第一話
時は平安。
ここは、賢き御方の住まわれる宮中からほんの少し離れたところにあるただっぴろいお屋敷である。
その美しい庭には四季折々の花が咲き誇り、この屋敷の主、左大臣の栄華を象徴しているかのようである。
二条殿と呼ばれるそのお屋敷の東の対。
そこには左大臣の三の君が住んでいた。
三の君といえば、今もっとも都で評判の姫君である。
その美しさ、教養の高さから都中の若者たちが、我こそはと文を送っていた。
今日も東の対では、素晴らしい楽の音が聴こえてくるはずであったのだが・・・。
何やら様子がおかしいのである。
女房や家人がばたばたと走り回り、庭の草木の陰、池の水の底まで見ようという勢いで何かを必死で探している。
その中心で真っ青になりながら、指揮をとっているのは、芙蓉の君と呼ばれる三の君の乳姉妹である。
乳姉妹といっても、芙蓉の父は大臣の亡き弟君、母も亡き北の方の妹であり、三の君とは姉妹同様に育ってきた。
実は、風流を好む雅やかな姫君という三の君の評判は、この芙蓉の暗躍のおかげだったりするのである。
楽を奏で、歌を詠み、素晴らしい筆跡の持ち主といった三の君の評判は、すべて芙蓉がやったこと。
顔を見たこともないのに、教養が高いとなれば、すなわち美人。
そんな評判になるのだ。
実際の三の君を見たことがある人なんて、ほとんどいない。
左大臣家の姫君が、人目に触れるような端近に出るようなはしたないことをするわけがない。
噂なんて、勝手なもの。
当の三の君といえば、楽器はすべて駄目。
歌は大の苦手。
手習いをすればミミズがはったあと。
お香を作れば悪臭をはなつ。
といった、どうしようもない姫君であった。
そんなこんなで本人も周囲も頭をかかえていた三の君の姿が、どこにもないのである。
腐っても大臣家の姫君である。
それが失踪したなど前代未聞。
左大臣家の面子にかけても人には言えない。
その時、ドタドタドタっと足音が響いてきた。
高貴な人らしからぬその足音の持ち主。
それこそがこの邸の主、左大臣その人である。
その顔は顔面蒼白。息も絶え絶えといったところ。
「三の君はまだ見つからぬのか!」
腰も抜かさんばかりである。
「申し訳ございません、伯父上さま。
三の君は、入内はどうしても嫌だとおっしゃって・・・。ほら、このような書き置きが。」
芙蓉は三の君からの手紙を左大臣に渡す。
左大臣は一別したあと、がっくりと肩を落とす。
「字が汚すぎて読めん!!」
左大臣は和紙を握りしめたまま、頭をかかえてしまった。
しばらくの沈黙のあと、左大臣は言葉を絞り出した。
「今日、三の君に入内の宣旨がおりた・・・」
さすがの芙蓉も言葉を失った。
入内が決まった姫君が失踪などということになれば、左大臣の失脚は免れない。
常日頃の三の君を知っているだけに、まさか三の君が入内するなど、左大臣家では考えたこともなかった。
沈黙が続いている。
左大臣は頭を抱えるばかりである。
そのとき、左大臣の頭にとんでもないことが閃いてしまった。
「よし、芙蓉が入内すれば良い」
「はあっ?!」
芙蓉の君がとんでもない声をあげる。
「私がですか?」
左大臣は、満足そうにうなずく。
「いやー、いい考えじゃ。
どうせ三の君に女御は務まらん。
しかも、芙蓉は美しい!
三の君をいれて、恥をかくよりよかろうて」
もはや満面の笑みである。
芙蓉の君は、口をパクパクさせたまま、言葉が出てこない。
「ええーーーっ!!!」
こうして芙蓉の受難の日々が始まった。