第19話 『警報』
夜、クレアを診療所に呼び出し、酒杯を片手に今日の報告を行う。
物干し台と違い、施設の性質上内緒話に耐えるだけの遮音は施してあるし、何かあっても医療関係の相談と煙に巻くのもやり易い。
「サイファ?」
「そう名乗っていた」
報告事項の筆頭は、やはりヴァルターを襲ったと言う男の事だ。彼があれほどはっきりと断言し、しかも因縁を吹っ掛けた時の相手の反応も思わせぶり。人違いではないと考える方が自然だろう。
驚いたことに、詳細を話すやクレアが何かを思い出すように考えこんだ。
「何か思うところでもあるのか?」
「そう珍しい名前ではないが、今聞いた風貌を合わせて考えると、一人心当たりがある」
意外な言葉に私は思わず身を乗り出した。
「教皇庁がらみか?」
クレアは頷いた。
「貴公も異端審問官という役職を聞いたことくらいはあろう」
「名前くらいは」
アルタミラ教の教義に反する輩を取り締まるという官吏だ。教皇直属の官職だったと認識している。
「その中の一人に、そういう男がいたと思う」
「知り合いか?」
「いや、名を知っている程度だ。連中も聖騎士団と同様に実力本位の団体だからな、強者の噂は自然と聞こえてくる。顔も式典の際に遠くから見たくらいだ」
聖騎士だったクレアをして実力者と言わしむるほどの力を持つのなら、ヴァルターの言とも符合する。
仮にあの男がその異端審問官だったとなると、この街に来た目的は何なのかと言うことになる。第二大陸にもアルタミラ教の教会はあるが、異端審問官ともなればよもやその関係者ではあるまい。
これについてはクレアが即答した。
「原因として、最もあり得るのは我らであろう。アビーはもちろんのこと、私も貴公も立場が立場だからな」
当然ではあるが、異端審問官に捕まればクレアも私も問答無用で火炙りだ。聖女略取の罪はそれくらい重いものであることは私も承知の上だ。だが私は首を振った。
「さすがにこの街で大っぴらな実力行使は難しいだろう。いくら異端審問官でも他国の施政権を蔑ろにしたらただではすまないはずだ」
ここはイルミンスール、第二大陸のブレーメン共和国の都市だ。
治外法権を無視して行動を起こせば当然国際問題になる。私とクレアに限るなら事故にでも見せかけて殺してしまえばいいだろうが、聖女であるアビーはそうはいかないだろう。
それに、現在の第二大陸で大きな派閥の一つとなっているのは月神新教だ。月神新教と言うのがどういうものか分かりやすく言えば、アルタミラ教が嫌になった司祭や司教が第二大陸で新たに旗揚げしたアルタミラ教の兄弟宗教で、その方向性は『月神様は信じるけど教皇庁は大嫌い』と言えばほとんどの説明は終わってしまうくらいの単純さだ。
アルタミラ教が私たちに異端狩りの手を伸ばして来ていることが公になろうものなら、彼らは大喜びでアビーを新教の聖女として祭り上げるだろう。そうなれば異端審問の連中とて手出しできなくなる。
それは私たちにとっても保険だ。何かあったら新教の神殿に泣きついて保護してもらうのが最後のセーフティーネットと思っている。
「もっともだな。我らのことが起こる以前にここの迷宮で悪さをしたことを考えても、私たちの捕縛が目的と言う線は薄いか」
「だが、謎は残るな。仮にサイファという男がその異端審問官だったとして、そんな立場の輩が何故イルミンスールの迷宮に入り込んで、しかもヴァルターを背中から斬る必要がある?」
これについて、クレアは長考の後に口を開いた。
「見当違いな話かもしれんが、これは仮定、あるいは雑学として聞いてもらいたい」
そう前置きして、クレアは小声で呟いた。
「教皇庁と迷宮と言うのは、実は浅からぬ関係にあるのだ」
「どういうことだ?」
「第一大陸にも大小幾つかの地下迷宮はあるのだが、その管理権は教皇庁が持っているのは知っているか?」
「それは学院で習った覚えがある」
第一大陸では、迷宮の管理を行って一攫千金を狙う冒険者に対して少々高い値段で採掘の免状を教皇庁が発行している。とは言え運用はうちのギルドのように丁寧なものではなく、管理地への立ち入りを許すというお墨付き程度のものだ。また、地下で採取された産品については一定の割合で税がかけられて、それが教皇庁の収入源になっていると聞く。
「その点について、教皇庁の教義の面で少し面倒な思想があってな。迷宮は遺跡と共にあることがほとんどだが、遺跡と言うのは教皇庁では聖跡として位置づけられている。ここで言う聖跡とは、月の神との接点ということだ。月と現世を繋ぐ場という言い伝えはここの遺跡にもあるが、それと同じ言い伝えは第一大陸にもある、というより、恐らくアルタミラ教が元祖であろう。総じて、この世の遺跡とそれに付随する迷宮の正当な管理者はアルタミラ教だという意識が教皇庁にはある」
「ずいぶん乱暴な理屈だな」
私も一応はアルタミラ教の支配地で幼少期を過ごした身ではあるが、そういったことは教わった覚えがない。
「これに限ったことではないが、歴史を見れば教皇庁は権力を嵩に着てとにかく何にでも管理権を主張したり税をかけたりしてきたからな。酒税や免罪状も大概ではあるが、初夜権あたりなどは教皇庁にいた身として考えても正気の沙汰とは思えん。そういった愚挙が新教を生む温床になったのではないかとすら思う」
その点についてはクレアの意見に全く同感だが、問題の本質はそっちではない。
管理権の濫用はともかく、そこまでこだわるとなると教皇庁は遺跡や迷宮に関する古い記録でも持っているのだろうか。
「イルミンスールの迷宮に教皇庁が気に掛ける何かがあるということはあり得るか?」
「否定はできぬ。迷宮の深奥に教皇庁だけが知る何かがあるという可能性はあり得よう。教皇庁の手の者がそれを調べに来たというのなら、話の筋道は通るように思う」
イルミンスールの迷宮の奥に何かがあるという仮定。
フリーダもその辺はいろいろ考えていたようだが、未確認な以上はその可能性は無ではない。
考え込みそうな私を、クレアが止めた。
「あまり難しく考えないでくれ。サイファと言う男が私が知る人物だったらと言う可能性の話として言ってみただけのことだ。もしかしたら全くの別人かも知れぬのだし」
確かに話しているのはクレアの言う通り仮定の話だ。
だが、遺跡と迷宮の抱える謎を考えると、教皇庁が絡んで来ると言う話は笑って聞き流すには現実味がありすぎる。
「いずれにしろ、警戒はしておこう。近くに現れればヴァルターが動くとは思うが、正直得体が知れない」
そう告げると、クレアは思い出したように言った。
「迷宮の話と言えば、帰りがけに聞いた話だ。明日から数日の間、迷宮が閉鎖されるだそうだぞ」
唐突な話題の転換に、私は頭を切り替えた。まだ私の方には届いていない情報だ。
「閉鎖とは穏やかではないな」
「事務から最新情報として聞いた話だが、浅い階層で危険物が発見されたようでな。緊急対応として、他に同じようなものがないかガイドを動員して調べるのだそうだ。明日の朝一番にはギルド全体への周知があろう」
「危険物とは?」
「何でも妖魔を引き付ける魔晶石の類だそうでな。それを見つける魔道具をフリーダが作製したのだそうだ。ガイドはそれをもって迷宮内を探索することになる」
「気の遠くなるような話だな」
「そうでもない。やることと言えば、指定されたエリアを歩けばいいだけでな、一階層から三階層まで、分担して全エリアを歩いて魔道具に反応がなければそれでいいのだそうだ」
クレアの言葉に、私はフリーダの仕事に感嘆の呻きを漏らした。
探す魔晶石と言うのはまず間違いなく彼女が言っていたマナの結晶のことだろう。
うまくいけば、一両日中にはその障害は取り除かれると思う。フリーダの仕事は私が知る限り仕損じがない。
頭に刺さった『気がかり』という棘が一本抜けてくれるのなら、私としてはそれに越したことはない。
翌朝、ギルドの受付は割と混雑していた。
暫定的に迷宮が閉鎖となったため、北方の密林のクエストで日銭を稼ごうという冒険者が多くなったためだ。
そんな中で私の仕事はいつもと変わらず、何かあったら対応する救急要員として診療所に詰めていた。
長期探索中の冒険者を除けば、今日から数日は迷宮に入るのはガイドのみになる
ガイドと言っても総勢で三〇人近くになるので、それはそれで結構な人数ではある。
そのメンバーがチームを組んで分担に従って迷宮に潜っていく。
ガイドになるだけあって誰を見ても相応に腕がいいので三階層あたりまでなら問題ないだろう。回復魔法を使える魔法使いも結構いるので私の出番は少なそうだ。
ヴァルターもイーサンも、それぞれが別個のチームで分厚い城門のように大きなゲートをくぐって迷宮に入っていった。クレアはイーサンのチームだ。前衛と言うことなら既に充分エースクラスの実力を持つだけにイーサンが引っ張ったのだろう。
これらの腕っこきが潜っても、三階層までの全エリアの探索となると恐らく順調に行ってもまる三日はかかるだろう。妖魔への対応を除いても広さが広さだ。淡々とこなしていくしかない地道な作業になるだろう。
昼になり、昼食後に私は中庭に向かった。
「あ、エリカ」
珍しいことにアビーが中庭に来ていた。
「どうした、この時間にここに来るとは珍しい」
「ほとんどの人が密林に出かけてしまったので、今日はお仕事が少なくて手持無沙汰なのです。ここでよくエリカが猫さんと遊んでいるとクレアに聞いたので、今日は私も遊んでもらおうと思ったのです」
見ればサーベラ―がアビーの隣で仰向けに伸び伸びと寝転がっていた。
その白いお腹の柔毛を愛でるアビー。霊獣のくせに人によく懐く奴だとは思っていたが、アビー相手にも大いにリラックスしている。
私も隣に座って顎を撫でると指先にごろごろとした振動が伝わって来る。かなりご機嫌なようだ。
その寝姿に、思わずアビーも私も頬が緩む。
「可愛いですね~」
猫を相手に目を細めながら、アビーがしみじみと呟いた。
「そうだな」
それに応えるとアビーが嬉しそうに笑う。
その屈託のない表情に、クレアが零した言葉が脳裏をよぎる。
『恐らく、今があの子にとって人生で一番幸せな時間だと思う』
その言葉を裏付けるような笑顔だった。
「なあ、アビー」
「何ですか?」
「今の生活は幸せか?」
「もちろんなのです」
私の問いに、アビーは即答した。迷いも逡巡もない、ストレートな感情が言葉に乗って返って来た感じがした。
「私は、この街に来ることができて本当に良かったと思っているのです。今ここにいられることが、すごく楽しいのです。すごく幸せなのです」
そう言って、アビーは笑う。それは濁ったものが何もない、この上なく純度の高い笑顔だ。
「毎日いろんな人と楽しくお話ができるのです。夜になればエンデともお話ができるのです。風邪をひいたらクレアやエリカが傍にいてくれるのです。ヴァルターもイーサンも、ギルドの人はみんな優しいのです。ベッドもふかふかなのです。お風呂も気持ちいいのです。御飯も美味しいのです。毎日お腹いっぱい食べられるのです。もしかしたら、ここは天の国なんじゃないかって思うこともあるのです」
言葉として紡がれていくアビーの幸せ。
それは、孤児院から教皇庁に入った彼女が触れることの叶わなかったものばかりなのかも知れない。
そういった何気ない日常の数々が、この子の中で宝石のように輝いているのだろう。
だが、アビーの認識には一つ誤りがある。
皆がアビーに優しいのではない。アビーが優しいから、皆が彼女が振りまいたそれを鏡のように彼女に還しているだけなのだ。
恐らく、この子は気づいていないのだろう。
クレアの想いも、寡黙なエンデが話に付き合うのも、ギルドの皆が気さくに向き合ってくれるのも、どれもこの子が持つ天性の朗らかさによるものだ。
私も含め、皆この子のことが好きなのだ。
そこにいるだけで、何故か不思議と周囲の皆に元気を与えてくれる子だ。
私はレナの聖歌以外で『聖魔法』というものを見たことがない。
だが、アビーが振りまく優しい空気こそが聖女が持つという『聖属性』の力の具現化なのかも知れないと思うことがある。
私は少し笑って答えた。
「違うだろう。ここはイルミンスールだ」
その答えに、アビーもまた笑って応じた。
「なら、きっとイルミンスールは天の国なのです」
アビーの笑顔を眺めていたら、そこにクレアとイーサンが迷宮から戻って来た。
「お疲れ。二人とも早いな」
「一階層だったので直ぐに割り当てが終わりましてね。午後からもう一度です」
「問題の物はあったのか?」
私の問いに、イーサンの表情が硬くなった。
「ええ。三つほど」
イーサンに促され、クレアがズタ袋の中から取り出したのは問題のキューブだ。
それを見せながら、クレアは声のトーンを落とした。
「結構巧妙に隠してあった。妖魔やゴーレムの仕業ではないと思う」
そのことが、一つの答えを導き出す。
「……人の手によるものか」
「恐らくはな」
思わず、喉が鳴った。
ゴーレム由来でなければ、原因として一つの結論が確定する。
それは、この迷宮に対して悪意を持った輩がいるということだ。
その候補者はすぐに思いついた。
盗賊ギルド。偽造免許を使って人を繰り込めば、こういうものを迷宮内にばらまくことも不可能ではないだろう。
問題は動機だ。迷宮の安全にひびを入れて連中にどういう利がある。
私とクレアのせいで重くなりかけた雰囲気を察したのか、イーサンがぽんと手を叩いた。
「詳しい話は夜にしましょう。午後に備えて昼食を食べねばなりません。アビー、これらの報告をしたいから受付をお願いします」
「了解なのです」
そう言って、三人は事務棟の方に歩いて行った。
去っていくアビーに合わせて、伸びていた白猫が顔を上げた。
「どうした?」
私の言葉に応じることもなくそのままベンチから降りると、ベンチの裏にある樅の木で爪を研ぎ始めた。結構バリバリと遠慮がない。
「こらこら、立ち木をいじめちゃいかん」
しょうがないやつだと思いつつ、猫の暴挙を木に詫びるべく私も幹に触れた。
いつも通りに意識を集中して木の声を聞こうとした時、異変は唐突に起こった。
それは、強力な引力に意識が引きずり込まれるような感覚だった。
通常であれば意識を集中してこちらから触れに行く木の息吹とは、全く違う暴力的な流れ。
押し寄せて来たのは、形容するなら黒い波動。今まで感じたことのない、重い感情の波だ。
これまで私が触れて来た『誰かさん』の記憶は、そのほとんどが見ていて微笑ましいものばかりだった。だからこそ、私は孤独と言う監獄を生き延びることができたとすら思う。
だが、このイメージはあまりにもそれらのものと違っていた。
そこに感じたのは理不尽で強圧的な何かと、それに翻弄された記憶。
そして、戸惑う私の視界に、今まで見たこともない光景が映し出された。
そこは恐らくは礼拝堂であろうか。白亜の構造は清潔ではあるが無機質で、それが神域の中であろうことは察しがついた。
そこで、誰かが何かと戦っていた。
憤怒と共に感情を支配しているのは微かな恐怖と『抗う』という強い想い。
そのどこかの誰かのぼやけた視界の中で、正面に見えるのは白い祭服。
その首に掛かるのは、新円を描くアルタミラ教の聖具だった。
出し抜けに視界が戻り、私は力が抜けかけた足で何とかベンチに腰を下ろした。
青い顔で呼吸を整える私の傍らで、猫が物問いたげに私を見上げていた。
「……お前なのか?」
返ってくるはずのない問いを投げかけると、それに答えるように霊獣はみゃーと鳴いた。
ギルド全体に警報が鳴ったのは、その直後のことだった。




