怪我の功名
おみくじを捨ててしまった翌朝。
「行ってきまーす。」
翌朝、恵麻が玄関の扉を開けると、そこに芳樹が立っていた。
「・・・・・。」
「おはよう!」
「・・おはよう。」
いったいどうしたんだろう。家が遠いのにこんな朝早くにうちに来るなんて。
まさか・・・もう別れ話? っていうか吹っ切れたんだろうな、この様子だと。
芳樹が自信ありげに、ニッと笑う顔を恵麻は久しぶりに見たような気がした。
「恵麻ー! 今日は燃えるごみの日だからゴミ箱を持って降りといてー!」
「あ、いいよ。私が持って降りるからぁ~。」
家の中からお母さんと早紀姉の声が聞こえてくる。
「いいのか?」
「うん、たぶんお姉ちゃんがやってくれると思う。」
恵麻は芳樹を促して、肩を並べて歩き出した。
「恵麻も家だと末っ子っていうか、お姉さんに甘えるんだな。」
「ん、そうだね。学校では猫をかぶってるかも。本当はしっかりしたお姉さんタイプじゃないんだよね。うちではお姉ちゃんがたいていのことは面倒見てくれるから。遥と一緒だとついね。あっちがボケでこっちがツッコミになっちゃう。」
恵麻がそう言うと、芳樹はケラケラと声を出して笑った。
なんだか今日はつき合い始めた頃の芳樹のようだ。いや、元のクラスメートの状態に戻ったのかもしない。
そう思うとなぜか心の奥がチクンと痛んだ。
「まさか芳樹君と一緒に登校できるなんて思わなかったな。家の方向が全然違うし。」
「うん。今日は恵麻に話があって待ってたんだ。」
ドキリとする。
フォワードって、こんなところまで素早いんだな。
「・・そう。朝練は?」
「監督にマラソンコースをランニングして来ますって、言っといた。」
「ふうん、キャプテンがそんな勝手なこと言って、よく許してもらえたね。」
「近藤のおかげだよ。監督に選手の心のメンテナンスも戦略のうちですって言ってくれて・・。」
「美月が? ・・そっかぁ。」
これはちゃんと話合えということだな。
美月には悪いけど・・・おみくじも捨てたし、なんとなく話の内容が想像つく感じ。
はぁ~、もしかしてこうなるかもしれないと思ってたんだからしかたがないのかも。
でもなんか辛い。
自分では気づいてなかったけど、こんなに芳樹君のことを好きになってたんだ。
今更だね。バカだな私。
だけどまがい物をきっかけにして始まった恋を芳樹君に強要すべきじゃないよね。
我慢しなきゃ。頑張れ私。
恵麻は根性で他所行きの微笑みを顔に貼り付けて、芳樹の話を待った。
「えっと・・俺、あの塚田さんのことにずっとこだわっててごめん。」
「もういいよ。美月にも言われたんだけど、私にも悪いとこがあったし。」
「恵麻は悪くないよ。俺が勝手に・・その・・・嫉妬して、凹んでたんだから。」
「うん。でも私も言葉が足りなかったし。こういう中途半端なつき合いは芳樹君も負担だよね。いいよ。普通のクラスメートに戻ろうか? その方が芳樹君にとっても嫌な思いをしなくていいんじゃない?」
「えっ?」
その時、集団で走ってきた自転車が次々と恵麻の横をすり抜けて行った。
危ないと思った恵麻は芳樹の後ろに回ろうとしたのだが、なぜかぼんやりとしていた芳樹にぶつかってしまった。
あっと声を出す前に、芳樹が「うわっ!」と言いながら道路から側の田んぼの中に落ちて行くのが見えた。
さすがにスポーツマンだけあって転ぶことはなかったが、変な落ち方をしたらしく足を気にしている。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「だい・・・大丈夫じゃないっ!」
・・・なんか怒ってる。
無理もない。誠実につき合いを解消しようと朝からこんな遠くまで来てくれたのに、モトカノに田んぼに突き落とされたんだもんね。
踏んだり蹴ったりってこういうことを言うのかもしれない。
「上がれる? 引っ張ろうか?」
「鞄を持ってて。自力で上がれるから。」
「わかった。」
恵麻は何が入っているのか軽い鞄を受け取って、芳樹が草土手を這い上がって来るのを待った。
道路に上がった芳樹の制服に土が付いている。恵麻はそれを手で払ってから、ポケットからハンカチを出して芳樹に指し出した。
「本当にごめんなさい。足、捻った? 歩ける?」
「ちょっと違和感はあるけど、なんとか歩けると思う。もう・・そんなに心配そうな顔すんなよなー。俺、フラレたんでしょ。恵麻はハナから俺のこと意識してなかったもんな。それなのに俺ったら焼きもちやいてグズグズして、愛想をつかされるのも無理もないか。はぁ~、でも凹む。近藤め、何が心のメンテナンスだよ。これ、当分立ち直れないかも・・・。」
ん?
なんか芳樹君の言い方を聞いてると、別れ話をしに来たような感じじゃない?
「芳樹君は私に別れて欲しいって言いに来たんだよね。」
「何でそんなこと言うのさ。告白したのは俺でしょ。」
「でも・・でも・・おみくじを捨てたんだよ。」
「おみくじ? なんか知らないけど、俺が恵麻を好きになったのは2年になってすぐだし。正月からじゃないよ。恵麻はなんかのゲン担ぎで俺とつき合おうと思ったの?」
「違うっ! そんなことない! ・・でも何でつき合うことにしたんだっけ?」
「はぁ~、これだよ。俺、可哀想。」
「ちょっと待ってよ。そりゃあつき合い始めの時は、話をするのが楽しくてなんだか自然にそういうことになっちゃったけど。私は芳樹君のことが好きなのに。」
芳樹は恵麻の言葉を聞いて、立ち止まってしまった。
「どうかした? 歩けない?」
「なんか俺、足じゃなくて耳がおかしいみたいなんだけど。・・・今、俺のことを好きって言った?」
恵麻はたちどころに顔に熱が上って来るのを感じた。
あ、言っちゃったかも。
「えっと・・うん。・・・好き。」
「じゃあ何でさっきあんなことを言ったんだよー。俺、てっきりフラれたかと思ったじゃんかー。」
「なんかごめん。」
「あーーーーっ、勘違いで良かったぁ~。」
芳樹は脱力した後で以前、告白の時にしたように飛び上がりかけて「痛たっ。」と足を抑えた。
恵麻は思わずしゃがんで、芳樹の足をさすった。
「ごめんねー。なんとか、治ってっ。」
恵麻がさすっていると、芳樹が急におかしいなと言い出した。
「恵麻の手ってヒーラーだ。ヒールのスキルがあるんじゃね? なんか治ったみたい。」
「またまたぁ。学校に着いたら保健室に行ったほうがいいよ。バカなこと言ってて捻挫が癖になったら困るから。」
「ホントだって。」
芳樹が飛び上がって見せる。
本当にいつもの感じで痛みはなさそうだ。こんなことってあるんだろうか?
まさか・・・おみくじ?
でもゴミ箱に捨てたよね。
「こういうものはゴミ箱じゃなくて、使わなくなったお札と一緒にしておかなきゃ。また来年、神社に返せばいいんだから。」
姉の早紀がそう言いながら、恵麻のおみくじをゴミ箱から拾って神棚に持って行ったことを恵麻は知らなかった。
おみくじは神棚の隅で、ほんのりと温かくなって光るのを止めた。
恵麻は歩き始めた芳樹の隣に並んで、そっと顔を見上げた。
芳樹もそんな恵麻を嬉しそうに見下ろしてニカッと笑った。
こうしてそばに一緒にいていいんだね。
そんな二人を美月と遥は学校の校舎の窓からハイタッチをしながら見ていた。
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