第14話 『落涙』
医者が忙しい世の中は不幸だと思う。
言うまでもなく、それは怪我人や病人が溢れているということだからだ。
多分、その日は世界が不幸だったのだろう。朝から夕方まで、大小さまざまな怪我を負った患者が引っ切り無しに診療所のドアを叩いた。
それらに片っ端から治癒魔法をかけ、縫合し、薬を処方する。
商売人としては大商いを祝うべきなのかもしれないが、顔見知りが体を痛めて駆け込んでくる状況を喜ぶほど私も『あきんど』ではない。ひとつ重篤な案件が入ってきたらそれこそ診療所の機能が停止するので、むしろ皆の無事を心から祈るくらいだ。治癒魔法が使える魔法使いはこぞってバカンスにでも行っているのかと思いつつ患者を捌き続けた。
「次の人~」
待合室に声をかけると、入って来たのは二〇代半ばの細いお姉さんだった。
名前はカレン。土属性の魔法を得意としている人だったと思う。冒険者としては中堅というところだろうか。
入って来た彼女を見れば、すぐに異常だということは分かった。
顔が真っ青だ。
早速問診をすると、主訴は吐き気と倦怠感だった。
次に何を食べたか聞いたところで、出し抜けにカレンが嘔吐した。吐瀉物を見てみれば、膿盆に出ているのは胃液ばかりだ。
ふとある可能性に気づいてベッドに横になってもらい、触診する。
月経の状況を確認した後に素肌の下腹部に触れた私の掌に返って来たのは、予想通りの反応だった。
不安げな顔をしているカレンに、笑顔を作って私は告げた。
「おめでとう。多分二か月と言うところだと思う」
医師と言っても怪我や病気ばかりが飯の種ではない。こういう慶事に巡り会うことも仕事の上の醍醐味と言うものだ。むしろたまにはこんな話でもないとやってられないというのもある。
母体は痩せてはいるものの栄養状態は悪くないので、胎児もこれからすくすくと成長して出産日を迎えてくれるだろう。
心配な点としては、カレンはまだ未婚だということ。さて、これからいろいろ忙しくなるであろう相方の名前を訊いたら、そこは口を閉ざした。
『ギルドで一番素敵な人』とだけヒントをくれた時点でその条件での最大公約数を思い浮かべ、私の中の被疑者は一名にまで絞り込めた。
それが当たりならいささか驚きではあるが、彼の性格からすればこういう事態になっても逃げたりはすまいとは思う。まあ、そこは二人だけの事情があるのかもしれないし、医師としては家庭の事情までは踏み込めない。
それにしても彼か……ホントに彼なのか……いや、しかし……。
いかん、今はプロの時間だ。私は雑念を振り払って治療方針を伝達した。
「紹介状を書くから、一度街に行って病院で診察を受けて欲しい。あと、必要なら産婆についても紹介できるから心当たりがなかったら相談に乗れる。あと、個人的には男性には早めに相談した方がいいと思う」
そう説明する私に対し、カレンは曇った顔で呟いた。
「できれば彼の重荷になりたくないんだ」
「重荷になるかどうか、それも含めて相談するべきだと思う。宿った命は貴女だけのものではないよ。どういう人か知らないが、父親になる人にも知る権利があると思うし、また知る義務もあると私は思う」
「……考えてみる」
「是非そうして欲しい。少し休んでいくといい。悪阻に効く薬を処方しよう」
そんな話をしていると廊下の方から乱暴な足音が近づいて来て、出し抜けに診察室のドアが開いた。
反射的にデスクの上の魔晶石を取って闖入者に向けて投擲する。所要時間は〇.四秒。
果たして、駆け込んできた髭面の大男は魔晶石が作ったガスを吸ってその場で昏倒した。
診察室は絶対の聖域だ。患者の秘密を明かしてもらうその空間は、医師以外の者がみだりに入っていい場所ではない。その辺を心得ていない奴には容赦しない主義だ。
だが、今回は少々話が意外な方向に転がっていった。
「ブロディ!」
顔色を変えて叫ぶカレンの様子に、私は事の真相をようやく理解した。
「ひでえよ先生」
「ノックもせずに入って来るからだ」
覚醒処置を施し程なく目を覚ましたブロディだったが、正直私は自分の中の情報整理に必死だった。
ギルドで一番いい男と言われれば、どうしたってイーサンを思い浮かべる。男ぶりと言うことであればヴァルターも引けを取らないし、ナイスマンと言うことでは私の尺度では断トツでカイエン氏になる。
その種のランキングにおいてブロディが入って来るとなると、その採点方法はかなり男を見る目が肥えた人が作る特殊な物差しになるだろう。
無論私もブロディはいい人の部類だと思っているし、荒っぽい言動で損をしているが、何だかんだで男気がある人だということも知っている。しかし『ギルドで一番』となるとどういう採点基準になるかちょっと見当がつかない。
その辺はどうあれ、斯様な山賊じみた髭面であんな綺麗な娘さん捕まえるとはなかなかやりおるわ、この男。
「具合が悪いと聞いてすっ飛んできたんだよ。それで、カレンは何かの病気なのか?」
「すまないが、それは私の口から伝えるべきことじゃない。カレンに直接訊いてもらいたい」
私に背中を押され、何だか釈然としない顔でブロディはカレンが休んでいる休憩室に入っていった。
凄まじい喜声、と言うか蛮声が聞こえたのは一分ほど後のことだった。
「いいお話じゃないですか」
あっという間に話は広まり、喫茶室でイーサンがニコニコと笑って言った。一瞬彼を疑った身としては、心が痛くてその笑顔が直視できない。後日今日のことをそれとなくぼかして白状したら『失礼な。僕は婚前交渉反対派です』と違った意味で反応に困るコメントを返された。
「それにしてもブロディとねえ……カレンもなかなか見る目あるじゃねえか」
ヴァルターも感慨深そうに頷いている。
どうやら男性の間ではブロディの株価はかなり高いらしい。
「そりゃ義理堅くていざって時に頼れる男となりゃ評価は高くなるさ。ちっとばかり酒好きが過ぎるが、酔っても酒に飲まれるわけじゃねえし、金にいい加減なところがある奴でもねえしな。こういう事のけじめもきっちりつける奴だと思うぜ」
人は見かけによらないと言うと失礼だとは思うが、なるほど、旦那にするなら割と好物件と言うことか。
その後もあれこれをブロディを祝福するようなコメントが出てくる中、ふといつもならそこにあるはずのものがないことが気になった。
違和感の正体はすぐに分かった。
エンデだ。
特に他に客がいないの時はヴァルターの隣に影のように寄り添うのが常なのに、見ればカウンターの向こうで黙々と洗い物に勤しんでいる。
何故かそれが気になった。
翌日、ブロディはカレンと一緒にギルドマスターのところに報告に行き、次いで受付に来てはっきりとした物言いで告げた。
「悪いが、廃業届の用紙をくれ」
出し抜けな言葉にアビーは前を丸くした。
「ブロディは冒険者を辞めてしまうのですか?」
「ああ、こうとなったら早い方がいいからな」
ブロディの言によると、彼の中ではずいぶん前からカレンとは所帯を持つ計画があったらしい。そのために資金を貯め、冒険者を辞めた後の仕事としては、既に故郷の街の大工の棟梁に話を付けていたのだそうだ。
カレンのために立派な結婚式をしようと思って貯金に励んでいたそうだが、残念ながらその結婚式は見送りになりそうだとのこと。子育てはどうしたってお金がかかる。でも、当のカレンは幸せいっぱいな笑みを浮かべている。彼女としては今が最高に幸せなのだろう。
確かに、家族を抱えて冒険者を続ける人はそうはいない。
この商売は毎日が命がけだ。例え地下一階であっても気を抜けば生きては出られないのが地下迷宮。家で待つ妻子を思えば、多少収入が落ちても世の中には冒険者以外にも仕事はある。
それらを勘案したのか、きっぱりと冒険者を引退するブロディの勇気は称えられるべきだと思うし、行った先で幸せな家庭を築いて欲しいとも思う。
そうは言っても顔見知りが数日の内にこの街を去り、故郷で別の道に進むというのはいささか寂しいものだ。
そう思ったのは、私だけではなかったらしい。
その夜は、自然発生的にギルドの喫茶室は宴会場となった。
冒険者の面々が結構な人数集まって来て、主役の二人は雛段に据えられ、手荒い祝福が幾人からも寄せられていた。
私もその宴の端っこでちびちびと杯を干していたが、その中で、やはりどこか違和感を感じるエンデのことが気になった。
スタッフとして酒や料理を運ぶ姿はいつもと変わらない。だが、日頃から感情が読みにくい子であるものの、どうもあるかなしかの彼女の表情がマイナスの方向に振れているように思えるのだ。
宴が終わり、食器の洗浄については女性陣が手伝うことになった。
こういう時に重宝されるのは遺憾ながら私だ。
水魔法で汚れた食器を一気に洗浄。割と水流の加減が難しいが、そこは子供の頃から鍛錬を積んで来たプライドと言うものがある。
数分でピカピカに洗いあがった食器を、女衆で手分けして拭いていく。
そうしている間もエンデはいつも以上に寡黙なままだったが、一通りの作業が終わり、クレアが最後の食器を棚に収めた時にその時限爆弾が破裂した。
「他はもうないか?」
クレアの問いがエンデの耳に届いたかどうか分からない。
それくらいぼーっとしていたエンデが、唐突に落涙した。
「どうしたのですか?」
アビーが慌ててエンデの肩に手をやるが、俯いたエンデは小さく呟いただけだった。
「私は、普通の人に生まれたかった」
翌日、ヴァルターとイーサンを街の酒場に呼び出し、私とクレアで事の顛末を話した。
その酒場はこの街の中でも割と大きな店で、ギルドの冒険者や船乗りなどが良く利用する店だ。売りにしているのは第一大陸のワインだが、個人的にはシーフードの充実が嬉しい。
だが、残念なことに今日は美味い酒という訳にはいかない。
「そのようなことがあったんですか」
神妙に聞いていたイーサンは私たちの話に唸り声をあげたが、ヴァルターの方はどこか表情の欠けた顔で考え込んでいるだけだった。
この二人の中でどのような感情の動きがあるのか、表情だけではちょっと読み取れなかった。
「踏み込むべきかは正直判断に自信がないが、もし私たちも聞いていい話なら知っておきたい。ああいう子が人目をはばからず泣いた上にあの言葉だ。さすがに心配はする。興味本位ではないことは信じて欲しい」
私の言葉に、二人は顔を見合わせて渋い顔をした。
「まあ、隠すようなことでもねえけどな」
ヴァルターの言葉にイーサンも頷く。
「この先、先生の仕事に影響が出る可能性もないわけではないでしょうし」
「まあな。何が起こるか分からねえのは確かだ。大将にも知っておいてもらったほうがいいわな」
そう言ってヴァルターはグラスの果実酒を一気に飲み干し、そして言葉を探すように語り出した。
エンデという女の子が、どのようにしてこの街に来たのか。




