第六十五話
芙蓉は、雪の積もる左大臣邸の庭を眺めていた。
昨夜から降り続いた雪がすっぽりと庭をおおっている。
陽の光を反射してきらきらと輝くそのさまは、なんとも言えず美しい。
この庭も、しばらく見れなくなる。
雪化粧をしたこの庭を次に見れるのはいつのことか。
そう考えると、この景色をしっかりと目に焼き付けていたくなる。
芙蓉の産んだ一の宮が、芙蓉の横でうとうとと眠っている。
数多く続いた産後の儀式を終えて、左大臣邸にもいつもの静けさがようやく戻ってきた。
一の宮を抱いた中将の御方は、可愛くて仕方ないというふうに一の宮を見つめている。
小姫を抱いた三の君と二人、なんとも幸せそうな顔をしている。
三の君と一緒にいれるのもあとわずか。
左大臣邸にも三の君にも名残はつきない。
けれども、それ以上に東宮に会えるのが楽しみで仕方ない。
東宮は、一の宮が生まれてからも、一度だけお忍びで左大臣邸にやってきた。
ほんの一瞬だったけど、一の宮を抱いた時の東宮の心から嬉しそうな顔が芙蓉の脳裏によみがえる。
東宮からは、一の宮を連れて早く参内するようにとの催促の文が毎日のようにやってくる。
五十日の祝いを済ましたら、一の宮と共に参内すればいいということで、左大臣が吉日を占わしたのだ。
左大臣邸での日々は、儀式さえなければ、宮中とは違って本当に静かだ。
東宮が東宮ではなければいいのに。
芙蓉は、ふとそんなことを思ってしまう。
一の宮を産んだからには、いずれは中宮そして国母の宮にも芙蓉はなれるかもしれない。
けれどもそんなことより、東宮と一の宮と芙蓉の三人だけでこんなふうに静かに生活することが出来たらいいのに。
そう願わずにはいられない。
もしかしたら、もうすぐ他の女御が入内してくるかもしれない。
参内したら、またそんな風な不安でいっぱいの日々、まわりの人たちに気を使ってばかりの日々が待っている。
芙蓉は、そんなことを考えると思わず苦笑いしてしまった。
「私、帰りたいのかしら?帰りたくないのかしら?」
思わずそんな独り言をつぶやく。
傍らの中将の御方がにこりとして言う。
「帰ると言っている時点で、あなたの場所は東宮の隣なんじゃないかしら?」
その言葉に、芙蓉は思わず顔を赤らめてしまった。