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00 関ケ原の戦いという名の戯曲?

戯曲はいいすぎ?かな。ですが、三国志演義並みに盛られた逸話?も多い感じです。小早川が動かない事に業を煮やした家康が松尾山に銃撃、それで震え上がった小早川秀秋が裏切る場面とか。合戦たけなわなのに銃撃したところでただの雑音ですし、そもそも小早川秀秋は朝鮮半島で自ら槍を振るって奮戦した猛将です。銃撃の脅しに屈するようなタマじゃないですから。

関ケ原の戦い、超有名な戦いであちこちで取り上げられる事も多い案件ですが、結構不明な部分や異説もあります。同時代資料もそこそこ有るのに疑問点が多いのです。


関ケ原本戦開戦前の一般に流布されている布陣

挿絵(By みてみん)


まあ、こんな感じで布陣していた事になっています。そして西軍の東のほうの部隊(毛利秀元など)がぼーっとみているうちに、松尾山の小早川が裏切って大谷隊を急襲、ところが軍才豊かな大谷吉継は(あらかじ)め小早川は怪しいと睨んで備えていたので善戦…?そこへ、裏切り4人組も裏切ってついに大谷隊壊滅、ドミノ倒しで西軍壊滅………というお話になっています。


いやあ、いろいろ変ですねえ。一説では裏切り4人衆は小早川の抑えにその進路上に配置されていた…ならば、小早川は裏切り4人衆を蹴ちらして突撃している事になるし、逆に、東軍との最前線に4人衆が配置されているなら、東軍と噛み合っている最中に大谷隊を襲う余裕なんてない。どこにこの4人を配置しても話が噛み合いません。


毛利秀元もいろいろ不自然。秀元本人は参戦したかった事になっていますが、南宮山の山頂付近に布陣したのでは、参戦するまで何時間もかけて山を降りねばならず、簡単に参戦できません。(現に、他の部隊は皆山際に布陣していても山裾の方に構えている。)(はな)から参戦する気が殆ど無いとしか思えない場所です。


たぶん、この関ケ原の戦いのお話は徳川家にものすごーく都合よく脚色改変されているのでしょう。毛利勢の人数が徳川家に匹敵するほどの大軍になっているのも(いくさ)話を盛り上げるためだろうし、大谷隊の奮戦も『いやあ、あいつ強かったよなー、でも俺たちもっと強かったけど、てへへ。』と言いたいのでしょう。そうなると、島左近の奮戦もどこまで本当か怪しくなってくる。


極めつけに不自然、かつ、たぶん誰も言及していないのが、長曾我部の位置。長曾我部が普通に戦意があった事は、戦後改易くらってるし後の大阪の陣でも参戦しているので明白です。なのに、東西両軍から全く相手にされていないような位置。6660人の兵力(旧参謀本部関ケ原の役)は放置できるような規模ではないんだけど。


とまあ、いろいろツッコミ所はあるけれど、従来の定説に加えて最近の説で三成に不利な要素を加味して、この物語を開始したいと思います。

今作はゆっくりめの更新になりますが、前作同様、よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 前作下天からきました 作者名を小説検索かけてです 前作の作者名もリンク化?して 読み終えたら本作もリンクから読めるようにした方が良いかな?と思いました 読了すれば 少なからず、 他作品は…
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