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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
西の大陸『タンガタンザ』編
23/68

第33話『タンガタンザ物語(承)』


“――――――”


『こいつを直せ』


『? ……この剣は、』


『ゴミクズ同然の物体だ。今はな』


『だ、だけど、こ、これ、……どうやって』


『ここにあんだから答えはひとつだろ。んなことより、これからのことだ。てめぇだって八つ裂きにされたかねぇだろう』


『…………そう、だな。しかし意外だ。お前のことだから、てっきりもう……。正直俺は諦めていたよ。歴史上、ただの1度しか覆ったことの無い“死の宣告”に。普通は、』


『はっ』


『……ああ、そうだったな。お前の世界に、そんなものは存在しない』


『元はてめぇの台詞だろう』


『お前とは違うさ。俺は口先だけ。見ろよ、今も手が震えている』


『狂い切る前に仕事だ。とっとと始めろ』


『優しさが無い客だな。まあいい。最後の……、いや、最期にしないための、大仕事だ。ところでお客さん、ご要望は?』


『とにかく硬度だ。硬く、堅く、固く。例え世界が丸ごとぶっ飛んでも傷ひとつ付かないようにしろ』


『……切れ味はどうするんだ? それに重量も。補強すれば硬くはできるだろうが、ナマクラが出来上がる可能性もあるぞ。ゴミクズから時間と金を懸けたゴミクズへのクラスチェンジだ』


『高が道具に多くは求めねぇ。お前の知る限りの理論、素材、技術を総動員して最強硬度の剣にしろ。とにかく壊れないことだけだ。“俺に耐えられりゃ”、後はこっちでなんとかする』


『……は、世界一への挑戦、か。分かった、やってみよう。……いや、やってみせる』


『いいからとっとと始めろ。それに、俺は世界一なんて次元を求めちゃいねぇ。世界なんざ比較対象にするな。神話さえも塗り替える、塗り潰す、アルティメット・ワンを創り上げろ』


『優しさが無いな、本当に。でもそんなもんか。―――それじゃあ、』


『……』


『―――始めようか。幾千回雷に撃たれようとも砕かれず、幾億年荒波にもまれようとも朽ち果てぬ、“存在すること”のみを追求した至高の剣。神話の物品すら凌駕する―――“永遠にそのままである剣”。万物総てに共通する時さえ斬り裂く一品は、お前にこそ相応しいよ』


『はっ』


『……うん、お前らしい。よし―――今から“普通”を、壊してみようか』


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「あの、姉御はどこに?」

「お……、う?」


 背後から声をかけられ、ヒダマリ=アキラは顔を拭っていたハンドタオルを取り零しそうになった。


 毎年『ターゲット』が設定されるタンガタンザの百年戦争。

 魔族側が破壊を目論む『ターゲット』を護衛すべく、ミツルギ家当主ミツルギ=サイガ率いる護衛部隊は、現在ミツルギ家で護衛のための訓練を行っていた。

 間もなく昼時を迎える頃、護衛部隊のひとり、ミツルギ=ツバキが声をかけてきた。

 僅かに褐色の肌で、頭にお団子を作っているツバキは、あくまでおずおずと、といった様子で首を傾けている。


 アキラは思わず周囲を見渡した。

 ミツルギ家の屋敷は、まず矢倉などひしめく広大な庭と共に堅牢な城壁に囲まれている。

 そしてさらにその周囲は深い外堀となっていた。おおむねアキラのイメージする屋敷の姿をしているのだが、城壁、そして屋敷とほぼ全てが鉄製で、夏の強い日差しを乱反射している。

 メタリックで、形状以外住居とはかけ離れた有り体の、鉄の塊。

 その屋敷の外堀の周りを8分の1ほど走るのは、昼食前のクールダウンとしてメンバーの日課となっている。日に焼けた鉄の臭いや熱に体力が根こそぎ奪われるこのメニューは最早クールダウンでは無いとアキラは思っていた。


 丁度今ランニングを終え、アキラは首にかけておいたタオルで顔を拭いていたのだが、気づけば隣を走っていた少女が消えている。

 アキラは未練がましく屋敷の門を眺めていたが、やがて諦め、目の前のお団子頭に顔を戻した。


「いや、分からないけど……。ま、まあ、屋敷に戻ったんじゃないか?」


 アキラの返答に、ミツルギ=ツバキは困ったように眉を寄せた。

 アキラを含め僅か6名のこの護衛部隊の訓練が開始してから1ヶ月が経過している。

 しかし、アキラがツバキと会話したことなど軽い挨拶を含め数えるほどしかなかった。

 特訓開始初日、大まかな今後の行動指針が定まった後、『姉御、ご無沙汰しています』とアキラの仲間に声をかけてきたのが最も言葉を交わせたときであろう。

 簡単な自己紹介程度で終わったツバキとの会話を、すでにアキラは忘れかけていた。

 確か彼女は―――従者、だったか。特訓を行わず、ミツルギ=サイガと共に主に戦略面の方針を定めている男の。


「そ、そうですか……。お昼一緒に食べるはずだったんですが。分かりました、探してみます。ありがとうございました」

「あ、ああ」


 ここは“非情”なタンガタンザだというのに、この畏まり様。

 随分と礼儀正しい応答に、アキラはしばし呆然としていた。

 アキラと言葉こそ交わしていないが、彼女の行動言動は脳裏に刻まれている。

 ミツルギ=サイガに怒鳴り、時には自身の主君にさえも叫んでいるようなツバキを、アキラは心の中で別行動中の仲間と重ねていた。

 しかしどうやらそれは、あらゆる人間を前に共通して見せる顔ではないらしい。

 こういう性格を、内弁慶、と言うのだろうか。

 どうやら彼女に不名誉極まりない愛称を付けていたのを謝らなければならないようだ。

 よく行動を共にしているのを見かける“姉御”の前では、彼女はまた違った一面を持っているかもしれない。


「あのピコピコ頭なら、ランニング前にあの髭面当主に呼ばれてたぞ。終わったら戻ってこいってよ」


 そこで、横から声が入った。

 バンダナのような白い鉢巻きを頭に結び、黒い短髪を風になびかせている体格のいい男―――グリース=ラングルは、顔の汗を手のひらで乱暴に拭い、のそのそと近付いてきた。

 1ヶ月に爆発しかけた彼の感情もなりを潜め、元の性格なのであろう中立的な雰囲気を纏っている。

 時間というのは不思議なものだ。

 どれほどの激情でも時間と共に風化し、今ではアキラと共に昼食をとるのが日常となっているほどだった。

 もっとも、ツバキが久方ぶりに会ったという“姉御”を引っ張り回しているせいで、あぶれた2人組が行動を共にすることが多いというだけなのだが。


「そうですか……、困りました。どうしよう。この時間、クロック様も忙しいらしいし」

「それなら、たまには一緒に昼行くか?」


 自らの主君の名前を出し、悶え出したツバキをグリースが投げやり気味に誘った。

 グリースに軽く視線を向けられ、アキラは即座に頷き返す。

 丁度折り返し地点を向かえている今、というのも妙な話だが、初めてツバキと行動を共にできる。マンネリ化していたグリースとの昼食に刺激が加わるのは、アキラとしては大歓迎だった。


「わ、分かりました。お供します」


 ツバキの返答を受け取り、アキラたちは歩き出した。

 向かう先は屋敷では無く、“ミツルギ家”という巨大都市の商店街だ。


「そういやよ、ヒダマリ。そろそろか?」


 結局いつもの昼食屋になるのだろうとアキラが店のメニューを頭に並べ始めたとき、グリースがパーカーのポケットに両手を突っ込みながら訪ねてきた。

 並んで歩くアキラとグリースの後ろでは、ツバキが黙り込んで付いてきている。


「ん? 何がだよ?」

「だから、手紙だよ手紙。あのピコピコ頭言ってたじゃねぇか。そろそろ逸れた仲間から連絡くるんじゃないか?」

「…………あ、おう、そうだな。そういやそうだ」

「嘘だろお前……」


 歩を進め続けると、燃えるような熱を放つ鉄の屋敷からこぞって距離を取った露店の並びに辿り着いた。

 ここまで来ると、屋敷の熱気がようやく薄れ、代わりに喧騒交じりの熱気に包み込まれる。

 戦争中だというのに、いや、戦争中だからこそ活気があるのか、店主たちはこぞって声を張り上げ資金集めに躍起になっていた。

 この1ヶ月でとっくに見慣れた光景だが、やはりどんな環境であろうとも、人が集まり人が営むというのはこういうものなのだろうと感慨にふけられる。

 アキラは何となく目に止まった露店の剣を流し見て、グリースに顔を向けた。


「いや、忘れてたわけじゃねぇよ。でも、早くても1ヶ月、とか言ってたんだ。それも向こうが同じようにリビリスアークに手紙を出してた場合、だ」

「ふーん……、まあ、どんな奴らか知らねぇが、無事なんだろうな」

「……多分。あれ、つーかお前、会ったこと無かったっけ?」

「あ? …………って、あれか、あの赤毛の女か」

「ああ、そいつ」

「あいつ洒落にならねぇぞ。あの後、奴が俺の鎧ベコベコにしたせいで脱ぐのにどんだけ時間かかったと思ってんだ」

「ほう」


 そういえば“あの夜”のことはお互い詳しく話し合っていなかったな、とアキラは記憶を呼び起こす。

 ヒダマリ=アキラとグリース=ラングルが初めて出会い、そして剣を交えたあの奇妙な夜。

 会話の流れで辿りついてしまったが、どうやらグリースの中でその日のことはタブーというわけでは無かったらしい。

 むしろ現在タブーなのは、あの奇妙な夜でアキラが出会った、もうひとりの人物―――か。


「“リンダ”はよ、手伝いもしねぇで声上げて笑ってた」

「……そっか」


 意図してか、グリースはそのタブーを口にした。

 毎年『ターゲット』を設定して繰り返される、タンガタンザの百年戦争。

 アキラたちが参加する、今年の『ターゲット』は―――リンダ=リュースというひとりの女の子。


「手紙も、送れないんだっけか」

「ああ。あの髭面当主は、むしろ辛くなる、だとよ。希望が僅かでもちらつくと、一気に崩れるそうだ。狂った状況では、狂った環境にいた方がいいらしい」


 ミツルギ=サイガがそう言っていたのを、アキラも聞いていた。

 絶望的な状況に追い込まれたとき、その状況を近しい人物に知られるのが最も辛い種類の人間がいると言う。

 弱音や不安を打ち明けるのに最も適任なのは、むしろ赤の他人だ。

 だから占い師や人生相談などという職業が存在し、そしてそれは多くの人に求められるのだろう。


 しかし他人にのみ囲まれている―――狂った環境、か。

 アキラはそれを、とても不憫に思う。

 だがそんな想いこそが、リンダ=リュースを苦しめるのだろう。

 最も辛いのは、他ならぬ彼女なのだから。


「ま、とにかく今はメシだ。ヒダマリ、お前今日何にする?」

「あー、行ってから決めるわ。てか、マジでまたあそこか? たまには別のとこ行こうぜ」

「……まあ、そうだな。えーと、お前は何が良い?」


 そこでグリースが振り返り、ツバキに要望を訊ねようとしたところで、


「……マジか」

「ははっ、はははっ」


 アキラは笑い声を上げた。

 しかし目は、全く笑っていない。

 “捉えるべき者が存在しない”瞳を伏せ、額に手を当てた。


「あいつ、どこ行きやがった!?」

「やっぱティアだ、あいつ、ティアだ、はははっ」


 狂ったようにアキラは嘆いた。

 今から始まるのは昼食ではなく、迷子捜索。


―――***―――


 アルティア=ウィン=クーデフォンが、消失した。


「ぶっっっ、ぶばおぉぉぉおおおおおおーーーっっっ!!!?」

「ティア!? ティアァァァアアアーーーッッッ!!!!」


―――マグネシアス修道院。


 北の大陸―――モルオールとタンガタンザの境に存在するこの建物を訊ねる者はそう多くない。

 モルオールとタンガタンザの大陸は、それぞれ大陸の境に向かうほど細くなり、上空から見れば橋がひとつかかっているような形状をしている。そしてその境から始まって、モルオール側には高度数千メートルにも及ぶ山々が連なっていた。

 それだけでもタンガタンザからモルオールへの陸路は億劫であるというのに、その上極端に気候が変わる。

 モルオールへの第一歩を踏み出した途端、洗礼のように容赦無く大雪が吹き荒れ、旅人の視界を白一色で染めてしまうという。

 年中吹雪というわけでもないのだが、予兆無くそこまでの天災に遭うとなるとまともな人間ならば陸路は使わない。タンガタンザからモルオールへ向かうのは陸路では無く海路を使うのが一般的で―――そして、まともな人間ならば一般的にモルオールへは向かわない。

 生まれた頃から百年戦争に見舞われているタンガタンザの“洗練された人間”でさえ、モルオールに向かうことは“危機から逃れたことにならないのだ”。


 “魔物それぞれが一騎当千”。

 堅牢な城壁さえ暇に崩され、歴戦の兵すら骸に変わり、辛うじて生存できるのは“神族”から特殊な防御機能を承った町村のみ。それでも時には攻め込まれ、またひとつ、またひとつと村々が消えていく。

 命知らずの腕試しでさえ選定されないモルオールは、戦争の舞台であるタンガタンザさえも凌駕し、生息する魔物の危険度は4大陸の頂点に立っていた。

 人々がどれほど対策しようとも、魔物の能力はそれを上回る。

 人々がどれほど結束しようとも、魔物の軍政はそれを上回る。

 人々がどれほど成長しようとも、魔物の脅威はそれを上回る。

 モルオールは4大陸随一の魔道士隊数を有する大陸であるが、それでも拮抗するのが精一杯であった。


 常に末路と隣り合わせの極北の地。

 そんなモルオールが“過酷”と呼ばれているのは、あまりに自然なことだった。


「いだだっ!? そこっ、なんか、何かありましたっ!! すっ、ねっ、をっ……!!」


 話戻って、ティアことアルティア=ウィン=クーデフォンが、泣き喚いた。

 エリサス=アーティとアルティア=ウィン=クーデフォンがマグネシアス修道院に保護されてから、1週間が経過していた。

 この修道院はモルオールとタンガタンザの境にあり、山の腹部に存在する巨大な建物である。

 背こそ高くはないものの、一際大きい聖堂の建物から左右に連なって建物が展開し、それぞれ数百メートルほど伸びている。正面から見て奥は、くり抜いたのか山の“中”に建物が建築され、丁度山に埋まり込んでいるような形状をしていた。

 現在は運よく天気は崩れず、昼の太陽が上っているが、曇ればマグネシアス修道院はその姿を山の中に隠し込んでしまう。


 ただでさえ年中雪に埋もれているこの修道院を発見できたのは、この2人にとって幸運なことだった。


「~~~っ!! ~~~っ!!」

「……大丈夫?」


 エリーことエリサス=アーティは悶絶しているティアを見下ろし、目を細めた。

 マグネシアス修道院の正門付近には、一段下ったような浅い崖がある。

 深雪に囲まれている庭を不要にうろつくと、“丁度小さい子供”には大変危険なのだと教わった気がしたのだが、エリーがこの光景を見るのは僅か1週間で4回目。

 今日は見事なヘッドスライディングを決めていたようだ。

 目の前で人が消失すると、何度見ても心臓が止まりそうになる。


「はあ。捉まって」


 エリーは白い息を吐き出しつつ、慎重に足場を確保し一段下のティアに手を伸ばした。

 顔面を地に擦りつけて滑り落ちたのか、顔をしもやけで真っ赤にしたティアは、何とか上りきると鼻をグズリと鳴らして涙ぐんだ。

 防寒対策に羽織った、ティア風に表現すればもこもこした分厚いコートごと全身雪まみれになり、ティアはぼそぼそと言葉を漏らし始めた。


「違うんですよ」

「いや、何が?」

「あっし、子供じゃないです。だから、転んでないです」


 まずい、頭を打ったかもしれない。

 エリーが助けを求めて周囲を見渡しても、雪、雪、雪。

 結局座り込んで顔を上げないティアを見下ろし、それが注意を受けたときのことが尾を引いているのだと思い至り、もう1度助けを求めて周囲を見渡した。

 この子供を、誰か止められないのだろうか。

 何度注意しても、何故かティアは外に出て、気づけば転んで泣き出している。

 すると、丁度その注意を促した人物が近付いてきた。


「エリサスさん。……それに、やっぱり。アルティア」


 挨拶のような口調から、咎めるような口調に変わりつつ、その女性は2人の名を呼んだ。

 シミひとつない白と紺の修道服に膝までのコートを羽織り、ウェーブのかかった黒髪を背に垂らしている女性は、カイラ=キッド=ウルグス。

 彼女は1週間前、エリーとティアの2人を快方したばかりか、修道院に保護するように修道院長にかけ合った人物だ。

 行く当ても分からないエリーとティアはその好意に甘え、修道院の掃除等雑用を引き受け、宿泊を許可してもらっている身分である。

 エリーとティアは大恩を感じているのだが、どうやら彼女は子供に対して過保護な面があるらしく、エリーとティアで扱いが違った。


「さて、アルティア。わたくしの注意を覚えていますか?」

「……違います。あっしの名前はティアにゃんです」

「そんな名称の人物が実在したら、名付け親は天罰物の出来事です」

「じゃ、じゃあこれは天罰……!! っぅ……」

「あなたが名付け親ですか」


 カイラは立ちくらみを起こしたかのように額に手を当て、困ったようにエリーに顔を向けた。


「エリサスさん、あなたからも言って下さい。この辺りは雪が深くて……、本当に危険なんです。こう外ばかりにいられては、わたくしはとても気がかりです」

「えっと……。まあ、言ってはいるんですけどね」


 エリーは愛想笑いを浮かべつつ、カイラをティアから離すようにさりげなく修道院へ歩を進めた。

 落ち着いていて、静かな口調。

 どこか神秘的な雰囲気の彼女は、ティアと正反対の人間に思えた。

 そんな彼女はティアに接するとき、どうも躾けるような態度になるのだ。今もエリーに誘導されてティアから離れてはいるが、その視線は子供を見守るように動かない。

 それが、常日頃から『子供じゃないです』と言っているティアにとって面白くないのだろう。

 ただ、エリーから見れば『子供じゃないです(笑)』なティアに接する態度は至極自然なことに見えた。

 かと言って、エリーが親のように接されても困るのだが。


「エリサスさん。逸れたお仲間からのご連絡は来ますかねぇ」

「えーと、まだ……」

「いえいえ、そういう意味ではありません。催促しているわけではなく、お仲間の身を案じての言葉ですから。こんな場所ですし、連絡も大分先ですよね」


 本当にありがたい。

 エリーがマグネシアス修道院で目を覚まして最初に行ったのは、現状把握と手紙の作成だった。

 宛先は勿論リビリスアークの孤児院。

 メンバー内に自分以外には定期的に手紙を出している者はいない。

 必然的に宛先は、各メンバーの連絡の中継地点になるのはあの孤児院以外に有り得ないのだ。

 しかしそうなると、最も気がかりなのは“あの男”。

 ティアと2人先にあの煉獄から退場したエリーにはとっては、どうかサクと行動を共にしているようにと祈るばかりだ。

 サクはともかくあの男がひとりなら、リビリスアークの孤児院を思いつくのにはどれほど時間を費やすのだろう。

 最悪気づかず、この広い世界を虱潰しに歩き始めているかもしれなかった。

 念のためにティアの自宅や、駄目元だがシリスティアで知り合った魔術師隊のサテナ=アローグラスという女性などにも情報を求めて手紙を出したが、応答は無い。

 もっとも、1週間程度では手紙が向こうに届いてもいないであろうが。


「連絡、来るといいですね」


 エリーの表情に釣られたのか、カイラもどこか遠い目をしていた。


「聞けば、“魔族”の襲撃に遭ってここに辿り着いたとか。その上、モルオールとは。ここの交通は不便ですし……。あなた方の旅も、“過酷”なのですね」


 カイラは祈るように胸の前で手を組んだ。

 この1週間、よく見る彼女の崇拝の姿。

 エリーの知る限り、彼女は毎晩、ひとりになっても聖堂の中で祈っていた。


「……カイラさんは、ここで生まれたんですか?」


 言葉のニュアンスが気になり、エリーは訊ねた。

 この1週間。

 修道院の仕事を覚えるのに大忙しで、結局お礼程度でカイラと深い話をしていない。

 今が好機だ。


「ええ。わたくしは生まれも育ちもここです。ただ、ごく稀に来る旅人様にお話を窺っていて……」

「山を下りたこととかないんですか?」

「何度もありますよ。麓に遭難者を届けたり、麓に郵便物を運んだり、麓から郵便物を持ってきたり」


 彼女はこの山を登り下りしているのだろうか。

 エリーは僅か驚き、しかし本題はそれではないと話を続けた。


「他の場所、旅行してみたいとか思わないんですか?」

「いいえ、決して。わたくしはここで、神に仕える身ですから」


 カイラは断言した。


「ただ、そうですね。シリスティアには夜の訪れない巨大都市があるとか」

「じゃあ、シリスティアには行ってみたいんですか?」

「いいえ、決して。わたくしはここで、神に仕える身ですから」


 カイラは断言した。


「ただ、そうですね。アイルークでは緑一色の大自然が広がっているとか」

「……アイルークには、行きたいんですね」

「いいえ、決して。わたくしはここで神に仕える身ですから」

「行きたい気持ちが漏れてます」


 エリーは断言した。


「まあ、その、ですね」


 カイラはこほりと咳払いをし、


「確かにわたくしは神に仕える身です。だけどもし、仮にです。わたくしがどうしても外の世界に行かなければならないようなことがあれば……、仮にですよ? そうなれば、一時的に神のお導きにしたがうのもやぶさかではありません」


 どれほど落ち着いていようとも、やはり年頃の女の子ではあるのだろう。

 助けられてもらっていて何ではあるが、実際エリーとってこの修道院は刺激が薄すぎた。

 山を探索するのは流石に“過酷”だそうで、この1週間エリーは日課の鍛錬程度しか行うことが無く、目的を求めているところだった。

 田舎で育った身ではあるが、そこから飛び出た外の世界は、常に刺激に満ちていたのだから。


「……カイラさん、魔術師ですか?」

「魔術師? いえ、わたくしは神に仕える身です」

「魔術師もそうなんですけど……、いや、属性、とか。魔術は使えますよね?」

「ええ。水曜属性です。それが何か……?」


 当てが外れ、エリーは愛想笑いで話を切った。

 色々有り過ぎて忘れていたが、自分たちが世界を旅して回っているのは仲間集めが目的である。

 アイルーク、シリスティアと旅を進め、今はとうとう4大陸最強の大陸モルオール。

 結局調子が良かったのはアイルークだけで、その後仲間は増えていなかった。

 こんな調子で、七曜の魔術師を集めることはできるのだろうか。


「属性のことで何かお悩みでもあるんですか?」

「ええと……、あの、」


 もういい。

 破れかぶれだ。

 エリーは流れのまま自分たちの要望を口にした。


「カイラさん、……えっと、木曜属性の人とか知ってます? あと、土曜属性とか」


 月輪属性は最初から口にしない。

 “当て”ならばあるし、何より、はいそうですかと用意できる存在ならば、世界をぐるぐる周る必要などないのだから。


「木曜属性……ですか。流石に知りません」


 流石に難しい注文だったか。

 エリーは頭を抱えた。

 例外の2属性を除いた5属性。

 その中でも希少性も、そして能力も随一と言われる木曜属性は、そう簡単に見つからない。

 エリーの中で最も気がかりなのは、当てのある月輪属性を超えて、木曜属性であったりもした。

 外界から切り離されているこの修道院の者に聞いても、希望の答えなど返ってくるはずもない。


「ただ、」


 しかしカイラは、言葉を続けた。


「土曜属性の方であれば、この修道院にも噂は届いています」


 ピクリとエリーの耳が動いた。

 土曜属性。

 木曜属性に次いで希少性の高い、強力な属性。

 エリーの頭に情報が浮かび、思わず顔を上げると。


 カイラは、眉を潜めていた。


「あくまで、噂です。ただ、この修道院にまで轟いたとなると、ある程度信憑性はあるかと」


 エリーは話を促した。

 カイラの雰囲気は妙だが、土曜属性の者の情報は可能な限り集めておく必要がある。


「少し前、中央の大陸に配属された天才魔道士の噂が流れたことがあったでしょう? 入隊後僅か1年で、激戦区の魔道士隊に配属されたと」

「え……ええまあ」

「ですが、それよりも僅かに前。このモルオールでも魔道士に昇りつめた方がいたそうです。もっともその方は、入隊してから1年と少しかかったそうですが」

「―――、」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

 全世界に噂の流れた、激戦区の天才魔道士。

 その人物はエリーもよく知っている。あまりに異例過ぎてどこまでも噂であると言われているが、それが確たる事実であることをエリーは知っていた。

 しかし、もうひとり。

 もうひとり、“そんな異常者が存在するのか”。

 凡人にとって、魔道士に辿り着くのに、1年であろうが1年と少しであろうが関係は無い。

 魔術師試験に合格し、成果を出し、その上で最高難易度の試験を通過して辿り着くのが魔道の最高峰―――魔道士。

 そんな領域に、1年程度で到達できるわけがないのだ。

 ひとりの例外を知っているエリーであっても、その認識は変わらない。


 5年で天才。

 1年は―――“異常”、だ。


「噂じゃ、ないんですか?」

「いや、あくまで噂……、です。わたくしも何度か魔道士試験の問題集を読みましたが……、まあ、そ、そこそこ、難しいですし」


 ちなみにエリーは、魔道士試験の問題は解読不能だった。

 知っている単語が答えに載っていると少し嬉しくなる程度だ。

 その下の魔術師試験に1度落ちているエリーにしてみれば、雲の上の領域である。


 しかし仮に。仮にその人物が、“とある男”の良く分からない運気で巡り合うことになれば、このメンバーに増えるだろう。

 相手が魔道士隊では信じられないが、そんな常識はエリーの中でとっくに崩れ去っている。


 そんな天才がメンバーに追加されれば―――解説役では4人の中で優位に立っていたエリーにとって由々しき事態である。


「まあ、とにかく。その方は土曜属性だそうです。前にここを見回りに来た魔術師隊の方から聞きました。まあその方々も、半信半疑だったそうですが」

「ふふ……ふふふ。あたし、決めました」

「?」

「目的です。連絡来るまでに、めちゃくちゃ勉強して……、めちゃくちゃ勉強します」

「……は、はあ。あ、それでしたら、修道院の書庫に行かれてはいかがですか? 多くの古文書が眠っていますし」

「あるんですか……!?」


 ええ、と頷くカイラに、エリーは拳を握った。

 なんだ、やることはいくらでもあるではないか。

 エリーが、出会ってもいないまだ見ぬ天才に対抗心をゴゴゴッと燃やしたところで、


「ぶっ、ぶばぁぁぁあああーーーっ!!!?」

「ティアッ!? ほんとに何やってんの!?」

「えっ!? またうろつき回ってたんですか!?」


 彼女は一体、何をやろうとしているのだろうか。


 ともあれ。


 アルティア=ウィン=クーデフォンが、消失した。


―――***―――


「ん? 誘拐されたんじゃね?」


 慌てて屋敷に戻ったら、これである。


 ヒダマリ=アキラは目の前の髭面男の頬を眺めた。

 筋肉質で長身のこの男にストレートを決められれば、大層気持ちが良いであろう。

 タンクトップにダボダボのズボンを纏い、口調とは相反して猛々しい筋肉を覗かせているこの男は、ミツルギ家当主ミツルギ=サイガ。

 現在ミーティングルームとして指定されている一室で何かの書類を読みながら軽食をとっていた。


 もぐもぐと動く頬と共に上下する瞳はいかにもやる気な下げで、飛び込んできたアキラのテンションも同時に下がる。

 だが、矛盾したことにボルテージは上がるのだ。

 奴を襲え、と。


「今グリースが街を探している。てか誘拐? 何だよそれ」

「誘拐くらい知っているだろう。異世界には無いのか? いやんなわけねーよ。話を聞く限り、俺らの祖先とヒダマリ君の元の世界は結構似ている。同じかも」

「……もういい。サクはどこだ?」


 アキラはサイガの協力を得るのを放棄し、最低限の情報を求めた。

 どの道、失踪者の探索には人手が不可欠だ。

 アキラとグリースが昼食に誘ったミツルギ=ツバキ。

 彼女は街中で消失した。


「サクラちゃんはクロッ君と出かけてるよ。ほら、君の武器の件だ」

「あ、ああ」


 言われ、アキラは自分が強く出られない立場の人間であることを思い出した。

 ヒダマリ=アキラの“予兆”は、本格的な鍛錬が始まったときから発生している。


 “魔術使用時の武具の破損”。


 アキラが使用できる魔術の中で、使用頻度が著しく高い2つの力。

 日輪属性による火曜属性の再現。

 日輪属性による木曜属性の再現。

 この両者と共に武具を振るえば、木刀はもちろん鋼鉄製の剣まで吹き飛ぶ始末である。

 特に酷いのはアキラが最も得意とする火曜属性の再現で、世界随一と言われるタンガタンザ製の剣でさえ、耐えたのはほんの数発程度であった。

 こうなれば、少なくとも戦争中は火曜属性の再現は封印するしかないのではないかとサクから打診されたとき、ミツルギ=サイガが提案したのだ。


 精度の高いタンガタンザの市販品で無理ならば、ヒダマリ=アキラのために新たな武具を作成しよう―――と。


「まあ、戦力が増加するのは俺にとって大歓迎さ。腕のいい職人ならタンガタンザに溢れ返っている」


 サイガは資料に目を落としながら呟いた。

 そういえば、クロック=クロウというミツルギ=ツバキの主君が言っていた。

 ミツルギ=サイガを信用して良いのは、利害が完全に一致しているときのみだと。

 どこか胡散臭いこの男だが、正に今がそのときなのだろう。


「でもさ、」


 しかしアキラは、それでも疑念が尽きなかった。

 自らの剣がオーダーメイドされるというのは心躍るものがあるのだが、今までの経験上、剣は振るえば砕ける物体といういささか常識から外れた発想が頭の中にこびりついていた。


「本当に武器で解決するのか? 前にサクに言われたんだよ。武器の破損は、俺の魔術制御が下手だから起こっているって。俺この1ヶ月、魔術方面の特訓とかしてないぞ?」

「かっかっかっ、舐めるな舐めるなタンガタンザを。その辺の修行中の奴捉まえたって、一級品の武具ができる。他の大陸と一緒にするなって。サクラちゃんだって結構期待してたし」


 サイガは笑って資料をまくった。視線は微塵にもアキラに向かなかったが、随分と自信があるようだった。

 とりあえずはサクを信じて、任せておいてもいいのかもしれない。


「ヒダマリ君」

「ん?」

「あんまりサクラちゃんに頼っちゃダメだよぉ。あの娘はほんっっっとうに“下手”だから」


 一瞬心が読まれたのかと思った。

 だが、サイガは顔も上げず、のんびりとした様子のままだった。

 やはりこの親子は、互いの信頼関係というものが築けていないのかもしれない。


「それよりヒダマリ君。ツバキちゃんの方はいいのかい?」

「あ、そ、そうだよ。誘拐? それって、」

「質問がループするな。嫌いな言葉だ。まったく駄目だなぁ、そういうのは。誘拐くらい知っているだろう。異世界には無いのか? いやんなわけねーよ。話を聞く限り、俺らの祖先とヒダマリ君の元の世界は結構似ている。同じかも」

「お、い」


 アキラができる限りの殺気を飛ばすと、サイガはようやく資料から目を離し、アキラに視線を向けてきた。


「誘拐は誘拐だよ。タンガタンザは知っての通り“非情”でね。人攫いなんて日常茶飯事さ、金になるし。タンガタンザは広いからねぇ。街も何もない広大な自然が広がっている。逃げられたらお終いかな」


 ほぼ全域に戦争の爪痕を残すタンガタンザ。

 しかしそれは裏を返せば管理されていない土地が広がっているということにもなる。

 そのため、焦土と化したタンガタンザの大陸には、多くの旅団とも言うべき存在がうろつきまわっているそうだ。

 戦火の中のそうした存在には、人間の逞しさが感じられるが、中にはよこしまな目的を持っている旅団もあるという。

 “しきたり”を度外視した大陸内では、営利目的に誘拐を目論む者たちもいるのかもしれない。


「じゃ、じゃあやばいじゃねぇか。今すぐ探さないと、」

「なーに言ってんだ。ツバキちゃんが誘拐されたんだろ? ほっとけほっとけ」

「おい、それでもお前、あの娘の伯父かよ。街から離れられたら、」

「だからなーに言ってんだよ。ツバキちゃん舐めたら駄目だって。あの娘、そこそこ強いし。しばらくしたら戻ってくるって」


 あ、とアキラは言葉に詰まった。

 小さな子供が誘拐されたと聞き取り乱したが、よくよく考えればミツルギ=ツバキは、1ヶ月後には魔族一派と戦闘を行うメンバーの一員だ。

 そこらの誘拐犯に敗れるようなことは無いだろう。

 ようやく、ミツルギ=サイガの余裕の根拠が読み取れた。


「それより、重要なのはこっちだ」

「?」


 サイガは、手に持った資料をぱさりと机の上に投げ、大きな伸びと欠伸をかました。


「これは?」

「敵勢力の分析だよ。魔族側の陽動グループに妨害グループ。今んとこ、うちらの戦力とぶつかった相手の数から分析しただけだけど」


 そういえば。

 ミツルギ家は現在戦争中。

 アキラたちが魔族戦に備えている間に、タンガタンザの裏側では激戦が繰り広げられているのだ。

 特訓中、まれにしか姿を現さないサイガをツバキ辺りが非難していた気がするが、サイガもサイガでミツルギ家当主としての仕事が山積みなのだろう。

 アキラはおずおずと投げられた資料に目を落とした。

 そして、サイガは特に感想もないような口調で、敵勢力の分析結果を口にする。


「魔物の総数は、例年通り大体20万から25万匹、ってとこかな。“知恵持ち”は確認されているだけで2体。“言葉持ち”の確認は無いけど……どうせレポートを持ち帰る前に潰されているんだろう。1体、かな。例年通りだ」


 さらっとした口調から出たその数に、アキラは一瞬固まった。

 25万匹。

 5万超よりなお多い―――25万。

 日常会話で出てきて良い数ではない。


「ん? だいじょーぶだいじょーぶ。今年は結構優勢でね。もう10万近く削ったよ。残りは15万匹。最終戦間近にはもっと削るよ。まっかっせんしゃいっ、ってね」


 任せるのは、クロック=クロウ曰く、サイガに洗脳されたカラクリのような軍隊なのだろう。

 10万削ってもまだ半数以上戦力を残す敵軍に、アキラは眩暈に近いものを感じ、考えるのを止めた。

 特に、人間側に出た被害を。


 敵残存勢力。


 魔物―――150000匹。


 知恵持ち―――2体。


 言葉持ち―――1体。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


「まあ、今はとりあえずツバキちゃん探してきてくれ。午後の予定も山積みだ」

「分かったよ」


 サイガがそう言うのであれば、ミツルギ=ツバキの身の安全は保証できるのだろう。

 一応利害は一致している。

 今頃街を走り回っているグリースにもそのことを伝え、後は手早くツバキを探し出すだけだ。


「まあ、血眼になる必要はないさ。あの娘は単純だから騙されやすいけど、本格的にやばくなったら…………あ」

「あ?」


 のんびりとした口調のサイガが固まった。

 アキラは思わず強い口調で疑問符を投げる。


 するとサイガはミニゲームにでも負けたかのように額に手を置き、目をきつく閉じた。

 嫌な予感がふつふつとアキラの脊髄に昇ってくる。


「やべーやべー。そういや割かし有名な人攫い集団がミツルギ家に入ったって聞いた気がする。結構有能らしくてね。いやいや、我らが護衛部隊に入って欲しいくらいだ」

「ざっ、ざけんなてめぇぇぇえええーーーっ!!!!」


 ズダダダダダダーーーッ!! とアキラは駆け出した。


 タンガタンザ物語の一間。

 こんな下らないことで、人ひとりが消失するなど許せるわけもない。


「んー、武器の破損」


 ミツルギ=サイガはアキラが去った部屋の中で、再度身体の節々を伸ばした。

 そして静かな動作で机に投げた資料を纏めると、目を細めて窓を眺める。


「そっして誘拐事件、か。2年前を思い出すなぁ」


―――***―――


「ぜえ……ぜえ……ぜえ……」

「ぜえ……ぜえ……ぜえ……ごほっ、」


 指だけで目先の小道を示された。

 ヒダマリ=アキラは首を振る。

 そして、同じように指だけで目先の小道を示した。

 グリース=ラングルは首を振る。


「もう無理だろ……。今日ランニングのメニュー多くね?」

「お前はまだいけんだろ。俺なんかあのバカでかい屋敷とここを往復してんだぞ」

「てめぇがあの髭面当主に会いに行ってる間、俺はずっと走りっぱなしだった」

「いや、俺はあの人と話している間、実はその場でジョグをしていた。俺の方が疲れてる」

「もっとマシな嘘は吐けねぇのか」


 息継ぎの間に下らない言い合いをしながらも、アキラと合流したグリースはミツルギ家の街を走り回っていた。

 時刻は正午を回ってから―――ミツルギ=ツバキが消失してから1時間ほど。

 未だ強く照りつける太陽に、身体中から汗を噴き出しながらも懸命に捜索を続ける2人であったが、手掛かりは依然として存在しなかった。


「はあ……、はあ……、落ち着いて考えようぜ。俺らがあの子を見失ったのはこの辺だ。つまりこの辺探せば、絶対に手掛かりが、」

「ヒダマリ。それ言ったのは何度目だ?」

「うぅ……。意識が朦朧としてて分からない……。だが、2桁には達しているはずだ」

「何が落ち着いてんだお前!? もうこの辺俺らのお気に入りスポットになってんじゃねぇか!!」

「だから落ち着け。こういうときに一番危険なのは、取り乱して無意味な行動を繰り返すことだ」

「なら今が一番まずい」


 結局のところ、2人がやっているのはツバキ消失付近の全力疾走だった。

 しかしアキラの稚拙な行動にグリースは付き合わざるを得なかった。

 現状、策が無い。

 ミツルギ家という街は広大だ。万が一、ツバキが連れ去られた方向と逆に動けば完全に詰んでしまう。


「うるせーな俺だってパニック状態なんだよ。てか決定的にまずいのは、俺らに土地勘がまるで無いことだ」

「そこ行き着くのにどんだけ時間かかってんだよ。だが……、これだけ探していないとなると、もうこの辺りにはいないのかもしれない」


 稚拙な策でも、この辺りだけは虱潰しに捜索した。

 アキラは額の汗を腕で拭い、無駄と分かりつつも周囲に視線を走らせる。

 時たま慌ただしい自分たちに視線を向ける者もいるが、それもすぐ興味薄げに過ぎ去ってしまう。

 彼らはみな、自分のことで手いっぱいのようだった。


「きついのは誰に訊いてもガン無視だってことだ。“非情”なタンガタンザとはよく言ったもんだぜ」

「“俺が訊いても”、ほとんど差が無い。くっそ、商売相手にはニコニコすんのに……、あの食堂のおばちゃんの笑顔も偽物だってか?」

「日輪属性のスキルとか何とか言ってたな。ほんっとうに役に立たねぇな、それ」

「そもそもてめぇがあの子を誘ったからじゃねぇかっ!!」

「お前だってにこやかに同意してただろ!?」

「いや、俺は心の中では、え、危ないくね? 誘拐とかされたら……、って思ってた」

「おうおうヒダマリ君。今ここで決着付けようか?」


 ついに不毛な言い争いを始めた2人の喧騒すら、ミツルギ家の雑踏に埋もれていく。

 アキラは勢いそのままに屋敷を飛び出したことを本気で後悔した。

 正直なところ、自分が戻った頃にはグリースがツバキを見つけ出し、今頃は遅めの昼食でもとっているであろうと考えていたのだが、何もかもが甘すぎた。

 この広大な街を土地勘の無い2人で探すのは無謀過ぎる。

 ミツルギ家の屋敷で協力者を募るべきだったのだろう。

 今からでも遅くは無いかもしれないが。


「つーかよ、本当に危険なのかよあの団子頭」


 息も徐々に整い始めたグリースは壁に背を預け、太陽を睨みつけながら呟いた。

 強い日差しに顔をしかめながら、顔を拭う。


「相手はそこらの誘拐犯だろ? ぶっちゃけシリスティアでもそういう奴らはいた。あの団子頭が強えのか弱えのか知らないが、そんな奴ら蹴散らして戻ってくんじゃねぇか?」


 妙に緊張感が無いのもそれが原因なのだろう。

 ミツルギ=ツバキ。

 アキラが最初に思い至ったように、1ヶ月後には魔族一派と戦闘を行うメンバーのひとりだ。

 戦闘力は贔屓目に見ても上級に位置するはずなのだ。


「いや、俺は背後から襲われて縛りつけられでもしたら、見事に誘拐される自信がある」

「不安要素多過ぎだろこのメンバー……」


 と言っても、アキラもそこまで危険視はしていなかった。

 ミツルギ=ツバキはタンガタンザ出身だ。そしてクロック=クロウの従者である。

 ならば必然的に実力は伴っていなければならない。

 ミツルギ=サイガの緊張感が妙に薄かったことからも、致命的な事件で無いはずなのだ。

 だが。

 万が一、ということもある。

 日頃小さな子供を連れている身としてツバキに妙な親近感を覚えているアキラは、再度周囲に視線を這わせた。

 遠くに見えるミツルギ家の屋敷だけでは無く、商店に並べられた果実が強く光を反射し、街全体が輝いているように見える。

 しかしその影に、ミツルギ=ツバキは姿を消した。


「それで、どうする。もうワンセットやるか? ランニング」

「もうお前には任せらんねぇ。つーか俺らは俺らができる最大限のことはやった。一旦屋敷に戻るぞ。あの髭面当主に話してんなら今頃捜索隊でも編成してんだろ。貴重な戦力だ」

「あ、ああ…………ん?」

「そこの馬鹿2人」


 見覚えあるような顔が瞳に映ったと思ったら、罵倒された。

 しかしそれよりも、“このタンガタンザで話しかけられた”ことに僅か驚き、言葉が返せない。

 グリースも同じだったのか、声の主をいぶかしむも言葉を返さなかった。


 アキラとグリースの視線の先には、ひとりの若い女性が立っていた。

 目映いばかりに光が満ちるこの空間で、その女性が纏う白衣は落ち着いており、かえって目を引かれてしまう。

 あるいは、彼女はそれを狙っているのかもしれなかった。


「ん? ヒダマリ=アキラとグリース=ラングルで間違いないだろう。ミツルギ=サイガにそう言えば通じると言われたのだが」


 感情が無いような口調と共にゆっくりと歩み寄ってくる女性を見ながら、アキラは記憶の糸を辿っていた。

 やがてたどり着いた答えは、1ヶ月前。

 アキラがミツルギ家の屋敷で最初に目覚めたとき、確かにこの女性に会っている。


「休憩室にいた人です……、いや、休憩室にいた人か?」

「ん。ああ、そうだ。良く覚えているな。忠告も含めて」


 その女性は、ついにアキラとグリースの前に立つと、くいと顔を上げた。

 並んでみて分かったが、彼女は異常に小柄だった。

 病弱そうな細身の身体で堂々と立ち、白衣をはためかせて呟いた。


「うん、見上げるにはこの程度が限界だな。世の中には私の世界に収まらない大男がいてね」

「何の用だ?」


 感情の読めない彼女の呟きに、グリースは感情が分かりやすい口調で返した。

 すると彼女はコクリと頷き、言葉を紡ぐ。


「君たちが今言っていただろう。私がミツルギ=ツバキの捜索隊だ」


―――***―――


『ああ、ちょっとお譲ちゃん』


『ん? 何か?』


『悪いけど、ちょっとだけ時間をくれないか。おじさん、話したいことがあるんだよ』


『う……ん、申し訳ないけど、これからお昼ご飯なんです。あっ、2人とも気づかず歩いてる……。行かなきゃ。ごめんなさい』


『いやいや、ほんの少しでいいんだ。ほら、お腹が減っているならお菓子があるよ。こっちにおいで』


『わぁ……。い、いや、流石に先約を無視するわけには……』


『そんなこと言わずにさ。大丈夫大丈夫。おじさん怪しい人間じゃないから。ほら、玩具もあるよ』


『そうか……な?』


『そうだよ』


『う……う、し、しかし、駄目だ。やっぱり先約の方が大切だ。クロック様の言葉でもなきゃ、やっぱり行けません』


『…………そのクロック様からの言伝なんだ』


『なに? クロック様を知っているんですか?』


『うんうん、そうそう。クロック様とおじさんは知り合いなんだ。呼ぶように頼まれたんだよ』


『そういうことなら話は別だ。分かりました。それで、お話は?』


『ここじゃなんだから、……ほら、あそこに荷車が見えるだろう。座ってゆっくり話そう』


『……あ、2人に伝えなきゃ』


『ほら、飴をあげよう』


『わぁ……』


『ほら、こっちだよ……』


―――***―――


「と、いうことがあったのだろう」

「馬鹿すぎんだろあのガキ」


 現れた白衣の女性は、アステラ=ルード=ヴァロスと名乗った。

 冷静なようで単に感情が抜け落ちているだけのような彼女が淡々と語ったミツルギ=ツバキ誘拐事件の推測。

 それに真っ先に毒を吐いたのはグリース=ラングルだった。


 アキラたち3人は、現在雑踏に紛れミツルギ家を南下していた。

 時おり道行く人と衝突しそうになりながらも、アキラは目頭を押さえながら器用に歩く。

 グリースが口を開かなければ、アキラの口からもきっと似たような言葉が漏れていただろう。

 そしてそんな下らないことが発端で、街を駆けずり回ったともなれば疲労感も倍増だった。


「あくまでミツルギ=サイガの推測だ。だが、ミツルギ=サイガの読みに外れはほぼ無い。あの娘は少し特殊らしくてね」

「少し、ね……」


 今度はアキラが、アステラの言葉に脱力したような言葉を返した。

 しかし、流石に話は大げさだとしても、あの年頃であれば騙されやすい種類の子供もいるかもしれない。

 ツバキの正確な年齢をアキラは知らないが、大人にとって誘拐するには容易いターゲットに見えるのだろう。

 仮に自分が誘拐犯だとしたら、同じ手口でアルティア=ウィン=クーデフォンを誘拐する自信がある。


「恐ろしく馬鹿馬鹿しくて協力する気が一気に削がれたんだが……、それはともかくだ。こんなのんびり歩いていて問題無いのか? あの団子頭が誘拐されたのは確定っぽいんだろ?」

「それは問題無い。ミツルギ家の周囲には、“生存することの前提”に警備の力がある。簡単に言えば特定の時刻でなければ入ることも出ることもできない。この街は囲まれているんだよ」

「あー、そういや」


 アステラの説明に、グリースは頷いた。

 気を失ったままこの街に入ったアキラは見ていないが、彼も思い当たる節があるようだ。

 ただ少なくとも現在地からその囲いは視認できなかった。街外れにでも行けば分かるのだろう。


「まあ、とりあえず私たちには時間がある。ミツルギ=サイガの読みでは“誘拐犯”の脱出ルートはこの先だ。表立って街に入れない者たちが利用する、警備の緩いルートだ」

「閉鎖しとけよそんなとこ」

「ミツルギ=サイガがそうしているんだ。そういう者たちも街全体から見れば利益だ。ミツルギ家に住居を構えるタンガタンザの民は年々増加している。例えば30人誘拐犯が侵入して、街で必要品を購入し、子供ひとりが攫われたとすれば、それはやっぱり利益なんだよ」

「あーあ、死なねぇかなぁ、あの髭面当主。出来るだけ無残に」

「そうなればタンガタンザは即座に滅びるだろうな」


 不満をむき出しにするグリースに、アステラはやはり淡々と応じる。

 アキラはその様子を横目で見ながら、グリースと同じくサイガに僅かな怒りを覚えていた。


 そう。クロック=クロウが言っていた。

 サイガは人の人生を軽視する節がある―――と。


「そういやさ」


 脳裏に浮かべてしまった苛立ちにも似た悪寒を振り払うように、アキラはアステラに顔を向けた。

 病弱そうな顔がこちらを見上げ、一瞬倒れるのかと危ぶまれたが、アステラはそのまま静かにアキラの言葉を待っていた。


「アステラ、だったな。あんたはミツルギ家とどういう関係なんだ? 俺は医者だと思ってたんだけど、“誘拐犯”の捜索なんてさ」

「私は医者ではないよ。いや、あるいは医者だけではない、と言った方がいいか。“何でも屋”だよ。万屋とでも言い換えようか。ミツルギ=サイガは雇主ということになる」


 その割には街に出るのにも白衣を纏っているアステラは、アキラの視線に気づいたのか白衣の襟を整えた。


「本物の万屋には暇なんて無い。世界は常に歪んでいる。私はその隙間に入っているだけだ。そしてタンガタンザの隙間とは、やはり医療の需要なんだよ」

「……」


 間違いなく錯覚だが、アステラの淡々とした口調も、その病弱そうな身体も、薄そうな意思も、世界の歪みとやらに嵌り込むためのように思えた。

 温かさを感じる柔らかさとは違い、アステラには、傷口に塗り込む温度差の無い軟膏のような印象をアキラは覚えるのだ。

 そして今、アステラは医療の需要に塗り込まれていた。


 タンガタンザは、戦争を行っている。


「それで俺らはどうすりゃいい? 出入り口で待ち伏せて片っ端から捉まえていきゃいいのか?」

「君がそれでいいなら私は止めない。というか、それはいいな。私は別件でヒダマリ=アキラに話がある」

「ああ、それでいこう。昼もまだだし、俺はアステラとどっかで茶でも飲んでるよ」

「くそっ、マジな感じだと思って油断した」


 グリースがふてくされたところで、アキラは、はたとアステラを見た。


「え、俺に話?」

「ああ。話がある」

「話って……ん?」


 そこでアキラの眼に、“まさしく街外れ”が見えてきた。

 延々と街を歩いてきて数時間。

 太陽は沈みかけ、夜の帳が落ち始めている―――“街の境界線”。


「―――、」


 その先は、荒野が広がっていた。

 いや、荒れ地と言い換えた方が的確かもしれない。

 総てを握り潰したかのように地表が捲り上がり、大木を引き抜いたかのように随所が陥没し、荒波がそのまま凍りついたかのように脈打つ大地。申し訳程度に樹木が生え、いや、突き刺されているが、それらは総て砂地と同色だった。触れただけで砂城のように崩れるだろう。遥か遠方に見える山々など飾りに過ぎない。

 視界を埋め尽くし、それでも全貌を収めきれないその地形は、気候のせいでは無く、熱を帯びていた。

 この大地は、成れの果てですらなく、現在進行形で、死に続けているのだ。

 草原が破壊し尽くされたシリスティアの“鬼”の事件、あるいは世界最高の激戦区を思い起こさせる。

 夕焼けの朱に染まったその世界には、その色を浴び続けることが相応しいと、倒錯した感情を覚えさせられた。

 考えるまでもなくこれは―――戦争の、爪痕だ。


「どうかしたか?」

「……いや、ええっと、バリケードみたいなもん無くないか? これじゃ出入り自由だろ」


 アキラは誤魔化すようにアステラに問を投げた。

 タンガタンザの現状を物語っているこの光景を、アキラは今まで知らなかった。

 壊滅状態に陥っているタンガタンザ。ミツルギ家の中で守られていたアキラは、その一端に触れることすらなかった。

 ミツルギ家を訪れる者は多いと言う。こんな大地を踏み締め、歩き出せる人間がいるのかと疑いたくなるくらいだった。

 同時にぞっとする。

 何の比喩でも無く、この大陸で、自分は死と隣合わせだったのだ。

 そして恐らくは、自分がタンガタンザに訪れてから、隣り合わせの“それ”と出遭ってしまった者もいただろう。

 それなのに、自分たちは死から隔離され、1ヶ月後という遠い未来に備えている。


「ヒダマリ=アキラ。あと1歩進むと、」

「?」

「死ぬ」

「死っ……!? えっ、何が!?」


 びくぅっ!! と、熱に吸い寄せられるように荒れ地に近付いていたアキラは、全身の力を使って飛び退いた。動揺しながら振り返れば、やはり無表情なアステラが弱々しい手つきでアキラの足元を刺してきた。


「そこに何か白い線みたいなものが見えるだろう?」

「え? あ、ああ」


 見れば確かに街と大地の境界線が視認できた。


「魔物対策の防衛線だ。通り過ぎたものを死滅させる。解除されるのは毎日変更される特定時刻と、あとはミツルギ=サイガが許可を出した場合だ。その他は有無を言わさず上位魔術級の破壊が襲いかかる」

「あの髭面どんだけ権力持ってんだよ……」

「街の名前がミツルギ家、というくらいだからな」


 ちゃっかり安全地帯で言葉を交わしているグリースとアステラに、アキラは慎重に歩み寄った。

 決して足元から目を離さず接近し、ようやく息が吐ける箇所まで辿り着くと、アキラは律儀に身体中の空気を吐き出した。

 何の変哲もない白線に見えるのだが、戦争中だけはあって相当堅牢なものなのだろう。

 仕組みはさっぱり分からない。

 一気に死が近付いたアキラは身体を振るわせ、グリースとアステラに恨みを込めた視線を送った。


「知ってたのかよ」

「知ってたよ。だが実際、通った奴がどうなるかまでは見ていなかったから……」

「試すのは小枝とかでよくね? 俺じゃなくて」

「大差ないだろ」


 先ほどの仕返しなのか、どこか冷たいグリースにアキラはさらに恨みを込めた視線を送る。

 グリースはアキラの眼力を受け流し、アステラに向かい合った。


「それで、その定刻……いやもういい。あの団子頭を誘拐した奴らはいつ来るんだ?」

「あとしばらく時間があるな。周囲に魔物がいないことを確認したのち、この場所を含めた防衛線は一部解除される。本当は番兵が現れ、外出する者を整理するのだが、先ほども言った通りこの場所は例外だ。僅かな解除時間を迎えたら、この場所から後ろ暗い者たちが一斉に飛び出すことになる」


 ミツルギ家が防御を緩ませる僅かな時間を狙っての脱出。

 それが起こればこの場は大混乱になるだろう。


「まあその辺りは彼らも弁えている。脱出時間に限り、他者の妨害は利益を生まない。だから慌てず、彼らは闇に紛れて去っていく」


 アステラの説明を聞きながら、アキラはなんとなしに、街の景色を眺めてみた。

 近付くことすら危険な防衛線の存在からか、流石に建物は大分離れて並んでいる。

 木造の、廃れた小屋のような建物群。その陰で、何かが僅かに蠢いた。

 アキラが注視したが、今度は何ら気配を感じなくなった。向こうはこちらに気づき、そしてさらに息を潜めたのだろう。


「定刻を待っている者だな。この辺りの小屋は使われていない。いや、“そういう者たちのためにミツルギ=サイガが放置している”と言った方が良いか。中で“事”を済ませた彼らは、あの場所で待機するんだよ」


 淡々と、淡々と、アステラはミツルギ家の裏を語る。

 敢えて彼らを削り落とすことはせず、悪く言えば協力し、ミツルギ家の発展を目論んでいるのだと。

 グリースがまたもつまらなそうに鼻を鳴らす。

 今さらではあるが、やはりアキラは、ミツルギ=サイガを擁護する気にはなれなかった。

 そして恐らくグリースも、これ以上の糾弾はしないつもりだろう。

 なにしろ彼も、かつて“そういう者たち”に含まれていたのだから。


「なら、」


 空気を変えるためか、グリースは半ば苛立ったような声を発した。


「団子頭をさらった奴らもいるかもしれねぇんだろ。順々に突撃してみっか? もちろんヒダマリ込みで」

「お前さっきの経験から学習したな」

「私はそれで構わない」


 提案の仕方を変えたグリースに、アステラは変わらない答えを返した。

 アキラとグリースは視線を向け、言葉の続きを待ったが、彼女はそのまま口を噤んでしまった。


「おい、作戦とかねぇのかよ。まさか何の考えも無しにここに連れてきたわけじゃねぇだろうが」


 グリースがさらに苛立ち、言葉を投げてもアステラの表情はそのままだった。

 そしてアステラは、ようやくゆっくりと口を開き、


「勿論、考えも無しに連れてきた」


 やはり抑揚のない口調で、断言した。


「は!?」


 グリースの大声に、アキラの視線は自然に連なる家屋に走った。

 あの場所にツバキをさらった者たちがいるかもしれない以上、目立ちたくはない。

 むしろこの境界線ギリギリの位置から移動すべきだと考えていたくらいだった。


「この件に関して私がミツルギ=サイガから請けた依頼は、ヒダマリ=アキラとグリース=ラングルを定刻までにこの場所に連れてくることだけだ。それ以上は聞いていない。私の依頼はすでに達成している」


 感情に落差の無いアステラは、さも当然のように、アキラとグリースから距離を取った。

 彼女は完全に、依頼を達成し終えたと考えているようだ。

 時折そよぐ風に白衣がなびき、彼女自身も砂のように崩れて風と同化しているかのようだった。


 ただ隙間に入り込むだけの軟膏のような女性は、本当に、薄く見えた。


「ちっ、まあいい。あんたが現れなけりゃ俺たちはあのまま無駄に走り回ってただけだったからな……。おいヒダマリ。片っ端から小屋を当たっていくぞ。さっきの話じゃここを出る奴を一々止めてらんなそうだ」

「いやそれは恐いよ。だって相手は誘拐犯だぜ?」

「俺が今殺人犯になってやろうか?」


 グリースに急かされるように蹴飛ばされて、アキラは端の小屋に向かって走り出した。グリースはアキラと反対側の小屋の端に向かう。小屋の先は見えないほど、建物は随分と広範に陣取っていた。

 文字通り、片っ端から小屋の調査が開始される。

 敢えて小屋を通り越して、折り返し、今度は慎重に小屋に忍び寄りながら、アキラはアステラを探った。

 目の前にいても見失いそうなほど薄いアステラは、いつしか境界線付近から消えていた。


 タンガタンザで出会った者たちは、全員奇妙な人間だ。ミツルギ=サイガを筆頭に、彼らは“あく”の強い性格をしていたと思う。

 だがアステラは、ある意味対極だった。

 彼女のキャラクターはおぼろげで、掴めない。

 ヒダマリ=アキラという人間と同種かもしれない。彼女からは主体性を感じられなかった。

 アキラとグリースをこの場に連れてきたのも、頼まれたから。

 アキラとグリースをこの場で自由にさせるのも、頼まれていないから。


 掴み難いではなく―――掴むことができないのだ。


「はあ……、今は、か」


 今にも崩れそうな小屋を前に、アキラは疑念を頭から追い出した。

 まずはこの小屋からだ。


 慎重に中の気配を探り、アキラはドアに手をかける。

 だが、集中しているつもりでも、やはり僅かな疑念は残ってしまった。


 そういえば。

 アステラの話とは何だったのだろう。


―――***―――


『“エニシ”』


『? それが何か』


『おーいアステラちゃぁん。そのとぼけ方は無いだろう。知ってるはずだよ、エニシ家を』


『存在は知っている。ミツルギ家の分家とか』


『分家も分家。とおぉぉぉーーーい親戚さ。しっかし流石だねぇ。エニシと聞いて、先にそっちを思い起こす辺りが』


『エニシ家はミツルギ家の街の中でも随一の武具職人の家系。そちらの方が関係のある話だったのか?』


『いんや、分からん。つーかどっちでもいい。問題なのは、どっちが理由でも価値があるってとこ』


『?』


『まあ本題に入ろうか。つい先日、エニシ家の次期当主が誘拐された』


『……』


『相変わらず固いなぁ、表情が。眉ひとつ動かないとことか。少しはイメチェンして見たら? 女の子はニコニコしてくれないと』


『それで依頼の内容は』


『先走るねぇ。まあいいか、わりと急ぎだ。エニシ家次期当主の居場所の特定。及び救出。そんだけ』


『戦力はどこで集めればいい?』


『問題はそこなんだよなぁ。そろそろ魔族側からの“通達”がある。そろそろターゲットが決定される頃なんだよ。正直割ける人員が無い』


『それで私にどうしろと?』


『それを含めての依頼だよ』


『……エニシ家には従者が付いていないのか? ミツルギ家の街にとって、エニシ家の被害は大きいだろう』


『うーん、まあね。ちっと手違いがあって。いやいや、失敗失敗。エニシ家は今実質ノーガードだ』


『……それで、私にどうしろと?』


『繰り返すねぇ。あんまり好きな言葉じゃなかったり。嫌な奴を思い出すからね。まあ、問題はそこなんだよ。正直俺も、こうして話している時間すら惜しまなきゃいけなくてね。どっかにいないかなぁ、協力者。アステラちゃん、心当たりない?』


『…………』


『…………ある、だろう? 戦争に参加してくれれば俺としては万々歳なんだけど、暇を持て余している奴が』


『……ああ。ひとり、心当たりがある』


『そう。……それならそいつに協力を要請してきてくれ』


―――***―――


 ビンゴ。

 ヒダマリ=アキラは息を潜めて小屋の中に視線を這わせていた。

 最初の小屋は空っぽで、2つ目の小屋にはいかにも目つきの悪い男が2人部屋の片隅で語らており、3つ目は無人のようであったが部屋いっぱいを埋める巨大な物体が鎮座し、その全体をカーキの布で覆い尽くされていた。

 3つ目の小屋に不信感を覚えながらも、とりあえず保留とし、訪れた端から4つ目の小屋。

 ほとんど日も沈み、太陽の残光のみを頼りにしながら覗き込んだその小屋の隅。

 昼に消失したミツルギ=ツバキが膝を抱えて座り込んでいた。

 鉄格子のようなものが嵌め込まれた顔を伏せて、眠っているようにも見える彼女は動かない。

 声をかけようと思ったが、アキラは自制する。

 ミツルギ=ツバキがこの場にいる以上、誘拐事件は確定だ。

 ならば誘拐犯も近くにいるのであろう。


 執拗に背後を確認しながら、アキラは思考を働かせる。

 一応、街の防衛線に来る途中、一戦交えるかもしれないと購入した安物の剣を背負っているが、アキラにとって剣とは不安の種でしかない。

 誘拐犯がある程度の実力者であれば、勝利はできてもアキラの剣は相手で消失してしまう。

 仮に複数―――いや、誘拐犯なのだから複数人が常套だろう―――いた場合、途端に窮地に立たされることになってしまう。

 グリースを呼ぶべきだろうか。

 だが、見つけたツバキから目を切りたくはなかった。


 アキラは今さらながら嘆く。

 こんなことなら、手分けして探すのではなくグリースと行動を共にすべきだった。

 ヒダマリ=アキラは、確率を無視して、“こういうもの”を惹きつけてしまう力があるのだから。


 突入は難しい。

 小屋の中にはツバキしか確認できないが、誘拐犯もいるかもしれない。

 せめてツバキの意識が戻り、部屋の様子をそれとなく伝えてくれたならば。


「……!」


 アキラの念が届いたのか、ツバキがふいに顔を上げた。

 窓の鉄格子から覗き込むアキラを見て硬直し、しばらく凝視していたが、やがて確認が取れたのか安堵の表情を浮かべた。

 その口には猿轡のようなものが嵌められており、やはり彼女は拘束されているようだった。

 誘拐犯の仕業であろう。

 小顔な彼女には不釣り合いなそれに、アキラは奥歯をギリと噛んだ。


 だが、良かった。

 とりあえず彼女は無事らしい。


「……」


 アキラは即座に口元に指を立てた。

 呻き声を上げようとしていたツバキはそれを察し、黙り込む。

 彼女はアキラしか見ていない。

 声を出すことは難しいが、どうやら部屋の中に危機は無いようだった。


「……」


 ツバキが無言で、小屋のドアを指差す。

 そしてその後、床を指した。


 入ってきて欲しいということだろうか。誘拐されてから不安でいっぱいだったのだろう。

 しきりにドアと床を行き来させるその指を見て、アキラは足音を殺してドアに近付いた。

 そして物音を立てないようにドアに手をかけ、慎重に、押す。


 ゴゴゴ、と想像以上に大きな音が鳴ってしまった。

 まるで強引に錆び付いた歯車を回すような轟音に、アキラの背筋が一気に冷める。

 慌ただしく周囲を見渡し、そして隠れ込むように小屋に入った。

 その直後、再びドアは重々しく閉じる。


「……?」


 入った、と思っていた。

 しかしアキラの目の前には再び扉が立ち塞がっている。

 この小屋は他の小屋と比べ、僅かに大きい気がしていたが、まさか2重の扉であったとは。

 重々しく閉じた扉と新たに現れた扉に挟まれた狭くるしい漆黒で、アキラはまず、人の気配を探った。

 誘拐犯は部屋の中では無く、ここで待ち構えているのかもしれない。


「……」


 しかし、誰の気配も感じなかった。

 アキラが手探りで闇を掴んでみても、やはり無人。

 アキラはいささか拍子抜けし、目の前の扉を押す。


 その先で、ようやくミツルギ=ツバキと再会できた。

 急いで詰め寄り、猿轡を外してやる。


「うわー、あーあーあー」

「は?」


 拘束が解いたと思ったら、妙な呪文を唱え始めた。

 それは失望に近い声色を纏い、まるでアキラの行動に異を唱えているかのようだった。


「……だ、大丈夫か?」

「大丈夫です、けど、あーあーあー」

「えっと、なんだ? 一緒に歌えばいいのか?」

「あーあーあー」

「あ……あーあーあー」

「違います」


 純粋に怒られた。

 アキラは頭を掻き、眉を潜める。


「まあとりあえず、助けに来たぞ」

「それはありがとうございます。すみませんでした」


 ツバキは座ったままペコリと頭を下げた。

 しかし上げた顔は曇ったままだ。そしてぶつぶつと、『どうしましょう……』という悲哀の言葉が漏れている。

 そしてようやく。アキラにもふつふつと嫌な予感が上ってくる。


 そういえば、あのドアが重々しく閉じた直後、“ガチャリ”と。

“鍵でもかかったような”奇妙な音が響いたのを思い出したのだ。


「私のジェスチャー伝わらなかったみたいですね。誘拐犯から聞いたんですよ……。『あの扉には仕掛けがある』『ここに来ると』『出られなくなる』」

「……うん?」


―――***―――


「おっ、じゃああんた、シリスティアにいたことがあんのかよ?」

「おう。馬鹿な貴族を騙くらかして、稼いだ稼いだ」

「話が分かるじゃねぇか!」

「しー」

「あっ、わりぃ」


 最初に覗き込んだ小屋で、グリース=ラングルが出会ったのは頭からすっぽりと黒いフードを被った細身の男だった。仄かな照明に照らされた日に焼けた頬がにっこりと皺を刻む。

 話を聞く限りフードの男は行商だそうで、グリースの情報収集は男の商品説明やら身の上話やらによって頓挫していた。


「そうそうにいちゃん、これなんかどうだ? ミツルギ家特産のロングソード。射程も長いが最も特異なのはその硬度。こんだけ細長いのに馬車が踏んでも曲がりもしないってんだから驚きだ」

「止めとく。偽物掴まされても困るしな」

「はっは、言うねぇ」


 すっかり意気投合したフードの男は軽快に笑う。

 フードの男はミツルギ家に貴重な武具を求めて訪れたそうだ。

 と言ってもそれをただ単に流通させるのが目的ではなく、その武具のレプリカを作成し、大量に捌くのが目的だと言う。

 本物のミツルギ家産の武具をひとつだけ見せ、あとは箱に入ったレプリカを売りつけるのが男の手口だそうだ。

 だからこそ、この後ろ暗い者たちが集まるミツルギ家の街の出入口にいるのであろうが、今グリースに見せたのは正真正銘ミツルギ家産の武具であろう。

 いかに詐欺を働いていても、いかに人を攫ったとしても、そして、いかに“人を殺そうとした”としても、人は、表も裏もそうではない。

 真摯な想いを伝えることもあれば、迷子を送り届けることもあるし、そして、人を救うこともある。

 グリースはそれをよく知っているし、そして、目の前の男もそうであると感じられた―――と、そこまで分かるほどこの場所に長居しているのだが。


「っと、やばいわ。俺今人探してんだよ」

「人探し? なんだ、人探しだったか」


 フードの男の拍子抜けしたような声に、グリースは動きを止める。

 振り返るとフードの男はロングソードを丁寧に仕舞いながら言葉を続けた。


「いやいや、別に大したことじゃない。単に物見遊山かと思ってただけだ。近々、でかい仕事をした奴がこの街を出るらしい」

「でかい仕事?」


 怪訝に思い、グリースは座り直した。

 フードの男は僅かに窓に視線を走らせ、そして声を細めた。


「窃盗団の噂を知っているか?」

「窃盗団?」

「ああ。タンガタンザ全土を駆けずり回る窃盗団だ。と言っても大した規模じゃない。精々数名。対象は民家の僅かな食糧から子供の誘拐まで。同業だって手にかける。戦争が激化する間は流石に静かにしているらしいが、この時期は暴れ回っている連中だ」


 この時期とは、『ターゲット』を巡る小規模な戦争中のことであろう。

 誘拐まで行う窃盗団となれば、今回のミツルギ=ツバキ失踪にも関わっているかもしれない。

 グリースは慎重に先を促した。


「今連中が狙っているのはミツルギ家の財らしい。いやいや、街のことじゃない。あのミツルギ家の屋敷だよ」

「屋敷っ……!?」

「しー、」

「わりぃ」


 フードの男にたしなめられ、グリースも窓の外に視線を向けた。

 隣接する建物が邪魔で見えないが、この方角にはミツルギ家の屋敷がある。

 自分が寝泊りしているミツルギ家の屋敷だ。

 そんな場所が、窃盗団のターゲットにされていたとは思いもしなかった。


「それで、何を狙ってんだ?」

「ここから先は噂で聞いた程度だ。まあ、同業の間じゃ騒ぎになっているが……ミツルギ家の“研究成果”だよ」

「研究成果……?」


 グリースの脳裏に真っ先に浮かんだのは、1ヶ月前。

 目の前に現れたあの巨大物体だった。

 ヒダマリ=アキラは、“飛行機”と呼んでいたか。

 “しきたり”を真っ向から否定するようなあの物体を、ミツルギ=サイガは確かに研究して生み出したと言っていた。


「そんなもん盗んでどうすんだよ?」

「いやいや、盗む対象は問題ではない。問題なのは、“ミツルギ家”から盗み出すということだ」

「…………」


 確かに、驚愕すべきことなのだろう。

 毎日外周を走っているグリースは、あの屋敷の巨大さも、そして堅牢さもよく知っている。

 あの場所から盗み出すとなると、その窃盗団は相当手馴れた連中だということになる。


「そう言うわけでもないがな」

「は?」

「実はミツルギ家の屋敷は、ああ見えてガードが緩い。実際俺でも侵入はできそうだった。その上ミツルギ家の街は、護衛団も含めて深夜の外出禁止というお触れがあるからな。逃げるのも容易だ」


 そう言われてもグリースには難攻不落の要塞に見えるのだが、彼がそう言うのだから見る人が見ればそうなのだろう。


 ただ、気になることはあった。


 “外出禁止のお触れ”。

 それはミツルギ=サイガが行ったことだろうか。

 普段夜間はミツルギ家にいるグリースは、そのお触れとやらを聞いたことが無い。だが、確かに夜間、外出を禁じるように門番が屋敷の出口に立っているせいで閉じ込められているような錯覚に陥ったことがある。

 そのお触れの狙いはまるで分からない。

 ここにいる者たちは当然破るであろうし、そんなお触れがある手前、ミツルギ家の街の護衛団は自粛せざるを得ない。

 そんなことをすれば、夜間の治安が一気に悪くなるであろう。盗みのターゲットとして、ガードが甘いらしいミツルギ家は高確率で選ばれることにもなる。


「だが、俺はそんなことをせん。絶対にせんよ」


 しかし、目の前のフードの男は身体を振るわせていた。


「どうしたよ?」

「知っているか? ミツルギ家から財を盗んだ者たちの末路を」


 知らない。

 が、話の方向性とその者たちの末路は予想できた。


「全員が消息不明だ。実際俺の知り合いも、“それ”に関わってから連絡が取れない。そのとき頭にくっきりと、“非情”という言葉が浮かんだ」


 グリースの耳に、ミツルギ=サイガの笑い声が聞こえた気がした。

 嘲笑ともとれるようなその声に、グリースも背筋が寒くなる。

 あの髭面当主は、一体裏で、どれだけのことをしているのか。


「そんなこともあって、ミツルギ家の屋敷に関わるのは命知らずの馬鹿でもしない。お前は見たか? ミツルギ家の兵たちを。全員が洗練されて動き、例え奈落に落ちても足を止めないかのような恐怖の行軍を。ミツルギ家の屋敷に入るくらいなら、タンガタンザを裸で走り回っていた方がマシだ」


 そんなミツルギ家の兵たちは、今もどこかで魔物と争っているのだろう。

 グリースはその図を想像しようとして、止めた。

 きっとその場は、どちらが魔物か分からない惨状になっているであろう。


 つまり。

 この街の治安を守っているのは、システムではなく―――“恐怖”。

 ミツルギ家の屋敷、いや、“ミツルギ=サイガそのものの恐怖”―――ということか。


「俺はこんな生業だが、タンガタンザは滅ぶべきかもしれん。それでもミツルギ家の甘い蜜を吸いに街には来ているのだが」

「……」


 グリースは目を瞑り、そして頭を軽く振った。

 今さらミツルギ=サイガへの不信感を募らせても仕方ない。

 あの男への嫌悪はとうの昔にメーターを振り切っている。

 それよりも今は、その窃盗団だ。


「その窃盗団は、今夜この街を出るのか?」

「ん? いや、正確には分からんが、近々だ。ちょっと調べたら店の商品がごっそり盗まれていたところもあった。ミツルギ家から“研究成果”を盗み出したついでかもしれんな」

「それで十分だ」


 本当に、十分だ。

 近々起こるというだけで、十分だ。

 この街には今、あのヒダマリ=アキラがいる。

 事件の種を芽吹かせるらしい日輪属性。

 これで本日でないなら、シリスティアの“崖の上の街”でも自分たちは出会わなかったであろう。

 そして、ミツルギ=ツバキはその窃盗団のついでに誘拐された可能性が高い。


「もう行く。邪魔して悪かったな」

「お、ちょっと待ってくれ。最後にこれだけ見ってくれよ。どうせまだ時間が、」

「その時間がねぇんだよ。今すぐにでも見つけねぇとな」


 グリースは足早に小屋を後にした。


―――***―――


「あーあーあー」

「あーあーあー」

「あーあーあー」

「あーあーあー……あぁぁぁぁぁぁあああああああああっっっっっっ!!!!!!!!」

「あーあーあー」

「あーあーあー……開かねぇ」

「私の応援歌も届かない感じでしたか」

「ああ。むしろ悪意が届いた」


 ヒダマリ=アキラは右手を振ってドアから離れた。

 この二重扉の小屋に閉じ込められた後、即座に脱出を試みたアキラだったが、言われた通りドアは開かない。

 あらん限りの力をもってドアノブを掴んだ手がジンと痛む。

 ついぞ諦めツバキの元に戻ったアキラはドカリと座り、お団子頭の少女に向かい合った。


「それで、大丈夫なんだよな、お前」


 完全に日が落ちたミツルギ家。

 その町外れの小さな小屋で座り込んでいたツバキは、眉を寄せて頷いた。

 主君の前では騒がしく、自分やグリースの前では慎ましかった彼女はどうやら憔悴しているらしく、顔色はどこか悪かった。


 アキラは右手を差し出し、魔力を込める。

 極力絞った魔力の発動は、やがて吹けば飛びそうな小さな明かりをもたらした。

 色は、オレンジ。


 ようやくツバキの顔がはっきりと見える。


「わぁ……。本当に日輪属性なんですね」

「ん? あ、ああ。……そっか、もしかしたらこれもか。悪かったな」

「?」


 アキラは目を伏せ、ツバキは顔を傾げた。

 日輪属性の力―――“呪い”。

 この誘拐事件は、アキラが引き寄せてしまったものなのかもしれない。

 だが、アキラは悔恨をそこまでに留めた。

 結局のところ―――救い出しさえすれば問題ない。


「えっと、何があったんだ?」


 ツバキは口をツンと尖らせ、そして、


「誘拐されました」


 さも面白くなさそうに、拗ねた子供のように、言った。


「それは知ってる。犯人は見たのか?」

「見ました。今でも鮮明に覚えています。腹わた煮えくりかえりますよ、伯父さんほどではないですが」

「……うん」

「助けに来てくれて本当にありがとうございます。心から感謝しています。クロック様ほどではないですが」

「あのさ、語尾に一々比較対象付けんの止めてくれないか? なんかすっげぇ話難い」


 とりあえず、彼女は問題なさそうだ。

 小さな子供が誘拐されたとなると精神的な後遺症が重大な問題と聞いたことがあるが、傍目には、ミツルギ=ツバキはそのままでここにいるように見えた。

 彼女の安否を確かめ、アキラの思考は次に進む。

 問題は、どうやってこの小屋から出るか、だ。


 剣で壁を攻撃するべきだろうか。

 だが、先ほどのドアは“鉄製”。

 かなりの硬度があるようだった。全力で攻撃する必要があるだろう。


 となるとアキラは途端委縮する。

 ヒダマリ=アキラの攻撃は、今や攻撃対象と1対1の関係。

 もし壁が壊れなければ、攻撃能力が欠損した存在に成り下がってしまう。


「……あのさ、助けにきたところ悪いんだが、お前なんかできないか?」


 最悪壁に攻撃することになるではあろうが、できるだけ武具は温存したい。

 となれば頼りはミツルギ=ツバキ。

 身が自由になれば、戦力にならなければならない存在だった。


「えっと、ですね。実は私、まだまだ拘束されてまして」

「ん?」


 アキラの右手がツバキの背後を照らすと、彼女の腰から伸びた細い鎖が“部屋と連結していた”。

 まるで猛獣の首輪と繋ぐためにあるような鎖が部屋から伸びている。

 気になってアキラは他の壁を照らしてみた。

 他の壁も同じ仕掛けがあり、鎖が1本ずつ垂れている。

 一体この小屋は何を目的に作られたものなのか。

 二重扉と言い、この小屋は他の小屋と造りがあまりに異質だった。


「…………それくらいなら、いけるかな?」

「え?」

「いや……。えっと、立てるか? とりあえず、鎖を張ってくれ」

「はい」


 言われた通りにツバキは立ち上がり、鎖を張る。

 部屋の仕掛けは丁度腰の位置の壁から伸びており、ツバキが限界ぎりぎりまで歩くと鎖は床と水平になった。


「切るんですか?」

「任せろ。そして信じろ。タンガタンザ製の武器を」


 アキラは息を吸い、そして意識を集中させる。

 相手が鉄と言うのは不安だが、ところどころ錆び付き、朽ちているような気もする。

 これならある程度力を込めればツバキを戒めから解放することができるかもしれない。


「よし。ふっ」


 アキラは剣を構え、それを一気に振り下ろした。

 せめてもの防衛線として、あえて詠唱抜きで放った雑な魔術攻撃。

 日輪属性の光が爆ぜる。


 その攻撃は見事に―――鎖を弛ませその勢いでツバキは背後に引かれて壁に後頭部を激突させた。


「づぁっ!!!?」


 アキラは目の前のショッキングな出来事に動けないでいた。

 剣を振り下ろした直後、目の前を人間が面白いように飛び去り、そして、ゴッッッ!!!! と耳を覆いたくなるような騒音を奏でたのだ。


「……………………鎖もだったが、武具は壊れないか。流石だな、タンガタンザ製」

「~~~~~~っっっ!!!!」

「だがまずい。今の光。これで誘拐犯に俺らの動きが知られたかもしれない。ここは一刻も早く脱出すべきだ。今は逃げることしかできない」

「~~~~~~っっっ!!!! あっ、がっ、~~~~~~っっっ!!!!!!!!」

「だがいいか。いつか必ず、誘拐犯を超える奴を連れてくる。誘拐犯を地獄に引きずり落とせる奴を、俺が必ず連れてくる―――がっ!?」


 アキラの脛に、激痛が走った。

 吹き飛ぶように転んだアキラは、辛うじて自分の足元にツバキの足が伸びているのが見えた。


「ぎっ、ぐっ、づぅっ!!」


 今度はアキラが悶絶する番だった。

 剣を放り投げ、脛を抱えて転がり回るアキラが涙目で見上げれば、淡い光の先、ゆらりと立ち上がったミツルギ=ツバキが瞳いっぱいに涙を浮かべて、鼻を啜っていた。


「お前は敵だ。倒す……!!」

「悪かったって。ちょっと現実逃避しただけでなんだよ……。…………あれ、鎖切れてんじゃん」

「え?」


 ツバキは気づいていなかったようだ。

 どうやらツバキが床で暴れ回っている間に鎖は切れたらしく、今は彼女の腰から尾のように垂れ下がっている。

 彼女の中でアキラの評価が顔見知りから敵対対象に暴落したようだが、とりあえず当初の目的は達成できたようだ。


「や、やった!」

「何とかなったか……。よし、脱出しようか」

「え、ええ。まあ、ありがとうございました」


 痛みを堪えてアキラは立ち上がった。

 未だふらつくほど重い衝撃だったが、ここから出られるのであれば安いものだ。

 ツバキもツバキで無事らしい。


「団子頭がクッションになったか」

「それ以上何かを言うと、私は今以上の攻撃行動に出ます」


 アキラは黙ってツバキを見守った。

 日輪属性のスキルの人を惹く力。

 好意は理性で抑制できるが、悪意は歯止めが利かないのだと認識を改める必要があるかもしれない。

 想いがそのまま行動に出る子供相手だと、余計にたちが悪い。


「呪い、か」

「意味が分からないのでスルーです。とりあえずここから出ましょう」


 ツバキは腰から伸びた鎖をジャラジャラと引きながら、壁の前に立った。

 どうやら彼女にはこの小屋を突破する術があるらしい。

 ようやく彼女の力が見られるとアキラは期待し、ツバキの動きに注目する。


 ツバキは、腰を落とし、そして、


「てやっ!!」


 この暗がりではアキラはツバキの動きを目で追えなかった。小柄な彼女が回転したかと思った瞬間、彼女の足は壁を捉えていた。

 木の壁が砕ける小気味良い音が響き、壁が破壊される。


 そして、


「へ? わっ、わっ、わっ、嵌った、嵌った……!?」


 壁に足を突っ込んだツバキがジタバタと暴れ始めた。


「お、おいおい」

「木が痛い!! ほんとに痛い!! ぬっ、抜こうとするなーーーっ!! 刺さってる!! 刺さってる!! でも離すなーーーっ!! あうっ、刺さるっ!! いやもうもげる!!」


 近くに誘拐犯がいたとすると、とっくに気づいているであろう。

 アキラはツバキの身体を支えながら、輝く右手で慎重にツバキの足を引き抜いた。

 壁にぼっかりと空いた穴は、破損した木材がむき出しになり、微量だが地が滴っているように見える。

 確かにここには足はおろか手ですら入れたくはない。


「ん……?」


 妙なものが目に入り、アキラは右手を穴に近づけた。

 ツバキが開けた穴の向こうは空洞になっており、やはり壁も二重のようだ。

 だがそれよりも、気になるのは穴の周囲。

 穴の四方は、木材に隠れて鉄製の物体が埋まっているようだ。

 アキラは試しに周囲の壁を何度か叩いてみた。

 固い感触が返ってくる箇所もあれば、ベニア版のような柔らかい個所もある。

 さらに探ってみると、どうやら固い感触は、網目のような位置取りをしているようだった。


「籠……?」


 いや、格子状である以上、檻と表現するべきかもしれない。

 とにかくこの小屋は、異質も異質。

 壁が二重にあり、その上で、中の部屋は檻に壁を張りつけたような状態だった。


「やっぱり変だなこの小屋。壁から垂れてる鎖といい、どう考えても人が住むためにあるもんじゃない。なんでこんな小屋が存在するんだ……?」


 アキラは、床で足を押させて転がり回るツバキに極力視線を向けないように思考を働かせた。

 話しかけたら話しかけたで何が返ってくるか分かったものではない。

 ただ、冗談はともかくとして、アキラは初めてこの空間そのものに嫌悪感を覚えた。


「うぅ……クロック様ぁ……。クロック様に会わないと、もう私立ち直れません……。会いたいよぅ」


 やばい子供が泣き出した。

 アキラが手の光源を向けると、ツバキは床に突っ伏して沈み込んでいた。


「ま、まあ、蹴りの威力はすごいじゃん。お前はよくやったよ」


 一応アキラもその蹴りの被害者だったりする。

 穴の空いた壁を見て、足の様子を探った。激痛だけで折れてはいないのが幸いだった。


「私の蹴りはあんなもんじゃありません」


 ぐすりと鼻を鳴らして、ツバキがようやく顔を上げた。

 アキラがしゃがみ込んで顔を照らすと、ツバキはどこか腑に落ちないような顔をしていた。


「どうした?」

「いや……、あれ? 何故か力が入らなんですよ。どうしてだろう。いつもなら、壁全体がドゴゴゴゴッ、って」

「……一応訊いとくが、さっきの俺に放ったのはそのドゴゴゴゴッじゃないよな?」

「そうか、あのときから……!!」

「ははは、……嘘だろ?」

「いやまあ、嘘ですけど」


 ツバキは口を閉じ、しきりに首を傾げて身体の調子を確認し始めた。時おり鼻をすすっているのが痛々しい。

 やや誇張されているのであろうが、言葉通り彼女は本調子ではないらしかった。

 両拳を組んで口元に当て、小さな身体をさらに縮こまらせながら思考を進めるツバキの表情は真剣そのもの。

 どうやらその不調とやらは、深刻なレベルであるようだ。


「まあ、誘拐何かに巻き込まれたんだ。無理もないって」

「う……それはもう言わないで下さい。誘拐されたとは、このミツルギ=ツバキ一生の不覚です。伯父さんに知られたら、私は羞恥心で自害するかもしれません」

「……うん」

「くそぅ、足は痛いし何か調子悪いし……。ああ、お菓子になんて釣られるから……!!」

「あ、そこストップだ。恥の上塗りになる」


 あのアステラに伝えられたミツルギ=サイガの予想は正しかったらしい。

 笑いよりも先に危機感が募ってくる。

 グリースの言葉だが、このメンバーには不安要素が多すぎだった。


「ああ、思い出したらまたムカムカしてきました。結局あいつ、クロック様の知り合いでも何でもないみたいですし……!!」

「マジで止めてくれよ。不安通り越してかもうなんか怖い……ん?」


 アキラはミツルギ=ツバキの将来を大いに憂んだところで、ツバキの腕が目に付いた。

 僅かに褐色の肌がオレンジの光に照らされている中、その右手首に。歪な形状の腕輪が嵌められていた。


「…………そんなアクセサリー、お前付けてたか?」

「んえ? あ、なんか増えてる」

「見せてくれないか?」

「は、はい」


 ツバキが差し出した右腕を掴み、その腕輪を注視する。黒く、歪な形状の、材質が分からない奇妙な物体。

 詳しくは分からない。

 だが、話には聞いた。


 この腕輪が彼女の不調の原因だとするのなら、まさにそういう働きをする物品が“とある存在によって造り出されている”という事実を。


「……なあ」

「はい?」

「お前さっき、魔力を使おうとしたんだよな?」

「……そうですけど」

「それで今は、」

「……使えません。何でだろう……?」


 アキラは即座に灯りを最大限に放出し、小屋全体を確認した。

 誘拐犯に知られるとかそういった事情を頭から放り出し、鋭い目付きで小屋を探る。

 やはり壁のほぼ全面、等間隔に鎖の仕掛けはあり、そしてツバキが拘束されていた壁の反対側にはシートに包まった物体がぞんざいに置かれていた。

 アキラはそれにずんずんと近付くと、乱暴な手つきでシートを引き千切る。

 中からは、食料が入っているような樽や用途不明の鉱物やらが出てきただけだった。


 アキラはどっと疲れて座り込む。

 だが、嫌悪感は増大し、身も凍るような悪寒は拭い去れなかった。


「ど、ど、ど、どうしたんですか? ほら、光光」

「…………」


 アキラは言われた通り、照明を落とし、そしてそれだけの動きしかしなかった。

 ツバキはどこかおどおどとしたような表情になり、慎重にアキラの表情を覗ってくる。

 だがやはり、アキラは顔を上げなかった。

 そしてそのまま、恨みを込めるような口調で呟く。


「思い出せ。お前を攫った奴はどんな奴だった?」

「ふへっ、いや、えっと、えっと、」

「早くしろ」

「えっと、その、変なおっさんでした」

「人間だったんだよな? 間違いなく」

「は? そ、それは間違いありません。奴は人間の中でミツルギ=サイガに次ぐ敵です」

「……そうか。ならいい」


 アキラが顔を上げると、ツバキは警戒しているような表情を浮かべていた。

 それも、敵として見ている、と言うより、本日の昼に話しかけてきたかのような、知らない人に対する警戒心。

 僅かには打ち解けられたかと感じていたが、どうやら今の行動で元の位置に戻ったようだ。

 だが、この件に関しては、どれだけ不審がられようと最善の注意を払う必要がある。

 どれほど避けられようと、あの“絶望”との邂逅よりは遥かにマシなのだから。

 そうなるとその物品は、一体どこから誘拐犯の手に渡ったものなのか。


「えっと……、えっと?」

「いや、悪い。それよりそうだ、お前の不調。多分その腕輪が原因だ」


 “魔力消失の拘束具”。

 アキラはミツルギ=サクラに聞いた情報を口に出す。

 それに拘束された魔術師は、その力の大元が封じられ窮地に立たされることになる、脅威の物品。

 アキラが簡単に説明すると、ツバキはさらに眉を潜め、そして嫌悪感むき出しで右腕を振り回し始めた。


「くそう、これさえなければ出られるのに……!!」


 そうだ。

 あの絶望がこの場にいなくとも、“その片鱗が感じられるだけ”で即座にここから離れるべきだ。

 だが、この妙な構造の小屋。

 脱出にはツバキの力が必要だった。

 彼女の力の正体は知らないが、少なくとも鎖も切れなかったアキラでは結果が見えている。


「よし。それならその腕輪を外そう」

「ええ、そうですね。でも結構硬いです……。どうしましょう」

「…………。ふー、うし。まか」

「任せられません」


 先手を打たれた。

 そして彼女の中の評価が目に見えた。


「いやでもよ、それを切れば」

「いやいやいや。もう結果見えてます」

「大丈夫だ、今度こそ。これってさっきとベクトル違う感じだろ」

「だから余計に怖いんじゃないですかっ、威力的なアレが……!!」

「これと同じようなことをして仲間を救ったらしい奴が戦ったりするところを、大体毎日見てきた俺だ。基本的に信じられるだろう」

「言葉がいろいろとあやふやです……」

「だったら、どうやって出るんだよ」

「っ、ぅ……………………分かり、ました……」


 ツバキは肩を落としながら、おずおずと自身が拘束されていた位置まで下がり、右腕を真横に広げた。


「わ、私、ミツルギ=ツバキは、クロック=クロウ様の従者でありながら、誘拐されるという失態を犯しました。これは甘んじて受け入れるべき罰であると猛省しております」

「お、い」

「この後、私の、み……、右腕は、その、ちょっと見せられない感じに、なり、ますが、仕方がない、と、ぅぅ……、だ、大丈夫です。最後まで言います。仕方がないと受け入れる所存であります」

「マジで斬るぞこの野郎」

「きっとこの犠牲は、未来に繋がる導となる。どれだけ世界が回っても、抗う力の礎となる」

「…………」

「ああ、最後にクロック様の笑顔をもう一度……、あ、クロック様の笑顔見たこと無い……、うぅ、見たかったよぉぅ」

「もう駄目だ……、熱が一気に冷めてった」


 何となくできるような気がしていたが、現実的に無理のあるプランだ。

 アキラとしては近距離から剣で殴打していればその内壊れると思っていたのだが、どの道彼女の右腕に損傷が出る。

 決戦までは後1ヶ月。

 こんな下らない誘拐事件何かで怪我をするわけにもいかない。

 それならばまだグリースを待っていた方が良いだろう。


 アキラは剣を仕舞ってツバキに歩み寄った。

 ゆっくりと腕を下ろしたツバキの瞳は滲んでいた。


「こ、こわ、こわかっ、こわかっ、」

「……悪かったって。てかお前はマジで言ってたのかあれ」

「うぅ……、誘拐されるし……、変な腕輪も付けられるし……、出られないし……、殺されかけるし……、もうやだぁ」

「そうだよな、誘拐されるし、変な腕輪も付けられるし、出られないし。お前には災難だったよ」

「くっそぉ……、きっと全部サイガが悪いんだ。何かあったらサイガを恨めって、おかーさんから習ったんだっ」


 そのまま崩れるかと思ったが、ツバキはミツルギ=サイガで持ち直した。ある意味役に立つ男だ。

 だがきっと、彼女も彼女で限界なのだろう。

 何せ誘拐事件だ。ミツルギ=ツバキは疲れ切っている。

 誘拐犯がいようがいまいが、やはり一刻も早く彼女の安静な場所に連れていく必要がある。


「はあ……、まあ奥の手と言うほど奥の手でもないんだが、やるか」

「んえ? 何か手があるんですか?」

「ああ。俺が壁を攻撃する。それで駄目なら、グリースを待つ。なに、すぐ来るさ。さっきの光も見てるかもしれないし」

「それだけ選択肢があって私の右腕が犠牲になるとこだったんですか?」

「いや俺は剣でガシガシ壊すつもりだったんだよ。お前が離れるから難易度が跳ね上がったんだろうが」


 座り込むツバキに背を向け、アキラは壁に向かい合った。

 アキラの予想では、十中八九剣は砕ける。

 だがこのままじっとしているわけにもいかない。

 ツバキの腕輪の件は、やはり後でサクに任せるべきだろう。


「うし、やるか。何気に最近これを詠唱していない気がするんだけど、というか魔術攻撃禁止令が出ている気がするんだけど、いくぞ」


 グ、とアキラは己の力を剣に込める。昼夜を逆転するかの如く、オレンジの光が小屋の闇を消し飛ばした。

 いける。

 直感的にそう感じられた。

 どれほど強固な障害を見ても、容易に砕ける光景が目に浮かぶ。

 やはり他の魔術と違い、安定感が抜群だ。

 ヒダマリ=アキラが使用する魔術で、破壊力に特出した攻撃魔術。


 この破壊を前に、行く手を阻むものなど存在しない。


「キャラ・スカーレッ―――」


 ドッ!! と。

 攻撃する刹那、小屋が跳ねるように大きく揺れた。剣に精力を注ぎ込んでいたアキラは不意をつかれて無様に転ぶ。

 発動しかけた魔術は不発に終わり、アキラは剣を取り零した。

 剣は込めた魔力を四散さながら転がり、再び周囲は闇に落ちる。


「―――、な、なに、が!?」

「……これ呪いだよ。砕けていった歴戦の剣が俺を呪っているんだ」

「そうじゃなくて!!」


 アキラは塞ぎ込みながら再び右手に魔力を込める。

 攻撃に転じるはずだった魔力は、先ほどの局地的地震のような振動で高が照明道具に成り下がっていた。

 アキラは投げやり気味に周囲を覗う。

 剣の呪いは、今度は何を連れてきたのか。


「おっ!?」


 再び、ゴッ!! と小屋が揺れた。木製の壁にすら亀裂が入り、やはり想像した通りの形状の鉄檻が露呈する。

 ツバキもバランスを崩して倒れ込み、小屋の隅の積荷からは甲高い瓶のような音が響いた。

 流石にただ事ではない。

 何が起こっている。


「なんだ、ひとり増えたのか」

「!」


 この小屋に入って以来、初めてツバキ以外の他者の声が聞こえた。

 親しみやすささえ覚えるようなその声に、アキラは跳ねるように立ち上がり、即座に窓を睨んだ。

 四角く切り抜かれたような窓。

 そこに、柔和そうに見える初老の男が丸い顔を覗かせていた。


「お前―――」

「見つけたぞてめぇごらぁっ!!」


 アキラが切り出すより早く、ミツルギ=ツバキが咆哮を上げた。

 そして掴みかかるように窓へ向かって駆け出していく。

 しかし檻の中と外の優勢は明らかで、柔和な男は僅かに身を引くだけで窓から飛び出したツバキの鉄拳を回避した。


「がるるるるっ!!」

「うん、元気元気。商品価値は保障されたが、しかしどうやって“取り出すか”。衰弱するまで中には入れんかな?」


 絶対的優位の笑みを浮かべ、安全地帯からツバキを眺めるその男は、満足げに頷いた。

 やはりこの男が―――ミツルギ=ツバキを誘拐し、そしてこの場に拘束した誘拐犯。


 傍目に見るだけならば心優しい老人に見える。

 だが、その柔和な口調から出る言葉はお世辞にも穏便とは言えなかった。


 アキラは嫌悪感を覚えながらも窓に近づく。

 そしてツバキを庇うように窓から引き剥がすと、改めて窓の外の誘拐犯を睨んだ。


「何故こいつを誘拐した?」


 思った以上に低い声が出た。

 アキラは威圧するような態度を崩さぬまま、窓の外を睨む。

 すると誘拐犯は、ゆっくりと、まるで誘うような柔らかな口調で返してきた。


「人身売買の味を知っているか? 知ってしまえば甘い蜜すら泥になる」


 丸顔の誘拐犯の、余計な言葉など必要無いとでも言うような、抽象的な答え。

 それで総て察しろということか。

 端的な会話程度しか行えないタンガタンザではある意味正常な応えなのかもしれない。

 アキラもツバキのように窓の向こうに拳を見舞いたくなった。


「まあ、おじさんの本業ですら、今回はついでなのだけどね」

「おい!!」


 ふっと窓から誘拐犯が姿を消した。

 アキラは逃さぬように窓から腕を出すが、空を切る。

 逃すわけにはいかない。

 私怨もあるが、何より、あの誘拐犯に訊かなければならないことがあるのだ。


 あの男はミツルギ=ツバキを誘拐した。

 そのときに使った拘束具。

 ツバキの腕に嵌められた“魔力消失の拘束具”を―――誘拐犯は一体どこから手に入れたのか。


「ヒダマリ!! そこか!?」


 そこで、僅か遠方から声が聞こえた。


「グリースか!? 誘拐犯を捕まえろ!!」


 姿の見えぬまま、アキラは声に応じた。慌ただしい駆け足が徐々に近づいてくる。

 彼はどこまで探索に行っていたのだろう。

 だが、最高のタイミングで、


「!?」


 最悪のタイミングだった。

 再び小屋が跳ねたと思えば、いよいよ壁という壁が崩れ落ちた。

 木片が飛び散り、再び横転したアキラとツバキは踊るような小屋に翻弄される。

 アキラはツバキを抱きかかえながら瞳をこじ開けた。


 そして見えたのは、“月”だった。


「……、……!!」


 僅かな混乱の後、状況把握は早かった。

 二重扉の奇妙な小屋が半壊し、姿を現した本当の役割を、すでにアキラは予想できていた。


「マジで檻じゃねぇかこのやろう」


 天井、そして壁の四方。

 その全てから格子状の鉄に囲まれ、アキラとツバキは軟禁されていた。

 ひとつひとつの鉄檻は分厚く、等間隔に顔を出せるほどの穴が空いている。先ほど誘拐犯が顔を覗かせた窓も高が檻の一部だったようだ。

 二重扉に目を向けると、内側も、そして外側も、木の板で挟むように隠された重厚な鉄檻の扉であったことが分かった。

 天井から落ちた木片に埋もれかけたアキラが這うように蠢き、ツバキと共に立ち上がると、夕暮れの涼しい風が頬を撫でた。

 この小屋に偽装されていた檻は、見せ物を閉じ込めておくための空間なのかもしれない。


「お、おい、ヒダマリ何やってんだ!?」


 外からは、小屋から檻への変貌はどう見えたのだろう。

 誘拐犯が去ったばかりの位置に現れたグリースは目を丸くしながら檻に掴みかかっていた。


「こっちの台詞だ!! 何やってやがった!? いいから誘拐犯を追ってくれ、その辺にいるはずだ!!」

「あ、ああ!!」


 内心気が立っていたアキラが叫ぶと、グリースは即座に周囲に目を光らせた。

 しかし儚い月や星の光では、周囲は依然闇に包まれている。

 アキラは腕を掲げ、加減も考えず魔力を込めた。

 目を焼くほどの閃光が漏れ、夜の闇が四散する。


「頼むぞグリー―――」

「ぎゃあっ!?」

「!?」


 過去最大級の振動がアキラを襲った。

 足元から脳天に突き抜けるような衝撃に、アキラはツバキを庇うように背中から倒れ込んだ。


「づっ!!」


 背中に熱い痛撃が走った。

 床に散乱した木片が突き刺さったのだろう。

 涙目になりながら動きを止めていると、アキラの耳に、ギィ、と金属が擦り合わされるような音が届いた。


「……?」


 音源は、隣の小屋。この檻の小屋に来る前

 見れば隣の小屋の下部にはぼっかりと穴が空いており、そこからアキラの胴をゆうに超す太さの鎖が伸びて檻の小屋と連結していた。

 普段は地中に埋まっていたのか鎖は土を被っている。

 アキラは察して反対側の小屋を睨む。

 するとその小屋も同じ造りで、小屋の下部から鎖が伸びていた。


 この檻の小屋は、その両隣の小屋と野太い鎖で繋がっている。

 そして、気づいた。

 自分が立っている位置と、大地の高低が決定的に違う。アキラは今、“大地を見下ろしているのだ”。

 導かれる結論はひとつ。

 先ほどからの衝撃は、左右の小屋から鎖を引くことによって、“檻の小屋を地中から引き抜いたものなのだ”。


「グリース!! この小屋の下に何がある!?」

「いやっ、ちょ、目が、」

「馬鹿やってねぇで早く見ろ!!」

「お前がやったんだろうが!!」


 先ほどアキラが放った光源に目を焼かれていたらしいグリースは、目を擦りながらしゃがみ込んだ。

 そして僅かな間の後、グリースは焦った顔を上げた。

 彼にもこの檻がどういうものなのか分かったのだろう。


「車輪だ!! 車輪がついてる!!」


 やはりそうだ。

 いかにこの檻に閉じ込めたとしても、脱出できなければ意味が無い。

 この檻は誘拐した者を、街を出るまでの間、一時的に閉じ込めておく場所では無く、“これそのものが移動できる搬送車なのだ”。


 そして見たところ、この小屋そのものには動力になる馬がいない。

 となれば当然、その動力は―――“鎖で繋がった両隣の小屋”。


「グリース!! 隣の小屋だ!!」

「分かってる!!」


 グリースも察し、叫び返してきた。


 が。そこで―――ミツルギ家脱出の定刻が訪れた。


 バゴッッッ!! と両隣の小屋が吹き飛んだ。

 顔を向ける間もなく、身体中がグンッ、と背後に引かれる。

 今度こそはとアキラは腕を檻に絡め、転倒を回避した。

 腕からグキリと嫌な音が鳴り、アキラは顔をしかめながらようやく両隣の小屋を睨む。


 そして、予想通り―――予想外の光景がそこにあった。


「くっ、“車”!?」


 動力は馬ではなかった。

 ベースは黒塗り。流れるような白いラインが走っている。その側面に、檻の小屋から伸びた鎖が連結していた。

 サイズは小屋より一回り小さい。しかし十分巨大と形容できるその物体は、細長く、それでいて力強ささえ覚える唸りを上げていた。

 屋根は無く、搭乗者の顔が見てとれるそのフォルムは、元の世界ならば巨大なスポーツカーと形容でき、そしてあるいは“戦車”とも形容できた。

 動力は魔力なのかもしれない。だが、そんな物体が―――そんな“この世界にあってはならない物体”が両隣に存在している。

 一台ごとに左右合わせて4つ付属されているのであろう巨大な車輪が高速で回転し、アキラとツバキが乗る小屋をミツルギ家の外へと搬送している。


「!! いやがった!!」


 どれだけ馬力があるのか、あるいは魔力の産物か、高速で移動する巨大な戦車の上、搭乗者席に先ほどの誘拐犯を見つけた。

 移動の振動に暴れ回る檻の中、決して格子を手放さないよう必死に腕を巻き付けているアキラと違い、誘拐犯は涼しげに座り込んでいる。

 その隣、恐らく運転席なのであろう位置には仲間なのか同じく恰幅のいい男が座っていた。

 反対側の戦車にも同じく2人。

 彼らがミツルギ=サイガの言った人攫い集団なのだろう。

 全員アキラたちの方を見もせずに、街の脱出を狙っている。


 彼らに訊くべきことが大量に増えた。

 檻に偽装していた小屋。こんなものを、どうやって造り出したのか。

 巨大な檻を引く戦車。そんなものを、どうやって手に入れたのか。

 ツバキの腕に嵌められた“魔力消失の拘束具”といい、彼らが有しているものはあまりに不自然だ。

 明らかに―――“この世界に許された技術を超えている”。


「ヒダマリ!! このままじゃ街を出る!!」

「!? お前何やってんだ!?」

「いきなり走り出したからだろうが!!」


 叫び返したグリースは、進行方向に背を向けて檻にしがみついていた。

 命からがらといった様子のグリースは、時おり振り返っては焦りの色を増している。

 このまま街を出られでもしたら洒落にならない。

 タンガタンザの街は戦争の結果著しく減少し、荒れ地と化した地平が広がっていると言う。

 それでもこの戦車なら十分に走行可能であろうから、自分たちはこのままミツルギ家から遠く離れた地点まで連れ回されることになる。

 誘拐犯を撃破したとしても、ミツルギ家に戻ってくるのはいつのことになるのか。戦争に参加できない可能性すらある。

 そして、ツバキには休養が必要であるし、グリースに至っては現在進行形で命の危機だ。


―――どうする。


 アキラは誘拐犯の顔を睨みながら必死に活路を探した。

 だが、グリースは檻にしがみつくのが必至であるし、アキラとツバキは閉じ込められている。

 いや、仮に自由であっても、高速で移動する巨大な鉄の塊をどうやって止めるのか。

 操縦者を撃破するにしても、下手な止め方をすれば自分たちも大惨事だ。


 一体どうやって、元の世界でも“凶器”と言われることのある鉄の塊を止めるか―――


「……?」


 間もなく街の境界線。

 アキラが睨んでいた、数秒後には脱出が成功する誘拐犯の顔が、僅かに曇った。

 そして。

 アキラは気づく。

 檻にしがみつくのが必死だったために、アキラは照明の魔力を解除していたことに。

 しかし、何故か。

 星明かりを凌駕する色が、周囲を照らし、輝かせていることに。


「―――、」


 色は赤。

 自分の仲間である鮮やかなスカーレットや、あの地獄のような空間の赫とは違い、分かりやすいほど赤い―――真紅。


 そんな色の星々が、空より低い位置に浮かんでいることに―――気づいた。


「ぁ」


 アキラが抱えていたツバキが、声を漏らした。

 今まで動転していたのか、顔を上げたツバキの目尻には涙が浮かび、頬が紅い。

 だが、それすら染められる真紅の星を見上げ、瞳に輝きが戻っていた。


 記憶の奥、アキラもこの色には見覚えがあった。

 あれは確か1ヶ月前。

 ミツルギ=ツバキと初めて出会ったあの日。

 暴れた彼女がぶちまけた、彼女の主君の所有物は、正にあんな色をしていなかったか。


「全員下手に動くな」


 平坦な、しかしアステラよりは僅かに抑揚のある声で、その男は呟いた。

 黒いシルクハットを目深に被り、黒いコートを纏ったその男の声は、戦車ががなり立てる轟音の隙を縫って耳に届く。


 “クロック=クロウ”。

 髭を生やしたその男は、ミツルギ=ツバキの主君であり、アキラの参加している部隊の一員である。

 クロックは、やや緩慢な動作で自身の足元に置いてある大きな袋に手を入れた。

 サンタクロースが担いででもいそうな袋から拳を抜き出すと、胸の前で手を開いて見せた。

 その手のひらには、小石のような物体がひと盛りほど乗っている。

 色は、やはり赤。

 そして、宙を舞っている星々と同じ色彩で輝いていた。

 赤い星々は重力に従って地に落ち、赤は、その男の手のひらだけになる。


 巨大物体の拘束接近を前に、クロックは、眼鏡の奥の眼を細めて見るだけだった。


「……」


 アキラはこのミツルギ家で意識を取り戻した人のことを思い出した。

 あのとき、ミツルギ=サイガは言っていた。

 魔族に挑むこのメンバーの中で、クロック=クロウが1番の実力者であると。


 その意味するところは、つまり。

 この百年戦争のテーマである、“止める力”を最も保有していることに他ならない。


 ブンッ!! とクロックが腕を振った。

 目映いばかりの赤だけが光源なのに、アキラにはその腕の動きが初動から停止までまるで見えなかった。

 僅か遅れて気づいたのは、クロックが手に掴んだ赤い小石を戦車に向けて振り撒いたことだけ。

 そしてその赤い小石は、戦車を阻む壁のように展開した。


「―――おっ!?」


 グリースにも、そして檻の隙間を通ってアキラとツバキにも小石が命中した。

 呆然として見ていた、砂粒にも近い小さな赤い宝石が身体に触れた瞬間、アキラは呼吸が止まったような錯覚に陥った。

 その直後、足が地から引き抜かれるように離れ、悶絶するほどの浮遊感が身体を襲う。アキラは思わず目をきつく閉じた。

 一体何が、と考える間もなく、次に身を襲ったのは檻の壁に叩きつけられる衝撃。

 積荷の樽や鉱物が暴れ回り、この戦車に乗っていた者全員分なのであろう短い悲鳴が闇夜に響いた。


「づ……くあ、」


 なんとか意識だけは手放さず、檻の壁からずり落ちるように倒れたアキラは弱々しく目を開き、そして、覚醒した。


 赤の残光の世界、そこでは、アキラも、そして“戦車そのもの”も、完全に静止していた。


「いっでぇ……、くっそ!!」

「む? 調整を誤ったか。だが生きているだけ儲けのものだと思え」


 檻の外からグリースの呻き声と、やはり平坦なクロックの声が聞こえた。

 見ればグリースは帽子に手を当て目深に被ったクロックの足元で転がり回っている。

 腕の中のツバキは目を閉じてうなされるように呻き、誘拐犯の方からは声も聞こえてこない。

 どうやら全員、気を失っているようだ。


「…………何を、やったんだ?」

「手段は重要ではない。結果“止まり”、そして救われた」


 アキラの疑問には、タンガタンザらしい、その言葉だけで総てを察しろとでも言うような答えが返ってきた。


「そこから出たいのであればその檻の所有者から鍵を奪うなり、サイガの娘にでも頼め。彼女も間もなくここに訪れるだろう。私は専門外だ」


 そう言うと、クロックは自身の膨らんだ袋を担ぎ、そのまま背を向け歩き出した。

 それで総てを察しろとでも言うように。

 それで全てが終わっているとでも言うように。


 遠のくクロックの背を眺めながら、アキラの意識も遠のいていった。


―――***―――


「報告は以上です」

「解散」


 クロック=クロウはいつもの光景を眺めながら帽子を目深に被った。


 ミツルギ家の屋敷の中、報告室と銘打たれた簡素な部屋。

 クロックは備え付けの椅子に背を預け、ミツルギ=ツバキ誘拐事件の事後顛末を頭の中で反芻した。


 当然と言うべきか、誘拐犯は全員逮捕。クロック自身が引き連れていった街の護衛団が行ったのだが、その動きの統制の悪さに、苦笑したものだった。

 だが、今は取り調べも終了し、ミツルギ家の街の収容所で監禁されているらしい。誘拐犯は全員意識を失っていたと思うのだが、夜が開ける前に仕事を終えた辺り、思ったよりも手馴れているようだ。

 もっとも、その取り調べの情報を聞き、裏付けまで取り、可及的速やかに報告に上がったミツルギ家の人間の方が恐ろしいものがある。

 時間は深夜をとっくに通り越し、間も無く明け方。


 この部屋の奥に座る屋敷の主など、部下が去った途端、早速紅い衣を脱ぎ捨て大欠伸をかましていた。


「なーんで、捕まえちゃったかなぁ」


 そこで。

 ミツルギ=サイガは、そんなことを呟いた。

 口を尖らせて眉を寄せているが、大の大人がやると殺意がふつふつと湧いてくる。


「サイガ。私はお前の言うように、誘拐犯を捕まえたのだが?」

「なーに言ってんだよ。俺が言ったのはツバキちゃんの救出だけ。いやクロッ君が行った時点で彼らの末路は分かってたけどさぁ……、あーあ。まいっか」


 相変わらず、何を考えているのか分からない男だ。

 クロックはふんぞり返り天井を仰ぐサイガを、目を細めて睨んだ。

 この男に無駄な羨望を捧げる必要など無い。それはやはり、クロックの中で確固たるものだ。

 ミツルギ=サイガの奥底を事細かく計れる者などそうはいないだろう。

 サイガに眠る、“たったひとつの想い”だけは知っているつもりだが、いや、“知っているからこそ”、この男に背を預けることはできなくなる。


「とにかく、クロッ君もお疲れ様。いやぁ悪いね。ツバキちゃんが誘拐されると、俺としても結構困るし」

「一応私の従者の不始末だ。だが、私はてっきりあの移動する鉄の塊の方がお前にとって重要だと思っていたのだが」

「いやあれはどうでもいいよ。クロッ君が無理に止めたからぶっ壊れてるけど、うん、どうでもいいよ」

「私は私のやるべきことをやっただけだ」


 口ではそう返すも、サイガ自身、言葉通りに気にしていないようだった。

 あの誘拐犯が乗っていた物体。

 クロックはそれを見たことは無かったが、直感的に、しかし確信として、あの物体にはミツルギ=サイガの力が関わっていると思っていた。

 あんなものが外に出れば、いや、盗まれるだけでミツルギ家にとっては大きな痛手であろう。

 そう思い、それごと止めたのだが、サイガにとっては余計なことだったようだ。

 本当に、何を考えているのか分からない。


「でもまあ、お手柄でもある。あのツバキちゃんが捕まってたていう檻。そしてあの拘束具。そっちはいい情報だった」

「誘拐犯も詳しくは知らないと言っていたな。どこかの地方の“地下室”で、たまたま設計図ごと見つけたと。即座に小屋に偽装できるところなどを含め、調査すべきだと思うが?」

「んー? あれ? わっかんないかなぁ、入手先。檻の方はともかく拘束具は技術以前に“素材”として、クロッ君なら察すると思うんだけど」

「…………察しているからこそ、言っているんだ」

「うんうんビンゴ。そう、あれは間違いなく魔族の技術だ」


 “その言葉”に取り立てて意味も持たさず、自然に口にできる者はそうはいないであろう。

 だがサイガは、その“魔族”と争いを続けているミツルギ=サイガは、再び大欠伸をかましていた。


「そういえばサクラちゃんたちが見つかった場所らへんとか言ってたっけ。そういや捜索させてたなぁ、面倒になって止めさせたけど。まあ、結構あるぜ、タンガタンザにはそういう“地下室”」


 その口ぶりに、クロックはさらに眉を潜めた。

 サイガがそう言った以上、間違いなく他の“地下室”は捜索を終えている。


「…………お前は、“魔族”の技術まで保有しているのか?」

「かじった程度だ。理論はさっぱり。だけど、あの“地下室”を作った奴は相当な天才だ。そいつがこの戦争に参加してたと思うと絶望的だね。アグリナオルスとは種類の違う感じだし」


 そんなことも、サイガはあっさりと言い放つ。

 これ以上は暖簾に腕押しだ。

 クロックは諦めて話題を変えた。


「ところで、今回は大判振舞だったな。主要メンバーの全員をツバキの救助に向かわせるとは」

「そうだそうだ、サクラちゃん機嫌悪くなったかなぁ、念のためもういっこの街の脱出経路に向かわせたりして。今回出番無くてしょんぼりしてたでしょ」

「ツバキの拘束具を外したとき、妙にいきり立っていた気がするな」

「そっかそっか、でもいっか。どーでもいっか」

「お前はいつか殺されるような気がするが……、まあ、ヒダマリ=アキラとグリース=ラングルをあの場に向かわせたのは正解だったのかもしれんな」

「でしょでしょ? やっぱりあいつらそういうタイプなんだって。ツバキちゃんが妙なトラウマ作っちゃったら面倒だし」


 クロックは帽子を目深に被る。

 救出したのち、クロックはツバキと話したが、というより無理矢理話しかけられたが、ミツルギ=ツバキはミツルギ=ツバキのままだった。

 精神的なダメージはほとんど無いと言っていい。

 ツバキはあれでいて、精神的に弱い。

 彼女はずっと、間抜けなことにも同じく檻に閉じ込められたヒダマリ=アキラと共にいたそうだが、それが無ければどこまで沈んでいたことか。

 彼にそもそもそういった素質があるのか、あるいは噂に聞く日輪属性の力であるのかは定かではないが、十分な功績を果たしている。

 もっとも、そもそもサイガがアキラやグリースではツバキを救出できないと思っていたり、ただの子供の世話役としてあの場に送りつけられたことを知ったりしたら、彼らの方が精神的な影響を受けそうだが。


 今は、アキラも、グリースも、そしてツバキも安静に寝入っているはずだ。

 ただ訓練の日々を過ごしていたこの時期も折り返しを向かえたところ。ある意味今日の出来事は、いい刺激になったであろう。

 ただ、明日、ヒダマリ=アキラには別の刺激が待っているが。


「アステラの件はどうなった」

「アステラちゃん? ああ、流石に今日はいいや、って言っといた。でも明日にはやるはずだ。あの子は仕事には……いや、言われたことには真面目だから」

「うむ」


 事後確認を終え、クロックは立ち上がった。

 流石にそろそろ仮眠でも取るべきであろう。そもそもそこまで眠気には強く無い。


 クロックはサイガに背を向け、部屋を去った。

 おやすみぃ~、という気の抜けたような声が聞こえた気がしたが、振り返りもせず自室へ向かって歩き続ける。

 サイガはどうやら、まだまだ寝る気はないようだった。


「それにしても」


 じっとりと熱い無機質な廊下を歩きながら、クロックは小さく呟いた。


「誘拐事件、か」


―――***―――


 翌日。

 ヒダマリ=アキラは薄暗い空間にいた。

 比較的涼しい早朝の空気の中、廊下を歩いて辿り着いたのは巨大な鉄扉の前。窓は無く、外の様子はまるで分からない。

 扉の先には、巨大なミツルギ家の西部一角を占めると聞いていた“とある作業現場”があるらしいが、アキラにとっては扉の前に来るのも初めてのことだった。


 昨日。

 アキラたちはミツルギ=ツバキ誘拐事件を解決した。

 実際のところ解決したのはツバキの主君であるクロック=クロウであり、アキラは未だに彼が何をして誘拐犯を“止めた”のか分からないのだが、とりあえずは清々しい気分で朝を迎えることはできた。

 負傷した身体も日輪属性のスキルとやらで復調し、アキラは昨日の件は日常の刺激になったと思い出にしようとしていたのだが、しかし昨日の件でアキラは早朝からこの場に呼び出された。


 目の前には、不健康そうな女性。

 自己を“万屋”と紹介した、アステラ=ルード=ヴァロス。

 小さな身体に剥を纏った彼女の表情は、周囲の薄暗さもあってより弱々しく見えた。

 そんな彼女の隣に、布にくるまれた棒状の物体が壁に寄りかけられている。


「この先に何があるか知っているか」


 薄くて淡い、波の無い声。閉鎖的な空間に近いのに、その声はまるで響かなかった。

 彼女の身とは比べ物にならない扉の前に立ち、アステラはまるで感情を出さず、アキラの答えを待つ。


「話に聞いただけだけど、ここってなんか造ってんだろ?」

「ああ、そうだ。昨日君も見ただろう。あの誘拐犯が乗っていた物体もここで造られている」


 なんと。

 やはりあの誘拐犯が使っていた“車”は、ミツルギ家所有のものだったのか。

 アキラは薄ら寒いものを感じ、そしてミツルギ=サイガの顔を思い浮かべる。

 となると檻や、ツバキに嵌められていた拘束具もミツルギ家が保有していたものかもしれない。

 やはりサイガに話を訊く必要があるようだった。


「昨日話があると言ったのは、今から行うことを伝えておくように言われたからだ」


 またも、どこか受動的な言葉。

 彼女を計ろうとしても、無表情な彼女からは何も拾えなかった。


「ここで何が……、って、まあ、予想は付くか。俺の“剣”の話だろ?」


 ヒダマリ=アキラの剣。

 それは、アイルークではたびたび投擲され、シリスティアでは無残に砕け散り続けた不遇の物品。

 タンガタンザでも剣の破損は続き、アキラにとって最大の課題でもあるものだ。

 この扉の向こうでは、“表向き”には、戦争に使う剣を大量生産しているらしい。

 この1ヶ月、アキラはここから運ばれてきたという剣を使ったことが幾度かあるが、結果は何も変わらなかった。


「予想ができているなら話は早い。君に話すように言われたことは、これから造る武具がどういう特性を持っているか、ということだ」

「特性?」

「ああ。今後1ヶ月、その特性を頭に入れ、“その剣を使うことを前提に動いて欲しい”、とのことだ。1ヶ月以内には完成するだろうが、それでもすぐに手渡せそうにない。いきなり扱うには難しいのだろう。だから、完成するまではイメージ作り、ということらしい」


 それは、今まで完成したものだけを渡されていたアキラにとって、新鮮な考え方だった。

 それだけ特別な剣ということなのだろうか。

 自分自身の剣が造られる、というゲーム染みた状況に僅か心躍るものがあるのだが、あくまで淡々と続くアステラの口調のせいか、アキラは静かにその言葉を呑み込んだ。

 だが、気になることはある。


「本当に、大丈夫なんだろうな?」


 脳裏に浮かぶのは、この1ヶ月で破損し続けた武具の山。

 アキラの雑な魔術使用によって、世界最高峰の武具を製造すると言われるタンガタンザの剣でさえ、粉々に砕け散っているのだ。

 不安は尽きない。


「ミツルギ=サイガは問題無いと言っていた」


 またも受動的で、しかしある意味信頼のおける言葉が返ってきた。

 サイガは底知れず信用ならないが、それがかえって信頼に変わることもある。

 少なくともサイガにとって、アキラの戦力増強は利害の一致が成立している。


「正直なところ、君の症状を聞いて、私は無理だと思った。“前例”を知っているのだから」


 初めて。

 アステラ個人の考えが聞けた。

 自分自身の剣より、むしろそのことに対してアキラの意識が覚醒する。


「ただ、幸運にも“材料”があった。あれを使えば、理想の物品ができ上がる。造ってみせる」

「え? あ、あんたが造るのか? “何でも屋”って言っても、」

「恐らく“再現”は可能だろう」

「?」


 とても鍛冶仕事などできそうにない、薄く淡いアステラは、その小さな身体で壁に寄りかかっていた物体を抱え上げた。

 そこでようやくアキラは気づく。

 あの布は、アキラがミツルギ=サクラに“あの物体”を預けた際、使用されたものだ。


 赫く、燃えるように赫い地獄で得た―――“奇妙な剣”。


「これには、“魔力の原石”が使われている」

「原石?」


 どこかで聞いたような気がする言葉だった。

 そしてそれがアキラの頭の中で、シリスティアのとある貴族婦人が所有していたという娘の手掛かりと繋がったとき、アステラは静かに頷いた。


「うん。君には理論を語るより、“ストーリー”を語った方が良いだろう。ミツルギ=サイガはそう言っていたし、私も誰かに話したいのかもしれない」


 この1ヶ月。

 グリースのことは良く知れた。

 そして昨日。

 ミツルギ=ツバキとも僅かな繋がりを得ることができたような気がする。


「1ヶ月後の戦争にも関係する話だ。何せその物語には、『世界の回し手』。“魔族”―――アグリナオルス=ノアも登場するのだから」


 どこか奇妙なタンガタンザの物語。

 その中で、アキラは人と出逢い、彼らのキャラクターを知ることができた。


 その時点から―――転じて。


「奇しくも物語の始まりは“誘拐事件”。ひとりの天才鍛冶師と、ひとりの災厄が奇跡的に交わった、タンガタンザに2度目の平和が訪れる、奇跡の物語」


―――タンガタンザ物語は、2年前へと遡る。


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