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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
西の大陸『タンガタンザ』編
22/68

第32話『タンガタンザ物語(起)』

―――***―――


「目が覚めたなら起き上がってもらえないか?」


 目覚めたばかりの虚ろな瞳を天井に這わしていたら、怒られた。

 ヒダマリ=アキラは緩慢な動作で言われた通りに行動する。アキラはベッドの上にいたようだった。


「…………」


 蕩けたように思考回路は働かない。呆けたまま顔ごと動かしてアキラは部屋を眺めた。

 木の匂いがする落ち着いた部屋だった。面積は宿屋の部屋より数倍ほど大きい。そして、2桁に昇るほどの数のベッドが2列になってずらりと並んでいる。清潔そうな白いシーツが開けたばかりの目には厳しく、しかし身体はジンと温まったような気がした。そのどれもに人が男女問わず横たわり、寝息も立てずに眠り込んでいる。部屋の人口密度は相当高いようだが、静かな部屋だった。

 アキラが寝ていたのは、最奥のベッドだった。両腕を伸ばせば手首から先が脇の外に出るほど狭い。薄手のかけ布団を軽く持ち上げてみると、どうやら誰かに着替えさせられたらしく、浴衣のような病人着が顔を出した。


 と、そこまでアキラが把握したところで、再度声をかけられた。


「見ての通りこの仮眠室は人気でね。君がもし立てるのであれば、早々にベッドを開けてくれ」


 顔を向けると、無表情な女性がいた。伸ばせば肩ほどまでであろう髪を団子にして頭に結わい、白い首筋を覗かせている。眉は細く、身体つきもどこか不健康なように細い。年上のようではあるが、身体は触れば壊れそうなほど小さかった。そんな女性が、アキラが寝ていたベッドの横に供えられていた椅子に座り、腕と足を組んでいた。

 服装は、部屋に合わせて白い羽織り。ベッドのシーツは僅かばかり刺激の強い純白だが、彼女が羽織っている白衣は落ち着いた色が混ぜられていた。部屋の中にいれば目の休息を求めて思わず彼女を追ってしまう。あるいはそれを狙っているのかもしれなかった。


「うん。まだ呆けているね。あなたは魔力切れの症状を起こしているだけのようだったからここで寝かせていたのだけれど、それでは不十分だったか」


 アキラは首を振った。体調は問題無い。

 自己の身の加減を探り、そしてアキラは記憶を呼び覚ます。

 自分たちは、逃れたのだ。あの煉獄から。


「……もうひとり」

「?」

「もうひとり、俺以外にもいませんでしたか? ここに運ばれた人間がいるはずなんですが」


 無表情な白衣の女性は、うむ、と頷くと、僅かばかり思案するように目を細めた。

 白衣を纏いながらそういうことをされると、直前に視てしまった“絶望”に直結してしまうのだが、白衣の女性はアキラの様子に構わず淡々と言葉を吐き出す。


「この地で凝り固まらない方が良い。下手に謙れば付け込まれ、非情にも切り捨てられる。そんな様子で、君はよくこの大陸で生き残れたね」

「……もうひとり、いたはずだ」


 思ったよりも自然に、アキラは慣れない口調を捨てられた。

 内心気が立っているのかもしれない。


「彼女はとっくに目を覚ましたよ。私に君のことを頼んで、自分の服を直しにもらってくるそうだ。探索係の2人に運び込まれたとき、君はともかく彼女は大怪我を負っていたのだが、流石の血筋と言うべきかな」


 とりあえずは無事なようだ。アキラはほっと息を吐く。煉獄からの生還に、一気に身体中から力が抜けていった。

 自分たちを助けてくれた探索係とやらの2人にも礼を言わなければならない。


「俺たちを助けてくれた2人はどこにいるんだ?」


 そんなつもりで、アキラはそう口にした。

 すると目の前の女性はまたも、うむ、と頷き、


「死んだ」


 空気に溶け込むような口調。

 その言葉を、アキラは即座に呑み込めなかった。


「君たちがここに運び込まれたのは昨日の夕暮れ。今は昼だ。その間に、死んだ」


 アキラは喉が凍りつき、ぱくぱくと口を動かす。

 それでもその白衣の女性は、無表情のまま、淡々と、言葉を続けた。


「そんなものだよ、タンガタンザは」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「お前たちと、確認すべきことがある」


 巨大な広間の高い天井に、重圧さえ覚える声が広がった。

 1辺数百メートルはある莫大なそのホールの造りは、壁の1ヶ所に高台が設置してあるだけの質素なものだ。

 その高台に立つ男、ミツルギ=サイガは、今年で齢40を迎えるとは思えぬほど猛々しい肉体を持つ無精ひげの男だった。

 真紅の衣を纏い、耳の辺りで強引に切り落としたような短髪を振り乱し、日に焼けた重厚な面構えで断言する。


「この中に、死ぬ気で戦おうとでも思っている者がいるのなら―――それは愚者だ」


 サイガの眼下に並ぶは、巨大ホールを埋め尽くす尋常ならざる人の群れ―――否、“塊”。

 数えることも叶わぬほどに並びに並んだ彼らはそれぞれ独特の武具を肩、あるいは腰に提げ、無数の眼でサイガを見上げている。

 気も遠くなるほどの熱気の中、その誰もが口を真一文に強く結び、戦意に満ちた瞳を絶やすこと無く光らせていた。


「お前たちは、俺たちは、とうの昔に死んでいる。すがりつくべき生から離れている。切り替えなどという言葉は捨てろ。戦意を削ぐな。殺意を分散させるな。事象など、事情など、眼中に入れることは恥と知れ。お前たちは、俺たちは、槍のように尖り、矢のように飛び、目の前の敵を殺すことだけ考えればいい」


 サイガは総ての“兵”に睨みを利かせる。それはその言葉通り、殺気の域だった。

 ホールは完全に静まり返り、誰もが微動だにしなかった。


「…………これ、笑うとこなのか?」


 そんな異様な会合が行われているホールの外。唯一もぞもぞと動く男がいた。

 ヒダマリ=アキラは、申し訳程度に開いた勝手口にいた。

 病人着からいつもの青い上着とジーンズに着替え、無表情な女性から追い出されるように仮眠室とやらを出たアキラは、行く当てもなく巨大な建物の中をうろついていた。

 鉄の扉が並び続ける装飾品の無い広いだけの廊下を歩き、物音が聞こえてこの場に来てみれば。


 待っていたのはとんだ茶番だった。


 元の世界のB級映画の軍隊シーンか何かで見たような気のする光景が目の前にある。

 こういうときに使うとは思わなかったが、アキラはしんみりと思った。

 何が。何が―――起こっている。


「では、何を今さらと思うであろうが、最後に問おう」


 妙に落ち着いた声がホールに小さく響いた。

 大人数が物音ひとつ立てずに整列しているお陰で、アキラの耳にも大男の声が拾える。


「覚悟はあるか」


 無数の人間の返答に、ホールの大気が轟いた。半開きにしていた震え、思わずアキラは扉を閉じる。

 鼓膜をやられたと思ったアキラは耳を塞ぎ、その場にうずくまった。

 続いて、ゴゴゴと重い音が響き、局地的大地震に襲われたように大地が揺さぶられる。

 しばらく身をかがめていたアキラが恐る恐る扉を開くと、すでに無数の人は消え、ホールは静まり返っていた。

 そして、大広間の奥の壁が天井付近まで持ち上がっている。あそこはシャッターのような巨大な通行口であったようだ。彼らはみな、そこから出ていったのであろう。

 激を飛ばしていた大男も、高台の奥の扉から出ていったようだった。

 一体、今のは何であったのだろう。ある種宗教じみた光景に、アキラは頬をぽりぽりとかく。そして何となく広間の中央まで歩き、両手を腰で組んで高台を見上げてみた。

 何が起こっているかは知らないが、熱気の残る中でこうしていると、先ほどのよく分からないシーンの一員になれたような気がする。


「総帥!! ご命令をアホなことやってないでサク探すか」


 一瞬で飽きた。

 とりあえずサクを見つけ出さなければ、今後の方針も立てられない。

 アキラは頭を振り、巨大な通行口に向かって歩き出した。この屋敷の詳細はまるで分からないが、外まで出れば何か分かるかもしれない。

 自分の緩慢な動きに、アキラは僅か苦笑する。知らない屋敷にいるというのに、まるで自分は慌てていない。

 随分と神経が太くなったものだ。もっとも、あの煉獄に比べればどこであっても安息の地に他ならないと感じているだけかもしれないが。


「お……う」


 巨大な通行口から足を踏み出すと、眼前にあったのは巨大な道だった。

 会合が行われていた大広間の幅でそのまま道が伸び、道の脇には倉庫のような鉄の建物がずらりと並び続けていた。巻き上げられた土埃がもうもうと漂い視界が極端に悪く、遠方は見えない。だが、煙に覆われた視野の先、隙間から巨大な岩山の影が見えた。

 この場で会合を行っていたあの面々は、あの岩山に行ったのかもしれない。


「ごほっ、あー」


 アキラは目を細め、道に背を向けた。まともに目も開けていられない。どうやらこの巨大な屋敷に戻った方がよさそうだ。


「……ほぅ」


 外から見ると、屋敷の膨大さが分かった。

 どこぞの和の将軍が居でも構えているような城とでも言えば的確だろうか。アキラがいるのは顔をほぼ真上に向けなければ頂点が見えない大門の前なのだが、建物の頂点は嫌でも視界に入り込んできた。天を衝くとは正にこのことで、頂点で煌々と輝く太陽の直下に三角形の屋根を構え、そこから同型の屋根が段差のように左右に連なっている。もともと壁は白塗りであったのだろうが、サイズゆえにか、あらゆる暴風を一手に引き受けるであろう巨大の屋敷は薄汚れ、しかしかえって重厚さを表していた。

 城に限らず、あらゆる建造物は遠く離れた地点で見てこそ広大さが分かるものであろうから、眼前の巨大さはほんの一部程度なのかもしれない。


「…………」


 ただ、アキラはこの城を見ても、和の雰囲気を感じ取ることはできなかった。

 古風ゆかしき形状の城。

 戦国武将でも座していそうな城。

 元の世界の修学旅行か何かで、幾度か見た城と同型の―――巨大な城。


 しかし、形状が同一でも、目の前の城は―――メタリックだった。

 “鉄製”。

 重々しささえ醸し出す薄汚れた城は、いたるところが鉄鋼物で構造されているようだった。そこに古風さは微塵も無い。ところどころ錆つき、鉄特有の匂いを風に乗せている。太陽の光を強く受け、熱量の塊と化し、身悶えるような熱気を放出していた。

 ふと、アキラは思い至る。

 自分がこの世界に来て―――日付を確認したが、強制転移のタイムロスはほぼ無かったらしい―――約3ヵ月。


 燃えるような―――夏が襲来していた。

 甲高い虫の音が響いている。


「鉄で家造るとか……」


 頬を焼かれるような熱気に汗を噴き出し、アキラは逃げるように、あるいは挑むように大門に向かって歩いた。

 屋敷の中は涼しかったように思える。流石にある程度の工夫をしているのであろうが、少なくとも外への配慮はされていない。近隣の民家には多大な迷惑をかけているであろう。

 アキラは埃にやられた目を擦りながら、屋敷の中に一歩足を踏み入れ、


「……?」


 違和感。

 アキラは眉を寄せた。

 今、自分の眼は何かを見た。そして、本能的に何らかの違和感を覚えたのだ。

 もやもやとした感覚が残り、アキラはただならぬ熱気とむせ返るような土埃の空間に舞い戻る。


「……!」


 違和感の正体が、今度は分かった。自分の眼は、“文字”を拾ったのだ。

 強固な鉄製の建物の外。

 引き上げられた大門の脇。

 そこに、何故か木製の、身の丈ほどのサイズの“表札”が貼り付けられていた。


 そこには。


「“漢字”……?」


 『御剣』―――と、記されていた。


 ゴ、ウ、ン!!


「っ―――」


 直後―――大地が跳ねた。

 瞳が捉えていた表札が暴れ回り、地上の砂粒が逃げ惑うように跳躍する。ほとんど頭上から砂を被ったアキラは眼と口を閉じてかがみ込んだ。庇った腕で擦った眼を強引に開き、飛びかかるような姿勢でアキラが振り返ると―――遥か遠方。

 つい先ほどまで景色にあった岩山の一部が黒煙と化し、炎上し、天を染め尽くすかのように立ち上っていた。

 噴火と見紛うその事象。しかし、冷え切るアキラの本能が告げれば、事情は違った形を映し出す。

 あれは―――戦火だ。


「おっと、“知恵持ち”がいたかな。援軍も間に合わなかったかね」


 太くも軽い声が、屋敷から聞こえた。

 砂まみれになったアキラは慎重に立ち上がり、屋敷に振り返った。


 今の振動でも表札以外微動だにしなかった巨大な屋敷の前。

 立っていたのは大男だった。無精ひげに、日に焼けた―――あるいはこの城以上に重厚な面構え。

 大男は、先ほど大軍に演説を行っていた男だった。真紅の衣は脱いだのか、服装はタンクトップを羽織っただけで、だらしない風情になっている。

 立ち上る土埃の中、大男は足取り軽く大門で傾いだ表札を正すと、思い出したようにアキラに顔を向けてきた。


「今からこの門閉めるけど、君は入るかい?」


 演説のときとはまるで違った口調に、アキラは戸惑い、辛うじて首を縦に振る。

 すると大男は、そうかと呟き門の脇での操作を止めた。あの場所に、大門を閉める仕組みでもあるのだろう。

 しかし、それだけ。

 大男は、すでに爆炎上がる岩山を見てもいなかった。


 それこそ―――眼中に無いように。


 アキラは再三岩山を振り返りながら、歩を進めた。

 改めて、思う。


 何が。何が―――起きている。


―――***―――


「いやさ、あっちーんだよ、この屋敷。いや中じゃなくて外がさっ。俺らはいいけど、近隣から苦情来まくってんだ。冬なら冬で寒いだとか喚き立てるし。んだよぅ、普段この屋敷の恩恵受けまくってるくせに……いや、“非情”なタンガタンザとはよく言ったもんだ。がっはっはっ」


 ミツルギ=サイガ。

 そう、この男は名乗った。

 軽快な足取りで軽口を叩くこの大男は、その名の通り、この屋敷の所有者であると言う。

 口調は白々しく、しかし重々しい声に、タンクトップという軽装で思うまま曝しているような猛々しい肉体。そんな風情でそんな肉体を揺らして練り歩く姿は、それなりに歴戦の兵を思わせるのだが、それ以上にギャップが酷い。


 そんな違和感と戦いながら、ヒダマリ=アキラはサイガの後に続いていた。

 遠方が透けるように長い廊下の至る所に閉まり切った鉄製の扉が並ぶ空間は、屋敷の中と言うより牢獄を連想させる。


「……さっきの爆発は、何なんだ?」


 アキラは、あの休憩室とやらで出会った無表情な女性の教えを遵守し、強い口調で訊いた。この屋敷の主と聞いた瞬間腰が抜けたのだが、あまりにフランクなサイガを前に、かしこまる気持ちは薄れていた。


「いや、分からんよ。こっちが持っていった火薬がやられたのか、なんかの魔術なのか、……まあ、どっちにしろ火薬は消えたかなあ?」

「火薬……?」

「おう、爆発物はいいぞ。起爆させれば破壊力は抜群だ。楽にその場を殲滅できる。チュドーンてな」


 軽い口調のところどころに物騒な単語が入り込むサイガの言葉は、アキラの違和感を強くした。先ほどの演説を見た直後となるとさらに拍車がかかる。

 長い廊下に、軽快な足音と、静かな足音が響く。

 アキラは眉を潜め、進み続けるサイガの大きな背中を眺めた。

 物騒なサイガの言葉に、先ほどの爆発―――戦火。

 わけの分からないことが多すぎる。

 この男に、いや、この男でなくとも、自分は現状を訊かなければならない。


「一体今、何が起こってるんだよ?」

「おおっと、質問ばっかだな。今度は俺に訊かせてくれや。君は旅の魔術師とかかなあ?」


 当主として当然も当然の質問がきた。

 屋敷に招いた後では遅いような気もするが、素性を知る必要はあるのだろう。


「俺はヒダマリ=アキラ。えっと、倒れていたところを助けられたらしくて……」

「野郎の素性なんて知っても面白くねぇよ。けっ」

「…………」


 サイガから、重い口調が返ってきた。

 アキラは一瞬絶句し、目を細めた。


「あーあーあー、覚えちまった、覚えちまった。まあいいや。ヒダマリ君は、旅の魔術師なのかなあ? だよな、そうだよな。だって武器とか持ってるし」


 この世界では呼ばれ慣れていない名にさらなる違和感を覚えながら、アキラは背の剣の感触を確かめた。

 休憩室とやらに立てかけられていたのを発見してからずっと背負っているのだが、この錆の塊を剣と形容するのはいささか抵抗があった。

 思った以上に頑丈だと知ることはできたが、この棍棒の切断力は皆無である。


「ならそっか、うん、よし。分かった、察した。完璧だ。暇かい?」

「暇……って、いや、違う、俺は今、人を探していて、」

「いやいやいや。そんなわけねぇってよく考えてみ? よく分からんがお前この屋敷に運ばれたんだろ? そして俺は当主なわけじゃん。そんな超恩人の頼み事を前に、自分の都合を優先させるわけねぇって。俺は人を見抜く眼には、自称だけど定評があるんだ。ヒダマリ君は恩義を大切にする奴だよな?」

「自称だけど定評……」


 コミュニケーションがほとんど成立していなかった。

 アキラは思わず拳を握り、何となくサイガの後頭部を眺めてみる。しかし彼の言葉通り、恩人は恩人だった。視線だけで、後頭部に抗議する。

 するとサイガはくるりと振り返り、髭面を悪徳代官のように歪めて笑った。


「ヒダマリ君。そこそこ腕に覚えがあるか?」


 頼み事やらは、すでに始まっているのだろう。

 アキラは脱力し、僅かながらのプライドで、首を縦に振った。


「よしよし。じゃあいろいろ説明しよう。丁度“説明会”を始めるところだったんだ。人を待たせてある」


 ここが目的地であったのだろう。

 サイガは延々と続いていた扉のひとつに手をかけ、ノブを回す。


「まあ、大まかには言っておこっかな、さっきの質問の答えにもなるし」


 サイガは、どこかで見たような―――触れれば切れるような瞳を携え、しかしそれでもフランクなまま、軽々しく、言った。


「ちょっと、戦争してもらおっか」


―――***―――


―――ミツルギ家。


 その名に“家”と付くものの、ミツルギ家は街の名称と化していた。

 西の大陸タンガタンザの北方付近に構えられた全長数千メートルにも及ぶ巨大な屋敷を中心に都市が栄えているのだから、確かに正しい名称なのであろう。事実、世界に数ヶ所ある“神門”の周辺も名称は『ヘヴンズゲート』で共通されている。

 しかし、ミツルギ家はタンガタンザにおいて、ヘヴンズゲート以上に栄えていた。

 巨大な山脈付近に居を構えたミツルギ家の鉄鉱製鉄は、鉄鋼業において優れた評価を持つタンガタンザの中でも群を抜いて凄まじく、尽きることの無い芳醇な資源で数多の武具を生産している。

 ミツルギの本家を囲う数多の街の規模は数百キロにも及び、“諸事情も相まって”ミツルギ家を訪ねればタンガタンザは行き尽くしたと言われるほど広大である。

 そこまで評価される都市は、“神門”を除くとシリスティアのファレトラ程度しか存在しないのだから世界有数という表現が相応しい。

 しかし現在、常に雑踏に埋もれているファレトラとは違い、ミツルギ家を訪れる観光客は多くない。

 訪れる者と言えば、“止むを得ず”優秀な武具を求める者や、“止むを得ず”儀式用の祭具の生産を求める者―――あるいは、法外な依頼料で集められる傭兵程度であろう。

 結局のところ、ミツルギ家に―――より正確に言えば、タンガタンザに望んで訪れる者は存在しない。


 それもそのはず。

 現在。


 タンガタンザには燃えるような―――戦争が襲来していた。


「ぐぉぉぉおおおおーーーっ、がぁぁぁああああーーーっ、ギリギリギリ……うみゅぅ」


 いっそ、清々しい。

 アキラを出迎えたのは、いびきと歯ぎしりだった。

 部屋の中は木製らしく、宿屋の一人部屋程度の狭い空間。その中央、部屋に唯一備わっていた木の丸いテーブルに、腕ごと投げ出して突っ伏している女性が、アキラの瞳に真っ先に飛び込んできた。

 身体は小さく、華奢な女性に見える。

 黒髪の後頭部にはお団子のように髪を丸め、首筋から覗く肌や机の上で伸ばしっぱなしの半袖の腕は、年がら年中外を飛び回った子供のように淡い褐色だった。


「……、……………………」


 そしてその隣。

 黒いシルクハットを被った男が座っていた。

 女性とは違って色白の男は、肌に反した黒い口髭を蓄え、小さな丸眼鏡を鼻にかけている。

 中年のように見えるその男は 帽子と同じく黒い小奇麗なマントを羽織っていた。

 肌が白く、しかし全身黒ずくめの男は、たった今部屋に入ったアキラたちを一瞥もせず、腕を組んで眼前を眺めている。


「あっちゃー、ツバキちゃん、待ち切れずに眠っちゃった?」


 奇妙な二人組が待ち構えていた狭い部屋に、サイガはへらへらとしながら入り込む。

 陽気な足取りでツバキというらしい突っ伏した女性に近寄り、頭のお団子を指でピンピン跳ねる。

 眠ったツバキは、無抵抗に髪を弄ばれたが、いびきと歯ぎしりに変化は無かった。

 サイガは面白そうに笑い、ツバキの頭で遊びつつ、腕を組んだ男に向き合う。


「いやいや、クロッ君も悪かったね、俺もいろいろ多忙でさ、ここに向かおうとする途中、演説があるだろって怒られちゃってさ。んだよぅ、あいつ。部下のくせに」

「……、……………………」


 極めて軽いサイガの言葉に、腕を組んだ男は無言のまま正面のみを睨むように眺めるだけだった。

 サイガは眉を寄せ、ツバキの後頭部から手を離し、男の目の前でひらひらと振ってみる。

 しかし、腕を組んだ男は微動だにしなかった。


「こいつ…………、目を開けたまま寝てやがる……!!」


 サイガは目を丸くし、手のひらで自己の顔を抑えた。


「あっちゃー、まずいなあ。今から説明始めようとしてたのに。眼鏡叩き割るぞこのヤロウ」

「…………、あの、俺はどうすれば?」


 アキラは、ついに我慢できずにいらついた声を出した。

 サイガは両手を上げて首を傾げる。

 サイガにとっては『説明』とやらが始められないことについてのポーズだろうが、アキラの困惑はサイガの比ではない。

 アキラには、この2人、あるいはサイガも入れて3人の正体も、そもそもこの部屋に連れて来られた理由も分からないのだ。


「あーあーあー、ラングル君もいなくなってるし……。まあいいや、ヒダマリ君、適当なとこ座っといて」


 もうひとり増えるのか。

 アキラは辟易し、言われた通りに丸テーブルに着席した。

 眼前には腕を組んだ男がいる。

 睨まれているように感じるが、その乾き始めていそうな瞳は何も捉えていないように見えた。本当に目を開けたまま眠っているらしい。

 眠った2人と共に席につき、アキラは出会ってもいない、もうひとりの心情を察した。

 確かにこの場からは離れたいと感じる。


「参ったなあ……、よし、とりあえず2人を起こそうか」


 サイガは踊るようにツバキの背後に回り、アキラに向けてウインクしてみせた。


「ヒダマリ君。耳塞ぐの得意?」

「とく……、いや、特技にカウントしたことないけど、しょっちゅうやってる」


 アキラは騒がしい少女を―――あるいは、少女たちを思い起こした。

 そして思い至る。

 そうだ。そもそも、“そのために”、サクの力が必要なのだ。すっかりペースに呑まれていた。一刻も早く、サクを見つけ出さなければならない。


「いくよ」


 そんなことに思考を走らせたからか、アキラは、初動が遅れた。

 サイガは、にこやかな笑顔のまま、ツバキの背後から、その両腕で。


 眠っている女性の胸を鷲掴みにした。


「――――――ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいっっっっっっっっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!??????????」


 ここ数日。

 アキラの鼓膜は吹き飛びっぱなしだ。

 狭い部屋で響いた轟音は風圧さえ発生するほど巨大で、アキラは危なく椅子から転げ落ちそうになった。

 壮絶な悲鳴と共に目を覚ましたツバキというらしい女性は半狂乱になりながら丸テーブルを飛び越える。

 驚愕すべき運動神経だったが、そのままの勢いでドアの脇に何故か置いてあった巨大な白い袋に激突し、そのまま巻き込むように倒れ込んだ。

 倒れた白い袋から鮮やかな緋色の小石がジャラリと床に散乱する。

 ちらっと見た限りだと、ツバキはアキラよりいくつか年下のようだった。


「おっ、おおおおおおおお犯されたぁぁぁあああっっっ!!!!!!!!」

「やーやーやー、ツバキちゃん。元気そうでおじさんは嬉しいよ。でも女の子がそんなこと口にしちゃダメだって」

「伯父さん!? てっ、てめぇかごらぁっ!! クロック様に捧げるはずだったのにぃぃぃっっっ!!」

「いやいや、俺じゃないって。クロッ君がやったんだ」

「……………………へ?」


 そこで。

 ツバキはピタリと騒ぐのを止め、口に手を当てる。

 半袖短パンと機能的な服装の彼女は、姿に反して深窓の令嬢のように硬直し、こほりと咳払いをした。

 そして、先ほどの騒ぎでも腕を組んだまま微動だにしない男を見て、みるみる顔が赤くなっていく。


 そんな茶番を見ながら、アキラは、どこかで経験したような喧騒と音量だと、どうでもいいことを考えていた。


「え、あ、え? あ、あの、クロック様。私……を?」

「……、……………………」

「い、いや、そ、その、クロック様だとは思わなくて……、ご、ごめんなさい。えっと、い、いきなり、でしたから……」

「……、……………………」

「あ、あの、クロック様も、そう想っていてくれたんですか? ……だったら、私、答えます。私は、クロック様のことが…………。あ、あれ? クロック様? もしかして、寝て……」

「茶番は終わりだ。お前の胸を揉んだのは、ミツルギ家現代当主―――このミツルギ=サイガ様よっ!! かぁっかっかっかっ」

「…………殺す。殺す……!!」

「茶番は終わりはこっちの台詞だっ!!」


 アキラは、生まれて初めてちゃぶ台返しというものに挑戦した。

 丸いテーブルを掴み、そのままサイガに向かってひっくり返そうとする。

 もう限界だった。

 “続く日々”が途絶えた直後、何が悲しくて正しく茶番に付き合わなければならないのか。

 しかし。

 アキラが全力で投げたつもりのテーブルは、微動だにしなかった。


「……ああ、よく寝た」


 アキラの、正面。

 口ひげを蓄えた男が渋い声を漏らした。

 組んでいた腕を解き、いつしか―――片手を机の上に置いていた。

 そしてそれだけで、机は、床に張り付いたように動かない。

 その事象に、アキラは高ぶった感情を抑え込む以外何もできなかった。


「クロック様……、えっと、その、いつから起きてました?」

「うむ、今だ。何か騒がしいことが起きたのだろうか……。む? サイガ。そちらは客人か?」

「そーそー、ヒダマリ=アキラ君。暇なんだってさ」

「あの、クロック様。ええっと、その、私の話とか、聞いちゃいました……?」

「そうか。私はクロック=クロウ。こちらは私の従者のミツルギ=ツバキ。ヒダマリ=アキラ、というのか。特に感想も無い名前だ。それゆえに、お前は幸運だ」

「……?」


 クロックと名乗った男の渋い声と、その言葉に、アキラは眉を寄せた。

 クロックの隣では、ツバキがじゃれつくように腕を引いている。


 クロック=クロウとミツルギ=ツバキ。

 言葉から、2人は主人と従者の関係にあるらしい。

 慌ただしいツバキと違い、クロックは、貫禄を伴った静けさを持っていた。


 クロックは、ツバキに引かれていない方の手で帽子を掴み、挨拶のつもりなのか顎を上げた。


「クロック様、その、聞いちゃったりして、いるん……ですか?」

「ツバキ、僅かばかり待て。サイガに連れて来られたということは、お前も参加するのだな」

「わ、私が言ったこと、そ、その、嘘です、……いや、あの、嘘、というか、まだ早い、というか、いや、で、でも、えっと、あぅ……、こ、答えは、聞きたい、です」

「ツバキ、悪い、ちょっと待ってくれ。アキラ。どうせこの男のことだ。もう運命からは逃れられんだろう。それ相応の働きを期待しておこう」

「ねーねーねー、クロックさまぁ、私の話、いや、この場合今なんですけど、聞いてます? ねーねーねー」

「……、…………ツバキ、悪いけど、本当に待ってくれ」

「ねーねーねー」

「だから待てっつってんだろぉっ!! ホントちょっとでいいんだわ!! 今俺の印象が固まる大事なところだからさぁぁぁっっっ!!」

「ごっ、ごめんなさいぃぃぃっ!!」

「つーかテメェ俺の荷物ぶちまけてんじゃねぇよっ!!」


 豹変したクロックの怒号に、ツバキは慌てふためいて先ほど散乱させた小石を袋に戻し始めた。

 アキラは心の中だけで、ツバキに『ティア2世』とあだ名をつけ、そのまま机に突っ伏す。

 この奇妙な面々に、これ以上ついていけというのは無茶な相談だった。


「変わってる面子でしょ」


 最も変わっているのはお前だ。アキラは顔も上げずに、サイガに心で呟いた。

 心の底からサクや他の2人に会いたい。

 日常が途絶えた直後、自分が降り立ったのは総てが謎の、理解不能な空間。

 自分でも筋違いに近いと思いながらも、日々を途絶えさせた『不死の魔族』を心の中で強く呪った。


「ま、“変わっているから”ここにいるんだけどね」


 サイガが呟き、アキラは顔を上げた。


「さあさ、2人とも」


 サイガはパンパンと手を叩き、クロックとツバキを席につかせた。


「ラングル君はいないけど、どうせすぐ戻ってくる。その間に、簡単な説明をヒダマリ君にしといてくれ。仕事仲間の初顔合わせだ。どーでもいいけど親睦でも深めてたらいいじゃないかな? 俺は彼を探しに行くよ」


 この2人とこの場に残れと言うのか。

 アキラは殺意にも似た感情を、部屋を出ていくサイガに向けた。

 だが、へらへらしたサイガが振り返り、微笑したところで、この男が残っても同じことだと察し、口を紡ぐ。


 ドアは静かに閉まってしまった。


―――***―――


「えっとよ。あんた、この屋敷の人間か?」


 男は、目の前を歩く少女に意を決して話しかけた。

 振り返った女性の瞳は触れれば切れそうで、巨大な屋敷の中だというのに戦場と錯覚してしまうほど鋭かった。

 もっとも、この大陸においてはどこであっても戦場という表現は相応しくなってしまうのであろうが。

 男はそんなことを思い、そしてギリと奥歯を噛む。

 この大陸は狂っている。

 このタンガタンザに到着してからというもの、機嫌の良かった日など1日たりとも無い。


「随分つけ回していたな。要件は何だ」

「……ピコピコ揺れてる後頭部の毛が止まるのを待ってただけだ」


 機嫌が悪いのは向こうも同じだったらしい。

 だが、男も自分の感情を隠しもせずに嫌味を返した。


「……ま、険悪になってても仕方ないか。あんた、この屋敷に詳しいか? どうやら俺は迷ったらしい」

「“非情”なタンガタンザ」


 少女は、それだけを吐き捨て背を向けた。

 本格的に機嫌が悪いらしい。

 投げやりのような言葉を受け止め、男は、盛大にため息を吐く。すると少女は、思い直したのか振り返ってきた。


「……すまない。気が立っていた。それに私も人を探していたところだ。心当たりは無いか」


 自分に“情け”をかけてきたのか、それとも言葉通り“自分”に価値を見出したのか。

 少女は男に一歩詰め寄ってきた。彼女の纏う紅い衣は、物寂しい廊下の中では特に映えた。


「誰を探してんだよ?」

「訊いたのはそちらが先だ。どこへ行きたいんだ?」


 少女は、妙なところで儀を立ててきた。これがこの少女の本来の姿なのか、男には判断がつかなかった。

 いずれにせよ、彼女は自分がこの屋敷で出会った人間とは違うようだ。これまでに出会った者など、心が折られるほど素通りしていったのだから。

 ここは、久しぶりの情けに甘えるべきであろう。


「部屋だ」

「部屋か……。部屋?」

「ああ、部屋だ」

「…………うん、よし。私が探しているのは、ごく一般的な剣を担いだ男で、」

「まだ俺のターンは終了してねぇぞ」

「ああ、そういうことを日ごろから言っていそうな奴だ」

「分かるかぁっ!! てめぇそんな感覚的な言葉で人探そうなんて甘すぎんだろっ!? この屋敷の広さを舐めてるとしか思えねぇ……!!」

「そっちが先に始めたんじゃないか」


 少女は呆れたような表情を作り、それに、と続け、


「この屋敷の広さは、よく知ってるよ」


 どこか―――霞むように瞳を伏せた。


―――***―――


「話が逸れたな。ヒダマリ、だったか。それではサイガに言われた通り、説明を始めようか」


 もう遅い。遅すぎた。

 取り繕って話し始めた口髭の男―――クロック=クロウの言葉を、アキラは脱力し切った姿勢のまま受け取った。

 クロックの右手はまっすぐ伸び、隣のツバキの顔面を鷲掴みにしている。

 じたばたと暴れるツバキを見て、アキラはごくごく小さな声で、『ティア。ステイ』と呟いてみた。


「……ご職業は保育士か何かで?」

「いや、元村長、とでも言うべきだろうか。タンガタンザにミツルギ家以外の都市を栄えさせてみようと試みただけなのだが」


 その結果を、アキラは訊かなかった。元と言う以上、失敗したのだろう。

 その上、心底興味が無い。


「さて、どこから話そうか。君は見たところ、」


 黒いシルクハットの下から覗きこむようなクロックの瞳が、壁に立てかけたアキラの剣に移り。


 重い―――表情になった。


「他の大陸から来たのだろう。それでもタンガタンザの情勢を知っていれば十分、と言いたいところだが、我々は事情が違う」


 説明を始めたクロックの言葉からは、感情という感情が欠落しているかのように思えた。

 それほど乾き、そして抑揚のない声。

 そんな平坦な声は、刷り込むように前提を語る。


「ミツルギ家は―――いや、タンガタンザはと言うべきか、戦争を行っている」


 戦争。

 戦場。

 そして、戦火。


 クロックの言葉で芋づるのように出てきた言葉は、アキラの中で先ほどの大爆発と結びついた。


「戦争って……どこと?」

「どこ? 決まっているだろう。“魔族”とだよ。百年以上続く―――戦争だ」


 “魔族”。

 背筋に鉄棒をねじりこまれるような感覚に、アキラの崩していた姿勢が自然と整った。

 そんな単語が、静かな部屋の中で、ごく自然に出てきた―――出てきて、しまった。

 クロックの表情は微塵にも崩れていなかった。

 百年以上。

 それは。それはとっくに日常で―――タンガタンザに根付いている。

 アキラは目を細めた。

 ここまで来たのだ。真面目に聞いてやろうではないか。


 クロックは思案顔を作り、表情を再び重くしていく。


「タンガタンザは戦争を行っている。そんなことは周知の事実だ。タンガタンザではそれが正常。物珍しさに―――あるいは、高度な武具目当てに訪れる者もいるほどだからな」


 流れるように終わった説明を、当然のことながらアキラは初めて知った。

 後半部分はどこかで聞いた気がしたが、タンガタンザが―――彼女の故郷が、“それ”を日常としていることは、予想だにしていなかった。

 そして、自分がそんな大陸にいることにも、畏怖の念を覚える。

 自分の途切れた日常は、不時着地点を間違えたらしい。


「問題なのは、現在タンガタンザが、その戦争の節目を迎えていることだ」

「……節目?」

「ああ。だが節目にできるか否かは、我々の双肩にかかっているのだがな」


 クロックは、アキラを試すように瞳を光らせた。


「タンガタンザは常日頃から戦火を浴びている。しかし、毎年この時期になると魔族側が『ターゲット』を設定するのだ」

「ターゲット?」

「ああ。特定の建物、あるいは特定の人物だ。『ターゲット』に設定されたものを、魔族側が狙い、人間側が守護する。期間は3ヵ月、と言ったところか」


 アキラは腑に落ちない表情を作った。


「魔族が何を考えているかは分からん。変わっている―――とでも言えるか。元はこの大陸の人間でない私自身、タンガタンザの内情を知り驚いた。話には聞いていたが、“本当に魔族がそのルールを遵守していることに”。この戦争にはそういうルールが存在するのは事実なのだ」


 ルール。

 遵守すべきもの。


 アキラは、そんな存在と“魔族”は無縁のものだと思っていた。


 現にアキラが今まで出遭った“魔族”。

 サーシャ=クロライン。

 リイザス=ガーディラン。

 “鬼”。

 そして―――ガバイド。


 それらがそんな面倒なものを設定するとは思えなかった。

 魔王―――は、例外か。あの存在は、“狙い”を知っている今でさえ、何を考えているのか分からなかった節がある。


 となるとタンガタンザを攻めている魔族は、やはり今まで出遭っていない魔族なのだろう。

 変わっている―――か。

 クロックの言葉が、妙にアキラの頭に残った。


「ええっと」


 アキラは頭を振り、


「それで、その『ターゲット』ってのを壊されたり、守り切るとどうなるんだ?」

「守り切った場合は―――そうだな、束の間の平穏が訪れる。年が変わり、次の『ターゲット』が設定されるまで、タンガタンザの戦争は停止する」

「……本当に、か?」

「ああ。現に私も、アイルーク以上に平和なタンガタンザを見たことがある」


 生き証人がいるのなら、そのルールというのは本物なのだろう。

 相変わらず魔族の意図は分からないが、相手はそれを遵守している。


 アキラは姿勢を崩した。

 最早これは戦争ではなく、ゲームと言った方が良いのかもしれない。

 人間側と魔族側が『ターゲット』を巡って争う。

 百年以上続いていると言っても、そうしたルールがあるのなら救いはある。


「それで、破壊された場合は?」

「破壊された場合は―――特に無いな。タンガタンザにとっての“日常”が続くだけだ」


 ますます、だった。

 重みが無い。そのゲームは、人間側にしか得が無いのだ。

 あくまで他人事であるアキラにとって、タンガタンザの重さは感じられなかった。

 百年以上続くという戦争。

 だが、アキラは数百年前から続くと言われる伝説にも挑み、“数千年に一人の天才と言われる少女”にも出逢ったことがある。

 その程度の単位では、アキラの心は動かない。


 が、クロックは口調を変えず、そのまま、続けた。


「その結果、タンガタンザのほぼ全域が焦土になってはいるが」

「―――」


 アキラは耳をぴくりと動かした。

 聞き間違い―――ではない。


 アキラはかつてこの世界の地図を見たことがある。

 簡易にだが地図に描かれていたタンガタンザは、実質的な面積ならば―――“世界最大の大陸ではなかったか”。


「人間側が勝利したことなどほとんど無い。毎年“戦争というペナルティ”を受け続けている。脅威と言うべきか、流石に魔族と言うべきか。かつて数多の豪族が存在していたこの巨大な大陸は、“僅か百年で壊滅状態に陥っているのだ”」


 淡々と言葉を続けるクロックの口調は、本当に乾いたものだった。

 タンガタンザにとって―――あるいは“この世界”にとって周知の事実であるからなのか、それとも彼そのものが乾いているからなのかはアキラには分からない。

 彼の言葉からは、本当に感情が読めないのだ。

 そしてそれゆえに、言葉を呑み込み辛い。

 そして呑み込んでも、後味の良い話ではなかった。


「当然、他の大陸に逃れた者もいる。が、多くはこの世を去った。現在人間が生活可能な地域は北方や南方のごく一部。中央付近はほぼ全て“喰われている”―――割れた大陸とでも言えるか」


 “割れた大陸”。

 クロックは、タンガタンザの中央は戦火に粉砕されたと言う。

 まさしく彼の言うように―――たった、百年で。


 アキラの意識が一気に覚めた。

 今まで見てきた魔族の被害。

 数多の村を支配していると思われるサーシャ、赫の大群を空が埋まるほど差し向けてきたリイザス、巨大な港町ひとつを破壊しようとした“鬼”、そして、シリスティアに禁断の地を容易に造り上げたガバイド。

 言ってしまえばそれは、“スケールが小さい”。

 被害など、実際に巻き込まれた者だけが分かる程度のものだった。

 が、このタンガタンザを攻めている魔族は、“大陸そのものを破壊している”。

 そこまでの被害を、ヒダマリ=アキラは見たことは無い。


 “世界にたった5つしかない大陸”のひとつが―――百年で壊滅状態に追いやられた。


 戦争。


「私の村も被害を受けた。もっとも私は、焦土に変わった大地を無理に復活させようとしたために魔族側の侵略を受け切れなかったから、だが。まあ、今まで滅んだ大地は“非情”に切り捨てるだけのタンガタンザにとって、それは奨励すべきことであったらしい。その結果、従者が付いたほどだ」


 アキラはちらりとツバキを見た。

 そして、視線をクロックに戻した。


「さて。解るか? 『ターゲット』を守り切る重要性が。魔族側の侵略が1年止まるだけで、どれほど救われる者がいるのか」


 計算などしたくない。

 百年で大陸ほぼ全域に被害を出す魔族。

 1年の平和は、破格の価値を生み出すであろう。


「……『ターゲット』を、この大陸は、一体何度守れたんだ?」


 アキラも重い声になった。

 そんな魔族を相手に、この大陸は抗ったことがあるのだ。


「2度だ」


 クロックは、あっさりと百年以上続く戦争の―――約百回の“ゲーム”で勝利できた回数を口に出した。

 タンガタンザは、その総和―――いや、単なる和か―――である2年しか、戦争という日常から逃れられていない。


「1度目は17年前。『ターゲット』は当時ミツルギ家次期当主ミツルギ=サイガ。全世界に激震が走ったものだ。タンガタンザの戦争が止まるなど、百年以上無かったことなのだから」

「ミツルギ=サイガ……って、さっきのあの人か。あの人、そんな魔族相手に生き残ったのか?」

「ああ。サイガは期日にアイルークで茶をすすっていたらしい」


 一瞬尊敬しかけたが、やはりそれは一瞬だった。

 緊迫していたアキラは思わず脱力する。


「国外逃亡有りなのかよ?」

「当時はルール上反則では無かった。ゲーム期間中、魔族側も真っ先に港などの交通機関を封じてくる。が、サイガは消えたのだ。手段は私も知らん。その結果、魔族側からルール改訂があったほどだ。『ターゲット』が人間の場合、特定エリアからの離脱を禁じる、とな。それもタンガタンザ全土に激震が走った」


 ますますあの男が胡散臭くなってきた。

 アキラは頭を抱えながら、あの髭面を思い出し、辟易する。

 魔族側にルール改訂をさせるなど、並の事態では無い。

 もっとも―――魔族側がルールを設定していること事態も、だが。


「というか、ルール悪化してるし……。迷惑極まりないな」

「ああ。だが、そのお陰でタンガタンザは初の平穏を手に入れられたのも事実だ」


 アキラは息を呑む。

 タンガタンザの人々にとって、確かにそれは―――至高の年であったのだろう。


「そういう意味においてもサイガは見事と言えるが、奴の最大の功績は他にある。真綿に水が染みていくように滅ぼされていたタンガタンザの消滅を、サイガの代で格段に喰い止めた。ミツルギ家はもともと戦争の一端を担っていたが、本格的に表舞台に立つようになったのも奴の代からだ」


 なんとなく、タンガタンザというものが分かってきた気がする。

 タンガタンザは戦争を行い―――平穏を渇望している。

 しかしそれでも魔族は止まらず、大陸のほとんどが滅ぼされ―――割れた。

 『ターゲット』を巡ったゲームで勝つことは、タンガタンザの人々にとって、最も価値のあることなのだろう。

 そしてそのゲームに初めて勝利を収めた男―――ミツルギ=サイガ。

 手段は知らないが、彼はかつて、タンガタンザの民にとって希望そのものになったのだ。

 少し程度なら、先ほど放り投げた尊敬を呼び戻してもいいかもしれない。


「ところでヒダマリ。お前は見たか? サイガに洗脳された兵たちを。奴らが死をも恐れずカラクリのように突撃していくから、魔族側の進行が、」

「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 クロックの言葉をアキラは全力で止めた。

 部屋中の空気が緩和し始めたのを強く感じる。


 アキラが見た、人の塊。

 彼らにも家族がいて、そしてきっと、それぞれの想いがある。

 しかし彼らはサイガの手駒として、今も元気に戦っているのだろう。


 尊敬は、当然消え失せた。


「最っ悪じゃねえかよ」

「ああ、そうだな。サイガに無駄な尊敬や羨望を向ける必要など無い」


 静かな声だった。

 感情は、やはり分かり難い。


「あの男は人の命を軽視する節がある。いや、命と言うより、人生そのものを、か。口から出るのは出任せばかり。態度や性格すら、人の前でころころ変わる。約束の反故など当たり前。奴を心の底から信用して良いのは、利害が完全に一致しているときのみだ」


 アキラはサイガの様子を思い出す。

 自分に砕けたように話しかけ、しかしそのほんの数分前には重苦しい声で兵士たちを鼓舞していた。

 ミツルギ=サイガという人間を、アキラはまるで計れない。

 何を考え、何をしようとしているのか。

 そう考えたとき、アキラは一瞬、シリスティアで出会った貴族、そして、その執事長を思い出した。

 彼らの考えをアキラが理解できたのは、罠にはまり込んでからだ。

 同じくシリスティアで出逢った貴族の女性は、分かりやすいキャラクターをしていたというのに。


「……ああ」


 アキラは慎重に頷いた。

 クロックは、あくまで平坦な様子で帽子を目深に被った。


 分かり難い人間。

 そういう表現を使うなら、目の前のクロック=クロウも正にそうだった。

 貴族を思い出したからか、アキラの瞳は疑心暗鬼の色を僅かに映す。

 クロックの言葉からは感情がまるで拾えない。

 人を惹き付ける日輪属性のスキルは発動しているであろうに、彼が自分に向けている感情はプラスでもマイナスでもないような気がしてしまう。

 アイルークではこういう人間に出会うことは無かったというのに―――本当に不時着地点を間違えたようだった。


「それで、2度目はなんだったんだよ。今度は建物移動させたとかか?」


 疑ってばかりでも仕方がない。

 アキラは先を促した。


「いや、2度目の勝利も対象は人間だ。あれは2年前―――、ヒダマリ。しばし待て」


 クロックは、首をギリギリと回し、右側を睨みつけた。

 そして、緊迫した空気が今度こそ、消え失せる。


「あ、やっとこっち向いてくれましたね、クロック様」

「ツゥゥゥゥゥゥバァァァァァキィィィィィィイイイイイイーーーッッッ!!!! テメェ人の手のひら舐め回して楽しいかゴラァッ!!!!」

「わっ、私としては舌をチロッと出して反省しているポーズを見せよとしてただけです!!」

「今大事な話してんの!! 分っかんねぇかなぁ、俺の印象が塗り替えられそうだったのをさぁっ!! つーかどんなシュールな状況だコラァッ!! アイアンクローかましながら淡々と話す図ってのはよぉっ!!」

「……はっ、テメェが人をいないみたいに扱うからだろぉがっ!!」

「あれ!? ツバキどうした!? 態度がまるで違う。お前ほんとに従者か!?」

「うっせぇっ、離せぇぇぇえええーーーっ!!!!」


 アキラは、寝た。

 また茶番が始まってしまった。クロックの感情は、彼女を相手にしたときのみ出るのだろうか。

 戦争自体は分かったが、自分がここにいる事情はさっぱり分からなかった。


 話がまるで進まない。


―――***―――


 2人の足は、ゆっくりと、進む。


「確か……、そう―――『特殊護衛部隊』。また仰々しいネーミングだったな」

「……その部屋なら、こっちだ。“私も行くことになっている”」

「……お前も、か」


 男は、先導する紅い衣の少女に促されるまま歩いた。

 余計な会話がまるで無い。静かな少女のようだ。

 男の方も、現状話題に花を咲かせるような心情では無かった。

 だが、沈黙したまま歩き続け、角を2度ほど曲がると流石に息苦しくなってくる。

 この屋敷は入り組み、複雑だった。大分歩いているのに、まるで目的地に着かない。

 冷ややかな印象を受ける長い鉄の廊下を沈黙したまま進み、3度目の角を曲がった頃、男の精神は限界を迎えた。


「その、紅い衣」

「?」

「民族衣装か何かなのか? 何人か見かけたが」

「名残だよ」


 紅い衣の少女は、背を向けて歩いたまま、ぼそりと返してきた。


「この武家は、とある達人の祖先でな。その人物が好んで纏っていたらしい。彼は自分の身の周りに関しては大層な不精者だったと言う。ゆえに、“最も汚れが目立ちにくい”色を選んだんだろう。その由来だよ」

「……血を隠すには、黒が適任だと思うがな」


 先読みして、男は言った。

 少女からは言葉が返ってこなかった。

 だが、しばらくして、


「この武家は元々とある達人の祖先でな。その人物が好んで纏っていたらしい。その由来だよ」

「いやいやいや。後半部分のお前の推測ががっぽり抜けている」

「ち、違う。私の推測では無い。……そうか。“あの男”……!!」


 冷静に歩いているように見えて、少女は拳を強く握ってわなわなと震えていた。

 男はそれを呆れたように眺めながら、考える。

 この少女は、やはり、この巨大な屋敷に深く関わりがあるらしい。


「……ところで、お前はその特殊護衛部隊とやらに何の用だ?」


 話を切り返るように、少女は苛立った声のまま訪ねてきた。


「私は詳しい話は聞いていない。そこに来るようにと言われただけでな」

「俺も知らねぇよ。ただ、俺は“とある事情”でそこに参加することになった。……今思い出しても腹わた煮えくりかえるがな」


 男は、聞こえるほど大きな歯ぎしりをし、簡略的に伝えられた『特殊護衛部隊』の内容を口にする。


「俺たちはこの戦争の『ターゲット』……、“とある人物”の近辺護衛を行うらしい。大量の兵は、同じく敵の、大量の魔物に当てるらしいが……、近辺護衛となると相手が違う」

「“魔族”、か」

「……ああ。まあそれだけじゃなく、知恵持ち……あるいは、“言葉持ち”も、だ」


 目の前の少女は、即座に察した。

 男は僅かに訂正するも、結局のところ問題点は彼女の言う通りだ。


 “魔族”。


 このタンガタンザの戦争において、最もネックとなる敵軍の将。

 ひとたび暴れれば街ひとつは消し飛ばし、人の手では決して抗えないと言われる―――諸悪の根源。

 そんな魔族が、“知恵のある魔物”を引きつれて、『ターゲット』を攻め落としにくる。

 実際、タンガタンザが大敗しているのも、“魔族が存在していることだけ”に起因していると言われているほどだった。


「……見たところ、」


 少女は、一拍置き、


「この大陸の人間ではないようだが……、随分と過酷な役を掴まされたな」

「そういうわけでもねぇよ。俺は……、“俺たち”は、巻き込まれちまっただけなんだからな」

「?」


 再びギリ、と男は歯を強くこすり合わせる。


「…………それならそれで、ここから去っても構わない」


 途端、少女はそんなことを言い出した。

 声は、どこまでも冷えていた。


「と言うより、去るべきだ。巻き込まれただけならば、誰も後ろ指は差さない」


 その言葉は、本当に冷めていた。

 男の脳裏にこの国の象徴が蘇る。


 “非情”。


「まあ、唯一“この屋敷の主”は止めてくるかもしれないが、何も気にすることは無い。何を言われても、結局は―――そう、口だけだ。自分の時間を去りゆく者には割きはしない」


 この屋敷の主。

 この屋敷の人間らしい少女も、その人物には好感を持っていないようだった―――自分と同じく。

 しかし男は、首を振った。


「そういうわけにもいかねぇんだよ」

「……『ターゲット』か?」


 訊かれ、男は苦々しげに頷いた。


 そこで。


「……そこで何をしている」


 少女の気配が鋭くなり、刺々しい口調になった。

 男は一瞬自分に当てられた言葉だと誤認するも、すぐに視線を少女に合わせる。

 その先では、ひとりの大男が立ちはだかるように腕を組んでいた。


「はーい、サクラちゃん。止めて欲しいなぁ、逃走を促すのは」


 ギリ。

 今度は少女から聞こえた。

 睨み合うように対峙する両者に、男は少女に並び立つと、同じように大男を睨む。


 この大男は、件の屋敷の主だ。


「それに、ラングル君。道に迷ったのか? それならこっちだ。そろそろ会議も始まるよ」


 大男は不敵に笑い、そして背を向ける。

 男は、強く舌打ちしてそれを追った。

 去ってもよい、と少女は言っていたが、男は、特殊部隊にいる必要があるからいるのだ。

 いかにこの大男が気に入らないと言っても、避けることは許されない。


「あ、そうだ、サクラちゃん」


 大男は振り返り、棒立ち状態だった少女に目を向けた。

 そして、再び不敵に笑う。


「君が探している彼もこっちにいるよ」

「―――、」


 少女も、歩き出した。

 瞳に映っているのは、ほとんど殺気だった。


―――***―――


 脱線しまくった前提確認は、ようやく終結した。


 結局またも発生した、罵声を浴びせ合い―――とうとう相手の胸倉まで掴み始めたクロックとツバキの喧嘩を横目で捉え、アキラは額を手で抑えた。


 とりあえず、この部屋に集められているのは、アキラが先ほど見た大量の兵とは行動目的が違うらしい。

 アキラが見たあの大量の兵は、大量の魔物を抑え込むことが目的らしい。

 このタンガタンザの戦争にはルールがある。

 しかし、あくまで『ターゲット』とは勝利条件というだけらしく、対象がいなければ他の地方は被害を受けなくなるというわけではないようだ。


 あるいは陽動。

 『ターゲット』がいない地域を襲えば、その場に兵を向けなければならない。しかしそうすると、『ターゲット』の護衛も必然的に減り、魔族側にしてみれば攻めやすくなる。

 あるいは妨害。

 武器や食料を保管してある地域やそのパイプ。それらが襲われれば人間側の戦力は大きく減退し、『ターゲット』を守り切るのは難しくなってくる。

 そんな理由で各地に攻め込んでくる魔物を対処するのが、あの大量の兵の役割らしい。


 一方で、『ターゲット』を守り切ることを役割とする人員。

 それが、この部屋に集められている―――『特殊護衛部隊』だったか―――メンバーだった。

 その役割は深刻極まりない。何故なら対するは―――『ターゲット』を狙う、“魔族”。


 しかしまさしく、ゲームのようだった。

 両陣営が『ターゲット』を巡り、対峙する。

 話を聞いているだけでは、ボードゲームか何かに興じているかのような軽さがある。


 だがきっと、このゲームのような戦争が―――“生活の真横に在る”人々にとっては、


「きゃぁっ!? い、いいいいいいま、くくくくくくろっくさま……わたしの、む、むね……、え、えっと、どどどどどどう、う、ううううううけとめれば……?」

「どうも何もねぇだろうがぁっ!! 掴み合ってて奇跡的にかすれただけだろ貧乳!!」

「……ふー。う……うおおおおおおおおおおおおーーーっ!!!!!!!!」


 軽かった。

 そして、本気で帰りたくなった。


 アキラは両手で耳を塞ぎ、ドアに目を向ける。

 ドアが開いたのは、丁度そのときだった。


「おやおやおや、待たせちゃったみたいだね、貧乳」


 ツバキのターゲットが切り替わった。

 現れた大男―――サイガに飛びかかろうとするも、ツバキはクロックに上から頭を押さえ付けられていてじたばたと暴れることしかできない。

 もうひとりふざけた人間が増えるのか。アキラは滲んだ瞳でサイガを眺める。


 そこで。


 アキラの意識は覚醒した。


「アキラ……!」


 紅い衣の少女―――サクが現れ、歩み寄ってくる。

 探していた人物の登場に、アキラは安堵するも―――しかし、その感慨は薄かった。


 アキラの視線は、サクを飛び越え、サイガを飛び越え。


 その後ろを捉えていた。


「…………何故てめぇがいる?」


 思わず、その人物からも視線を外し、さらに彼の後ろを確認する。

 しかし、そこには誰もいない。

 入ってきたのは、サイガ、サク、そして“彼”の3人だけだった。


「とりあえず、ラングル君も見つけてきたよ。これで全員かな?」


 そうか―――ラングル、というのはこの男のことだったのか。

 アキラが見た、“その身を包む鎧”は脱いで、パーカーのような軽装を纏っている。


 アキラは、サクの隣に並び立ち、睨むように見下ろす男の顔を見上げた。

 アキラが思い浮かべたのは―――貴族の支配する“崖の上の街”の出来事。


 “奇妙な夜の物語”。


「グリース=ラングル。自己紹介をしたことはあったか?」

「……聞いてただけだ―――“リンダ”が呼んでいたのをな」


 そこで、サイガが手を叩いた。


「さ、全員揃ったところで説明しようか、作戦の詳細を。タンガタンザの命運を握る『ターゲット』―――リンダ=リュースの護衛作戦。可愛い女の子が狙われるのは、俺としても本意じゃない」


―――***―――


 色彩の薄い髪を1本に結わい肩から下ろした少女―――リンダ=リュースは巨大な屋敷の中にいた。

 纏った純白のローブはシミひとつ無く清楚で、窓から吹き込んでくる風になびき、浮かぶように沈むように揺れていた。


 ここでは、およそ総てが与えられていた。

 自分の望んだ時間に各地から取り寄せたと言う色とりどりの食事が並び、自分が望んだ通りの高級生活品が届けられ、自分が望むままに巨大な浴槽をひとりで使用できる。

 大部屋の隅にはキングサイズのベッドも設置され、いくら金をかけたか分からないほど精緻な寝台に、巨大な姿見まで据え置かれている。

 シリスティアの貴族でもここまで裕福な生活をしていないであろう。

 あくまで地方を統べるに過ぎない貴族に比べ、リンダはタンガタンザという大陸そのものの支援を受け続けていた。


 そんなどこぞの王族のような生活をしている自分を、リンダはこう思う―――“囚われの姫”のようだ、と。

 もっとも、“そんな存在”を憎むリンダにとって、それは自傷以外の何物でもない。

 そもそも“姫”などという表現自体、自分にはまるで似つかわしく無いではないか。


 場違い。

 そう―――場違いだったのだ。こんな大陸に、足を踏み入れた時点で。


「ちょっといい?」

「食事か? 入浴か?」


 リンダが職人の技巧が感じられるドア越しに声を投げると、外から野太い声の選択肢が返ってきた。

 リンダは苦笑し、そのままドアから離れる。

 途端会話を止めたのに、ドアの向こうは再び沈黙した。


 中にいる分には不自由のないこの暮らしには、欠点がある。

 自己を称した“囚われの姫”の名の通り―――リンダは、この巨大な屋敷に軟禁されているのだ。


 もうすぐ1ヶ月―――だろうか。

 リンダはひとりの男と共に、タンガタンザを訪れた。


 “とある妨害”によって“貴族殺害”という目的を果たせなかったリンダたちは、それまで共に旅をしていた集団を離れることになった。

 当面の目標を失った彼女たちは、シリスティアから離れることになる。

 リンダたちは船に乗り、荒波にもまれ、タンガタンザの小さな港に辿り着いた。


 そして。

 そこで。


 そこで―――“目が合った”。


 新たな大陸に辿り着き、僅かに胸躍らせたまま船から飛び降りたとき―――目が、合ってしまった。

 遥か遠方の建物の上、胡坐をかいて見下ろしていた異形の存在。

 港町には活気のある声に満ち溢れ、リンダ以外、誰も気づいていないようだった。


 その存在は、呪いのように、楔のように、リンダを指し、笑ったように思える。

 見間違いだと目を閉じ、ゆっくりと開けたとき、その存在は消えていた。


 それが見間違いでないと知ったのは、3日後、タンガタンザの兵が宿屋に押し寄せて来たときだった。


「はー」


 リンダはベッドに身体を投げ出し、仰向けに寝転がる。


 タンガタンザの兵に囲まれたときの驚愕。

 強引に連れていかれたときの恐怖。

 そして、その理由を聞いたときのときの絶望。


 そんな感情は、とっくの昔に麻痺していた。現実感は、未だに昇って来ない。

 最も印象深いのは、脳裏に焼き付いて離れない、あの屋根の上にいた異形の存在の笑みくらいだ。

 精々―――食欲がまるで湧かないくらいか。


 リンダは、心のどこかで、“終わっている”と強く感じていた。


 どれほど高価な物品に身を囲まれても、経験したことも無い巨大な浴槽につかっていても、時折現れる世話係の慰めの話を聞いても、リンダの感情はまるで歓喜しなかった。


 自分はきっと―――諦めているのだ。


 リンダにとって、シリスティアは社会的に死地であるが、このタンガタンザは次元が違う。

 リンダがあれだけ壊したがっていた尊厳や品格を問わず―――リンダがあれだけ求めていた平等をもって、死が襲ってくる。

 これは、報いなのかもしれない。


「ほんっとうに無いわね、私には。主に、運とか。あとは、運とか運とか―――未来、とか」


 腕で目を塞ぎ、リンダは全身から力を抜いた。


 そして思う。

 願わくは―――離れ離れになった“彼”がこの死地から逃れているように、と。


―――***―――


「“魔族”―――アグリナオルス=ノア」


 静まり返った会議室。

 張り詰めた糸を切るような、あるいはさらに引くような声で―――ミツルギ=サイガは口にした。


 たった百年で膨大な面積を死地に変えた魔族。

 タンガタンザの百年戦争の―――首謀者の名を。


「別名『世界の回し手』。まあ仰々しい通称は置いといて、深い話に入ろうか。戦争を行っている俺たちが、ここでこうして呑気に話せているのにも訳がある。アグリナオルスは知っての通り変わっていてね。『ターゲット』を絡めた“ゲーム”に3ヶ月の期間を与えるのに、奴が『ターゲット』を攻めるのはその期日だけ。全くいやらしい奴だよ、余裕を気取ってんのさ」


 まるで旧知の仲を語るようなサイガの言葉を、アキラは深々と胸に刻んでいた。


 “魔族”―――アグリナオルス=ノア。

 やはり、アキラが知らない魔族だ。

 そして、そのアグリナオルスがもたらした被害は、アキラが知る中で最も濃い。


 “大陸を滅ぼした魔族”。

 そんな“魔族”が、『ターゲット』を定めてから3ヶ月後―――つまりはあと2ヶ月後には現れる。


「だが、正直助かっているところがあるだろう。アグリナオルスが“余裕を気取っているのに”、タンガタンザは連戦連敗だ」

「ああ。毎年の“たった1回の『ターゲット』破壊”で、タンガタンザの歴史は真黒だ。去年のガルドパルナ聖堂破壊は敵ながら見事としか言いようがない。タイムリミット数秒前で聖堂が丸ごと吹き飛んだんだから」


 クロックの言葉に、サイガは大げさに肩を落として呟いた。

 そのガルドパルナ聖堂とやらをアキラは知らないが、『ターゲット』に選定されるほどの建物であったのだろう。

 クロックは当然知っているようで、帽子を目深に被った。


「まあそれでも俺たちは、そのたった1回の脅威に全力を傾けなければならない」


 サイガはテーブルに広がるほどの地図を取り出した。

 ズボンに突っ込んでいたようで、ところどころに皺が走っているその用紙の中央を指差し、サイガは全員に視線を走らせる。

 サイガの鋭い眼光に、アキラは急かされるようになって地図を除き込んだ。


 計6人が囲う丸テーブルの中央には、紅いマークで囲われた城のような地点がある。

 その周囲は、だだっ広い荒野のように見えた。


 作戦の詳細に移るようだ。


「『ターゲット』の現在地はここだ。……おっと、先に言っとくけど、抜け駆けは難しいぜ? ミツルギ家から徒歩で向かうとなると、特定期日を超えちまう」


 ピクリと動いたのは、アキラの隣に座るグリースだ。

 様子からすると、今このときまで『ターゲット』の現在地を知らなかったらしい。

 アキラがかつて見た彼の性格上、なりふり構わず向かっていくところだろう。

 グリースは聞こえるような舌打ちをし、再び腕を組んで椅子に深々と座った。


 『ターゲット』―――は。

 今この場所で、何を想っているのだろう。


「サイガ。それで、我々はその場所にどうやって向かうんだ?」

「それはもう考えてある。“奥の手”があったりしてね。その詳細は追々として、」


 クロックのもっともな疑問をあっさりと返し、サイガは続ける。


「ここは、ミツルギ家の遥か西方にある僻地だ。2階建の屋敷。1辺100メートルの鉄の塊。本当なら地下も造りたかったんだけど、土地の基盤的にちょーと不味い感じだったんだよね」

「……ならば何故、そんな場所を?」


 サイガに応じたのは再びクロック=クロウ。再び重い表情になり、渋い声で訊ねた。

 2人のやりとりは、相応に重い雰囲気を纏っている。

 アキラはどこか場違いな気がしながらも、耳を傾け続けていた。


「周囲の地形の恩恵がある」


 サイガは地図上で指を合わせた。

 中央の建物には、西を除いた3方向に1本ずつ道があるように見える。


「地図じゃ分かりにくいかもしれないけど、北と南、それに東の道はそれぞれ岩山に囲まれてて細いんだ。西は断崖絶壁で通行不能。四方のどこから来るか分からないより断然いいだろう?」


 それだけルートを絞りやすい。

 サイガが言わんとしていることはそこだった。

 改めて地図を上から見ると、巨大な荒野を岩山が囲っているようで、環境としては陸の孤島と言ったところか。

 クロックは鼻をふんと鳴らし、先を促した。


「“奴”の性格上、こういう道では必ず知恵持ち……、あるいは“言葉持ち”を特攻させてくる。ルートを確保してから魔物を突撃させるために。知恵持ちには単純な罠が効かないから、ガチで止めるしかない」


 そこでサイガはゆっくりと地図から手を離し、全員を見渡した。


「ということで、お前ら分散して3方向を守れ。ガチで」

「っっっざっ、けんなぁぁぁあああーーーっっっ!!!!」


 そこで、ミツルギ=ツバキが轟音を奏でた。


「テメェ自慢の兵たちはどうした!? 道が狭いんなら数で押し切れよっ!!」

「お前こそふざけんな。数だけが頼りのあの集団を分散させる? はっ。しかも狭い道に大群押し込んだら思うように動けないだろ。相手は知恵持ちどころか“言葉持ち”の可能性もあるんだ。岩山崩されて埋められたら目も当てられない」

「おい。それでいくと私どころかクロック様も生き埋めだ」

「ルート1本潰れて被害がそれなら御の字だ。ピッケルでも持って行け」


 ギャーギャーギャーッ!! と騒ぎ出すサイガとツバキに、呆れたように黒いシルクハットを目深に被るクロック。

 そんな作戦会議という体裁が一瞬で崩壊した光景を眼前に、アキラは頭を抱えた。


 また、始まってしまった。


 こいつらは、まともな雰囲気を5分と持たすことができないのだろうか。

 真摯に現状把握に努めていた自分が馬鹿らしくなり、座りながら足を投げ出す。

 今なおまともに話を聞いているのは―――アキラの両隣の2人だけだろう。


 右隣に座っている、紅い衣を纏った少女―――サク。

 切れるような瞳をさらに鋭くし、何故かサイガを射抜くように睨んでいた。

 左隣に座るのは、先ほど“再会”した男―――グリース。グリース=ラングル、だったか。

 半袖から覗かせた傷だらけの腕を組み、眉間にしわを入れながらサイガが広げた地図を同じく睨んでいる。


 『ターゲット』という事情が事情なだけに、グリースは気が気ではないだろう。

 『ターゲット』が定まったのが1ヶ月前ということもあり、感情的になっていないのは救いだが、沈黙している彼の中ではマグマが煮えたぎっているかもしれない。

 真摯な者にとって、目の前の茶番は見るに堪えないものなのだろうから。


「なあ、悪い。“言葉持ち”ってのは何なんだ?」


 少しでも脱線し始めた話題を戻そうと、アキラは目の前の喧騒に言葉を投げかけた。

 どこかで聞いたことがありそうな言葉だったが、知らないものは知らないのだ。

 自分の無知さを露見してでも、話を進めなければならない。

 そうでなければ、『ターゲット』やグリースが救われないではないか。


「……ちっ、“言葉持ち”っつーのはよ」


 応えたのは、意外にもグリースだった。

 口調は強く、敵意さえ感じられる。

 この部屋の中で最も不機嫌なのは、やはり彼なのだろう。


 目の前の喧騒は、止まらなかった。


「知恵持ちのワンランク上、とでも言えばいいのか……、“言葉すら理解できる魔物”のことだ。知能は知恵持ちよりも当然上。その分野獣のような本能は抑えられているらしいが、応用力は段違いの―――“魔族に最も近い魔物”ってとこか」

「……よく、知ってるな」

「……ちっ、俺だって詳しくは知らねぇよ。受け売りだ。……リンダのな」


 グリースはそれきり黙した。

 そして再び、睨むように地図を眺める。

 その瞳が捉えているのは、きっと中央の建物だろう。そこは今、どのような状態になっているのだろう。


 しかし、一体何が起因で“彼女”が『ターゲット』に選ばれたのか。

 グリースに訊いても、彼は“巻き込まれた”と冷たく言い放つだけだった。


「“リンダ”、か」


 サイガとツバキの喧騒の間を縫うように、クロックが呟いた。

 グリースは過敏に反応し、睨みを利かせる。

 確かに今のクロックの口調は、どこか意味ありげで、聞く者が聞けば不快なものだった。


「何が言いたい?」

「馬鹿にしたつもりではない。気に障ったのであれば謝罪しよう。ただ単に、不吉な名前だと感じてね」


 グリースは敵意を抑えた。

 今度のクロックの口調は分かりやすく、本当に懸念しているようなものだった。


「不快な思いをさせてしまうかもしれんが、名は運命を現すと神族の教えにもある。

私はその名を持つ者に過去2度ほど出会ったが、いずれも悲劇にみまわれた」


 アキラの喉から、唸るような音が漏れた。

 奇妙な危機感が背筋を撫でる。

 “神族”の教えと言われると、妙に信憑性が出てきてしまうのが恐い。


 クロックは、さらに言葉を紡ごうとし、しかしそれを噤んで部屋の隅に目を向けた。


「お前、子供相手に容赦無いな」

「へっ、手こずらせやがって。……さーてさて。ヒダマリ君の知識補充も終わったところで、再開したいんだけど、いいかな?」


 視線を向ければ、サイガは得意げに笑い、部屋の隅にはぐったりと倒れているツバキがいた。

 当て身でもしたのか、どうやら気を失っているようだった。


「ツバキ……」

「おやおやおや、優しくなったじゃないか、サクラちゃん。従姉が心配なのも分かるけどこの子が騒ぐと話が本格的に進まない。今はお父さんの話聞いてくれるかな?」

「っ、」


 サクの喉から声にならない音が漏れた。

 アキラはサクに極力視線を合わせないようにして、サイガに顔を向ける。

 新たな情報を手に入れたが、何となく察せた。今、サクに話しかけない方がいいのだろう。


「さてさて。ツバキちゃんが喚きまくってた気がするけど、作戦自体は概ねさっき言った通りだ。『ターゲット』の防衛。それは、ルートを各々担当し、“言葉持ち”や“知恵持ち”とのマッチ。倒し切る必要はないさ。期日の日の出までに相手の時間を削り取ればいいんだからね」


 “ルール”。

 人間側は、リンダ=リュースの護衛。

 魔族側は、リンダ=リュースの破壊。

 たったひとりの『ターゲット』を目的に、両陣営は戦争を行っている。


 人間側の勝利条件は、『ターゲット』を死守して期日の日の出を迎えること。


 アキラは何度もこの“ゲーム”を頭の中で反芻し、意識を研ぎ澄ませる。

 先ほどから何度も茶々が入るせいで、アキラの注意力は何度も四散してしまっていた。

 必ずクリアしなければならないというのに―――どうも、話が分かり難い。


「つっても相手は化物揃いだ。この中で戦力になりそうなのはクロッ君くらい。ヒダマリ君は知らないけど、他は目も当てられない」


 サイガは、挑発的な瞳でグリースを捉え―――そして、サクを捉えた。

 2人とも何も言わず、ただ睨む。


 戦力のカウントから除外されたアキラも、サイガの物言いに、目を細めた。

 しかしそれは怒りからではなく、浮かんできた“疑念”によるものだった。


 このミツルギ=サイガという男。

 飄々としていて、傲岸不遜な様子も見せる。

 重苦しい雰囲気を出したかと思えば、空気の読めない子供のように怒鳴ることもある。

 見事なまでに、“キャラクター”が安定していなかった。

 何を考えているのか分からない―――という感覚とは違い、存在そのものが奇異なのだ。


 そしてそれは、先ほど感じた通り、サイガだけではない。

 極端な裏表を持つように思えるクロック。

 ミツルギ=ツバキの性格はどことなく特徴が掴めてきたが、この人間の特徴はこれ、とアキラは断言できなかった。


 サクやグリースは、どちらかと言えば分かりやすい性格をしている。

 サクのバックボーンは謎に包まれているとは言え、彼女の性格をアキラは容易に答えられるだろう。

 グリースは出会ったときから、その“目的”をアキラは察せた。


 しかし、目の前の人々は―――キャラクターを捉えるのが困難だった。

 そのせいで、アキラの注意力は再三四散している。


 それは。


 違和感と言えば違和感。

 しかし―――自然と言えば自然な光景だった。


 切迫した状況で茶化すような真似をするのは流石にいただけないが―――分かり難い性格をしている者というのは、通常溢れているものなのだ。

 初見や僅かな会話でその人物のキャラクターを見極めるのは、“難しくなければならない”のだ。

 だが、そんな分かり難い性格をしている者と出会ったのは、アキラの記憶では数えるほどしかない。


 そんな人物たちと。

 まるで物語に溶け込んでくる“バグ”のように、出逢った。


「待て」


 そこで、サクが分かりやすい敵意と共に、声を出した。

 アキラは浮かんだ疑問ともつかない違和感を放り投げ、顔を向ける。

 この疑念は―――今は置いておこう。


「何故アキラも参加することが決まっている? この男は保護されただけだ」

「サクラちゃんは参加する気満々みたいで、お父さん嬉しいな」


 サクラと呼ばれたサクは、テーブルの上で拳を握り絞めた。

 “さっき”―――とは、ここに来る途中のことだろうか。

 サクが言ったのか、自分と知り合いだということをサイガは知っていたようだった。


 アキラは眉を潜める。

 一体―――どのタイミングで、なのか。


「そういう話をしているんじゃない。“私が戦争に参加することが、この屋敷で治療を受ける条件”だったはずだ。この男は、巻き込まないと約束しただろう?」


 サクから妙な言葉が飛び出した。

 “条件”。

 そんな会話をいつしたのか。


「なーに言ってんだ。俺と彼は、“たまたま屋敷の前で会っただけだ”。そうか、“寝込んでいたのは彼だったのか”」


 火花が散るかのような怒気を飛ばすサクに、それを飄々と交わすサイガ。

 2人の対峙を傍から見て、アキラはおぼろげに察した。

 ミツルギ=サイガは、この屋敷に自分たちが運び込まれてきたとき、その存在を知っていたのだ。

 そこでサクとも―――会話を交わした。


「さて、ヒダマリ君。参加してくれるよね? これはホントに偶然だけど、君はラングル君と知り合いだったんだろう? だったら、リンダ=リュースを知っているはずだ。君には“縁”があるんだよ、タンガタンザの戦争にね」


 どうやら自分は、ミツルギ=サイガによって、この戦争に引きずり込まれたらしい。

 サイガは自分を知っていたにもかかわらず、素知らぬ顔で“縁”を作った。

 グリースがいなければ、サイガはアキラと行動を共にしていたサクを利用したのかもしれない。

 “縁”がある以上、ここからひとりでは逃れにくいだろう、と。

 罠とも言えない。謀略とも言えない。

 ただサイガは、“流れ”に向けて、軽くアキラの背を押しただけだ。


 恐らくは、


「頼むよ、“日輪属性”」


 サクに聞いたのであろうその情報を利用して。


 サクが苦虫を噛み潰すような表情になり、クロックが眼鏡の向こうの眼光を僅かに強くする。

 サイガは日輪属性の力を僅かなりにも知っているようだった。

 “知っている者”にとって、日輪属性の者の操り方はあまりに容易だ。

 “刻”を引き寄せるその力は、些細な事件すら自分の事件に塗り替えてしまう。


 それで十分だから―――サイガはアキラを“流れ”に押した。


「サイガ。お前にとって、“勇者様”すら玩具か……!!」


 サクの突き刺すような殺気を受けても、サイガは不遜に笑っていた。

 その顔は、すでに布石を打ち終えた棋士のように余裕が張り付いている。


 ただ。

 知らぬ間に騙されたアキラ自身の感情は、まるで高ぶっていなかった。

 だからアキラは、淡白に、頷いた。


「ああ」

「アキラ!!」


 隣のサクが叫んでも、アキラは静かにサイガに視線を向けるだけだった。


「まあまあまあ、ここで話せることは大体話したし、そろそろ移動しようか。……おい、起きろ小娘」


 サイガは踊るよう部屋の隅に向かい、倒れ込んでいるツバキを揺する。

 クロックが静かに立ち上がり、グリースも黙したままそれに続いた。

 先んじて部屋を出たサイガを、激昂したツバキが襲うように追っていく。


「……アキラ。先に言っておくが、私は反対だ。戦争にも、お前がわざわざ参加することにも」


 そう言い残し、サクも面々に続いていく。

 そしてそれからゆっくりと、アキラも部屋を後にした。


 すっと長い廊下。

 特殊な造りであるらしいが、夏の匂いがこびり付き、暑苦しい空間。


 そこでアキラは、大きく息を吐き出した。


 そして、ひとつ、思い直した。

 自分の意識が再三四散していたのは、茶々が入り続けていたからではない。


 タンガタンザの百年戦争。

 重大な問題だ。

 『ターゲット』の存在。

 重大な問題だ。


 だが、アキラの意識はどうしても分散してしまう。


 あくまで感覚的に。

 あくまで直感的に。


 何故か、こう思ってしまうのだ。


 ヒダマリ=アキラにとって、この物語は。


―――どこか、遠いのだった。


“――――――”


 古来より。

 タンガタンザには伝説が存在していた。


 タンガタンザの西部。

 あらゆる侵入を阻むような新緑の樹海に包まれたそこには―――ひとつの小さな村が存在していた。


 『聖域』ガルドパルナ。


 百年で大陸全土を覆い尽くす破壊をもたらす魔族の猛攻の中、まるで神の加護でもあるかのようにそこに在り、戦火を免れる姿は正に聖域。

 タンガタンザ唯一の安全地帯として名を馳せていた。


 しかし、戦争の渦中に在るタンガタンザの民がガルドパルナに押し寄せることは起こり得なかった。

 山脈に隣接するガルドパルナを囲う、深い樹海。

 そこに一歩でも足を踏み入れた者は、二度と日の光を浴びることは無かったという。

 あたかも、世界中に名を轟かせるシリスティアの大樹海アドロエプスのように。


 しかし、樹海ガルドパルナの事件は謎では無かった。

 侵入者の末路の原因は明らかなのだ。

 ガルドパルナの樹海の様子は、一見すれば即座に察せる。

 10メートルに及ぶ大木の合間に―――あるいは、“大木の背の上に”、ガルドリアという種の魔物が見え隠れするのだ。


 ガルドリア。

 前傾姿勢で移動する、足よりも腕が発達したオラウータンのような姿。

 黒い体毛を持ち、威嚇時には全てを逆立て、醜く潰れたような貌で圧死するような殺気を放つ巨大で凶暴な魔物。

 昼夜を問わず徘徊し、休息という行為をまるで必要とせず、最大1週間は全力で駆け続けられるとさえ言われる膨大なタフネスを持つ―――“世界最高の激戦区”に匹敵する超危険生物。


 そのガルドリアは―――数千年前よりタンガタンザの歴史と共に在り、ガルドパルナの樹海に大量発生していた。

 樹海に足を踏み入れた者は、建物でも崩壊してきたかのような一撃で叩き潰され、断末魔さえ上げられないと言う。

 奇跡的に初撃を避けられたところで、ガルドリアは次の瞬間、対象の周囲を総て埋め尽くしてしまうほど連携に長けている。

 こうなると、まともな神経の者はガルドパルナから距離をとる。

 そのため、ガルドパルナの樹海の周囲には人気は無く、荒野が広がっていた。

 百年戦争が始まるより前、ガルドパルナは死地とさえ言われるほどであった。


 しかし百年戦争が始まり、ガルドパルナは死地と隣り合わせの『聖域』となる。

 タンガタンザの人々にとって、ガルドパルナとは砂漠に浮かび上がるオアシスのように遠い存在だった。


 一方、謎は、ある。

 樹海の被害の原因は明白だが、あまりに不可解な謎がそこには存在していた。


 “ガルドパルナの民”。

 人間など一瞬で蹂躙されてしまう危険生物ガルドリアに囲まれ、生存している人間たちが存在するのだ。

 巨人が蹂躙するように樹海を闊歩するガルドリアの大群は、まるで人間が樹海に入るのを拒むように、一歩たりとも樹海から出ようとはしなかった。


 あるいは村に向かう細い道。

 樹海に走った僅かな切れ目を、ガルドリアは跨ごうともしなかった。

 あるいはガルドパルナ。

 樹海の大木が僅かにはけたその村を、ガルドリアは見ようともしなかった。


 そして。

 あるいはガルドパルナに隣接する山脈―――そこに立てられた、あるいは奉られた祠。


 ガルドパルナ聖堂。


 その空間に、ガルドリアは近付こうともしなかった。


 ガルドパルナの民は、理解していた。

 本能的に、理解していた。

 ガルドリアが樹海にのみ生息するその理由は、その祠にあると。


 その祠には、“とある剣”が突き刺さっていた。


 綺麗に真上から刺したのではなく、まるで投げるように無造作に打ち立てられたその剣―――大剣。

 突き刺した本人はまるで意識していないかのように傾いでいるその剣は、触れただけで崩れ去りそうなほど全体が錆び付いたその剣は、いかなる者も、砕くことも抜き放つこともできなかった。


 ガルドパルナの民は、理解していた。

 本能的に、理解していた。

 この剣の加護が、ガルドリアの蹂躙を遮断しているのだと。

 ガルドリアは、持ち主すら不在の朽ち果てたこの大剣に、恐怖を感じているのだと。


 人々が世界中の古文書を読み漁り、遥か太古の『奇跡』を探り当て、ようやくその剣の所有者を推測できたのは、タンガタンザの百年戦争が開始する直前のことであった。

 それが突き刺されたのは、記録されているタンガタンザの歴史を凌駕するほどの太古の出来事。


 当時唯一の比較対象であった“同一の快挙”を成し遂げた者たちよりも遥かに早く、鬼神の如き力を振るった―――伝説の存在。

 あらゆる障害を斬り裂き、何人たりとも行く手を阻めず、威風堂々と諸悪の根源を凌駕した―――『剣』そのものと言われたひとりの男。


 その彼を象徴する―――奇跡の物品。


 それは、2年前。

 とある存在によって、タンガタンザの大地から抜き放たれた。


―――***―――


「なあ、そろそろ訊いていいか?」


 ヒダマリ=アキラは鉄製の壁に背を預け、囁くように声を出した。

 砂が敷き詰められただだっ広い空間に、3階まで吹き抜けたような天井。

 サイガが面々を引き連れて行ったのは、先ほどサイガが演説を行っていた大広間だった。

 丁度2階当たりの位置に高台が設置されているが、今は無人。

 サイガはこの広間に面々を導いたあと、見せたいものがあると言ってこの場を立ち去ってしまった。

 残っているのはアキラを含め計5人。

 離れた位置で、アキラと同じように背を預けているグリース。さらに離れてクロック=クロウが目を瞑って佇んでいた。

 グリースもクロックも無言だが、クロックの方は足元にひと担ぎほどある白い大袋を置き、さらにツバキがまとわりついている。

 時おりツバキの口からサイガに対する罵倒が聞こえてくるが、それ以外は静かで、壁1枚挟んだ向こうは夏だというのにどこか冷ややかだった。


「ここがお前の家なのか? ―――サク」

「…………」


 視線を合わせず、ただぼんやりと前を見て、アキラは隣のサクに言葉を投げる。

 サクの僅かな気配を感じ、アキラは口を閉じて応えを待った。


「……ミツルギ=サクラ。それが私の名前だ。ミツルギ=サイガを父に持つ、ミツルギ家のひとり娘」


 そして。

 ようやく“二週目”で回収できなかった伏線に、指がかかった。


 サクは、小さな声で続ける。


「ミツルギ家は、もともと数多の豪族を守護する家系だった」


 先ほどのクロックとの話でも出てきた。

 守護家の異名を持つというミツルギ家。


 現在は戦争の表舞台に立つ―――ミツルギ=サクラの出生の地。


「ミツルギ家の話なら歴史から、か。百年戦争が始まるより遥かに前、タンガタンザは世界最大規模の人口を誇っていたらしい。見る者の心を奪うほどの美しい自然、惹き込まれぬ者など存在しないほどの大都市。立ち寄った者はこの大陸に骨を埋めることを決意するほど華やかで、煌びやかな大陸―――タンガタンザ。『帰らずの地』とさえ言われるほどだったらしい」


 丁度―――今のシリスティアのようなものだろうか。

 アキラは一歩この屋敷の外に出たが、そんな印象は受けなかった。広大な城は沈黙し、周囲の街にも活気はまるで感じられない。

 そんな、殺風景な世界に見えた。


 帰らずの地は―――現代、土に還っている。


「しかし、それは自然なことなのか、そのタンガタンザを我がものにしようと思う者たちが各地から現れた。豪族と言われる存在。かつては自己の領土を守ることに執着していたが、いつしか領土の拡大を目論み、輝いたタンガタンザの影で暗躍を始めたんだ」


 豪族。

 それはまたもシリスティアの、貴族のようなものだろう。

 アキラの思考がシリスティアの貴族に繋がり、首を振った。

 あの美しい大陸も、いつしか貴族が表立って被害をまき散らすようになるのだろうか―――自然なことのように。


「だが、豪族にはそんな思考を持つ者ばかりではなかった。あくまで保守的に自己の領土の身を守ろうとする者や、タンガタンザ全土に呼びかけ争いを否定し続けた者がいた。しかし攻勢派の豪族にしてみれば、権力拡充の妨害にしか思えなかったのだろう。いたるところで紛争が勃発したらしい」


 それは、百年戦争が始まるより遥かに前の話だと言う。

 タンガタンザの争いは、百年以上前からとっくに発生していたらしい。


「そんなタンガタンザに心を痛め、恐怖に震えた豪族の娘がいた。彼女の両親は、暦年続く紛争に終止符を打つべくタンガタンザ全土を駆けずり回っている道中、攻勢派の豪族に無き者にされていた。かつては広大であった領土も、小さな村にも及ばないほど縮小され、ひとり残された彼女は死の覚悟をしたと言う」


 サクの瞳は、絶望に沈む豪族のひとり娘を想うように宙に漂った。


「そんなとき彼女の村に、ひとりの男が現れた。奇妙なことにその男には記憶が無く、自分が何故その場にいるのかも分からなかったそうだ。辛うじて在ったのは自己の姓―――“ミツルギ”。そして、神の化身と言われるほどの刀の腕だけだった」


 ミツルギ―――『御剣』。

 アキラはこの屋敷の表札に記されていた文字を―――“漢字”を思い出す。

 この世界のものではない存在。


 たびたび忘れがちだが、ヒダマリ=アキラも同様の症状を軽度に患っている。

 “記憶喪失”。

 となれば、そのミツルギという男は、恐らく。


「“異世界来訪者”。ミツルギに出逢った彼女は、その可能性に即座に気づいたらしい」


 やはり、“異世界来訪者”。

 その男と自分の世界は同一のものだろうか。

 アキラは“漢字”を思い起こし、しかし無益なものだと切り捨てた。


 世界を数えることなどできない。

 今は、自分の世界と似通った文化を持つ世界が、さらに存在する可能性が浮かび上がっているのだ。


 つい先日知った“とある領域”。

 それは―――“世界のそれぞれに重なるように存在する”らしい。


「そこから歴史が傾くほどの反撃が始まる。右も左も分からぬ自分を保護してくれた彼女に大恩を感じたミツルギは、彼女に降りかかる総ての災厄を斬り払った。そして彼女と2人、彼女の両親のようにタンガタンザを渡り歩き、攻勢派の豪族を無力化させていく。武力での交渉は彼女の本意では無かったらしいが、そうせざるを得ないほどに、タンガタンザは狂っていた。“しきたり”にすら背いた行為が随所に蔓延り、魔物が頻繁に出没するようになってからも、人が人を下すことしか考えられなくなっていたとまで言われる。―――“非情”と言われ始めたのは、そんな頃からだ。だが、そうした争いの中、彼は、徐々に増えていった同じ志の豪族総てを守り切った」


 数多の豪族を守護した男。

 “非情”に傾いだタンガタンザを、在るべき姿に戻すために尽力した男―――ミツルギ。

 旅の道中仲間を増やし、タンガタンザを救う姿はまさしく“勇者”と形容できるかもしれない。

 異世界に落とされ標を失ったミツルギと、両親の末路を知っている豪族の娘が、タンガタンザを共に渡り歩き、そして奇跡を起こしていく。

 この物語は、そんな2人の勇気の物語だった。


「そしてタンガタンザの紛争は沈黙する。戦力を十全に保有していた攻勢派の豪族さえも、拡大していくミツルギ勢力を前に白旗を上げるしかなかった」

「……それで、そのミツルギは武家を作ったのか。その戦力を保有している攻勢派が再び戦争を起こせないように―――旅の途中で出逢った仲間を守り続けるために」


 息が詰りかけていたアキラは、吐き出すようにサクの言葉を紡いだ。


「いや、武家を作ったのは“彼女”だよ。ミツルギではない」

「?」

「彼は紛争の中、最後の戦いで命を落とした。彼以外では突入することも不可能な数の敵の中、彼以外では切りかかることも不可能な強敵に挑んだときに、な。前に話したか」


 その話は、確かに依然聞いている。

 ミツルギの最期。

 それは、有した武具が砕けたからだ。


「それ以来、ミツルギ家には強い教訓が存在する。豪族である自己の名を捨て、あえて『御剣』を名乗ったその娘は、武具の整備に余念を許さなくなった。思えばミツルギ家が製鉄で栄えたのも、彼女の意向があったのだろう。以来ミツルギ家は、守護の象徴として、タンガタンザの中心になった。そして再び、タンガタンザに華やかな平穏が続く」


 サクはそこで一拍置き、そして、瞳を細めた。


「百年前まで、だが」


 そして物語は現代に戻る。

 この先は、クロック=クロウの説明通り―――戦火に塗れたタンガタンザ物語が巻き起こる。


 百年戦争が―――勃発した。


「当時、いや、あるいは今も、タンガタンザの民は天罰とさえ思っているよ。かつて紛争を巻き起こした自分たちに―――“しきたり”に背いた自分たちに、災厄が降り注いでいるのだと。“しきたり”に背いた罪は重い。攻めているのは魔族だが、タンガタンザは“しきたり”に背いた末路として同情の念を向けられてはいない」


 “非情”。

 それは、タンガタンザの内部だけではなく、外部からも向けられる象徴だった。


「さて、話は終わりだ」

「え?」


 思わず間の抜けた声を出し、アキラはサクに顔を向ける。

 サクは目を瞑って口を閉ざしていた。

 本当に、話を終えたらしい。


「サク。俺はお前の話を聞いていないんだが」


 アキラは抗議の視線を送ったが、サクは涼やかな顔で黙したままだった。

 ここで終えられては、長々と話を聞いていた意味が無くなってしまう。

 “二週目”で回収できなかったサクの―――ミツルギ=サクラのバックボーン。

 それが無ければ、この話はただの歴史の授業だ。


「なあ、サク」

「話は終わったよ、語るべきような話は。私はそんなミツルギ家に生まれた。だから、武器の整備にうるさくてね」


 そんなものはどうでもよかった。


「俺が聞きたかったのはお前の話だ。ここまで来て、お前が何も語らないのはあり得ない」


 物語として。

 世界の在るべき形として。


 ヒダマリ=アキラの世界においては、ミツルギ家の祖先の勇気や、タンガタンザの百年戦争さえ必要ではない。

 ミツルギ=サクラはこの地を離れ、サクと名乗って旅をしていた。

 彼女の口から、その理由がまるで語られていない。


「小さい」

「?」


 ぼそりとサクが零した言葉に、アキラは眉を寄せた。


「私自身の話は、あまりに小さい物語だよ。本当に矮小なんだ。私が知らないときに始まって、私が逃げて、私が知らないときに終わっていた。勇気とは間逆の、醜い話」


 アキラは、追求を止めた。

 力無く呟くサクは、疲れ果てているようにも見える。

 瞳はとっくに虚ろだった。


「本当なら、私はこの地に訪れたくなかった」


 サクはアキラに視線を向けてきた。

 そして、脱力した口調で言う。


「それに、戦争に参加する気も無かった。特にお前が参加するのも反対だ」

「……さっきも言ってたな。何でだよ」


 するとサクは深く息を吐き出し、視線を逸らさず―――アキラを憐れんだような瞳を浮かべた。


「この戦争は―――“お前が呼んだわけではない”だろう?」


 アキラは瞳を大きく開いた。

 サクは瞳の色を変えずに続ける。


「お前がいないとき、日輪属性の話が出てな。そのときこんな言葉が出た―――“呪い”」


 サクは、アイルークから共に旅を続けてきた仲間は、あるいはアキラ以上に、日輪属性の力を理解しているかのような表情だった。


「タンガタンザの百年戦争。これはとっくに日常だ。そこにお前はたまたま現れただけ。事件の種を作り出したわけでも、芽吹かせたわけでもない。この事件は、初めてお前に“立ち去る権利”がある出来事なんだよ」


 ようやく、アキラにも理解できた。

 自分の意識がどうしても分散してしまうわけ。

 サクがアキラをこの場から遠ざけようとするわけ。

 このタンガタンザの物語が―――どこか遠いその理由。


 言ってしまえば、ヒダマリ=アキラという存在は―――この物語において、あくまで部外者なのだ。

 大それた事件があっても、自分と隣接してある問題でなければ興味は薄れる。

 丁度アキラが、ミツルギ家の歴史より、サク個人の物語に執着したように。


「サイガに何を吹き込まれても、お前には背を向ける権利がある。避けられるんだ―――避けるべきなんだ、この事件は。事件を引き寄せてしまうのに、関係の無い事件にまで首を突っ込んでいたら、お前はいつ休息できる。そうなれば、その首は落ちてしまうぞ―――“魔王を討つ前に”」


 サクは。

 ミツルギ=サクラは、心の底からヒダマリ=アキラに同情している。

 アキラの“呪い”を、サクは傍目で何度も見てきているのだ。


 小さな村に立ち寄れば。

 穴ぐらに転がり落ちれば。

 港町に訪れれば。

 樹海の伝説に挑めば。


 即座に難攻不落の“魔族”に繋がってしまう。


 生還こそはしているものの、ご都合主義などと手放しで喜べない。

 常に死と隣り合わせなのだ。

 逃れることは許されない運命。


 それは、戦争と共に在るタンガタンザの者の瞳には、切実に映るのだろう。


 そして。

 ヒダマリ=アキラも、心のどこかで“物語の在るべき姿”に―――疲れていたのかもしれない。


「アキラ。お前は弱いんだ。呪いの力があまりに強すぎる。困難を辛うじて乗り越えても、それにも勝る絶望が展開し続ける。そこにお前の意思は無い。傍で見ている者にとっては、恐いんだよ。周囲の者が成す術無く、お前が“被害者”になってしまう気がして」


 現に、アキラは被害者になった。

 あの大樹海アドロエプスの事件。

 数百年続く伝説を凌駕した瞬間、更なる『絶望』が姿を現した。

 本人が―――望んでもいないことが。


「サイガは本当にふざけたことをしてくれた。だがアキラ、気にするな。タンガタンザの“非情”を振りかざし、この大陸から離れるんだ。2ヶ月後に“ゲーム”が終わるまで、ある意味この地は戦火を逃れる」


 ゲーム中は、『ターゲット』破壊の下準備の期間。

 タンガタンザから逃れようとする者に対しては、『ターゲット』でもない限り魔物は執着しないのだろう。

 タンガタンザ全土を襲う戦争中はそうはいかないだろうが、逆に言えばこの2ヶ月間がタンガタンザ脱出の機会となる。


「サクは、参加するのか」

「……ああ。一応ここに保護されたときの条件だ。私はサイガのように約束を反故にはしない」

「だったら、同じく保護された俺にも義務はあるだろ」


 遠く離れたこの地の物語。

 自分が部外者だと理解したからか、かえってアキラは執着した。

 何よりサクはこの地に残るのだ。

 自分ひとりが離れることなどあり得ない。


「無い。お前の義務は、私の参加で消えている」

「……俺は勇者だ。相手が魔族なら、俺にも戦う理由がある」

「無い。タンガタンザは“しきたり”に背いた。正しいか否かで言えば、この神罰は正しいのだろう」

「魔族は魔王に繋がるだろう。そこに俺の大義名分がある」

「無い。お前は前に話していたな、港町を襲った魔族。そいつは魔王の配下では無かったのだろう。タンガタンザを襲う魔族の正体も分からないのに、何故参加する義務がある」

「だから、確かめないと、」

「“確かめるだけの理由で戦争に参加するのか”?」


 アキラは言葉が詰った。

 タンガタンザの戦争は、その程度の理由で、物見遊山のつもりで参加できる領域ではない。

 敵は―――大陸そのものを壊滅させた存在なのだから。


 そしてその存在と、アキラが出遭う必要は無い。

 サクの視線は突き刺すようで、痛かった。


 結局のところ。

 自分は、この事件そのものに積極的ではないのだろう。

 事のあらましを曲がりなりにも理解しようとしていたのも、単にグリースや『ターゲット』が不憫だと思っただけに過ぎない。

 自分自身の心に、火は点いていないのだ。


 ヒダマリ=アキラという人間は、あくまで受動的で、その場の環境にただ流されることしかできない。

 今まで事件を解決してきたのも、自分が惹きつけてしまったという義務感からのものがほとんどだった。

 自分が原因ではない事件に出遭ってしまえば、真剣なように見えても、心の中では楽観視しているような―――それだけの人間だ。


「……お前は、残るんだろう」


 アキラが辛うじて吐き出せたのは、最初の言葉だった。

 サクは本気で、アキラの離脱を望んでいる。


「別に死別するわけではない。戦争が終わったら、私は再び旅に出るよ。そのとききっと、お前を探す。お前は一足早くここを出て、逸れた2人を探していてくれ。無事だといいが」


 そこで、アキラは思い出した。

 自分が、この地に留まらなければならない理由を。


「……そのために、ここが必要だ」


 いつしか伏せていた顔を上げ、アキラはサクに視線を合わせる。


「あいつらの現在地。それを知るために必要なんだ、“固定の住所”が。それにサク、お前の協力も」

「?」


 サクは眉を潜めた。

 アキラは勝ち誇ったように“合流手段”を示す。


「“あいつ”は、リビリスアークの孤児院と定期的に連絡を取っている。どこにいるかは分からないが、孤児院に手紙を書いているはずだ。だから俺たちからも手紙を出す。リビリスアークの孤児院へ」


 リビリスアーク。

 タンガタンザとは対極の、“平和”を象徴する大陸アイルークに存在する小さな村。

 ヒダマリ=アキラがこの世界に訪れた最初の地であり、初代勇者縁の地でもある。


 そこを経由すれば、互いの現在地を認識できるのだ。

 合流地点は恐らく逸れた2人がいる場所になるだろう。

 タンガタンザは論外だ。


「だからサク、俺はここを離れられない。手紙を受け取るためにな。それに、俺はこの世界の文字を書けない。返信するためにも、お前に協力してもらいたい」


 まくしたてたアキラに、サクは目を見開いていた。


「どうしたアキラ……。お前、熱でも、」

「俺のマジっぷりがお前には伝わらないのか」


 連絡手段に乏しい異世界での合流方法。

 正答を導き出していたアキラに、サクは狼狽してふらついていた。

 そこまでのリアクションをされるとアキラの沽券にかかわるのだが、張り詰めていた空気が僅かに緩和したのは儲けものかもしれない。


「……タンガタンザを離れてからでも遅くはないだろう。誰かに頼んで、」

「遅ぇよ遅え。協力してくれる人まで探していたらさらに遅くなる。一刻も早く連絡取らなきゃならないんだから」

「はあ……、分かった。だが、ここに残ってもすぐに連絡が取れるわけではないぞ。すでに彼女が手紙を出しているとして、返信が来るのは……早くても1ヶ月は超えるかもしれない」


 タンガタンザの交通の便を考えれば、それでも早い方なのかもしれない。

 だが、かえって良かった。

 何とか食らいつき、これでこの地に残る理由がようやくできた。


 “理由さえあれば、自分の望みを叶えられる”。


「それでも、2人の現在地が分かったら即座にここを離れろ」

「ああ、分かったよ」


 返答は出任せだった。

 仮に『ターゲット』期日よりも早く手紙が届いたとしても、アキラは何とか理由を付ければよいと考えていた。

 サクも、あくまでその場凌ぎの言葉だと分かっているだろう。

 手紙が届いたときに、またひと悶着ありそうだった。

 そのときには、ヒダマリ=アキラの得意分野―――“言い訳”の出番となる。


 そこで。


 ゴゴゴ、と地鳴りが響き、再び大広間の門が開いた。

 強い日差しが突くように差し込み、夏の匂いが強くなる。

 全員が揃って門を向けば、再び真紅の衣を纏ったミツルギ=サイガが確かな足取りで入ってくる。

 そして、サイガに一歩後れて、無表情なひとりの若者が一抱えほどある筒を脇に挟み従者のように突き従っていた。


 だが、目を奪われたのはその2人にではなかった。

 彼らの後ろには、この大広間をも埋めるほど巨大な荷車が大地を響かせ進んでくる。

 外の景色は容易に埋まった。

 荷車は、黒塗りのシートに隙間なく覆われ、何重にも太い縄で縛りつけられている。

 その中身を見ることは全くできなかった。


「そこでいい」


 サイガは重い口調で荷車に声を投げた。

 すると荷車はピタリと止まる。

 そして直後、巨大な塊から荷車を動かしていたと思われる人々がどっと湧き出した。

 無表情な若者も筒をサイガの隣に置いて合流し、サイガの前で一糸乱れぬ隊列を組んだ。

 30にも上る人数でなる隊列からは呼吸すらも聞こえない。

 全員が沈黙し、まるで持ち主が糸を動かすのを待つ人形のように微動だにしなかった。


「解散」


 彼らは、声を出せたようだ。

 サイガの言葉に全員が同じ間で応じて即座に大門から外に走り出す。

 その動きにすら、余計な動作は感じられない。

 何かの競技のようにも見える彼らの行動にアキラが絶句している間に、再び大門が閉じられた。


「さってと、どこまで話したっけかね。くっそ、熱ぃ」


 閉じたと同時、サイガは衣を脱ぎ捨てた。

 再びラフな服装に戻ったサイガは衣を肩に担ぐと、緩慢な動作で荷車を巻くロープをほどき始める。

 やがてロープを乱雑に解き終えると、肩凝りでも治すように腕を回した。

 あの静かな大群の前の態度と比べると、その姿は豹変とも言える。


「まあ、まずは前提からだ。アグリナオルスが攻めてくるのは2ヶ月後。さっきも言った通りこの中の戦力はクロッ君くらいで他は問題外。こんなところでいいかな」


 ツバキは喰ってかかるのを止めたのか、クロックの隣で呪いでもかけているような瞳で睨むだけだった。

 グリースも無言。ただ、瞳は怒気に染まっているようにも見える。


「まあそんなにカリカリすることは無いさ。俺が言っている戦力ってのは、“俺の計画に必要な能力”のことだ。クロッ君の時点はラングル君かな。一番の問題外はサクラちゃんだよ」

「おい」


 これには、サクも気配を変えた。

 アキラは過敏に反応し、サクが行動をとる前にサイガの言葉を止める。

 サイガは彼女の親らしいが、流石に気分が悪い。

 それに、自分は未知数だとかで除外されているが、サクが問題外ならアキラはどうなってしまうのか。


「作戦とかは知らないけど、結局戦闘なんだろ。サクは戦力になる。それに、俺たちは“魔族”との戦闘も経験済みだ」


 アキラは意地になって喰いついたが、サイガは涼しい顔をしたままだった。

 だが、アキラにも言い分はあるのだ。

 この“三週目”。

 アキラが出逢った旅の魔術師の中では、サクはトップクラスの力を持っている。

 事実、アイルークでの2つの魔族戦は、彼女がいなければいずれも生還できなかった。


「単純な話さ、」


 するとサイガは僅か息を漏らし、背後の荷車を見上げた。


「“これ”がいきなり突っ込んできて、回避以外の行動をとれるか?」


 巨大な荷車のサイズは、元の世界では航空機にも匹敵するかもしれない。

 例えこの荷車が襲ってきたところで、サクは生還できる。

 シリスティアのアドロエプス大樹海で見た足場に制限されない彼女の動きは、まさに神速。

 だが、サイガは―――回避するなと言っている。


「ヒダマリ君はサクラちゃんの戦闘を見たことがあるだろう。はたしてこいつは、迫ってくる脅威を受け止められたか?」


 サイガはサクを指差した。

 アキラは言葉を返せなかった。


「俺らがやんのはそういう戦闘なんだよ。こいつが脅威を回避したら、“その後ろにいる奴”がどうなるのか大体分かるだろう」


 今度は完全に沈黙した。

 敵の狙いは『ターゲット』。

 サクがいくら牽制や陽動をしたところで、敵の足は止まらない。

 サイガは不敵に笑い、今度は無表情な若者が置いていった筒を開ける。

 鉄製と思われる筒を開けると、丁度傘ケースのようになったそれには、数本の木刀が無造作に入っていた。


「さて、時系列順にいこうか。これから2ヶ月、ぶっちゃけ俺らは暇だ。となれば当然やることは、楽しい特訓パーティだ。止まらない敵を、死ぬ気で止める特訓さ」


 木刀を軽く叩き、サイガは今度こそ、巨大な荷車の布を掴む。


「クロッ君、ちょっと協力頼んだ。反対側持ってくれ」

「……それはいいが、これは何だ」

「言っただろう、時系列順だよ」


 クロックもその荷車の正体を知らなかったのか、眉を潜めて荷車を見上げる。ツバキは巨大な塊に気圧され続けているのか、動こうともしなかった。

 クロックは黒塗りのシートを渋々ながら掴み、サイガの指示を待った。


「そして2ヶ月後。さっきから気になっていたみたいだけど、移動手段さ。俺たちが戦地へ赴く手段。そして、俺が17年前タンガタンザから消えた“魔法”だよ」


 時間にして、数分。

 2人がシートを前から引き続けた結果、アキラの眼に再び―――“在ってはならないもの”が飛び込んできた。


 シートと同色の黒塗りのボディ。

 巨大な円形の身体の左右には、長方形に近い“翼”が伸びている。

 マジックアイテムの灯りに満ちた大広間の光を、メタリックなボディが反射した様は―――ヒダマリ=アキラにとって、最大の異物だった。


「何、だ、これは」


 巨大な物体が姿を現し、誰かが声を漏らした。

 だがアキラは、その人物以上に狼狽していた。


 つい先日、アキラは世界最強の激戦区でもこうした存在を見たことがある。

 この世界の法則を大きく乱す―――“元の世界の存在”。


「ひ、“飛行機”……」


 先ほどの感想は、例えでも何でも無かった。

 アキラの目の前に存在する鉄の塊は、科学の結晶の証であった。


「こいつは空を飛べるのか……!?」

「ああ。“召喚獣”すら及ばぬ高さへね」


 アキラの言葉に、サイガは僅かに瞳を大きくし、そしてやはり笑う。


「知っているってことは……、もしかしたらヒダマリ君、“異世界来訪者”ってところかな?」


 アキラはぞくりとした。

 まさか。

 ミツルギ=サイガは視たのだろうか―――“世界のもうひとつ”を。


「サイガ!!」


 強い、怒号のような声が響いた。

 隣のサクの突如の叫びに、アキラは慄きよろける。

 ここまでの怒気は、あるいは先ほどの小部屋の中でも無かったかもしれない。

 飛行機の登場には度肝を抜かれたが、彼女は何故、ここまで激昂しているのか。


「“空を飛ぶ物体”を貴様は開発したのか……!?」

「俺じゃないさ、俺じゃない。いつかは知らないけど、ミツルギ家は“異世界来訪者”の祖先である、と聞き及んだ“異世界来訪者”が訪れたらしくてね。そのときに知識を蓄え、開発に手掛けたのさ。俺が生まれた頃には、哀しいことにすでに開発を終えていた。俺はそれを強化したり量産したりしているだけだ」

「量産……? 貴様、」

「あっただろう、ミツルギ家には。近付くことを禁止している矢倉が。その中身は、ミツルギ家でもごく一部にしか伝わらない。封印されているのは可哀そうでね」

「やはり貴様が封を解いたんだろう!?」

「待てよ、何でそんなにキレてんだ!?」


 アキラは、斬りかかりかねないサクとサイガの間に入り込んだ。

 まるで話に付いていけない。

 飛行機の存在程度で、何をそこまで緊迫した状態になるのか。


「“しきたり”」


 サクは未だ冷めやらぬ怒気のまま、強い口調で断言した。


「人間という種が発展するのは自由だが、かつて神族と魔族が骨肉の死闘を巻き起こしたのは他の領域に介入しようとしたからだ。それゆえ、“神族”は空を犯すことを厳禁している。“飛翔機能を有する物体の開発禁止”。ミツルギ家は、それを犯していたのか」


 “しきたり”。

 出てきたその言葉に、アキラは寒気がした。

 その言葉はこの世界にとって、最も強固な強制力を誇る鉄の掟だ。


「……はっきり分かった。タンガタンザが魔族に襲われ続けているのは、やはり神罰だ。神の領域を犯しておいて、加護を受けることなどできない」


 サクは冷たく言い放った。

 親であるサイガに向けた瞳は、敵を見るかのように鋭く、殺気立っている。

 アキラの背筋はさらに冷え込んだ。しかしそれは、サクの豹変ぶりに恐怖を覚えているのではない。

 何度目だろう―――この世界の前提として蔓延る“しきたり”に震えたのは。


「神の領域、ね」


 一方、サイガの方も表情が変わっていた。

 笑うのでもなく、冷やかすのでもなく、彼は、ただ瞳を遠くに這わせていた。


「ホントに神は天にいるのかな。俺はどうも昔から“しきたり”を素直に頷けなくてね」

「何を言っている……?」


 サイガの静かな声に、サクはやはり睨み返した。自身の親の口から漏れたその言葉は、彼女にとって理解し難いものなのだろう。


「大分前アイルークで、神が街を絶対的な力で救ったというニュースが流れたことがあっただろう。戦争中のここにも届いたよ。世界中に広まっただろうから、多分サクラちゃんも知っているんじゃないかな」


 アキラも、そして当然サクも知っている。

 そのニュースの現場に、2人は居合わせたのだ。

 アキラは思わず自分の右手に視線を向け、首を振ってサイガを見た。


「そのとき俺は思ったね。だったらとっとと魔王を殺せ、と。お前は絶対的なんだろう―――とね」

「それ、は、」


 サクの怒気が緩和した。思うところがあったのだろう。

 アキラも記憶を探り、“神”を思い出す。

 “二週目”。

 あの神との出逢いの後、メンバーの中に“神への不信感”が芽生えたのは事実だ。


「そうなってくると、神にはそれができない理由があるのかもしれない。人間が思うように絶対的ではない―――とか。はたして俺らは、そんな存在に盲目的に従うべきか?」


 アキラは他の面々を盗み見た。

 ツバキは眉を潜めて難しい顔をしているが、クロックは涼しい顔をしている。

 少なくともクロックは、サイガの意見に信憑性があると思っているようだった。

 グリースは興味が無いとでも言うように顔を背けている。

 この場で最も狼狽しているのは、サク。

 つい昨日、“タンガタンザに戻って来たばかり”の人間だった。


「例えばこいつが世界中にあれば、移動は遥かに楽になる。世界中が高速で繋がるだろう。それなのに、神はそれを許さない。まるで―――“自分たちがいない高みに上がられるのを恐れるように”」


 サイガは飛行機を見上げ、肩を下ろして呟いた。


「小さい頃は止むを得ず“しきたり”通りの教養をしたけど……、サクラ。お前がこの地を去らなければ、次は“こういうこと”を教えるつもりだったんだぜ」


 “こういうこと”―――とは。“しきたり”への懐疑だろう。

 他の大陸では考えられない、この世界の前提への疑問。

 やはりこのタンガタンザは、今まで訪れたアイルークやシリスティアとはまるで違う。

 “しきたり”はおろか“神”への信仰心すら薄れた―――どこか挑戦的な匂いがあった。


 どこか―――人の思考が、進化しているような気がするのだ。


 アキラはもう1度、巨大な鉄の塊を見上げた。


「さて、移動手段はこれだ。こいつなら、目的地まで1日もかからない。山や川、各地で起こる争いを飛び越えて、最短距離で到着できるからね。速いぞぉ」


 最後に不敵な笑みを作り、サイガ筒から木刀を引き抜いた。

 彼はこれ以上、“しきたり”の話をするつもりが無いらしい。

 完全に沈黙したサクに視線も向けず、今度はアキラに瞳を合わせた。


「だから2ヶ月、みっちりいこう。さあ、ヒダマリ君。そろそろ君の実力を見せてもらおうか」

「おっ、」


 乱暴に放られた木刀を、アキラはたどたどしく受け取った。

 抱きかかえるように掴んだ木刀を何とか掴むと、カラリ、と木刀が筒から引き抜かれる音が聞こえた。


「とりあえず、動き見せてくれ。それでいろいろ考える」

「いきなり、かよ」

「いきなり、だよ」


 アキラはため息をつき、木刀を振ってみた。

 思ったよりも軽かったそれに心細さを覚え、ふと、アキラは肩の剣を思い出した。

 自分の武具の件は、もしかしたらこの地で解決できるかもしれない。


―――と。アキラはまたも、“別のこと”が頭に浮かんでいた。


「相手は俺でいいな」


 呟くような声だった。

 見ればグリースが木刀を抜き放ち、肩に担いでアキラに対面している。

 乾いたような瞳を携え、ぼんやりとアキラを眺めているようだった。


「おっと、ラングル君やる気があっていいねぇ。気を付けてくれよヒダマリ君。彼は一応、特訓の先輩さんだから」


 グリースはすでに特訓とやらの経験者であったらしい。

 アキラは僅かに驚く。

 彼は、今まで作戦の詳細も明かされず、このミツルギ家で励んでいたと言うのだろうか。


「魔術の使用禁止。身体能力強化と防御膜くらいならオッケー。さあさあ、ヒダマリ君。危ないから剣下ろそうか」


 アキラは言われるまま担いだ剣を外し、サクに預けた。わだかまりは、今は置いておこう。

 少なくともグリースは、この件につき真摯である。ならば自分は、それに応じるべきなのだろう。

 グリースや『ターゲット』を救うためだ。

 自分が呼んだ“刻”ではなくとも、戦う理由はそこにある。


「“そういうのが、気に入らねぇんだ”」

「アキラ!!」

「―――!?」


 反射的にかざした木刀が、甲高い破裂音と共に弾かれた。

 急接近してきたグリースの切り上げに、木刀は宙で回転する。

 思わず目で追ったアキラの視界の隅で、グリースが木刀を振りかざしているのが見えた。


「っ―――」


 弾かれるように転がり込み、即座に木刀の元に駆ける。

 転がり回る木刀を必死に抑え、アキラは左手で掴み構えた。

 右腕は、最初の一刀で麻痺したように動かなかった。


 サクが叫ばなければ、自分はとうに昏倒していただろう。


「い、いきなり何すんだ……!!」

「始まってんだよ。おら、来いよ」


 彼の瞳は乾いていて、静かで、しかし突き抜くような敵意を放っていた。

 胃が底から冷え切るような緊迫を感じ、アキラは生唾を飲み込んだ。

 よくよく考えれば分かるようなことだった。

 グリースとは戦い、敵のまま別れたのだ。

 そこに和解は無い。

 いくら自分が彼らの境遇を哀れもうが、グリースには届かないのだろう。

 自分でも筋違いと分かっていながら、アキラは裏切られたような気分になった。


「はっきり言って、八つ当たりにもなりゃしねぇ、ただの逆恨みだ」


 グリースは、木刀を肩に抱えるように構えた。

 木刀の切っ先は天井を刺す。

 あの崖の上でも見た、グリースの構えだ。


「今の俺にとっちゃ、“神族”がどうとか、“しきたり”がどうとか、そこの髭面当主が何を考えているかとか―――んなことはどうでもいいんだ」


 ひたすら黙していたグリースは、その反動で噴き出したように呟く。


「俺が許せねぇのは……、てめえが!! 部外者面してへらへらしてることなんだよ!!」


 グリースは、地を砕くような激しい足取りで突進してきた。

 アキラは未だ痺れの残る右手で木刀を掴み、グリースを迎え撃つ。


 再び破裂音。

 木刀同士が衝突した結果は、アキラの両手に強烈な痛みを走らせた。

 グリースは、まるで体勢が崩れていなかった。


「ぐっ、悪かったな、マジになってなくて」

「詫びんなうぜぇ。言ったろ、逆恨みなんだよこれは」


 つばぜり合いの状態から、グリースは力を込めてアキラを押した。

 体勢が崩れたアキラはその場から離脱し再び構える。

 “崖の上の街”でも見た彼の実力。

 アキラが彼を見て、最も長けていると思ったのはその体勢の崩れ難さだ。

 重心が常に定まっている彼は、余程のことでもない限り力負けしない。

 その上、動きが鈍いわけでもなかった。

 サイガがグリースを2番目の実力者と言ったのも、あながち嘘ではないかもしれない。


 グリースは再び上段に構え、アキラを射殺すような瞳で睨みつけている。

 アキラは舌打ちし、木刀を両手で握り締めた。


「分かったよ。ちょっとは火、点いてきた」


 ダンと地を蹴り、グリースへ突撃する。

 使用可能なのは魔力による強化まで。

 アキラにとって大きなディスアドバンテージになるが、むざむざ袋叩きにされる趣味は無い。


「らぁっ!!」


 上段に構えたグリースへ、アキラは切り上げるように木刀を振るった。

 グリースは合わせるように木刀を振り下ろし、アキラの木刀を叩き落とす。


「―――!?」


 弾けるようにアキラの木刀が地面で跳ねる。

 だが、アキラの手に痺れは残らない。アキラはグリースの一撃の直前、木刀を手放していた。


「ふっ!!」


 虚を付かれたグリースへ、アキラは勢いそのままに当て身をかました。

 常に重心を取り戻すグリースが、前傾姿勢から元の位置に身体を引く刹那の攻撃。

 倒れぬまでも流石に体勢を崩したグリースの隙を縫い、アキラは回るようにしゃがみ込んで木刀を握る。

 とっさで逆さに掴んだ木刀を、回転の勢いそのままにアキラは振るった。


 パンッ、と。再び木刀同士が弾かれる音が響く。

 運任せの神業に近いアキラの奇襲を、グリースは見事木刀で抑え込んでいた。


「ぐっ」


 アキラは歯噛みをし、再び離脱。

 慌ただしく木刀を掴み直したころには、グリースはすでに体勢を完全に立て直していた。


「びっくり芸だな。一発芸とも言えるが」

「落とした剣を拾う練習なんて、俺くらいしかしないだろうな」


 自傷気味に呟くも、アキラはグリースに敵意を見せていた。

 やはり、こういう風であれば分かりやすい。

 やれ百年戦争だ、やれ“しきたり”だ、などと言われるより、演習だとしても目の前の戦闘はアキラに現実感をもたらしてくれる。


 だが、それでもグリースは強かった。

 彼を僅かだけでも退けられたのは先ほどの当て身のみ。

 彼は立ち位置をまるで譲らず、アキラの攻撃を総て跳ね返してみせていた。


 アキラに彼を凌駕する手段は―――ルール上、無い。


「魔術を使いてぇか?」


 許されるのなら、即答できる。

 グリースは、アキラより体格も、体技も、剣技も上だ。魔力の総量も上回っているだろう。

 だがアキラが魔術を使用すれば、戦闘能力は飛躍的に向上する。

 日輪属性の最大の利点は、同レベルの魔術師では太刀打ちできぬほどの余りある選択肢の数なのだから。


「ふん」


 アキラの無言を是と取ったのか、グリースは不敵に笑い、そして―――敵意をも超えた殺意を瞳に携えた。


「俺もだよ。精々怪我止まりの木刀じゃ、てめぇをぶっ殺せねぇからな」

「……そんなに俺は、イラつくか?」


 グリースの殺意を受け取り、アキラの敵意も徐々に昇華されていった。

 まるで鏡のように、受動的に鼓動が高ぶり瞳に殺気を携える。


「……てめぇはあのとき言っていたな。“俺が言えた義理じゃない”と。それと同じだよ」


 グリースが僅かに前傾になる。

 闘争本能をむき出しにし、攻めに転じる体勢だった。


「確かに俺は、許されないことをしたのかもしれない!!」


 突撃してきたグリースの一刀を、アキラは渾身の力で抑え込む。

 しかし、吹き飛ばされるように木刀が弾かれ、吹き飛ぶようにアキラは下がった。

 それでもなお、グリースはアキラを追う。


「“しきたり”に背いている奴らを、俺自身が“しきたり”背いて殺そうとしたんだからな!!」

「っぐ!?」


 アキラの一刀に対し、グリースは二撃三撃を放ち、さらにその手を緩めない。

 グリースの一撃ごとに身体中が重く響き、木刀を伝ってアキラの骨髄に痛烈な衝撃を与えてきた。

 本格的に破壊するための攻撃。

 グリースの感情が、ヒダマリ=アキラという日輪属性の前でむき出しにされている。

 無言を保っていた彼は、その中に、これほどの激情を溜め続けていたのだろうか。


 あるいは―――ひと月前から。


「だがな!!」


 押され続けたアキラは背後に壁の気配を感じ、潜り込むように横に飛んだ。

 回避の最中飛んできたグリースの一刀を辛うじて受け、即座に距離をとった。


 アキラはグリースに身体を向けたまま下がり続けた。ただ被害を最小限にするための防衛行動。

 腕はほとんど上がらなかった。

 迎撃するには再びしばらく時間がかかる。


 一方グリースも肩で荒い呼吸をしながら、追ってはこなかった。

 彼自身には余力はあるのだろうが、きっと彼は、すでに―――いや、最初からアキラなど眼中に無かったのかもしれない。


「―――何で“あいつ”が、“こんなことになるんだよ”」


 囁くような悲哀に、アキラは言葉を返さなかった。

 自分と彼の、圧倒的な温度差。

 この物語の当事者に、やはりヒダマリ=アキラは含まれていないのかもしれない。


「俺たちはただ、“あいつ”の武器を修理しに来ただけなのによ」

「……、」


 ふと、アキラの脳裏に、巨大な円柱が浮かび上がった。

 対の円柱。

 魔力を増幅させる働きがある―――リンダ=リュースの装備品。

 ヒダマリ=アキラは、それを剣で弾き飛ばし、あの奇妙な夜を乗り越えた。


「俺が―――壊したのか」


 アキラは訊いた。

 あくまで確認の意味のそれは、やはりグリースのように囁き声になった。


「だから、ただの八つ当たりだよ。てめぇが剣を振るった先に、こんな世界があっただけ。だけどそれは、俺にとって在ってはならない世界だった」


 本当に、ただそれだけなのだろう。

 アキラはグリースの言葉通り、自分の責任は無いと言い切れる。

 例えばアキラがあのとき剣を振るわなければ、2人の人間の未来がこの世界から消えていた。

 何も考えず剣を振るっているアキラにとって、その先に何があるのかなどいちいち対処していられない。その場その場で動くだけだ。

 そして今後も、後先考えずそんな行動を取るのだろう。

 彼らがこの地にいる理由を聞いた今も、原因と結果が離れ過ぎていてアキラに現実感をもたらさなかった。

 所詮―――他人事だと。

 ヒダマリ=アキラは、所詮その程度の人間なのだ。


 グリースもそれは分かっている。

 あのときのアキラの行動は、極論を言ってしまえば正しいのだ。

 しかしそれでも倫理や道徳を超えて、その感情が、“そんな原因が現実感を持っていないのが許せない”と叫ぶのだろう。


 サイガが手を叩き、アキラの戦力分析は終わった。

 僅かに渋い顔して近付いてきたサクに、アキラは震える手で木刀を渡すと、腕をさする。

 彼の攻撃は、当事者の攻撃は、本当に重かった。


 グリースは木刀を放り投げ、アキラに背を向け去っていく。

 アキラはその背に声をかけた。


「そんな離れた世界に責任感を振りかざすほど、勇者は暇じゃねぇよ」


 アキラもグリースも分かっている言葉を放つ。

 “非情”な大陸で、あくまで自業自得な彼らにとって、正しい言葉。


「だけど」


 グリースの八つ当たりは終わった。

 彼の―――“彼ら”の悲劇を聞いても、アキラの心は動かない。

 アキラは今回、“巻き込まれていない”のだから。


 そして彼らは、言ってしまえば自業自得。

 そこに勇者の義務が発生すると言うのなら、それこそ世界は狂っている。

 グリースも、たったひとりのために周囲に当たり散らすような、たかがそれだけの小さな人間なのだ。


 だが。

 だがそれこそ、“まさしくヒダマリ=アキラと同種の想いではないか”。


「勇者は違うが―――」


 結局自分は、今まで巻き込まれたから仕方ないというスタンスを取り続けたかっただけだ。そこには責任というものが無いのだから。

 責任という存在がどれほど重いか知っている今のアキラにとって、その立ち位置はあまりに楽なのだ。

 しかし今は、そんな免罪符は存在しない。


「―――ヒダマリ=アキラは当事者だ」


 あれこれ理由を付けようとしていた自分が馬鹿みたいだった。

 理由が無いのなら、ただ自分がそうしたいと言えばいいだけだ。


 理由を待って応じるのではない。

 言い訳をして応じるのではない。

 その気があると言うだけで、たったそれだけで、自分は当事者に成れるのだから。


 自分の物語で無くとも知ったことか。

 過去に何があろうとも、自分は、“彼ら”を救いたいと思っているのだ。


 “ヒダマリ=アキラは、百年戦争に参加したい”。


「サク」


 アキラは並び立つサクに、強い口調で望みを伝える。


「あいつらへの手紙に書いてくれ。必ず迎えに行く」

「……ああ」

「それと、」


 火は点いた。

 理由は要らない。

 ならば答えは決まっている。


 勇者としてではなく―――ヒダマリ=アキラとして。


 百年戦争に挑む。


「少し、遅くなる」


 敵残存勢力。


 魔物―――????匹。


 知恵持ち―――????。


 言葉持ち―――????。


 魔族―――アグリナオルス=ノア。


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