第六十七話
芙蓉が、男皇子を産んだことで、左大臣の権力はより増した。
もはや、他の勢力を寄せ付けないほどだ。
他の勢力によって後見されている女御たち、特に梅壺の女御などの悔しがり方は尋常ではない。
たとえ内親王でもいいとさえ思っているのに、いっこうに自分たちには懐妊の気配すらない。
藤壺の女御と桐壺の女御の姉妹が今、宮中でもっとも時めいていること。
それが腹立たしくてしょうがない。
けれども、それを正面きって悔しいというのは、自分たちのプライドが許さない。
女御たちはもちろん、それぞれの女御に仕える女房たちまで、桐壺の女御に向ける視線は痛いほどギラギラしている。
芙蓉は、東宮と共に一の宮を連れて清涼殿へと向かっていた。
清涼殿に向かうまでの間には、様々な殿舎を通っていかなくてはならない。
芙蓉は扇の陰でこっそりため息をついた。
ぎらぎらした視線が突き刺さるようだ。
清涼殿には、帝と藤壺の女御がお待ちである。
初めて参内してきた一の宮に会うための席が設けられているのだ。
一の宮はふぎゃふぎゃと無邪気な声を立てながら、乳母に抱かれている。
それを見ると、芙蓉はうんざりした気持ちが吹き飛んでしまう気がする。
三人は、清涼殿へと到着した。
藤壺の女御がぱあっと顔を輝かせて一の宮を見つめる。
左大臣も呼ばれたようである。
帝の二人の内親王も来られていて、物珍しそうに一の宮を見つめている。
一の宮を受け取った帝の手つきは、さすがに慣れている。
一の宮をよしよしとあやした帝を中心に、二人の内親王がきゃっきゃと笑いながら走り回っている姿は、ここが帝の御座所、清涼殿あることなんかすっかり忘れてしまうくらいのどかな光景である。
その時、帝がおもむろに口を開いた。
「藤壺の女御を中宮にしたいと思う」
一の宮をあやしながらのその言葉を、みな一瞬聞き逃してしまいそうになる。
一番驚いたのは、藤壺の女御である。
「ええっ?」
そう言って、目を大きく見開く。
「私の次の帝は、東宮。
東宮の次の帝には一の宮がいる。
私は、自分の子供が帝になることよりも、藤壺の女御を中宮にして、いつまでも一緒にいるこどが出来ることのほうが大事だと思うのだ。
左大臣は、どう思う?」
突然話をふられた左大臣ではあったが、自分の娘が中宮になるという話に否やがあるわけがない。
「御意のままに」
左大臣は深々と頭を下げた。
驚いて息をするのも忘れてしまいそうな気分の芙蓉だったが、涙を浮かべている藤壺の女御を見て、我に返った。
帝の言葉に、嬉しくて泣きそうになっている藤壺の女御を二人の内親王が囲んでいる。
「母さま?
なぜ、泣いているの?
悲しいの?」
女一の宮が、不思議そうに聞く。
「いいえ、母さまは嬉しいから泣いているのです」
藤壺の女御の、その言葉に女一の宮は首をかしげる。
「変なの〜」
そんなことを言う女一の宮に、まわりの空気が一気に緩む。
その後も、幸せそうな家族の笑い声が清涼殿に響き続けた。