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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
西の大陸『タンガタンザ』編
27/68

第37話『タンガタンザ物語(結・後編)』①

※文字数制限超過のため①②と分割しています。

―――***―――


『ものすごくついていないグループが、多分ひとつだけある』


 “期日”。

 早朝、ミツルギ家現代当主ミツルギ=サイガは、テントを建てた粗末なベースキャンプで、口調だけは朗らかに言った。


 タンガタンザ西部に位置するこの場所は、ある意味最もタンガタンザの現状を現していると言えた。

 噴き出した汗がまとわりつく湿度、むしろ駆け出す気にすらならないほど広がった大地、叫びたくなるほど並び立つ山脈。

 緑一色で覆われたそれらは、食物が良く育つことを訴えるように潤沢な環境に蔓延り、この場所に居を構えるだけで生涯自然の恵みに愛され続けるであろう。

 ―――それも、数十年前の話。

 気候は未だに整っているのに、その地には、緑が無かった。


 延々と灰が降り、全てが埋め立てられていた。

 戦果に駆逐された自然の成れの果ては、新たな芽を出すこともできず、木々は力無げに横たわっている。

 注視せずとも異様な光景だった。

 自然のサイクルが大地と噛み合い、回り続けていたその大地は、死んでいた―――殺されていた。

 今ではモノクロの世界の一部に過ぎない。


 ここは30年ほど前、“ゲーム”の舞台になった場所らしい。タンガタンザに復興は、無い。


『俺たちは3方向から来る敵を死ぬ気で止めなければならない。そこで当然、メンバーは別れて戦うことになる』


 この場所。最早名も廃れた『何も無い大地』は、少々特殊な形をしていた。

 西部は山脈が連なり通行不可能であるが、その麓。そこにはぽっかりと広大な荒野が鎮座していた。

 山に抱きかかえられるように崖に囲まれたその場所は、閉鎖的という言葉が最も相応しい。

 その荒野を囲う崖には、北、東、南とそれぞれ通行可能なルートがある。

 せり立った崖に囲まれた、3方向とも同じような造りの細い道。そこだけが、この閉鎖的な空間へ―――『ターゲット』が身を隠す荒野へ続く道だった。

 間もなくその道を、異形の群れが埋め尽くす。


『こういう閉鎖的な場所が戦場である場合、アグリナオルスは知恵持ち、あるいは言葉持ちを特攻させてくる』


 『ターゲット』が座しているのは中央の荒野のさらに中央。ミツルギ家が創り上げた護衛用の城だ。

 もっとも、城と言うよりはごく一般的な家屋の形状をしているらしい。ただ、一般的な家屋には城門は無く、少なくとも合金製ではないであろうが。


『だけど、別に普通の魔物も参加しないわけじゃない。いずれかの道を選択して突っ込んでくるだろうね。知恵持ち、言葉持ちが引き連れて、『ターゲット』の城を攻め落とすために』


 『ターゲット』という言葉が出て、防衛に当たるひとりの男が僅かに蠢いた。

 リンダ=リュースというひとりの女性。

 それが、国を相手にするような大群に狙われている事実は、何度聞いても流すのは難しいらしい。


『今年は結構頑張ってね。今では魔物の残党は5万弱。でもそうなると、いたずらに分散させないだろうね。“大体それくらいの数が言葉持ちと等価”と思ってくれてもいいから。それより少ないと、知恵持ちや言葉持ちに引き連れさせる意味があんまりない』


 それはアグリナオルスという、タンガタンザを戦果に覆い続けている魔族の性格を理解した上での分析のようだった。

 そしてそうなる以上、3方向の内ひとつに、その残党が集中することになる。


『だから、“ものすごくついてない”グループの人は精一杯頑張ってね。一応中央の荒野にも人員は配置するけど、あんま期待しない方が良い。数だけが頼りの連中だから。まあとりあえず、そろそろ始めようか。最後に確認したいことがある―――』


 そこで一拍区切り、ミツルギ=サイガは目つきを鋭くした。


『―――覚悟はあるか?』


 ヒダマリ=アキラは、拳を強く握り絞めた。

 覚悟だと。そんなもの、とっくに身体の一部だ。


 敵残存勢力。


 魔物―――50000匹。


 知恵持ち―――トラゴエル。????。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


 “北の道”。


 手作りという著しく警戒心を煽る飛行物体の着陸は、はたして成功した。

 その安堵に身を休められたのは僅か1日。


 ヒダマリ=アキラは心細さすら覚える狭い道に立っていた。

 内面に仕込む防具をタンガタンザ製のものに総取り換えしたのだが、外見の服装が簡素な上着とジーンズでは未だに民間人という感が拭えない。

 だが、それでも一応、世界を救う旅をしている勇者様である。


「待機時間……長っ」


 アキラは転がった岩のひとつに腰かけながら呟いた。

 そして漠然と灰色に染まった周囲を見渡す。

 ミツルギ=サイガが“道”と称した通り、この場所は数十歩進めば端から端に着くほど狭かった。左右の崖の高さは百メートルを超えているだろう。流石に断崖絶壁と言われるほど高く、傾斜も急で、元の世界の高層ビル街のような圧迫感を覚える―――自然の匂いは、感じられなかった。

 吹き荒れる風がそうしたのか、壁は削り取られたように荒み、アキラが腰掛けている岩も崖から切り離されて落下してきたものかもしれない。

 ならばこの岩はもともと何処に付いていたのだろう、と何となく視線を這わし、あれっぽいなぁ、とか何とか考えていたのは昼過ぎ辺りだったろうか。

 早朝から始まった警護は、日が傾いても異常無しのまま続き、今ではついに星が薄ぼんやりと見え始めている。

 『ターゲット』を狙うのは、明日の日の出まで。

 魔族軍の味方をするわけではないが、警護している側が本当に間に合うのか、と懸念してしまうほど、『何も無い世界』は空虚だった。

 ふと、別の場所で警護している男のことを思い出す。

 ここまで『ターゲット』の近くに来られたなら、会いに行けたかもしれない。

 飛行機で到着したばかりの昨夜は身体を休めることを専念すべきだろうが、この時間まで暇ならその猶予はあったであろう。

 しかしこの時間となるともう遅い。

 『ターゲット』は“ルール”上荒野から出られず、あの男は道から離れるわけにはいかない。

 彼らが再開するのは、戦争に勝利を収めた後ということになる。


 上手くいかないものだと、ぼんやりと思う。

 アキラも、張り切っていた午前中と比べ、時間が経った今は呆然と思考を這わせてばかりだ。

 この性格は、本当に何とかしたいと思う。


「くしゅっ」


 そこで、妙に可愛らしい声が聞こえた。


「……サク。寒いのか?」

「は? 何を言ってるんだ? 幻聴だろう」


 ヒダマリ=アキラが担当する北部の道。

 同じく北部を警護しているサクことミツルギ=サクラは、なんととぼけてみせた。


 アキラは目を細め、ため息を吐く。

 随分と気合を入れて、この時間まで直立不動で道の中央に立っていた彼女は、羽織った赤い衣をバタバタとはためかせた。

 それが身体を温めているように見えるのは、アキラの気のせいではないだろう。


「そんなとこ突っ立ってるからだって。風がもろ当たるじゃねぇか」


 そう言うと、サクはあくまで渋々といった様子で、アキラの隣の岩に腰かけた。この場所も差は無いと言えば無いのだが。精々身を低くできる程度だろうか。

 朝から退屈で、アキラはしきりに話しかけていたのだが、反応らしい反応を示してくれたのは初めてだ。確かに旅の道中も、依頼前の彼女は真摯な態度で臨んでいたようだが、傍から見ていると寂しいものがある。

 ようやく折れた彼女に、アキラは少し嬉しくなり、鬱憤を晴らすように愚痴を言った。


「敵、来ねぇよな……。お前の親父さん、どういうことやってんだろうな。警護の担当はしてないんだろ。きっと、」

「あの男は遊撃と言っていたが、大方どこかで寝てるだろうな。もしくはあの忌々しい物体でミツルギ家に戻っているだろう」


 きっと部隊の調整とかで忙しいんだろうな、と言おうとしたのだが、間髪入れずにサクが割り込んだ。

 本当に仲の悪い親子だ。彼女の中のミツルギ=サイガの評価が酷いことになっている。

 もっともアキラ自身、サイガに対する評価は高くない。だが流石に、今だけはまともに働いていると信じたかった。


 なにせ今日。

 “あのスライク=キース=ガイロードですら防ぎ切れなかった化物”が攻め込んでくるのだから。

 時折吹く風が、岩をかき鳴らす。

 アキラは極力それを聞かないようにしていた。その先に思い起こしてしまう、あの情景も。


「なあサク。聞いちゃいけないのかもしれないけど、お前が旅をしてた理由って、あの親父さんにあるのか?」

「話題を振るにしては些か痛いところを突いてくるな……」


 サクは、目を伏せ、袂を抱き込むように丸まった。

 サクのそんな仕草は、アキラの眼には新鮮に映った。


「何となく、誰かに聞いてもらいたいから言うんだが……」


 その姿のまま、サクは地面を呆然と眺めていた。

 そしてぼそぼそと、風にかき消されるような小さい声で、呟く。


「私が子供だった。哀しいほど、子供だったんだ」


 アキラは目を細めた。言葉の真意は、相変わらず分からない。

 自然に挟まれた空虚な世界。そこで立ち続けるには、いくらか精神力を費やさなければならないのかもしれない。

 サクはもしかしたら、疲れているのだろうか。

 だからアキラは、塞ぎ込んでいるようにも見えるサクに、呟いた。


「風引きそうで子供、か。サクのことはこれからティア・ツーとか呼べばいいのかな」

「ようし勝負だ。剣を抜け」

「おい。それは奴の名前を悪口と認めていることになるぞ」

「それでいい。それでいいから、戦いたい。……というかお前もその意味で使っているじゃないか!!」


 いきり立つサクに、アキラは身構えず、笑っていた。

 間もなく戦闘が始まるであろうに、自分たちは何をやっているのだろう。


 アキラは、笑ったまま、空を見上げ。

 小さく、そうだよな、と呟いた。


―――その、瞬間。


「―――!!」


 転がっていた小石が暴れた。

 風が暴風と化し、貫くように吹き荒れる。

 続く、地鳴り。

 止まることの無い、地鳴り。


 その轟音が、鼓動を打ち鳴らす。


「来たか……!!」


 サクが飛び跳ねるように立ち上がり、アキラも続いて即座に構える。

 抜き放ったのは刃渡り80センチメートル程度の白銀の剣。

 新たに自らのものとなった装備の初陣にアキラは緊張の糸を張り詰めた。

 鋭く、深く、重く、集中。


 轟音が鳴り響く先を探る。

 タンガタンザに訪れて、2ヶ月。

 いよいよ戦場に、勇者様は躍り出る。


「…………これは違うじゃないっすか」


 その光景を見た瞬間、アキラは泣きそうになった。

 『ターゲット』を守り抜くのが最大の目的ではあるのだが、本当のところ、アキラは剣の真価を試したいと思っていた。

 知恵持ち、あるいは言葉持ちとの一戦は、『ターゲット』防衛と剣を扱える、ひと粒で2度おいしい戦いになるはずだった。


 それ、なのに。


「ものすごくついてないグループはここかよぉぉぉおおおーーーっっっ!!!!」


 猛進。

 濁流のような化物の猛進がそこにはあった。


 頑丈そうな身体のサイのような魔物を先頭に、我先にと駆け抜けようとする異形の群れが狭い通路を埋め尽くし、特攻してくる。最早背後に何が控えているかは見えもしない。

 アキラの身ほどもある岩を蹴散らし踏み潰し、土石流のようになだれ込んでくる化物どもは数える気にすらならなかった。


 それが間もなく、アキラとサクを蹂躙する。


「くっそ!!」


 アキラとサクは、即座に二手に別れた。

 共に道の隅に到達し、各々の武具を構える。


 そこには、崖から生えた野太い鎖が地面に伸びていた。


「最初に斬るのは―――」


 アキラは呟き、構えた。

 魔物の群れは、アキラたちなど気にもしていないように駆け続け、ふたりの眼前にまで到達している―――


「罠かよ!!」


 オレンジの光と、イエローの光。

 それらが同時に爆ぜた直後、魔物の大群は地面の中になだれ込んだ。


―――***―――


 “南の道”。


「ついてねぇのは奴らのところだったか」


 身を包んだ鎧の動作を確認しながら、グリース=ラングルは呟いた。

 思った以上に、思った通りになった。それだけだ。正直な感想を言えば、当然、とさえ思う。

 面倒なことにあの男はそういうものを引き込むのだ。

 ひとつだけ、とか、低確率で、とか、そういうものに非常に―――あるいは非情にと言った方が適切か―――好かれる。


 ゆったりと、剣を抜き放つ。


 狭いルートで大群が強引に特攻してきたら、防衛は困難だ。

 魔物の方が体力はあるし、何より攻撃本能の点で人間を凌駕している。

 そのため、ミツルギ=サイガが狭い道の防衛方法において基本中の基本、落とし穴を全方向に設置していた。

 グリースの視界の隅にも、切断すれば奈落が顔を出す罠が映っている。

 知恵持ちや言葉持ちには通用しないだろうが、大群は足止めできるという処置。

 だがそれは裏を返せば、大群が来ないルートの罠は無駄になるということだ。

 これだけ広大な土地に、それだけの数の罠を設置するには相当な資金が必要だったろう。そしてその大半が無駄に終わる。目立たない場所で、どれだけの金が動いているのか、グリースには想像もつかない。

 それだけミツルギ家も本気であった、ということか。ヒダマリ=アキラに聞いた、2年前とは違って。


「……」


 グリースは、額に巻いた鉢巻きを、強く絞る。

 いつも感じていることだが、頭を縛りつける感覚はいい。

 余計なことを封じ、必要なことだけ脳から滲みでてくるような気がする。


 グリースは剣を振るい、感触を確かめた。

 調子はいい。身体は軽い。足腰も安定している。

 昨日乗った奇怪な飛行物体の影響は、昨日の内に取り払うことができた。


 ならばあとは、込めるだけだ。


 目の前の敵に、全てを。


「お前、言葉は分かるか?」


 グリースは目の前の“それ”を睨みつけた。


 汚れた灰色の布。

 広げれば、家屋くらいはゆうに覆い尽くせるだろう。

 それが、真ん中をつまみ上げたように、球体の姿を風に漂わせていた。狭き道の半分は埋め、天辺は見上げるほど高い―――巨大物体。

 一応、立ってはいるようだ。布の四隅は、楔を打ち込まれたテントのように地面を掴んでいた。


「……」


 返答は無かった。ただ、グリースを認識したように動きを止める。

 どうやらこの奇妙な『布』は、“言葉持ち”ではないらしい。


 となると、“知恵持ち”。


 グリースは歯噛みする。

 情報には無かった敵だ。今年の戦争に始めて駆り出された魔族軍の新兵。


 だが、単騎で攻め込んでくるあたり、戦力としては一騎当千を満たしているのだろう。


「悪いがここは通行止めだ」


 グリースは、次に、笑った。

 自分はあの連中とペアを組んでいない。

 だがむしろ、懸念していたのは他のメンバーだ。


 この戦争に懸ける想いは、自分が上だと信じている。

 だから、情報がある敵が別に回ってくれた方が、『ターゲット』を守りやすい。


 自分は絶対に、抜かせないのだから。


 剣を担ぐように抱え、切っ先は頂点。

 腰を落として構えたグリースは、未知の存在と対峙する。


「好みを言えば“言葉持ち”が―――ぶっちゃけ“魔族”が良かったんだが―――絶対に、抜かせねぇ」


―――***―――


 “東の道”。


「ねーねーねー、クロック様」


 今日だけで、一体何度、『ねー』という言葉を聞いただろう。

 団子のように結わった髪形がトレードマークの少女―――ミツルギ=ツバキの言葉を適当に聞き流し、クロック=クロウは風に飛ばされぬよう帽子を深く被った。

 多分、3の倍数のはずなのだから、2時間に十回の割合で話しかけられたとして―――と、そこまで思考を逸らしてしまい、クロックはもう1度、深く、帽子を被った。


 馬鹿げたことが、ゆうに百回は、超えている。

 ツバキの言葉がではない。

 この、タンガタンザを舞台にした、非常で非情な戦争がだ―――いや最早、日常といえるのか。


 そんな戦争の表舞台に、自分は一体どれほどの時間立っているのだろう。

 しばし思考し、しかしツバキの口癖同様、無駄なことだと切り捨てた。

 数えることに意味は無い。

 一瞬だ。一瞬、だった。

 駆け抜けたつもりもなく、成し遂げたこともない時間は、本当に、一瞬だ。

 一方で。奔走し、死に物狂いで村を創り上げたあの時間さえも、またたく間に過ぎ去ったように思える。

 そう考えると、過去の時間というものは、いずれも錯覚であるように思えてしまう。

 過去を振り返ることに意味は無い―――などと、そんな言葉も存在する。なるほど道理だ。過去は所詮、今の自分にとって、幻影に過ぎないのだから。


 それでも。

 忘れてはならないことがある。背負わなければならないものがある。

 そうクロックは確信している―――だから。忘れずに、背負っている。


「ねーねーねー、クロック様。なんか、遠くから変な音聞こえません?」

「……」


 ツバキの言葉で我に返り、クロックは目を細めて周囲を探った。

 意識をそばだてると、確かに大地の震動とも爆音とも取れる僅かな音が感じられる。どうやら別のグループは交戦を開始したらしい。

 ツバキの若い耳は、それを拾ったのだろう。

 クロックはため息ひとつ吐く。

 過去が何だと考えていた自分は、結局のところ、老いているだけなのかもしれない。


「ツバキ、用意しろ。ここにもそろそろ敵が来る」

「はい、了解しました」


 身体を伸ばし始めるツバキを横目に、クロックは足元に置いていた大きな袋を担ぎ上げた。

 袋の中には、昨年大破されたガルドパルナ聖堂より採掘した“魔力の原石”が詰っている。拳大ほどのこの石たちは、火曜属性のクロックが用いれば“止める”のが目的のこの戦争において最上級の働きをするであろう。


「……ガルドパルナ、か」


 ツバキに聞こえないように、クロックは何となく声に出してみた。

 一瞬で過ぎ去った過去。

 その中には、2年前ガルドパルナでの戦争も含まれている。

 タンガタンザの民からすれば奇跡の、しかし、参加した者にとっては何とも後味の悪い、ドロドロとした結末で終わった物語。

 ツバキと出逢った、あの日。

 あの日から、自分はこの“外れた”子供に、何かを示すことができているのだろうか。


「ツバキよ」

「はい?」

「お前はあの日から、変われた自信があるか?」


 今さら聞くようなことでもない。

 あの何もできない子供が、2年で戦場に立てるほどの力を手に入れているのだ。

 本当に、無意味な質問。

 だがツバキは、姿勢を正し、僅かばかり目を細めた。


「はい。強くなりました」


 あるいはそれは、戦力のことを言っているのではないのかもしれない。


 そこで。


「!」


 ゆったりと、月日を遮る影が現れた。

 距離にして数百メートル先。未だ崖で囲まれた狭き道に入ってすらいないだろう。

 だが、目前にいるかのように、見えた。

 何ら遜色なく、化物と形容できる、あまりに巨大なその『蛇』が―――


「ツバキ、運が良いな」

「……はい」


 数を数えることもできない、無限を思わせるほどの積み上げられた岩。顔をほとんど真上に向け、ようやく頭が見えてくる。

 鎌首をもたげるその最先端の岩には、恐らく眼と思われる穴がふたつ開いている。

 顔を模すには口が必要なところだが、生憎と、生物という枠組みから外れている―――“外れることを許された”岩石の無機物型。


「トラゴエル」


 そのあまりに巨大な岩石を前に、クロックの口は釣り上がった。

 本当に、運が良い。

 クロックは、袋の中から原石を掴み上げた。


「またてめぇを殺す機会があるとはな……!!」


―――***―――


 “北の道”。


「ふと思うんだが、俺ら以外のグループはガチっぽいバトルが始まってるんだろうな」

「え!? なに!? なんだって!?」


 爆音、騒音、轟音。

 叫ばなければ意思疎通ができない環境の中、アキラとサクは、淡々と作業をしていた。

 身体中が吹き飛ぶような風圧。天に打ち出されるほどの大地の振動を受けながら、アキラは再び目の前の罠を両断する。


「だからさぁっ!!」


 ザンッ!! と地中に伸びた罠を斬れば、遠方の大群が姿を消す。

 直後、轟音。狭き道での風圧はアキラとサクの身体を痛烈に叩き、同時に後続の魔物たちを爆破した。

 戦闘不能の爆発。

 嫌なほど思い知っている魔物の特性を、アキラは頭に思い浮かべた。


 大群を前に、アキラとサクが行っているのは、大群から逃げるように移動しながら、魔物が足を踏み入れた地点の罠を作動させることだけだった。

 落とし穴の罠は、この狭き道の随所に仕掛けられている。

 流石に5万もの大群を前には防ぎ切れないのだろうが、戦闘不能の爆発があるとなれば話は別だ。

 所狭しと密集した魔物たちは罠に飲まれ、息絶え、そして爆風を周囲にまき散らす。

 そうなると、強引に飛び込んでいる後続の魔物たちに逃れる術は無い。

 問題なのは罠が手動であるがゆえに、魔物の爆破の余波や余震を受けることだが、アキラには身体能力強化の魔術、サクには足場を改善する魔術がある。

 ある程度劣悪な環境でも、罠を作動させる手順に影響は無い。


「なあ!! サク!!」

「なんだ!?」


 罠を作動させ、魔物が地中に飲み込まれる。

 後続はまだ土煙の中から現れない。群れの切れ目に突入でもしたのか、たびたび訪れる休憩時間だ。

 その隙に、アキラは次の仕掛けへ移動しながら、サクに叫ぶように言った。


「これ、なんか違くね!?」

「だったら飛び込んで来い!! 止めないから!!」


 怒鳴られたアキラは恐る恐る振り返る。

 中央の荒野まではまだまだ距離がありそうだが、黒煙が混ざった土煙の向こう、罠の数が不安になるほどの勢力が、早速殺気をまき散らして迫ってきていた。今度は不気味な液体の塊が先頭になっているようだ。最早名前も分からない。

 聞いた話によると、スライク=キース=ガイロードは開けた荒野であれほどの大群を撃破したらしいが、直接挑みにいくのは正気の沙汰とは思えない。


「俺、罠でいいや」

「次、行くぞ!!」


 今回の休憩時間は生憎と短かったようだ。サクの掛け声とともに、アキラは剣を振り下ろした。

 鎖のように見える仕掛けは、意外なほど軽く切断できた。


 そして、僅か遅れて、爆風。

 圧縮された突風のような一撃が身を襲うが、高が風では身体能力強化を凌駕し得ない。


 驚きなのは、この剣だ。

 手に握る、未だ魔物を直接撃破していない剣を、アキラはしげしげと眺めた。

 恐ろしく丈夫だ。ここまでの道中にも、アステラが金曜属性の魔力を込め続けていただけのことはある。

 武具を手に取る必要の無い“武具より強い力をその身に宿す属性”―――木曜属性の力を再現しているというのに、この剣は、まるで損壊していない。

 これならば、“武具すら凌駕する破壊の属性”の力にすら耐えられるかもしれない。


 “いや、それどころか”。


「―――サク!! 次だ!!」

「あ、ああ!!」


 だが、いかに武具が強いとはいえ相手は罠。

 僅かばかり気落ちするも、アキラは淡々と作業を続ける。

 この大群。ミツルギ=サイガは5万弱と言っていた。そんな大群が展開可能な中央の荒野まで辿り着いたら対処はほぼ不可能だろう。

 魔物の戦闘不能の爆破が随所で起こり―――この強風だ―――それだけでも、即座に地獄絵図になってしまう。

 アキラとサクは、ある意味最も重要な任務を行っていると言ってもよいのだ。

 いかにこれが、淡々と続く作業だとしても。


「……、」


 そこで、アキラの脳裏に何かが掠め、そして、“自分を全力で殴りたくなった”。

 これの何が淡々とした作業だ。


「―――サク!!」

「アキラ!! 次だ!!」


 見ればサクはすでに罠を斬っていた。

 アキラは歯噛みし、自分も剣を振り下ろす。

 一層強大な爆風が巻き起こり、両脇にそり立った崖の随所にひびが入る。道が崩壊するかもしれない。ミツルギ=サイガはルート1本潰れれば御の字と言っていたが、あるいはこれも、それを狙っているのかもしれない。


 だが、そんなことより。


「サク、」

「アキラ、お前目はいい方か!?」


 途端妙なことを訊いてきたサクに、アキラは眉を潜めた。何気に自分が良く訊く質問だ。

 思わず、多分この世界の住人より悪い方だ、と素直な答えを吐き出そうとしたが、サクはそれよりも早く言葉を続けた。


「“言葉持ち”や“知恵持ち”を見た記憶があるか!?」


 言われて、アキラは背後の大群に振り返った。

 大分数を削っているであろうに、変わらぬ勢力。凶悪な異形の群れ。

 しかし言われてみると、あれらが何かに指揮を執られているようには見えなかった。


「いや、無い!! つっても見た目は普通の魔物とかなんだろ!? 巻き込まれたんじゃないか!?」

「それならいいがな!!」


 再び、罠を斬る作業。

 だが、サクの言葉で、アキラの脳裏にも悪寒がちらついた。

 魔物の数に圧倒されていたが、そもそもミツルギ=サイガは、“言葉持ち”や“知恵持ち”が3方向から攻めてくることを前提に、魔物の大群が付随して現れるグループを不運と言ったのだ。

 ならば、最後部付近にいるのだろうか―――


「悪い報せだ!!」

「!?」


 背後ばかりを気にしていたアキラは前方からの声に心臓が一瞬止まった。

 同時、背後の魔物に勝らずとも劣らぬ爆音と共に現れた物体に対しても戦慄する。


「く、車!?」


 元の世界の鉄の塊がそこにはあった。

 この狭い道の半分を圧迫するほど巨大なそれは、アキラの身ほども太い車輪が前後左右の4か所に設置されている。車体は高く、屋根が取り払われているそれは、オープンカーと戦車を融合させたような不格好な姿だった。

 ひと月ほど前に見た、ミツルギ=ツバキを誘拐したメンバーが乗っていた馬車よりは小さいが―――いや、軽量化に成功しているとでも言うべきか―――ひと目で移動手段だと分かる。

 この世界にあって良いものではない。


 そして、見上げる形になる運転席には、恐らくはその製作者が乗っていた。


「サイガ!! 今さら、」

「黙ってくれ。悪い報せだよ」


 良く通る声だった。紅い衣に身を包んだサイガの瞳が強くなる。どうやら彼は、中央の荒野からこの車を乗り入れてきたらしい。確かに車は、遊撃には適した移動手段なのだろう。

 罠を斬りながら移動するアキラとサクを、狭い道で器用にも車体を反転させたサイガが追走してきた。

 背後からの爆音は変わらずだが、サイガの乗る車はそれ以上の轟音を奏で、爆風に影響を受けず走り回っていた。


「―――!! ―――!!」

「なに!? なんだって!?」


 騒音が酷い。

 車と並走しながらの会話は意味を持たなかった。何かを叫んでいること程度しか分からない。

 アキラは歯噛みし背後を逐一確認しながら罠の作業を進めていった。

 真横の巨大物体の威圧感に押されながらも作業を進めていると、ようやく魔物の進撃が止まった。

 僅かばかりの休憩時間だ。


 アキラは身体を車の前へ踊り出し、ひとりと1台を停止させた。一応はこの戦争の指揮官であるサイガの言葉を待つ。

 サクの顔は、サイガの登場により、分かりやすいように不機嫌になっていた。一方サイガはサクの方を見ようともしない。

 相変わらず仲の悪い親子だ。

 もっともアキラも、自分たちが汗まみれになって爆風に身を捧げているのにもかかわらず、涼しい顔して車に乗り込んでいるサイガには僅かばかりの憤りを感じていた。

 指揮官という立場からすれば当然かもしれないが、もし仮に、ふざけた野次でも飛ばしに来たのだとしたら容赦はしない。


 アキラが思わず剣を握る力を強め、しかし、次のサイガの言葉で剣を取り零しそうになった。


「“アグリナオルスが出た”」

「!?」


 アキラはほぼ反射的に空を見上げた。

 未だ星々が輝いている。

 まだ―――“そんな時間じゃないはずなのに”。


「俺だってびっくりさ。だけど、現れた以上、マークする必要がある。それも、“戦える奴”がね」


 それはそうだ。

 他の何をおいても、アグリナオルスの出現は重く捉えなければならない。

 何せ、どれだけ戦局を優位に進めても―――“それだけで覆ってしまう”。


「そこで、」

「っ―――、サク!! 任せた!!」

「へっ!?」


 アキラの声に、サクが僅かばかり黄色い声を上げた。

 アキラはそれ以上言葉を続けなかった。

 魔族は危険だが、それでも多分、それが一番理にかなった布陣になるはずだ。


「ヒダマリ君も同意見か、そりゃそうだ。アグリナオルスは多分まだ動かない。姿を曝しただけでね。だったらマークは、すばしっこいサクラちゃんがベストだろう。“奴を見失わないことが最重要だ”。あくまで見張りだよ」


 ミツルギ=サイガは、不敵に笑い、サクに手を伸ばした。


「ヒダマリ君。サクラちゃんを借りてくよ。ここはひとりで十分だろう?」

「ああ!!」

「……くっ」


 サクは僅か顔をしかめ、サイガの車に飛び乗った。

 魔力や身体能力が発達したこの世界では、容易に飛び込める屋根の無い形状は戦場に適しているらしい。

 アキラはほっと息を吐く。

 これからは、道の両脇の仕掛けをひとりで破壊しなければならなくなったが、安いものだ。


「アキラ!! 本当に大丈夫なんだろうな!? ここにはまだ“知恵持ち”がいるんだぞ!?」

「こっちの台詞だ!! ひとりで魔族と戦おうとするなよ!! すぐに片付けて俺も行く!!」

「じゃあヒダマリ君、任せたよ!!」


 サイガが叫んだと同時、背後からしか来なかった爆風が前方から襲ってきた。

 思わず横転しそうになったアキラは寸でのところで踏み留まり、顔を上げる。すでに、サクとサイガを乗せた車は米粒のように小さくなっていた。

 あの車の背後には、ブースターのようなものが付いているらしい。シリスティアへ訪れた際に乗った“内回り”の船の移動速度を思い出す。

 そんな追想の間も無く、黒煙から次なる群れが姿を現した。今の先頭は、動きの素早そうな小型の狼のような魔物だった。


「さて、やるか」


 科学と魔術が入り混じった車を見送って、アキラは再び作業に入る。


―――***―――


 “南の道”。


 グリース=ラングルは思考する。

 この3ヶ月、タンガタンザで学んだ―――学ばざるを得なかった魔族軍の特性、戦場での優良な行動を勘案して―――思考する。


 タンガタンザを百年間で崩壊させた“魔族”―――アグリナオルス=ノア率いる魔族軍。

 その中で、毎年現れる“知恵持ち”や“言葉持ち”。その、特徴。

 ミツルギ家に蓄えられている戦争の歴史を見れば、アグリナオルスは“無機物型”の魔物を好んで使役するそうだ。


 “無機物型”。

 世界の歴史、人の歴史、果ては、人の空想の世界ですら、“前提として存在する自然物”を模した魔物。

 その存在を否定する者はおらず、しばしば牙を向かれるにもかかわらず、“滅ぼそうとする発想”自体が存在しない。

 既存のロジックに当てはまらない―――魔物。


 そうした存在を前にしたときは、まず、情報を蓄積することが重要だと知っている。

 相手の正体を探ることは、戦闘というものを理解した瞬間、誰もが理解する原始的な思考であろう。

 正体を深追いするあまり戦闘に集中できなくなるのは本末転倒だが、少なくとも、敵にどのような損傷を負わせばよいのか―――“勝利条件”の確定は必要である。


 そう。

 ロジックに当てはまらない存在を、自分の中のロジックへ落とし込む。“こうすれば勝ちだ”という前提を、自分の中に正確に築き上げなければならない。

 それが必要な工程だ。


 だから、最初にグリースが思ったことは。


 こいつは―――何だ。


「……、―――、」


 それが鳴き声なのか、目の前の『布』からは、高周波にも似た極小の音が聞こえてくる。

 狭き道の中央で山なりになって風に漂う『布』は、予め心構えをしていなければとても魔物とは認識できないであろう。


 グリースは以前、今年の『ターゲット』である女性に、こんな形状の魔物が存在することを聞いたことがある。

 霊体を布で包み込んだように漂う―――メロックロストだったか―――月輪属性の魔物だったろうか。

 授業染みた彼女の話に、半ばうんざりしてほとんど聞き流していたが、特徴としてはこの規格外のサイズ以外一致している。

 だがグリースの記憶では、メロックロストとかいう魔物は悪魔を模した“幻想獣型”。それはそれで脅威なのだが、少なくとも、“無機物型”ではない。

 今年から趣向を変えたのだろうか。なにせ、こんな下らないゲームを考える“魔族”だ。何をしてもおかしくはない。


「……、―――、」


 『布』は、鳴き、漂うだけだった。戦闘意欲の有無すら分からない。

 グリースを認識はしているであろうが、目も口も無い『布』からはなにも感じ取れなかった。


 メロックロストの亜種。あるいは全く違う“無機物型”。

 月輪属性。あるいは全く違う5曜属性。


 組み合わせは様々だ。視認しただけでは何ひとつ分からない。

 このまま対峙しているだけというのは、時間を稼ぐことが重要なこのゲームでは好都合だが、流石に相手もそこまで馬鹿ではないだろう。なにせ“知恵持ち”だ。


 遠くから、魔物の大群が爆ぜる音が定期的に届いてくる。

 だがここは、妙に静かだった。

 グリースと『布』は、互いに動かない。


 グリースは思考する。


 向こうにしても攻める必要があるのだから、最も自然な考え方は―――こうしている間に、なんらかの術式を組み上げていること。攻撃を誘っている可能性もあるが、仮に前者だった場合、このまま棒立ちしているのは危険極まりない。


 ならば、試す意味でも、初撃は自分が行う必要がある。


「……クォンティ」


 グリースは静かに、己が剣に魔力を込める。肩の上で構えた剣が、スカイブルーの輝きを増し、鋭く光る凶器を纏う。

 『布』が、僅かに蠢いたように見えた。


 開戦。


「うおらぁっ!!」


 3ヶ月間、溜まりに溜まった鬱憤をここまで我慢できたのは我ながら驚嘆できる。

 渾身の力で振り下ろした剣はいささか大振りになり、『布』まで届きもせずに大地に強く叩きつけられた。


 しかしその直線上。

 光線のような一閃が炸裂した。

 青く輝くグリースの剣が“伸び”、驚嘆すべき範囲の存在を瞬時に切り裂く。


 クォンティ。

 平凡たる水曜属性のグリースが愛用する攻撃魔術は、より多くの敵を打つために磨かれた範囲攻撃だ。

 剣に纏った魔術を、“剣の形のまま制御し”、水滴を飛ばすように振り抜くことで“斬激範囲を延長させる”。間合いを測ることに長けている剣士タイプの魔術師には圧倒的に優位に立てる、間合い誤認の剣撃。

 剣士としても水曜属性の術者としても、いささか型破りなこの攻撃に初見で対処できるのは、並外れた反射神経を持つ者か、あるいは間合いを測るのを最初から放棄し、『とりあえず攻撃っぽいから全力で避けよう』とか考えるどこぞの男くらいであろう。


 ゆえに、眼前の“知恵持ち”は、何ら動きを見せずに『布』を真っ二つに斬り裂かれた。


 が。


「!!」


 斬り裂かれた巨大な『布』。向こう側の景色が見えるほど両断された物体は、結論から言えば絶命していなかった。

 直後、斬り裂かれた『布』の隙間から、まるで防波堤でも決壊したようにおびただしい量の青の波動が放出される。


「―――ちっ!!」


 鎧に包まれた身体を強引に跳ばせ、グリースは破壊の光線を紙一重で回避する。

 真横を通り過ぎた陣風は鋭く走り、曲がりくねった岩の壁に深く爪痕を残した。下手をすれば崖が崩壊していたかもしれない。グリースはぞっと背筋を振るわせた。

 奇しくも己の攻撃を反射されたように襲われたグリースは歯噛みし、『布』を睨みつける。

 グリースの斬激を浴びた『布』は、損害個所を蠢かせ、縫い合わせるように結合していた。


 ようやく分かった。

 この『布』は。


「“空気の無機物型”か……!!」


 僅かばかり萎んだように見えた『布』は、即座に膨れ上がった。

 恐らく周囲の空気を体内に取り込んだのであろう。


 この魔物が操る空気は、あの『布』の中にある空気だけなのだろう。

 そうでなければ、とうの昔にこの空間総てがグリースに襲いかかっているはずなのだから。周囲の空気を『布』の中に取り込み、魔力を織り交ぜ、己が力に換えている。

 先ほどの攻撃の魔力色からして、水曜属性。無機物型を作るには、魔力制御に長ける水曜属性や、魔力が安定する土曜属性が適しているのかもしれない。


 正体は割れた。

 となれば次の問題は“核”だ。

 あの即座に修復した『布』の一部が“核”なのか、あるいは体内の空気の一部が“核”なのか―――あるいはその両方か。


 “そして最も重要なこと”―――あの“知恵持ち”の、“攻撃方法を全て確認する必要がある”。


「―――クォンティ!!」


 グリースはしゃがむように蹲り、地面に滑らせるように剣を走らせた。攻撃を回避した直後でも体勢を崩すようなヘマはしない。

 狙いは足元。

 地面に楔で打ち付けられているような、布の先端―――


「!!」


 直後、『布』が“跳躍した”。

 風に漂うばかりであった『布』が機敏に跳ね上がり、グリースの鋭い一閃は地を削るばかりに終わる。

 次いで、落下。

 建物ほどの巨大物体がグリースの頭上まで跳ね上がったと思えば、爆発的な速度で墜落を開始する。

 向かってくるのは、凶器のように鋭く尖った布の先端―――


 ザンッ!!


 方向も考えず飛び込むように回避したグリースの耳に、信じがたい“斬激音”が届いた。

 即座に身を起こし、構えながらも振り返ったその先、『布』の魔物は大地に身体を埋もれさせている。

 だがその周囲、まるで測ったような綺麗な線が延びていた。

 『布』の身体から4本ほど延びている線は、斬激の跡。あの布の先端は、どうやら恐ろしいほどの鋭利性を持っているらしい。

 『布』は身体を蠢かせ、地中から出ると、四隅のひとつを、鎌のように掲げる。

 中身が見えたが、それはただの布の裏地だった。やはり中は空気が詰っているらしい。

 グリースが、思わず呆然と立ち、観賞していると。


 『布』は、四隅のひとつを、真横に振った。


 ビュッ!! という音が大気を割った。

 グリースの胴体の位置を真横に薙いだその斬激は、最早目で追える速度では無かった。間一髪身を伏せたグリースの頭上で、死神の鎌が通過する。

 爪痕を残されたのは、再び狭き道を囲う高い崖だった。だが、鋭く深い線が描かれたにもかかわらず、今度は小石ひとつ落ちて来ない。

 剣や鎧で受けることさえも危険だ。間違いなく両断されるであろう。

 その鋭さが生物の身体を襲えば結果は見えている。


「ち―――シュロート!!」


 グリースは、まるで鞘に収めるように死神の鎌を元の位置に戻していた『布』に攻撃を仕掛ける。

 腕を突き出し放ったのは、水曜属性の術者ならばおよそ誰でも使用できる基本の低級魔術。

 型破りな戦闘スタイルではあるが、最初からそうであったわけではない。放つまでに少々時間がかかるとはいえ、グリースは水曜属性の魔術ならばある程度習得している。

 本来は不意打ちに使用する遠距離攻撃魔術だが、温存している余裕は無い。

 相手はグリース以上に枠を外れた“知恵持ち”。

 己の技巧の総てを凝らし、立ち向かわなければ命は無い。


「―――!!」


 グリースが放った魔術は予想通りの軌道を走り、そして予想通りの結果に終わった。


 『布』の身体の中央を正確に射抜いたスカイブルーの一閃が、“同じ軌道で跳ね返された”。

 そう錯覚するほどに、『布』は、空いた穴から空気の大砲を即座に射出した。

 グリースは鎧の身体を鳴らせて跳び、『布』は即座に修復される。

 またも僅かばかり萎んだ『布』は、周囲の空気を取り込み始めていた。


 おぼろげに、この『布』の行動パターンが分かってきた。

 斬激と魔術。形態こそまるで違うが、グリースと攻撃パターンが酷似している。

 布の先端で戦闘を行い、攻撃を受けると布が避けて中から魔術を取り込んだ空気を射出する。

 最も危険なのは、体内の空気を射出する反撃だ。

 グリースが変則的な剣士でなければ、反応もできぬ近距離であの反撃を受け、鎧ごと吹き飛ばされていた。

 布の先端は相手への能動的な攻撃用として、身体の中の空気は相手への反撃用として形作られているのであろう。斬激や空気の反撃の速度からして、見た目以上に機敏だ。

 その上で、弱点の所在が不明な“無機物型”。

 強敵であり、そして難敵だった。

 大群で取り囲んだとしても、例の反撃で吹き飛ばされる。

 他の“言葉持ち”や“知恵持ち”もこのレベルなのだろうか。

 自分が特訓としてミツルギ家の中にかくまわれていた3ヶ月、この魔物は戦場を駆け抜けていたのだろう。

 なるほど確かに、ここまで生き残っていた理由も分かる。こんな存在が開けた平野に到達してしまえば、何が起こるか想像もできない。

 ミツルギ家の兵士にとっても、戦闘方法は少々独特であっても平々凡々たる水曜属性の枠を出ないグリースにとっても、『布』の存在は常軌を逸していると言ってよかった。


 だがそれでも、グリースは思考する。

 敵の身体の構造は分かった。

 攻撃方法も察しが付いている。

 “あと、問題なのは”。


「……、―――」


 再び『布』の甲高い聲。

 グリースは、それを聞いたと同時。


 『布』に背を向けて、全力で駆け出した。


 敵残存勢力。


 魔物―――現在減少中・測定不能。


 知恵持ち―――トラゴエル。『布』。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


―――***―――


 “東の道”。


 クロック=クロウがミツルギ=ツバキを従者として招き入れた頃、クロックは、ミツルギ=ツバキの運命を呪った。

 2年前のあの日。ツバキの口から戦争に参加したいと―――何もできない自分を変えたいと聞き、それを好ましく思いやや期待を膨らませながらも、実のところクロックはツバキには戦争の矢面に立つのではなく、自分がそうしていたように、事務処理の方面で若い力を存分に発揮してもらおうと考えていたのだ。

 自分の村が滅び、ミツルギ家に招き入れられていたクロックは、ミツルギ家の参謀として戦争に参加していた。しかし、強固な城に守られた生活に戦火と縁があるはずも無く、しばしば平和などという言葉に思考を這わした自分を戒めたものだ。

 だからいっそ、その悪しき考えを、ミツルギ=ツバキに持ってもらいたかった。

 彼女の過去はあまりに酷い。親を失い、住処を失い、親の偶像すらも失った。

 それならば、フィルタを通した世界で“非情”を見て、“外れた”心を治してもらいたかった。

 その分自分が、外の世界の“非情”を駆ければいい。そのつもりであったし、実際、今日この日までそうしてきた。


 だが、ツバキへ対するクロックの願いは、叶わなかった。

 ミツルギ=ツバキの名誉のために記さなければならないが、別段、彼女が絶望的なまでに参謀という職に向いていなかったわけではない。

 確かに頭を使うことは得意そうではない気質であったが、彼女は素直で、ひたむきで、何より真面目だった。

 伸び代は、確かにあったのだ。

 だがそれ以上に、彼女に向いている場所があっただけのことで。


 それゆえに、ミツルギ=ツバキは戦場に立つ。


 ジッ!! と雷鳴が轟くような振動が周囲に伝染した。


 ツバキが跳びながら放った脚と、クロックが補助のためと投げ込んだ抑制の魔術を帯びた魔力の原石―――その先。

 唸りを上げて襲いかかる脅威の質量の突撃が、停止していた。


「ふ―――」


 停止したトラゴエルに対し、ツバキの蹴りの勢いは死んではいなかった。

 駆け上がるようにトラゴエルの頭部に飛び乗り、器用にも立ち、足を自分の頭の上まで鋭く振り上げる。

 子供ゆえの身体の柔らかさか、あるいはツバキ特有の才能かは不明だが、よくもまあ自分の身体をあそこまで自在に操れるものだ。

 クロックはそんな悠長なことを考える。

 余裕はあった。

 ツバキがああした以上、次の光景は決まっている。


「はあっ!!」


 掛け声とともに、ツバキはトラゴエルの首へ足を振り下ろした。

 再びバヂリと大気が揺れる。

 瞬間、全長百メートルは超えるトラゴエルの“身体中に衝撃が走る”。

 迸った魔力色。それは、寄りによって、事務処理で埋もれさせるには惜しい―――“この魔族軍相手に抜群の効果を持つ属性”の証だった。


 例外のふたつを除いた5曜属性。

 その中に、極端な希少性を持つ属性がふたつ存在する。

 世界中のほとんどの魔術師は水曜属性だ。

 特徴が魔術師タイプ、とまで言われている通り、魔術師と言えばまず水曜属性が想像できる。

 次点で金曜、そして火曜属性と続く。いずれも数は多く、街や村の魔術師隊のほとんどがその3つを適度に取り入れることを前提に構成されているほどだ。

 一方、残るふたつの属性。

 例外中の例外のふたつがある手前、忘却しても良い程でもないが、出会うことすら難しい。残存する魔物の数ではないが、5万人ほど数を集めて、ようやくどちらかひとりは見つかる程度だろうか。

 それほどの、希少性。しかし、本当に重要なのは、その希少性ではない。希少なだけならば、戦場では何の役にも立たないのだから。

 そのふたつの属性は、単純に、“強力”なのだ。

 最も希少な属性は、あらゆる魔術攻撃を己が力にまで換えて、脅威の戦闘能力で敵に襲いかかる。

 次に希少な属性は、あらゆる魔術攻撃を封殺し―――“あらゆる防御能力を貫通する”。


「クウェイク!!」


 “グレーカラーが被弾した”。

 それだけで、巨大な『蛇』の全身に破壊の波動が伝染する。

 グレーに輝く土曜属性。

 その攻撃は、分散しても揺らぐことなく全てに伝わり、振撃を巻き起こす。

 クロックの持つ魔力の原石は魔術攻撃を弾く特性を持つが、ミツルギ=ツバキの魔力はそれと同等以上だ。相手が防ごうとしても、ツバキの魔力はそれを弾き、貫き、その本体に強烈な打撃を与える。

 被弾した個所など無事であるはずもない。

 トラゴエルの貌とも言える部位は、首を狩られて落石する。


 クロックもただ見ているばかりではなかった。

 落下したトラゴエルの頭部―――恐らくは、“無機物型”の“核”へ魔力の原石を投擲する。


「ノヴァ!!」


 原石に詰められた火曜属性の魔力が、魔術に転換されて噴き出された。

 本来武具や拳に纏って放つ火曜属性の基本魔術。だがそれを魔力の原石を通して行えば、遠距離攻撃へ変化する。


 炸裂。ツバキの魔術攻撃を超える振動が轟いた。

 木曜属性、そして土曜属性も強力ではあるが、こと威力に関してはクロックの属性も引けを取らない。

 破壊を司る火曜属性。

 まともに受ければいかなる物体、生物であれ無事では済まない脅威の一撃。


 そしてその理通り、トラゴエルの頭部は跡かたも無く消し飛んだ。


「―――ふん」

「クロック様!!」


 トラゴエルの身体に上って大分上空にいたと思うのだが、ツバキは身軽にも着地し、クロックに駆け寄ってきた。

 強力な属性の術者であるが、こういうところは依然として子供なのだろう。

 ただとりあえず、当初の作戦通りトラゴエルの“核”の破壊は完遂した。


 だが。


「……やはりか」


 クロックが見上げると、ツバキに破壊された首が、そのまま下がっていった。日も沈んだ明かりでは、暗闇に吸い込まれているようにも見える。

 ついぞ姿が見えなくなったが、大量の岩は遠方にてとぐろを巻き、未だ蠢き続けているのだろう。


 首を落とし、頭まで破壊したというのに、トラゴエルは生存している。

 世の理通りの破壊でも、やはり、理を超えた“無機物型”の撃破には届かない。


「クロック様、あれ、」

「ああ。どうやらまだ“核”があるか」


 手ごたえから言って、先ほど破壊したのはトラゴエルの“核”だ。

 自然物であれば、突撃してきたときのツバキの一撃の前に粉々に吹き飛んでいる。

 となると“今年も”、トラゴエルの“核”は複数あるのだろう。


 2年前。

 自分と『ターゲット』はふたつの“核”を破壊した。

 その後逃亡したことを考えると、トラゴエルの“核”はさらに多い。

 “無機物型”の作り方などクロックは知る由も無いが、もしかしたら、今年、さらに“核”を増やしてきている可能性もある。


 だがそれが何だ。

 ここには土曜属性のツバキがいる。

 そして、相手を抑圧する魔術を使用できる自分もいる。

 トラゴエルが幾度突撃してこようとも、その巨大な身体が仇となり、総てを止め切ることができるだろう。


 しかし。


「……!!」


 落石音が聞こえてきた。

 暗闇の向こうからでも、大気の揺れは確かに伝わる。


「……、クロック様、何か、頭が痛くなってきたんですが……」


 この振動ではそうだろう。

 呻くツバキをしり目に、クロックは敵を探る。

 トラゴエルは何かをしているようだが、それは分からない。


 だが、“それ”を―――“それら”を見て、クロック=クロウは全てを理解した。


「ク、クロック様!! あれ!! あれ!!」


 ツバキが指差すその先。

 狭き道の暗闇の先。


 そこには―――“軍隊”があった。


「っ、っ、」


 背丈は5メートル近い。

 人間が全身でも抱き付けないような岩が連なり、頭も、身体も、四肢も、形作られた不格好な巨人たち。

 ゴーレム族という、分かりやすい無機物型の魔物の姿があった。


 だが数が。


「今年は“核”も―――“無限”か……!!」


 通路総てが埋め尽くされている。

 巨人がひしめき、3体ずつが並び立ち、隊列を成している。その全ての貌に、眼と思われる空洞が開いていた。

 それが幾隊続くのか。決まっている。“トラゴエルの身体分”だ。


 思えば去年。ガルドパルナ聖堂を『ターゲット』にした戦争で、トラゴエルは姿を現さなかった。いや、2年前にしても、『ターゲット』がトラゴエルの巣城に現れなければ参加は無かったのかもしれない。

 つまり、2年前に出遭ったトラゴエルは、“未だ無機物型の魔物として完成していなかった”。

 あくまで想像だが、“核”を作るには時間がかかるのかもしれない。

 だから2年前は、自然物の岩を加工し、偽りの身体を創り上げてきたのだろう。


 だが、今年は。

 ツバキが砕いた首も“核”。

 クロックが爆破した頭も“核”。


 そして、目の前にいる無数の巨人も―――全てが“トラゴエル”。

 そう。眼前全ての巨人が単純な罠にかからない“知恵持ち”―――その、大群。


「―――ツバキ、適度に戦い、適度に落とし穴を作動させる。あの大群だ、少しは数が減るだろう」

「は、はい。了解しました!!」


 手早く指示を与えたクロックの頬に嫌な汗が伝う。

 間違っても、この大群を『ターゲット』に近づけてはならない。


 大気を揺らし、大地を揺らし。

 無数で無言の大群は迷わず進撃する。


―――***―――


「……こんなものまで、作っていたのか」

「乗り心地はどうだいサクラちゃん。ここの大地は走り難くてしょうがない」

「……ならば解決できるだろう」

「今は“そんなの”無駄だよサクラちゃん。それに急いで行ったって、そこまで得はしなさそうだし。温存しないとさ」


 父親との会話は、自分でも覚えていないほど、久方ぶりだった。

 ミツルギ=サクラはミツルギ=サイガの移動手段―――車、と、アキラは呼んでいたか―――に乗り、高速で通り過ぎる『何も無い世界』の光景を眺めていた。

 アキラがたびたび仲の悪い親子と言っていたせいで、思わず話しかけてしまったが、やはり会話はまともに成り立たない。ああ言えば、こう言う。


 やはり随分と長い道だ。未だ魔物を罠に落としていた“通路”を抜けていない。落とし穴の仕掛けが随所に見える。魔物の大群を前に罠の数を心配したが、今はむしろ過剰だと思えるほどだった。

 この中で、アキラはこれからも、淡々と罠を作動させていくのだろう。

 サクは、目を瞑り、肩をさすった。


「ところでサクラちゃん。ヒダマリ君もなかなかどうして立派になったじゃないか」

「無駄口を叩かず、運転に集中してもらいたいんだが」


 サクは鼻を鳴らし、顔を前だけに向けた。お前が何を知っている。

 想像以上の速度で進む景色。

 サクは、自分以上の速度で動くものを見る機会があまりない。

 “内回り”の船や、危険地帯を通る馬車なら見るが、比べる対象は、人間ではあり得ない。

 自分の景色は、いつだって、誰よりも高速だ。

 だがふと、油断すると、頭に何か浮かんでくる。自分は、もっと高速の何かに乗ったことがあると思えてしまう。

 例えば―――銀に包まれた世界―――天を駆ける召喚獣―――


「サクラちゃん?」

「!!」


 信じられないことだが、自分は今、意識を飛ばしていたらしい。

 ここは戦場。由々しき事態だ。

 ミツルギ=サイガに気取られぬように、無視をしていたように装い、サクは肩をさすった。

 風が強いが、心地良く、涼しかった。


「ま、眠くなるのも仕方ないさ、中々疲れたろ、魔物の相手」

「また無駄口か」

「そうでもないさ、可愛い娘の身を案じているんだよ」


 無駄口だ。

 サクは―――今度は意識を飛ばさないように―――目を瞑った。

 もう何も話さない。早く目的地に着いてもらいたかった。


「ちなみに」


 サイガは構わず言葉を続けた。


「サクラちゃんが強がってたの、多分ヒダマリ君、気付いてたぜ?」

「は?」


 やってしまった。卑怯な手を使う。

 思わずサクは、口を開いていた。


「魔物の爆風。あんなもんまともに受け続けていたんだろ。サクラちゃんは足場を何とかできても、それだけだ。ヒダマリ君と違って痛かったろう」


 サクは思わず肩に触れていた手を離した。

 とてつもなく面白くない。


「まあ今は、冷風に当たってのんびりしてな。中々いいもんだぜ、他の連中が走り回っている間に休むのも」

「……」

「はは、サクラちゃんは働き者だなぁ」


 親との会話は、不快で、不毛で、そして不自然だった。

 だからサクは口を閉じる。

 そしてゆっくりと、振り返った。

 爆音が今でも聞こえてくる。“あの男”は、今でも爆風に身を撃たれ、淡々と罠を作動させているのだろう。

 そんな行動を5万匹分繰り返せば、いかに身体能力を上げていたとしても、流石にただでは済まないだろう。

 それ以上に、魔力が切れたら、本当に酷いことになる。

 総量から言えば、現時点のヒダマリ=アキラの魔力は自分の魔力を超えているだろう。

 刀の技術のみを磨き続けた自分と差が生まれるのは当然だが、一体いつの間に追い抜かれたのか。出逢ったときは、多分、自分が上だったろうに。


「『教え子の成長は、嬉しくもあり、寂しくもある』、だったか。“あいつ”がよく言っていたねぇ。飽きもせずに」

「それが伴侶への言葉か」

「そうだね。そして、サクラちゃんの親だ」


 心の内を読めない親の言葉は、どう捉えれば良いか分からなかった。


「なあ、サクラちゃん」

「……」

「お前は“あいつ”に言われてエニシ=マキナと親しくなった。そしてその後、“今のミツルギ家が言う従者の意味をあいつから聞いた”。だから家を飛び出したんだろう?」

「…………」

「だがそれで“あいつ”を恨むのはお門違いだぜ。何せ全部、この俺が仕組んだことなんだから」


 サクは、『最初からそう思っている』と呟き、サイガは、『それでいい』と小さく笑った。


 高速で過ぎゆく世界は、ようやく通路を抜ける。


―――***―――


 “南の道”。


 荒い息を全精力で抑え込み、身じろぎひとつせず、およそ人に存在する気配総てを消し去った。

 高鳴る鼓動さえ鬱陶しい。いっそ停止してくれれば良いとさえ感じるほど―――無音。

 ささやかなそよ風ですら、岩をかき鳴らしているかのように響いて聞こえる。


 グリース=ラングルは、全神経を研ぎ澄ませていた。

 曲がりくねった岩と岩に挟まれた通路。

 駆けて、駆けて続けて、敵の前から姿を消し、グリースは道脇の岩に身を隠していた。

 『布』は、まだ来ていない。

 “知恵持ち”ゆえに罠を警戒してなのか、そもそも移動に適した魔物ではないのかは定かではないが、ともあれ距離を大きく開けられたことは事実だ。

 一本道であるが、相手が自分の姿を見失ったことは間違いない。


 ふと、手のひらを広げてみた。

 幼少の頃も、こうしていた記憶がある。

 何の自慢にもならないが、貧富の差が激しいシリスティアでも、最悪と言えるであろう村に生まれた“らしい”自分。

 確たる意識を持ったときには、グリースは、まるでたった今天から落ちてきたかのようにひとりだった。

 親類と“幸運にも悲劇的に別れることなく”、前提からして、ひとり。

 置き去りにされたのか、売り渡されたのか、死別したのか、ただ記憶障害になっただけなのか、そしてその後、誰が赤子の自分の面倒をみたのかも―――不明。

 ただ気付いたら、民家と民家の間にぽつんと立っていたように思う。もっともそのときのことなど、生存することのみを考えて動かざるを得なかったせいで、薄れてしまったが。

 覚えているのは、残片的に残る風景と、浮かんでいた満月。そしてそのときも、こうして手のひらを見ていた。それだけは―――覚えている。


 そこからの自分は、決して善行と言えることをしなかった。

 金を奪った。金を奪いに来た奴を殺した。人を殺せば金が手に入ることを知った。人を殺した。後悔した。自分を戒めた。金を奪いに来た奴を殺した。金が手に入った。止まらない。血だらけだ。百度殺されても文句は言えない。全部―――自分の意思だ。

 そんな毎日の中、就寝するために拝借した馬小屋か何かでも、こうして手のひらを見ていた記憶がある。

 この手は―――何のためにあるのか。関わった者の総てが不幸になっているこの手は、一体何のためについているのか。

 そんな哲学的なことは勿論分からない。

 だけど、ひとつだけ思ったことがある。1度だけでもいい。その後自分は死んでも構わない。自分への同情など求めはしない。


 だから。


 誰かに幸せだと、言ってもらいたい。


「……、―――、」


 確かに聞こえた甲高い風の聲。

 『布』が、いる。


 岩に身を隠したグリースは、顔を出そうともせず、淡々と気配を消した。

 魔力による防御膜すら発動していない。

 あの『布』の先端を薙ぎ払われれば、岩ごと鎧ごと、グリースの身体は真っ二つになるであろう。

 間違い無く、死ぬ。だがそこに恐怖は無かった。


「……」


 グリースは目を細める。

 岩を挟んだ向こう側、『布』との距離は分からない。もしかしたら手を伸ばせば届く距離にいるかもしれない。

 だがあと十秒は“確認する必要がある”。


 耳を澄ます。鋭く深く、意識を向ける。

 戦闘中にこんなことをすれば、子供がガラスの欠片でも持つだけで殺せてしまうだろう。

 だが、物陰で意識を殺すことなど、幼少の頃にやり込み過ぎて最早特技だ。

 風が僅か落ち着き、ようやく聞こえた“足音”。やはりあの『布』は歩行している。

 そもそもそのはずだ。空をゆく魔物は生み出し難いのか、ごく少数。いても大して能力が高くない鳥を模した魔物くらいだろう。神話クラスのドラゴンでも引っ張って来ない限り、地上戦が前提だ。


 息を殺す。己を殺す。自分の気配を、可能な限り空気と同化させる。

 『布』に―――“視認だけは絶対にさせるな”。


「……、―――、」


 甲高い風の聲。

 その声色は、まるで変わってはいない―――“気付いていない”。


 さあ、十秒だ。


「シュロート!!」


 グリースは岩の脇から腕を突き出し、『布』へ向かって魔術を射出する。

 練りに練っていたイメージは魔力を帯び、『布』を打ち抜かんと鋭く空を割く。

 ボッ!! という破裂音が響く。

 グリースは即座に岩に身体を隠す。着弾など確認している余裕は無い。

 不意打ちで攻撃したところで、『布』に攻撃を仕掛けるということがどういうことなのか認識済みだ。


「うっ!?」


 ぞっとするような風切り音が耳の真横を通過した。

 グリースの放った魔術を跳ね返すように、『布』の中から破壊の光線が射出される。

 『布』は身をよじってでもいたのか、グリースの魔術の軌道とは僅かに逸れ、身を隠していた岩を荒々しく削る。

 舞う岩の粉塵。

 だがグリースは即座に砂塵に飛び込んだ。


「……、―――、」


 甲高い風切り聲。

 その音に乗るように、グリースが直前までいた岩が縦一閃に斬り裂かれた。

 小気味良いほどの斬激音が大地に線引く。

 布の先端を刃物と見立てて振るわれた死神の鎌は、もはや如何なる剣すら凌駕するとさえ思える鋭利性を持っている。


「クォンティ!!」


 岩から飛び出たグリースは、岩の決まり切った末路など確認もせず、魔力を乗せた剣を振るう。

 足払い。

 芸術性すら感じる『布』の一閃とは違う、左右の崖を削りながらも放つ不格好な横一閃が鋭く走る―――先ほど、知恵持ちに通用しなかった攻撃を再度放つ。


「……は」


 そして、グリースは笑った。

 夜空を見上げ、浮かび上がる月を見上げ、そして今、グリースの攻撃を跳ねて回避し、高速で落下してくる『布』を見て―――笑った。


「計算通りだこの野郎!!」


 『布』の行動は理に叶っている。

 攻撃を跳ねて回避し、そしてその鋭い布の先端を敵に向けて落下してくるこの攻撃。

 シンプルではあるのだが、『布』の性質上驚異的な攻撃となる。

 まず、迎撃は実質不可能であるということ。

 空中に跳ぶ『布』に魔術を撃ち込めば、中から魔術が反射されるように噴き出される。

 あの鋭利性からして、落下地点で『布』の先端と撃ち合うのも危険極まりない。

 そして落下直後の鋭い斬激。

 こうなれば、残されるのは離脱のみ。結局は、『布』への攻撃は不可能だ。


 だがグリースは、落下地点で『布』を睨み続けていた。

 さながら隕石のように落下してくる『布』の、鋭い先端が眼前に迫る。


 そして―――グリースは、落下してくる『布』に“跳び付いた”。


「う―――」

「―――、」


 『布』を抱きつくように跳び付いた瞬間、グリースは強烈な嫌悪感を覚えた。

 視界が暗転し、脳みそがかき乱されるような悪寒。


 ザンッ!!


 直後、『布』と共に着陸。

 両腕の筋が千切れるほどの衝撃に、グリースは耐えた。

 ここで離すわけにはいかない。

 これで。これでようやく―――懐に飛び込めたのだから。


「―――、」


 グリースは目を閉じながら術式を組み上げる。

 なおも襲い続ける強烈な嫌悪感。

 だがそれも、予想が確信に変わるとなれば安いものだ。


 この『布』。知恵持ちの―――空気の無機物型。

 身体を覆う薄汚いこの布は、“物体であってはならない”。

 魔力は、物体を恒久的に生み出せない。

 その大原則を捻じ曲げられるのは、使用者など存在しないと考えても良い“具現化”のみだ。

 そうなると、目の前の知恵持ちは―――“穴の空いた布を修復することなどできないのだ”。

 ゆえに布は、“物体ではない”。


「―――、」


 グリース=ラングルは思考した。


 では何故、『布』は自身の布を修復できたのか。

 空気が既存の魔物のロジックに当てはまらないとしても、布は、物体だ。その原則を曲げることは許されない。

 ならばこう考えられる。

 “そもそも『布』は修復されていない”。

 ただ、グリース自身が―――“修復されていると誤認していただけで”。


「―――、」


 グリースは術式の組み上げを続ける。


 『布』は、グリースに、“その不死性を誇示するために布が修復される様を演出した”―――視覚への干渉をもって。

 今グリースが飛びついているのは、千切れ、穴が空き、ぼろぼろになった布を、“とある魔術”で覆ったものだ。


「―――、」


 グリースは術式の組み上げを続ける。


 魔力が物体を生み出せないという原則の一方、魔力から生み出した魔術は物体に干渉することができる。魔術攻撃に被弾すれば身体が吹き飛ぶように、魔力による影響以外の干渉を物体に行えるのだ。

 転じて、物体からも魔術へは干渉できる。

 出来たら達人の域と言えるが剣で魔術を斬り裂くことも、今のグリースのように跳び付くこともできる。魔力が魔術となり、物体へ真に迫る。全ての魔術は“具現化”へ繋がると論じる者の言葉も信憑性がある。

 最もメジャーな遠距離攻撃が、触れれば爆発する術式をもっていることから誤解しやすいが、魔力とは、別に、爆発物ではないのだ。

 勿論、触れればその魔術は発動する。

 今グリースを襲っている嫌悪感は、『布』が発動している魔術の影響だ。


「―――、」


 グリースは術式の組み上げを続ける。


 『布』は水曜属性。

 最も多く、平凡な属性。

 だがそれゆえに、探求が進み、数多の選択肢が開拓されている―――偉大なる先人たちに倣える属性。

 その偉大なる先人たちは、数多くの犠牲の中、とある“現象”に名前を付けた。

 華々しく神話を飾ったとある魔術師が犯された悪影響。デメリット。

 まっとうな魔術の弊害として生まれた現象すらも研究され、今や感覚や他者の魔術にすら干渉する手法として確立された―――妨害魔術。


 勿論。

 水曜属性たるグリース=ラングルも使用可能だ。


「バーディング!!」


 『布』の妨害魔術の塊に、グリースの妨害魔術が炸裂した。

 『布』の妨害魔術を間近で受け続けたグリースの神経は暴れ狂い、暗転していた視界は不気味な赤色に染まる。

 身体は吹き飛んだであろう。随分と高く跳ね上げられ、背中が地面に強打されたようにも思える。だが感覚は無かった。


 しかし。

 『布』への被害は更に甚大だった。


「――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!??」


 甲高い汽笛のような音が鳴り響いた。

 狂ったような騒音が崖を揺さぶり轟き続ける。


 魔術への妨害干渉。

 その威力は、対象の魔術に強く依存する。

 不死性演出のために魔術で身体を覆っていた『布』にしてみれば、さながら土曜属性の攻撃を受けたかのように破壊の衝撃が身体中を駆け廻る。

 身体中の血液が暴れ回っているようなものか、とグリースは他人事のように思った。


「…………」


 呆然と、漠然と、グリースは沈黙していた。

 赤一色の視野が徐々に晴れ、ようやく視力が戻ってくる。

 未だ紅く見える夜空を見上げながら、グリースは笑った。

 暴れた『布』が随分な距離に吹き飛ばしてくれたお陰で、身体を動かせる気がしない。


「……なあ、お前さ」


 訊いてもいないであろう。

 暴れ回る『布』に、グリースは仰向けになりながら、呟くように訊いた。


「相手のこと、目で見てるだろ」


 出しているのは、多分かすれ声だ。

 決して届くことはない。単なる独り言だった。


「それ確認したくてさ、岩に隠れてたんだよ。……なんかさ、どっかの馬鹿じゃねぇけど……、お前みたいなの見てると、『……奴は空気の流れだけで生物の位置が分かる』、とか思っちまってさ。どこが目か分かんねぇし」


 徐々に徐々に、『布』の動きが落ち着きを取り戻し始めていた。

 所詮妨害は妨害。決め手には至らなかったようだ。


「でもよ、分かって良かったわ。気が気じゃなかったんだよ、気付かれてるかと思ってさ。それだけ確認したかった。本当に大丈夫なのかって。そんなことに命かけた俺は、多分めちゃくちゃ笑われるんだろうな」


 グリースの感覚も戻ってきたが、未だ身体は動かない。

 戻った余計な感覚が、『布』が悶えながらもグリースを仕留めようと先端を掲げ始めている気配を拾ってきた。


 それでも、呟き続けた。

 きっと、『布』には分からない言葉を。


「知ってたか」


 『布』が、グリースに狙いを定める。

 グリースが返したのは、呟きだけ。


「今日は月が、ふたつ昇るらしいぞ」


 見えていれば壮絶な光景だったろう。

 『布』が掲げたその先端は、『布』の身体ごと“巨大な岩石に押し潰された”。


 轟音と同時、『布』が奈落へと落ちていく。

 グリースが魔術を放った、今の『布』の位置。そこは巨大な落とし穴だった。

 その事実は『布』も認識していたであろう。グリースを追ってここまで来る道中、多くの落とし穴を見て、作動方法も確認していたはずだ。

 そしてここの落とし穴の作動方法も確認済み。

 ゆえにグリースが動かなければ、罠は発動し得ない―――はずだった。


 しかしそもそも、落とし穴とは過度な負荷がかかることで発動するものだ。

 例えば。

 百メートル上の崖から“銀に輝く巨大な岩石が落下した場合”。


「づ―――」


 仰向けに倒れていたグリースも、こればかりは跳ね起きざるを得なかった。そして即座に身を伏せる。

 ほぼ近距離で奈落へ消えた『布』。その直後、黒煙が混ざった火柱が打ち上げられた。

 鈍い感覚は爆風の衝撃を和らげたが、身体中が粉々になったと錯覚する。感覚を取り戻したときのことなど考えたくも無い。


 だが。

 原始的な落石の攻撃に、断末魔さえ聞こえず―――“知恵持ち”は撃破された。


「か……は……は」


 身を伏せ、炭だらけになりながら、グリースは荒い呼吸を繰り返した。

 吸っても吸っても、酸素を取り込めている気がしない。

 いっそこのまま死ねたら楽になるだろう。


 本当に、この大陸は―――ろくなことが無い。


「……で?」


 グリースがタンガタンザの非情を大いに嘆き続けていたとき、そっけない声が届いた。

 どうやら随分と時間が立っていたようだ。それとも、どこかで気を失っていたのかもしれない。

 いつしか爆風は止み、どす黒い煙が風になびくだけに留まっていた。


 そして、顔を上げた、その先。

 いつもの純白の服装では無く、薄汚れた鼠色の、決して目立たないローブを被った女性が―――立っていた。


「私が方向調整しなきゃぺしゃんこよ。なんでここにいるの」

「こっちの台詞だ」


 ほとんど条件反射だろう。グリースは、身体の状態を確認もせずに立ち上がった。

 身体の節々から痛みが上る。頭痛が激しい。耳も遠い。今にも嘔吐しそうだ。

 それでも、立った。


 『ターゲット』の少女の前に。


「……お前よ、聞いた話じゃ今頃別ルートで逃げてるはずだろ」

「あの人たち脅したの。今すぐここへ降ろさないと、身投げするって」


 見れば、同じローブを羽織った男が傅くように彼女の背後で待機していた。崖の上から、彼女が“軽くした”巨大な岩石を転げ落とした者たちだろう。崖の上にはまだまだ人員が配備されていそうだ。

 その、岩石が落下してきた崖を見れば、山頂から野太い鎖が数本降りている。

 百メートルはある崖を、彼女たちは延々と、わざわざ降りてきたと言うのか。登りも含め、見上げたものである―――もしかしたら、重力を遮断する“魔法”でズルをしたのかもしれないが。


「それよりグリース。私は何であなたがこの戦争に巻き込まれてるのか訊いてるんだけど?」

「暇潰しだよ。お前が3ヶ月間、忙しいらしいから」


 久しぶりの会話は、少しだけ冷たかった。

 だけど、いつものことだとグリースは笑い、彼女も笑っていた。

 変わらない。何もかも、変わらない。


「ま、生きてたか」


 そう呟き、彼女は背を向けた。

 即座にその両脇を、待機していた男が囲う。

 今見ると、傅いているというより彼女を連行していると言った方が良いようだ。

 彼女にはそれだけの立場があり役割があり、この3ヶ月、自由が無かった。

 少し―――痩せているようだ。


 このまま彼女は戻っていく。

 この場所は、多分指定された『ターゲット』の行動範囲外だ。ミツルギ=サイガが考案しただけはあり、気付かれなければ良いという、なんとも卑怯な作戦である。だがそれでも、お忍びでやってきた彼女はすぐにでも戻る必要があるだろう。

 そして自分もこれから、別の敵へ向かわなければならない。まだまだ戦争は終わっていないのだから。

 また、会えない時間が始まる。


 だからグリースはその前に、一言彼女に訊ねた。


「なあリンダ。お前今、幸せか?」


 すると彼女は振り返り、呆れたように呟いた。


「大不幸」

「だよなぁ」


 敵残存勢力。


 魔物―――現在減少中・測定不能。


 知恵持ち―――トラゴエル。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


―――***―――


「ここは?」

「見ての通り、断崖絶壁だよ」


 ミツルギ=サクラが辿り着いたのは中央のエリアの隅だった。

 全体が見渡せる。

 さっと広がる灰色の大地。辿り着くだけで旅と言われるような遠方に、黒ずんだ岩山が見えた。あれが、反対側。左右も同様に、遠方に、岩山がそびえている。ミツルギ=サイガの言葉通り、この大地は岩山に囲まれているようだ。

 ここまで巨大な大地だと適切な表現ではないかもしれないが、この場所は、連なる岩山の一角を押し窪ませたような形状らしい。

 夏で、戦争で、燃え上がるような激戦に囲まれているというのに、広大なこの場所は閉じられているようで、寂しく、寒かった。


 閉鎖された場所。

 何も無い―――大地。


 唯ひとつの例外として、荒野の中央に建物が見えた。

 荒野の隅にいるサクの位置からは米粒のように見えるそれは、大層堅牢そうだ。あそこに『ターゲット』がいるのだろう―――幽閉されているのだろう。

 3ヶ月もの期間―――外に出ることなく。


「かっかっか」

「何がおかしい?」

「いんや。それよりサクラちゃん、とりあえず働いてくれよ。“魔族”の監視。何もお忍びで、ってわけじゃない。なんなら世間話でもするといい。どうせリミット直前までは動かない」

「……だからその“魔族”はどこにいる? どうやらお前ご自慢の兵もいないようだが」


 サクは荒野に視線を這わせる。

 何も―――無い。何もかもが寂しい。唯一の建造物も、殺風景を助長させている。

 “魔族”はおろか、人の匂いすら感じられなかった。魔族に立ち向かう様子はまるで見えない。

 サイガは質問には答えず、またも不敵に笑い始めただけだった。

 サクは問答を嫌って、口を閉じた。


「まあ、“魔族”の場所かい? それなら簡単、この上だ」


 笑いながらサイガが言い放ったせいで、一瞬理解が遅れた。

 眼前には、断崖絶壁の岩山が座している。

 ふたりがいるのは中央エリアの隅―――“西部”。


 “想定されていない第4の道”。


「サイガ、」

「分かってるって、分かってる。高度は数百メートル。さっきのルートを囲っていた崖より遥かに高い。昇りも下りも尋常ないほど手間がかかる。ウルトラ面倒だ。魔物の大群だって、こんな道は通れない。だからさ、無いと思ってたんだよ。だけど現れたもんはしょうがない。正直狙いが分からないんだよ」


 からかうようにまくしたてるサイガに睨みを利かせ、サクは眼前の崖を見上げた。

 高く、崖の肌は荒れていて、月を串刺すように伸びている。

 虚空の高さ。

 そこに、“魔族”がいる。


「本当だろうな」

「本当さ。報告通りならだけどね」


 そんな場所にいる存在をどうやって確認したというのか。

 サクはギリと歯を噛んで、怒りを鎮めた。

 この男に何を言っても時間の無駄だ。


「それで。お前はまさか、私に」

「そう、やってもらおうと思っているのは山登り。ちょっと傾斜が激しいけど、手と足使って何とか頑張ってくれ」

「貴様、」

「できないとは言わせないぜ。“足場改善の魔術”。サクラちゃんなら、他の連中よりずっと楽に登れるだろう」


 流石にサイガはそれを知っていた。

 サイガも少しならば使える魔術だ。

 ミツルギ=サクラの、あらゆる足場を改善する魔術。その範囲は、大地だけに留まらない。

 地上より遥かに限定的にはなるが、サクは一時的に宙を駆けることができる。空中に足場を作り出し、その上を駆けるイメージの魔術。

 共に旅をしている面々にも知られていない、最終手段とも言える移動方法である。

 だがそれは、あくまで一時的だ。

 相当な集中力をもって、助走をつけ、ようやく2階建の建物の屋上に登れる程度だろう。

 間違っても高度数百メートルの崖を駆け上がることはできない。

 サクにとってみれば、自分に追いつける者などいない地上から離れ、空中に駆け出すことなど、的になるようなものだ。

 あくまで、最速を目指した副産物である。


「つっても階段作って呑気に登れってんじゃない。どう考えても魔力が足りないからね。適度に登って、適度に休んで、着実に登るんだ。それに、“命綱”にもなる。思わず崖から手を離しても、地上へ真っ逆さまってことにはならないさ」


 変わらずのサイガを見て、サクは本気で斬りかかろうかと思った。

 この男の言っていることは、結局のところ、この崖に手をかけ延々と昇れということだ。

 身体能力強化の魔力があったとして、相当な体力魔力を使うであろう。

 その状態で辿り着くのが“魔族”であるなどと、洒落にならない。


 “だがそれが、『ターゲット』を守るために必要ならば。”


「やってくれ。アグリナオルスの元には、誰かいなきゃまずいからね」

「……」

「それと、“頼んだこと”、忘れないでよ」


 サクは応えず、代わりに崖に手をかけた。言われるまでもない。

 手にザラリとした感触が残った。だが、風にさらされていた割には安定感がある。

 だがこの高さでは、到着するのに何時間かかるのか。

 一刻も無駄にはできない。


 サクは魔術に集中した。


「なあ、“サクラ”」

「……なんだ」

「やっぱりお前は、誰かに仕えた方がいい」


 サクは応えず魔術を構築した。

 足の裏に強い反発感を覚えるイメージ。

 自分が生まれながらに、当たり前のように踏んでいる地面が、天に続いていくイメージ。

 踏んだ地面が突き上がり、跳ね飛ばされるようなイメージ。

 金曜属性による―――“空中浮遊”という現象の解釈。


「お前は人のためになら無理ができる。本当の力を発揮できる。“できてしまう”。そういう性分だ」

「……」

「だけど自分のためには何もしない―――できない。何をやっていたって、全部いつか仕える人のための準備だろ。そのときに何が必要か分からないから、お前はずっと無理をする。不器用で、生き方が本当に下手だ。無駄な早起きと、向かう先も分からない鍛錬は、未だに続けているのかな」


 魔術の構築はできた。

 あとは、登っていくだけだ。


「本当に仕えるべき対象が分かれば、お前はきっと楽になるよ。それでようやく、必要なことが見えてくる。自分にとって必要なことも見えてくる」


 サクは、頂上を睨む前に、サイガに振り返った。


「とりあえず」

「うん?」

「“生徒”にとって必要なことなら、もう見えている」

「そっか。それじゃ、頑張って」


 タンッ、とサクは“地”を蹴った。

 崖と並行して蹴り上がりながら、空中に、次の“地面”をイメージする。

 数度ほど跳んで、サクは崖にしがみつき、息を吐く。

 今度は肉体の身で登りながら、並行して、イメージの構築を始める。


 1度でどれほど進めたか、確認もしなかった。

 どうせ下には、サイガはもういない。


 何ら割り増しする必要無く気に入らない男と断言できるが、サクは知っている。


 ミツルギ家の性分よろしく―――彼には彼で、仕える対象がいるのだと。


―――***―――


 中央エリアへ向かう3ルート。

 その内、ふたつのルートは乾いた大地を揺さぶり続けていた。

 昇り続ける黒煙。上空からなら炎がルートを駆けているように見えるだろう。


 さらにその内のひとつでは。

 想定内だった魔物の残党では無い―――“知恵持ち”の大群が、蹂躙していた。


 “東の道”。


「クロック様!!」

「いいから自分の敵を始末しろ!!」


 クロック=クロウは握り込んだ魔力の原石を惜しみもせずに投げ込んだ。

 破壊の象徴たる火曜属性の魔術が炸裂し、眼前の巨人を吹き飛ばす。

 だが、撃破したのは1体。

 クロックは爆音の中、鋭敏に魔物の気配を察していた。

 巨人ひしめくルートに放った十数個の攻撃は、僅か1体のみしか戦闘不能に陥らせていない。


「むん!!」


 再び爆撃。

 今度は黒煙へ向かって無造作に投げ込み魔術を発動させる。

 だが、何も捉えられはしなかった。

 どうやら爆風に紛れ、一時的に距離を取っていたようだ。


「ちっ、」


 流石に“知恵持ち”か。

 クロックは歯噛みしながら、袋に手を突き入れ、次弾を掴み出す。

 担ぎ上げるほど膨らんだ袋は、今や半分ほどに減っていた。


「クロック様!! 次の罠です!!」

「待て、煙が晴れてからだ!!」


 ツバキが落とし穴の鎖の傍に立ち、クロックの合図を待つ。

 だがクロックは、その罠に最早何の期待も持っていなかった。


 目の前の敵。岩石巨兵の軍団―――トラゴエル。


 元は1体の魔物だったのだ。巨兵の1体1体は大した脅威ではない。

 クロック自身容易に爆破できるし、ツバキも破壊の衝動を全身に轟かすことができる。

 いかに巨体とはいえ、火曜属性と土曜属性ならば、十分に攻略が可能だ。


 だが、大群となると話は違った。

 ツバキが強力な土曜属性の術者だとしても、数匹撃破したところで取り囲まれてしまうだろう。

 近接攻撃しか持たない彼女を、あの大群の中に飛び込ませるわけにはいかない。


 そして、最大の問題は―――“全員が知恵持ち”だということ。

 あの大群で、あの図体で、トラゴエル達の動きに乱れは無かった。

 即座に後退できるよう隊列を組んでいる上、落とし穴への警戒を怠らない。

 クロックの魔術の威力を認識しているのであろう、他の巨兵への攻撃に巻き込まれることなく、戦闘不能の爆発にも巻き込まれない。


 個々の戦力など容易に塗り替える、軍制と連携。

 戦争の戦力というものを如実に表した脅威が、今目の前にあった。


「クロック様、行きます!!」

「ああ」


 ツバキが鎖を切断したのに合わせて、クロックも鎖に魔術を放つ。

 ゴッ、という振動と共に、大地が揺さぶられた。

 罠の作動だ。

 しかし、その罠の目的たるトラゴエルは、数匹ほど犠牲になったに過ぎなかった。


 圧倒的に手が足りない。


 クロックは落とし穴を身軽にも飛び越える岩石の軍団を睨み、そして退路を見定めた。

 まだまだ“ゴール”は先だ。

 この先にも、幾数もの罠がある。

 だが、このペースでしか岩石の巨兵を撃破できないとなると、トラゴエルの軍団は“到達してしまう”。

 クロックの残りの魔力の原石、ツバキの魔力、落とし穴の数。

 それら総てを足し合わせても、トラゴエルには届かない。


 ならば、何をしなければならないのか―――


「クロック様、来ます!!」

「……離れるぞ」


 次の罠に向かって走る。それは最早敗走と言って良かった。

 クロック=クロウには分かってしまう。

 この戦いの結末が。

 自分とツバキ、そして全ての罠を使い果たした上でなお、『ターゲット』のいる荒野に岩石の巨兵が展開する。


 相手が無機物型の魔物だから、と言うわけではない。

 単に相手の軍団が、こちらの攻撃能力を遥かに上回っているだけだ。

 ロジック通りに、敗北する。

 『ターゲット』の撃破のみならず、恐らく、魔力が枯渇した自分とツバキも、岩石の巨兵に蹂躙されてしまうのだ。


「……クロック様」


 駆けて、駆け続けて、罠に到着したツバキは、小さな声で呟いた。

 視線の先には、落とし穴を飛び越えた岩石の巨兵が再び隊列を組み始めている。

 むやみやたらと突撃せず、敵を圧倒できる体制が整うまで進軍を停止しているのだ。

 あれでは無駄死にしない理由も分かる。


「あの、これから何をすればいいんですか?」

「…………」


 ツバキも徐々に勘づき始めているのだろう。

 どれほどの罠を作動させても、相手の軍制が変わっていないことに。

 見えるだけで、数十体。

 その奥には、まだまだ巨兵が続いている。

 延々と、延々と、延々と。


「あ、あの、私、その、あんまり頭良くないです。だから分かんないんですけど、えっと、だけど、これって、どうすれば、」

「……ツバキ。落ち着け」


 クロックは魔力の原石を握り締めた拳を、さらに強めた。石で切った手から血が流れ落ちている気さえする。

 ツバキは混乱の極みにいた。頭を抱え、眉をしかめ、慌てふためく様はまるで子供だ。

 クロックは必死に思考した。だが分かる。最早打つ手は無い。

 こんなものはただの引き算だ。子供でも分かる。


 だが。

 諦めるわけにはいかない。

 自分たちの攻撃能力から敵の戦力を引けば、負に傾く。

 それを何としてでも正に傾けなければならない。


 クロックは静かに、ツバキを眺めた。

 ミツルギ=ツバキ。

 両親が戦火に飲まれ、その偶像すら非情に消された少女。

 負と負とをかけ合わせた結果の正。


 そんな少女が、そんな何も知らない彼女を、このまま無残に、非情に、散らせて良いというのか。

 ありえない。

 タンガタンザを長年見てきて、どれほど非情かを知った今でも、クロックは断言できる。


 それは―――ありえないじゃないか。


 どれほど低確率でもいい。妄想と笑われても構わない。勝利へ向かう仮説を立てろ。

 挑む機会も無く、失うことは許されない。

 何か手段を手に入れろ。

 このタンガタンザを初めて訪れた頃、全てが去りゆくこの地を見て、自分は何を考えた。


 思ったはずだ。

 この頭は、“挑むために付いている”。


「……、―――」


 クロックは、帽子を深く被った。幼少の頃、親にせがんでからずっと愛用しているシルクハットのような帽子。自分と共に、あらゆるものを見てきた帽子だ。勿論、村を創り上げたときも被っていた。

 そう思うと、長かった。


「ツバキ」

「は……、はい」


 ひとつだけ、思いついた。

 論理的な裏付けも弱く、成功確率も低い、しかし確かな道を―――そしてその、結末も。


「私にはもう、この戦いで勝利を収める方程式ができている」


 それでもクロックは、力強く言い放った。

 おくびにも出さず、決してツバキが不安を覚えることの無いよう―――なんだ、自分も彼女を悲劇から遠ざけていたのか―――確たる口調で、言い放った。


「す、すごいです、クロック様!!」

「ああそうだ。私は優秀な指揮官だろう?」


 再び明るく、ツバキは頷いた。良い笑顔だ。


「ツバキ。作戦を話す。お前は次の罠へ向かえ。そして敵を罠に嵌めろ、嵌め続けろ。淡々と、淡々と、淡々と、だ」

「……、……?」

「それで全てが解決する」

「あ……あの、クロック様は?」

「私は私でやることがある」


 言って、クロックは腰を落とした。

 そろそろ岩石の巨兵も布陣を整えた頃だろう。

 再び蹂躙が始まる。


「で、でも、クロック様、」

「……ツバキ。お前は2年前、戦いたいと言ったな」

「……は、はい」

「喜べツバキ。あの大群を倒すのはお前だ。私は僅かばかり手を貸すだけだ」

「え、……ええ!?」


 クロックは、驚愕するツバキを促すように先の道を指し示す。

 ここから先は、修羅の道だ。


「…………あの、クロック様」

「……どうした?」

「えっと、ですね。戦争が終わったら、私の……その、お、想いを受け取ってくれたらなーって思ったり」


 何かを察したのか、そんな話をしたツバキに、クロックは笑った。


「悪いがガキに興味は無い」

「んだとこら」

「おらっ、とっとと行け!! 従者だろてめぇはっ!!」

「ちくしょうっ!! 覚えてろーーーっっっ!!」


 いつからだろう。

 あれだけ畏まっていたツバキが、時折子供のような暴言を自分に吐くようになったのは。

 自分たちは、それだけの時を過ごしたのだろう。


 だから。

 ずっとずっと、覚えている。


「―――、」


 ツバキが駆け出したと同時、クロックは岩石の巨兵に突撃した。

 接近するにつれて、彼我の身体の差が分かる。見上げることも億劫な3メートル近い巨大な岩石。

 クロックはその身長差を利用して足元をすり抜けるように駆けた。身をよじり、股を抜け、“反撃などせず抜き続ける”。

 虚を付けたのも僅か一瞬、トラゴエルは腕を振り上げクロックへ叩き下ろした。大地に重い衝撃。震源直近にいたクロックは姿勢を崩されるも、構わず駆け続ける。

 流石にそこまで甘くないか。振り下ろされた剛腕を抜いた直後、待ち構えるように別のトラゴエルが腕を振り上げていた。

 狙いは寸分違わずクロック=クロウ。走行ルートを察し、回避不能な一撃を振り下ろす。


「―――ちっ!!」


 キーン、と澄んだ音が響いた。

 攻撃に合わせるように放ったのは魔力の原石。破壊と表裏一体の存在である“衝撃抑制”の魔術は、落石を思わせる一撃を相殺した。

 そして駆ける。


「はっ、はっ、はっ」


 息が上がるのが思っていたよりもずっと早い。やはり歳はとりたくないものだ。

 自嘲気味に歯を食いしばり、クロックは進路を中央から脇に傾けた。

 トラゴエル達をすでに20体は抜いているであろう。となればそろそろ落とし穴だ。

 落とし穴を飛び越える自信は無いが、中央に空く落とし穴の脇の道ならば駆け抜けられる。

 そして見えた。人ひとりならば駆けられる程度の脇の道。


「―――、」


 全力疾走しながらでは不自然だが、僅かな小休止。トラゴエルの巨体は、脇の道に待ち構えてはいなかった。隣では、トラゴエルの数体が落下した落とし穴が大きく口を開けている。足を滑らせれば命は無いが、落とし穴の成果は確認できた。

 だがその代償に、脇の道を抜けた先、罠を飛び越えていなかったトラゴエルが密集していた。

 すり抜けることも不可能なその姿は正に岩壁。

 クロックの動きに合わせて攻撃体勢を整えていた。


 が、


「ふ」


 クロックは笑い、魔力の原石を投げつけた。


「ノヴァ!!」


 魔力の原石を投擲。

 その散る様は、幻想のように美しかった。

 破壊力頂点に立つ火曜属性の前進を、その程度の壁で止めることなどできはしない。

 クロックはそのまま上がる黒煙に飛び込んだ。


「―――ぐっ!?」


 重い衝撃。

 黒煙の中、クロックの身体は人形のように吹き飛び、壁に激突した。

 攻撃を受けた、と言うよりは、突き刺さったと表現できる衝撃が脇腹に炸裂する。うずくまったクロックは、無我夢中で魔力の原石をまき散らした。澄んだ攻撃抑制の音がどこかから響き、即座にクロックは駆け続ける。


 自分が想定できるロジックの答えへ向かって。


 無限を思わせる岩石の巨兵を抜き続ける。

 数を増してきたトラゴエル。だがそれは、不自然と言えば不自然だ。

 同じ性能の“知恵持ち”を、僅か数年でここまで量産できるのであれば、タンガタンザを襲う魔物は全て“知恵持ち”だ。無機物型の魔物を製造するのにどの程度の労力を要するのかは分からないが、少なくとも製造した“知恵持ち”には差異が生まれなければならない。

 ならば何故、その差異がある“知恵持ち”が、ここまで一糸乱れぬ行動を取ることができるのか。

 最初にトラゴエルの大群を見たとき、クロックは、直感的にミツルギ=サイガの兵隊を思い起こした。いずれも多種多様な武具を持ち、それでいて、奈落へ落ちても行軍を止めようとしないあの恐怖の軍団を。


「が―――」


 再び衝撃。

 今度は上げていた腕ごと身体を薙ぎ払われた。もしかしたら腕が潰れたかもしれない。それでもクロックは駆けた。帽子はどこかに落としてしまったようだ。夜空へ立ち上る黒煙が良く見える。

 今度は黒煙を利用した連携攻撃を、また受けてしまった。


 統率。

 そう、ミツルギ=サイガの軍も、このトラゴエルの軍隊も、“統率がとれている”。

 ならばいるはずだ。

 ミツルギ=サイガの軍におけるミツルギ=サイガのように、このトラゴエルの中にも“本当のトラゴエルが”。

 この軍団は、あくまで指示を受け、命令を正確に実行するだけの、“僅かに頭のいい魔物の大群に過ぎない”。

 その命令を飛ばしている存在こそが、“知恵持ちの正体に他ならない”。

 身体が結合していようが、離れていようが、核と言えるものは存在する。

 それが―――ロジック。


「ぎ、ぎっっっ!!」


 足払いをかけられた。その直前、クロックは動かなくなった腕でそれを守る。

 激痛と言うのも生ぬるい、未知の感覚が身体中を駆け廻った。

 だがこれでいい。足はまずい。足さえ無事なら、自分はまだまだ駆けられる。


 どれほどトラゴエルを抜いただろう。

 最早認識もできない。頭が熱に浮かされたように思考ができない。

 足元へ飛び込み、フェイントをかけて、急加速。回避できない攻撃は、袋を振り回して原石で封殺する。

 ほとんど全て、条件反射で行っていた。もしかしたら、気付いていないだけで、いつしか頭を殴られ気でも違えているのかもしれない。

 本当に馬鹿なことだ。きっと今、自分の姿は人間には見えないだろう。

 血だらけで、骨も折れ、肉がはみ出したような、おどろおどろしい有様だ。それでも進む現状は、最早魔物と言って良い。

 大人しくツバキと共に逃げていればとさえ思ってしまう。


 だけど。


 タンガタンザに訪れ数十年。この地に何かを残したいと思った。

 村を築き上げて十数年。想像を絶する爽快感があった。

 村を潰され数年。タンガタンザでは当たり前のことだと割り切った。割り切っていた。


 巡るましく過ぎ去った年月を、それでも自分は決して忘れない。忘れることなんてない。

 気恥ずかしいから謙遜気味に言っているが、村を創り上げたことを、自分自身は一生誇れる。

 だからこの足は止まらない。

 他人から見れば狂気の沙汰の行動でも、どれほど人間からかけ離れた姿でも、人間らしく、魔物総てを強く憎もう。

 誇りを汚された者は、何かを憎む権利がある。


「ガ―――ァァァアアアーーーッッッ!!!!」


 抜けた、抜き切った。

 クロック=クロウは大いに嗤う。

 岩石の軍団から僅か離れて立つ巨兵が見える。


 敵に少しだけ動揺が見えた。他の巨兵には無い反応。やはり将は最奥か。

 空想とも言えるロジックを積み重ねた先、そこに確かに答えがあった。


「―――、」


 最奥のトラゴエルは、甲高い、蛇の悲鳴のような声を発した。

 ツバキには聞こえていたかもしれない。クロックの耳では良く聞き取れないその声で、大群に指示を出していたのだろう。

 だがもう遅い。

 クロックは駆けて、駆け抜けて、トラゴエルへ突撃した。


 最早原石は残っていない。袋はどこかに捨ててきた。腕はほとんど上がらない。

 ならば残るはこの身体。

 全ての残りの魔力を込めて、渾身の力で跳びかかる。


「―――ノヴァ!!」


 当て身をくらわした全身から、血液にも似た色の魔力が暴走した。

 頂点の破壊を受けて、トラゴエルは四散する。

 続く戦闘不能の爆風。クロックの身体はきりもみしながら吹き飛ばされた。

 もはや動くこともできない。

 だが、これでいい。


「……か、はは、は」


 乏しい聴覚で、岩石の大群が遠ざかっていくのを感じた。やはり生命体という意味では、将とその他は別らしい。トラゴエルの最後の悲鳴は、どうやら進軍を指示するものだったようだ。戦争への勝利を目指したことは、敵ながら天晴れ、と言ったところか。

 だが、最早あの大群は僅かばかり賢い岩石の軍団に過ぎない。

 残存する落とし穴の効力が一気に増加した。

 トラゴエルの命運はすでに尽きたと言って良い。


 後はクロック=クロウの従者たる、ミツルギ=ツバキの役目となる。


 敵残存勢力。


 魔物―――現在減少中・測定不能。


 知恵持ち―――0体。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


―――***―――


 “北の道”。


「…………何かがおかしい」


 普段のふざけた思考では無く、ヒダマリ=アキラはその光景に眉を潜めた。

 手に握った剣は欠けることなく淡々と罠を作動させ、単純な撃破数で言えばこの戦争で最高の成績を収めているアキラは、それでも神妙な表情を浮かべる。

 別に、結局罠を介した成績に文句を言っているわけではない。

 問題なのは―――その撃破数。


「…………」


 慎重に、アキラは立ち上る黒煙を睨んだ。

 今まで、迷うことなく突撃を繰り出してきた大群が現れたあの煙の先。

 最初は随分と長い小休止だと達観していたものだが、煙が薄れ、弱まり、徐々に晴れてきた頃、アキラの不安はピークに達した。

 次の魔物が、来ない。

 待機しているわけでもなく、煙の向こうに魔物は―――存在しなかった。


「俺はもう―――5万匹も倒したか?」


 今、アキラがいるのは道の中央付近だろう。

 ここから先の道にも、罠がごっそりと待ち構えている。

 単純な罠に面白いようにかかる魔物の戦力を大幅に削り取れる数はある。

 だが、現在未使用。

 半分程度の位置で、魔物の大群は姿を消した。


「……」


 ヒダマリ=アキラは思考する。

 自分は最初、5万と聞いて何を思ったか。最初に不安に思ったのは、罠の数だ。間に合うかどうか微妙。そんなことを思ったはずだ。


 確かに、中央のエリアに魔物の存在を許してはならない。罠の数は過剰に用意されていてしかるべきだろう。

 だが、流石に半分弱残して全滅させたというのは、計算が合わない。


「……」


 アキラは剣を構え、待機を続けた。

 もしかしたら落とし穴の向こう、曲がりくねった道の向こうにも、この罠の数に無駄な突撃は控えさせ、大群を待機させている“知恵持ち”あるいは“言葉持ち”がいるのかもしれない。

 相手が未知の存在である以上、油断は許されない。


 だが、来ない。気配さえ―――無い。


 慎重に記憶を掘り返す。

 罠の発動数は覚えていないが、感覚的に、百や二百はゆうに超えているはずだ。


 となると―――1万から2万。

 その程度しか、撃破していないことになる。

 残る3万近い魔物はどこに消えたのか。


「……」


 じっと待ち、やがてアキラは構えを解いた。

 ここに魔物の脅威は無い。ならば当然、想定すべきことがある。


「“別ルート”……?」


 その考えが浮かんだが、アキラは即座に判断できなかった。

 もしあの道の向こうで、魔物の大群が息を殺していたらどうなるか。

 アキラがこの場を離れた途端、魔物が押し寄せてきたらどうなるか。

 魔物の大群の進行を許してしまうことになる。


 汗が滴る。地に落ちる。

 どうすべきか。


 2年前、スライク=キース=ガイロードはただひとつのルートを潰すことを徹底し、戦争に勝利をもたらした。

 そう考えると、この場は他のメンバーを信じ、待機というのがベストであろう。

 だが、魔物の進行が別ルートであった場合、自分はこの場で完全な傍観者となってしまう。

 ならば―――記憶に頼るか。


 “一週目”。

 自分はこの戦争を経験しているはずだ。

 “あの煉獄”から逃れた先は、このタンガタンザで間違い無いはずなのだから。


 しかし。


「頼ってばっかでもしょうがないか」


 あっさりと諦め、アキラは空を見上げた。

 日の出までまだまだ時間はある。

 だったら出来ることを最大限にするべきだ。


「戻るか」


 入口の方まで様子を見に行けばいい。

 それで、魔物の大群が控えているかどうかすぐに分かる。

 理知的とも作戦とも言えぬ行動だが、ただ立っているだけよりはましであろう。


「しっかし俺、この戦争基礎トレしかやってない気がするんだが……」


 魔力を使用し、アキラは駆け出した。

 恐らく自分以上に体力に任せた行動を取っている者はいないであろう。


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