一話目
「…恋がしたいわ」
暖かい陽だまりの中、凍えた手を温める様にカップを持ち、僕の方を見るともなしに見て彼女は小さく呟いた。
その声はほとんど聞き取れないくらい小さくて、でもしっかりと僕の耳に届いた。
明日は晴れるのかしら?
明日の天候なんて気にしていないのに、とりあえず口にした、そんな言い方で、彼女は恋がしたいと呟いた。
そのセリフは、政略ではあるが一応婚約者である僕に対して言うセリフではないと思うのだけど。
情けないけれど、それに僕は聞こえないふりをした。
「外は寒かったね」
そして違う話題を口にする。
彼女はそれに気にすることもなく、頷く。
「もう、秋も終わりですものね」
そう言って、窓の外を見る。
窓の外は秋らしく、紅葉している落葉樹からヒラヒラと一枚一枚と葉が舞い落ちている。
会話らしい会話をすることもなく、取り留めのない話題すら思いつかず。
黙って二人で窓の外を見た。
そっと彼女を見る。
長いまつ毛を少しだけ伏せ、外の様子を見ている。
秋の柔らかい日差しが、彼女の金髪に反射しキラキラと輝いて、まるでそこだけ何かの劇のワンシ-ンを見ているようだ。
彼女は、本当に美しい女性だ。
艶やかな金髪はふんわりとウェ-ブがかかり、誕生日に僕が送った黒真珠の髪留めが留められている。ブル-グレ-のキレイな瞳ははっきりとした二重で。
そして可愛らしい唇の少し右下にある、艶めかしい黒子。
その黒子が少女を卒業する年齢が近付いてきた女性の、何とも危なっかしい色気を醸し出している。
社交デビュ-を果たしたばかりの彼女のあまりの美しさに、なぜリ-ド伯爵は僕を選んだのかと、かなりの人間が首を捻ったと聞いた。
そう、僕は彼女と爵位は同等なものの、彼女の伯爵家と僕の伯爵家は格も財産も一回り、いや二回り以上違う。
勿論、僕の家の方が格下、だ。
おまけに父が土砂崩れに巻き込まれ、足が不自由になったため若年の僕が当主代行として動き回っている。
まだ年齢が若いため、仕事をこなすのが精一杯の毎日。
社交シ-ズンでも必要最低限の夜会のみの出席。
当然観劇に婚約者を連れていく、なんてシ-ズン中1回あるかないか、だ。
勿論僕の顔だって、皆が見惚れる様な顔じゃない。
至って普通。
どう考えても、僕は若い女性にお勧めされるような男ではないのだ。
なのに、なぜ僕と彼女が婚約をしているのか。
僕の領地は良質な陶器を輩出し、優秀な釉薬職人がいるのだが如何せんお金の問題で品質を落とさず量産することは難しいため、中々物量が安定しない。
そのため彼女の家からの資金援助で増産体制を整え、安定した品質、生産数を整えることにしたのだ。
勿論、彼女の実家に優先的に卸、彼女の実家がそこから異国への貿易に回す。
お互いの思惑が絡んだ経済的な繋がり。
僕たちの婚約も、その契約の条項の一つに過ぎない。
たまたま長男の僕と、次女である彼女の年周りが良かったので僕との婚約と相成っただけで。
まぁ、貴族の結婚なんて多かれ少なかれ似たようなものだけど。
そんな理由の婚約だし、彼女が日頃付き合っている人々も、僕には雲の上のような存在の人ばかりで。
正直に言って、僕は気後れをしてしまう。
今いる彼女の実家リ-ド伯爵家のタウンハウスも立派過ぎて居心地が悪い。
全てが上質過ぎて。
何か壊したりしたら、絶対に弁償できない自信がある。
この家にいる時の僕は、まさしく借りてきた猫、の状態だ。
彼女とは社交シ-ズン中の半年間、タウンハウスに滞在している期間だけ顔を合わせる。
婚約をして4年目、社交シ-ズン期間だけが唯一の僕達の逢瀬だ。
社交シ-ズンを外れた秋に、この時期に僕がこの場にいるのは、たまたま王妃様に献上する綺麗なピンク色の釉薬の陶器が出来たからだ。
ようやく王妃様が求めていたような色の釉薬が出来たのだ。
その成果を見せるため伯爵家にもお邪魔した。
伯爵は今までに見たこともないほど綺麗な発色のピンクにご満悦だった。
言葉は悪いが金を出した甲斐があった、というような顔だった。
そのついでと言えば言葉は悪いが、その足で彼女にご機嫌伺いに来た、というわけだ。
時季外れの婚約者の来訪に、彼女は戸惑ったのかもしれない。
だけど彼女は淑女。
きっちりと教育されている貴族子女だ。
迷惑そうな素振りは一切見せずに嬉しそうにニッコリと笑い、素敵な色が出来ましたね、と言ってくれた彼女。
その笑顔は、僕には本当に喜んでくれているようにみえた。
だから、その笑顔につられて僕は思わず饒舌にその制作過程を熱く語り過ぎて、気が付いた。
自分の興味のある話しかしていない事に。
若い女性にするような楽しい話題ではないだろうに、彼女はいつもニコニコ笑みを浮かべて聞いてくれている。
僕は、それについ甘えてしまう。
またやってしまった。
自分しか話していない事に気が付いて、それ以外の話をしようと思った途端に僕は何を話していいか分からなくなる。
話を変えるために伯爵家の庭を散策する提案をしたけど、陽が入る室内は暖かいが、外は木枯らしが吹き始めていて肌寒い。
こんな天気に外を歩こうなんて、僕は平気だけど彼女は淑女だから大丈夫だろうか、
なんでこんな時に外に行こうと誘ってしまったんだ、と思っても後の祭り。
既に侍女が外にでるための準備をしている。
彼女は呆れたのだろうか?
暖かいショールを羽織り、防寒対策をして外を散策する。
二人で歩いている時も言葉少なで。
寒いところに連れ出すなんて気が利かない男だと思われただろうか。
彼女はきっと、僕では物足りないのだろう。
なにせ普段は領地に籠り切りだ。
ご婦人方が喜ぶような新しい劇も洒落た会話も知らない、流行の話題に明るいなんて言葉と反対の位置にいるような男だ。
騎士などであれば武骨で話題に疎くても面目は保つだろうが僕は別に騎士でも何でもないのだ。
ちょっとだけ陶器に詳しいだけの男。
僕を評価するならそんなもんだ。
僕が率先して市井の流行について話す、なんてきっと世界が終わってもないのだろう。
僕はチラっと彼女を見ていたつもりだったが、彼女の美しさに目が惹かれて随分熱心に見ていたのかもしれない。
視線を感じたのか、ふ、と彼女が顔を上げて僕の方を見た。
小首をかしげ、何か?と訝し気に僕を見た。
僕は、慌てて少し微笑んだ。
まさか見惚れてたなんて言えない。
「そろそろ、お暇を」
そう言って席を立った僕に、彼女は少し驚いた顔をしたがすぐにニッコリと微笑んだ。
「お会いできて嬉しかったです」
笑ってしまいそうになるくらい形式的な、完璧なマナ-の挨拶を受け、そして伯爵家から大仰な見送りをしてもらい僕は辞したが、追い出されたと感じるのは僕が卑屈だからだろうか。