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第1話 『診療』

 私の朝は、曙光と共に始まる。

 窓から差し込む生まれたての光に瞼をこじ開けられ、布団の甘い誘惑を振り切って起床する。

 洗顔を済ませ、寝衣を脱ぎ、仕事着である白いブラウスと紺のスカートを身に着ける。

 タイの色は水魔法の色である青。

 少しだけ癖のあるブルネットの髪は櫛を入れた後でヘアスティックを用いてアップにまとめ、化粧は申し訳程度で済ませるのが普通。

 小物は懐中時計に聴診器、加えて魔晶石を幾つか。

 魅了・催眠等の魔眼を防ぐフィルターレンズの眼鏡をかけ、そして洗いたての白衣に袖を通すと、また新しい一日が始まる。








 迷宮探索において、最も冒険者を殺している妖魔は何か。

 この問いに即答できる人はその道の玄人だろう。

 オークやゴブリン、キメラやドラゴン等、人の脅威になり得る存在は枚挙に暇がないが、実は最もスコアを稼いでいるのはスライムなのだそうだ。


 浅学ゆえ世界のスライムにどれだけ種類がいるのかは知らんが、近所に出没するスライムは主に『アシッドスライム』と言われる種で、強い酸性の体液を有する他、周囲の色に合わせて擬態する厄介な習性を持っている。

 その採餌方法は徹底した待ち伏せ型で、迷宮の天井や樹上に張り付いて周囲に擬態し、下を適度な温度の物体が通ると傘のように広がって落下してくる。例えるなら凶悪な山蛭とでも言えばいいだろうか。

 そうして絡め取った獲物を消化液で溶かして骨まで美味しくいただくというのが彼らの生態だ。


 スライムと言うだけあってその躰はゼリーのような粘性で一度纏わり付かれると引きはがすのはなかなか難しく、張り付いたそばからペーハーが酸性に振れた消化液を滲出させて来る。その場で見る見るうちに何もかも溶かされるほどではないものの、いかんせんべったり貼り付かれて浴びせられるものだから曝露時間が長く、生身の人間としてはそれだけで充分に致命傷たり得る。


 この種の化学熱傷は、受傷後に可及的速やかに洗浄することが重要で、洗浄しないと薬品や回復魔法を使おうにも使えない。

 しかし、迷宮では当然ではあるがスライムの体液を洗い流せるほどの水などそうそう見つかりはしない。

 オープンフィールドであれば探せば川や泉があるかも知れんが、迷宮内ではギルドが設置したシェルターに逃げ込み、貯水タンクに直結した簡易シャワーを使うしかない。

 探索活動のギルドの方針が二名以上での行動を半ば義務付けているのは半分はスライム対策なのだとも聞く。魔法使いの中でもクリエイトウォーターの魔法を使える人が重宝されているのはこういう理由にもよるのだそうだ。

 そんなわけで、迷宮でスライムに襲われたら即座にシェルターに駆け込んで体液を洗い流し、その上で自力で脱出するか備え付けの通信球で救援を呼ぶのがセオリーと言われている。

 しかし、迷宮の深部まで潜れば当然だが脱出時には少なくない送り狼と事を構えることになるし、ギルドに救援を求めた場合も救助隊が辿り着くには時間がかかる。


 午後一で運び込まれた患者は、迷宮に潜ってそのスライムの襲撃を受けた冒険者だった。

 年齢は三一歳の男性。見事なくらいにまともにスライムの洗礼を受けたらしく上半身の皮膚が広範囲に渡ってダメージを受けており、一部は真皮全層が失われて皮下組織までダメージが及んでいる。

 植皮を試みようにも患部が広すぎて採皮部が下半身だけでは追い付かないし、冒険者ともなれば植皮提供を相談できる身内が近所にいるとも思えない。もっとも植皮というのは永久生着させるには自家移植しか手段がなく、一卵性双生児という例外を除き家族を含めた他家移植は試みても一週間かそこらで剥がれ落ちてしまうので急場しのぎにしかならない。


 しかしながら、こういう患者であっても治療が可能な薬剤がこの世にはあったりする。

 担ぎ込まれた患者の患部を今一度洗浄して表面処置を施し、続けて手早く調合するのは熱傷用の魔法薬。各種薬草と薬液を混ぜて魔法をかけながら練り上げていく。

 出来上がったそれを大ぶりな乳鉢から大き目なシェービングカップのような容器に移し、そしてこれまた髭剃り用のブラシのような刷毛に薬液をたっぷり含ませて受傷個所に手早く塗布していく。

 青いゼリー状の粘度の高い薬液はそれこそスライムを思わせるが、効能はそれとは真逆。熱傷に対してはこれ以上に効果がある薬はないだろう。

 最大の特長は、薬液に持続型の治癒魔法の効能が込められていることだ。

 熱傷部に薬液が触れるや、薬液がそれに反応し青白い燐光を発して治癒が始まる。

 これこそがこの薬液の最大の効能。調合時に施術した治癒魔法が発効し、塗布された薬液内で循環することでその効能を広範囲に満遍なく、長時間行き渡らせることができる。これほどのダメージを受けている皮膚の再建でも一晩あれば充分だろう。

 また、人間の皮膚は体液の滲出を防ぐ機能を担っており、そのため皮膚が失われると脱水を起こすのだが、この薬液はその辺のシールも受け持ってくれる。加えて組織への酸素の供給や雑菌対策も抜かりなくケアしてくれる優れものだ。


 治癒魔法の効果は生体が本来持つ治癒能力のブーストであり、その効果は注ぐ魔力と対象の面積の除法に比例する。受傷個所の面積が大きければ大きいほど回復をもたらすには大きな魔力を必要とするというセオリーだが、そこを最小限の魔力で治療してくれるのがこの魔法薬だ。

 自慢に聞こえるかもしれないけど、レシピを知っていても誰もが作れるわけではない。製作過程で魔法を使った複雑な錬金処理ができて初めて可能な調剤であり、そこがうちの診療所のセールスポイントでもある。



 施術が終わり、手術帽を取ってまとめてある長目のブルネットを適当に整えて処置室を出ると、待合室には三人の人物がいた。

 二人はいかつい格好のおっさんたち。もう一人は長身で筋肉質の青年だ。

 前者は服装からして治安局の警邏の衛兵さん。後者は私がよく知るギルドのガイドだ。

 名はヴァルターという。私より五歳上、二五歳のナイスガイだ。


「どうよ?」


 訊ねて来たのはヴァルターだが、その声音には『間に合ったんだろ?』と言った感じの安心感が漂っていた。信頼されたものだと思うが、私なりにそれに応えようと思ったのは確かなことだ。


「運が良かったね」


 そう答える他に言うことはなかった。

 衛兵さんがいるということは、治った後で行くところは決まっているということでもある。しかも彼らが持っているのは仰々しいハルバード。

 まあ、そういう素性の患者と言うことなのだろう。




 うちの診療所は『迷宮』と言われる巨大な地下構造物が存在する街の一角にある。

 その迷宮には、どこから湧くのか分からない『妖魔』と言われるおかしなクリーチャーが多数生息しており、駆除をしないと地上に溢れ出して悪さを働くことがある。

 行政はそれらに賞金をつけて広く駆除人を募っていることから、自然とそれらの妖魔の類を退治して生計を立てている輩がこの街の住人には多い。これが俗に冒険者とかハンターと言われる連中だ。


 その出自はいろいろで、愚連隊や傭兵上がり、果ては食い詰めた農民が生きる糧を求めて始めるというのが一般的。つまり脛に傷がある奴が非常に多いということだ。

 そういう連中が命をチップに博打を張るというのは個人の自由ではあるが、その骸が妖魔の肥やしになるような事態を考えるとある程度は規制をしなければならない。

 結果として作られたのが冒険者の同業者組合だ。

 通称『ギルド』。

 同業者組合ではあるが、同時に行政府である元老院から委託を受けて各種の規制を行っている行政の出先機関でもある。

 無論やっていることは規制ばかりではなく、先に述べた避難部屋の整備運営や初心者向けのガイドも業務の内だ。うちの診療所も、そうしたギルド付属の冒険者救済のための機能の一つだ。


 そのギルドの業務において、重要なのが初めて迷宮に入る際の講習を行っていることだ。これを受けるのと受けないのでは生存率が天と地ほども変わって来る。そしてこの講習を受けないと探索免許が下りず、その免許がないと迷宮には入れない。

 しかしながら、前述のとおり冒険者になるような連中には社会のはみ出し者が多く、法を守らないろくでなしも少なくない。


「偽造?」


 手術着からいつもの白衣に着替え、ギルドの喫茶室で茶をいただきながら私は聞き返してしまった。

 首を傾げる私に、対面に座ったヴァルターが『おうよ』と答えた。


「提示された免許が偽造だったみたいでな。出所を含めて衛兵に調べてもらうことになってる」


 迷宮の入り口では必ず免許証の提示が義務付けられている。ギルドの管理官のチェックを経なければ入れないのだが、それを掻い潜るということは相応のクオリティの偽造免許証だったということだろう。そうなれば当然背後にいるのはそれなりの組織と言うことになる。


 この世界、悪事に対する罰則は結構厳しい。いかんせん人の命の重さは枯葉一枚といい勝負だ。裁判はきちんと行われるけど、供述に対する虚偽の発見には魔法が使われるので手続きが非常に迅速。

 量刑も復讐法に近いものがあるため分かりやすく、人を殺せば情状酌量の余地がなければ簡単に極刑が適用される。しかも一人や二人殺せば斬首や縛り首だが、大量殺人犯には凌遅刑じみた処刑が行われるというから恐ろしい。

 偽装罪は社会に対する裏切りなので、相応に罪は重い。知ってる範囲では重過金の上追放、もしくは鉱山等での強制労働だ。

 食い詰めて強制労働なら食い物には困らなくなるかも知れないが、課される労働は屈強な大男でも泣きが入るとも聞く。労働安全基準という概念はまだ誰も発明していない。


「素直に地下に入ったというのなら、他にもメンバーがいたのだろう。そいつらはどうした?」


 単独で迷宮に入るとなると当然だが目立つ。相当のお馴染みさんでもない限り管理官の目に留まるはずだ。チームで入ったからにはそのメンバーは当然ではあるがチーム員の救助義務を負う。それを放棄することは軽い罪ではない。


「相方の二人はさっさと街を出ようとしたところで捕まったみたいでな、先に治安局の方で取り調べを受けてるそうだ。あいつらの尋問はきついぜ~」

「命あっての物種と言うけど、まあご愁傷様としか言いようがないな」


 刹那的な生き方を否定はしない。どういう生き方をしようと、他者に迷惑をかけない範囲であれば、人には自らを滅ぼす自由も保証されて然るべきだ。

 雨の中、傘をささずに踊る人がいてもいい。それで風邪を引けば私のような商売をしている奴の懐が潤うだけだ。


「とにかく、動かせるようになるまではうちで預かるよ。拘束の必要があるなら私の指示に従って欲しい」




 状況が残念な方向に傾いたのは夕方のことだった。

 医務室でカルテの整理をしていたら、病室の方からバタバタと言う物音とくぐもった悲鳴が聞こえた気がした。

 何事かと思いきや、ノックもなくドアが乱暴に開いた。

 そこにいたのは腰にシーツを巻いただけの半裸の患者。皮膚の再生が不十分なため、一見すると地下の妖魔の親戚のようにも見える。

 手にしているのは点滴スタンドの慣れの果てである金属パイプ。あれで衛兵を襲ったようだ。


 血走った目と荒い息遣い。ひどい興奮状態だ。左腕を見ると、おかしな具合の紋章が光る刺青のように浮き出て見える。パワーブーストの術式だろう。モグリの彫師のよくやる仕事だ。


「まだ動いちゃダメだぞ。皮膚の再建は明日までかかる。ベッドに戻りなさい」

「うるせえ!」


 私の言葉に罵声を返してくる。モンスターペイシェントの典型だ。


「犯されたくなけりゃ金を出せ、さっさとしろ!」


 これでも医療に携わるプロの端くれ、こういう時に悲鳴を上げて騒ぐことしかできないような類の人種ではない。

 こちらを女だと思って甘く見て、その上で居直って強盗を働こうというのならもうかけてやれる容赦はない。

 私は黙って机の上に置いてあった水晶を取った。

 魔晶石。魔法の術式を込めると任意の魔法をタイムラグなしで発揮することができる便利アイテムだ。


「ま、待て!」


 慌てる患者に、私は『起動』とルーンを呟いて魔晶石を投げた。

 床に落ちると同時に魔の理が発動する。

 水晶が放つ魔力と大気中に満ちるマナの調和が術式を編み上げていき、患者の周囲の空気を催眠性の無力化ガスに置換していく。

 一度効けばまず半日は睡魔の支配下。手術の際の麻酔にも応用が利くから利便性は非常に高い魔法だ。

 無論こんな穏やかなものの他に戦闘用の魔法と言うものも存在するが、相手の戦闘力を奪うなら無理に命まで奪う必要はない。


 暴れる患者がぱたりと力を失った時、


「おいおい、乙女のピンチにかっこよく駆け付けたのに出番なしとは寂しいじゃねえか」


 と、戸口のところからヴァルターが現れた。その手には剣。騒ぎを聞きつけて来てくれたらしい。

 運のいい奴だ。ヴァルターが間に合っていたら、今頃首と胴体は繋がっていないところだったろうに。


「来てもらって早々に悪いが、こいつを診察室に運んで抑制しておいてくれないか。私は衛兵を診る」

「おう。手荒に扱ってもいいのか?」

「これだけ動けるなら死にはしないだろう」


 患者の首根っこを掴んで引きずっていくヴァルターを見ながら、私は救急セットを抱えて昏倒している衛兵の治療に向かった。



 そんな、ばたばたと過ぎ行くいつも通りの一日。

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