第20話 『迎撃』
ギルドのスタッフの端くれとして、当然ながらその警報が何を意味するのかは分かっていた。
それは、迷宮内における事故もしくは事案が発生したことを意味するものだ。火災や落盤、可能性はいくつもあるが、今回に限っては有力候補たり得る事案は一つしかない。
妖魔によるスタンピードだ。
問題の結晶の発動タイミングがどうなっているのかは分からないが、仕掛けた側が任意に起動できるのであれば、ギルドがその除去に動いているのならそれに応じて発動させるのは腹立たしいことだが自然な事だろう。
冒険者ギルドは一つの組織だ。組織であるからには、非常時ともなれば従事するスタッフにはそれぞれ与えられた役割と言うものが生じる。
私は魔法使いだが、前線に出張って攻撃魔法を展開することを期待されているわけではない。
冒険者ギルド付属診療所の医師。
それは傷ついた冒険者を治療するための役職だ。そして、その役割を忠実に果たすことこそが緊急時に私が果たすべき責務だ。
こういう状況において診療所を預かる私のなすべき役割は、可及的速やかに医療関係の環境を整えること。そのための準備は怠りなくできている。
私は調剤室から持ち出し用の薬品をピックアップして袋に詰め、次いで診療所の一角に常備してある非常用の治療アイテムが詰まった鞄を担ぎ上げた。
向かう先は迷宮の入り口。中庭を横切り、そのまま二〇〇メートルも進めばその威容が目に入る。
迷宮の入り口は大きな城門のような外見をしている。跳ね橋のようなものではなく左右に開くタイプの門だ。丘の中腹に設けられたその門は大型の妖魔の突進を食らってもある程度耐え得る重厚なもので、その周囲を城壁を思わせる高さ五メートルくらいの壁が取り囲んでいる。壁に囲われた広場はちょっとした運動場のような感じだ。
入退管理所に挨拶して壁に開いている通用門から壁の中の広場を覗くと、そこには既に結構な人数の冒険者が屯していた。その数は一〇〇人を迫る。見知った顔の数々を見る範囲では、腕の立つギルドメンバーが集中的に集められた感じだ。迷宮の閉鎖に伴い結構な人数が密林に出稼ぎに行ったと聞いていたが、この者たちはギルドが別個に呼集したのだろう。壁の上には魔法使いも相応の数が待機しているのが見て取れる。何とも対応が早いことだ。
然様な居並ぶ猛者の中、ひと際大きなハルバードが目についた。あろうことかエンデまで招集されているらしい。
「ご苦労様です」
唐突に背後からかけられた深いバリトンに振り返ると、そこにいたのは我らがギルドマスター カイエン様だった。その隣には、少しは寝たのか多少顔色がマシになったフリーダもいる。
「駄目よエリカ、貴女の仕事は怪我人の治療でしょ! 狩場は狩人のものよ!」
「いや、別にしゃしゃり出るつもりじゃないよ」
狩場と言う言葉に含められた、フリーダの思惑に背筋が冷えた。
確かに、この壁の中の空間はいわゆる『虎口』だ。迷宮の出口に設けられた、溢れ出た妖魔に対するためのキルゾーン。狩場と言う表現は確かにその目的に馴染む。
ギルドマスターのお出ましに驚いたものの、彼の手にある重厚なブロードソードと身を固める鎧に首を傾げた。
「その武装は?」
私の問いに、カイエン様はにっこりと笑った。
「年寄りの冷や水ですが、一日限りの現役復帰です」
正直驚愕の一言だった。体型に鍛錬の跡を垣間見ていたが、未だに現役を張るだけの実力があると彼は言う。確かに見たところ現役に比しても遜色のない筋肉量はありそうだし、以前手を握った時にもその掌には鍛えられた人特有の厚みがあった。
カイエン様はそのまま通用門をくぐって、壁の中に待機中の冒険者メンバーの中に入っていく。
途端に湧き上がる歓声。
ギルドマスターの登場による場の盛り上がりが尋常ではない。雰囲気はまさに『英雄の帰還』だ。
剣士カイエンの名が冒険者の間でどれほどのビッグネームだったのか、私はこの時まだ理解できていなかった。
その時、門が内側からの圧力で微かに軋み、浮かれかけていた冒険者たちに緊張が走った
壁の上では魔法使いたちは詠唱の準備に入り、マスターの陣頭指揮のもと、近接戦闘の専門家たちはそれぞれの武器を手に陣形を整えていく。
私も荷物を広げて壁のすぐ外に救護本部を設置し、やがて発生するであろう闘争に備える。鍛冶屋のホーガンに造ってもらった折り畳み式の診察器材のデビュー戦だ。女でも運べるくらいの軽量な金属を使いコンパクトに収納が可能な簡易ベッドと作業台はホーガン自身も傑作と自負していた。
てきぱきと用具と薬品を並べて準備を終えた時のこと。
「エリカ、準備が出来たら登っていらっしゃい、貴女には特等席で見せてあげるわ!」
壁の上からフリーダの声が降って来た。私を見下ろすその顔には、妙に黒い笑みが浮かんでいた。
ちょっとだけ遠慮したい気持ちが溢れかけたが、逆らうと後が怖いのでそのまま壁の上に繋がる階段を上った。
要所要所にツィンネと言われる狭間を設けたそこは、下で想像するより見晴らしが良かった。
正面に見えるのは迷宮の門。その手前に布陣している冒険者たちを先頭で率いているカイエン様に向かってフリーダが手を振ると、カイエン様がそれに応じて右手を挙げた。
「それじゃ、行ってみようかしら!」
どこから見ても悪役っぽい笑みを浮かべたフリーダは懐からリンゴほどの大きさの水晶球を取り出し、ルーンを紡ぎ始めた。こう言うと彼女には失礼だが、いささか不気味な雰囲気のルーンだ。
その詠唱が完成した時、水晶球が紫色に光り、それに応えるかのように出し抜けに門の隙間から轟音と共に凄まじい紫色の閃光が溢れて来た。
次いで生き物が焼ける焦げた臭いが周囲に漂い始め、周囲の冒険者たちから驚きの声が漏れる。
それがこの防衛戦の始まりを告げる号砲だった。
「何をやったんだ?」
フリーダに問うと、黒い笑顔を浮かべたまま、いつにもまして調子外れな笑い声をあげた。控えめに言ってもかなり怖い。
「回収してあったすべての結晶に、内包されたマナを魔法に変換する魔道具を結合して迷宮の入口周辺に置いておいたのよ!」
「それがこれか?」
「どこのお馬鹿さんか知らないけど、せっかくマナの塊を用意してくれたんですもの、利用しないほうが失礼と言う物よ! 魔法は雷撃にしておいたけど、お味の方はどうかしらね!」
魔法はマナやオドによって編まれる。確かにマナの塊であれば術式の手続きさえ踏めばそれを魔法に還元することも理論上は可能だろう。だが、それは普通の魔法使いや錬金術師がおいそれとできるものではない。イルミンスール冒険者ギルドにその人ありと言われる錬金術師フリーダ・ヒルデブラントだからこそできたことだと私は思う。
そして、純度の高いマナの結晶ともなれば、その勢いはちょっとした魔法使い数人分の威力は優に出るだろう。それを解放された入口付近の通路内部は落雷の地獄になっているはずだ。
永劫に続くかと思われた無慈悲な雷撃は二分ほどバリバリと激しい音を響かせ、ほどなく収束した。
「さて、前座はここまでね!」
フリーダの言葉の直後にそれまでと違う感じの閃光が迸り、門が内側から破られた。
飛び出してきたのはトラのような外見を持つ妖魔だ。雷獣。その名の通り雷の属性を持つ妖魔で、ネコ科の大型獣なりの攻撃の他、『雷撃』の魔法を得意とする。それが一気に三〇体ほど躍り出て来た。
それに応じる先鋒は魔法使い。
火球や風刃、氷槍が唸りをあげて妖魔たちに降り注ぎ、驟雨のようなその魔法の十字砲火の前に次々に妖魔たちが屠られていく。
だが、雷獣に続いて溢れ出して来る妖魔の勢いの前ではそれでも足りなかった。
斃れた妖魔たちの骸を踏み越え、オーガを筆頭とした中型クラスの妖魔が次々と門から飛び出してくる。撃破と増援の天秤が後者に傾いたところが魔法による火力制圧の限界点。魔法使いたちも魔力切れが相次ぎ始め、ここで選手交代となった。
魔法の切れ目を待って、武器を持って腕を撫していた剣士たちがギルドマスターの号令を受けて強化魔法の燐光の尾を引きながら一斉に斬り込んで行く。
魔法による牽制の効果は覿面で、近接戦闘のイニシアチヴは冒険者側が完全に掌握していた。また、常に一対多数を想定して迷宮に入っている冒険者たちだけあって、数を頼んで圧力をかけようとする妖魔の動きを形になる前に潰している。
その中で、最も輝いていたのはカイエン様だ。
片足のハンデをものともしないその動き、速すぎて見えないその体捌きはヴァルターやイーサンのそれを思わせる。現役の冒険者に混ざっても遜色がないどころかトップクラスとも比肩できるのではないだろう。
陣形の先頭で、正に要としての機能を果たす活躍。何と言うか、惚れ直してしまうレベルだ。
そんな思惑はともあれ、白兵戦が始まったというのなら私の方も見物気分はここまでだ。
私は壁を降りて自分の持ち場に戻り、発生した怪我人相手の救護所の営業開始。
戦闘開始から数分もすると、幾人かの冒険者が傷口を抑えながら救護所に駆け込んで来る。一人目は鋭利な爪で腕をざっくりと削られた患者だった。何にやられたかを問診して毒等の影響を確認しながら、蒸留水で洗浄して処置を施す。
壁一枚隔てた向こうが戦場なだけに、こっちものんびりした治療をしている余裕はない。裂傷、咬傷、挫創、熱傷、骨折等々そのダメージの形は多岐に渡るが、やって来た負傷者に対してそれぞれに応じた魔法や投薬等の処置を施し、必要十分な治療だけで前線に送り返すのが基本方針だ。
貴重な戦力の復帰が滞れば、それだけ阻止線が破られる可能性が上がる。徒に完全回復を目指すのではなく、戦力として動けるのならそこで前線に送り返すのがこの場合は最適解となる。
軽傷な場合はそれでいいが、これだけの規模の戦闘となれば展開と共に相応に重傷者も出る。時間の経過と共にウォークインではない患者がぼちぼちと出始めるのもやむを得ないことだ。
日常的に怪我と付き合っている冒険者諸君なだけにかすり傷でぴーぴー言っているような輩はいないのだが、それだけに誰かの手を借りる形で担ぎ込まれた連中は相応に重体だ。診察して戦線復帰が難しいレベルであれば応急処置を施して街の病院に運んでもらうことになる。
次々にやって来る負傷者への対処を繰り返すこと三〇人ほど。時間当たりの患者数は新記録だろう。参戦している冒険者たちが命がけで頑張ってくれている証拠だ。
楽勝という状況ではないが、それでも初手で阻止線を突破されなかったことは大きい。この壁から妖魔が溢れた場合、対応しなければならない地域は大きく拡大することになる。
今回の警報を受けて恐らく街の方では隔壁が閉じられたことだろうし治安局も対応に動いていると思うが、それらの対応が無駄に終わるのならそれ以上に喜ばしいことはない。
「先生、これを」
患者の波が一段落したところで顔見知りの冒険者が投げてよこしたのは魔力回復の魔法薬だ。
ありがたくいただこうとした時、世の中そんなに甘くないと言わんばかりに地響きが聞こえた。
門の奥から聞こえて来るそれに、冒険者連中の顔色も変わっている。
続いて聞こえてきたのは、地獄の底から響くような太い叫び声と重い足音。
迷宮の奥から現れたそれは、巨大な三本の角を持ったサイのような重厚な外見の巨大な妖魔だった。高さ五メートルほどある迷宮入口の天井近くまで体高がある。それを見た誰かが呟いた。
「べ、ベヒモス……」
私も名前を知っているくらいの、かなり強力な妖魔だ。浅い階の妖魔を地上に追いやったのは恐らくこいつだろう。
その迫力を目の当たりにした冒険者の間に緊張が走る。
ベヒモスの武器はその巨体だけでなく、土属性の魔法を放って来ると聞いている。
胆の座った魔法使いたちがルーンを唱え始めているが、剣を使う者たちは僅かに及び腰だ。
ベヒモスはドラゴンと同様にベヒモス単体のハンターライセンスが設けられている。ライセンス保有者であっても倒すには相当数の冒険者でかからねばならないくらいの攻撃力と防御力を有するレベルの妖魔だからだ。その外皮の硬さはかなりのもので、エンチャントでもないとなかなか剣が通らないのだ。
だが、焦る必要は微塵もない。
然様に陸の王者のような威風を漂わせた妖魔ではあるが、生憎だがここはイルミンスールの冒険者ギルド、妖魔を退治するプロフェッショナル達の砦だ。そこにはベヒモスなんかより遥かに物騒な存在が一般人の顔をして寝起きしている。
ベヒモスが吠えながら『地震』の魔法を使うべく片足を上げた時、それに応じるように神速で飛来した小さな影がその巨体の直上を横切った。
一閃する銀色の光。その時の岩を断つような鈍い音を何と形容しよう。
その音の余韻が消えた時、やや離れたところに長さ三メートル、斧の刃渡りは一メートルはある重厚なハルバードを手にしたエンデが両足で地面を削りながら滑るように着地した。
その滑走が止まった時、大の男が三人抱えになりそうなベヒモスの首が血飛沫をあげながら地に落ちた。そこから数秒遅れて、思い出したようにベヒモスの四肢が折れてその巨体が崩れ落ちた。
一瞬の沈黙の後に沸き起こる歓声。
それは今日の一番手柄を称える声であり、そしてスタンピードの収束を知らせる鬨の声だった。
スタンピードの第二波に備えて態勢を整える状況となると、診療所はこれまで以上に患者が増加する。むしろ縁の下の力持ちは前線の武力衝突が終わってからがお仕事の本番だ。負傷しながらも我慢して戦っていた連中が警戒レベルの引き下げと共にぞろぞろと押しかけて来るからだ。
重傷から軽傷まで、負傷のレベルはいろいろだが、どれを取っても名誉の負傷だ。それらに応じて今度こそは一人一人に充分な時間をかけた治療を施して回る。やや安堵した面持ちの彼らと同様に、私も少し気を抜いていたように思う。
だが、その直後、真の地獄は安堵を覚えたところから始まるのだということを私は思い知らされることになった。
「エリカ!」
患者の傷に包帯を巻いていた時に聞こえた叫び声に振り返ると、顔見知りの冒険者が慌てて走って来るところだった。名前はナターシャ。いつぞや私の患者だった女冒険者だ。
血相を変えた様子に何事かと首を傾げると、信じがたい言葉を彼女は発した。
「すぐに来て、受付が血の海なのよ!」
受付に駆けつけた時、室内はむせ返るような血の臭いが充満していた。警備担当のスタッフが既に数人駆けつけている。
その受付前のスペースに転がっているのは冒険者のような風体の見覚えのない男が一〇名ほど。どれも脳脱していたり首が半ばまで斬られているなど一目見て社会死状態だった。そして、それらに混ざって倒れている見知った男が一人と女が一人。
イーサンが脇腹から血を流して床に倒れていた。
その隣にはクレアが黒い靄を出しながら伏している。
「何だこれは!」
私は慌ててイーサンに取り付く。意識不明、脇腹から出血、頻脈。出血量からみてかなり危険な状態だ。
「エリカ……」
私に気づいたのか、クレアが必死に体を起こそうとした。
「動くな、じっとしていろ! ナターシャ頼む、フリーダを呼んで来てくれ!」
クレアの黒い靄は間違いなく『呪詛』を受けたものだ。食らうと体が麻痺して高熱を発し、放置しておけば漸減的に生命力を失って死に至る。これを解くには『解呪』の術式が必要だ。迷宮の産品の中には『呪詛』のかかったアイテムもあり、ギルドでそれに対応しているのは鑑定担当のフリーダだ。こういう場合の対応において彼女以上の適任者はいない。
クレアの状態は気がかりではあったが、緊急度ではイーサンの方が上だ。
人手を借りてイーサンを診療所に運び込んで衣類を剥いでみれば、そこに見えたのは明らかな刺創だった。剣か槍。かなりの深手だ。
彼に一体何が起こったのか、思考が一気に迷路に入り込んだ。
死んでいた男たちを相手取ったのは、恐らくイーサンとクレアだろう。
では、死んでいたあいつらは何者なのだろうか。冒険者のような恰好をしていたが、ギルドに登録している冒険者がイーサンやクレアに因縁を吹っ掛けるとは思えないし、ましてや命をやり取りまでするとも思えない。新参者だったとしても冒険者ギルドで荒事起こしてタダで済むと思うような奴はいないだろう。
いよいよもって状況が分からない。
そのようなことを考えながらも思考と手を切り離し、着実に治療を進める。喫緊にやらねばならないことは止血だ。表面から治癒魔法をかけても傷が深すぎるため、切開して直接血管形成をしなければならない。
既にだいぶ失血している。失血性ショックとの競争の様相だ。
生食と錬金処理で造った人工血液のラインを立て、患部を開いて目についた部位から治癒魔法を施していく。
必要なのは何をおいても血管の修復。外的要因で切断されたそれらを整形し、ピンポイントで治癒魔法を施術して出血を止めていく。
次に組織への対応だ。一番ひどくダメージを受けているのは肝臓。ざっくりやられている部分を縫合しながら修復を施す。魔法に魔法を重ねる大盤振る舞いではあるが、先ほどの騒動による消耗の影響は少なくない。魔法使いが体内の魔力を完全に喪失すると、その魔法使いは意識を失う。そして、今私が意識を失えばイーサンは確実に死ぬだろう。
頼るのは『誰かさん』の見せてくれた情報から得た魔法以外の治療技術。
誰にも真似のできない、器具だけを使った物理的な処置だ。私の奥の手でもあるそれと魔法の使い分けで対応していく。
二時間。それがイーサンの応急処置が終わるまでに要した時間だが、短距離走のように全力で走り続けた二時間だった。危険な部位はすべて塞いだ。診療所でできることはここまで。最後の縫合が終わった時にはもう私のオドはすっからかんだった。
処置室のドアを開けると、そこに悲壮と言う言葉を形にしたような顔をしたヴァルターが立っていた。私と目が合うや、祈るような目で問うて来る。
「どうだ?」
シンプルだが、そこに込められた感情の深さが容易に理解できる質問だった。
「最善は尽くした。出血が多いからまだ何とも言えん」
「……危ねえのか?」
「安心しろとまでは言えないが、それもこの後の処置次第だ。すまないが、力自慢の連中で街の病院まで彼を運んで欲しい」
ヴァルターが居合わせた冒険者たちに声をかけ、イーサンを担架に載せて街の病院まで運んでいく。
街の病院は治療師が数名常駐しており、入院設備も整った規模の医療施設だ。
商業都市であり港湾都市でもあるイルミンスールにおいては病人や怪我人はもちろん、流入する伝染病の問題も不可避となっていることから、そういう検疫絡みの事案への対処ということで予算も十分に措置されていると聞いている。
そのため設備もしっかりしたものが整備されており、うちの診療所では機能的にキャパシティオーバーな患者でも対応してくれるありがたい施設だ。
本来であれば私も随伴したいところだが、いかんせんギルドは未だに警戒態勢にある。申し送り事項をメモに記し、それをヴァルターに託すくらいが精一杯だ。
イーサンを載せた担架を数名で運ぶヴァルターを見送って重い足を引きずりながらロビーに戻ると、そこにクレアとフリーダがいた。その対面にいるのはギルドの警備担当のスタッフだ。転がっていた男たちの死体も片付けられていた。
当のクレアは既に靄が消えている様子を見るにフリーダの解呪は成功したようだ。後遺症のようなものが出ないか気がかりではあったが、こういうことに関してフリーダの仕事に仕損じはない。普通に警備の事情聴取に応じているということはもう問題ないのだろう。
「大丈夫か?」
近寄ってクレアに声をかけた途端、クレアが弾かれたように顔を上げた。顔色が土気色になっている。そして私を見るなりクレアは表情を曇らせた。初めて見る表情だ。泣き出しそうな子供のようなその表情に胸騒ぎを覚えたが、私が問うより先にクレアが口を開いた。
「すまぬ、エリカ」
蚊の鳴くような、力のない声だった。
そして、次いで彼女が言ったことを、私は一瞬理解できなかった。
「アビーを……守れなかった」




