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第2話 『泡沫』

「ほい、今あるのはこれだけだ。ゲンチアナは来週入る予定だ」

「よろしく頼む」


 街の薬屋で頼んでおいた物を受け取って代金を払い、礼を言って薬屋らしい狭くて薄暗い店を出ると、石畳の通りは今日も結構人出があった。

 行商人、荷役夫、旅行者風の一団等々、行き交う人の素性は多種多様だ。

 日差しはかなり強いが、まだ夏と言うほどではない。

 海風が微かな湿気を街に運んで来て、少し蒸す。

 人の波を縫うように私は歩いた。


 ギルドに戻る途中、ちょっとした広場がある。そこは各種の役所街の正面で、イルミンスールの街のちょうど中央に位置する場所だ。

 その広場のやや外れたところにある、樹齢一〇〇年くらいは経っていそうな立派な楡の木の木陰で私は歩みを止めた。

 日差しのせいで熱のこもった体を冷やすべく、水筒を開けて一口呷る。中身は各種のミネラルを混ぜ込んだ私謹製の経口補水液だ。

 一息ついて来た道を見下ろすと、長く緩やかな坂に長く市の白い屋根が続き、その彼方に青い海が見えた。


 イルミンスールは非常に産業に恵まれた街だ。

 街の北側には、太古の昔にあったという巨大な塔の基部と言われる『廃墟』があり、そこから海につながる長い直線の緩やかな下り坂がある。それがこの街の目抜き通りだ。

 坂が海に落ち込み、それを抱えるように岬が張り出している地形は天然の良港の条件だそうだが、その言葉を裏付けるようにイルミンスールは港町として栄えている。海流の関係で漁獲量も豊富で、海産物の市が毎日立つ土地柄だ。

 そして、陸路においては街道が街の中央を走っていることから港の活況と相まって古くから商業都市の色が強い。

 そして仕上げとばかりに広大な地下迷宮の門前でもあるのだから、この界隈で最大規模の人口を抱えるのも必然だろうと思う。

 地下迷宮で妖魔を退治した際に採れる産物には値が張るものが多くあり、そういう貴重品も街の活況の一助となっているのは言うまでもない。


 そんな街を見ながら、私は楡の木にもたれて瞑目した。

 眉間に意識を集中すると、研ぎ澄まされていく感覚が樹の中を通る水の気配を感じ取る。

 属性が水の魔法使いである私の感覚は植物との親和性が高い。こうしているだけでも少しずつマナが体に染み込んでくるように感じる。

 だが、こぽりこぽりと聞こえる生命の響きに私が期待することは魔力の補充だけではない。





 世界と言う言葉がある。

 その意味するところは人それぞれだと思うが、私にとって世界とは空と海と大地、そしてそこに住まう人々を取り巻く空間を指す言葉だ。


 子供の頃に家庭教師に見せられた世界図によれば、この世界は巨大な透明な球の中に円盤型の海と大地を押し込んだような形をしていた。

 そしてその世界の果ては滝となって落ち込んでおり、天空には月が居座り、その周囲を太陽が巡っていた。

 故郷の宗教アルタミラ教の教義では、それを世界と呼んでいるのだそうだ。


 事の真偽はさておき、この世界に海で分かたれた大きな大陸が二つあることは間違いない。

 そして、その二つの大陸にはそれぞれいくつかの国がある。

 私が今いるのは第二大陸で、その中の共和国にこのイルミンスールはある。

 国号はブレーメン共和国。

 王を頂かず、有力者で組織する元老院が行政を担う進歩的な政治形態を取っている。

 それに対し、第一大陸は連合王国が覇権を握っている。国号はローラン連合王国。そして、その中の国の一つが私の故郷だ。

 何故故郷を出てこんなところにいるのかと言えば、それは誰かに語って聞かせても退屈でつまらない話にしかならないと思う。

 最低限のことを話すなら、ローラン連合王国の中の一国家、とある大公が治める公国の公女だったということくらいだろう。

 そこで大小様々などろどろしたイベントを山ほど経て、最終的には出奔して今に至るというのが私の生い立ちだ。

 貴族暮らしで思い出して楽しい話は一つもない。


 その公女時代、よくこうして屋敷の中庭にある樹の幹にもたれて水の音を聞いた。

 そして、樹の中を天に向かって登っていくその泡沫の中に不思議な景色を視たのは四歳の頃だった。

 どことも知れない世界の、誰とも知れない人の見た景色。

 初めてそれを視た時、戸惑わなかったと言えば嘘になる。

 最低限の使用人しかいない屋敷に一人で住んでいたこともあり、会話の相手すらいない幼年期の私はその多彩な景色に魅せられた。

 不思議な形の建物、不思議な形の乗り物、不思議な味の食べ物に、不思議な服装の友人たち。

 まるで、おとぎの世界の誰かの人生を追体験するような情報の数々。

 それらを視ながら、子供心に思った。

 これは多分、どこかの誰かの記憶だ。

 それ以来、色とりどりな景色を見せてくれるそれらの記憶に触れることが私の日課になった。

 明日と言う日を楽しみに思えるようになったのはその時が初めてだった。

 それくらい日々移り変わるそれは、どんな本よりも刺激に溢れていた。


 楽しそうに学校に通う誰かさん。

 友達と遊ぶ誰かさん。

 本を読む誰かさん。

 好きな人が出来て悶々とする誰かさん。

 そして、『医師』を志している誰かさん。

 

 色とりどりの、綺羅星のような記憶の数々。

 何故こんなものが視えるのかは分からない。

 でも、それらが空っぽだった多感な子供の中に『内なる記憶』として降り積もり、そしてそれらが縒り合わさって私と言う人間になったと言ってもいい。

 もしかしたら、それは別の世界のもう一人の私なのかも知れないとも今は思う。

 それは前世か、あるいは来世のことなのか。それを知る術はない。

 私には師と呼べる人が二人いるが、その内の一人がこの名前も知らない誰かさんだった。

 こうして目を閉じて水の流れを感じると、今でも時折、その時のような景色を視ることができる。



 小一時間ほどボケっと水の音を聞いていたが、今日の記憶劇場は残念ながらお休みのようだ。

 諦めて帰ろうと幹から体を離したところで、見知った顔が歩いて来た。


「よ、買い物の帰りか?」


 槍を担いだヴァルターが人懐こそうな顔で笑っていた。

 

「薬屋からの帰りだ。そっちもこの時間に街に行くなんて珍しいな。どうしたんだ?」

「ホーガンのところでこいつの修理だ。大分ガタが来ていたんでな」


 そう言ってヴァルターが示すのは担いだ槍だ。

 いかにも重厚そうな拵えの槍ではあるが、この男は小枝と変わらない勢いでこの長柄の武器を振り回してのける。

 使い込まれたその槍の風情からは彼の手足の延長と言ってもくらいの愛用感を感じるが、地下に潜って連日酷使していては流石の槍もガタの一つも来るだろう。

 鍛冶屋のホーガンにしてみればいいお得意さんと言うところだろうか。

 

 連れだって帰路を歩くにあたり、いささか買い込み過ぎた荷物をヴァルターに持ってもらってだいぶ楽になった。


「ほう、初夏の薬草か。大将がうちに来てもう一年とは、月日が経つのは早いねえ」

「ああ、全くだ」


 ヴァルターの言葉に、私は頷いた。


「どうだこの街は?」

「住みやすいな。仕事もやりがいがある。来てよかったと思っている」


 私の返事に、ヴァルターは嬉しそうに笑う。


「それは良かった」


 裏表のない男の言葉は素直に受け取ることができる。

 そう、この街に来て一年。

 短距離走のようにがむしゃらに過ごしてきたような一年だった。


 私の担当している診療所は、行政の登録上はギルドの付属施設になる。

 開業にあたっては居抜きのような形だったため初期投資ゼロという好物件で、それを私が引き取って使わせてもらっている。

 付属と言っても独立採算制で、家賃がない代わりに補助もない。そのためギルドの構成員以外の市民の方々にも門戸を開いている。

 おかげで何とか飢えずにやっていけるくらいの収入は確保できている。

 一年前は軌道に乗せられるか自信はなかったが、ヴァルターを始めとしたギルドの面々のサポートもあり、ようやくここまで来られたという感じだ。

 正直、彼には足を向けて寝られない。

 そう思っていることは恐らくこの男は知らないだろう。

 売った恩は全く覚えていないくせに受けた恩は生涯忘れないタイプの男だ。



「あ、戻って来ました!」


 ギルドに戻ると、途端に甲高い声が飛んできた。

 声に続いてぱたぱたとギルドの受付嬢が走って来る。

 名前はアビー。一六歳の女の子だ。

 肩口でそろえたブラウンの髪が活発な雰囲気の彼女によく似合っている。

 ヘイゼルの大きな瞳の光が強く、身内の贔屓目をなしに見てもとても可愛らしい。

 その小動物系の可愛らしさ故かギルドの受付として老若男女満遍なく人気がある。


「何かあったのか?」

「待ってました。クレアが怪我をしているのです」


 アビーに手を引っ張られて診療所に戻ると、待合室で長身の女性が腕を抑えて座っていた。


「すまぬな。不覚を取った」

「こっちこそ不在にしていてすまない。すぐに診るから入ってくれ」


 診察室に案内し、傷を抑えていた布を剥がす。

 見えたのは咬み傷。恐らくは大型のイヌ科のものだ。


「何に咬まれた?」

「ハウンドだ。二階層で三〇匹も出るとは思わなんだ」


 基本的には三階層で遭遇することが多い犬型の妖魔だ。とは言え、それはあくまで統計上の話であって絶対ではない。

 その辺の見極めは経験が物を言う要素だ。


「ルーキーを逃がすのが精一杯でな。私もまだまだ勉強が足りぬ……」


 蒸留水で傷を洗うと、クレアは小さく呻き声をあげた。

 神経は無事なようだが、深々と牙が刺さっているだけに洗浄は念入りにしておかねばならない。

 咬まれた相手が蛇や毒トカゲのような有毒な妖魔でないのは救いではあるが、毒がない相手でも咬まれたダメージは油断はできない。

 生き物の歯と言うのは雑菌が多数存在し、咬傷はそれらが傷に入り化膿や蜂窩織炎をもたらすことがある。

 獣だけでなく人の顔面を殴って拳が歯に当たって傷がついても同じような事が起こることがあり、化膿したそれを放置していたら腕全体の組織が壊死してしまい、最終的には右腕切断になったケースもあると聞く。

  

「そのまま動かないでくれ」


 そう告げて、意識を手中して治癒魔法を施す。

 傷にかざした掌から青白い光が溢れて傷口を包んでいく。想像するのは、細胞の一つ一つを丁寧に繋げていくイメージ。縫物仕事のような感じに近い。

 所要時間は三〇秒ほど。微かな痕を残して傷は綺麗に消えた。それも半月もすれば完全に消えるだろう。

 

「エリカの魔法は相変わらずすごいです」


 心配そうに見ていたアビーが感嘆のため息をもらした。

 褒められて悪い気はしないが、治癒魔法を使う者なら誰でも出来る施術ではある。

 

「あとは毒消しの薬を出すから」

「すまぬな。犬ころ風情に情けない話だ」


 悔しそうに顔を歪めるクレアだが、正式にガイドとして登録されてからまだ半年足らずだ。経験不足はいかんともし難い。

 元は騎士だけに対人戦闘においては無類の強さがあるものの、見知らぬ攻め手を使う妖魔相手では勝手が違うところも多いのだろう。

 これがオークやオーガのように人型の相手であればクレアは数秒でそれらを圧倒して見せるだろう。個人戦ではヴァルターと互角かそれ以上の実力を有する猛者だ。

 しかし群れで押し寄せる獣型の妖魔を相手にした戦闘はまだ戦闘法が血肉になっていないという感じだ。無論戦闘力が高いので最終的には勝つだろうが、今回のように手傷を負う場合もあるのだろう。


 私が渡したいささか口に苦い薬を飲み込み、渋い顔でクレアが呟く。


「相変わらず、貴公の薬の味は酷いな」

「正直な感想をありがとう」

「まだまだ精進が必要だな、お互いに」

「違いない」


 そう言って、私たちは笑った。

 



 そんないつも通りの一日。

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