第4話 『研師』
その日は昼から結構大騒ぎになった。
「放せ、てめえら!!」
薬品の在庫確認をしていた私の耳に、ギルドの受付の方から太い蛮声が響いて来た。どすんばたんという騒ぎの音がそれに続く。
程なくノックの音がして、診療所のドアを開いたのはアビーだった。
「エリカ、患者さんなのです」
天真爛漫とか純真無垢という言葉の見本のようなアビーの笑顔に続いて入って来たのは、左右の腕をヴァルターとイーサンに抱えられた山賊髭の大男だった。
名はブロディ。経験豊かで腕は確かだが、荒っぽい性格を自認しているためかガイドにはならず専ら妖魔狩りで食べている古参の冒険者だ。
「何事だ?」
首を傾げる私の問いにヴァルターが何とも嫌らしいニヤニヤ笑いを浮かべた。
「見てやってくれよ大将。これこれ」
ぎゃーすか喚いているブロディに構うことなく、そう言ってぐるりと回ってブロディの背面を見せる。
そして、彼のズボンを見て私は得心した。
「……なるほど」
「ブロディの気持ちは分かりますけど、さすがにこれは看過できませんから」
ヴァルターのようにニヤニヤはしていないが、イーサンはいつもニコニコしているので内心は分からない。笑顔という名のポーカーフェイスというのも何だか嫌だな。
「ふざけんなてめえら、こんなことしてタダですむと……」
「ブロディ、ちょっと私の話を聞いてくれないか」
血圧をあげているブロディを見つめて努めて冷静に話しかけると、ブロディがぴたりと黙った。アビーが小声で『うわー、おっかないです』とか言ってるのは聞こえている。後で覚えておれよ。
ヴァルターやイーサンは若干不真面目な部分が入るかも知れないが、生憎だが私は仕事として話をする立場だ。この道で食べているからには、プロフェショナルとしてこの診療所のドアをくぐった者に対して責任を持たなければならない。
「とりあえず、まずここに座ってもらおう」
「お、おう」
「皆はもういいから仕事に戻ってくれ。後のことは引き受ける」
大人しく椅子に座るブロディの様子を見ながら、他の面々を追い出した。
そしてやけにびくついているブロディの正面に座って真っ新なカルテを手に取った。
「さて、詳しい話を聞こうか」
「……と、いう訳だ。自分が置かれている状況は理解してもらえただろうか」
「お、おう」
「やるべきことはいくつかある。まずは診察をしなければ最終的な判断はできない。先ほどの椅子に座る様子を見る範囲ではかなり症状が進んでいるのではないかと思うがな。覚悟が決まったらズボンと下着を脱いでそこに横になってくれ。先にシャワーを使いたいというのならそこを出て右側にある。タオルは備え付けのものを使ってもらって構わない」
「……どうしても必要な治療か?」
「必要だ。繰り返しになるが、この病気は自然治癒はせず、悪化するだけだ。今は出血だけで済んでいるかもしれないが、本格的に悪化すると痛みが出て来るぞ。特に貴方の職業は瞬間的に力を入れることが往々にして必要になるものだ。強敵と相対したとき、痛かったから攻撃を躱せませんでしたということになったらどうする?」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「冒険者は体が資本だ。せっかくの腕も、そのパフォーマンスをフルに発揮できなければ意味がないだろう。貴方は剣を使った後で研ぐことはないのか?」
「研がなきゃ仕事にならねえわな」
「それと同じだ。体を張った商売をしているのなら、常にその体の状態は万全にしておくべきだ。そういう意味では私は貴方達冒険者を手入れする研師のようなものだ。見つけてしまった刃こぼれを放置することはできんよ」
そこまで言った時、ブロディは深いため息をついた。
「……シャワー、使わせてもらえるかい」
「好きに使ってくれ」
大きな背中を丸めながら、ブロディは診察室を出て行った。
こっちはこっちで処置の準備だ。状態にもよるが、見立て通りなら一〇分程度の手術で済むだろう。
聞く限りでは、ブロディが患っているのはいわゆる痔疾だ。
とかく笑い話のネタにされるが、痔と言う病気は二足歩行という形質を手に入れて以来の人類の業病だ。痔核や裂肛、痔瘻などの症状があるが、どれも治癒しにくかったり自然治癒しなかったりと厄介な性質を持つ。
厄介ではあるがいかんせんデリケートな部分の疾病なので他者に打ち明けるには抵抗が大きく、いよいよひどくなってから医者に駆け込むという人が多い。
ブロディの場合は出血が下着を通してズボンまで至っており、恐らくかなり前から患っていたのだと思われる。
彼のように壮年の誇り高い人物にとってはこの種の治療は屈辱を覚えるかも知れないが、それが原因で戦闘中に後れを取るほうがよほどみっともないという羞恥の天秤を説いてようやく納得してもらった次第だ。
健康第一。冒険者の皆には常に万全であって欲しいというのが私の偽らざる本心だ。
髭面の大男の分際でもじもじと初夜に臨む花嫁のような挙動で戻って来たブロディを診察した後に局所麻酔を施し、切除手術と治癒魔法を施したのちに抗生剤の魔法薬を飲ませて一段落。それにしても、サイみたいにでっかい妖魔を相手にしても一歩も引かない腕っぷしをしていながら痔の手術にビビるというのはいかがなものであろうか。
今日だけは安静にするようにと言う私の指示を、当のブロディはどこか上の空で聞いていた。私の方は職業柄アレを見ようがナニを見ようが精神的にはさざ波一つ立つことはないが、初めての経験に魂を抜かれた抜け殻のようになってブロディは自宅に戻っていった。変なトラウマにならなければいいのだが。
一仕事終わったので予定していた在庫確認に戻る。
在庫リストを見ていると、マンドレイクが品薄だった。一般的な薬草や薬品は大抵街のベイヤーの薬局で仕入れることができるが、妖草の類は中々流通に乗らないので直接冒険者に依頼しないといけないことがある。
「また出費か」
思わずこぼれた独り言に私は頭を掻いた。
ギルドの受付は、どこか役所の受付窓口のような雰囲気がする。
大きな掲示板には依頼者からの要望が書かれた紙が貼られており、冒険者はそれを見て自分に合ったクエストを決めて受付に申請する。
正直その内容は玉石混交で、中には明日の食事にも困る村から妖魔退治の依頼が来ることもあり、その場合は当然だが報酬はスズメの涙になる。
ギルド側も分割払いなどの対応を取ることもあるが、それでも折り合いがつかない場合は気のいい冒険者の登場を待つしかない。
練習と言うことでルーキーを差し向けるのもアリではないかと思う人もいると思うが、ここにギルドの規制が働く。
退治系のクエストにはライセンスが定められているのだ。
これは通称『ハンターライセンス』と言われるもので、例えばオーガ退治のクエストがあった場合、受けられるのは大型ヒューマノイド系妖魔のハンターライセンスを持っている者に限られる。
理由としては、その妖魔の特性を知らない冒険者ではかなりの確率で返り討ちに遭うからだ。
知識として知っていても、いざ戦闘となった時にイメージとの乖離が大きくて命を落とす冒険者も少なくなかったことから、まず最初はライセンスを有する誰かと共同でその妖魔を退治して戦闘証明を立てることでライセンスを出してもらうという仕組みになっている。
無論ライセンスがあればソロでも請け負うことは可能だが、その点は冒険者同士の紳士協定でライセンスを求めている人と組んで受けるというのが慣習になっている。
ちなみにヴァルターはドラゴンハンターのライセンス以外は全部持っているし、イーサンはドラゴンと水妖系妖魔のライセンスを残している程度だと聞いているが、実はギルドにはガイドではないが一人だけ全ライセンスを持っている剛の者ががいたりする。
受付に行くと、アビーが私を見つけて声をかけて来た。
「あ、エリカ、ブロディは大丈夫でしたか?」
「もう大丈夫だよ」
「いきなり血が出ていたのでびっくりしたのです。どうしたのですか?」
「こらこら、それは職業上の秘密と言うものだ、話すわけにはいかん」
これは『内なる記憶』の中にある『ヒポクラテスの誓い』の一項目である患者の情報に関する守秘義務として整理されている職業倫理だ。親しい人であっても開示するわけにはいかない。
「では今度会ったらブロディに訊いてみるです」
いや、訊かないでやってくれ、というとまた話がおかしな方に行きそうなので何も言うまい。
すまんなブロディ、私ができるのはここまでだ。
「それより、マンドレイクの採取をクエストに出したいんだが」
「ああ、それならまたエンデに頼みましょう」
アビーが口にした冒険者の名前に、私は反射的に渋面を作った。
それを見たアビーの表情が曇る。
「エリカはエンデが苦手なのですか?」
「見ればわかるだろう」
「嫌っちゃダメです。エンデはいい人なのです」
そりゃ彼女は悪人と言う訳ではないし、もちろん嫌っているわけでもない。
嫌ってはいないが、ただ単に苦手なのだ。
ついでに言えばあっちは多分私のことを嫌っていると思う。
「とにかく、頼んでみましょう。私が話してみるのです」
アビーはそのままギルドの喫茶室に小走りに走って行き、数分後に可愛らしいエプロンスカート姿の女の子を引っ張って来た。
「喜んでくださいエリカ、引き受けてくれるそうです」
どうだとばかりに得意げなアビーの隣にいる少女は、無表情なまま私を見つめていた。私を映すその赤い瞳にも、彼女の思考を読み取れる要素はない。
これがエンデだ。日頃はギルドの喫茶室を取り仕切っているギルドスタッフで、ショートボブの銀髪が良く似合っている、
一見すると小柄な女の子だ。私は一六五センチあるが、エンデは私の目の高さくらい。恐らく一五〇センチ台の半ば。アビーよりちょっと大きいくらいの身長だ。
纏っているのは無機質と言うか、それこそ人形のような雰囲気だ。そして人形のように可愛らしい女の子でもある。
だが、彼女の持っている総合的な価値においては、その整った外見はアクセサリーにすぎない。
「あー、忙しいところすまないが、依頼を受けてもらっていいのだろうか?」
私の言葉にも徹底して無表情だ。
「期限はいつまで?」
返って来たのは銀鈴のような声とは裏腹な、事務的な文字列だ。
「在庫が全くないわけではないので多少余裕がある。二週間くらいは大丈夫だと思うんだが」
「分かった。今夜中に探しておく」
「そこまで急がなくても大丈夫だぞ?」
「問題ない。ここを不在にする時間が短い方が私にとって好ましい」
それだけ言うと喫茶室に戻ってしまった。
「話がまとまってよかったのです」
ため息をつく私の隣で嬉しそうに言うアビーだが、こやつは何も分かっておらん。
端的に言えば、エンデの世界は三つのものでできている。
一つはヴァルターに関係があるもの。
一つはヴァルターに関係がないもの。
最後の一つはヴァルター本人。
ヴァルターオンリーでヴァルターフォーエバー。
要するに骨の髄までヴァルター命の人なのだ。
そのため、割と彼と親しい私に対し、露骨なまでの警戒を隠そうとしない。
これについては半ば本気で刃物を向けられた等の紆余曲折があるのだが、要するにいつ恋敵になるか分からない私とヴァルターを長い間目の届かないところに置いておきたくないようなのだ。
そういうつもりはないのだといくら説明しても、ちょっとあり得ないくらいヴァルターを愛しているエンデには効果はない。
もっとも、これは人懐こいヴァルターの性格にも原因があると思う。割と他人との距離感が近いのだ、奴は。
ちなみにエンデを本気で怒らせたら間違いなく私の命はない。
うちの冒険者ギルドにおける全ライセンス所持者と言うのは、実は彼女なのだ。恐らく私など三秒もつまい。
然様な物騒な姉ちゃんがウエイトレスをやっているのだから、冒険者ギルドと言うのは恐ろしい。
夜は酒場にもなる喫茶室だが、みんなお行儀よくお酒を楽しんでいるのは酔漢相手に幾度か彼女が実力を行使したことがあって、その結果をみんなが知っているからに他ならない。
つくづく最低限でも友好的な関係を築かねばならんと思う。
その日の夜、寝入りばなに自室のドアを叩く音があり私は覚醒した。ドアを開けると、薄暗い廊下をバックにして幽鬼のような雰囲気の女の子が立っていた。
思わずらしくもない悲鳴を上げかけたが、それは外出着を着たエンデだった。
「採って来た」
動悸を抑えるのに四苦八苦している私に対し、ぼそっと呟いて大ぶりな巾着袋を差し出して来る。
ちなみに群生地である北の密林の入口までは、馬を走らせて一日かかる。あまり深く考えたくないが、どういう運動能力をしているのだこいつは。
そして差し出された巾着袋は、中にカエルでも入っているのか、何やらもぞもぞと動いている。
「な、何だか動いてるんだけど……」
「採れたてだから」
……マンドレイクってそういう植物だったっけ?
マンドレイクはいいんだけど、その月明かりに映える衣類の半分が赤く染まるような返り血みたいなものと、同じく血が滴る長さ三メートルはある斧部の刃渡りがでっかいハルバードは何なんでしょうか。
「け、怪我とかしてないか? 怪我してるなら診るけど?」
「問題ない。これはすべて返り血」
何と戦ったのかは聞くまい。
「そ、そう。とにかく、ありがとう。助かった」
「問題ない」
それだけ言うと、エンデは踵を返して自室に戻って行った。
心拍がおかしな感じに乱れてしまい、一睡もできなかった夜。




