30 9月23日 大阪城 毛利屋敷 巳の刻(午前10時ごろ)
「恵瓊殿、もうそろそろではないか?」
今日、九州に向けて出立する。毛利水軍を利用させてもらい一気に薩摩へ渡る予定だ。今は毛利水軍の村上武吉の到着を待っている。
「治部殿は相変わらずせっかちじゃの。気は急くじゃろうが、相手は逃げはせぬ。ちと落ち着きなされ。それより、聞いておく事があるでの。」
「大阪は恵瓊殿に任せるが?」
「ふっ。治部殿。相手が皆儂のようではない。治部殿は話を端折りすぎる。常から十のうち十全てを話すようになされ。そう有らねば無用の誤解を受けますぞ。」
「うぬ。それはそうなのだが……ふぅ…出来る限り、気をつけるように致す。」
「まあよい。聞きたいのは家康方の間諜の扱いじゃ。青木一重の密書には手を出さぬ事は判っている。他はどうする?全部横領して青木一重の密書だけが届いたのでは不自然じゃ。」
「それか。御坊の思うままで良いと思うていたが…。偽書を届けさせるとなると青木一重は愚か、伊東長次などでも無理だろう。彼等の文の癖が判らぬ。」
恵瓊が頷く。
「だが、唯一、増田長盛なれば、幾度も文のやり取りをしているので癖が判っている。長盛の密書だけは偽書を使える。」
「確かにのう。全てこちらの都合で書き換えてしまうか?」
「いや。長盛の密書だけ他と異なっては怪しまれよう。十のうち三程度を偽書にしてはどうか。本物の知らせと偽の知らせが脈絡なく届けば家康は大いに混乱しよう。」
沢山の真実の中にある嘘こそ役に立つ。全部が嘘ではすぐにバレてしまう。
「確かに家康は混乱するだろうが、良いのかの?此方の予想もしにくくなるが。」
「それは問題ない。あの家康だ。情報が混乱して判断が出来無く成れば、必ず手堅い方向に動く。家康に迷いが有れば、仮に家康側近が奇策を進言しても不採用になるだろう。」
「ほぅ、成る程のぅ。考えたな治部。普段から手堅い行動の家康だ。なおさら用兵の柔軟性を欠くようになる…か。」
家康自体は軍略家ではなく、現場の戦術指揮官としての色が濃い。兵の進退では姉川の戦いのような異彩を放つ事も多い。だが武田信玄のような広い視野での戦略家でもないし、真田昌幸や毛利元就のような奇策・謀略を得手とする訳でも無い。兵を交えるまでは、ごく平々凡々といって良い。関ケ原の戦いでも黒田長政や藤堂高虎が調略を施しただけで家康自体は謀略に手を染めていない。なので迷えば迷うほどに平凡に戦う中で、戦機を捉えようとするだろう。
「うむ。まあ、家康の腰が重くなる分、此方も技を掛けにくくなる。が、それは仕方なかろう。」
恵瓊も頷いている。
「それで良いじゃろう。膠着させて時を稼げば、我等は西国を完全に固められる。そうなれば、上杉殿の存在が物を言うからの。ま、西国を固められるかどうかは治部殿次第じゃが。」
「家康には時間も限られて居る。確かに、清洲城には三十万石の米はある。だが、東軍十万で食えば三年で食い尽くす。ほぼ無限に補給が続く我等とは違う。」
「火薬はなおさら補給困難じゃろうしの。西で良かったのぅ。東西が逆であれば、我等が火薬に苦しむ事だったろうの。」
「それは偶然では御座らぬ。太閤様が家康を関東に移封した時からの狙いの一つで有れば。」
「そうじゃったの。ただ、二百五十五万石はちと大盤振る舞いが過ぎたがのぅ。」
確かにそうだ。移封前は駿河・遠江・三河・甲斐。それに信濃の一部でざっと百二十万石だったから百五十万石程度で良かったのだ。
「恵瓊様、村上様が到着なされました。」
港からの知らせが来たようだ。
「今更済んだことは言うまい。では恵瓊殿、大阪をお願い致す。」
「治部も息災での。加藤(清正)殿に如水殿か。治部が蒔いた種とは云え、大変じゃの。ふぉ、ふぉ。」
………
………
「此度はお世話になりまする。村上武吉殿。」
毛利水軍はいくつかの海賊から成り立っていたが、秀吉の海賊停止令によりどの海賊も独立性が薄れ大名家に従属するようになる。村上武吉も紆余曲折の末この時期には毛利家に属し竹原を根拠地にしていた。
「なに、瀬戸内の海賊に敵はほとんど居りませぬ故、気楽なもの。それに海賊そのものが随分廃れてしまい陸で闘うありさま。儂ももう時代遅れで御座るわ。」
「元吉(武吉の長男)殿は残念で御座った。」
村上元吉は毛利家の加藤嘉明領への侵攻に従軍していたが、加藤嘉明の留守部隊の奇襲を受けて戦死している。
「…海で死ぬのであれば諦めもつくので御座るが…。」
「景親(武吉の次男)殿も関ケ原に参陣されておられますな。」
「如何にも。治部殿はよくそのような事まで。」
「せっかく操船の技が有る者達を無為に陸で失うのは少し勿体無く感じ居りましたので。」
「それはそうで御座るが、今となっては腕の振るいようも無く…」
「無くも無いですぞ。」
「ほぅ…ぜひ、ご教示戴きたい。」
「廻船を生業にされては如何か?」
「?廻船…で御座るか?」
「海の馬借のようなもので御座る。物資を運ぶ事で手間賃を取るので海賊停止令も問題ありませぬ。」
「成程………」
「この戦、長期戦になりますれば、遠隔地からの補給物資の輸送が重要になりますぞ。御存じの通り、船なら荷駄の数倍~数十倍の荷を一気に運べまする。皆に喜ばれこそすれ、誰にも嫌われませぬ。」
「うむ!有難うござる。早速に使いを出し景親も戻らせまする。」
「この治部からも宇喜多殿に文を出し、了解を得ておきましょうぞ。」
「お願い致す。」
「それから武吉殿、この廻船は戦が終わっても辞めては成りませぬ。世の中が落ち着けば、軍の物資でなく、民の物資が動くようになりまする。南でしか採れぬ物を北に、北でしか採れぬ物を南に運ぶ、それだけで大きな利が生まれますぞ。」
「おお、商人も兼ねればさらに大きな利が得られる…そういう事で御座るか。」
「左様。この戦の間には商家の荷を多く運びましょう故、その折に商の道を学ばれよ。さすれば向こう五百年・千年でも海で生きて行けまするぞ。」
「おお、それは壮大な。すぐに昔の仲間を集めまする。」
「お願い致す。」
史実では廻船が発達したのは江戸時代からだ。だが、それでは遅い。関ケ原で東軍を押し返し関東を大きく包囲するには太い兵站線が必要になる。それには海運が不可欠なのだ。
”これで佐竹への補給の目途も立つ…それにあ奴も商いに目が無い。これは使えるな。”




