第5話 『雨雲』
その日の朝、ギルドはやけに物々しい雰囲気に包まれた。
朝八時の受け付け開始と同時に黒い制服を着た役人が幾人も乗り込んできて、ギルドの二階にある事務室に上がって行く。
「何事だ?」
通りがかった私が問うと、アビーが渋い顔で言った。
「治安局の方々なのです。マスターに御用事なのです」
「マスターに?」
「はい。ヴァルターも一緒なのです」
うちのギルドも組織であるからには、当然ではあるが指揮命令系統が存在する。
その頂点は言うまでもなくギルドマスターになる。
私も雇用契約時にお会いしたが、ジェントルな雰囲気漂うロマンスグレーの渋いおじさまだった。
恥を忍んで言えば、かなり私のストライクゾーンのいいところに食い込んで来たので胸の高鳴りを抑えるのに苦労したものだ。
そのマスターが深いバリトンの声で語るには、若かりし頃は冒険者をやられていたとのことで、引退後の仕事としてギルドマスターを選んだのだそうだ。
その右足は義足。負傷した際に治療が遅れて壊死してしまい、アンプタ(切断)せざるを得なかったらしい。
それだけに怪我をした冒険者に対するケアについては何をおいても重要なことと考えられており、できるだけ冒険者のケアに力を注ぎたいとのお言葉をいただいた。そのため私に対して期待するところ大であるとのコメントもいただいたが、それは私の望むところでもある。
斯くしてギルドの診療所の勤務医として採用となったというのが私とマスターとの初対面時のエピソードだ。
それはともかく、ヴァルターまで一緒というのは少々気になる。
ガイドというのはあまりそういう政治的なところには触れない立ち位置だったはずなのだが。
「例の免許偽造の件ですよ。治安局でも追い切れなかったようです」
その正解を教えてくれたのは、通りがかったイーサンだった。
その言葉で納得できた。先日の偽造免許で迷宮に入った連中のことであれば私も覚えている。なるほど、当時の関係者であれば同席もするだろう。
「察するに、捕まえた連中はただの顧客だったということか」
私の言葉にイーサンは頷いた。
「連中に売りつけた売人は衛兵が調べに行った時には既に煙のように消えてしまっていたそうです。売人がいた部屋を調べてもその種の設備があったわけでもないので、そこもまた物事の根幹ではないということだったみたいですね」
「何だか面倒な話になっているな」
その私の言葉に、イーサンはその笑顔を曇らせて声のトーンを落とした。
「この件、どうやら盗賊ギルドが関与しているようです」
「まあ、そんな話をしただけだよ」
昼になって治安局の役人が帰った後で戻ってきたヴァルターに喫茶室でイーサンと一緒に話を聞いた。
朝から昼まで行われたのは事情聴取だ。どういう経緯で彼らが迷宮に潜り込んだのかを細かく聞かれたのだそうだ。
「私はその辺の事には疎いのだが、どういうものなのだ、その盗賊ギルドと言うのは」
ギルドと言うのは一般的には同族組合のことだ。その意味に当てはめると盗賊同士の互助組織と言うことになる。本当に存在するのだとしたら、それは互助組織と言うより盗賊団に近いのではないだろうか。
盗賊というと手先が器用で地下迷宮の罠の解除などに活躍しそうなイメージがあるかも知れないが、この界隈ではそういうのはその手の細かい作業の技能を持つ冒険者が対応するのが普通だ。盗賊と言う反社会的な属性は冒険者には馴染まない。
「難しい話じゃねえよ。その名の通り、盗賊どもが集まって徒党を組んで悪事を働く一団というところだ。盗賊と言っても盗みだけやってる訳じゃない。世間で『悪事』と言われることは大抵守備範囲だと思うぜ。人が集まりゃ中には頭のいい奴もいるから、まさかと思うようなものも連中の資金源ってこともある」
「その一環が免許の偽装なのか?」
「そこが俺もよく分かんねえんだよ。偽造免許を一枚一〇〇シンクで捌けば儲けにはなるが、免許は何万の単位で動くものじゃねえ。出ても日に数枚、そんな飯食って酒を飲んだら消えちまう程度の金のために組織が動くとも思えねえ」
「他所の話を参考にすると、賭場や売春窟の経営、あるいは密輸や麻薬の密売というのが定番なはずなんですが」
ヴァルターの言葉にイーサンが補足を入れてくれる。
要するにマフィアの類と理解すればいいようだ。
「迷宮探索事業の乗っ取りでも考えているとか?」
「それもねえだろう。元老院ってのは、考えようによっちゃすごくでかい合法的なマフィアだからな。その利権を脅かされたら戦争だ。そうなったら普通は負けるのは小さい方さ」
正直、動機が良く分からない。
わざわざ手間暇かけて発行枚数が知れてる免許を偽装してまで何がやりたいのやら。
「まあ、その辺は治安局の連中に任せようぜ。連中も専門家だ、下手な盗賊どもならどうとでもするだろうさ。俺たちができることは、おかしな連中が地下に潜らないように気を付けるくらいだろう」
それはそうだろう。
冒険者ギルドの構成員には一癖も二癖もある連中が多いが、捜査機関ではない。そういうことは専門的な機関に任せるのが最適だろう。
それは分かっている。
だが、それは分かっていてもどうにも胸騒ぎが止まない。
チェスでも、あからさまな緩手の後には必ず手ひどい本命の一手が牙を研いでいるものだ。
「お待ちどう」
その私の胸騒ぎをかき消すように、エンデが大きな皿に山盛りのパスタを載せて持って来た。
お昼御飯にとヴァルターとイーサンがオーダーしたものだ。
肉団子がゴロゴロ入ったそれは美味しそうではあるけど、問題は量だ。
「二人とも、これ食べるのか?」
ヴァルターもイーサンもうきうきと言う感じでナイフとフォークを手にしているが、目の前にあるのはちょっとしたバケツを逆さにしたような物量だ。如何に男性が良く食べると言ってもこれは多すぎると思う。
しかしヴァルターもイーサンも涼しい顔だ。
「軽い軽い」
「冒険者は体が資本ですから、食事はしっかり摂らねばなりません」
そう言って大皿から器用に自分の皿にパスタを取っていく。
「いや、カロリー考えるとしっかりどころじゃないと思うぞ」
「いいんだよ、育ち盛りなんだからこれくらい食べないと」
「育ち盛りって、二人とももう二五だろう」
「まあまあ、お気になさらず。好きなものをやめてまで十年永らえようとは思いませんので。では、いただきましょうか」
そう言うと二人はよーいドンとばかりに短距離走のような勢いでパスタ山の攻略を開始した。
すごい。どこの欠食児童なのやらと言う勢いに圧倒されそうだ。
「二人とも、暴食が過ぎて次の健康診断で変な事になっていたら承知せんぞ」
「心配すんなって。それより大将もつまめよ。美味えから」
「見てるだけでお腹いっぱいだよ」
正直、こいつらの食べっぷりだけで胸やけがしそうだ。
私はげっそりしてお茶を口に運んだ。
「それじゃ午後の仕事で力が出ねえ、って、イーサンそれ取りすぎだろ」
「美味しいところは早い者勝ちです」
全く衰えぬ吸い込みの良さを見るに、程なく本当に楽勝で完食することだろう。どういう胃袋をしているのか、機会があったら開腹してみたい欲求に駆られた。
そのヴァルターの隣には、影のようにエンデが寄り添う。
そして、もじもじと戸惑うような仕草の上目遣いで、
「美味しい?」
と問う様子に、飲みかけてたお茶を吹き出しそうになった。
何なんだ、この恋する乙女の見本のような可愛らしさは。
ハルバードを軽々と振り回して大型の妖魔をぶった切って回る猛者と、目の前のこれを繋げるラインが私には見えない。
日頃は鉄面皮の見本のような顔をしていながら、ヴァルターの前では素の自分が全開と言うことなのだろうか。
「おう。相変わらず美味えな、お前の飯は」
そのヴァルターの言葉に頬を染めて夢心地のエンデの様子に、違う意味でもお腹いっぱいになってしまった。
やってられん。
その私の心の叫びはどことも知れぬ虚空に吸い込まれて消えた。
「盗賊ギルド……か」
ギルドの裏手の運動場で剣を振るいながら、クレアが考え込むように唸った。
「治安局でも追い切れない、となるとまだ本格的には動いていないのだろうと思う。とは言え、正直私では連中の意図が分からない」
傍に座って状況を説明しながら彼女の稽古の様子を眺めるが、こっちはこっちでまた凄まじい。
クレアの武器は剣だ。
それもただの剣でない。
切っ先から柄頭までの全長はクレアの身長に迫る。腰に佩けずに背に背負うタイプの大剣だ。ツヴァイヘンダー。剣の名前はそう聞いている。
当然そこまで大きな武器となれば重量も相応にかさんでくるが、それを魔力ブーストなしでも苦も無くクレアは振り回す。
『重心をうまく捉えれば造作もない』と当人は言っているが、絶対的な質量と言うものを無視してはいけないと思う。
出会った時からこんな感じだったので、この人がどういう腕力をしているのか悩むのはずいぶん前にやめた。
風切り音を立てながら一通りの型をさらって、クレアは剣を下ろした。
「その手の賊は油虫並みにどこにでもいるものだとは思うが、確かに動きが解せぬな」
「不自然なんだ。犯罪集団と言うのは即物的なものというのが定説なだけにな」
「迷宮の中にある何かを求めて、というのはどうであろうか?」
「冒険者ギルドを出し抜いてそんなことが出来ると思うか?」
「……無理であろうな」
確かに地下迷宮はある種の宝の山だ。妖魔から採れる魔石や特長ある部位はその使途が多岐に渡る。そういう意味では迷宮は鉱山の一種でもある。
だが、そこは冒険者たちの庭だ。盗賊ギルドが首を突っ込んできて覇権を取れるようなところではない。
「今の情報量では何とも思いつけぬな。元より、そういう輩の考えそうなことは理解に苦しむことが多いというのもある。貴公とて、そこまで連中の生きざまを知るわけではあるまい」
確かに、私とて人の世の底の底まで理解している訳ではない。
この世には想像を絶する非道がある、ということを知っている程度に過ぎない。
「この時点での対応はヴァルター殿の言が正解だろう。我らなりに、己がやるべきことをやる。それが上策であろう。可能性を考えていたらそれこそ切りがあるまい」
「それはもっともだが……どうにもひっかかる」
喉に刺さった魚の小骨を気にしてるような私の言葉に、クレアが渋い顔をする。
「やめてくれ、貴公の勘は嫌なことほどよく当たる」
「心配性なのは生まれつきだ。とにかく、すぐにどうこうと言うことはないと思うが、そういう話があったということは胸に留め置いてくれ」
「承知した」
会話が途切れた時に、アビーの声が聞こえて来た。
「エリカ、怪我人なのです!」
その声に、私たちの間に立ち込めていた重い空気が晴れた。
「さぼりすぎたようだ。仕事に戻る」
「頑張ってな」
その声を背に、私は自分の診療所に急いだ。
ドアをくぐる時、ふと風の中に水の匂いを嗅いだ。
見上げると、黒みがかった雲が海の方から流れてきている。
雨が近いかもしれない。
何となく、そう思った。




