表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
南の大陸『シリスティア』編
19/68

第30話『足音一つも聞こえない(後編)』

―――***―――


「おおっ、魔物の大群が目の前にっ!! おっしゃーっ、私にっ、ま、か、……おおっ、サキュン速ぇぇぇえええっ!! むむむっ、あっしも負けてらんな……、てててっ、アッキーエリにゃんも行くんですか!? よーしっ、バックは任せて下さいなっ!! 討ち漏らしてもあっしの魔術が火を噴くぜっ!! さあさあさあさあさあっ、こいこいこいこいこい……こい……こい……、来て……来て下さい……、来て下さいな。あっしは……あっしはここにいます。いるんです。……うん、いや、油断は禁物ですっ!! 神経を研ぎ澄ませぇっ、ティアにゃん。実は親玉的な奴が大群に紛れていて、そんにゃろうが今か今かとあっしたちを狙っているかもしれませんっ。例えば、そうですね……、あの、最奥の……そこだっ!! …………そ、そうですそうです、サッキュン、ナイスダッシュですよ…………、そだそだそれならあっしは雑魚を引き受けます。サッキュンが動きやすいよう全力でサポートを……、そうですね、アッキーもエリにゃんもよく分かってます。みなさん、ものすごく理に適った行動ですよ。調和がとれてると言っても過言ではありません。お次は……そいつだぁっ、……エリにゃん、素晴らしいです。じゃあ、じゃあじゃあじゃあ、えっと、おおっと、アッキー危なっ……くない。ティアにゃん早とちりしちゃいました、えへっ、えへっ、えへっ……えへ……えへ……。……………………フ、フレーッ、フレーッ、アッ、キッ、ィッ!! 頑張れ頑張れサッキュン!! 頑張れ頑張れエリにゃん!! 速いぞ速いぞっ、み、な、さ、んっ(除・ティアにゃん)!! 強いぞ強いぞっ、み、な、さ、んっ(除・ティアにゃん)!! いけっいけっ、み、な、さ、んっ(除・ティアにゃん)!! 無敵だ無敵だっ、み、な、さ、んっ(泣・ティアにゃん)!! …………ふう、空が、青いですねぇ……。お父さんとお母さんは元気でしょうか。あなた方の娘は、今、シリスティアにいます。ここまでいろんなことがありました。目を閉じれば浮かんできます。驚きですよね、戦闘中に目が閉じられるんですよ。安全地帯なんですよ、それはもう。あ、そういえば、心の目とかってどうやって養うんでしょうねぇ……。サッキュン辺りができそうな気がしてるんですけど、前に言ったら恐ろしいほど冷徹な笑みを浮かべていました。心の目で視て斬るッ!! なんてことできそうじゃないですか? それなのに、ですよ……。その点、アッキーは違いました。よしやってみるか、って言って朝練中に目を閉じてました。協力してくれたエリにゃんの拳がクリーンヒットしてました。そこで、あっしの出番ですよ。回復魔術でぽぽんっ☆ とねっ。…………そこだけが、ここ最近のあっしの出番ですよ。でも、この前ちょこっと褒められちゃいました。狙った対象がいなくなるってことは、狙いが良い、って。優先順位が高い敵が良く分かってるって。えへへ。…………あ、戦闘が終わってる。そしてアッキーの武器が壊れてる―――と、」

「…………」

「これが、このメンバーの近況報告です」

「誰かぁぁぁあああーーーっ!! この娘の相手代わって下さいぃぃぃっっっ!!!!」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――アドロエプス。


 南の大陸―――シリスティアにあるこの大樹海は、中央に位置すると言うより、中央そのものの“ようだ”。

 十字のように広がるシリスティアのその交差路。その全てを埋め尽くし、上空から見ればむしろシリスティアの大陸がアドロエプスから上下左右に伸びているようにしか見えない“だろう”。

 陸から遠目に見れば、腕を回しても届かない大木が埋め尽くし、膝の高さほどもある草木がうっそうと生え茂り、油断すればすぐにでも足を取られ“そう”である。

 そして、大木の付近では野太い根が土をめくり上げて飛び出し、その太さにむしろ足を取られることはなさ“そう”でもあった。

 ただ、シリスティアの魔物の力から考えて、あまり強力な魔物はいないはずだとは“考えられている”。


 それ、だけ。

 シリスティアの認識上、アドロエプスに関する事前情報はその未確定な情報のみであった。


 シリスティアが全大陸中最大級の面積を誇るというのは教科書にも載っている一般教養であるが、実質的な広さではワースト“2位”まで転がり落ちる。1位は公然で最悪の事情があり、ランキングから除外しても差し支えない。

 問題は、やはり、シリスティアなのだ。

 “ワースト1位の大陸の半分”と同様の言葉を使うのなら、シリスティアの中央部分は―――“死んでいる”。いや、実際のところ、死んでいるかどうかさえ“不確か”だ。総てが未確認。どれだけ空の太陽が照りつけても、その場の闇はここ数百年晴れていない。


 人は、意識の埒外の存在を、認識できない。

 人が認識することのみによって土地が生きていると言えるのであれば、確かにそこは、死んでいた。


 そこは―――大樹海アドロエプスは、周囲はおろか上空すら何物の存在も許さず、しかし時折手招くように、導くように、死神のように、誰かの足音を連れ去っていく。

 遥か天空の浮雲のみが横切ることを許された、その“あまりに在り得ぬ大自然”は、そしてそこで発生する失踪事件は―――不確かで確かな伝説としてシリスティアの中央に座し続けていた。


 今その伝説を―――5万を超す足音が横切っている。


「常識的に考えて下さいよぉっ、私は魔術師、そう、魔術師隊です。みなさんを統括する義務があるんですよぉ!? それが何でにこにこ顔の子供からおはようからこんばんはまでどっぷりお話聞かなきゃならないんですかぁっ!!」


 時は夕暮れ。風は無い。じっとりとした印象を受ける樹海の中だと言うのに、空気はどこかからりとしていた。

 予想通りの野太い大木と、膝ほどまで伸びっぱなしの草木に囲まれた場所。本日はそこで夜を明かすこととなった1つのグループは、シリスティアの“死んでいる地”で―――非常に賑やかだった。


「わわわっ、こんばんはまでお話聞いてくれるんですかっ!? まだまだ時間あるじゃないですかっ!! くぅ、感極まって涙出てきました……。サッティは本当に優しいですね……あっしはもぅ……ぅぅ。よーし今夜は寝かせねぇぜぃっ!!」

「ちっげぇぇぇえええっ!! もうあなた殺されても文句言えないくらい口開き続けてますからねぇっ!? それとサッティ言うなぁっ!! 私の名前はサテナ=アローグラスって結構な回数言ってますよねぇっ!?」

「すみません……。さ行ティアにゃん活用の“サッキュン”はもうサッキュンのものなんです……。それと、なんかネーミングのテンプレートからの脱却を狙いたくて、語尾を意識してみました」

「バトンタッチ!! バトンタッチィッ!!」

「落ち着けよサッティ」

「コッグ、マジぶち殺しますよぉっ!! 生きてこの森を出られると思うなぁっ!!」

「それわりと洒落になってないからな」


 賑やかで、本当に賑やかな光景を見ながら。

 ヒダマリ=アキラは黙々と寝床の確保を続けていた。


 隣では、エリーとサクも同様に口を開かず作業を続けている。

 3人とも、会話に混ざろうとしようものなら、“危険人物”のアルティア=ウィン=クーデフォンのターゲットにされることは身に染みて分かっていた。


 いつもの“勇者様御一行”の4人に加え、妙に語尾の強い女性―――サテナ、寡黙で時折サテナの神経を逆撫でしている男性―――コッグ。魔術師隊の2人は、アキラが大都市ファレトラで出会った2人でもある。


 計6名。

 計6名のこのグループが構成されてから、間も無く1週間が経過する。


 伝説の未解決事件が発生し、発生し続けているこの大樹海アドロエプスを舞台に計画された“伝説堕とし”。

 その作戦はいたってシンプルだ。魔術師隊や魔道士隊が、シリスティア全土に広報をかけて集めに集めた旅の魔術師を率いて“アドロエプスを横断する”。謎の一片も残さぬよう横一列に並び、拭い去るようにアドロエプスを暴く。

 言ってしまえばそれだけの作戦だが、参加人数は5万超。ある程度の人数で組を作り、そのグループで行列を作り、時間差でアドロエプスに突入し―――と、アキラは5日程前に聞いた説明を思い起こす。

 流石に全員が同時にアドロエプスに突入するわけではないようだ。広大なアドロエプス。その地に全員が飛び込んでは、人間であるがゆえに食料の供給もままならない。

 そこで、それぞれの列に役割を持たせるそうだ。


 最初に樹海に飛び込む列には、大樹海の探索を。

 遅れて順々に大樹海に飛び込む列には、“外”との連絡を。

 それぞれが役割を担当し、アドロエプスを進んでいく。


 アキラたちの列は、最初に大樹海に飛び込む―――すなわち、大樹海の探索する役割を担っている。

 つい先ほども、後方からバケツリレーのように回された食料が届いたばかりだった。隣のグループは視界に収めることはできないが、木々の向こうで同じように食料などの生活物資を受け取っていることだろう。

 本来ならば大樹海の反対側からも探索を行いたかったそうなのだが、大樹海の近辺ゆえか反対側には大都市ファレトラのようにパワーを持った街は無いらしい。5万人もの食料の予算など、アキラには考えたくもなかった。

 それだけ、大都市ファレトラと、そしてこの“伝説堕とし”を依頼した貴族―――ファンツェルン家が異常だと言い換えることもできる。


 依頼の経過は順調だ。

 アキラたちは問題なく大樹海を進み、そして他の組たちが定時に打ち上げる魔術にも“危険”を表す色は含まれていない。

 問題なく、横一線。時折、寝床の都合などで隊列が乱れることもあるようだが―――問題なく、横一線。


 それが、むしろ不気味だった。


「……今日も、出なかったわね」


 背後の喧騒に溶け込ませるように、エリーがぼそりと呟いた。

 アキラは仕切りのための布をロープで枝に結えつけながら、ああ、と返す。


 出ない。

 それは、このアドロエプスを禁断とした元凶だけを指しての言葉ではない。


 出ないのだ―――魔物が。何ら割り増しする必要もなく、ダンジョンと形容できるアドロエプス。そこでは、魔物が出ない。

 アキラの剣は壊れるどころか使用されてすらいなかった。


「他の組はエンカウントしてるんじゃないか? 取るに足らない雑魚とかじゃ、いちいち“異常”を知らせないだろ」

「だったらいいんだけど……、いや、よくはないけど、うん」


 エリーが言わんとしていることは、アキラも、そして黙々と寝床の確保を続けるサクも同様だろう。

 やはり、不気味なのだ。


 この樹海に足を踏み入れたとき、未開の地への侵入に誰もが半分の期待と、半分の恐怖を抱いていただろう。

 数百年も前から謎に包まれた大樹海。“伝説堕とし”の開始初日から強大な魔物が現れ全員で討つのだと血気盛んな者もいただろう。足音がひとつふたつと消えていくとネガティブな思想を持っていた者もいたかもしれない。

 だが予想とは裏腹に、この大樹海の探索は問題なく進み続けていた。

 初日、空に打ち上げられた居場所を知らせる魔術は、大樹海の入口からほとんど離れていなかったことをアキラは覚えている。

 しかし、2日、3日と時間が経過するにつれ、その進行ペースは上がり続けていた。その様子は、恐る恐る進めていた足から徐々に迷いが消えていると考えることもできる。


 何も起きなければ気も緩むというもの。

 実際、このグループの監督役として派遣されたサテナは当初気を引き締めて厳格な態度を崩さなかったが、徐々に気を許し、本日とうとうティアの毒牙にかかってしまった。

 他の組の進行スピードを見るに―――やはりアキラたちのグループ同様、本当に何も起きていないようだ―――警戒心を解き始めている。


 現在警戒しているのは、アキラたちと、樹海の外で打ち上げられる魔術を計測している魔道士たちくらいであろう。樹海の中は、足場の悪さを除けば安全なのだから。

 もっともアキラたちの警戒心も、所詮は根拠の無いものでしかないのだけど。


「それで……いや、何でもない」


 ようやく寝床の準備を完了させたサクが、アキラに言葉を投げようとして、止めた。

 アキラもその意図を理解する。

 エリー、そしてサク。彼女ら2人が警戒しているのは、自分の―――ヒダマリ=アキラという人間の様子なのだろう。


 “ヒダマリ=アキラの警戒”。

 それは、アキラが有する異常な属性のことを差し引いても、エリーとサクに特別な意味を持たせる。


 アキラは目を伏せた。

 この世界に落とされて、旅を始めたアイルーク。

 アキラは自分の有する“異世界初心者が持ち得ぬ情報”によって、2人に多大な迷惑をかけたことを思い出す。


「……警戒しててくれ」


 アキラは、口を噤んだサクに短く言葉を返した。分かり切っているであろうその言葉を、重い口調で。

 これが―――これだけが、今アキラが持っている情報の全てなのだ。


 アキラは不甲斐無さを感じていた。

 このアドロエプスには、粉うこと無き“事件の種”があるのだ。大樹海探索の最前列という役割さえ存在している。

 そんな場所にアキラが飛び込んで、ジョーカーを引き当てないわけがない。


 アキラの記憶の封は未だ解けない。


―――この1週間で、アキラは“とある答え”を出しているというのに。


「そんな顔、しなくていいわよ」


 エリーが小さく笑い、呟いた。アキラが視線を向けても、エリーは顔を背けない。

 ここ最近の変な様子も、どうやら緩和し始めていたようだ。


「最近じゃ戦闘中もちょこちょこ助けてもらってるし、それに、」


 エリーはゆっくりと振り返り、そしてびしっと指で差した。


「それでは、ティアにゃん心を込めて歌います。聞いて下さい、『足音一つ聞こえない』」

「暴挙っ!! 暴挙ですよぉっ!? この場でそれはぁっ!!」

「てくてくてく、足音三つ、聞こえてくるよ」

「コッグが歌うんですかぁっ!?」


「あたしたちの警戒心の負担、あのちっこい子供に注ぎ込んで緩和させるから」


 先ほどから続いていた喧騒に、エリーは僅かに口元を引くつかせていた。

 最近、ティアが、絶好調すぎる。


 アキラは準備が終わった女性陣の寝床に視線を走らせた。今夜はこの場で楽しい会議でも始まりそうだ。


―――***―――


「まだ、ほとんど進んではいないですねぇ。入口付近、ってところですよ」


 大樹海から切り取るように茶色の布で仕切った空間。

 足場にも分厚いカーペットが敷かれた、今夜女性陣が身体を休めるその場所で、サテナ=アローグラスは僅かにやつれた顔で切り出した。

 普段肩ほどまでの黒髪にはボリュームのある彼女だが、先ほどの簡易な湯浴みによってぺたりと頭に張り付いている。もっともその髪も、暴れ回る子供の世話で徐々に跳ね始めていたりした。


 サテナは、一瞬地図を取り出そうとし、それを止める。

 地図なら先ほど男性陣も交えての簡単な会議で見せているし、この場で開くには億劫なほどのボリュームだ。

 所詮これはただ間を繋ぐためだけの、就寝間際の他愛ない会話に過ぎない。


「でも、思ったよりハイペースですよ。当初の予定では、ほら、初日を覚えてますか? 1日あの半分くらいの進行ペースだって考えられていましたから」

「魔物の不在が原因、か」


 サテナの言葉に、サクが応じた。サテナと同じく黒髪のその少女は、長刀を抜き、灯りにかざして入念に視線を走らせている。

 同じ黒髪でも、サクのそれは艶やかだった。顔立ちも凛々しく、鋭い眼。実のところ、サテナがこのグループを担当することになり、最初に気になったのはサクだ。

 有する雰囲気が、シリスティアのそれとは異質。アイルークから訪れたと言っていたメンバーだが、彼女は“平和”でも、ましてや“高貴”でもない。1日鞘に差していただけの刀でさえも、予断なく眺める。

 シリスティアの通例どおり旅の魔術師が好かないサテナだが、彼女の様子に、一体何度気を引き締め直されたことか。


「そうなんですよねぇ。でもその他に、歩きやすさもあります。草が伸びっぱなしで歩きにくいと言えば歩きにくいですが……、想像していたほどじゃありませんでした」


 かつて、大陸のほとんどを自然が支配していたというシリスティア。それだけ土地も肥えており、農作に不自由はない。そんな大陸で放置されつづけているアドロエプスは、しかし、“何とか歩くことができた”。

 予想では、1歩進むのに労力を要するとまで言われていたのだが。


「生き物が、いないからですよ」


 サクの隣、足を投げ出して座るティアが呟いた。

 笑顔を絶やさず、にこにこ顔の子供は、ぼんやりと空を見上げ、目を細めた。木々の草木に遮られた空は、ここしばらく顔を出さなかった星々が現れている。


「生き物がばたんきゅーすると、土地の養分になるって聞いたことあります。あんまり虫もいないみたいですし……、むしろこの森、よく育ってますよ。あれですかね。樹海パワーってやつですかね」


 的を射ているのか外れなのか分からない子供の意見であったが、特に誰も反論しなかった。

 樹海パワーとやらは謎ではあるが。


「まあ、どの道変な森ですよね、ここ。ずんずん進めるのに、隣のグループの人たちの様子分からないですし……。他の人たちに会えない、ってことは、“まっすぐ進める”ってことじゃないですか」


 謎に包まれているにも関わらず、当初の計画通りに探索が続く。

 定時に打ち上げられる魔術の位置によっては伝令が進路を調整しにくることもあるが、それでも順調に事が進む。

 アドロエプスは―――謎に包まれているというのに。


「一応、事前準備として、」


 静かなティアの様子に僅かな戸惑いを見せながらも、サテナは自らが持つ情報を開示し始める。初日比べると、随分と口が軽くなってしまった。


「シリスティアの魔道士隊が、“予知”を行っていたそうです」

「“予知”?」


 口を開いたのはサクだ。

 “魔術外の能力”を匂わせるこの言葉には、子供であっても“とある属性”を頭に浮かべる。


「“月輪属性の未来予知”。ごくごく少数ですけど、シリスティアの魔道士にも月輪属性はいるんですよ。その予知で、ある程度成果があったそうです。樹海の中の様子というか、雰囲気というか、」


 サテナは、自分でも煮え切らない言葉だと思った。

 この任務が決定するまで聞かされず、そして参加しなければ訊くこともなかっただろう。


 知っているのは僅かな情報。

 何年予知を続けても樹海の中の様子はまるで分からなかったらしい。1人が予知に成功しても、別の1人が否定する。あまりに不確かなその力同士が矛盾しても、当然誰も解明できない。結局アドロエプスは謎のままだった。

 しかし最近になってようやく全員の意見が一致し始め、中の様子がおぼろげに視えてきたらしいのだ。

 依頼の日程が決まったのも、月輪属性の予知の成果に依存してのことだったとサテナは個人的に考えている。


 そこまで話し終えて、サテナは殊勲にも口を閉じていたティアに向き合った。


「まあだから、とりあえずはルートが他のグループと思いっ切り交差することは無さそうなんですよねぇ。事前にルートが決まってますから。でも、ここまで正確だと寒気がします。謎に包まれ続けていたのに突然情報が漏れ始めたアドロエプスにも、そして、月輪属性にも」


 この大樹海は数百年も謎に包まれているが、謎に包まれている期間で言えば月輪属性の方に軍配が上がる。

 それこそ数千、数万年前から、月輪属性の全貌を把握できた者は存在しない。


「……魔道士隊の月輪属性というのは、やはり扱いが違うのか?」

「うーん、人間は平等っていう“しきたり”がらみのこともありますし、公には一緒、ってことですが……。私が聞いた範囲では微妙に違いますねぇ。基本的に、戦力と言うよりは“予知”を期待して特別に扱われているようです。月輪属性でも戦闘も万全にこなせるともなってくると話は別でしょうが、そんな人は……、ああ」


 サテナは以前聞いた、眉唾ものの噂を思い出した。所詮噂だと―――“そうとしか思えない異常な話”。

 サテナはその話題をここで止めた。


「とりあえず、明日も気を引き締めて行きましょうかぁ。私も、気を抜くなって言われてますし。最近だらけて……、いや、“だらけさせられている”ような気がするんでぇ」


 サテナが視線をティアに向けると、彼女は僅かに申し訳ないような表情を浮かべ、しかしにこにこと笑っている。

 そこで初めて、サテナは気づいた。このアルティアという少女は、案外気を抜いていないのかもしれない。彼女は気が抜けているのではなく、気を張るポイントを潜在的に理解しているのだろう。

 今の会話の中、さほど騒ぎ立てることも無く、傾聴していた。サテナが旅の魔術師への認識を改めさせられたサクという少女と旅をしているだけはあり、有事に備えるという認識を培っているのかもしれない。

 もっとも、彼らの戦闘中の話を聞いていた限りでは、そんな印象は受けなかったが―――ともあれこのグループは、どうやら“アタリ”のようだった。


 そんなことを、サテナが思っていた―――その隣。

 エリーことエリサス=アーティは、


「……、」


 かんっっっぜんに乗り遅れた……、と。会話に混ざる機会を喪失し、沈黙していた。


 アルティア=ウィン=クーデフォンの周囲には伝わり辛い“警戒”に、エリーの負担は倍増した。


―――***―――


「ところで、こんな話がある」


 メラメラと、メラメラと、メラメラと。

 燃えるたき火を挟んだ反対側の男は、どこか威圧感のある表情のまま、話を切り出した。


「俺が魔術師隊に配属されて、2年のことだ。俺がいた隊に、新米の女の子が配属されてきた。気立てが良くて、愛らしい、と言うのだろうか、まあ、そんなこんなで皆にちやほやされていた。とある日、俺が仲間といつもの演習を行った。まあ、遊び半分だが、競い合って森に仕掛けたターゲットを順番に破壊していく、というものだ。そこにその女の子も参加することになった。対戦相手は―――俺だ」

「……ほう」

「ブッチギリのボッコボコに圧勝してやったよ、立ち直れないくらいに。森の中で転んだのか、泥だらけになって頭から枝を生やしていた彼女を大笑いしてやった。彼女は1月ほど落ち込んでいた」

「何してやがんだそれは」


 アキラは、目の前のコッグに口汚い言葉を返した。異世界に、日本の文化を持ち込むというのも馬鹿らしい。

 時間は深夜。女性陣の寝床の灯りも消え、たき火が煌々と輝き続ける。

 夜の番を務めるアキラとコッグは、魔物の出現率ゼロをいいことに、毎晩愚にもつかない話を続けていた。


「ちなみにその女の子がサテナだ。以来彼女は先輩の俺に敬意を払わなくなった。何故だろう」

「なるべくしてなってる……」


 コッグは、髪を五分刈りにした、強い眼を持つ男だった。

 瞳を狭めればそれだけで相手を威圧できるコッグだが、こうして話している限り威厳を保てるようなキャラクターでもないらしい。

 出発の5日前に知り合っていたこともあり、随分と早く打ち解けられたように感じる。

 サテナはコッグに比べ何とか威厳を保とうと尽力していたのだが、本日陥落したのだから後は転がっていくだけだろう。

 旅の魔術師が嫌いな風なサテナだったが、むしろティアの猛攻によく1週間耐えられたとアキラは思う。


「さらに言うと、」

「?」

「そのせいか、サテナは俺の逆を求める生態になった。俺が遅く支部に行けば、あいつは必ず早く来る。俺が仕事をサボれば、あいつは無理して仕事をこなす」

「それただあんたが不真面目で迷惑かけまくってることにしかならない気がするんだが……」

「いや、面白くてわざとやってるだけだ。そのせいで、俺は隊長によく呼び出される」

「あんたの人生それでいいのか?」


 コッグは、それでいいとでも言うように頷いた。


「子供みたいな奴でな。そして妙に真面目だから、育てやすい。教育係としては本望だ」


 人を批判することもできそうにないアキラは、これ以上何も返さなかった。

 反面教師とでも言うのだろうか。

 だが、わざとやるにしても、それは何か違う気がする。

 徐々に魔術師隊のコンビの背景が掴めてきたが、このコッグという男はどうも計れない。


「あのサテナの旅の魔術師嫌いは、俺が原因だったりする。俺が旅の魔術師に否定的でないから、あいつはその逆だ」

「もう駄目だその下らない教育のせいで俺は逮捕沙汰だったよ」


 アキラは、思わず口を開いてしまった。

 コッグは、特にアキラを気にも留めず目の前のたき火をぼんやりと眺めていた。


「だがそのおかげで、今回の任務に抜擢されたんだろう。あいつは戦力としては並以下だが、地図を読む力がある。そこで俺は思ったね。あれ、なんでこいつちゃんと育ったんだろう。ああそうか、俺が反面教師になっていたんだ、と」

「今までの全部サボりの言い訳になっちまったな」


 言って、アキラも頭を抱える。

 おかしい。いつもと立ち位置が違う気がする。こんな調子で冷めた目を向けられるのは、自分の得意分野だった気がするのだ。

 ああそうか真面目な奴らが就寝中だからだ、とアキラは思い至り女性陣のしきりに視線を向けた。寝言ひとつ聞こえず、虫のさざめきさえない、静かな夜だった。


「まあ、サテナもサテナで気づいてるだろう」

「何を?」

「俺が反面教師になってるってな」


 コッグはわざとらしく大口を開けて欠伸をし、空を仰いだ。

 彼がそう言うのであれば、サテナはコッグの“育成”を察しているのだろう。


「反面教師は気づかれちゃ不味いんじゃないか?」

「そうでもない。あいつの中には完全に“コッグ嫌い”が根付いている。そんな奴に育ててもらった、なんて考えたくもないだろう」

「気づいているのに、か?」

「人間、嫌なことは気づいても認められないもんだ。そしてあいつはますます俺の手のひらで踊り続けることになる。愉快なもんだ。今後も昼過ぎに職務に就ける」


 くくく、と笑うコッグ。

 駄目だ。この男は底知れない。どうあっても彼以上のキャラを取れそうにも無かった。


「はあ……、……この森、どう思う?」


 もういいならばこのまま不真面目キャラ脱却だ、とアキラは諦め、コッグに訊ねた。

 女性陣に視線を走らせて、視界を埋め尽くした大樹海アドロエプス。

 この静かな森は不自然ではあるが、今までの経過を考慮すれば、魔術師隊に捕まりそうになった街の中より安全だ。

 夜の見張りも意味が無い。この調子なら、明日も静かな森で在り続けるだろう。


「ところで、こんな話がある」


 メラメラと、メラメラと、メラメラと。

 燃えるたき火を挟んだ反対側の男は、どこか威圧感のある表情のまま、話を切り出した。

 先ほどと違う点は、コッグの瞳がさらに狭まっていることだろうか。


「これは知り合いの兄貴の従姉の話だ」

「オッケー、来いや。付き合ってやる。知り合いの従姉の話に」

「―――彼女は、このアドロエプスに入ったことがある」


 ふざけた前置きと、僅かな間。

 そののちコッグが口にしたのは、アキラの瞳も狭める言葉だった。


 そろそろ、下らない雑談も幕を閉じるころなのだろう。


「俺も昔に聞いた話だから詳しくは知らないが……、そのときも、こんな調子だったらしい。“魔物が出ない”。まあ、民間から出た不確かな情報だから混乱防止で伏せられているようだが」

「ちょっと待ってくれよ。そもそもなんでこんな場所に入ったんだ? それで、無事だったんだよな?」

「人を探して。無事だった」


 一瞬遅れて、コッグの言葉が自分の質問を順々に答えたものだとアキラは飲み込めた。


「人、探し?」

「ああ。彼女は使用人だったから。だから入ることになったんだ―――8年前、アドロエプスに」


 8年前。

 アキラはそのとき発生した事件を知っている。


「ファンツェルン家の、か」

「ファンツェルン家は使用人にも随分好かれていたらしい。娘がいなくなったと聞いて、満場一致でアドロエプスに飛び込んだほどだからな」


 アドロエプスに飛び込む。シリスティアでそれは、自殺に等しい行為なのかもしれない。


「その数、25名。今まで“失踪”は数人ずつだったから、勝算があったんだろう。事実、彼女たちは全員無事で戻ってこられた。思えばその大人数という情報が、今回の作戦のもとになったのかもしれない。それでも、その娘は―――」


 その人数でも、成果は上げられなかった。

 この大樹海に入ってようやく聞いた、エリーからの情報。それをアキラは思い出した。


「“消えた”。そう聞いたぞ」

「結末を知っているなら、この話は終わりだ。ようやく発見できたその子供が消えた仕組みなど、誰も真面目に考えていない」


 人が、消える。

 その、ファンツェルン家のひとり娘は、使用人の目の前で消失したと言うのだ。


 アキラもそう聞いて、まるで事態が掴めなかった。

 この世界には魔術がある。しかし、それにはあくまで順序があり、論理があり、理論があり―――そして限界が存在する。

 火曜、水曜、木曜、金曜、土曜と種別可能で、確かなロジックがあるのだ。

 そしてそのどれにも、人を煙のように消す魔術など存在しない。

 これではいかに情報があろうとも、誰も解明しようとしないのであろう。


 だが。“例外の属性”を考えれば、その答えはあまりに分かりやすくぶら下がっている。


 月輪、そして日輪。

 それらの属性が使用できる、魔術を超えた―――“魔法”。

 ただ。こちらもこちらで、解明は不可能だ。

 この世界の常識から言って、魔法を解明するより伝説を堕とした方が遥かに早い。遥か上空の雲を掴む方が遥かにたやすく思える。

 それこそ何千何万年前から、魔法は謎に包まれ続けているのだから。


「ともあれ」


 コッグは仕切り直すように一拍置き、視線をたき火から森に移した。


「そういう“異常”が、この森にはある。ミーナさんの話は覚えているだろう?」


 ミーナ=ファンツェルン。

 アドロエプスに最も近い、大都市にいた女性。

 彼女は8年前、娘を伝説に喰われた。そして、ファンツェルン家はこの“伝説堕とし”の起案者だ。


「彼女が語ったこの依頼の発端の―――“あの日”。青天の霹靂とでも言うべきか、予兆は何も無く、伝説が現れた。俺はアドロエプスが、続く日々に切り込みを入れる場所だと思った」


 ミーナが話をした場に、コッグもいた。彼も彼なりに、思うところがあったのかもしれない。


「この森の異常に気づいていない奴なんて誰もいない。足早になっているのも、むしろ“入ったときより足早にこの場を去りたい”という願望の現れだと俺は思っている。だからアキラ。気を張れ。気を張って、気を張って、気を張り続けて、それが僅かにでも途切れたとき、伝説は姿を現す―――と。これは、“この大陸の話ではなかったな”」


 アキラは、いつしかコッグのように強い視線をたき火に向けていた。

 魔術師隊であるだけのものを、コッグは持っているようだ。もしかしたら、このグループで1番警戒しているのは、コッグなのかもしれない。


「随分、キャラ違うな」

「空気を壊すのは得意な方だ。属性柄、警戒心も人一倍強くてな」


 コッグは拳を掲げてみせた。

 そういえば、サテナは短い杖を腰に差していたようだったが、コッグは武具を持っていない。

 その理由を容易に想像でき、アキラは目を伏せた。


 “二週目”。

 決戦前夜。アキラはそんな言葉を、わざわざ部屋に訪ねてきたとある“彼女”に聞かされたことがある。

 同じ属性の人間は必ず似通うわけでもないのだろうが、各部屋を回って警告してきた“彼女”も、今のコッグと通じるものがあった。


 “その身ひとつで突き進む属性”。だからこそ、むしろ警戒を怠らない。


「まあそんな俺だが、あんたらには期待してる」

「?」

「“サテナみたいな戦力外が割り振られたグループのメンバー”。メンバー編成はあのロッグ=アルウィナーさんが指揮を執ったらしい。戦力調整に抜かりは無いだろう」


 あのロッグ=アルウィナーという魔道士は、魔術師隊内でも評価が高いらしい。

 コッグは信頼しているような瞳をアキラに向けてきた。彼の中でも、自分たちへの評価は高いようだ。

 もっとも、そのコッグも戦力調整のメンバーであるのだろうが。


「油断はしない方がいいだろうがな」


 念を押すように、コッグはそう絞めた。アキラは僅かに浮かれていた気持ちを落ち着かせる。

 確かに足元をすくわれるようなことがあれば、ロッグ=アルウィナーの尽力が無に帰してしまう。


 コッグの内面がさらに分かったこの夜。アキラは警戒心を新たにする。


 アドロエプスは、続く日々に割り込んでくるのだ。今日が、明日も続くとは限らない―――そんな場所。

 日々が途切れた、その向こう側。そこに到達するには警戒してもし足りない。


「まずは、今日も無事に夜を明かそうか」


―――事が起こったのは、その夜だった。


―――***―――


 何かに背中が撫でたような気がして、旅の魔術師の男は目を覚ました。


 目の前ではくすんだ木々が弱々しく燃え、男が覚醒したと同時ふっと消えてしまう。星明かりも木々に遮断され、辺りが一気に闇に落ちた。

 とあるグループの夜の番を務めていた自分も、そして向こう側に座っているであろうもう1人の男も、寝入ってしまったようだ。


 大樹海アドロエプスは安全だった。

 日が暮れても遠吠えひとつ聞こえず、昼夜を問わず静まり返っている。魔物はおろか生物らしい生物も植物以外存在しない。

 これでは警戒する必要すらなかった。

 7人で構成されているこのグループの夜の番は当初3人で担当していたのだが、一昨日から2人になり今に至る。

 だがそれほどに、何も起きないのだ。このグループの監督を務める魔術師隊の人員も、見張りを減らすことにどちらかと言えば肯定的なほどに。

 不気味さは確かに感じる。しかし、結果として訪れた気の緩みが今の居睡でも、消えたのはたき火だけだった。

 これは、由々しき事態だ。仮にもダンジョンの中で眠りこけるなど。

 男は自分の頬を張り、慎重に火種を探る。

 焦げ臭いたき火の燃えカスを不快に思いながら、ようやく見つけた火種を手に取り、点火しようとして、


「?」


 男は、後ろ姿を見つけた。

 小柄なりにも姿勢のいい、ローブを羽織った男。彼は、たき火を挟んで反対側にいると思っていた、夜の番のパートナーだ。

 何をやっているのか。そう言おうとしても、声は出なかった。

 彼はふらふらと、森に向かって歩いていく。

 用でも足すのかと男は思い浮かべたが、それにしてはおかしい。彼は、この一寸先も見えぬ闇の中、何の光源も持っていなかった。

 魔物が出ないと言っても、漆黒のダンジョンに1人向かうなど、常識的にあり得ない。

 男は再度呼び止めようとした。しかし、やはり声は出なかった。


「……、」

 男はよろよろ立ち上がり、おぼつかない足取りで彼に向かった。

 彼は振り返らず、そのまま進んでいってしまう。


 そこで、男の意識は僅かに覚醒した。

 大樹海アドロエプスの伝説。

 そこで発生する、失踪事件の被害者は―――まさしく彼のように、ふらふらと歩んでいってしまうのではなかったか。


「っ、」


 男の頬に、汗が伝う。

 全員を起こすべきだろうか。それとも、異常を知らせる魔術を空に打ち上げるべきだろうか。

 数ある選択肢が頭に浮かぶが、しかし彼は進み続けている。

 今目を離せば、彼を完全に見失ってしまうだろう。今なら、彼に歩み寄り、肩を叩くことができそうなのに。


 男は、彼を追うことにした。

 彼までの距離はほんの僅かだ。あと少しで手を伸ばせば、今すぐにでも触れるほどになる。

 しかしなかなか近付けない。寝起きゆえか、自分の足は、彼と全く同速だった。


 ふらふらと、ふらふらと―――てくてくと、歩いていく。


 追いつけない。

 しかし、いつしか男から焦りが消えていた。頭が麻痺したように働かない。だが、彼についていけばいいのだ。それだけで、全てが解決する。


 あと少し。

 あと少し。

 あと、僅か。


 男は、自分の足音が消えるまで、闇の中で彼だけが見えることに気づかなかった。


「……、……?」

 小柄で姿勢のいい男は、目を覚ました。

 目の前にはくすんだたき火。最早光源としての役割を果たしていない。

 身体を伸ばし、火種を探る。

 しかし定位置に無く、いぶかしみながら自己のローブからスペアを取り出す。


「はあ……、俺もそうですけど、見張りが2人寝込んでどうすんですかね?」

 向こう側で寝息を立てているであろう男に声をかけながら、たき火に点火。

 眠気を張らすために、また雑談でもしようかと顔を上げると。


「…………、あ、れ?」


 闇を払い始めた光源の先―――1人の男が失踪していた。


―――***―――


 明くる日の早朝。

 アキラたちは、要約された情報をサテナによって知らされた。


「現場は大混乱ですよ」

「結局、どういうことだったんだよ」

「だ、か、ら、言ったじゃないですかぁっ。ここから10個ほど離れたグループの1人が失踪しました。それだけ。はいお終いぃ」


 要約された情報は、ほとんど何の意味も持っていなかった。サテナも気が立っているらしい。


 アキラは寝不足の頭で昨夜のことを思い出す。

 コッグと共に気合を入れ直したところで、打ち上げられた“異常を知らせる”信号弾。

 定時に上げるスカイブルーの魔術と違い、真っ赤に染まったその信号に、アキラたちは即座に女性陣を叩き起こした。

 この場をコッグに任せ、サテナが現場急行係のパートナーとして選んだサクが出発するまで2分もかからなかったように思う。

 “異常”が打ち上げられた場合、左右10ヶ所以内のグループが数名を派遣する、というプロセス通りのその行動。

 しかし大人数が即座に集まっても、“失踪”は何の痕跡もなく完遂されていたとサテナは言う。

 誰も気づかぬ間に5万を超す人員から―――足音が1つ消えたのだ。


「見たところ」

 サテナと共に戻ってきたサクは、神妙な顔つきになっていた。


「夜の番を務めていたというもう1人の男は、眠りこけていたようだった。その隙を縫って、だろう。これが魔物の仕業だとするなら……、か」


 言葉を濁したサクの意図するところは、この場の全員が分かっていた。

 魔物は通常、人間の都合に捉われず被害を起こす。

 人を見れば襲いかかり、物を見れば破壊する。生物として、最低限“脅威”を認識する本能は備わっているが、基本的には頭が悪い。

 だが、その例外。

 あの港町でも、そうした推測が立てられた。


 隙を縫うという、いかにも“知恵を持っているかのような行動”をとる魔物。

 そういう魔物が存在するのだ。


「“知恵持ち”っていう推測は、とっくの昔に立てられている。今さら考えることでもない。気にするな」


 コッグがあっさりと結論を言う。

 彼はたき火の前に横たえた木に座りこみ、くすんだ木々を睨むように目を細めていた。


「コッグ、隊長の話覚えてないんですかぁ。情報が出たら、“ワンランク上げろ”って。“知恵持ち”なのはもう間違いない。だから、私たちが考えなきゃいけないのは、」


 “知恵持ち”の、その上。

 細かく分類すれば即座に“そこ”に達するわけではないが、通常“知恵持ち”の上と言われれば“とある存在”を誰もが思い浮かべる。


「“魔族”……、ってこと?」

 コッグの正面に座っていたエリーが、ほとんど反射的に立ち上がった。そして視線は即座に空に向く。サクもそれに倣って顔を上げていた。


 “魔族”。

 魔物の頂点に君利する―――人智を超えた諸悪の元凶。

 港町の、“鬼”の事件。夜空から撃ち落とされたあの蹂躙は、アキラも確かに覚えていた。


「“そんなの”問題じゃないですよ」

 そこで、エリーの隣に座るティアが、彼女らしからぬ重い声を出した。空を見上げて警戒する素振りも見せない。

 ティアはあの“鬼”の場所に、いの一番に到着した人物だ。


「エリにゃんもサッキュンも“遭ってない”。街の破壊なんて、本当に“片鱗”なんです。……………………あ、あれですよ。腕伸びるんですよ。びゅーんって」


 ティアが最後におどけてみせても、誰も表情を変えなかった。

 早朝の樹海、みな深刻な顔つきで、重い空気だけが場を支配する。


 平穏が一転。日々が切られた断面、全員が崖の前に立たされた。


「それで、今日はどうするんだ。失踪者の探索か?」


 アキラは頭をかいて、剣を肩と腰に装着した。

 市販の剣と、錆び付いたスペアの剣。大樹海に入って以来、鍛錬時以外には抜かれていない2つの剣は、当然破損していない。

 だが、いよいよ出番が近付いてきたようだ。


「いえ。今日はこの場で待機です。捜索隊を編成し、日が暮れるまでは調査するようですが、それまでは、」


 もどかしすぎて何も言えない。アキラは奥歯を強く噛んだ。

 大人数で樹海に入っているのだから、混乱防止の処置も分かる。

 だが、5万人もの人間の動きが止まってしまうのだ。


「し、仕方ないじゃないですかぁっ!! 我々だって、たった1人が消えると思ってなかったんですからぁっ。来るならもっと、ドカンと、」

「ドカーンとな」

「ぐっ、も、もっと大々的に襲ってくると思ってたんです」


 コッグの言葉で、サテナは苦々しく口調を正した。昨日の話を聞いたあとだと、確かにサテナはコッグと同じものを避けている。見事な反面教師だ。


 しかし事態は一向に変わらない。

 サテナの言うように、“敵”が大々的に襲いかかってきたら対処も容易であっただろう。

 シリスティアでは考えられぬ怒涛の人数をその場につぎ込み、伝説は堕とされたはずだ。

 もしくは大多数。大多数が失踪すれば、感情的になる者も多く、隊列は崩壊するが大樹海は蹂躙された。リスクはあるが、この近辺を離れていない可能性のある“敵”を発見できたかもしれない。

 だが、1人。

 たった1人を引き抜かれては、こちらも波風を立てにくい。

 失踪したという男の知り合いがいれば騒ぎが起きるであろうが、それも少人数。隊列の乱れを魔術師隊が避けようとすれば、押さえ付けるのも容易であろう。


「とにかく、連絡があるまでじっとしていましょう。今までなあなあになっちゃってましたが、このグループの監督係として発言します。この場を離れることを許しません」


―――***―――


 ブッ!!


 アキラの放った攻撃は、しかし対象を見失って空を切る。

 察して振り返れば、鋭く走る一閃―――


「っ―――“キャラ・ライトグリーン”!!」


 上げに上げた身体能力。全力をもっての回避。が、左肩を僅かに討たれた。背筋に冷たいものが走る。

 草木ごと地面をめくり上がらせるように勢いを殺したアキラは顔を上げる。戦闘中、相手を見失うことは許されない。


 が、


「!!」


 顔を上げたアキラの視界いっぱいに、斬激が映った。

 反射的に腕を上げ、攻撃を抑える。走る激痛。だが、耐えた。


「!?」


 相手の表情が変わる。

 好機だ。

 アキラは反撃の一閃を―――


「バカかお前はっ!!」


 しかし、相手―――サクに怒鳴られた。アキラは振ろうとしていた枝を下げる。


「腕でガードって……、木の枝でなければスパンッ、だぞ!?」

「いやいや、だって、木の枝じゃん。そんなもの、身体能力を強化した俺の前では、」

「お前の気持ちは分かった。次は刀で始めようか」

「何言ってんだよ。練習だろ? 真剣使ってどうすんだよ」

「だったらせめてその前提を置いてやれ」

「何言ってんだよ。相手の戦力を勘案した上で戦うのは当然だろ。相手の武器は、木の枝だった」

「……、ん? 何かがおかしい。何かが頭で回っている。くるくると」


 間もなく、昼。

 寝泊りしていた場所から僅かに離れた開けた地。

 アキラはサクと共に鍛錬を行っていた。

 開けた地、と言っても足場は野草に塗れ、歩くだけで草が舞う。ただ立っているだけで身体は斜めだ。宿屋の庭や、街の広場に比べると劣悪な環境と言えるが、太い木々が密集していないだけ幾分マシである。


「まあ、ふざけた態度はともかくとして、“詠唱”は順調そうだな」

「ああ、やばくなったらライトグリーンでいける」

「安易な発想で恐ろしいな」

「お前が攻撃魔術は使うなっていったんだろうが……」


 サクは草木をかき分けるように進み、大木に背を預けて腕を組んだ。

 どうやら休憩のようだった。


「前も説明しただろう。お前は武器を破損させる。丁度いい木の枝を探すのも難しいんだぞ?」

「何言ってんだ。ここは樹海。それこそ掃いて捨てるほどある。壊れたら次探しゃあいいんだよ」

「……そういう発想が、手入れ不足に繋がっていくんだろうな」


 アキラは無駄口を閉じた。その方面で、彼女には負担をかけている。


「……にしても来ないな、連絡」


 アキラもサクの隣に背を預けた。

 太陽が頂点に届きそうになっても早朝以来音沙汰無し。

 一応備えとして実戦形式の鍛錬をサクに頼んだのだが、これでは気も抜けるというものだ。


「…………お前も、分からないのか?」


 大木に背を預けたままのサクが、アキラに訊ねてきた。

 カマをかけるようなその言葉にアキラが視線を合わせると、サクは慌てたような様子になった。


「い、いや、別にお前の“隠し事”を今さらどうこう言うつもりもないんだが、うん、大樹海が平和なせいかな。私もいろいろ思うところがある」


 サクは、アキラの言葉を待たずにまくしたてた。

 アキラたちの中で、アイルークからこの話題に触れることは厳禁であるとされている。


「お前の“隠し事”について……、私も何となく推測を立てているんだよ。お前は何か―――“決定的なことを知っている”。その中に、今回のことも含まれているんではないかと思ってな」


 答えはしなくていい。サクはそういう口調で語りかけてくる。

 しかし、禁忌とされている話題を前に、アキラは表情をほとんど変えなかった。

 サクは僅かに驚いたような表情になる。今までは、サクやエリーが意図的に避けてくれていた話題だ。

 だが今、アキラは避けようとはしていなかった。


 サクが言うところの、“決定的なこと”である―――“記憶”。

 その封は、解ける前も、解けた後も、常に葛藤と共に在った。解ける前は歯がゆく、解けた後は伝えるべき情報か否かを懸念し続けなければならない。

 危険の接近は分かるのに、危険の回避は“バグ”があまりに恐ろしい。

 それは前にもあったことだ。

 色濃く記憶の残っていたアイルーク。アキラは自分の持つ情報を上手く伝えることができなかった。刻むべき“刻”と迫りくる脅威に板挟みになり、結局“刻”に引きずり込まれた。結果、危険極まりない“赫の部屋”だ。

 そして強引に避ければ、自分の旅は舵を失った船になる。顕著な例は、記憶ゆえに“攻略法”の水準が引き上げられる“ハードモード”の存在だ。エンディングまで確実に行けるルートから大きく逸れてしまうだろう。


 だが。


 アキラはこの1週間で、そんな“些細なこと”には結論を出していた。

 アキラはサクの視線を避けようともしない。


「平和な大樹海の中で、俺も思うところがあったんだよ」


 サクが言葉を続ける前に、アキラはそう応えた。


「……ま、まあ、連絡が来ないなら来ないで、やるべきこともある」

 アキラの様子に気圧されたサクは、いつもの調子を装って地面を蹴った。


 この話題がこういう形で終わったのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 “隠し事”を避けたい気持ちが強いのは、いつしか彼女たちの方になってしまったようだ。


「あ、足場に慣れること、だ。“詠唱”の方は確立できているんだろう? 剣も、スペアがあればなんとかなるかもしれない。だがこの大樹海は見ての通りだ」


 初日にも言っていたことを、サクは繰り返した。

 この足場。伸びっぱなしの草木が密集し、身体中が重くなったように感じてしまう。身体能力の魔術を使っても、速力は万全とは言い難かった。

 自分でこうなのだから、他の接近戦を挑む魔術師たちは苦難を強いられるであろう。


 1人を除いて。


「サクは、速いよな」


 “隠し事”の話題が出た流れゆえか、アキラはサクに視線を走らせた。

 速力が尋常ではない彼女。それは最早異常と言っていいだろう。

 魔術を使用したアキラより速いのだ。それはすなわち、“木曜属性の人間より身体能力が高いことになってしまう”。

 そして、サクの異常はそれだけに留まらない。その速度は―――“足場にまるで依存しない”。

 この草木に足をとられるアドロエプスでも、彼女はフルスペックで動き回っているのだ。


 “その件”につき、だが。アキラの記憶の封は解けかかっていた。


 そこで、アキラの脳裏に何かが掠める。何故今、彼女の力を思い起こしたのだろう。


「う……、お、お前、何か不気味だぞ……。何だ、“隠し事”の話題の仕返しか? 様子がおかしい……。そうかこれが樹海パワーか」


 即座に察した。それは間違いなくティアの言葉だ。

 アキラは“記憶”や“隠し事”よりアルティア=ウィン=クーデフォンの弊害を懸念した。

 よくない何かがパーティ内を侵食している気がする。


「ま、まあ、足は速い方だ。速度と刀の腕を、ひたすら鍛え続けたからな。黙々と、黙々と」

「何がお前をそこまで駆り立てたんだよ……」

「“有する才能を磨き続けなければ生き残れない”。そんな大陸もあるんだよ」


 話は脇道に逸れ、サクは背を向け歩き出した。休憩ではなく、終了だったらしい。


「お前もそろそろ疲れたろう。夜の番まで勤めたんだ。そろそろひと眠りしておいた方がいい」

「な、なあ、お前の速度って」

「じ、自分で得た力を長々と説明するのは気恥ずかしい。話は機会があったら、だ」


 アキラの様子ゆえか、サクはそそくさと去っていってしまった。


―――***―――


「あ、ちょっと」

「?」


 黙々と刀の手入れを行っていたサクを追い越し、座ったまま眠り込んでいたコッグに怒鳴っていたサテナを横目で眺め、鍛錬の怪我を今か今かと待っていたティアに曖昧な笑みを浮かべて絶望させたあと、言われた通り身体を休めようとしたアキラを、エリーが止めた。


「えっと……、そうね。あの、ちょっと話があるんだけど、いい?」

「パス」

「パッ……!?」


 アキラは、昨晩女性陣が寝泊まりした場所の仕切りに手をかけた。

 サクに言われて気づいたが、どうやら自分には相当な眠気が蓄積していたらしい。鍛錬時の魔力しようも手伝って、アキラの頭はぐわんぐわんと揺れていた。正直、あの場所からよくここまでたどり着けたと自分でも思う。

 ただ言えることは、今のアキラは他者に構う余力が無い。


「てっ、てやっ!!」

「―――ぎっ!?」


 仕切りの布を開けようとしたアキラを襲ったのは、エリーの足払いだった。

 身体を滑り込ませるように襲いかかってきたエリーの蹴打に、アキラは受け身も取れずに転倒した。


「…………とうとう攻撃してきやがったよこの女」

「あっ、あんたがここに入ろうとするからでしょ。ここは女性の寝室なの。わきまえてよ」


 アキラが顔を上げると、目の前でエリーが両腕を広げていた。女性の寝室とやらの門番を見上げながら、アキラは目頭が熱くなった。中に自分の寝袋も置いてあるのだ。

 門番は、道を開けてくれなかった。


「見られちゃまずいもんとか置いてないだろ……」

「ちょっ、ちょっと朝ゴタゴタしててまだ片付けてないのよ。だからダメ。中はダメ。絶対ダメ」


 一体中では何が起こっているのか。ほのかに顔を赤くしているエリーを見て中への関心が強まったが、しかし今のアキラは眠気に勝る欲求は存在しなかった。

 寝袋さえあれば、いっそ地べたでもいいから眠りに就きたい。


 アキラが項垂れるように脱力すると、エリーは手を広げたまま、


「で、でさ。話があるんだけど、いい?」

「パス」

「うん、ほんの少しよ。時間にして5分もかからないんじゃないかしら? いや、一瞬と言ってもいいわね」

「パス」

「短いわよぉ。なんだわざわざ改まって言うことでもないじゃないか、ははっ、ってくらい。むしろあまりの短さに絶望さえ覚えるほど」

「パス」

「まあ、正直話って言うか、最早一言ね。一瞬っていうのは、まさにこういうときに使う言葉だと思い知ることになるわ」

「…………」


 エリサス=アーティもアルティア=ウィン=クーデフォンに感化されてしまったのだろうか。汚染のフェーズが最大級に膨れ上がっている。目の前の人物は本当にエリーだろうかと疑いたくなるほどだった。

 しきりに食い下がってくる人物を見上げながら、アキラは幻覚でも見ているような感覚に捉われた。眠気とは違う頭痛が強まる。


 しかし、


「あっららっ、お話があるならあっしが聞きましょうか? 雑談だったらお任せ下さい。雑学補充から愛称の改変まで幅広く取り揃えております」

「ううん、今日はいいわ。ありがとう」

「サッキュンエリにゃんがぁぁぁあああーーーっ!!!!」


 流石に本家は違った。ティアは今、サクに威嚇されて涙目になっている。一瞥もせずに一蹴した目の前の人物は、間違いなくエリーだ。

 エリーはアキラの視線に合わせるようにしゃがみ込み、もう1度聞いてきた。


「ダメ、かな?」

「…………マジな話か?」

「うん、マジ。かな? でも分かんない。誰かに何か話したいだけなのかもしれないし……」


 エリーは上目を遣って口をもごもごと動かしていた。アキラは虚ろな瞳を一旦閉じ、意識を覚醒させる。

 エリーが、おかしい。アキラの知る彼女なら、話を振り切ろうものならアキラを引ずり回してでも自分のペースに持ち込もうとするはずだ。

 だが、今の彼女は、言うなれば―――“気弱”。そんな彼女を、アキラはアイルークでも見た気がする。

 アキラは意識をさらに覚醒させた。


「ちょっとこっちきて」


 エリーは立ち上がり、緩やかな歩調で離れていく。アキラもそれに着いていった。

 他者に声の届かない場所まで来ると、エリーは振り返って大木に背を預けた。


「多分……、多分あんたに言っちゃいけないことだとは思うんだけど、」


 エリーはそう前置きし、半分ほど伏せた瞳をアキラに向けてきた。


「“恐い”」

「へ?」

「い、いや、少し、ほんのちょっとよ。ティア風に言うならちょこっとよ」


 おどけて見せても、エリーは瞳を伏せたままだった。


「恐いって昨日の事件がか? 確かに近かったみたいだけど、そこまで気に病んでも、」

「ううん、そうかもしれないけど、多分そうじゃない。そうじゃなくて、そうなのよ。……って聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。眠気がなんだって?」

「それあんたの現状でしょ。そうじゃなくて……、ああどうしよう、なんか、言葉にできない」

「5、6時間後とかなら言葉にできるんじゃないか? 俺は精神統一してるから」

「それあんた寝る気でしょうがっ!!」


 エリー大声に、一瞬全員の視線が集まった。

 わざとらしく咳払いをするエリーは多少なりとも元気を取り戻してくれたようだ。


「分かったわよ。ちゃんと言葉にする。なんかこの森がどんどん不気味になってきて……恐い、かな」


 仕切り直すように、エリーは繰り返した。


「でもそれは多分、昨日の“失踪事件”が、じゃない。そんなことが起こったのに、全然変わんないこの森が恐いの」


 それは。もしかしたら大樹海にいる5万超の人間の心情を代表する言葉かもしれかった。

 昨夜、“伝説”が発生したのだ。それだというのにアドロエプスは変わらない。そして、その中にいる5万超の人間が受け取る感情も、だ。

 むしろ大樹海の外にいれば、伝説の再来に戦慄し、アドロエプスから距離をとるだろう。しかし樹海の中にいる者たちは、待機という指示に当初は憤りを見せたであろうが、平和な空間に危機感を拭い去られている。


「不謹慎だけど、パニックとかになればあたしも耐えられたんだと思う。でも、静かなまま。事件が起きて、あたしたちが何にもしてないのに、静かなまま。それが恐くなっちゃてさ」


 敏感な者は察するのかもしれない。この、アドロエプスの異常に。

 パニックが起きないというのは、魔術師隊たちの統制が優れているのだと考えることもできるが、深く考えると異常なのだ。

 なにせ、集まった人数の大半は根なし草の旅の魔術師が占めている。

 もともと魔術師隊と旅の魔術師に確執のあったシリスティア。それなのに、有象無象の集団の“統制が執れている”。


 そんな“異常”は―――恐い。


「そんなこと考え出したらわけ分かんなくなっちゃってさ。隣のグループの様子とかも全然分からないし、昨日の事件だってわけ分かんないまま。分かんないことだらけ」

「落ち着けよ」

「落ち着いてるつもりだけど、落ち着かないの」


 またも要領を得ない言葉だが、アキラには伝わってきた。

 焦りや不安が身体の中に在るというのに、環境がまるで変わらない。ゆえに、空回りを繰り返す。

 5万超の人間から1人を失踪させるという事件は、そんな精神作用ももたらしていた。


「サクさんは警戒してる。いつもみたいに、万全を尽くしてる。あのティアだって、警戒してた。昨日の晩、それが分かった。あんたもしてるでしょ。自分で言ってんだから。そんなの見てると、あたしはどうやって警戒すればいいのか分からないのよ。取り残されてる気がしてさ」


 5万超の人間の中で自分だけ取り残されるという錯覚は―――あるいは伝説以上に恐怖なのかもしれない。


「“詠唱”がどうのこうの言ってたし、あんたにはあんまり言わない方が良かったかもしれないんだけど……。誰かに言わなきゃ段々耐えられなくなってきてさ。きっとこういうこと考えてる人から―――“失踪”していく。それに、何か……ううん」


 最後の言葉を言い淀んだエリーは、疲れ切った表情を浮かべた。

 5万超分の1。それが、昨夜“失踪事件”に巻き込まれる確率だった。当選確率は著しく低い。だが、当たれば“失踪”。

 それが今日も明日も明後日も発生すると思い込んでしまえば、恐怖に押し潰されるのだろう。


 エリーはおぼろげな瞳で地面に視線を這わせた。


「“失踪”は、嫌、かな」


 アキラは、言葉を返せなかった。

 きっと、勇者という存在はこんな不安を取り除くためにいると言うのに。

 きっと、ヒダマリ=アキラという存在は彼女の不安を取り除くためにいると言うのに。


 この先に待つ敵はどういうもので、どのように警戒すれば問題無いのか。1度は経験しているはずの“刻”なのに、そんな具体的な話がまるでできなかった。

 今ほど記憶の封が煩わしく思ったときはない。


「ははは、全然あたしらしくないや。あんたも迷惑だったでしょ。これ、“囁かれてるのかな”?」


 エリーは相当まいっている。

 これは、アキラの警戒が影響してしまったせいだろう。昨夜の事件がトリガーとなり、不安が一気に増殖してしまった。

 たった半日で、だ。

 もしかしたら、サクも、ティアも、コッグやサテナも、ただ口に出さないだけで、同じ不安を急速に育てているのかもしれない。

 これではエリーの言うように、“囁かれている”ような気さえする。


 が。


「“違う”」


 無意識に、アキラは否定していた。自分の意思とはあずかり知らぬところで出た言葉は、強かった。

 これは、あの“囁く魔族”―――サーシャ=クロラインの仕業ではない。

 アキラはそんな確信を持てた。


 理由は―――今僅かに解けた“記憶の封”。


「ど、どうしたのよ?」

「違う……、これはサーシャの仕業じゃなくて、“知恵持ち”の、いやでも、“それどころじゃなくて”、」

「…………今、離れてた方がいい?」


 エリーは正面にいる。だがアキラは気にせず呟き続ける。傍から見たら異常者だろう。だがそれも気にならない。

 僅かに開いた記憶の隙間に指を突き刺し、アキラはこじ開けようとした。

 ようやくだ。アドロエプスに入って以来、何の音沙汰も無かったこの感覚。事件が起こったその翌日、アキラの記憶はようやく“伝説”に触れた。


 この依頼は何かが起こる。それはもう、“前提”だ。

 問題は、アキラが今感じている、醜悪な気配。もう少し。もう少しで、そこに―――手が届く。


「と、とりあえず、ありがとう。話したらなんか気が楽になったわ」


 流石に怪しすぎるアキラの挙動に、エリーは愛想笑いを浮かべて歩き出した。元気は取り戻したようだが、むしろ完全に引いている。

 アキラは表情だけ取り繕って顔を上げた。

 記憶の解放は不完全。今すぐにでも閉じそうなその封に、予断は許されない。


 だが何故か―――その記憶が、“彼女に何か伝えろと言っている”。


「俺もだよ。……その、“約束守ってくれて”、ありがとう」


 不安があれば、言って欲しい。

 “崖の上の街”で、そんな約束を交わしたことをアキラは覚えている。


「……そっか、だからあんたに、話したんだ」


 エリーはふっと笑って、背を向けた。


「やっぱり打ち明けると楽になるわ。キャラ崩壊しないように、あたしも頑張んないとね」


 去りゆくエリーの背中を見送って、アキラは樹海に鋭く視線を這わせた。

 記憶解放の進捗率は、5万超分の1よりは高くなった。


―――***―――


 あの呪いの童歌とやらは、大嘘吐きだ。


「はっ、はっ、はっ、」


 童歌では、恐怖を知らぬ3人中1人が犠牲となり。恐怖を覚えた2人中1人が犠牲となり。恐怖に沈んだ1人が犠牲となる。

 そして全ての足音が消え、童歌は完結するのだ。

 その童歌通りに事件が起きると言うのであれば―――何故10人中10人が冒頭から危険に沈まなければならないのか。


 “失踪事件”に消えた1人の旅の魔術師。彼の救助に向かうべく編成された5人の旅の魔術師と5人の魔術師隊。

 その中の1人―――魔術師隊の男は、全力で駆けていた。


 日も落ちかけたアドロエプス。

 あたりはすっかり闇に覆われ、探索も打ち切りになりかけたそのとき。


 男たちは―――“伝説”を見つけてしまった。


「っ、」


 振り返った男の目に、自分と同じように血の気の失せた顔が飛び込んできた。みな、あらんかぎりの力を持って草木を蹴り飛ばし、せり上がった大木の根を飛び越える。

 7名ほどしか見えない。

 気づけば3人の、“足音が消えていた”。


「ひっ、」


 男が振り返った直後、旅の魔術師の女性が足を取られて倒れ込んだ。その勢いに地面を転がり大木に衝突して動きを止める。悲鳴すら上げられなかった彼女の最期の音は、骨が破裂するような不気味な擬音だった。

 男も、隣を走っていた男の同僚も、誰も、足を止めない。


 今この場では、駆けることしかできないのだ。


「―――、」


 魔術師隊の男は、ローブの中を乱雑にかき回し、見つけたそれを天にかざした。しかし何も起こらない。火曜属性のマジックアイテムであるその石は、“危険”を知らせる信号を討ち上げてはくれなかった。


 何の意味も成さない石を、樹海の闇に投げつけ、男は奥歯を強くこすり合わせる。

 分かっていたことだった。このマジックアイテムが、光を放たないことなど。


 このマジックアイテムの仕組みは世間一般に広まっている照明具と同様のものだ。

 一般人でも有する微弱な魔力を察知して、煌々と光を放つ石。加工すれば一方向に鋭い光を放ってくれる、このアドロエプスの“伝説堕とし”には欠かせない道具だ。

 だがそれが光を放つためには、前提通り、“魔力を察知しなければならない”。


 今。魔術師隊の男にはそんな魔力も存在しなかった。最低限の身体能力強化ための魔力も防御膜も無く、ただ己の肉体のみで走っているだけ。

 足が重い。生え茂った草木が体力を根こそぎ奪ってくる。

 捜索を開始してから朝昼と何の苦も無く歩けたこの平和な道も、今では過酷な呪縛と化していた。


 魔力枯渇の理由も分かっている。

 “舐められてしまったからだ”。そしてそれは、魔術師隊の男だけでなく、この探索隊の全員が。


 助けを求めようとしても、声は出なかった。


「はっ、はっ、はっ、」


 頭が痛く、身体は熱いのに背筋が冷え切る。

 自分が今走っている道―――いや、自分が今走らされている雑草は、本当に元の場所に続いているのだろうか。

 走りながら、魔術師隊の男は自問し続けていた。


 現在地を把握していたはずの同僚の足音は、とっくの昔から聞こえない。


「っ!?」


 伸びっぱなしの草木に眠る大木の根が、とうとう男の足を捉えた。

 先ほどの女性のように転がり込み、身体中に激痛が走る。幸運にも大木には衝突しなかったようだが、硬い木の根に討ち据えられ、足が折れたようだった。


 それでも男は即座に身体を起こす。

 足が折れたとしても些細なことだ。今はとにかく、走り続けろ。

 本能に準じた行動は、しかし周囲の光景にピタリと止まる。


 そこには最早、誰もいなかった。


 日は完全に落ち、アドロエプスには星空が姿を現していた。

 男が転がり込んだそこは、樹海の中にできた広間のような場所だった。アドロエプスを切断するかのように大木が避けているその広い空間。昼を過ごしたここでは、まだ救助隊の全員が無事だった。依頼を請けた大群がここまで到達すれば、隣のグループとも顔を合わせることになると話した記憶がある。

 男は立ち上がれなかった。足が折れたせいだけでなく、完全に切断された続く日々が鮮明に浮かび上がり、言い知れぬ不安感が急速に強まっていく。


「あ、あ、あ、」


 魔術師隊の男は自分の声が他人のように聞こえ、そこでようやく気づいた。

 自分は、声を失っていたのではない。

 出したつもりだったのに、声帯が震えていなかっただけだ。

 足の痛みもさほど感じない。


 感覚が、完全に麻痺していたのだ。


 だが、この恐怖という感情は、微塵にも廃れていなかった。


「グ……、」


 パキリ、と背後で枝が踏み砕かれる音が響いた。


 残りはお前だけだ。

 そう言っているようにしか聞こえない。


 男は振り返れなかった。ただ、自分の影を塗り潰すように現れた背後のシルエットをおぼろげに眺めていた。


―――***―――


「あ~~~、まずった」

「さっきからそればっかですよねぇ」


 エリーは額に手を当てて項垂れていた。

 たき火の向こうでは、本日の夜の番のパートナーが呆れたような視線を向けてきている。


「たぁ~~~、やっぱり囁かれてますよこれ。なーんであんなこと言っちゃたかなぁ……。なんでだろう……」

「あなたたちのメンバーはウザ絡みを心情にしてるんですかぁっ!?」


 サテナの怒号に、エリーは姿勢を正す。

 彼女は、昨日から本日にかけてもっぱらティアの犠牲者になっていた人物だ。

 大樹海に入った初日のような威厳を取り戻そうとしているのか、僅かに棘のある口調のサテナだったが、エリーの視線は彼女まで届かない。ただ、目の前で燃えるたき火を眺めているだけだった。


 エリーは悶々とした思考を続ける。

 昼のアキラとの会話以来、エリーは酷い自己嫌悪に陥っていた。


 はっきり言えば、エリーはアキラに弱音を吐いた。確かな自分の感情として、このアドロエプスが恐いと言ってしまったのだ。

 ただ何となくアキラの姿を見て。いつの間にか、不安を打ち明けたくなってしまったのだ。


 このアドロエプスに不安を抱いていたのは確かだ。そして、口を突いて出てきた言葉も紛れもなく真意である。だが、あんな風に話してしまえば、重すぎる。

 しかし、ふと。悩み続けるエリーの脳裏に何かが掠めた。

 そういえば、日輪属性の者は人の心を開きやすい、と―――“誰かが話していたような気がする”。

 自分の本音の吐露は、それが理由なのかもしれない。


 しかし、それでも、


「重すぎるわよね……、重すぎたぁ……」

「重たすぎる女は嫌われる、ってやつですかぁ?」

「その“女”は女の子の“女”ですよね? 誰々の女、の“女”とかじゃなく」

「深い意味で言ったわけでもないのに睨まれるとは思いませんでした」


 自分の表情を緩めるべくエリーは顔を振った。

 そうだ。“それ”では、そもそも前提からしておかしい。自分たちは“婚約破棄”を目論んで打倒魔王を目指していてアキラを元の世界に返すのを目論んでいて―――? と、エリーの思考はそこで止まる。


 “婚約破棄”。

 “アキラを元の世界に返す”。


 自分たちが志しているのは、確かに後者のはずだ。だが前者。後者に付属するはずのそれが浮かんでは沈む。何故か2つの目的が入り交わり、時々わけが分からなくなる。

 こんな感覚は前にもあった。

 アイルーク。あのときは、確かサクが誤解していた。エリーも彼女同様に、脳裏に妙なノイズが走ることがあるのだ。

 シリスティアではある程度収まっていた感覚だが、あるいはアドロエプス以上に不安で奇妙だった。


「……だから、だったのかな」


 ぽそりと、エリーは呟いた。

 “ノイズ”。昼にはそれが、自分を襲っていたのかもしれない。


 だから、アキラに話しかけたくなって―――と、エリーの思考はまたも止まる。理由と行動に脈略が無さ過ぎる。ノイズがあるから何だと言うのだ。それで彼に話しかける理由が生まれるとでも言うのだろうか。


 そして、彼に言いかけて、結局口を閉ざしてしまった自分の言葉。あのとき自分はなんと言おうとしたのだろうか。

 仮に、自分があのときの言葉を続けるとしたら―――端的に、“嫌な予感がする”、だろうか。


 ノイズの意味は、まるで分からない。


「ええと、その独り言に口を挟む権利はありますかぁ?」

「あ、す、すみません」


 エリーは悩みを封じ込めた。今は事件があった翌日の、夜。急遽こしらえた“寝室”のアキラやコッグ、そしてサクやティアが安心して身体を休められるよう、自分たちは警戒していなければならない。


「明日はどうするつもりなんですか?」

「うーん、捜索隊からの“信号”も無かったですからねぇ。大方何も発見できずに戻ってきたってところでしょうが……。明日朝一番で伝令が来るはずですよ。流石に2日足止めは騒ぎが起きそうです」


 確かに、とエリーも思う。

 アドロエプスが恐いというのは他の誰しもが抱え始めた感情だろう。

 そんな状態で、同じ場所に待機を続けさせられれば不安は5万超分多く積る。たった2日とも言えるであろうが、アドロエプスの中にいる者たちにしてみれば一刻も早く伝説を堕としたいのだ。

 それだけ早く、この地を去れるのだから。


「ただ、気にするのはむしろ今日のことですよ」


 サテナは眉を潜めて周囲を見渡した。


「昨夜の事件……あんなことが起こったその翌日の今日。何か起きても、何も起こらなくても、みなさんまともに休めないでしょう。眠れない日になりそうです」


 寝室の仕切りの向こうは静まり返っている。だが、サテナの言葉を聞いたからか、寝静まっていると言うより息を潜めているような気がしてきた。


「コッグがあんないつもの調子だと、私がしっかりしないといけませんよねぇ。みなさんが身体を休められるように」

「……そういえば、コッグさんってどんな人なんですか?」


 エリーは、もう1人の魔術師隊であるコッグのことをほとんど知らない。夜の番は当然別であるし、日中サテナをからかっているのをよく見る程度だ。

 エリーがコッグのことを訊ねると、サテナは大層面白くない顔を作った。


「一応、一応先輩なんで、こういうことを漏らすのもなんですが……。はっきり言いましょうかぁ。……腹立ちます」

「うわ」


 いらつく。そんな言葉を全身から発し、サテナは苦虫でも噛み潰しているような表情を浮かべている。


「そりゃあね、戦力としては認めるべきところはありますよ。何気に隊長からの信頼が厚いところとかも。でもなんか、私と噛み合わないんですよねぇ、あの人。不真面目だし、やる気無いし、茶々入れるし。いつも小馬鹿にされてるような気さえします」


 それはそれは。サテナとは間逆の人間のようだった。よく同じグループになったものだ。

 あのロッグ=アルウィナーという魔道士がグループ編成の指揮を執ったそうだが、個人的な感情までは流石に考慮していないらしい。


「でも……いや、うん」


 サテナは言葉を呑みこんで、口をすぼめた。そして、さらに面白くない表情を作った。


「あんな人いたら、油断なんて許されませんよ」


 サテナの炎に揺れる瞳が鋭さを帯びた。

 その様子に、エリーは口を開かなかった。そして、何となく無言になる。


 深夜のアドロエプス。また無駄な―――日常の会話が行われた。これは、昨夜の事件を超えても起こったことであり、エリーの不安の種でもある。

 緊張感に欠けるのだ。この、アドロエプスは。


 事件が起こっても進展が無くとも、募るのは不安だけで、それも徐々に薄れていく。

 気づけばまた、日常の中だ。

 日常を切り取られて、崖の上に立たされても、誰もが見えない床を歩むように進んでいく。浮遊感は覚えるのに、周囲の日常に押されて誰も足が止まらない。日常を切り取った犯人すら探さずに、いつしか向こう岸に辿り着き、また日常に戻っていく。

 考え過ぎだろうか。しかし、恐い。いつしか誰もが、崖の下に落ちてしまった者を忘れ去ってしまうような悪寒がする。

 その失敗から、何も学べないのだ。


 やはり、どうしても“嫌な予感がする”。

 そして。


 きっと、こういうことを考えている者から―――


「……!」


 突如がくんとエリーの頭が揺れた。しかし焦りは無かった。ただ頭を起こし、燃えているたき火を視野に収める。


 煌々と燃えていたはずのたき火は、僅かに勢いを弱まらせていた。

 いつしか眠っていたのだろうか。


「……?」


 サテナも眠りかけていたのか、同じようにぼんやりと弱々しいたき火を眺めていた。

 何かが変だ。だが分からない。思考は働かなかった。サテナに声をかけようと思っても、エリーの口はぱくぱくと動くだけだ。


「ぁ……」


 サテナの口から、何かが漏れた。眠気でも堪えているのか、彼女は虚ろな瞳をたき火から離した。

 そしてもう1度、か細い声を漏らす。

 エリーも、熱に浮かされたような頭でそちらに視線を向ける。


 そこに、


「……」


 何やってんの。そう言ったつもりだったが、口からは空気が漏れただけだった。声が出ない。

 ただ、エリーの瞳には、樹海の闇にゆっくりと歩いていくアキラの姿が映っていた。


 炎がふっと消え、辺りは闇に包まれる。

 こんなに暗い森なのに、光源も無くアキラは立っていた。彼は灯りを出せたはずだが、それすらもせず、森の闇に進んでいく。


 彼が、去っていく。だから、追う必要がある。

 そう思うまでに時間は要らなかった。


 エリーはふらふらと立ち上がり、後を追った。隣では、僅か遅れてサテナも歩き出している。

 この場の見張り。一瞬浮かんだ懸念も、すぐに消え失せた。

 問題ない。どうせすぐに追いつける。


 なにせ、あと、少しだ。


 エリーとサテナは、樹海の闇に踏みいった。


 あと少し。

 あと少し。

 あと、僅か。


―――そこで。


「―――っっっ!!!?」


 エリーは心臓が口から出そうになった。しかし背後から心臓ごと口を抑えつけられ、代わりにエリーは目をきつく閉じる。

 一気に意識が覚醒した。

 身体中を冷え切らせたエリーが震えながら背後に視線を這わすと、


「そこまでだ」


 小声で―――“ヒダマリ=アキラ”が囁いた。

 隣では、サテナがコッグに同じように押さえ付けられている。


「声を出すなよ。任せとけ―――」


 背後にサクとティアも引きつれたアキラは、ゆっくりとエリーの口から手を離す。


 そして。視線を鋭く光らせて、小さいながらも確たる口調で―――言った。


「―――“アドロエプスの封は解けた”」


―――***―――


「“バーディング”」


 普段の声の10分の1にも満たないような小声で、アルティア=ウィン=クーデフォンは断言した。

 騒ぎ立てさえしなければ十分発見しにくい小さな身体を大木に潜ませ、“この怪現象”の解説を始める。


「水曜属性の魔術です。対象の魔術制御器官に働きかけて、感覚器官にまで影響を及ぼす―――“感覚妨害の魔術”。“ジャミング”とでも言った方が良いかもしれません」

「ジャミ……ング……」


 何度も声を調整してようやく絞り出したエリーの声に、ティアは頷いた。

 今全員が、同じ大木に身を潜ませている。


「そんな魔術があるのか?」

「バーディ、ング、って、治癒、魔、術、の亜、種、なん、です、けどぉ」


 サクの言葉に反応したのは、エリーと同じく言葉をやっと吐き出せたサテナだった。

 彼女もまた、頭を押さえて首を振っている。


「で、も、」

「治癒魔術の弊害として起こる現象に名前をつけたのがバーディングだ。治癒魔術を過度に受けると神経作用まで起こる。過去の魔術師に、その影響で声を失った者もいたほどだ」


 コッグの言葉に遮られたサテナは瞳を狭めた。コッグの様子はいつもサテナに茶々を入れるときのものではなく、全神経を研ぎ澄ませているかのような異様なものだった。


「だが、2人同時に声を封じて幻覚を見せるなどバーディングの範疇ではないな。バーディングは相手の魔術を崩して防いだり、視覚にズレを起こして攻撃を狂わしたりするだけの魔術だ。“幻覚”を見せるほどとなると、バーディングの上位互換だ」


 バーディングという魔術自体はエリーも知っていた。弱点の属性の魔術だ。当然魔術師試験で学んでいる。

 しかし、その上位互換。そんなものは知らない。

 コッグの言うように、精度も高く、自分とサテナを同時に狂わすような異常な魔術に、“まともな人間が名前を付けられるはずがない”。


 今も視線を向ければ、エリーには見える。

 正気に返ってぼやぼやとした“雰囲気”が感じられるだけだが、ゆっくりと歩を進める何かが大木の向こうに見えるのだ。

 頭は、割れそうに痛い。

 緊張感の欠落も、その魔術のせいなのだろうか。


 今全員が、エリーとサテナの“幻覚”を頼りに闇の中を突き進んでいる。


「2人どころじゃねぇよ」


 そこで、アキラは訂正した。

 紅く淡い光を放つマジックアイテムを握り絞め、エリーが時折視線を向ける方を睨みつける。


 ヒダマリ=アキラは“知っていた”。“一週目”のこの夜、自分は全力でアドロエプスを走ったことを。

 警戒からか、はたまた昼に睡眠をとったからか、たまたま目が覚めたこの日。自分はふらつきながらも闇に消えていくエリーとサテナを見たのだ。

 慌てて後を追ったアキラは、そこで。

 幻影的ながらも不気味な光景を見ることになった。


「!?」


 サクの顔が強張った。

 身体を潜めた大木のすぐ隣、虚ろな瞳を浮かべた魔術師の女性が通り過ぎたのだ。血の気は無く、蝋人形のように表情が無で固定されている。

 紅い光が下から当たり、闇の中に浮かび上がるその女性に、アキラを除いた全員が身体を引いた。


「……」


 アキラは、その女性の肩に手を置いて止める。それだけで、その女性は糸が切れたように倒れ込む。

 “ジャミング”をかけられ続け、すっかり憔悴してしまったようだ。


「そ、その人は、」

「多分隣のグループの人だろ。何せ―――」


 アキラは手元のマジックアイテムにさらなる魔力を込め、樹海を強く照らし出す。

 背の高い木に空の光を遮断されたアドロエプスに光が宿る。そしてその光は―――“数多の人”を照らし出した。


「ひ、ぅっ」


 ティアが声を漏らした。他の者は、絶句している。


「今夜の攻撃対象は―――“ここらの夜の見張り全員”だ」


 木々の間を埋め尽くすように、わらわらと、魔術師たちが歩いていた。


 みな、無表情。目の焦点はまるで合っていない。

 アドロエプスを徘徊する亡霊のように、不確かな足取りで前へ前へと進んでいた。


「しっ、“信号弾”を、打ち上げ、ましょう」

「それはお前がふらふら歩いてるときにもうやった。誰かが気づけば俺たちのエリアに向かっているだろう。ここらの夜の見張りがこんな様子じゃすぐには期待できないが、メモを見た増援がいずれ来る。今は全員を止めながら、“幻覚”の後を追うぞ」


 コッグの言葉に、アキラはきつく目を閉じた。

 最低限の連絡。“一週目”の自分がそれを守っていれば、掴んで止めたエリーやサテナだけでなく―――“ここにいる全員が助けられたかもしれないというのに”。

 周囲の人々を正気に戻すべく、コッグやサク、そしてティアが身体を揺すって正気に戻していく。やはり憔悴しているのか、誰もが地べたに横たわるだけだった。


 移動する3人分の光源を眺めながら、アキラは拳を握り絞めた。


「ね、え」


 エリーがアキラの身体を揺すってきた。幻覚の影響が強いのか、エリーの声は未だに絞り出すようなものだ。

 正気を僅かに取り戻し、“幻覚を追える”エリーとサテナの護衛がアキラの仕事だ。


「さっきの、なん、なの? あんた、前は、もっと、」


 状況が分かっていないのだろう。浮かされるような瞳のエリーをかわしながら、アキラは自分には見えない幻覚に視線を向けた。


 エリーの言葉を紡ぐとすれば、“もっと隠そうとしていた”、だろうか。

 例えばアイルーク。アキラは魔族であるリイザス=ガーディランとの邂逅を知りつつも言葉を濁した。

 例えばシリスティア。アキラは“貴族”を暗殺しようとしたリンダ=リュースの元へ1人で向かった。

 言い訳はしない。だけど、隠し事はする。狂った歯車を強引に回すように、アキラはその矛盾で良しとしていた。

 だからこれは、ヒダマリ=アキラらしくない行動なのだろう。


 幻覚が離れたのか、サテナが歩き出した。それを追いながら、アキラはエリーに呟く。


「例えばさ」


 アキラが次に見たのは、夢遊病者のような人の群れ。

 3人が躍起になって正気に戻している。


「“ここにいる全員が虐殺されて”、それで騒ぎが起きて、5万超が押し寄せて……“刻”が刻まれたとする」


 “一週目”の記憶。アドロエプスの記憶は完全に解放されている。

 自分たちが“敵”を討つその瞬間まで、アキラは確かに思い出したのだ。そして同時に、そこに辿り着くまでに超えた“屍の数”も。


「それは勇者の所業かな。そんなの多分、“勇者”じゃなくて、“高が俺でもできることだ”」


 過去の自分の想いはまるで思い出せない。そしてこれまで、思い出せなくとも刻めた“刻”がある。むしろ記憶の封の解放は、最終局面以外は無難に刻まれた“一週目”にノイズを引き起こしてばかりだった。

 この伝説は、必ず刻む。その想いは、大都市ファレトラのミーナ=ファンツェルンとの出逢いから確かに続いている。

 達成自体は今のアキラにとって容易だ。ただ思い起こした記憶通りに動けばいいのだから。多くの犠牲者を出し、それでも勇猛果敢に敵を討ち、そして伝説を堕とす。それはきっと、話に聞く“初代勇者様御一行”のような、華々しい神話の一部になるだろう。

 だけどきっと、許されない。アドバンテージのあるアキラが、彼らと同じことを―――“一週目の自分”と同じことをしても、あまりに申し訳が立たないではないか。

 その上、人の心だって救えない。自分は“ミーナ=ファンツェルンの娘”の生存を知っている。一言そう伝えるだけで、ミーナはどれだけ救われたことか。だけど自分は、結局常套文句しか彼女に渡せなかった。


 だからアキラは決めたのだ。いい加減―――“同じことをするのは止めようと”。

 自分は聖者ではなく、ただの愚者だ。だけど愚者は愚者なりに、世界を救ってみたいと思っている。

 全てを暴露することはできないだろうが、避けられる悲劇は全て避け、救えるものは全て救い、得られるものは全て得ようと。

 ルートから逸れれば、当然攻略法の水準は引き上げられる。だが、それこそ些細なことだ。自分がこの手で、刻めばいいだけなのだから。


 だからアキラは、決意の表れとして、この時ばかりは打算無く、エリーに伝えた。


「ハードモードだろうが気にしない。キャラが崩壊しようが、俺は未来を変えてやる」


―――ああ、と。

 エリサス=アーティは、そこで理解した。自分が、彼に弱音を吐いた本当の理由。

 頼もしくなったのだ。この上なく。

 知っているようで、知らないふりをして。知っているのに、ただ流れを眺めていた彼。いざとなれば“隠し事”を盾にして、結局何も伝えてこない。

 周囲の環境に流されて、今日誓ったことも、明日には忘れているような男だ。


 だけど。

 彼は。今後きっと行動の迷いが消えるだろう。

 自分は。今後きっとその行動に強く疑問を投げつけないだろう。


 “隠し事”の件は、ここで、完全に折り合いがついた。


 そして未来はより良い方向へ変えられていく。


「どうすんのよ。本当に“勇者様”になっちゃうわよ?」

「ああ、どうしような?」


 本当に、由々しき事態だ。


「!!」

「っ、っ、っ」


 樹海の密集地帯が終わり、草木のみが生え茂る“広場”が姿を現した。

 左右に随分と広く、奥行きもある。ここまで歩を進めれば、隣のグループと顔を合わせることになっただろう。


 星空が輝くその場所で、先頭を歩いていたサテナが倒れ込んだ。

 尻もちを付き、喉から嗚咽を漏らしている。僅かに虚ろだった瞳を完全に覚醒させ、しかし顔面は蒼白だった。


 その、視線の先。


「グ、グ、グ」


 唸る獣が座していた。


 高さは、大樹海の大木に届きそうなほど。顔をほとんど真上に向けて、ようやくその獰猛な瞳が目に入る。

 動物で言えば狼だ。後足を折りたたみ、前足は鋭い爪で大地を鷲掴みしている。お座りの体勢と言えばその通りだが、見下ろされていては威圧感しか生まれない。

 身体中を緑の体毛に覆われ、額に巨大な水色の宝石が埋め込まれている。埋め込まれた宝石の周囲にはアドロエプスの木の根のような脈が走り、貌を醜く歪ませていた。


 ガルガドシウム。

 エリーが魔術師試験で培った知識の中に、そんな魔物がいた。周囲に存在する魔力によって身体のサイズが極端に変化する魔物だ。

 小さければマーチュほどしかなく、大きくなればクンガコングをゆうに超すと聞いたことがある。

 だが目の前のガルガドシウムは、その比ではない。

 以前アイルークで見たあのクンガコングの大群に飛び込めば、手足を振るうだけでクンガコングは薙ぎ払われてしまうだろう。

 目の前の存在は、明らかにガルガドシウムの限界を超えていた。


 そして。


 ぼとり、と。唖然とするエリーの前で、ガルガドシウムは口を開いた。

 鋭い牙が顔を出すかと思えば、何かが滴り地面に伸びる。


 エリーは、ぞっとした。

 ガルガドシウムのバックリと割れた巨大な口からは、不気味な触手が嘔吐物のように現れたのだ。黒く濁り、粘着物でヌメヌメと不気味に光るそれは、野太く、数十本もある。麺類でも啜ればああした姿になるのかもしれないが―――それは、“ガルガドシウムの一部だった”。


「出たぞぉぉぉおおおーーーっ!!」


 エリーの隣、アキラが吠えた。それと同時に全員が広場に躍り出て、そして絶句。

 巨大な目の前の不気味は、触手を滴らせて貌をさらに歪めた。


「っ、っ、っ、」


 腰が抜けたのか、サテナが座ったまま慌ててローブに手を突き入れる。

 そして、乱雑に取り出したマジックアイテムを、放り投げるような勢いで天にかざした。


「グ、グ、グググ、グググググググォォォオオオオーーーンッッッ!!」


 乱雑な使用で砕けたマジックアイテムと、競い合うように星空に昇った幾数本の紅い“危険信号”。


 それが、開戦の合図だった。


―――***―――


「ああ。なんということなのだろう……!!」


 “それ”は、大げさに両手を広げ、天井を仰いだ。

 異臭漂う、明るい空間。床に乱雑に散らばった書物を蹴り飛ばし、輝く劇場の舞台ように歩き回る。

 広さは一辺20メートルに満たない正方形のその部屋は、壁の姿が見えないほど数多くの棚に囲まれていた。そしてその棚には、表紙が崩れた古書や不気味にボコボコと揺れる薬品が力ずくで詰め込まれている。


「5万……!! 5万超……!! そんな数が集結すれば、結果は火を見るよりも明らかだ……!! 哀しい……、哀しいなぁ、畜生……!!」


 “それ”は、手を広げたまま、部屋中をうろつき回った。

 輝く部屋の中には、“それ”以外誰もいない。


「“パイロ”。ああ、お前の最期を見届けられない我が苦悩を解ってくれ……!! だが我輩はきっとお前を活かそう。ふいに5万の中から1人抜いたときの反応……!! 翌日複数名を抜いたときの反応……!! それはお前が我輩に届けてくれる宝物だ。ああ、ありがとう……。本当に、ありがとう……!!」


 無人の部屋。天井を見上げ、“それ”は、劇場役者のように震えた声を吐き出し続けた。

 そして。


「さて」


 “それ”は、ぱたりと腕を下ろした。

 その勢いで、棚から一抱えほどあるガラス製の瓶が落ちる。


 足元でガシャンと割れ、飛び散った中の液体は、周囲に散乱し―――ジュッと肉を焼くような音を奏で、触れたもの総てを“溶解し始めた”。

 “それ”の足も、毒々しい液体をまともに浴び、片足が消滅していく。


 しかし。


「これでますます、部屋が汚れた」


 “それ”は、“失ったはずの足で歩き出し”、自らの机に向かう。机の上も肘を付けないほど多くの物体で埋め立てられていた。背後では、未だ散乱した液体が蒸気を上げ続けている。


「……うむ。効率的に部屋を片付ける手法とその効用について。そんな“研究”があの辺りに―――ああ。溶けてしまったか。哀しい……、哀しいなぁ、畜生」


 “それ”の頭からはアドロエプスに放ったガルガドシウム―――“パイロ”と名付けた魔物のことが消え失せていた。


―――***―――


 ドスンッ!!

 地面に鋭い“槍”が突き刺さった。生え茂る草木を貫き、大地をめくり上げる。


 ひぅ、と誰かの喉から音が漏れた。それと同時、ヒダマリ=アキラは駆け出した。


「“キャラ・ライトグリーン”」


 ドッ、と身体中に力が宿る。

 ガルガドシウムが放ったのは喉の奥底から伸びる触手だった。月下にヌメヌメと光り、漂う異臭は胃酸のようにも腐肉のようにも感じ取れる。


 アキラは背後のメンバーの動きを察しつつ、足元のしがらみを蹴り千切って“槍”の隣を失踪する。


「全員触るなよ!!」


 “過去”の知識を総動員してアキラは叫ぶ。

 その瞬間、大気が焦げたような異臭が散乱した。視界の隅に映る足元では、見る見るうちに草木が枯れ果て、腐敗していく。


 記憶通りの“効果”にアキラは僅か戦慄し、それでも駆ける。

 逃げ込むように巨獣の懐に潜り込むと、アキラは大地を踏みしめ剣に魔力を注ぎ込む。

 奇妙な疣のある腹部は、アキラの眼前だ。


「“キャラ・スカーレット”!!」


 突き上げるように放ったアキラの剣撃は空を切った。攻撃対象を失った剣に身体が泳ぐ。しかし、体勢が崩れたことよりも、アキラは目の前の光景に唖然とした。


 巨獣が、“アドロエプスを超えていた”。

 膝までの草木を吹き飛ばし、大樹海の大木をゆうに超し、最早虚空と表現できる領域。ガルガドシウムは月輪に噛みつくが如く、“跳躍した”。


 ズウウウゥゥゥンッ、と大地を揺らした巨獣は、バウンドするように大地を揺らし、すでにアキラから離れて数百メートル。寸前まで目の前にいた巨獣の影は、またたく間に米粒のように小さくなった。


「ガルガドシウムは木曜属性の魔物だ!!」


 それで十分、とでも言うように、コッグが吠えた。

 木曜属性。人間では希少種らしいが、アイルークのクンガコングしかり魔物では頻繁に見かける属性だ。

 司る力は身体能力向上。言葉だけ見れば単純だが、今の光景を見て、身体能力と直結できる者などそうはいない。

 クンガコングなどの魔力が少ない魔物は、木曜属性の魔術使用など元々有する筋力に色がつく程度だったのだろう。

 だが、目の前のガルガドシウムは、筋力も、魔力も、一線を画している。


 5属性の中の―――“異常属性”。


「グォォォオオオーーーンッ!!」


 遠方のガルガドシウムが月下に吠えた。

 そして前傾姿勢になり、唸りを上げて突撃してくる。急激に肥大化してくるガルガドシウムの影は、ほとんど一瞬で視界いっぱいに広がった。


「―――っ!!」


 アキラは飛び込むようにガルガドシウムの進路から逸れた。直後足元で吹き飛び舞い上がるアドロエプスの草木と大地。

 アキラは即座に転がって立ち上がる。ガルガドシウムは再び遠方に離れていた。

 “記憶通り”の動きだが、実物を見ると閉口する他ない。剣での攻撃チャンスはほとんど無かった。


「―――シュリルング!!」


 ここにきて生きてくるのがアルティア=ウィン=クーデフォンの遠距離攻撃。漆黒の森の中から木々を縫うように走ったスカイブルーの閃光が、ガルガドシウムに射出された。

 再び獲物を探すように急反転し、大地に爪痕を残して勢いを殺していたガルガドシウムに2つの魔術が向かっていく。


 が、


「―――、」


 ジュルリ、と、際立って異質な音が響いた。

 ガルガドシウムが獰猛な口を開いた瞬間、現れたのは嘔吐物のような触手。物体では無いはずの魔術を“絡め取り”、爆発音も無く消滅させた。カメレオンの舌のようなその触手は、ガルガドシウムが粗食するように再び口の中に収められた。


「ななっ!?」

「“キュトリム”だ!! ティアは森にいろ!!」


 キュトリム。

 “二週目”。アキラはこの魔術を幾度となく見た。

 アキラが認識している魔術の中で、危険度は最上級クラスに位置する―――木曜属性の上級魔術。

 その魔術に触れた者は瞬時に絶命に辿り着き、そして使用者に還っていく―――“触れただけで殺す魔術”。


 ガルガドシウムが、再び跳躍する。


「来―――、!!」


 アキラが反射的に跳んだ瞬間、ガルガドシウムの突撃は真横を抜けていった。ティアの魔術を吸収して強化されたのか、その動きは残像を残すほど。暴れるようにして立ち上がったアキラはガルガドシウムを即座に視界に収める。

 ガルガドシウムは、すでに遠方で自らの勢いを殺していた。


 “高速移動する巨獣”。

 草木に足を取られ、迎撃は困難だった。頼みの遠距離攻撃もティアだけではキュトリムを突破できない。

 確かにこんな魔物がいれば、少数で樹海に入れば末路は見えている。

 今は広場で戦闘しているが、もし樹海の中で遭遇すれば、気づかぬ内に背後からあの触手に“舐められ”、魔力が枯渇してしまうであろう。


 アキラは顔を歪め、しかし、その光景に唖然とした。


「ギィッ!?」


 遠方の巨獣が呻き声を上げた。

 誰も捉えられぬはずのガルガドシウムは、突如襲った腕の痛みに巨体を揺らし、動きを止める。

 走った一閃の色は、イエロー。

 直前まで隣にいたはずのサクが、ガルガドシウムの猛チャージに追従し、剣撃を浴びせていた。

 アキラが剣を構え直す頃には、二閃三閃と淡い光がガルガドシウムを切り刻んでいる。


「っ―――、そっちに行くぞ!!」


 サクの叫びが響いた直後、巨獣は彼女を振り切り再び突撃してきた。

 そこで、ゴゴゴ、と背後から地鳴りが響く。


「!」

「ぐ、ぐ、ぐ―――伏せてろ!!」


 見れば、背後のコッグが大樹海アドロエプスの大木を、“大地から引き抜いていた”。

 彼の身体が纏う色は、ライトグリーン。

 コッグは身の丈の5倍はあろうかという大木を振りかぶり、突撃してくるガルガドシウムに振り抜いた。


「グギュゥッ!!!?」


 コッグが放った大木の一撃は、ガルガドシウムの顔面に直撃した。メチャリ、と気持ちの悪い音を残し、巨獣は宙に身体を躍らせる。

 威力は絶大だったようだ。コッグが投げ飛ばした大木が大地揺らす。

 ガルガドシウムが体勢を立て直すまで、抜け目なく切りかかったサクの愛刀に切り傷を刻まれていた。

 再び距離をとり、ガルガドシウムは無数の“槍”と化す触手を放つ。流石にサクもコッグも回避のみに全てを費やし、アドロエプスの大地を転がり回った。

 ガルガドシウムはサクの速度に警戒したのか、隙を見せぬように立ちまわり、コッグの一撃に警戒したのか強引には突撃してこなくなった。あのガルガドシウムは、異常に学習が早い。大木がクリーンヒットしても縦横無尽に動き回るガルガドシウムへの攻撃チャンスは、極端に減少してしまった。


「…………アッキー、どうしましょうね。あの巨獣。攻撃役が2人じゃ攻めきれませんよ」

「…………分かってるよ」


 アキラは、ガルガドシウムが暴れ回る広場から外れ、ティアたちがいる安全地帯に移動していた。


「いや、戦って下さいよアッキー」

「だ、か、ら、分かってるって!! だけど、全然走れないんだよここ。だから、“機”を待ってるんだ」


 記憶の封が解けても、無理なものは無理だ。

 アキラはティアのどこか白い目を背中で浴びながら、ガルガドシウムの動きを目で追っていた。あれだけの巨体であればこの足場を苦もなく走り回れるのであろうが、アキラには無理だ。

 アキラには、サクのような移動能力も、コッグのような大木を振りかざすような怪力も無い。今あの広場に許されるのは、高速移動タイプか生粋のパワーファイターぐらいであろう。

 どちらでも無いアキラには、ひたすら身体に魔力を込め続け、この場で“機”を待つことしかできない。


「ガルガドシウム……」

「?」


 ふいに、サテナの声が聞こえた。未だ腰が抜けているのか、彼女は大木の根元に座り込み、怪訝な表情を浮かべていた。


「……ガルガドシウムが、この“伝説”の正体なんですかぁ?」

「サッティ?」


 アキラは身体に魔力を込めながら、2人の会話を拾っていた。

 ガルガドシウムが、アドロエプスの“伝説”。それはもう、間違い無い。

 “他ならぬ自分”がそう言っているのだ。ガルガドシウムを討つことによって、この場の“刻”は刻まれる。


「だけど、」


 しかし。サテナの疑問は晴れていなかった。


「ガルガドシウムは―――“木曜属性”、なんですよ?」


 一瞬で。サテナの疑問の正体が分かった。

 アキラの脳髄がズキリと痛む。

 ガルガドシウムは木曜属性。先ほどコッグが叫んだその力を、アキラは目の前で確認している。

 在り得ぬほどの身体能力。遠距離攻撃には天敵となるキュトリムという上位魔術。

 その両者は、間違い無く木曜属性の力だ。


 だが、改めて聞くと。

 回収できない伏線―――刻まれていない情報がある。


「一体誰が、“バーディングを使ったんですか”?」


 “バーディング”。それは―――“水曜属性の魔術ではなかったか”。


 アキラの全身に奇妙な浮遊感が襲った。

 そもそも自分は何故、記憶の封が解けたと言うのに。こんな―――“単純なことが分からなかったのか”。

 ロジックが完全に破綻していると言うのに。自分は―――“封をしていた”。


「…………」

 アキラは必死に情報を整理する。しかし、頭の中に、それを阻む何かがある。

 これは―――“自分の手”だ。

 “恐れ”の感覚は、ファレトラで味わったものに近かった。

 固く閉ざされた記憶の封。解こうとしてもまるで解けず、中から溢れ出すのをただ待つことしかできなかった―――あの、“悪寒”。


 人間―――嫌なことは気づいても認められない。


「“緊張感の……欠落は”、」

「アッキー?」


 アキラは目を細めながら、ぼそぼそと、記憶から漏れ出した情報を口にした。そうでもしなければ、また固く閉ざされてしまう。

 僅かに開いた隙間から零れる水を封じぬように、アキラはひたすら穴に手を潜り込ませる。


「ここらの大木が……、出してるんだ。特殊な、薬物、を。認識、されてないけど、この大木は、“魔物”だ。警戒心を、欠落させるだけの、“魔物”」


 アキラは情報を漏らし続ける。

 これを自分は、一体どこで聞いたのか。分からない。だけど、きっと記憶の先には、その答えがある。


「これは、“魔物”、だから……、だからこれは、“あの魔族”が創り出した―――」


 ガギンッ、と騒音が響き、アキラは跳ね飛ばされた人物に突如吹き飛ばされた。

 受け身も取れずに仰向けに倒れたアキラの上、息を切らしたサクが肩を抑えて息を切らしていた。


「づ……」

「わわわっ、サッキュン大丈夫ですか!?」

「……? なん、だ、ここは。安息の地、か?」


 サクは苦痛に顔を歪ませながらも、僅かに咎めるような顔つきになっていた。

 巨獣が暴れ回っている広場に比すれば、確かにここは安息の地だ。


「つ……、急に動きが変わってな……、さけられなかった」

「じっとしてて下さい。今治します!!」

「いやお前ら俺の上でやるなよ」


 サクが慌てて跳び退き、ティアが駆け寄って魔術を患部に当てる。どうやら怪我は深刻ではないようだ。サクはまだまだ戦える。

 ただ、神速とも表現できるサクを捉えるとなると、あのガルガドシウムはやはり油断ならない。端から2人だけで堕とせるとは思っていなかったが、このままではいずれ押し切られる。


「どうですか、ガルガドシウムは」

「伝説といえど、攻略不可能なほどではない。だが、耐久力が常軌を逸している。大分斬りつけたが見ての通り暴れ回っている。視野の狭まる樹海の中で戦えば対抗できないだろう」


 だから、と。サクは広場で駆け回るガルガドシウムを鋭く睨んだ。コッグが注意を引くように大木を振り回し、ガルガドシウムを牽制している。あんな戦闘ができるのも、ここが開けているためだ。

 この広場にいる内が―――伝説を堕とす機会。


「ところでアキラ。これでいいのか?」


 大分回復したのか、サクはすでに立ち上がり、愛刀を鞘に収めていた。一刻も早く戻らなければコッグが危険だ。アキラは間髪入れずに頷いた。


「作戦通りだ。“時間を稼いでくれ”」


 サクは即座に跳び出した。疾風のようにガルガドシウムの背後に迫り、居合切りを見舞う。ガルガドシウムは呻いてこそはいれ、サクの言うように深手を負っていないようだった。2人で攻め切るには、やはり無理がある。


 ただ、アキラには―――“シリスティアには作戦があるのだ”。少数で入れば餌食となる伝説の地―――大樹海アドロエプス。

 月下に現れた伝説を打ち破る術を―――“今のシリスティアは有している”。


 あとは、時間さえ稼げれば―――


「!!」


 ビジャンッ!! と水が強く爆ぜた音が響いた。僅かな悲鳴ののち腐敗臭が充満したかと思えば、アキラたちが隠れていた大木が角砂糖のように溶解し、瞬時に萎れる。


 見れば、ガルガドシウムは天を仰いでいた。それはオオカミが月輪に吠える姿に近いが、決定的に違うのは開けに開けた大口からうねうねと不気味に這い出る無数の触手。その長さは最早ガルガドシウムの全長をゆうに超えていた。

 それをガルガドシウムは自身を中心に振り回し―――“広場総てを舐め取っていた”。


 今のは―――“キュトリム”の範囲攻撃だ。

 心臓が早鐘のように打たれ、アキラは必死に2人を探す。腐敗の影響で拡大した広場の中、月下に見えたのは紅い衣の少女。サクは無事だ。伏せたのか草木に塗れ、しかし無事に立ち上がっている。


 となれば、先ほどの悲鳴は、


「コッグ!!」


 最初に彼を発見したのはサテナだった。

 彼はこの安全地帯の近辺に吹き飛ばされ、身体を伏せて倒れ込んでいる。


 “キュトリムが直撃した”。


 その事実に、サテナの顔から血の気がさらに引いていく。


「っ―――問題無い!!」

「でも、でも!!」


 がなり立てるサテナの腕を掴んで押さえ付けると、アキラはガルガドシウムを睨んだ。

 ずきりと頭が痛む。サテナの様子に、頭の奥から何かが滲み出てきた。


 自分は、そう―――“この情報を聞いたのだ”。


「ガルガドシウムのキュトリムは“魔力しか吸えない”。木が腐敗してんのは―――魔力のみを糧に生きてるからだ」


 この情報はどこから得たものだろう。それは分からない。だが―――この悪寒を“認めよう”。

 このアドロエプスの“伝説”は―――“ここでは完結しない”。


「ぐ……、」


 コッグが呻き、よろよろと身体を起こす。彼はもう魔術は使えない。ガルガドシウムに“舐められた”以上、些細なマジックアイテムさえ使用はできないだろう。

 深刻なのは、ガルガドシウムへの攻撃役の欠如。

 サクひとりでは、ガルガドシウムを牽制できないだろう。いずれ抜かれ、安全地帯が襲われる。そうなれば、場所によっては膝も埋まる樹海の中、ひとりひとり足音が消えていってしまう。


 ガルガドシウムが、巨大な貌を安全地帯に向けてきた。


 アドロエプスの伝説はここでは完結しない。その情報だけは持っている。だが、今はこの窮地に全力を注ごう。

 アキラは必死に活路を探した。

 攻撃しなければガルガドシウムは今以上に暴れ回る。動きを止めるには、やはり攻撃役を増員しなければならない。

 しかし足場がそれを阻む。


 時間稼ぎは、きっと、あと僅かなのに―――


「―――サク!!」

「―――アキラ!!」


 ほぼ同時に、アキラとサクは叫んだ。サクが全力で安全地帯に駆け寄り、息を弾ませ愛刀に手を当てる。

 ガルガドシウムは、前傾姿勢をとっていた。間も無くここを、巨獣が襲う。


「“今から足場を改善する”!!」

「“俺はお前に続く”!!」


 サクは一瞬ひるみ、しかしすぐにアキラに背を向けた。

 ようやく分かった。いや、“解けた”。

 サクの天賦の才に拍車をかけた、彼女の魔術。


 劣悪な足場でも、彼女の愛刀は―――“戦場総てを間合いに収める”。


「私を追い抜くなよ?」

「まさか。ライトグリーンでぎりぎりだよ」


 ダンッ!! と2人が“地を蹴った”。サクが走り、アキラは直後に続く。

 草木に埋もれ、足を上げるだけで疲弊するアドロエプス。そこを―――“硬い足場”を、今、アキラは確かに“蹴っていた”。

 サクの足元から発する魔術は、アドロエプスを“更地に変えている”。いや、それだけではない。魔術が働き、大海のように“波”がある。

 使用者の思うままに足場自体が動き、勢いが増していく。身体中が軽く―――疾風になった気さえした。

 あれだけ苦痛に思えたアドロエプスの景色が、高速で通り過ぎていく。


 またたく間にガルガドシウムが攻撃範囲に入った。

 サクは僅か腰を落とし、前傾姿勢のガルガドシウムの貌に斬りつける。呻いたガルガドシウムの上半身が僅かに浮く。

 アキラの視線に、ガルガドシウムの額に埋め込まれたような水色の宝石が映った。

 あれを叩き割ってやろうか。一瞬アキラは剣を振り上げようとしたが、しかし腰ほどに構え直す。

 そんなもの―――“一番攻撃能力が高い奴がやった方が良いに決まっている”。


「キャラ・スカーレット!!」


 バンッ!! と、オレンジの光が爆ぜる。アキラは勢いそのままにガルガドシウムの貌を横切りにした。最初から決まっていたかのように剣は粉々に砕け散る。

 叫び声さえ上げずに呻くガルガドシウムは焼け爛れた貌をアキラに向けた。

 そして大口を開け、中から不気味にうごめく触手が現れ始める。


 ただ―――アキラは正面に立ったままだった。


「……」


 あの、安全地帯。

 そこに避難した当初から、黙々と、黙々と、魔力を込め続けていた人物をアキラは知っている。

 ひたすらに神経を尖らせ続け、口も開かず、自分以上に攻撃機会を待ち続けた人物をアキラは知っている。


 ガルガドシウムは木曜属性。5属性の中で最も希少な身体能力を司る強力な属性。

 随時回復可能な吸収魔術をも有し、高い対魔術能力を誇る―――水曜属性を始めとした遠距離攻撃の天敵。

 だがそれと同じように、木曜属性にも弱点は存在する。


 “当たれば決まる”。

 樹木を瞬時に焼き飛ばすように重い重いその一撃は―――“破壊力の頂点に君臨する”。


「―――走りやすい。サクさん凄いわね」


 ダン!! と背後で火曜属性の魔術師が跳ねた。アキラはその場で踏ん張り、予想通り襲った肩への衝撃に耐える。アキラの肩を踏み台に、エリーは高く高く跳躍した。

 サクも最初から、気づいていたのだろう。そうでなければ魔術の有効範囲を広めたりはしない。

 エリーは大口を開くガルガドシウムへ矢のように跳び、魔力を込めに込めた拳を振り上げた。


 それは―――彗星だった。


「スーパーノヴァ!!」


 バギンッ!! と獣に似つかわしくない轟音が響いた。

 顔面を殴り飛ばされたガルガドシウムの巨体が吹き飛び、水色の欠片を零しながら宙を舞う。

 サクが切りつけても、コッグが大木で殴りつけても、暴れ回っていたガルガドシウムが大地を揺らして倒れ込み、痙攣している。


 壮絶、だった。スカーレットは―――“本当に爆ぜるのだ”。


「またお前が決めやがったな……。なにが恐いだって?」


 口を閉じたときに噛み切ってしまったのか、うねうねと動く目の前の触手の横。すたりと着地したエリーは、振り返り、得意げに笑ってみせた。


「これがあたしのキャラクターよ」


 誰に影響されても―――結局そこは、変わらない。


「―――まだだ!!」


 サクが叫んで駆け寄ってきた。

 アキラとエリーが顔を向ければ、うごめく巨獣の周囲。大木や草木が次々と“腐敗していった”。


「!! キュトリム!?」

「いや、いい」


 構えた2人をアキラは手で制した。

 目の前のガルガドシウムはのろのろと立ち上がる。口から毒々しい液体を零しながら潰れた貌で睨みつけてきた。

 だが、最早何の脅威も感じない。

 アキラは知っている。ガルガドシウムの体力は、この大樹海にいる限り無尽蔵。魔力を体力に変える術でも有しているのか、今の壮絶な一撃でも、いずれ回復してしまう。


 だが、いい。


 すでに―――“時間稼ぎは終了していた”。


 パンッ!


「ギュッ!?」


 横腹に受けた小さな衝撃に、ガルガドシウムが呻いた。

 ガルガドシウムは攻撃された方向に貌を向け、千切れた触手で吸収を試みる。


 バンッ!!


「ギィッ!?」


 背後に受けた衝撃に、ガルガドシウムが呻いた。

 ガルガドシウムは振り返り、再び口を開く。


 ドンッ!!


「グギッ!?」


 衝撃音は、徐々に音量を増していく。

 ガルガドシウムが樹海の中に逃げ込もうとしても、そちらからも砲撃が被弾する。


 上空。イエローが走り、巨獣が呻く。

 後方。スカイブルーが走り、巨獣が呻く。

 右方。ナイフが飛来し、巨獣が呻く。

 左方。マジックアイテムが飛来し、巨獣が呻く。


 一瞬―――シルバーカラーも見えたような気がした。


 ひとつひとつは、あまりに小さい。

 だがそれは―――5万を超す足音から放たれている。


 ガルガドシウムが魔術を吸収しても、それは即座に削られていった。


「包囲は完了している!!」


 誰かが叫んだ。この声は確か、ロッグ=アルウィナーという魔道士のものだ。


「ガルガドシウムを樹海に入れるな!!」


 声は、そこまでだった。

 耳をつんざくような轟音が、響き、響き、響き続ける。

 アキラたちは腹ばいになって、頭上の砲撃を見上げた。

 巨獣であったのが幸いした。身体を伏せれば、この怒涛の砲撃に身を焼かれていただろう。


 最早それは、処刑だった。

 逸れた魔術は樹海を焼き、ガルガドシウムも火達磨と化す。ありとあらゆるカラーの魔術が飛来してはアドロエプスの闇を消し飛ばした。ガルガドシウムの悲鳴さえ聞こえない。聴覚はとうに死んでいた。腹の底で暴れるような振動が踊り、焦げた臭いが嗅覚を封じる。

 業火に目を閉じた闇の中、感じるのは―――“堕ちていく伝説”。

 あれだけ機敏に暴れていたガルガドシウムは身動きひとつ取れずに焼かれていく。


 これが。これこそが。圧倒的な数の暴力―――“伝説堕とし”。


「―――、―――め!! 止めだ!!」


 キーンと響く耳が、大声を拾った。恐る恐る目を開ければ、砲撃が止んでいる。


 そして、爆音にも似た歓喜の声の中―――ズウン、と大地が揺れた。

 振り返れば。

 メラメラと、メラメラと、メラメラと燃える巨体が背後に在った。

 時間にして、2分も無かったように思う。ガルガドシウムは、生死の確認をする域をとうに超えていた。


「静かにしろ!! お前たち!! 今すぐ避難しろ!!」


 “伝説堕とし”完遂の歓喜の声を正しに静し、ロック=アルウィナーが再び叫んだ。

 考える間もなく、アキラは結論に達する。


 “戦闘不能の爆発”。

 倒した魔物からは早々に立ち去らなければならないという掟。


「サク、頼めるか!!」

「―――あ、ああ!!」


 転げるように立ち上がり、サクの魔術使用を待つ。

 ガルガドシウムは戦闘不能。この足場で今すぐ離れるには、サクの協力が不可欠だ。

 アキラはエリーの腕を掴もうとし、手が泳いだ。


「!?」


 一瞬息が止まりそうになった。が、エリーはすでに立ち上がり―――呆然と、ガルガドシウムを眺めていた。


「!! お、おい!?」

「あ、あれ」


 即座に離れなければならない。

 そんな状況で、エリーの指は、ゆっくりと死にゆく巨獣を指していた。


「……は?」


 それは、巨獣ではなかった。

 倒れても岩石のような巨体であったガルガドシウム。

 その巨体が、燃えながら―――“みるみる萎んでいった”。

 そして、マーチュほどのサイズになると、焼け爛れた大地の上で小さく爆ぜる。身体の火の粉が舞い散ったのか、周囲は幻想的な灯りに包まれる。

 戦闘不能の爆発は、たったそれだけだった。


「―――づ!?」


 ズギンッ!!


 その、瞬間。

 5万を超す砲撃の衝撃―――それに勝らぬとも劣らない衝撃が、アキラの頭で爆ぜた。


 ああ、そうだ、“そうだった”。


「ガルガドシウムは魔力に依存してサイズが変わるんだろう? 魔力を使い果たして萎んだんじゃないのか?」

「い、いや、最大の身体のサイズが維持できなければそこで爆発するはずよ。ま、まあ、特例中の特例だし分からないけど……」


 戦闘が終わった安堵か。エリーとサクは棒立ちでガルガドシウムが爆ぜた現場を眺めている。

 アキラはよろめきながら、2人に手を伸ばす。


「2人とも、今すぐ―――、―――!!」

「?」


 2人揃って振り返ったが、アキラは見た。

 エリーの腕と、サクの衣。

 そこに、未だ舞い散る橙色の粉が付着したのを。


 もう―――遅い。


「みなさんどうし―――」

「ティア!! 来るな!!」


 橙色の粉は、広場に充満していた。

 その場に足を踏み入れてしまったティアの頭にも粉が付着する。


 もう―――遅い。


 アキラもとっくに、全身に浴びている。


「全員、この広場に入るな!!」


 アキラは叫んだ。

 広場で倒れ込んでいたコッグは誰かが運び出したのか、この広場にいるのは4人だけ。


 4人だけが―――“被害者”だった。


「ぐ―――」


 全身が―――“背後から鷲掴みにされた”。

 生物の構造を無視するように握り潰される。悲鳴など上げられようもない。喉はとっくに自身の骨に貫かれている。

 これはあくまで感覚だけのものだ。

 次に自分に襲うのは、この“三週目”に来訪したときのような浮遊感。


 舞い散る橙色の粉。

 それは。

 付着した者を対象に―――“時空を超えて強制移動させるマジックアイテム”。


 ブンッ!! と“投げ飛ばされた”。

 上空ではない、“どこか”へ。


 何も見えない。白でも黒でもない何かに視界一杯を塗り潰されている。

 音も匂いも何も無い。

 そこは不思議な空間だった。

 何かがある気がするのに、何も認識できない。


 覚えるのは浮遊感と、“切り離された”という漠然とした感触。

 そして、シリスティアではない、別のどこかへ向かっているという―――“悪寒”。


 “伝説堕とし”のその後はどうなったであろう。

 コッグとサテナのその後はどうなったであろう。

 ミーナ=ファンツェルンのその後はどうなったであろう。


 その経過を見ることはもうできない。

 自分たちは、完全に日常から切り離された。


 アドロエプスは日常が終わる場所。


 その日。

 “伝説堕とし”と引き換えに―――4人の足音がシリスティアから消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ