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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
南の大陸『シリスティア』編
15/68

第26話『その、始まりは(前編)』

―――***―――


「ノヴァ!!」


 ブンッ!!


「スーパーノヴァ!!」


 ブンッ!! ブンッ!!


「シュロート!!」


 ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!!


「ディアロード!!」


 ブンッ!!ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!!


「アラレクシュット!!」


 ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!!


「リディ……? えっと、リガーン……?」


 ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!! ブンッ!!


「…………、う、うがぁぁぁあああーーーっ!!!!」


 ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンッ!!!!!!!!


「うおりゃらぁぁぁあああーーーっ!!!!!!!!」

「うなーーーっ!!!!」

「おうっ!?」


 ボスン、と。

 “勇者様”ことヒダマリ=アキラは、後頭部に衝撃を受けた。

 頭を押さえて振り返れば、丁寧に丸められてドッジボールほどのサイズになった青いジャケットが転がっている。これが投擲されたのだろう。


 アキラの服装は、Tシャツとジーパンとラフなものだが、見た目とは大きく違う点がある。

 仰々しい比喩ではなく、実際に世界を救う旅をしているアキラの服には、急所を守る簡易な防具が仕込まれているのだ。

 シャツは単なる通気性のよいものだが、今穿いているジーンズも、そして当然このジャケットにも。

 ガンッ!! ではなく、ボスン、で済んだのは、運がいいのか悪いのか。


 ともあれアキラは上着を拾い、背後の投擲主に投げ返した。


「何しやがんだ、お前」

「うるさい、って言ってんのよ!! 宿屋の早朝で、ただでさえ騒がしくしてんのに……、発声練習しろなんて誰が言ったの!?」


 なら、お前も騒ぎ立てるな。

 アキラはそう言おうと口を開き、しかし思い直して口を紡ぐ。そして、口に指を当てた。

 ここで騒いだら、同じ穴のむじなだ。


 空は雲一つなく晴れ、早朝の柔らかな陽ざしの中にはときおり温かな微風が吹いている。

 そんな快適な天気の中、アキラが恨みを込めて向けた視線の先、投げた上着を難なく受け取った赤毛の少女も気づいたように口を閉じた。


 長い髪は、後ろ首のあたりで一本にまとめ、そのまま背中に垂らしている。

 上下が連なったアンダーウェアに、短パン、そして腹部ほどまでの半袖の上着を羽織り、さらに動きを阻害しないよう、へそのあたりで裾を縛った服装。

 だが、肘や膝にはこれまた動きを阻害しない程度の簡易なプロテクター。


 今日はそんな姿のその少女―――エリーことエリサス=アーティもまた、少々複雑な事情からアキラ率いる“勇者様御一行”の一員になっており、今は敵に向けるべき鋭い眼を恨みがましくアキラに向けていた。


「そもそも、お前が言い出したことだろ?」

「それはそうだけど……、あんた、今まで聞いた魔術ただ並べ立ててただけじゃない」

「それもお前が言ったんじゃねぇか」

「あたしが言ったのは、参考にしろ、って意味。“その結果を知っている以上”、意味なんてないわよ」


 むう、とアキラは喉を唸らせた。

 先ほど散々叫んでいたものを無意味と言われるのは面白くないが、確かに“あれ”はそういうものなのかもしれない。

 剣を振りに振った腕は、僅かに痛い。


「……今日は剣の授業だったか?」

 アキラとエリーのやり取りに、1人の女性の声が割り込んできた。


 すっ、と凛々しい顔立ちに、頭のトップで結わいた黒髪。

 身体に吸いつくようなウェアの上からは、特徴的な紅い着物のようなものを纏い、そして手にはそれよりも目を引く長刀。

 アキラやエリーと離れた位置で自己の鍛錬に励んでいた少女―――サクは、手慣れた手つきで刀を腰に収め、そしてため息を吐いていた。


 魔術の基礎を教えるエリーと共に、アキラ育成計画の講師たるサクは、アキラに剣を教えている。

 確かに、今のアキラの行動は、剣の授業のように見えるのだろう。


 だが、本日の授業担当者がエリーであるように、何もアキラは素振りによる剣のスキル向上を目論んでいたわけではない。

 発声練習していたわけでも、宿屋の客の安眠を妨害していたわけでも、ましてやドッジボールをしていたわけでも、もちろんない。


 本日の授業の目的は、アキラの身体に“スイッチ”を作ることだ。


「“詠唱”、よ」

 エリーは首を振って、分かっているでしょ、とサクに視線を向けた。


 “詠唱”。

 それは、魔道を志す者が最初に行い、そしてその本当の意味を知るのはもっとずっと後になる、“身体への魔術の登録”だ。


 魔力と魔術は、原材料と加工法のような関係がある。


 魔術使用の基本はいたってシンプルだ。

 術者が身体から魔力を生み出し、加工し、そして1つの成果として発現させる。

 しかし、魔力を流す量、流し方、留め方、そして放出する過程、と、加工の仕方はそれこそ千差万別。

 戦闘中、毎回そのプロセスを辿っていては命取りになりかねない。

 だからこそ、その事前準備として、魔力の使い方を固定する必要がある。


 魔力の加工の仕方に“便利”な名前を付ける作業。

 それが、“詠唱”だ。


 しかし、そう簡単にいかなかったりもする。


「そう言ってもさ、結構難しいんだぜ? 固有名詞つけるの」

「だから、何でもいいらしいんだって」

「いや、そういう感じじゃなくて、だよ」


 アキラが言っているのは、別にネーミングセンスがどうとか叫びながら戦うのが恥ずかしいとかそういう次元の話ではない。


 何を叫んでもしっくりこないのだ。身体に。


「はあ……、マジで何かヒントとかないのかよ? 何かとっかかりが欲しいんだけど」

「それはあたしの台詞よ。あんたが使える魔術って、えっと、切るのと切るのと強くなる? だっけ? あ、あと松明代わり」

「お前は俺を混乱させたいのか? それとも挑発してんのか?」

「どっちでもないわよ。あんたのそのレパートリー、出所は……、はあ、言えないんだっけ」


 エリーは額に手を当てため息を吐き出した。

 アキラは僅かに申し訳なさそうに眉を潜め、そして視線を泳がせる。

 そこで、サクと目が合った。


「そういやさ、サクは“詠唱”してないよな? 魔術は使ってるっぽいのに」

「私はそもそも魔術が得意ではないからな」


 サクは僅かに腰の刀に視線を移すと、首を振った。


「使っている魔術は“2つ”だけ。“詠唱”で固めなくとも問題なく発動しているのだから、問題ないだろう」


 2つ、という表現に、アキラは眉を寄せた。

 彼女はエリー曰く、“金曜属性武具強化型”の魔術師だ。

 1つはその長刀の強度を増す魔術だということは知っているが、あと1つは何なのだろう。

 そういえば以前、彼女が駆け出す瞬間に魔力を使用しているのを見たことがある。


「あれ? ノートがない」


 アキラがそこまで考えたとき、エリーから声が漏れた。

 振り返ればエリーが宿屋の扉の前で足元を見渡している。

 そういえばエリーがいつも持ち歩いている手書きのノートが見当たらない。


 エリーはしばし眉を寄せていたが、ポンと手を叩いて、


「あ、そういえば貸してたんだった」


 ドンッ!!


 早朝。

 人が寝泊りすることが目的である宿屋の庭。

 先ほどのアキラとエリーの騒ぎが可愛く思える騒音が響いた。


 全員が一斉に音源の虚空を睨み、そしてゆっくりと視線を下ろす。

 何かが爆発したと思われる空の下、そこには1人の少女が首を倒して上空を見上げていた。


 青みがかった短髪に、簡易なシャツとハーフパンツ。

 小柄な姿でそれを身につけられるとボーイッシュなのか子供なのか判断がつきかねる。

 ポカンとした表情のそんな彼女―――ティアことアルティア=ウィン=クーデフォンも、この“勇者様御一行”の一員だ。


「……ティ、ティア?」


 呆然としているエリーとサクに代わり、アキラが恐る恐る声を出した。

 するとティアはゆっくりと空から視線を戻し、そして―――やばい、とアキラは感じた―――満面の笑みを作る。


「見ましたっ!? 見ましたか今のっ!! いやいやいやっ、成功したあっし自身が驚きです!! エリにゃんノートマジすげーです!! なんかビュービューって飛んでって最後にドンッ!! なんか、あれですあれ、えっと、そう!! 2羽の鳥が競い合って昇っていく中、間違ってぶつかっちゃった!! みたいな!? うわっ、可哀そう……。でもでもっ、これからニューティアにゃんとして頑張れそうです!!」


 アキラとエリーが出した騒音を、まさしくニューレコードを出すがごとく超越し、ティアは全身を使って喜びを表現した。

 アキラはただ、あまりのハイテンションを前に『……おう』としか返せない。

 ティアの足元には、見知ったエリーのノートが脱いだ上着の上に丁寧に置かれている。


「もう一度見ますか!? 行きますよ!? ―――シュリルング」


 ティアが天に掲げた2つの手のひらが、スカイブルーに輝く。

 早朝の空の下に映えるその光は、やがてそれぞれが魔術を射出。

 計2つの光弾が、奇跡を残し、空に向かって伸びていった。


 そして―――宿屋の建物が間近にある庭で―――絡み合うように動き出した。俊敏に動き、宿屋の屋根にぶつかりそうになり―――珍しくサクの口から『ひっ、』という声が漏れた―――しかし軌道を修正してさらに高く昇っていく。

 どうやらあの2つの光弾は、その下、歯を食いしばりながら必死に腕を動かしているティアが操作しているようだ。


 やがて首を完全に倒さなければ見えないほどの高さになると、ティアはぐん、と両手をクロスさせた。


 そして、


 ドンッ!!


 ティアが言うところの、2羽の鳥が競い合って衝突したように、2つの光弾は互いに衝突し―――繰り返すが、早朝の宿屋の庭だ―――騒音を立てた。


「どうです―――にゅぎゃっ!?」


 エリーが、攻撃した。


 ガンッ、と、アキラの上着に仕込んだ防具がティアの後頭部にヒットする。

 アキラの上着を投擲したエリーは、ティアに歩み寄り、もう一度後頭部に平手打ちを見舞った。


 エリーとサクは、ここ最近の財政難を最も肌で感じていた2人だ。


「ティーアちゃーん……。ちょっとお話しましょうか……?」


 エリーはひくひくと口の端を引きつらせ、まるで子供から危険物を取り上げるように置かれていたノートを没収した。


 アキラも呆れながらティアに近づく。

 しかし、今の魔術。

 恐らく彼女の属性―――水曜属性の中級魔術だろう。


「おいティア。珍しく静かだと思えば何の実験してんだよ」

「……うぅ、あの、あっしもそろそろ別の魔術覚えたくて……、エリにゃんノートで勉強しながら……、その……、えへっ」


 何が、『えへっ』だ。

 ドタバタと、宿屋の中から足音がする。向かってくるのは店主かそれとも宿屋の客か。

 扉付近に立っていたサクが迅速にその場から避難している。


 とりあえず、謝罪にはこの騒がしい子供を向かわせよう。


 アキラがそう決意したところで、つん、とアキラの上着の裾が引かれた。


「あ、あの、実はもう1つ謝らなきゃいけないことがありまして……、」

「……、なんだよ」


 本当に申し訳なさそうな顔。

 視線を泳がせ、僅かにした唇を噛んでいる。


 そして。

 ティアは、この早朝―――本日も依頼の予定がある1日の始まりで、この―――今回の物語の冒頭部分で、


「さっきの魔術、かなり魔力消費がありまして……、あっし、魔力切れちゃいました……。えへっ」

「やらかしやがった!!」


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


―――ガールスロ。

 通称“崖の上の街”と呼ばれるここは、前方を森林、後方を険しい山道といささか交通の便に不利がある。しかし、高台からシリスティアの大自然を眺められるという人気で栄えた比較的大きな街であった。

 崖側の街の外れに行けば、なるほど確かに壮観の一言。抜けるように青い空の下、180度見渡せる緑の景色に、邪魔なものなど何一つ見えない。風が起きれば眼下の草原が湧き立ち、木々は揺らぎ、自然物特有の甘い匂いが吹き抜ける。

 その絶景を頼りに数多の商店がずらりと並んでいるのはいささか無粋ではあるが、その自然は、人工物すら飲み込めるほど、巨大で、壮大で、そしてやはり絶景であった。

 こうした大自然はシリスティアには満ち溢れているのだが、高度のある位置から見渡すとやはり違う。ときおり視界に入る魔物たちすら、互いに干渉できない高低にあれば、やはりそれは景色の一部。


 このガールスロは―――早朝に爆撃音でも響いたりしない限りは―――平穏な場所だ。


 あの―――“鬼”の事件から。

 あの―――“もう1人の日輪属性の物語”から、10日。

 “勇者様御一行”はシリスティアでの旅を再開していた。


「ティアって正規のメンバーだよな? 時たま合流するお助けキャラとかじゃなくて」


 ヒダマリ=アキラは、そのガールスロの中を歩みながら毒づいた。

 右を見ても左を見ても建物がずらりと並んでいるが、民家が多く、港町のパックラーラと比べて人はずっと少ない。

 アキラの感覚としては、パックラーラから南西へ僅かに向かってきただけだったのだが、同じ大きな街でも受ける印象はまるで違う。

 アキラからすれば十分に見どころある大自然に囲まれているというのに、どうやら今はシーズンから外れているらしく、観光客もまばらなようだ。


「あの子のアレは治らないわよ。ま、こってり絞られてたみたいだし、一応新しい魔術も覚えたし……、いいんじゃない?」

「随分寛容じゃないかよ」

「あたしは寛容よ」

「お前俺の上着武器として使ってなかったか?」


 隣を歩くエリーは、聞こえないふりをしていた。


 ティアは現在、宿屋で休養中だ。

 結局あのあと怒鳴り込んできた宿屋の主人にティアを差し出し、ティアが戻ってきたのは朝食後。

 必然的に空腹状態であろうが、彼女にとってはいい薬だろう。

 一応共に朝の鍛錬をしていたアキラたちも連帯責任なのだろうが、宿屋の主人にしてみれば怒りをぶつける対象がいれば誰でもよかったのかもしれない。


 難を逃れたアキラたちは、今、新たな依頼を請けに酒場を探しているところだった。


「…………そういえば、」

「ん?」

「あんた、最近なくなったわよね。……“あっち”の悩み事」


 エリーは、アキラを下から覗きこむように、横目を向けてきた。


「そう、見えるか?」

「うーん……、何となく、だけどさ。アイルークにいた頃は、なんか歩いててもずっと難しい顔してたじゃない」


 見られて、いたようだ。アキラは僅かに自分の属性を嫌った。


 人を惹きつける力を有する、日輪属性。

 それは、言ってしまえば“目立つ”ようなものだ。


 例えば人が、街頭でざっと周囲を見渡した時。時たま、景色の一部であるはずの人間1人に目が止まることがある。

 自分を客観的に見たことは無いし、もう1人の日輪属性の男は属性抜きにしても目立つため標本数はまるで無いのだが、それでも日輪属性の者には目が止まることが多いのだろう。


 アキラが日輪属性の人の心を開かせる以外のスキルに気づいたのは、アイルークでのことだ。

 シリスティアに向かう途中、“確定事項”で埋め尽くされていたリビリスアークからヘヴンズゲートまでの旅を終え、周囲に視線を走らせる余裕ができた頃。

 アキラは異常な回数、人と目が合うことに気づいた。

 気づいた当初、特定の“刻”が現れたのかとびくびくしていたものだったが、今となっては慣れたもの。注目を集め続け、感覚が僅かなりとも麻痺してきたようだ。


 しかし、注目を集めるということは、自分を知られる機会が増加するということになる。

 そして、たまたま目が合ったそこらに一般人ならいざ知らず、毎日共にいるエリーたちには、自分の心境の変化や経過を悟られるということになるのだろう。


「“隠し事”……かぁ」

「なんだよ。知りたいのか?」

「聞いても教えてくれないんでしょ? それ以前にあんた、ふざけた妄想とか、前に読んだ小説の話とかばっかで…………全然自分の話しないじゃない」


 後半は、小さな声。

 アキラは頭を僅かに揺すった。


「語って聞かせるような話が無いんだよ。元の世界は、そんなに、だからな。そもそも俺は、半分記憶喪失だ」

「そうじゃなくて」


 エリーは一瞬言葉を止め、僅かに歩を早めた。


「あんたが、何を考えてるかが見えてこないの。分からないことばっか」

「“感想”文でも提出しろってか?」


 アキラは、自分への皮肉交じりにそう返した。

 そういえば、最後に本当の意味で本音を口から吐き出したのはいつのことだったろう。


「別にいいだろ。ティアみたいに騒ぎ続けるのは無理がある」

「……まあ、あの子はあの子で分かりやすいけどね」


 エリーがこの話題から離脱したのをアキラは感じた。

 結局、“隠し事”は“隠し事”のままだ。


「……ティアといえば、さ」

「ん?」


 エリーが仕切り直すように一言呟いた。今度は別の話題なのだろう。

 アキラが視線を向ければ、エリーは正面に見えてきた街の広場を眺めていた。

 街の道と道がぶつかる角。中央には正体不明の人物の銅像が一段高く陣取り、周囲は石のタイルが敷かれている。待ち合せの場所として活用されていそうなそこは、現在ほぼ無人だった。


「あの子、朝練、宿屋の庭じゃ厳しいかもね」

「…………広さ的に?」

「広さ的に」


 そういう話は、サクの方が適任であろう。しかし現在サクは、宿屋で刀の手入れをしている。

 ここのところ金銭的な事情で連戦続きであった彼女としては、そろそろ本格的な刀の手入れをしたいところだったのだろう。


「ほらあの子、遠距離攻撃でしょ? それにあんな魔術まで覚えて……、アレが宿屋を破壊してたと思うと、あたしは恐くて恐くて」


 確かに、ぞっとしない話ではある。

 最近は僅かなりとも余裕ができてきたが、少し前まではとある事情で依頼の数が激減して貧困状態だったのだ。

 アキラが療養中の間、エリーとサクが駆けずり回ってくれていたお陰で脱出できたが、ティアが魔術で“やらかして”いれば借金生活に突入していた可能性もある。


 アキラはその話題に、一言『そうだな』と返した。


「だからさ、朝、もっと広い場所でやった方がいいと思うのよ。あの広場みたいなとことかで」

「……ああ」

「ほんとのこと言うとさ、あたしもなんか狭いなぁ、って思ってて。あたしがそうなんだからサクさんなんてもうずっと前からかもね」

「…………あんな広場でやったら、邪魔でしょうがないと思うけどな」

「例えば、よ。例えば。…………って、あんたなんか……、機嫌悪い? “隠し事”の話題出したから?」


 別に、と返そうとしたところで、アキラは正面の広場に、人影を見つけた。

 正体不明の銅像の脇、それに背を預け、ぼんやりと空を見上げている女性がいる。


 歳は、アキラと同じか年上だろう。

 くるぶしまで隠す長い純白のローブを纏っており、それを腰のベルトで上から絞めているゆえに身体のラインが浮き出ている。

 色白の肌と、1本にまとめて肩から前へ垂らしている僅かに色彩が薄い髪が印象的な女性だった。

 服装の雰囲気からして、旅の魔術師だろうか。

 だが線の細い顔立ちと、くりりとした髪と同色の瞳はむしろバルコニーで手でも振っていた方が様になりそうだ。

 背丈はエリーと同程度で―――端的に言ってしまえば、美人だった。


「あの人、何やってんだろ」

「…………あたし今、朝練の話してんだけど」

「明日考えればいいだろ」

「それより目の前の美人ってわけ?」

「お前は何を言い出して―――」


 ゴドド、と。そこで、重い音が響いた。

 まるで、銅像が横倒しになったような音。

 アキラは視線を女性に戻し、そして、ぎょっとした。


「あれ、なんだ?」

「あれ、なに?」


 エリーも唖然とし、アキラと同時声を出していた。

 見れば彼女の向こうの足元に、得体の知れない物体が2つ転がっている。


 長さは、共に2メートルはあるだろうか。あの港町で見たもう1人の日輪属性の男が所有していた大剣より僅かに短い程度だ。

 太さはおよそ50センチメートル。円柱形で、それぞれ赤と金。響いた音からするに、相当な重量だろう。まるでどこかの柱の一部でも切り取ってきたかのような物体だった。

 今まで銅像の向こうに立てかけてあったのであろうそれは、倒れた勢いそのままにゴロゴロと広場を転がっていく。


「ああ、ああああ、」


 途端慌てたような表情になった女性が、2つの円柱を追っていくが―――異様に遅い。

 自然な慣性で転がっていくだけのそれらにまるで追いつけず、ついには自分のローブを踏んで、ずべし、と見事に転んだ。


「うわ……、久しぶりにここが異世界だって実感した」


 長らく忘れていた気がする、とアキラは頭を振った。

 常識外れな物品と、美少女。その上所見でドジだと認識できるような人物など、元の世界では空想の産物だ。


 隣のエリーが正面の少女ではなく隣の自分に呆れたような視線を向けているのが気になったが、とりあえずは目の前の女性を助けようとアキラが一歩踏み出そうとしたところで、


「リンダ!! 大人しく待ってることもできないのかよ!?」


 銅像の向こうの道から、1人の男が駆け寄ってきた。

 男は詰め寄り、リンダと呼ばれた女性は汚れた純白のローブを払いながらあたふたと立ち上がる。


 現れた男は、結局シミを付けたローブを纏う女性より、ずっと魔物ひしめくこの異世界で旅をするのに相応しい姿をしていた。


 まず目を引くのは、小麦色の鎧。

 胸当てから肩当てまで一体となったその装備品は、“とある日輪属性の男”程ではないが背丈の高い筋肉質の男によく似合っている。

 兜まで付けていれば完璧だったのだが、その鎧の男は黒い短髪をそのまま出し、代わりに白い鉢巻きのようなもの風になびかせていた。

 背には、斜めに背負った剣―――と、普段着であるアキラより、よっぽど正規の勇者に見える。


 鎧の男を確認し、リンダと呼ばれた女性は緩慢な動作で頭を下げ、そしてゆっくりと上げた。

 その間、たっぷり5秒。


 鎧の男は呆れ返り、転がり続ける円柱を蹴るように止めた。


「グリース、お帰り。でも足で止めるのは、信じられない暴挙ね」


 グリースというらしい鎧の男は、抗議の意味も兼ねて今度はリンダに転がるように円柱を蹴る。

 ゴロゴロと重い音を響かせる円柱を、リンダは足で踏んで止めた。


「お前も足で踏んでんじゃねぇか!?」

「グリースはブーツ。私は靴」

「一緒じゃねぇか!!」

「全然違うわ。主に、清潔さとかが。あと、清潔さとか清潔さとかが」

「ぶっ殺すぞお前」


 ほぼ無人の広場の中心で言い合う2人を、アキラとエリーは呆然と眺めていた。

 目印であるはずの銅像が妙に霞んで見える。

 とりあえず、リンダはグリースという男と仲間であるらしく、そして、見た目の印象通りの女性ではないということは分かった。


「残念だったわね。勇者様」

「さっき言いそびれたからもう一回言う。お前は何を言い出してんだ?」


 あの鎧の男がいれば、別に手助けは必要ではないだろう。

 アキラは辟易したようにエリーに返し、歩き出そうとした。自分たちは自分たちで、依頼を請けにいかなければならない。


「それに、」


 と、そこで、リンダはグリースがもう一度蹴った2つ目の円柱を―――清潔らしい足で―――止め、今度は裾を引いてしゃがみ込んだ。


「これは私の武器だから、何かあったらどうするの? 主に、穢れとか。あと、穢れとか穢れとかが」


 アキラとエリーは、ぎょっとした。

 どうやらあの赤と金の2つの円柱には、中央辺りに手を入れ込むような穴がそれぞれ空いているらしい。

 そこにリンダが細い手をそれぞれ滑り込ませたかと思うと、ズッ、と巨大な円柱2つが“持ち上がった”。


「さ、行こう。依頼は請けてきたんでしょ?」

「ちっ。まあな。……夕方からだ」

「じゃあ、宿探してきて」

「見つけたら、俺はお前を呼びに来ないがな」


 2人は言い争いながら、アキラたちから見て右の道に歩いていった。

 グリースは銅像の向こうにあったらしい荷物を担ぎ、そしてリンダは両手に巨大な円柱をぶら下げて。


 2人の姿が完全に見えなくなるまで、アキラとエリーは動けなかった。

 そして同時に声を出す。


「なんだ、あれ?」

「なに、あれ?」


―――***―――


「貴族? この街には貴族がいるのか?」


 依頼内容をエリーから聞いたサクは、他の大陸では聞き慣れない言葉に反応した。

 ここはサクとティアに割り当てられた宿屋の部屋。ベッドの上ではティアが魔力回復に努めるべくすうすうと寝息を立てている。

 昼時に戻ってきたエリーが部屋の隅に設置されている椅子を引き寄せながら依頼書をサクに差し出してきた。


 そこには、貴族護衛と記されている。


「らしいわね。ほら、街の崖側の方の大きい建物、サクさんも見たでしょ?」

「ああ、あの白塗りのか?」


 このガールスロに到着したのは、昨日の夕方のことだ。

 森林側が思っていたよりも入り組んでいたこともあり到着が遅れ、あとは宿の手配やら何やらで街を探索する時間もなかったのだが―――それでも、この宿の近くに在る巨大な建物だけはサクも覚えている。

 あまり背の高くない建物が並ぶ中、その巨大な家は5階建てほどもあり、日も沈みかけていたのに白く輝いて見えた。


 何かの施設かと思っていたのだが、どうやらあれが、貴族の家らしい。


「護衛……ということは、誰かに狙われているのか?」

「うーん……、まあ、らしい、って話だけど。詳しい話は聞けなかったわ。まあ、依頼料は結構いい額だったわ」

「流石に貴族、か?」

「まあ、依頼主が貴族っていうのも妙な話なんだけどね」

「確かに……、ここはシリスティアだろう?」

「……あのぅ」


 そこで、ベッドがもぞりと動き、眠たげな声が聞こえた。

 2人が視線を向ければティアが頭を揺らしながらゆっくりと上半身を起こし、身体をこり返すようにして視線を向けている。


「お話中すみません。“貴族”って何ですか?」

「? 貴族を知らない?」

「いや、お金持ちだってことは知ってますけど、依頼を出したらおかしいんですか?」

「……ああ、」


 そのことか、とサクはティアに向き合った。


「貴族というのは……、言ってしまえば過去の偉人の末裔だ。神族の教えを広めたり、国が栄えた原動力であったり……、あとは、過去の“勇者様御一行”の子孫などというのもいる」

「はあ……」

「だがその偉人の末裔なんだが…………、どうも、他の人間と“違う”と思うきらいがあってな」


 一応、貴族はシリスティア以外の大陸にもいることはいる。

 だが、貴族と聞いて真っ先に思い浮かべられるのはこのシリスティアだ。


 住み心地が良いのかそれともたまたまなのかは定かではないが、そんな彼らのほとんどはシリスティアに住み、過去の功績により崇められ―――そして、影でシリスティアの社会問題とまで言われていた。


 貴族には、財と、それに伴う権力がある。

 彼らは、“公然の秘密”として政府に大きく介入し、魔術師隊を間接的に動かす力を持っているのだ。

 住居の周囲で魔物が騒いでいれば遠方から魔術師隊を呼び寄せ、僅かでも身の危険を感じれば―――それこそ、日常に違和感を覚えたなどの些細なことからだ―――護衛依頼として公的依頼を正当化する。


 噂だけを聞いていればやりたい放題だ。

 プライドが高いと聞くシリスティアの魔術師隊にしてみれば、貴族と旅の魔術師の板挟みに遭い、さぞかし面白くない状況なのだろう。


 他の大陸には貴族などめったにいないし、いたとしても隠居するように静かに生活しているらしい。

 “神族”が広めた“しきたり”に人間は平等であるというものがあるというのに、それを広めたらしい貴族がそれに反しているとはなんとも皮肉なことだったりする。


「その貴族が、旅の魔術師に依頼を出すとは……。彼らが真っ先に連絡するのは魔術師隊だろう?」


 何度見ても、依頼書は粗雑な一般の紙に刷られている。

 公的依頼であるのならば、国のエンブレムが記されたしかるべき用紙に刷られているはずだ。


「あれじゃないですか? この前の“魔族”騒ぎで相手している余力がないとか」

「……確かに」


 ティアに言われて、サクもその可能性に思い至った。

 “魔族”が自国に現れたのだ。

 余暇がある者は全員調査に駆り出されていてもおかしくはない。その大義名分を盾に、貴族の依頼を断った可能性は十分にある。

 そもそも、魔術師隊は貴族を嫌っているのだから。


「もしくは、国の体制が変わったことにも関係してるかもね」


 今度は、エリーが口を開いた。


「ほら、あの“魔族”騒ぎの日にさ、あたし、公的依頼受けたって言ったでしょ?」


 その話はサクも港町で聞いていた。

 “とある事件”を解決するために、魔術師隊が旅の魔術師に協力を要請しているらしい。

 以前までのシリスティアでは考えられないことだ。


 ちなみに、今の当面の目標はその依頼を達成することだったりもする。


「その国を動かしたのって、もしかしたら貴族なのかも。この街の貴族は旅の魔術師に肯定的なんじゃない?」

「……まあ、諸説ある、か」


 これ以上の推測は無意味だと察し、サクは会話を切った。


「それより、依頼は夕方からだったな。私は刀の手入れをするよ。先ほどの手入れで、本格的にやりたいと思ったからな」

「おおっ、それならあっしは寝ます!! ちょー寝ます!! 起きたときにはニューティアにゃん!!」

「……ああ、そういうこと」

「あれ? エリにゃんリアクション薄くないですか!?」

「いいから寝なさい。ほら、サクさんの邪魔になるから」

「最近酷くないですか!?」

「まあ、とにかく夕方まで自由行動ね」


 ティアはむくれながら、それでも眠り始めた。

 寝息を立てさえすれば静かな彼女は、とりあえず、サクの邪魔にはならないだろう。


「そうだ」


 そのティアを見ながら、サクは思い至った。

 この世界のことを説明している間、妙な違和感があると思ったら、そういえばこの世界の常識欠如筆頭のあの男がいない。


「アキラはどうした? 自室にいるのか?」


 サクは刀の手入れの器具を取り出しながら、エリーに問いかける。

 エリーは丁度立ち上がり部屋を出て行こうとしているところだった。


「ううん、依頼所で分かれたわ」

「? 何か用事でもあったのか?」


 するとエリーはため息を吐き出し、どこか得意げな顔になってこう返してきた。


「その理由が、今分かったとこ」


―――***―――


 遥か昔。

 世界各地で、同じような魔術を別の名で呼んでいた時代があった。

 その原因は、この広い世界ならば当然のことであろう。アキラがかつていた“元の世界”でも、国が違えば同じ物体を別の名で呼ぶことがほとんどだ。


 だが、後世に伝えるにあたって不便さを感じ、その呼び名を一本化。

 ここで重要なのが、“最も効率のいい名前に”一本化したということだ。


 魔術には、術者のイメージが大きなウェイトを占めることになる。

 朝の鍛錬時、エリーが『“結果を知っている以上”意味がない』と言ったのはこのことで、アキラが別の魔術名を叫んだところでアキラの身体が“その結果”を覚えてしまっていては別の結果をイメージしにくい。


 必要なのは、アキラの属性―――日輪属性の“詠唱”なのだ。


 そこまで分かっていても、問題は原点回帰。


 ないのだ。

 “詠唱”のフローチャートとなるべき、日輪属性に関する書物が。


 人間の性質として―――とくに“しきたり”に縛られた世界では―――権威ある者には非常に弱い。

 その著名者が記した書物に“詠唱”が載っていれば、それはそのまま納得感に繋がるだろう。

 しかし、未だ俗説が飛び交うだけのあまりに希少な日輪属性は謎に包まれている。


 だが、ない。

 エリーがどれだけ駆けずり回ってくれても、ない。

 つまりアキラは、何のフローチャートもない状態で“詠唱”に挑まなければならないのだ。


「……、」


 昼を過ぎた、街外れ。

 周囲には無人の倉庫や街を囲う柵程度しかない―――決して近くに背の高い建物がない位置で―――ヒダマリ=アキラは剣を抜いた。


 剣を構え、頭でイメージを構築し、自分のできる魔術を作り上げる。


 ブ、と僅かに剣から音が漏れた。

 人気も少なく、静寂に包まれている状態で初めて耳に入るようなこの僅かな音。

 だが結果は壮絶な威力を誇る。

 敵に切りつけたと同時、剣が纏う魔力が爆発的な力を出すこの魔術。


 アキラが最も得意とする、攻撃威力を追求したこの力は―――火曜属性魔術の再現。


 その魔術を停止。

 次に、攻撃のイメージを再構築。

 外部から襲うのではなく、魔力を残して敵の内部から攻撃するイメージ。


 相手が物理的な防御を目論んでも、確実に結果を残すことを追求したこの力は―――土曜属性魔術の再現。


 この2種類の攻撃方法は、アキラが“ここ”に連れてきた力だ。


 そして、今はもう1つ、使用できる力がある。

 アキラは剣への魔術を解除し、身体に魔術を施し始めた。

 戦闘時、デフォルトとして発動させる魔力による身体の強化。その身体能力強化のイメージを再定義し、魔術による強化へ移行する。

 グ、と。アキラは身体に力にこもるのを感じた。

 街を囲う柵の向こう。風に漂う木々の元になど一瞬で到達し、そのまま天辺まで駆け上がれそうな気さえする。


 人の身を超越するかの如く、身体能力強化を追求したこの力は―――木曜属性魔術の再現。


 他には照明具程度に手を輝かせることもできるが、そちらは試すまでもないだろう。


 結局、この3つ。

 この3つが、戦闘中使用できるアキラの魔術だ。


「…………遅い、のか?」


 アキラは魔術を解除し、一言漏らす。

 今までこの3つを使い分け、アキラは戦闘を切り抜けてきた。


 だが、イメージの遅さによるデメリットを被ったことほとんどない。

 勝てる敵にはイメージが十分間に合うし、勝てない敵にはイメージうんぬんではないほど歯が立たないのだから。


 そして何より、アキラには“刻”がある。

 あの、世界が勇者の“応え”を待つ瞬間。


 その中では、アキラは幾重にも思考を巡らす時間が与えられる。

 狙って呼び込めるものでもない、あくまで正体不明の力だが、遅さという点に関しては、今は置いておこう。


 となるとやはり、問題は、“ぶれ”だ。


「……っ、」


 アキラは再度、剣に魔術を流す。

 アキラの最も得意な、火曜属性魔術の再現。


 だが、慎重に魔力の流れを解析すると、先ほどよりも僅かに魔術の組み上げ方が甘くなっていた。

 先ほどのアキラと、今のアキラのイメージの差。

 時間にして5分も経っていないというのに、もう魔術の構築に“ぶれ”が出ている。


 これは、アキラの身体に確固たる”詠唱”が確立できていない証拠だ。

 僅差の戦闘になったら、“決める”と思ったときに決められなくなるかもしれない。


「……なに剣持ったまま固まってんのよ?」


 振り返ると、どこか表情を強張らせたエリーが立っていた。アキラは慌てて剣を仕舞い、適当に視線を泳がせる。

 エリーは手に、小さなトートバッグを持っていた。

 夕方の依頼まで街を回るつもりだったのか、あるいは、彼女は自分を探していたのだろうか。


「あんたは準備終わってるの?」

「貴族って言っても、準備するものなんてないしな。単に金持ちってことだろ?」


 奇しくもティアと同じ発想を口にしたアキラは、エリーが僅かにため息を吐き出すのを見た。


「……ふーん、そんなことやってる場合じゃない、って?」


 エリーはゆっくりとアキラに近づき、じっと視線を合わせてきた。


「…………なんだよ」

「うんん。ただあんたが殊勲にも自主練してるなんて、先生としては嬉しくてね」

「いいだろ、別に」

「建物壊さないでよ?」

「壊すか」


 エリーはアキラの言葉を聞き流し、周囲を見渡す。

 やがて僅かに頷くと、アキラに背を向けたまま呟いた。


「こういう場所、いいわね。朝の鍛錬、こういう広いとこでやらなきゃ」


 エリーは、そんな話を始めた。

 風は穏やか、柵の近くでは街の中でも森林浴が可能だろう。柵沿いに少し歩けば、この街の特徴の一つである、大自然の絶景が一望できる。


 修行の場所という問題は、アキラも漠然と感じていたことだ。

 宿屋の庭など、今なら全力で駆ければ数秒程度で隅から隅まで移動できてしまう。サクなら、一瞬、だろうか。

 そして何より、朝のティア。


 今まで淡白に虚空に向かって低級魔術を射出するだけだった彼女が、上位の魔術を習得した。

 単なる偶然ではなく“詠唱”まで確立していたということは、今後も同じことができるだろう。


 あれは彼女が全面的に悪いのではなく、宿屋の庭で十分と考えていた認識そのものにも非がある。以前まではそんなことを考えもしなかった。


 あれだけ広いと感じていた宿屋の庭。

 少なくともティアは、それに収まらないほどの力を手に入れた。


「……あんたさ、やっぱりこの話題で機嫌悪くなってたのね」


 エリーが、アキラ以外誰もいないというのに、本当に小さな声を出した。


「正直、ティアが新しい魔術覚えたの面白くないとか考えてた?」


 アキラは、口を開かなかった。

 “それ”に返す言葉を選ぼうとして、止まりかけた思考を強引に動かし、そして結局何も思い浮かばない。

 アキラは、口を開かなかった。


「何かあんた、変、っていうか、さ。あの子、一応あんたに一番近い実力じゃない? まあ、あんまりこういうこと言うの、よくないとは思うけどさ」


 アキラは頷きかけて止まり、やはり頷いた。

 まさしく一応、事実は事実だ。

 アキラは前衛、ティアは後衛と、言ってしまえば戦闘におけるポジションは違うが、総合的に見れば実力は近い―――“底辺”、で。


 4人の中で、最強なのはサクだろう。

 彼女の動きには、アキラが木曜属性魔術の再現を行っても、決して届かない。そして今なお、その神速を磨きに磨いている。

 しかも、彼女には洗練された長刀の技術があるのだ。

 この“三週目”にアキラが出会った中で、彼女より上だと思える魔術師は、壮絶な力を持っていた“もう1人の日輪属性”しか思いつかない。


 次いで、エリーだ。

 彼女も速い。

 サク程とはいかないまでも、彼女の攻撃を回避し続けられるほどの動きは持っている。

 魔術師試験を一応突破しただけはあり、魔術の知識も持っている上、火曜属性の一撃。速度も加わるその攻撃力は、剣を使っているアキラと比べても遜色ないほど、重い。

 その攻撃力が通じない敵を前にすると辛い立場になることをアキラは“知っている”が、少なくともシリスティアのような場所では苦戦することはないだろう。


 それに比べて、アキラ。

 木曜属性魔術の再現による身体能力強化は短時間しか持たないし、火曜属性魔術の攻撃と組み合わせて使うことも難しい。

 木曜属性の魔術で敵に急接近し、火曜属性の魔術に切り替え攻撃するのがアキラの最強攻撃ではあるが、その切り替えの間には―――そう考えると、“詠唱”うんぬん以前に遅い―――隙ができてしまう。

 以前戦った“魔族”―――リイザス=ガーディランは“動けなかったから”攻撃できたものの、もし仮にエリーやサクと戦うことになれば、身体能力強化の魔術が切れるまで回避され続けて詰みだ。


 残るティアは後方支援の新たな力を手に入れた。

 書物などに成長するためのガイドラインが載っているのが大きい。

 いい意味でも悪い意味でも、思考回路がシンプルな彼女はそういった影響を受けやすいのだろう。


 最初は無邪気に喜んでいたものだが、“チート”ではない本物の旅を通し、真剣に向き合うと、“選ばれし者の属性”とやらは何とも難しい。


 ティアの予期せぬ成長に、アキラは、確かに焦りを覚えていた。


「はい」

「?」


 エリーが手にしていたバッグを漁ったかと思うと、アキラの前に小奇麗な手帳を差し出してきた。


「日輪属性のことは当然載ってないけど、参考程度にはなるでしょ。あんたもそろそろ魔術の本とか読めるでしょ? 『エリにゃんノート』よ」

「…………その呼び方気に入ったのかよ?」

「む。あんたには折角の和ませ方に文句付けるの?」


 アキラは今にもエリーが仕舞いそうな目の前のノートを取ると、適当にめくり始めた。

 元の世界の受験勉強で使っていたノートに似て、整理された情報と、そのところどころに書き込みがびっしりと記されている。

 もっとも、アキラのノートより遥かに細かく綺麗な字だったが。


「ま、あたしも頑張んないとね。ティアも強くなったし。……でも、切羽詰まってんだったら相談くらいはしなさい。なか……、先生が、何のためにいると思ってるのよ」

「お前さ、励ましに来たのか?」

「……ま、まあ、生徒のことだしね。とにかく、真面目に悩んでいるなんてあんたのキャラじゃないでしょ」


 エリーはそう言うと、バッグの蓋を閉じて歩き出した。本当に、そんな話をしただけで。

 彼女も彼女で、思うところがあるのかもしれない。


「なあ」

「なに?」


 エリーは背を向けたまま。

 アキラはその背に、大きく息を吐き、そして言葉を紡ぐ。


「お前も、だ。似たようなことがあったら、絶対相談しろよな」

「? ……まあ、うん」

「絶対だ」

「しつこいって。……強くなってから言いなさい」

「なるさ」


 ティアに嫉妬している場合ではない。

 一刻も早く、戦闘以外でもエリーのサポートも行えるようにならなければならないのだから。

 ただそれも、“自分”を壊さないままで。


 彼女にこんなときが来ても、同じように導けるように。


―――***―――


 “詠唱”とは、自己の身体にスイッチを作ること。

 “詠唱”とは、在るべき結果を生み出す魔術を呼び起こすこと。

 “詠唱”とは、“比較対象”を作ること。


 そんな内容が、手にした『エリにゃんノート』の最後のページに真新しい字で書き加えられていた。


「……、」

 ヒダマリ=アキラは昼時を過ぎた宿屋の食堂で、じっとノートを覗き込んでいた。

 食堂の広さは、限界定員20人というほどに狭いが、既に人気はほとんどない。


 運ばれてきた料理には、ほとんど手をつけていなかった。

 食事の間を惜しんでまで勉学に励んだのは、元の世界の大学受験中にもなかったと思う。


 食べながら読もうと思っていたのだが、どうやら自分はそこまで器用ではないらしい。

 一瞬食卓の上のパンに顔を向けたアキラだったが、視線をすぐに本に戻した。


「……、」


 このノートを読み、アキラの中で“詠唱”というものの必要性が強まった。

 特に目を惹かれたのは、“比較対象”という文々だ。


 恐らく一流と言われる魔術師たちは自己の魔術を定義するところから始めるのだろう、とアキラは思う。

 どれだけイメージがずさんでも、まずは“詠唱”として身体に登録する。

 そして鍛錬時、よりよいイメージが構築できれば自己の“詠唱”を再定義したり、または上位魔術として別の“詠唱”で身体に登録したりするのだ。


 “詠唱”としてイメージを保存しないと、鍛錬時の目標がぼやけてしまう。

 “比較対象”とはそういう意味だろう。


 アキラは僅かに誤解していた。

 弱い魔術を“詠唱”として登録してしまえば、その魔術の強化は望めない、と。

 しかし、そうでもないらしい。

 もっとも、イメージの再定義など相当な難易度だろう。


 アキラは圧倒的な木曜属性の戦闘を間近で見たからこそ、身体能力強化の再定義ができるのだ。

 戦場に立たない一般の学生には不可能に近い。“詠唱”が魔術師隊の試験から外されるのも分かる。


 だが、興味深い。

 イメージが肝心と言われ、アキラは魔術がもっと抽象的なものであると思っていた。

 だが、そのイメージ構築にはきちんとした順序があり、秩序があり、論理がある。


 こうしてまともに勉強すれば、なるほど確かに魔術は学問だ。

 興味が出て、アキラはノートの頭のページに戻った。


 この『エリにゃんノート』は、相当優秀だ。他にもヒントが載っている項目があるかもしれない。

 パラパラとノートをめくり、出題可能性が高い魔物の正式名称やらが載っているページを読み飛ばし、アキラはより書き込みが激しいページを見つけた。


 このノートの持ち主であるエリーの属性―――火曜属性の魔術のページだ。


「……?」


 そこで、アキラは妙な書き込みを見つけた。

 このノートの大半を構成している小奇麗な字はエリーのものだろう。

 そしてまるでテストの採点のようにコメントをつけている字は、エリーの家庭教師を務めたという孤児院の職員―――セレン=リンダ=ソーグのもの。他のページでも何度か見た。


 だが、もう1つ。

 エリーやセレンとは違う字体を見つけた。

 それは、筆圧が極度に弱いように薄く、儚く、それでいて、決して消え褪せないような奇妙な文字。


 そこに、アキラが探していた単語を見つけた。

 エリーも当時意味が分からず、読み飛ばしたままにしていたものかもしれない。


 曰く―――『“詠唱”とは、残すためにあるもの』


「オススメの料理を下さいな。ポイントは、主に値段です。あと、値段とか値段とか」


 その声が聞こえて、アキラは思わず顔を上げた。

 見れば食道内からでも見える中央に、身を乗り出すように料理を頼んでいる女性がいる。


 くるぶしまで隠す長い純白のローブと、腰をキュッと締めるベルト。色彩が薄い髪の後頭部を眺め、アキラの脳裏に昼前の情景が浮かび上がった。

 広場で鎧の男と共にいた、確かリンダとか呼ばれていた女性だ。


「ん?」

「……!」


 目が、合った。

 結局主に値段を重視したらしい簡素なパンとスープだけをトレイに乗せ、リンダが振り返ったとき、アキラと正面から向かい合ってしまった。


 日輪属性のスキルのことをアキラは思い浮かべたが、そもそも今この食堂にはアキラしかいないのだから当然と言えば当然だろう。


 日本人の性か、思わず微笑み返してしまったアキラにリンダも微笑み返し、一歩踏み出そうとしたところで、


「ひうっ、」


 ガシャン、と、料理ごとリンダが床に転んだ。

 その直前、アキラは確かに、リンダが自分のローブの裾を踏みつけたのを見た。


 そこでアキラは、彼女たちも夕方の依頼を請けると言っていたのを思い出す。

 そして、彼女たちもこの宿を選んだようだ。

 どうやら日輪属性というものは、関係者に出会う確率も異常に高いらしい。


 最近日輪属性というものを僅かなりとも理解してきたせいか、増え続ける後付け設定にアキラは辟易し、ノートをぱたんと閉じた。


 とりあえず、助けは必要そうだ。

 アキラは、スープをまき散らしながらグワングワンと床で回る皿に近づいていった。


―――***―――


 エリーの自室にオベルト=ゴンドルフと名乗る男が訪ねてきたのは、この街で借りてきた魔術属性の本を半分ほど読み進めていた頃だった。

 質素さ、というよりは目立たなさを追求したようなくすんだ灰色のローブに身を包んだその初老の男をエリーはいぶかしんだが、何でも夕方の依頼の件で話があるらしい。

 そういえば、依頼書には、事前の打ち合わせが必要であると記されていたのを思い出す。


 その背後に昼前に見た鎧の男―――グリースを見て、エリーは今、宿から僅かに離れた店主さえも無人な喫茶店と思しき場所にいた。

 宿屋の食堂よりも広い空間にたった3人で卓を囲んでいるというのも違和感があったが、オベルトは慣れた様子である。

 エリーはどこか高貴さを感じさせるオベルトの様子に、居住まいを正すことで精一杯だった。


「依頼所から連絡が入りまして……、依頼を引き受けてくれたようですね」


 席に着くや否や、店の奥から店主と思しき男が現れ、人数分のお茶を慣れた手つきで置いていった。

 オベルトはそれ以上に慣れた態度で一瞥もせず、話を始める。

 店主はそのまま、店の奥に引っ込んでしまった。


「ここ、どうなっているんだ? 飯時じゃないけど、無人って」


 エリーと同じ疑問を、隣のグリースが口に出した。

 宿に置いてきたのか今は鎧を脱ぎ、今は黒いパーカーを羽織っている。


 依頼人との事前の打ち合わせというのは、別段珍しいことでもない。中にはこちらから依頼人の場所まで赴いて依頼内容が話されるようなものもあるほどなのだから。

 だが、それでも見も知れぬ人間2人と無人の店に入っているというのも息が詰る。

 エリーは落ち着かない様子で、一応同じ立場であるグリースに視線を送っていた。


 ただ分かったことは、グリースは近くで見ると顔に擦り傷が刻まれているということだけ。

 やはり、息が詰る。


「ああ、人払いは済ませてあります。一応、聞かれたくない話題ですので」


 ここの店主は、どうやら融通が効くらしい。

 店を貸し切り状態にする、というのは、エリーの理解の外ではあるが。


「……依頼主はあんたなのか?」

「ええ。改めて名乗りましょう。私はオベルト=ゴンドルフ。フォルスマン家の執事長をしております」


 オベルトは落ち着き払った声でグリースに言葉を返す。

 雰囲気からして、その言葉に何ら虚偽はないようだ。年齢にしては真っ白な歯を相手に印象付けるようなその口調。

 旅の魔術師であろうグリースと見比べると―――失礼ではあるが―――高貴さがまるで違う。


「それで、どうして俺らがいる場所が分かったんだ?」

「どうして、とは? 依頼所で、泊まっている宿を書いたでしょう?」

「俺が宿を見つけたのは依頼を受けたあとだ。そっちの彼女は知らないが、……後でもつけてたのか?」


 どこか喧嘩腰なグリースの態度に、エリーは口を開かなかった。

 対してオベルトは静かな視線を向け続けている。

 住むべき場所が違う人間というものを初めて見比べた気がした。


「失礼ながら、この街では旅の魔術師が宿泊したら連絡が入るようになっているのです。今さら隠しても仕方がないので言いますが、フォルスマン家は旅の魔術師が嫌いな貴族でして」


 見張る意味でそうした連絡網を確保しているのだろうか。

 エリーは僅かに気分を害したが、今さらシリスティアの貴族の価値観に対抗しようとも思わない。


「その貴族様が、俺たちに何の用だ? 依頼もそうだが、な」


 気づけば、いつの間にかエリーはグリースの括りに入れられていた。

 視線で無罪を訴えかけたが、しかし、オベルトは大して気にもしていないようだ。

 旅の魔術師と貴族の徹底的な線引きというのはシリスティアの気風なのだろう。エリーにようやく、別の大陸に到着したという実感が湧き上がってきた。


「そうですね。早速要件をお伝えしましょう」


 気の早い相手への対処も心がけているのか、オベルトは冷静なまま話を進めた。


「まず、依頼の件ですが、護衛対象は現代当主のサッシュ=フォルスマン様。今回は、我が主を守ってもらいたいのです―――人間から」

「……! 人間、なんですか……!?」


 思わず、エリーは口を開いてしまった。

 完全に敵は魔物だと思っていたエリーは詰め寄るような視線をオベルトに向ける。

 しかし、驚いていたのはむしろオベルトの方で、隣のグリースも奇異の瞳をエリーに向けていた。

 まるで自分が誤っているかのような倒錯感を覚え、エリーは口を噤んだ。


「…………失礼ですが、エリサス=アーティ様。シリスティアでの生活は?」

「え、えっと、来たばかりです。半月くらい前に」


 オベルトは重く頷き、そして、説明事項が1つ増えた教師のような表情を浮かべた。


「貴族のお話はご存じでしょう。その件につき、“いざこざ”があるというのを聞いたことはありませんか?」


 聞いたことは、あった。

 精力的に動かなければ他の大陸の情報など手に入れられないが、それでも大きな事件は時たま世界中に広がることがある。

 魔術師試験の勉強中、エリーは1度か2度、貴族がらみの事件があったと耳にした記憶があった。


「そうした事件は、実は内政の事件ではなく、今回のような事件なのですよ。私が言うのもおかしな話ですが、貴族は何かと敵も多いので。―――魔物以外の、ね」

「そりゃそうだろうな」


 オベルトの静かな声に、グリースの粗雑な声が割り込んだ。

 その相槌は、流石にオベルトも流せなかったのか冷ややかな横目をグリースに向ける。

 グリースは貴族に何か恨みでもあるのだろうか。エリーは刺々しい空気にいたたまれなくなり口を開いた。


「そろそろ内情を話しましょう。我が主は、昨今のシリスティアの情勢に酷く反発しております」

「情勢?」

「ええ。そろそろ広まっているでしょう。聞いたことはありませんか? 国の魔道士隊、魔術師隊が、旅の魔術師を受け入れ始めていると」


 聞いたことがあるどころか、先ほどサクやティアに依頼を届けたときにも出た話題だ。


「このガールスロは地形のお陰で幸い魔物の被害もなく……、まあ、この付近に“魔族”が出たと聞いたときにはひやりとしましたが、ともかく、魔物討伐への執着心が疎い面があります」


 事実をあるがまま並び立てたオベルトは、さらに言葉を続けた。


「ですので、失礼ですが旅の魔術師に必要性を感じていないのです。シリスティアは全体的に平和ですので、魔術師隊で十分、と」


 エリーは僅かにむっとした。

 事の顛末を説明するために必要なのかもしれないが、そんな話をその当人たちの前でするのはいかがなものだろう。

 グリースは、最早汚物を見るような視線をオベルトに向けていた。


 そして、魔物に対しては危機感が薄いのに、人間に対しては警戒心をむき出しにするとも皮肉な話だ。


「しかし、そうした考えを持つ貴族を忌み嫌う者もいるのです。折角シリスティアが進化しようとしているのに、それに反発するのは何事か、とね」

「……それが?」

「ええ、“反貴族”、とでもいいましょうか。極端なことを言ってしまえば、今、我が主は“反貴族”に狙われているのです。“魔族”騒ぎで魔術師隊が忙殺されている今が好機、と言ったところでしょうか」


 貴族は、自分たちと他の人間は“違う”と思う節がある。そうなれば、当然敵は魔物だけではないのだろう。

 今回襲ってくるのはその“人間”だ。


「あの、襲ってくるのって今夜なんですか?」

「……恐らく、賊が動くのは夜でしょう。昨夜、我が主が街の外に奇妙な光を見た、と騒ぎ出しまして」

「奇妙な光?」

「ええ、恐らくは魔力が漏れたのでしょう。この辺りは魔物もいませんし……、魔力色が漏れるのは不自然なのですよ」


 確かに、このガールスロ近辺で魔物を見た記憶はエリーにはない。

 シリスティアなのだから無い話ではないと思っていたが、そもそも魔物が生息していないのだろう。


 しかし、それにしても、奇妙な光を見た程度で騒ぎ立てるとは、そのサッシュ=フォルスマンとやらは相当な小心者なのかもしれない。

 もしかしたら、ティアのようにテンションの高い子供が魔術を誤射した可能性もあるというのに。


「我が主は、慎重な方ですので」

 エリーの心を読んだかのように、オベルトが補足した。


 しかし、その程度で自分たちやグリースたちを入れて総勢6名も雇うとは。お金というものは、あるところにはあるということか。


「…………ん? んん? ちょっと待てよ、おかしいじゃないか。何でその旅の魔術師嫌いの貴族様が、俺たちを雇うんだ? あんたの話だと、俺たちなんか不要なんだろ?」


 グリースが、はっと気づいたように強い言葉を出した。

 言われて、エリーも矛盾に気づく。

 しかしオベルトはその矛盾に気づきながらも説明を続けていたのかさして慌てた様子もなく、落ち着き払っている。


「…………実は、今回の依頼、我が主には伏せているのです」


 しかし、僅かに怯えたような声。

 この店を借り切ったことに初めて意味を持つかのような声色に、エリーもグリースも思わず前傾姿勢をとる。


「我が主は旅の魔術師に否定的な立場を取られていますが―――私はそれが悔しい」


 怯えたような声から、歯ぎしりさえ聞こえるような悔恨の言葉へ変化した。

 オベルトは、拳を机の上に乗せ、今にも机を叩かんばかりに震わせ始める。

 その変化が、エリーには溜め込んでいたものを吐き出しているように見えた。


「折角……、折角シリスティアが1つにまとまろうとしているというのに……、我が主はそれがまるで分かっていない」


 主への批判の言葉。

 だがそれは、執事長と名乗ったオベルトが出せば、相応の重みを持つ。

 エリーもグリースも、オベルトの言葉に口を挟まずただ先を促した。


「そこで、私は今回の事件をシリスティアのために……言い方は悪いですが、利用したい。もし今回の事件で、旅の魔術した自分の命を救ったら、きっと主も目を覚ますはずです」


 オベルトは、僅かに冷静さを欠いているような手つきで、足元の鞄に手を伸ばした。

 現れたときから持っていたそれは、黒く、四角く、重厚な造りの鞄。黒い光沢を放つそれは旅の魔術師の前にも、僅かに廃れたこの喫茶店にも不釣り合いなものだった。


「しかし、今は“まだ”我が主は旅の魔術師に否定的。依頼を請けることはできないでしょう。そこであなた方には、“変装”をしていただきたい」

「?」


 オベルトはゆっくりと鞄の蓋を開ける。

 スーツケースのようにも見えるカバンの中には、数着の黒いローブが入っていた。

 エリーは一瞬止まり、その服を凝視する。

 これを自分は何度も羨望の眼差しで見た。


 これは、


「作戦をお話ししましょう。まず、あなた方にはこの“魔術師隊のローブ”を着用して護衛についていただく。そして事件を解決し終えたあと、私の方から説明いたしましょう。あなたを救ったのは旅の魔術師であった、と」


 その説明を、エリーはほとんど聞いていなかった。

 視線は、新品の魔術師隊のローブに釘付けだ。


「非常に失礼かもしれませんが、あなた方には魔術師隊を装っていただく。そうすることで、我が主も依頼を任せられる」


 オベルトはそこで、ゆっくりと頭を下げた。


「これは我が主の命だけの問題ではありません。シリスティアの未来がかかっております。どうか、依頼を引き受けて下さいませんか」


 依頼料―――十分。

 相手が人間―――問題ない。自分の戦闘スタイルならば、殺さずに無力化できるだろう。

 そしてこの服―――完璧だ。


 エリーの頭の中でオベルトへ対する否定的な意見が崩れ、肯定的な気持ちが積み重なっていく。

 自分の主を批判し、あまつさえ独断で旅の魔術師に依頼を出したオベルト。その気持ちは本物だ。

 グリースも、僅かに戸惑いながらもおずおずと頷いている。


 なかなかどうして、イメージとは違い、貴族も立派な存在ではないか。


 エリーの中で、依頼への完全なGOサインが固まった。


―――***―――


「サッシュ=フォルスマンと執事長のオベルト=ゴンドルフはかなりの食わせ者よ。主に交渉力とかが。あと、交渉力とか交渉力とかが」

「そうなのか?」


 ヒダマリ=アキラは、リンダ=リュースというフルネームらしい女性の言葉に適当に相槌を打った。

 リンダがぶちまけた料理を片付けた縁もあり、同じ卓を囲うことになって早1時間。

 幸いにも今度は純白のローブを汚さなかったリンダは、愚痴でも言うように2人の人間を名指しで批判していた。


 彼女の脇には、結局食べる気の起きなかったアキラの料理が空になって置いてある。

 分け与えた料理を完食したリンダも、やはり夕方からの依頼を請けるようだ。


「まあ、貴族は信用するなってことよ。気を抜けばあっという間に騙されるんだから。あいつらの根源には旅の魔術師批判がこびりついてる」

「でも、シリスティアって……良く分かんないけど、国の情勢? が変わったんだろ? 何か、旅の魔術師受け入れ始めてるって」

「それこそ貴族の一部が騒いだだけよ。それも、元々は旅の魔術師だった“勇者様御一行”の末裔が。そうじゃない貴族は、やっぱり変わってない」


 そういうものなのだろうか。

 アキラは貴族に会ったことがないが、リンダの話を聞く限りどうしてもマイナスのイメージが植え付けられていく。

 リンダは貴族が相当嫌いらしい。


「大体、この街の貴族のサッシュ=フォルスマンが何やったか知ってる? 見晴らしがいいこの街を栄えさせただけ。他は、全然、全く、何にも国への貢献なんてしてないんだから。それなのに、不気味な銅像なんか街中に置いたりして」


 街で見たあれは、サッシュ=フォルスマンとやらの銅像だったらしい。

 街を栄えさせたというのは十分な貢献だとアキラは思うのだが、リンダは毛嫌いしているような口調を止めなかった。

 そして、やはり、リンダという女性は見た目とは違い、かなりオープンな性格らしい。


「極めつけは最近の“反旅の魔術師運動”よ。執事長のオベルト=ゴンドルフが各地の旅の魔術師に批判的な貴族に通知して、折角変わり始めてるシリスティアを元に戻そうって働きかけてるのよ? 信じられないわ。主に常識とか。あと、常識とか常識とか」

「よく知ってるな」

「え? ま、まあね。とにかく、アキラも気をつけた方がいいわ。オベルトに口を開かせたらあっという間に相手のペースよ」


 政治の話はよく分からない。アキラは頭を揺すった。

 とりあえず、サッシュという貴族とオベルトという執事長は信用しないことに決めた。


「でもさ、今回の依頼って旅の魔術師宛てだろ?」

「そんなの、どうせ上手いこと言いくるめて護衛の人数稼ごう、ってんでしょ? 終わったら依頼料だけ渡して旅の魔術師が護衛に参加したことなんて公表しやしないわよ」


 依頼が始まってもいないのにリンダは随分と事情に詳しいようだ。

 アキラも新聞を購読するようになればこういう事情に鋭くなれるだろうか。

 もっとも、活字を読むのは小説以外では限界があるとついこの前までいた港町で学んだところだったが。


「にしても、護衛、ね……」


 アキラは背もたれに体重を預け、ぼんやりと呟く。

 リンダから聞いた情報で、むしろ気になる点があった。


 今回の依頼。敵は、反貴族というくくりに分類される“人間”らしい。

 一応、アキラは人間相手の戦闘というものも経験している。

 最初に思い浮かべられるのはサクだ。そして“二週目”、とある魔術師隊の副隊長とも戦闘をした記憶がある。


 だが、流石に生身の人間を切り付けたくはない。

 アキラの使う剣は両刃。サクの刀のように“みね”はない。エリーの攻撃方法ならばまだいいが、アキラの攻撃は危険だろう。


 その条件のもと敵を無力化するとなると、武器の破壊しかないだろうか。

 しかし、自分の武具は全力で攻撃する際常に破損していないか、とそこまでアキラが思考を進めたとき、


「そういえば、何読んでたの?」


 リンダが、視線をアキラの手元のノートに移していた。


「ん? ああ、…………エリにゃんノートだ」

「へぇ、ちょっと見せてもらっていい?」


 小さな声で言ったから聞こえなかったのだろうか。一応は正式名称になりつつあるその呼称をリンダは流し、ぐでぇ、と手を伸ばしノートをパラパラとめくり始めた。

 リンダは人懐こい性格をしているのだろうか。出会ってからそれほど時間も経っていないのに、随分と懐かれているような気がする。

 強いて言えばティアに近いが、こちらは声の音量ともども程良い感覚だった。


「勉強中だった?」

「え……、ま、まあ、“詠唱”の」

「……“詠唱”? 魔術師試験のじゃなくて?」

「ん? ああ」


 適当に流し読みし終え、リンダは元の体勢に戻った。

 どこか目は、キラキラとしている。


「“詠唱”って、結局何なの? 私そっちは知らなくて」


 やはり“詠唱”というのはあまり広まっていない知識らしい。

 アキラは僅かに得意げになって語ろうとし、しかし結局自分もそこまで理解していないことに思い至り、視線を外した。


「だから、勉強中」

「ふーん……、まあ、夕方までに分かったら教えて。……勉強なんて久しぶり」


 その、僅かに漏れた言葉に、アキラは眉を潜めた。


「それにしても、アキラって、なんか話しやすいわ。主に雰囲気とか。あとは、」

「雰囲気とかか?」

「うん。雰囲気とか」


 リンダは僅かに笑い、コクリと頷いた。

 日輪属性のスキルは本日絶好調のようだ。

 久方ぶりのご都合主義に触れられて、アキラの頬は僅かに緩む。最近“詠唱”のことばかりで塞ぎ込んでいたが、そもそもこの世界は優しいはずなのだ。


「あっと、やば。私、そろそろ準備があるんだった」


 時間外れの客が目に入り、リンダは立ち上がった。

 アキラも気づいて立ち上がる。確かにいい加減、長居し過ぎだ。


 空の食器に伸ばそうとした手をリンダに止められ、彼女は食器の返却口まで運び―――今度は転ばず、だ―――そのまま食堂を出ていった。


 アキラもエリにゃんノートを掴み、出口へ向かう。

 そういえばあの巨大な円柱のことを聞きそびれたが、久しぶりに充実した時間を過ごせた気がする。

 夕方の依頼、相手が人間と聞いて僅かに憂鬱だったが、リンダともう一度出会えるなら悪くはない。

 どうせ数人の敵を追い払うだけで済む依頼だろう。


 アキラは足取りも軽く食堂をあとにし、自室に向かった。


 ただ気になるのは、旅の魔術師嫌いという貴族。

 そんな貴族が、旅の魔術師にどんな無理難題を押しつけるか、という点だ。


 万一街の中で戦闘などあれば、この依頼に旅の魔術師が関わっていたなどということすぐに広まってしまわないだろうか。


「……、ま、依頼に行けば分かるか」


 リンダが口に出した2人に気をつければいいだけのことだ。


 アキラは疑問を置き去りにし、最後の角を曲がったところで、


「…………」


 自室の扉の前。

 奇妙なローブに身を包んだ赤毛の少女の後頭部を見つけ、


「…………あ、見て見てこのローブ!! どう? 似合う? 似合う? あたし、魔術師隊に見える? すっごい着心地いいんだけどこれ!! わぁ、すっごいわね、貴族って!!」


 ティア並にテンションが上がり、回転までしたエリーを見ながら、アキラの疑問は氷解した。


 そして、もう一度誓う。


「俺、貴族には気をつける」

「え? なに? 大丈夫よあんたの分もあるから!! それよりこれから、びしっといくわよ!! あたしたちにはシリスティアの未来がかかってるんだから!!」


―――***―――


『おお、お帰りリンダ。……なあ、俺思うんだ。この街の貴族はともかく、執事長は相当分かってる』


『ばっかじゃないの? あれだけ気をつけなさいって言ったのに』


『え? いやいや、あの人はちゃんとシリスティアのことを考えて……』


『忘れてるみたいだから教えてあげる。オベルト=ゴンドルフがこの街に戻ってきたのは一昨日。それまで、貴族の反旅の魔術師の会合で議長を務めていたのよ?』


『いや、違う。あの人は、サッシュの命令で、』


『ど、ん、だ、け、洗脳されてるの!? 議長を務めたってことは、サッシュ以上に旅の魔術師に反発してるってことにならない?』


『…………ならない』


『なるのよ!! 何その意地!? ああぁ~、グリースには足りないものがあるわ。主に脳とか。あとは脳とか脳とか』


『……ぐ、ぶっ殺すぞお前。大体、俺は計画の全貌を聞いていないんだが』


『とにかく、もうすぐ時間。自分のやるべきことだけは、分かってるでしょ?』


『―――分かってるさ』


『―――なら、いいわ』


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