表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
西の大陸『タンガタンザ』編
25/68

第35話『タンガタンザ物語(転・後編)』

“――――――”


 じっと誰かが見つめている。


 避けられない、逃れられない、退けられない、眼。

 眼を、感じる。


 逃げることは無駄だ。そんなこと、ずっと昔から知っている。

 どれだけ駆けても、潜んでも、懇願しても、眼は決して離れない。

 眼は、徐々に、静かに、密やかに、近付いてくる。

 どうやら逃れ得なかったのは、自分が錯乱して同じ場所で走り回っていたからでは無く、眼も同時に近付いてきていたからだったようだ。

 僅かに安堵する。自分が狂っていたわけで無かった、と。そんな、倒錯した安心感を覚えていた。

 あれは、結局、事象だ。

 自分が何をしていても、結局のところ恐怖を与え、そして接近を続ける事象。


 そう考えると、正体が分かった。


 あれは、時だ。時間だ。

 その執行が見えているのに、どれだけ駆けても、逃れ得ない―――命の終点。

 あれに追いつかれた時、物語は終わるのだろう。


 じっと誰かが見つめている。


 あるいは、己だ。自分だ。

 そう考えると、正体を現さない眼が、語りかけてきた。


『“お前”は限られた時間を知っているのに、何をやっている―――』


 その言葉を、黙ったまま、聞いていた。


『―――この、何も無い世界で』


 ズンッ!!


 寝起きが悪い者がいるのなら、この場所のことを絶対の自信をもって進められる。

 早朝、昼時、夕方、深夜。時間を選ばず響き渡る、骨髄すらも揺さぶる局地的地震。

 これで目を覚まさない者がいるのなら、神経が相当図太い者か、あるいは著しく危機察知能力に欠けた者くらいであろう。

 もっとも、神経が図太い者も危機察知能力に欠けた者も寝起きの悪さを問題としないであろうが。


「……、」


 ああ、そうだ。ひとつ忘れていた。

 あの轟音を気にも留めないもうひとつの例外。

 それは、壊れた者だ。

 精神的に、何かの柱を失った、あるいは存在しない者。


「は」


 エニシ=マキナは自身の思考に思わず声を漏らして笑った。

 恐らく最後の例外に区分される今の自分は、とりあえず、今日という日を寝過ごさずに迎えられたらしい。

 マキナは、それでも覚醒には至らなかった頭を振り、緩慢な動作でベッドから這い出た。

 そしておぼつかない足取りで窓辺に立ち、空を見上げる。

 鬱陶しいほど青い空。

 その途中に、この世のものとは思えない巨獣がマキナを見下ろしていた。

 潰れた貌。隆々しい筋肉。全身を覆った禍々しい緑の体毛。


 この村―――ガルドパルナを囲う巨獣、ガルドリアだ。


「普通じゃねぇよ、こんな世界」


 この10日間で自分もあの魔物に悲鳴を上げなくなったのは―――慣れなのか、壊れなのか。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


 延々と続くタンガタンザの百年戦争。

 もうしばらく続けば百五十年戦争にも二百年戦争にも名を変えそうなその長期の物語に節目があるとすれば、それは正しく今だった。


 プレイヤーは魔族側と人間側。

 魔族側は、毎年『ターゲット』を設定する。

 『ターゲット』は、人であったり建物であったりする。

 魔族側は『ターゲット』の破壊が完了した時点で勝利となる。

 人間側は『ターゲット』の防衛が完了した時点で勝利となる。

 上に言う人間側の勝利条件である防衛の完了とは、魔族が『ターゲット』の設定を人間側に通知してから3ヶ月後の日の出時点で、『ターゲット』が原型を保持、または生存していることである。

 魔族側が勝利した場合、タンガタンザの戦争を継続させる。

 人間側が勝利した場合、タンガタンザの戦争が1年間停止する。

 『ターゲット』が人間である場合、『ターゲット』は、人間側に通知があった日から5日後にいる地点から半径30キロメートル以内にいなければならない。

 『ターゲット』が決定したエリアにいないことが魔族側に確認された場合、無条件で魔族側の勝利となる。


 下の2つは、十数年前の奇跡の代償。

 そんな、箇条書きにしてしまえばそれだけのルールのゲームを、タンガタンザは百年以上繰り返している。

 このルールに則れば、戦争に終点は無い。

 戦争が停止したところで年を開ければ再び『ターゲット』が設定され、再び燃えるようなゲームが襲来するのだ。

 だが今、そんな不条理に異を唱える人間は存在しない。

 そもそも、魔族側に勝利できたことなど、長い歴史を紐解いても僅か1度しか存在しないのだ。最早人間側は、戦争を一時的にでも停止させることしか考えられていない。

 いや、むしろ魔族の脅威が『ターゲット』に集中する3ヶ月の期間を、尊ぶように生きることしか考えられない。


 だから。

 人は、『ターゲット』を、死の宣告と呼ぶ。


――――――


「増援は来ない、か」

「ああ、要約するとそうなる。それと、クロック=クロウ個人宛てにメッセージが書いてあった」


 ガルドパルナのとある小さな民家。

 粗末なソファに腰を預けながら、クロック=クロウは目を細めた。

 シルクハットに近い帽子を目深に被り、丸い眼鏡に口髭を蓄えた自分の顔は、相手にほとんど見えていないであろう。

 ただ、目の前にいる何ら装飾品を付けていない女性の方が表情を読めないのだが。


 白衣を纏った無表情な彼女―――アステラ=ルード=ヴォルスとクロックがこの街で出会ったのは10日前のことだった。

 以前より数度ほどミツルギ家の屋敷で目に止まったことはあったが、初めて言葉を交わしたのはこの街である。

 アステラは、目に止まったときの印象通り、薄くて淡い存在であったようだ。


「自分で読んだ方が良いだろう」


 アステラは、触れれば折れそうな細い腕で手紙をクロックに差し出してきた。

 奇妙な文字の判が押してある、非公式の書類にしては上質の手触り。

 このタンガタンザにおいて、国が出す公的書類よりも重要性が高いと言われるミツルギ家のものだ。

 タンガタンザでは、国全体の実権が他の大陸とは異例のものとなっている。

 通常、神族が納める神門が頂点にあり、次点として数多の魔道士隊を保有する公的組織が存在する。

 神族が付与した権限を元に、魔道士隊たちが命令権や逮捕権を行使することで世界を正常に回している。

 だがタンガタンザでは、ミツルギ家が膨大な資金や権力を用い、この国の実権を担っていた。

 公的組織は民間であるミツルギ家の指示の元動き、国を治める。神族の存在に至っては、ただの信仰物に成り下がっていた。


 しかし、“しきたり”を否定するようなミツルギ家の言動に、神族は介入を行わない。

 そのため、タンガタンザは自由奔放な道を歩み。

 そのせいで、タンガタンザは他の国から神族に見捨てられたと言われている。


「む」

「なんて書いてあったんですか?」


 手紙を開いた途端、ぱたりと閉じたクロックに、隣の少女が首を傾げた。

 ミツルギ=ツバキ。

 トレードマークの団子頭に健康色の肌。

 “非情”なタンガタンザで礼儀正しく、節度も持っている。

 善か悪で言えば、間違いなく善に分類される―――負と負を掛け合わせた結果の正。

 この少女は、10歳程度であるにもかかわらず、この家の主だ。

 部屋の中は質素ながらも小奇麗で、むしろ生活感を覚えられないのが怖い。

 クロックは彼女を従者にするためにこの村に来たのだが、結局言い出せずにずるずると引きずり、ついに今日で10日目だ。

 日ごろの激務の疲れを癒そうと試みた結果、相当な期間ミツルギ家から離れてしまった。

 泊まっている宿屋は割安なのだが、そろそろ財布の方も厳しくなってきている。


「あの?」

「待てツバキ。今、もう1度読んでみる」


 その代償に少しは懐かれたようだが、未だに彼女は、何かが“外れ”ている。

 クロックはツバキに気取られぬようため息を吐き、手紙を広げた。


 前半部分は、アステラが言った通り、要約すれば増援をガルドパルナに送らないというものだった。

 『ターゲット』が決定された日、5日以内に移動できる範囲でガルドパルナ以上に堅牢な地域が存在しなかったことや、ガルドパルナの周囲の環境のせいで増援が有効な手段と成り得ないこと。

 つらつらともっともらしい理由を並び立ててはいるが、結局今年を、『捨て』と認識していることに他ならない。なにせ、この場所から5日以内ならば、“ミツルギ家独自の手段”でどこにでも『ターゲット』を運べたはずなのだから。少なくとも、このガルドパルナからならば通常の交通機関でさえミツルギ家の屋敷に匿うことは容易である。

 これはミツルギ家でも当主とクロックくらいしか知らないことだが、毎年『ターゲット』を巡る争いの中、人間側は『捨て』をしている。

 毎年全力をもって『ターゲット』を守ればその分“罰ゲーム”中の争いが厳しくなり、あっという間にタンガタンザの戦力は尽きてしまうだろう。

 そのため、毎年『ターゲット』を守れる可能性やミツルギ家の残存勢力を勘案し、ミツルギ家当主が“今年の『ターゲット』を守るか否かを決定している”。

 民衆には知られていない、非情な戦略。

 今年は『捨て』だ。

 むしろガルドパルナという、“増援を向かわせる手段が著しく難しい場所”という大義名分を得て幸運とさえ思っているかもしれない。

 “非情”なタンガタンザの名の通り、ミツルギ家現代当主はそんな男だ。

 戦争の表舞台の第一人者のくせして、今年の戦争には何ら手を貸すつもりは無く、3ヶ月の休暇を得たとでも考えているのだろう。

 その一方、10日前に見た今年の『ターゲット』の青年は、顔面を蒼白にしていたというのに。


 そして、その手紙の後半。


『やっほー☆、クロッ君。元気かい? そっちにしばらく残るって手紙くれてたみたいだね。色んな手紙に潰れてぐしゃぐしゃになってたよ(汗。だからこの手紙で返信する。ツバキちゃんの方はどうなった? 結構変な娘でしょあれ。親の躾が厳しかったみたいでさ(笑)。ところでバカンスもいいけどこっちきて色々手伝ってよ。前に話したかどうか忘れちゃったけど、ほら、例の『ターゲット』を守る建造物。もうすぐでき上がるんだ。今年は暇そうだから、クロッ君にはそっち手伝って欲しいなぁって思ってさ。でもま、ツバキちゃんの件が片付いてからでいいや。たまにはゆっくり休むのもいいもんだ(つーかひとりだけサボりやがってこんちくしょう)。ただ、その場所からはできるだけ早く離れた方が良い。ツバキちゃんも連れてね。アステラちゃんにもそう伝えてくれよ。そういや最近俺さあ―――』


 そこで、手紙を閉じ、ぐしゃぐしゃに握り潰したい衝動にかられた。

 ミツルギ家現代当主―――ミツルギ=サイガ。

 奴は、かつて無いほど今年を『捨て』ている。

 ミツルギ家に縁のあるエニシ家がターゲットに選ばれたというのに、一切手は出さないようだ。

 恐らくは、エニシ家の次期当主と、今年の『ターゲット』防衛に掛けるコストを勘案した結果として。

 エニシ家の者が、ガルドパルナの者が、どれだけ非難中傷を浴びせ、恨んでも、その考え方は変わらないだろう。

 戦略的には正しいのかもしれないが、やはり―――理解できない。


 エニシ家の次期当主は、あの青年は、こんな来たことも無い村で最期を迎えようとしているのに。


「……できるだけ早くこの場から離れろ、とのことだ。アステラ=ルード=ヴォルス、お前もだ」

「そうか」


 アステラはカクンと首を折り、人形のように頷いた。

 クロックはその動作に、むしろ僅かな人間臭さを覚えた。アステラに感情がまるで無いというのは間違いなのかもしれない。


「え? クロックさん、帰っちゃうんですか?」


 クロックがツバキに顔を向けると、子供らしさがまざまざと感じられる、きょとん、とした顔をしていた。

 こちらもこちらで、何かが外れた少女らしからぬ表情。

 まるで、仲良くなった遊び友達に突然帰宅すると告げられたかのようだ。

 そう思われるのは心外ではあるが、とりあえず、妙に懐かれているというのは間違いないらしい。


 クロックは脱力し、天井を見上げた。

 この家屋には大分足を運ぶことになったものだが、それもこれまで。

 流石に百年以上ほぼ無敗の魔族軍を相手に、唯一の例外を引き起こした人物の助力無しで挑むのは正気の沙汰ではない。

 村ごと吹き飛ぶくらいで御の字という相手が押し寄せてくる。

 強引にでもツバキを連れて、離れるべきなのだろう。


 と、そこで。

 クロックは、天井に僅かな乱れを感じた。

 木目の一部が妙に汚れている。

 いや、違う。その周囲が拭われているのだ。

 クロックは隣の少女に視線を移す。ツバキは行儀正しく、どこか不安げに、クロックの返答を待っていた。

 この小さな少女は、あの天井を、拭いたのか。普通はあんな場所、掃除しようとは思わない。

 椅子を2つ重ねても、恐らく彼女では指先程度しか届かないであろう。


「ツバキ」

「はい?」

「この家が好きか?」

「はい、ものすごく」


 疑念も持たず、詰ること無く、ツバキはあっさりと返してきた。

 クロックの意図を読むことも無く、自然な反応、あるいは、反射のように。

 まるで自分の命のことを訊かれているかのように、当たり前に。

 両親が眠るこの村の、唯一の居場所。

 そこを、身体の一部とさえ思っているように、戸惑うこと無く肯定する。

 この場所が無ければ、きっと、両親の墓前に毎日通うことができなくなるのだろうから。


 クロックは再び疲れ果てたような表情で天井を見上げた。

 自分が同じ年の頃は本ばかり読んでいたせいで、この年代の子供たちが元気に駆けている光景は、いつまでも眩しく思える。

 思えば村を創ろうと考えたときも、いつの日か家族でも作って駆け回る子供たちに優雅に手を振る自分を想像したものだ。


 そしてそんな未来を、心の底から創り出そうと考えた。


「……。…………。……………………」


 今から自分は、ものすごく、馬鹿なことを言い出す。


 クロックは帽子を目深に被り、息を吐いた。


「アステラ」

「なんだ」

「奴からの手紙には、できるだけ早く帰ってこいと書いてあった」

「ああ、そうらしいな」

「お前が戻る前に、依頼をすることは可能か?」

「可能だ。エニシ=マキナを送る件は、事実上消滅した」


 ここからが大変だ。

 物資の補給に村人の避難。

 ガルドパルナという僻地にいるせいで、多くの金と労力を払うことになるだろう。

 期限は3ヶ月を切っている。

 協力の当ては目の前のアステラのみ。

 準備を整えられる時点で奇跡だ。

 そしてその先、奇跡とさえ形容できない神話レベルの物語を刻まなければならない。


 多分、死ぬ。

 その前に、頑張って逃げる。


 ただ、それだけのことだ。


「ならばアステラ。依頼しよう」


 ただそれだけのことに、とりあえず、今の自分の総てをかけてみよう。


「3ヶ月後の戦場に、備えを」


――――――


 ガンッ!!


「っ!?」


 エニシ=マキナは、激突し、倒れた。

 そして額を抑え、弱々しく立ち上がる。


 だが、目つきは鋭く、眼前の巨体を睨んでいた。


「は……、やるじゃねぇか」


 世界の終りさえ予感させる、大木さえも超える巨獣は、静かにマキナを見下ろしていた。

 潰れたように醜い貌に、絶望的な力の差を思わせる隆々しい筋力。

 それでも怯まず、マキナは睨む。


「だがな、この程度だ。お前じゃ俺に、血の一滴すら流せない」


 その瞬間、マキナの視界に赤い何かが映った。

 額が切れているようだ。


「訂正。まあまあだ。だけどな、結局これ止まりなんだよ。おら、どうした? こいよ」


 巨獣は動かない。何かに恐れているように。

 そしてやがて、巨獣は背を向けた。


 マキナは奥歯を噛み、そして、叫んだ。


「ばーかばーか!! てめぇなんかその程度だ!! 騒音まき散らしてんじゃねぇぞこのやろう!! 悔しかったら俺を倒して―――うおっ!?」


 ズンッ!!


 再び、振動。

 マキナはまたも体勢を崩し、隣の家屋に顔面から激突した。

 そのままずるずるとマキナは倒れ込む。

 移動だけでマキナから2ダウンを奪った巨獣は、振り返りもしなかった。


「ばーかばーか……くそう。てかいだっ!? 血っ、血が出てる!! 鼻血も!?」

「なにやってるんですか?」


 背後からの声に、マキナはすくりと立ち上がった。


「どこから見てた?」

「最初の激突からです」

「うわぁ……ああああああ……」


 努めて冷静になろうとしていたが、口から声が漏れてしまった。

 今の失態を一部始終見られていたようだ。

 声の主は、どこか礼儀正しく、子供のもののようだった。


「この振動、慣れていない方には辛いですよね。それで、なにを?」


 イメトレだった。マキナVSガルドリア、IN樹海。

 妄想の中で、戦闘の流れはマキナの圧勝。

 事の発端は、巨獣が不意に振動を起こしたことによる顔面強打。

 正直なところ、八つ当たり。


 口が裂けても言えない。


「いや別に何でも無いさ。聞こえた声は幻聴だろう」

「うわ、顔、紅を塗りたくったみたいになってますけど」

「マジか」


 目も開けていられないのだから、相当なのは分かり切っていた。

 マキナが腕で顔を擦っていると、空いた手に布が押しつけられた。

 これで拭けということだろう。


「悪いな、洗って返す」

「大丈夫です。気にしないで下さい」


 それならば好意に甘えよう。

 情けないが、ここで意地を張り通しても仕方ない。


 やがて視界が晴れると、マキナの目に、真っ赤になったハンカチと、小柄な少女が映った。


「って、ツバキ? ツバキじゃん。今はこの村にいたのか?」

「……。……。……。…………お久しぶりです」


 団子頭の少女は、一歩だけ下がり、曖昧な表情を浮かべていた。


「……ツバキ、だよな? 俺のこと覚えてる?」

「……え、ええ。も、もちろんです。その、えっと、…………さん」


 目の前の少女は、嫌な汗を浮かべていた。


「……悪い、聞きとれなかった」

「だ、大丈夫です、知ってます。1度でも会った人は忘れるなって、おかーさんから習いました! 今思い出します!」

「薄っ、俺の印象薄っ!!」

「と、ところで、ゴホッ、ゴホッ、んんっ―――さんは、お元気でしたか?」

「ヒントは欲しいか?」

「是非!!」


 マキナは鉄の匂いがする鼻をすすり、目頭に手を当てた。

 まあ、子供の記憶力などこの程度のものだと強引に自分を納得させる。

 まるっきり忘却しているわけでもないだろう。


「エニシ=マキナだ。覚えているか?」

「えっと、エニシ=マキナがヒント……、ヒント……、エニシ=マキナが……ヒント……ヒント?」

「俺、忘却の彼方」


 もう自分は泣いているかもしれない。

 マキナは再び鼻をすすり、視線を小さな少女に合わせた。


「ほらさ、前にサーティスエイラで会ったじゃん。お前の家で、いろいろ直したじゃん」

「はっ!! 知らない人とは話すなって、おかーさんから!!」

「大の大人が声上げて泣きそうだぜ、今」

「あ、でもクロックさんは逆のこと言ってました……。どうしよう」

「俺がどうしようだよ」

「でも大丈夫です。ツバキ、いけます」

「俺立ち去っていい? もう赤の他人レベルの認知度だよ?」

「問題ありません」


 問題は大ありだった。声に出さずにマキナは頭を抱えた。

 意思疎通がまるでできていない。

 まあ、覚えていないなら仕方ないことだ。ただ単に、自分が仕事でしばらく滞在した村で、彼女の家の備品を直した程度の繋がりなのだから。

 家系的に見れば相当な繋がりがあるのだが、小さな女の子に対応を求めるのも酷だろう。

 そのときは随分と懐かれたようで、子守のような真似までしたことがあったのだが、ツバキは完全に忘れているようだ。心寂しいものがある。

 自分など所詮、有名とは言えローカルニュース程度の認知度だ。


「あれ? でも、エニシ=マキナさん……なんですよね?」

「……」


 ツバキの言葉が、自分を思い出したものではないということをマキナは瞬時に悟った。

 今の自分には鍛冶職人以上に、タンガタンザに浸透し切っている二つ名がある。


 『ターゲット』―――エニシ=マキナ。


 この娘の耳にも届いているのだろう。


「悪いな、この村に来ちまって」

「あ、あの、えっと、その、……、いや、その、」


 ツバキはもごもごと口を動かしながら、ついに黙り込んでしまった。

 実際、言葉を選ぼうとも、選ばずとも、並の神経の者なら結局閉口する他ない。

 マキナは笑って手を振った。


「あー、気にすんな、問題ねぇよ。それよりさ、お前今この村に住んでるのか?」

「はい。何か御用でしょうか?」


 話題が逸れ、はきはきとした口調に戻ったツバキは可愛らしく首を傾げた。

 その様子に、マキナは目を細める。

 タンガタンザにしては珍しく行儀の良い子供。

 かつて出会ったときと同じ言葉で形容できる彼女だが、妙な違和感を覚える。

 彼女はここまで―――妙、だったろうか。


「それじゃ聞きたいんだけど、あそこって勝手に入っていいのか?」


 疑問を置き去りにし、マキナは村の背後にそびえる山脈を指差した。

 論理や理論が存在せず、ただ“この村が存在している理由”と位置付けられた『聖域』。

 マキナはこの村に初めて来たが、話には聞いている。


「ええ、問題ありません。ご案内しましょうか?」

「いや、そんだけ聞けりゃ十分だよ。これ以上は流石に悪いしな」


 マキナが血に染まったハンカチを振る。

 しかし、ツバキは首を振った。


「いえ、問題ありません。クロックさんから、どれほど奇妙でも、いや、奇妙なものほど積極的に関わっていけって習いました」

「声に出すよ? 問題は大ありだ」

「私も今日は、日の高いうちに行っておこうと思っていたので」

「夜に行く予定があったのか?」

「ええ、毎晩行っています」

「…………」


 今さらだが、自分の情報をよくもまあべらべらと話せるものだ。

 その上、相手の言動の理由を求めない。

 再三話に出てきているクロックさんとやらには失礼かもしれないが、この子供はどこかに隔離し、世界の悪意から守るべきのような気もする。

 特に、このタンガタンザでは。


「行きましょう」


 すでにツバキは歩き出していた。

 彼女の中では“知らない人”のマキナを疑いもせず、背を向けて。


「…………あのさ」

「なんですか?」

「俺、クロックさんの知り合いって言ったら信じる?」

「そうなんですか! クロックさんなら今、私の家にいると思いますが、あ、でも出かけるって言ってました。今家には誰もいないと思います」

「…………ツバキ」

「はい?」

「お前、誘拐とかされるなよ?」

「まさかですよ」


 軽く返したツバキに対して、マキナは不安が尽きなかった。

 溜め息ひとつ吐き、マキナはツバキの跡を追う。


「気をつけろよ。本当に、人生変わっちまうからさ」


 呟くように発した言葉は、多分、ツバキに言ったものではなった。


――――――


「あ~、今日も鬱陶しいくらい晴れてるなぁ……、夏も近いねぇ。まっ、屋敷の中は快適だ。うだるように熱いのは屋敷の外。まった苦情来るぜこれ。なーんで鉄ばっかで作ったかねぇこの屋敷。暑かった、いや、最早熱かったでしょ、外」

「私がここに来た要件は分かっているな?」


 昼を過ぎ、夕刻が近づいた頃。

 クロック=クロウは目を細め、窓辺の椅子にふんぞり返る男を睨んだ。

 今日は気温も高い。目の前の屋敷の主の言う通り、確かに屋敷の外は地獄のように燃えていた。

 しかしこの屋敷の中は快適そのものだ。一体どのような造りをすれば壁一枚を隔てただけで、ここまで住み心地に差が出るのか。

 暑さの影響で僅かに思考を逸らされながら、クロックは男の言葉を待った。


「んえ? あ、手紙に書いた件か。んじゃ早速『ターゲット』用の建造物の指揮をとってくれ。うちの連中には腕はあるけど、統制取れる奴がいなくてね。そこでクロッ君の出番というわけだ」

「下らない話はいい」


 やはり、駄目か。

 結局この男から口を開かせても、自分の本件は煙に巻かれる。

 自分のペースを守るためには、この男に期待してはならない。


「今年の『ターゲット』の件だ。一兵たりとも送るつもりはないのか?」

「一兵どころか、ひと欠片の労力すらね。エニシ=マキナの力はもったいないけど、仕方ない」


 急に話題を変えたのに、機密事項を前にしているのに、サイガは変わらず寛ぎ、そして肯定した。

 言動に揺らぎは無い。

 やはり今年は『捨て』。

 そんなこと、分かり切っていた。


「エニシ=マキナの価値と、戦場となるガルドパルナの価値。その和に比べ、魔族戦に割く量力がでかすぎる。防衛の成功率を勘案した期待となると絶望的で、」

「その差を、人の命で埋められないか」


 クロックは震えながらサイガの言葉を遮った。

 怒りからではない。恐怖からだ。

 底知れぬミツルギ=サイガだが、数年付き合ってみて、心底分かったことがある。

 この男は、人の命を、人生を、軽視する。

 サイガが人間を見るときの視点は、“その人物がタンガタンザにとってどれだけ有益であるか”の一点に尽きるのだ。

 一生のうちに生み出す経済価値、その時間価値、そして生存確率を考慮した期待値。

 それらを勘案し、総てを計画していく。

 人の感情が理解できないわけでは―――無い。

 人が笑い、励まし合い、紡ぐそれらすらも、あたかも数値化するかの如く計測し、そして自分の計画に練り込む。

 何度対面しても身震いする。

 そんな人間に、国を救うことができるとは思えない。

 だが事実、ミツルギ=サイガがいなければ、タンガタンザの百年戦争は悪しき歴史のまま終結していただろう。


「埋められないさ、到底ね。手紙にも書いたけど、はっきり言おうか。エニシ=マキナは『捨て』だ」

「ふ……、随分と難しくなってきたな」


 サイガを諭すことも無く、罵倒することも無く、クロックは静かに笑った。

 そして踵を返す。

 やはり無駄だった。

 本来ならばこの部屋に寄るつもりはなかった。

 だが、少しだけ、偉業を成し遂げた男から、過去の奇跡の残照を得られるのではないかと期待しただけ。

 時間の無駄だったのだ。

 これからやることは山ほどある。

 一刻も早く、ガルドパルナに戻らなければならないのだから。


「ガルドパルナに行く気かい?」

「ああ。3ヶ月ほど休暇をもらう」


 ドアに手をかけたところで、背後から声が届いた。

 クロックは特に隠し立てすることもなく肯定する。


「頼みごとがあるのにこの部屋に寄っただけか。その辺が、俺のクロッ君の最大の違いかな」


 サイガは小さく呟き、そして言葉を続ける。


「止めろと言っても行く感じだね。どうしてかな?」


 サイガはクロックの感情を察し、察し尽くし、その上で訊ねてきた。

 クロックはため息ひとつ吐く。

 どうしてか。それを最も知りたいのは自分自身だ。

 だが、おぼろげに察せる。


「ガルドパルナ。あの場所は、私が創った村と同じくらいの面積だ」

「うん?」

「騒音は酷いものだが、緑に囲まれて、豊かな場所だ」

「……」

「そして少なくともひとり、あの場所を大切にしている子供がいる」


 クロックは、ゆっくりと、振り返った。


「それらを足し合わせた結果だ。お前が低く見積もった数値は、私にとって、“魔族”に挑むに足るのだよ」

「―――アグリナオルスは近づけるな」


 一瞬、クロックは怯んだ。

 サイガは、指を組み、顎を乗せて厳粛に座り込んでいた。


「他ならぬクロック=クロウの頼みだ、簡単な作戦くらいは伝えようか。もう1度言う。『世界の回し手』―――アグリナオルス=ノアは近付けるな」


 “魔族”―――アグリナオルス=ノア。

 その存在を、クロック=クロウは見たことが無い。

 アステラ=ルード=ヴォルスの話では、『ターゲット』を選別しただけで去っていったそうだ。

 全身が鋼で造られていたという、異形の怪物。

 だがクロックは、話を訊く限り、アグリナオルスにはどこか冷静な印象を受けていた。

 しかしサイガは―――このタンガタンザで唯一魔族に対抗している男は、表情をまるで変えようとしない。


 『世界の回し手』。


 何故かその言葉が、羽虫のように耳ざわりだった。


「作戦その1だ。はっきり言って不可能だろうが、アグリナオルスを『ターゲット』に近づけるな。リミット寸前でも、アグリナオルスが“その周囲にいただけで”破壊される」


 やはり戦闘の鍵を握るのは、魔族。

 分かり切っていたことを、クロックはさらに深く胸に刻んだ。


「それともうひとつ、ちょっとは具体的にいこう」


 サイガは目を瞑り、そして僅かに微笑み、告げる。


「『ターゲット』の防衛場所だ。最も勝利に近いのは、ガルドパルナ聖堂だよ」


 ガルドパルナ聖堂。

 ガルドパルナを『聖域』とした、巨獣ガルドリアさえ恐れる岩山。

 “二代目勇者”―――ラグリオ=フォルス=ゴードが突き刺したと言われるあの大剣を前に、身が震えるほどの恐怖を覚えたのをクロックは確かに覚えている。


「あの岩山は実際頑丈でね。ガルドリアが暴れ回っているのに落石事故ひとつ起こっていない。防衛するにはまあまあ都合が良いんだよん」


 いつしかサイガはいつもの口調に戻っていた。

 それがアグリナオルスから話題が逸れたからか、それとも取り繕っているのかは、クロックには判断がつかなかった。


 だが、良いことを聞けたのだろう。

 クロック自身、あの村で防衛線をするとなると最適なのはガルドパルナ聖堂と思っていた。というより、他に場所が無い。

 しかし、岩山という都合上、崩れ落ちることを懸念し、これから強度の調査を開始しようと思っていたところだ。

 サイガが言うならば、間違い無く、防衛には適しているのであろう。

 随分と時間が節約できた。

 『ターゲット』を守ることは、サイガにとっても利に働く。

 利害が完全に一致しているときならば、この男の言葉は何よりも信じられる。


「後は適当に武器でも持っていっていいや。でもそこまで。俺は今年、アグリナオルスに遭う気分じゃなくてね」


 まるで悪友の話でもしているかのような口調を背に、クロックはサイガの部屋を去った。


――――――


 今まで生きてきた中で、特に身体が震えたのはここ最近のことばかりだ。

 こうなってくると、今まで死んでいたとさえ錯覚する。


 エニシ=マキナは1歩、また1歩と、山脈ほどもある財宝を目の当たりにしたかのような足取りで、進む。

 眼前には、財宝とはお世辞にも言えぬ朽ち果てた物体。

 だがそこには儚さはまるで感じられず、むしろ外界を隔絶するかのような質感と、狩猟動物のような強い意志を覚えた。

 この感情を、エニシ=マキナは恐怖と捉えず歓喜と捉え、そして今までこの場に足を運ばなかった自分に失望した。


 この物体―――『剣』を見ないで、自分は鍛冶屋を名乗っていたのか。

 それは最早、この世界において、神を罵倒するに等しい。


 おぼつかない足取りで近付き、膝を付く。

 そして慎重な手つきで―――唾でゴクリと喉を鳴らし―――触れてみた。


 斬られた。


 一瞬、そう錯覚した。剣は動じず、そのままにある。

 だが、指先は燃えるように熱い。


 これが『本物』か。


 身体中が歓喜している。

 多くの人は、あくまで予測としてこの剣の主を察している。

 だが、マキナには分かる。

 これは、『本物』だ。

 この剣は、魔王どころか神すら斬れる。


 間違いない。

 これは、この『剣』は、鬼神の如き力を有したと言われる“二代目勇者”―――ラグリオ=フォルス=ゴードのものだ。


 確信したと同時、マキナはこの剣が不憫に思えた。

 ようやく熱以外の感覚を捉えた指先には、ざらざらとした錆の感触。

 この剣が輝いていたのは想像もできないほど過去のものであるのだ。

 それほどまでに、気が遠くなるほど、いや、気を保っていられぬほど長い間、この、世界で最も『剣』である剣は、ただここに座していただけである。


 マキナは、ぐっ、と拳を握り、


「かわいそうになぁ、こんなところに。こんな姿で。お前だって武器としてもう1度輝きたいよなぁ、本当に。くっそう、誰だよお前をこんなところに放置した奴は。俺だったら間違い無く家に飾って毎日手入れするぜ? 売る? そんなことをするわけ無いじゃねぇかよ。例え世界が買えるほど積まれても、俺はお前を手放さないぜ。むしろ結婚していいくらいだ」

「つっ、ついに会話を始めたぁぁぁぁぁぁああああああーーーっっっ!!!!!!!!」


 はっ、とツバキの叫びでマキナは我に返った。

 慌てて振り返ると、ここまで同伴してくれた少女が、岩の壁を背に顔をひきつらせていた。

 マキナは立ち上がり、膝の砂を払ってこほりと咳払いする。


「好きなものがある男の子はモテるんだ」

「剣にプロポーズしてたらアウトですっ!!」


 もっともな正論に、マキナは渋々『剣』から離れた。

 だが、今のは仕方ない。

 エニシ=マキナは鍛冶屋を営んでいる。

 壊れたものを直したいと願い、はっきり言って、剣は大好きだ。

 そんな自分が1粒で2度おいしい物品を目の当たりにしてしまえば、プロポーズくらいはする―――というか、現にしてしまっていた。

 だが、これ以上奇行を重ねたら、人として戻って来られないところにまで行ってしまいそうで、マキナは頭を振った。


 ツバキに案内されたこの空間にマキナが訪れたのは初めてのことだ。

 さっと開けた岩山の空洞。天井は高い。奥には何のつもりか強固な柵がある。その向こう側には穴が空いているようだ。

 それだけ。

 随分とあっさりとした部屋だ。

 マキナの想像では、仰々しい矢倉や社に奉られていたのだが、この『剣』は本当に、ぞんざいに突き刺されていた。


「ま、冗談はともかく、案内してくれてありがとな」

「……え、ええ。はい。どういたしまして」


 今度はツバキが取り繕っているようだった。

 マキナは眉を寄せる。

 自分の記憶の中のツバキは、先ほどのように元気に騒いでいる子供であったのだが、この数年で落ち着きを得たのだろうか。

 妙にその光景が違和感として残るも、結局マキナの視線は『剣』に向いた。


「しっかしよ。これ、このままでいいのか? ぶっちゃけ今にも折れそうじゃねぇか。というより、崩れそうじゃねぇかよ。俺だったら簡単な修復くらいはできるけど?」

「あれ? ご存知ないんですか、その剣。誰にも抜けないんですよ」

「……え? んなことねぇよ。それってただの噂だろ? 伝承を大切にしたい気持ちは分かるけど、ちゃんとメンテナンスしてやんなきゃ―――ってマジで抜けねぇ!?」


 軽い気持ちで掴んだ剣の柄は、ピクリとも動かなかった。

 錆びだらけの剣の刃は、マキナの胴体ほどの太さ。それが深々と突き刺ささっているようで、剣の柄は丁度マキナの腰辺りの高さだった。

 マキナは剣が傾いでいる方向に立ち、今度は両手で柄を掴む。

 恐らく1番力が加わるであろう体勢で引いてみたが、錆ひとつ落ちぬ不動の象徴は、座したままだった。


「いってぇ……。どうなってんだよこれ」


 マキナは両手を離し、今度は物理的に熱くなった両手を振る。

 柄の部分は僅かばかり滑らかだ。恐らく過去にも、マキナのように剣を抜こうとした者が数多くいたのだろう。


「無理なんですよ。動きもしない」

「よし、ツバキ。手伝ってくれ」

「話、聞いてます?」

「もう頭来た。おい、こいつへし折ってでも動かすぞ」

「さっきプロポーズしてませんでした?」


 ツバキに協力を頼んでも、まるで動かない。

 もともと非力な子供が増えても意味は無いことは分かっていたが、2人がかりで微動だにしないとなると剣本体を攻めるのは無駄だ。


「こうなったら、足場を掘る。突き刺さってる岩盤を砕けば、こいつは無力だ。覚悟しやがれ。辺り一面ぶっ壊してやる」

「あなた、ガルドパルナ聖堂を何だと思っているんですか」

「……ま、そうか」


 ツバキにたしなめられ、マキナは再度正気を取り戻した。

 事実、この『剣』の存在でガルドパルナは『聖域』と呼ばれているのだ。

 入口からここまでの道は広いと言っても大がかりな機材を運び込むことはできないだろう。

 そこまでするなら、伝説は伝説のままにしておいた方が美談になる。


「スコップ。いや、ピッケルだな」

「諦め切れてないですね」


 だが、無理なものは無理なのだろう。

 マキナはつまらなそうに地面を蹴った。

 そこで眉を寄せる。


 意識が『剣』から離れたせいか、マキナは足場に違和感を覚えた。

 固い。硬い。

 剣が突き刺さった周囲の足場が、周囲と比べて明らかに異質だった。


 マキナはしゃがみ、地面に手を当てる。


「どういうことだ?」

「今度は地面と……!!」


 ツバキの言葉は耳に届かなかった。マキナは地脈を探るように、地面を叩く。

 やはり、固い。

 こんな場所に狙いを定めて過去の偉人はこの剣を突き刺したのだろうか。

 いや、違う。

 むしろこれは、“剣があるから固くなっている”という感覚だ。


 と、なると。


「…………こりゃ、ピッケルでも無駄だな」

「ようやく諦めてくれましたか」

「いや、そうじゃない」


 マキナは立ち上がり、『剣』に再び触れてみた。

 錆び付いた大剣。

 その錆の向こうに、マキナは“魔力を感じた”。


「これ……、いや、これだけじゃない。この場総てが―――“原石”なのか」

「? 原石?」


 そこで、砂を蹴飛ばすような足音が聞こえた。


「……ちっ、やっぱりお前か」

「あ、スライクさん」


 マキナはびくりと振り返った。

 完全な白髪に、猫のような鋭い眼。

 金色に光るその瞳は、2メートル近い体躯から部屋の総てを見下ろしていた。

 スライク=キース=ガイロード。

 この村に来てから10日間。

 マキナは彼と言葉を交わすどころか出会いもしなかったのに、あの、“彼が剣を持っただけの光景”は、未だに脳裏に焼き付いている。


 突然の再会に、マキナは口が開けなかった。


「お散歩ですか?」

「相変わらず妙なガキだ。こんな場所で、散歩も何もねぇだろう」

「……」


 子供相手でも態度が変わらないスライク。しかしマキナはむしろ、ツバキの方が気になった。

 先ほどから何度も妙だ妙だと思っていたが、ミツルギ=ツバキは決定的に何かがズレている。会話も、あるいはその存在すらも、つぎはぎのような印象を受けるのだ。


「……お前、今までどこにいたんだよ。結構歩き回ったけど、見なかったし」


 黙り込んだツバキに代わって、マキナが会話を繋いだ。

 単なる世間話であるそれは、しかしマキナが気になっていたことでもあった。

 こんな小さな村で、彼ほど目立つ存在を見逃すとは思えない。

 この10日間、村を離れていたのだろうか。


「どこだも何も、家にいたに決まってんだろ。てめぇは森を散歩でもしてんのかよ」

「あ?」


 思わず荒い口調になってしまった。

 この男は今なんと言ったのか。

 森?

 聞き間違いか、別の場所のことであろう。

 よもや巨獣が徘徊するあの樹海ではあるまい。


「まあいい。まあいい」


 深く聞いたら聞いたで理解不能なことが増えるだけだ。

 マキナは頭を振り、スライクを見上げた。


「それで、ここに何しに来たんだ?」

「別にいだろ、んなことは。ただ―――潮時だ」

「は?」


 スライクは沈黙し、大股で『剣』に歩み寄った。

 誰しもが崇め、あるいは畏怖する物品を、猫のような鋭い眼で睨むように見下ろすと、くるりと背を向ける。


 そしてそのまま歩き去った。

 大男が、この広間を出る。

 その、直前。


 マキナの身体は震え上がった。


「ま、待った!」

「あ?」


 身体が震えた理由。思わず呼び止めた理由。そして、“潮時”。


 それを、マキナは悟り切った。


「お前まさか、この村を出るのか?」


 スライクは振り返ったままで、言葉を返さない。ただ、猫のような鋭い眼で射抜くようにマキナを見ていた。答えずとも、確たる肯定が見て取れた。

 そこに、ミツルギ=ツバキに覚えたような揺るぎは存在しない。

 “この大事を前にここから離れるなどと、訳の分からないことを言っているのに”。


「ちょっと待てよ。3ヶ月後、この場所は戦場になるんだぞ?」


 言って、自分でも、自分勝手な言葉だと思った。

 この場所が、ガルドパルナが―――“彼らが育ったこの村”が戦場になるのは、他ならぬエニシ=マキナが『ターゲット』に選定されたからだ。

 あの夜、現れた鋼の“魔族”―――アグリナオルス=ノアに“指”を差されてしまったからだ。

 それゆえに、マキナが逃げ込んだこの場所は、3ヶ月後には戦場となる。


 申し訳も無く、歯がゆく、そしてそれ以上に、恐怖が身体を覆い尽くすように被さってくる。


 自分勝手だ。それは分かる。

 だけどマキナは、どうしても、人間としての本能で―――思ってしまう。


 見捨てるのか、と。


「戦場になるから離れる。何か問題でもあんのか?」


 そんな自分勝手なマキナの言葉は、当然のように、自分勝手な言葉で切り捨てられた。


 あの日。誘拐された日。鋼の魔族に出遭った日。

 自分が主人公などでは無く、自分の人生の、単なる語り部に過ぎないのだと再確認した―――お伽噺のような日。


 マキナはスライク=キース=ガイロードという人間の世界を見せつけられた。

 身をよじるだけで自分を吹き飛ばすような化物を、さらに圧倒したスライクは、明らかに別次元の世界にいた。

 人間が出せる力の限界が、あやふやになるような錯覚。

 おぼろげにも想像できた生物としての頂点のラインが薄らいでいくような感覚。


 その線の遥か向こうに存在していたスライクを―――正直に言えば―――妬ましく思い、そして羨望した。


 だからこそ―――今ならはっきりと分かる―――自分は、“壊れながらも”異常事態の中で息を吐き、言葉を発し、生活できたのだろう。

 そんな狂った環境だったからこそ、心を保つことができたのだ。


 だが。

 『剣』はこの場から、去ると言っている。


「本気で言ってんのか?」

「あ? 随分と耳が遠いみてぇだなぁ、おい。言ったろ、潮時だ」


 スライクの意思は揺るがない。

 助けてくれ。そう言おうとしたマキナの口は、しかし自分の本能に止められた。

 “自分はそこまで理解してしまったのだ”。

 岩の魔物が猛威をふるっても変わらず、“魔族”が眼前に現れたときも変わらず、この村が戦地になると分かっても、彼はそのままで在り続ける。

 力が無いから戦争に参加しないわけではない。

 理由が無いから戦争に参加しないわけではない。


 ただそこに、彼の『意思』が無いから、戦争に参加しないのだ。


 スライク=キース=ガイロードに、“流れ”というものは存在しない。

 己が意思の向かうまま、能動的に、進んでいく。


 非人道的だろう。

 正しく“非情”と言えるかもしれない。


 力を持つ者が、力を持たざる者に助力しないのは―――語弊があるかもしれないが―――悪しきことだと思われるのが、普通だ。


 しかしマキナは思わず、笑ってしまった。

 危機的、いや、絶望的状況。それなのに、むしろ笑いがこみ上げてくる。


 何物にも捉われないという思想こそ、力の有無にかかわらず、望まれるべきものなのだから。


「お前の世界に“普通”は無い、か」

「言ったろ。災厄に何を望んでんだ」


 そのまま去りゆくスライクの背を眺めながら、マキナは目を閉じる。


 彼にはそう在って欲しいと思う反面―――心の崩壊が、始まっている気がした。


――――――


「待っていた」

「病人が待つような場所じゃねぇだろ」


 スライク=キース=ガイロードを向かえたのは、ベッドがひとつ置いてあるだけの空虚な小屋で、空虚な表情を浮かべる女性だった。

 アステラ=ルード=ヴォルス。

 部屋の中央で薄く淡く佇む彼女を、10日程前に見た気がする。


「私は病人では無い」

「でなきゃ不審者だ。人の家で何やってやがる」


 ほとんど顔も合わせず、スライクはベッドの下を漁る。

 財布に携帯食料、そしてそれらを収納する小さな肩掛けバッグ。

 タンガタンザを練り歩くには最低限必要だが、荷物はかさばる。

 街と街が近距離にあるような場所に辿り着けば、財布はズボンに突き入れて、バッグはどこかに捨てればいいだろう。


「協力を要請したい」


 そんなスライクの様子を見ているであろうに、アステラは淡白な声色でそんなことを言い出した。

 それも、10日ほど前に聞いた言葉だ。


「何言ってやがんだ」

「目的は『ターゲット』の守護。期間は約3ヶ月だ。作戦その他は検討中だが、どのような作戦になれ、スライク=キース=ガイロードの力は不可欠だ」

「相変わらず話が通じねぇなぁ、おい」


 淡々とズレた応えをするアステラに、スライクはそれだけ毒づき背を向けた。


「どこに行く気だ?」


 そこで、僅かに色を帯びた声がアステラから聞こえた。

 スライクは構わず扉を開ける。


「―――グ」


 開いた扉の先。

 その正面。

 じっとりとした熱気が立ち込める樹海の中、潰れた顔にかち合った。


 ガルドリア。

 緑の体毛に覆われた巨体は十メートルを超え、身体能力を追求する木曜属性の魔力でその巨躯を支える獰猛な魔物。

 激戦区クラスの化物はガルドパルナ周辺を覆う樹海を禁断の地とした存在である。


 脅威の戦闘能力を有し、その上で複数戦を得意とする怪物は、自身の膝もとにも届かない人間を見下ろし、しかしそのまま固まっていた。


「はっ」


 今日でこの異形も見納めであろう。

 スライクは小さく笑うと、そのまま異形の足元を抜き去った。

 そのあまりに無防備で緩慢な動きを眼で追うことも無く、ガルドリアはそそくさと立ち去っていく。

 大気が揺れるような足音も立てず、静かに去りゆく巨体は、それでもすぐに見えなくなった。


「スライク=キース=ガイロード。待ってくれ」


 鬱陶しいのを追い払ったと思った瞬間、さらに厄介な存在が声をかけてくる。

 アステラは、スライクが進む場所を歩き、呼吸を合わせ、背後から追走してきた。


 この樹海に足を踏み入れられる人間は、スライクとアステラだけであろう。

 禁断の地とまで言われたガルドパルナの樹海。

 しかし1本だけ、樹海の中を進むことができるルートがある。


 スライク=キース=ガイロードが居を構える小屋へ向かうルートだ。

 元々は存在しないルートのはずであったのだが、スライク=キース=ガイロードという存在によって、近寄ることは死を意味すると“ガルドリアに刷り込まれた”道である。

 もっとも、先ほどのようにスライクが通行していないときは、ガルドリアは闊歩する。だが、スライク=キース=ガイロードの呼吸や空気を僅かにでも感じると、ガルドリアは即座に距離をとっていくのだ。

 相手をするのが面倒になったときにスライクが使用するルートなのだが、昔、運悪くこの道を歩く瞬間をアステラに“見られてしまった”。

 それ以来、アステラ=ルード=ヴォルスはスライクの気配を“真似て”、このルートを使用している。

 本当に、鬱陶しい芸当だ。


「スライク=キース=ガイロード。はっきり言って、状況は最悪だ。小手先の作戦で時間を稼ぐことは可能だが、地力という面で圧倒的に不足している」

「断る。勝手に話を進めてんじゃねぇよ」


 背後の、大分低い位置から聞こえる声にスライクは冷たく返した。

 アステラは人の態度から何も察しはしない。

 言われたことを、言われた通りに実行するだけなのだ。

 追憶に興味は無いが、アステラという人間は、幼いときから、“こう”だったと思う。


「俺はこの村を出る。うぜぇ猿どもともおさらばだ。ついでにガルドパルナも災厄とはおさらばだ」

「スライクは今も、そう自称しているのか」


 本当に―――本当に声色が違うアステラの言葉が聞こえた。


「スライク。少なくとも、『ターゲット』の件はスライクの責任じゃない。あれは、たまたまあの場所に、」

「ああ。“たまたま”あの場所が知恵持ちの根城で、“たまたま”知恵持ちがたかが人間ひとりに襲いかかり、“たまたま”魔族がその場に居合わせ、“たまたま”遅れていた『ターゲット』の選定をして―――まだ続けるか?」

「…………」


 アステラにしては珍しい、感情を感じる沈黙をしていた。

 歩を進めると僅かに樹海が開き、輝くような湖が姿を現す。

 思わず目を奪われる光景は、無関心な2人の視界から姿を消した。


 スライクは思う。


 全て―――総てが偶然だ。

 歴史上唯一の例外として村の近くまで来ていたガルドリアが、よろけ、自分やアステラの親族ごと村の一角を潰したのも。

 訪れた街が魔物の襲撃を受けるのも。

 自分に声をかけてくる人間にことごとく絶望が降りかかるのも。

 奇跡的な巡り合わせが起こす、偶然の産物に過ぎない。


 しかし、思うのだ。

 それらは総て、必然的に起こっているのだと。

 時折スライク=キース=ガイロードの脳に降りてくる、奇妙な感覚。

 自分が知らない事象が確かな知識として根付く、全能感とも呼べる瞬間が、確かにあるのだ。

 その、あたかも“別の世界から”降り注ぐような不可思議な“声”は、言っている。


 総ては、起こるべくして起こっている―――と。


「“事実として”、」


 スライクは、その入手経路不明な知識を確かなものと捉え、言葉を紡ぐ。


「あのマキナとかいう男が『ターゲット』に選定されたのは“俺があの場にいたからだ”。確率論を度外視した事象が発生した場合、そいつは例外なく俺が原因。“お前はそれを認めない気か”?」


 悪びれも無く、スライクは鋭い眼をアステラに向けた。

 振り返った先にいたアステラは、いつもより、ずっと小さく見えた。


「違う……。スライクのせいじゃ、ない」

「言ってろ」

「……っ、だから、だからスライクはこの場を離れるのか?」


 スライクは再び歩を進めた。

 なんとも奇妙な会話だ。

 スライクは、この『ターゲット』の一件は、総て自分が原因だと認めている。

 アステラは、それを認めようとはしない。

 だが、スライクはこの場を離れようとし、アステラは『ターゲット』の守護を行おうとしている。

 だが、そんな矛盾は、この2人の間では矛盾では無かった。


 ようやく森を抜けた。

 目の前には、民間人が使用する一本道が待ちかまえていた。

 ここが、スライクとアステラの分岐点だ。


「おい、病人さんよ」

「……私は病人ではない」


 いつものような淡白な声では無く、いじけたような声だった。

 スライクは記憶を探る。

 そういえば、アステラと最初に出会ったとき、彼女はそんな少女だったような気がする。

 だからスライクは―――いつしか淡く薄く、消えゆくようになったアステラを、病人と、呼んでいたのかもしれない。


 スライクは、舌打ちし、アステラと正面から向かい合った。


「アステラ。お前が昔―――“俺の無実を声張らして叫んでた”のは、全部無駄だ。当の本人が認めてる」

「……」

「だけどよ、お前が叫んでた通り、“俺には責任が無ぇ”」


 “非情”。

 タンガタンザを現すような言葉を、スライクは紡いだ。

 スライクは、本当に、そう思っている。

 悔恨や懺悔など、スライク=キース=ガイロードの中には存在しない。


 そんなものは―――とうの昔に、通り越しているのだから。


「“約束は果たした”。それじゃな」


 最後にそう呟いて、スライクは細い道を歩き出す。

 今度は、アステラは付いてこなかった。


「…………」


 生まれ育った村を出る。

 だが、振り返る理由は無かった。

 スライク=キース=ガイロードにとって、この村は自分の出生地ということだけだ。

 興味は無い。


 自分の目的は、ここにはないのだから。


「…………」


 木々に囲まれた踏みならされた道を、黙々と歩く。


 スライク=キース=ガイロードという人間は、この道の先、ただ悲劇を振りまいて、それを自分の手では解決しない、災厄そのものになるであろう。

 そんな予感は確かにあるが、それはもう―――どうしようもないことだ。


 自分が元凶であるのなら、その結果は解決しなければならない。

 それが常識的な考え方であることは、スライクも理解している。

 だが常識の枠外の、スライク=キース=ガイロードの世界にとっては、その答えは違うと感じた。


 事実として、スライクは十全たる力を保有している。

 攻略不可能と言われるガルドリアをただ目障りだという理由だけで撃破し、突如として現れた“知恵持ち”との戦闘においても敵を圧倒できる。

 その上、正体不明の存在が現れても、“別の世界から降りてくる”知識を元に、互角以上の戦闘が可能だ。

 異常なまでの圧倒的な力。

 確かな志を持ち、旅に出れば、“魔王”を討つことができるかもしれない。


 だが、それら総てに後押しされるスライクは、そこで、歩みを止めた。

 それはまるで、操り人形だ。

 自分の先天的な力や、振り降りる知識、そして周囲を取り巻く悲劇。

 それら総てが、この道のようにスライク=キース=ガイロードという人間の道を狭めている。

 それゆえに、スライクはその道を嫌う。天の邪鬼だからというわけではない。

 ただ単に―――自分で悲劇を起こしておいて、それを救い出し、英雄のように扱われる絵面に、自分の姿を置けないだけだ。

 あくまで自分の都合。

 あくまで自分本位な考え方なのだ。


「…………」


 間もなく森を抜ける。


 これからスライクは、広い大地を当ても無く進んでいくつもりだ。

 そんな奴が、ひたすら一ヶ所にいたら迷惑も甚だしいであろう。

 毒のように周囲を汚し、侵食し、いずれは大陸のひとつでも悲劇で塗り替えてしまうかもしれない。

 あのエニシ=マキナが『ターゲット』に選定されたのが決定的だった。僅かに接触しただけで、彼は魔族の矢白に立たされている。

 いつか、『ターゲット』に選定されることすら幸運とさえなるかもしれない。

 だからスライクは、この広い世界を、たったひとりで、進み続けるのだ。


 必然的に起こる災厄が、ひとつの場所に集中しないように。


「―――と、我ながら諸君なことを考えていたんだがなぁ。流石にこうなるか」


 慣れないことは考えないものだ、とスライクは鼻で笑いながら頭を掻いた。

 2メートル近い体躯を止め、肩に担いだバッグを放り投げる。

 軽く肩を回し、ゆっくりと、猫のように鋭い眼を開いた。


 眼前には。

 荒れた大地を埋め尽くす―――異形の群れ。


 まず目に飛び込むのは前方にそびえるように立つ2体の巨人だ。

 10日前ほどに粉砕した知恵持ちに似て、顔は無く、岩石と岩石が結合して人型になっているに過ぎない―――10メートルほどの巨人。

 その足元には、涎を滴らせ、唸り声を上げる獰猛そうな犬型の魔物。それだけなら普通の動物と同じだが、犬の首は二股に分かれ、それぞれが鋭い牙をむき出しにしている。体毛は赤く、体長は1メートルを超えていた。それが、見えるだけで20頭。巨人の背後にもいるであろうから、その数倍はいるかもしれない。

 大型小型ときて、十数体ほどの中型の魔物は犬型の魔物に紛れて立っていた。

 姿形はコンパクト化したガルドリアに似ている。

 隆々しい筋肉に、ガルドリアとは違って金色の体毛。ゴリラのような魔物は、しかしその両手が鋼で形作られていた。その剛腕をもって殴れば、掠っただけで致命傷に達するであろう。

 ここまでの勢力は、スライク自身、見たことが無い。


 その種手雑多な異形の群れは、それぞれが整列し、知性を思わせた。

 それもそのはず―――その最前線。最も異形な魔物が、総てを律し、全軍の指揮を執っているのだろう。


「で、だ。出発祝いか? 随分奮発してんなぁ、おい。―――目障りだ」

「随分な物言いだ」


 その異形は、海の中で響くような高い―――“言葉”で応えた。


 身体の色は深い水色。

 形状は―――“定まっていない”。身体は液体でできていた。

 波のように揺らめき形を変え、水色の全身を鉄砲水のように打ち上げ、辛うじて人の身ほどの高さを保っている。

 時折人型になることから、本来の姿はそれなのだろう。


 スライクはその物体を、鬱陶しいように睨みながら、頭をさする。


 “無機物型の魔物”。


 本来、魔物というものは動物を模したものが多い。

 過酷な自然の淘汰の中で生き残った生物は、必然的に優れた姿をしている。

 “魔界”にもそうした知識はあるのであろうから、魔族が使い間として作り出す魔物はその優れた姿をしているのであろう。

 自然の生物としての力としてはある意味最下層に位置する人型も作られるが、それは知識の発達による魔力の強化が狙いだ。何より、“魔族”と同型であるため使いやすいという面もある。

 結局のところ、動物を模した魔物は最も使用頻度が高い。事実、世界中を埋め尽くす魔物はそのほとんどが動物型だ。


 しかしその一方、無生物を模した魔物も存在する。

 岩、鉱物、そして水。

 ゴーレムやスライムが代表格のその魔物たちは、“無機物型”と呼ばれる。

 それらを元にした魔物は―――はっきり言って、未知数だ。

 何故ならそれらの存在は、過酷な進化の過程において、ただ“環境”としてそれらを取り巻いていたに過ぎない。

 作り出すのが難しいのか数は少ないが、それらが力を持った存在は、そのほとんどが危険な魔物として処理される。


「……で、何の用だ?」


 未知の存在との邂逅。

 それでもスライクの脳には相手の情報が流れ込んでくる。

 何度起こっても不快極まりない感覚を呼び起こした相手を、射抜くように睨みつけた。


「スライク=キース=ガイロードで間違いないな」


 2メートル近い体躯。完全な白髪。金色の眼。

 誰に特徴を聞いたにせよ、スライクの特定など容易であろう。

 だがとりあえず、目の前の奇妙な存在が誰と繋がっているのかは分かった。

 ここ最近、口の利ける魔界の存在と出遭った記憶がある。


「アグリナオルス様は私に言った」


 水中で響くような声が届く。


「今年の『ターゲット』破壊において、障害に成り得るものは確認しておく必要があると。それが今年の第一のプロセス」

「失せろ。耳くらいは持ち合せてんだろ?」

「戦力分析は必要であると、私に言った。最も危険な敵を計る任を、私は受けた」

「…………」


 スライクは、もう1度、肩をパキリと鳴らした。

 そして横なぎに切るように鋭い瞳を走らせる。

 まず目指すべきは大型からだ。あれが爆ぜれば比較的大規模な損害を与えられるであろう。立ち上がる黒煙の中、乱戦になれば有利になる。本来ならば相手の数を減らすのを優先すべきであるが、問題無い。でかいと言っても、結局のところたかが魔物だ。叩き潰すのに10秒もかからない。

 そして、次は、


「―――スライムが。話を聞けよ」


 暴風が、荒れた大地を疾駆した。

 液状の魔物を瞬時に抜き去り、小型の犬を蹴散らして、中型の魔物を踏み砕く。

 そして跳躍。

 打ち上げられる波のような軌跡を残して上昇したスライクは、下方の爆発音に目も向けず、大型の魔物の石板のような顔に吸い込まれていく。

 振るうは拳。スライクが認識している中で、世界で最も丈夫な武具だ。


「っっっはっ!!」


 振り抜いた拳には確かな手応えがあった。

 大型の魔物の顔は粉々に砕け散り、巨体が崩れ落ちる。下では、落石や巨体の横転を避けるべく、魔物たちがこぞって距離をとっていた。

 とりあえず1体。

 あの日に出会った岩の巨人だか蛇だか分からない魔物とは違い、少なくとも顔面を砕けば倒れ込むようだ。


 分厚い岩盤を打ち抜いても勢いがほとんど殺されなかったスライクは空中で姿勢を整え、そのまま遥か遠方に難なく着地する。

 そして回転。

 再び暴風が駆ける。


 同時、倒れた大型の魔物が爆ぜた。

 思っていたよりもずっと小規模な爆破は、しかしそれでも砂塵が巻き上がり、いくつかの魔物を巻き込んだようだ。

 とりあえず良い情報だ。あの巨体は、顔を砕けば死ぬ。

 もう1体。


「―――、」


 砂塵の中、双頭の猟犬が姿を現した。

 それと同時、スライクは拳を振り下ろし、落雷のような轟音が響く。タンガタンザの大地に常軌を逸した破壊力で叩き付けられた猟犬は無残に砕け、砂塵の景色を肉片で染めた。

 猟犬の大群は臆することなく雪崩のようにスライクを目指す。


「ガ―――ァァァァァァアアアーーーッッッ!!!!」


 雄叫びを上げたのはスライクか魔物の群れか。

 スライクが腕を振るえば魔物が千切れ飛び、爆ぜて大地を深く抉る。

 魔物も負けじとスライクに牙をむき、多勢に無勢の優位さから確実にスライクの体力を削っていた。


 特別なことなど何も無かったこの日。

 『聖域』ガルドパルナに隣接した何も無い大地は、殺気のみに包まれる地獄絵図と化した。


 やはり―――だ。

 スライクは、思わず思考した。

 自分がこの地を離れようと思った―――“ただそれだけの日に”。


 村ひとつゆうに潰せるような大群が押し寄せてきた。

 それも、ただ1度魔族に出遭っただけで。

 高がひとりの戦力を計ろうと魔族が思考しただけで。


 即座にその場は戦場と成る。


「ラ―――、ァァァアアアーーーッッッ!!!!」


 もう1体の巨大な魔物をようやく潰した。双頭の猟犬が腕に噛みついてくるも地面を殴って振りほどき、中型の魔物を踏み砕いた先の攻撃。

 巨人は倒れ、再び爆風が大地を抉る。


 やはり―――この運命は、強すぎる。

 例え、スライクが魔物の大群に対面した場で戦線離脱を訴えても、結局この殺し合いは止まらなかったであろう。

 スライク=キース=ガイロードという人間が存在していれば、そこには必ず“死”が付き纏う。


 次は小型。

 中型の魔物の足を握り潰すように掴み、竜巻のように振り回した。鋭い牙に貫かれた腕から血が噴き出すも、構わずスライクは小型の魔物を叩き潰す。武器として使っていた魔物の限界を察し、小型の魔物の密集地帯に投げ込んだ。

 再び、強い爆風。


 これは―――“刻”。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。

 世界の裏側から何かが降りてくるような感覚は、この現象をスライクに認知させた。

 そしてさらに情報が降りてくる。

 “刻”とは、刻むべきものだ、と。

 スライクの眼前に立ち塞がる事象は、総て臨まなければならないものなのだと。

 その“刻”は、きっと総てに意味があり、そして“ひとつの終点”に向かっている。

 “打倒魔王”。

 あらゆる物語の主人公たちが成したその偉業へ向かう道が、スライクには確かに見えた。

 栄誉だろう。誇れるだろう。神から誉れを受けることは、光栄だろう。


 たが、スライクはそれら総てを鼻で笑った。

 確かに打倒魔王を成した者たちには、惜しみない讃美を送ることができる。

 評価し、絶賛し、称えることだってしてやる。


 だけど、言える。

 それではまるで、操り人形のようではないか、と。


 少なくとも、自分が斜に構えていることは分かる。

 過去の主人公たちには、そんなひねくれた思想を持ったものはいなかったであろう。

 総ての者が、清らかに、素直に、見事な“刻”を刻んでみせた。

 そして紡ぎ、次に主人公にバトンを渡す。

 あとはその繰り返しだ。


 そして再び“刻”は訪れる。

 それに付随する―――悲劇と共に。


「―――だからよ」


 砂塵は晴れた。

 大地は砕け、空の雲は割れている。

 血風の中、変わり果てた世界の中心に、金色の眼の男は立っていた。


「探してんだよ―――日輪属性の答えを。表舞台になんざ興味は無ねぇ。総ての“刻”が消え失せりゃ、決まった運命は訪れない」


 それが―――この旅の目的だ。

 邪魔立てするなら容赦はしない。


「私は驚いた」


 スライクが睨む先には唯一生き残った“言葉持ち”。

 その液体のような魔物は水中で話すような声色で、感慨深そうに言葉を漏らした。


「戦力分析が目的であったのに、全軍を消耗するとは思わなかった。アグリナオルス様は私に言った。分析が終了したらただちに撤退せよと」

「口うるせぇスライムだな。言葉持ちっつうのは全員こんなんか?」


 波打ち際の水のように跳ね上がる液状の身体は人の形を保つことすらおぼつかない。

 しかし確かな意思を感じた。


「だが、利益はあった。私は任を終えることができたのだ。スライク=キース=ガイロードの限界は確認できた」

「あ?」


 突き刺すようなスライクの殺気は、水の身体に沈み込むように受け流された。


「潰れた拳。骨を曝した腕。削り取られた体力。さらに同数の魔物を増加した場合、スライク=キース=ガイロードは死亡する」


 液状の魔物の分析は的確だった。

 口から出たのは総てスライク=キース=ガイロードの現状。

 腕は拳から肩まで自身の血液が飛び散り、砂にまみれてどす黒く染まっていた。腹部はいつ殴られたのか、服が引き割け見るも無残な青あざが浮かび上がっている。内出血で済めば良いが、肋骨が破損している可能性もあった。


 これが―――限界。

 確かにそうだった。

 戦闘において、人間という形状は最悪だ。

 バランスも悪く、身体の組織も軟で、大弱点の頭を無防備に曝している。


 他の種族を差し置いて人間が反映できたのは、知能の発達。

 そして―――両腕が自由で在るがゆえの“武器の使用”。


「私は報告を行う。アグリナオルス様は私に言った。スライク=キース=ガイロードを討つために、注ぐべき戦力数を共に考案しようと」


 それが名誉なことであるとでもいうように、液状の魔物の声色は僅かに上ずっていた。

 そして無機物型の魔物は“地面に染み込み”、消えていく。

 スライクは魔物の気配が消えるまで、じっとそこで動かないでいた。


「…………」


 スライクは、液状の魔物が染み込んでいった地面を睨んでいた。

 いや、金色の眼が睨んでいたのは、正確にはその先だった。

 大地を突き抜け、世界を超え、さらにその先の“世界の裏側”。

 そこに自分の目的がある。


 それだというのに、自分の限界は、先ほどの言葉通り“ここ”だった。

 そんなもの、とっくの昔に分かっていた。

 確かに自分の力は常軌を逸している。

 村を、あるいは街さえも叩き潰せる戦力を前に、敵を圧倒することができるのだ。

 だが、その先。

 その限界の向こう側に存在している者が存在するのも確かなことだった。


 そしてこれは、ペナルティでもある。

 スライクは“刻”を嫌い、その総てを通過し、確実に自分の成長となるものを手に入れることはできなかった。

 今の自分より強い存在は、数多の主人公も含め歴史の中に確かにいる。


 であれば。

 その主人公たちが臨まなかった世界の裏側には、スライク=キース=ガイロードという存在は届き得ない。


「……」


 スライクは被爆地をいつものように大仰に歩き出す。

 一歩進むだけで身体が引き割かれるような激痛が走ったが、問題無い。

 日輪属性の負傷は、すぐに回復するのだ。数日療養すれば元通りになる。

 だから、問題無い。

 問題なのは、自分に旅立つことさえ許さなかった“刻”と自分の“戦力差”。


 思考しながら、放った荷物を拾い上げた。

 辛うじて戦火を逃れていたバッグから水を取り出し、頭から被る。

 傷に染み込み悲鳴を上げる肌を無視して砂を洗い流した。


 そして黙々と、思考する。


 世界の裏側に挑むためには、力がいる。

 決定的な戦力増強。

 刻むのではなく、“刻”を砕き切るほどの強固なカードが必要だ。


「……」


 前から分かっていた。

 だからスライクは、力を求め、武器を求めた。

 しかし、スライク=キース=ガイロードの世界に耐え得る武具は、このタンガタンザでも存在しない。


―――ひとつの例外を抜いて。


「いいぜ……、今は俺の負けだ」


 スライクが発して言葉は、無機物型の魔物に向けたものでもなく、アグリナオルスに向けたものでもなく、ただ己が運命に向けたものだった。


 保有していた水分総てを使い果たし、スライクはバッグを携帯食料ごと投げ捨てた。

 これはしばらく必要無い。

 必要なのは、力だ。


 運命の匂いを感じて避けていたものではあったが―――幸い武具には、心当たりがある。


――――――


「表で何かがあったのか?」

「あ、クロックさん」


 思考しながら村を歩いていたら、ほとんど習慣のようにミツルギ=ツバキの家に辿り着いた。

 日はとうに沈んでいる。

 再びガルドパルナを訪れたクロックは、他人の家だというのに定まってしまった自分の定位置に座り込み、腕を組んだ。

 そして思考を働かせ―――頭を抱えた。

 『ターゲット』の件で余計なことに時間を割いている暇は無い。それこそ、この村の入り口付近の大地が、砕けるほど損壊していたことについても、思考の外に追い出すほどに。

 だが、どうしても、看過はできないことがあった。


「ツバキ。お前は一体何をしているんだ?」

「え? お掃除をしています」


 ツバキの姿は、頭に白い三角巾、胴には可愛らしいピンクのエプロン、手には雑巾、足元には水の入ったバケツと完全防備だった。

 いつ入っても小奇麗な家だと思っていたが、毎日欠かさず掃除をしているのであろう。

 日は沈んでいる―――というのに。


「ツバキ。それはこんな時間にやることか?」


 僅かに冷たく、子供を諭すように、クロックは疑問を投げかけた。

 本日の朝、両親の墓前に欠かせず通えるこの家をツバキが大切にしていることを認識したばかりだが、流石にこれはやりすぎだ。

 その想いを否定することまではできなくとも、この危なげな子供を監督するのは大人の役目である。

 するとツバキは、クロックの感情を察しもせず、呆けたような表情で、こう答えた。


「え? でも毎日掃除しないさいって、おかーさんから習いましたよ?」

「―――、」


 その悪寒は。

 クロックの中で、まだ見ぬ“魔族”をゆうに超えた。

 ツバキの言葉からは、努力し過ぎて大人に注意された子供のような照れくささも、失った母の言いつけを大切にしたいという感情も、まるで感じられない。

 ただ彼女は―――そういうものだから、そうしていると言ったのだ。


「ツバキ。通常、掃除は日中にやるものだ」

「え? でも、お昼はできなかったので、」

「だったら明日やればいいだろう」

「? それだと毎日できないじゃないですか」


 ミツルギ=サイガに対面して、クロック自身も気が立っていたのかもしれない。

 だが、そのせいで会話が続き、そして、彼女の中の異常を感じ取った。

 彼女は本当に素直で、良く言うことを聞く―――“救い難い子供”だったのだ。


「ツバキ。お前自身はどう思う。こんな時間に掃除をすることに、“お前自身はどう思うんだ”?」

「? ……そういえば、お布団干しても意味無いです」


 クロックは、目の前のテーブルに手のひらを叩きつけてやろうかと思った。

 初めてだ。清く正しく無邪気で素直な彼女との会話が―――こんなにも、不快になったのは。

 その清純さは―――負と負の掛け合わせだと知っていたのに。


「ツバキ。掃除は昼だ。できなかったら翌日にやれ。『毎日やる』という言葉は、お前にとっては強すぎる」

「え……、あ、はい。分かりました」


 クロックは、おぼろげにミツルギ=ツバキの家庭を察した。

 父は、きっと良く働き、家族に愛情を注ぎ込む理想的な者であったのだろう。

 母は、きっと家事を欠かさず、家庭は愛をもって守り抜く模範的な者であったのであろう。

 ツバキが住んでいたという、サーティスエイラ。そこは、タンガタンザの中でも珍しく、魔族軍の進行が滞っていた場所だと聞く。

 それが理由で力を増した魔族軍が制圧するまでは、タンガタンザの百年戦争の憂き目を逃れ続けていた―――珍しく平和な村。

 そんな場所に、清く正しいツバキは生まれた。

 そして最悪なことに―――彼女は、どこまでも無邪気で受動的な子供だった。

 タンガタンザの悲劇を知っていた大人たちは、過剰なまでの愛を注ぎ込み、ツバキの瞳に陰りを作らないよう、世界はどこまでも温かなものだと伝えただろう。

 彼女も自分では知り得ない。彼女の無邪気な世界には、“光が強まるその理由”は無かったのだから。

 その結果、彼女はこの世界をあまりに知らない少女になった。

 大人がいれば、子供が持つ必要の無い常識を―――彼女から、遠ざけた。


 両親に罪は無い。むしろ彼女を陰りから守ることを全うした。

 タンガタンザの中において、そんな場所があれば誰でも子供をそう育てる。温かな空間の中で、悪寒とも言える冷気がいつ襲ってくるか分からないなどと、残酷な現実を伝えることは躊躇われるのだから。

 だから、きっと、彼女の両親は、温かな空間でツバキを育て、そしてゆっくりと、世界の過酷に立ち向かえる力を授けるつもりだったのだ。


 その前に―――タイムリミットが訪れた。

 彼女に強い自我が創り出されるその前に。


「ツバキ」

「はい?」


 クロックは帽子を目深に被り、低い声を出した。


「お前の前には、きっとこれから辛い道が現れる」


 クロックは断言した。

 ツバキは両親を失っている。それは過酷で、あまりに重い悲劇である。

 だが、ツバキはそれを悲劇とは思っていない。

 きっと彼女の両親は―――“両親がいなくなることは悲劇と教えなかったのだろうから”。


「そのときに、お前はまず、泣いて、悔んで、どこまでも、絶望に沈まなければならない」

「は、はあ」


 今言っても分からないであろう。彼女には常識が無いのだから。

 だがそれでも、クロックは伝えずにはいられなかった。


「ひとつずつだ。忘れるなよ。人の死は、哀しいことなんだ」

「…………はい」


 ああ、どうか―――と。クロックは思う。


 この無垢な少女に、絶望的なまでの残酷を。

 もう1度だけ、過酷を超える―――自我を創り出す機会を。


「そのときお前は、本当の意味で生を受ける」


――――――


 この場所に最初に訪れたのがいつのことだったかは覚えていない。

 幼少のころ適当に歩き回って辿り着いたときだったかもしれないし、あるいはつい最近訪れたときだったかもしれない。

 だがそれは、結局のところ、本筋ではない。忘却の彼方にいるべき柱書きだ。

 本筋は―――“この感覚”。


 ガルドリアという種がいる。

 ガルドパルナの周囲の樹海に生息する、獰猛で群れでの戦闘を得意とする、凶悪な種族。

 彼らだけではないが、そうした魔物には、強い縄張り意識というものがある。

 作り出した魔族が意識したことなのか、はたまた参考にした生物の本能であるのかは定かではないが、人間にとっては迷惑甚だしい。

 村を破壊したのち、その場を生息地とするその特性を持つ魔物は、近付く者には獰猛に襲いかかり、決してその地を再興させないと聞く。

 戦闘とは、極論を言ってしまえば陣地取りゲームだ。世界というものが有限である以上、制圧することは自陣の力を増加することになり、敵陣の力を減退させることとなる。

 となると縄張り意識が強い生物は、そのルールを根源的に理解していると言える。

 話に聞く神族と魔族の戦いは、あたかもチェスゲームのように繰り広げられたらしい。


 “この感覚”は、その理を、強く頭に浮かび上がらせた。

 縄張りと聞くと、人によっては保守的なイメージが付き纏うであろうが、この場に立てばその勘違いは捨てされるであろう。

 その縄張りは、大地に根付いているのではなく、“その存在”が決定づけるものであると。


 “二代目勇者”―――ラグリオ=フォルス=ゴード。

 彼の行く先は、常に彼の縄張りと成り、動的に、世界総てを制圧したと言う。


「かっ」


 スライク=キース=ガイロードは、睨みつけるように視線を向けた。

 金色の眼に映るのは、人の身ほどの大剣。

 ところどころが錆び付き、今にも崩れそうなほど軟なその物体からは、世界の裏側からの情報が無くとも強い縄張り意識を感じさせた。


 いや、縄張りは結果論に過ぎない。意思というのが相応しい。


 “目障りだ”。

 その剣に宿った意思はそう睨みつけ、結果として、その場に世界が創り出される。

 こうして見ると、スライクはガルドパルナの住民をある種尊敬できた。

 鈍いゆえかもしれないが、よくもまあその縄張りにいる気になれるものだと。


 人が見れば狂気の沙汰としか思えないスライクの住居も、あるいは最も敏い空間だったのかもしれない。

 高が猿の縄張りと比べるのは、あまりに失礼なことかもしれないが。


「まあ、んなことはどうでもいい」


 スライクは自分の思考を放り捨て、大剣を両手で握り締めた。

 お伽噺のように、神聖さに気圧され指先だけで触るようなことは無く、部屋を出るときにドアノブを掴むような気楽さで、大きな手のひらで握り締める―――潰す。


 負傷は思ったよりも深刻で、癒すまでに大分時間がかかった。

 まだまだ完全とは言い難い。

 武器として振るった拳には未だ違和感があるし、力を込めるたびに腹部から何かが噴き出す気さえする。


 だが、問題無い。


「てめぇは高が、道具だろう?」


 両腕に力を込めて引き抜こうとした武具は、微動だにしなかった。

 スライクは即座に魔力を発動し、身体中を身体能力強化の魔力で包み上げる。


 動かない。


「―――っ、らぁぁぁあああーーーっっっ!!!!」


 怒号に近い咆哮が洞窟内に響き渡る。

 その振動は、部屋の奥の奈落の奥底まで響き渡り、大地が揺れているほどの錯覚をもたらした。


 動かない。

 抜けるどころか砕けることも無かった。


「ぐ―――、ぅぅ、」


 さらに力を込める。

 スライクは、あの噂が何の脚色もされていないと再認識させられた。

 この剣は歴史上、誰も砕くことも抜き放つこともできなかったらしい。

 物理を超えた何かを、この錆び付いた物体は有している。


「っっっ、」


 スライクは歯を食いしばり、それだけで人を殺せそうなほどの眼光を放つ。

 これほどまでに近くに、自分が超えられないものがあったとは。

 村を潰せる戦力を一方的に破壊できる自分が、高が道具のひとつも手に入れることができないとは。

 僅かに衝撃を受けた。


 だが、それが何だ。

 自分はこの剣に用がある。


「はっ、っっっあぁぁぁあああらぁぁぁあああーーーっっっっっっ!!!!!!!!」


 剣は動かない。

 やり方が根本的にまずい。

 そう感じるのに時間は要らなかった。


 すると、スライクの頭に、何かが降りてくる。

 世界の裏側から届く、この剣の攻略法。

 安全に、クールに、確実に、この剣を得られる方法が、手を伸ばせば届くほどの位置に現れた。


 “目障りだ”。


 スライクはそれらを無残に切り裂いた。

 自分は、その裏側に用がある。そこに立たれたら視ることができない。

 言っただろう―――邪魔立てするなら容赦はしないと。


「―――、」


 スライクの身体から漏れる魔力は、洞窟内を太陽色で染め上げた。

 足りない。これだけでは、この剣に届かない。


 身体能力強化の魔力は、スライクが拠り所とする最も強力な力だ。

 他の魔術師は当然のように扱うその力は、スライク=キース=ガイロードはその元来の身体能力で必殺の武器に変貌させた。

 だが、それでは足らない。


 さらに、向こう。

 その向こう。


 総ての魔術を体得できる日輪属性の汎用さを捨て去っても、その力のみに特化しろ。


「―――、」


 月輪の力―――不要だ。魔法など、この試練の前にはゴミクズ同然だ。

 火曜の力―――不要だ。破壊など、剣の破壊という自己満足程度となる。

 水曜―――木曜―――金曜―――土曜―――総ての選択肢が周囲に飛び交う。

 スライクは、その中のひとつを荒々しく掴み上げ、自分の身体に叩き入れた。

 他は総て切り捨てる。


―――再定義が始まる。

 自分の力を増幅させるという事象の、再定義。

 魔力で身体を覆うのではない。

 身体中の魔力を爆発させ、血液を滾らせ、力総てを暴走させろ。


 それら総てが己に還ってきたとき―――本当の身体能力強化が始まる。


「ガ―――、ァァァァァァアアアアアアーーーッッッ!!!!!!!!」


 獣のような雄叫びと共に、剣が僅かに動き始めた。

 気を緩めず、さらにスライクは特化させる。

 これから先、自分はこの属性の力以外を使うことはできないだろう。


 数多の選択肢を斬り裂き過ぎた。

 あらゆる者が欲する、無限なまでの可能性を取り戻すことはもうできない。


 日輪属性とは名ばかりの、魔法から縁遠い存在に成り下がる。

 それは、不可能に挑むスライクにとって、その差は致命的なことかもしれない。


 だが―――


「はっ、はっ、はっ、」


 スライクは座り込み、金色の眼を鋭く光らせた。


「―――その差はてめぇが埋めるだろう?」


 常軌を逸した能力に砕けた大地。

 その場に座るスライクの手には、


「選択肢なんざクソくれぇだ。道はひとつで十分だろうが」


 行くは我が道。

 その障害は、この剣で斬り裂けばいい。


――――――


 アステラ=ルード=ヴォルスは、日中のガルドパルナを歩いていた。

 日は高いはずだが、分厚い雲に覆われて、生憎なことに村は影に沈んでいる。

 この村の住人に退去命令を発したのは一昨日のことだ。

 小さな村ではあるが、流石に即日一斉退去と言うわけにもいかず、明日か明後日から順次村人たちは避難していく。

 そんな意味でも、この村は、影に沈んでいた。


 そんな中、アステラは光も影も無いような表情で村を進む。

 途中、商魂逞しい、あるいは、商品が芽吹いてしまってどうしようもない花屋が捨て値で商売を行っていた。


 アステラは、一瞬購買を検討したが、そのまま花屋を通過する。

 向かう先のことを考えれば、見舞い用の花くらいは必要かもしれないが、アステラには花を選ぶ基準が分からなかった。

 そんなものを、見たことは無いのだから。


「…………」


 アステラは思考する。

 魔族の進行は、3ヶ月後―――いや、もう2ヶ月と少し、か。

 その事前準備として奔走することになるのであろうが、今は村人の退去が優先で、言ってしまえば暇だった。

 こうなると、アステラは何をすべきか分からない。

 万屋としての能力は高いが、趣味は無く、時間を潰すという行為を知らない。

 常に需要のあったミツルギ家とは違い、この村は、本当に何も無かった。

 以前は、どうしようも無くなったときはガルドリアの樹海を進み、小屋の様子を見に行っていたものだが、その主がこの地を離れた今ではまるで意味の無い行為となってしまう。


 アステラはふと樹海を眺めた。

 いつもは驚異的な存在感を放つガルドリアの潰れた貌が見えるものだが、今日にいたってはいない。

 昨日、深夜に群れの中での闘争でもあったのかというほど暴れ回っていた記憶があるが、それが原因だろうか。

 興味はおろか意味すらない思考だった。


 最近、何か空虚だ。

 アステラは足音すら消え入るように静かに進む。


 強制退去命令が出た村人たちは、いや、『ターゲット』に自分の村に逃げ込まれた村人たちは、家屋や畑への興味が薄らぎ。

 アステラも、ここ数日、何かをしようと思った記憶が無い。

 だが、それらはまだマシな方だとアステラは思う。


 もっとも気がかりなのは、やはり戦争の当事者。


 『ターゲット』―――エニシ=マキナ。

 端的に言って、彼はやつれている。


 ある程度の会話はできていたが、食事も喉を通らないことが多いらしい。

 アステラが近況報告に言った昨日など、アステラが家に入ってから出るまでベッドに座って窓を眺めていたものだ。


 僅かな配慮として鍛冶屋の家に住まわせてもらっていたのだが、馬車の修理も中断したままだった。


 あのとき。

 馬車の修理が終わっていたなら、スライク=キース=ガイロードをどこかに送り届けることだけでもできていただろうか。


「……?」


 おぼろげに思考を這わしていたアステラの眼に、不自然なものが映った。

 煙だ。

 エニシ=マキナが住まわしてもらっている家屋から、もうもうと煙が立ち上っている。


 鍛冶屋の主人は、新たな拠点での準備がいると昨日からこの村を離れていると言うのに。


――――――


「だぁ、かぁ、らぁ、ツバキちゃぁぁぁんっ!! いちいち手を洗いに行ってたら鍛冶屋なんてできねぇって!!」

「えっ、でも、手が汚れたら洗いなさいって、おかーさんから習ったんだっ!!」

「頼むから1回!! さっきもう言っちゃったけど、1回でいいから手の汚れ我慢してっ!!」

「大丈夫です。さっき1回我慢して、……錆びだらけの手でお料理作りました」

「分かってやってる以外あり得ねぇよその選択肢!! 喰っちまったじゃねぇかぁぁぁあああーーーっっっ!!!!」


 エニシ=マキナが頭を抱えていると、職場の扉が軋みを上げて開いた。

 視線を向けると、アステラ=ルード=ヴォルスが相変わらずの無表情で―――いや、どこか冷たい目をして佇んでいた。


「……何をやっている?」

「アステラじゃん。丁度いいとこに来た。このガキに常識を……、駄目だっ、こいつもアレな奴だった……」

「……………………」


 頭を抱えたマキナは、熱気が包む職場の中、さらに冷たい視線が突き刺さったのを感じた。

 視線の主はアステラだ。

 感情が欠落している彼女にしてはその視線は奇跡とも言えるほど貴重なものであるが、それだけ怒っているとも考えられる。


 マキナは頭を掻き、


「まあ、冗談はともかくとして。アステラ、今暇か? だったら、頼みたいことあんだけど」

「頼み事?」

「今日は暇を出したが、お前風に言えば依頼だ」


 マキナの言葉を紡いだのは、壁に寄りかかり目を閉じていたクロック=クロウだった。

 シルクハットのような帽子に、黒いマントを着こなすこの男がツバキを引き連れこの場を訪れたのは数時間前。

 以来ずっとあの場でそうしている。

 マキナはその姿のクロックをある種尊敬していた。今この場は、汗でシャツがびっしりと肌に張り付くほどの熱帯地帯になっているのだ。

 姿はともかくとして、聡い男だとマキナは感じていた。

 彼はミツルギ家の者であるそうだが、参戦してくれるらしい。

 心強い仲間がいるというのは救われる思いだ。


「クロック=クロウ。この場にいたのか」

「私もお前同様、本日は休もうと思っていてな。『ターゲット』の様子を見に来た」


 そういうクロックは、何故か『ターゲット』のマキナでは無く、隣のツバキを眺めていた。

 マキナも倣ってツバキを見る。

 常識の無い―――いや、奇妙なミツルギ=ツバキ。

 クロック=クロウという人間の情報は数少ないが、何となく、マキナはクロックがツバキのために時間を使っているような気がした。

 確かに自分も、ツバキのことは気がかりでもある。


「だが、思わぬ収穫があった。エニシ=マキナの話を聞くと良い。ミツルギ家の参加しない今年の戦争に、僅かな活路が見えてきた」


 クロックに促されて視線を向けてきたアステラに、マキナはふっと笑って竈の前に立つ。

 マキナの足元には、布にくるまれた巨大な物体が存在している。

 きっとアステラは、これが巨大な工具か何かと思っていたことだろう。


「ぶっちゃけよ」


 マキナは両手で物体を抱え上げ、慎重に布を外していく。

 それだけで、鼓動が高まった。


「俺、死ぬと―――“死んでいると”思ってた。そんで、この数日、腐ってたよ。なんでかな。普通に呼吸はできるし意識もあった。だけどさ、何か、“生きてなかった”」


 錆びだらけのそれは、布を真っ赤に染め上げ、しかし錆すら零れることは無い。

 見習いたいくらいだ。

 同じく朽ちた、語ることもできないほど憔悴した自分は、ボロボロと、錆を零していたというのに。


「でもさ。武器職人の血っつうのかな。一気に生き返ったよ」


『こいつを直せ』


 昨夜の会話が思い起こされる。

 何事も無く、成す術もなく過ぎて行った昨日という日。

 その最後に現れた奇跡のような邂逅。


『―――お前の世界に、そんなものは存在しない』


 言ってみた台詞は、思ったよりもしっくりきた。

 自分は口先だけの“それ”。

 それが体現できる『彼』は、決して正義の味方とは言えない『彼』は、紛れも無く、本物だ。自分とはまるで違う。

 彼と出逢った―――あるいは、出遭ってしまったこと自体、マキナにとっては奇跡のようなものだ。


『神話さえも塗り替える、塗り潰す、アルティメット・ワンを創り上げろ』


 恐らく、いや間違い無く、彼は自分のために戻ってきたわけではない。

 彼は、きっと、自分のために戻ってきたのだ。

 そしてこれを引き抜いた。

 神話を如実に現すような“これ”すら、彼にとっては自己の目的のための手段でしかない。

 例え彼が人々を救ったとしても、それはきっと正義のためではない。

 例え彼が魔王を討ったとしても、それはきっと世界のためではない。


 彼にとっては、あくまでそれは手段でしかないのだ。


 つくづく―――思う。

 もし、日輪属性に選ばれし者という言葉を使うならば―――スライク=キース=ガイロードは完全に誤った選択肢だ。


「……こいつを直すぞ」


 見た瞬間、アステラも察したようだった。

 錆びだらけの、朽ち果てた、巨大な剣。

 それがそこにある理由も、恐らくは察し、彼女は珍しくも温かい息を吐いた。


「ここにいる全員でだ。クロックさんは忙しいだろうから少しだけ時間を割いてくれればいいが、アステラだけはフルで協力して欲しい」


 恐らくこの作業は、自分ひとりでは難しいであろう。

 完成のためには、アステラのような、見ただけで真似できるという特異な能力を持つ存在が不可欠だ。


「……だが、エニシ=マキナ」

「ん?」


 そこで、他ならぬアステラから水を差された。

 無表情な顔からは、疑念のようなものを感じる。どうやら自分は、随分とアステラの表情に慣れてきたらしい。


「例えそれが神話の物品だとして―――“耐えられるのか”?」


 最もな疑問だった。

 ツバキやクロックは知らないであろうが、マキナはそれを知り、アステラはきっともっとよく知っている。


 魔物が使用したものさえ一撃で砕き切った男の力に耐え得る剣など、存在するとは考え難い。

 確かに神話の物品という神秘的な加護は感じ取ることができるが―――それだけでは彼の世界にはあまりに弱すぎた。


 だが、マキナは首を縦に触れる。


「問題無い。こいつには、魔力の原石が使われてる」

「原石?」

「ああ」


 マキナが調べたこの剣が刺さっていた岩盤。

 あの場所だけが、妙に硬くなっていた。

 それから想像できるのは、マキナにとってはひとつしかない。


「原石とはなんだ?」

「魔力の原石というのは、」


 アステラの疑問に応じたのはクロックだった。

 先ほど彼に話し、すぐに通じたところを見ると、彼も彼で原石には詳しいらしい。


「言うなれば、魔力の保管庫だ。通常、魔力というものは物体には宿らない。宿ったとしてもすぐに四散してしまうであろう」


 クロックの言う通り、魔力というものは物体には宿らない。

 魔術師の戦いでも、武具の周囲に魔力を滾らせるだけだ。

 道具は所詮、道具に過ぎない。

 生命体という神秘の存在にのみ、魔力は蓄えられることができる。


「だが一方で、唯一の例外とも言える物質が存在する。それが、魔力の原石」


 クロックは銀縁の眼光を、マキナの持つ大剣へ向けた。


「魔力の原石は、隣接する魔力を吸いとり、その内部に保管する性質がある。その総量は膨大だ。太古、魔力が溜まるに溜まったこの物質を見つけた者が、これこそあらゆる魔力の源であると錯覚して名を付けるほどにな」


 実のところ、魔力の原石という物体は人々からそれほど縁遠い物体では無い。

 最も分かりやすい例で言えば、魔物にいるゴーレム族は、大抵身体に原石を内蔵している。無機物な魔物は大概そうだと思って良いらしいと先ほどクロックから聞かされた。

 あの運命の日に出遭った岩石の『蛇』の身体にも、原石というものは存在していたはずだ。


「魔力の原石が魔力の保管庫だということは分かった。だが、それであの力に耐え得るのか?」

「問題無い」


 そこからはマキナが引き継いだ。

 ここから先は、武器の話になる。


「あいつが武器を壊すのは、単純に言えば武器の強度不足だ。知っての通り、あいつの力は常軌を逸している。だが、単純な威力を防ぐなら話は簡単だ。周知の事実として、絶対的な物理耐性を持つ属性がひとつある」

「……金曜属性か」

「そうだ。金曜属性はとにかく防御に適している。まあ、知り合いに例外的な奴がいるんだが……それはともかく、魔力そのものがとにかく硬いんだ。金曜属性の魔力で武器を作るのは、世界で最もメジャーなんだぜ?」


 その場合、定期的に金曜属性の魔力を注ぐ必要がある。

 だが、原石となれば話は別だ。

 他の物質に比し、圧倒的に魔力が漏れにくい原石は、メンテナンスの必要が無いほど恒久的に硬度を保つことができるであろう。

 この大剣が良い例だ。

 気が遠くなるほどの太古に突き刺されて、漏れたのがせいぜい剣の周辺の岩盤程度。

 最早脅威だ。


 この剣が原石だと即座に気づけたのは朗報だ。作業の手間が一気に省ける。

 あのガルドパルナ聖堂も“原石”の鉱山らしく、漏れた魔力が剣の周辺に留まっていたお陰で気づけた情報であった。

 貴重な原石が正しく山のように在るとなると、剣を失ったあの場所は、まだまだ利用価値があるようだ。


「だから俺たちは、この剣を直したあと、馬鹿みたいに魔力を注いで世界最強硬度の剣を創り上げる。この剣があいつの力に耐えられるのは実証済みだ。あいつがフルパワーで引き抜いたこの剣は砕けてない。今も魔力がかなり残っているみたいだしな」


 それが、今なお轟く“二代目勇者”―――ラグリオ=フォルス=ゴードの威圧の正体。

 この剣は、原石を使っているからこそ、神話の劇中通りに現世に留まり続けた奇跡の物品だ。


「だが、問題があるように感じるが」

「ん?」

「攻撃時、剣に魔力を込めたらどうなる。魔力を保管する魔力の原石はその内部に魔力を蓄えてしまうのだろう?」


 相当踏み込んだ質問が上がった。

 やはりアステラは、受動的ながらに飲み込みが早い。


 確かに彼女の言う通り、今言った性質では原石を使った魔術攻撃は不可能となる。

 スライクがそのつもりがあるかは分からないが、その性質は、日輪属性の可能性を奪うことには変わりない。


 だが、その問題もすでにクリアしている。


「いいや。むしろ日輪属性にこそ、原石を使った武具は相応しい。原石にはもうひとつ特性があるんだ」


 マキナは大剣に視線を向けた。


「原石には、魔力は蓄えるが“加工された魔術には圧倒的に強い耐性”がある。純粋な魔力でなくなったものは弾き出すんだ。魔術攻撃には最高に相性が良い。何せ、魔力を込めるだけ込めて、攻撃時に干渉し、魔術攻撃として総ての魔力を放てるんだからな」


 つまり―――“何に変わるか分からない日輪属性の魔力”は、最高の攻撃手段となる。

 魔力を込めに込めた後、状況に応じて使用魔術を切り換えることが可能なのだ。

 その上、剣自身は傷つかない。

 原石は、魔術攻撃に強い耐性を持っているのだから。


 そしてマキナは思い至る。

 この剣の正攻法での抜き方を。


 この剣には膨大な金曜属性の魔力がこもっていた。

 だから硬く、誰も抜くことも砕くこともできなかった。

 だがその正体を知ってしまえば攻略法は簡単だ。

 まず、金曜属性の魔術師を連れてきて、中の魔力を総て魔術に変換してしまえばいい。

 他の属性では不可能だが、物体にこもった魔力を操作することはある程度熟練した金曜属性の者ならば可能だ。

 すると剣の魔力は魔術に変わり“弾き出され”、この剣は見た目通りの朽ち果てた物体に成り下がる。

 あとは抜くなり砕くなりすればいい。


 かつての神話も、現代の曰くも、あくまでロジック通りにできている。

 物寂しいものを僅かに感じるが、それはそれ、だ。


「纏めるとだな―――」


 逸れた思考を元に戻し、エニシ=マキナは断言した。

 クロックは元より、アステラも理解したようだ。


 マキナはその剣の誕生に出会えることに、それも、自分たちの手に寄って成し遂げられることに震えながら、言葉を紡いだ。


「この剣は、古来に溜め込まれた膨大な魔力によって驚異的な硬度を持ち、希少な原石の特性によってあらゆる魔術に耐性を持つ―――世界最強の剣に成る。それを超人スライク=キース=ガイロードが持てば―――」


―――神話さえも、塗り潰せる。


“―――***―――”


「―――ほぅ」


 ヒダマリ=アキラは感慨深そうに息を漏らした。

 目の前にはアステラ=ルード=ヴォルス。

 彼女が語る物語は、奇しくも昨日自分たちが遭遇した“誘拐事件”という出来事から始まり、ついに原石の話に到達した。

 そのスペクタクルな物語に、アキラは、


「……ふあ」

「…………何故欠伸をした?」

「いや、違うんですよ。あっし、眠くないです」

「……誰の真似だ?」


 朝の寝ぼけた頭に活を入れようと、『騒音』をテーマに脳内検索をかけていたのが仇となった。

 アキラは手を振り、必死に誤魔化す。

 だが、眠気が襲ってきたのは止むを得ないと思う。

 何せアステラは、ここまでの物語を淡々と、本当に淡々と無表情のまま語り続けていたのだから。

 盛り上がりも何も無い。


「……原石の話は出てきたか。ならばここらで止めにするか?」

「い、いや、いいよ。最後まで聞く。聞きたいし」

「そうか」


 そういうと、アステラはこくりと頷いた。どこか嬉しげに感じる。

 やはり彼女には、見えないだけで確かな感情が存在しているのであろう。


 しかし、と。

 アキラは頭を振って話を思い返す。

 物語の中、まさかあのスライク=キース=ガイロードが出てくるとは思ってもいなかった。

 シリスティアの港町。

 あのとき出逢った彼は、2年も前にこの戦争を経験している。

 そう考えると、彼に感じた温度差にも頷けるから不思議だ。

 アステラと昔馴染みだという話も脅威ではあったが。


「それでは話を続けようか」


 またも無表情で、廊下に立ったままの話は始まるようだ。

 だが、アキラにとって、その物語は遠かった。


 別に、自分が登場しない物語だからとか、アステラが知っている部分のみが抜き出された物語だからとか、そういったものは関係ない。

 知っているのだ、アキラは。

 その物語の結末を。


 アキラは以前クロック=クロウに話を聞いたことがあるし、アステラ自身も言っていた。

 これは、タンガタンザに2度目の平穏が訪れる物語であると。

 となると結末は目に見えている。

 救われるのだ、エニシ=マキナという男は。


 そうなってくると、思った以上に話好きであったアステラには悪いが、アキラの興味は僅かに薄れる。

 結果として『ターゲット』が守られる物語。

 結末を知っているのに、その仮定の苦悩や努力を聞いても、そこまで心に響かない。


 だが。

 妙に脳裏がピリピリとする。

 それが、アキラの脳を眠りの一歩手前で引き留めている―――悪寒だった。


「結果として、武具は完全に修復できた。タイムリミットの数日前のことだ。当時の姿のままであるかは不明だが、ともあれ、ある程度は再現できたのだろう」


 あの、2メートルを超す大剣。

 それは神話の物品であるそうだ。

 アキラの記憶に有るスライクが有するその剣。

 そのときアキラが身につけていたのは、見劣りするどころでは無い、市販の剣だった。


「そして、スライクはその剣を引き取りに来た。そして彼は、こう言った」


『これからてめぇらに幸運が訪れる。襲ってくるうざってぇほどの大群が、途中“不幸な事故”に遭い、大半が消え去っちまうっつーな』


 何が彼をそうさせたのかは知らないが、随分と協力的な姿勢だ。

 それならあの港町でもそうして欲しかった。

 もっともあのときも、結局彼が解決したのだが。


「キザと言えばキザな台詞だが、きっとスライク=キース=ガイロードは、本当にそう思っていたのだろう。彼はどこか、自分のことを“事象”と捉えていた節があった」

「“事象”、ね」


 災厄。アステラの話の中で出てきた言葉だ。

 アキラは自分の手のひらを広げてみた。今まで物語の着色として捉えてきた数々の事件。それらは、確かに、見る人にとって見れば災厄そのものだろう。


 “呪い”。

 以前、仲間のサクにも言われた言葉だ。


「アキラ? ……何をしているんだ?」


 噂をすれば、と現れた少女に声をかけられた。

 紅い衣にトップで結わいた黒髪。

 サク―――本名はミツルギ=サクラ、か。彼女の鋭い瞳は、アキラたちをいぶかしげな眼で捉えていた。

 それはそうだろう。

 辺ぴな場所で、どこまでも無表情な女性を前に呆けている男など、自分でも距離を置こうと思う。


「どうした?」

「それはこっちの台詞だ。部屋に行ってもいないから……、っ、」


 そこで。

 ピタリとサクは足を止めた。

 今までよく見えなかったのか、はたまた彼女の薄さのせいか、アキラが対面しているのがアステラだと知らなかったようだ。

 サクは慎重に、アステラの様子を覗っている。


「……話は後にした方がいいか。お前にとって必要な情報は拾えたはずだ。私はこれから作業に向かう。この剣はあの大剣ほど朽ちてはいないが、時間はあるに越したことは無い」

「え? いや、いいよ。どうせあと少しだろ? 先言っちゃうのもなんだけど、スライクが暴れ回って……、えっと、トラゴ……なんちゃら、だっけ? あの岩の『蛇』の魔物。そいつら蹴散らして終わり、って話じゃないのか?」


 何の気なしに、そんなことを言ってみた。

 しかしアステラは、無表情のまま、ゆっくりと、首を振った。


「2年前の戦争で、トラゴエルは生存した。恐らく今年もあの“知恵持ち”は参戦するだろう」


 実は期待を込めて言ったのだが、裏切られた。

 話の中で出てきた岩の『蛇』。積み上げられた岩の身体の高さは天に届くほどだったと言う。

 正直言って、アキラには倒す自信が無い。

 スライクは雑魚だなんだと面白いことを言っていたが。


「それに、恐らく君が思い描いている結末とは違う」

「……それなら、やっぱり最後まで聞くよ」


 アキラがそう言うと、アステラは、やはりゆっくりと頷き、物語を紡いだ。


「分かった、続けよう。今年の作戦を聞くに、恐らく君たちの戦いともリンクする話だ。ミツルギ=サクラにも聞く意味があるが、聞くか?」

「……それは、例の話か?」


 サクはすでにアステラから何かを聞いていたのかもしれない。

 それはもしかしたら、このミツルギ家に訪れた初日のことかもしれなかった。


 頷くアステラに、サクは慎重に先を促した。


「分かった、続けようか。タンガタンザの民にとっては奇跡の―――我々にとってはバッドエンドの物語を」


 アキラの脳裏がピリピリと痛んだ。


 タンガタンザ物語の結末が―――近付いてくる。


 敵残存勢力。


 魔物―――150000匹。


 知恵持ち―――トラゴエル。????。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ