第八十六話
東宮は、梨壺で右近少将と対峙していた。
「昨日は、突然の話でびっくりさせてしまって、悪かったね?」
「いいえ。
私にはもったいないお話でございますから・・・」
右近少将は、静かに答える。
その眼には、感情はこもっていない。
「本当に右近少将には、好きな女性はいないんだね?」
東宮が聞く。
「東宮さまにしたら、しつこいですね。
残念ながら、そのような女性はおりませんよ」
右近少将は、微笑む。
東宮は、思い切って口を開いてみる。
「私は、右近少将は桐壺の女御が好きなのかと思っていたよ」
その言葉に、右近少将の表情が一瞬固まる。
「桐壺の女御さまは、私の血を分けた妹でもあるのでございます。
私が桐壺の女御さまに恋をするなど、あるわけがございません」
何事もなかったように、穏やかに言葉をつなげる。
「そうか・・・。
それならば、牡丹宮との話、進めても良いのだな?」
「御意のままに」
そんな右近少将に東宮は、少しいらいらしたようでもある。
血をわけた妹であるのが桐壺の女御に恋していない理由であるならば、本当は血のつながっていない芙蓉に恋していない理由などないじゃないか。
「牡丹宮は、私にとっても、大切ないとこだ。
この話を進めるからには、決して牡丹宮を不幸にするな。
牡丹宮との間に子をなして、左大臣家を守り立て、藤壺中宮さまや、桐壺の女御の後見をする。
約束だからな」
東宮の強い口調に、右近少将は、はっとしたように顔を上げる。
「それは・・・東宮としてのお言葉でございますか?」
「お前の友として、桐壺の女御の夫として、牡丹宮のいとことしての言葉だ」
東宮は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ならば、その言葉どおり、努力いたしましょう」
右近少将は、東宮の目を見つめて言った。