私が小説を書く理由
どこにでもいる学生二人がカフェで一生懸命書いているもの、それは小説だった。
おさげの子は恋愛もの、ポニーテールの子は純文学。
そんな二人は互いに手を取り合いながら小説を書いていた。将来作家になるという夢を抱きながら。
ある日、いつものカフェで小説を書いていると、おさげの子が見覚えのある女性を発見する。
「あれ、もしかして〇〇□□先生じゃない!?」
「え、どこ!?」
カフェで偶然見かけたその人は今陰で人気の女性作家だった。
公で活動している彼女は顔も広く知られており、各地を観光しているらしい。
しかし実際に会えるとは普通思わないだろう、人気作家を前に二人は高揚していた。
二人はすぐさま席を立ち作家の元へと近づくと、失礼を承知で話しかける。
「じ、実はファンなんです!新刊凄く面白くていつも読んでます!」
「あら、ありがとう」
女性作家は一瞬驚くも、すぐさま笑顔を見せお礼を言った。
「こんなところでお会いできるなんて光栄です!」
「ここは行きつけのカフェだからね、良かったら同席する? お代は持つよ」
「本当ですか!?」
有名な作家という立ち位置にいながらも一般人にすら優しく接する彼女の本質は作品同様素晴らしい人柄だった。
二人は対面して席に座ると早速作品の質問だったり評価だったりと早口で話し始めた。
「今は連載作が多い中で短編一筋、しかも女性なんて本当に尊敬しちゃいます!」
「なんていうか、先生の言葉には一つ一つ魂が込められてると言いますか、羅列で紡がれた文章じゃないのが伝わってくるんです!」
無邪気に無垢な瞳をキラキラとさせながら期待を向けてくる二人はとても甘く、コーヒーを口に入れて丁度よく広がる味を同時に受け止める。
「あはは、ありがとう。至極当たり前のことかもしれないけど、私は文字に人一倍心を込めて書いてるからかもね」
自身の放つ何気ない一言をメモでもするかのようにまじまじと聞き続ける二人に笑みがこぼれてしまう。
彼女の作品は基本現地調達だ。色んな場所に赴き色んな風景を楽しみ、思い立ったことを綴る。作家の夢ともいえる自由な行動を共にした作品を書いているのだ。
「そういえば、先生はどうして小説を書き始めたんですか?」
「あ、それ私も気になります。こんなに泣ける話を毎回書けるなんて、どんな発想力があればできるのか是非知りたいです!」
長々と話していると、彼女の核心を付く質問が飛んできた。
その女性作家は一瞬真剣な顔を見せるもすぐさま柔らかくなり、まるで思い出すかのように窓の外を見つめだす。
「私が小説を書く理由ねぇ。じゃあ少しだけお話しよっか」
期待する二人を外目に、自身の過去を振り返るように話を始めた。
◇◇◇
「そんな……」
私の声は震えていた、恐怖に顔を歪め、悲哀に涙を流していた。
「弟は……一輝は助からないんですかッ!」
先生に対し泣きながら声を荒らげる。心の底からの声を、必死に訴える。
弟、一輝は癌の末期寸前だった。小さなころから患っていたものの摘出手術が上手くいかず何度も再発、気づけば体全体に広がっていた。
「……」
「先生ッ……!」
「ごめんなさい、この状態ではもう……」
その言葉に放心した、あの時の私はどんな顔をしていたのだろう。きっと絶望を知った瞬間だった。
毎日眠り、最低限のリハビリをし、そして眠る。時間が空けば手術を行い、そしてまた眠る日々。
弟はもう中学生にもなるというのに、人生のほとんどを寝たきりの状態で過ごしていたのだ。
日々が過ぎるのはあまりにもあっという間で、あれから余命とされた6ヵ月を切った。いつ死んでしまってもおかしくはない。
一輝は何も語らず、何も喋らず、ただ窓の外を見続けていた。
「……」
私からは何も話しかけれなかった、一輝がどんな気持ちでいるのか想像もつかないからだ。
苦しんでいるのだろうか、何も出来ないわたしを憎んでいるのだろうか、それが怖くて私は一言も話せなかった。
ただ、毎日学校が終わると一輝の傍にできるだけいるようにした。家族が、親がいない私にはそれくらいしか出来なかった。
「姉ちゃん、昔小説書いてたよね」
「!!……うん、全然下手だけどね。」
突然、初めて喋りかけられる弟に思わず驚いてしまう。
話しかけられたのはいったいいつぶりだっただろうか。
一輝は少し思い悩んだような顔をしたあと、まるで決心でもしたかのような吐息と共に私に頼み込んだ。
「姉ちゃんの小説、読んでみたいな」
「えっ……?」
もう余命を待たない弟が最初で最後に願ったことは"私の小説を読みたい"だった。
「……そんなに面白くないよ?」
「いいの、姉ちゃんのが読みたい」
その言葉に嬉嬉として私は一輝に私が初めて書いたライトノベル系の小説を見せた。
正直詩を音読するくらい恥ずかしかった。
「……ふふ」
数十分読み進めたところで一輝が笑みを浮かべる。
「ここ面白い、何度も読み返しちゃうよ」
「そ、そう……?」
「うん、姉ちゃん意外にセンスあるじゃん」
私は照れくさそうに「えへへ」と笑みをこぼすと一輝は幸せそうな顔をしながら続きを読み始めた。
やがて数時間が経ち、一輝は一息つくと満足した表情を浮かべて私にこういった。
「すごく面白かったよ! 姉ちゃん小説家目指したら?」
「え、そ、そんな。無理だよ」
私は酷く否定した。小説家なんて簡単になれるものじゃないし、そこまで自分に才能があるだなんて思ってもいなかったからだ。
「そんなことないよ。姉ちゃんの小説すごく面白いし、もっと読みたいと思った。特に実体験を書いてある場面は心惹かれるくらいに巧みな文章だったよ。いくら読んでても全然飽きない」
「ほ、ほんと……!?ありがとう……!」
自分ですら気づかなかった長所を褒めてくれる一輝に心から嬉しさが湧いて出た。
しかし、次の一言で私の喜びはあまりに不謹慎だと気づかされた。
「……もっと時間が欲しかったなぁ」
「……っ」
その言葉を聞いて私の顔がまた歪みだす。
そう、そうだよね。一喜一憂しちゃってたら駄目だよね……。
「あ……ごめん、今のは違うんだ。僕は大丈夫だから」
「嘘……」
「うそじゃないよ、それに僕は姉ちゃんの方が心配なんだ」
一輝の言葉に疑問を持つ。
「私……?」
「姉ちゃん僕がいなくなったあと、ちゃんと生活していける?」
「そ、それは……」
私は言葉に詰まった。
「姉ちゃんにはこれからも前を向いて生きていてほしい、僕のためにも、約束してくれる?」
「わ、わかんないよ……」
本来なら私が弟を慰めなければならないのに逆に私が心配されている、しかも私は一輝の約束にしっかり返事ができていない、そんな自分がとても悔しかった。
「人間はみんな必ず死んでしまうものなんだよ、それは今も昔も変わらない、当たり前のことなんだ」
一輝は不安な顔をする私の頭を力の入っていない手で撫でながらそう言った。
「確かに長く生きることはいいことだし、うらやましい。でも大切なのはどれだけ長く生きるかじゃなくて、どれだけ人生に価値を見い出せるかだと思うんだ」
「一輝……」
それは中学生の放つ言葉とは思えないほど立派な言い方だった。
「僕はみんなに比べたら短かったけど、それでもすごく幸せだったし、なにより満足しているんだ。だから僕は大丈夫、心配いらないよ」
「一輝……ッ!」
本当はすごく辛くて、とても不安なことを私は知っている、いつも窓の外を見続けていた弟はすごく悲しそうな目をしていたから。きっと悔しさを我慢して自分の死を納得した、そう思うと涙が止まらなかった。
「大丈夫だよ、きっと」
そう言って泣きじゃくる私の頭をゆっくりと撫でた。
翌日、あれだけ元気な姿を見せていたはずの弟は眠るように息を引き取っていた。
あまりのあっけなさに思わず倒れ込む。
一輝はまるで自分の死を悟るように清々しい顔をしていた。
私は昨日の出来事が一輝との最後のやりとりだったと自覚すると涙が溢れてきた。
伝えたいこともちゃんと伝えられず、最後まで姿勢を崩さなかった一輝との差に、自分の不甲斐なさを実感した。
その日、私は病院で涙が枯れるまで泣き続けた。
あれから1週間が経った、私は最期に一輝が約束してと言ったことを守ると決意した。
私に出来ることはこのくらいだったので、せめてもの償いとして精一杯生きると誓った。
ある日、使わなくなった一輝の部屋を黙々と片付けていると1冊のノートが出てきた、それもかなり使い込まれたものだった。
「なんだろう、これ」
私はふとノートのページをめくると、そこに書かれていたのは一輝の「小説」だった。
字が幼い事から恐らく小学生に入ったばかりの頃書いた小説だろうか。
波乱万丈な内容にお世辞にも上手いとは言えないけど何処か興味を惹かれた。
最後まで読み切るとページの裏に何か書いてあるのが見える、ゆっくりとめくるとそこには力強い文字でこう書かれていた。
「しょうらいは小せつかになる」
私は確かに書かれてあるその言葉に驚愕し、硬直してしまう。そしてボロボロと涙が溢れてきてしまった。
一輝がなぜ最期に私の小説を読みたいと思ったのか、なぜ小説家を推していたのか、その全て理解したからだ。
恐らく小さなころから小説家を目指していて、病気で書くことが出来ないことを悟ってしまったのだろう、そんな自分の夢を私に追って欲しくて小説を強調していたんだと思う。
果てしなく叶えるのが厳しいその夢を、自分の思いを最後まで誰にも言わず心に抱きしめたまま旅立って逝った弟の、一輝の勇士がそれを示している。
そう気づくと私は涙が止まらなくなっていた。
私は止まることのない涙を拭きながらもう1度弟の小説を読み返す。
すると一言一言が先ほどとは全く違う言葉に聞こえてくる、本当に小説家になりたいと言う意思が読み手にも伝わってくるのだ。
それは私の中で間違いなく世界一の小説だった。
ただの文字に魂が篭っていて、人の思いを体現するかのように表せる文章。それは質や内容なんかじゃない、本気の気持ちが込められた言葉の数々だった。
すごく魅了された、相手に気持ちを知ってもらう事で小説はここまで魅力を発揮できるものなのだと。
その時私は小説の素晴らしさを知った、ただの言葉に隠されている大きな魅力を体験したからだ。
私は急いで部屋に戻ると、ペンと原稿用紙を用意しこう書き出した。
「私が小説を書く理由」と──
◇◇◇
「うわぁぁあん。ぞの"話本当な"ん"でずかぁ"!?」
コーヒーが塩味に変わるほどボロボロと涙を流すおさげの子。
ポニーテールの子も涙腺を必死に堪えながら話を聞いていた。
「あはは、冗談。フィクションだよフィクション」
「な、なんだ。びっくりしちゃいました……! でも凄いですね、こんな泣ける話をぽんぽん浮かび上がるなんて」
種明かしをすると二人は安堵した表情を浮かべてほっと一息ついた。
「でもね、小説は叶わない夢を書く事なんだ。だから君たちは今ある幸せを決して逃がしちゃいけないよ」
「「……?はい!」」
少し理解していないながらも言葉の大切さは伝わったようで、二人とも元気よく返事を返した。
「じゃあ私はこれで。まあどこかで会えることを楽しみにしているよ」
レシートを持ち会計を済ませると手を振ってその場を去った。
二人も後に続いて満足そうな表情で席を立ちあがる。
「いやぁ今日は良い話が聞けたね。先生のフィクションを生で聞けるなんて幸福だな~」
そんな一言を漏らすとどうやらカウンターの店員に聞こえていたようで、まるで当然と言わんばかりに二人にとって衝撃の言葉を返された。
「はっはっは。何言ってるんだい、彼女は"ノンフィクション作家"だよ。自分が体験してきたことを最大限に活かす能力があるからこそ彼女の作品は他とは違う魅力があるんじゃないか」
「えっ。それじゃあさっきのは……」
二人が振り返ると彼女は既に扉を開け外へと去って行っていた。
人混みの影に消えていく彼女の後ろ姿は誰よりも生き生きとしていて、そして誰よりも前を向いて人生を謳歌しようとしている。
淡い光の中で輝く一つの宝石ように、失ってからも前を向けるように。
それこそまさに彼女とその弟が願い、そして成し得たもの。それこそが"小説を書く本当の理由"なのだと二人は理解した。
そして二人は彼女の背に深々と頭を下げると、心の底から尊敬と敬意を伝えた。
「「──新刊、期待しています!」」
そして彼女は今日も小説を書き続ける。
魂を込めたその一文字を、小説を書く理由と共に──