった。


「ははは、良かったです。かくいう私も、えっと、はは、お話したいな、って思ってたんですよ。……ってあれ、どうしました?」

「う、生まれて初めて、自分のファンとやらに出会った」


 驚きすぎて、感情が生まれてこない。

 そもそもそうだった。

 ここは異世界。ご都合主義に彩られた世界。

 最近忘れていたが、まっすぐ見ている限りはアキラにとってこの上なく優しい世界なのだ。


 サラは、にっこりと笑っていた。


「それなら私が第1号ですね。これも自慢しちゃいます」


 まずい。

 嬉しさがこみ上げてくる。

 何か言おうと思っても、言葉が出てこなかった。


 アキラが口をパクパクしていると、サラは、はっと気づいたように手を叩いた。


「あれ、そういえばイオリと話してましたよね? イオリ、何か言ってませんでした?」

「へ? イオリ? いや、そういう話はあんまり」

「そうですか……。イオリもそうだと思ってたんだけどな。勇者様の情報収集は欠かさずやってたし……、って、これ本人に言わないでくださいよ」


 違う気がした。

 彼女の勇者への関心は、そういう類ではないのであろう。

 彼女のそれは、正常な“刻”を刻むための、必死な作業なのだから。

 だがそのせいで、近くにいたサラに影響を与えてしまったのかもしれない。


 アキラは浮かれた気分を落ち着かせると、静かに目を開いた。

 そうだ。

 近いうち、このサラが襲われてしまう。

 表がどれだけ明るくとも、自分は、闇が蠢く裏の光景を視なければならない。


「……そうだな。この隊のこと聞かせてくれないか? 噂では聞いてたけど、普段どんな感じなんだ?」


 サーシャ=クロラインの手段は知っている。

 だが資料を見た限り、サーシャの狙いは特定個人というより集団を的にしたものが多い。

 となると“二週目”にアキラが経験したサーシャの攻撃はあくまで導入に過ぎず、個人ではなくもっと大きな、具体的に言えばこの魔術師隊そのものである可能性が高いのだ。


「え、えっと、はい。私がお答えできる限りですけど、そうですね」


 サラは顔を上げて、建物の3階付近を軽く指した。

 あの位置は、昨日通された会議室のような場所だ。


「カリス隊長がまとめる私たちの隊……、第十九魔術師隊は、リオストラに拠点を置く、遊撃部隊です」


 たどたどしくも、サラは入隊直後の隊員が受ける説明のような台詞を吐き出した。


「基本的には町の警護が主な仕事ですけど、実際、こうして各地を回ることが多いですね。特に重要なのが、アイルーク大陸へ凶悪な魔物が流れそうになるのをせき止める任務です」


 知っている言葉が出てきて、アキラは息を呑んだ。

 “過酷”なモルオールに隣接する、“平和”なアイルーク。

 この大陸の魔物が1匹でも流れれば何が起こるか分かったものではない。


「それと、昨日のグリグスリーチもそうですけど、異変の調査、なんてのもあるみたいです。詳しくは私じゃ分かりませんが、隊長とイオリがよく首都に呼び出されていたりします。そんなことがあるせいか、いろんなとこにここみたいな支部があるんですよ。そのたびに私は外来の方のために部屋の掃除やらベッドメイキングやらなにやら……もうモルオール東部の町、全部回ったんじゃないかな」

「めちゃくちゃ大変そうだな」


 最後のは私怨だろうが、自分たちも世話になっている。サラがまだまだ外部の人との接し方について把握しきれていないからであろう。

 だが、町の護衛で済む魔術師隊とは違い、随分と様々なことをさせられているのは事実のようだ。

 たまに聞く、魔導士隊とやらの行動に思える。

 詳しくは知らないが、魔導士隊は魔術師隊を遥かに超える行動範囲を求められるそうだ。魔術師隊であるこの隊には、いささか重荷が過ぎるように思えた。


「凄すぎるんですよ、隊長と、そう、副隊長が」


 サラが目を細めた。

 カリスとイオリ。

 そのふたりは、噂では二大英雄とまで言われている。


「私も伊達に各地を回っているわけじゃないです。結構他の部隊を見てるんですよ。でも、完全にあのふたりは別格です。見えている世界が違い過ぎる。アイルークの防波堤な以上、拠点を定めなければならないから名目上魔術師隊ですが、戦闘力は魔導士隊と比べてもそん色ないです」


 その言葉は、酷く冷たく聞こえた。

 あのふたりが存在するから、この部隊は強力である。

 裏を返せば、あのふたり以外の隊員は、装飾品のように、隊を成すための数合わせでしかない。

 考え過ぎだろうか、そんなことを言っているように聞こえた。


「そ、そういえば、そのイオリを保護してくれたんだよな」


 雲行きが怪しくなったと感じたアキラは、強引に話題を変えた。

 サラはふと顔を上げると、記憶を掘り起こすように眉を寄せた。


「ええ、そうですよ。昨日お連れの方にもお話しましたけど、森で倒れているのを見つけて。あ、そうそう聞きたいことがあったんですよ」

「ん?」

「イオリ、異世界来訪者なんですけど、勇者様もそうなんですよね? もしかして、おふたりはお知り合いだったりしました?」


 昨日の自分の行動は、サラの目から見ても何かを感じたのだろう。

 エリーにもそう思われていたようだし、もうそういうことにしていた方が都合は良さそうだ。

 アキラはゆっくりと頷いた。

 嘘を吐くことの罪悪感には慣れられそうにない。


「やっぱりそうなんですね。そっか、だからか」

「はい?」

「いえいえ。イオリ、勇者様のお名前聞くと、軽く髪を撫でるんです。見てると面白いんですよ」


 彼女と付き合いが長いだけはある。

 イオリのことをよく見ているようだ。

 だがそれは、サラが邪推しているようなものではなく、危機感からくる条件反射のように思えた。


「それに、最近のイオリの様子……、えっと、うん、変でした。きっと、勇者様がモルオールを旅していたからですね。うん」

「……イオリは、何かに悩んでいたか」


 サラはイオリをよく見ている。言葉が詰まったサラの様子に、アキラは思わず訊いてしまった。

 自分を悩ましている、彼女が思っていること。

 それは、サラからは見えていることなのかもしれない。


 するとサラは、思わず口を滑らしてしまったように、口に手を当てた。


「……そうですね。私はそう思います」


 サラは神妙な顔つきになって静かに言った。


「きっと、勇者様に会おうとしていたからだ、って思っていた……、思おうとしていたんですけど、ね」


 サラは立ち上がった。

 もう随分長いこと話し込んでいる。

 そろそろ彼女にも、別の仕事があるのだろう。


「上手く言えないですけど……、勇者様。イオリが何に悩んでいるのか分かったら、ううん、言わなくていいです。だけど、私にできることがあったら言ってください。あんなに悩んでいるイオリ、見たことない。きっと……」


 サラは歩き出しながら、小さく呟いた。


「苦しんでる」


 聞こえた声は、アキラの耳に確かに残った。

 知っている。知っていた。

 イオリが苦しんでいるであろうことは。


 サラからすれば、それは自分のことのように辛いのかもしれない。


「失礼します、勇者様。どうかイオリをお願いします」


 ぺこりと頭を下げ、サラは駆け出していった。


 アキラは払いのけていた資料に目を落とす。

 やがてこの場所を襲撃するサーシャ=クロライン。

 狙いはこの魔術師隊だ。


 サラの話を聞く限り、確かにこの魔術師隊には魔族が攻撃するに足りる理由がある。

 だがその初手はどうなるか。

 “一週目”ではサラ。

 “二週目”ではカリス。


 どちらを守るべきなのだろう。

 サーシャ=クロラインが相手だ。ひとつのミスが致命傷に繋がる恐れもある。


 現状、もっとも可能性の高いサラからは、特別異変は感じなかった。だが、その状態から人を支配できるのがサーシャだ。油断はできない。

 そしてカリス。あまり話せてはいないが、現状不安要素は無いように思える。“二週目”では隊長のイオリへの劣等感が刺激されていたようだが、現在の隊長は彼だ。


 そろそろ日も落ち始めてきた。自分のファン第1号との会話はもう終わった。

 ここから先は、目を背けずに、裏を見て、そして読み解かなければならない。


 遠ざかっていくサラの背中を見送りながら、アキラは目の前に、暗い闇が浮かび上がっていくのを感じた。


―――***―――


「いや、当然両方見張ることになるよ」

「だよな」


 夕食を済ませた後、再びイオリのもとを訪れたアキラに、彼女は当たり前のように言った。

 夜の廊下は窓と部屋から漏れている灯り以外光源がない。

 薄暗く、人の気配に敏感になれる。

 暗がりで、距離も近く、小声で話していると恋人同士の密会にも思えるが、会話の内容はまるで穏やかではなかった。


「確かにサラがサーシャに襲われる可能性は高い。だけど、カリスも当然無視はできないさ。一応、手を打ってはいるけど」

「それはお前が副隊長になってることか?」


 イオリは頷いた。

 やはりそうなるように立ち回っていたようだ。


「サラも同じくだ。極力同じように接したかったけど、前々回と同じだったらあのときの二の舞だ。可能な限り前々回と同じようにした上で、サラとの接し方は考えさせてもらった」

「お前は器用だな」

「そうでもないさ。何せ不安はまだ尽きない。だからふたりとも見張るんだ」


 イオリはちらりと廊下の先を見る。

 そろそろ目も慣れてきた。

 あの先には、先ほどカリスが入っていった部屋がある。昨日通された会議室の3つほど隣の部屋が就寝用の部屋らしい。


「いいかアキラ。昨日の魔物の襲撃の損害調査は今日終わった。念のために明日までここにいるつもりだけど、別の場所で事件があればそっちへ向かうことになる。だから今日……遅くとも明日だ。何かあるとしたら、ね」

「お前の記憶ではいつだったんだよ」

「グリグスリーチの事件の翌々日、つまりは明日だったよ。だけど、思ったより調査がすぐに片付いちゃってね。“時”を信じるか、“刻”を信じるか。僕としては“刻”が正しい気もするが、いずれにせよどちらも見張れば済むことだ」


 すっかり戦闘態勢のイオリは、魔導士のローブを羽織って、短剣も腰に差していた。

 闇に紛れた装束は、こうした活動に適しているように思えた。

 不安なのは、あの鋭そうなカリスに見つかったときに言い訳し難いことくらいだろうか。

 一応剣は持ってきているが、服装に何の工夫もないアキラなど言い訳のひとつも浮かばずに、すぐに見つかって説教でもされそうだった。


「分かった。じゃあここは頼む。俺は―――」

「何を言っているのかな」


 ものすごく、怖い声が聞こえた。

 底冷えする空気に充てられ、アキラは一歩下がる。

 暗がりでイオリの表情はあまり見えないが、どうやら笑っているようだ。笑みは威嚇の一種であるらしい。


「男性の君が、女性のサラを、夜に、見張るって?」

「いや確かに俺何言ってんだろうな悪い」


 早口でまくしたてると、イオリから強いため息が聞こえた。

 だが一応弁明しておくと、決してやましい気持ちがあったわけではない。

 カリスが怖いのだ。

 彼の武器で滅多打ちにされかかった記憶もあるし、何より真面目な人間とアキラとの相性は最悪だったりする。


「はあ。というわけでここを頼む。じゃあ僕はサラを見張ってくる。2階だから、声を出せば聞こえるよ」

「てか、お前とサラならふたりで話し込んでたらどうだ? それならサーシャも手は出せないだろ。あの子、元気だし」

「……いつの間に親しくなったのかは聞かないでおくけど、それは止めた方がいい。サーシャが現れるのを防げるかもしれないけど、それは今回だけだ。次はいつ訪れるか分からないタイミングで襲われることになってしまう」


 確かにそれは困る。

 サーシャが相手となると、来ると分かっていてようやく対等に渡り合えそうなのだ。

 ふたりには悪いが、囮になってもらうしかない。


「だから君も、カリスの部屋を訪れないでくれよ。それじゃまた後で」


 頼まれてもお断りだ。

 アキラはイオリを見送ると、壁に背を預けてゆっくりと腰を下ろした。


 音がしない暗闇だ。

 神経が鋭敏になっていく。

 耳がどこかの部屋から聞こえてくる時計の音を拾った。

 規則正しく時を刻むその音を振り払い、アキラはゆっくりと月明かりが差し込める窓を見る。


 満月が浮かんでいた。


「……!」


 どれだけそうしていただろう。

 カリスの部屋から物音が聞こえる。

 アキラは思わず剣に手を当て、座りながら前傾姿勢を取った。


 何かあったのだろうか。

 時間はもう分からない。

 とっくにみな就寝している時間だろうか。


 ではあの物音は何か。

 冷えた廊下だというのに、妙な汗が頬を伝う。


 音を殺して息を呑んでいると、妙な気配がした。

 嫌な感じだ。


 サーシャ襲撃の可能性として考えられるふたり。

 カリスとサラ。

 自分たちが囮にしているとは言え、いずれもまっとうな人間だ。

 そんな人物たちが襲われそうなのに、自分はここでこうしてじっとしている。

 イオリの言うことも分かる。

 来ると分かっている今だからこそ、対等に渡り合えるのだ。

 だがそのために、彼らには危険な目に遭ってもらうことになる。

 本当にそれでいいのだろうか。

 しかも、襲撃はもしかしたら明日かもしれないのだ。

 今日サーシャが訪れなければ、彼らには二日続けて囮になってもらうことになる。

 いかに安全策とは言え、それは流石に忍びない。


 それに、同じように見張りをしているイオリは。

 イオリは無事だろうか。


「……どうする」

「少なくともそうだな。私なら背後にも注意を払うでしょうな」


 その背後からの声にビクリと身体中が跳ね上がった。

 剣を手にしたまま、強く地を蹴って鋭く反転。

 アキラが鋭く睨みを聞かせると、闇夜に慣れた目が、背後に立っていたらしい存在の輪郭を拾った。

 比較的大柄な男のようだ。


「……って」

「動きは、流石と言ったところですか。ですが、勇者様ともあろう方が、深夜に武装をして魔術師隊の支部を歩き回るのは感心しません。それとも何か用があったのでしょうか―――私に」


 雲の隙間から差し込めた星明りが照らし出したのはカリス=ウォールマン。

 アキラの背後の部屋にいるはずの人物が、闇に紛れる魔導士のローブを羽織り、厳格な顔つきでアキラを見下ろしていた。


「……いや、ちょっと話をしてみたくて」

「……」


 適当な言い訳を口走ってみたが、カリスは当然納得していなかった。

 徐々に冷静さを取り戻したアキラはゆっくりと立ち上がると、カリスの眼光を見返した。どうやらサーシャに操られているわけではなさそうだ。


「……まあいいでしょう。こちらへ」

「……はい」


 説教を受ける前の子供の気分を味わった。

 カリスは近くの部屋を開けるとアキラを促す。

 内装は、昨日訪れた部屋と同じようだ。

 同じようにカリスは最奥の机に腰を下ろしたのを見て、アキラはゆっくりと扉を閉めた。


「さて、どのようなお話ですか」

「あ、いや。それより、部屋にいませんでした?」

「妙な気配を感じましてね。部屋を抜け出したのです。すると勇者様が廊下でひそんでいるではないですか。私は夜目が効くのでね―――何をしているのか聞きにいったわけです」


 ぎろりと睨まれた。

 アキラは委縮する。流石に魔導士か。アキラの不慣れな潜伏など容易く見破れるようだ。

 勝手に見張っていたことも相まって、カリスの正面はアキラにとって大層居心地が悪かった。

 カリスは就寝していたと思われるのに、すでに髪もぴっちりと決めている。その佇まいも、アキラを威圧するように強く感じた。


「えっと、話、だけど」


 気配だけで圧倒してくるようなカリス。

 “二週目”では剣を交えた相手でもある。

 だが、委縮してばかりでも仕方がない。どうせ見張りは失敗したのだ、この際話でもしてみよう。


「ホンジョウ=イオリ」


 アキラは、自分とカリスの唯一の共通話題を口にした。

 そうだ。

 確かにカリスには訊きたいこともあった。


「彼女を、魔王討伐の旅に連れていきたい」


 “二週目”では、仲間たちは次々と集まり、あらゆる伏線を断ち切って進んでいた。

 だから気にしたことは無かった。

 旅に出るということは、そこでの生活を終えることになる。

 エリーやティアもそうだったろう。

 だがイオリは、それに加えて魔導士としての職務がある。

 この世界に触れて、この世界の生活というものに触れて、その辺りのことはどのようになっているのかは気になってきた。


「……なるほど」

「いいのか?」

「いいも何も、それは本人に聞いてください。我々にとって、魔王討伐以上に優先すべきことは無い。休職扱いにすれば済む話です」


 意外にも協力的だ。

 この辺りが、自分と、そして異世界の意識のずれなのだろう。


「しかし、本人がどう言うか」


 カリスは表情を崩さないまま、顎に手を当てた。

 アキラの表情も固まる。

 本人の自由意志の問題。

 そう言われると、アキラは何も答えられなかった。

 彼女の内面を、自分は知らないし、そして分からない。


「勇者様は、イオリのことを知っていたのですか?」

「……それは、まあ」


 本当でもあり、そして嘘でもあった。

 彼女のことを思い浮かべると、何もかもあやふやで、地面ではないところに立っているように不安になる。

 これだけ悩んでいるに、靄は晴れなかった。


「…………。では、一応、勇者様に協力的な身分として、言っておきましょう。彼女を通して、私が感じたことは、きっと旅でも感じるでしょうから」


 カリスはアキラの感情を探るように目を光らせると、遂にその表情を僅かに歪めた。


「彼女を理解できる者は、いないのかもしれない」


 その言葉は、アキラの中で悲しく響いた。


「もっとも、誰かを理解した、などとはおこがましくて言うことはできない。ですが、私はイオリを知れば知るほど、訳が分からなくなった。一応、業務上差し支えない程度には把握しているつもりですが……。勇者様もそんなことを思ったことは無いですか」


 まさに今、そうだ。

 カリスより事情を知っているアキラでさえ、イオリのことは分からない。


「一方で、彼女は優秀だ。あまりにも。そんな彼女といると、自分さえも分からなくなってくる。時折あるのですよ、妙に眠れない日が。目が冴えて、無性に苦しくなる。彼女の得体の知れない力が、いつしか自分を蝕んでくるような感覚を味わう。誇らしい部下であるはずなのに」


 それは、悔恨のようにも聞こえた。

 逆行と共に史実から消滅した“一週目”と“二週目”。

 この“三週目”は、それらと地続きではないが繋がっていると感じることがある。

 カリスもその苦を味わっているのだろうか。


 得体の知れないもの。見えないもの。何か分からないもの。

 それを人は恐怖と捉えるのだろう。


 アキラは思う。

 自分の前にもそれがある。

 感じていることは、カリスと同じだ。

 妙な恐怖が漠然と正面に広がっている。


 自分は何をしたら、そこから歩き出せるのだろうか。

 彼女のもとまで。


「……いかんな。アルコールが効きすぎているようだ。申し訳ないがそろそろ解散としましょうか。いずれにせよ、勧誘は本人にお願いします。その後、報告はするように、と」

「……あ、ああ。分かったよ。ありがとうございます」


 ぎこちなく言葉を口にして、アキラは一歩後ずさった。

 隊長であるカリスですら、イオリのことを把握していない。

 彼女が抱える何かを、自分も分からない。


 彼女の身に起こった事実は知っているつもりだ。

 だが、その中で、彼女が思ったことは分からない。


 彼女にもあるだろう。悩み、不安、そしてあるいは恐怖。

 彼女はそれを打ち明けず、当たり前のように行動している。

 傍から見れば、問題ない。


 だが、サラは言った。

 イオリは苦しんでいる、と。


 “そういうことを考えている者から”―――


「!?」


 カリスが席を立とうとした瞬間、床下から物音が聞こえた。

 今のは、何かが砕ける音だ。

 もしかすると、


「なんだ、窓が割れたのか?」


 アキラとカリスは競い合うように部屋を飛び出た。

 今の音は下から聞こえた。2階だろうか。そこにはイオリとサラがいるはずだ。


「私は装備を整えすぐに追う!!」

「ああ!!」


 アキラはカリスと別れると、廊下を踏み砕かん勢いで駆け出した。


 遂にサーシャの襲撃だろうか。

 ふたりは無事だろうか。

 どこの窓が割れたのか。

 混乱した頭に様々な言葉が浮かんでくる。


 落ち着け。

 今は、ふたりの無事を確認することだ。


 階段を見つけ、飛びかかるように踊り場に着地して反転。

 再び一歩で階段から飛び降りたアキラは、勢いよく駆け出そうとし、


「きゃ!?」

「わっ!?」


 危なく誰かとぶつかりそうになった。

 アキラは身をよじってかわすと、窓を背に身を固めていた人物を見つけた。


「サラ!? 無事だったか」

「え? えっと、どうしました?」

「いや、なんか割れた音がしただろ」

「ああ、そうなんですよ。だから隊長に報告しようとして。どうかしましたか?」

「いや、無事ならいいんだ。それよりイオリは?」

「え、えっと?」


 見ていないらしい。それだけ聞ければ充分だ。妙なものが目に留まったが、今はそれどころではない。

 アキラは即座に廊下をひた走る。

 カリスは自分と話していた。サラは無事。

 となるとサーシャのターゲットは。


「ちっ」


 拳に力が籠る。

 何故考えなかった。いや、考えないようにしていた。

 “過去”の事実はそうであっても、この“三週目”では違うターゲットが選ばれる可能性があることに。


 相手はあのサーシャ=クロライン。

 誰であっても、例外なく、襲撃を受ける可能性があるのだ。


「……!」


 走った先、不自然に開いているドアが目に留まった。

 中から僅かな明かりが漏れている。


 アキラはわき目もふらずに部屋の中に飛び込んだ。

 そして。


「きゃっ!?」

「だぁっ!?」


 部屋から飛び出てきた誰かに、今度こそぶつかった。

 ガチャンと何かが落ちて砕けると、辺りは再び闇が落ちる。光源だったようだ。


 アキラがよろめきながら立ち上がると、同じように尻餅をついていたらしいぶつかった人物が目に留まった。

 それは。


「……は?」

「い、た……。って、アキラ」


 ホンジョウ=イオリ。

 アキラが必死に探していた人物が、当たり前のように目の前にいる。


「そうだ、サラは? サラが部屋にいない。荷物もだ」


 差し出した手を掴んで立ち上がったイオリは、鋭く廊下に目を走らせた。


「いや、サラならさっき、変な音がしたから隊長を呼びに行くって……」


 ふと、アキラの頭に、先ほどぶつかりかけたサラの様子が浮かんできた。

 彼女が窓に背を預けていたあの光景。

 確か自分は、見たはずだ。彼女が何かを背負っていたような気がする。

 あれは、旅支度のようにも思えた。


「変な音がしたからだって? 窓が割れたのはサラの部屋なのに?」

「どうした、ここか?」


 駄目押しとも言わんばかりに、サラが呼びに行ったはずのカリスがひとりで到着した。

 アキラは呆然と、騒ぎを聞きつけ起き出してきた隊員たちを眺めていた。


 自分は何故、あんなにもあっさりと、今夜最も襲撃を受ける可能性の高いサラをひとりにしてしまったのか。

 何故この非常時に、むしろイオリに注意を向けてしまったのか。


 まさか。

 囁かれたのはサラだけではなく―――


「……俺にも、囁いたのかよ」


 遠くから、馬が1匹いなくなっているとの報告が聞こえてくる。

 闇夜に紛れ、森を走り、どこへ向かったかは分からないそうだ。


「サーシャ=クロライン」


 勇者と魔導士が見張っていたのに、まんまと襲撃を成功させた魔族の名を、苦々しく呟く。


 夜空には、不気味なほど巨大な満月が浮かんでいた。


―――***―――


「まったく、何が起きている」

「窓に妙な仕掛けがありますね、これは?」

「分からん。だが、窓伝いに隣の部屋に行った足跡がある。私も先ほど、似たような経験をした」

「?」


 遠くでカリスが隊員に囲まれながら何かを話している。

 難しいことは分からないが、どうやらサラは、部屋に入ったあと、隣の部屋へ窓から移動したようだ。

 サラの部屋は東側。馬小屋は建物の西側にある。

 物音を立て、イオリが部屋に飛び込んだタイミングで、隣の部屋から飛び出したのだろう。

 そうすれば、悠々と階段を下りて馬車へ向かえる。

 途中で誰かがサラを捕まえていれば、そんなことにはならなかったのだが。


「……悪い。俺があのとき、捕まえていりゃ」

「いや、僕のミスだ。そもそもサラは僕の担当だったんだから」


 イオリはそう言うが、アキラはまともに顔を上げられなかった。

 自分のあの行動。

 イオリを探した自分。

 それは、もしかしたら、イオリを信じきれなった自分がいたせいなのかもしれない。

 何を考えているか分からないイオリ。

 それに接して、自分は、彼女への疑念を増幅させていたのだろうか。

 そうなると、本当にサーシャに囁かれたのかどうかさえ怪しくなってくる。

 自分の行動理念も、あやふやになっていく。

 イオリが何を考えているか以上に、自分自身が、イオリをどう思っているのか分からなくなってきた。

 何の不純物もなく、イオリの身を案じたのだと、はっきりと言えない。

 思っていることが言葉に、形にならない。形にならないものは、存在しないことになる。


 魔術師がひとりいなくなったことは、流石に事態が重いようだった。

 深夜だというのに、魔術師隊の面々は起き出し、細かくサラの部屋を調査している。

 サラの部屋にこの人数が押しかけるわけにもいかず、アキラとイオリは廊下の壁に背を預けて立っていた。


「お前、隊長にはなんて説明したんだよ」

「比較的正直に。妙な気配がして、廊下を見回っていたら、サラの部屋から物音が、って。流石に怪しまれていたけど、いつものことさ」


 さらりと答えたイオリは、しかし、眉を寄せて下唇を噛んでいた。感情の無い声だった。

 アキラは窓の外を眺める。

 月明かりがあるとはいえ、遠目に見える木々は闇をすっぽりと被っている。

 この暗がりでは、イオリの召喚獣でも探しきれない。

 サラを完全に見失ってしまった。


「どうする」

「一応考えはある。サラの襲撃は前々回と同じだった。だから多分、明日の朝に報告があるはずだ。リオスト平原へ向かった、って」

「……」


 その場所はアキラも覚えがある。

 “二週目”、今さらの部屋の中で調査を進めているカリスとアキラは剣を交えた場所だ。

 イオリは襲撃を受けた場合のことも考えてはいたようだ。


「……冷静だな、お前は」

「そうでもないさ―――叫び出したいくらいだよ」


 ギリ、とイオリは強く歯を噛んだ。

 無神経なことを言ってしまったようだ。

 アキラは目を伏せる。


 彼女は怒りを覚えているのだろう。

 それはアキラに対してか、自分自身に対してか。

 努めて次を見据えているイオリの様子からは、簡単には分からない。


「とにかく、これでルートは確定したんだろ。こいつは“一週目”だ」

「……そうだね。そういうことらしい」

「なら明日、リオスト平原とやらに行ってサラを救いにいく。そうすりゃいいんだよな」

「……そうならないために、見張っていたんだけどね」


 イオリは顔を伏せながら、爪を噛んでいた。

 身体が震えている。


「っ、……どうして、どうして。なんで部屋に飛び込んだんだ……」

「おい、イオリ?」

「気づけたはずなのに……。ドアを開けるだけで良かったはずだ……。……もっとうまくできたのに」

「こっちだ。歩けるか?」


 肩に手を置き、アキラは人の輪からイオリを連れ出した。

 流石にこれ以上魔術師隊の中で会話を続ける気にはならなかった。


「落ち着けイオリ。とにかく教えてくれ。こうなったら“一週目”をなぞった方がいい。明日、俺は何をすればいい?」

「……なにも、だよ。できればそうだな、見ないでくれればそれでいい」

「?」


 妙な言い方をする。

 アキラは下手に声を出さず、イオリの言葉を待った。

 “一週目”。

 何が起こったのだろうか。


「あのとき、君は同行するだけで、何もする必要がなかった。それほど、僕とサラの戦闘力の差は大きい。だから、」


 イオリは顔を上げた。

 弱々しく、正気の抜けた表情が、アキラをまっすぐに捉える。


「僕がサラを殺すところを、見ないでくれ」

「―――」


 それが。

 “一週目”の出来事、だというのか。


「―――ば、ふざけんな。サーシャがいなくなれば支配は解ける。そんなことしなくたって」

「知っているんだ、僕は。君が忘れたこと、忘れてしまったことを。サーシャの力には“段階”がある。徹底的に、ひとりに的を絞ってサーシャの力を使えば、それはもう、完全支配。サーシャが消え去っても、その支配は解けることは無い」

「だけど、“二週目”。あのカリスは、元に戻っただろ」

「それはカリスだからさ。彼は圧倒的な魔力と強い自制心がある。一時操られた程度じゃすぐに克服できる。でも、サラは」


 魔導士ともなれば別格。

 旅の道中、何度も聞いた言葉が蘇る。

 魔族の干渉にすら耐性のある魔導士ともなれば、常人では必死の襲撃すら静観してみせるのだろう。

 だが、その魔導士すら一時的に操られるサーシャの魔法が、魔術師レベルに降りかかればどうなるか。


「もともとサーシャの狙いはこの隊の壊滅。だから、僕にゆかりがあって耐性の低いサラが選ばれたんだろう。前回は、“恐ろしく戦闘力の高いふたり”がいたからね。サラを支配しても何も状況が動かないと判断したんだろう」


 また感情の無い声で、淡々と言葉を続ける。

 諦めたような口調に、アキラは憤りを覚えた。

 ふざけるな。

 そんな程度で諦められるものか。


「だったら今からでも遅くねぇだろ。探しに行くぞ。森に火をつけても探し出す。方向だけは分かってるだろ」

「そんなことをする理由は? 意味は? 捜索にはどうしたって魔術師隊の協力がいる。出来事としては重いけど、結局のところ高がひとりいなくなっただけだ。ただ夜に出歩いただけだって思う隊員がほとんどだろう。一晩だけじゃ誰も魔族の襲撃なんて信じやしない」

「なりふり構っていられるか。副隊長のお前と、勇者様とやらの俺。ふたりで騒げば、流石に」

「それに」


 イオリはアキラの手を振り払った。

 魔導士のローブを整えるように払うと、アキラに背を向けて呟く。


「そんな勝手なことをしたら、今度こそルートは崩壊だ。君の言う“一週目”や“二週目”。そこで―――“失われなかった命”にどうやって責任を取るつもりだ」


 それは。

 アキラが旅の道中で何度も思ったことだった。

 この記憶を最大限に利用して流れを変えれば、物語が崩壊する。


「少しくらい……、ほんの小さな変化だけなら大丈夫だと思った……、思おうとした。でもそんな、いいとこ取りをしようとするような弱々しい手じゃ何もつかめなかった。結局駄目だ。僕はあのときと同じように行動するしかない」

「……」


 やっと、分かった。

 イオリは、目の前の魔導士は、この“三週目”を始めたばかりの自分と同じだ。

 周りを気にして、異質であることを隠そうとして、そしてもがき苦しんでいる。


「俺も」


 アキラの気持ちは決まっている。

 例え物語が崩壊しようと、自分が望む世界を作るために、未来を変えていこうと強く思う。


「何度も思った。これでいいのかって。俺が寄った町や村で出た犠牲者は、“二週目”には無事だったはずだった。だけど、それでも、救える奴は例え“一週目”の犠牲者だろうが救ってきているつもりだ。それが、悪いことかよ」


 言って、イオリが冷めた目で床を眺めていることに気づいた。

 まるで、聞き飽きた説教を聞いているような表情だった。


 未来を変える。アキラが強く思うこと。

 だが、そう思えたのは何故だったか。

 エリーやサク、そしてティアと共に時を過ごした自分だからこそ、例え歪であっても、輝いた世界を作り出そうと思えたのかもしれない。

 だがイオリは。

 ずっとひとりで、その葛藤を続けていた。


「そうだね。……でも、それは止めた方がいい。今回のことではっきり分かっただろう。やっぱり、前々回が正常な物語なんだ」


 聡明な彼女のことだ。

 アキラの決意など、アキラが思いつくようなことなど、とっくに検証済みなのだろう。


「物語の崩壊は、何を優先しても避けなければならないみたいだ。そうじゃなきゃ……そうしなきゃ、魔王のもとまで辿り着くこともできないかもしれない」

「そんなこと、やってみなくちゃ分からないだろ」

「やってみた本人が言っているんだ……!!」


 横を通り抜けようとした魔術師の男が、ぎくりとして立ち止まった。

 視線も向けないでいると、いそいそとサラの部屋に向かっていく。

 イオリは未だ、顔を伏せていた。


「君の言う“二週目”。そこでも話しただろう。僕はこの世界に“バグ”を作り続けていたって。物語を、どうしても変えたくて。だけど結果は散々だった。立派な隊長でいたはずのカリスが被害に遭って、僕は聞かされたくもない言葉を浴びせられた。本当に、酷かった」

「それでも“二週目”。サラは無事だったろうが。一応は、魔王の元へも行けた。それなら、」

「それは“力”があったからだよ」


 ズン、と胸に杭を打ち付けられた気がした。

 何かを口に出そうとしても、何かに邪魔されてうめき声ひとつでない。


「あれだけ歪だった前回が、それでも前へ進めていたのは“君の力”と“彼女たち”の存在が大きい。いや、すべてを占めている。それが無い今、物語を壊したらどうなる? どうやって世界を守れるんだ?」


 何も浮かばない。

 いや、想いは浮かんでいる。

 だけど、彼女が考え続けていた答えに対して、すぐに思いつくような言葉は届かない気がした。


「……だから、諦めるのかよ」


 ようやく口に出せた言葉は、自分の声とは思えないほど、黒く濁って感じた。

 安い挑発のような、負け惜しみのような言葉。

 イオリは顔を上げた。

 その表情を見て、アキラは、サラの言葉を思い出していた。


 彼女は、苦しんでいる、と。


「諦めたくて、諦めているわけじゃない」


 彼女は、アキラ以上に、時計の針を戻し続けたこの世界に、捉われている。

 まるで状況が分からなかった“二週目”。そして、この“三週目”。

 彼女なりにあらゆることを試して、あらゆることを封じて、それでも生きてきていた。


 サラの命と世界の物語。

 その両方が天秤にかけられた今、彼女の冷静な思考は、世界に傾いているのだろう。

 だが、感情まではそうではない。

 徹底してそうすべきなら、そもそも今夜、見張りなど立てようとはしなかったはずだ。

 サラを囮になどせずに、サラを犠牲にして、正常な“刻”を刻むことこそが、冷徹ではあるがそうあろうとする人間の正しい行動だ。

 だからイオリは、少しだけ手を伸ばした。

 その禁忌を犯してまでも、救いたいと願ったはずだ。

 この見張り。アキラとはかける想いがまるで違った。それなのに、彼女からそんな素振りを感じられなかった自分が、酷く情けない。


 だけど、それでも。


「サラの救出は明日の報告を待ってからだ。僕ひとりで向かうよ。アキラ、君は町を頼む。“襲撃があるからね”」


 グイと顔を拭い、イオリは廊下の闇へ消えていった。

 その背中にかける言葉も見つからないアキラは、調査を進める魔術師に声をかけられるまで、呆然と立っていた。


―――***―――


 目覚めは最悪だった。

 あまり寝た気がしない。


 それでもアキラは覚醒と同時に強引に身体を動かし、窓の外を見た。

 火の手も上がらず、空は快晴。穏やかな町並みが広がっている。

 どうやらまだ、魔物の襲撃は来ていないらしい。


 サラは目撃されただろうか。

 もしそうなら、イオリはすでに出発しているかもしれない。


 ずん、と身体が重くなる。

 下手に身体を動かしたくない気分だ。

 何とでもなれと思ってしまっている自分がいる一方で、何かをしなければならないという妙な使命感を覚える。


 昨日のイオリとの会話。

 彼女はこの3年、いや、もっとずっと前から、こんな風な気分を味わい続けているのだろう。


「……起きなきゃな」


 何をすればいいのか分からない。彼女の何を伝えればいいのか分からない。

 それでも、今日起こることは分かっていた。


 サラが目撃され、そして魔物の襲撃がある。


 それが“刻”。

 それを正しく刻むことは容易なのだ。


 だけどそれは、許されない。


「まずは、話を聞かないと」


 誰にだろう。

 何についてだろう。

 分からない。


 イオリには、どんな言葉をかければいいのだろう。

 何も思いつかなった。


 だけど、このまま部屋にいたら気が狂いそうになる。


「って、」

「あ、はは。もう起きてたんだ」


 ドアを開けると、昨日同様の来訪者の姿があった。


「もう起きてたもなにも……、サクはとっくに起きてんじゃないか?」

「ああ、そうなのよ。それであたしも目が覚めちゃって。まあ、昨日の騒ぎで結構寝不足なんだけどね」


 小さく笑うエリーを連れて、廊下に出た。

 随分と冷えている。

 慣れたものだが、寝起きの身体には刺激が強い。

 エリーが向かうのは朝の鍛錬だろう。

 自分も一応は調子を合わせて、廊下を進んだ。


「あ、そういえばあんた、昨日の騒ぎ知ってる? なんかあったらしくて、様子見に行ったんだけど魔術師隊の人でごった返してたわ」

「ああ、知ってるよ」


 エリーたちもあの場にいたのだろうか。

 アキラは適当に答えた。

 昨日のことを思い起こすと、朝の寒さに磨きがかかったような気がした。


「ねえ」

「ん?」

「イオリさんも知ってるかな」

「……ああ、知ってるよ」


 また、適当に答えてしまった。

 魔術師がひとりいなくなった。エリーにも伝えるべきことなのに、妙に気乗りがしない。あのときのことが頭に引っかかり続けて、あいまいな言葉しか出てこない。

 そんな態度だからか、隣のエリーの口調が強くなった。


「あのさ。イオリさんと喧嘩でもしたの?」

「……さあ、どうだろ」


 あれは喧嘩だったのか。

 そうと思えばそう思えるが、そんな稚拙な言葉で片付けられるようなテーマではなかった気がする。

 だが、主義主張の違いという意味でとらえれば、大なり小なりそれはただの喧嘩なのだろう。


「あ、の」


 アキラの腕がぐいと引かれた。

 そこでようやく、アキラはエリーの表情を見た。

 露骨にむっとしている。


「勧誘してたんでしょ? 怒らせちゃ駄目じゃない」

「あーもう、うるせぇな。じゃあ仲直りの方法でも考えてくれよ」


 言って後悔した。

 完全に八つ当たりだ。年下の女の子に。

 アキラがばつの悪そうに頬をかくと、目の前のエリーは、相変わらず不機嫌そうなまま、息を吐いた。


「じゃあ、問題ないんじゃないの」

「は?」


 エリーは先行して歩き出した。

 アキラは慌てて追うように隣に並ぶ。

 エリーは表情そのまま前を向き、ずんずんと廊下を進んでいた。


「仲直りしたい、って思ってるんでしょ。じゃあそうなるじゃない」

「何を言ってんだお前」

「もう、うるさいなぁ。……受け売りだけどね。どんな風に喧嘩をしたって、別れたって、またそうなりたい、って思っているうちは、縁は切れてないものなのよ。あんたは仲直りしたい、って思ってるんでしょ」

「そんなもんかよ」

「そんなもんよ」


 諭された。年下の女の子に。


「でもさ、分かんねぇんだよ。何したらいいかさ」


 単純な言葉だったからだろうか。

 アキラは息を吐き出して、正直に、自分の気持ちを言った。

 分からない。それに尽きるのだ。

 イオリにかける言葉が見つからない。


「あいつが何を考えていて、何をしたらいいのか……。正直、俺じゃ何をやっても失敗するような気しかしない。てか俺自身も、あいつに対して何を思っているのか分からなくなる。だったら何すりゃいいんだよ」

「何の嫌味?」

「?」


 エリーの機嫌がこれまで以上に悪くなったのを感じた。

 アキラが気圧されていると、エリーは諦めたように言葉を続ける。


「そんなの、思うだけなら自由じゃない。不安になったり、心配したり、疑ったり、自分じゃどうしようもないんだろうな、って思っても……、結局助けたい、知りたい、って思うなら、それでいいじゃない。あんたがイオリさんをそう思ってるなら、何とかしたいと思い続けるべきなのよ」

「……ティア理論みたいなことを言い出したな」

「うっさいばか。それくらい許してくれなきゃやってられないわ」


 眠気があるのか、エリーは両手で軽く自分の頬を叩いていた。

 言葉にならない感情も、抱くことはできる。

 それが形にならなくて苦しむことがあっても、それを含めて相手を想っていることになる。

 それでいいと、彼女は言う。


「どうせ、考えても何も思いつかないでしょ。だったらイオリさんに会って……何度でも会って、そう思ってることを相手に分からせればいいのよ。言葉なんて予め考えても無駄でしょう。それでいつか、なんの気なしに、言葉になったりするものよ」

「……そんなに上手くいくもんか?」

「今のところ微妙ね」

「そんなに険悪そうに見えたのかよ」


 エリーが早足になった。

 目の前には外への扉がある。

 外ではサクが、あるいはたまにやたらと早くなるティアもいるだろう。


 イオリに対して、何も思いつかない自分。

 だけど、思いつこうとし続けた自分はいた。


 彼女の闇を、得体の知れないものに、カリスは恐怖にも似た感情を抱いていた。

 それでも、自分はそれを知りたいと思った。


 誰かを理解したなどという言葉は、不遜であるのだろう。カリスも言っていた。

 だが、理解したいと思うこと自体は、許されることなのではないだろうか。

 あれこれと悩んで、なんとか形に、言葉にしようとして、しかし失敗し続けることは、正常なことなのだろうか。


 なら自分は、素直に、自分の思った通りに行動すればよい。

 準備ができるのを待っても、アキラの頭からは上手い言葉なんて出てこない。


 だから。


「……なあ。俺、用がある」

「はいはい」

「それと、気をつけてくれよ」

「……分かったわ」


 アキラはそれだけ言い残し、建物の裏庭へ走った。

 間もなくこの村は、魔物の襲撃に遭う。

 不安は尽きない。

 だが、それよりももっと大きな事態に、自分は向かわなければならない。


 残していく彼女たちなら問題ない。

 それに、この場にはあのカリス隊長が残る。彼の能力は、アキラは骨身に染みて分かっている。万が一にも危険はないだろう。


 だからアキラは、迷わず、強く地面を蹴って、走り続ける。


 “二週目”の襲撃は、朝の鍛錬中。

 ちょうどその頃だ。

 あの報せが届いたのは。


「敵襲だぁぁぁーーーっっっ!!!!」


 正門の方から、よく聞く大声が響いた。


 アキラが通り過ぎた魔術師たちが、何事かと正門へ走っていく。

 流れに逆らいながら、建物を曲がった。

 そして。


「……!」


 目の前に、巨大な竜が出現していた。


「……アキラ」


 息を弾ませるアキラに対して、イオリは静かに召喚獣の前に佇んでいた。


「随分早いじゃねぇかよ」

「……少しズルをした。報告を届ける隊員を途中で待ち伏せしてね。あの騒ぎに巻き込まれていたら遅くなる」


 随分と酷い副隊長様だ。

 アキラは息を整えて、イオリの正面に立った。


「俺も行く」

「来ないでくれって言った」

「分かってる。だけど行く。そしてサラを助ける」


 イオリは黙ってラッキーに上り始めた。

 何を言っても無駄だと思ったのか、あるいは違うのか。

 アキラが同じように上りきるまで、イオリは飛び立つことはしなかった。


「方法は?」

「分かるかよ」

「……そうだね」


 イオリはゆっくりとラッキーの背を撫でた。

 すると巨獣の翼が、大きく広がっていく。


 再び向かう、あの場所。

 すっかり搭乗者は少なくなっていた。


 きっとずっと、自分は、誰であっても、人を理解し切れることはないのだろう。

 だけど、理解し続けたいと思い続けることは、少なくともできると思う。

 そんな名前の分からないような感情を、自分は抱き続けて、迷い続ける。

 名前が付けられることがあれば、それは幸運であり、そして幸運でしかないのだろう。


 イオリのことは、分からないまま。

 だけど、知りたいと思えているなら、それでいいと思える。

 それだけで、歩み続けてもいいのだから。


 迷子でい続けることに抵抗は無い。


「場所はリオスト平原。ラッキー、いけるかな」


 術者の声に巨獣が嘶き、羽ばたきひとつで建物を超えた。


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