あの子がいたはずの席
異能力大国、パンタジア王国に、また、春が訪れた。
花曇りの空が見える教室の窓から、薄日が差しこんでくる。
淡い光が、窓際の、誰も座っていない席を照らす。本来なら、そこに1人の生徒が今も座っているはずだった。
トリーはろくに授業も聞かず、陽だまりに包まれる無人の席を呆を眺めていた。
「トリスティオ!」
魔法教師のウィンクルムがそんな彼を諫めた。トリーはその声で我に返る。
「すみません」
「模試が近いんだぞ。授業に集中しなさい」
ウィンクルムは次の模試をどのように受けるべきか説いた。
「いいですか、皆さん。今回の模試の結果は君たちの将来のキャリアに大きな影響を与えます。オーラを使うことのできない君たちにとって一番重要な事、それはオーラの次点の能力になる魔法を多彩に扱うことができることです。一つだけの魔法に特化したところで、その魔法の上位互換の能力を持つオーラの使い手との競争に負けてしまいます。なので、一つの魔法属性に集中するのではなく、すべての魔法属性でそれなりの好成績を収められるよう、修練に励んでください」
トリスティオの声が、静かな教室に広がる。
オーラとは、パンタジア王国の民たちが持つ、身体の特殊なエネルギーのことであり、パンタジア王国の民たちは、このオーラの力を使って、特殊能力を発動させることができる。
オーラの属性・能力は各々の国民ごとに異なっている。火や水などを発生させる能力を持つオーラはもちろん、圧力をかける、物を移動させたり、固定したりする、物を爆発させる……。等々、オーラの能力は千差万別である。
しかし、中には何の能力も持たない。虚無の属性のオーラを持つ者たち、通称、虚無の民がいる。
彼らはオーラによる先天的な特殊能力を持っていないため、中学生の段階から、オーラの力の代替として、魔法を習得する。魔法とは、魔導書を詠唱し、自身のオーラを一時的に別の属性に上書きし、別のオーラの力を発動する術だ。
しかし、あくまで魔法は、オーラではなく魔法でしか習得できない一部の魔術を除き、同属のオーラの下位互換に過ぎない。そのため、他国との戦闘など、強い力が必要な場面での需要は少なく、ちょっとした害獣の駆除や、物質の移動など、諸々の雑務担当に魔術師が登用されることが多い。そのため、虚無の民の魔法学習では多様な魔術を広く浅く覚えることが最重要課題となる。
「それでは、今日の授業を終わります。皆さん、きちんと練習を積み重ねておくように、筆記試験もあるから座学の方も取り組んでおいてください」
そう告げて、ウィンクルムは足早に去っていった。
「トリー。次の模試、大丈夫そう?」
同級生のフィデスが陽気にトリーに訊ねる。
「まあな」
トリーは苦笑を浮かべる。そう答えつつも、実際は使える術の能力差が激しく、次の模試について不安を覚えていた。
その中でも特に苦手意識がある魔法の属性がある。炎属性の魔法だ。
「おれ炎属性がうまくできないんだよなぁ」
フィデスが自嘲的に呟く。
「確かに、炎は難しいよな」
トリーが同調する。炎属性についての話題が出たことに内心どきりとしたが、平静を装う。
「もの燃やす練習してる?」
「あぁ…」
魔法を覚える最も効率的な手法は、実践練習だ。何か実験台のものを用意し、呪文を詠唱して実際に魔法を対象に向かって作用させる。例えば、移動属性の魔法であれば、実際に何かを浮かべたり動かしたりし、氷や炎であれば、氷らせてみたり、燃やしてみたりする。ただし、この手法は魔法を作用させるための何かと、魔法を発生させても問題ないような場所の確保が必要である。
炎属性の場合は、燃やしてもいいものを用意し、炎を発生させても問題ないところで練習する必要がある。
「何を燃やすの?」
「……秘密だ」
「へっ」
トリーの予想外の答えに、フィデスは呆気にとられたようだった。
「なんか、その……いかがわしいものなのか……?」
「そんな訳ねぇだろ!」
「じゃあ何なんだよ?」
「……いや、言わない」
「……そうか」
彼は最後まで、何を練習に使用しているかを打ち明けなかった。
「それじゃあな」
「おお、またな」
二人は教室から出、玄関に向かった。
トリーは廊下で、ウィンクルムと出くわした。
「おっ、お疲れ様です」
「お疲れ様」
挨拶を交わし、通り過ぎようとした時、ウィンクルムが嘯いた。
「ヒナのことは、気にするな……」
「えっ……」
「あれは俺の責任だ。教師でありながら、彼女の異変に気付くことができなかった。だから、君は気にせず、模試に集中しなさい」
ウィンクルムはそう言うと、ぎこちない笑みを浮かべ、去っていった。
ヒナ……それは、あの薄日の中に包まれていた席に、座っているはずだった少女だ。
しかし、彼女はもうこの世にいない。ある出来事が、ヒナの命を奪ったからだ。
(炎属性の魔法、練習しないとな……)
トリーは早く学校から出たかった。炎属性の魔法を練習するための何かを、彼は採集していた。