010 開店前日
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます!」
「おはようございますニャン!」
面接の翌日の11時。店に立つ俺の前に、さっそく出勤してもらったミーナとリサが立っている。ふたりとも元気に笑顔で朝の挨拶をしてくれた。
「今日は11時に来てもらいましたが、明日の開店からは11時に店を開けられるよう、少し前に来ておいてください」
「分かりました、ご主人様」
「了解ニャ、ご主人様」
「いやいや、ご主人様はやめてよ」
「ん?」
ふたりが不思議そうな顔をして、俺を見てくる。メイドさんじゃないんだし、ご主人様はちょっと違う気がする。なにより呼ばれる俺が恥ずかしい。
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「そうだなぁ……前に働いていた時は、上の人をなんて呼んでた?」
「酒場だったので、マスターとか店長ですかね?」
「じゃあ店長でいいや」
「分かりました、店長」
「了解ニャ、店長」
ゆくゆくはこの店以外のビジネスもしていくかもしれないが、今はこの店の店長ということでいいだろう。俺は納得して頷くと、用意しておいた掃除道具を出す。百円ショップで買おうとしたが、雑巾以外は全部プラスチック製だったので、ほとんどの掃除道具はここ異世界で買い揃えた。
ホウキとちり取り、そして木桶と雑巾のセットを取り出す。
「ひとりは店前の掃除。もうひとりは店内の掃除をお願いします」
「任せてニャ!」
そう言ってミーナがホウキに飛びつく。しかし、すぐにハッとして、リサの方を見た。
「こ、ここは年上として、好きなほうを選ばせてあげるニャ」
と言いながらもミーナの手はホウキを掴んだまま放さない。見るとしっぽもブンブンと振られている。どうやら外の掃除がもの凄くやりたいらしい。
「わ、私は店内を雑巾がけするので、ミーナさんは外の掃き掃除をお願いしてもいいですか?」
「しょーがないニャ~。じゃあ店内はリサに譲ってあげるニャ~」
そう言ってホウキとちり取りを持ったミーナが店の外へ駆け出して行った。
本当にリサちゃんは気が利く良い娘だ。この娘を選んで正解だったな。
「店の裏庭に井戸があるから、よろしくね」
そう言って裏口の場所を教えると、リサは木桶を持って小走りに出て行った。
ガラス越しに歪んでぼんやりした外を見ると、ミーナが豪快に掃き掃除をしている。凄い勢いでホウキを振り回して走り回っているようだ。あれ本当に掃除をしてるんだよな?
そんなミーナを横目に俺は塩と砂糖の試食用サンプルの準備をする。
毎度おなじみ百円ショップで買った陶器のシュガーポットをカウンターに並べる。薄い青い物と赤い物の2種類を3つづつ用意した。青いほうには砂糖を、赤いほうには塩を入れて、味見をしたい客になめさせるのだ。
塩は通常の価格の半値以下で売るため、品質を疑う客が出ることが予想された。また砂糖はこの世界の物に比べかなり白いため、こちらも品質を疑われるかもしれない。なので試食というか、テイスティングできるものを用意したのだった。
それに合わせ塩と砂糖を入れる樽のフタを先日、ラッカー塗料のスプレーで赤と青に塗装しておいた。これですぐに塩か砂糖の区別がつき、間違えが起こりにくくなるはずだ。なんせ塩と砂糖はパッと見同じに見えるうえに、こっちの世界の子なら見慣れていないのでなおさら間違えやすいだろう。
そしてロックグラスと鏡のサンプルも3つほどカウンターに並べた。
「こんなもんかな」
こうして見ると、なんと品揃えの少ない店なのだろうか。いまさらながら不安になってくる。
しかし売っている物の質は異世界一なのだ。ここは自信を持って店を開店させようじゃないか。と自分を奮い立たせてみる。
「店長!店長!なんかでっかい荷物が届いたニャ!」
店の中にホウキを抱えたミーナが飛び込んできた。言われて店を出ると、リサも心配そうについてくる。
「お待たせしました。ご注文の看板をお届けにまいりました」
店の前には一台の馬車が止まっており、ふたりの男が荷台に積んだ看板を降ろしていた。
「おおっ!待ってました!」
「さっそく取り付けちゃいますか?」
「お願いします」
すると男たちは荷台から梯子を出すと、慣れた感じで店の入り口の上に看板を持ち上げていく。
「この辺ですかね?」
「いや、もう少し上……はい、その辺で!」
すると男たちはあっという間に看板を店の壁面に取り付けてしまった。
「店長……なんて書いてあるんですか?」
看板の取り付けを俺の後ろでずっと見つめていたリサが聞いてくる。そうか字が読めないんだっけ。
「異世界商会だ」
「異世界……商会?」
「そう!ここが俺の店、そして君たちがこれから働く『異世界商会』だ!」
「ほえぇ~」
看板を見つめてリサが変な声を吐く。顔も高揚して赤くなっている。君にも分かるのだね、この興奮が。
「異世界ってなんニャ?」
ミーナが頭の上に大きな『?』マークを点けて聞いてきた。
「異世界とは、ここではない違う世界のことだよ」
「違う世界?」
「そう。うちの商品は、まるで違う世界からきたような素晴らしい商品というわけだ」
まぁ実際に違う世界から来てるんですけどね。
「凄いニャ、店長!」
「素敵です」
どうやらふたりとも気に入ってくれたようだ。良かった良かった。
「こっちの看板は、どうします?」
看板屋の男が、あと2つ看板を荷台から降ろしてきた。この2つは店の看板よりはだいぶ小さく、1メートル半ほどの板だ。
「ああ、それは店の入り口の両側に立て掛けてください。固定はしなくていいですので」
男たちが看板を立て掛けると、またリサが看板の文字を食い入るように見つめ出した。
「こっちには『塩あります50ガロル銅貨30枚』で、こっちは『砂糖あります50ガロル銀貨3枚』って書いてあるんだよ」
「塩と砂糖ですか、はぁ~」
またリサが大きく息を吐いて、感心したように看板をしばらく眺めていた。
「以上で、よろしいですかね?」
看板屋の男が俺に尋ねてきた。
「はい、大丈夫です。お代はいくらになりましたか?」
「まとめた注文だったんで少しお安くしますよ。今回は全部で金貨1枚でどうでしょう?」
「おお、ありがとうございます」
予定より少し安くしてくれたので、こちらとしてはまったく問題無い。大きく頷くと俺は腰に付けた革のポーチから金貨1枚取り出して看板屋に渡した。
「毎度!また何かありましたら、お願いします!」
そう言って馬車に乗って看板屋たちは帰って行った。
俺は改めて、掲げられた看板を見る。
看板のデザインは浮き彫りになっている文字が黒く塗られているだけのシンプルなものだ。
「やっぱイラストとかも、あったほうがいいのかな?」
俺は酒場の『赤いグリフォン亭』の看板を思い出していた。
「やっぱり、ネコの絵を大きく入れるといいと思うニャ」
ミーナが看板を見ながらピョンピョンと跳ねている。
「ネコ関係ないだろ、うちの商品に」
「でもネコは可愛いニャ~」
「可愛いけど、関係ないから」
だからといって塩や砂糖の絵を描いても、分かりにくいだろうしなぁ。
この辺もあとでちゃんと考えないとな。
「さて、掃除も奇麗に出来てるみたいだし、そろそろ研修を始めますか」
「はい!」
「はいニャ!」
看板に興奮する心を落ち着かせ、俺たちは店に入った。
「こっちの赤い樽が塩。で、こっちの青いほうが砂糖ね。それで、この小さい陶器の入れ物も赤が塩で、青が砂糖」
「はい」
「分かったニャ!」
リサとミーナが真剣な顔で俺の説明を聞いている。難しいことは無いのだが、明日開店ということを考えれば自然と緊張してくるのかもしれない。
「で、樽の上に置いてある赤い升が塩用で、摺り切りいっぱい入れて、ちょうど50ガロル。砂糖の青い升は少し大きいけど、これも摺り切りいっぱいで50ガロルになるから」
「はい」
リサとミーナに升を渡しながら説明する。この升は一応食品に触れるので、ラッカー塗料ではなく食紅で着色しておいた。
「摺り切りいっぱいといっても厳密にしなくてもいいからね。ただ少なくなるよりは少し多いくらいで測ってあげてください」
「なるほど」
ふたりは大きく頷く。
「それじゃあ、ちょっとやってみようか」
緊張した面持ちでリサが赤い樽から赤い升で塩をすくい、樽の口に渡してある木の棒で盛られた塩を摺り切る。
「うん。良い感じだね」
リサは几帳面な上に器用だった。こういう商売には向いているかもしれない。
「じゃあ次はミーナ」
「はいニャ!」
ミーナは元気に返事をすると升を塩の樽へ入れようとする。
「ダメダメ。その升は青だから砂糖用だよ」
「さすが店長ニャ。抜け目ないニャ」
研修なんだから目は抜かないっての。
今度こそミーナは青い樽から砂糖をすくう。そして木の棒に擦り、盛った砂糖を摺り落とす。
「出来たなニャ!」
そうして升を俺に見せてくる。その升には砂糖がまだこんもりと山のように盛られていた。
「ミーナ、サービスし過ぎ」
「さすが店長、商売人ニャ」
ミーナはとても元気だが、意外と雑だ。よく言えば細かいことを気にしないおおらかな性格だ。
自分で面接して選んだとはいえ、こうも真逆の子を選ぶことになるとは、自分でもビックリだった。
「あとでもう少し練習するように」
「はいニャ!頑張ろうニャ、リサ」
「は、はい……」
リサを巻き込むんじゃない。
「あと、うちで取り扱うのはグラスと鏡だけだから」
そう言って俺はカウンターの上に並べたサンプルを指し示す。
「て、店長……ちょっと見ていいかニャ?」
「どうぞ、どうぞ。お客さんにも聞かれると思うから、よく観察しておいて」
そう言うとミーナは大きい鏡を手に取り、そこに写る自分の顔を凝視し始めた。ただでさえ大きな目がクリクリと見開かれ瞳がキラキラと輝いている。
リサも小さい鏡を手にすると、恥ずかしそうに自分の顔を覗き込んでいた。ふたりとも鏡から手にするところは、やはり女の子というところか。
「小さいほうが金貨1枚で、大きいほうが金貨2枚ね」
「…………」
「で、こっちのグラスが銀貨10枚。このグラスはここから落としたぐらいじゃ割れないけど、鏡は割れやすいから気を付けてね」
「…………」
「で、グラスも鏡も壊れやすく傷付きやすい高価なものだから、この布の袋に入れてお客さんに渡してください」
「…………」
聞いてない。ふたりとも鏡に夢中だな。
「そんなに気に入ったんなら、一個づつあげるから持って帰っていいよ」
「さすが店長ニャ!」
聞いてんのかい!
「こ、こんな高価なもの……いいんですか?」
さすがにリサは恐縮している。いいんだよ、100円だからね。申し訳ない。
「では次にお客さんが来た時の、具体的な流れをやります」
「分かりました」
ふたりが鏡を置いて、姿勢を正して真剣な顔をする。
「お客さんが来たら明るく元気に、いらっしゃいませ!と言います……はい、お客さんが来ました。言ってみて」
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませニャン!」
「そしたら次に、何をお求めでょうか?と言って注文を聞いてください。この時、お客さんひとりに、ミーナとリサのふたりであたります」
本当はひとりひとりにお客さんを担当させるつもりだったが、最初はふたりでひとりの客にあたらせることにした。リサがまだ読み書き出来ないということもあったのだが。
「お客さんの注文を聞いたら、ミーナなカウンターの下にある紙にこの鉛筆で品名と注文数を書いてください。その間にリサは注文品を用意します」
「分かりました」
「店長、これニャんニャ?」
そう言ってミーナは渡された鉛筆を嗅いでいる。あっ!コラッなめるな!
「これは鉛筆と言って、紙に字を書く道具だよ」
「おおっ!店長すごいニャ!」
鉛筆で紙に字を書いてみせると、ミーナは耳としっぽをピンと立てて、興奮し出した。凄いのは俺じゃなく鉛筆だけどね。
「リサも字を覚えたら、これもやってもらうからね」
「はい。頑張ります」
真面目なリサのことだから、すぐに商品名ぐらいは書けるようになるだろう。
「で、お客さんに商品を渡しながら料金を言ってお金をもらったら、おつりを渡して終わり。お客さんからもらったお金は、この下に置いてある小さい木箱に入れてください。で、おつりの硬貨はカウンターの下にありますので」
ふたりとも真剣な面持ちで、俺の販売の流れの説明を聞いていた。
その後、俺が客役をして何回もシミュレーションを繰り返した。商品は多くないので、すぐにふたりともスムーズにやれるようになっていく。
ゴ~ン・ゴ~ン・ゴ~ン
気が付くと街の教会の鐘が15時を知らせてきた。この王都の時刻を知らせる鐘は1日に4回鳴らされる。9時に朝の鐘が1回鳴らされ、12時に昼の鐘が2回、そして今が15時の午後の鐘の3回、そして最後に18時に夜の鐘が4回鳴るのだ。
ちなみにこの世界の時間は24時間と、俺の世界とまったく同じである。
「ちょっと遅くなったけど、休憩にして昼飯を食べに行こう。何か食べたいものはない?ご馳走するよ」
「私は別になん……」
「にくにく、肉ニャ~!」
「ハハハ、じゃあ美味しいステーキが食べられる店に行こうか」
「やったニャ!さすが店長ニャ!」
まぁ、ご飯食べられるとこ、あの店しか知らないんだけどね。
赤いグリフォン亭のステーキは、ふたりにも大好評だった。特にミーナはあのでかいのを2枚も食べていた。まぁ彼女なりに遠慮したようで、ごちそうさまニャと言いながら、もう1枚食べたそうにしてフォークをくわえていたが。
その後、店に戻り段取りの確認や練習をしてみたが、もうふたりは充分こなせているようだ。
なので少し早いが、今日はこの辺でお開きとしよう。
「今日はお疲れ様でした。明日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
「任せてニャ!」
ふたりは元気に返事をする。最初よりは緊張もとけ、笑顔も自然に出ているようだった。
「それじゃあ、今日は特別にお給金をいま渡しますね」
そう言って俺はふたりに銀貨4枚づつを手渡す。
「え?今日も貰えるんですか?」
リサは申し訳なさそうに手渡された銀貨を見つめて言った。ミーナは目を見開いて、しっぽを高速にフリフリしている。
「今日は研修で短かったけど、ふたりともよくやってくれたんで、通常のお給金を出します」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとニャ!さすが店長なのニャ!」
こうして開店前日の研修が無事に終わった。
早めに切り上げたのは充分ふたりが出来る子だったというのもあるが、俺が開店前の最後の買い物をしたかったというのもあったのだ。
明日は開店準備もあり、品物の搬入は出来そうにない。なので、今夜が最後の事前搬入となるのだった。
ふたりを帰すとしっかり戸締りをし、俺は急いで地下室の扉をくぐった。
自分の世界に戻った俺は、またレンタカーを借りてホームセンターへ向かった。
店が開店すれば、またいつ商品の搬入が出来るか分からないので、今日のうちに出来るだけ商品を買っておきたかったのだ。
けっきょく俺は今日のうちに塩1000キロと砂糖200キロを搬入した。
さらに百円ショップではロックグラスと鏡の大小をそれぞれ100個づつ、さらに注文しておいた布製の巾着袋が1000個届いていたので、それも回収した。
さらにさらに、先ほど研修を眺めていて、ふと思ったことがある。このふたりに制服とか着させたら、もっと可愛いんだろうなぁ~と。
しかしさすがに今から制服を用意できるわけもなく、代わりにエプロンを着けるのはどうだろう?とショッピングモールへやってきた。
若い女の子で溢れる可愛い雑貨店にコソコソと入り、布製で無地の薄いピンクのエプロンをチョイスする。ついでに俺用に真っ黒のエプロンも買っておいた。
「あとは何かあったかなぁ?」
開店前日で不安がいっぱいなのか、何か忘れているような気がしてならなかった。
それとは逆にテンションが上がっているためか、あまり疲れを感じない。
「ふぅ~しかし腹は減るな」
気が付けば、すでに夜の10時をまわっていた。昼過ぎのステーキから何も食べてないので、お腹もかなり空いている。
どんなに焦っても、いよいよ明日は開店なのだ。ここは無理せず、今日は早めに休んでおいたほうがいいだろう。
「よし!コンビニ寄って帰ろう」
俺は急いで商品を店に搬入すると、興奮を抑えて家に帰るのであった。