03 9月15日 笹尾山、石田三成本陣 巳の刻(午前10時ごろ)
痛む腹をなだめつつ自陣に帰ってきた。霧も晴れ戦場も見渡せる。大筒の合図を聞いた左近も、もうすぐ帰陣するらしい。おっつけ東軍諸将の集中攻撃がこの三成の陣に加えられるはずだが、史実と異なり左近が健在で、全体の防衛ラインも北東に下げて反撃密度が上がっているため、そう簡単に切り崩される事は無いはずだ。
「そろそろ左近も帰ってくるな、郷舎。」
「はっ。今まさに柵内に入るところですぞ。」
自陣周囲には馬防柵が互い違いに重なるように設けられている。その隙間を通り抜け、島左近が帰陣する。
「ご苦労だった、左近。」
「なんの。まだまだ温いぐらいで御座る。しかし、ご指摘通りに伏兵が居たのには驚かされましたぞ。」
「左近の武勇に手を焼けば、考える事は一つであろう。これからも注意してくれ。」
「いかにも。…殿?顔色が優れませぬぞ。」
「腹を壊したようでな。戦場を見るのも辛い。ざっと見渡してくれぬか。」
「は。されば…我が陣の前、北寄りに…うぬ…」
「どうした左近。」
「は…。ここ石田隊に黒田・細川…、さらに加藤や筒井も来る感じですな。狭すぎて竹中隊は後ろに追いやられて御座る。」
「我が石田隊は高評価だな。」
「殿のお人柄でしょうな。」
「全くだ。」
三成は豊臣系武闘派武将に嫌われている。彼らが朝鮮半島で苦闘しているのに、三成は内地でぬくぬくしていた上、秀吉の寵愛を独占したと云う、とても武闘派とも思えない情けない言いがかりだ。本当にぬくぬくしていれば、今頃彼らは半島で餓死している。そこらの補給の苦しさも理解している島津義弘などは三成などではなく、本国の鹿児島へ補給の催促を出しているのに。
「おや、お味方の陣形もだいぶ変化しましたな。島津隊が小西隊の後ろに下がり元の島津隊の場所に小西隊が移動しております。そして元の小西隊の場所、北天満山付近は、ほう、宇喜多勢の大部隊が分厚い方陣を敷いておりますぞ。攻めっ気が強い宇喜多様にしては珍しく、守備重視の布陣ですな。」
たぶん、島津義弘の計らいだろう。今日一日耐える事を依頼したので、攻めに出て無駄に消耗させないように、宇喜多秀家を説得したに違いない。
「大谷隊も様変わりしておりますな。与力の朽木隊などを小早川の前備えに分離して宇喜多勢の南、まるで宇喜多勢の右備えのような位置に移動しておりますぞ。それがため、大谷隊と小早川隊の間が大きく開いておりまする。刑部少輔(大谷吉継)様がなにかの罠を仕込まれたのでしょうや?」
大谷吉継は軍略家として一目置かれている。なるほど、事情を知らぬ者がみれば大谷吉継の策と見えるか。
「まあ、色々あってな。で、その小早川などは今どのような具合だ?」
「小早川隊はまだ動きが無いですな。前衛の四将は東軍の藤堂高虎の隊と槍合わせしておりますぞ。しかし双方とも防御重視で攻め気がないですな。おや?福島正則隊が割り込もうとするのを、藤堂隊が邪魔している感じもありますが?持ち場の取り合いでしょうや?」
なるほど。福島正則は事情を知らされて居ないという事か。四将と藤堂で申し合わせて偽の槍合わせをして取り敢えずその場を取り繕っているのか。小早川は目標の大谷隊が離れてしまったので奇襲が見込めず動けなくなっているのだな。どうやら最悪の事態はなんとか回避できているようだ。
「よくわかった。では、長宗我部殿と佐和山城の父上(石田正継)へ伝令を出す。」
即座に四名の伝令が前に並ぶ。
「長宗我部殿への伝令二名、これへ。長宗我部殿は南宮山の東の山裾に今は居られるはずだ。南宮山の南側、伊勢街道を走れ。二人目は刻を開けて前の伝令を視認しつつ離れて走れ。途中で東軍の忍びに襲われるおそれが高いので注意せよ。他者に絶対知られてはならぬ事故、口頭で申し渡す。」
二人をさらに呼び寄せ耳元で口上を伝える。
「覚えたな、ならば行け!」
二人が走り去り、残る二名、佐和山城への伝令が前に出る。
「経路は遠回りでも北国脇往還から行け。中山道は左右が急峻で狭く襲われやすい上に、我が佐和山城への最短の道。必ず網を張られて居るはずだ。中山道は通れると思うな。急な事で内容の書面は出来ておらぬが父上なら納得されよう。」
こちらの二人も呼び寄せ耳元で口上を伝える。
「要点は理解したか。ならば行け!」
とりあえずはこれで良いか。いや、もう1手必要だった。
「もう一組伝令を出す。」
左近や郷舎が目を丸くして驚いているが無視して次の伝令二名に申し渡す。
「2日前に丹後田辺城が開城し、我が朋輩の小野木公郷率いる一万五千が山陰道を帰路についている。この部隊と落ち合って口上を公郷に伝えてくれ。では耳をかせ。」
二人に耳打ちして口上を把握した事を確認、直ちに出立させる。
これで良いか?もう、漏れは無いか…暫し脳内で全国の地図を思い浮かべる。
「まだ有った!さらに伝令だ。」
これも同様に耳打ちして走らせる。
流石にこれ以上は不確定要素が多すぎて無理か。
「と、殿…田辺城の件は誠でしょうや?それに伝令を二名づつ出すのも初めて見まするが、かように細かな注意などをされている殿は初めて見まする。刑部(大谷吉継)殿のご提案でしょうや?」
島左近が確認してくる。やはり従来の三成とは違い過ぎるか。どうしたものか、まさか此度も天啓とも云えぬ………
「そ、そうよな。大敵を眼前にして緊張しておるか。豊臣家の大事であるので特に気配りせねばな。田辺城は、そのだな…し、島津殿から教えていただいたのだ。」
「なるほど。島津様が一段下がられて居るのは殿との取り決めで?」
「うむ。無理を聞いてもらった。今日一日は耐える戦じゃ。島津殿は諸方面で支え難い事態になった場合の予備兵力として動いて下さる。なので、我らは島津殿の世話にならずとも良いように守りを固め、息長く戦わねばならぬぞ。」
「ほう、それで宇喜多様も方陣を選ばれたと。なるほど!それは妙案。中山道を明け透けにしてまで兵を集中しましたので厚い布陣になり申した。さらに戦闘正面が狭くなり申したので一部の敵兵しか戦闘に参加できませぬな。にもかかわらず東軍先鋒は殿憎さで我武者羅に突っ込んで来る…と。その突っ込んで来る猪共を順繰りに潰せ…そういう事で御座るか。よう解り申した。郷舎殿、では我らも交代方法など細かく取り決めて息長く戦い東軍を削り取りましょうぞ!」
「そういう事で御座るか。やっと納得できましたぞ。では左近殿、細かな事は前線に戻りつつ刷り合わせ致しましょう。」
二人が勝手に納得して去ってゆく。相当勘違いしているようだが、なすべき事は合っているのでそのまま送り出す。
島津殿に石田隊をまるごと貸し出す事を言いそびれてしまったけど、まあいいか。