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おんりーらぶ!?【第二部】  作者: コー
南の大陸『シリスティア』編
13/68

第24話『回る、世界(中編)』

―――***―――


 具体的にどれくらいか、というと。


 船の積み荷を保管しておく建物30棟、及びその同等面積の土地的価値と強固に作られていた防波堤。ついでに言うならその衝撃に巻き込まれた周囲の民家の窓ガラスも上乗せされる。


 総合して、“街の一部”。

 それが、パックラーラを襲った“異常”がただの一撃でもたらした被害だった。


 その他にも、巧妙に破壊された港に近づく魔物を察知するはずだった探索網や、その場を警護していた男性2名の遺体などもあるのだが―――そのどちらも探索が滞っていた。


 原因は思ったよりも単純で、1つは夜の海の中、1つはようやく消火活動が終了した惨状の中にあるからだ。その上、精密に造られた探索網や2名もの人命より何より、その場の誰もが“押し潰された”保管所の方に目がいっているのだから無理もない。


 大きな港町というだけはあり、保管所は多大な面積を誇っていた。

 中には、商人に保管されていた外国の商品もあったであろう。

 中には、郵便所に送られる前の郵便物もあったであろう。

 しかしそのどれもが、総てたった1つの衝撃によりおよそ高さと呼ばれる概念を喪失して破壊された。


 海の侵入を止めることもできず、“街そのものの形”が変わった場所。

 そんな空間を目の当たりにして、それ以外のことに頭が回る人間などそうはいない。


 しかし、その場にいた“とある旅の魔術師たち”と街の警護隊が協力して消火活動を進めている頃、その、“それ以外のこと”に頭を回すべき人間たちが到着した。


 魔術師隊である。


 魔術師隊と言っても、種類は大きく分けて2通りある。

 1つは、街の魔術師隊。

 それは、魔術師試験を突破した者のほとんどが最初に勤務する魔術師隊であり、職務内容も情報収集や事務処理がほとんどで、激務、というものではない。

 たまに街の周囲で問題視される魔物や、街に攻めいってきた魔物に対抗することもあるが、例え打ち漏らしたりしても民間人が依頼という形で旅の魔術師たちに任せるのだから気楽なものだ。

 激戦区の“北の大陸”や“中央の大陸”でもない限り、魔術師隊の活躍はあまり見られず、子供など街の警護隊との差も分かっていないだろう。


 もう1つは、国の魔術師隊。

 街の魔術師隊の者がこの魔術師隊に配属されたとき、最も大きなギャップを感じるのはその行動範囲だという。

 情報収集や事務処理という実務の名前の範囲はさして変化がないが、その規模は国単位。

 今まで行ったこともないような街や、魔術師隊すらいないような村まで問題があれば即座に赴き、片道1週間かけて移動することも珍しくないのだ。

 それでも、国の魔術師隊の上にある、大陸単位の警護と組織全体の調整を行うことになる魔道士隊よりはマシなのだろうが。


 今回、火災現場に到着したのは、国の魔術師隊だ。

 パックラーラで“とある仕事”を終えたのち、街を離れていた彼らは“突如響いた爆撃音”に、即座にUターン。

 現場に到着するや否や、被害状況“ではなく”、その被害を生み出した原因について調査を進め始めた。


 彼らはほとんど消火活動を手伝わない。

 その周囲に注意を向け、とりおり消火を行う者を呼び止めてまで原因追究を進める。


 しかし、呼び止められた者も、いつしか集まってきた周囲のギャラリーも、街の復旧に一切手を貸さない彼らに非難の声を上げなかった。


 彼らにとって、いかに大規模とはいえ無人に近い保管所の火災など目先の問題でしかない。


 彼らの使命は、街を襲った“異常”そのものの駆除なのだから。


――――――


 おんりーらぶ!?


――――――


「状況はまとめ終わったな」

「はい。報告します」


 エリーことエリサス=アーティは椅子に腰かけ、眼前の魔術師隊のやり取りをぼんやりと眺めていた。


 ここは、夕方にも“話し合い”という依頼を行った場所だ。細長い机が長方形の縁を形作るように設置された会議室は、20名はゆうに話し合えるほど入れるほど広い。

 エリーが座る部屋の反対側では、先ほどこの依頼所で“とある事件”の説明をしていた魔道士―――ロッグ=アルウィナーと3人の魔術師と思われる男たちが火災事件の分析を行っている。

 あのときロッグ以外は会議室にいなかったと思ったが、彼らは彼らで、別所で仕事を行っていたのかもしれない。


 エリーたちは、消火活動を終えたのち、この街に設置された施設に連れて来られていた。

 一応現場にいの一番に到着したことや、ドアの近くに座っているサクが未だ発見されていない2名の遺体の様子を見ていることなどの理由で話を聞きたいとここまで通されたのだが、未だ自分たちは蚊帳の外。

 あの話し合いで、ロッグにあまりいい印象を持っていないエリーからすれば、ロッグが旅の魔術師を待たせることに何の抵抗も持っていないようにさえ思える。


 時間は、すでに深夜。

 消火活動の疲れも相まって、緊急事態が発生した―――“し続けている”今でも、微妙にまどろみ始めていた。

 ここは1階で、2階では魔術師の1人がこの建物への攻撃に注意を怠っていないらしいが、それでも“叩き潰された”あの現場を見たあとでは建物の中、というのは不安が尽きない。


 本当に、散々な休日だ。


「……さて、そこの君。2名の遺体を確かに見たんだな?」

「……! あ、ああ」


 途端、ロッグが視線をサクに走らせてきた。

 サクは僅かに遅れて言葉を返す。


 サクがそんなものを発見していることも、エリーはここに来るまでの間に聞いたばかりだ。


 “潰された死体”を見たと言うサク。散々な休日だったのは、彼女も同じらしい。


「静かなもんだよね……」


 サクが説明を続ける中、隣の男がエリーに囁いてきた。

 エリーが視線を向けると、本日この場で依頼を共に受けた男―――マルド=サダル=ソーグ。

 彼はエリーの視線を受け、困ったように窓から見える空の黒に視線を向けた。


「あのサクって人の話通りだとすると、攻撃主は“知恵持ち”だ」

「……!」


 マルドの言葉に、エリーは薄々感づいていた事実が“形になってしまった”のを感じた。


 “知恵持ち”。

 その言葉を、エリーは魔術師試験の試験勉強時に知っている。


 通常、魔物というものは、そこまで知能が高くない。

 元々は“魔族”が敵を攻めるためだけに創り出した存在だ。

 有するものは、魔族からの指示を受ける“本能”。そして、残りの能力は生命力や繁殖力を含む“戦闘能力”に注がれる。

 中には魔族からの指示を受ける能力すら無視し、ひたすらに“戦闘能力”に特化された魔物も存在するが、それらは共通して―――言ってしまえば頭が悪い。

 襲うと決めれば力の限りを持って暴れるし、逃げるにしても身を隠しながらの移動などほとんどしない。


 しかし、“知恵持ち”という例外が存在する。


 保管所の警備をしていた2名の殺害は、サクの話だと朝から昼にかけて起こった事件。それから騒ぎを起こさず身を隠し、夜また襲ってきた。

 これではまるで、2人を殺して体力が無くなったからその場を離れ、英気を養い、また戻ってきたかのようではないか。

 自分のコンディションを理解し、身を隠す。

 そうなってくると、2人を殺したのも、自分の状態を理解し、騒ぎを起こされたくなかったからとさえ思えてくる。


 通常の魔物の仕業にしては理解しがたい“知性ある行動”。

 そうした魔物は、人間にとって最も厄介だ。

 何故なら街の防御は、ほとんど“頭の悪い”魔物前提に作られているのだから。


 相手がいかに強大だとはいえ、考えて動かないなら排除はそこまで難しくない。

 しかし、相手が“知性”を持っていては、あっさり看破されてしまう。


 元々は、魔族がそうした人間の魔物対策の隙を縫うために考えられた存在。


 それが、“知恵持ち”。

 創り出すのも難しいらしく、ごく少数しか存在しないという、魔物の中の“異常”だ。


「でも、」


 マルドはその“異常事態”そのものについては懸念していないようだ。

 あっさりと“知恵持ち”と言い切ったわりには、どこか苦笑するような―――あるいは、面白そうな表情を浮かべている。


「あれがどんな“攻撃”かは分からないけど……、少なくとも“知恵持ち”が考えてやった行動のはずだ。なのにあれ以降音沙汰なし、か」

「……もしかして、詠唱時間が長くかかる魔術なのかも……。あんな大規模魔術ですし、」

「かもね。もしくは魔力不足で1発しか放てないか……。いずれにせよ、変なんだよな」


 マルドは一拍置いて、目を狭めた。


「街を攻撃するつもりなら、あんな街外れに落とすより、最初に市街地か何かに落とした方が全然いい。もしくは港、とかね。でもそうしなかった。そういうケースだと、3つ考えられる」

「3つ?」


 マルドは1本目の指を立てた。


「1つ目は“攻撃主に想定外のことが起こった”。それこそ街外れから片っ端から街を潰すつもりだったのに、最初の1発を放ったあと、予期しなかった何かが起こって2発目を放てなくなってしまった場合」


 マルドは2本目の指を立てた。


「2つ目は“完全なランダムのテロ”。市街地に落ちたのは適当に放ったから。攻撃主にしてみれば“どこでも良かった”っていう場合」


 マルドは3本目の指を立てた。


「3つ目は“あの場所だからこそ攻撃した”。市街地よりなにより、“あの場所”にどうしても落としたかったっていう場合」


 マルドは立てた3本の指を、まるでクイズでも出すようにエリーに向けてきた。

 どうもマルドは危機感を覚えていないようだ。

 消火活動時は積極的に動いていたからこの事態を完全な他人事と捉えているわけではないようなのだが、終わったことは終わったことと割り切っているのかもしれない。


「どう思う?」

「……え、えっと、」


 マルドが投げかけた疑問で、エリーは思わず目をサクの隣に座る“とある少女”に走らせてしまった。

 エリーが最初に思い浮かべたのは3つ目のケースだ。すなわち、“あの場所だからこそ攻撃した”。


 仮に、あの場所に意味があったとしよう。

 そうなると最も怪しいのは、あの火災現場から、傷一つ負わず歩いて出てきたあの小さな女の子だ。


 キュール=マグウェルと名乗ったあのか弱そうな女の子。

 眠たげな眼を擦り、必死に魔術師たちの話を聞こうとしている彼女も、第一発見者としてこの場に連れて来られた人物だ。


 未だあの光景のショックが止んでいないのか、それとも素なのか、どこかおどおどしているキュールを見て、エリーは即座に自制した。

 確かにあの大火災の中、身体の周囲に強固な黄色の壁を作って歩いてきた彼女は“異物”の一種なのだろう。

 だがそれでも、特にそういう年頃の子供たちの世話をしてきたエリーとって、彼女に疑心に満ちた瞳を向けることは抵抗がある。


「マ、マルドさんはどう思うんですか?」


 答えに詰まり、エリーは疑問をそのまま返した。

 それを受けたマルドは僅かに笑い、ちらりと視線を隣の男に移して呟く。


「さあ? 敵の事情は分からないよ」

「え、」

「ただ、意図してのことだとしても、ランダムに攻撃したんだとしても、攻撃があの場所に“偶然そうなってしまった”っていうのには“攻撃主の意思とは関係ない意味”がある、っていう意見ならある」

「……?」


 そんな奇妙なことを口走ったマルドの、エリーとは反対側の隣。

 そこには、1人の男が座っていた。


 完全な白髪に、巨大な体躯。背後の壁には、マルドの長い杖の隣に人の身ほどの大剣を立てかけている。

 長い足を机に投げ出し、傲岸不遜に腕を組んでいるその男。

 他者から見ても興味本位についてきたようなその男は、部屋に入るなりそのポーズのまま寝入ってしまっている。


 マルドは、確かにこの男に視線を移した。


「どういう……意味ですか?」

 マルドの言葉の真意が分からず、エリーは視線を戻して眉を潜めた。

 しかしマルドは涼しげな表情で、さも当たり前のようにこう返してくる。


「世の中にはね……、“偶然”を引き寄せる奴がいるんだよ。あるいは街で、あるいは村で、あるいは、町と町の間で。そこに事件の“種”があれば、“そいつ”が近づくだけで“発生してしまう”。それも、“そいつ”が渦中に巻き込まれる形でね」

「……!」


 マルドの言葉が耳に入ってエリーはギクリと身体を震わせた。

 マルドが座っているのはエリーの左隣。

 その反対。

 今、エリーの右隣に座っている人物はまさしくそんな力を持っていなかっただろうか。


「なあ、スライク。お前どうせ、事件が起きたときあの辺りにいたんだろ?」

「……るせぇよ」


 エリーが振り返る前に、長身の男から声が漏れた。

 どうやら寝入ってはいなかったらしい。


 スライクと呼ばれた白髪の男は、ゆっくりと目を開ける。

 猫のような金の眼。

 殺気すら感じるその鋭い眼は、不機嫌さを隠そうともせずマルドを睨みつけてきた。


「まあ、ともあれ……“多分お前が引き寄せた事件”は起こった。そういうの、何て言ったっけ?」


 マルドはスライクの視線を受けてなお、おどけるように言葉を返す。

 そこで、ようやくエリーはマルドがこの状況を“楽しんでいる”と感じられた。


「っか、名前付けんのが好きな奴だな。んなもん、どうだって―――」

「―――“刻”だ」


 そこで、ヒダマリ=アキラはようやく口を開いた。

 両手を組み、肘を机の上に置き、視線は魔術師隊の“話し合い”に向けたまま。


 アキラはたった今まで、ひたすらに“情報収集”に力を注いでいた。

 一刻も早く、事件を解決するために。


「“刻”って、あんたが前に―――」

「それがどういう意味か、お前なら分かるだろ?」


 エリーの言葉を遮って、アキラはスライクに視線を向けた。

 “初対面”の相手への態度としてはどうかと思うが、アキラは今、単純に機嫌が悪い。


 人が、2人も死んでいたのだ。

 サクの言葉で明らかになった事態だが、その事実は、アキラの中に大きな“罪悪感”を生んでいた。


 別にアキラは、名前も知らないような赤の他人の命が失われたことに憎悪を覚えるような正義感を持っているわけではない。

 だが、それが自分のせいで発生したとなれば話は別だ。


 “二週目”。

 自分はパックラーラという街はおろかシリスティアという大陸に来たことすらない。

 最強の力を有し、ただ一直線に魔王の牙城を目指しただけのあのストーリー上、こんな場所に来る必要などなかったのだ。


 だが今は、力不足という理由でこの場所に来た。

 そんな“準備”などという理由で立ち寄った場所で、特定の“刻”が発生したのだ。


 アイルークのヘヴンズゲートでの事件は―――死者が出たかは知らないが、“二週目”に起こった事件としてまだ許容できた。

 しかしこの場所は、アキラの“寄り道”のせいで発生した事件だ。


 すなわち。

 “自分が時間を巻き戻すことを求めなければ発生しなかったかもしれない事件”なのだ。


 犠牲になった2名にも、きっと家族や恋人がいただろう。

 それなのに、それがこの“刻”に失われた。


 “一週目”で起こった事件であることはすでに“思い出している”。

 だが、本当に情けない。


 時間を戻す以上、自分は総てを救わなければならないはずだった。

 特に、そんな“刻”を引き寄せてしまう自分は。


「…………はっ、んだよ。お前も“そう”か」


 だが、もう一人。そんな“刻”を引き寄せるのであろう人物は、アキラを探るように睨んだのち、どこか面白そうに笑った。


「良かったなぁ、マルド。お前運がいいぜ。これで俺とはめでたくおさらばだ。そっちについてけ」

「は……? って、ああ、そういう意味か。そういや、そうだったか。まあ、とりあえずエリサスさんよかったじゃん。その人、“本物”っぽいよ。スライクのお墨付き」

「へ?」


 話しについてこられなかったらしいエリーが奇妙な声を上げる。

 アキラは3人のやり取りを横目で眺め、時間の無駄だと視線を魔術師隊の“話し合い”に戻した。

 丁度サクが説明を終え、再び自分たちは乖離して会議を進めている。

 漏れる言葉からするに、現在は使用されたと思われる魔術について話しているようだ。


 過ぎたことはもう仕方ない。

 少なくとも、次の被害を出さないために、少しでも情報を集めなくては。


「ね、ねえ、ちょっと、」

「……ん? なんだよ?」


 魔術師隊の話し合いで、敵の属性がやはり“金曜”であると推測された頃、エリーがアキラの肩を小さく揺すってきた。


「今の話、何よ? あたし全然分かんなかったんだけど、」

「…………“隠し事”だよ」

「……ず、ずるい」


 一言返してエリーの追及を止めると、アキラは思考を進めた。

 確かに、“前提”がないエリーには今の会話について来られなかっただろう。


 薄々感づいてはいるようだが、日輪属性には“刻”を引き寄せてしまう力があること。

 アキラも記憶がおぼろげだが、マルドはそうした“刻”を体験したくて旅をしていること。


 そして。


 スライク=キース=ガイロードという男が、“とある属性”を有すること。


「持ってきました!!」


 途端、バン、と会議室のドアが空いた。

 全員が視線を向けた先、髪の短いローブの女性が大量の書物を抱えて部屋に入ってくる。

 その女性はロッグまで駆け寄ると、手に持った資料をほとんど落とすように机の上にぶちまけた。


「と……、とりあえず、街の魔術師隊支部にある、魔術と魔物のリストです。言われた通り、金曜属性に、絞って持ってきました、」

「ああ。ご苦労」


 息も絶え絶えたその女性にロッグは冷静に言葉を返すと、早速資料を魔術師隊の全員で調べるように指示を出す。

 どうやらサクの話を聞く前から、現場検証で敵は金曜属性というあたりをつけていたようだ。

 これから使用された魔術と、魔物の特定を開始するのだろう。

 それが分かれば、攻撃してきた相手が何で、そして今どこにいるのか判別することができる。


「あ、あと、魔道士隊にも連絡をしておきました。明日の昼ごろには出発するかと、」

「ああ。そうだな」


 ロッグは資料を読みながら、淡白に答えを返す。

 連絡手段が限られている上に時間も深夜では、魔道士隊の到着は大分遅れることは十分に想定していたようだ。


 だからこそ、それまでにできることをする。

 流石に魔術師隊を束ねる魔道士だ。

 アキラは必死に資料を読み進めるロッグに対し、奇しくもエリーとは間逆の評価をしていた。


「リストね……、んなもん読もうって気になるなんて流石に魔術師隊だなぁ、おい」


 しかし。

 必死に調査を進める魔術師隊に、どこかからかうような声が届いた。

 アキラを含み、魔術師隊の全員が睨むような視線をその男に向ける。


 その男―――スライクは、いつの間にか立ち上がり、壁に立てかけてあった大剣を腰に着けていた。


「おいおい、睨むなよ。俺は別にそのやり方を否定しちゃいない。ただ、もっと早いやり方があるんじゃねぇかって言ってるだけだ」

「うるさいぞ。そもそも何だ、お前は呼んでない」


 ロッグはスライクを睨み続ける。

 スライクはおどけるように両手を上げ、そして猫のような鋭い瞳を窓から見える空の闇に向けた。


「別に。ただ俺は安眠を妨害した奴をぶっ殺そうかと思ってたんだが……、飽きちまった。もう帰っていいんだよな?」


 ロッグは即座にドアの方に視線を向け、肯定の意を伝えた。

 だが、それに反応したのはアキラだ。

 スライクは、伊達や酔狂ではなく、本気で離脱すると言っている。


 先ほどの話だと、魔道士隊が出発するのは明日の昼。

 それを考えると、到着するのは明後日以降になる可能性が高い。

 街にもまだまだ旅の魔術師たちはいるだろうが、時間も深夜。依頼という形で助力を求めたとしても、動き出すのは明日の昼以降。

 一刻も早く解決しなければならないというのに、それでは遅すぎる。


 今この部屋にいるメンバーが、“異常”に対抗できる街の総戦力と言っていいのだ。


 ただでさえ少ないそれが、1人欠けてしまう。

 アキラは正直、スライクにはあまりいい印象を持ってはいない。

 だが、恐らくは“最も戦力を保有している人物”が欠けてしまうのはかなりの痛手だ。


 それに。

 その上。


 この事件は、恐らく自分とこの男が―――


「お、おい、スライク、」

「るせぇぞ、マルド。それに、情報集めたいならこのガキにでも聞いた方がいい」

「!?」


 途端指を差されてびくりと震えたのはキュールだ。

 スライクは歩きながらキュールに鋭い視線を向けると、どこか面白そうに言葉を続けた。


「さっきから何か言いたそうにしてんじゃねぇか。何せ、“正体不明の魔術攻撃”とやらを受けた張本人だ」


 スライクは最後にそう言い残すと、そのままあっさりと部屋を出て行ってしまう。

 ドアが閉まり切るまで、止めようとしたマルドさえ動かなかった。


―――***―――


「星が……綺麗ですねぇ……、」


 暗い室内の中、たった1人で呟いても虚しさが積もるだけ。

 そんな虚脱感に襲われる中、ティアことアルティア=ウィン=クーデフォンは窓際に肘を駆けて空を見上げていた。


 誰も、帰って来ない。


 風邪をひいているからとアキラに留守番をさせられたあと、ティアは諸君にも全力で身体を休めていた。

 余計なことは一切せず、ただひたすらに眠り続けるという方法で。

 それが功を奏したのか、そもそもそこまでの重体では無かったことも手伝い、ティアの体調はほぼ完全に戻っていた。

 しかし、昼に眠り続けていたという弊害も発生し、時間も深夜だというのにまるで眠くならない。

 そうなってくると、ティアはどうしても何かをしたくなってくるのだが、昼にかった漫画はとっくに読み終わり、話し相手はどこにもいない。


 ただ暗い室内で、ぼんやりと空を見上げることしかできなかった。


 窓の枠の上で組んだ腕に頬を乗せ、だらしなく身体を預けるティアは、口を尖らせながら3人が戻って来ない理由を考える。


 何かが起こった、というのは間違いない。

 アキラが出かける前、ティアも確かに巨大な爆撃音を聞いた。

 それが事故なのか事件なのかは知らないが、アキラはその場に向かったのだ。

 恐らく彼と、そして戻って来ないエリーやサクもその事態に巻き込まれたのだろう。


 それなのに、そのパーティの一員たる自分はこの宿屋に置き去り状態。

 それでは、何のために旅に出たというのだろうか。


 確かに、体調管理もできない自分に不満を漏らす資格はないだろう。

 それに、アキラの遠距離攻撃の授業も滞っている。

 そんな自分では、置き去りにされてもやむを得ない。

 だけど、そんな自分でも、誰かを助けたいと思って旅に出たのだ。


 それなのに、今、自分は、


「……、」


 ティアはそっと窓から離れ、寝巻を脱ぎ出した。

 そして手早く外出着を身に纏い、紙にペンを走らせる。


 これなら、入れ違いになっても、自分が外出したことは察してくれるだろう。


―――***―――


「待てよ」


 アキラは、会議用の施設の前で、ゆったりと歩き去っていく長身の男を呼び止めた。

 夜の静かな街路は、所々民家から漏れる淡い光が照らしているだけ。


 その道の中央で、長身の男はピタリと止まった。


「……んあ? はっ、マルドあたりが来るかと思ったが……、お前か」


 振り返った男は本当に迷惑そうな表情を浮かべ、振り返る。


 スライク=キース=ガイロード。

 “異常事態”が発生しているにも関わらず、あっさりとその場を去ろうとしているその男は、猫のように光る眼でアキラを睨むように捉えてきた。


「俺に何か用でもあるのか?」


 スライクの言葉に、アキラも視線が強くなる。

 スライクの声は、こんな異常事態を前に、“本当に自分が関係ない”と考えているような色を帯びていた。


「……あんた、“日輪属性”だろ?」


 単刀直入に、アキラは切り出した。

 自分が、“今持ってはいない情報”。

 しかし、今曝しても、何の問題もないように思われた。

 エリーとサクには追って来ないように言ってあるし、この男に知られたところで“自分の世界”は崩壊しない。


「ほう、よく分かったじゃねぇか。日輪属性には“お互い”相手の属性が分かるつースキルでもあるみてぇだなぁ、おい」


 スライクは、やはりとっくにアキラの属性に思い至っていたようだ。先ほどマルドとの会話の中でも、それを前提にしたようなことを口走っている。

 少なくとも今のアキラには同属性でも相手の日輪を感じ取れる力はないようだが、スライクはそれを有しているようだ。


「なら分かるだろ? この事件って、俺らのどちらか……、いや、両方かもしれないけど、“引き寄せたかもしれない事件”だって」

「……断言してやろうか?」

「?」


 アキラの言葉に、スライクはどこか挑発的な笑みを浮かべた。


「この事件は、“間違いなく俺らが引き寄せた事件”だ」


 スライクは、まさしく断言し、そして言葉を続けた。


「俺らが来なくても、いつかは起こったかもしれない事件だが……、少なくとも、今日あの“刻”に起こったのは、間違いなく俺らがここにいるからだ」


 そんな“異常”を、スライクはあたかも当然のように語る。

 アキラはいつしか奥歯を強く噛んでいた。

 確信に近いとはいえ、“あくまで可能性”だったその事実を、完全に肯定する者が目の前にいる。


 本当に自分たちは“そういう星の下”に生まれている、とスライクは断言した。


 そして。

 その上で。


 スライク=キース=ガイロードはこの場から去ろうとしている。


「じゃあ、解決するのが筋ってもんだろ?」


 それが、少なくともすべきことだとアキラは思う。

 事件が起こるからと街に近づかずに旅を続けることなどできはしない。

 結局必ず事件は起こってしまうのだ。

 だから少なくとも、事件を解決しなくては、厄災を振り撒き続けるだけになってしまう。


「アホかお前」


 アキラが導き出した答えに、スライクが返したのはさも当たり前のような否定の言葉。

 今すぐにでもこの場を去りそうなスライクは、呆れたように口を開いた。


「お前は、“勇者”を名乗ってんのか?」

「…………ああ」

「だが、俺は名乗ってない。俺はただの“旅の魔術師”。そんな奴に、依頼でもない事件を解決する義務があるわけねぇだろ」


 つまり、スライクが言いたいのはこういうことだろうか。

 自分が事件という“刻”を引き寄せたのは認める。しかしそれを解決するかどうかはまた別問題だ、と。


「……ちょっと待てよ。勇者とかはともかく、お前は自覚してんだろ? この事件を呼び込んだのは、」

「でかい勘違いだな。“俺が街を破壊した覚えはねぇ”」

「っ、」


 アキラは言葉に詰まった。

 確かにそうなのだ。

 この事件を起こしたのは、アキラでもなくスライクでもなく、“魔物”。


 アキラやスライクは、“事件の構成要素”というわけでもない。

 ただ単純に、気づかないまま事件の起爆スイッチを押しただけなのだ。


「……でも、普通ここまで巻き込まれたら解決するだろ?」

「“普通”?」


 言葉に詰まったアキラが出した言葉に、スライクの金の眼がさらに鋭くなった。


「いいこと教えてやろうか? “俺の世界に普通はない”」

「―――、」


 その言葉で、アキラの記憶の封にひびが入った。

 “一週目”。

 自分はこの男の言葉をここで聞き、そして完全に自分とは別の位置にいる人間だと感じたのだ。


「俺の立ち寄った街が滅ぼされようが、寝ている横で爆発が起きようが、んなこと知ったこっちゃねぇ。直接的に襲ってくるような奴がいたらぶっ殺すが、興味がなければガン無視だ。例えば目の前で魔物が誰かを襲ってても、気が乗らなきゃ通り過ぎるぜ? それが“俺がそこにいるっつー理由で起こったことでもな”」


 何だ、それは。

 アキラは思い起こされた記憶も含めて、スライクの考え方が理解できなかった。


 自分とは“間逆”の存在。


 仮に、自分がスライクのような人間だったとしよう。


 あの魔族―――サーシャ=クロラインとの戦闘があったウッドスクライナで、村人たちの異常を察知しながらも、あっさりとその場を後にしていた。


 アイルークのヘヴンズゲートでも、大群の魔物が押し寄せくる中、自分にかかる火の粉だけを払い、あっさりとその場を後にしていた。


 周囲にまるで影響されない、ある種“究極の能動性”。

 世界がどれだけ回っても、彼の世界はまるで揺るがない。


 いつの間にか事件に巻き込まれ、それを解決してきた受動的なアキラとは正反対の存在だ。

 そんな人間がいたとすれば、その人物の周囲で“物語”は発生し得ない。

 ただ、“主人公によって解決されない事件が発生し続けるだけだ”。


「お前、」

「っかぁ、理解されないねぇ、俺の世界は」


 アキラが言葉を紡ぐ前に、スライクは先を読んで言葉を吐き出した。


「てめぇが今キレかかってんのも、“普通”に考えたら、だろ? 自分で事件を呼び込んだなら、それを解決すんのが“普通”だって。だがよ、そんなもん俺にとっちゃどうでもいい」


 スライクはアキラに背を向け、ゆっくりと歩き出す。


「“俺の世界に普通はない”」


 背を向けその言葉を繰り返したスライクを、アキラは呼び止められなかった。


「事件を解決するのは“勇者様”つーのが“普通”だろうが、別にそこらの魔術師隊でも民間人でも、……さもなくば小さなガキでも、俺は許容できる」


 そこで、アキラは背後に妙な気配を感じた。

 開きっぱなしの施設の扉が、僅かに動いたような気がしたのだ。


「太陽が1日1回昇んなきゃなんねぇっつー律儀な決まりもねぇんだよ」


 その長身が完全に夜の闇に消えるまで、アキラは口を開けなかった。


―――***―――


「……何だと思う? あいつ、あのスライクって人追っていったけど……」

「……さあな。だがあいつもあいつなりに思うところがあるのだろう。多分、」

「……“隠し事”、か」

「ああ、久々だけどな」


 エリーは目の前の資料に目を落としながら、隣のサクと小声で言葉を交わす。

 スライクが残した挑発染みた言葉のあと、さらにピリピリし出した会議室の空気に耐えられなくなり、エリーたちは魔術師たちの手伝いを申し出た。

 話を聞き終わった以上帰るように魔術師たちに促されたのだが、流石にこの事件発生中に眠る気にもなれない。

 少しでも事件の原因を探索しようと魔物のリストを読み始めたのだが、今から思うと失敗だった。


 何せ、数が多い。


「はあ……、金曜属性だけでもこんなにいるの?」


 エリーが魔物のリストへ小声で漏らした言葉に、顔をしかめるロッグ以外の全員が心の中で同意した。


「ねえサクさん、金曜属性でしょ? あたりとかつけられないの?」

「……非常に申し訳ないが、無理だ。私はあくまで“旅の魔術師”。そこまで勉強しているわけじゃない。エリーさんこそ、魔術師試験で学んだはずだろう?」

「ごめん、無理。魔術師試験って、自分の属性とその強弱の関係にある属性以外には、メジャーな魔物にしか触れないのよ。それに、自分に関係ある属性の魔物もそこまで深くやるわけじゃないしね」


 エリーは火曜属性だ。

 火曜属性は木曜属性に強く、水曜属性に弱い。

 エリーはその3属性に対してはある程度詳しいが、他の属性の、しかも確認されている全ての魔物を調べるとなっては流石に魔術師試験を突破しただけでは無理がある。


 実際、魔術師隊の面々も魔術師試験を突破しているはずだが、基礎から学び直すように進捗が滞っていた。

 部屋の奥で資料を読み進めているロッグは流石に“全属性の魔物”が試験範囲に含まれる“魔道士試験”を突破しているだけはあり、読むスピードが早いが、細部に至るまで記憶を保っていたわけではないらしく、同じく成果を上げていないようだ。


 こうしている間にも、“知恵持ち”は2発目を放とうとしているかもしれない。

 だが人数も少なくては、情報収集に努めることしかできないのが現状だった。


 正直、ここにいる誰もが、資料を黙々と読み続ける今がもどかしいと思っている。

 パックラーラの“街の魔術師”たちは現在2発目に備えて街を巡回しているらしいが、そちらの役の方が室内より幾分マシだろう。


「ん……、はあ、」


 エリーは資料から一旦目を離し、眼精疲労を抑えるように目頭をつまむ。


 金曜属性は、硬度を司る魔術だ。

 それゆえに、メジャーな魔術は身を守るものになる。

 ただ、攻撃方法もないわけではない。


 今回のように、対象を“押し潰す魔術”だ。


 エリーは個人的に、タイラクプスという金曜属性の上位魔術が怪しいとあたりをつけて、その魔術を使用する魔物を調べているのだが―――そこからの枝分かれが酷い。


 有効範囲や、遠距離・中距離・近距離の区分けに押し潰す角度。

 それによって、その魔術を使用する魔物がまるで変わってきてしまうのだ。


 例えば、エリーは『ノヴァ』という火曜属性の攻撃魔術―――アキラの言うところの、“殴り殺す魔術”を使用することができる。インパクトの瞬間に魔力が爆ぜ、相手に大ダメージを与える技だ。

 仮にサクが火曜属性で同じ魔術を使用すると、やはりインパクトの瞬間に魔力が爆ぜ、同じ結果を生み出すだろう。


 しかし、その痕跡はまるで違うものになる。


 打突の場所だけ魔術が爆ぜているのか、それともその周辺まで拡散して被害を与えるのか、はたまた“どの入射角で攻撃すれば最も威力が出るのか”。


 魔術師試験を突破するには自分の魔術の特徴を理解し、そして身に着ける必要がある。

 ただ1つの魔術を取り上げただけで、使用者の“個性”が現れるのだ。

 魔術師試験には“実技”というものも含まれるが、エリーには未だに試験官がどう判断しているのか分からなかったりもする。


 ともかく、その、“個性”。

 それは魔物にもあり、種類によって“個性”がおおよそ決まっているため、“攻撃”の痕跡からその判別が可能なのだが―――分かっている情報が少なすぎる。


 ロッグの背後のホワイトボードに書かれている特徴は、2つ。

 現場検証で分かった地面に対してほぼ水平に押し潰す力であるということと、誰も爆撃音まで気づかなかったことからある程度の隠密性があること。


 魔力の優劣は敵が“例外”ということもあり度外視されているが、それでもなお、膨大な資料の中から探すとなってはあまりに指針が足りな過ぎる。


 仮に、2発目の襲撃と、夜明けの来訪と、魔物判別の3つがレースをするなら―――あまり乗りたくないゲームだが、エリーはそのままの順でゴールテープを切ることにチップを賭けるだろう。


 エリーは眼前で開きっぱなしの魔物リストに、疲れ切った眼を向ける。

 自分の身しか守れない魔物、79度の角度で敵を押し潰す魔物、45度の角度―――これは綺麗な数字だ―――で敵を押し潰す魔物と、流し読みし、そろそろ再開しようとエリーが姿勢を戻したところで、


「こりゃマジでスライクの言った通りになりそうだ」


 ロッグに劣らぬ速度で資料を読み進めていた隣のマルドが一言呟いた。

 マルドは先ほどまでのエリーのように椅子の背もたれに身体を預け、額を押さえながら天井を仰いだ。


「スライクって、その、さっきの人ですか?」

「ああ、言ってただろ? 手っ取り早い方法があるって」


 エリーは確かに、あの長身の男がそう呟いていたのを覚えている。

 仕事柄文句も言わずに資料を読み進めている魔術師隊のメンバーたち―――特にロッグに視線を合わせないようにしながら、エリーは声のトーンを落として聞く。


「手っ取り早いって……?」

「そりゃ、ここで調べるより攻撃主がいそうな場所を探しに行くってことだろうね。実際に見てきた方が早い。スライクが考えそうなことだし」


 身体を椅子に預けながらもマルドは資料を読んでいるのか、適当に伸ばした指で机の資料をめくっていく。


「攻撃範囲に入射角。もしかしたら“詠唱”かもしれないし……、とてもじゃないけど一晩で調べきれる量じゃない。正直俺も甘く見てたとこあった」

「“詠唱”……?」


 その言葉に、エリーは僅かに疲労を忘れられた。

 “詠唱”。それについて、あまり魔術師試験では触れられなかった気がする。

 ただエリーの中にある認識は、攻撃時に詠唱を附せば魔力の通りが良くなる、という程度のものだ。


「知らない、か。まあ、そうだよね。…………そうだな、エリサスさん、“名前”ってなんのためにあるか知ってる?」

「へ……?」


 どうやら自分の脳は疲労を忘れていなかったらしい。

 マルドの気分転換にも似た台詞に、エリーは眉を潜めた。


「何でって、」

「……ん、と、じゃあ例えば、スライクいるじゃん?」


 エリーはおずおずと頷く。

 正直なところ、あまり好感が持てていなかったあの長身の男だ。


「例えばエリサスさんがスライクを探すとして……、“名前知らなかったらどうやって特定する”? 背が高い奴? 白髪の奴? それともでかい剣を腰から提げた奴?」

「え、えっと、」

「ああ、遠慮しなくていいよ。どうせ例えだし、正直あいつのこと気に入る奴ほとんどいないし」


 酷い言われようだ、とエリーは思うが、あえて口は挟まなかった。

 ただとりあえず、エリーの中では、今うちの“勇者様”が追っていった男、だ。


「まあ、とりあえず面倒でしょ? 街中で『おい白髪』とか、『そこの大男』とか言ったら、何人振り返るか分かったもんじゃない」


 一瞬マルドは、奥に座るロッグに視線を走らせた。一応ロッグも、頭髪に白が混ざっているし、座高を見るに平均よりは背が高い。


「でも、『スライク』って呼べば―――同じ名前の奴はともかく、そいつを“特定”できる。まあ、あいつは呼んでも振り返るような奴じゃないけど」

「それって、」

「そ、“便利”なんだよ、“名前”って。魔術もそれと一緒」


 エリーと話している間もマルドは資料を読んでいるのか、ひらりと1枚ページをめくった。


「魔力の流し方、その量。それに術式の組み上げ方。そんな無限にも近いようなパターン、一々戦闘中にやってられない。だから、“詠唱”するんだ。それを言えば、自然と身体も反応する。“最も効率のいい組み合わせを特定できる”からね。“詠唱”をしないと、それが適当な魔力の浪費になる」


 言われてみれば、そうかもしれなかった。

 エリーがとっさに攻撃すると―――すなわち、“詠唱”が間に合わない状態で攻撃すると、確かに“似た”現象は起こるが、威力は最大級のものにはならない。


「それでも、身体が覚えているはずの“詠唱”に脳がついてこないことがほとんどだがな」


 そこで、部屋の奥から声が聞こえた。

 一瞬、無駄話をしていた自分たちをたしなめるつもりかとエリーは身体を震わせたが、ロッグは疲労が浮かんだ顔を浮かべている。

 どうやら、彼も魔道士とはいえ、気分転換は必要だと感じたようだ。


「魔道士試験、って、確かそれも実技にありましたよね?」


 そんなロッグに、マルドはにこやかに応答した。

 しかし、ほぼ同時に2人とも資料をめくった。会話しながらでも、やはり2人は資料を読めるらしい。


「ああ。懐かしい話だが、その“詠唱時間”がどれだけ短いかも問われる。“とっさにどこまで真に迫れるか”―――すなわち、“詠唱”をどこまで確立しているかというのも採点ポイントだ」


 エリーは魔術師隊の者が手を止めたのを見逃さなかった。

 この場で唯一の魔道士試験の経験者だ。その道を志す者として、彼の言葉はこの非常時でも値千金のものらしい。


「“詠唱”は非常に厄介だ。何せ、自分が覚えるだけなら“詠唱など何だっていい”。まあ、あまりに単純な“詠唱”という“スイッチ”を作ってしまうのも問題だが」


 例えば、『あ』などという独自の“詠唱”を作ったとしよう。

 そんな文字を“スイッチ”にしたら、『あ』の含まれる言葉を言ったり、または思い浮かべたりするだけで身体が反応してしまい、魔術の発動を押さえ付けることになる。

 そうなれば、身体の方も『あ』という文字では切り替えてはくれなくなってしまう。

 短いからと言っても、名前の持つ本来の意味―――すなわち“便利”には直結しない。

 ロッグが言っているのはそういうことだろう。


「時には単語で。時には文章で。自分に合う詠唱は様々だ。遥か昔には唄いながら敵を討った魔術師もいたくらいだしな」

「“初代の勇者様御一行”、でしたっけ?」

「これもか。よく知ってるな、マルド=サダル=ソーグ」


 エリーはロッグの言葉に、感心した。

 この男は、夕方に会っただけのマルドのフルネームを記憶している。


「ただそれでも、“自分だけの呼び名”は後世に伝えるとなっては不便だ。ほとんど同じ事象を、別の言葉で説明されても後継者は混乱するだけ。だからある程度呼び名を一本化したんだ。魔術をさらに解明し、最も効率のいい呼び名にな。世界の言語が統一されているように」


 確かに、世界で使われる言葉は共通だ。

 エリーは魔術師試験で、“しきたり”――すなわち、“神族の教え”について学んでいる。

 その中に、神が言語を統一化した、というものがあったはずだ。

 他の国に行って言葉が通じないというニュアンスは、エリーにとって理解し難かったが、よくよく考えるとこの広い世界で、別の言語が発達していないというのも妙と言えば妙なのだろう。


「ただでさえ“魔法”を必死に解明してできる“魔術”。いくつも呼び方があったら、まともな形で魔術を学ぶこともできないだろう。魔術師試験で問われる魔術は一本化が進んだ有名なものばかり。魔術は人によって、それこそ“個性”が出るほど無数にある―――とまあ、これも魔道士試験の科目の1つだがな。“魔術の本質”」


 重舌に語り始めたロッグは、僅かに指導をするような視線を魔術師たちに向けた。

 手を止めている者にも注意をしない。

 一応彼は、ここまで資料を黙々と読み進めている魔術師たちを労わる心を持っているようだ。

 マルドもその授業に余計な口を開かない。

 エリーはロッグに対する評価を僅かに変えた。

 第一印象はあまり良くなかったが、彼は確かに、“魔道士”なのだ。


「だがやはり、“例外”というものもある」


 ロッグが読み終わったページをめくる。

 エリーには、それがまるで教科書のようにも見えた。


「“詠唱”の一本化が進んでも、独自の魔術を編み出す者もいる。“初代の勇者様御一行”が使ったものの中には、誰も解析できずに“唄のまま引き継がれた魔法”さえ存在しているほどにな」


 ロッグは僅かに小声になり、そしてマルドを盗み見、エリーの方を向いてきた。


「先ほど、そこのマルド=サダル=ソーグが“詠唱”だったら難しいと言っていただろう?」


 そういえば、この話の発端はマルドが“詠唱”という言葉を発したからだ。

 いつしか授業を受けていたような気になっていたエリーは我に返り、マルドを横目で見る。

 マルドは黙ってロッグの言葉を待っていた。


「マルド=サダル=ソーグが言ったのは、“オリジナルの魔術”だったら難しい、という意味だ。時に“詠唱”とは、そういう意味でも使われる」

「えっと、つまり……?」

「今回の攻撃が、“術者が独自で生み出した魔術”だとしたら、こんな資料には載っているわけがない、というわけだ」


 その言葉で、エリーは1つ、心にあった疑問が解けた気がした。

 かつて見た、“とある魔術”。


 あの赫い部屋。

“魔族”―――リイザス=ガーディランが使用したと思われる、“赫の球体”の魔術。

 あのときは到着したばかりで状況を完璧に把握はできなかったが、火曜属性の自分が、おそらく火曜属性だと思われるあの魔術に何の見当も付けられなかった。


 あとでアキラに聞いたところ、あの触れれば爆ぜる攻撃は、“アラレクシュット”という魔術らしい。

 それでも分からなかったエリーは、相手が“魔族”だということもあり、魔界にしかない魔術なのだと自分の中で決着を付けた。


 だが、今から思えば、あれはリイザス=ガーディランのオリジナルの“詠唱”だったのかもしれない。


「ちょっと待ってくれ」


 そこで、今まで黙って話を聞いていたサクが声を上げた。


「では、もし今回の攻撃が“オリジナル”だったとしたら、私たちがやっていることは意味がないかもしれないということか?」


 サクは、もっともな意見を口にした。

 言葉を選んだつもりらしいが、疲労で僅かに口調が強い。

 彼女はどちらかと言えば、外に出て探した方が早いと思っているようだ。


 その上、今回の相手は“知恵持ち”。

 “例外”という言葉が、まさにピタリとはまる“異常”なのだから。


「ああ、そうかもしれない」


 そんなサクに、ロッグはあっさりと肯定を返した。


「それじゃあ、」

「だが、“かもしれない”、だ」


 ロッグはサクの言葉を遮って、僅かに強い口調で言葉を紡ぐ。

 そして、身体を背もたれから離し、手元の資料に近づいた。


「いや、そもそも“オリジナル”であっても、似た魔術の中にヒントがあるかもしれない。先ほどの男が言っていたように、手っ取り早い方法ではないだろうが、それでも、だ」


 だから、魔術リストも持ってこさせたのか、とエリーは察した。

 よくよく見れば、最初に使用された魔術の“あたり”を全員に着けさせたのち、魔術リストはロッグの机にある。


 全員が魔物だけを調べている中、ロッグは守備系統の魔術も含め全て調べ続けているのだろう。


「どちらのやり方が正しいとは言わん。だが、私には正体不明の攻撃が来るかもしれないというのに、少ない戦力に方々駆けずり回らせる気にはなれない。君たちも参加した以上、私の指示に従ってもらう」


 答えに近づくアプローチは、人それぞれだ。

 ロッグは資料から答えを導き出す派なのだろう。そしてそのやり方で、“魔道士”まで昇り詰めたのだ。


 ロッグへの評価が大きく変わったエリーの眠気は、大分晴れてきた。

 他の魔術師たちも、崩していた姿勢を僅かに正す。


 時間は浪費したが、大切な話も聞けたし、何よりやる気が漲ってきた。


 やはり、ロッグは、“魔道士”なのだ。


「さて諸君。話は終わりだ。再開しよう」


 膨大な資料も、今は攻略しようという気になれる。

 絶対に特定してやろう。


 エリーは意気込んでロッグに返事を返そうとし、


「な、なあ、」

「はひゃあうっ!!!?」


 背後からの声に、奇声を上げる羽目になった。


「ちょっ、ちょちょちょちょちょちょっ、ちょっとあんたっ!! 何よ!? あたし思わず立ち上がっちゃったじゃない!!」

「い、いや、」


 折角全員が気合いを入れ直したというのに何というタイミングで戻ってくるのか。

 戻ったモチベーションを怒りというベクトルに全て変換し、エリーは背後の男―――アキラを睨みつけた。

 しかしアキラは、エリーに視線を受け流すように、きょろきょろと部屋中を見渡している。


「……アキラ。もう済んだのか?」

「あ、ああ、済んだちゃあ済んだけど、えっと、」


 サクが話しかけても、アキラは視線を泳がすのを止めない。

 そういえば、アキラはあのスライクという男を追いかけていったはずだ。

 共に戻って来ない辺り、あの長身の男は言葉通りに離脱したのだろう。マルドは予想できていたのか、口を開こうとはしなかった。


「そ、そうだ、あんた、今の話聞いてた? ロッグさんが大事な、」

「いや、それはそれでいいんだけど、それより、」


 無為に視線を泳がすのを止め、アキラは今度こそエリーを正面から捉えた。


「お前ら、キュールがどこ行ったか知らないか?」


 そこでようやく。

 エリーはこの会議室から小さな女の子が消えていることに気づいた。


―――***―――


 “その存在”にしてみれば、“小石を蹴っただけのようなものだった”。


 この世総てが憎くなり、たまたま目に止まった道の脇の小石を八つ当たりで蹴飛ばしただけ。


 ただ、それだけのことだったというのに。


「ぐ……、がほっ、」


 ごぼり、と。

 “その存在”は倒れ込んだまま、鉛色の液体を吐き出した。

 粘着性のあるその奇妙な物質は、星明かりに照らされ毒々しい光沢を放っている。

 身体中には亀裂が走り、その傷からも膿のように液体が溢れ出す。

 頭から被った黒いローブはぐっしょりと濡れ、裾からドロドロと“毒”を零していた。


 ここは、パックラーラ西の大草原。

 満天の星が世界を照らし、茂る草木は夜風に揺れ、遠くから海の匂いも僅かに届く。


 広大なその空間のただ中で、“その存在”は倒れ込んでいた。


 何だ、これは。


 虚ろな瞳で、身体中から吹き出す不気味な液体を捉え、そして未だ形を保っているパックラーラを捉え、“その存在”は愕然とした。


 本来ならば、あの街は地図から消え失せている。

 本来ならば、大規模魔術程度幾千も放つことができる。

 本来ならば、“小石”を蹴り砕くことなど造作もないのだ。


 それなのに、今目に映っているのは、一体何なのか。


 小さな魔術なら放つことはできた。

 2人の人間を破壊したとき、僅かに身体に鈍い痛みが走ったが、それでも術式を組み上げることはできたのだ。


 しかし、大魔術を放った瞬間、身体中に激痛が走り、意識を刈り取られそうになってしまった。


 こんなものは“自分”ではない。

 “その存在”は、まるで卵を叩いたかのようにヒビの入った身体を震わせながら結論付けた。


 自分はもっと巨大で、強大で、圧倒的な存在であったはずだ。

 誰かの指図も受けず、誰からの干渉も受けず、欲望の赴くままに動くような―――そんな絶対的な存在だったはずだ。


 決して、決して八つ当たりすら満足にできないほど矮小な存在ではなかった。


 “この身体はどれだけ変わってしまったというのだろう”。


「……っ、」


 自身の身体から今なお滲み出るそれを、忌々しく睨みつける。

 自分を襲っている“異常”は、この“毒”のせいだ。


 こんなもの、当然望んで体内に入れたわけではない。

 これは、無理矢理“投与”されたものだ。


「ぐ、ぐう……、ぐ、」


 “その存在”は、憎悪一色に染められた瞳のまま、過去を反芻する。


 ある日、“とある魔族”に出遭ってしまったのが絶望の始まりだった。


 いつの間にか捉えられ、いつの間にか拘束され。

 気づけば自分は―――絶対的であったはずの自分は、“実験動物”にされていた。


 “その魔族”が実験と称して行ってきたのは、“自分”というものの破壊。


 尊厳を踏みにじられ、砕かれ、すり潰され。

 徹底的に生殺与奪が握られた状態のそれは、まさしく拷問。


 その魔族の噂は聞いていたが、まさかあそこまで“いかれている”とは思ってもみなかった。

 なにせ、“同種の自分”に手をかけてきたのだから。


 そして。

 その魔族が“自分以上に自分に詳しくなった頃”、とある薬物を“投与”された。


『これは、“進化”だ』


 そのときかけられた言葉は覚えている。

 全身が震え、視界総てが恐怖に染まり、今まで何とか守っていたプライドも放り捨て、ひたすらに命乞いをした。


 だが結局祈りは届かず、気づけば自分は“この有様”だ。


 欲望の赴くままに行動してきた自分が、“その魔族”の欲望に赴くまま、総てを塗り替えられた。


 本当に、“自分は壊されてしまったのだ”。


「ぐ……、潰す……、潰す……、絶対に、絶対にだ……、“いつか”……、絶対に……、」


 “いつか”。

 それは、理解している故の言葉だった。


 “その魔族”を潰せるのは、今ではない。

 これほど矮小な存在にされてしまった自分では、決して届かない。


 だから、消耗し切った身体で海に飛び込んでまで、命からがら逃げ出してきたのだ。


「……、」


 激痛に身悶えながら、“その存在”は、ギリ、と喰いしばった。


 恐怖は未だ、胸にある。

 だが今は、それ以上の憎悪が湧き上がっていた。


 いつか必ず、“自分”を壊した相手を潰す。


 憎く、憎く、憎い敵。


 鉛色の液体を噛み絞め、“その存在”は、北を睨んだ。

 それは、自分の総てをかけてまで潰したい相手のいる、“中央の大陸”の方向。


「必ず潰す……、“ガバイド”……!!」


 それにはまず、こんな街程度は破壊できなければならない。


―――***―――


「あっららら? こんな時間に何してるんですかっ?」


 声をかけられただけで心臓が止まりそうになる経験などそうはないだろう。


 時間も深夜。無人の大通りを歩いていたキュール=マグウェルは、小さな身体を震わせ、その貴重な経験をした。

 両手を胸に当ててギクリと振り返った先、裏道から、まるで旧知の友人にでも会ったかのようににこやかな表情を浮かべる女性が歩み寄ってくる。


「おっととと、驚かせてすみません……。こんな時間にお散歩ですか?」


 青みがかった短髪に、キュールより僅かに背が高い程度のその女性は、表情を崩さない。

 そのあまりに自然体な雰囲気に、キュールはこの女性が、火事のことも街を襲う“異常”のことも知らない住民なのだと推測した。

 火事のことはともかく、この街を今なお何かが襲っている可能性があることは知らせるべき対象ではないだろう。わざわざ不安を与えるような真似をするべきではない。


 しかし、キュールは首を振った。

 嘘を吐くつもりはない。

 自分が誰にも告げずあの会議室から抜け出したのには、確固とした理由があるのだから。


「そだそだ。あっしはアルティア=ウィン=クーデフォン。みんなからは、…………ティアにゃん、って呼ばれてます」


 僅かに視線を外し、ついにキュールの目前まで歩み寄ってきたアルティアというらしい女性は、首を僅かに傾げてキュールの瞳を見つめる。

 それが名前を聞いてきている仕草だと気づいて、キュールはか細い声で名前を答えた。

 警戒心は薄れてきたが、恐らく自分と性格が正反対であろうこの相手にも、そしてその愛称で彼女を呼ぶその“みんな”とやらにもあまり関わりたくないというのが本音だ。


「さてさて、一体何してるんですか? お散歩じゃないとすると……、もしかして、迷子ですか?」


 キュールは一歩だけ、後ずさった。

 この人は自分とそう変わらない年齢のようだが、“大人”であるのかもしれない。

 だから、この時間に出歩いている自分を保護しようと声をかけてきたのだろう。


 返答によっては連れていかれる可能性がある。

 そうなれば、“目的地”に行くことができなくなってしまう。

 再び警戒心を呼び起こし、キュールがさらに一歩後ずさったところで、


「……実はですね、あっし、迷子なんです」


 その女性は、そんなことを言い出した。


「いやいや、宿を出て3回くらい角を曲がったことは覚えてるんですが、いかんせん大きな街でして……、もし迷子じゃないなら、お助けいただけると幸いなのですが……、いや、助けて下さい、キュルルン」

「……、」


 キュールは、旅に出てから初めて出逢った種類の人間を前に、唖然とした。

 奇妙な呼称をされたことは気になるが、この時間に出歩く自分という“子供”を見て、不審に思うわけでもなく頼ってきている。


 キュールが戸惑いながら口ごもっていると、その女性は、途端何かに気づいたようにはっとし、言葉を続けた。


「あ、お助けいただいたら恩義は返しますよぉっ、あっしは。キュルルンのご用事、お手伝いします」


 そこで、ようやくキュールは、彼女の何が今までの人間と違うのかに気づいた。

 彼女は、“前提”が違う。


 最初はこんな時間に子供が歩いているから声をかけたのかもしれない。

 しかし、そのあと、彼女は自分を叱るでもなく、導こうとするでもなく、“2人にとって最善の解決策”を探そうとしている。


 彼女にとって、時間がいつだろうが相手が誰だろうが、関係ない。

 相手の種類によっての対応というものが、“前提”から欠落しているのだ。


 だから、何となく、喋り続ける彼女への評価を口に出してみた。


「……“子供”?」

「…………1つお教えしましょう。キュルルンがどういう意図で言ったのか分かりませんが、実は今あっしはその言葉に結構敏感です。ぐさっと心に刺さります。あっしはあれですよ、大人ですよ」


 何を思い出しているのか遠い目をしたその女性は、どこか虚しそうな表情を浮かべた。

 キュールは“大人”という言葉を聞いても、さらなる親近感が湧き、僅かに微笑んだ。


「ま、まあまあ、ともかく、キュルルンは何をしているんですか? 道案内はともかく、先にお手伝いしますよ?」

「……でもわたし、道とか分からない」

「なっ、なんとっ、……で、でも、乗りかかった船です。“内回り”の船は避けたいと思いますが、キュルルンのご用事手伝いましょうっ」


 悪く言えば強引なその言葉に、キュールは困惑した。

 少なくともキュールの小さな世界には、見返りもないのに自分を救おうと考えるような人間はいなかった。

 彼女の様子を見るに、別の企てがあるようには思えない。


 彼女はどうやら“子供”というだけではなく、本当に自分が出逢ったことのない種類の人間なのかもしれなかった。


 今日は驚くことが多い。

 自分の知っている世界には存在しない人間を、“2人”も見たのだ。


 そして。

 それを感じ、キュールは彼女を“巻き込みたくない”と思った。


「でも、ついてこない方がいいと思う」

「ええっ、何でですかっ? もしかして、プライベート的な、」

「ううん」


 キュールはふるふると首を振った。

 これを話せばいくらこの女性でも自分を止めるかもしれないが、それでもなお、口を開く。


「火事があったの、知ってる?」

「……えっと、もしかして、あの、めちゃくちゃおっきいドッカーンッ、って音ですか?」


 キュールはこくりと頷く。

 やはり、何も事情を知らないらしい。


「最初は、お昼。魔物が街に現れたんだって聞いた。でもそのあと街から離れて、また襲ってきた。“あの音”、攻撃だったの」


 キュールは“知恵持ち”を示唆するような言葉を呟き、そして自分だけが知っている情報を口にする。


「攻撃は、“街の西の方から”」


 それが、キュールの目的地だった。

 あの“攻撃”の瞬間、キュールは自己を守りつつも、使用された魔術を識別しようとしていたのだ。

 自分と同じ属性の魔術であったが、勉強していないからか、はたまた未知の魔術であったのかは定かではないが、判別することはできなかった。

 しかし、1つだけ分かったことがある。


 攻撃してきた方向だ。


 間近で受けた者にしか分からない、魔術の残照。

 その、残り香とでも言うべき気配を、あのとき確かに街の西から感じたのだ。


 先ほどの会議、キュールは何度も口を開こうとした。

 しかし魔術師隊の―――いや、“大人”の気配に押され、声を出すことはできなかったまま。

 それに、あのとき強引にでも情報を口に出したところで、誰もこんな“子供”の意見に耳を傾けようとはしないだろう。


 その上、仮に意見を聞いてもらえて解決したところで、自分の手柄など忘れ去られてしまうかもしれない。

 それでは駄目なのだ。

 この世界で生き抜くためには、自分が解決して、誰かに認めてもらわなければならない。


「じゃ、じゃあなおさらお手伝いしますよっ。というより、みんな呼んできましょう―――ってああっ、私は迷子だった!!」

「いいの。信じてもらえないだろうし」

「で、でも、」


 食い下がるその女性に、キュールはふるふると首をふった。


 街を襲う“異常”。

 あれだけ大規模な攻撃ができる敵。

 攻撃は止んでいるが、まだまだ余力を残しているかもしれない相手。


 普通、それに1人で対応しようとはしないだろう。


 でも、


「“普通はいらない”。わたしは“それ”に、嫌われてるから」


 本当は、いや、本当に、恐い。

 自分を認めてくれるなら、あの会議室にいた全員で向かいたいくらいだ。


 キュール=マグウェルは、自分の力を過剰に信じる人間ではない。

 しかし、誰も子供の意見に耳を傾けない“普通”を前には、自分の望んだ世界は築けないのだ。


 だから、何故か会議所の出口まで跡を追ってしまった“あの長身の男”の言葉のように、やらなければならないことがある。


「“普通”を壊す。わたしを認めてもらうために、わたしは頑張る」


 キュールは言い切って、歩き出した。

 夜の道を、小さな歩幅でてくてくと。


 敵は強い魔物だろう。

 だけど、自分で倒せないかどうかなんて“分からない”。


 街を襲った“異常”を解決すれば、流石の“大人”も自分を認めざるを得ないのだろうから。


「街の西の方って、街の外ですか?」


 街外れが見えてきた頃、背後から声をかけられた。


「……!」


 キュールはゆっくりと振り返った。

 青みがかった短髪の女性は、僅かに表情を険しくして広がる大草原を眺めている。


 ついてきていることは知っていた。

 しかしその第一声は、自分をたしなめるものではなく、単純な現状確認。


 自然に隣に並んだその女性は、キュールの視線に気づき、視線を外して頬をかいている。


「あなたは、」

「ティアにゃんです」

「……あなたは、何で、」

「ティアにゃんです」

「…………ティアにゃんは、何でついてきたの?」


 勝ったと言わんばかりに『おおっ』と拳を天に突き出したその女性は、ゆっくりと手を下げ、小さく微笑んだ。


「私は……、キュルルンと似たようなこと考えているのかもしれません」


 一言呟き、今度はキュールの瞳を正面から覗き込んでくる。


「実はですね、……私はお荷物だったりして、みんなの役に立ててないんですよ。ははは……、」


 自嘲気味なその笑みに、キュールは眉を潜めた。

 出逢ったばかりでも、彼女の子の表情は貴重なものなのだと何となく察せる。


「気候が変わっただけで体調崩すし、先生のはずなのに何も教えられなかったり……、もうさんざんです」

「……、じゃあなんで、」


 誰かの仲間になれたのか。

 そう言おうとして、キュールは口を噤んだ。


 誰かと旅をする以上、そのメンバーは互いに補足し合える存在でなければならないのだとキュールは思う。

 旅の魔術師は、惰性で続くような関係を築けるほど甘いものではないのだとキュールは認識していた。


 彼女が仮にお荷物ならば、彼女は誰かの仲間ではあり得ない。


「強引についてきたんです。ご迷惑はおかけしてますが、それでも、ね」


 キュールの言葉は、途切れてしまっても伝わったようだ。

 しかしその女性は、少しだけ寂しそうな表情を浮かべながら、言葉を紡ぐ。


「今は役に立てないからついていかない、じゃなくて、ついていってから、いつか役に立つ。強引かもしれませんが、そうじゃなかったら“私と関わってよかった”って思ってくれないじゃないですか」


 無理だと思って誰かと別れてしまえば、その誰かと関わったことの意味がなくなってしまう。

 彼女が言いたいのはそういうことかもしれない。


「私はね、人の役に立ちたいんですよ。今は役立たずですが、きっといつか、認めてもらえるって信じてます」


 結局のところ、彼女は“子供”だ。

 キュールはそう思った。

 断られても、駄々をこねるように粘り強く近づいていく。


 相手からすれば迷惑以外の何物でもないだろう。

 しかし彼女は、相手に迷惑をかけることを自覚して、それでもそれが返せると信じている。


 キュール自身、今まで何度も旅の魔術師たちに同行することを断られてきたが、彼女のように強引についていったことはなかった。

 それは、合理的に役に立てないと決めつけられたからだ。

 強引にでもついていけば、いつか何かが変わっていたかもしれないのに。


 そして今。

 彼女はまさしく強引に、自分についてこようとしている。


「さあさ、行きましょう。きっと、キュルルンのお役に立ちますよ」


 キュールはこくりと頷いて歩き出した。

 隣に、自分よりアクティブな“子供”を連れて。


―――***―――


 何度目だろう。

 このパックラーラを全力で駆けずり回ることになったのは。


 ヒダマリ=アキラは民家の壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返しながらおぼろげに思った。


 キュールがあの会議所からいなくなって、早1時間。


 魔術師隊たちは飽きて帰ったのだろうと推測し、エリーたちも“敵”の特定に忙しいと会議所を離れなかった。

 確かにそうだろう。

 普通だったらこの緊急時、ただいなくなっただけの子供を、襲ってきた脅威を特定するための時間を割いてまで探そうとは思えない。

 常識的に考えて、彼らは最善の策をとっているのだ。


 しかし、アキラにとっては予断を許さない状況になっている。


「はあ……、はあ……、くっ、」


 息を整え、アキラは走り出した。ガチャガチャと鳴る背中の剣が鬱陶しい。

 自分の抱える、疑念が確信に変わっていく。


 ひんやりとした空気が満ちる路地裏を駆け抜け、大通りに出れば必死に遠くを見ようと目を細め、アキラはひたすらキュールを探した。


―――これは、“刻”なのだ。


 アキラの脳裏には、1つの確信が浮かび続ける。


 “刻”。


 それは、常識が常識でなくなり、普通が普通でなくなる瞬間。

 総ての事象はまるで物語のように整列し、他の総ての選択肢が削り落され、狭い狭い道の先にある奇妙な瞬間。


 その“刻”が来ている今。

 事件が起こった現場にいた子供が消えた。


 “巻き込まれないわけがない”。


「……、」


 アキラの中の確信は、1つの可能性を浮かび上がらせる。

 街を襲った“異常”が直撃した現場にいて、会議で何かを言いたそうにしていたあの少女。


 もしかしたら、キュールは“敵”の居場所を特定していたのではないか、と。


 そうなればあとは一直線だ。

 誰からも認められず、誰からも拒まれたあの少女は、この事件を解決しようと動くだろう。


「―――、」


―――どうする。


 何度見たか分からない大通りに出て、アキラは思考を進めた。

 この大きな街で、あんな小さな子供を見つけることなど不可能に近い。

 会議所から飛び出したときは、まだ遠くに入っていないだろうとある種楽観していたが、ここまで見つからないとすると根本的に探している方向が違うのだろう。


 現に、先ほど出会った街を巡回中の魔術師に訪ねても、見ていないと返答してきた。

 彼らも彼らで街を襲った“異常”に警戒中。


 探しているのは、自分1人だ。

 圧倒的に人手が足りない。

 こうなれば、多少無理をしてもらうかもしれないがティアに協力を求めにいくべきだろうか。


 “こと”が起これば分かるかもしれないが、それはキュールも、そしてこの街も“終わってしまう”瞬間の可能性があるのだ。


 何せ、“相手は知恵持ちどころの騒ぎではなく”―――


「……!」


 ふと。

 アキラは自分の思考に足を止めた。


 頭を流れた今のノイズは何だ。

 一瞬戸惑い、そのあとアキラの口元は僅かに釣り上がった。


「来た……、来た……、“解けかけてる”……!!」


 アキラは拳を握って身を震わせた。

 この感覚は、“記憶の解放”。


 自分がかつて経験していた、“一週目”。

 その記憶の封が解け始めているのだ。


 こうなればアキラは強い。

 キュールを助けるためだ。記憶にでも何にでも縋って“居場所を特定する”。

 もう犠牲者は絶対に出さない。


 アキラは思考を深く、深く、深く進めた。


「確か……、確か……、俺はあのとき……、」


 アキラは踵を返し、歩き出し、そして駆け出した。


 確か、あのときの自分も街を駆けずり回っていたはずだ。

 そして、方々探して見つからず、確か、確か、自分は。


「“街外れ”だ……!!」


 キュールと最初に出逢った場所―――いや、正確にはキュールの影を見た場所か―――あの果物屋に向かって走ったのだった。


 キュールを探しているうちに何となく、あの場所を思い出して。

 過去の無自覚な自分の行動を振り返り、アキラは苦笑した。


 きっと、記憶を探る時間を自分の感覚に身を委ねる時間に充てていても同じことをしていただろう。

 もう無理に使おうとは思わないこの記憶は、やはりあまり役に立たないのかもしれない。


 アキラは再度苦笑し、さらに速度を上げた。


 目指すは街の西―――あの広大な大草原だ。


「……、」


 アキラは迷わず一直線にその場に向かう。


 キュールを見つけ出すために。

 そして、“自分が呼び込んでしまった”この事件を解決するために。


 ただ。

 “敵の正体”を思い浮かべたときに覚えた悪寒は、零れないよう強く強く胸に封じた。


―――***―――


「……!」


 ティアことアルティア=ウィン=クーデフォンは、“思わず防御姿勢を取った”。


 高く高く散りばめられた星の下、広大なパックラーラ西の大草原。

 そこで視界に収めた、“ただそこでうずくまっているだけの存在”に。


 姿は、自分よりもずっと小さい。

 隣で身じろぎ一つしないキュールと同程度ほどだろうか。


 頭の上から黒いローブすっぽりと被ったそんな小さな影が、嗚咽のような呻き声を漏らし、まるで心臓麻痺にでも襲われているかのように震えているというのに―――ティアは、“近寄ろうとも思えなかった”。


 こんな経験は初めてだ。

 苦しそうにしている者がいれば、とりあえず近づき、治療を始める。

 それが、“アルティア=ウィン=クーデフォン”という人間のはずだ。


 だがそのティアが、“その存在に干渉したいと思えなかった”。


「なに……、“あれ”」


 隣のキュールが消え入りそうな声で呟いた。


 “あれ”。

 その表現で、ティアは自分が感じたこの悪寒の正体に思い至った。

 気づけば手の平は、汗でぐっしょりと濡れている。


 アルティア=ウィン=クーデフォンという存在、いや、この世総て人間の大前提―――“本能”という部分が、騒音をがなり立てるように警鐘を鳴らしているのだ。


 この感情が湧き上がる経験を、ティアはかつて経験している。


 “普通”とは違う光景が目の前にあり、それに近づきたくないと感じたことが、かつて一度だけあった。


「まずいですよ……、これは、」


 自身の不安を振り払うために、ティアは強引に口を開いた。


 思い起こされるは、アイルーク大陸―――ヘヴンズゲート付近の“とある洞窟”。

 身体中の血液が煮えたぎるような、“危険”を感じた―――あの“赫”の部屋。

 そこで感じた“死の匂い”を、目の前でうずくまっている小さな存在が発しているのだ。


「ぐ……、ぅ……?」


 “気づかれた”。


 ティアはあの“赫”の部屋で感じたことを、そのまま思い起こした。


 “あれ”に認識されはいけない。

 “あれ”に認知されてはいけない。

 “あれ”に認定されはいけない。


 頭の警鐘は止まらず鳴り響く。


 そんなティアの様子を知ってか知らずか、黒いローブの“その存在”は、瞳を向けてきた。

 黒いローブで貌は見えない。

 しかしその奥、黄色の眼が、影の中でギロリと光った。


「何を……、見ている……?」


 どこか、か細い子供のような声が聞こえた。


 言語の使用を確認。

 ティアは即座に相手を“知恵持ち”と結び付けようとする。

 姿は人に見えるが、この空気が相手を“人間”と認識することを許さない。


 しかし、ティアの思考はそこで止まる。


 本当に“この存在”を、“知恵持ちなどという枠組みで捉えていいものか”。


「……ぅ、ぅぅ、」


 隣のキュールも小さな呻き声を上げた。

 彼女も相手への認識を誤っていたのだろう。


 この存在がいる場所に、1人で行こうとするなど正気の沙汰ではないのだから。


「何を、見ているのかと聞いている……」


 ぬちょり、と。

 奇妙な液体が滴る音を鳴らしながら、“その存在”はゆっくりと身体を起こした。

 声にも徐々に力が増してきている。


 立ち上がった姿は、やはりキュールの背丈程度の小さな存在。

 だが、どれほど無頓着な人間でも覚えてしまうであろう威圧感は、膨大な殺気を極限まで圧縮したかのように重々しく届いてくる。


 まるで、身体総てを押し潰されているかのように。


「……あ、あなたが、街を襲ったんですか?」


 ティアは湧き立つ恐怖を抑え込み、何とか口を開いた。

 出した言葉はあくまで建前だ。

 この場に来れば、百人が百人、千人が千人、“この存在”が犯人なのだと確信する。


 だが、黙り込んでいることには耐えられない。


 満天の星が輝く大草原。

 そんな場所が、一瞬で死地に変わるその狭間。

 その瞬間を、僅かにでも遅らせなければならない。


「聞こえてないか……?」


 しかしそんな防衛本能も虚しく、“その存在”は沸点ギリギリの声色で呟いた。


 やはり、経験した通りだ。

 ティアの恐怖で縛りつけられているような脳が、僅かに逡巡した。


 この感覚は、あの“赫”の部屋で出遭ってしまった―――リイザス=ガーディランという“魔族”と同じだ。


 そこで、ティアは隣にグンと腕を引かれた。


「何を“見下している”のかと聞いている!!」


 ズンッ!!


 ティアは一瞬、何が起こったのか分からなかった。


 自分の腕を引いたのは、隣のキュール。

 そして自分は尻もちを突くように転んだ。


 そこまでは分かる。


 だが、問題なのは目の前。

 倒れたティアのつま先の直前に、濁った黄色の物体が草原に深々と突き刺さっていた。


「う……お、わ……!?」


 ティアは震える声を漏らしながら、その物体をまじまじと眺めた。

 太さは、2メートルほどだろうか。

 正方形の物体で、高さは5メートル以上ある。

 濁った黄色が不気味に光るその物体は、まさしく“鉄槌”。


 “潰された”大地はめくり上がり、草木はその衝撃で飛び散っている。

 そんな凶器が、たった今まで自分が立っていた場所を襲ったのだ。


 そして。

 ティアがそのままの姿勢で地面を張って離れようとした頃、その鉄槌は黄色の残照と共に消え失せてしまった。


「た、立って、」

「お、おおっキュルルン、マジ助かりました……、て、てか今の何ですか……!?」


 その一撃がむしろ幸いし、空気に呑まれていたティアは我に返って立ち上がる。

 無残にも抉れた足元の大地をちらりと捉え、ティアは術者を再び視界に収めた。


 今の攻撃は、あの黒いローブの存在が放ったもので間違いない。

 魔力色からして、金曜属性だろう。


 だが、あんな魔術、ティアは一度たりとも見たことがない。

 一応、元魔術師隊である金曜属性の母を持つが、彼女の魔術はあくまで敵を“圧迫”する程度のもの。

 こんな、“押し潰す”ような魔術ではなかった。


 衝撃を間近で受け、身体は今でも振動を届けてくる。

 こんな、人の身程度即座に損壊させられるような魔術を、一瞬で放てる魔物がいるはずがない。


 やはり、


「ぐ……!? がはっ、」


 ティアが瞳を狭めた直後、目の前の存在が途端呻き出した。

 そしてどこからか、じゅるりと何かが滲み出すような不気味な音が響く。


 その事態にティアとキュールが呆然としていると、目の前の存在の黒いローブの頭が身悶えた弾みで“ぬちょりと外れた”。


「……!?」

「ひっ、」


 ティアは唖然、キュールはか細い悲鳴を上げる。


 液体を吸ったローブが零れるように外れて見えたのは、“鬼”。


 顎が突き出て覗いた下の牙は天に向かって鋭く伸びている。

 頭皮はなく、肌はくすみ切った灰色。

 げっそりと窪んだ瞳は、焦点が合っていないのか虚ろに泳ぎ、しかし黄色にギロリと光る。


 そして、まるで刃物で切り裂いたかのように傷だらけで、そこから鉛色の不気味な液体が溢れ出していた。


 その、見るもおぞましい“貌”が、キュールほどの背丈の“その存在”に付いているのだ。


 まるで子供が鬼のお面を買って、壊し、それをふざけて付けているかのようなその光景。

 ティアとキュールが動けずにいると、その“鬼”は、身を震わせながら口を開いた。


「くそ……、くそ……、今度は低出力で、これか……!? ふざけるな……、こんな、こんな……、こんなのは、“自分”ではない……!!」


 “鬼”は悶え、悲哀と激怒に満ちた言葉を呟き続けた。

 ズタボロの“貌”を限界ギリギリまでしかめ、そして雑巾を絞るように毒々しい液体が溢れ続ける。


 “こんな魔物は存在しないと確信できた”。

 ティアは自己の中の悪寒が、総て正しいものだと決断を下す。


 この、“鬼”は、


「“魔族”……、」


 ティアが震えながら発した言葉に連動し、キュールは一歩下がった。


 “魔族”。

 それは、総ての魔物を使役する存在であり、街1つ瞬時にかき消すとまで言われる素材であり、“魔王”になりうる存在であり―――そして、総ての諸悪の根源。


 それが今、目の前にいる。


 だが、ティアは何とか平穏を保てていた。

 キュールは“魔族”という存在に初めて出遭ったのであろう。


 しかし、自分は違うのだ。

 ティアはかつて、リイザス=ガーディランという“魔族”と一戦交えたことがある。


 あのときもそうだった。

 “きっと、何とかなる”。


「―――シュロート!!」


 ティアは片手を突き出し、詠唱を附した魔術を放った。

 相手が何を身悶えているのかは知らないが、これは“チャンス”。

 この場にいる以上、相手が敵なら倒すだけだ。


 魔術の一閃が鋭く奔る。

 鋭いスカイブルーの一撃は、未だ身悶える“鬼”に直撃。


 パッ、と闇夜がかき消された。


―――が。


「―――、」


 決まる、とは思っていなかった。

 相手は“魔族”。

 いくら身悶えているとはいえ、この一撃は牽制になるはずだった。


 そして、戦闘が始まる。

 これはそういう意味の一撃だった。


 それ、なのに。


「うう……、くそ……、何で、何で私が……、こんな目に……、くそ、くそ、くそ、」


 光源が星明かりだけに戻ったその世界は、“何一つ変化がなかった”。


「……、シュ、シュロート!!」


 戸惑いながらティアはもう一度、魔術を放つ。

 再び直撃し、闇夜が晴れる。

 今度は閃光に目を背けず、命中を確認した。


 確かに、この“鬼”は自分の魔術を受けている。


 だが、それなのに、


「“私”はどこにいる……!? 強大で、強力で、巨大な、“私”はどこにいる……!?」


 “鬼”はその衝撃を受けても微塵にも揺るがず、ただその場で“自己への絶望”を繰り返していた。


 百歩譲って、土曜属性ならまだ分かる。

 他の属性に比べて魔術による干渉を受けにくい、“揺るがない属性”ならば、魔術に対する抵抗が強いだろう。


 だが相手は、先の魔術を見るに、金曜属性だ。

 金曜属性が、他の属性に比べて優位性があるポイントは、“物理的な攻撃への抵抗”。


 魔術攻撃に対しては、特に強いというわけではない。


 だが、それならば何故。

 目の前の存在は―――“今にも倒れそうなほどもがき苦しんでいる”目の前の存在は、自分の魔術に何の影響も受けないのか。


「……? 何を、見ている……?」


 ぞくり、とティアは震えた。


 自身の攻撃が聞かなかったこともさることながら。


 攻撃されたはずなのに。

 攻撃したはずなのに。


 “まるでたった今、ティアとキュールに気づいたような声を上げるその様に”。


「何を、見ているのかと聞いている……」


 息も絶え絶え、瞳も虚ろ。

 見れば黒いローブの裾からも奇妙な液体が垂れ、足元の草木を汚している。

 身体中から奇妙な液体を噴き出すその存在は、うわ言のように繰り返した。


 もがき苦しんでいるその“鬼”は錯乱でもしているのだろうか。

 貌の傷を見るに、確かに記憶が飛んでいてもおかしくないほどの重傷だ。

 あの小さな身体のどこにこんな量の液体が含まれているのかは分からないが、それでも噴き出すたびに激痛に身悶えているのだから害のある“毒”が身体に入っているのかもしれない。


 しかし、そうなると問題なのは。

 満身創痍の状態であるにも関わらず、“最後の一歩すら踏ませてくれない実力差”。


「何を、“見下している”のかと聞いている!!」

「―――!!」

「きゃ!?」


 今度は、流石にティアも気づいた。

 即座にキュールの手を引き、その場から一気に離脱。

 直前まで自分がいた位置に振り下ろされる黄色の“鉄槌”を確認し、ティアは表情を険しくする。


「ぐ、う……、質問に答えろぉっ!!」


 一瞬、また身悶えすることを期待したが、流石に2度目は黄色の瞳がティアから離れることはなかった。


 それは、今度こそ、戦闘の開始を意味していた。


「リディグル」


 まるで血吹雪のように“毒”を身体中から噴き出しながら、“鬼”は一言呟き、今度は手を突き出して上空に“何か”を飛ばした。


 そしてそれが、“途端上空で肥大していく”。


「走って!!」


 見極めようとしたティアに、手を繋いだままのキュールが叫んだ。

 ティアは本能的にそれに従い、再び駆ける。


 その直後、今度は先ほどよりも遥かに重い衝撃が草原を揺らした。


「―――っ、シュロート!!」


 ティアは消えゆく“鉄槌”を回り込んで進み、再び魔術を放つ。

 しかし、三度爆ぜたスカイブルーの閃光も、何一つ状況を変えてはくれなかった。


「大丈夫だから、手を離して!!」

「……!」


 途端、手が振りほどかれた。


 ティアがずっと握っていた小さな拳の持ち主は前に出ると、両手を天にかざす。

 そしてその小さな両手から黄色の粒子が煙のように立ち上り、“鬼”の頭上で小さな四角を形作った。

 先ほど“鬼”が放った魔術と似ている魔力の動きだ。


「タガイン!!」


 キュールは叫ぶと同時、両手を振り下ろす。

 その動きに連動した四角形は、まるで流星のように“鬼”に向かって降り注いだ。


 敵の使うリディルグという魔術は聞き覚えがないが、タガインは金曜属性の低級魔術。

 ティアは金曜属性の母が使っていた魔術を思い出す。

 魔術の教本にも乗っている基本的な魔術だけはあり、キュールは使用できるようだ。


―――が。


「リディルグ」


 “鬼”は上空を一瞥もせずに、再び手から“何か”を飛ばした。

 キュールから出た黄色の粒子とは違い、この暗がりでも目を凝らさなければ見えないほど小さな砂一粒。


 注視して、ようやく黄色と分かったそれが上空に漂っていくのを確認し、ティアはキュールをその場から引き剥がした。


 ズンッ!! と再び“鉄槌”が振り下ろされる。

 幸いキュールを寸でのところで引き寄せられたが、眼前の地面は再び潰され吹き飛ばされた。


 そして、“鬼”を襲ったキュールの魔術は当然のように“何一つ変化をもたらせない”。


「当たった……、当たった、のに、」

「キュルルン!! とにかく今は、ってまた来ました!!」


 茫然自失に近いキュールに叫び、ティアはキュールの手を引き即座に駆け出した。

 そして再び大地が揺れる。


 ズン、ズン、ズンッ!!


 2人の背後には、強大な黄色の“鉄槌”が降り続ける。

 一歩でも速度を緩めることは許されない。


 広大な草原で駆けずり回るこの現状は、まるで“巨人の追跡”のようだった。


「別れよう!!」

「うえっ!? えあ、分かりましたっ!!」


 確かにこのまま2人でいても同時に潰されるのが関の山だろう。

 ならば、分散した方がいい。

 進行方向からほぼ直角に2手に別れたティアとキュールは、ひたすらに駆ける。


「っ―――、」


 最初に“巨人の追跡”を受けたのは、ティアだった。

 最早キュールがどこにいるのかも分からないが、少なくとも鳴り響く衝撃は自分の背後からしか聞こえない。


 僅かに安堵するも、ティアは思い直して手の平に魔力を集める。

 逃げているだけでは意味がない。

 いつか自分もキュールも体力の限界が来るだろう。


 だから、余裕があるうちに、“鬼”に攻撃をしなければ。


「―――シュロート!!」


 駆けずり回りながら、視界に入った鬼に向けて魔術を飛ばす。

 今度は“詠唱”に加え、魔力を溜めに溜めて放った魔術だ。


 流石にこれならば、身体中から“毒”を噴き出し身悶えるあの“鬼”にダメージを与えられるはず―――


 ズンッ、ズンッ、ズンッ!!


 直撃まで確認したというのに、世界は何一つ変わらない。

 ティアは駆けながらも、身体中が縛りつけられるような感覚に陥った。


 いくらなんでも、こんなはずがない。

 棒立ちの状態で攻撃魔術をまともに受けたというのに、まるで涼風でも当たったかのように動きを止めない“鬼”。


 必ず何か、“種”がある―――


「タガイン!!」


 “鬼”の向こうから、キュールの声が聞こえた。

 “鉄槌”の轟音に紛れて、確かにガチン、と直撃した音が聞こえる

 しかし、ティアは駆け続けることになっていた。


 先ほど見た、キュールの魔術。

 自分で言うのも何だが、自己が使う魔術の方が威力は高いとティアは認識している。

 そんな攻撃で、あの敵の“種”を超えられはしないだろう。


「な……、何で……、」

「“何で”……?」


 ふっ、と。

 “巨人の追跡”が止まった。


 上空にびくびくしながらも立ち止まったティアは、肩で息をしながらキュールと“鬼”に視線を向ける。

 気づけば辺りは掘り返されたようにめくり上がり、ところどころ巨人の足跡が刻まれていた。


 もはや最初の面影がないその草原で、キュールと“鬼”が向かい合っている。


「“何で”……? 何を言っている……?」


 身体中から“毒”を噴き出し、おびただしいほどの傷が貌に刻まれた“鬼”は、キュールに向かって“心底不思議そうな声色を出した”。


「何で、当たったのに……、」

「……?」


 会話が噛み合っていない。

 ティアは、怪訝に貌を歪めながらキュールを睨む鬼を見て、そう判断した。

 そして聞き耳を立てる。

 攻撃が止んでいる今がチャンスだ。


 もしかしたら、会話の中で“種”のヒントを得られるかもしれない。


「攻撃、したのに、」

「“攻撃”……?」


 キュールの言葉を拾い、“鬼”はさらに貌を歪め、そして何かに思い至ったように身を振るわせ始めた。


 それは―――“嘲笑”。


「“攻撃”? “人間が魔族にか”? それでダメージを受けないのがおかしいと……!? 貴様は“魔族”に遭ったことがないのか……!?」


 一瞬。

 ティアは、脳裏に最大級の悪寒が走った。


 自分たちは、かつて“魔族”を退けたことがある。

 だが、自分の攻撃は敵の“触れれば爆ぜる”魔術を撃ち落としていたに過ぎない。

 それはいい。

 自分の実力不足は認めよう。


 しかしそのあと、2つ、奇妙なことが起こらなかったか。


 1つ目は“リロックストーン”というものの存在。

 “魔力が大幅に減退することを代償”に、使用者を遠方へ運ぶマジックアイテム。

 あの“赫”の魔族―――リイザス=ガーディランは、その状態で自分たちと邂逅したのだ。

 しかし目の前の“鬼”は、キュールの話通りだとすると、“移動”している。

 リロックストーンで現れた存在は、その場から大きく動くことはできないはずだというのに。


―――1つ、勝ちが消えた。


 そして、2つ目。

 その大幅に魔力が減退しているはずリイザスは、“とある勇者様”の全力の一撃を受けてなお、“傷一つ負わなかった”。


「“人間の攻撃が魔族への攻撃になるとでも”? 例え私が眠っていようが満身創痍だろうが、“人間に倒されるようなことがあるとでも思っているのか”!?」


 ティアは悟った―――“種”など、ない。


 自分たちの攻撃が効かないのは、“ただ相手が魔族という理由だけ”。


「人間の言う防御膜など、魔族のそれに比することすら愚かしい。人間の身体の造りなど、魔族のそれに比することすら愚かしい。“強力な魔物”? “知恵持ち”? そんな表現そのものこそが、それらを束ねる魔族との隔絶とした差だ……!!」


 身体中から“毒”を噴き出しながらも、“鬼”は、強く、強く、強い声を発した。

 身悶えることもなく、子供のように僅かに高かった声は低くなり、威圧感をそれだけで圧死させるほど放ってくる。


―――これで、完全に勝ちが消えた。


 自分たちの目の前にいるのは、“強力な魔物”でもなく、“知恵持ち”でもなく、ましてや、リロックストーンで現れた紛い物でもなく、“魔族”なのだ。


「そして―――」

 “鬼”はゆっくりと、腕を天に伸ばした。

 貌の色と同様にくすみ切った灰色の肌には、やはり傷跡が無数に走り、ドロドロと“毒”が零れている。


「―――魔術において、辿り着く領域も違う」


 その手から、先ほどのキュールのように即座に目に入る濁った黄色の粒子が天に向かって伸びていく。

 ティアはそれを呆然と眺めた。

 キュールの上空に浮かぶその黄色の粒は、巨大な“筒”のような形状に集まり、そして絨毯を転がすように展開した。


 星は濁った黄色に隠され、真下のキュールの行動範囲総てを網羅する。


「“選ばれた者”すら生涯1つ程度しか編み出せない、“オリジナル詠唱”。似た魔術に利便性を求めて付ける仮初の“詠唱”とは比べ物にならない、“本物の詠唱”」


 ブジュリ、と“鬼”の身体から“毒”が溢れ出した。

 しかし、それにもがき苦しむこともなく、“鬼”は、“詠唱”を始める。


 ティアもキュールも、一歩も動けない。


「“硬度”ある魔力での攻撃ではなく、“魔力で固めた物体の高速生成”。“具現化”まで極限に近付いた一撃は、“その場総てを押し潰す”―――」


 “鬼”はその腕を、振り下ろした。


「―――リディスリングル」


 ティアは、鼓膜が破れたと思った。

 暴風が全身に叩きつけられ、周囲の草木は根元から吹き飛ぶ。

 カッと爆ぜた黄色の閃光は目の網膜を焼きかけ、夜の闇すら押しのけた。


「っ、っ、っ、」


 その衝撃に、ティアは堪らず背後に倒れ込む。


 今の一撃は、まさしく規格外。

 こんな光景を見たのは、アイルークのヘヴンズゲート。


 襲いくる激戦区の魔物を瞬時に退けた、“神の一撃”。


 “他には”―――


「―――ぐっ、がぁっ!?」


 ティアの思考が飛びかける直前、“鬼”の呻き声が聞こえた。

 閃光で焼けた目を擦り、何とか立ち上がったティアは、ぼやける視野の向こう、もがき苦しむのは小さな影。


 どうやら先ほどの大魔術で、再び“毒”が噴き出したようだ。


 しかし、今はそんなものはどうでもいい。

 問題なのは、あの大魔術の真下にいた、キュールだ。


「キュル……、……?」


 ティアは、“心のどこかで無駄と分かりながら”も叫ぼうとし、“心のどこにもなかった光景”に言葉を失った。


 “鬼”の放った“大魔術という黄色の物体”は、未だ広大な面積を保ったまま、向こうの大草原を押し潰している。


 しかし、その中央。

 濁った黄色の物体の中心が、歪に“膨らんでいた”。


「……?」


 そして、半透明の物体の中、僅かに見える―――小さな影。


「ぅ……、ぅぅぅ……、」

「……!?」


 かすかに聞こえた泣き声に、最も早く反応したのは“鬼”だった。

 自身が激痛に襲われてまで放った大魔術。

 大草原の一部をまるまる被爆地に変えた、その“オリジナル詠唱”。


 それなのに、何故、何故、何故―――


「ぅ……、ぅぅ……、」


 黄色の物体が溶けるように消えていく。

 草原が綺麗な長方形に押し潰されている。


 しかし、その中央。


―――何故、“狙った対象”が生存しているのか。


「キュ……、キュルルン……?」


 ティアも“鬼”と同じように呆然としていた。

 あるいは、たった今放たれた大魔術のときの衝撃を超えているかもしれない。


 辺り一帯を破壊しつくしたその一撃をまともに受けて、小さな子供がただ泣いているだけなのだ。


 キュールの周りには、“鬼”の濁った黄色とは違う、淡い黄色の丸いドーム。

 しかしそこには淡々しさは感じられず、キュールの周囲に確固たる“盾”を築いていた。


「何だそれは……、“具現化”か……!?」


 “鬼”に言われて思い至るのも妙だが、ティアはその可能性を信じられた。


 “鬼”の放った、リディスリングルという“オリジナル詠唱”の魔術は、神の一撃に近いものすら感じる一撃必殺。

 それに対抗できるものなど、ティアの認識では“具現化”しかない。


 パリン、と。

 淡い黄色のドームはキュールを吐き出した。


 キュールは荒れ果てた大地に躓き、倒れ込む。

 やはり、無事。

 彼女からは、強大な一撃への恐怖ではなく、間近で起きた衝撃への驚愕しか感じられない。


「……、い、いい、だろう、」


 “鬼”は、足取り怪しげに立ち上がったキュールを睨み、“毒”を噴き出しながら震えた声を出した。


「稀に、こういう域まで達する人間がいる……、が、人間は魔族に届かない……!!」

「……“勇者様”も、か?」


 途端聞こえた背後からの声に、ティアは再び転げそうになった。

 叫びそうになった口を何とか抑え、心臓に胸を当てながら振り返ると、


「はあ……、はあ……、何とか、間に合った……。本当は、さっきの一撃の前に着いた方が……、かっこよかったんだろうけど……、て、てか、ティア、お前、そういえば、……“この場にいたんだっけか”?」


 失礼極まりないことを口走ったヒダマリ=アキラが立っていた。


「アッキ……、…………今のどういう意味ですか?」

「悪い、ティア。ちょっと待ってくれ」


 アキラはティアを手で制し、視線をまず“鬼”、そして荒れ地に成り果てた草原に立つキュールに移した。


 “記憶通り”だ。

 アキラはかつてこの光景を見ていることを確信した。


 だが、解けた記憶の封はここまで。

 あとは自分で動いて紡いでいくしかない状況だ。


「貴様……、今、“勇者”がどうとか言っていたな……?」


 おどろおどろしい“鬼”がアキラを睨みつけてくる。


 やはり、“魔族”。

 アキラは顔をしかめた。

 キュールほどの背丈にも関わらず圧死させるような威圧感を放ってくる。


 しかし、“流石に2度目”では震えているわけにはいかない。


「ああ。“勇者”だよ、俺は」


 我ながら、なんとも陳腐なセリフだとアキラは思った。

 すっかり自分も、“この世界でのキャラクター”に嵌っている。


 だが、それを名乗ることがこの“刻”と向き合うことに必要だと言うなら、それを名乗るべきなのだ。


 “あの長身の男とは違うのだから”。


 自分は記憶もなく、力もない。

 しかし自分は“刻”に呼ばれる者であり、“刻”を呼び込む者であり、


「“魔族を倒す人間”、だ」


 そして、“刻”を刻むべき者である。


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