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第24話 『箱庭』

 飛んだ先の光景が視界に入った時、思わずため息が漏れた。


 目の前に現れたのは、荘厳な聖堂。

 教皇庁の聖堂より、こちらの方が規模は遥かに上だ。

 正面には巨大なステンドグラスがあり、そこに組まれているのは精緻な月の女神のイコン。

 月神アルタミラ。

 妙齢の女性の姿を取った神が、闇に惑う衆庶の進む道を照らす肖像。

 第一大陸で生まれた者は幼少時から見慣れた神の御姿だ。

 

 その聖堂の奥に見えるのは、ステンドグラスの下にある祭壇のところで真摯に祈る男性の姿だった。

 紫色のラインが入った白い祭服にカロッタを被った初老の男性。

 その姿を私が見つけた時、サーベラ―は足元で私を見上げて小さく鳴いた。

 猫の表情をそこまで具に理解できるわけではないが、しかしその表情には微かながら私への気遣いが見て取れた。

 『案内できるのはここまでなんだ』

 そんな申し訳なさげな顔付きだった。

 その私の認識を肯定するように、サーベラ―は輪郭を失って蒼い光の粒になって消えた。


「お、おい」


 慌てはしたが、サーベラーは編まれていたマナがほどけたように欠片も残さず消えてしまった。この子に出会って以来、このような霊獣の本質を目の当たりにしたのは始めてだ。

 いきなり消えたサーベラ―に驚いていると、男性が私の声に気づいたようだ。


「おや、天空にあるこの御堂に来訪者とは驚きましたな」


 しばし逡巡し、私は意を決して歩みを進めた。

  

「取り込み中に失礼する。私はイルミンスールのエリカと言う。教皇猊下とお見受けする」


 私の言葉に、件の男性が振り返った。

 以前見た時は遠くからだった。肖像画を見たこともあるが、それよりは少々歳を重ねているようだ。それらの機会の時に被っていたのはカロッタではなく司教冠だっただけに、今はやけに印象が違って見える。


「いかにも。私がエルドリッチ・ベネディクト・オブ・アルタミラだ。君の事は聞いているよ、エリカ・シャーリー・オブ・クイーンズベリー」

「私はもう大公家の人間ではない。家名は無用に願いたい」


 そう答えるとエルドリッチは笑った。


「これは失礼。それはともかく、月の大聖堂へようこそ。遠路はるばるご足労なことだ、茶くらいは振舞おう」

「結構だ。用向きについてはお察しいただけていると思うが如何に」


 敵地に乗り込んで出された茶に口をつけるのは、余程の豪胆かただの馬鹿だ。

 私の問いに、エルドリッチは肩をすくめた。


「せっかちな方だ。用向きは我らの聖女を取り返しに来た、と言うところかね」

「その通り。あの子は私たちの身内だ。事を荒立てるのは本意ではない。大人しく返してもらいたい」

「なるほど、まずはそこの相克を埋めねばならんようだね」


 そう言うとエルドリッチは立ち上がった。


「付いて来たまえ。君に判断材料を授けよう。それを踏まえた上で聖女をどうするかもう一度考えてみるといい」


 エルドリッチはそのまま、祭壇脇にある転移陣に乗った。

 無作為な転移にはいささか身の危険を感じはしたが、ここで彼を逃がすのも良い手ではない。いざとなれば人質としても有用な人物だ。

 意を決して私は彼に続いた。




 転移した先は、先ほど通ったような世界全体が見えるガラスの空間だった。こういう場所はいくつもあるのだろう。

 星空と紺碧の円盤のコントラストは、何度見ても息を飲む美しさがある。まさに神の御座からの眺めと言う感じだ。

 エルドリッチはその景色を指して言う。


「この光景について、君はどう思う?」


 宗教家の謎かけは、眉に唾をつけて聞くというのが常識だ。訳の分からん話を畳みかけて来てこちらを思考停止に陥れるからだ。巷でたまに出るいかがわしい詐欺神父あたりがその手の悪事を働く時も、まず謎かけから始まるのが常道と聞く。


「美しい眺めだな。世界を高みから見下ろすとこう見えるというのは驚くばかりだ」

「では、これを創造したのは誰だと思う?」


 やや予想外の問いに言葉の裏を考える。この問いは何に繋がるのか。


「それは神の御業だと言うのが貴方がたの教義だろう」

「確かに我々の教義はその通りだが、それについて君はどう思うのかね?」

「浅学で申し訳ないが、神以外にこんなものを創れる存在を私は知らない」


 私の答えにエルドリッチはおかしそうに笑った。


「心にもないことを真顔で言い切るとは、君は嘘が上手い女性だね。では、真実をお教えしよう」


 そう言うと、エルドリッチは手にしていた牧杖を振る。

 唐突に私たちの目の前に現れたのは直径二メートルほどの蒼い球体。それは『内なる記憶』にある『地球』という星によく似ていた。


「面倒な説明は省くが、これが教皇庁に伝わっている最古の情報でね。これこそが私たちの『母星』の姿だよ」


 母星。つまり私たちの祖先が暮らしていた星と言う事か。

 その美しい星の姿と今を繋ぐ過程を思って考え込む私の様子に、エルドリッチは今一度笑う。


「ほら、顔に出ている。君は教皇庁が唱える天動説をおかしなものと認識しているのだろう?」


 私の思考の隙を突いてエルドリッチが攻勢に出て来た。


「何故そう思う?」

「この世界のごく普通の住人であれば、こんな丸いところに人が住めるのかと首を傾げるものだよ。物事の理に対してかなり独特な感覚を持っているようだね」


 なるほど。人々が共有している常識を考えればその通りだろう。私のエラーだ。中途半端に自然科学の知識があると、どうしてもリアクションが一般人と違って来てしまう。


「前置きはいい。この映像に何の意味がある?」

「これがこの世界のルーツだからだよ。我々の母星と言うのは今言ったとおりだが、この星が……こうなった」


 そう言って今一度杖を振ると、そこに赤い荒涼とした星が浮かんだ。

 そこには海の気配もなく、黄色味がかった分厚い雲が球体を覆っていた。

 生命の気配のない、死の星だ。


「星の大地に根を張っていた時、我らの祖先は今よりも遥かに進んだ魔法文明を有していたと伝承にはあってね。溢れんばかりのマナの恩恵で、今では夢物語のような奇跡を日常としていたという記録が残されている。だが、そのような収奪に基づいた人の営みが母星を壊してしまったのだ。原因はマナの枯渇、と言えば分かってもらえるかね?」


 エルドリッチに言われるまでもなく、事の次第はイメージできた。

 魔法文明と言うからには、人々の活動に必要なエネルギーを魔法に求めたのだろう。それにより、恐らく本来は霊的な資源である星のマナが物質的なエネルギーに変換され過ぎてしまったのだと思う。

 マナが失われれば風は澱み、大地は命を育む力を失う。そこから生み出されるものの連鎖に連なる者たちは、軒並みその滅びに連座したであろうことは想像に難くない。

 だが、そこは万物の霊長たる人類、ただで転ぶわけがない。


「しかし、困ったことに母星は枯れたとは言っても人は生きていかねばならない。そのために人々は生き残る手段として魔法技術の限りを尽くして仮初の大地を創った。それが『箱庭』だ」


 その言葉と共に、球の中に円盤が収まった現在の世界の図が浮かぶ。

 この世界の呼び名は『箱庭』と言うらしい。

 見た時から予想はしていたが、やはりそれは人工の世界だった。


「『箱庭』は全部で五つ造られたと記録にはある。その目的は星の海を渡って新たな母星を探すか、一〇万年の時を置いて元の母星が蘇るのを待つか、だ」


 その目的については察しがついた。人々が何世代も重ねながらその内で暮らす避難船だ。それにしても一〇万年と言うのは途方もない年月だ。一滴一滴落ちるように溜まっていくマナが星に満ちるにはそれくらいの時間が必要なのだろう。

 しかし、次いで出たエルドリッチの言葉は意外なものだった。


「ところがだ、創られた『箱庭』はその内の四つまでが最初の一〇年で崩壊してしまったのだよ」


 どのようにしてこのような巨大なものが造られたのだろうかと頭を捻っていた矢先に意外な事実を突きつけられて、私は首を傾げた。

 一〇万年と言う運用期間を前提に造られたものとして考えると、一〇年という数字は拍子抜けするほど短い。


「設計に何かの不備でもあったのか?」

「残念ながらそうではない。遺憾ながら、そこに住まう人々の内紛の結果と言われている」


 呆れたようにエルドリッチはため息をついた。


「人と言うのは度し難い生き物でな、そのような非常時であっても常に争わないと気がすまん性質であるらしい。狭い『箱庭』の中で母星への回帰を唱える連中と管理側とで『箱庭』の管理権をめぐる闘争が発生し、遂には管理施設が機能不全を起こして中の人間ごと星空の藻屑と化したのだそうだ。今からおよそ九万と九〇〇〇年前の話だよ」


 九九〇〇〇年。エルドリッチの口にした途方もない数字に思わず唸る。とてもではないが普通の感覚ではリアルに捉えることができない年月だ。


「愚民と言う言葉はあまりいい言葉ではないが、人の歴史において、為政者の祈りを民衆が汲んでくれたことはほとんどないのは君も知っているだろう。だが、まさか自らの『箱庭』を台無しにするとまでは時の為政者たちも予想できなかったようだ」

「残る一つがこの世界か?」

「然様」

「ここでは内紛は起こらなかったということか?」


 私の問いに満足したようにエルドリッチは笑った。


「良い質問だ。四つの箱庭は崩壊した。その事実に対して、我らの『箱庭』の先達は、それらの失敗の反省のもとに一計を案じてな。人々に対し、適度に刺激を与えるように社会を設計したのだ」

「刺激?」

「程がいい闘争、と言うと理解してもらえるだろうか」

 

 その時、ようやくエルドリッチが内なる毒を微かにちらつかせたような気がした。


「人はあまりに退屈だとつまらぬことを考える性癖があるのでね。常にある程度のストレスがあるくらいがちょうどいいのだ。その方針の下で、人類に対する天敵を用意したのだよ」


 ここまで言われれば私でも分かる。

 つい先ほどの物証を目撃してきたばかりだ。


「それが妖魔か」


 私の答えにエルドリッチは満足げに頷いた。


「苦し紛れの策であったようだが、これが傑作と言っていい良手となった。命を脅かす脅威の存在によって、人はくだらぬことを考えられない程度に常に緊張感を持ち続けなければならなくなった。まあ、施策としては劇薬なだけに一部では頑強な反対意見も根強くあったが、それでも愚民どもが退屈のあまりおかしな思想に傾倒するようなことはなくなったのだ」


 敵を作る。組織を統制する際に有効な手段だというのは理解できる。だが、幾ら何でも劇薬に過ぎるのではないだろうか。薬とは、用法と用量を誤れば簡単に服用した者の命を奪うものだと言うのに。


「そして、今の形の月神信仰を広めることで管理機構の情報を宗教のベールに包み、人々の記憶から遠ざけることも並行して行った。そのような状況の中で人々が代を重ねた結果、努力の甲斐あって人は『箱庭』が何であったかすら忘れてしまったのだよ」


 正直、あまりの話に言葉が出なかった。

 妖魔の誕生が、人々の合理的な統治のためというのは想像したこともなかった。

 当然、騙されていた側としての憤怒が私の裡に渦を巻いた。


「何やらそこに正義があるような物言いだが、私には貴方がたのやっていることは、この地に住まう人々に対する裏切りにしか聞こえない」


 私の棘を含んだ言葉をエルドリッチは涼しい顔で受け流した。


「悪く言えばそうとも言えることは否定しない。だが、結果としてこの『箱庭』は他の『箱庭』と違って今も存在している。それは揺るがぬ事実だよ」

「だからと言って事実を隠蔽し、しかも人為的に人に脅威を与えるような真似は人として許される所業ではないだろう」

「それについては言葉が足りなかったようだね。妖魔の運用については、脅威を与えるだけが目的ではないのだ。傑作と言っていい良手だというのは、妖魔の管理はこの『箱庭』における人口の調整も同時に可能な施策だということでね」


 そう言うと、『箱庭』の映像の中に幾つもの光点が現れる。


「これがこの『箱庭』に今ある『迷宮』だよ。それぞれがそれなりの門前町を抱えていて、相応の人口の街が形成されている。君の住む街もそうなっているはずだ」

「それが何だ?」

「人口がこういう都市に集中するのはいいことだ。近親婚を強いられる閉鎖的な僻地と違って世代交代もスムーズに進む。食料の流通も潤沢なだけに、人口増加率も良好だ。だが、それも行き過ぎると好ましくない。この『箱庭』にも定員と言うものがあるのでね」

 

 その言葉に、脳内の神経が音を立てて結びついていく。


「スタンピードの目的はそれか」


 エルドリッチは私の言葉に笑みを浮かべる。これまでと違い、明らかに闇を含んだ黒い笑みだ。


「人が増えすぎたら妖魔を増やして調整する。『箱庭』の食糧自給の限界を考えればこれは必要な措置なのだよ」

「気は確かか」


 人が人を間引くなどということを聖職者が口にしている。その衝撃は小さいものではなかった。


「これも管理者としての責務なのだよ。君が住んでいるイルミンスールは次のスタンピードの筆頭候補だった。ところが、困ったことに迷宮の運用に不具合が発生していてね。何かが狂っているのか、迷宮の構造変更に想定外の変化を見せるようになってしまって、スタンピード用の妖魔が上手く送り込めなくなっているのだよ」


 不具合という言葉に、何故かエンデのことが脳裏を過った。あの子とヴァルターの接触が何か影響しているのだろうか。


「人を送って不具合の調整も試みたのだが、どうにもうまくいかない。やむを得ず少々強引なやり方で人口調整を行おうとしたのは君も知っている通りだ」

「つまり、貴方がたは盗賊ギルドを利用してスタンピードを人為的に起こし、イルミンスールの街の人々を虐殺しようとしたという理解でいいのか?」

「乱暴な言葉を使うとそうなるね」


 まるで他人事のようなエルドリッチの言い草に血圧の上昇を覚えた。

 確かにイルミンスールは豊かな街だ。産業が栄え、人の流入も多い。

 その街に妖魔を放って人を狩れば、そういう点で考えれば確かに人口調整としては合理的かも知れない。だが、それは人の身でやっていいような配剤ではない。


「そんな暴挙が許されると思っているのか」

「それ単体では暴挙かも知れないが、幾万の月日とこの『箱庭』の存続という視点で考えれば、残念ながらこれは正義なのだよ。我々はそうやってこれまでこの世界を維持して来たのだ。それに異を唱えるのなら、他の四つの『箱庭』が崩壊したことでどれほどの命が失われたか考えてみるといい」


 あまりにも一方的な独善。さすがに眩暈を覚える言葉の数々だった。


「話にならん」


 恐らく、今私はひどい顔色をしているだろう。

 根本的に善悪の感覚が違う生命体と議論をすれば、今の私の気持ちは分かってもらえると思う。

 それくらい、目の前にいるこの教皇の存在が私には遠く感じられた。


「この世界の真実を教示したのだが、どうやら賛同してもらえなかったようだね」

「賛同できるわけないだろう」


 彼なりの正義を振りかざして管理者としての理論を展開するエルドリッチだが、生憎と私には私の信じる道がある。

 私は医者だ。

 それは職業であると同時に、人を救うことを己が天命と自認する種族の名前でもあるのだ。

 罪もない人々の命を奪うことを是とする連中とは、見ている方向が一八〇度違う。

 私の信条とこの男のそれは、決して混ざることのない空の蒼と海の碧だ。きれいごとを盾に人の命を奪うことを肯定する人種とは、未来永劫相容れることはない。

 

「御託はもう結構だ。アビゲイルを返してもらおう」


 私の最後通牒に、エルドリッチはうすら寒い笑みをもって応えた。

 嫌な予感がした。

 クレアが良く当たると言っていた、良くない予感だ。


「アビゲイルだけでいいのかね?」


 そう言ってエルドリッチは面白そうな視線を私に向ける。 


「君はレナ・オーレリアの友人だったと聞いているが、彼女の事は気にならないかね?」


 反射的に言葉が口を突いて出た。


「レナは生きているのか!?」


 食いついた私に、エルドリッチは笑って答えた。


「生きているよ」


 その言葉は、私にとってかつてないほどの衝撃的なものだった。





 横殴りの一撃を柄で受けるが、その重さに足が浮く。

 得物を折られるのを避けるべくベクトルに従って飛んで勢いを殺そうとしたところに追い打ちの蹴りが飛んで来て、肋骨が軋む音を聞きながらヴァルターは壁に向かって吹き飛ばされた。


「どうした、鼻息の割に攻めがぬるいぞ?」


 薄ら笑いを浮かべたサイファは、壁際で即座に態勢を整えるヴァルターに侮蔑の声を向ける。

 一合目から予想以上の冴えを見せるサイファの太刀筋に、ヴァルターは一方的な防戦を強いられ続けていた。

 その攻めは怒涛のようでありながら緻密であり、その一手一手が正確に急所を狙って来る。カウンターで放つこちらの反撃はぬるぬるといなされ、組み打てば体術まで高い次元の技量を見せつけられている。


「てめえ、今まで手を抜いてやがったのか……」


 その技量に感嘆しつつ、ヴァルターは口の中に溜まった血を吐きながら毒づいた。

 そのヴァルターに対し、サイファは鼻笑いで応じた。


「見損なってもらっては困るな。これでも教皇庁の異端審問官だ。妖魔を念頭にした貴様ら冒険者とは対人戦における年季が違うぞ」

「ああ、だいぶ見込み違いだったのは認めるさ。それだけに腑に落ちねえ。これほどの腕を持っていながら何故あんな外道を働く?」

「何を勘違いしているのか知らんが、俺は戦いが好きなんじゃない。誰かに剣を突き立てた時の命を斬り裂く感触が好きなんだ。特に不意を突かれたと悟って死んでいく連中の間抜け面はたまらなく愉快でな。驚きから怒り、そして絶望に移行する表情の変化には愛しさすら感じるのよ」


 そこまで聞いてようやくヴァルターは理解した。

 何故この男は仲間を斬ってまでここにいたのか。

 この男がここにいるのは、技量を競うためにヴァルターと剣を交えようとしたのでも、不首尾に終わった襲撃のやり直しのためでもない。ただ単にヴァルターを生きのいい玩具にしたかったがためにこの対戦を望んだのだと。

 瞬間的に憤怒が腹の底から脳天まで突き抜けたが、紫電の速さで伸びて来たサイファの突きがその思考を遮断する。

 首を反らして躱しても、頬を掠める切っ先。

 それを受け流してから数合打ち合い、また距離を取る。

 敵は無傷。ヴァルターは既に大小数か所のダメージを受けている。

 そのヴァルターの様子を確認するように頷いて、サイファが楽しそうに言った。


「さて、ではここからはもう一段上げてみようか」


 そう言って剣を構えると、その刃から黒い靄が溢れ出た。

 思わずヴァルターの喉が鳴った。

 エンチャント。それもろくでもない特性を有する業物と知れた。

 そう悟った時には真っ向からその刃が唐竹割に降って来た。

 鍛冶屋のホーガン謹製の愛用の槍には、鍛造時に強化と加速の魔晶石が練り込まれている。その効果で通常の槍とは比較にならない強度と使い勝手を有するが、飛んで来た一撃を受けた途端にその槍が悲鳴を上げた。

 転がるように距離を取るが、鉄の柱で殴られたように奔る両の腕の痺れが、サイファがその言葉通りにこれまでよりさらに上のレベルの地力を開放していることを物語っていた。


「カーズアイテムかよ」

「いかにも。これは俺と相性が良くてな。気に入った奴はこれで相手をすることにしている。俺が使えば人間を脳天から縦に真っ二つにすることも造作もない。お前の内臓がどんな色をしているのか、見るのが実に楽しみだ」


 酷薄な笑みを浮かべるサイファに、ヴァルターは一つため息をついた。

 今のままでは勝てない。

 その事実を受け入れるには、自身の自尊心を曲げるだけの気力を要した。

 だが、事実は受け入れても敗北を受け入れるのはまた別の話である。

 自身の有するサイファに対するアドバンテージは、冒険者としての柔軟性。今のままでは勝てないのなら、勝てる条件を自ら作り出す。

 互いの実力差を認め、その上で勝利を手繰り寄せる術を己の裡に求める。

 これまでの経験と手持ちのカードを総ざらいした結果、できれば使いたくなかった最後に残った一枚のカードを手にすることをヴァルターは決意した。


「認めるわ。てめえは強ええ。性根はクソにも劣るが、実力だけは本物だ。冒険者でしかない俺じゃ及ばねえ力量なのはよく分かったぜ」


 そう告げて両腕の力を抜いた。


「ほう、意外にも潔いな。もうちょっと抵抗してくれないと、俺としては興醒めなんだが」

「まあ、待てや。せっかくそんな気の利いた武器まで用意して歓待してくれたんだ、こっちも一つ、とっておきの芸を見せてやろうじゃねえか」

「芸?」


 怪訝な顔をするサイファの前で、ヴァルターは目を閉じて意識を集中した。

 眉間に光の点が浮かぶイメージを膨らませ、徐々にその輝度を強くしていく。


「てめえには骨の髄まで届くような恨みしかねえが、一つだけ礼を言ってもいいと思うことがある」

「礼だと?」

「ああ、てめえに斬られたおかげで、面白え連中に出逢えた。そのことだけは素直に感謝するぜ」


 刹那、ヴァルターの体からこれまでとは異なる波長の魔力が漏れ始めた。


「その連中の中にゃ、第一大陸で知られたそれなりの家格の貴族の令嬢がいてな。水の名門の公女殿下なんていう立派な立場の御姫様さ」

「貴様……」


 ヴァルターの身から漂う魔力がこれまでと違う。質も量も桁が変わり始めており、それが天井知らずのように増え続けている 

 身の危険を感じるほどの獲物の変貌に、サイファは己の中の慢心を戒めて剣を構えた。


「当人は兄貴に劣等感を持ってるようだが、傍から見りゃ魔力も技量もそうそう他じゃお目に掛かれねえくらいの魔法使いでよ。今はギルドの医者なんかやっちゃいるが、その気になったら一廉の宮廷魔術士にだって余裕でなれるんじゃねえかと思うくらいさ。そんな魔法使いが召喚魔法を使うと、その使い魔はどれくらいの力を持つか分かるか?」


 ヴァルターが一歩進むと、その気迫に押されてサイファが一歩下がる。


「こんな契約で俺を縛る気はねえと常日頃言われちゃいるが、非常時ってことでお許しももらえていることだ、教えてやるぜサイファ。魔法使いエリカ・シャーリー・オブ・クイーンズベリーの使い魔の力って奴をな」


 その言葉と同時に、ヴァルターの額に盾型の紋章が浮かぶ。

 青い十字を基調としたクイーンズベリー大公家公女の紋章。

 そしてヴァルターの口が、主従の魔力のリンクを完成させるルーンを唱えた。



「God's in his heaven - All's right with the world.」



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