02 9月15日 朝 島津義弘本陣
薩摩弁、ネイテイブの方、不自然な部分があればよろしくご連絡くださいませ。
「この通りで御座るっ!」
はい。土下座です。島津勢本陣のすぐ外で土下座中。哀れ、随行していた舞兵庫とその手勢千も訳が分からぬままに連れ土下座です。
眼前には憤怒の形相の夜叉王、島津豊久が仁王立ち。
「先日の軍議では献策いただいた折角の妙案を、愚かにも無碍に退けてしまい誠に申し訳なく。何卒、義弘様に直接お詫びさせて戴きたくっ!」
「こん戦は各々が好きに戦うだけでえ。いまさらないも話す事はなか。」
「そこを、何卒っ!」
くっ、駄目か?島津なら一縷の望みがあるはずなんだが、駄目なのか?
「もうえ。そげん場所でへたりこまれてん迷惑や。こちらに通しやんせ。」
奥から義弘が声をかけてきた。いけるか?
「じゃっどん、こんわろは!」
「庄内ん乱 では治部に世話になっちょっ。土下座までさせて良か人じゃなか。」
おお、思い出してくれたか。一年半前の伊集院忠棟斬殺事件から続く島津家の内乱を丸く納めるために現場で走り回り調整したのは三成なのだ。
「そいを言われれば仕方なか。お許しが出た。入りやんせ。」
島津豊久が表情を緩め義弘の前に案内してくれ、兵庫と並んで座る。
「詫びはもうえ。ゆ事があっとじゃろ。」
「されば、義弘殿。今西軍は大きな危機に直面し居りまする。」
「まだ戦うてんおらんうちから?」
「小早川秀秋殿の返り忠がほぼ確実なれば。」
「あんわろは動きが怪しかった。十分ありゆっじゃろうな。」
「返り忠までは致さずとも、吉川広家は内通がほぼ確実で御座る。」
「広家ん手勢は三千ほどじゃ。放置して問題なか。」
「いえ…。広家が毛利宰相(毛利秀元)の参戦を妨害しまする。」
「なんじゃと。そこまでねまっちょっとか、あん青瓢箪は。一万五千が側背を突けば楽勝。が、動かんか。逆に小早川がこちらを横撃してくっとなれば、たしかに危機じゃな。」
「いかにも。そこで、取り敢えず宇喜多殿と大谷殿に北天満山の小西殿の陣営付近まで北上して戴き、小早川勢と距離を開けるように要請しました。」
「ふん。良き判断じゃ。中山道が開っが大津にも大阪にも大兵が待ち構えちょっ。むしろ、中山道を通させて後ろから打てば良か。」
「は、もう一つ。大谷隊の与力、朽木・小川・脇坂・赤座の四隊も帰り忠いたします。藤堂高虎の手に絡め取られておりますれば。」
「藤堂か。ころころ主君を変えちょっ変節漢ん考えそうなことじゃな。だが、そいでは大谷殿が危うかろう。」
「はっ。されば、四将を小早川の前衛として残置するように伝えておきました。」
「前衛として残置?のう。治部にそげん遊び心が有ったとはな。一応ん手当としっせぇ、まずまず上出来じゃろ。」
「はい。されば、今日が一番苦しくて御座る。なんとか、今日一日を耐えれば立花宗茂殿、毛利元康殿が明日には来援致しまする。」
「おお、立花宗茂どんか。彼は良か武士じゃっでな。毛利元康どんも頼りになっ武者じゃっでな。」
「されば、今日一日耐える、要の役目をお願いいたしたく。」
「要ん役目じゃと。薩摩から3人、4人と国元を離れちんちん兵も増えちょっが島津隊は二千二百がほどど。わっぜ心もとなか。」
「やはり。ならば、この舞兵庫と千をお預け致します。存分に働かせてくだされ。島津様の軍略に耐えられる程度には鍛えてありますれば。」
「なんじゃと?自分が手塩にかけて鍛えた精兵を好きに使えじゃと!本気でいっちょっとか?」
「ご存知の通り、この三成に戦場で兵の進退を操る才は有りませぬ。なにより、武運が有りませぬ。如何に策を巡らし精緻に兵を動かそうとも必ずや裏目に出まする。此度のように…。」
「………治部どん………」
「なればこそ、軍才、武運ともに日ノ本最強の島津様にお預け致したく。受けてくださりませぬか?」
「よう決断された。そこまで見込まれたならば受けんなどとはいえもはんな。今日一日、西軍ん綻びを埋めて回れちゅうとじゃな。」
「はっ。されどそれは今日だけ。明日以降は全軍の軍師として采配をお願いしたく。」
軍師に采配を依頼するのは奇異だが仕方ない。総大将は毛利輝元であるため、総大将を依頼することができないのだ。だが軍師を受けてもらえればこの戦場では副将の宇喜多秀家と並び上位になるので実質的に采配を取れるし宇喜多秀家も島津義弘には一目も二目も置いているので問題なく事が運ぶはずだ。
「そこまで見込まれちょるんな有り難かが、率いっ軍勢が三千ちょっとでは重みが足らん。大兵を率いっ将が采配に従わんなおもうどん。」
「いかにも。拠って明日以降は我が石田勢六千全てをお預け致す。」
「ないを馬鹿なことをゆちょっど。そいではお主ん居場所があらんめえ。」
「この三成は大阪から連れてきた七手組の一人、中島氏種率いる二千を預かりまする。この二千もお預けしたい所なれど、些か練度に触りがありましょう故。それに七手組には七手組にしか出来ぬ事も有るように思えますれば。」
「ほんのこて、そいでえとな?」
黙って頷き島津義弘の目を見つめる。
「治部どんな昔から無茶をすっ事が度々有ったが、あたい心からん悪さは無かと知っちょっ。家康どんのやり口は我もあまり好きじゃなか。よかじゃろう、そこまで治部どんが腹括っちょるんなら、儂も腹据えて戦ばすっど。」
すぐさま、深々と平伏する。顔を上げているとどうしても喜びがにじみでてしまいそうだ。こんな無茶苦茶な手をつかっても『あいつならやりかねない』と思える行動を三成はしてきているので、なんとか成立する手段。関ケ原の戦いでは、この石田隊と島津隊の合体は必勝策の一つなのだ。勿論現実はまだまだ困難を極めるが、大きな山を一つ超えたのは確かだ。