第六十九話
藤壺の女御は中宮に冊立され、藤壺の中宮と呼ばれるようになる。
桐壺に住む東宮の女御である芙蓉にとっては、生活に特に変わりはない。
もともと、出不精というか、後宮での人付き合いは中将の御方にまかっせきりで、大して他の女御方と付き合っているわけでもない。
一応同じ女御とは言っても、帝の女御と東宮の女御という大きな違いがある。
そんなある日、なんとあの梅壺の女御が一の宮さまと桐壺の女御さまのご機嫌伺いに伺いたいとの使いがやってきた。
中将の御方は、眉間にしわを寄せる。
「何しに来られるんでしょう?」
中将の御方でなくても、そうぼやきたくもなる。
なんと言っても、使いと言っても梅壺の女御はもうすぐそこまで来ているというのだ。
「そんなにすぐ来られるのでは、仮病も使えないわ」
芙蓉は、げんなりする。
押しの強い梅壺の女御が、芙蓉はかなり苦手だ。
不審に思いながらも、仕方ないので中将の御方は女房たちにテキパキと指示を出していく。
「梅壺の女御さま、お越しにございます」
女房の言葉に、芙蓉は頑張って笑顔を作る。
梅壺の女御は、相変わらず美しい。
「ようこそお越しくださいました」
にこやかに話す芙蓉だが、頭の中は不安でいっぱいである。
この人と関わって良いことがあるとは思えない。
前に、清涼殿に行く途中で感じた他の女御やお付きの女房たちのぎらぎらした眼差しが思い出されてならない。
梅壺の女御は、そんな芙蓉の思いを知っているのか知らないのか、にこやかに季節の挨拶を始める。
桐壺の部屋の調度や衣の趣味の良さや香の品の良さを、誉めそやす梅壺の女御は、今まで見たことがない親しみのこもったしゃべり方をしている。
一の宮さまにも、是非ご挨拶をと言い出す梅壺の女御に、芙蓉は不信感をぬぐえない。
一の宮を見せると、
「んまあ!なんて、賢そうなお顔なんでしょう。
末は東宮いずれは帝になられるだけあって、素晴らしいお顔立ちですこと」
などと、なんだかんだと誉めそやす。
傍らにいる中将の御方も、びっくりしてしまっている。
この方は、何をしに来たのかしら。
もういっそ、ストレートに聞いてしまおうか。
そんな風にすら思えてくる。
「私の兄のところに、三歳になる姫がおりますの。
それはそれは賢くて愛らしい姫ですのよ?
ぜひ、一の宮さまの妃にいかがでしょう?」
唐突な申し出に、なんて答えたらいいのかも思い浮かばない。
「一の宮は、まだ生まれたばかりで、妃のことなどまだ思いもよりませんでしたわ」
困りつつも、語尾を濁す。
「でしたら、これからお考えになってみてくださいませ。
そうですわ!
今度一の宮さまのお相手をさせるために、参内させるというのはいかがかしら?」
ぱんっと手を叩いて、さも良い考えを思いついたかのように話す。
そんなこと言っても、一の宮はまだはいはいもしていないのに・・・
芙蓉の困惑など、お構いなし。
中将の御方も苦笑いするしかない。
しかも、さらに王女御や麗景殿の女御まで桐壺にやってきた。
みな、それぞれ言っていることは似たようなもの。
自分が推す親戚筋の姫君を一の宮の妃にしてくれないかというものらしい。
姫君たちの年齢も、様々である。
上は十歳。
下は、まだお腹の中にいるらしい。
そんなの、男か女かまだわからないじゃない。
心の中で突っ込む芙蓉だが、それをこの女御たちに言う勇気はない。
女御たちによる一の宮の妃候補たちの売り込みは、日が傾くまで続いたのであった。
その間に、桐壺に遊びに来ようとした東宮が、女御たちに恐れをなして、こっそりと梨壺に戻っていったことは、誰も知らない。