第三十六話
芙蓉が入内したのは桜の季節であったのに、季節はいつのまにか夏である。
芙蓉が入内して、はや三ヶ月。
梅壺の女御の妊娠騒動以来、後宮はつかの間の平和を取り戻していた。
そんなある日。
藤壺の女御腹の女一の宮が桐壺に遊びにやってきた。
女一の宮は、御年三歳。
ぱたぱたと走りまわるたびに肩より少し長い髪がさらさら揺れる。乳母を手こずらせる元気な姫宮である。
可愛らしいあこめを着せられて、にっこり笑う姿はいかにも姫宮らしい。
けれども走り回るのが大好きで、母女御と暮らす藤壺の中はもちろんのこと、父帝のいらっしゃる清涼殿にも、一人で駆けていってしまわれる。
アクティブな姫宮である。
藤壺からだいぶ離れた桐壺にいる芙蓉は、かっこうの遊び相手であるようで、追ってくる乳母とかくれんぼをしながら、よく桐壺までやってくるのだった。
この時代、深層の姫君といえば、一日中座りっぱなしである。
姫宮なのに駆け回る女一の宮を、意地悪な女房などの中には、じゃじゃ馬宮などと評するものもいる。
しかし父帝は、そんな姫宮をとがめるどころか、自分の秘蔵っ子として可愛がっている。
駆け回るのが良いのか、女一の宮はほとんど病気をしない元気な姫宮であった。
ひとしきりはしゃいだあとで、出されたお菓子を食べながら眠ってしまう。
手にはしっかりと菓子を握りしめている。
そんな姫宮を見ていると、芙蓉は、自分も東宮の子供が早く欲しいものだと感じる。
まわりは男宮を熱望しているものの、女一の宮を見ていると、男でも女でもどちらでも構わないと思う。
ただ女一の宮のように、元気な子供が欲しい・・・。
夏の暑さに少し汗ばんでいる女一の宮を扇であおいでやる。
そこにやってきた東宮は、そんな芙蓉を少し離れたところから覗いている。
芙蓉に子供が出来たら、あんなふうなのか・・・。
遠くはないかもしれない未来に思いを馳せる。
女一の宮は乳母に抱かれて、藤壺へと帰って行った。
少し寂しい顔をする芙蓉を、東宮がからかう。
「女一の宮が帰ってしまった程度でそんなに寂しがるんだったら、女御の子供が出来たら、僕なんか見向きもしてもらえなくなるね」
「そんなこと、ありませんわっ」
ついつい向きになって反論してしまう。
そんな芙蓉を東宮は愛しげに見つめていた。