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07 9月15日 北天満山、宇喜多秀家本陣、軍議 戌〈いぬ〉の刻(午後8時ごろ)

いつも誤字のご連絡ありがとうございます。

これからもよろしくおねがいします。

酉の刻(午後6時)頃から飯と汁を造り、一口程度は分配出来る量の酒も持って各陣営を回る。

訳が分からぬと困惑顔の左近だが、今までにも相当に非常識な事を通して来た三成なので、ため息つきつつ従ってくれる。

陣営回りを始めるとすぐに七手組の中島氏種殿も合流して手伝ってくれた。


「意外にも好評ですな、治部殿。」


「それだけ、本当は空腹なので御座りましょう。われら指揮官はなかなか末端の兵の実情は把握できませぬので。今宵の軍議には、中島殿も出ていただきたく。」


「軍議に自分がで御座るか?」


大名級中心の軍議に七手組の一分隊の指揮官が出るのは確かに異例だ。


「中島殿は七手組の将なれど、この戦場では大阪城の物資を統べる蔵人でも有りまする。中島殿が軍議に列席されるだけで諸将は物資の心配が無くなり、内心安堵致しますれば。」


「…左様ですな、たしかに諸将から自分のような軽輩に無心は言い難く御座いますな。! ああ、それでこの氏種にも飯配りを手伝えと言われたのですか。すでに配っている実績が有るので諸将も信用されると。」


「如何にも。されど軍議に出ていただくのは中島殿のもう一つの側面、太閤様の直率兵団の代表として、いずれ働いて戴く為でも御座る。」


「?確かに形の上ではその通りでは御座るが、今となっては有名無実ですぞ?」


(まさ)しくその形が重要。今でもその名は一部の諸将には有効で御座る。この三成に一つ考えが有りますれば、その時が至ればお願い致しまする。」


諸将の陣営に配り終え、島左近を従え中島氏種と共に北天満山に有る宇喜多秀家の本営に入る。

此処で軍議が開かれるのだ。既に時刻は戌〈いぬ〉の刻(午後8時頃)になっていた。


……

……


「治部少輔殿も揃ったようだ。これより軍議を始めたい。初めに、本日の諸将の働きご苦労でござった。明日以降も変わらぬ奮戦を期待しますぞ。」


西軍副将の宇喜多秀家が軍議の開幕を告げる。

一万七千を擁する宇喜多秀家は名実ともに西軍の柱だ。武勇も十分だが関ケ原の戦いが始まる直前に国元で騒動があり、歴戦の中級部隊長を相当数欠いているため、継戦能力にやや不安がある。


肥後半国を領する小西行長は四千の兵力だ。商家の出身だが武勇にも秀でていて文武両全であるが、武勇一辺倒の猪武者を軽視する傾向がある。北隣の肥後半国を領する加藤清正と朝鮮半島での遺恨が残っていて、これも頭の痛い問題だ。


三成勢六千を麾下に加え八千二百の兵力になる島津義弘は史実では兄と交代で国主にもなっている。知勇両面で隙がない上に強運でも有る。先鋒を担う島津豊久の武勇も申し分なく最も頼りになる軍勢だ。


三成の盟友、大谷吉継は豊臣政権では文官としての働きが主になったが秀吉から軍略の才も認められた秀才だ。ハンセン病の進行で体が不自由だが、まだすぐに寿命が尽きるほどでは無い。麾下に戸田勝成(重政)、平塚為広の勇将二名も抱え軍集団として安定感がある。朽木など四将の与力を切り離した後でも一族である木下頼継の兵も合わせて五千六百ほどの兵力だ。


吉川広家は平然と軍議に参加している。布陣している南宮山の北東の山裾から此処に来るには途中に幾多の東軍部隊が()り、簡単に来れないはずなのだが。言い逃れの口実は準備して有るのだろう。率いる兵は三千だが毛利家への影響力が大きく西軍総大将で二万以上の兵力を抱える毛利輝元が未だに関ケ原へ着陣していない主因はこの男が輝元の出陣を押し止めた為だ。南宮山の毛利秀元(兵一万五千六百)との関係は微妙だが現時点では広家が秀元も抑え込んでいる。


松尾山付近の小早川秀秋と大谷吉継が残置した、脇坂安治・小川祐忠・朽木元綱・赤座直保は軍議に来ていない。彼らを直接に調略している藤堂高虎や黒田長政に()められたか。或いは裏切り者の中で唯一軍議に参加している吉川広家が話の辻褄が合わなくなるのを恐れて軍議に加わらぬように根回ししたか。


南宮山東端付近に居た長宗我部盛親は南宮山の南側を通れば軍議に参加可能だが参加していない。憑依直後に出した伝令で()()()存在を秘匿してもらっている。今頃は南宮山の南側を通り小早川勢の裏側付近に迫っているはずだ。


宇喜多秀家がこの戦いを主導してきた俺(三成)に目配せして続きを促してくる。


「では、僭越(せんえつ)ながら、(いささか)私事(わたくしごと)で御座るが…。」


ぐるっと場を見回す。吉川広家以外は皆穏やかな表情だ。昼間の給仕が多少は効いているのか。

吉川広家は………あぁ、これから始まるであろう諸将からの糾弾に気もそぞろで俺(三成)の事など眼中に無いようだな。


「明日から石田勢六千は全軍を島津義弘殿にお預け致す事と致しました。さらに我が軍全体の軍師として就任をお願い致しました。快諾いただけましたので、以後、良しなに。」


島津義弘に向かって平伏する。どっと大きな(どよめ)きが起こる。


「治部どんにここまで致されては、受くっしか無か。みなん衆、共に戦いんきもんそ。」


”治部、思い切ったな…”とか”これは、なかなかに…”などと、結構好評だ。吉川広家のみが固まっていたがすぐに異を唱える。


「さ、されば治部少輔殿は明日から如何致す?この戦を放棄して佐和山に帰られるとでも言わるるかっ!」


(はな)から喧嘩腰だ。余計に立場が悪くなるのに。


「この治部少輔は、此処に控えられし中島氏種殿と同陣致す所存であれば、全く問題御座りませぬ。」


”おお、成る程…”とか、”今日は有り難かったですぞ…”などと聞こえてくる。


「明日もまともな飯が食えるとは。一口ずつとは云え、兵に酒まで貰うたしのう。これは気張らぬ訳には行かぬのう、各々(おのおの)方。おっと、そうか、広家殿は遠い場所で動かぬので此方の状況は知る(よし)もないか。」


一際大きな声で小西行長が言い放つ。明らかに吉川広家への当て付けだ。


「そ、そのような事を。我らなど不要と申されるなら毛利は退陣いたしても良いのですぞ。」


「まあまあ広家殿。明日には毛利元康殿も着陣される事ですし、毛利家としてのご都合もありましょう。」


小西行長はこの機会に広家を怒らせて追放し、帰陣させたいのだろう。確かにいずれ戦場から追放せねばならぬが、それを成すのは毛利家の将でなければならぬ。行長にこれ以上遺恨を背負わせたくない。すぐに行長に目配せして黙って居るようにお願いする。


「なっ、元康が明日来るだと!?なぜそんな事が治部に…ぁっ。」


白けた空気を場が支配する。


「広家殿、如何された?そうそう、中山道の物見は元康殿の他に立花殿も確認した由。心強い事で御座る。」


”おお、立花殿もか…”とか”元康殿なれば戦意も十分、期待できますな…”などと聞こえてくる。

広家は何を言っても裏目にでるので、黙ってしまった。もうなにも言わず、ひたすら情報を家康に流す事に切り替えたのだろう。これで軍議も滞る事無く進みそうだ。


「元康どんと立花どんが来っで、もう今日んごつ中山道に回り込まれることも無か。中山道ん事は全く問題無うなった。じゃっで、明日も今日と同じ陣形で良かじゃろ。三成どんの隊も儂が指揮すっどん、今日同様に島津隊主力ん遊撃も置いちょく。そいでえね?」


島津義弘が明日の陣形を確認して軍議を纏めにかかる。

一瞬宇喜多秀家が何か言いたそうだったが目で制して黙って居てもらう。その後は誰も異論は出ず散会となる。

秀家はたぶん、毛利秀元の事を言いかけたのだろう。だがそれはまだ早いのだ。


「では我々も帰りましょうぞ。治部殿。」


「はい。ですが、この後刑部(大谷吉継)の陣まで中島殿もご足労戴きたく。」



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