003はじめての異世界交流
俺は急いで自分の家に戻ると、数少ない洋服たちを引っ張り出した。
異世界でも浮かない服を探すが、そういうシンプルな服はあまり持っていないものだ。
その中から、とりあえず白い無地の無難なシャツを選ぶ。下はカーキ色のチノパンなら大丈夫だろう。靴は革製なら問題無いだろうと、編み上げのショートブーツにした。
「よし。これならパッと見は大丈夫だろう」
着替えた俺は、また急いで倉庫へと向かう。これで往復2時間近くも時間を使ってしまったのだった。
「よし、行くぞ」
俺は改めて気合を入れ直し、初めての異世界の外へと足を踏み出した。
まだ昼過ぎなので通りは多くの人が行きかっている。こちらをジロジロと見てくる人はいないので、服装のほうはなんとか大丈夫なようだ。
ひとまずホッとした俺は、改めて通りの様子を観察してみた。
どうやらこの通りは商店街のようなものらしく、通りの両サイドには様々な店舗が並んで建っている。通りの道も土むき出しではなく石造りのしっかりとしたものだ。いつも掃除されているのかゴミもあまり無く、とても奇麗な通りである。
そんな通りの中に、俺が扉でやってきた建物もあるのだ。
やはり健太はこの異世界で何らかの店舗経営をするつもりだったようだ。
「少し探索でもしてみるか」
何かやるにしても、まずはこの異世界のことをもっと理解しなければならない。
俺は出て来た扉に鍵を掛けると、通りを歩いてみることにした。
実はもうすでに、何となくこの異世界でのビジネスを考え出していた。
最初はただ健太の手紙に導かれるままに、この異世界までやって来ただけだった。はじめは手紙に書かれていることが真実かどうか確認することだけしか考えいなかったのだ。
だが、先ほどの着替えに家に戻る移動中の電車の中で、落ち着いて色々と考えることが出来た。まだハッキリとはしていないが、異世界ビジネスの方向性だけは見えてきた気がする。
自分の世界から異世界へは着ている服はもちろんのこと、ショルダーバッグや携帯も持ち込むことが出来た。逆に異世界からも、金貨や書類などを自分の世界へと持ち帰ることが出来たのだ。
つまり俺は、あの扉を使って自由に物を行き来させることが出来るというわけだ。
なので自分の世界から物を運び込み異世界で販売する、というシンプルなビジネスが出来るというわけだ。安く買って、高く売る。大航海時代に商人たちがやっていたことと同じだ。
ただそこでひとつ問題なのは、異世界の通貨が自分の世界で価値があるかということだった。もし商売で得たものが異世界でしか価値のないものであったなら、異世界で稼いだ金は異世界だけでしか使えないということになってしまう。
まぁそうなったら、価値のある物に買い換えて自分の世界に持ち込み現金化するという手もあるのだが。正直それは二度手間で面倒臭い。
そんなことを考えた俺は、まずはこの異世界で市場調査をしようと思っていた。簡単に言うと、この異世界で何か売れるのかを調べるというだけなのだが。
「いらっしゃい!新鮮な野菜だよ!」
露店で野菜を売っている男が威勢のいい声を上げている。指輪の効果のおかげで、異世界人が何を言っているのか言葉はハッキリと理解できた。
「これ、いくらです?」
「1個、銅貨1枚だよ」
カゴにたくさん入っているトマトっぽいものをひとつ取って聞いてみると、店員はちゃんと答えてきた。どうやら俺の言葉も問題無く通じるようだ。健太は本当に便利な良いアイテムを残してくれていた。
この通りは店舗型だけでなく、こうした露店も数多くあった。
売っている野菜や果物を眺めてみると、どれも自分の世界と大差のない似たような物ばかりだ。しかし、生鮮食品関係は消費期限が短いため、扱うつもりはなかった。
そんな通りを歩いていると、とある店に目が止まる。看板には『調味料』と書いてあった。
「ここならお目当ての物がありそうだ」
俺は逸る気持ちをおさえて、その店の扉を開く。
「いらっしゃい!」
店に入ると恰幅の良いおばちゃんが、元気に声を掛けてきた。店の中はたくさんの樽が並んでおり、その中には様々な香辛料ぽいものが入っている。しかし俺は、それらには目もくれず、おばちゃんに歩み寄る。
「塩ありますか?」
「食塩かい?それとも岩塩?」
「食塩で」
俺がそういうと、おばちゃんは後ろの棚から大きな壺を出してくる。壺のふたを開けると、中には白い塩がつまっていた。
「シチリス産の海から作った良い塩だよ」
この異世界での塩は海から作るか、岩塩かというわけらしい。海から作ったからか、結晶が大きく粗塩っぽい感じで、色も純白ではなく少し茶色くくすんだ色をしている。
「いくらですか?」
「50ガロル銅貨90枚。ほかの店じゃ銀貨1枚以上で売ってるから、うちは安いほうだよ」
「50ガロルって、どれくらいでしょうか?」
そう尋ねると、おばちゃんは木で出来た升のようなものをカウンターに置いた。
「これで摺り切りいっぱいが50ガロルだよ」
その升はそんなに大きくない。この感じだと、たぶんガロルはグラムとそんなに変わらない単位だろう。
「じゃあ、とりあえず50ガロル分ください」
「あいよ!」
「…………」
「入れ物は?」
「え?」
「あんた塩買うのに手ぶらで来たのかい?」
しまった。この世界ではコンビニ袋のような物があるわけではないのか。紙袋さえも無さそうだった。
「あ、ついうっかりして……またあとで来ます」
呆れるおばちゃんから逃げるように、俺は慌てて店を出る。
現代日本では当たり前のことが、この異世界では通じないといういい例だった。もっと気を付けないといけないな。まぁそのための調査なんだが。
この世界ではマイバッグのようなものを持つのは当たり前で、さらに小分けにできるような小さな袋もいくつか持っていないといけないのだろう。
そういえば爺ちゃんが、昔は鍋を持って豆腐を買いに行ったもんだと言っていたっけ。
こういう細かなことが知れるのも、まず最初に現地の市場調査をやって良かったと思える要因だ。
「この店は何だろう?」
色々と反省しながら歩いていると、またとある店に目が止まった。
窓のガラス越しに店内を覗いてみるが、ガラスが歪んでいて中の様子はよく見えない。
ハッキリとは分からないがなんか色々と売っているようなので、とりあえず入ってみることにしよう。
「いらっしゃい」
俺が店内に入ると、少し気の無い声が掛かった。店の奥にはその声の主である、40歳ほどに見えるおっちゃんがイスに座って店番をしていた。
店内には所狭しと色々な小物が置いてある。まさに俺が探してい雑貨店のようだ。
「何かお探しで?」
キョロキョロと店内を見回している俺に、しびれを切らしたおっちゃんが声を掛けてきた。
「あのぉ、小さい袋みたいのって売ってますか?」
まずは塩を買うための袋が欲しかった。
「革と布の袋なら、いろんな大きさのがあるが」
いくつか袋を見せてもらう。小さなものは宝石を入れるようなサイズから、大きな物は一〇キロの米袋ほどのサイズがあった。
どれも銅貨数枚の安いものだったので、適当に何枚か色んなサイズを購入する。
そして、こちらの世界に来てから、ずっと気になっっていたことを質問してみた。
「飲み物を飲むための、ガラスのカップみたいのはありますか?」
「ガラス?そんな高級なもの、うちでは扱ってないよ。カップやジョッキなら、木のものと石のもんならあるが」
やはりそうか。建物の窓ガラスが、どれも透明感の無い歪んで厚みがあるものばかりだった。なのでこの異世界ではガラス生成技術はあまり進んでいないと予想していたのだ。
「じゃあ鏡とかって、あります?」
「だから、そんな高級品、うちは扱ってねーって」
おっちゃんは怒り出してしまった。ガラスが高級なら鏡はもっと高級だろうとは思ったが、これも調査なので聞いてみたのだ。
「あ、じゃあいいです。すいません」
「ふんっ」
冷やかしと思ったのか、おっちゃんが鼻を鳴らして睨んできたので、急いで店を出ることにする。
その足で先ほどの店に戻り塩を5ガロル購入した。
その後、衣料品の店や武器や防具の店などを見て回ったが、すぐにビジネスにつながりそうなものは見つからなかった。
「ふぅ~、とりあえずそろそろいったん帰ろうかな」
まだ陽が暮れてきたというわけではないが、今日はいったん帰宅することにする。
今回の市場調査で、何点か異世界で売れそうな商品のアイデアは沸いてきている。あとは、これを具体的にしていくだけだ。
俺はショルダーバッグをポンポンと軽く叩くと、自分の建物へと急ぐのだった。