第23話 『聖地』
世界と言う言葉がある。
子供の頃に家庭教師に見せられた世界図では、世界は巨大な透明な球の中に円盤型の海と大地を押し込んだような形をしていた。
その世界の果ては滝となって落ち込んでおり、天空には月が居座り、その周囲を太陽が巡っていたと記憶している。
眼下に広がる『世界』は、まさにその時に見た世界図そのものの形をしていた。
だが、それは私が知る理においてはあり得ない形だ。
万有引力というものがあるからだ。
この辺は細かく論じるとキリがなくなるが、その理論についてかい摘んで言えば、それは質量を持つ物は互いに作用し合うという法則だ。
何の力も働いていない条件下においては、物質は互いに引かれ合って一つの塊になる。その塊が大きくなればなるほど、その力は大きなものになっていく。
その結果として、最終的にはそれらの物体の集合体は球形になっていくのが自然なはずだ。
眼下に広がる水の円盤の大きさがどれくらいあるかは分からない。
目算での直径は一万キロメートルほどもあるだろうか。
これほどの質量のものが、自然な形でこのような姿になることは私の『内なる記憶』にある物理法則においてはあり得ないことだ。
だが、あり得なくはあっても現前たる事実の前にはその言葉は意味をなさない。
これが目の前のガラスに映し出された虚像であれば別だが、目の当たりにした光景には否定し切れないリアリティがある。
誰かが作った歪な世界。
それを成した存在は、恐らくこの世界の理を司っている神とは違う何かだろう。
「これが月からの眺めなのか……」
絶句したようにクレアが言葉を絞り出す。
「この景色が何らかの手段で映し出されたものでなければ、恐らく」
イルミンスールの遺跡は、古代には天空まで伸びる塔があったという。
実際にそれほどの高さの塔を造るとなれば、基部の構造はかなり大規模になるだろう。私も幾度か妄想を滾らせてみたが、遺跡の大きさを見る範囲ではそのような塔があったとは残念ながら考えづらい。
だが、その『塔』というのが移動手段を指すのであれば、私たちがここに至ったことについて理解できるように思う。
月と地上の連絡基点。太古のイルミンスールの機能はそのようなものだったのではないだろうか。
「それにしても、この景色……経典にあった絵の通りとは驚いた」
私のように知識にノイズがない者であれば、クレアのようにアルタミラ教を始めとしたこの世界の天動説をあるがままの形で受け入れられるのだろう。クレアにしてみればその事実より、美しさにこそ心を奪われているように見える。
「絶景なのはいいんだが、どういう用途の場所なんだ、こりゃ」
ヴァルターの言葉に周囲の様子を伺うと、そのガラスでできた空間は城の大広間ほどもあろう広大なものだった。
一見すると虚空に浮かぶように設けられた石材で造られた通路。それ以外は天井も壁も床も恐ろしいほど透明なガラス張りだ。
何の目的の部屋かは分からないが、状況から察するに展望スペースのようなものなのかも知れない。
高いところを好む権力者の性癖を形にしたものなのか、はたまた地上にある存在を慈愛の視線をもって見守るために設けられたものなのかは分からない。
目的はどうあれ、森羅万象を目の当たりにすることができるこの眺めは、恐らくいくら見ていても飽きることはないだろう。
そのガラスの床に伸びる石造りの廊下をサーベラ―が歩いていき、五〇メートルほど先にある最早お馴染みの転移陣に乗って消えた。
少しだけ名残惜しい気もしたが、もはや毒を食らわば皿までということで私たちも後に続く。
その転移陣のところに来た時、これまでのものと違う文字があった。精巧に彫られた転移陣の脇に、鋭利な何かで引っ掻くようにして書かれた短い文章。
「落書きであろうか?」
「多分、そうだと思うが」
それ自体におかしな力のある物かは分からないが、その文字が妙に心に残った。
転移陣の先で私たちが目の当たりにしたのは、白亜の石段の上に聳えるあたかも神殿の入口ような重厚な造りの木製の扉だった。
天井高は一五メートルはあるだろう。
どうやら厳かな施設の玄関口のようだが、ここまで立派な正面玄関はそれこそ教皇庁の大聖堂くらいではないだろうか。
「こりゃまたでけえ扉だな」
「神殿……なのか?」
「雰囲気から察するにそういう類の建物だと思うが……」
唖然とする私たちをよそにサーベラ―は石段をさっさと上り、半開きになっていたその大扉の隙間にするりと入っていった。
それを追って中に入った私たちが目にしたものは、いくつもの像や柱が並ぶ荘厳な雰囲気の玄関ホールだった。
見上げれば他所ではお目にかかったことがないような精緻なフレスコ画が天井を埋め尽くしていた。足元にもタイルを精巧に配置した宗教画らしきものが描かれている。
「これはアルタミラ教の教会なのか?」
「いや……似ているが、少し違うように思う」
私が問うと、クレアが壁にかかった肖像画のいくつかを見て首を傾げる。
「少なくとも、私はあのような聖人たちは見たことがない」
宗教施設っぽくはあるようだが、アルタミラ教とは違うものとなるとこちらの本尊は何になるのだろうか。機会があったらフリーダあたりを連れて来てみたいと思うが、残念ながら今は時間がない。
クレアが指した絵が架かった壁の奥に、私たちを誘うように先に進む廊下があり、サーベラ―はそちらに進んでいく。
奥まで続くその廊下に足を踏み入れるや、ヴァルターが表情を歪めた。
「記憶違いじゃなければ、こんな雰囲気の廊下に見覚えがあるぜ」
ヴァルターの意外な台詞に私は足を止めた。
「知ってるのか?」
「エンデを見つけた部屋の辺りがこんな感じだった。もしかしたら、俺が迷宮の中だと思ってたのは、ここと同じような場所だった……なんてこともあるのかも知れねえ」
「転移陣を踏んでここに飛ばされた可能性は?」
「いや、それはねえ。俺もガイドだ、そういう異変があったらさすがに気づく。だが雰囲気はそっくりだ。偶然にしちゃ出来過ぎってくらいにな」
迷宮とこの空間の連続性については理解できる。実際に私たちは迷宮を抜けてここに至っているのだ。ヴァルターが言うような構造の類似性はあっても不思議ではない。
だが。
「意匠についてであれば、私も見覚えがある」
言葉を付け足したのはクレアだ。
「第一大陸でか?」
「教皇庁の別棟だ。建築様式の名前は知らぬが、まさにこんな感じだった」
出揃って来たキーワードが脳内で仕分けされていく。
月。
迷宮。
神殿。
アルタミラ教。
そして、球体の中の世界。
これらの何と何が因果関係を持つのか。
アルタミラ教が掲げる『月神信仰』という曖昧な言葉でしかないものが、それらのキーワードによって徐々に『アルタミラ教の正体』と言う明確な形を持つものに変貌していくような感覚を覚える。
「エリカ……ひとつ思うことがある」
そう言うクレアの顔色がやけに青い。
「前に貴公に『聖地』の話をしたことがあったのを覚えているか?」
「聖地?」
「レナ聖下の手紙を持って、貴公の屋敷を訪れた時のことだ」
確かにあの時、クレアは言った。レナは『聖地』に向かったと。
言われて思い出したその事実が、脳内の神経に点と点で存在している情報を連鎖的に結び付けていく。
「ここが聖地なのか……」
クレアの言う通り、アルタミラ教における『聖地』というのなら、月以上に神聖なものはないだろう。
クレアは頷いて応じた。
「『この世界の始まりの地』という言葉に相応しいかと言われれば自信はないし、何より確かめる術もないが……私はそう感じるのだ」
聖騎士として長く教皇庁に係って来たクレアは、独特の感覚を持つ。その彼女の感じるものであるならば、その洞察は信じるに足ると私は思う。
「お前の話では、秘祭では『聖女は聖地に向かう』という話だったな」
「その通りだ」
仮に教皇庁に私たちが使ったような転移陣があったとしたら、ここに飛んでくることも可能だろう。
『入星』という言葉も、月に来るということであれば意味は通るように思う。
手持ちのカードを継ぎ合わせたこじつけではあるが、月とアルタミラ教、そして聖地と祭祀までは線で繋がる。
そうであるなら、ここのどこかにアビーと、そしてレナもいるかも知れないということになる。
そこまで考え、水先案内人として前を歩くサーベラ―の姿を見た。
サーベラ―の知能が人と同等かそれ以上に高次のものであるのかまでは私は知らない。日頃の緊張感の欠片もない所作は猫そのものではあるが、今のこの子を見ている範囲では猫以上のものを有しているのだろうと思う。
私たちがアビーを助けようと考えている今、もし私たちの意を汲んでくれるほどの知性があったとしたら、私の仮説は確信に変わるだろう。
アビーはここにいる。
残る謎は『千年秘祭』というのがどういうものであるかだ。
教皇は聖女を月に送り込んで何をやらせるつもりなのか。
その思考に行き着いた時、もう一つの不確定要素に行き当たった。
「もし、アビーがここにいるのだとしたら、教皇もここにいる可能性はあるか?」
私の言葉にクレアが低く唸った。
「可能性は否定できぬ」
クレアもまた『千年秘祭』について詳細は知らない。その祭祀が行われた時の教皇の動向は分からない。
クレアの知る情報によれば、『千年秘祭』は教皇の専管事項だという。
だとすれば、ここに乗り込みめるのは教皇庁で彼だけということになる。丸腰で祭祀に臨んでくれるのであればいいのだが、教皇はこの世界では屈指のビッグネーム、こういう場所であっても相応の手駒を有している可能性は念頭に置くべきだろう。聖女の処遇において私たちとは敵対する立ち位置になるとなれば、彼は最大の抵抗勢力として考えねばならない。
だが、私の懸念をよそにヴァルターは涼しい顔で笑った。
「要は教皇がいたらそいつをぶっちめて嬢ちゃんを取り戻せばいいってことか?」
「……状況を願望込みで単純化するとそうなるが」
「なら話は簡単じゃねえか。遠慮なく家探しと行こうぜ」
ヴァルターがいつものようにカラカラと笑った時、サーベラ―が振り返り、その喉から太い唸り声が響いた。それは猫ではなく、大型のネコ科の獣のような重い声音だ。
私たちの背後を見つめるその眼の中に、警報にも似た光が見える。
彼方からおかしな音が聞こえて来たのはその時だった。
響いて来たのは幾つもの足音。
サーベラ―の視線を追うと、私たちが歩いて来た廊下の彼方から、身の丈二メートル程度の甲冑姿の人影が剣と盾を手に隊伍を組んで幾体も音を立てて走って来るのが見えた。
生気を感じない無個性の気配。統一された意思に支配された、非生物の動きだ。
「ゴーレムの類か。こりゃまた派手な歓迎だぜ」
ヴァルターが私の見立てを担保した。
結構な数だ。二〇〇はいるだろう。
「走るぞ。事を構えるにしても場所が良くねえ」
ヴァルターの言葉に従い、先を目指して全力で走る。
程なく、廊下は終点になった。
そこにあるのは階段。幅一間ほどの、上層階に向かう物だ。
その階段に差し掛かったところで、不意に息を飲んでクレアが足を止めた。怪訝な顔で階段の奥から天井にかけて視線を動かす。野生動物が警戒している仕草を思わせる挙動だ。
「どうした?」
「……連中はここで私が食い止めよう」
ヴァルターの問いかけに応じながら背中の荷物を下ろし、サーコートを脱いでクレアは剣を抜いた。
ツヴァイヘンダー。彼女の愛剣だ。
その様子にヴァルターが顔を顰めた。
「やるってんなら俺も参加するぜ?」
ヴァルターの申し出に、クレアは首を振る。
「恐らくこの先にいる奴こそが貴殿の割り当てであろう。分からぬか?」
「あん?」
クレアの言葉に、ヴァルターが階段の先を見つめた。数秒睨みつけ、そしてクレアの言葉の真意を理解したようだ。
「……そういうことか」
二人の間でやり取りされている言葉の意味は分からないが、クレアがここで連中を食い止めることで決定したらしい。
「あの連中を止めると言うのなら私が残ろう。魔法の方が多勢には有効だ」
数を相手にするなら魔法の方が合理的な部分がある。質量系の魔法である水魔法であれば『氷槍』等のゴーレムにも有効な打撃力のある魔法もないわけではない。
それに対してクレアは首を振る。
「いや、あれくらいなら私一人でたくさんだ。防戦と言うことであればここは階段、地の利もこちらにある。それに、ギルドを襲った連中の中には魔法使いがいた。敵の手駒にああいうのがいることを考えれば、貴公の魔力はまだ温存すべきだ」
「だからと言ってあの数を相手に一人では……」
「案ずるに及ばぬ。イルミンスールに渡って以来、伊達に一対多数の修練を詰んできたわけではない。一対一に固執するそこらの騎士と一緒にしてくれるな」
そう言ってクレアは笑う。
その表情に伺えた決意の強さに、私もまた腹が座った。
「その言葉、信じるぞ?」
「任せておけ。我が剣に誓ってここは抜かせぬ。貴公はアビーを頼む」
「……死んだら許さんからな」
拳を突き出すと、クレアが拳で応じた。
「すぐに戻る。アビーを連れてな」
「承知。行け、友よ」
彼女らしい大げさな言い回しを背中で聞きながら、私たちは階段に足をかけた。
上り始めて数秒後、下の方から凄まじい剣戟の音が響き始めた。
階段の構造を考えれば、一度に襲い掛かって来るゴーレムは少数だろう。だが、痛みも恐怖もない兵を相手に一対数百の迎撃戦、しかも仲間の骸を踏み越えることに微塵の躊躇もない敵だ。どうしても押し潰される可能性が脳裏をよぎる。
「心配いらねえよ」
先を行くヴァルターが言う。
「姐さんをどうこうしようって言うなら、あの程度の木偶人形なら一〇〇〇くらい持って来ねえといけねえ」
「本当に大丈夫なのか?」
「この一年間の上達ぶりは俺が保証する。姐さんは、今はもう立派な冒険者だぜ。信じろって」
そのようなやり取りをしている内に、おかしな臭いが漂って来ているのに気づいた。
金臭い、湿った臭い。
職業柄嗅ぎなれた、しかし幾ら嗅いでも好きになれない臭いだ。
血の臭い。
クレアとヴァルターはこれに気づいていたのか。
今ようやく私も理解した。
この先に、敵がいる。
そいつとの挟撃を防ぐために、クレアは残ったのだと。
階段の終点に向かうにつれて、その臭いがどんどん強くなる。
そして、階段が終わったところにあった謁見の間のように開けた大きな部屋に、一人の男が血まみれの剣を手に立っていた。
見覚えのある、総髪の男。
サイファ。
ローブ姿ではなく、聖騎士が身に着ける甲冑を身に着けていた。
ただし、その色は黒。
それは異端審問官が身に着ける鎧だ。
「ずいぶんお早いお着きだな」
どこか嬉しそうにサイファが言った。
「おかげさんでな。そっちはそっちで取り込み中だったみてえだな」
「何、ウォーミングアップにもならなかったわ」
サイファの周囲に転がっているのは、幾体もの骸だった。
どれも彼と同じ甲冑を身に着けているあたり、いずれも異端審問官なのだろう。
「何でまたこんなことになってんだ?」
「お前とサシでやらせろと言ったら駄目だと抜かしたんでな。邪魔なので黙ってもらうことにした次第だ」
「八人を一人で皆殺しかよ。また後ろから襲ったのか?」
「それが一番手間がかからんからな」
何気ない言葉のやり取りではあるが、互いが互いの隙を伺うような視線が交差していることは私にも分かる。
関門として立ち塞がるサイファだが、通路はその彼の背後に伸びている。
衝突は不可避と思った時、ヴァルターが交渉の口火を切った。
「さて、来て早々に悪いんだが、俺たちゃこの先に用事があるんだ。この姉さんだけでも通してくれねえか?」
「そうはいかん。これでも俺はここの番を言いつかっている身でな」
「俺の相手で精一杯だったとでも言い訳しておけや」
「ほう。俺の趣味に付き合ってくれるのか?」
「応よ。駄目だと言うなら押し通るだけのことだけどよ、どっちにしてもてめえのご意向に沿うなら、雑音にしかならない要素は通してくれたって構わねえだろう?」
ヴァルターの言葉に、サイファの目が爛々と光った。
私は確信した。こいつは真正のサイコパスだ。
「いいだろう。さっさと行くがいい」
サイファはそう言って数歩脇に避けて道を開けた。
それを受けて足を踏み出そうとして、私は歩みを止めた。
「ヴァルター、奥の手は遠慮なく使え」
私の言葉にヴァルターは少しだけ驚いたような表情を浮かべ、そして笑った。
「ありがとよ。そうならねえように頑張ってみるさ」
「できるだけ早く戻る」
「あいよ。嬢ちゃんを頼むぜ」
それだけ言って、私はサーベラ―と共に先に進む。
距離が詰まるにつれて、サイファの視線が舐めるように体の表面を走っているのが分かる。集中しているのは首と心臓。あまりにも物騒な値踏みに脂汗が滲む。
このまま何事もなく私を通すのかと思いきや、あと数歩でサイファと並ぶところまで来た時、瞬時にサイファの姿がぼやけた。
一瞬置いて響く轟音。金属と金属がぶつかる甲高い音と破片が飛ぶ。飛来した何かをサイファが剣で打ち払ったのだけは理解できた。
軽い身のこなしで飛び下がったサイファの足元を追うように床材が爆ぜる。
とんでもない速さで床にめり込んでいるのは、ヴァルターが放った投げナイフだ。
「何だ、俺の言葉を信じていなかったのか」
さもおかしそうにサイファが笑う。
「当たり前だ阿呆。てめえが素直に通すような奴な訳ねえだろう」
ヴァルターは手にした投げナイフを構えてサイファを睨みつけた。
「その姉さんに剣を向けてる時に俺に狙われたらどうなるかくらい理解できただろう。頭に風穴空けられたくなけりゃ動くんじゃねえ」
ヴァルターの威嚇に動きを止めたサイファを一瞥し、私はサーベラ―と共に通路の先にある転移陣に足を乗せた。
陣を踏む直前、ヴァルターを振り返ると、彼は小さく頷いた。
奇妙な縁で出会った好漢。
その男が背中を押してくれている。
ならば、私は信頼をもって応じるまで。
この場を託し、彼を信じて先に進むことが、今私がやるべきことだ。
最後に見えたのは、ヴァルターが浮かべた不敵な笑みだった。
☆
エリカの姿が消えると、サイファは面白そうに笑った。
「斬りかかられても顔色一つ変えないとは、なかなか見どころのある女のようだな」
サイファが漏らした言葉には素直な賞賛が込められていた。
「まあな。いい女だぜ。度胸も気風もいいし、義理人情にも篤い。女にしとくのがもったいねえよ」
「一人で行かせて良かったのか、この先にはまだいろいろ難儀があるかも知れんぞ?」
「そうだな。だからてめえを早々にシメて後を追うのが今の俺の仕事だ。下じゃツレが奮闘中だし、俺もそれなりに働かねえと立つ瀬がねえ」
そう言ってヴァルターが一歩前に出ると、応じるようにサイファも剣を構え直した。
「まあ、俺としてはあの時のやり直しができるなら理由はどうでもいい。今お前がここにいるのは俺の落ち度の証だ。必殺を確信していながら仕留め損なうとは、これで結構プライドが傷ついたものだったよ。それなのにわざわざ地獄から這い上がって来てくれたんだ、嬉しくてたまらんよ。今度はできるだけ丁寧に刻んでやろう。簡単には死んでくれるなよ」
「それはありがたいこった。だけどな……」
サイファの言葉を受け、ヴァルターの表情に猛獣のごとき笑みが浮かぶ。
「嬉しいってのはこっちの台詞だ。穴倉の中で少しずつ死んでいく気持ちってのは、ひでえもんだったぜ。暗くて、静かで、しかも寒くてよ。人として生まれたからにゃ、あんなくたばり方だけはしたくねえ……そんな感じだったさ」
手にした槍を一閃し、切っ先を異端審問官に向ける。
「構えろサイファ。あの時の借り、俺のダチの腹を抉ってくれた分と一緒に色を付けて返してやるぜ」
ヴァルターの熾火のような重い声音の口上に、サイファもまた狂的な笑みを浮かべた。
「来い、冒険者」
「行くぜ、クソ坊主」
両雄の体から、同時に強化魔法の光が迸った。




