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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
北の大陸『モルオール』編
33/68

第41話『なんでもない話』

―――***―――


「あ、サクさん」


 宿屋の部屋へ向かう途中、その廊下で見つけた人物に、エリーことエリサス=アーティは思わず声をかけて近づいた。

 サクという女性は、赤い衣を羽織り、女性にしては長身で、艶やかな黒髪を後頭部で結わっているのが特徴的な少女だ。比較的短めにしているその黒髪は、髪の長いエリーにとっては勿体なさを感じる。

 腕を組み、壁に背を預け、ぼんやりと窓の外を眺めていた目の前のサクは、エリーに気づくと、僅かばかり肩を落として柔和に微笑み返してくる。


「エリーさんか。部屋にいないからどこに行ったと思ったら、その様子は買い物か?」

「ええ。山の上ほどじゃないけど、やっぱり寒いしね。それに、ありがたかったけどあたしたちの防寒具、貰い物でサイズも微妙にあってなかったから」


 エリーとサクは、とある事情で最近まで別行動を取っていた。それぞれの旅で何があったのかは思い出したくもない記憶のせいで詳しく話しあってはいないが、エリーはここしばらく、秘境とも言える雪山の中にいたのだ。

 その山を下り、延々と東へ向かって旅を続けていき、ようやくまともな買い物ができる町にたどり着いたのが昨夜のこと。エリーは早速休日宣言をし、朝から意気揚々と買い物に出かけていたのだった。


「それなら前の村にも……その前にもかな、店はあった気がしたが。……あれ、前にも買っていなかったか?」

「まあいいじゃない」


 笑ってごまかしてみたものの、エリーはサクが若干恨めしかった。

 同じ店でも、いろいろ違うのだ。大きな町と村では、品ぞろえの豊富さも違うし、もちろん好みだってある。どうせなら、品ぞろえの良い中から選びたいと思う。

 目の前の少女は、その方面にはあまり頓着しないようで、適当に買ったような服でも着こなしていた。


「ほら、あたし半ば禁欲生活してたようなもんだしね、そのせいで、ね」

「……まあ、一緒にいたはずのもうひとりは今ので大いに満足しているみたいだが」

「あの子は例外……でしょ。今もこの寒い中元気に散策してたわ」


 思い出すのは止めよう頭が痛くなる。

 まあ、一見無駄に見える“彼女”の行動だが、一晩も経てばたどり着いた街の様子に詳しくなってくれているのは助かることもあるのだが。

 サクも似たようなことを考えているのか、ときおり窓の外へ視線を投げ、小さく息を吐いていた。


「まあいっか。……そうだ、あいつは?」

「ああ、アキラなら依頼を受けに行ったよ」

「……え。大丈夫なのそれ」

「私が行くと言ったんだがな、昨日は私が夜の番だったからかな。ゆっくり休んでくれと言われた」


 それで今まで宿屋でひとりだったサクは手持ち無沙汰にしていたわけか。

 サクはやはり窓の外を見てはため息を繰り返している。


「とりあえず名前だけは出すなと言っておいたよ」

「……そうね」


 今彼は、とある事情で世界有数の“有名人”となっている。

 人相までは伝わっていないようで、顔を隠さなければならないほどではないが、つまらない騒ぎを起こしたくない自分たちにとって、その名前は公共の場で絶対に出したくない。


「まあ、今までの村で私たちがアキラを隠すようにしてきたせいかな、表には出していなかったが、不満が爆発したんだろう。よりによって、この大きな町で、な」


 同じ女性である自分の心情は察せなかったのに随分とまあ。

 エリーは僅かばかり眉を寄せたが、それよりも、“あの男”がひとりで依頼を受けに行くという主体性に強く感じるものがあった。


不安だ。


「まあ、問題ないだろう、ひとりで依頼を受けるくらい」


 そう言いながら、サクは窓の外にまたも視線を投げていた。

 少しだけ近づくと、始めて使いに出した子供の安否を伺う母親のような表情が見え、エリーは小さく口を開けた。


「というか、あたしはあいつが何を“引き当てるのか”っていうのも気になるんだけどね」


 気づかないふりをして、エリーは冗談めかして呟いてみたが、サクの表情は変わらなかった。なんとなく面白くない。


「それはどうでもいいさ」

「ん?」

「いや、別にいいじゃないか、アキラが何を受けてこようと」


 窓の外を見ていても解決にならないとようやく気付いたのか、サクは壁から背を離し、穏やかな表情で歩き出した。


「私はそれを、完遂するだけだよ」


 すれ違いざまに呟いたサクのその声が、驚くほど優しく聞こえ、エリーは彼女が部屋に入るまで、廊下に立ち尽くしていた。


「ん……んん?」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「宝探しだ!!」

「燃えますね!!」

「やり直し!!」

「ファイヤーッッ!!」

「ティアじゃなくて!!」


―――ヴァイスヴァル。


 モルオールの西部に位置するこの町は、強大な魔物ひしめく“過酷”な大陸の中で希少な“成功例”と言われていた。

 というのも、モルオールでは基本的に、村や町が栄えるということが無い。

 村が生まれても、数年もすれば、人に引き付けられるのか魔物が村の周囲に巣を作り出して被害をまき散らす。

 村の寿命50年と言われているほどで、村は―――人間が集団で営む生活は、人の寿命より長く続かない。

 人間側も生活に必要な拠点が奪われてばかりではなく、別の地域に村を作り出し―――そして再び魔物が現れる。

 このように、あまりに短いサイクルの中で、村は生没を繰り返していた。

 集団で住む者たちもそれを重々理解していることが原因で、村の繁栄に尽力するものは少なく、出稼ぎに行くばかりなのだから、生まれた村は、ほとんど宿のような認識しか持っていない。

 その結果、常にモルオールの3割近くの人間は、ほとんど移民のような生活を繰り返していた。


 一方でこのヴァイスヴァルは、モルオールでは唯一と言ってもいいほど希少な、産業が盛んな巨大な町だった。

 周囲を山に囲われたこの町は、一説ではモルオールが“過酷”と呼ばれるより以前から在ると言われるほどの歴史があり、そして、魔物に対する防衛策も一風変わったものが多い。

 世界のほとんどの村や町が採用している防衛策は、魔物が近づくと爆音や振動、あるいは魔術を発動して撃退するものであるが、ヴァイスヴァルでは魔物の嫌がる音、匂い、あるいは感じ取られる魔力の質を人工的に生成し、町の周囲に設置している。

 この、魔物をそもそも近寄らせないという技術は、歴史を、あるいは滅んでいった村たちを見るに大いに成功しており、モルオールに新たな村を作る際にはヴァイスヴァルに協力を仰ぐことがほぼ必須とすらなっていた。

 またその一方で、その技術は魔物対策だけに留まらず、鉱物の加工、農作物の収穫や動物の狩猟にも用いられ、人々の暮らしを極めて安定させていた。

 国はヴァイスヴァルを重要拠点と捉え、魔導士隊の本部を村の中に設置し、モルオール唯一の安全地帯は万全の状態で歴史を重ねていく。

 残念なのは、ヴァイスヴァルの技術力は他の大陸から見ても喉から手が出るほど欲しいものであるのだが、その技術が“ただモルオールにある”という理由だけで、訪れるものが多くないということだろうか。

 産業の技術はともかくとして、あまりに万全なヴァイスヴァルの魔物に対する防衛策は、他の大陸から見れば過剰であるし、何より―――その防衛策を譲り受けているモルオールの村たちも、滅び続けているのだから。


「ちょっと待てよ。そんなに不服か?」



 この寒い中、やっとの思いで受けていた依頼を元気よく発表したのに、目の前の少女はより冷めた視線を投げてきやがった。


 ヒダマリ=アキラは、宿の自室に集まった面々を見渡しながら、現状を大いに嘆いた。ひとり部屋にしては今までの宿屋より広い上に、部屋の隅まで暖気が回っている質のいい宿屋だが、視線のせいで少し寒い。

 暖かいのは、曇りない眼をキラキラ輝かせているティアの視線だけだ。


「不服ね」


 ティアとは正反対の冷めた目を向け、エリーはきっぱりと言ってくる。

 何がそんなに不服なのだろう。分かりやすく説明する必要があるようだ。


「いやな、話を聞いてくれよ。この町の西の山、ほら、俺らが昨日ぐるっと麓を回ってきたあの山。あそこに宝が眠ってるって。次の依頼はそいつを見つけることになった」

「どうしよう全然分からない……」


 現在、この面々は少々奇妙な状況にあった。

 実はこのヴァイスヴァル、世界有数の技術力を持ち、モルオールで最も貴重な“平穏”という環境にあるため、著しく物価が高い。

 この宿もそう、エリーが回った衣服店もそう、値段は他の村の水準を大きく超え、1週間もすれば小さな土地なら買えてしまうほどの金額をヴァイスヴァルに下ろすことになる。

 とは言っても、金銭的な問題ならば、実はこの面々にはあまり無い。

 少し前、とある事情で、別の国から多額の献品があったのだ。

 雪山にいたエリーたちに半ば強制的に送り付けられたその品々の一部は、雪山で助けてもらったお礼として置いてきたが、現在でも旅費としては過剰すぎるほど懐が潤っている。

 とはいえ、今まで見たこともないような大金を前にしてみたものの、アキラは豪遊する気にはなれなかった。

 他の面々も同意見のようで、何があるか分からない旅での緊急手段として蓄えておこうという算段となったのだ。

 ヴァイスヴァルの物価の高さに不本意ながらも一部使うことにはなったが、基本的には今まで通り、依頼をこなして旅を続けるつもりである。

 そうなると、問題となるのはやはりヴァイスヴァルでの滞在費だ。

 あの雪山を抜けてようやく落ち着ける町にたどり着いたのだ、情報収集もかねて少しはゆっくりとしたいというのも全員の共通認識となっている。

 そのため、その滞在費を安定して稼ぐため、毎日依頼をこなしていく必要があるのだ。


 しかし、大金が目の前にあるというのに節約するというのも寂しい気もする。膨大な所持金と、依頼の報酬をどうしても比べてしまい、今まで通りの報酬だと少ないと感じてしまうのだ。

 ゆえにアキラは、報酬が高い―――つまりは、ギャンブルのような依頼を受けてきたのだ。


「あのね……、あんたあんまり依頼受けに行かないから知らないかもしれないけど、宝探しって成功報酬でしょ? その宝があるかどうかも分からないのに……。断ってきてよ、もっといい依頼なかったの?」

「いや、一番いいだろ。宝探しだぜ」

「馬鹿なのかな?」


 一方エリーは堅実な依頼を求めているようで、その視線が冷めたものから憐みを帯びたものになっていた。


「宝探しって、ほとんどでっち上げみたいなのよ。注目浴びたい、とか。見つからなければ報酬無し、見つかれば依頼主と山分け。前金はあるし、あまりに酷いと依頼が出せなくなるらしいけど、依頼主にとってのリスクはそれだけなのよ。ほとんどスカね」

「え……、そうなのかよ」


 なんと。この世界でもそんな詐欺まがいのことがまかり通っているとは。

 ヒダマリ=アキラという異世界人は、この世界のことを誤解していた。ご都合主義に包まれた優しい世界。依頼所の依頼はすべて意味があるのだろうと思っていた。

 以前、南の大陸―――シリスティアで依頼がらみで詐欺の被害にあったことはあったものの、あれはあれで意味のある依頼だったとは思う。

 自分がひとりきりであれだけ苦労して受けた依頼がスカと言われると、心に来るものがある。

 流石に楽をして一攫千金、とまでの夢を持つほどではなかったが、僅かなロマンと割の良い依頼を受けるようにという厳命を両立させるいい依頼だと思っていたのだが、エリーの反応を見る通り、この手の依頼はどこの町でもあったようだ。

 今まで敏いふたりが受けてこなかったということは、宝とやらがある可能性は万にひとつあるかどうか程度なのだろう。


「でもでも、宝探しってロマンですよねぇ……。どんなお宝なんでしょう?」


 口を挟んだティアことアルティア=ウィン=クーデフォンは、青みがかった短髪を愉快そうに揺らし、まだ見ぬお宝に思いを馳せていた。

 僅かなロマンで、ここまで頬を緩ませられるのはうらやましくも感じるが、こういう純粋無垢な魔術師が詐欺の被害に遭っていると思うと心が痛む。

 エリーを見ると、軽くティアを顎で指していた。

 火がついたティアを責任とって静めろということらしい。


「でもさ、1回くらいいいんじゃないか?」


 エリーの説得と、ティアの相手をすることの難易度をほぼイーブンとみたアキラは、とりあえずエリーの説得から始めてみた。

 自分が受けてきた依頼でティアをその気にさせてしまったという負い目もある。


「宝探し受けたことないだろ? 資金も余裕あるし、仮にスカでも、いい思い出になるじゃないか」

「そうですよ、エリにゃん!」

「……資金が底をつく未来が見えた気がする」


 エリーが酷く悲しげな表情を浮かべ、助けを求めるように視線を泳がせた。

 そして1点でピタリと止めて、顔を強張らせた。


 その視線の先、サクはアキラが依頼の話を始めてから目を瞑り、小刻みに頷いている。

 腫れ物に触るように慎重にサクを見つめるエリーの喉が見て分かるほどごくりと動いた。

 アキラはエリーをいぶかしげに見つめていると、サクがゆっくりと目を開く。

 現在賛成2反対1。

 彼女が賛成なら、多数決で子供の夢を叶えられるかもしれない。


「よく分かったアキラ。やり直しだ」


 ダメだった。

 その口調からはエリーよりも強い意志を感じる。

 エリーはようやく理解者が現れたからか、肩の力を抜いて椅子に深く座り込んでいた。


「お前に依頼をひとりで受けに行かせたのは私だ。できる限り尊重しようとしたんだが、どうしても、な」

「じゃあどうすんだよこのティアのやる気をさ!」

「いやそれは知らないが……、ともかく、返してこい。一緒に行ってあげるから」


 動物を拾ってきたが、難色を示す親に怒られている子供の気分を味わった。

 どうやらこれは無理そうだ。

 ティアが見て分かるほど沈んでいるのが視界の隅に入ったが、このふたりの説得となると流石にティアをなだめる方が楽に思える。


 アキラはティアを刺激しないように静かに立ち上がった。

 これからまた、依頼所までの長い道を歩くと思うと憂鬱だ。

 アキラはコートを羽織りながら、曇り空が見える窓を眺めた。寒そうだ。


「実際護衛みたいなもんなんだけどな……」

「ん? なに?」


 ため息と共に、口から出てきた言葉をエリーが拾った。

 そういえば、依頼の詳細を話した記憶が無い。


「いや、依頼だよ依頼。宝探しの」

「いや護衛って……、え、なに、ちょっと見せて」


 なんと。

 完全に諦めていたのにエリーの興味を引くことに成功した。

 アキラは言われるがまま大切に折りたたんだ依頼書を取り出し、エリーの前に広げてみせた。


「え……これ、公的依頼? は? どういう…………」

「私もいいか?」


 熟読するエリーの脇から、サクまで身を乗り出して眺め始めた。

 良い兆候だ。


「って、護衛みたいなもんじゃなくて、護衛じゃない! しかも依頼主……ヴァイスヴァル研究所? って、」

「あっ、あのおっきな建物ですか! あれだけ庭が広いといいですよねぇ……。今日はあんまりでしたが、雪とか積もり放題で!」


 昨日到着したばかりなのに町の様子が分かっているティアには素直に感心したが、アキラは首を振った。

 雪が降ると単純に喜ぶものなのか。最初に雪かきの苦労に思い至ったアキラは目が覚めた。童心を忘れている。もしかしたら自分は、少しずつでも、大人になっているのかもしれない。


「それに依頼額……この宿に1週間はいられるわね。どうしたのこれ? 宝探しって何よ?」

「いや、書いてあるだろ。なんかさ、定期的に山狩りしてるんだと。そこに太古のお宝が……」

「宝とは書いてないわね……。というか、多分これ、調査よ。調査依頼。研究材料だかが欲しくて、山にとりに行ってるんじゃない?」

「えー、宝探しだよ」

「あんたのそのどうでもいい意地は……いや、いいわ。受けましょう。あんたの熱意に負けたわ。宝探しよ。ロマンがあるわ。ね、サクさん!」

「……そうだな。アキラ、よくやった。宝探しだ」

「お……、おお、そうだよな。ティアももちろんいいだろ?」


 ふたりの説得に成功したアキラは、拳を握り締め、満面の笑みを浮かべてティアを見た。

 するとティアは、恐ろしく優しい表情で、目を細めながら呟いた。


「アッキー。私はですね、アッキーのこと、いつでもとても心配しているんですよ。今も」


 ティアの様子が腑に落ちないが、ともあれ。

 今回の依頼は、宝探しに決定した。


―――***―――


 ヴァイスヴァル研究所の依頼。

 その詳細は、依頼を受けたときに説明されるものではあるのだが、アキラは説明を受けたことだけを覚えており、内容は聞き漏らしていた。

 その結果、アキラも知らぬ存ぜぬで通し、エリーたちは、依頼の情報はアキラが持ち帰ってきた依頼書だけになっていた。

 もっとも、アキラはいい加減な気持ちで依頼の内容を聞いていたわけではない。

 そのときアキラは、半ば放心状態であっただけだ。


 このヴァイスヴァル研究所の依頼。

 それは、研究所が定期的に行っている“技術調査”だった。


 ヴァイスヴァルの西に位置する山脈には、モルオールの最先端を行くヴァイスヴァルが発達できた“理由”が存在するのだ。

 太古、強大な魔物たちが出没し、闊歩し、ありとあらゆるものが破壊されつくされていた頃―――モルオールが“過酷”と呼ばれ始めた頃、西方の山から妙な噂が流れた。


 “魔物が出没しない地点がある”。


 それは、すべてに見放され、自ら死を選んで魔物が出没しやすい山に足を運んだ者から流れた単なる噂話。

 いつまでたっても終わりの来なかった生存したその者の話では、話に聞く西の大陸のタンガタンザの“とある村”のように、小型の魔物1匹すら湧かなかったそうだ。


 大陸すべてが危険地帯のモルオールではその噂話は信じ難いものではあったが、あまりに魅力的なその噂を、ほんの数人ではあるが、真に受けた者たちがいた。

 モルオールに後がないものなど幾らでもいる。

 その例に漏れなかった彼らは玉砕覚悟で調査に臨んだ。


 その結果、発見されたのが、現在までヴァイスヴァルを、いや、モルオールを支え続けている最後の砦。


 “魔物が避ける匂い”だった。


 それが存在していたのはほとんど奇跡だった。

 その山は、魔力を蓄える魔力の原石が何故か多分に存在し、どこの誰が遺したのか分からない奇妙なカラクリに反応してその匂いを発し続けていたようだ。


 結局のところ、調査を行った彼らは、モルオールは、その名前もない山に眠る“お宝”に救われたことになる。彼らはその仕組みを山から運び出し、こぞって研究し、徹底的に分析して、それの複製に成功した。

 そして現代。

 その技術に着想を得た彼らは、彼らの意思を継いだ者たちは、研究を続け、魔物が避ける音、光など、今でも価値あるものを産み出し続けている。


 それも、単なる噂話。

 だが、事実。現代まで山の調査は続けられている。

 終焉を迎えたと思われたモルオールを救った先人に倣い、“何か”が見つかるかもしれない、という理由で、ヴァイスヴァル研究所は先人に倣っているのだ。


 と、いうのが調査の詳細なのだが、実はこの依頼、モルオールの未来を考える使命感溢れる者たちにとってでなくとも、“大人気”なのだ。


 まず安全性。

 世界屈指の危険地帯とされるモルオールだが、ヴァイスヴァル研究所の依頼ともなれば最優良の魔物対策が施される。

 町の中は勿論、町から山へ向かう道中、山の散策、常に魔物へのけん制に、最新の技術がいかんなく発揮されることになる。

 それでも万全に、がモルオールの基本思想なので旅の魔術師たちへ依頼、さらには魔導士隊の応援を仰ぐことになるのだが、何の問題もなく依頼が定期的に行われている通り、せいぜい魔物を遠目に見る程度で、ただの1度も魔術を使わずに戻って来る者も多い。


 そして報酬。

 これが最大の魅力だが、研究所が有する研究費は桁外れなのだ。

 念には念を重ねる程度で、旅の魔術師たちにとっては目玉が飛び出すほどの額が動く。


 実はこの依頼、請負人が殺到するため、応募者の中から抽選で選出される。


 今回、それを引き当てたのが興味本位で応募したアキラである。

 ほとんど期待せずに応募して、他の依頼を物色していたときに名前を呼ばれたアキラは目を見開いた。

 アキラは、元の世界でも宝くじはおろか雑誌の応募ですら当選したことが無い。

 事前に報酬の額を見ていたことも手伝って、ほとんど放心状態で説明を受けたのだ。


 丁度。

 そのときにされたはずの、そんなような説明が、目の前の研究者から行われた。


「万が一のときはお願いします。次に、調査方法ですが、」


 実に事務的に、淡々とした説明が続く。

 アキラが想像していた研究者というものは、薄暗く、本がうず高く積まれた部屋の中で、厚底の眼鏡をかけた男たちがひとつの机を囲んでいるというものだ。

 それは完全な偏見であるということは自覚しているのだが、目の前に立つシルヴィ=コーラスと名乗ったその女性は残念ながらそのイメージを払拭させてはくれなかった。


 依頼を受けた2日後、雲ひとつない空の下、ヴァイスヴァルの町外れ。

 シルヴィの姿は整え切れていない橙色の長い髪をそのまま背中に垂らし、煤で汚れたような色の白衣を纏っているものだった。

 これで眼鏡でもかけていてくれれば完璧だったのだが、目の下に跡が残っている程度で、どうやら外出時には裸眼になるらしい。

 年齢は若く見えるが、この調査の責任者のような佇まいから、ある程度の経験を重ねているか、あるいは相当優秀な女性ということになる。

 淡々とした口調で説明を続ける彼女の前には、アキラたちを含め、十数人の旅の魔術師たちが横並びになっていた。

 どうやらこの依頼、複数組に依頼をしていたようだ。彼らもアキラ同様、当選者ということなのだろう。


 アキラは先ほどからシルヴィの説明を聞いていたのだが、どうもやる気が削がれていた。

 ティアに火をつけたのは悪いが、話を聞く限り、どうもその身ひとつで大海原に乗り出すような宝探しではなく、安全が保障されたダンジョン調査ということらしい。


 他の旅の魔術師に視線を走らせても、使命感に燃えている者は皆無で、小声で雑談を始めている者もいる。拾った話では、彼らはこの依頼の経験者らしい。複数回も当選するとは幸運のようだ。

 緊張感の無さは死に繋がる。

 そう自覚していたが、アキラはひっそりと、背後のヴァイスヴァルの町並みを眺めた。

 この危険地帯と言われるモルオールで、この町は、平穏を手に入れているという。


 この緊張感の無さは、油断だけから生まれるものではなく、この町が実証してきた確たる技術の結晶でもあるのだろう。

 そう考えると、悪い気はしなかった。


「では、出発までお待ちください」


 まるで決まりきったセリフを言い終わっただけのような彼女は、抑揚のない声でそう言うと、彼女の背後に停まる馬車へ歩いて行った。

 5台ほど停車している馬車に変わった様子は見えない。

 だがあれには、ヴァイスヴァルの技術が注ぎ込まれているのだろう。


 シルヴィが乗り込んだ馬車の前には、見たことのある服装を纏った男が立っていた。

 あれは、魔導士隊の制服だ。


「ね、ねえ、どうする?」


 シルヴィが去ったことで、今まで以上に雑談が飛び交う中、隣に立つエリーが声をかけてきた。

 アキラが首をかしげると、エリーは眉を顰め、首をかしげる。


「ちょっと待って。話聞いてた?」

「ああ、一応な。それより見ろよ、魔導士いるぜ」

「……聞いてたの?」


 白を基調とした新しい防寒具に身を包み、機嫌が良かったはずのエリーがジト目になった。見世物ではないというのは分かるが、せっかくエリーが喜びそうなものを見つけて教えたというのに。


「今回の依頼、組み分けして、それぞれの組に魔導士が入るってあの人言ってたじゃない。流石モルオールね……。公的依頼だとしても、魔導士が当たり前のように介入するなんて、他の大陸じゃ考えられないわ」


 アキラが“この世界”で面識のある魔導士は、シリスティアの港町で出会ったひとりだけだ。魔術師には何度も出会ってはいるが、それだけに、魔導士というものの希少性が伝わってくる。

 だが、確かにシリスティアで出会った魔導士は非常に頼りになる存在であったというのは記憶しているが、馴染みが無くてあまりピンと来ていないというのが本音だ。


「魔導士って、やっぱ凄いんだよな?」

「はっ、」


 大声を出しそうになったのか、エリーは自分の口を手で押さえ、信じられないようなものを見るような目をアキラに向けてきた。

 まずい。

 彼女にこの手の話題は禁句であると知っていたのに、失敗した。


「凄いなんてもんじゃないわよ。魔導士ってね、魔力が高いとか、魔術に詳しいとか、もうそういう次元じゃないの。魔術師試験の突破なんて始まりですらない。尋常ならざる魔力を持ち、既存の知識は当然持ち合わせ、未知の脅威にすら活路を開く―――“それができて当たり前”なのが魔導士なの。魔導士が魔術師の延長線上にいるなんて考えは甘すぎるわ」

「どう、どう」

「…………む」


 力説するエリーを何とかなだめながら、アキラはなんとなく思い返す。

 確かにシリスティアで出会った魔導士は、そういう存在だったと聞いていた。


「……って、あ。魔導士で思い出した」

「どうした?」

「……、……、んー、こっちの話。まあいいじゃない。それより、組み分けどうする?」


 エリーはパタパタと手を振り、話題を戻した。

 そうだ。先ほど彼女は組み分けと言っていた。


「どうするって……、俺らでいいじゃないか」

「そういうわけにもいかなくなった」


 そこで、サクが歩み寄っていた。

 その後ろには、恐らく最も話を真面目に聞いていたティアが、未だ興奮冷めやらぬ様子で、くるりと振り返る。


「え? この4人じゃダメなのか?」

「メンバー構成。さっきの人、魔導士1、研究者1、旅の魔術師2って言ってたでしょ。……というか、依頼時の通達通りって言ってた気がするけど……」

「ああ、そうだ。そうだったな」


 適当に取り繕って、アキラは周囲を見渡した。

 この人数では、10組ほど出来上がりそうだ。


「じゃあ適当にクジかなんか作るか」

「……ええ。そうね……。あんたとティアが組まなきゃそれでもいいわ」

「どういう意味だよ」

「考えただけで恐ろしい」


 不服であるが、彼女にとって、自分とティアが魔導士と行動を共にすることは想像することもできないようだ。


「面倒だな。アキラが決めてくれ。私かエリーさんの2択で頼む」

「……あの、さっきからお話聞いているんですが、とても悲しい気分になっているあっしのことを覚えてますか?」


 覚えているとも。覚えているからふたりとも警戒しているのであろう。

 自分もそちらにカテゴライズされているような気もするが、アキラは特に考えもせずに口に出そうとし、固まった。


 エリーの背後に、背の高い魔導士の男が立っていた。


「……どうするの? ってなに?」


 アキラの視線を追って振り返ったエリーも固まった。

 エリーのあの口ぶりからして、魔導士とは殿上人にも近しい存在のようだ。その存在が間近に表れ、エリーは声も出せずに動きを止めた。

 魔導士の男は、エリーの様子に半歩下がると、少しだけ周囲を警戒し、姿勢の体躯をそのまま崩さずにアキラをまっすぐ見据えてくる。


「ヒダマリ=アキラ様ですね。失礼ですが、お伺いしたいことがあります」


 今度は全員の視線がアキラに向いた。

 突然名前を言い当てられたアキラも目を見開いて男に見据え返す。

 自分を見た視線の中に、何をしでかしたと言いたそうな目があった気がしたが気にはしていられない。


 男は、被っていたフードを払い、金の短髪と真面目そうな印象を抱かせる整った顔立ちを晒すと、僅かに微笑んで言葉を続けた。


「私はブロウィン=ルーティフォンです。ヒダマリ=アキラ様、でお間違いないですよね?」


 さも自然に名前を呼び続けるブロウィンに対し、アキラの不信感は自分へ向いた。

 この男の態度。間違いなく、この男は自分がヒダマリ=アキラであると確信を持って言っている。

 だが、何故。


「ああ、失礼しました」


 アキラが答えに辿り着くよりも早く、ブロウィンはローブから名簿のようなものを取り出した。

 それと同時、アキラも思い出す。


 この依頼。応募する際に、確かに。

 自分の名前を伝えた気がする。


「請負人の名簿にそうありますましたので。もし勘違いであれば大変失礼なのですが、伺いたいことがありまして」

「……ブロウィンさん、だったか。分かった。すぐに向かわせるから、少し待っていてもらえるか」

「あたしからもお願いします。絶対に向かわせますが……少し、内々で話があるので」


 馬車でお待ちします。

 それだけを残し、ブロウィンはあっさりと引き下がった。

 アキラは去っていくブロウィンの背中を名残惜しそうに眺め、冷めた視線を突き刺してくるふたりに向かい合う。

 エリーとサクが、同時に口を開こうとしたので、それより早くアキラは言った。


「名前は名乗った。ふっ、文句あるか?」

「開き直ってんじゃない!!」


―――***―――


「同姓同名ということも考えたんですが、今、“その名前と言うだけ”で、無用な騒ぎが起きるのも避けたいだけでして。ああ、非難しているつもりは毛頭ないということはご理解いただけると幸いです」


 ブロウィン=ルーティフォンは穏やかな笑みを浮かべながら、あくまで堂々と言葉を発した。柔和なイメージを抱かせる男だが、それなりの貫録を感じさせる。


 アキラが招き入れられたここは、用意されていた馬車の1台。それも、魔物を避ける仕組みが施されたこの調査の核となる魔導士隊の馬車だった。

 馬車の先頭にある入り口から2人がけのベンチが前を向いて5、6台ほど並び、最奥にはひとつの机を囲むような打ち合わせエリアがある。

 核と言っても、打ち合わせエリア以外、アキラが今まで見てきた移動用の馬車と内装はほとんど同じだ。

 どこで魔物を避ける仕組みが作動しているのか分からないが、少なくとも他の馬車と内装はほとんど変わらないようで、特別感などまるでなかった。

 出発すれば普通に馬車は揺れ、打ち合わせリアは机のせいで窮屈ですらある。

 あるとするならば、ぽつぽつと座っている乗客たちは皆、世界屈指の実力者である魔導士と言うことだろうか。もっともこの馬車が、先頭を走っているというだけで大きな意味があるのかもしれないが。

 少しでも自分の態度が悪ければ怒鳴りつけてきそうな赤毛の少女と別行動になれたことを、アキラは今だけは感謝した。


「回りくどく聞いても無駄になりそうなので、確認しておきます。あなたは、“あの”ヒダマリ=アキラ様ですか?」


 対面に座ったブロウィンが、アキラの眼をまっすぐ見据えて聞いてきた。


「…………まあ、そうだけど」


 下手に否定してもどうせぼろが出る。

 アキラはあっさりと認めた。エリーほどではないが、ブロウィンの様子は堂々たるもので、アキラも少し委縮していた。

 だが、それでは駄目だ。

 自分は“勇者様”。

 威風堂々としていなければならない。


「やはりそうですか。モルオールに入ったという噂は聞いていたのですが、実際にお会いすると感慨深いものがある。まあただ、無用な騒ぎを避けるため、この依頼は基本的に我々と行動してもらえると助かります」


 友好的な言葉の裏には、しっかりとした意思の強さを感じた。

 アキラは端的に考える。

 これは単純に言えば、特別対応だ。


 自分は“勇者様”だから、大衆の中に放り込めば騒ぎが起きる。

 ましてや今は依頼中だ。

 依頼の本分を疎かにしてしまうものも出てしまうかもしれない。

 自分が有名人という自覚を持て、と常日頃からサクに言われていたが、アキラはピンと来ていなかった。だが今、それを僅かばかり感じてしまう。

 騒ぎが起きる“可能性がある”だけで、特に魔導士隊が参加するような今回の依頼では、彼らは過敏に反応せざるを得ないのだろう。

 各々の席に座っている魔導士隊は時折振り返ることこそすれ、こちらに集まってこようとしない。

 勇者様には最大限の敬意を、という“しきたり”があるとは言え、彼らにとっては仕事を増やした厄介者でしかないのかもしれない。

 この男ブロウィンも、業務で自分を隔離しているだけなのかもしれない。それは考えすぎだろうか。

 だがそう思うと、ブロウィンの態度にも裏があるような気がしてきてしまう。


 アキラは目を瞑る。

 東の大陸アイルークに落とされ、シリスティア、タンガタンザ、そしてここモルオール。

 自分を、自分たちを取り巻く環境は徐々に、だが確実に変化しているのを感じた。


「まあ、それはともかく、」


 ブロウィンは、わざとらしく咳払いをした。

 すると彼はあくまで柔和なままの口調で、少しだけ目を輝かせた。


「実は私も、“勇者様”と話してみたかったのです。お疲れでないなら、お話聞かせてもらっていいですか?」

「……え、ああ、まあ」

「いや実は色々気になることがありまして。ああ、何から聞こうか。やはり、“失踪事件”……、いやいや、そうだな、やはり―――」


 しっかりした口調に気圧されたわけではないが、アキラは少しだけ身体を引いた。

 なんだろう。

 先ほどまで感じていた申し訳ないような気分が薄まり、ティアにでも絡まれているような錯覚に陥ってきた。


 このブロウィンという男。

 もしかしたらアキラの隔離よりもこちらが目当てでこの馬車にアキラを連れてきたのだろうか。単純に、“勇者様”へ強く興味を持っていただけの行為。

 アキラが持つ、日輪属性という力。

 それに対して、中途半端な嘘は吐けない。

 本腰を入れて欺こうとしなければ、明確な好意か、明確な敵意がむき出しになる。


 アキラは軽く頭を振った。


 これはもしかしたら、恥ずべきことだったのかもしれない。

 自分たちの環境が変わっているだけでなく、人の好意を斜に構えて受け取るように“アキラ自身が変わってきている”。

 アキラは拳を握り締めた。

 もっとも、ブロウィンの様子は、先ほどアキラが思い浮かべた依頼を蔑ろにする輩と同じような気がするのだが。


「ブロウィン君」


 早速嗜めるような声が、隅の席から聞こえてきた。

 口を挟んだのは、今まで打ち合わせエリアの隅で窓の外を眺めていたシルヴィ=コーラス。先ほど依頼の説明を行っていた女性だ。

 彼女もこの依頼の主催ということで、この魔導士隊の馬車に乗っていた。


「念願の勇者様に会えて騒ぎたくなるのも分かるけど、今は私の依頼中。興味があるなら終わった後にでもお時間頂いた方がいいんじゃない?」

「いいじゃないか、シルヴィ。この馬車、君が設計したんだろ? きっと完璧だよ」

「おだててもダメ。微塵にも信用していないくせに……。それに、あなたたちにとって恒例行事でも、私たちにとっては毎回真剣な調査なの。例え“勇者様”でも……、いえ、“勇者様”がいるからこそ、今回は絶対に成果を上げたいわ。期待します、“勇者様”」


 途端視線を向けられ、アキラは思わず頷いた。怯みはしない。

 ブロウィンとシルヴィの様子。

 どうやらふたりは旧知の仲らしい。

 この依頼は定期的に行われているらしいから、その繋がりだろうか。


 そういえば。

 とアキラは気になっていたことを思い出す。


「そういえば、この依頼、今まで何か見つかったことがあるのか?」


 するとシルヴィは分かりやすく下唇を噛んだ。

 ブロウィンは珍しく裏のあるような笑みでシルヴィを眺める。


「大した成果は無いです」


 シルヴィは手元にあった小型の水稲をブロウィンへ投げ付けつつ返答してきた。


「年に1回くらいですかね。いつの時代かも分からないようなガラクタが見つかるのは。解析して改修しようとしても失敗ばかり。一応、新しい製品のヒントになってはいるのだから、無駄と言うわけでもないんですが、そのまま使えそうなのは今までは……」


 この依頼、どうやら本当に宝探しのようだ。


「……ブロウィン君。あなた他人事のようにしているけど、一応あなたも出資者なのだから、笑い事じゃないのよ」

「それは俺じゃなくて、ルーティフォン家がやってることだよ」


 分かりやすいようなため息がシルヴィから漏れた。

 あえて訊きはしなかったが、ブロウィン=ルーティフォンも色々とあるらしい。


「だけど……そうだ」


 そこで何かに思い当たったように、ブロウィンは手を打った。


「シルヴィ。悪いが勝機は我にある。君が求める新たな製品のヒント。“勇者様”は持っていると思うよ」

「…………そう、いえば」


 再び視線がアキラに向いた。

 シルヴィの瞳の奥には、何故か強い怒りが見える。


「“百年戦争”の話。それにはどうしたって“ミツルギ家”が絡むはずだ。“勇者様”はそこにいたんですよね?」


 ブロウィンの瞳の色が深くなったように感じる。

 アキラは頷いた。

 タンガタンザの“ミツルギ家”。

 一応世界をぐるっと回ってきたアキラの認識として、それはこのヴァイスヴァルと比肩する技術力の高い町だ。


 するとシルヴィは小さく舌打ちした。


「奴らがやっていること。差し支えなければ教えていただけます? 覚えている範囲で構いません」

「前に、ミツルギ家に技術協力を仰いだときに断られてしまったそうで」


 シルヴィの様子を横目に、ブロウィンは小声でアキラに呟いた。

 シルヴィは忌々し気に続ける。


「技術提供がなかったばかりかこちらの技術者十数名引き抜かれましてね……。余裕がないのはそちらもこちらも変わらないのに……!」


 ミツルギ家現代党首ミツルギ=サイガ。

 彼が人のヘイトを集める天才だということをアキラはよく知っている。

 大陸を渡っても、彼の高笑いを思い浮かべることになるとは思っていなかった。

 その男の娘が、後ろを走る馬車に乗っていることを伝えたら彼女はどんな顔をするだろう。想像するのは止めておいた。


「それに加えて」


 ブロウィンは止めとばかりに続ける。


「ヒダマリ=アキラ様は“異世界来訪者”。そう聞いていますが、そちらも噂通りですか?」


 アキラが頷くと、シルヴィの眼は、今度は輝いて見えた。

 事実そうだが、自分のパーソナルデータが出回っていると思うと恥ずかしい。


 そしてアキラはブロウィンの狙いが見えてきた。

 どうやらシルヴィを巻き込んで、結局アキラから話を聞き出したいのだろう。

 技術者にとって、異世界の技術とミツルギ家の技術というものは聞いておく必要がある重要な情報なのだろうから。


 迷惑をかけた対価だ。応えられる範囲でなら、と腹をくくったアキラが口を開こうとすると、ふと。

 勝ち誇っていたブロウィンの表情が強張ってきたことに気づいた。


「あれ、そういえば」


 シルヴィが呟くとブロウィンの方が揺れた。


「ねえブロウィン君。前に言ってた“異世界来訪者”と話をさせてくれる件。今どうなってるの?」


 今度はアキラの表情が強張った。

 “異世界来訪者”。

 超常現象と表現してもよいそれは、この世界では、ごくごく珍しい例として、現実のものだと認められている。

 そんな存在が、アキラ以外にも存在することは無い話ではないのだろう。


 だが、心の底で強い感情が生まれる。

 アキラは、その“存在”が、“誰”を指しているのか本能的に悟れてしまった。


「ま、まあ、あれはその。向こうにも都合があるみたいで……。妹にも伝えてあるんだけど」

「へえ。……じゃあ、私が妹さんに連絡とってもいいのね?」

「いや、俺がする。大丈夫だ。魔導士隊への連絡は結構面倒だし」

「いっつもそう。どうせ連絡してないんでしょ。いいわ。私がします。ついでに、ご両親にも伝えておくわ。魔導士様が“勇者様”に迷惑をかけていたかもしれない、って」

「おいおいおいおい」


 軽口を叩きあっているその様子を、アキラは遠い世界の出来事のように眺めていた。

 そして強く胸を押さえる。

 そうだ。

 間もなくそのときが―――来る。


「……あ、失礼しました。実はですね、数年前。ルーティフォン家が保護したんですが……“異世界来訪者”が発見されまして。そして、今、」


 シルヴィの補足は必要なかった。

 頭がずきずきと痛む。アキラは奥歯を強く噛んだ。


 そして、今。

 その人物は、魔導士となっている。


―――***―――


「アッキーとエリにゃんが組むと、ズドーン。アッキーとサッキュンが組むと、スパーン。アッキーとあっしが組むと、えっと、」

「ぐちゃぐちゃーね」


 共に旅をしていてようやく解析できるであろう言葉に、エリーはほとんど反射で回答した。

 揺れる馬車は、危険地帯のモルオールの荒野を進んでいるというのに平穏そのものだ。

 ひとつ前の馬車に施されたヴァイスヴァルの技術とやらで、魔物の出現は無い。

 他の大陸でもそうは経験できないこの平穏を考えると、宿屋の料金の高さも当たり前のことなのかもしれない。


「あの、エリにゃん」

「なに?」

「あっしはですね、こう、怒りを言葉以外でも表現したいです。どうすればいいですか?」

「なんであたしに聞くのよ……」

「やはりその道のプロに……ってて、それですそれですごめんなさい!!」


 怒りどころか、辛うじて拗ねてることくらいしか感じなかったティアの表情が、恐怖に歪んだ。

 表情豊かな子供だ。


 人の感情を読み取るために大切なのは、自分に経験を求めるか、相手との間に時間を求めることだ。

 ティアは元から分かりやすかった気もするが、自分たちはそれほどの旅をしてきた。

 期間にして1年経っていない程度だが、その薄さを凌駕する密度の濃い時間を過ごしているように感じる。

 それでも、さっぱり分からないときがある、前の馬車に乗った男は、いつでも悩みの種だ。


 自分たちは、つい先日まで別行動を取っていた。

 あの、雪山で隔離されていた時間。

 あれだけ話をしたいと思っていたのに、合流後、結局今日までまともに話をしていない気もする。


「アキラが心配か?」


 小声で、窓際に座ったサクが呟いてきた。

 “アキラ”。

 その名前を密集している場所で出すことは最早リスクだ。

 そのあたりの気遣いができそうにないティアが、人を愛称で呼ぶ信条だかなんだかよく分からないものを持っていることが今はありがたくもある。


「ええ、そうね。心配」

「……やけにあっさりしているな」

「魔導士たちに失礼な態度取ってないか、ってね。まあ、どうせどうでもいい雑談してました、とかでしょうけど」

「私たちは共通見解を持っているようだ」

「む」


 思わず口を付いて出た。

 サクは苦笑している。

 面白くなくて、エリーは視線を他の乗客たちに向けた。

 ばらばらと座っている旅の魔術師たちは、ティアの声には慣れたのかこちらに視線を向けようともしない。


「あと、3属性、か」


 エリーの視線を誤解したのか、サクが呟いた。

 だが、その言葉の意味は理解できる。


「とうとうモルオールだ。流石にそろそろ、本腰を入れなければもう1周だぞ」

「ちょっと。あいつみたいなこと言わないで」


 ヒダマリ=アキラ率いるこの面々は、何も目的もなく世界を回っているわけではない。

 魔王を倒すという崇高なる目的のために旅を続けているのだ。

 だがその前段階。

 とあるプロセスを踏む必要がある。

 例外がある手前、絶対ではないのだが、自分たちは特定の仲間を集めなければならないのだ。


 すなわち―――七曜の魔術師。


 それを集めることが、具体的にどういうメリットとなるのかは分からない。

 だが、漠然と、踏む必要のあるプロセスという認識がある。


 だが、アイルークからぐるっと回って辿り着いたモルオール。

 そこまでで仲間となったのは日、火、水、金の4人だけ。

 ひとつの大陸につきひとりずつという都合のいい話にはならなかったのが現状だ。


「サクさん、今までであってきた人の中で、それらしい人いなかった? なんなら戻って勧誘した方がいいまであるわ」

「そうは言ってもな……。残っているのが月、木、土となると」


 そう。

 根本的にまずい問題はそれだった。

 世間一般的に、最も多い魔術師の属性は水曜属性だ。

 時点で金曜属性、そして火曜属性と続く。


 この現状は、言い方は悪いが集まりやすい属性が集まっただけなのだ。

 希少性から言えば、日輪属性、月輪属性、木曜属性、土曜属性の順となる。

 土曜と火曜の間には、分厚い壁がある印象だ。


「とりあえず最難関の……月輪属性のあてはあるんだよな?」

「……あんまりあてあて言い過ぎるのもあれだけど、ね。でも考えると不安になるわ……。あの子、こういうの興味ないかもしれないから」


 月輪属性のあては、エリーの双子の妹だ。

 姉としての贔屓目を完全に取り払っても、月輪属性で世界最強の魔術師だ。

 最近手紙のやり取りはできていないが、今も魔導士として活躍しているだろう。


「……あ、あと。いや、何でもないわ」

「ん? ……ああ、マルドさんか?」

「……え? ああ、そっか、マルドさんか。心強い気はするけど」


 マルド=サダル=ソーグという月輪属性の魔術師を思い出す。

 つい先日、行動を共にしていた男だ。

 だが彼は、恐らく仲間にはならないだろう。


 数度話しただけだが、分かる。

 自分たちと彼は―――“彼ら”は違う。


 そう考えると―――思う。

 マルド=サダル=ソーグは異質としても、他の魔術師たちにも、少なからず同じような違和感を覚えてしまうのだ。

 一応、自分たちは世界を一周している。

 その中には、探している属性を有している者たちもいた。


 だが、本当に、“何となくという理由”で、彼ら彼女らを旅に誘いすらしなかった。

 しきたりの存在がある上、魔王討伐のためというあまりに巨大な大義名分を出せば、逆らうものなどほとんどいないだろう。

 いささか汚い手口だが、自分たちにはそれをしようという発想すら浮かばなかった。


 ふと冷静になってみて、サクとティアに視線を走らせる。

 仮にだが、このふたりが旅を共にすることを拒んだら自分はどう思うだろう。

 仮定の話ではあるが、自分も、そしてあの男も、躍起になって勧誘を続ける姿が容易に想像できた。

 漠然とだが、旅の中で出会ってきた面々と、このふたりは違う。そう感じてしまう。


 そう感じた半面、ふと、思ってしまうこともあるのだが。


「……アキラにあてがあると思うか?」


 ふいに、サクが呟いた。エリーの思考が現実に戻って来る。


 ヒダマリ=アキラ。異世界来訪者の勇者様。

 この世界で、彼が知っていることはあまりに少ない。

 そんなことは分かっているのに、エリーは首を横には振れなかった。


「……分からない」

「……私もそう思う。というより、あてがあっても不思議に思わない、と言った方が正確か」


 エリーも同じことを考えていた。


 面々がこのモルオールで合流して、旅を再開してからだが、一応エリーもこの旅の目的を再度考え直した。

 大きな目標としては魔王の討伐だが、その前に必要なプロセスとして存在する七曜の魔術師の仲間探し。

 世界を一周したとあっては流石にそろそろ本腰を入れる必要があると思っていたのだが、アキラは特に情報収集する様子もなく先に進もうとする。

 あの男から行動の迷いを感じない。

 普段なら怒鳴りつけるところだが、ことこういう事柄に関して彼の行動に追及する気が起きないのだ。


「アイルークから続いている“隠し事”。それに関係してる気がする」


 ぽつりと呟いて、見えるはずもない前の馬車の男に視線を投げた。

 この予想は、きっと正しくて、だから彼は迷わずに前へ進んでいるのだ。


 シリスティアの、あの大樹海で、彼が見せた行動に近いものを強く感じる。

 もしかしたら今、彼に問いかければ答えてくれるかもしれない。


 だが自分はそれをしないだろう。


 だからだろうか。

 離れ離れになってから、あれだけ話をしたいと思っていたのに、結局今日までまともに話ができていないのは。


「ま、そうね。言いたきゃ言ってくれるでしょ」


 暗い思考を、頭を振って追い出した。

 大丈夫だ。今は何も心配ない。それが自分の出した結論だったではないか。

 だから、それがたとえどんなことでも。


 聞いておきたい。


「ふ……。随分信頼しているじゃないか」

「それは―――サクさんもでしょ」


 エリーの言葉に面食らったようにサクは固まっていた。


「そう、だな。それだけ旅をしている」

「……そうじゃない気がしているんだけど。あいつともまともに話してないな、って思ったけど、サクさんともよね」

「……そうか?」


 エリーは頷いた。

 傍目からでも分かる。

 分かってしまうほど、旅をしている。


 彼女のアキラを見る目が、変わっていることは。


 だから、ちゃんと聞いておこう。

 エリーは小さく息を吸って、サクに向き合った。


「ねえサクさん。あいつとふたりで旅をしているときに、何かあったでしょ?」

「え? それってサッキュンがアッキーの従者になったことですか?」


 思わぬところから回答があった。

 エリーは鋭くティアを睨み、そして再度サクに目を丸くして向き合った。


 何ら非は無いティアを強く睨みつけ、当事者と思われるサクに視線を突き刺すことをためらった。

 どうもよくない。長く旅を続けているからと言って、ティアへの態度が雑なものになりつつある。サクはそれだけの信頼を築き上げていると感じるのに対し、ティアからはどうも安心感を覚えられない。ティアだってそれなりに、いや、かなり旅に貢献してきている。それはサクと比べてもそん色ないはずだ。だが、高さは同じでも、サクが真剣に石を積み上げて巨大な塔を建築していると感じるのに対し、ティアは笑いながら子供のおもちゃを積み上げて遊んでいるような不安感を覚える。実際にそんな状況に陥ったら、大丈夫ですよ、昇ってみてください、と自信満々に胸を張るティアに背を向け、自分はサクのもとへ向かうと思う。後ろで、風に吹かれて倒れたガラクタの前で泣きわめくティアが容易に想像できた。


 と、エリーは自分の思考が飛んでいると感じ、再び現実と向き合ったが、どうも自分は頭が悪くなったようだ。

 言葉の意味が分からなかった。

 従者。

 言葉の意味は分かる。

 だが、誰が誰の従者と言ったのか。


「は? ……へ? へ!?」

「いや、まあ、そうだな」


 サクの態度を見るに、どうやらティアの妄言というわけではないらしい。


「まあ、そうだな。いい機会だ。目的地に着くまで、私の家の話をしようか」


 ふ、と笑ったサクに、妙な余裕が見え、エリーは眉を寄せた。

 というか、なんだ。

 サクは安眠を確保するためでもにティアに話したのだろうが、この状況は、つまり。


「あれ? エリにゃんご存じなかったんですか。……え、えっと、あ、あー……。ああ! あっしもよく知らないですよ、実は。ええ!? どういうことですか、サッキュン」

「やめて。いいのよ。たった3人しか知らなかったことだし。……4人旅だけどね」

「ちょちょちょ、どうするんですかサッキュン!! ちゃんと話しておかないから、エリにゃんがひとりぼっちになって、……あ、ちょっと涙目に」

「やめろっつってんでしょ」

「……あ、あっしも涙目得意です。見てください。今、恐怖で涙が出ています」

「……これは私のせい、なんだろうな」


 ティアが騒ぐものだから、流石にほかの乗客たちもこちらの様子をちらちらと伺っている。

 何故こんな辱めを受けなければならないのだろう。

 最早頭が追いつかず、エリーの肩がぷるぷると震え始めてきた。


「よし、そうだな、じゃあこうしよう。私も気恥ずかしくてな。簡単に話すから、あとはアキラに聞いてくれ。エリーさんがアキラと組むといい」


 自分のせいでここまでのことになるとは思っていなかったのだろう。

 慌てたサクは、自分を宥めるつもりなのか、依頼のことを持ち出した。

 それが自分を宥めることになるとサクが思っていることにも憤りを感じたが、言い返す気にもならず、エリーは視線を合わせないまま頷いた。


「うん……。組む。組みたい」

「エリにゃんが素直だーっ!!」


 久しぶりに、人に対して拳が出た。


―――***―――


「……何してんの? あんた」


 馬車が歩みを止めた場所は、周囲をもの寂しげな木々に覆われた湖畔だった。

 所々が凍り付いている半径20メートルほどの湖は、奥の山々から続く川の水のせいか辛うじて凍結しておらず、澄んだ波を立てている。

 川を追えばすぐ目の前に、緩やかな傾斜が始まり、その先にそびえているのが今回調査対象の岩山だ。

 馬車で近づけるのはここまでのようで、この場所をベースとして調査を行うそうだ。

 配布された地図によると、組み分けしたグループの一部は山の中腹まで上ることになるそうだが、この場所からそんな位置までも、魔物対策の力は及ぶらしい。


 ところで。

 この凍りかけている水辺の傍で、この少女はどうしてそこまで冷ややかな目ができるのだろう。


「……いや、な」

「電気という現象の特性についてもう少しお願いします。コンセ……なんでしたっけ、その装置から発生するのですか?」

「どうせ真似できないことより百年戦争の話聞いた方がいいって、な。あ、お疲れさま」


 アキラの肩に手を置いたシルヴィ、シルヴィの方に手を置いたブロウィン。

 そんな電車ごっこで遊んでいるような奇妙な存在たちが馬車から出てくると、人はここまで瞳を冷めさせられるのだろうか。

 確かに自分もそうなる自信がある。


 エリーに気づいたシルヴィもようやくアキラから手を放し、居住まいを正した。


「こほん。そういえば依頼でしたね。私説明の準備をしますので、それまでごゆっくり」


 また後ほど、と馬車へ戻っていくシルヴィから視線を投げられたが、アキラは気づかれないように首を振った。

 エリーのいぶかしげな視線を受けたが、こちらだって望んで絡まれていたわけではない。むしろ馬車が止まったことを好機と見て逃げていたのだ。

 周囲の馬車を見渡しても、他には誰も降りてきていない。

 どうやらエリーはひとりでこの馬車へ来たようだ。


「で、どうしたのよ、あれ」

「元の世界の話をしてみたんだが、随分興味があったらしい。研究者だからかな、原理をめちゃくちゃ聞かれたんだが、無駄だよな。俺にも分からないっていうのにさ!」

「よく知らないけど……、それって威張れそうにないわよね。というか、元の世界の話って、あたしもろくに聞いたことないんだけど」

「元の世界トークする?」

「若干苛立ちを覚える口調だけど……機会があればね。今は依頼でしょ」


 エリーの視線が魔導士のブロウィンに向いているのに気付いたアキラは肩をすくませた。

 シルヴィの頭から依頼の存在が消えたのは、ブロウィンが彼女を焚き付けたからだったりする。


「あれ、馬車で待機のはずですけど」

「あ、すみません、こいつが迷惑かけてないかって思って……」

「いやいや、外は寒いからです。良かったら中へ」

「い、いえ、戻りますんで」


 そう言いながらも、ブロウィンは身動きできなくなったエリーに小さく微笑み、馬車のドアを閉めた。

 外は寒い。望んで立っている者以外にまで、この苦を背負わせることはない。


「ところで、恋人さん?」

「は!? いや、」

「あなたからもお願いできますか。百年戦争の話、聞きたくて」

「いやいやいや、違うんですって。あたしたち、こんやっ……って違って、その、別に、」

「はい?」


 アキラは辟易してふたりの様子を眺めていた。

 本来なら否定すべき誤解なのだろうが、正直馬車の中での質問攻めで会話自体に疲れたのだ。

 エリーが何故か情緒不安定に見える。テンパって何か良くないことを言っている気がするが、今は依頼までゆっくりとしたい。


 周囲の木々からは、アキラが感じられるようになった“魔力の匂い”―――すなわち、魔物の気配が感じられない。

 ヴァイスヴァルの技術の結晶。

 その力はこの危険地帯のモルオールにすら対抗できる。


 この力があの熱気漂う百年戦争のときにあったとしたら、あの戦いですら、何か変わっていたのだろうか。


「……ていうか、あたしも百年戦争の話聞いてない」

「なら、ちょうどいい」


 しまった。

 ふたりから意識を離していた内に、意気投合し始めている。

 このふたりは魔導士と魔術師の卵だというのに、依頼に対する緊張感が無いのだろうか。

 アキラは頭を痛めてふたりに向き合った。


「では、お願いします。百年戦争の話」


 そこで、ブロウィンの眼をまっすぐ見たアキラは、妙な違和感を覚えた。

 この道中、何度か会話をこなしていたからだろうか。

 感覚レベルの話だが、ブロウィンから、妙な気配を感じる。


「……その前に」


 アキラは、思ったままを口にした。


「どうしてそこまで百年戦争に拘るんだ?」


 根拠もない。ただなんとなく感じる。

 だが、このブロウィンが百年戦争の話を求めるとき、彼は何故か、本当に、魔導士に見えるのだ。


「……。興味がある……というのは正直ですが、」


 ブロウィンは、変わらずはっきりとした口調のまま言葉を続けた。


「ミツルギ家現代党首ミツルギ=サイガ。あの男が掴んでいることを、知りたいからです」

「……!」


 確固たる口調だった。

 周囲がより一層静かになった気さえする。


 ミツルギ=サイガ。

 タンガタンザで、共に戦った中でさえ、あの男の存在は掴み切れなかったし、掴もうともしなかった。

 知っているのは、ひとつだけ。

 あの男の行動は、すべてタンガタンザの繁栄へつながっているということだけだ。


「どうして」

「……シルヴィもいないしちょうどいい。他言無用でお願いしますよ。実は私は、世界各地の有力者の調査をしているんです。魔導士の業務の枠外で、魔導士の力を使って」

「それは……、別にいいんじゃないですか? 魔導士なら、情報収集は大切、だと思うし」


 エリーが口を挟む。

 だがブロウィンは首を振った。


「実は、そんな崇高な目的のためじゃないんです。異世界来訪者の勇者様なら感じるんじゃないですか? ……この世界の“違和感”を」


 あくまで小声で、風に消え入りそうな声でブロウィンは呟いた。

 そして、その小さな言葉に、アキラは胸を突かれた気がした。


 この世界の“違和感”。


 アキラは拳を強く握り絞めた。

 まただ。

 旅の道中、またこのモルオールで、この感覚を覚えてしまった。


「異世界の話を聞くたびに思う。何故この世界にはそれが無いのかと。例えば、さっきお話にあった“電気”。それは話を聞く限り、圧倒的な需要があるはずの力だ」

「その代わり、この世界には魔力がある。それが代わりになっているのは何度も見てきたぞ」


 言って、アキラは自分の言葉に説得力がまるでないことに気づいていた。

 そうだ。

 元の世界が言う便利と、この世界が言う便利には、


「決定的に違いますよ。自慢に聞こえるかもしれませんが、魔導士だから分かる。魔力は強いルールで縛られている。だが、電気は違う。属性を問わない動力だ。言わばすべての属性がひとつになっているようなものです」


なんとなく電気というものを誤解しているようだ。

 アキラは漠然と考える。

 電気にも種類があるはずだ。少なくとも、元の世界の国内と国外では電圧が違うと聞いたことがある。周波数というものも存在する。

 その地域で、最も使用しやすいものが広まっているに過ぎないと思う。


 だが、ブロウィンが覚えている違和感には思うところがあった。

 原理が未だにピンと来ていないが、アキラはひとつ、元の世界で有名な言葉を知っている。

 “規格”。

 一般生活を送るにあたって、家庭に用意された穴にコンセントを差し込むだけで、ありとあらゆるものが動く。

 基本的に、それが存在することを前提に電化製品は作られるのだ。


 だがこの世界にはそういうものがない。

 何故なら動力となる魔力というものが一般的には5種類もあり、それぞれ出来ることと出来ないことが大きく分かれているからだ。

 応用力が無さすぎる。


 いや、それを利用する器具の技術が大きく劣っているのだろうか。


 例えば、と考える。


 この世界に、最も多い水曜属性。

 この力を元として、ありとあらゆるものが動くようにすればどうだろうか。

 確かにもっと効率のいい属性の魔力が存在するかもしれないが、それらを動力としての使用から排他すれば、製品の開発者は労力を集中することができるかもしれない。

 だが、この世界はそうしようとはしない。


 そう。問題なのは。


 動力ではない。動力の規格が無いのだ。


「一方で、異世界より優れていると感じる点がある。元の世界では、大陸を渡ると言葉は通じない、というのは本当ですか?」

「……ああ。本当だ」


 一方で、そちらの方は整備が行き届いている。


「ちぐはぐに感じてきたんですよ。今まで疑問に思わなかったことが、何故か。“彼女”と話してから」

「……!」


 アキラは再度拳を握った。

 やはりそうか。

 この世界の“違和感”。 周囲の馬車を見渡しても、他には誰も降りてきていない。

 どうやらエリーはひとりでこの馬車へ来たようだ。

 またもその蓋を最初に触ったのは彼女だったか。


 ちぐはぐに感じる。

 言いえて妙だ。

 この世界には電気がない。だが、恐らく電気の登場よりもずっと後に生まれたものがきっと存在している。

 元の世界から来たアキラでも、ある程度不自由なく暮らせているのもそのためなのだろう。


「ちょっと待ってください。よく分からないですけど、確かに、こいつの世界はなんか凄いのかもしれません。でも、この世界だって進歩していけば、」

「……それが、私が世界を調査している理由です」


 ブロウィンは少しだけ目を鋭くさせた。


「異世界来訪者。話すと感じることがある。魔力はともかくとしても、思考や意識などの能力はほとんど変わらない。それなのに、」

「同じ年月、同じような存在が生活しているっていうのに、進歩の速度が違い過ぎる」


 アキラは目を閉じながら、ブロウィンの言葉を続けた。


 今、この世界は百回目の魔王の恐怖にさらされている。

 99回目の魔王の出現は、太古の出来事だという。


 その膨大な年月の間。

 この世界の住人は、いったい何をやっていた。


「魔物の存在。そういうものも影響しているのかもしれません。だけど、むしろ逆な気もする。外敵が存在すればするほど、技術というものは進歩するはずだ」


 それで、か。

 アキラにはブロウィンが魔導士の枠外で調査を行っている理由が分かってきた。


「魔力の不便さ。外敵の存在。それだけ課題があるのに、この世界はそれに向き合っていない。言語などより幾らでも手を加えるべきところはあるというのに」


 それは、暗に。

 この世界の“管理者”を責めた言葉だった。

 エリーはわざとらしく視線を外している。

 確かに魔導士としては問題発言だろう。


 ブロウィンは首を振って、わざとらしく咳払いをした。

 彼が熱くなってしまったのが自分の属性のせいだと思うと申し訳なくなってくる。


「だから、その改善策を探すために、有力者を探っているのか?」

「……え、いや、まあ、それもある」


 珍しく言い淀んだブロウィンは、すぐに取り繕った。


「そこで、気になったのがミツルギ=サイガなんだ。彼はヴァイスヴァルに負けない技術を保有している。いや、組織立った戦闘においては彼の技術力を超えるものはいない。だが、何故か彼はそれを公表しないんだ。タンガタンザ国内にすら。それが妙に気になる」

「……それは……、そうだな」

「魔族とすら対抗できる技術。つまり―――この世界の基準としてはオーバースペックな力。そこに、うまく言えないですが、何かを感じたんです」


 もう2度と会うこともないし、会おうと思わないだろうと思っていたが、ミツルギ=サイガに問いただしたいことができてきた。

 確かにこの世界に、仮に裏があったとしたら、その答えに1番近いのは現段階ではあの男かもしれない。


「そして、数奇な運命も持ち合わせているようです。エニシ=マキナ、スライク=キース=ガイロード、リンダ=リュース、そして―――ヒダマリ=アキラ。ここ数年ですら、月輪日輪の者と、彼は多く関わっている」


 すらすらと名前が出てきてアキラは面食らった。

 調べているというのは本当のようだ。それも、かなり詳しく。


「不穏な感じがするんですよ、本当に。彼は今、異世界の技術力と最も近いところにいる。つまり、この世界の技術者の終点だ。その先に、何があるのか……」

「……つまり、それは、」


 アキラは何となく、ブロウィンの気にしていることが見えてきた。


 彼の覚えている違和感―――いや、恐怖か。

 彼はきっと、進歩の見えない世界の中で、進歩を使用している存在に何が降りかかるのかを知りたいのだ。


「シルヴィに、この先に何が起こるのか……。それを、知りたいってことですか」

「……まあ、気にはしています」


 あっさりと答えたブロウィンに、アキラは小さく微笑んで、記憶を反芻した。

 話疲れてはいるが、エリーもいるし、丁度いい。

 人づてに聞いた話も混じるが。


 百年戦争の話を、してみようじゃないか。


―――***―――


 ヒダマリ=アキラの人生の中で、中々こういうことは少なかったように感じる。

 それは、例えば大衆の中で、誰かひとりを選ぶとき、十中八九自分に白羽の矢は立たない。

 あれは小学生のときだろうか。

 クラス内で、学級委員長を選ぶとき、誰も立候補せず、結局クラス全員でくじ引きを行ったことがあった。

 アキラは、学級委員長という責任を負う羽目になるのは避けたいと思う反面、もし自分が当たったら何を行っていくだろうかと建設的なことも考え始めた。

 脳内で色々と考えてしまい、期待と不安が半々となったところで、結局自分とは深い親交もない学友に白羽の矢が立つ、という結果に終わる。

 自分は選ばれし者ではない。

 そう感じた。


 それから何度も、特に求めたわけではないが、大多数からの抽出では自分は選ばれない現象を目の当たりにしてきている。


 それがひっくり返ったのは、異世界に訪れてからだ。

 白羽の矢が立ちすぎて、穴だらけになっていそうな自分は、選ばれし者。


 それは、この依頼の権利を勝ち取るという幸運なことだけに留まらず、不運なことにも適用されるようだ。


 先ほど地図で見た、山の中腹まで向かう不運なグループは、自分たちらしい。


「……寒」


 人工的な匂いを感じさせる山道は、緩やかな傾斜で、山を往復するように続いていた。

 徐々に高く、そして奥へ進んでいくこの道から見下ろせば、先ほど自分たちが馬車を下りた湖畔が木々に遮られながらも見える。

 もう少し上れば、遠方にヴァイスヴァルの町も見えていそうだ。

 雲もなく、大気は澄んでいる。視界は良好だ。

 岩山特有の身も凍るような寒さも、山道の傾斜も、先日旅をしたレスハート山脈とは比べものにもならないが、やはり、寒いものは寒い。


 人ふたりが横並びになるのが精一杯のこの狭い道は、ヴァイスヴァル研究所の手の者が定期的に整備しているそうだ。

 こうした岩山には洞穴が点在しており、中の調査は定期的な依頼に任せるとして、とりあえず、人が通りやすいように大岩を砕いたりしているらしい。山の中腹エリアの調査が行えるようになっているのは見えざる彼らの尽力によるところだろう。

 だったら手すりでもつけてくれと言いたくなるところだが、見下ろせば飛び降りられるほどの距離に先ほど通った下の道が見える。

 ある程度の安全性は保障されているとはいえ、それだけこの山を往復しなければならないとなると気が滅入ってくる。

 帰りは、無理を承知で飛び降りてもいいか提案してみよう。


「ほんっとに魔物出ないわね」


 延々と歩いているのに流石の彼女も飽きたのか、背後から語り掛けてきた。


 エリサス=アーティ。

 そして、アキラの前を歩くのはブロウィンとシルヴィ。

 この4人が、山の中腹までこの道を歩く羽目になった不幸な面々だ。


「さっき、馬車で待機してもらっているときに、強い音を出しました。少なくとも日中、魔物は出てこないでしょう」


 答えたのはシルヴィだった。

 魔物が嫌がる匂いだけではなく、音も発生する装置があの馬車には詰め込まれていたらしい。

 あれだけ離れた場所からどれだけの効果があるのかは分からないが、シルヴィの様子を見るに、相当自信があるようだ。

 彼女は特に警戒した様子もなく、ブロウィンとの会話に戻っていった。

 対してブロウィンはシルヴィと会話をしながらも、周囲を警戒しているように見えた。

 あれが魔導士としての在り方なのだろう。

 確かに彼は、シルヴィの技術力に対して微塵にも慢心していないようだった。


 あるいは。

 モルオールの魔物に対する警戒心が勝っているのか。


「ねえ、さっきの話」


 今度は小声で、エリーが囁いてきた。

 アキラはさりげなく歩を緩め、前のふたりから距離を取った。


「なんだよ。百年戦争なら話しただろ」

「ええ。サクさんのこととか言いたいことも色々あったんだけど」

「随分余裕だな。いいのか? 魔導士と一緒の依頼中だぜ?」

「む。警戒してるわよ。あんたといて、まともに過ごせたのなんて指で数えられる程度じゃない」


 それは酷い。一応2桁には達しているはずだ。

 ただ少なくとも今回、山の中腹まで歩く羽目になったのはアキラの数奇な運命のめぐりあわせかもしれないので、何も言い返せなかった。

 彼女も彼女で、自分がどういう存在なのか確信レベルで認識しているらしい。最早メタだ。

 何も起こらなければいいが。


「まあ今はいいわ。それより、ブロウィンさんの話よ」


 エリーは特になんてことでもないように話を区切る。

 アキラはさらに歩を緩めた。

 ブロウィンにとって、シルヴィには聞かせたくない話だろう。

 自分の行く末が不穏だなどと、シルヴィだって思いたくは無いはずだ。

 もしかしたらルーティフォン家が保護したという異世界人とシルヴィを引き合わせないのは、彼の思惑があるのかもしれない。


「ほとんど分からなかったんだけど、結局この世界がおかしい、ってことよね」

「どうしたそのまとめ方。お前はもっと頭のいい子だったはずだ。まさかティアと一緒にいたから……!」

「怒鳴りつけたい。けど、ティアと一緒にいてそう感じたことが事実あったから、否定できない」


 エリーは、ぽすぽすとアキラの背を叩きながらやり場のない憤りを逃がし、再度呟いた。


「そうじゃなくて。ええっと、そうね。あんたは? あんたはどう思うの? この世界」

「進歩の話か?」


 ふむ。

 とアキラは考える。

 確かに、この世界は何かがおかしい。

 そう感じたことは何度かあった。

 だが、その陰りに手を入れて、あまりに重い代償を払うことになったアキラには、それを探ることが正しいのかは分からなかった。


「確かに、おかしいよ。というか、さっきの話で改めてそう感じさせられた」


 アキラはそれだけを返した。

 この異世界。

 自分は勇者で、すべてのことが上手くいく。


 ご都合主義に彩られた世界。


 いいとこ取りをした―――世界。


 だがその“いいこと”は、果たしてどこから現れたのか。

 裏を返せば、それは、歪な世界だ。


「一応」


 思い返すのも吐き気がするが、アキラは思い返す。


「俺は、この世界でも“電気”と思われるものを見た。というか、それを前提に動いたような機器を見た。あの野郎の研究所とやらでな」

「……ぅ」


 エリーにとっても苦い思い出だ。

 だが、ここまで考察したんだ。

 先に進んでしまおう。


「ガバイド。あの魔族。あいつが言っていたんだ。あいつは多分、“その場所”から、その技術を手に入れたんだ」

「“世界のもうひとつ”。あたしも、なんとなく聞いてたわ」


 その場所。その領域か。


 異世界を含めて、すべての世界に共通して存在するそれは、“すべての世界の情報”を保持しているらしい。


 あの場所で、電気を見たとき、アキラはどうしようもない焦燥感と、恐怖を覚えた。

 すべての前提が覆り、自分の見ていたものがどす黒く染まり、足元が音もなく崩れていくような―――絶望感。

 あの場所では、本当に、ろくなことが無かった。


「それもあって、俺は確かに、おかしいと強く感じ始めている。うまく説明できないけど」

「それは……しょうがないと思う。それに、あんたに無理なら、あたしたちは無理よ」

「どうしたよ。知識面で俺に頼ったらこの旅は終わるぞ」

「そうじゃなくて。あたしはね、この世界がおかしいって感じないのよ。それが普通だから」


 エリーの言わんとすることが、なんとなく分かった。


「完全に推測だけどね。あたしたちは、比較対象がないの。おかしいって感じるのは、異世界が存在するからでしょ。あたしたちと同じような思考の人たちがいて、より優れた文明を築いているから、この世界の進歩は、“それと比較しておかしい”、ってことなんでしょ」


 この世界の住人にとっては空想話のようなことなのに、よくついて来られる。

 確かにエリーの言う通りだ。

 この世界がおかしいと感じられるのは、異世界という比較対象を知っている、もしくは、その匂いを感じ取れるものだけだ。


「その点、ブロウィンさんは凄い、のかな。あたしは異世界、って聞いてもピンと来ないのに、あんなに考えてて」

「……異世界人に会ったからだろ」

「あれ? おかしいな。ねえねえ聞いて。あたし、実は異世界人知ってるんだけど。なんにも分かんない。なんでだろう」

「俺より優秀な異世界人なんだよ。悪かったな」


 わざとらしいエリーの口調に、アキラは何となくむっとして、口を滑らせた。

 エリーは見逃さず、アキラの横に身体を割り込ませてきた。


「やっぱり。さっきブロウィンさんが言っていた“彼女”って……。ああ、もう。単刀直入に訊くわ。答えたくなかったらそれでいい。それ、知っている人?」

「……ああ。知ってるよ」


 下手にごまかさず、アキラは投げやりに答えた。どうにでもなれ。


 答えが返ってくるとは思ってなかったのだろう。

 エリーの瞳が少し大きくなり、そして、ゆっくりと前を見た。


「……なんかごめん」

「謝んな。いいよ、これくらい」


 アキラは拳を強く握った。

 彼女に当たっても意味は無い。

 やっぱり駄目だ。

 先ほど馬車でも感じた痛みが頭を、胸を襲う。


 “彼女”のことを考えると、いや、“彼女に関してのことで自分の考えが当たっていたとすると”、自分は普通でいられない。


「会おう。その人と」

「……は?」


 エリーは何も聞かないで、そんなことを言い出した。

 アキラがあっけにとられていると、エリーは小さく笑っていた。


「多分なんだけどさ。会った方がいいんでしょ?」


 要領を得ない彼女の言葉。

 彼女は自分の顔を見て、どう考えたのか、そう結論付けたようだ。


 だがそれは、結局のところ、自分自身が出す結論であったと感じる。


 なんとなく、胸に温かみを感じ。

 アキラは大分離された前のふたりを追って速度を上げた。


 そうだ。

 まずは会わなければ何も始まらない。


 そして、自分は。


「そろそろ着きますよ。準備はいいですか?」


 ブロウィンに軽く手を振り、アキラは気を引き締めた。


 まずは依頼。

 頭を切り替える前に、アキラは心に強く想いを押し込んだ。


 そして、自分は。


 きっと彼女に、謝らなければならないのだから。


―――***―――


「ふうー、ふうー、ふうー」

「随分気合が入っているな」

「もちろんです。宝探しですよ!」


 彼女の意識が高すぎて見えない。糸の切れた凧のようだ。


 山の麓にほど近い洞穴。

 サクはティアと共にいくつ目かの探索を行っていた。

 共に探索を行っている研究者と妙齢の魔導士はどうやらこの依頼に頻繁に参加している

顔見知りのようで、軽口を叩き合っている。

 最も、魔導士の方は鋭く切れるような気配で周囲を探りつつのようだが。


 ピリピリとしている。いい意味でだ。

 魔物が一切出現していないにも関わらず、あの熱気漂う戦場のような空気を感じる。

 これが、魔導士。それも、危険地域の魔導士の空気か。


 珍しく取り残されているように感じた。

 何度スカを引いても意識を途切れさせないティアと、魔導士。

 自分は随分と弛んでしまったようだ。


 手に持ったマジックアイテムで前を照らす。

 今までの洞穴と違いある程度は深いようだが、魔物の巣にしか見えない。

 前方で珍しい形の石を拾ったらしく、目を輝かせているティアに向かって灯りを投げ付けたくなったこと以外何もなく、すぐに次の洞穴に向かうことになるだろう。

 このペースだと、このグループが一番早く探索を終えそうだった。


「……それにしてもすごいな。魔物の巣なのに。魔物が出ない」

「ええ。それはもう」


 結局スカだった洞穴を抜け、次のエリアへ足を運ぶ道中、サクは研究者たちの会話に混ざることにした。

 『何かの形に似ている気がするんですけどいったい何の形なんでしょう、この石』ゲームに参加しているよりはいささか建設的な話が聞けるだろう。


「確かに効果は目を見張るものがある。もっとも、警戒はしなければならないがな」


 調子に乗っては困ると飄々とした研究者を戒めたのは、眼鏡をかけた声も貫録のある魔導士だった。

 彼の言葉が魔導士としての立場の言葉なのか本心なのかは分からないが、少なくとも、魔導士としてもヴァイスヴァルの技術力は認めているようだ。


「何か見つかればいいですがね。私も長いこと調査してますが、手に入れられたことは実は無いんですよ」

「そうなのか?」

「まあ、もっともこの依頼、日ごろ研究所に閉じこもってばかりの我々の気分転換も兼ねているようですし。ほら、あのシルヴィも自分で探索に出てるくらいです。……ああ、もちろん見つかれば値千金ですが」


 目の前の魔導士への建前か、研究者は最後早口でまくし立てた。

 シルヴィとは、アキラたちのグループの研究者。

 この依頼の説明をしたのも彼女だ。彼女はある程度地位のある人間なのだろう。


 だが、どうやらこの依頼。ティアのやる気には申し訳ないが、本当に“おいしい”依頼のようだ。

 見つかることが無い宝を、依頼者も、旅の魔術師たちも期待せずに探すだけ。

 誰からも非難されず、依頼の成果も必要とせず、ただ依頼料が支払われる。

 あのアキラが引き当てたとあって、少しは警戒していたのだが、どうやら杞憂に終わりそうだ。


「ああ、でも何年か前、惜しかったことがありました」

「ん?」


 研究者が手を叩き、ちらりと魔導士の様子を伺った。

 すると魔導士は僅かばかり顔を歪める。どうやらその何年か前とやらの話に、この魔導士もかかわっているようだ。


「あの事を言っているのなら、惜しかった、ではない。結局何も見つからなかった、だ」

「何かあったのか?」


 すると研究者は肩をすくめた。


「いや、実は調査しようとしていた場所で、山崩れがあって。魔物が暴れたのでしょう。結局そのときの依頼は崩れ落ちてきた岩の撤去で終わってしまいました」

「どうせあそこにも何もない。地盤が緩かったのだろう。今も閉鎖されている」


 魔導士はぴしゃりと研究者に言い切った。

 慣れた仲だからか研究者は笑いながら魔導士に悪態をつけ始める。


 きな臭い。


 ふと、そんなことを感じた。

 この調査依頼。“何か”が起こったことがある。それがどうしようもなく、警鐘を鳴らす。

 非現実的な予感だが、それが現実のものとして降りかかる光景を、サクは今まで何度も見てきた。


「ありました!! 行きますよ!! ファイヤー!!」


 新たな洞穴に息巻くティアを無視し、サクは思わず山の中腹へ視線を向けた。


 雲が出ていた。


―――***―――


 ぞくり。


 それを見たとき、アキラは何故か、身震いした。


「つ……次は、……あそこ、……ですね……」


 山の中腹の調査が始まってからようやく3つ目の洞穴が見えてきた。

 体力に乏しいのか息も絶え絶えのシルヴィに、疲労を微塵にも感じさせないブロウィンが手を貸しながら、このグループの調査は続いていた。


 最初の洞穴は、最早ただの窪みだった。

 灯りをつけたらすぐに壁が見えたほどで、アキラの属性について道中の話題になった程度だった。

 ふたつ目の洞穴は、明らかに見て分かるほどの魔物の巣だった。

 魔物こそいなかったが生活臭が強く、調査もそこそこに、この山にも『伝説の童歌』の替え歌があるのだという雑談に切り替わった。


 そしてこの3つ目。

 一歩も踏み入れていないこの洞穴から、端的に。


 アキラは嫌な予感を感じ取った。


「警戒してくれ」

「ん」


 小声で言っただけの、訳の分からない言葉。

 それを即座に拾った隣の少女は頷いた。


 即座に察してくれることは素直にありがたかったが、アキラは心の中で、違う、と思った。

 あまりに感覚的なことなので言葉にすることはできないが、今までの悪寒とは“種類が違う”。


 今までの悪寒は、歩みを進めた先に存在する脅威が温床だった。

 強大な敵、あるいは、非現実的な事象。

 しかしそれは、どれほど異常なことだとしても、所詮は自分が進む道の延長線上にあるものだ。

 結局アキラは歩みを止めることは無かった。


 だが今回は、違う。

 血で血を洗う戦場に足を踏み入れるようなあからさまに感じる危機感とは違い、無味無臭の毒薬が周囲に充満しているような、恐怖。


 アキラは今、心の底から、あの洞穴に近づきたくなかった。


「……行くんでしょ」


 エリーは慎重に歩を進める。

 彼女には察せない。

 引き留めようとしても、口も身体も上手く動かなかった。


 楔のようなものを撃ち込まれた気分だ。

 あの場所に近づいたら、自分は自分でいられなくなる。


 断言してもいい。

 あの洞穴は、自分の物語には関係の無いものだ。


「では、まず私が入りますので背後をお願いします」


 先ほどまでの手順の通り、ブロウィンが先陣を切る。

 灯りを灯し、慎重に洞穴に向かって足を進める。


 だが。


 アキラはその肩を、力強く掴んで止めた。


「っ―――」


 ほぼ反射だったのだろう。

 ブロウィンは即座に振り返り、鋭い睨みをアキラに向けてきた。

 しかしアキラに気づくと、ほっとした表情で握った拳を開く。

 彼の反射神経が鈍かったら、アキラは魔導士の魔術を間近で浴びせられていただろう。


「っと、どうしました?」

「……今度は俺が先に入る」


 何か言おうとしたブロウィンは、アキラの顔を見て、口を閉じた。

 そして静かに頷く。


 今自分はどんな表情を浮かべているかアキラには分からなかった。

 だが、そんなことはどうでもいい。


 そして睨む。

 目の前の洞穴を。

 人ひとりしか通れそうにない入口の奥には暗闇が充満している。

 気配なのか、匂いなのか、なんだか分からない悪寒、いや、嫌悪感かもしれないが、醜悪な予感は変わらずある。

 だが、いや、だからこそ、自分が行く必要があるのだろう。


「後ろ頼む」


 アキラは気配を振り払うように、ブロウィンを真似て洞穴に足を進めた。

 背後はいつしか静まり返っている。

 妙な緊張感が汗となって頬を伝う。


 自分で行くと言ったばかりなのに、アキラはすでにこの場から消え去りたかった。

 取り越し苦労ならそれでもいい。

 ちょっとした恥で済むなら大歓迎だ。


 アキラはごくりと喉を鳴らし、洞穴に足を踏み入れた。


「…………」


 今のところ、何も起きない。


 自分の手のひらが照らす先は、細い道のようになっていた。

 天井は手を伸ばせば触れそうなほど低く、ごつごつとした岩がむき出しになった曲がりくねった道で、奥は相変わらず見えない。

 しかし、思う。

 この“通路”には、妙な清潔感がある。

 どう見ても、人工物には見えなかった。

 アキラは更に一歩踏み出す。


 そこで。


「ち―――」


 ゴッ、と入り口付近の岩が“動いた”。

 崩れたのではない。

 入り口付近で突起していた“丁度入り口を塞ぐほどの巨大な”岩が、壁から剥がれるように転がったのだ。


 急速に奪われる外の光。

 だがアキラは冷静だった。

 手があるわけではない。

 “どうせこういうことになるだろうから自分が入ったのだ”。


 アキラはそれでも抵抗を試みようと、即座に振り返り地を蹴った。

 しかし時すでに遅く、アキラの手のひらが照らす巨大な岩は、まるで最初からそこにあったかのように、入り口をぴたりと塞ぐ。

 外の世界とこの暗闇は完全に二分されていた。


「……はあ」


 これは自分の数奇な運命が引き寄せた結果だろうか。

 そうだとするなら、決して良い状況ではないが、不幸中の幸いだ。

 これで他の者が巻き込まれていたと思うとぞっとする。


 だが。


「……って、…………は?」

「あっぶな……、挟まれると思った……」


 アキラの手のひらは、入り口を塞いだ大岩と同時に、赤毛の少女を照らしていた。


 エリサス=アーティ。


 彼女は何故、こちら側にいるのだろう。


―――***―――


 何かが起こったことは間違いない。


「サッキュン……、あっし、とっても悲しいです。悔しくて……悔しくて……」


 自らの担当範囲の調査を終え、湖畔で待機していたサクはティアを、話を聞き流しながら宥めていた。

 彼女ほどこの調査依頼の目的を強く求めていた者はいないであろうし、実際サク自身も、無いとは思いながらも“お宝”に少なからず期待していたようで、何の成果も上げられずにこの場に戻ってきたことは不本意ではある。

 ゆえにティアの気持ちも分かるのだが、下手に相槌を打つと何を思いつくか分かったものではないので、返事もそこそこに、サクは山の様子を眺めていた。


 ひときわ巨大な岩山がずん、とそびえ立ち、それに従うように山々が奥へ奥へと連なっている。

 到着したとき、こうして眺めていたときにも思ったが、自然の中なのに、まるでこの湖畔が山に包囲されているような閉塞感を覚える。

 そして不気味だ。

 先ほどから出始めた雲が、山々に影を落とし、それがあまりに急速に広まっていく。

 山の天気は変わりやすいとは聞くが、それはこういう風に、空模様が激変していくことではないような気がする。

 アキラは無事だろうか。


「……!」


 ぽつぽつと戻ってきた旅の魔術師たちを眺めていたサクは、妙な動きをしている魔導士たちを見逃さなかった。

 速足で馬車の前に入ったと思えば、即座に馬車から出てきて、今度はゆっくりと、さりげなく山へ向かっていく。

 遅れてふたり。

 先ほどの男よりも僅かばかり早く山へ向かって歩いていく。

 そのうちのひとりは、自分たちの班の担当だった魔導士だ。

 依頼を終えた旅の魔術師たちは気づかない。いや、魔導士たちが気づかれないようにしている。無用な混乱を避けるためだろう。

 あとは待機するのみであった魔導士も向かったとなると山で何かがあったことは間違いなかった。


「サッキュン、あの」

「……ああ。大人しくしていろ」


 ティアも気づいたのか眉を寄せている。

 サクは魔導士たちに倣ってさりげなく馬車へ向かった。

 妙な汗が出てくる。


 サクは馬車の窓から見えぬように身を屈めると、ピタリと身体を馬車に張り付けた。

 傍目からは背を預けて休んでいるようにしか見えないはずだ。


「―――」

「―――、―――」


 中の音が辛うじて拾えた。


 細かくは聞こえないが、単語は拾える。

 サクは神経を集中させて、話を聞いた。そして、山を睨む。


 そこで。


「だから、君も下手に動かないで欲しい。いや、動くな。二次災害をまずは防がなければならない。これは魔導士としての発言だ」

「!」


 音が急にクリアになった。

 見上げれば窓から魔導士の男が額に汗を浮かべながらサクをまっすぐと見据えていた。


 話を聞くことに集中し過ぎて気づかれたようだ。

 あるいは魔導士は、その前から気づいていたのかもしれない。


 サクは、あくまでゆっくりと馬車に乗り込んだ。

 中では山を切り取った地図を囲った魔導士が数人。神妙な面持ちでサクを見返していた。

 もっと多くの人数が入っていたと記憶していたが、他の者は気づかぬうちに馬車から出て行ったようだ。


 サクは、馬車の扉を閉め、魔導士たちと同じ焦りの表情を浮かべて訊いた。


「アキラが遭難したというのは本当か」


 魔導士たちの答えは、サクの聞いた通りのものだった。


―――***―――


「言いたいことがある」

「あたしもあるわ。先でいい?」


 洞穴の入り口―――アキラがいる側からは出口にあたるそこを塞いだ岩山の前。

 とりあえず外と連絡を取ろうと一通り大声を出したあと、ふたりは音も光も遮断されていると結論付けた。

 やろうと思えば砕けるであろうが、岩山の中にいるとなると、下手に刺激すれば洞穴ごと潰れかねない。

 結局大人しく待っていようと座り込んだアキラは、同じく座り込んだエリーに話を切り出したのだが、待ったがかかった。


「いや、俺が先だ。お前ここで何してんだよ」

「あたし? そうね、遭難中。次あたしでいい?」


 まともに答えてもらえなかったのに、アキラのターンは終わるらしい。

 エリーはにっこりと笑っていたが、オレンジとスカーレットの灯りに照らされる彼女の顔に、妙な恐怖をアキラは覚えた。


「……怒ってるよな?」

「ええ。返答次第だけど」


 あっさりと認めてエリーはアキラをまっすぐ見据えてくる。

 返答次第。

 とても普通の言葉ではあるのだが、この言葉が使われるときは碌なことが無い気がする。


「あんた。こうなることが分かってここに入った?」


 分かるわけがない。

 自分が一歩入っただけで洞穴が塞がれるなどとは。


 だが、その返答は正しくないということをアキラは分かっていた。

 エリーもそういう、“現実的な目線”での思考を飛ばした質問をしているのだ。

 自分の質問はまともに答えてもらえなかったのに、自分は何と真摯に相手の質問の意図を探ろうとしているのだろう。

 いささか不公平な気もしたが、アキラはとりあえず、正直に回答した。


「……近いことは起こると思っていた」


 返答次第で彼女は怒り出すらしいが、どうやら怒りの方を引いたらしい。

 彼女の手のひらのスカーレットの灯りがカッと強くなる。


「分かってて入ったの?」

「じゃあどうしろってんだよ。危ないからって人が入るのを呑気に眺めてろってか?」


 エリーから感じる怒りの感情を押し返すようにアキラは声を張り上げた。

 そんなことを言うならば自分だって怒っている。

 あのままならばきっと、ブロウィンがこの場所に閉じ込められていた。

 結果論ではあるが、アキラが警戒していたことは正しかったのだ。

 それの何に文句があるというのか。


「そうね。どうすればいいかなんて分からないわ。じゃあ……そうね。あたしが何に怒っているかも分からないでしょ。“そういう発想”じゃ」

「あのな……。てか、お前こそだよ。何してんだ。どうしてここにいる?」

「あんたが警戒しろって言ったんでしょ? その結果よ。岩山が揺れたから飛び込んだの」

「おまっ……、ほんっとに何してんだ……」

「“安全な方に飛び込んだの”。どうにかなるんでしょ?」

「……まあ、何とかなるとは思うけど」

「そういうところよ。ばーか」

「は!?」


 エリーはぷいと視線を外し、立ち上がった。

 先ほど試したばかりなのに、ピクリともしない岩を押し開けようとしている。


「なあ、何に怒ってんだよ」

「言わない。絶対言わない」


 エリーは岩を無駄に押すことに飽きたのか、スカーレットの灯りを強め、洞穴の奥を照らした。


「それより、どうする?」

「……奥か」


 エリーの機嫌の悪さは諦めよう。

 こういうときのセオリーは、どう考えてもその場所から動かないことだろう。

 だが、岩は動かず、砕くこともできず、外の音も聞こえない。

 そうなると、どうしても奥に続く道が脳裏にちらついてしまう。


 アキラは、相変わらず奥へ進むことの嫌悪感を覚えている。

 だが、このままじっとしていることにも耐えられそうにない。


「……お前はここで、」

「じゃあ先頭よろしく」


 アキラが定めたプランは、言い終わる前に潰された。

 ふてくされた表情でアキラがエリーを睨むと、より強いジト目で睨み返された。

 どうも彼女の様子がおかしい。


 いや。とアキラは思い返す。

 そういえば、あの煉獄で離れ離れになったあと、彼女とまともに話していない。何らかの変化があったのだろうか。


 もうどうにでもなれとアキラは歩き出した。

 覚えているのは嫌悪感。例えば魔族に出遭ったときのような途方もない危機感を覚えているわけではないのだ。

 何とかなるだろう。


 そう。

 この先に待っているのは、危機ではない―――気がする。


「あのさ」

「……ん?」


 ほとんど一本道だ。

 背後の彼女の表情は見えない。

 ぴたりと背後に付かれている。まるで見張られているかのように。


「どうして百年戦争に参加したの?」

「さっきの話の続きか?」

「まあね」

「さっきも言ったろ。百年戦争の参加者に、ちょっと縁があってな」

「理由はそれだけ?」

「まあ……そうだな。あと、サクも関係してた」

「……そう」


 ごつごつとした細い道。

 生物の気配がまるでしない。

 ここはいったい何なのだろう。


「なんだよ。それがどうかしたのか?」

「あんたさ。それだけで参加しちゃうの?」

「それだけって……、何言ってんだ。サクもいたんだぞ?」

「じゃあ……、そうね。サクさんがいなかったら? そうしたら、どうだったの?」


 意味のない仮定の質問だ。

 だが、なんの代わり映えもない道が続く。

 まともに考えてみようか。


「……参加、してただろうな」


 思ったよりも早く、結論を出した自分に驚いた。

 それは、状況に流されやすい自分を推測してのものか、あるいは。


「“勇者様”、だから?」

「……かもな」


 しばらく、お互い無言になった。

 アキラは考える。

 自分はこんな人間だったろうか。

 自分は、危険と思ったら、迷わず逃げ出す存在だった。

 選ばれし者ではない自分は、挑む存在ではなかったはずだ。


 それなのに。

 今は何故、こんなにも、挑み続けようとする自分がいるのだろう。


「あのさ、こんなこと言うのもなんだけどさ」

「……なんだよ」


 なんとなく、エリーの感情が伝わってきた気がする。

 そして、今になって、サクの言葉も思い出してきた。

 あの、百年戦争に参加を決意したあの場所で。

 その直前、彼女はアキラにこう言った。


 “日輪属性の呪い”。

 関係の無いことにまで首を突っ込んでいたら、魔王を討つ前に、その首は―――


「そういうの、なんか嫌だな」

「そか」


 洞穴は続く。

 もうずいぶんと長い距離歩いてきたようだ。

 下り、昇り、そしてまた下り。

 徐々に下へ向かっているようだ。

 背後から入り口の岩が砕かれる音が聞こえたら、即座に戻れるように注意をしていなければならない。


「正直言っちゃうとさ、あんた、“勇者様”って向いてない、気がする」

「それは俺も常々思ってるよ」


 表情の見えない会話というのは楽なものだ。

 歩きながら話していると、言葉も選ばず思ったことがポンポンと出てくる。

 もしかしたら酸素が薄いのかもしれない。頭がぼうっとする。

 彼女も同じなのだろうか。


「あんたの噂を聞いたときさ、あの修道院で。ぱーっと色々思ったのよ。なんか。凄い人になったなぁって。あたしの弟子が」

「そこ強調していくんだな」

「まーね。……でさ、まあ正直あたしさ、嫉妬したんだと思うんだけど……」

「嫉妬って……」

「結構来たのよ、色々。雪山に閉じ込められてる、っていう閉塞感もあったし。でもさ、それ以上になんか怖くってさ。あんたの周りが、そんな風に持ち上げると、あんた、きっとそれに応えようとする。ううん、応えちゃおうとする。それが悪いこととは言わないんだけどさ」


 彼女の言葉を反芻して考えてみたが、答えは出なかった。

 どうもよくない。本格的に空気が怪しい。

 やはり下手に動き回るべきではなかったのかもしれない。


「でさ、結局何とかなるんでしょ? なんかよく分からないけど、結局何とかなっちゃう。それってさ、嫌なんだ。なんか。危ないのに飛び込んで、ケロッと帰ってくる。それに慣れちゃうの、やだなぁ、って」


 漠然とした言葉に、アキラの思考は追いつかない。

 だが、なんとなく、彼女の意思が伝わってくる。


「“勇者様”でもいいけどさ、あんたはあんたで、いて欲しいって思うんだ」


 その言葉は、なんとなく、耳に残った。


「あーあ、言わないつもりだったのに……。ちょっとまずいかもね、空気。頭がぼうっとする。っていうか、あれ? この話、前もしたっけ?」

「あー、そうかもな」

「そうよね……。前にもおんなじことあった気がするんだけど」

「ええっと……ん、いや違うって、あれは―――」

「しっ」


 思ったままを返答しそうになったアキラの言葉は、エリーに遮られた。

 徐々に思考がクリアになる。

 戻ってきた感覚が、音を拾った。

 あれは、風の音だ。ようやく空気に巡り合えた。


「どこかに穴が開いている」

「そうみたい。この先よね?」


 いつしか通路は広くなっていた。

 数人横並びにはなれそうだ。

 エリーはアキラの隣に並ぶと、こくりと頷く。

 ふたり同時に慎重に進んだ。


 外の空気が入ってきていることには助かったが、それは同時に、モルオールの魔物が出現する可能性もある。

 ここがどこだか分からないが、随分と歩いてきているのだ。ヴァイスヴァルの魔物対策の範囲外の可能性すらある。


 アキラは剣の感触を確かめると、オレンジの灯りをより強く灯し、前を照らした。

 前へ進む。


「ってきゃ!?」


 エリーの大声にびくりとしたが、彼女は眉を寄せて天井を照らしているだけだった。

 見上げたアキラの額に、水滴がぽつりと降ってくる。


「え……、まさか、スライム? とか?」

「……いや、これ、雨、か?」


 耳を凝らすと、風音に交じって雨音が聞こえてくる。

 それも徐々に大きく、激しくなっていく。


「これ、すぐ外に出れそうね」

「そう、だな」


 答えたアキラは、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 外は雨のようだ。

 それも、かなり強い。

 その寒さのせいだと信じたいが、アキラの身体の芯が、凍り付いているようにジン、と痛む。

 足を進めることが、恐ろしく億劫だった。


 この先に―――進みたくない。


 だがせっかく見つけた外への出口。

 歩みを止めるわけにはいかなかった。


「あ、あそこ。なんか広そう」


 やはりこれは通路だった。

 手のひらが照らした先に、極端に開けた空間が見える。

 ここはあそこへ向かう道だったのだろう。


 エリーも口では気楽に言っているものの、そのあまりの不自然さに警戒を怠っていない。

 慎重に慎重に“空間”へ向かう。風音より、雨音とは違う、水の音が強くなってきた。


 間もなく到着というところで、ふたり顔を見合わせ頷くと、鋭く“空間”へ身を滑り込ませた。

 そして。


「なに、これ」


 そこは、洞穴の中の湖だった。寒さのせいか、外の湖とは違い凍り付いている。

 人ひとりが米粒のような巨大な空洞。対面がほとんど見えない。

 “空間”は卵の中身がごっぞりと抜かれたように、高い高い天井は丸みを帯びていた。

 中央いっぱいに底の深い湖があり、その周囲をぐるっと足場が囲っている。

 アキラとエリーが出てきたのは足場の部分で、湖を丁度見下ろせた。足場には、他にもいくつか穴が開いていた。そのうちのいくつかは、外の雨水なのか川なのか分からないが、湖に勢いよく水を注いでいた。

 いずれあの水たちも、湖と一体となって凍り付くのだろう。


「すご……、って、ほら、あれ、光が漏れてる。普通に外に出れそう」


 エリーが指したのは、アキラたちが出てきたように足場に空いた穴だった。

 円周の8分の1ほど先にあるあちらの穴は、薄暗いが光が漏れている。

 壁伝いに進んでいけば、問題なく外には出れそうだ。


 だが。


 アキラは湖を見下ろし続けていた。


「……どうした、の? ってなにあれ?」


 エリーも気づいたようだ。

 湖の中には巨大な影がある。


 生物ではない。

 魔物ではないのだ。ここには危険はないのだから。


 あくまで無機物だ。

 ただそれが、ここには絶対にあってはならないというだけで。


「あれ……家? っていうかお城? なのかな?」


 確かにそれに目が行くだろう。

 巨大な四角い、建物。

 堅牢な要塞にも見えるが、あくまで建物だ。

 この世界ではあまり見ない形だが、作り出せる範疇のものだ。“材質”がどうかは分からないが。

 それよりも、浮かび上がって凍り付いている“棒”。


 “紐”が絡まり、見るも無残な形になっているが、アキラにとって、それが何か特定するのは容易かった。

 そうなると。

 あの四角い建物は、城でも要塞でもない。“住宅”だ。


「……あんた、あれ知ってる?」

「ああ」


 乾いた回答を返した。

 アキラは冷ややかな目で氷の中の建物を見下ろしながら、呟く。


「“マンション”。……まあ、そんなことはどうでもいい。それより、あの棒。あれは―――“電柱”だ」


 この世界は、一体何なのか。そんなことを考えても、何も答えは生まれない。

 だからアキラは、この言葉を血が滲むほど拳を握り締めるだけで、呟けた。


「ここでは、かつて。“電気”を使った大規模な生活が行われていた」


―――***―――


 最早大騒動だった。

 突然の豪雨に待機していた旅の魔術師たちは慌てて馬車に飛び乗り、魔導士たちは騒ぎに乗じて隠しもせずに山とこの湖畔を往復している。


 サクは、そんな魔導士たちの様子を、待機を命じられた馬車の中で眺めていた。

 そろそろこの馬車でも、旅の魔術師たちが早く町へ退避したいと騒ぎ出すだろう。


「アッキーたち、大丈夫でしょうか」

「……問題ないさ」


 サクは爪で窓を叩きながら返した。

 ティアは窓の外を見ながら笑って呟く。


「そうですか? 私は不安です。ものすごく」


 サクはぷいと顔を背け、深々と座り直した。

 視線は、無駄と分かっていながら岩山に向けてしまう。


「悪天候ぐらいでどうこうなるふたりじゃないさ。それにあの魔導士たち。相当手練れだろう」

「たはは。そうですね。サッキュン抜け出そうとしてすぐ気づかれましたしね」


 眉間にしわが寄った。

 確かにそうした事情もあって、サクは今大人しくしている。


「でもですね。そういう話じゃないと思うんですよ。私だっておふたりを信じてます。絶対に無事で戻って来るって思ってます。でも、“そうじゃないんですよ”、こういうことは」


 要領を得ない。

 意味をきき返そうとしたが、止めておいた。


「サッキュンだって分かっていると思います。だから私は、おふたりが戻って来るまで、不安で不安で胸が押し潰されそうになりながら、大人しく待っています」

「……お前は、それでも笑えるんだな」


 サクは、ティアを見て、正直尊敬しそうになった。

 彼女は、微笑みながら、まっすぐに、やはり岩山を見ている。


「サッキュン。あっしから笑顔を奪ったら、一体何が残るっていうんですか?」

「その口を閉じたら改めて考える」


 ティアが拗ねたように見える。

 前に彼女が言っていたのだが、彼女も真剣に怒ることがあるそうだ。そのとき頼んでもいないのに見せてもらった表情は、普段拗ねているときと何ら変わらなかったので、今の彼女の表情の意味が分からない。

 それを彼女に伝えたら、また彼女は拗ねるのだろうか。


「しかし、退屈だな。私ならあの岩山まですぐに行ける。伝言係くらいにはなれるのに。主君の危機に、従者がのんびりしているのもな」

「アッキーだって分かってくれますよ。色々と」


 色々と。

 それは、自分の、自分たちの感情だろうか。

 彼はそうしたことに敏くないが、今はどうだろう。


 サクは再び、空模様を眺めた。


―――***―――


「じゃ、じゃあこれ、世紀の大発見じゃない」

「そうかもな」


 湖の中を食い入るように見つめながら、アキラは必死に平静を装っていた。


 これは―――なんだ。


 ガバイドの研究所で見た電気とは違う。

 今、眼下で凍り付いている存在は、明らかに“生活”の痕跡だ。


 先ほどのブロウィンの話。

 彼はこの世界に“電気”が無いことが不自然だと言っていた。

 そしてアキラは思った。“規格”が無いのが不自然だと。


 だが今目の前にあるそれは、その両方。広範囲に“電気”を届ける“電柱と電線”だ。

 あれがある以上、目の前の巨大なマンションもその恩恵に預かっている一旦に過ぎない。

 もしかしたら湖の底はずっと深く、そこに巨大都市が沈んでいるのかもしれなかった。


 だが―――何故。


 これだけの都市が、これだけの進歩が、何故この世界の生活に痕跡すら残していないのか。


 記憶を掘り返す。


 サクの話。

 魔族―――アグリナオルス=ノアと直接遭った彼女は、その魔族から“歴史のリセット”という言葉を聞いたらしい。


 いかような進歩も、アグリナオルスが削除する、と。


 今目の前にあるこれは、アグリナオルスに“リセット”された“歴史”なのだろうか。


 胸が痛まる。鼓動が不規則になる。

 本当にそれだけか。

 それだけで、ここまでの発展がこれほど無残になるというのか。


 アグリナオルスの力はアキラもよく知っている。

 だが、本当にそれだけ、なのだろうか。


 分からない。


「それで、どうしよっか?」


 それはこっちが聞きたかった。

 彼女の言う通り、これは世紀の大発見だ。


 この光景を代替的に公表すれば、人々の生活が進化するだろう。

 自分は、この世界に、とてつもないほどの貢献ができる。


 だが。

 そうしたいと―――思わない。


「……とにかく、外に出て……、伝えよう。このことを」


 まったく違う言葉が口から出てきた。

 アキラは戸惑い、それでも訂正せずに出口を睨む。

 弱い光が漏れている。

 何とか外には出られそうだ。


「あのさ……、えっと」

「なんだよ」

「……そうね。このことは、あんたに任せる。うん。そうする」


 任せる。

 そう言われて、何故か少しだけ気が楽になった。

 ともあれ、今は脱出だ。


 遭難してから大分時間が経っている。

 とにかく外に出よう。早く、早く。


 拍子抜けするほどあっけなく、外への出口が見えた。

 どうやら外は茂みに覆われているだけのようだ。


 外の雨音は、まるで何かの怒りに触れたかのように激しく荒ぶっている。


 傾斜のある、這って進むような細い道を、泥だらけになりながら抜けていく。

 エリーは問題なくついてきているようだが、先行したアキラの方は外から川のように降り注ぐ雨を顔面に浴びながら進む。

 好きなタイミングで呼吸ができない。

 目がまともに開けられない。

 強い苔の匂いがする。

 全身が凍り付きそうだ。


 それでも前へ前へと進んでいく。


 アキラは、自分が何のために進んでいるのか分からなくなってきた。

 外へ出たいのか、逃げたいのか。


 そしてふと、頭に浮かんだ。


 この世界の技術力の終点。

 そこに何があるのか。

 その未知を―――ブロウィンは恐怖と捉えていた。


「ぷっ、は、はっ、はっ、はっ、」


 泥だらけになって這い出たそこは、森の中だった。やはり茂みに覆われた藪の中が出口になっていたようだ。

 空気が薄くない。

 どうやら山の麓まで降りてきていたようだ。


「って、ぶっ、んーーーっ!!」

「掴まれ!!」


 アキラが抜けたせいで、雨はエリーを襲っていた。

 アキラは手を突っ込んでエリーの腕を捕まえると、力強く引き上げた。

 お互い泥だらけになりながら、座り込んで肩で息をした。


 空は。

 先ほどまでの天気が嘘のように、どす黒く染まっていた。


 まるで、脅されているように、アキラは感じた。


「は、は、はあ……、って、ここどこ?」

「俺が知るかよ……、あ、知ってた。あそこ、さっきの湖畔じゃないか?」

「え……? あー、そうね。そうかも」


 疲弊やらなにやらで、ふたりは他人事のように眺めた。

 木々の合間に、辛うじて馬車が見える。


 相当な長い距離、自分たちは遭難場所から動いていたようだ。


「とにかく、助かった。行こう。今頃俺たち探し回って岩山で大捜索でもしてんじゃないか?」

「そうね、そうね……」


 ふらふらと立ち上がって、ふたりは歩き出した。


 水を吸った衣服と身体は鉄のように重い。


「なんとか、なったな」

「ええ、でも、あんたと……いると、……ね」

「なんだよ」

「疲れる、って言ったの」

「そう……かよ」


 勝手に飛び込んできたというのに酷い言い草だ。

 だが、良かった。

 また無事に、戻って来られた。


 この幸運は、いや運命は、あと何度残っているのだろう。

 今回のことは、アキラを取り巻く“ご都合主義”の一部なのだろうか。


 疲弊した頭では、それより先の答えは出なかった。


「……!」


 誰かがこちらに気づいた。

 ぼやけた視界では判断がつかないが、どうやら魔導士のようだ。


 こちらに駆け寄ってきて、ようやくそれがブロウィンだと気づいた。


「なんで、なんでここに!?」


 彼の差し出した毛布を即座に身にまとい、アキラは身体の震えを抑えた。

 何故ここにいるのか。

 そんなことは、もう分からない。

 “勇者様”として振る舞いたいところだったが、そんな余裕はアキラにはなかった。


「―――!!」


 遠くから、赤い衣が近づいてくるのも見えた。

 サクだ。

 後ろには、ティアもいる。

 ふたりとも、雨を気にせず駆け寄ってきてくれていた。


 今までこの程度のこと、いや、この程度では済まない地獄を駆け抜けてきたというのに、随分と必死で。

 だが、逆の立場なら、やはり自分もそうしただろう。

 彼女たちを信用していないのではなく、彼女たちとはそれだけの数共にいて、旅を、してきている。


 そこで、ふと。

 アキラは思った。


 エリーが、怒っていた理由。


 彼女は、彼女たちは、もしかしたら、自分を心配してくれたのだろうか。

 危険を―――“刻”を呼び込んでしまい、それに、何とかなると軽はずみな気持ちで飛び込んでしまう自分を。


 結果としてどうにかなるかという視点ではない。

 何とかなるとは信じている。

 だが、どうしても、それを手放しで見てはいられない。


 そういう感情だ。

 だから自分も、エリーが飛び込んできたとき、怒りを覚えた。

 結局自分もエリーも、同じ理由で怒っていたのかもしれない。


 もし彼女たちが、自分は“勇者様御一行”の一員だからという理由で、危険な真似をしたらどう思うだろう。

 覚えるのは、不安、怒り。

 信頼とは、違う軸なのだろう。


 だからエリーは、アキラが“勇者様”として振る舞うことに、難色を示しているのかもしれない。

 その役割に引きずられていないかと。


「は……、はあ……、」


 息も絶え絶えに、アキラはようやく湖畔に到着した。

 ブロウィンに支えられながら到着したそこでは、安全地帯の馬車の窓から物見遊山で見下ろしてくる旅の魔術師たちが出迎えてくれた。


 例外として、ひとり傘を差しながら女性が駆け寄ってきた。

 シルヴィだ。

 彼女も無事下山していたようだ。


「大丈夫でしたか? 勇者様?」


 アキラは頷くだけで返した。


 “勇者様”として、彼女にはいろいろと伝えなければならないことがある。

 あの光景をシルヴィが“利用”すれば、世界に多大なる進歩をもたらすだろう。

 それは最早、全人類の希望とすら言ってもいいかもしれない。


 だが、それを取り除いたヒダマリ=アキラとしてはどうだろう。


 アキラは思った。

 あの光景が、あの進歩が、怖い、と。


 雨音は増す。

 止む気配はない。

 岩山まで探しに行ってくれている魔導士たちが戻ってきたら、すぐに撤収になるだろう。


「あの、“勇者様”? なにかあったんですか?」


 その問いに、アキラは、空を見上げた。

 共に歩くエリーは何も言わない。


 アキラは思った。

 オカルト染みた不気味さを感じさせる“進歩”。

 世界の歪さ。

 技術の終点。

 そんなものに巻き込むな―――勝手にやっていてくれ。


 自分は“勇者様”だが、“あの”ヒダマリ=アキラだ。

 脅しにも屈するし、怖かったらさっさと逃げる。


 だからアキラは、素直に、ゆっくりと、自分の言葉で彼女に返した。


「何も、ありませんでした」


―――***―――


「エリにゃんが乱心してました」

「……は?」

「いや、様子を見に行ったんですけど。アッキー、昨日何かありました?」

「あったつうか、遭難中に結構話した気がするけど、頭ぼうっとしててほとんど覚えてない」

「そうですか……。エリにゃん風邪ひいてるのにベッドでじたばたしてて……。安静にしないと大変です……」

「風邪?」

「そうなんですよ。そだそだ、ところでアッキー知ってますか、風邪ひかない方法」

「お前は知らなそうだよな」

「寒いときにはあったかい恰好……、って、なんでですか。知ってますよ!」

「ちょっと聞いただけで知識の薄さが分かった」

「なんだとー!!」


 エリサス=アーティは、風邪をひいて寝込んでいるらしい。

 無理もない。

 極寒の洞穴を歩き回り、最後は水浴び。

 風邪のひとつでも引いていた方が自然だ。

 自分が引かなかったのは、日輪属性の力だと信じたい。あの環境にも“適応”していたから気づかなったが、エリーにとっては酷な道のりだったのだろう。

 決して『ば』のつくあれではない。


「って、違うか。ティアは風邪ひくもんな」

「アッキー見てください。エリにゃん直伝の怒ってる感じ!!」


 拗ねている。

 そう結論付けて、アキラは窓の外を見た。

 昨日の豪雨とは打って変わって晴天だ。


 ここはヴァイスヴァルの宿屋。

 アキラの自室。

 昨日の依頼で思ったよりも疲弊した面々は、今日は思うままに過ごしている。

 せっかくの休養日に風邪とはついていない。

 あとでエリーの部屋にお見舞いにでも行ってみようか。


「それよりこれからどうします? あっし、いろんな人に聞いてみたんですが、中々いないんですよ、木曜属性の人。いろんな人に探してもらえるように頼んではみたんですが」

「え、ああ、そうなのか」


 生返事をしながら、アキラはティアの行動力に感嘆していた。

 今は間もなく正午。

 流石に疲弊していたアキラが起きたのはつい先ほど。

 その間、ティアはせっせとこの町にネットワークを構築していたらしい。


「……って、ちなみに、土曜属性は?」

「……へ? あ、ああ!!」


 あまり期待はできなさそうだ。

 というより、ティアには悪いが、その辺りで見つけてきたような奴、アキラ自身認めない。


 これから自分たちは、“彼女”に出会う。

 そして、自分は、彼女に。


「ん」


 ぐっと伸びをした。

 やはりそのことを思うと、胸が痛い。

 そのときまでに、気持ちの整理はしておこう。

 もう間もなく、だが。


「それにしても残念でした……、絶対お宝見つかると思ってたんですが……」

「そんなもん、見つからない方がいいことだってあるんだよ」

「えっ、どういう……」

「夢が終わるだろ。宝が見つからない限り、俺たちの宝探しは終わらない!!」

「お、おお!! そうですね!! よーし次も見つけないぞーーっ!! ってあれ?」


 ティアをからかいながら、アキラはもう一度伸びをした。

 随分と気が楽になった気がする。


 昨日、いつしか自分が呑み込まれていた看板に、ぷいと顔を背けられたからだろうか。

 これでクズに逆戻り―――となると問題だが。


 そう、昨日は発見も恐怖もない―――無駄骨だった。


 物足りなささえ覚える、物語でさえない。


 なんでもない話。


 それだけだ。


「そだな。依頼、行ってみるかな」

「えっ、どうしたんですか急に?」

「いや、お見舞い。なんか買ってやろうかと思って」

「おお、いいですね!! 昨日の依頼料は宿代に充てるってエリにゃん言ってましたし」


 依頼所で、今度は、うっかりではなく、ちゃんとヒダマリ=アキラと名乗ろう。

 “勇者様”と言われようが、何と言われようが、なすべきことは自分で決めればいい。


「サッキュンも誘いましょう。エリにゃんを驚かせるんです!!」

「いや、俺だけで行くつもりだったけど……、まあいいか。ひとり留守番すれば」

「……え、あれ? 今あっしを見て言いました? え? え? あっしが留守番ですか!?」


 まあ、別に誰だっていい。

 誰が依頼に行こうが、誰が残ろうが。

 どうなっても成功することは、オカルト染みた根拠ではなく、今までの旅が証明している。


 それだけの、旅をしてきた。


「うし。行くか」

「アッキー!? ちょっと!? アッキーッ!?」


 部屋を出て、怒鳴り込んできた宿屋の主人とすれ違いながら、アキラは勢いよく廊下を進んだ。


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