第22話 『迷宮』
どこに棲んでいるのかは知らない。恐らくは遺跡のどこかだろうと思う。
お昼になると中庭で膝に乗って来る猫、というのが私のこの子に対する認識だ。霊獣サーベラ―を猫呼ばわりと言うことについては驚く向きもあるやも知れないが、その所作や行動は本当にただの猫なのだ。ただただ可愛い。その可愛さの前では細かいことはどうでもいいのだ。
だが、名前は付けない。
この子の生活に責任を持てないからだ。懐いて来るのなら膝を貸す代わりに愛でさせてもらう。そういう対等の付き合いがこの子と私との間柄だ。
短い付き合いだったが、その友人のような存在であるこの子とのお別れを忘れていた。
道に立ち塞がるように座るその小さな体の前にしゃがみ込み、頭を撫でた。
「すまないな。私にはやらねばならないことができた。今まで遊んでくれてありがとう。しばらく留守をするが、帰って来られたら、また遊んでくれ」
いつもなら撫でれば目を細めてくつろぐはずのサーベラ―が、この時は表情を崩すことはなかった。
甘えるように私にすり寄ることもなく、サーベラ―は撫でる私のローブの袖を咥えて引っ張った。
「どうした?」
何がしたいのか分からないが、数回ぎこちなく袖を引っ張ると、そのまま走って迷宮の方に向かう。そしてやや離れたところで立ち止まり、私たちの方を振り返ってみゃーと鳴く。
「エリカ、これは……」
クレアが怪訝な顔をするが、彼女を含めて全員がサーベラ―の言いたいことは何となく理解できていた。
「ついて来い、ってことじゃねえのか?」
ヴァルターの言葉に、全員が同意した。
その中で、私が想起するのは昼間にサーベラ―が私に見せた奇妙な映像だ。
神殿と思しき空間で、誰かが祭服を着た何者かと対峙する光景。
そのことだけでこの子が何かを持っていることは想像に難くない。
それを思い、胸の内の暗雲を形するように私は皆に言った。
「すまないが、ちょっと寄り道に付き合ってくれないか。あの子が何を見せたいのかを確かめたい」
元より当てのある旅ではない。そして、霊獣サーベラ―の誘いであればただの悪戯とも思えなかった。
この子が導く先に、アビーがいる。
直感としか言いようがない感覚だが、何故かそう思えた。
てててと小走りに中庭を横切り、サーベラ―が向かったのは迷宮の入口だった。
閉ざされている管理所脇の防壁の門に駆け寄り、かりかりと引っ掻き始める。
不寝番の係員に適当に話を通して扉を開けると、昼間の激闘の痕跡が残る迷宮の門の前に出る。門扉はまだ破壊されたままで、辺りには討伐された妖魔の死骸が幾つも転がっている。迷宮の中であればこの種の骸は定期巡回のゴーレムが片付けてどこかに運んでいくのだが、迷宮外となるとそうもいかないようだ。とは言え普通の生き物と違って腐敗するわけでなく、時間と共にマナが失われると砂のように風化していくのが妖魔の最期だ。
サーベラ―はそれらを避けて真っ直ぐに迷宮の中に入って行く。
さすがに迷宮に入るとなると覚悟がいるが、幸いここには二人も有能なガイドがいる。
その私の思考を汲んでくれたのか、すぐにヴァルターが槍を手に前に出た。
「先導する。姐さんは後ろを頼むわ」
入ってみれば、迷宮の入口の辺りはフリーダがローストした妖魔のなれの果てが累々と転がっていた。
凄まじい数だ。見える範囲の概算でも四桁で勘定するレベルだろう。もしこれが一気に噴き出して来たらと思うと背筋が寒くなる。
昼間の冒険者たちの防衛線は傍目にはスタンピードに対して完封ゲームを演じたように見えるが、それは事前に打った一連の布石の数々が功を奏したためだろう。大型妖魔がベヒモス一体で済んだのもそのおかげだったと思う。
もしこれが何の対策もない無軌道なスタンピードだったとしたら、下手をしたらイルミンスールの街は地獄と化していたかも知れない。思った以上に薄い氷の上を我々は歩いていたのだと思い知らされる光景だった。
その炭化した骸の中をサーベラ―は真っ直ぐに奥を目指していく。
妖魔を警戒しつつ、私たちもその姿を追った。
サーベラ―が立ち止まったのはT字路の突き当りだった。
一見何もない通路ではあるが、サーベラ―は正面の壁を例によってかりかりと引っ掻き、物問いたげに私たちを見上げる。
それを見たヴァルターが怪訝な面持ちで正面の壁を調べ始めた。
隙間を覗きこみ、壁の表面を叩き、周囲の壁と比べるように音を聞く。
そして、何かを確信したように頷いた。
「隠し通路だな」
「分かるのか?」
「音の反響が微妙に違うからな。とりあえずこの石壁を何とかするわ。危ねえからちょっと下がっててくれ。ほれ、お前もだ」
ひょいと霊獣を抱えて私に渡して来たので、胸に抱えてクレアとエンデと共に壁から距離を取る。
当のヴァルターは、ぶらりと脱力して壁の正面に立った。
「エリカ、耳を塞げ」
「え?」
クレアの言葉に振り返ると、クレアもエンデも両手で耳を塞いでいた。
そんな私たちをよそにヴァルターが強化魔法を発動させてその右足がぼやけると、次の瞬間に火薬が爆発したような音が響いた。
凄まじい破壊音と飛び散る破片。
放ったのは、ごく普通の前蹴りだった。しかし技は普通でもその威力は普通じゃなかった。
クレアたちは元よりサーベラ―も耳を伏せていたが、この子を抱えて耳を塞げなかった私はその轟音の直撃をまともに受けた。
耳鳴りを抱えて苦悶の表情を浮かべる私に気づいて、ヴァルターがばつが悪そうに頭を掻いた。
「悪い、耳を塞げって言うの忘れてたわ」
「……こういうことになるのなら、できれば何をするか言っておいてくれ」
「すまねえ、何となく分かってくれてるもんだと思ってた」
苦笑いを浮かべるヴァルターの声が耳鳴り越しにぼやけて聞こえる。鼓膜は大丈夫だろうか。何も語らずともクレアとエンデはちゃんと対応していたあたり、冒険者たちなりの暗黙の了解でもあるのかも知れん。
そうは言っても壁に向かって蹴りをかますような事態は普通は想定しないと思うし、ましてや壁を蹴り砕くとは思わないだろう。
見れば粉々に砕けた石材の厚さは一メートルを超えていた。人の体と言うものは、強化次第で斯様な厚さの花崗岩を蹴り砕くことが可能であるらしい。当のヴァルターは涼しい顔をしているが、強化魔法の達人の恐ろしさの片鱗を見た思いだ
砕けた壁の向こうに見えたのは、ごく普通の通路だった。壁にはめ込まれた蛍光石の明かりも灯っている。ゴーレムの模様替えで隠された通路の類だろうか。
「もしかして未踏地というやつなのか?」
「そんな気の利いたものじゃねえよ。こうやって塗りつぶされた古い通路は結構あるもんだぜ」
私の疑問にヴァルターは笑う。封じられた通路は冒険者の認識ではそう珍しいものでもないようだ。
私の腕から飛び降りたサーベラ―はその通路を先に進む。
通路の突き当りにあったのは、ちょっとした小部屋だった。
ドアも何もない、やや広いスペースと言った感じの場所だ。
その中央に、床に描かれた怪しげな丸い紋様が見える。
サーベラ―がそのままその模様の上に乗ると紋様が一瞬白く輝き、瞬時のその姿が消えた。
「魔法陣か」
クレアのつぶやきに、私はしゃがんでその模様に視線を向けた。
規則的に並んだ幾何学的な文字と図式。魔法陣の類であることは間違いないだろうが、不思議なことに魔力の流れは感じない。彫られている文字も見たことがないものだ。フリーダ辺りに見せれば何か分かるかも知れないが、私が受けた教育の中ではこの種の文字はお目にかかったことがない。
「どういう術式なんだこれは……」
「これは時空間方程式」
私の呟きに応じるように聞こえて来たのはエンデの声だった。
「方程式?」
一応学院まで行って教育を受けたからには数学や物理学と言う学問も相応に修めたつもりだ。『誰かさん』の知識にもその種の学問は含まれている。
だが、彫られているものはそれらの学識の中でも見たことがない言語だった。
それをエンデが教えてくれた。
何故彼女はそのようなものを知っているのだろうか。
戸惑う私に、エンデの言葉が続く。
「現実に対して干渉するノウハウは魔法以外にも存在する。世界の理を変える術式ということであれば、これもまた一つの方法」
「どういう原理なんだ?」
マナとオドの行使、そして幻想と現実の置換を基本とする魔法と同じことを違う手段で実現可能と言うのはいささか想像できない。
「説明すると長くなるので機会を改めたい。この紋様の効果は魔法による転移陣と同じだと考えていい。行き先は不明だけど、今はサーベラ―の導きに従うべきだと思う」
エンデの言葉にヴァルターが頷いた。
「俺も同感だ。ここまで来たんだ、とことんあの猫に付き合おうぜ。それじゃ、俺から行くぜ」
そう言うとヴァルターは気負った様子もなく模様の中央に足を進め、先ほどのサーベラ―と同様にその姿が消えた。
ヴァルター、エンデ、クレアに続いて私も紋様に足を踏み入れると、視界が一瞬で切り替わるように転移が終了した。
その過程は継ぎ目を感じない滑らかさで、紋様を踏んだと思ったら一瞬の後に目の前に先に転移した仲間三人の背中が現れたような感じだ。
転移した途端に襲ってきたのは気圧の変化による耳の違和感と、それ以上に重々しい濃密なマナだった。大気の組成が変わったのではないかと思うほど濃度が高い。
見回してみれば、転送された先の空間はやたらと大きな部屋だった。部屋と言うより差し渡しの大きさから言えば地下大空洞と言う感じだ。ざっと見たところ三〇〇メートル四方はあるだろうか。天井の高さも五〇メートルはありそうだ。
その空間に、これまで体験したことがないほどの濃度のマナが満ちていた。
それはそれとして、問題はサーベラ―と仲間三人の視線の先にある存在だ。彼らの視線の先に巨大な物体が横たわっているのを認め、私も皆と同様に絶句していた。
例えるなら小山のような威容だった。
全身を赤っぽい鱗に覆われた、巨大な生物。背中には折りたたまれた蝙蝠のような翼が見える。
経験が浅い私でも、床に丸くなって眠っているそれが何なのかは分かる。
緊張のあまり、一瞬で口の中が乾いた。
「ド、ドラゴン……?」
「ご名答」
私の問いにヴァルターが呟く。この男の青ざめた顔をいうのは初めて見た気がする。
気圧の変化とマナの濃度、そしてあまりにも強力な妖魔。
そのことが一つの事実を突きつけて来る。
「もしかして、ここはかなり深い場所なのか?」
「何階層かは分からねえが、このマナの濃さからしてかなり潜ってるはずだ。少なくとも俺も来たことがねえ深さだ」
ヴァルターの言葉にエンデが頷いた。
「恐らくここは迷宮の基部。大よそ地下五〇階層くらいだと思う」
これまでのヴァルターの最高記録は二三階層、ギルドのレコードはエンデの持つ三三階層と聞いている。
それが一気に記録更新だ。
見れば、周囲の床の数か所に先ほどと同じ紋様が刻まれており、さらにドラゴンの背後にある一段高くなった場所に、先ほど見た紋様と同じものが刻まれている。サーベラ―の様子を見るに、あそこがこの子の目的地なようだ。
そして、そこに至るには解決しなければならない難題がある。
「あれ、この人数で倒せるのか?」
ドラゴンを指さした私の率直な問いに、ヴァルターの表情に渋いものが浮かぶ。
「やってやれねえことはねえと思うが、一般論としては逃げてもいいと言われたらその言葉に甘えた方が利口だな」
この男にしては珍しい後ろ向きな答えだ。そして、その言葉に一歩前に出たのはクレアだ。
「難敵であることは認めよう。だが、あれを潰さねば先に進めぬと言うのであれば、私はやるぞ」
そう言ってクレアは背中の剣に手をかけた。子供を奪われた母虎のような気配がクレアの全身から漂っている。その言葉にヴァルターが笑う。
「心配すんなって。サーベラ―がどういうつもりか知らねえが、やらなきゃ先に進めねえならやることは一つだ。段取りをトチらなければ、やりようはあるだろう」
そう言って気合を入れるヴァルターの袖をエンデが引っ張った。
特に何か気負ったわけでもないいつもの通りの表情の彼女だったが、続けて出てきた一言に私たちは絶句した。
「ここは私が単独で対処する。私が相手をしている間に、皆は先に進んで欲しい」
その言葉を受けてフリーズしたヴァルターが再起動するまでに三秒を要した。
「……何言ってんだお前?」
信じられないという顔をするヴァルターに対するエンデの答えはあっさりとしたものだった。
「私なら勝てる」
「一人でやる気かよ」
「問題ない」
「無茶言うな」
ヴァルターの言葉に、エンデは首を振る。
「全員で立ち向かった場合、倒すまでの所要時間は丸一日程度はかかると思う。ただし、それを実行した場合には一人以上の犠牲者が出ると推測する。私一人で対応した場合は三日程度あれば問題なく倒せる。万が一不利になっても撤退も一人の方が容易。今は時間を優先するべき。それに、私はドラゴンハンターのライセンスを所持している。ここは私に一任するのが最適解」
やけに細かい意見だが、エンデの表情からそれがある程度客観的な推測であることが何故か理解できた。
この子の能力には確かに謎が多い。その不可解な部分が割り出した結論なのだろう。不眠不休で三日と言うのは少々理解の外だが、彼女なりに勝算はあるようだ。
「ドラゴンハンターって言っても、お前がシメたのはあそこまで御大層なドラゴンじゃねえだろ。確か一〇メートルくらいの奴だったって話で」
たじろぐヴァルターに対して、エンデが笑みを浮かべる。
「心配はいらない。貴方の花嫁になる女はこの世界で一番強い。任せて」
そう言って巨大なハルバードを一閃し、エンデは一歩前に出た。
そのまま数歩進み、そして思い出したように回れ右した。
何事かと思いきや、足早に戻って来てヴァルターにしがみつき、胸に顔を沈めたまま幾度か音を立てて深呼吸をした。
呆気に取られた皆が見る中で、程なくして晴れやかな表情を浮かべて顔を上げた。
「満タン」
「お、おう」
微妙な顔をするヴァルターに、今度こそエンデは笑って言った。
「行って来る」
歩みを進めるエンデとドラゴンとの距離は五〇メートル。その距離を散歩のように歩くと、程なくドラゴンがエンデに気づいて目を開けた。
喉を鳴らして威嚇をするが、エンデの歩みは止まらない。
ドラゴンが身を起こすと、その体高は三〇メートルくらいはあるように見える。
それでも止まらぬエンデに向かい、ドラゴンが蠅を潰すようにその右手の爪を振り下ろした。
巨体に似合わぬスピードではあるが、床材を穿つほどのその一撃はエンデの残像を捉えるに止まった。
私の視野が再びエンデを捉えた時、彼女はドラゴンの鼻先にいた。
次の瞬間にエンデが放ったのは、強烈な飛び後ろ回し蹴り。
物理法則と言うものがある。
運動エネルギーは速度の二乗に比例するが、質量が小さい物体が動いても生じる運動エネルギーは相応のものに止まるというのがこの世の理だ。
だが、エンデの細い足から繰り出されたその蹴りがドラゴンの横面にヒットすると、重さ三桁トンはありそうなドラゴンの巨体が轟音を立てて壁に向かって吹っ飛んでいった。
私を含めた全員の顔が驚愕に歪む。目の前で繰り広げられた活劇は、先ほど岩壁を砕いたヴァルターの蹴りより現実感がない。
世界の理を侵食する術は、魔法だけではないのだとエンデは言う。
強化魔法をもなしで斯様な真似ができる彼女が我々の知覚が及ばない次元で使いこなしている術式は、恐らくそういう類のものなのだろう。
そう納得せざるを得ないくらい、目の前の光景は現実離れしていた。
吹っ飛ばされたドラゴンを見れば、顎が砕けて変な具合に顔が歪んでいた。さぞかし痛いことだろう。間を置かずにその傷が緑色に輝き、修復が始まる。妖魔の王たるドラゴンだけあって、かなり強力な再生能力を有するらしい。
馬鹿でかい咆哮を上げながら怒れるドラゴンは、返礼とばかりにエンデに向かって尾を疾らせた。それをエンデがハルバードで受けるが、今度はエンデが押し敗けて壁に向かって石ころのように吹き飛ばされた。瞬時に猫のように体を捻って壁に両足で着地し、バネのような勢いで跳ね返って返す刃でドラゴンの首を狙う。その一撃が思いのほか身軽に動いたドラゴンの喉元にあるブレス溜まりを掠め、鱗を数枚斬り飛ばす。
外見は人とドラゴンではあるが、どうやらその器に収まっているものはどちらも人知を超えたもののようだ。人外同士の頂上決戦の様相に私たちは青ざめた顔のまま、サーベラ―の導きに従ってドラゴンが寝ていたところにある魔法陣に足を踏み入れた。
足裏が紋様の描かれた床に着いた時に感じたものは、微かな浮遊感。
意識だけが体を離れて虚空に向かって吸い上げられていくような感覚だ。
永劫にも感じられる一瞬。
五感が正常に戻った時、私たちが立っていたのは薄暗い奇妙な場所だった。
ほのかに見える視界には、丸い柱が幾本も並んでいるように見える。
「今明かりを点ける」
ヴァルターが荷物の中からランタンを取り出す。油ではなく魔晶石で起動する便利なものだ。
その光が周囲に照らし、見えてきた光景に私たちは再び絶句した。
「何だこれは……」
ここにいる者たちの右総代と言う感じでクレアが漏らした言葉が、私たち共通の感想だ。
柱のように思っていたものは、大きな水槽だった。
ガラス製と思われるその中には青っぽい液体が満ちている。熱傷治療の際に用いる薬液に似た雰囲気のものだ。
そして、その中に見覚えがあるものが漬かっていた。
「……オーガだな」
その外見の特徴を見て、ヴァルターが呟いた。
「こっちは雷獣だ」
「小鬼にヴォーパルバニーにスキュラ……グリフォンまでいるかよ」
ランタンで照らしながらクレアとヴァルターが水槽を見て回ると、それぞれの円筒にいろいろな妖魔が漬かっている。
まるで趣味の悪い博物館だ。
「まさか、どこかのコレクター様の収蔵庫にお邪魔したって訳じゃねえよな」
苦々しくヴァルターが言葉を吐くが、私の意見も同じだ。
間違ってもこれは標本の類ではない。この水槽の中を循環しているものはマナだ。これらの妖魔は生きている。
「妖魔の製造器か」
思考が言葉となって口から洩れた。
巡るマナの様子から察するに、この中で妖魔が育まれていると考えるべきだろう。
以前、フリーダが呟いた言葉がある。
『マナからは妖魔は生まれない。となると、彼らはどこから来るのかしら?』
その回答が目の前に並んでいた。
人類の脅威である妖魔は、自然発生ではなく、このような形で造られていたのだ。
妖魔はここで生まれ、私たちが踏んで来た魔法陣で迷宮の各所に送られる。そういうカラクリなのだろう。
「さて、問題は何を考えてあの霊獣様は俺たちにこんなもんを見せたのかってことなんだが……」
ヴァルターがちょいちょいと指さす先に、サーベラ―がいた。
私と視線が合うと、尚も先に立つように歩き始める。
「その答えはまだ保留だろう。まだ見せたいものがあるようだ」
「終点はまだ先かよ。いい加減、俺の頭じゃついていけねえわ」
サーベラ―の導きに従って進むと、広大なガラス容器の群れの終わりの所に上層に向かう階段があった。
それを上っていくと、程なく光が差し込んで来た。そこがゴールなのだろうか。
ヴァルターが先に立って上り階段を抜けた時、見えた景色を何と表現しよう。
そこは虚空に浮かぶ一本の通路だった。
石材でできた通路の周囲は、壁も床も、すべてガラスでできていた。
そのガラスの向こうに見えるものは、漆黒と紺碧。
夜空のような漆黒には、満天と呼ぶにふさわしい無数の星の輝きが見える。
そして足元に向かって濃さを増していく紺碧の彼方に見えるのは、模型のような海と二つの陸地。
海の果ては滝となって落ちている。そして島のように浮かぶ二つの陸地は地図で見た第一大陸と第二大陸に酷似していた。
それは壮大な球形の中に納まった一つの碧い円盤だ。
世界。私たちがそう信じている空と大地の構造を、私たちは遥かなる天空から俯瞰していることが理解できる。
それが可能な場所は、私が知る限り一つしかない。
「大将……ここは何だ……」
青ざめたヴァルターが絞り出すように言葉を紡ぐ。
「恐らくだけど……」
「言ってくれ。何なのだ、ここは?」
続くクレアの問いに、私は答えた。
「多分、『月』だ」




