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第3話 『命運』

 慣れないことはするものじゃないと、よく人は言う。

 だが、誰だって初めて挑むことは慣れていることではない。

 挑戦をするからこそ得られるものがある。失敗はそのために払う対価だ。

 重要なのは一度犯した失敗を二度としないこと。

 だが、その一度の失敗が命取りになることもあるのも人生の厳しさだ。

 そうならないために大切なのは先人の知恵と経験を尊ぶことなのだが、そういうことを由としない若気に駆られる連中もまた少なくない。

 そういう連中は、『冒険者』という言葉が『危険を冒す者』と言う意味であることを理解していないことが多い。

 そして、地下迷宮と言うところが、地上で最も命の値段が安い場所の一つであることも。




「すみませんね、本当に。人手が足りなくて」


 集合場所に出向いた私を出迎えたのは、長身でスマートな美男子だった。

 名はイーサン。ギルドのガイドの一人だ。

 ブラウンの髪とヘイゼルの瞳と言う組み合わせはアビーと同じだが、いつもニコニコしているせいで目が陽だまりの猫のように細いからあまり瞳の色を見ることはない。

 このマスクに加えて穏やかな性格、さらに加えて人当りがいいものだからご婦人方からの人気はギルドのNo.1だ。


「何、困った時はお互い様だ」


 呼び出されたのはギルドの裏手にある広場。

 ちょっとした運動場と言った感じの広さのそこはギルドの多目的広場で、ギルド登録時の実技試験を行ったり自主的な稽古、あるいは血の気の多い連中が腕試しをしたりする場所でもある。 


 何で私が呼び出されたかと言えば、迷宮から発せられた救援要請への対処のためだ。

 七人で組織したパーティーが実力に不相応なレベルまで潜ってしまい、そこでダメージを受けて立ち往生となったそうだ。

 階層は地下五階。中堅レベルのメンバーじゃないと危なくて入れないレベルだ。

 実際犠牲者も出ているようで、ギルドに来た連絡では怪我人の状態もずいぶん切羽詰まっているそうだ。

 ギルドのシェルターはベヒモスの突進でも易々とは破られることはないとされているが、怪我人を抱えて自力脱出ができないとなるとシェルターはただの檻でしかない。

 斯くしてギルドはその職責を果たすべく救助隊を組織して救助に出向くわけなのだが、負傷者がいるとのことで急遽私に出動要請が来たという次第だ。



「それでは行きましょうか」


 リーダーに立ったイーサンの指示で、ギルド所属の一個分隊が迷宮に入る。

 前衛五人に後衛五人。

 重装備のスタッフに囲まれて、私は迷宮の中を歩いていた。

 右手には樫の木の杖。背中にはザック。応急処置ができる装備はこれで結構重量がある。

 私を中心として周囲を固めるスタッフは、皆物騒な得物を手にしている。

 ハルバードや長槍、弓矢や剣など、どういうシチュエーションでも対応できるようにと言う装備だ。

 迷宮内にはいろいろな妖魔が存在する。

 数で押してくる奴。

 巨体に物を言わせてくる奴。

 中には霊的な存在なんてのもいる。

 それらに対して適切な対応をするにはこれくらい装備にバラエティーがないと厳しいのだそうだ。


 その隊の中で、私だけがほとんど手ぶらだ。

 出発する前に、


「念のため、これを持っていて下さい」


 と言って差し出されたのは、ショートソードだった。


「いや、持たないほうがいいだろう」

「何かあった時に身を守れた方がいいと思いますよ?」

「持ちなれないものを持っていてもいざと言うときに役に立たない。それに、皆がいてくれれば魔法を使う時間くらい確保できると思う」


 そう答えるとイーサンはしばし考え、『それもそうですね』と言ってその案を引っ込めてくれた。

 これでも私は魔法使いだ。

 五秒ももらえれば攻撃魔法の一つも放つことはできるし、多少は魔石の用意もある。皆の足を引っ張るようなことにはならないだろう。




 迷宮は場所によって景色が変化する特徴を持つ。

 入口からすぐのところはごく普通の石造りの通路だが、場所によっては鍾乳洞のようになったり無機質な筒のようになったりと中々豊富なバリエーションが揃っている。

 その構造も恒久的なものではなく、誰に命じられたのか迷宮内には大きなゴーレムが何体も闊歩しており、昼夜を違わず模様替えや拡張工事に勤しんでいるため中々正確な地図を作るのは難しいのだそうだ。

 工事をやめさせるべくそのゴーレムに攻撃を加えると仲間をダース単位で呼び寄せ、そういった軽挙をやらかした奴はほぼ間違いなく殺されてしまうので迷宮の拡大を阻止する術はないに等しいと聞く。

 そんな迷宮内にはたまに倉庫のような部屋があって、そこに人為的に壁や扉を付けて構造強化の錬金魔法をかけたのがギルド謹製のシェルターという訳だ。


 順調な道程、順調ではあるが地下迷宮だけあって、多少の会敵は不可避なことだった。

 最初に出会ったのはウサギのような妖魔だった。ウサギと言っても大型犬ほどの大きさがある妖魔で、後ろ足が異常に発達しているのが特徴だ。

 そのジャンプの初速は時速四〇〇km以上。当然ながら人がまともに反応できる速度ではない。でっかいウサギと思って舐めてかかった瞬間に頸動脈を掻っ切られる冒険者も少なくない。

 絵に描いたような石造りの廊下でそのウサギに出会うや、イーサンがハンドサインで皆に止まるよう指示を出した。


 何をするのだろうと思った時には既に弓を構えており、それを私が認識した時には一の矢は放たれていた。

 糸を引くような綺麗な軌跡で飛行した矢は過たずに五〇メートルは先にいるウサギの眼球に命中し、その一撃で脳を破壊されたのか朽木のようにぱたりと倒れた。

 弓も矢もエンチャントではあるが、この距離でこの精度と言うのは他者が真似できる業ではない。

 冒険者ギルドの看板ガイドの一角と言う評判に偽りはないのだと私は思った。

 


 その後も小競り合いはあったものの大きな戦闘が生じることはなく、順調に行程を消化した。

 迷宮に入って七時間ほど経過し、五階に続く階段に取り付く。

 この辺になって来ると、初心者レベルでは対処が難しいパターンが出てくるようになる。

 単体で強い妖魔も面倒だが、より厄介なのが数で押してくる連中だ。

 いよいよ問題のシェルターが視野に入ったところで、救助要請を行った連中が陥った窮地の正体が判明した。

 迷宮の通路一杯に溢れていたのは、小柄な人型の妖魔だった。

 その正体は小鬼。ゴブリンと言えば分かりやすいだろうか。

 その数およそ五〇体。

 繁殖力が強く、それなりに知能も高いのでうっかり少人数で遭遇すると非常に危険とされている妖魔だ。

 ゴブリンのイメージとしては弱っちいやられキャラと思われがちだが、実物はそんな可愛いものではない。

 一応あれでも妖精種の一種で、その運動能力は非常に高い。具体的には『内なる記憶』にあるチンパンジー並みの身体能力があると言えば分かりやすいだろうか。素手同士の戦いでは普通の人間では勝ち目がない。


 今度はイーサンだけでなく他の面々も長柄の得物を構えて前に出た。

 他のメンバーがハルバードなどの長柄の武器を構えているのと異なり、イーサンだけは両手にそれぞれ短い片刃の剣を構えている。

 マチェットとか大鉈と言った感じの武器だ。肉厚な刀身は切れ味で斬るというより叩き斬るという類の武器であるらしい。


「先生は後ろに下がっていてください」

「援護くらいはできるぞ?」

「やっていただけるとありがたいのですが、治療に影響出ませんか?」

「この程度なら心配いらんよ」

「それでしたらお言葉に甘えさせていただきます。前衛は僕らが潰しますので、頃合いを見て後衛の方を潰してください」

「分かった。任せてもらおう」


 それだけ打ち合わせるや、イーサンが地を蹴って走った。全身から青白い燐光が漏れ出ている。

 魔力ブースト。魔法を己の内に振り向けて身体機能を強化する魔法だ。

 人の脆弱な体では対することのできない存在に対しても、この魔法があれば互角に渡り合うことができる。

 イーサン以外のメンツも同じ強化魔法を使っているが、イーサンの動きは群を抜いていた。魔力とその運用効率が違うのだ。

 接敵と同時に両手に持った剣が瞬く間に小鬼を破砕していく。

 ギルドの上位メンバーは、例外なくこの強化魔法を自在に使いこなす。

 どんな妖魔が相手でも、瞬時に敵の懐に飛び込み急所を突く。あるいは敵の攻撃を回避する。

 敵の中にも同じようにブーストを使う奴がいるのだそうだが、その時は互いの魔力勝負。上位メンバーはそういう戦いになっても後れを取らない猛者揃いだ。


 戦闘開始ともなれば、こちらも見惚れてばかりはいられない。

 援護を請け負ったからには相応の働きは見せなければならない。

 眉間に意識を集めて、私は杖を構えた。

 別にこの杖は魔法の触媒になるわけでもないので常日頃は使わないが、やはり様式美として杖を使うと魔法使いとしての気合の乗りが一味違う。

 念じる呪文はいつも通りのものだ。



The year's at the spring,

And day's at the morn,

Morning's at seven, 

The hill‐side's dew‐pearled,

The lark's on the wing,

The snail's on the thorn,

God's in his heaven - All's right with the world. 



 私の裡なるオドを変換し、辺りに満ちるマナと調和させていく。

 魔法は幻想と現実の置き換えのようなものだ。

 イメージを練り上げて現世に己の内なる像を描き出す術。

 そのイメージ通りに虚空に現れた無数の蒼い光点から、光の線が雨のように小鬼たちに降りかかる。それが命中したところから小鬼たちが凍り始め、やがて絶対零度の氷柱となって砕けて果てる。

 さして珍しくもない、凍結の魔法だ。炎熱系や暴風系の魔法と違って周囲への影響が最低限なので攻撃魔法の中でも使い勝手がいい……はずだったのだが。


「ちょっと先生、やり過ぎです!」

「すまん、調子に乗った」


 小鬼たちが全滅すると同時にイーサンから苦情の言葉が飛んできた。

 見れば先頭にいたイーサンの髪や睫毛が凍り付いているし、他の面々の装備にも霜が降りていた。

 その段になって、私のところにも冷気が押し寄せてきた。

 すさまじく寒い。派手にやり過ぎたせいか、周囲の気温が氷点下に落ち込んでいた。久々に使ったので、少しばかり調節を誤ったようだ。

 



 慌てて凍傷になりかけたメンバーに治癒を施す中、そんな状況でもスタッフたちはてきぱきと入口を確保。


「ギルドの救助隊です。生きていたら返事をして下さい」


 イーサンがドアの叩いて話しかけると中で閂が外れる音がした。

 中に入ると、そこに四人の冒険者がいた。うち一名は女性。その女性ともう一人の男性はやつれてはいたが自力で立っており、残る二人は床に寝かされていた。

 私の仕事はこの二人の治療になる。

 手早く枕元に近寄り、バイタルを確認した。

 一人は腕をちぎられているが、治癒効果の高い魔法薬と止血が功を奏してまだ息があった。そしてもう一人は遺憾ながら心肺停止。微かな希望をもって瞼を開けると散瞳も確認。生体反応なし。残念ながら死亡を宣言しなければならない。

 

 無言で問うイーサンに首を振ると、女性冒険者が悲鳴を上げた。


「嘘よ! 魔法ならまだ回復できるはずだわ!」

「施せる治療がないんだ。残念だけど」

「そんな……あんた魔法使いでしょ、何とかしてよ!」

「すまないが、もうどうにもできない。一五:二六。死亡確認」


 懐中時計を見てそう告げると、女冒険者は悲鳴を上げながら腰の剣に手を伸ばした。

 それと同時に、慌てて周囲のスタッフが女冒険者に一斉に飛び掛かって抑え込んだ。

 騒がしい外野をよそに、残る生存者の治療を始めた。

 こっちはこっちで穏やかな状態ではない。

 私に罵声を浴びせ続ける女冒険者を無視して、私は治癒魔法を使って応急処置を続けた。




 地上に戻り、ギルドに報告を済ませて救助隊は解散となった。

 要救助者七名の内、三名救助、一名死亡、三名行方不明。

 行方不明の三名は不明のままであれば半年後に死亡判定が出される。これまでの前例に鑑みると生存が確認されることはないだろう。


 死亡が確認された一名はギルド内の霊安室に保管され、明日には神殿の方に回送される手はずだ。

 重傷者については街の病院の方で再手術を行う。

 地下では致命的な部分だけ処置して死なない程度に手当てしただけだったが、魔法装具の装着手術すら可能な中央病院であればできる治療オプションは格段に増える。


 診療所に戻って装備を整理し、私は椅子にもたれて一つため息をついた。

 魔法というものは便利ではあるが、限界もある。

 魔力がとんでもなくある人であれば、そのパワーに物を言わせて大抵の重傷患者を一気に治すことは可能ではあろうが、そんな凄い人はいたとしても生きている内にお目にかかれないくらいの人数だろう。

 そして、それくらい凄い人であっても死者の蘇生は不可能だ。

 魂と言うものの観測がなされた事例はないと聞くが、その魂が離れてしまった肉体を蘇らせるのは魔法使いにできる所業ではない。例え死霊術系の魔法であっても、死者を元の人間として現世に復帰させることは叶わない。

 そこが人の身の限界。そして私が奉ずる魔法と医学の限界でもある。

 しかし、限界と線を引くのは簡単ではあるものの、残された人の悲嘆を思うとやはり胸に刺さるものはある。

 もう少しうまいやり方はなかっただろうか。答えの見えない後悔の念は後ろ髪を引き続ける。

 そして、その反省を次に生かすのが、私にできる精一杯だ。



 夜半、今日の記録を付けているとドアを叩く音がした。

 魔晶石を手に出てみれば、そこにいたのは昼間の女冒険者だった。


「夜遅くにごめんなさい」

「……急患、という訳じゃなさそうだが?」

 

 怪訝な面持ちのまま用向きを問えば、少し話をしたいとのことだった。


 追い返すのも後味が悪そうなので診察室に案内し、茶を出して相対した。位置づけは医療相談ということにしておく。


 開口一番、女冒険者は謝罪の言葉を発した。


「地下ではごめんなさい。貴女にはひどいことを言ってしまった。反省しているわ」

「ああいう状況で情緒の安定を期待するのは難しいことは分かっているつもりだし、貴女の気持ちも察するところがある。気にしなくていい」


 そう答えて謝罪を受ける旨を伝えると、彼女はしばらく黙った後に言葉を続けた。


「あの人、私の彼だったの」


 そこから紡がれた彼女の言葉に、私は無言で耳を傾けた。反応からしてただの他人ではないだろうとは予想していたので驚きはない。


「今回の探索で一山当てたら、郊外に農場を買ってそこで一緒に暮らす約束をしてたの」


 正直、冒険者にはよくある話だ。

 冒険者の手にする未来には二種類ある。

 一つは若さを元手にした勢いで小金を稼いで早々に引退する者。多くの冒険者がそれを夢見て体を張っていると言ってもいい。

 そしてもう一つは冒険者であり続ける者。それはまるで鉱夫のように日々迷宮に潜って獲物を狩り続けて生きていく人だ。腕が良ければギルドのガイドになったりもするが、彼らの多くは天寿を全うできずに地下に消えていく。

 初心者が冒険者稼業を始めた場合の一年後の生存率はおよそ六割。一〇年続けた場合は五割にまで落ち込む。迷宮に消えていく割合と言うのは決して少なくない。

  

 今回の亡くなった彼は、その割合において残念な方に属してしまったというだけの話だ。

 彼は賭けに出た。

 そして負けた。

 ディーラーである死神は、ルールに従ってそのチップを召し上げて行った。客観的に見れば、この街ではありふれている話の一つに過ぎないことだ。


 だが、そういう人であっても彼女のようにその存在をとても大切に思っている人もいる。当人は死ねばそこでゲームセットではあるが、残された者にとっては死ぬまでその人がいない日々が続くことになる。 

 彼女の言葉は止めどなく続き、やがてその言葉が鼻声になり、最後は言葉の体をなさなくなっていった。

 それは慟哭としか言いようがない、残された者の心の叫び。

 かけがえのない人を失うということは、こういうことなのだろう。


 彼女が落ち着きを取り戻すのに一時間を要した。

 そして、涙を拭って冷めたお茶を一気の飲むと彼女は立ち上がった。


「みっともないところを見せたわね。八つ当たりみたいになっちゃって悪いと思ってる」

「一応心療内科も医者の所掌の一つだ。気にしなくていい」

「私はナターシャ。貴女は?」

「エリカ」

「そう……ありがとうエリカ」


 そう名乗ると、彼女は今一度礼を言って出て行った。

 今後彼女がどうしていくのかは、彼女の口からは語られなかった。

 だが、玄関で後ろ姿を見送ると、その背中はしゃんと伸びていた。

 多分、彼女は彼女なりに立ち直って新しい明日を探していくのだろう。



 彼女の背中が見えなくなった後、見上げると、天空にある月が廃墟を青白く照らしていた。


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