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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
西の大陸『タンガタンザ』編
28/68

第37話『タンガタンザ物語(結・後編)』②

―――***―――


 “西の崖”。


「く……、はっ、はっ、はっ」


 ミツルギ=サクラは崖にしがみつき息を荒げていた。

 大分登ってきただろうが、下を見る気になれない。空気が僅かに薄くなり、頭が痛くなってきた。

 耳の中に膜のようなものができた気がするが、手がふさがっていてアキラに教わった方法を試すことはできない。


「ふー」


 再び魔術の使用。

 空中に形作った足場を蹴り、サクは崖を登りに登っていた。

 風が強く、油断すれば手を滑らせて落下してしまう。

 耳への不快感もさることながら、握力がそろそろ乏しくなってきた。魔力にも厳しいものがある。


 こんな状態で“魔族”に出遭うなど正気の沙汰ではないだろう。

 だが問題無い。その程度で戦えなくなる程度の経験値では無い。

 今もどこかで爆音が聞こえてくる。

 誰かがまだ、戦っている。それ比べれば、自分がやっているのはただの登山。安いものだ。


 登って、登って、登り続ける。

 心底気に入らないが、利害が一致しているときのミツルギ=サイガの言葉は誰よりも信用できる。

 その男が言ったのだ、アグリナオルス=ノアには誰かが付いている必要があると。

 ならば登る。

 この戦争に、バッドエンドは許されない。

 そんなことをすれば、恐らくまた、ヒダマリ=アキラの“せい”になってしまう。

 それだけは―――許されない。


「ぁ―――、」


『平和の空虚は、やがて高貴を宿す』


「―――、」


 ようやく見えた、山頂。

 数百メートルは登って来たであろう。

 しかしそれと同時、耳詰まりなど問題にならぬほど不快な“聲”が聞こえた。


『高貴の野心は、やがて非情を生む』


 “空中浮遊”を独自に解釈。

 魔術を発動し、サクは跳んだ。頂上に手をかけ、強引に身体を引き上げる。

 サクは倒れ込んだまま息を荒げるも、全身に力を入れ、立ち上がった。


『非情の欺瞞は、やがて過酷を迎える』


 “聲”は、十メートル先から聞こえた。

 サクが上って来た場所とは別の淵に、“何か”が胡坐をかいて座っている。


『過酷の末路は、やがて平和に還る』


 不快なその“聲”は、その“何か”が発していた。

 思わず腰の刀に手を当て、サクは慎重に歩み寄る。


 強い風が吹きつけるこの場所は、30メートル四方程度だろうか。

 眼下に壮大に広がる“中央のエリア”と比べれば猫の額程度の面積。奥には数十メートルほどの崖がある。山頂と言うよりは、ここは、段差のような場所らしい。山の頂上付近に出来た窪みとも言えるか。高度数百メートル、前後を断崖絶壁に囲まれた、酷く封鎖的な空間。


 そこにどうやってここを訪れたのか、その“何か”は、悠々と座している。

 その、“何か”は。


 身体の総てが―――『鋼』で形作られていた。


「こんなことを思ったことは無いか」


 『鋼』は悠然と言葉を続ける。

 刀を構えたサクへ特別な意識を向けることも無く、その聲は、まるで望郷でもしているかのような穏やかなものだった。


「山や平原、そして人工物。思わず忘我してしまうほどの絶景。そんな光景を高みから見下ろしながら―――思ったことは無いか」


 サクは、その声色に、思わず『鋼』の視線を追った。

 絶景。

 そんなことを思ってしまう。

 この『何も無い世界』。

 しかし上空から見ると、周囲に崖が並び立ち、ぽっかりと開けた中央のエリアは、まるで自然の構造物のようで、美しく思える。彩りの無い空間ではあるが、下で感じた殺風景さは穏やかさに変わり、寂しさは静寂へと昇華するように感じる。数十年先、数百年先になれば、いずれは草木が芽生え、さぞかし壮大な光景になるであろう。


「“この総てを蹂躙してみたい”、と」


 サクは一瞬身構えるも、『鋼』は変わらぬ様子で呟き続ける。

 穏やかで、そこか静かなその聲。しかし、強風が巻き起こるこの高さでも、相手の脳に丁度届くような―――言うなれば、優れた聲。

 『鋼』の聲は、サクの動きを封じるように、言葉を続ける。


「ここでは少々分かり辛いか。いや、むしろ分かりやすいか。想像してみるとよい。この空間に草木が芽生え、蒼く、碧く、赤く、紅く、彩に満ちた世界になったときのことだ」


 つい先ほど、サクが想像した景色だ。


「美しくはあるが、自分だけは元々のこの世界を知っている。寂しく、何も無かった場所を、自分だけは知っている。それなのに、今の美しさに釣られ、我が物顔でその場で好きに自分の居場所を作り出す自分以外の誰か。そうなると、思ってしまうのだよ、俺は。それならば、いっそ、元の何も無い場所に戻してしまおうか、とな」


 発展は、すなわち成長とも言える。

 そう考えると、サクの頭にはあの言葉が思い起こされる。

 成長は嬉しくもあり、寂しくもある、と。

 ふと思考を逸らしてしまうと、疲労も手伝って、妙な方向に意識が走り出す。

 自分だけが知っている存在。それがいずれ成長し、誰かに認められるようになり、自分以外の誰かがその周囲を埋め尽くす。勿論成長は、喜ばしいことなのだろう。しかしそれを、その仮定をずっと見ている自分は、きっとその周囲の誰かに、今さら何を我が物顔でそこにいるのだと思ってしまう。甘い蜜を吸いに来ているだけと思ってしまう。

 それならいっそ―――自分だけが知っている“本当”に戻してしまいたくなるのかもしれない。


「“征服欲”」


 『鋼』が、ぽつりと呟いた。


「独占欲とも言い換えられるかもしれんな。自分だけが知っている本当の姿を求めてしまうのは」

「……何が言いたい?」

「いやなに。思うままを口に出しているだけだ。そうでもせんと、やっていられん。自らを“魔族”と名乗らなければ本当に忘我しそうなほど、俺は長く生き過ぎているのでな」


 サクは、無言を返した。


「“魔族”―――アグリナオルス=ノア。世界に“征服欲”を覚える、『世界の回し手』だ」


 その、百年戦争の首謀者との邂逅は。

 あまりに静かで、やはり穏やかなものだった。

 『鋼』―――アグリナオルス=ノアは、変わらず優雅に、“世界”を覗き込んでいる。


「……お前は、世界征服を目論んでいるのか。“魔王”」

「奇妙なカマの掛け方をするな。悪いが俺は“魔王”では無いし、その配下でも無い。ついでに言えば、世界を滅ぼす気も無い」


 僅かばかり安堵した。

 やはり、アグリナオルスはヒダマリ=アキラが滅するべき魔王一派では無い。


「……ならば何故、タンガタンザを攻めている」


 アグリナオルスの口調に、サクは自然と疑問を投げつけていた。

 相手は“魔族”。タンガタンザを僅か百年で壊滅状態に陥れた規格外の化物だ。思考ロジックは不明であるし、会話が成立することすら奇跡的なことだと考えるべきなのだろう。

 だが、訊いていた。

 アグリナオルスは、サクが今まで出遭った“魔族”の中で、明らかに異質な空気を持っている。

 リイザス=ガーディラン。サーシャ=クロライン。

 その2体は、“イメージ通りの魔族”であったのに対し、アグリナオルスは、全く別のロジックを有しているような臭いがした。

 近いと言えば―――“ガバイド”か。

 サクの背筋がぞっと震える。雰囲気はまるで違えど、ガバイドも、“軸”そのものが違うような空気を持っていた。

 アグリナオルスは、ゆっくりと、口を開いた。


「タンガタンザが“非情”だからだ。俺はタンガタンザを攻めているのではない。“非情”を攻めているのだよ。世界を回すために」


 また、言った。

 “世界を回す”。

 会話が成立しているはずなのに、アグリナオルスの言葉はまるで頭に溶け込まなかった。

 まるで大空に浮かぶ雲の形が何に見えるかと訊いているかのようだった。

 同じものを見ているはずなのに、人によって違う答え。

 だがどこか、思ってしまう。決定的な“軸”の違い。

 自分はひとつの雲を目で追っているのに対し、アグリナオルスは空に浮かぶ総ての雲が空に描く巨大な絵を見ているかのような―――スケールの違い。

 やはり静かな問答に、毒気を抜かれ、サクは刀を握る手を緩めた。

 戦闘を行うのは自分の意思なのに、それを切り出せない。


「敵を前に警戒を解くのは感心せんな。お前の力量では幾分早い」


 ピクリ、とサクは身体を震わせる。

 しかしアグリナオルスはやはり動かず、ただ世界を眺めていた。

 サクのことを、敵だと認識はしている。

 自分を狙ってきたのだと、確かに理解している。


 だが、アグリナオルスは動じない。


「俺も昔はそうだった。周囲を警戒し、味方すらも警戒し、ただがむしゃらに、思うままに世界を回し続けていた。だが最近になって、ようやく気づいたよ。油断をしようが、余裕を見せようが、結局誰もが俺を上回れんとな」


 言葉の意味は分からない。

 だが、その口調は、老人が昔話を懐かしんで語るような空気を醸し出していた。

 だからだろうか。

 相手は魔族で、敵で、忌むべき相手だというのに、口を挟むのを控えてしまうのは。


「年配扱いは気に入らんな。まあそれすらも、今の俺には許容できるがな」

「……心でも読めるのか」

「なに、察するのだよ。長くは生きているのでな」


 ガチャリ、と甲冑を軋ませるような音と共に、アグリナオルスは立ち上がった。


 鉄仮面を被ったような貌。

 逆立つように尖った髪。

 鎧を纏ったような身体。

 ナイフのように鋭い指先。


 生物としてあまりに不自然な姿の、あまりに自然な動作にサクは一瞬遅れて硬くなる。

 アグリナオルスは立ち上がっただけだった。

 2メートルを超える体躯。身体中が、鎧を纏った『鋼』の“魔族”。

 そんな身体を見て、高い、ではなく、“深い”と思ったのはサクにとって初めてだった。

 纏う空気に戦意は見られない。

 そのせいで、サクは構えたまま動けなかった。


「うむ。まあ俺の言葉は分からんだろうな。ならば少しは語ろうか。ここまで登って来たのは見事。労いだ」

「何を言っている……?」

「なに、ただの労いに―――“お前たちが疑問すら抱いていない世界の裏側”を、少しだけな」


 アグリナオルスの言葉に、相変わらずサクの理解は追いつかない。

 だが、あるいはあの“絶望”を思い浮かべたとき以上に身体が震えた。

 ひとつの雲だけを追っていた視野が、揺らぎ、広がる。

 それに恐怖すら覚えた。悪寒と言ってもよい。

 当たり前に思っていた雲の向こう。視野が広がり見えた空。

 疑ってしまう―――その色は、本当に青なのかと。


「“お前たちは、初代勇者の時代のタンガタンザを知っているか”?」

「―――、」


 ほぼ反射的に、サクは眩暈を起こした。

 そもそも、待て。

 今の魔王は百代目だ。だがそれなのに、初代はおろか、“ひとつ前の九十九代目の勇者の時代すら”サクは知らない。

 タンガタンザ有数の歴史を持つミツルギ家の娘である自分。

 それなりにタンガタンザの歴史には精通している。

 だがそれは、精々“ミツルギと名乗る男”が現れた頃か、その少し前からだ。文献に残っていた情報ではあるが、確かに知っている。

 そしてその遥かに前、九十九代目勇者の偉業も、“偉業だけは知っている”。

 だが、“その経過”。

 九十九回目の平和が訪れてから、世界がどのように遷移してきたのか―――サクは、いや、“誰も知らない”。


「見えたか世界が。そうだな、端的に言えば―――」

「この世界には…………歴史が無い」


 人の言う、太古。便利な言葉だ。時代を曖昧な点でしか捉えない。

 そう。

 初代勇者、二代目勇者、三代目勇者―――と、ぶつ切りの記録はある。

 点はあるのだ。

 だがその中間が、線が―――がっぽりと、存在しなかった。


 いつかアキラに語って聞かせた、ミツルギ家の遷移。

 それが、世界規模で、各代の勇者の狭間にもなければならない。


 “歴史とはそういうもののはずなのに”。


「“だが俺は知っている”」


 足元が揺らぐような感覚の中、不気味な聲が、聞こえた。

 自分は知っている、そういう、独占欲を醸し出す口調。


「初代の勇者の代から、俺は世界を知っている。世界をずっと回し続けているのだから―――この、“最古たる俺は”」


 そして、紡ぐ。

 不快な聲で。


「『平和の空虚は、やがて高貴を宿す』。初代勇者の頃のシリスティアは、“その前”、大層豊かな土地であった」


 シリスティアが、平和であった時代。


「『高貴の野心は、やがて非情を生む』。初代勇者の頃のタンガタンザは、“その前”、大層気品のある空気を宿していた」


 タンガタンザが、高貴であった時代。


「『非情の欺瞞は、やがて過酷を迎える』。初代勇者の頃のモルオールは、“その前”、大層傲慢な者たちに支配されていた」


 モルオールが、非情であった時代。


「『過酷の末路は、やがて平和に還る』。初代の勇者の頃のアイルークは、“その前”、大層劣悪な環境であった」


 アイルークが、過酷であった時代。


 そしてその4大陸は―――何度も同じ円を巡る。


 “平和”。

 “高貴”。

 “非情”。

 “過酷”。


 存在し続ける4つの“象徴”は、4つの大陸を回り続ける。何度も何度も、順番通り、“象徴”が移り変わる。

 ようやく分かった。

 タンガタンザが“非情”なのではない。

 “今非情であるのが”、タンガタンザなのだ。


「これが歴史だ。“そして俺は、非情を攻める”。歴史など残るはずもない。“非情になれば、俺が征服するのだから”」


 “リセッター”。

 サクは目の前の存在を、おぼろげにそう感じた。

 “非情”になれば―――そこまで人が発展すれば、“アグリナオルスが現れる”。

 世界を―――回すために。


「……お前が歴史を消しているのか」

「そうなるのか。あまりに有名な偉業は残るが、それ以外は消えゆくだろう。だがそれは、“僅かばかり誤りだ”。もっとも俺は、いずれ過酷に変わる非情を加速させているだけなのだしな」


 あっさりと、アグリナオルスは語る。

 サクは再度アグリナオルスを睨む。

 この魔族は、初代勇者の頃から存在していると言う。

 最古の魔族。

 流石に信じられる話ではなかった。人間が理解できる程度を超えている。

 だが、値踏みするようにアグリナオルスを見ても、最初に覚えた直感は変わらない。

 この魔族は、確かに事実を語っている。


「歴代の勇者たちが、お前を見逃すとは思えないが?」

「うむ。やはりそうか、その妙なカマの掛け方。本心では納得しているのに、更なる情報を求めるか。覚えがある。それにその服装。ミツルギ=サイガと同じだな。そうか、血族か」

「っ、」


 そのリアクションで、アグリナオルスには十分だったようだ。

 満足気に頷き、虚空に瞳を這わせた。

 それはやはり、人間では想像もできない太古を思い描いているのだろう。

 それにしてもミツルギ=サイガ。やはり奴も、こうしてアグリナオルスと対面したことがあったのか。


「多くの勇者に、勇者候補に、俺は遭ったよ。だがその全員が“俺を事象だと割り切らざるを得なかった”」

「……そこまでか」

「なに、ただのうぬぼれだろう。だが事実、魔王を倒すのが奴らの使命だ。そういう意味では、俺と骨肉を削り合う争いをするわけにはいかなかったのだろう」


 歴史を、世界を見てきた魔族は、ようやくサクに視線を戻した。

 そして、僅かばかり頷き、


「まあ、そろそろ労いも終わりだ」


 すっと、指を差した。

 眼下に広がる、世界へ。


「?」

「追憶も良いが、そろそろ現代に話を戻そうか」


 アグリナオルスではないが、サクも思わず忘我していた。

 そうだ。

 そもそも今は戦争中。

 『ターゲット』の護衛に、総てを捧げる必要がある。


「大方、お前はミツルギ=サイガの指令で来たのだろう」


 “魔族”の口から人名が出て、びくりとしない者はいないであろう。

 それが肉親のものなら尚更だ。


「恐らくあの男は言っただろう。この時間帯ならば俺の近くは逆に安全だと」


 ようやく開戦か、とは思えなかった。アグリナオルスに相変わらず戦意は無い。

 だがそこで、そうか、と思った。

 このアグリナオルスとの戦闘に踏み切れない本当の理由。

 それが、まさしくミツルギ=サイガが言葉を紡いでいるときのように、アグリナオルスそのものがその場の空気を支配しているからだ。

 そのアグリナオルスが戦闘を行わないのだから、戦闘を行えない。

 空気の支配者には、状況を決定付ける権利がある。


「まあそれは正しいな。腹立たしいことに、あの男には人の言う才能というものがあるらしい。自ら言うのもどうかとは思うが、俺は最古ではあるが、あまり頭が良くないようでな。俺の生涯に比すれば流星の残光にも満たない程度しか生きていないのに、ミツルギ=サイガは知能の点で俺より上だ」


 サクはそれを誉れと受け取らなかった。

 サイガとの不仲は関係なく、所詮“魔族”からの称賛だからというわけでもなく。

 ただ単に、アグリナオルスの事実を事実として言っただけのような口調に、何の感情も浮かばなかった。


「まあ、話を戻そうか。俺は今、お前と争うつもりはない。だからこれは親切心だ。この山を即座に下りた方が良い」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味だ」


 言って、アグリナオルスは再び遠くを眺めた。


「昔は有無を言わさず暴れた俺だが、最近は戦略というものに興味がある。ある種、“チェスゲーム”とも言えるか。相手のキングを捕るゲームだが、直接手で強引に奪っても興が削がれるであろう。戦略的に配下を動かし、同じ盤面で争うことに意味がある」

「……それが、『ターゲット』を定める理由か」


 サクはぽつりと呟いた。

 この、タンガタンザの異様な百年戦争。

 魔族が『ターゲット』を定め、人間側が護衛する。

 それは確かに、チェスゲームに通じるものがあるのかもしれない。

 所詮、魔族の気まぐれであったのか。サクは奥歯を強く噛んだ。

 気付くべきだったのかもしれない事実だ。ほんの2ヵ月前、“あの死地”で、ほんの気まぐれで伝説を発生させる“絶望”に出遭ったばかりだったのだから。


「だから、俺の本意は、お前たちを戦略的に“征服”することにある。ゆえに、ただの戦略の過程で命を落とされては興醒めなのだよ」

「……?」

「ふむ、察しが悪いな。“作戦”の一部であるのだが……、まあ今さら知ってもどうにもなるまい。お前たちが3つのルートに戦力を割いて中央エリアへの進行を防いでいるようだが、それは俺の配下にとって好都合であるのだよ。ああ、もう遅いか―――」


 不快な聲の持ち主は、警護の存在しない中央のエリアを指差しながら、言った。


「―――定刻だ」

「―――!!」


 大地を蹴り飛ばすように背後へ下がった直後、サクのいた位置に“隕石が墜落した”。


「―――!?」


 ガッ、と爆ぜた閃光に目を焼かれ、サクはとっさに身を伏せる。揺らぐ大地。散乱した岩の欠片が周囲に飛び散りサクの身を叩いた。

 そして伏せているにもかかわらず、強烈な浮遊感―――


「っあっ!!」


 即座に察し、サクは魔術を練り上げた。

 焼かれた目を強引にこじ開け、“空中浮遊”を必死に解釈する。

 強く地を蹴り、“共に落下している”岩石に飛び乗った。

 再び魔術の発動。

 山頂にて静かな会話をしていた状況から一変、“山そのものが崩れ始めている”。

 まるで氷山の一角が削られたかのように、サクが登った崖が倒壊していた。


「ぐっ」


 身体中が痛む。特に酷いのは頭痛だった。これは魔力切れの症状だ。

 それでも魔術を強引に作動させ、サクは必死に宙を蹴る。

 もし僅かでも気を許せば、数百メートル下の地面に激突してしまう。


 自ら作り出した偽りの地面と、落下する岩石を蹴り続け、サクは落下の勢いを殺し続ける。頭の痛みは止まらない。登りですでに膨大な魔力を使用していた。無事に着地できるかは分からない。


 だがそれ以上の苦痛に、サクは歯を食いしばった。

 自分の役目はアグリナオルス=ノアのマーク。それなのに、登った直後にこれでは何の役割も果たせていないではないか。

 だがそれゆえに、諦めるわけにはいかない。


 そもそも自分の真骨頂は―――ありとあらゆる戦場を駆け抜けられることにある。


「く―――あっ!!」


 高速で接近する地面との距離など測れるはずもない。

 サクはほとんど勘で、落石から身を離して自らの力のみで空を駆けた。落石と同時に落下すればこの身はその下で押し潰される。いつかは離れる必要がある。

 問題は、残る落差を残った魔力で乗り切れるかだが―――


「―――!?」


 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ!!


 魔術の使用に全精力を傾けなければならないのに、サクはその光景に目を奪われた。

 全力で距離をとり続けている崖。

 奇妙な音に振り返れば、“先ほどの隕石が暴れ回っていた”。

 闇夜で降る光源のように、しかし機敏に、崖に向かって連続で衝突し続ける。

 ほぼ自由落下のサクを追い越し、いつしか光点は、最下部で崖への突撃を続けていた。尋常ならざる機敏さを有し、西の崖一面を駆け駆け回り、執拗に体当たりを繰り返す。

 そのたびに、西の崖は轟音と共に凄惨たる光景へ変わっていく。

 僅かばかり脆い崖は、一撃を受けるたびに土砂崩れのように倒れ、強引に形を造りかえられていた。

 “山そのものへの攻撃”。

 スケールこそ違えど、その動きは、餌をあらゆる角度からつつき続ける小動物に通じるものがある。

 脅威の隕石は遥か上空からの落石をものともせずに跳ね飛ばし、赤い残光を闇夜に刻んで駆け回る。


「づ―――」


 爆音と落石の連続の中、サクは待望していた地面に肩を強く打ち付けた。

 骨髄を揺るがすような衝撃を受けながらも、サクは身を伏せる。呼吸は荒く、四肢が痺れたように痙攣していた。

 大分離れたと思うが、崖からの距離は分からない。

 延々と続く山の粉砕の中、サクは顔を上げることもできなかった。

 仮に、未だ落石の圏内から逃れられていなければ即死するだろう。だが、身体は動かなかない。魔力すら、必要最小限しか残っていなかった。

 時折身体を叩く小石に、サクは身を震わせながら耐え続けた。


「……、…………」


 徐々に、徐々に、大地を揺さぶる振動が弱まってくる。

 ようやく身体が動き始め、サクはゆっくりと顔を上げた。

 どうやら、勢いに任せて数百メートルは距離を取れていたようだ。


 だが、目の前の光景には、案の定、山の末路があった。


「はっ、はっ、はっ」


 上空から見れば、中央のエリアが拡大しているであろう。うず高く積まれた岩石を運び出せば完璧か。この中央のエリアの西側の壁が一層消滅していた。


 巻き上がる砂塵。小雨のように落ち続ける小石。家屋ほどもある大岩が幾重にも詰まれ、まるで壁際の本棚が本を残して消失したかのように、崖が膝から崩れたように、あるべきものが存在しない光景があった。

 手を伸ばせば届く距離に直撃すれば致命傷の岩石が落下していた。乗り切れたのは、純粋な運否天賦なのだろう。

 ミツルギ=サイガはこの辺りが地盤の悪い地帯だと言っていた。元々この崖も崩れやすかったのだろう。西の崖一面に、不安を煽るようなヒビが走りに走っていた。

 崖の上から強い衝撃でも与えれば起こり得るのかもしれないが、しかし、自然物の倒壊となると次元が違う。

 この光景を見て、自然倒壊と結論付けぬ者はいないであろう。


 しかし、サクは確かに見た。


 落下の直前、その自然物の倒壊を招いた存在を。

 その―――規格外の化物を。


「生存。あの高さからで、生存。生存を確認できる」


 野太い。そうとしか形容できない、抑揚の無い声が響いた。


「見事。主が言うところによるとそうだ。見事と言える」


 その声は、倒壊した崖の上から響いていた。

 高さ数十メートルほどになった崖のなれの果て―――その上に。


 人ではあり得ぬ異形が座していた。


 “虎”。

 形状だけで言えば、最も近い動物はそれであろう。

 しかし、隕石。

 生物の枠組みを超えて形容するならば、“それ”は隕石だった。

 体長は5メートルをゆうに超え、身を丸めれば、そこらに散乱している岩石の形状と何ら変わらない。

 今も身体を丸め、声と同じ野太い四肢と爪を持ち、岩石を握り潰すように鷲掴んでいる。

 だがそれは、岩ではなく、“隕石”なのだ。

 燃え盛る隕石。

 その身体は燃えていた。

 紅く、赤く―――もしかしたら、赫く。

 戦場の狼煙を上げるかのように、夜空の色に逆らい続けている。


 虎を。隕石を。

 模した―――炎。


「ラテメア。主よりいただいた名。名はラテメアだ」


 そしてその存在は、言葉を発する。


「……“言葉持ち”……、何故ここにいる……!?」


 サクは、立ち上がり、よろよろと近付いた。

 そして思わず3つのルートに視線を走らせる。そのどこかに、“言葉持ち”がいるはずなのに。

 ラテメアと名乗る虎は、いや炎は、サクの様子など構わず言葉を続ける。


「定刻。主が指定した時。始まりの時だ」


 ラテメアは、燃え盛る瞳を『ターゲット』の屋敷に向ける。

 サクは即座に構えをとった。

 “言葉持ち”がここにいる以上、余計なことを考えている余裕は無い。


 “言葉持ち”の中央エリアへの侵入を許してしまったのだから。

 自分ひとりで、『ターゲット』の護衛を完遂しなければならない。

 そこでふと、サクは思い出した。

 異常事態が発生したとき、ミツルギ=サイガは何をしろと言ったのか―――


「オオオォォォオオオォォォン!!」

「―――っ!?」


 突如、“言葉持ち”が獣の雄叫びを上げた。

 サクは思わず耳を塞ぐ。

 中央のエリアはおろか、この山脈総てに響き渡るような方向に、サクの思考は一瞬飛びかけた。

 意識を飛ばしている猶予は無い。早く―――やらなければ。


 が。


「―――、」


 サクは表情を強張らせた。頭では、警告音ががなり立てるように鳴り響く。


 ラテメアは叫ぶだけで動かない。

 しかし、その左右。

 ピシリピシリと、崖が―――ラテメアの猛攻で砕け、うず高く積まれた岩が。

 “中からの圧力で砕け始めていた”。

 そしてその亀裂は西の崖全方面に広がっていく―――


「計画。計画通りだ。最後の岩盤を砕いた」

「な―――に」


 今度こそサクは意識を手放した。

 ドバッ!! と暴風がサクを襲い、しかし覚醒を強制される。

 砕けた岩が、まるで孵化のように欠片を散乱させた。


 そして―――“洞窟が姿を現した”。


 西の崖の下腹部一面に広がる洞窟には、ところどころ野太い柱のようなものが立てられていた。高さ十メートル程度のそれは、洞窟の倒壊を防いでいるのだろう。

 これは最早、圧倒的に巨大な建造物とも形容できる。崖の最下部まるまる1段が改造し尽くされていた。

 サクの頭は混乱の極みに達する。

 これほど巨大な建造物を製造することが魔物にできるとは思ってもいなかった。よほど規律が取れた大群でもいれば話は違うが―――これは、流石に規格が違い過ぎる。


 そして。

 その中には、西の崖一面に広がるその建造物の中には―――異形の群れが、詰め込まれていた。


「オオオォォォオオオォォォン!!」


 燃える虎が再度吠えた。

 同時、呼応するように世界が振動した。立ってもいられぬほどの激震。

 戦場に相応しい激動の中、わらわらと、わらわらと、洞窟の中から泥に塗れた化物どもが、洞窟を塞ぐ岩石をものともせずに押し砕き、姿を月下に曝す。

 しかし、騒ぎ立てることも無く、不気味なほど規律が取れた軍団は横並びに出現し続ける。

 その光景に、サクは指1本動かすことができなかった。

 ほんの数十メートル先に、その身ほどの牙を有する犬や、不気味に蠢く巨大な蓑虫、筋肉の塊のような巨人が集結しているというのに、その調和の取れた動きを呆然と見ることしかできなかった。

 だが、頭では分かっている。


 この中央のエリアに、“魔物が大量展開してしまったことを”。


「っ、っ、っ」


 存在しない第4ルート。

 今なお洞穴の中から魔物は出現し続ける。その穴は、この山の反対側から延々と掘ったのか、あるいは地中から続いているのかは定かではないが、魔物はまだまだ奥に潜んでいるようだ。


 頭の警告音は鳴り続ける。

 サクは眩暈を引き起こした。

 荒れ果てた大地。そんな場所で、大海の波のように出現する魔物の大群。

 その光景が、何故か絶望と直結してしまう。


 やがて展開し終えた魔物の群れは、しかしそれでも整列したままだった。

 ラテメアが砕いた後では容易なのであろう、各々邪魔な岩を砕き、獣の主の元に集うように並び立つ。

 数にしておよそ3万と言ったところか。

 あの狭いルートで見た軍団と何ら変わらぬ密度の魔物が、膨大な荒野を埋め尽くす。


 思わずぼんやりと、数を察してしまうほど、非現実的な光景が目の前にあった。


「―――、」


 サクは即座に懐に手を入れる。感情感想を殴り捨てた機械的な動作が要求されていた。

 あの炎があとひと鳴きでもすれば、あの大群が怒号を上げて進軍するのは目に見えている。

 サクが取り出したのは、ミツルギ=サイガに託された小型のマジックアイテムだった。

 良く見る信号弾。落下の衝撃で壊れているかもしれない。

 だが果たして、正常に動作したとして、この信号を見てからの増援は間に合うのか―――


「オオオォォォオオオォォォン!!」


 自らが打ち上げた信号弾が正常に動作したかは分からなかった。

 ラテメアの咆哮の直後、横一面に広がる魔物の群れが、波が、中央のエリアを拭うように進撃する。

 信号など目で追えない。余裕も無い。

 目の前の波は、サクなど眼中も無く『ターゲット』へ突撃する。土煙を巻き上げ、大地を揺るがし、地獄から飛び出て来たような異形の群れは、雄叫びを上げながら迷いもせずに暴れ回っていた。

 最早暴走に近いそれに、間もなくサクは呑み込まれる。


 だがサクは、駆けた。

 『ターゲット』を死守するために。


「はぁぁぁあああーーーっ!!!!」


 魔物の進軍で、最早音はほとんど聞こえない。自ら上げた咆哮すらも分からなかった。

 カッと世界が熱くなる。

 今の魔力では足場改善の魔術を常に使用することはできないが、温存している場合でもない。

 例えそれが、無謀なことでも。


「ぶ―――」


 気付けばサクは、近付くだけで圧力を感じる魔物の波に呑まれていた。

 しかし怯まず、目の前の数体の巨人の胸を斬り裂く。そして刀を返すように、強引に足元の芋虫を斬り裂いた。直後加速。足場改善の魔術を強引に使用して、魔物の群れから急速に距離を取る。元に立っていた位置より随分と後退を余儀なくされた。確実に波と『ターゲット』の距離が近づいている。下記ほど撃破した魔物の末路か、僅かばかり火の手が上がった。大海に小石を投げ入れたほどの影響ではあるが、僅かばかり進撃が緩む。サクが斬りかかった中央の遅れを総ての魔物が理解しているのか、全軍の進撃も同時に緩む。相当統制された軍団だ。

 サクは再び、突撃した。


「―――、―――、―――」


 突撃と後退が続く。

 大群に飛び込み、数体撃破し、直後離脱。

 速度は圧倒的にサクの方が早い。1体1体の戦力にしても、サクならば用意に撃破可能だ。だが、1度の衝突で撃破できる敵はあまりに少なく、そしてそのたびに、『ターゲット』との距離がグンと近づく。

 それでも、続ける。


「は」


 サクは、荒げた息の中、僅かな笑いを零した。

 喜びでは無く、自嘲染みた笑みだ。

 自分は何故、こんなことをやっているのだろうと。総ての敵を滅する前に、いずれ魔力か体力が切れるのは分かり切っているというのに。

 正直なところ、『ターゲット』とは縁もゆかりも無い。アキラ曰く、関わったことがあったそうだが、少なくとも自分は知らない。

 事実、例え目の前で命を落とされようが、不憫に思いこそすれ、自分は涙ひとつ零さないだろう。

 それなのに、自分は必死になれてしまう。

 ほとんど空に近い魔力を振り絞り、もしかしたら“魔力以外の何か”も犠牲にしているかもしれないのに、無謀な数の暴力へ突撃を繰り返す。

 “それ”を感じてしまうと、サクの心は急速に脆くなる。空しいと、感じてしまう。

 元来的な性分だろう、それでも身体は動いてしまうのだ。心の中に何も無いのに、全力の戦いを続けてしまう。

 普段受ける、見たことも無い依頼主のために危険を冒す依頼のように。


 本当に―――空しい。必死になれてしまう、自分自身が。


「―――、―――、―――」


 そして恐怖でもある。


 ミツルギ家の祖先、ミツルギという男が最期を迎えたのは、正しくこういった光景の中であったと言う。

 そのときミツルギが何を思っていたかは知らない。

 だが何となく、サクには分かる。

 ミツルギは、脅威の大群を前に、最初から、勝てるとは思っていなかったのだろう。総てを打ち滅ぼせるなどと、過信してはいなかったのだろう。

 彼にとって刀を振るう基準は、敵ではないのだ。

 問題なのは、誰を守るか。敵の戦力など最初から、眼中に無いのだろう。大切な人と、その人の世界を守るためだけに、命を懸けることさえいとわない。


 “それが理解できてしまうからこそ”、サクはその物語が眩しく思え、自分がどうしようもなく侘びしくなる。


 自分は誰に対しても真剣になれる。それは事実。あるいは美点なのかもしれない。

 しかしそれは同時に、“大切なものとそれ以外に差が無いことを意味している”。

 純度とでも言うべきか、自分の中で大切なものと、それ以外のものへの差が無い。

 ミツルギ=サイガに指摘された通りだ。大切なものが無いから、大切なもの以外も拾おうとするから―――“いつか仕えるかもしれないから”、“真剣に無駄な努力”を続けてしまう。

 そう考えると眩暈が起こる。

 もしかしたら、自分は端から真摯ではないのではないかとさえ思ってしまう。

 自分がそう思っているだけで、実は大切なものであっても、自分は死力を振り絞れない。

 平常通りの力を、全力だと偽っているだけなのかもしれない。

 何故なら、何事にも、注ぐ力が変わらないのだから。

 そんな恐怖にからめ捕られてしまうから、きっと自分はいつでも力を抜けない。


 らしくないとは思っているが、自分はきっと、信じているのだ。

 幼少の頃目を輝かせて読んだあの物語。

 ミツルギが豪族の娘のために国を傾けたように、自分が大切に想う何かのために発揮される、論理を超えた特別な力が、人には眠っているのだと。

 だけど、“差が無い”自分には、それを見つける自信が無い。

 大切なものを守るために、自分が力を発揮できる自信が、無い。そして仮に大切なものを見つけても、こんな自分では、最も大切なものと歪な関係を築き上げてしまう。

 ひとりで旅をしていたときは、それでも良いかと適当なことを考えていた。

 あるいは、適当に誰かひとりに仕えでもすれば、自分もミツルギのように強くなれるのか確認できると期待していた。

 もっとも、そんなきっかけも無いまま、魔王討伐などという異常事態に巻き込まれることにはなったのだが。


「―――、―――、―――」


 大切なものが欲しい。

 そう強く感じる。

 この無限を思わせる大群を前にも揺るがない、ミツルギと豪族の娘のような強い絆が欲しい。

 大切なもののために動き、特別な世界を見てみたい。


 サク自身、正直なところ、あまり頭が良くない。

 旅の知識や武具の知識は豊富だが、根本的に、“下手”なのだ。

 あの青みがかった短髪の少女のように、なりふり構わず、あらゆる人に手を指し伸ばせるほど器用ではない。自分は誰に対しても真剣にはなれるが、博愛主義にはなれないだろうから。


 だから自分は―――


「―――、―――、―――ォォォオオオンンン!!!!」


 思考の渦は、荒々しく吹き飛ばされた。


「!?」


 魔物の群れを斬り裂き、下がった直後、燃え盛る隕石が飛来した。

 埋め尽くされた魔物の波を割り、射出されたかのように見えた砲弾は、サクを目がけて炸裂する。

 寸でのところで離脱したサクは、目前で燃え盛る虎と目が合った。

 ラテメア。“言葉持ち”の―――“炎の無機物型”。


「前例。“スライク=キース=ガイロードの前例がある”。お前は邪魔だ」


 明らかにいずれ突破できる妨害であっても、2年前に苦い経験をしている魔物軍にとっては目障りなのだろう

 僅かひとりで膨大な数の魔物を撃破したという話をサクは未だに信じ切れていなかったが、ラテメアの言葉からするに事実なのかもしれない。

 これはまずい。

 今自分が足を止めたら―――


「ぐ―――」


 瞬間、景色が総て魔物に塗り潰された。しかし、どの魔物もサクを見てすらいない。ラテメアの指示か、あの大群は『ターゲット』以外を狙っていない。

 サクとラテメアが対峙する僅か十メートル程度の円を、舞舞台を綺麗に避けるように疾走する。

 暴風が吹き荒れ、サクの身体が一瞬宙に浮かぶ。囲まれたエリアが燃え上がるように加熱される。

 反射的に魔物を襲おうとしたが、サクの動きに合わせてラテメアも腰を落とす。

 駄目だ。

 僅かにでも気を逸らしたら魔物に跳びかかる前にラテメアの一撃がサクの身を襲う。

 あの、山を削り取った一撃が。


 だがそれでは―――


「っ、っ、っ、」


 今度は冷ややかな強風。

 土を頭から被りながらも、サクはラテメアから目を切って魔物を睨む。

 大地に線を引いたように横一列に上がる黒い影は熱気を上げ、最早遥か遠方にいた。

 “言葉持ち”の介入で、成す術も無く抜かれてしまった。何も変わらない、当たり前の事実。

 絶望的だった。増援もいない。最早追いついても、壁のように進まれては、先頭の魔物に遭遇することすら叶わない。

 あのままでは、間もなく『ターゲット』の屋敷に到達してしまう。


 世界が―――回される。


 そのとき。


 月の光が、遮られた。


「―――!!!?」


 バババババババババババババババババババババババババババババッッッ!!!!


 巨竜の羽ばたきのようなその音は、虚空から轟いていた。

 そして、魔物の進軍によって大火災のように立ち上っていた煙が吹き飛ばされる。

 そして目に見えて、魔物の動きが鈍り、次第に止まっていく。

 しかしそれは当然かもしれない。

 サクも、そしてラテメアも、その場で動きを止めていた。


 いかな使命を与えられていようとも、その反応は、生物にとって当然のことなのかもしれない。


 この―――未知との遭遇は。


 そこには、“船”があった。

 黒光りした鉄の塊。全長二十メートル超。形状は籠のように角ばっており、上部には巨大な円が装着されている。否、あれは円では無く、何かが高速で回転しているだけだ。

 その船は、しかし波では無く―――空に、浮かんでいた。

 『ターゲット』を目指していた魔物の前方に浮かび上がり、『ターゲット』を守るように出現した―――“兵器”。


 “そしてそれが十数機”。


「―――!?」


 音源としては恐らくこの戦争最大規模の爆音が炸裂した。

 空をゆく“船”の底が開いたと思った瞬間何かが落下し、昼と見紛うほどの閃光をまき散らす。

 大規模術式でも放たれたような爆撃に、魔物の群れは燃え上がった。

 当然のように連鎖的な魔物の爆発。しかしそれさえも許さず再び投下。

 恐らくは爆発物であろうそれは、容赦無く連激を続ける。


「“ミツルギ=サイガ”か……!!」


 サクの呟きは、音としての意味をなしてはいなかった。

 大地の震動、魔物の断末魔さえも途絶する脅威の破壊は、容易く数多の魔物を屠る。

 間違いない。あの船の軍は、『ターゲット』の護衛をしている。

 となれば当然、製作者はミツルギ=サイガ。

 この地まで訪れた“飛行機”が無ければその発想も無かったろう。

 あんな物を創り出す恥知らずがいるとすれば、やはりあの男だ。


 サクの上げた信号弾は、空を犯すことを禁じられているこの世界で、脅威の兵器が夜空を闊歩しているこの光景を呼び寄せた。


「オオオォォォンンンッッッ!!!!」


 サクの背後、“言葉持ち”が叫んだ。

 爆音にも負けず劣らずのその咆哮に、炎上する被爆地の中、蠢く何かが離れていく。

 “進軍”。

 “言葉持ち”の指示はそれを意味していたのだろう。

 いかに驚異の爆撃とはいえ、『ターゲット』までの距離は近い。そして近付きさえすれば、あの爆撃は『ターゲット』の存在ゆえに使えない。数に頼って戦争の勝利を目指すつもりなのだろう。


 だがそれも想定内か。

 魔物の進軍を見た“船”の軍は、爆撃を続けながら下降を始めた。

 “白兵戦”。

 あの“船”の中には戦闘要員が詰め込まれているのだろう。どこに隠れたかと思っていたが、ミツルギ=サイガご自慢の兵士たちとやらはあそこにいたのか。

 広範囲爆撃で数を削った今、確かな勝機が生まれている。

 そしてまだまだ、山の向こうから同型の飛行物体がいくつか接近していた。更なる増援だろう。今度は、爆発物ではなく、白兵戦専門の人員ばかりを乗せているはずだ。


 サクは心底腹立たしくなって、笑った。

 結局どのルートが抜かれても、あの男は戦力を分散せずに迎え撃つ準備をしていたのだ。

 一体あの兵器を創り出すのに、いや、この戦争自体に、どれだけの時間と、どれだけの資金をつぎ込んだのだろう。

 “あの男が守護する対象からすれば”、この程度の規模は―――そして力は当然か。

 いささか納得できないところはあるが、これも何かのために発揮した力といったところだろう。

 爽快さすらある。


 そして、残るは。


「問題。問題が発生した。“だが問題無い”」


 燃え盛る虎。

 “言葉持ち”が、サクの正面で炎上を続ける。

 ミツルギ=サイガの言葉は正しい―――とすれば。

 目の前の存在は、魔物5万と等価と言われる“言葉持ち”。


「戦争。戦争を続行する。『ターゲット』の撃破は完遂する」


 リミットである日の出までは幾分時間がある。それまで、この化物を止めなければならない。

 サクは軽く身体の土を払い、ゆったりと、構えた。先ほどの魔物の大群に比べれば、相手は1体。こういう方が戦いやすい。

 魔力は底を尽きかけてはいるが―――とりあえず、この戦争を勝ち抜く理由を定めたところだ。


「その通りだ、問題無いな」


 敵残存勢力。


 魔物―――12000匹。


 知恵持ち―――0体。


 言葉持ち―――ラテメア。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


―――***―――


 “東の道”。


「……?」

「やーやー、クロッ君。意識はあるみたいだね」


 クロック=クロウの覚醒は、腹立たしくも聞こえる声と共にあった。

 ふと現状を思い出し、即座に身体を起こそうとする。

 しかし、動かない。

 僅かばかり焦ったが、トラゴエルの司令塔を撃破したことを思い出し、力を抜いた。


「サイガか……?」

「いえーい、見えてるかい?」

「…………生憎と、暗いよ」


 何も見えない。

 光源が無いからではないだろう。

 自分の声も、相手に届くか分からないほどの呟きだった。

 身体中の神経が麻痺しているのか、何も感じない。

 口が開けて、耳が聞こえるだけでも奇跡的だ。


「……一応、訊こう、か。俺は、死ぬか?」


 言葉が止まった。

 それでしか判断できないクロックは、しかし冷静に言葉を待つ。

 するとようやく、声が聞こえた。


「……だろうね。正直今のクロッ君よりマシな状態で死んだ奴を、俺は何人も見てきたよ。意識があるだけでびっくりだ」


 そんなに酷いのか。確かに人体が複数個所欠損しているような気もする。

 口や耳が使えることより、目が見えないことの方が幸運だったのかもしれない。


「……何を、しに、きた……?」

「様子見さ。落とし穴を避けたり跳んだりして、ね」

「例の、兵、器か」

「……途中でツバキちゃんに会ったよ。そして……、そのまま戦場へ行った。このルートに魔物はいない」

「そ……、うか」


 クロックは、心の底から安堵した。

 どうやら自分が立てたロジックは正常な答えを導いてくれたらしい。

 対価はあったが、それはそれ。

 それに元々死に場所を探していたような身だ。


 クロックが安堵のまま眠りに付こうとすると、不快なことに、隣に何かが腰を下ろした。

 その程度を感じ取れる感覚は残っていたらしい。

 本当に、運が無い。


「何、を、してい、」

「なに。旅立つ者の見送りだよ」


 言い切る前に、ミツルギ=サイガは呟いた。幻聴かもしれないが、聞いたことも無いような声色だった。

 だがそれでも、クロックは納得してしまう。見えもしないのに、サイガが浮かべている表情すら分かってしまう。

 この男は、きっと―――悼んでいる。

 やはり、“本当に理解できない”。


「悪、気は、あるの、か?」

「それはクロッ君がそうなったことに対して? それとも、俺の作戦で命を落とした数多の兵士たちに対してかな?」

「……ど、ちらも、同じ、だろう」

「ああ、そうだね。“悪気はあるよ。本当に、すまないと思っている”」


 それでも。

 口調は変わらない。悪気のある人間の声では無い。

 だが確かに、ミツルギ=サイガはそう思っているのだろう。


「多くの人間が俺のせいで死んだ。俺のせいで殺された。俺のせいで潰された。全員が俺を恨んで消えていく。その恨みを、俺は軽んじて受け止めてはいないさ。その恨みを、忘れたことなんてないさ」

「……お前、に、とっては、望、み通り、か」

「ああ、理想的だね。最高だよ」


 サイガは恐らく空を見上げているだろう。

 そう思うと、クロックは、最期くらいは空を見てみたかったと感じる。


 サイガは、僅かな溜め息を吐くと、当然のように、言った。


「誰も、我が主君―――“タンガタンザ”を恨まない」


 非道極まりない男と言われるミツルギ家現代当主。

 サイガが口にした言葉は、クロックにとって、死に際の答え合わせでしかない。


「見返りも、無いのに……、何故、そこ、までできる?」

「主君の繁栄が見返りで無くて、何が従者だ」


 サイガは当然のように言い放つ。

 やはりこの男は理解できない。確信してなお、いやそれゆえに理解できない。

 クロックは、自らの夢のために、夢の先に犠牲になった者たちに恨まれていると思っている。解決しようのない恨みを、ずっと受け続けている。

 死に場所を探すほどに、苦しみ続けた。それこそ、気を抜けば発狂してしまうほどに。

 その数千倍もの恨みを受け、しかしこの男は揺るがない。

 大陸そのものに仕えた男は、確かな恨みを我が身に受け、それに対する罪悪感も持ち合せて、それでもなお良しと言い切っている。


 どのような心の形をしていれば、そんなことができるのか。


「毎日考えるのに必死さ。タンガタンザへの被害を最小にするためには何をすべきか。タンガタンザが発展するには何をすべきか。そして、どうすれば誰もタンガタンザを恨まないようになるか、ね。勿論、去った者を悼むことも忘れない。多忙だねぇ、俺は」


 如何なる信念があろうとも、結局この男が非情な存在であることは変わらない。

 死者を出す出さないの2択では死者を出さないが、必要ならば死者を出す選択を躊躇無く選択する、人間の命で足し算引き算ができるような男だ。

 だがそんな男だからこそ、誰かに不幸があれば生まれた地を恨むのではなく、ミツルギ=サイガを迷わず恨めるのだろう。

 狂っている。自ら、そんな人柱になるような道を選択できるこの男は。


「ところで、クロッ君」

「……ん……?」


 待っても言葉を続けそうだったが、敢えて声を出した。

 そうでもしないと、戻れぬ闇の中に一直線に落ちてしまいそうだった。


「君は運命を信じるかい?」


 サイガが口にした言葉は理解不能だった。

 だがその声色は、どこか愚痴のようにも聞こえる。

 いつもの嘲るような声では無く、悩み事のようなその口調に、クロックは耳を傾けた。

 冥土の土産としては、随分珍しいものを聞けた。


「俺は今まで、タンガタンザを発展させようと色々と手を打った。ミツルギ家が保有する技術を、大陸中に広げようとした。だが、全て失敗している。運搬中に“たまたま”魔物に襲われたり、山の中で“たまたま”落石に遭ったりね。敢えて盗み出させたりしてみても、結局同じ。消息不明さ」

「……?」


 クロックの意識が、僅かばかり覚醒した。

 そして誤解があったことを理解する。

 “ミツルギ家から何かを盗み出した者の末路”。それはあまりに有名だ。“ミツルギ=サイガの手によって”、消息を絶っている、と。

 だがそれこそ、“サイガの普段の行いのせいで創り出された虚偽の情報”。

 ひと月ほど前、ミツルギ=ツバキが誘拐された事件を思い出す。

 あのときサイガは、誘拐犯を確保したことを不満がっていた。

 自らが手を下すつもりだったとでも言いたいのかと思っていたが―――違うというのか。


「盗み出されようが何をしようがタンガタンザに広がるなら俺にとって同じなんだ。“だけど必ず失敗する”。正直、運命を感じずにはいられないよ」


 本当にサイガは自分を悼んでいるのだろうか。

 そんなことを聞かされれば未練が残ってしまう。

 そうだ、確かに感じたことは何度もある。


 この世界は―――何かがおかしい。


「アグリナオルスから俺は聞いたことがある。“歴史のリセット”を」

「……、あ、ああ、その、話、か」


 クロックもサイガの口から聞いたことがある。

 『世界の回し手』。

 最古の魔族。

 アグリナオルスは、大陸を滅ぼし歴史を削除していると。

 それならば、歴史が広がるのもアグリナオルスの“削除対象”になる。


「……! まさ、か、アグリ、ナ、オルス、が?」

「かもね。だけど、奴はまだまだ他に“何か”を知っていた。もしかしたら歴史を削除するアグリナオルスの他に、“歴史を閉じ込める”存在がいるんじゃないか、って思っちゃうんだよ」


 他にアグリナオルスと同格の“魔族”でもいるのだろうか。

 “その存在”が歴史を閉じ込め、アグリナオルスが滅ぼす。

 そして世界は回り続ける。


 まさか。

 “その、存在は”―――


「どっち道、俺には“何のためにやっているのか”が分からない。それが分からなければ、“その存在”をいくら推測しようが意味が無い」


 話はここで終わりのようだ。サイガが立ち上がった気配がする。

 随分と良い土産を持たせてもらったと思う。もっとも意味は無いのだろうが。

 意識が。

 遠く、遠のいていく―――


「ありがとうクロッ君。君も俺を恨むと良い。俺は背負うよ。“君に主君を頼んだときから”、この去り際は予想していた」

「“主君の、件と、は少々、期待を裏、切ったが”」

「ああ、そうだね」

「それ、でも、お前を、恨、ま、ない」


 もう声は出ていないのかもしれない。

 何も聞こえない。

 何も感じられない。


 だけど、言った。伝えるために。


「―――ツバキに逢えたのは、救いになった」


 きっと。

 あれだけ切望していた死に場所がこんなに苦しいのも、その出逢いがあったからだと。


「ありがとうクロッ君。最期は俺の愚痴ばっかになったけど、少しだけでも気が紛れてくれたら幸いだ」


 そう言って。

 サイガは紅い衣をかけた。

 ミツルギが、戦場の中、曝すには惜しいと思った相手に対する手向けの儀式。

 燃えるような命の色を、去りゆく者に添えていく。


 娘のサクラには、随分と適当なことを言った気がするが―――まあ、流石に信じてはいまい。


「さようならクロック=クロウ。俺は君のことも、君の苦悩も、決して忘れないよ」


 衣に背を向け、サイガは巨大な移動兵器に歩き出す。

 そして、その途中、小さな影に声をかける。


「ツバキちゃん。随分静かだったね」

「……クロック様は、きっと、見られたくなかったと思います」


 表情は硬く、口は真一文に閉じている。

 小さな影の声は枯れていた。身体は小刻みに震え、油断すれば、横転しそうなほど重心が無かった。


 それでも。

 確かに、立っていた。


「よくクロック様に言われました。私は悲劇を知らな過ぎると。だから何が起きても、泣き叫ぶことはできないと。その通りですね、今の私、泣いてません。きっと、身体がそうなんです。泣けない」


 サイガは黙ったまま、移動兵器に乗り込んだ。

 慌てふためくツバキを乗せてここまで来たが、こんな光景ならば、見せるべきではなかったかもしれない。

 だがそれでも、サイガは、連れてきた。

 この光景は、彼女にとって、必要なものだと察したから。


「でも分かった。ちゃんと、心に刻んだ。人の死は、悲しいことなんだって」


 サイガは僅かばかり安堵の溜め息を吐き出した。


「馬鹿ばっかりだねぇ、ミツルギ家は」


 サイガは呟き、兵器を稼働させた。

 娘に持たせた信号弾は上がり、爆撃音は聞こえている。

 日の出まであと僅か。

 どうやらいよいよ、決着の時が近づいているようだ。


「クロック様。ありがとうございました」


 姿勢を正し、頭を下げたミツルギ=ツバキの姿は、後ろから見ても、自然なものだった。

 きっと、後で彼女はこの光景を思い起こし、大いに泣くだろう。

 震えて眠れぬ夜もあるだろう。

 それでも。

 どうやらツバキは学んだらしい。人になるための大切な一線を、手遅れになる前に超えられた。

 “幸運にも”、ミツルギ=サイガと同じ道を歩むことは無かったようだ。


「俺は行くけど、どうする?」


 分かっていて訊いた言葉には、即座に応答があった。

 ツバキは、小さな身体で巨大な兵器に乗り込ませ、呟いた。


「行きます。戦場へ」


―――***―――


 “中央のエリア”。


 慌ただしい進撃と、人ならざるものの咆哮。それに紛れ、対抗する人間の砲撃が炎上させ、噴火直前の火山のように戦場に激震を轟かす。


 そして。

 その総てを消し飛ばすような爆音が大地を打った。


「づ―――」


 バゴッ!!


 地を打って、何が起きればそんな音が鳴るのか。

 飛び跳ねるように離脱したサクの足元が、空箱を潰したように陥没した。


「速度。速度が問題。回避された」


 それは。

 虎の爪だった。

 体長は5メートル超。身体総てが燃え盛り、言葉を有する炎の化身。

 数対数の戦場を背後に、サクが対峙する規格外の化物。


 ラテメア。

 “言葉持ち”と種別される、“魔族に最も近い魔物”。


「速度。速度が必要。“ならば加速する”」


 ラテメアが全身を後ろに倒し、サクの姿を捉えた瞬間、跳躍した。

 ゾッ、とするほど爆発的に加速したラテメアは、獲物に飛び付くかの如くサクに野太い腕を振るう。


 だが。


「ふ―――」


 サクの速度はその加速の上をゆく。

 瞬時に展開した足場改善の魔術。

 消えたようにも見える移動と共に、その腰から愛刀を抜き放つ。

 狙いはその腕の切り落とし―――


 ブッ!! と空を切るような音が聞こえた。

 あまりに抵抗の無い感触に眉を寄せるも、しかし体勢は崩されずサクは難なく振り返る。

 切り裂いたはずの腕が、更なる炎上を引き起こし、腕が生え換わるように再生されていた。

 すれ違うように再び距離を取った両者は各々構えを取った。


「……これが無機物型か」


 サクは険しい顔つきになっていた。

 自分が切断したと思った腕は、未だ煌々と燃え上がっている。

 炎が一体どういう原理で原形を留め続けているのかは不明であるが、刀を使うサクにとって面倒なことこの上ない。

 サクはそもそも、一撃必殺型だ。

 尋常ならざる速度で近付き、刀で魔物の命を刈り取る戦術。

 硬度を有する敵相手には幾度か切りつける必要があるものの、それでも動きの鈍るであろう場所を狙って刀を振るう。洗練された技術による一撃必殺。

 だが、相手は無機物型―――形の存在しない敵だ。

 虎ではあらず、炎である。

 “核”といわれる場所があるらしいが、言ってしまえば急所はそれだけ。

 腕を斬り落とせば再生の時間は稼げるようだが、どれだけ傷つけようと、“正解”を引き当てない限り相手は疲弊しない。


 その一方で。

 ラテメアは。


「―――!!」


 再び爆発的な加速。

 両腕を突き出し飛びかかって来たラテメアに、サクは立ち向かわず、素直に回避する。

 直後、爆音。

 遠方の大群の音をかき消すような破壊の力は、容易に大地を陥没させた。


「回避。回避を確認。“しかし当たれば決まる”」


 魔力色の確認などするまでも無いだろう。

 常軌を逸したこの破壊力。


 “火曜属性”。


 技術では無く単純な破壊力で一撃必殺を容易に演出するその力を、人の身に受ければどうなるかなど、分かり切ったことである。


 どうする―――


 相手の“核”の位置が分からない。

 いや分かったところでそう何度も敵の懐に飛び込めるとは思えない。

 あの牙が、あの爪が、僅かでも身体に触れれば瞬時に吹き飛ぶ。


 ラテメアにまとわりつき、幾度も斬りかかれば“正解”を引けるかもしれないが、それでも破壊の極限地帯であることには変わらない。

 そもそも、自分の魔力は切れかけている。

 これほど危険な相手ならば常時発動させておきたい足場改善の魔術も、移動の瞬間にしか発動できない。

 僅かなミスを犯せば死。

 極度の緊張が汗となってサクの頬を伝う。


「戦闘。戦闘を続行する。“破壊する”」

「―――、」


 サクは迷わず回避を選んだ。

 ラテメアが跳びかかり、腕を振るだけで災害クラスの振動が発生する。

 圧倒的に相手が悪い。

 相手が生物ならば高速の世界にいるサクは優位に立てるが、形の無いものでは勝機が無い。

 この存在を上回るには、先ほど飛行物体が投下したような爆撃をその身に浴びせるしかない。

 いや、それでも不可能だ。

 火曜属性は、破壊と表裏一体の抑制する力も有している。

 破壊は相殺されてしまう。


「……!」


 サクの背筋に冷たいものが走る。

 今、ラテメアはサクの破壊を目論み暴れ回っている。可愛気は無いが、猫がじゃれているようなものだ。模した虎の習性ゆえなのかもしれない。

 だがもし、ラテメアが“本来の目的”を思い出したらどうなるか。

 恐らくラテメアは、飛行物体が投下する爆撃を、ミツルギ=サイガの兵たちを超えられる。

 そうなれば、『ターゲット』までの道を遮るものは何も無い。


「っ―――」


 無駄と知りながらも、サクはラテメアの身体を切り裂いた。

 すれ違いざまに放った胴切り。

 しかし直後に下半身は溶けるように消え、再び炎上。即座に生え換わり、炎の虎は再び狩猟の構えを取る。

 攻撃に転じたサクを睨みつけていた。


 それで構わない。

 自分が囮にならなければ、この戦争は最悪の形で終結する。


「抵抗。抵抗した。何か思いついたか」

「……当然だ。この旅で、お前程度など幾度も見てきた」


 人の形をしていないものと言葉を交わすのがここまで違和感を生むとは思わなかった。

 僅かな嫌悪感と共に、サクは嘲るように顎を上げた。

 そしてさりげなく空の色を確認する。

 魔物を罠にかけていたときから始まり、随分と長い間戦い続けている。

 あと、しばらくすれば日が昇るだろう。


 この戦争の勝利は敵の首を取ることでは無く、『ターゲット』を守ること。

 朝日を迎えるまで、この“言葉持ち”の注意を引いておけばいい。


 問題は、この“言葉持ち”がどこまで理性的であるかだが―――


「“なら殺してやるよ”」

「!!」


 ラテメアは、分かりやすいほど挑発に乗った。

 毛を逆立てるように勢いを増した虎は、周囲の水分を奪い尽くすように炎上する。

 回避しなければならない間合いを、即座に修正。すれ違いざまの斬激を浴びせることも難しくなる。

 サクは急遽、足場改善の魔術を発動させた。

 まずい。このペースで使用していては、日の出などより遥かに早く、自分の魔力は枯渇する―――


「ああそうだな、ぶっ殺す」


 瞬間。ラテメアが大地を砕いて後方へ離脱し、砕かれた大地がスカイブルーの一閃に切り裂かれる。

 “斬激の延長”。

 剣であるのに遠距離攻撃を可能にした魔術の主が、ラテメアに向かって構えを取る。


「今度は炎かよ。もう何見ても驚かねぇや」

「……グリース=ラングルか」


 現れたグリースに、サクは安堵を漏らした。

 仲間が増えたというのも大きいが、彼が“うかつなこと”を言いそうにないのが大きい。


 グリースは、ラテメアに警戒しつつサクに近付く。


「勝算は?」

「ほぼ無い」


 呟くように言葉を交わしただけで、グリースは察したらしい。

 ミツルギ=サイガによって、事前に教え込まれたこと。

 この戦争は、あくまで『ターゲット』を守護することにあるのだと。


 ゆえに、グリースは察した。

 この炎の化物の意識を、決して『ターゲット』に向けてはならないと。


「さてと化け猫。かかってこいや」

「増援。増援を確認。破壊する」


 グリースが剣に魔力を込めた直後、ラテメアが爆発音と共に大地を蹴った。

 破壊を司る属性の猛チャージの対象は、現れたばかりのグリース=ラングル。いかに相性で勝る水曜属性のグリースでも、直撃すればただでは済まないだろう。

 しかしグリースが回避することは無かった。


「クォリズル!!」


 光線のようにも見えるラテメアの突撃を迎え撃ったのは、スカイブルーの“波”だった。

 斬激を線では無く帯状に延長させ、鞭打つようにラテメアの顔面を狙う。

 バシィッ!! と、唸りを上げたグリースの攻撃は地を打った。

 大地を砕きながらの急停止後、光が鏡に当たって跳ね返るように、ほぼ直角に回避したラテメアは、正しく獣のような機敏さで再び突撃姿勢を取る。

 グリースは眉を潜め、ラテメアの直線ルートから逸れる。その直後、一撃必殺の名に恥じない爆撃が大地を陥没させて揺さぶった。


「……、」


 グリース=ラングルは思考する。

 確かに、この一撃は脅威だ。

 自分が、“自分たち”が撃破した『布』より遥かに破壊力がある。

 破壊力。俊敏性。反応速度。全て、グリースが見てきたどの魔物より上だ。

 『ターゲット』へ向かって一直線に駆けられでもしたら、止める手段など存在しない。

 “だが腑に落ちない”。

 こいつは本当に―――“無機物型か?”


「クォンティ!!」


 今度は横なぎ。

 ラテメアが跳びかかる前にその身を狙う。燃え盛る虎は軌跡を残し、その一閃をかいくぐった。流石に“言葉持ち”といったところか。不意を付けるグリースの魔術をすでに理解しているのか、容易に捉えることはできない。

 “しかしそれこそが妙だ”。


「ふ―――」


 ビュンッ!!

 グリースの思考は、風切り音によって遮られた。

 “ミツルギ=サクラ”。

 その場の誰もが反応できなかった斬激が、ラテメアの身体を輪切りにするように通過した。

 炎上。ラテメアの下半身が生え換わる。しかしラテメアが反応するより前に、彼女はその場から離脱していた。

 大地を滑るように移動するあの速度は常軌を逸しているが、ラテメアにダメージは無い。

 刀では、炎を上回れないということか。


「クォンティ!!」


 ラテメアの注意が逸れた瞬間、サクの攻撃に合わせるように、グリースも魔術を放つ。

 しかし回避。

 速度の大きく劣るグリースの攻撃は届かない。


「……、」


 そう。

 グリース=ラングルは思考する。

 決定的に妙な点。

 “何故自分の攻撃が当たらないのか”。

 不意打ちに近い剣による遠距離攻撃が通用しないのが不可解なのではない。

 相手が如何なる速度を持とうが攻撃を命中させられる自信があるわけではない。


 ただ単に―――“相手に回避する理由が無いからだ”。


 グリースは先ほど、“空気の無機物型”と交戦している。

 戦闘中、決定的に問題だったのが、“己の攻撃が相手に通用しないこと”。

 無機物型である以上、既存のロジックに当てはまらない構造が強みであるはず。

 ならば、グリースの攻撃など、あの『布』のように、我が身に受けることは何ら問題では無いはずなのだ。

 具体的には、グリースが何を放とうがそのまま突撃を続行することが可能なはずだ。


 不可解な相手を、自分のロジックへ落とし込む。

 相手は不死でも全能でも無い。


 ならば。

 あの『布』のように、この炎の虎にも、“致命的な弱点が存在する”。


 それは、何だ―――


「オオオォォォンンンッッッ!!」

「―――!!」


 僅かばかり反応が遅れた。

 サクが回避したラテメアが、そのまま弾かれるようにグリースへ突撃を繰り出す。

 迷わず回避を選んだグリースは、しかし置き土産として腕を突き出した。


「シュロート!!」


 放った魔術は陥没した地面を空しく削った。

 毬のように跳ね上がったラテメアは、今度はサクへ突撃する。

 サクも今度は迎撃を狙ったのか、すれ違いざまにラテメアを切り裂く。

 僅かばかり怯んだのち、ラテメアは油断なくふたりを睨み、突撃の体制を整えていた。

 ダメージは、やはり無い。


 そこで。

 グリースは決定的に妙な点を察した。

 そうだ、そもそも、自分のロジックでは―――炎は。

 無機物では無く、“事象”と言える。

 ならば。


 “何が燃えているのか”。


「っ、」


 グリースは目を凝らしてラテメアを睨んだ。

 目が焼かれるように煌々と燃える虎。

 その、額付近。

 “どす黒い何かが影を落としていた”。


「おいピコピコ頭!! 奴の額に“核”があんぞ!!!」


 察した情報をグリースは叫んだ。

 サクは改めてラテメアを睨むことなく頷き、腰を落とす。

 彼女が気づいていたかは分からないが、どの道、その情報にはあまり価値が無いことは理解しているのだろう。無機物型の“核”の数は、必ずしもひとつで無いことなどミツルギ家には知れ渡っているのだから。

 だが、そうではない。

 グリースが察した、ラテメアの正体。

 それが、奴にとって致命的な弱点を作り出す。


 グリースは、ふっと笑い、ラテメアに言った。


「お前、“魔術攻撃を受けたら死ぬな”?」


 ピリ、と。ラテメアの気配の色が変わる。

 どうやらアタリを引いたらしい。


 炎は事象。ラテメアは、炎に宿った命では無く、“炎を生み出し形作られているに過ぎない”。

 それがロジック。

 ならばその炎は何から生み出されているのか。

 決まっている。“核”だ。


 ラテメアの本体である“核”は、魔術を用い、周囲を炎上させるという事象を引き起こしている。

 そしてその生み出された炎を魔術で操り、虎を形作っているのだろう。

 いや、操るというより、属性柄、“強烈に抑え込んで”、と言った方が的確か。

 制御というのは本来水曜属性の本文ではあるのだが、火曜属性以前に、どの属性でも“燃え盛る炎を取らの形に変化させる”という現象を解釈すれば不可能な話ではないのかもしれない。それでも、相当な魔力のコントロールを要されるであろうが。


 だがここから先、ラテメアという“事象”のもうひとつの構成要素が実現可能な属性は縛られるであろう。

 グリースは、『布』が“核”ごと爆破された光景を見ている。“核”はそこまで万能な強度を誇っていないことを自らのロジックとして保持している。

 ラテメアを創り出すためには、“核”を、“荒ぶる炎から守り切らなければならない”。

 最初に思い起こされる実現可能な属性は―――土曜属性。そして次に、“火曜属性”。

 破壊の力と表裏一体に存在する、“自ら発した衝撃をも抑え込める性質”があれば実現可能なのであろう。

 そこまで推測すると、ラテメアの“核”に層があるような気さえしてきた。

 虎を模した炎の中、核の表面に、炎を創り出す破壊の魔力。

 その内面に、破壊を抑え込む魔力。

 それをようやく乗り越えて、ラテメアの“核”に辿りつける。


「正直よ、脅威っちゃ脅威だ」


 ラテメアの身体は破壊の力一色で染まっている。

 触れただけで身体の一部を持って行かれるほどの破壊力。

 “核”を打つためには、その危険区域に飛び込まなければならない。

 それでいて、火曜属性には抑制する力もある。

 生半可な攻撃では封殺されるし、封殺された直後に待っているのは粉砕。


 火曜属性の無機物型というのは、あるいは最も驚異的な組み合わせなのかもしれない。


 だが。


「それは近距離戦だけだ。お前が魔術攻撃を受け、抑えきれなければ“核”の周囲の魔術が暴走する。お前は常に、相殺失敗のリスクを負ってんだろ」


 “火曜属性の相殺失敗”。

 それがどれだけ悲惨になるかをグリースは見たことが無い

 だが、“知っていた”。とある少女の、授業染みた話の中で、自分のロジックに落とし込んでいる。

 火曜属性の術者は、驚異的な衝撃の前にも“抑え込み”の選択肢が存在する。

 しかしそれを損なえば、抑制分の魔力が存在しないまま、敵と、そして己の魔術の反動をその身に受ける。運よくそれさえ押さえ込めても、使用する対価は“生命”。どの道結果は変わらない。

 ましてやラテメアの“核”はある意味で向き出しだ。

 身体に僅かでも魔術による干渉を受ければ、その不純物に対して破壊か抑制の2択しか持たない身体のバランスが大きく崩れる。

 だから、ラテメアは、魔術攻撃に極端に弱い。

 破壊力の対価として、無機物型の不死性を捨てている。

 サクの攻撃を我が身に受けても、グリースの攻撃だけを神経質に回避するのは、その特性をラテメア自身、理解しているのだろう。


「速度。速度が問題。当たらなければ意味がない」


 ラテメアは、“言葉持ち”らしく、呟いた。

 それはその通りだ。

 現にグリースの攻撃は命中していない。


 この場でラテメアを捉えられるのは、魔術による攻撃ができないミツルギ=サクラだけだ。

 いや、グリースの攻撃にしたって、正確にラテメアの身体を捉えなければ意味がない。

 身体に魔術が届く前に、ラテメアの火曜属性の力で抑え込まれる。

 つまり、ラテメアを下すには、先ほどサクがやったように、ラテメアの意識が向いていない個所への攻撃―――例えば胴切りなどを、“グリースが”行う必要がある。


「だけどよ、条件は同じだな。“当たれば決まる”」


 理想的な攻撃パターン。

 それは、サクがラテメアの動きを止め、グリースが決めることだ。

 グリース単独ではラテメアを捉えきれない。

 それが最善。


 だがグリースは、言っておいて、ラテメアの撃破を執拗に狙うつもりは無かった。

 正直なところ、この戦争に参加している魔物総てを撃破したい気持ちはあるが、『ターゲット』を守り切ることに比べれば些細な感情だ。

 弱点が分かったとはいえ、相手は火曜属性。

 破壊力を司る属性。

 下手に撃破を狙い、グリースかサクのどちらか一方でも撃破されれば勝機は無くなる。

 今まで通り上手く挑発して、時間を潰し切った方が得策だ。


「“そう、速度だ。速度が問題。それさえ解決できれば”」

「―――、」


 炎の虎の言葉で、グリースの背筋が一瞬で冷え切った。

 “何かが、恐い”。

 敵を自らのロジックに落とし込み、弱点さえも見つけ出し、戦争に勝つパターンも想定できた。

 “だが、恐い”。しかし理由は即座に分かった。


 魔物との戦闘。

 未知の無機物型。

 自分は、“無機物型”との戦闘を、自分の世界である、魔物との戦闘に落とし込み、この戦争を戦い続けてきた。

 だが。

 そもそも無機物型とは―――“ラテメアの力の一部でしかない”。


 そうだ。

 目の前にいるのは、炎の無機物型と言うより―――“言葉持ち”。

 魔族に最も近い魔物。


 そんな魔物が本当に―――“こちらの狙いを看破できないのか”。


「っ―――」

「!!」


 目に見えた変化が発生した。

 グリースより僅か離れた場所に立っていたミツルギ=サクラの身体が崩れる。

 立ちくらみを起こしたように座り込む彼女を見て、グリースは総てを察した。


 彼女の魔力は底を尽きかけていた。

 ラテメアにとって、脅威なのは動きを止められること。

 動きを止められさえしなければ、弱点の魔術攻撃が放たれても回避、迎撃が可能。

 動きを止められさえしなければ、ラテメアは『ターゲット』まで駆け抜けられる。


 だから。

 ラテメアは、“彼女の魔力が切れるのを待っていた”。


「さあ、ラテメア―――」


 そこで、不快な、聲が聞こえた。

 まるで土砂災害にでも遭ったような西の崖。その岩の上に、『鋼』の巨体が立っている。

 まさか、あれが―――


「っ、アグリナオルス!!」


 地に伏し、顔が青ざめていたサクが叫んだ。

 この百年戦争の首謀者は、その鉄仮面で世界を見渡し、そしてその鉤爪で―――『ターゲット』へ指を差した。


「―――世界を回して来い」


 燃え盛る虎からおびただしい魔力が放出された。

 炎が燃える、燃え盛る。

 岩すら鉄すら溶かすように煌々と燃えた虎は、飼い主に餌の許可を得たかのように四肢に力を込める。


 グリースは道を塞ぐべく、駆けた。

 が。


 次の瞬間、目の前に赫い閃光が走った。

 届かない。


「オオオォォォオオオォォォオオオンンンッッッ!!!!」


 その雄叫びは、全ての生物に届いた。

 魔物の掃討をある程度終えこちらに増援を企てていたミツルギ=サイガの兵たちも、極少数となっても『ターゲット』を狙い続ける実直な魔物の残党も、全ての視線が燃え盛る虎に突き刺さる。

 駄目だ。

 あのミツルギ=サイガの兵たちではラテメアを止められない。

 水曜属性の魔術師は当然いるであろうが、突如として襲来した燃え盛る炎を相手にまともな反応などできるはずもない。

 正面から挑めば魔術は封殺。回り込もうとしてもその頃にはラテメアは包囲網の遥か彼方だ。

 そしてラテメアの突撃は、あの重厚な『ターゲット』の屋敷を容易に砕く。

 日の出は近い。確かに近い。

 だが、『ターゲット』までの距離は、圧倒的に短かった。


「っ―――」


 ミツルギ=サクラは強引に立ち上がった。

 頭痛は酷く、魔力酷使の影響か、四肢は痺れ始めている。体力も魔力も、すでに残されてはいなかった。

 ギリと強く歯を噛みしめる。

 “自分が最後の砦だったのだ”。それを知っていれば、きっともっと上手く魔力を温存できた。


「―――、」


 ラテメアは、遥か彼方だ。しかし、自分にとっては追いつけない距離では無い。

 サクは魔術を発動する。魔力が残っていなくとも、使える“対価”はきっとある。

 ここで止まっていたら、きっと、大切何かができたとしても、まだ見ぬ力を手に入れられないだろうから―――


「―――づ」


 ガチンッ、と身体に制御がかかる。

 高速で滑り出すはずの地面が動作不良を起こしたように停止する。

 そして、揺らぐ、視界。

 動けないことは明白だった。対価の最後の一線など、容易に超えられるものではないらしい。


 揺らぐ、揺らぐ、世界が、揺れていく。


 その、揺れた視界。

 遠方の『ターゲット』へ向かう赫い線。


 “その先”。


―――そこに、誰かが、立っていた。


「…………これは違うじゃないっすか」


 “ヒダマリ=アキラ”は目の前の光景をぼんやりと眺めていた。

 ぽつりと呟く言葉は悲哀に満ち、しかし表情は穏やかだった。


 結局無駄となった魔物捜索は、中央のエリアからの爆音にて中断。

 とんぼ返りで中央のエリアに到着。

 とりあえずは魔物が出現したらしい西の崖と『ターゲット』を結ぶ線上に移動した途端、光線のような赫の軌跡が駆け出してきたところだった。


 どうやら光線は、虎を模しているようだ。

 炎の、虎。

 あれが無機物型の魔物とやらなのか、存在自体理解の外だ。


 そして、属性。

 見れば分かる、破壊の属性。

 そんなものが高速で接近していたら、普段のアキラなら迷わず回れ右をするところだが、背後には『ターゲット』。

 回避は論外だ。


「―――、」


 ぼんやりと、アキラは炎の虎を睨む。

 見るだけで、あの炎はアキラの攻撃能力を大幅に上回っていると分かる。

 触れただけで破壊する色。燃えたぎる、赫。


 だが、思う。

 “回避は不要だ”。


「サボった分は、働くさ」


 アキラはするりと剣を抜いた。

 魔力の原石を使用した剣。

 武器を壊すことが日常茶飯事のアキラの雑な魔術を受けても、傷ひとつ入らなかったこの剣。

 正直、魔力の原石とやらがどのような特性を持っているのか理解できなかったし、最初はそれだけで満足していたアキラだったが、使用を繰り返す内に、分かったことがある。


 魔力の原石の特徴。

 魔力を蓄え、魔術を弾く。


 その意味は、


「キャラ・ライトグリーン」


 グンッ、とアキラの身体能力が急速に引き上がる。

 炎の虎は最早目前。

 しかしそれさえ容易に迎え撃てると錯覚するほど、身体中の力が押し上がる。

 それでもまだ、足りない。


 だが。

 魔力の原石の剣には、アキラの身体への魔術干渉を受けつけなかった―――“変換前の魔力が蓄えられている”。


 アキラが理解した魔力の原石の特性。

 難しい理論は未だ分かってはいないが、単純に、自分が使用する魔術の影響さえも受け難いというものだった。


 身体と剣。

 今までその両方に魔力を張り巡らせても、身体の魔力が木曜属性を再現すれば、意識を向けていない剣の魔力も勝手に変換されてしまう。身体と剣が、魔術によってつながってしまう。

 剣への干渉も同様。

 剣の魔術にひっぱられるような形で、身体の魔力も変わってしまう。

 多数の魔術を同時に操ることはできない。

 以前赤毛の少女に聞いたところ、それは当然のことのようだ。例えば水に絵の具を落とせば、全ての水が同じ色に染まってしまう。


 だが、魔力の原石の存在は、水の中に仕切りを作り出す。

 身体への魔術干渉が剣には勝手に伝わらない。

 かと言って、剣の魔力を変換できないわけではない。剣の魔力へ直接干渉しなければ魔術へ変換しないだけだ。

 身体への干渉と、剣への干渉。

 それらを別個に行う必要がある。


 本来なら。

 そんな面倒なことをする必要が無い。できたとしても別の魔術に連続で切り替えた方が効率は良い―――そう、“同じ属性の力しか使えないならば、同時に使う必要性が存在しないのだ”。


 しかし。

 それに意味を見出す―――“不可能を超越した属性が存在する”。


「おおおぉぉぉおおおっっっ!!!!」


 雄叫びを上げ、ダンッ!! とアキラは地を蹴った。

 上げに上げた脅威の身体能力は、前方の虎のように大地を砕き、疾走する。


 赫の閃光と根源の色の線が互いを目指して闇を走る。


 炎の虎には表情があった。

 準備は万端。

 火曜属性の圧倒的な破壊力は、高がひとりの突撃など問題にも成り得ない―――“それがロジック通りならば”。


 正直なところ、アキラは、今から起こる事象の結果がどうなるか分かってはいなかった。

 自分が宿す身体の力は知っている。

 自分が放つ剣の威力は知っている。


 だが今から臨むのは未知の領域。

 自分が成すのに、自分では計れない。


 “論理の崩壊が始まる”。


「―――、」


 瞬間。激突直前の閃光から離れた崖のなれの果ての上―――“アグリナオルス=ノアは感じた”。


 現れたときは注視する必要も無いと“経験上”感じられた存在が、別の何かに変貌する悪寒を。

 今まで幾人も見てきたが、“その誕生の瞬間”に立ち会ったのは久方ぶりだ。

 いっそ笑い、嗤う。

 自らが創り出したラテメアには気の毒だが、その衝突の結末を察し切った。


 ロジックに縛られたこの世界の存在が、その先に踏み出すその光景。

 未知の領域に1歩、足を踏み入れるその瞬間。


 論理崩壊。


 その存在を相手にしては、欠陥を抱える無機物型ではいささか分が悪い。


「キャラ・スカーレット!!!!」


 日輪属性の男が叫ぶ。

 見れば分かる。


 “火曜の破壊が、木曜の威力で発動した”。


 ロジックの枠内に存在してはならぬ威力。

 その一撃は、燃え盛る虎を脳天から斬り裂いた。

 無機物型にとって斬激などは問題ではないが、剣の周囲には炸裂するような破壊の魔術。

 剣から吹き飛ぶように射出された魔術は、ラテメアの身体を粉砕する。

 “核”の確認など不用であろう。

 火曜の力を常に纏ったラテメアの末路は、敵の攻撃を封殺できなかった時点で決定する。


 引きちぎられた炎の身体は四散し、男の背後で爆音を奏でた。


「ここにもいたか―――“線超え”が……!!」


 この瞬間は、何度見ても心躍るものがある。


 ミツルギ=サクラは絶句した。

 あれは、本当にアキラか。あんな山をも砕く化物を真正面から切り捨てたのは、本当にあのヒダマリ=アキラなのだろうか。

 だが、この眼で確かに見た。

 あそこまで非日常的な光景を、アキラはあの剣1本で作り出してみせたのだ。

 魔力の原石。脅威の武具。

 しかしサクは、首を振る。

 違う。自分はずっと見てきた。あの男がどれだけひたむきに己を磨いてきたのかを。

 剣など、きっかけに過ぎない。

 あれは、日々積み重ねたことが、たまたまここで開花した。ただ、それだけ、師にとって誇るべきことであるだけの結果だ。


 グリース=ラングルは驚愕した。

 あの男は、とうとうその領域に足を踏み入れた。

 このタンガタンザで再会したときも、贔屓目に見ても自分の方が勝っていた。

 だが今や、あの姿だ。

 人間とは、ここまで成長できるものなのか。

 少しだけ悔しくもあり、正直、まだまだ足りない部分はあるのかもしれないが―――それでも。

 奴は確かに、『ターゲット』の守護をしてくれた。

 今はただ、それを喜ぶべきなのだろう。


 そして、ヒダマリ=アキラは。

 俺はもしかして、伝説の武具とやらを手に入れてしまったのではないか……、と恐怖していた。

 そして穴が空くほど剣を注視する。

 正直なところ、確かに全力で放ってみたが、予想すらできなかったが、見るも恐ろしい化け物を一撃で屠れるとは思ってはいなかった。未だに信じられない。

 だが、確かに覚えている。

 火曜の力の再現は、今まで敵を滅してはいたものの、自分も弾かれるような衝撃を受けていた。しかしそれは今、木曜の力で抑え込まれた。

 木曜の力の再現は、今まで敵を滅してはいたものの、剣の攻撃というより棒きれで強引に敵を引きちぎっていた。しかしそれは今、火曜の力で剣そのものの破壊力を両立させた。


 未完成な攻撃の、完全なる補完。

 敵を滅する最たる例の2属性の同時再現は、やはり、この剣によるところが大きい。

 そして。暴走するような威力の中でも、振るった剣は狙いを損なわなかった。


 アキラが今まで培ってきたものが、パズルのピースを嵌めるようにひとつの絵を描く。


 これは、自惚れかもしれないが―――“当然の結果だ”。


 日の出まであとほんの僅か。

 背後で争いを続けていた魔物の大群はとうとう全滅したようで、中央のエリアには静けさが戻ってきている。


 これで、最も欲したものは、動かない―――


『残念なことだ』


 そこで。

 不気味な“聲”が聞こえた。


 遠方。

 サクとグリースがいる、さらにその先。崩れ切った山。

 そこに、月灯りを浴びた何かが立っている。


 その場全員の視線がそこに向いた。


 アキラは歩き出す。注視する。

 あれが何なのか分からない。


 1歩ずつ、1歩ずつ、前へ進む。

 そして徐々に見えてきた。


 あれは―――『鋼』だ。


『しかしミツルギ家の兵器と“線超え”が相手では、この損害は妥当なところなのだろう。何せ、2年前の敗北は、“線超え”だけで演出されたようなものなのだから』


 アキラは眉を潜める。

 痛烈な嫌悪感。

 あの存在の空気が、熱気包まれる戦場にあって、不快な寒さを持っている。

 まるで、触れれば切れるような、正しく鋼のように。


「……、」


 悪寒がする。未知なる領域に踏み入れたアキラの感性は、それゆえに、鋭敏に恐怖を拾う。

 アキラはさらに進んだ。

 駄目だ。あの存在を完璧に視認できなければ危険だと、頭の中で何かが叫ぶ。


 あの存在の正体は、考えずとも分かる。

 今自分が撃破した存在とは別格。

 情報通りの姿をしているそれは。


 『世界の回し手』―――アグリナオルス=ノア。


 アグリナオルスは続ける。


『さて、間もなく日の出か。後数分であろう』


 アグリナオルスが立つのは西の崖。

 中央のエリアは膨大だ。その中央に在る『ターゲット』までの距離を考えれば、最早勝利と言ってよい。


 だがアキラは、その時間を短いとは感じられなかった。

 “ジャスト”。

 2年前の戦争で起こった事態。

 その話が記憶に蘇る。


 そう。

 後数分で―――“あの位置から『ターゲット』が破壊される”。


『帳尻を合わせんといかん。戦略的に行きたいところだったのだが、やはり中々に難しい。そもそも根本的に、俺は戦略を取る気質では無いのだろう。属性としても、そういったところがあるしな』


 アキラは身体中に魔力を張り巡らせた。

 危険。

 中央のエリア総てが危険区域。

 そしてこれが―――タンガタンザ物語の最終戦。


 今。

 このタンガタンザを壊滅状態に陥れた存在が。


『“結局俺がやった方が早い”』


 世界を回す。


「ォォォォォォオオオオオオーーーッッッ!!!!」


 『鋼』は身体中から魔力を放出し、地獄の底にも響き渡るような唸りを上げた。

 太陽が訪れる直前の夜空が、別の色に染め上げられる。


 色は―――“翠”。


 鮮やかな色が、『鋼』の身体を覆い尽くす。


「木曜属性!?」


 前方でサクが叫んだ。

 アキラも正しく危険性を理解する。

 人間が宿すだけで自分の何倍もある魔物を容易に叩き伏せられる、身体能力を司る属性。


 それが。

 『鋼』の身体を持ち、人間を遥かに超える力を持つ“魔族”が操れば、どうなるか。


 ゴォオッ!! と、嵐が躍った。


「―――!!」


 アキラが察した瞬間には、アグリナオルスは土煙を上げ、目前まで迫っていた。

 西の崖は、アグリナオルスが駆け出した途端倒壊を始める。

 魔力の切れている様子のサク、速度不足のグリースは容易に追い抜かれ、一直線に『ターゲット』を目指して進んでくる。

 その速度は、先ほどの炎の虎はおろかサクすらも超えていた。

 駆けているのに跳んでいるようで、飛んでいるようなその動き。

 翠の軌跡を残すそれは、美しさすら感じられた。


 技巧を凌駕した純粋な身体能力を有する、規格外の魔族。

 それが。

 直後に勇者と激突する。


「キャラ・ライトグリーン!!」


 アキラの身体からオレンジの閃光が漏れた。

 歴史が証明している。ミツルギ=サイガの軍には止めようがない。ここが最後の防波堤だ。

 身体中の魔力を暴走させるように発動し、剣には変換前の魔力を宿す。


「うぉぉぉおおおっっっ!!!!」


 前進。

 破壊光線とも形容できる“翠”を、ヒダマリ=アキラは迎撃する。

 鋼の鉄仮面は、進路を逸らせることも無く向かってきた。


「キャッ!! ラッ!!」


 論理崩壊。

 限界の超越。

 ヒダマリ=アキラの総てが、アグリナオルスと激突する。


「スカーレットッッッ!!!!」


 夜空を朝に変貌させる閃光が炸裂した。

 全ての者の視覚を潰すような魔力の暴爆と共に、鋼と鋼の衝突によって響いた甲高い破裂音が聴覚を奪い去る。


「づ―――」


 アキラは、身体をのけ反らせた。

 火曜の再現と木曜の再現。既存のロジックを超越した、圧倒的な破壊への特化。

 その一撃は、確かにアグリナオルスの動きを止めた。


「見事だ。“成長型”の勇者よ」


 が、それだけ。

 閃光が去り、その向こうに不動の魔人が現れる。


 アグリナオルスは動きを僅かに止めただけだった。

 生物では生存できない破壊が確かにそこにあったはずだ。

 姿勢を崩されたアキラの正面、鋼の腕で剣を受け、それでもなお、姿勢を崩さない。

 この魔族も―――“論理を超越している”。


「―――っ、」


 やられる。

 体勢を大きく崩されたアキラが察した悪寒は、しかし最悪の方向に裏切られた。

 翠の線は。

 アキラの真横を通過する。


「ハ―――」

「マジか―――」


 アグリナオルスは、最初から、ヒダマリ=アキラを見てはいなかったのだろう。

 狙いは―――『ターゲット』。

 そして。

 “ヒダマリ=アキラが抜きされられた”という事実が意味するものは―――


「ヒダマリ!!」


 先の衝撃で未だ痺れているような空気の中、優しさすら感じる爆音がアキラの元へ到着した。

 巨大な兵器。“車”。

 その物体を操る男は、慌ただしく叫んだ。


「ツバキ降りろ!! 今は邪魔だ!!」

「はっ、はい!!」

「ヒダマリ乗れ!!」


 何故か乗っていたミツルギ=ツバキとすれ違うように、アキラは言われるがまま車に飛び乗る。

 直後疾走。

 思わず車から跳び落ちそうな衝撃に、アキラはドアを掴んで必死に耐えた。

 隣の運転手、ミツルギ=サイガは叫ぶ。


「今から奴を追い抜く!! お前は奴に食らいつけ!!」

「追いつけんのかよ!?」


 叩きつけられるような暴風の中、『ターゲット』へ疾走する翠の線が見える。

 尋常ならざる速度。すでに西側の崖から半分ほども進んでいる。

 これでは、日の出までの破壊など、ゆうに間に合わせてみせるだろう。


「そのためのに作ってんだよ!! “今から足場を改善する”!!」


 流石に親子か。

 ふたりの乗る巨大な車は更なる速度に到達した。兵器の力は、速度だけならアグリナオルスを凌駕する。

 ミツルギ家の軍が壁となってアグリナオルスを迎え撃っているのが見えた。

 だが駄目だ、大して時間稼ぎにもなっていない。

 それに回り込むように、サイガはペダルを強く踏み込む。


「させるかよ」


 暴風に紛れ、サイガの呟きが聞こえてきた。

 そして睨む先は、大回りして追い越したアグリナオルス。

 今度は直角に曲がるように急転回して『ターゲット』への道を目指す。


「降りろ!!」

「っ、ああ!!」


 ほとんど急停止した車から、アキラは放り投げられた。

 着地は身体能力強化を強引に使用して完了。


 後は再び、アグリナオルスとの激突が勃発する。


「お、お、おぉぉぉおおおーーーっっっ!!!!」


 再び、論理を崩壊させる。

 アグリナオルスの鉄仮面は、ミツルギ=サイガの軍に囲まれながらも、アキラを見て嗤った。


「野郎、上等だ」


 アキラは呟き疾走する。

 勇者と魔族。

 両者の力が激突する。


 そして―――“再び抜き去られた”。


「乗れ!!」


 今度は倒れ込んだアキラに、再びサイガが叫んだ。


 あのアグリナオルスは、アキラを見てもいない。

 倒そうとすら考えていない。

 ただ、自らが思うまま、その道をひた走る。


「あの、野郎、」


 車に飛び乗り、アキラは歯を食いしばった。

 手は痺れ、頭は割れそうに痛む。

 だが、これから何度だって、奴に食らいついてやる。


 その光景は。

 奇しくも2年前のスライク=キース=ガイロードの戦闘と、同様だった。


 どれだけ人が食らいつこうが、それらを振り払い、アグリナオルスは我が道を行く。

 全てを我が身で突き破る。

 それだけで、生き抜いてきた。


 “最強して最古の魔族”。


「ヒダマリ!! てめぇが最期の防波堤だ!!」

「分かってる!!」


 敵残存勢力。


 魔物―――0体。


「ラァァァアアアーーーッッッ!!!!」


 叫び、魔力を暴走させるように射出し、アキラはアグリナオルスに剣を振るう。

 そしてまた、一瞬程度の足止めに終わる。


「――――――――――――ィィィィィィィィィィィィィィィ」


 知恵持ち―――0体。


「―――、」


 ミツルギ家の軍は、前進を命じられたカラクリのように、餌に群がる蟻のように、アグリナオルスに密集する。

 そしてまた、一瞬程度の足止めに終わる。


「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ」


 言葉持ち―――0体。


「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ」


 アグリナオルスは変わらない。

 そして笑う。嗤う。鋼が擦り合わされるような聲と共に、歓喜する。

 やはり元来の気質として、己が力を振るうことに愉悦を覚えてしまう。

 今年も随分と楽しませてもらったが―――そろそろ幕が下りる頃合いだ。


 間もなく日の出。

 もう目前に迫っている。


 だが。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


 “その1体が、止まらない”。


「ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィハァアッッッッッッ!!!!!!!!」


 魔族の聲が、その場総てを制圧する。


「っ!!」

「なっ、」


 もう何度乗り降りを繰り返したか。

 アグリナオルスを大回りで追い越して、ほぼ直角に曲がった直後、アキラとサイガの身体は宙に浮いた。

 サイガが操作を誤ったわけではないことは、アキラの目の前に浮いている巨大な車輪が証明している。

 無理な運転による、故障。今までもったのも、あるいは奇跡だったのかもしれない。

 大破した車から跳ね飛ばされ、高速で飛行するアキラは、身近なサイガを強引に掴まえ、魔術で身体を守る。

 グシャッ、と、耳を覆いたくなるような音が響いた。

 ふたりでもつれるように大地を転がり、先に飛んでいた車のパーツにぶつかって停止する。

 身体中に激痛が走った。土が直接肺に入ったようで、痙攣しながらむせ返る。

 どうやらサイガが魔術を発動したようで、ふたりとも無事らしい。

 だがサイガは、倒れ込みながら、アグリナオルスを睨んでいた。

 もう追いつくことはできない、翠の閃光。

 それは、『ターゲット』の屋敷に到達した。


 こうして。

 最期の防波堤は崩壊した。


―――***―――


 『ターゲット』の女の子。

 リンダ=リュースはその光景を、当たり前のように見ていた。


 『ターゲット』の屋敷。鉄の塊。その2階。

 リンダは、グリース=ラングルと共に“知恵持ち”を撃破したのち、身を隠しながらこの屋敷に戻ってきまま、ずっと、戦場を見守っていた。


 西側に備え付けられた小さな窓。間近で石を投げつけても割れない強度を持っているそうだが、鉄の屋敷も含め、今から襲う衝撃には紙切れ同然だろう。

 窓から、翠の閃光が向かってくるのが見える。

 正直なところ、赫の閃光にはそこまで驚異を覚えていなかった。

 赫の魔物は、どうせ失敗する。それは、“分かっていた”。


「はあ……」


 溜め息ひとつ、リンダは吐き出した。

 翠の閃光。何度も何度も、オレンジの閃光が―――あれは、自分の想像通りの人物だろうか―――炸裂しているようだが、まるで勢いが収まらない。


 その結果を、リンダは知らない。

 と言うより、赫の閃光の結末が“降りてきた”のも奇跡に等しいのだろう。

 今の自分は、ノイズだらけの世界から、情報を拾えないのだから。


「はあ……、って溜め息ばっかね」


 何となく、呟く。

 言葉を出さなければ、身体中が押し潰されそうだから、と何となく言い訳を思い浮かべ、リンダは苦笑した。


 拾えた情報は、もうひとつあった。


 2年前。

 どうやら自分と同じ境遇の存在がいたようだ。

 数多の魔物を撃破し、勝利を確信し、しかし、自分自身の結末は哀しいものに終わった人物。


 “彼”は、あの光景を前に、爆発物と共に奈落へ落ちた。

 あの翠の閃光に破壊される前に、届き得ない闇の中へ飛び込んだのだ。

 そうすれば、爆発物が鳴るか否かで彼の生存を証明する。彼が絶命すれば、その衝撃で、“そのタイミングを知らしめる”はずなのだから。

 2年前、日の出が訪れたとき、『ターゲット』の死亡を確認できなかった魔族軍は敗北。

 最後に僅かな時間稼ぎを成功させた『ターゲット』は、しかし、この世を去ったのだろう。


 それが、2年前の勝利。

 だが今年は、どうやらその手は使えないらしい。

 残念なことにここは2階程度の高さだし、リンダは爆発物も持ってはいなかった。

 精々魔法で反撃することはできるかもしれないが、所詮無駄なあがき。

 未完成な自分では、あの翠の閃光に立ち向かうことも逃れることもできはしない。


「はあ……」


 3度目の溜め息。

 哀しいことに、今日は随分と調子が良い。

 巨大物体への“遮断魔法”を1回。未来予知を1回。そして過去参照を1回。

 今まで生きてきた中で、ここまで連続して“魔法”が成功したことは無かった。

 “経験から学ぶことができない自分の属性”を、ここまで意のままに操ったことは無かった。


 間もなく日の出。

 その前に。翠の閃光が到達する。


 これは。

 世界からの、最後の優しさだろうか。


「今さら遅いよ。馬鹿じゃないの」


 リンダは大いに世界を嘆いた。

 そしてやはり苦笑する。


 こんなときくらい、他の人間のことを案じられないものなのか。

 もう自分は駄目だ。分かりやすい破壊が目の前に在る。もうすぐ屋敷ごと“破壊”される。ならば、例えばそこに見える兵士に、例えば自分のために戦ってくれたあの鎧の男に、今すぐ逃げてと、私のことは構わないからと、言えないものなのだろうか。

 でもきっと、そんなことはできない。

 自分はそういう人間だ。


 自分の境遇や、世界を恨んでばかりで、清く正しい心とやらを持つことはできない。

 生まれも生まれなのだから。

 誰かに構ってもらいたいと思うような、ひとりでは何もできない、そんな醜い人物なのだ。


 だから。

 そうだ、最後だって。


 大いに世界を恨んでやろうじゃないか。


 窓が風圧で大きく揺らぐ。震災のような振動が屋敷を傾ける。

 そして―――目の前の壁が吹き飛ぶ。


 2階に乗り込んだ翠の閃光は、リンダ=リュースを確認した。

 その異形の姿に、最早恐怖も無い。

 リンダは棒立ちのまま、呟いた。


「私って、ほんと不幸」


 翠の閃光は、鋼は、アグリナオルスは。

 その鋼の腕をかざし、リンダ=リュースの身体を引き割いた。


「―――、」


 “はず、だった”。


「ぐえっ」


 きっと、醜悪な心であるから不意の衝撃に醜い悲鳴が上がるのだろう。

 ドンッ、と正面から胸を圧迫され、リンダは背中を強く壁に打ち付けた。壁に亀裂が入るほどの衝撃。油断すれば壁を抜けてしまいそうなほどの衝突。だが、そもそもそういう造りなのか、衝撃は僅かばかり和らいでいるようだ。

 それでも、激痛は激痛。身体中が痙攣する。


 だがそれよりも。


 リンダは目の前の人物に、身体中が震え上がった。


「……、何を、した?」


 鋼の魔族もその光景に動きを止めていた。

 “いや、止めざるを得なかった”。


「……最後の最後で、油断したな。確かにお前の想像通り、お前を抑え込めるような奴は全員前線に出てたよ」


 その人物は、衝撃で砕けた剣を放り投げた。

 その転がっていった剣の先。部屋の隅。

 いつの間に現れたのか、いや、そもそも存在を確認できなかっただけなのか。

 白衣を纏う淡い女性が立っていた。


「私が運んだだけだ。ヒダマリ=アキラが君を止めている間に、“ミツルギ=サイガの再現”をして―――“与えられたもうひとつの兵器を使って”」


 アグリナオルスは鉄仮面を歪ませる。それは、2年前の光景を彷彿とさせた。あのときの、淡い印象を抱かせる人間だ。


 空を行く船を量産したミツルギ家。

 あの移動兵器も量産されていても不思議は無い。

 だが、速度は。ミツルギ=サイガの足場改善の魔術があって始めてアグリナオルスの速度を上回れる。

 この女性は、“それすらも”再現可能というのだろうか。


「一応私も、お前に個人的な恨みがある」


 淡い女性は、無表情のまま言い切った。これだけ余力を許さない戦争で、よく今まで存在を秘匿できたものだ。それもある意味才能か。


 そして、ミツルギ=サイガ。

 ヒダマリ=アキラが最後の防波堤と叫んでいたのも――――演技か。

 総てはこの介入を想定してのものだろう。

 最後も、ここまで駆け抜けた勢いそのままに『ターゲット』を襲えば守護者ごと抹殺できたものを。

 膨大な力を持つあまり、アグリナオルスには必ず油断が生まれる。

 それでいて、遥か太古より生き残ってしまうのだから改善のしようが無いし、何より治す気が無い。


 アグリナオルスは、笑い、嗤った。

 “こういうことが起こるから、面白いのだ”。


 正面の『ターゲット』の攻撃を抑え込んだ男が、1歩前へ出た。


 剣を砕かれ、身に纏う鎧すら砕かれ、アグリナオルスの鋼の爪を衝き刺されても、その男は立ち続ける。

 そして、断言する。

 『ターゲット』の屋敷の中で。


 グリース=ラングルは、“差し込めた朝日を浴びつつ断言する”。


「タイムアップだ」


 グリースは、鋼の巨体に向かい合う。

 背後に、『ターゲット』の少女を庇いながら。


 正直なところ、このままアグリナオルスが素直に引き下がるとは思えない。

 相手は“魔族”。条約を反故にしてこのまま襲いかかって来た方が自然だ。


 だが。


 鋼の魔族は、鉄仮面をグリースに向けたまま、ゆったりと、言った。


「見事」


 そして背を向け歩き出した。

 多くの死者を出した今年の戦争。敵軍で唯一生き残った魔族は去っていく。


「来期はこの屋敷に“指を差そうか”。敗北のままで終わるのは面白くない。建て直しておくといい」


 アグリナオルスは、最後にそんなことを呟いた。本当に、もう『ターゲット』を狙う気が無いようだ。

 今なら分かる。

 ミツルギ=サイガの言葉の意味が。


 アグリナオルスは変わっている、と。


「は、はは」


 思わず笑いが込み上げてきた。

 これで。

 今年の戦争は、終結した。


「……グリース。私、壁よりあんたの鎧で押し潰された方がダメージ大きかったんだけど?」


 背後から、憎まれ口が聞こえてきた。

 血が滴る胸を抑えながら、グリースは振り返る。木曜属性の突撃は、流石に常軌を逸していたが、何とか致命傷ではないようだ。


「お前なぁ」

「……はは、駄目だ。私、こういうときにもこんなこと言っちゃう。哀しいわ。性格とか、性格とか、」

「性格とかな」


 頭に手を置いたら、即座に払われた。

 子供扱いするなという抗議の視線が突き刺さる。


「……なあ、リンダよ」


 グリースは。

 眼を瞑って切り出した。

 きっと、こういうときでもなければ、自分は言えない。

 普段では邪魔をするだろう。その、性格とかが。


「お前はさ、本当にわがままだ」

「なによ」

「最後まで聞けよ。自分勝手で、普段の生活態度もろくなもんじゃねぇ。誰かを労うこともしなければ、苦労している奴を指差して笑うような奴だ」

「それ、全部グリースにしかしてないんだけど」

「……はあ、まあともかく。そんでもって、お前は不幸。試験を受ければ続柄だけで落とされるし、手段はどうあれシリスティアを改革しようとすれば妨害されるし、大陸を渡れば戦争のど真ん中に引き込まれる。本当にどうしようもねぇよ。性格も、境遇も、救いようがねぇ」

「……グリースも、巻き込んでるしね」

「ああ、本当にいい迷惑だ。だけどな、」


 グリースの視界が滲み始めた。

 傷の影響だろうか。多分良くない兆候だ。

 でも、言葉は続ける。

 気を抜いたせいで、疲労がまとまって襲ってきただけだと信じたい。


「最後の言葉が不幸っていうのは見過ごせない。俺はお前が自分の性格を嫌っているのも知ってるし、お前に罪が無いところで悲劇が起こっているのも確かだ。本当に、最悪の人生を送っていると思う。自分を認められなくて、しかも不幸は止まらない。それはお前も理解してるし、俺はそれも含めて全部知ってんだ。だけど、最後がその言葉じゃ、俺がいる意味無ぇじゃねぇかよ。俺は、お前にしてやりたいことが、ちゃんとあるんだ」

「……なによ、それ」


 グリースの意識が遠のき始める。

 それでも。


「俺はお前を幸せにしたい。いつか来る最後の言葉を、幸せだったにしてやりたい。それはずっと―――揺るがない」


 自分は多分、他の誰でもなく、この少女を幸せにしたいのだ。


「……なにそれ、プロポーズ?」


 ぷいと顔を背けた少女の身体は、小刻みに震えていた。

 笑われているのだろうか。

 グリースは緊張しながら言葉を待った。


 やがて、リンダは振り返った。


「じゃあ、私を、」

「ふたりとも」


 そこで、抑揚の無い声が届いた。


「グリース=ラングルはかなりの傷を負っている。話は後にして、早急に治療すべきだと思うが」

「なんなの!! なんなの!! なんなの!!」


 最後の最後に活躍したアステラ=ルード=ヴォルスの抑揚の無い声に乗って、ヒステリックなリンダの叫び声が木霊する。

 グリースは、これもまた、不幸気質の影響かと楽観して、ゆっくりと意識を手放した。


 折角の機会ではあったが、アステラの言う通りだ。話は後にしようか。

 どうせ明日も。明後日も。

 彼女と言葉を交わすことができるのだから。


 敵残存勢力。


 魔物―――0体。


 知恵持ち―――0体。


 言葉持ち―――0体。


 魔族―――0体。


―――***―――


「アキラ」

「あ、サクラちゃんじゃん」

「お、い」

「すんませんっしたっ」


 ぼんやりとしながら返答したのがまずかったのか。

 ヒダマリ=アキラは歩み寄ってくるミツルギ=サクラに頭を下げた。


 ここはミツルギ家の集会所兼鍛錬所。

 アキラたちが“飛行機”を最初に見た場所であり、普段訓練を行っていた場所でもある。

 暗い。灯りは付いていなかった。屋根の隙間から刺し込める月の灯りが、広いホールの各所に光を落としている。壁に背を預け、アキラはその光をぼんやりと眺めていた。

 戦争が終わり、アキラたちが再び飛行機でミツルギ家に到着したのは今日の午前。

 そこからどっぷり眠ったせいで、妙な時間に目が覚めてしまった。

 目の前のサクも同じなのか、暇を持て余しているようにも見える。


「こんなところで何をやっているんだ?」

「ん、いや。お前と同じ」

「お前も身体を動かしていたのか。誘えば良かったな」

「あ、ごめん。適当なこと言った」


 駄目だ。自分と彼女では基準が違い過ぎる。

 そして考えてみれば、自分こそ鍛錬に励むべき存在なのではないかと思い当たる。

 戦争は終結。しかし自分は“勇者”である。

 ある意味この世界総てに戦争を仕掛けている“魔王”を撃破すべく、日夜特訓に励まなければならないのではないだろうか。

 などと、アキラが申し訳ないような気持ちになっていると、


「冗談だ。私も今まで眠りこけていたよ」


 ふ、と柔らかく笑い、サクもアキラの真横に背を預けた。


「終わったんだよな」

「ああ。勝ちはした」


 何となく含みのあるサクの言葉は、アキラにも良く分かる。

 “アグリナオルス=ノア”。

 あの存在は、結局生き長らえた。

 今年の平和は獲得できたが、来年も『ターゲット』の選定が行われる。


 勝利は勝利。

 だが、それには不純物が混ざっている。


 その違和感に、もろ手を上げることはできなかった。


「なあアキラ。お前、アグリナオルスを倒そうと思うか?」

「……どうだろうな」


 それは―――分からなかった。

 サクの話だと、アグリナオルスはどうやら魔王直属というわけでもないらしい。

 つまり、完全なアナザーストーリー。

 性質としてはあの“鬼”の事件に近い。

 もっとも、決定的な違いとして、この百年戦争は日輪属性の数奇な運命が引き寄せた事件では無いということだ。


 そして、アグリナオルスのあの力。

 恐らく、あの場にいた総ての人間の中で、アキラが最もアグリナオルスの力を感じられた。

 まともに衝突したあの瞬間。

 論理の先にあるその領域で、奴の鋼の腕と自分の剣は交差した。


 木曜属性であっても、アグリナオルスは、知っているのだろうか。

 あの領域―――“世界のもうひとつ”を。

 サクが帰りの飛行機の中で、言っていたことも気になる。


 だが、今はただ、こうしてぼんやりとしていたい。


「そういやさ、宴会とかすんのかな? 2年ぶりの平和に」

「いや、しばらくは無いだろうな。報せが大陸に広がるのも時間がかかる。それに、しばらくは別れの犠だ」

「別れの儀?」

「お前はこの戦争、何人が死んだと思う?」

「……、そか」


 自分の感覚が麻痺しているのが分かる。

 そうだ。そもそも自分自身、アグリナオルスに蹴散らされたミツルギ=サイガの軍を見ている。叫び声ひとつ上げずに突撃していたが、確かに、見えている範囲だけでも犠牲者は多い。

 自分たちがミツルギ家にこもって戦争の備えをしていたときにも、あんな戦いが繰り広げられていたのだろう。


 そして。共に戦争の備えをしていた男がひとり去ったことも知っていた。


「ツバキの様子は?」

「さあな。戦場で見かけてからは会ってはいない。帰りは別の機体に乗っていたらしいしな」


 アキラは眼を伏せた。

 ツバキがこれを乗り越えられるか分からない。それに、もしかしたら、知る必要の無いことなのかもしれない。

 寂しいことだが、彼女の人生も、自分にとって、アナザーストーリーだ。


「だが、一応ツバキも、この事態を想定はできていたはずだ。ツバキは“従者”だったのだから」

「?」


 その、含みのある言い方にアキラは眉を潜めた。

 “従者”。その言葉は、何か、特別な意味があるのだろうか。

 アキラの表情を見て、サクは力なく微笑んだ。

 どうやらアキラに疑問を持たせることが狙いだったらしい。


「ミツルギ=サイガの評価をさらに下げようか」

「なんだよ」

「そして、ミツルギ=サクラの評価も下げよう」


 サクは差し込める星明かりを眺めながら、ぼんやりとした表情を浮かべた。

 それは彼女らしくない表情なのだろう。


「ミツルギ家は、代々誰かに仕える仕事をしていた」


 これは。

 いつかこの場所で、ミツルギ家の歴史を語ったとき、彼女が言葉を濁した彼女自身の過去の話だろうか。


「命がけで、その人と、その人の世界を守る仕事。ミツルギ家の血族だけでなく、その弟子たちも、数多の豪族を守り続けてきた」


 その話は、以前どこかで聞いたような気がする。

 少々違うかもしれないが、元の世界でいう護衛会社のようなものだろうか。

 俗な言い方にはなるが、相手が豪族ならば、十分な給料が貰えるだろう。それでここまで巨大な屋敷になったのか。あの兵器たちも、そうした蓄えで開発生産されたのだろう。


「だがな。ミツルギ=サイガの代からその意味は変わった」

「?」

「主君と従者の関係が、“戦争に勝つためのものになった”」


 アキラは意味が分からず眉を寄せる。

 サクは、眼を伏せ、強く奥歯を噛んでいた。


「なあアキラ。お前は、大切なもののために人は強くなれると思うか?」

「は?」

「いいから答えてくれ」


 サクの真摯な声色に、アキラも真剣に考える。

 大切なもののために、人は強くなれるか。

 陳腐さすら覚える質問だが、アキラは多分、答えを持っている。

 だが気恥ずかしくて、首を縦に振るだけに留めた。結局自分は、そういうことを口に出せない。

 サクも頷き返し、言葉を続けた。


「私もなれると思う。私自身はまだ分からないが、ミツルギ家の者としては、なれると答えないわけにはいかない」


 サクから聞いた話を思い出す。

 かつて、タンガタンザを救った英雄―――“ミツルギ”。

 自分を救ってくれた豪族の娘と共に、紛争が絶えないタンガタンザを練り歩く、勇気の物語。

 その男の伝説は、大切なものを守るための戦いだった。


「勿論、ミツルギ=サイガもそれを信じている。いや、そんな言い方ではあの男を言い表せないか。そうだな、あの男は、大切なもののために人は強くなれることを―――“理解している”。“それを計算できるほどに”」


 アキラは、空想のような力が、現実にロジックに落とされるのを感じた。

 そして少しだけ寒くなる。

 何となく、話の流れが見えてきた。

 予想通りならば、ひと月ほど前アステラから聞いた、ミツルギ家が行っている戦争の暗黙ルールと関係しているのだろう。

 ミツルギ=サイガは効率的に魔族軍と戦うべく、毎年ゲームの戦争に全力を出すわけではないという話。つまり、『ターゲット』を“捨てる”ことがあると。


「あの男はタンガタンザにとって有益―――つまりは、“アグリナオルスが指を差す可能性のある人間”を主君として、従者を付ける。そして、ふたりに時間を共有させ、絆を作る。そうすることで、主君が『ターゲット』にされた場合、従者が生み出す力を“活用”しようとしているんだ。それが無い他の何かが『ターゲット』にされれば―――“捨てる”。戦争の勝率を管理している」


 アキラは、心の中の何かを鷲掴みされたような嫌悪を覚えた。

 大切なもののために生み出す力。

 あくまで空想で、あまりに陳腐で、そして多分、尊いであろうその力。

 それをあの男は利用しているのだと言う。

 そうなると、クロック=クロウもいずれは『ターゲット』になり得る人物だったということか。

 恐らく今年、ミツルギ=サイガが想定していなかった人物が『ターゲット』にされても捨てなかったのは、あのグリース=ラングルの存在があったからだろう。

 グリースの想いを、利用した。

 絆。その言葉を、ここまで醜く感じたのは初めてだ。


「幻滅したか? あの男に」

「今さら何聞いても、あの人の評価は変わらないよ」


 そう、変わらない。

 あの男が非情で、非道で、遵守すべきものを土足で踏みつけるような奴であることなど、この2ヶ月で理解し切っている。

 そして、結局そのやり方で、今年1年の平穏を獲得したのは事実であることも、知っている。

 アキラは考えることを止めた。

 善か悪であの男を判断できないし、する必要も無いのだろう。


「なら、私の方は幻滅するかもな」


 サクはふと笑って、腰の刀を抜いた。

 そして抱きかかえるようにしゃがみ込む。

 長身の彼女だが、座り込んだ今、途端に小さくなった。

 いや、小さく、見えた。


「母の話だ。自由な母でな。サイガが戦争に没頭している中、近所の子供たちを集めて道場を開いていた。場所は丁度ここだ。私はここで刀の扱いを学んだ」


 隙間から刺す月光が作り出した幻覚か、アキラには、日差しの中並んで刀を振る大勢の子供たちが見えた気がした。

 その中にいる小さなサクも、真剣に、木刀を振っている。無理をして、大人用の長い木刀を振っている。

 必死に。


「変な話になるが、そのときの私はサイガを父として尊敬していた。いつか自分も戦争の舞台に立って、タンガタンザを救おうと、本気で考えていた。そんなとき、父に言われたんだ。さりげなく、でも多分、悪魔的なことを考えながら、……“サイガ”が言った。同じ道場に通っていた、エニシ=マキナという少年と仲良くしろと」

「……エニシ、マキナ」


 顔も分からないが、その人物を、アキラは知っている。

 2年前の奇跡の、そしてバッドエンドの物語。


「刀の腕は、一応先輩だった奴の方が上だった。だけど、あっという間に追い越してやったよ。あいつはいつも、別のことを考えているような奴だったから。妙な雰囲気の男でな。そうだな、お前に似ている」

「それはどういう意味なのか詳しく」

「そういうところだ。変な奴だったよ」

「俺の名誉のために、詳しく」


 サクは笑って、抱え込んだ刀を撫でた。

 アキラの言葉は無視されたようだ。


「言われた通り、私は何も考えずに奴と親しくなった。一緒に道場をサボったり、奴の父の仕事場に紛れ込んだりしたよ。そのあと、私は母に、奴は父に手酷く怒られた。随分沈んだのを覚えている」


 しかしサクは、笑っている。

 だが、目の焦点は合っていなかった。

 遠くを、遠くの日々を、追っている瞳。


「そして、この刀だ。お前も知っているだろう。奴は鍛冶屋の息子だ。当時は一流とは言えなかったが、何度も何度も忍び込み、何度も何度も怒られながら、私のために、私のためだけに、刀を創り出してみせた。そのときのことは今でも覚えている。嬉しかったよ。もっとも、長過ぎると文句を言ったがな」

「……それで、」

「ああ、もう察したか。ある日、母に呼び出された。マキナも一緒だ。私は、エニシ=マキナの従者となる―――はずだった」


 そこから、サクの人生は、転じたのだろう。


「そこで同時に聞かされた。主君の意味。従者の意味。幼かった私だが、その話は理解できたよ。だけど」


 『恐かった』、と。サクは呟いた。

 何事にも真剣で、そのせいで、差が無いミツルギ=サクラは、大切なものを守るために生み出す力を、信じられなかった。

 そう―――小さく、呟いた。


「本来、マキナにとってはありがたいことだったのかもしれない。なにせ、『ターゲット』に指定されたとき、“捨てられる”ことは無い。『ターゲット』に指定される可能性がある以上、ミツルギ家の全力のサポートが受けた方がいいからな」

「エニシ=マキナは、なんて言ってたんだよ」

「一言。奴がたまに見せる、総てを見通すような瞳で、呟いた。『こいつとはもう遊べないのか』と」


 アキラも、そのときのエニシ=マキナの言葉の意味が分かる。

 サクを従者とする以上どうなるか、分かる。


「奴は分かっていたんだろうな、私の性格を。私は馬鹿みたいに堅苦しくてな。道場をサボらされたときも、奴が色々手を回していたくらいだ。そんな奴に主君として見られたら、今までみたいにからかい合ったり、笑い合ったり、遊び回ったりは―――決してできない」


 これまでの関係は崩壊する。

 とても居心地の良かった関係が、消滅してしまう。

 サクはそういう性格だ。そういう―――下手な性格だ。

 きっとギチギチになって、エニシ=マキナを守り切るためだけに生きてしまう。余裕も無く、自分のことを考えられなくなってしまう。

 よく知っている。


「そこからが醜い話だ。私はそれまで言いつけ通りに生きてきて、戦争の舞台に立ちたいと思っていた。だけど、その一言で、身体が止まった。何が何だか分からなくなった。今まで当然のように通っていた道場が、醜く歪んで見えてしまった。そして、」

「旅に出た、か」

「違う。逃げたんだよ。不服があったら家出をする、子供のように」


 子供。サクはそう言った。

 だがその子供は、道に迷って困ることは無かった。お腹が空いて座り込むことも無かった。

 彼女には才能がある。“ひとりで旅を続けられてしまったのだ”。

 だから―――家に戻る“言い訳”ができなかった。


「私は本当に馬鹿だ。旅の途中、ずっと思っていた。どうして誰も探しに来てくれないのか。どうして誰も迎えに来てくれないのか。どうして、どうして、どうして、と」


 その嘆きは恨みに変わった。

 あらゆるものを捨てたくなった。

 だから彼女は、自分の名前すら捨てたのだろう。


「そんなのは当然だった。何せ私が悪いんだ。私が従者になっても当たり前のように今まで通りに笑っていればよかった。私に―――大切なものを守りきる自信があれば、そんなことは簡単だった」


 彼女に、余裕が出来さえすれば。

 共に笑い合うことなど、当然のように、できただろう。


「ツバキを見て気付いたよ。あの娘には余裕があった。従者なのに、主君と共に笑い合っていた。きっと、少しだけ時間があれば、“いつも通り”を取り戻せたんだろう」


 だけど、サクは、速過ぎた。

 戻ろうと思っても、彼女の足は、もう戻れない場所まで駆け抜けてしまっていた。


「そして2年前。案の定だよ。エニシ=マキナは“指”を差された。結果は―――知っているだろう。あいつはもういない。私が現実から目を背けている間に、いなくなったんだ」


 小さな身体は小刻みに揺れていた。


「あいつは、死なない、って言ったんだ。私が家を出る日、見透かしていたように見送りに来て、死んだら何も残らないからって言ったんだ。頭が冷えたら戻って来れるように、私の居場所になると言ってくれたんだ」


 声も、揺れる。揺れる。


「アキラ、1度だけ、言わせてくれ」

「……ああ」

「初恋だった」


 アキラは、自分を全力で殴りたくなった。

 自分は今まで何を見てきたのだろう。

 サクは、あるいはあのアルティア=ウィン=クーデフォン以上に、子供なのだ。

 才能があり、理知的に見えているようで、アキラよりふたつも年下の、小さな女の子なのだ。夢も見るし、恋もするし、傷付きもする―――普通の、女の子。

 強くて、真面目なサク。

 だけどそれは無理をしていて、彼女はその無理を続けられるから、誰もそれに気づかない。

 そんな彼女を、自分は頼って、頼り過ぎていた。メンバー最強だからとふざけたことを考えて、きっと、神格化していた。

 きっと彼女の母親も同じ。彼女の無理を、成長だと思って、思いたくて、真実を口に出した。受け止められるという幻想を抱いていた。

 全員が、彼女を誤解していたのだ。


 本当に、自分は、救いようの無い馬鹿だ。


「なあサク」

「…………」

「お前は、俺がお前にもう背負わせないって言ったら信じるか」


 ぼんやりと、虚空を眺めながら呟いた。

 サクの方に顔も向けない。向けられない。

 自分は今、きっと、らしくないことを言おうとしている。


「無理して朝早く起きなくてもいい。足が痛いなら駆けなくていい。疲れたら倒れ込んでいい。その分俺が無理をする。お前はもっと、休んでいいよ。それだけのことを、お前は今まで築き上げてきたじゃないか」

「……お前にできるのか?」

「は、出来るさ。お前と違って、俺は今までサボりまくりだ。だけどきっとできる。めちゃくちゃ恥ずかしくて、言葉にするのは避けたけど、俺は信じてる。どれだけ濁ろうが、それは確かにあると、俺は信じている」


 アキラは、瞳を開けたまま、言った。


「絆のために、人は、強くなれるんだ」


 ああ、死にたい。

 言い切って、アキラは強烈な自己嫌悪に襲われた。

 きっと今、自分はものすごく、恥ずかしいことを口走った。

 吐き気もしてきたくらいだ。


 それでも。


 アキラは自分が信じるものを口にした。


「……なあ、アキラ」

「…………な、なんだ」

「私と決闘しないか」


 緊張しまくりながら言葉を促したら、お前を殺すと言われた。

 アキラが完全に停止すると、サクは愛刀を壁に立てかけ、部屋の隅から木刀をふたつ持ってくる。

 ひとつを差し出され、それを機械的な動作で受け取ると、サクは満足気に数歩下がった。


「随分と長い間、私たちの決着は保留中だ。そろそろ完結させたくてな」

「そうか、そんなに俺の言葉が腹立たしかったか」

「はあ、やるぞ」


 月下を浴びるサクは、普段通りに構えた。

 木刀を左手で腰につけ、右手を添える。

 腰を落とした彼女の姿は、いつも見てきたものだ。

 知っている。


 アキラは溜め息ひとつ吐き、ゆっくりと、構えた。

 身体の前に木刀を構え、腰を落とす。


「ヒダマリ=アキラだ」

「ミツルギ=サクラだ」


 名を言って、言われて、ふたりは対峙する。

 そして、サクが、消えた。


「…………」

「……一応訊いておこうか。何故止めると分かった」


 ピタリ、と。

 木刀を前に構えていたのに、サクの木刀はそれをすり抜けたように、アキラの首に添えられていた。

 本当に、洒落にならない速度だ。


「……知ってるからさ。何回授業受けてると思ってんだよ。止める気があるのは、分かるんだ」


 そもそも―――決闘なのに、木刀だ。


「ぶっちゃけ、全く反応できないってのもあるけどな。お前はやっぱりすげぇよ。残像が見えた」

「……“残像”、か。そんなもの、本当は見えちゃいけないんだけどな」

「?」

「夢見ているだけだよ。私の理想」


 呟いて、サクはアキラの喉元から木刀を離した。

 そして癖なのか、腰に戻す。

 木刀を手で握っただけの姿でも、やはり映える。


「はぁぁぁあああ~~~、やっぱり駄目だ」


 らしくなく、盛大な溜め息を吐き出したサクは、疲労を感じさせる顔をアキラに向けた。


「私はお前を斬れない」

「だろうな。俺もお前を斬れない」

「……だろうな。困った、これでは決着が付かない」

「ああ、困ったな」

「本当に困った」


 笑って、笑われた。

 とても、穏やかな空気だ。


「だから、仕方ない」

「なんだよ」

「仕方ない」

「なんだよ」

「だから、仕方ないって言っているんだ。私が、その、……折れる」


 サクは、ゆったりと立てかけてある愛刀に近付いていった。


 アキラに向かい合い、そして。


 愛刀を横に倒し、サクは跪きながらアキラに差し出すように両手で前に突き出した。


「“決闘のしきたり”により、私、ミツルギ=サクラは、勇者様に仕えさせていただきたく思います」


 決闘のしきたり。敗者は勝者に絶対服従。

 そんな記憶が確かにあったが、アキラは、ただ黙ってサクに向かい合っていた。

 余計なことは考えない。

 月明かりの中、その姿を、純粋に美しいと思えた。


「いいのかよ」

「いいんだよ。そもそも私が始めてしまったことだ」

「お前はそれを嫌って、家から出たんじゃないのか」

「ああ。だけど、きっとお前となら、正しい絆ができると思う。今度こそ、だ」


 ああ、今度こそ、だ。

 アキラもぽつりと呟いた。


「貴方のあらゆる障害を斬り払おう。貴方の道は、私が作る」


 アキラは、思わず笑いそうになった。

 サクの顔が、暗がりでも分かるほど、赤くなっている。


「よろしくお願いします。アキラ様」


 自分も彼女も、結局同じ。


 無理をして、背伸びをして。

 きっと何かを守っていくのだ。


―――***―――


 数日後。

 ヒダマリ=アキラとミツルギ=サクラはミツルギ家の街外れに来ていた。

 朝日が訪れたばかりの早朝。いち早く戦争停止の報せを受けた町並みは、いずれ訪れる多くの客に備えて働き回っていた。

 随分と逞しい。そんな逞しさこそが、この戦争の大陸を生き抜く秘訣なのかもしれない。


「モルオールへは、単純に北に行けばいいのか?」

「そうですね。ここから交通機関が生きている街を転々とするので……、何度か乗り継ぎ、最後は徒歩ですが……。はい。北に向かいましょう。まもなく馬車が出ます」


 慣れないサクの口調に背筋がかゆくなりながらも、アキラは言われた通りターミナルに向かう。

 魔物対策は休戦中でも一応施すらしく、ミツルギ家の街のバリケードはいまだ健在。

 それが解除される時間を待って、今度は裏口でも、空でもなく、そして、家出でも無く、正規の出口から、ふたりは街の外へ、大陸の外へ出る。

 随分と遅くなったが、逸れたふたりの待つ、モルオールへ。


 結論から言えば、逸れたふたりは無事らしい。

 ひと月ほど前。サクの読み通りに届いた手紙によれば、随分と親切な施設に世話になっているそうだ。場所も分かる。数日前に届いた手紙で、こちらが迎えに行くことに合意が取れた。

 逸れてふた月。そして恐らく、辿り着くまでにひと月はかかるだろう。

 都合、3ヶ月。

 夏が終わり、秋が姿を現す頃に、ようやく再会できる。


 場所の劣悪さは―――行けば、分かることだ。


「さ、行こうぜ」

「はい」


 出発前。サクはミツルギ=サイガの元を訪ねたようだ。

 大して時間もかからなかったところを見ると、一声かけてきただけらしい。

 だがそれで、家出ではなくなった。

 それは彼女の中で、何かの意味を持っているのだろう。

 随分と長い寄り道だったが、それだけで救われる。


 これで彼女にとっては、心置きなく、この地を去れるのだから。


「って待てよ」


 そこで。

 背後から声をかけられた。

 眩しい日差しで目を細めた男は、大股で歩み寄り、日陰に入ってアキラと対面した。


「おい、どういう量見だ。一言ぐらいかけていけよ」


 不服感を隠しもせずに、グリース=ラングルはアキラに冷たい視線を衝き刺してきた。

 アキラは適当に笑って背を向けた。


「ってコラ!!」

「わ、分かってるよ」

「その素で忘れてましたって顔はどうにかなんねぇのか」


 言って、グリースは肩を落とし、言葉を続けた。


「まあ、お前も忘れてたわけじゃねぇんだよな。俺がずっとリンダのとこにいたからか……。今は連れてきてねぇよ」

「そか」


 アキラはほっと息を吐いた。

 自分たちが死力を尽くして救った『ターゲット』―――リンダ=リュース。

 だけど自分は彼女に会えない。会うわけにはいかない。

 彼女が今、どのような立場であろうと―――“あの夜”。

 自分と彼女の道は、確かに別れたのだから。


「リンダもお前と似たようなこと考えてたよ」

「もう回復したのか?」

「まだ寝た切りだ。どっと疲れがきたらしい。ただ、『助かった』とだけ伝えろってさ」


 謝罪でも感謝でもない、ただの事実の受け渡し。

 それが今の自分と彼女の関係だ。

 心残りはあったが、安易に訪ねに行かなくて本当に良かったと思う。


「なあグリース。お前たちはこれからどうすんだ?」

「さあな。リンダが回復するのを待って、どっか別の大陸に行くかもな。問題はあの団子頭とリンダが妙に仲良くなってきたことだが……」


 ミツルギ=ツバキの情報には素直に驚いた。

 屋敷の中で姿が見えないと思っていが、ツバキは、『ターゲット』―――いや、もうそうは呼べないのか―――リンダ=リュースの元を訪ねていたらしい。

 心配していたが、どうやら精神的な回復は順調のようだ。グリースも自覚はしていないが面倒見が良いようだし、とりあえずは安心だ。


「知らせてくれてありがとな」

「はっ。まあ、一応俺はお前たちに感謝してるしな」

「リンダのことか」

「それだけじゃねぇさ」


 グリースは、拳を握り絞めていた。


「ぶっちゃけよ、この3ヶ月余裕が無かった。だけどよ、多分その時間は、俺にとって楽しいもんだったって気付いた。お前は確かに、人の心を開けるよ。属性頼りってのが、なんか洗脳されてるようで気持ち悪ぃけどな」


 最後はおどけて、グリースは、笑って見せた。

 笑って、いた。


「俺はこの先、ずっとリンダを守っていく。だからお前はもう、俺たちのことを気にすんな。お前は心置き無く、魔王をぶっ殺せ」


 グリースは拳を突き出した。


 今度こそ。

 自分にとっても、心置きなく旅立てる。


「頼むぜ勇者」

「任せろ守護者」


 拳を合わせ、アキラとサクは歩き出した。

 振り返ることも無く。


 これで自分は、今度こそ、リンダとも、そしてグリースとも逢うことは無いだろう。

 道は別れた。


 だけど。

 その別れは以前とは違い、少しだけ、きっと良い方向に。


―――***―――


『趣味悪ぃな、覗きかよ』


『なぁに言ってんだいラングル君。折角清々しい別れだ、俺が出ていったら台無しだろう?』


『自覚はあんだな。まあ、髭面当主。俺はお前にも感謝してる。お前はなんだかんだ言って、リンダを救ってくれたからな』


『俺が救ったのはタンガタンザさ。……まあ、それより面白いニュースだ』


『んだこれ?』


『今朝の新聞だよ。世界の事件が分かるんだ。“やっぱり”大分前の話だけど、ようやくタンガタンザにも届いた。興味あるだろ、シリスティアの話だ』


『これ、は?』


『“伝説堕とし”。シリスティアが国を上げて実行した計画と、その結果だよ』


『……ちらっとヒダマリから聞いたが……、何だこりゃ』


『伝説は堕とされた―――“勇者ヒダマリ=アキラによって”。彼の魔力色は目立つからね。きっとその存在は知れ渡ったんだ』


『これ、あいつらに、』


『もう遅いさ、馬車は出たよ。あーあ、ラングル君のせいで伝えそびれちゃった』


『……ちっ、どっち道知るだろ』


『まあそうだね。でも―――』


『?』


『もうこの勢いは止まらない。世界はヒダマリ=アキラが勇者だと認識する。待望した勇者が現れたと歓喜する。彼がモルオールに着く頃には、タンガタンザの百年戦争を止めたという尾ひれまでつくだろう。俺の娘は、大変な奴に仕えたよ』


『戦争の件は間違いなく事実だ。奴はリンダを救ったんだ』


『そうそう、礼を言い忘れたよ。まあ、ヒダマリ君だけじゃないけどね』


『あん?』


『ラングル君。態度からはそうは見えないが、俺は君に感謝している。君と彼女の絆が、タンガタンザを救ったんだ』


『はっ』


『だからきちんと言っておきたい―――我が主君を、タンガタンザを救ってくれて、ありがとう』


―――***―――


「で、だ」


 どうやらタイミングが良く、いや、悪く、ミツルギ家から出発した馬車は閑散としていた。

 早朝という時間と、モルオールへ向かうルートはそもそも客が少ないのか、アキラとサク以外、客はいない。

 そんな中で。


 アキラは正座させられていた。馬車の揺れは酷い。


「私の記憶が確かなら……いつだったか。お前は約束したな。“剣を”、“毎日”、徹夜覚悟で手入れすると」

「はい……。言いました」

「だったらどうして紛失沙汰になるんだ!!」


 ふたりきりになった途端、サクが豹変した。いや、通常通りになったと言った方が良いだろうか。

 がらんとした馬車に怒号が響き、運転手が一瞬だけ振り向いた。


 思い起こすは今日の早朝。まだ日も昇っていなかったと思う。

 戦争が終わり、流石に精神の回復が必要と穏やかな日々を送っていたアキラは、自分がどこに剣を仕舞ったか分からなくなっていた。

 サクに頼んでまで探し続けていたのだが、結局例のアステラ=ルード=ヴォルスが戦争から戻ってきたときから延々とメンテナンスしていただけだった。


 それだけなら良かったものを、アステラは、


『私はヒダマリ=アキラに伝えたはずだ。ヒダマリ=アキラも了承したと思ったが』


 と、サクの目の前で真実を語ってしまった。

 確かに、ミツルギ家に戻った直後、アステラに話しかけられ、生返事をした記憶がある。

 あのときに掠め取られていたとは、流石の手際だ。


「いや、アステラの存在感のせいなんだ、そう、気付かなかっただけなんだよ」

「私が言っているのはその事実が、何故、今朝になって発覚するのかということだ」

「…………でも、見つかったもん」

「口調口調。って、そういう話をしてるんじゃないんだよ。というか何だ、お前、貰ったときは伝説の武器だとかなんとか喜んでいて、それで無くなったことにも気づかなかったのか」

「…………正直言うと、サクが持ってるんだろうなぁって思ってた」

「降りろ。今すぐ馬車から飛び降りろ」

「…………だぁっ、あれじゃん、お前俺の従者じゃん!! 俺最低なこと言ってると思うけど、…………怒らないで欲しい。自分の駄目っぷりに、ちょっと泣きそう……」

「子供か!!」


 サクは、まったく、と呟き。


「いいか、私はお前の剣の師だ。そういうところは、きちんとしていきたい」

「本当に申し訳ありませんでした。サクラちゃん」

「お前今ふざけられる立場にないことを分かっているのか……?」


 変わらない。


「分かった。もう誓う。絶対に武器のこと忘れない。次破ったら死んでもいい」

「……いや、そこまで誓われると、お前が死にそうで恐い」

「誓いを破るってか、嘘だろ!? この俺が!?」

「どの口が言っているんだ」


 変わらない。


「はあ……、改めて思い知らされた。お前は時々やらかすと。お前の従者になって、ある意味良かった。目を離したら、『あっ、剣が無い!!』とか戦場で叫んでそうだ……」

「サクの中で主君と従者の関係って何になったんだよ。世話係? お目付役?」


 変わらない。

 結局、大切なものは変わらない。


 サクは。

 疲労に塗れた溜め息を吐き出し、窓へ顔を背けながら、言った。


「絆だよ。それは変わらない」

「……ああ、そうだな」


 アキラは慎重に立ち上がり、サクの隣に腰を落とした。

 未だに窓を眺めるサクの視線を追って、高速で過ぎ去る世界を眺めた。


 日差しを浴びて、馬車は次の街へ進んでいく。

 随分と長く、熱く、燃えるような日々を過ごしたこの大陸から離れるように。

 少しの変化と、変わらないものを引きつれて、旅は続く。


 だがとりあえず。


 タンガタンザ物語は、完結だ。


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