5. 蒼い弾丸
――いやいや。まさかね。
火属性魔法の中でも特殊な何かを備えているとかね。ほら、蒼い炎でしょ。それっぽいしね。
まあ初陣ってこともあるしまだ色々馴染んでないんでしょ。多分。
心に生まれた新たな疑念を、中身のない言葉を並べてかき消そうとする。
こうして今までも、何もせずとも上手くいってきたのだから。
「はァ……、はァ……、は、ハルカさぁーん! 無事ですかーっ」
そうこうしているうちに、ようやくモモが七海の元へと辿り着いた。
必死の形相で駆けてきた彼女は、追いつくなり膝に手をついてぜーぜー言っている。
既に身体を起こし、痛みも忘れて思案に暮れていた七海と比べても、これではどっちが心配されているのか分からない。
なんならこの娘のほうが心配。
「ケガこそしましたけど、問題ありません。モモこそ……、大丈夫ですか?」
「……ふぅー、ふぅー……。ハルカさんが吹き飛ばされゴホゴホっ……たのだけでも堪えたのに、全力疾走まグフっ……でしちゃって……。ご……、ごめんなさい、身体、弱くて……」
「いいんです。もう……無理だけは、しないでください」
モモがこんな様子なので、介抱される側だったはずの七海が彼女の小さな背中を擦っている。
不謹慎承知で正直なことを言えば、瀕死寸前になったところをモモに膝枕とか……、ちゅっちゅ……じゃなくて人工呼吸してもらう展開を期待していたんだけどなぁ……。自分の図太い生命力が憎いィ……!
そんな僕の方は一先ず何とかなりそうだけど、モモは辛そうだし、一刻も早くあのバケモンをどうにかしなければならない。
僕の魔法の出力を考えると、近距離戦に持ち込む必要がある。
それではクマの方に確実に分がある。
せめて相手の攻撃の範囲外からダメージを与えられる術があれば……、例えばファイヤーボール的な……。
……ファイヤーボール?使えそうじゃね?
絶体絶命の実情を打開する一筋の光を見つけた七海は、モモの背に置いていた手を離す。
そのモモはというと、相変わらず息を整えるのに精一杯のようだった。
そんな彼女の為にも、七海はよろめきながら立ち上がり、一歩前に出る。
約十五メートル先の敵の姿を見てみると、七海を待ち構えるようにして立っていた。
やっっぱ怖え……。出来ることなら逃げたい。逃げたいけど……
振り返れば、苦しそうに胸を抑えているモモがいる。言うまでもないが、とても走れる状態ではない。
――やはり逃げることは出来ない。
七海は覚悟を決め、最後の手段の準備を始めた。
炎を作るまではこれまでと同じ。頭でイメージした燈火が、手の上で靡く。
ありったけの魔力を注ぎ込んでいく。
ビー玉程度だった炎が、みるみるうちに膨らんでいく。
しかし、それも直ぐにテニスボールくらいの大きさになって止まってしまった。
焔の熱が乾いた風に煽られ、胸の傷や顔をじわりと焼いてくる。
そんな鋭い痛みも、今の七海が感じることはない。
銃と化した右腕を構える。
あとは引き金を引くだけ。腕に力を籠めればこの 炎 は飛んでいく。
クマは余裕綽々といった態度で、こちらの攻撃をその巨体で受け止めるつもりのようだった。
――――――。
息を呑む。
―――さん。
七海はカウントをとり始めた。ゼロになった時、勝負は決する。
―――に。
……いち―――――――!!
魔力の流れる回路を絞るように、瞬発的に腕に力を籠めて弾丸を押し出した。
七海の掌から勢いよく飛び出した火の弾は、轟々と爆音を放ちながら奴へと向かっていく。
――よし!これならいける……!
が、両者の中間、七メートルを過ぎたあたりでそれは失速しだした。
真っ直ぐな直線を描いていた蒼い軌跡は、放物線へと変わってしまう。
「な――……」
希望とともにその速度は、ゼロへと近づいていく。
……ダメだったか。
この一手を躱され、後がなくなった僕は、化け物に殺される。
せめて――、せめてモモだけは、生きて欲しい。
僕がこの異世界で最初で最後、たった一人出会ってくれた、モモだけは。
少しでも離れた所へ連れて行かなければ――――。
火の弾の行く末を見届けぬうちに、逆向した七海はモモの手を取った。
「モモ!! 急いでここを離れましょう!! 早く……、早く僕の背中に―――」
――その時、
ボオンッッ、と、耳を劈く爆発音が聞こえた。それと同時に、肌を焼くあのじわりとした感触。
呼びかけと爆発に顔を上げたモモの大きな瞳が、鏡の如く七海の背後の状況を映していた。
濃い瑠璃の瞳の中に、鮮やかに浅葱が揺れているのが見えた。
それが意味する事実を確認する為に、七海も後方へ身を向ける。
『ンオオォォォォオオオオオオオオアアアアアア!!!!!!』
―― D O Y U K O T O ? ?
そこには、緑の草原の上で踊る蒼い炎。その中で草と一緒に化け物も焼かれて、黒い煙を上げている。その様は、まるで野焼きである。
足元をよく見てみると、長草の根元には、直ぐそこの森の木々たちのものであろう、枯れ葉が敷き詰められていた。恐らくこれが着火剤となり、乾燥した風、その他の気候条件が重なった結果があの火事だった。
初めは化け物も地鳴りのような悲鳴を上げて抗っていたが、力尽きたのか、今はただ火花が飛ぶバチバチッという音だけが響いている。
それを、二人はただただ漠然と眺める。
しかし、所詮“凡才”風情の魔法。
魔力を空にした火の壁は程なくして、蠟燭の明かりが消えるように、そっとその姿を消した。
落葉の焦げた苦い香りと、顔や脚が爛れた化け物の亡骸を残して。
自失も一段落して、はっ、と我に返った七海が、急いでモモに向き直る。
運良く最大の脅威が消滅した安心感も束の間、転じて彼女の容態を気に掛ける。
「モモ! 無事です…………ゕ……?」
――冷たくて滑らかな感触が、七海の動揺を溶かしていく。
憂う七海の言葉を遮るように、モモの白い人差し指が彼の唇を制していた。
そんな不意打ちを貰って細くなってしまった七海の声に、モモはしっかりと、それでも穏やかな表情で応える。
「――はい。ハルカさんの、お陰です」
そう、感謝の籠った、賛辞ともとれる想いが贈られる。
今度は純粋に、無意識に、モモの瞳を見つめていた。
彼女も視線を離さない。
二人の間に流れる色めいた時間に、七海の鼓動は速まっていく。
この雰囲気……、もしかして告白とかそういう流れ?
まぁ成り行きは見てないにしろ、命の危機を救われちゃったら僕に惚れる気持ちも分かるけどね……。
そもそもまぐれだったんだから、見られてたら意味なかったんだけどさ。
それにしてもここからどうすればいいんだ?
僕がリードした方がいいのかな?
えっと……、ヤッッバい、考えれば考えるほど身体が熱くなる。
血が……、血が沸騰すr――――
「……え? ハルカさん!? 気を確かにしてください! ハルカさん!! はるかさ……――」
視界が暗転する。
安堵(や色欲を催)した七海は、すっかり忘れていた傷の、尋常でない量の出血に倒れた。
これが、七海遥の“落ちこぼれ”異世界ライフの、一日目の終わり。