第七十六話
芙蓉は、中将の御方が怒っていても怖くない。
けれども、悪いこともしていないのに火の粉が降りかかるのはごめんである。
なのに・・・なのにこの人は・・・
いま芙蓉は梨壺にいる。
二の君が中将の御方にしごかれている間に、東宮と二人っきりで過ごそうと、昼間っから梨壺に遊びにきているのだ。
東宮だって、暇なわけではない。
こうやって二人で過ごせる時間は貴重なのである。
なのに・・・
左大臣がやってきて、芙蓉に泣きつくのだ。
桐壺への出入り禁止がよっぽど応えたらしい。
東宮の御前とは思えないへたれっぷり。
「桐壺の女御さまの口から是非、中将の御方にとりなしていただきたいのです」
せつせつと芙蓉にうったえかける。
まあ、確かに女御の父を出入り禁止って聞いたことないし、左大臣に悪気はなかったのだろうけど、まきこまれたくはない。
それに・・・邪魔。
せっかく東宮さまと二人で過ごしたかったのに。
知らず知らず口がぷくっとなる。
すると芙蓉の隣りからクツクツと笑いを押し殺す声がする。
「天下の左大臣が台無しだよ。
その言い方じゃあ、まるで北の方に逃げられて娘にとりなしを頼んでいるひとみたいじゃないか」
笑いすぎて、涙をぬぐう。
「あら、北の方にしようとして逃げられているの間違いですわ!」
芙蓉は、さらっと訂正してしまう。
東宮が、えっという顔で左大臣を見る。
左大臣は、芙蓉の爆弾発言に目を丸くしたまま。
芙蓉は、はっとして口をおさえる。
「なーんて、冗談です」
にこっと微笑んだが、もう遅い。
「そっかあ〜。
左大臣が中将の御方をねえ〜」
東宮ってば、語尾が何だかルンルンしている。
「要するに、中将の御方に会えないのは嫌だからとりなして欲しいってことでしょ?
じゃあ、僕がとりなしてあげるよ」
東宮が軽く約束する。
芙蓉は、ため息を押し殺す。
私が言っちゃったのがばれたら、母さま、絶対に怒るわ。
関わりたくないよ〜。
そんな芙蓉の思いはそっちのけ。
左大臣は大喜びしてるし、東宮だってこんなことで左大臣に貸しが作れるなんて、美味しい話だ。
なんてったって、あの中将の御方とあの左大臣の恋だなんて面白い。
まあ、中将の御方は才色兼備の評判の美人だから、狙っている男も多いらしいけど。
左大臣をいじって遊ぶつもり満々の東宮だったが、左大臣に釘をさすのも忘れていない。
とりなしてやるから、そんなヘタレ顔を、他の貴族には決して見せるなと。
一の宮の後見がそんなヘタレ顔では困ってしまうから。